Tumgik
midori54day · 4 years
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夢で会えたら
なんの歌詞だったかな。
ずっと会いたいなって思ってる人が夢に出てきた。
いつからかその人のことを頻繁に思い出すようになって、会いたいと思うようになった。
きっかけは夫の浮気。
それから夫はわたし以外の女に優しい言葉をかけていたり、性行為したり、ご飯を食べたり、LINEや電話をしたり、わたしたちが稼いだお金をその女との時間に使ったり。
もう全てが許せなくて許されるなら全部消し去りたい。
去年判明した時からずっと考えていて、時々その思いは強くなる。
夫と結婚しなければよかったって。
そう思うとあの人が浮かんでくる。あの人ならこんな未来にならなかったのかなって。
そんな実際のことなんて何もわからないし、結婚しない可能性の方が圧倒的に高いだろう。
夫が浮気をした側の人間となってしまい、わたしからすると夫の魅力は激減した。
誠実で一途にわたしを想ってくれるところが一番すきだったからだ。
一度でもそうなってしまったのではもう気持ちはなかなか戻らない。
わたしが変化を嫌って離婚するのが面倒くさいと思っている、それでなんとなく続いてる。
わたしの前に良い人がいれば今すぐにでも離婚して良いと思ってる。
こんな不安な思いを抱えてこれから先何十年も過ごしていくのは酷すぎる。
浮気をしていないというが、
繁華街からの朝帰りや出会い系の複数アカウント、婚活パーティーの参加。
こんなにも証拠があるのに疑わない方がおかしい。わたしはこれらのせいで心から楽しいと思えることがなくなった。
発覚前の写真を見ると幸せそうな顔をしている。もうそっち側には戻れないんだよなって思うと苦しい。
さらにはその幸せそうな笑顔をしているけど、裏で裏切られていたと思うと頭を鈍器で殴られたような感覚になる。
こんなに、こんなに辛い。
だけど夫はわかってはくれない。元々そうだったとか、勝手に被害妄想だとか言う。
そういうところもつくづく嫌いだ。
わたしがすきになったのは今の夫じゃない。
もう好きだったあの人(夫)はもうここにはいない。
夫もそう思ってる。もうわたしのことは好きじゃないと思う。情や惰性で一緒にいる。
わたしは本当に辛かった話などを夫に話しても素っ気なくされる。内容が悪いのかもしれないけど、もうわたしは夫に頼れないし甘えないし、そういう話はしないと決めた。
夫もわたしに話そうとしないし、楽しそうじゃない。
夫が苦しんでいる時、わたしでは助けてあげられない、癒してあげられない。そんな気持ちでいっぱいになる。
こんな2人が一緒にいる意味ってなんなんだろう。
助け合って、支え合って、
2人だから乗り越えられたよねって笑い合いたいのにな。もうむりなんだろう。
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midori54day · 4 years
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おとこあそび
わたしは嫉妬深い。
夫が携帯触っているだけで
浮気しているんじゃないかとおもう。
事実、出会い系や婚活パーティーに参加していたりした。
そこからどんどん信じられなくなって
益々疑り深くなった。
頻繁に夫を責め立てた。
そこで夫はこう言った。
「一回男の人とあそんできたら」
そこで一念発起して遊ぼうと決意した。
ただ夫と付き合ってから
時々遊んでいたような男関係は
全て切ってしまった。
また一から出会いを探すのはすこぶる面倒くさい。
ただひとりずっと会いたい人がいる。
前に書いた忘れられない人。
どうせ遊ぶならその人に会いたい。
血眼になり探す日々。
そもそも出会いがネットだから
そう簡単に見つけられない。
本名と年齢と出身と
当時住んでた最寄駅と
仕事と職場の最寄駅
それくらいしかわからない。
LINE勢い余って消したことずっと後悔してる〜
残ってたらいつまでも期待してしまうと思ったから。
探偵みたいなのに人探し依頼できるけど
めちゃくちゃお金かかる。笑
さすがにそこまではできないし、、、
最寄駅待ち伏せも一瞬考えたけど、普通にストーカーだし3年も前だから引っ越してる可能性あるし。
そもそも会えたところで逃げられてしまう可能性もあるし���覚えてないかもしれない。
わたしも相手の顔を忘れてしまってるかもしれない。
もう東京にいないかもしれないし、
3年も経てば結婚してるかもしれない。
自分だってそうなわけだし。
銀杏を聴くたびに思い出して胸が苦しくなる。
あの時付き合ってたら幸せになってたのかな。今と違う未来になってたのかな。
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midori54day · 4 years
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忘れられない
忘れられない人が1人いる。
たくさん遊んでくれて
たくさん構ってくれて
たくさん好きって言ってくれた
たくさん可愛いと言ってくれた
出会った瞬間から運命の人だと確信した。
佳代を聴くとその人のことを思い出す。
謎にラーメン屋で渡した
「友達にもどろう」ステッカーどうしてるかな。
わたしは未だに保管してる。
普通にそのステッカーが好きだからだけど。
わたしのネトストの能力があっても見つけられない。
たぶん本当にSNSやってないんだろうな。
それかもっと中身や本質を知ることが出来ていたら、、、。
日々記憶が薄れていく中で
エビフライとおでんとビールとコーラが好きというそれは覚えてる。
誕生日も忘れた。
5月だったかな。
仕事はクリエイター系といいますか
年収も年齢相応くらい。
(積極的に聞いたのではなく、相手から年収聞かれたので聞き返しただけです!)
名前も忘れそうになってしまうから
定期的に佳代を聴いて思い起こしてる。
好きになりすぎて辛かったな。
毎度のことかもしれないけど。
素直になれなかったのを未だに後悔してる。
あの時素直になっていたら違う今があったのかな。
新宿や五反田、高円寺、成増
ここら辺に行くといつも胸が痛む。
いないかな、いないかなって。
何年経っても無意識に探してしまう。
たぶん今も独身だと思うし、
めちゃくちゃ酒に飲まれてるだろうし、
喫煙者なのは変わってないだろうな。
二日酔いで痛み止め飲みながら
遊んでくれる、そんなくそな人。
だけど、とびっきり運命を感じた人。
そんなひとに幸あれ〜
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midori54day · 4 years
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おわらないうたをうたおう
いつも行っていた音楽フェスやDJイベントの終盤はこの曲が多かった。
その時の最後の曲、おわりの曲。
おわりははじまり。
来年や次へ向けてのはじまり。
おわりがこないとはじまらない。
おわりなんだーと切なくなる。
それと同時に
また次もあるんだ、そう思わせてくれる曲。
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midori54day · 4 years
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一定の距離を保てる浮気相手や女友達。
その方が衝動しないのは当たり前。
夫とよく喧嘩してしまうわたしだって
友達などとは喧嘩しない。
夫に浮気をされて
自分もと考えたりもしたけれど
誰かに独身と偽るのも気が引けるし
既婚と言いながら関係を持���のもいや。
やり返したいという気持ちはこんなにあるのに踏み出せない。
自分は夫と再構築したいのか
別れて他の優しくて浮気しない人を探したいのか
ずっと一人でいたいのか
わからない
夫は平日昼間に出会い系の人と会おうとしていた。
わたしがいない間だけではなく、勤務の合間にそんなことしてるなんてショックが大きすぎた。
やっぱりこういうのは直らないかな。
また裏切られて裏切られて
心がボロボロになっていくのかな
自分から切れる性格じゃないからわからないや
元々わたしは被害妄想がすごいんだけど、
これが現実ではなくてぜんぶ妄想だったらいいのにな
自分の想像力に苦められてしまうことはあるけど、夫が本当は浮気なんてしていない。そう思いたい。全部妄想であってほしい。
毎日気が晴れない
しにたい
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midori54day · 4 years
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結婚
結婚がゴールじゃないとはよく言ったものです
幸せにずっと暮らすって難しい
浮気されたとなるともう心穏やかにはいられない
浮気した側は発覚して仲直りしたらもう終わりだと思っている
浮気された側は
発覚した時がスタート。
仲直りはしてもずっと心のどこかでモヤモヤは感じています
時々爆発して涙が止まらなくなる
夫はわたしのそんな姿を冷たい目で見る
裏切られた傷は簡単には癒えないのに。
つらいなあ
こんな思いをするために
結婚したわけではないのに
好きな人とずっと一緒に暮らしたい
そう思ったのに。
浮気しない人が絶対条件で
この人なら信じられると思ったんだけどな。
もちろん自分にも責任があるのはわかる。
結婚している以上は
軽はずみに浮気は許されないと思います
「幸せになりたいっすねえ」
(愛はなんだという映画よかったなあ)
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midori54day · 5 years
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もう12月だし、すっかり冬になりましたね。
季節を感じながら歩いていたのに
いつしか音楽ばかりに集中して周りを気にしないようになっていました。
下ばかりみて歩くようになっていました。
今だって紅葉になって
いちょうが綺麗な黄色に染まっていたことに今日まで気が付きませんでした。
今日は風が強く、
いつもの道が落ち葉だらけになっていました。
そうしてやっとわたしは
紅葉していたんだ、こんなに綺麗な黄色だったのに気が付かなかったと思いました。
下ばかり向いて歩いているので
落ち葉には気が付きました。
景色も気持ちも上を向いて歩いていけたらいいな。
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midori54day · 5 years
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バイバイ、君に投げつけたピザまん
わたしはモテないです。
わたしは男に依存します。
わたしは自分から別れを切り出しません。
ですが、
短気だし、嫌なことをすぐ口にしてしまいます。
もちろんその瞬間はイラッとしているのですが、実は“こういう現象になるのは自分が劣っているからだ”と思ってしまいます。
今となっては何であんな男と付き合っていたんだ!?と思うのですが、その時は大好きでその彼しかいないと思ってしまうのです。
縋ってしまうのです。
あんなに酷い別れ方をしたのに
気持ち悪いくらいに復縁を望んでいたりもしました。
酷い別れ方というのは、
同棲していた彼(ニート)がつ���に始めたアルバイト先で若くて可愛い女の子と恋仲になりました。
昔から勘がいいのですぐにわかりました。
名前はアルバイトの勤務表で絞れていたため、あの手この手を使ってそのか彼の意中の女の人のLINEをゲットすることが出来ました。
そこで連絡すれば急展開。
あとは彼がわたしに別れを告げて終わりです。
と、それなら発狂するで終わるのですが
彼はニートだったのでわたしのヒモ。
その相手の女の子もアルバイトのみでお金がないらしく、その2人の貯金が貯まるまでは彼をわたしの家に住まわせてほしいというのです。
耐えられますか?
元彼(元ヒモ)が女の子と仲良くLINEや電話をしている空間にいるなんて無理です。
家賃光熱費は全てわたし持ちなわけです。
そんな話ありえないですよね。
ここの話し合いが拗れに拗れて、
しばらくは一緒に住んでいたりしましたが
とても辛かったです。
元彼が仕事に行くときに鍵を忘れていきました。
そこでわたしは夜逃げして連絡先は全て拒否。
この時は未練タラタラだったのですが
今しかない!と思った必死の行動でした。
たいしてない相手の荷物もそのまま。
ゲームアプリ経由や友達経由で
荷物を返してくれと言われ、
最後に荷物を渡すために2人で会うことに。
その時のことは人生最悪の日上位に入るので、忘れもしません。
わたしは彼が待つコンビニへ迎えに行きました。
ピザまんを買ってくれていて、受け取りました。
しばらく無言で、話せばやはり言い合いになってしまいます。
あわよくば、このままわたしと一緒にいてほしいと実は思ったりしていました。
貢いでいて、浮気をされ、罵倒され、
それでも一緒にいたいと思っていたのです。
好きという感情なのか、
独占欲なのか、
彼に費やしたお金や時間がたくさんあったからなのかよくわかりません。
浮気されるような自分が悪いんだとずっと自分を責めていてすごく辛かった。
そんなわたしに彼は無神経に恋仲の相手との話を無邪気にしてきます。
わたしのお金を盗むつもりで通帳を持ってたと曝露してきました。
さすがにブチ切れてしまって、
食べかけのピザまんを顔に投げつけました。
バイバイ、君に投げつけたピザまん
そこからも色々あったのですが、
ネット上に書ける内容ではないので割愛。
彼とは音楽の趣味を通じて知り合いました。
よくライブやフェスに一緒に行っていました。
その次の年のフェスに彼とその女の子が一緒にいたのを見かけて、それは見たこともない彼の笑顔。そして、わたしとは繋ぐことのなかった手。
それを見るまでは心のどこかで未練があったんだと思います。
実際に見たら気持ちがざわつきと同時に楽になったような気がしました。
数年後、突然彼から連絡がきました。
電話をしたいと言われ、話を聞くと彼女と別れそうとか愚痴でした。
一応元カノであるわたしに
しかも浮気が原因で別れたのに
彼は無神経にも相談をしてきました。
「ざまあみろ」と本気で口から出たのは人生で初めてでした。
それでは終わらず、
東京にいるなら飲みに行こうとか
昔のことなんて忘れて仲良くしようと言われました。
どこまでわたしのこと掻き乱そうとするのか。
これでわたしは彼を大嫌いになりました。
ここからしばらく本当に好きになれる男性はいませんでした。
男は浮気する生き物というけれど、
わたしはそれが許せないのでそういう人はもううんざりでした。
とりあえず寂しさを紛らわせてくれる都合の良い人がいれば、彼氏が欲しいとは思いませんでした。結婚もしたいと思いませんでした。
わたしも彼氏という存在がいるよりも、
そういう関係の方が気持ちが楽でよかったです。
本当に好きになってしまうと辛いので。
数年後に今の夫と出会い、
誠実さに惹かれました。
男性不審になっていましたが、
夫となら付き合いたいと思うようになりました。
そして付き合って結婚をしています。
夫はきちんと働いているし、
料理や洗濯も積極的にしてくれます。
世の中には“いい旦那さん捕まえたね”と言われます。
性格が合わない部分もあり時々喧嘩はしていましたが、概ね仲良くやっているつもりでした。
そんな夫も実は結婚当初から浮気をしていたようでした。
浮気が判明してからは益々信用できなくなり、1人でいる時はずっと涙が止まりません。
廃人のような気分になり、精神科に行きお薬をもらうようになりました。
それからも夫の浮気は変わらず、
「自分のせいでこうなった」とずっと責めているのが本当に辛いくて仕方ないです。
こんな裏切りを受けるために結婚したわけじゃないのに。
彼氏が欲しいとか
結婚したいとかじゃなかった。
夫だからそう思えて、結婚しただけなのに。
出会う前に巻き戻して欲しいです。
浮気されるなら、
ましてや不倫されるなら、、、、、
この決断はしていませんでした。
浮気される方に原因があるというのもわかります。
ではどうしたらわたしたちは浮気せず一途に結婚生活を送れたのでしょうか。
もう毎日が辛くて辛くて
一時も浮気されたことが頭を離れません。
しにたいです
生きてる意味がないです
しにたい
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midori54day · 5 years
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待ち合わせは高円寺
田舎出身のわたしは東京に住むことにとにかく憧れを強く持っていました。
田舎より高いことは知っていましたが、
どこがどのくらい高いかは未知。
上京する時に聞いたことのある場所で部屋を探していました。
住みたい街上位にランクインしている恵比寿をはじめ、
表参道・渋谷・新宿・中目黒などなど。
もちろんわたしの平均的なお給料で住めるところは見つかりませんでした。
ネットで調べると候補に上がったのは
東横線の妙蓮寺(もはや横浜)、
地下鉄成増などがコスパ良く住めそうな2つでした。
友人に聞いてみると
中央線沿線をお勧めされ、
その中でも高円寺や中野、吉祥寺推しでした。
調べてみるとすごく住みやすそう、、、
その中でも当時ロックバンドが好きだったわたしには高円寺が魅力的に感じました。
そんなわけで、
軽い気持ちで高円寺に決定。
高円寺は一人暮らし向けの物件が多く、
年季の入った風呂なしアパートから
オートロックのある綺麗なデザイナーズマンションまで幅広くありました。
物件探しは楽しく、
毎日スーモとにらめっこ。
ネットで高円寺について調べてうきうき感を募らせていました。
JRの高円寺駅と
丸の内線の新高円寺駅があり、
そこはパル商店街とルック商店街を真っ直ぐ抜けていくと15分程度で行ける距離でした。
どちらも使えたら便利だなと思い、
高円寺駅の南口側から新高円寺駅までの間で家を探すことにしました。
南口側には西友やオーケーと言った安いスーパーを始め、業務スーパー、個人商店などが点在していました。
高円寺の下見に行った時は
“もうすぐここに住めるんだ”と胸が高鳴りました。
実際に住んでみると毎日が輝きだしました。
何故かわからないですが、
高円寺はだめなわたしを包み込んでくれるような空気があります。
偏見かもしれませんがよく言われるのは
売れないバンドマンや芸人なども多く住んでいて、ダメな人が多くいると。
おそらく朝からパリッとしたスーツを着ている人は他の地域と比べると圧倒的に少ない気がします。
居酒屋にもスーツより個性的な服の人が多い。
ゆるい雰囲気の人が多いのです。
なんとなくそんな気がする。
そんな高円寺が好きで好きでたまらないのです。
結婚することになり、
高円寺から引っ越してしまいましたが
今でも美容室のために足を運んでいます。
落ち込んだ時は
高円寺にきて大好きな音楽を聴きながら
散歩をしています。
そうすると不思議と
心がスッと軽くなるのです。
高円寺の魅力はカフェやアクセスだけではない、不思議なゆるい空気感。
またいつか住みたい場所です。
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midori54day · 5 years
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他人の生き方へ口出し
女にはある年齢を過ぎると生き方へ口出しされることが多くなる。
20代半ばにもなれば
地方出身だと結婚ブームが来る。
その時期に家族や知人からこう言われる。
「結婚しないの?」 
結婚するかしないかという選択・希望がある。
その上で相手がいるかいないか、
そして
相手も同じく結婚したいかどうか
こんなに色々なステップを踏まないと結婚には至らない。
それにも関わらず、
人々は無神経に聞いてくる。
歳を重ねるごとに周りからのプレッシャーを感じる。
やがて“結婚できない何かある人”と思われる。
職場でも嫌な人がいれば
「あの人はああだから独身なんだ」
「なんであんな性格なのに結婚できたんだ」
そうなにかと結婚と絡めて悪口を言うのを耳にする。
あまりにも無神経だし、
余計なお世話なのだけれどこういう話はよくあるのが現実だ。
女の幸せ=結婚 
一人前の大人=結婚が必要
これは一昔前の話で現代には合わない。
現代は男女関係なく、働いていることが多い。
大学卒業後から必死に働いてきた身としては、結婚出来ないと女ではない、一人前ではないと言われてしまうのは甚だ遺憾である。
昔から恋に恋する恋愛体質の自分でさえも、恋愛結婚出産でアイデンティティを見出しなさいと他人から強要させられている気がしてならなかった。
モテなかったわたしは「このまま結婚出来ないかもしれない」という思いもあった。
その気持ちを見透かされてしまうのではという不安もあったのは事実。
自分だけの努力ではどうにもならないライブイベントは他人にとやかく言われたくないのだ。
特に既婚者は悪気なく「結婚はいいよ〜」とか「早くいい人見つけなよ」と言ってしまう。
既婚者が思う以上にアラサー以上の独身はデリケートな部分がある。
見かけによらずガラスのハートの持ち主のわたしは結婚したいと思うようになった理由の一つにこういう煩わしいことをもう言われたくなかったからというのは少しだけある。
しかし、現実はそう甘くなかった。
結婚したら今度は
「子どもいつ生むの?」
「何人くらい作る予定?」
そんな風に総攻撃を喰らうのだ。
元々お酒がそんなに好きではないわたしは、飲みの場でもソフトドリンクを頼むことがあった。
そうするとみんな揃って
「妊娠したの?」と聞いてくる。
悪気はないのはわかる。
わたしは結婚以前からそんなにお酒飲まなかったにも関わらず、ある程度親しい間柄の人でもそう聞いてくる。
簡単に妊娠出来るわけがないのをわかっていない人が多過ぎる。
苦労もせずに妊娠して、
母子ともに健康で出産できるというのは奇跡なのだ。
デキ婚とか望まない妊娠とかがゴシップとして話題に上がりがちなため、妊娠はありふれたことだと誤解してしまっているのではないだろうか。
そして、結婚=子供を持つと認識している人が多い。
仕事やプライベートを充実させたいため、自ら子どもは作らないという選択をしている夫婦もいる。
不妊で欲しいけど授かれない夫婦もたくさんいる。
不妊治療についてなど以前よりメディアで取り扱うようになったにも関わらず、周囲の人は不妊の可能性など考えず発言してくる。
妊活をしていない自分でさえもこのようなことを言われるのはプレッシャーであると同時にストレスフルだ。
こういうことばかり言われていると、いつの間にか妊娠が妬ましく思えてくる。
幸せそうでずるいと思ってしまう。
いつしかわたしは街中で妊婦や子連れを目にすることが辛くなってしまった。
それどころか、周りの人たちの妊娠出産を手放しに祝福することができなくなってしまった。
お門違いだろうと思うだろうが、
周りからプレッシャーを与えられてしまい、他人の妊娠を祝福したいのに素直に喜べないそういう苦悩は理解され難い。
何故理解され難いのかというと、
「他人の妊娠を喜べない」という気持ちはほとんどの人が自分の内に秘めてるからだ。
こういう結婚出産について言われるのはほとんど女性だから、このような感情が生まれるのは女性特有なのではないか。
そのため、この感情や苦悩は男性にはあまり理解してもらうことが出来ない。
男性というのは、このような苦悩を抱えている(妻)のパートナーである夫もそうだ。
共感力の高い夫なら共感してもらえるかもしれないし、共感しなくとも「そうだね、辛いね」と優しく包み込んでくれる人もいるだろう。
しかし、
そのような男性はほとんどおらず
そうであって欲しいという女性側のエゴでもある。
このエゴを夫に押し付けたのは紛れもなく自分だ。
こういう苦悩があるよと話したところ、わたしの求めていたような返答は得られなかった。
そんなこと夫相手に求めるのが間違っているのだが、デリケートな問題でわたしは深く傷ついていたため優しくしてもらいたいと思いすぎてそのことを見逃していた。
他人の妊娠(幸せ)を祝福できないという妻、そんなの嫌だという大前提があることを忘れていた。
同じ思いをしている女性に
夫に気持ちを嘆いて引かれてしまうのはあまりにも不憫なので気をつけてほしい。
でもこの行き場のない感情はどうしたらいいのだろう。
そう、それがインターネット。
ひたすら同じ感情をワード検索した。
意外にも同じように考えてる人はたくさんい���こいうことを知り、心が軽くなった。
こういうネガティブな感情は普段のSNSには投稿しにくい。
匿名で書いてあることがほとんどだ。
同じよ��に悩んでる人はたくさんいるので1人じゃないよと言ってあげたい。
声を大にして言える内容ではないから、そんなに人数は多くないと思われがちだけど意外といるんだよ、と。
そして、
こういう悩みを生んでいる原因となるのは
周りの無神経な
「結婚しないの?」「こどもは?」という言葉たちだ。
無神経を気をつけるというのは高難易度であるから、今後もなくなることはないのではないか。
そうとなれば、
受け手側がどんな風に気持ちをもっていくかを考えるしかない。
女性は共感してもらいたい生き物だとよく言う。
同じような気持ちを検索してみてはいかがだろうか。
そして、自分が妊娠出産を経験した時に
かけられて不快だった言葉を言わないようにし���う。
他人の人生に口出しはしない。
わたしはそう誓った。
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midori54day · 5 years
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扁桃腺の手術した話
子どもの頃から時々扁桃腺に炎症を起こして熱を出したりしていましたが、頻度は高くないのでそのまま様子を見ていました。
ところが、
大人になってから喉が痛くなり、熱を出すことが増えたのです。
熱を出す前にある行為を必ずしていたことに気がつきました。
それはアダルティーなオーラルな、
アレです。
それに気がついたわたしは
性病なのでは?!と心配になり、
その時の相手(現在の夫)に投げかけました。
耳鼻科に行ってわたしも
「男性のアソコを舐めたからばい菌ですか?!性病とかですか?!」と先生に焦りながら聞いてしまいました。
今思うとかなり恥かしいし、やばい奴。
彼にも泌尿器科へ行ってもらい、性病検査をしてもらいました。
結果は全て陰性。(性病ではない)
じゃあ、
ただただアソコが汚いだけか。
そりゃあ陰部だもんな、と納得。
その後も何度も熱を出しました。
そんなことを数ヶ月繰り返し、
耳鼻科の先生から手術を勧められました。
遂に手術する決意をして、
「術後は痛みが強いから痩せるかも」という淡い期待さえ持っていました。
しばらく食べられないだろうと思い、入院の前日には熱々のラーメンを食べました。
そして、入院手術。
全身麻酔は何回か息をしたらスッと意識がなくなり、
次に目が覚めた時は手術が終わっていました。
痰がらみと痛みがじんわりありましたが、
麻酔が完全に切れておらずボーッとしていました。
ベッドで部屋に戻ってきて、
麻酔をかけたため3時間は横になって安静と看護師さんから言われました。
ですが、点滴も入っているため
2時間くらい経ってから
急に強い尿意が襲ってきました。
看護師さんに
「トイレ行ってもいいですか?我慢できないです。絶対もう麻酔切れてるし転びませんので」と強くお願いしましたが、呆気なく断られました。
あと1時間も我慢できない。。と思い
立ち上がろうとしましたが止められてしまいました。
なんとか安静時間までは我慢して、急いでトイレに行ったことを覚えています。
その後はウトウトしていて、
起きたり寝たりを繰り返しました。
痛みとじんわり出血があって、何度か夜起きてうがいをしました。
その次の日から流動食から開始となり、
徐々に食上げされていきました。
友人や家族から差し入れのアイスやゼリーなどをもらい、ずっと食べていました。
喉の痛みはありましたが、
痛み止めを飲んでいたため食べられないということはありませんでした。
それどころか、
売店で菓子パンやチョコレートを買ってコソコソたべていました。
1週間ちょっとの入院でなんと3キロ太りました。
これがデブの底力です。
痛み止めを飲みながら、
無理にたくさん食べた結果です。
退院してからの方が痛みが強く、
飲み込みに時間がかかりましたが
だからといってたべないという選択肢はありませんでした。
1カ月くらい経てば完全に痛みはなくなり、普通通りになりました。
扁桃腺摘出するメリットとして、
いびきが改善されるというものがあり、以前よりマシになりました。
もう一つ、声量が多くなり歌が上手くなるといつもの。
声が元々通りにくく、とてつもなく音痴なわたしには関係なかったようです。
ちょっと期待していたから残念です。
一番の目的の
扁桃腺が腫れるというのとはもちろんなくなり、熱も出さなくなりました。
風邪を引きやすくなるというデメリットがあると言われましたが、
元々風邪を引かないタイプなので以降は全くなにもありません。
本当に手術して良かったと思っています。
以上、
扁桃腺摘出術の体験記でした。
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midori54day · 5 years
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こどもの頃からの夢が叶った話
Tumblr media
わたしは子どもの頃から旅行が好き���った。
平凡な家庭で育ち、小さい頃から旅行もそれなりに連れて行ってもらっていた。
クラスに1人はお盆休みにハワイに行く家族がいた。
わたしは昔からハワイのような南国にはあまり興味はなかったが、
お盆休みに海外に行ける家庭の財力は羨ましいと子どもながらに思っていた記憶がある。
残念ながら我が家にはその財力や時間はなかった。
国内旅行の予約に家族で旅行会社に行った時は、海外に行ってみたいとそう強く思った。
決まって眺めているパンフレットがあった。
それは海外のディズニーでもなく、
人気のハワイなどのリゾートでもなく、
北欧のオーロラだった。 
それが北欧に強く憧れるきっかけとなった。
その後も旅行会社に行くたびにオーロラのパンフレットを全種類持ち帰っていた。
母親に「貧乏くさいからやめなさい」と注意された。
安く見積もっても1人20万は固い。
我が家に行ける財力はなかったし、親も寒い国に興味はなかった。
それから月日が経ち、
花柄や大胆なパターンが好きなわたしは
マリメッコ に憧れを持つように。
とは言え、マリメッコ は値が張る。
ウニッコのマグカップが欲しかったが、
100均を愛用していたわたしには
2500円以上するマグカップに手を出すことは出来なかった。
いつか買うと心に決めた。
そのいつかとは、
“結婚したら”にした。
北欧のオーロラも
“新婚旅行で好きな人とみる”
そう学生の時に誓った。
北欧は寒いし、
ましてやオーロラがみえるところはさらに寒い。
新婚旅行と言ったら
ハワイのようなリゾートとか
オーストラリアとか国内旅行とかが
定番だし北欧よりお金もかからない。
北欧に行ってくれるというのは、意外とハードルが高い。
そんなところに一緒に行ってもいいと言ってくれる人と結婚したいと思っていた。
そして今の旦那さんと出会い、
新婚旅行に北欧を了承してくれた。
「わたしだけの意見を押し付けたかな」
そう心配していたが、
わたしの夢を叶えてくれる優しさに甘えることにした。
そうして昨年末に念願の旅行へ。
北欧の中でもフィンランドを選んだ理由は
単純でマリメッコ があったから。
北欧4ヵ国周遊したいが時間とお金が足りないから。
最初はそれだけだった。
フィンランドのレヴィに行き、オーロラ観測をした。
思ったよりも寒さが厳しく、
出るかわからないオーロラを待つというのは簡単ではなかった。
しかし、
夫と一緒にフィンランドに来れて、
オーロラを観ることができる(かも知れない)、
そのことだけで幸せだった。
しばらく待っていて
うすーいうすーいオーロラを観ることができた。
よく写真で見るような
ピンクとか紫とか鮮やかな帯状のではなく、
緑の弱くて薄いオーロラ。
薄くても観測率100%のわけではないので、すごく嬉しかった。
20年来の夢が叶った瞬間だった。
この夢を叶えることに協力してくれた夫に感謝している。
“この先もずっと一緒にいたい”
そうあの時に思った。
これがわたしのフィンランドとの出会い。
余談になるが
レヴィの後にヘルシンキへ行き、
夫はマリメッコ を爆買いしていた。
わたしのために買ってくれたのではない。
では何故か。
マリメッコ はフィンランドで日本より安く買える。
それをメルカリで売って利益を出している。
いわゆる転売屋だ。
その時の夫の目は
オーロラを観る時よりも輝いていた。
何はともあれ
昔からの夢が叶った話でした。
ありがとう。
また機会があれば
フィンランドについての続編を書こうと思う。
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midori54day · 5 years
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引っ越し=生まれ変わり
突然ですが、
わたしは引っ越しが好きです。
何故好きか?
“引っ越しをすると生まれ変われる気がする”
と思っているからです。
箱入り娘だったので、社会人になるまで親に許してもらえず実家暮らしをしていました。
生まれてから大学卒業までの22年間、ずっと同じ家(実家)に住んでいるということはそれだけの物がたくさんありました。
わたしは物が捨てられなくて片付けられない性格です。
このわたしを育て上げた母も同様なので、当然家は物で溢れかえっていました。
いつしかこの環境がそうさせると思うようになり、早く家を出たい一心でした。
まず一人暮らしを初めてしたのが、
社会人1年目の22歳の時でした。
この時に一人で勝手に家を決めたり、家具家電を揃え、全て一人で準備しました。
(親は一人暮らし反対していたから非協力的でした)
この時は実家から“使いそうなもの”をたくさん持って行きました。
慣れない仕事と慣れない家事。
心身共に疲れ果て、段々と家事は後回しに...
そして
一人暮らしでも立派なゴミ部屋を作り上げました。
ここでようやく環境ではなく、
片付けられない自分に責任があると気付きました。 
この時のアパートは実家から車で10分もかからない場所だったので、頻繁に寄ってご飯を食べたりしていました。
そのため新しい暮らしというよりも、
自分の部屋が広くなってキッチンやお風呂がついたという感じで、生活がガラッと変わったような気はしませんでした。
その後は色々あり、2.3年実家暮らしに戻りました。
一人暮らしから実家に戻るのはキツイと思っていましたが、この時はそうでもありませんでした。
それから20代後半になり、
「一度は地元を出て憧れの都会でキラキラした生活を送ってみたい」
そんな思いがどんどん強くなり、上京を決めました。
(これも親の反対があったので勝手に部屋や仕事を決めました)
この時は前回の二の舞になるまいと、
ほとんど物を持っていかない作戦をとりました。
なので、
長距離の引っ越しでしたが業者は使わず。
また新たに最低限の家具家電を揃え、
衣類は自分でリュックに入る分のみ。
それから物が少ないので以前よりは散らかることは減りましたが、
元の位置に戻すことが苦手なのでやっぱり散らかりました。
精神面では環境がガラッと変わり、
毎日がキラキラして見えて、心も弾んでいました。
地元にいた時は、
仕事が翌日ある場合は飲みになんて行くなんてあり得ませんでした。
そんなわたしが、東京にくると
心躍る感覚やどこから寂しさもあったのか
仕事のことを考えずに飲みに行けるようになりました。(なんだそれ)
地元では職場と家の往復をしていただけで1日を消化していくそんな感覚。
それが、仕事以外の時間を楽しむことができるようになったのです。
そう、
それが東京の魔力です。
お洒落なカフェや居酒屋、
ワンコインランチ、薄汚れた美味しいお店
テレビで話題のお店
今まで手の届かなかったものが
身近にあるんです。
田舎者のわたしが憧れていた生活でした。
引っ越しをして
住む場所が変わると、気持ちも変わります。
引っ越しをきっかけに断捨離もできます。
今までの嫌な思い出も捨てられます。
知らない土地にいくということは
自分をリセットできると思います。
今まで出来上がった他人から思われるキャラやイメージを急に変えることは難しいです。
環境が変われば付き合う人も変わります。
そこで新しい自分をデビューすることができます。
そうすることで、
今まで想像もしなかった人生が待っています。
そう、わたしは東京にきて引きこもりが少しアクティブになりました。
新しく人と会うのが億劫ではなくなりました。
そうして
夫とも出会うことができました。
引っ越しは色々変われるチャンスだと思うので、嫌なことがあると物件を探してしまいます。
引っ越しのお金はかかりますが、
色々変えるチャンスが買えると思えば高くないのではないでしょうか。
ちなみに一人暮らし都内引っ越しでかかった料金は2万円以下です。
先日夫婦2人の引っ越しは4万円未満です。
大手の引っ越し業者は安心ですが、広告料なども入っているため割高に感じます。
よーーーく見積りを見比べて、
より安いところを見つけてみてくださいね。
ここだけの話、
わたしが利用したのは
“フクフク引っ越しセンター”です。
今の生活や自分が嫌になってる方、
思い切って引っ越しをしてみませんか。
世界が変わるかもしれませんよ。
なーんてね。
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midori54day · 5 years
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大さじ1と小さじ1/2
わたしは料理が得意でありません。
一人暮らしをしていた時も
ほとんど自炊はしていませんでした。
こういう話聞きませんか?
「親が料理上手だと
子供はあまり料理をしない」
本当かはわかりませんが、
わたしもこれに該当すると思います。
わたしの母は居酒屋の娘として育ち、
実家で母は毎日料理をしていました。
つまるところ、
飲食店で提供できるレベルの味を
作れるということです。
母が仕事の日の夜ご飯は
居酒屋のメニューにあるような
焼き鳥・ニラ玉・刺身などなど
そういったものが好きに選べた記憶があります。
居酒屋メニューが食べられるのは
今となっては最高!と思えますが、
子どもの頃は有り難みは感じていませんでした。笑
数年前に体調の関係で
お店は閉めてしまったので
本当に長い間お疲れ様と言いたいです。
社会人になって
自分のお金をおとして
焼き鳥食べたかったな〜と
ちょっぴり後悔しています。
話しは戻って、
母はそんな感じで料理が得意で
もちろん家庭料理も上手。
わたしは実家暮らしが長かったこともあり、
ほとんど料理はしていませんでした。
学生時代に1回くらい
自分の中で料理ブームが来て
ハンバーグや餃子、コロッケなど
作ったりしましたが思い付きなので継続はしませんでした。(続ける気もない)
一人暮らしをしてからも
仕事終わってから料理をする気にはなれず、
外食かお弁当を購入していました。
1人の場合だと買った方が、
手間と時間が省けて
合理的だと思っていました。
数ヶ月ご飯すら炊かないわたしには
適当に作れる料理はひとつもありませんでした。
そんなわたしが一念発起して
「料理をしよう!」と思えるようになった理由。
それは、恋です。(単純すぎる笑)
もっというと、
その恋の相手とは今の旦那さんです。
夫は一人暮らし歴が長く、
学生時代から自炊していたそうです。
そんな料理上手で料理好きな人に
恋をしてしまいました。
普段自炊をしていないと言うと
若干?引かれました。(若干ではないかも笑)
このままでは嫌われてしまう!と思い、
わたしの料理の特訓が始まります。
料理始めた初期はこんな感じでした。
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えっ?!?
これ料理って言うの?!とお思いでしょうが、
先述した通りご飯すら炊かないんです。
ご飯を炊くのは大きな進歩と思ってください。笑
なんと白米にもち麦をプラスして
健康アピールも兼ねています。
そんなこんなで
夫へ(当時は彼)に手料理を振る舞うことに。
ロールキャベツをリクエストされました。
「ロールキャベツ?!
そんなレベル高いの作れないよ?!」と
当時のわたしは思い、
彼と会う前に予行練習をしました。
なんて健気なのでしょう。
思ったより美味しくできたのですが、
お皿が可愛いくないのが急に気になって
慌ててセリアへ買いに行きました。
(見栄は張るけど100均です笑)
そしていよいよ本番です。
料理の手際が悪いので
過程は絶対に見られたくありませんでした。
彼が来る前に準備を終わらせ、
来たらすぐ盛り付けられる状態に。
本番も当時にしたら上出来。(たぶん)
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そんな思い出の日のロールキャベツ。
不格好さはあり���すが、
キャベツはトロトロで
実は中にチーズも仕込んでます。
数年経った今でもロールキャベツを作ると、
この日のことを思い出します。
あ、ちなみに
ロールキャベツのリクエストを受け、
この一品しか作りませんでした。
余裕がなかったのもありますが、
料理しないわたしには
一回に何品も作ること(=栄養バランス)は
頭の片隅にもありませんでしたので
なんの悪気もなく、
ロールキャベツとご飯だけ出しました。笑
せめてサラダくらい出すべきだったなと
今となっては思ってますし、
彼は何も言いませんが
内心なにか思っていたと思います。
彼と一緒に暮らすようになり、
彼は夫となりました。
共働きのため料理は
早く家に帰った方が作るというのが
なんとなく暗黙の了解です。
あ、上記は夜ご飯の話で
朝ごはんは毎日夫が準備してくれます。
以前はお弁当も作ってくれていました。
同僚からは
「いい旦那さん捕まえたね」と言われ
誇らしく思い、幸せに感じていました。
“料理が出来る夫”
それは魅力のひとつです。
しかし、
料理苦手なわたしには
それは脅威に思う存在でもありました。
不器用に料理をする姿を
絶対に見られたくなかったのです。
そのため、
夫が帰宅する前に完璧に仕上げたい思いが強すぎて、
「まだ帰ってこないで!怒」と
言ったことすらあります。(最低)
今は見られても平気ですが
包丁の使い方が下手で
見られるとよく指導されます。
そういった苦手を
克服することも大切ですが、
そんな時は夫に甘えてお願いをします。
これも夫婦円満の秘訣ですね。えへへ。
(そうでもない、覚えろと思われてる)
料理苦手あるあるですが、
レシピを完全に再現したいです。
軽量スプーンは必須。
材料も行程も全て完コピ。
なので、見た目以外は
そこそこ上手く行きます。
※見た目は包丁使いが下手で残念
料理が出来る夫や母に
作り方を聞いてみても
口を揃えたように
「調味料の量?そんなの適当だよ」と
そう言います。
料理出来る様になれば
段々わかってくるよと言われますが
未だにきっちり計ってます。
なんならきっちりすり切り一杯守ります。
はかりも使います。
もうひとつ苦手なことがありました。
それは
冷蔵庫の在庫管理です。
毎回レシピ本から選んで買い物。
レシピ外の余った食材が
どんどん冷蔵庫に溜まっていきます。
それを夫が休日に使って作る、
そんなサイクルが出来ていました。
自炊してるにも関わらず、
食費がものすごく嵩みました。
滅多に使わない調味料やスパイスなども
レシピに小さじ1と書かれてたら
必ず買い揃えていました....
最近は冷蔵庫にある食材を
「豚肉 もやし たまご レシピ」 と
検索して作ることを覚えたので
だいぶ成長したのではないかと思ってます。
以上が料理苦手エピソードです。
ここからは
料理苦手なわたしが
どうやってモチベーションをあげたのかです。
1つ目は
単純に夫のためだからです。
お義母さんもとても料理上手で
お正月にお邪魔したときは
フォトジェニックなお正月料理で
驚きました。
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お菓子やパン作りも上手で
本当に絵に描いたような素敵な母なのだなと思います。
わたしはお義母さんの作る
ちくわパン(北海道のご当地パン)が
大好物で夫と取り合いになります。
そんなわけで、
こんな料理上手な母の元で育った夫。
さぞかれ舌が肥えていると思います。
この時に
“胃袋を掴め”という言葉を思い出し、
夫のために料理頑張ろうと決意しました。
あとは夫が何でも
「美味しい!ありがとう!」と言ってくれるので
作り甲斐があります。
このモチベーションを保てているのは、
そんな夫の言葉のおかげだと思っています。
もうひとつの理由は、
“お気に入りの食器”です。
インスタグラムで料理を見ていると
もちろん料理が美味しそうなのですが、
食器が素敵なことに気付きました。
それから食器を新調し、
なんとお皿を変えただけで
見栄えがグッと良くなりました。
これに味をしめたわたしは
どんどん食器を買い換えました。
夫はこれでモチベーションが上がるならと買ってくれていましたが、
本音は「食器なんて変えなくても同じなのに」
そう思っていたのではないかと思います。
最近では、
お皿を買い揃えたことで
副菜まで何品も作ることを覚えました。
料理(食事)はお腹を満たすだけのものではなく、
栄養バランスによって
今後の健康状態が変わってきます。
夫の健康のためにバランスを考えて料理を作っていきたいです。
もし、塩分制限が必要になっても
軽量スプーンを使うのは得意なので任せてね。
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midori54day · 5 years
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音学と散歩と秋の夜長
もう10月も終わろうとして
空気はすっかりひんやり感が優勢。
この時期は動いても汗をかかないし、
外を歩いていて心地良い。
お気に入りの音楽を聴きながら、
音楽を聴く時間は
わたしの人生の中でとても重要。
音楽を聴くことが出来なくなったら、
今以上にメンタルをメンタルを保つことが難しくなるだろう。
昔からわたしは口下手だし、
思ってることを表現することが苦手。
会話はレスポンス早くそれを繰り返す。
前もって準備してた話以外を
テンポよく話すことができない。
友人や夫に対してもそう。
自分の中である程度まとまっていた話はできる。
それ以外のことを聞かれると言葉に詰まる。
相手の話を聴くときもそう。
その人はわたしにどういう返答を求めてるのかを考える。
考えても時間は止まらないので、
結局まともなら答えられないまま終わる。
こんな日常に嫌気がさしていた。
そんなわたしも以前は
音楽にさほど興味はなく、
大学時代はYUKIくらいしか聴いていなかった。
友人から地元で開催される音楽フェスに誘われた。
出演者を見るとYUKIの名前があり、行くことにした。
ロックバンド中心のイベントで、
ほとんど知らないアーティストばかり。
記憶の中で一番最初に見たのは
「毛皮のマリーズ」だった。
何も知らないまま前方へ行きモッシュが凄かった。
8月の炎天下、地元にこんなに人がいて、同じ音楽を聴いてもみくちゃになりながら盛り上がる。
音楽こそ知らなかったが、
その一体感や雰囲気・感覚で
今まで感じたことのない高揚感。
最初はドキドキしていたけど、
音楽って、
音楽を好きな人って、
野外で音楽が聴けるって、
思うままに恥ずかしげもなく踊れるって、
そして、
同じものを好きな人でこの場を共有してるって
そんな時間がたまらない。
「ああ、わたしは1人じゃないんだな。
言葉にしなくてもここでは一緒に楽しんで同じ気持ちになることができる。
言葉なんて難しく考えなくていいんだ」
当時のわたしはそう思い、音楽にどハマりした。
わたしの目当てのYUKIは大トリ。
夕暮れになってきて雰囲気も良くなってきた。
当時のわたしは“JOY”とか“ビスケット”とかそういう曲が好きだった。
最初の曲は、
わたしがいつもiPodでスキップしていた“プリズム”だった。
さほど好きじゃない曲だったはずなのに、
イントロを聴いた瞬間から目頭が熱くなってしまった。
音源で聴くのと、ライブで聴くと曲の好みが変わる。
というか、ライブなら嫌いな曲なんてない。
好きなアーティストから
ひとつひとつ紡ぎ出される音や声。
それを目の当たりにしたら全部好きになってしまう。
とはいえ、
盛り上がるはずの音楽フェスの大トリで
音楽を聴いて急に泣いてしまうなんて
まるで失恋したばかりの女子高生のようで
恥ずかしいと思ったので
グッと堪えて涙は流さなかった。
イヤホンを通して音楽を聴くのと
ライブはこんなに違うのかと思った。
この日の経験は
人生の大きなポイントとなっている。
何故なら数年後に上京を決意したのは、
音楽をもっと身近に感じたく日常にしたかったからだ。
フェスから帰ってからは
早速気に入ったアーティストのTwitterをフォロー。
音楽の友達を作りたくて、
同じ趣味の人をフォローしたりもした。
シフトや大学のスケジュールと照らし合わせて、東京にライブに行く計画を企てた。
こうして音楽が生活の一部に、
ならなくてはならないものへ変化した。
いわゆる
「No music No life 」というやつだ。
好きなアーティストのCDは
タワレコで買い漁り、
知りたいアーティストは
TSUTAYAで爆レンタルしてiPodに入れ込んだ。
音楽は表現が苦手なわたしの代弁をしてくれている気がして、気分に合わせて選んでいた。
落ち込んでいる時は
フジファブリックの“バウムクーヘン”
ヘルシンキラムダクラブ の“檸檬倶楽部”
などを聴いたりして時には泣きながらも心を落ち着かせていた。
音楽を聴いただけで、
不思議と気持ちが軽くなったり
1人じゃないよと言われてる気がした。
わたしのうまく表現できない心の中の何かを音楽が代わりに表現してくれる。
すぐに無理して表現しなくてもいいんだ
時に音楽を聴きながら、
ゆっくり自分の不得意と向き合って
表現する力を培っていこう。
そう思うことが出来たから、
なんとか今まで頑張って来れた。
苦しい時に誰かに甘えるのって
大人になると難しくなる。
そんな時は音楽がわたしを包み込んでくれる。
「辛い時は泣いていいんだよ」
そう言って包み込んでくれる安心感。
楽しい時も
さらに楽しくなる魔法をかけてくれる。
もしかしたら
一番心を開くことが出来てるのって
音楽なのかもしれないね。
最近も落ち込んだり、
ワクワクしたり、イライラしたり、
そんな時は決まって聴く曲がある。
そこに救われている。
誰かに頼るのも大切かもしれないけど、
重い負担��なってしまいそうだな
そう思うと音楽がある。
そんな音楽に支えられて生きている感覚。
だから、
わたしは決まって秋の夜長に
お気に入りの音楽を聴きながら散歩がしたくなる。
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midori54day · 5 years
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拗らせアラサーの恋活
わたしは28歳で結婚しました。
元々結婚願望は強くなく、
でもなんとなく好きな人くらいは欲しいなと思っていました。
ただ拗らせているので、
結婚することよりも付き合うことの壁の高さは棒高跳びのイシンバエワですら超えるのは難しいくらいです。
(唐突のわかりにくい例え笑)
簡単に恋愛遍歴を...
初恋という初恋は、中学生の頃。
(本来は小学生の頃から好きな人はいましたが、いかんせん付き合いたいという気持ちがなく好きな人が複数人いたため割愛)
話を戻して、
相手は同じ部活の後輩でした。
中学生なので携帯を持ち始めた頃。
毎日部活で会ってるにも関わらず、電話やメールをしていました。
一緒に登下校したりしましたが、それ以上でも以下でもない。
好き=付き合いたい とは思えませんでした。
それは何故か。
振られて関係性が壊れたり、終わりが来るのが怖いからです。
このままの関係なら一生続く!と信じていました(根拠ない自信)
そんなこんなでわたしは卒業して、
そのまま終わりました。笑
ノーダメージの失恋?なので良き思い出。
高校生では3年間部活に明け暮れ、好きな人は全くいませんでした。
かっこいい!と思う人はいましたが、それは福山雅治すき!と同じような気持ちでしかありません。 
余談ですが、
高校生の頃はガッチリしたムキムキやや色黒が大好きでした。あとは短髪で眉毛細い人。
その後地元の大学へ入学。
この頃も好きな人はいませんでした。
学部柄、女子率高かったです。
むしろ学校全体で女子率高い。
高校生のころ憧れていたような
キラキラしたキャンパスライフはありませんでした。(やる気こそ皆無)
初めてバイトをすることになり、
色恋あるかなと淡い期待をしていました。笑
当時の友人たちはバイト先で彼氏と出会ったパターンが多かったので。
そこで年上の社員さんが働く姿を見てドキがムネムネしちゃいました!
社会人を身近で見るのが初めてで、
「働く男の人ってかっこいー」と思いそれだけで素敵に見えました。
はい、本当にそれだけ。
当時は好き〜〜〜!と少し心の中で盛り上がりましたが、後から考えると好きな理由は社会人というだけなので、、、もはや誰でも良かったんだろうなと思います。
そんなこんなで自分も社会人。
あれ?気付きました?
ここまで誰ともお付き合いしていません。
それどころか、
告白もされていませんね?!
彼氏欲しいというより、
「誰かから好かれてみたい」
「一生好きになってくれる人はいないのでは」という感情が苦しくなってきた22歳社会人の始まりでした。
音楽が好きでその繋がりで知り合った人と付き合うことになりました。(思入れが皆無なのでここの説明は雑)
最初はそこそこ遠距離で、半年くらいで同棲しました。
わたしの家に転がり込んできました。
恋は盲目なので、
その時は仕事辞めてまでわたしの地元(田舎)にきてくれて本当に嬉しいと浮かれました。
この後彼は絶賛ニートになり、ヒモと化す。
たぶんここでは前回話した“共依存”が著明だったと思います。
わたしがいないとこの人はお金ないし、知り合いいないし支えなきゃ!無理に働かなくてもいいよ!と思っていました。
彼は彼でわたしに気持ちはないけれど、
お金をくれる便利な存在なので別れはしませんでした。
そんな彼がバイトを始めるとなり、すごく嬉しくなりました。
そこで知り合った人と飲み会に行くことが増え、「こっちで友達が増えてよかったな〜」とわたしも当時は嬉しく思っていました。
が、しかし!
そこで浮気をしていたという。
本気の浮気!笑
バイトをしてわたしのお金が必要なくなったので、振られて終わりました。
ヒモに浮気されて振られるなんて
どちゃくそ格好悪くないですか?
浮気されたことがショックで、当時はそれなりに落ち込みましたが今となってはいいネタをありがとうと思ってます。
時間とお金は返して欲しい!怒
ここがわたしのターニングポイント。
理想の男性像がガクッと下がり、
きちんと働いてればいい!と思うように。
これはメリット!!!!笑
しばらくそこから恋愛したい気にもならず、新しい出会いも求めず数年が経過。
職場と家の往復の毎日に飽き飽きして上京することを決意。
引越して早々に理想の人に出会い、大好きな商店街を深夜に手を繋いで散歩しました。
その時“佳代”を歌っていたことがすごく印象に残っています。
人生で手を繋いだのって
もしかしてこの時が初めてなんじゃないかな。
自惚れかもしれませんが、
ある程度わたしのことを好いていてくれたと思います。
(だって、付き合いたいって言ってきたし!笑)
ただそう思った途端にわたしも好きになりすぎてしまい、クソ重いメンヘラと化す。
さすがに受け止め切れないと、終わった。笑
石橋をガンガン叩いてぶち壊すクラッシャー系メンヘラ!!!
好きになるとクソ重くなるし、
嫉妬してしまうし
あわよくば束縛したいされたい。
これがわたし最大の拗らせポイント。
おそらくこの人以外の2人もこのパターンで離れて行ったのではないかな、と今となっては思い反省しています。
わりと昔から片想いが好きでした。
いわゆる恋に恋する系です。
好きな人ができても付き合いたいと思ったことはやっぱりこの人たちにも思ったことはありませんでした。
26歳を過ぎて結婚ブーム。
いつかは結婚したいかもしれない、と不安になったので婚活パーティーなどに参加。
女友達ができるだけで終わりました。
コミュ障なわたしには向いていませんでした。わりとコアなものにも参加しましたが、ハマりませんでした。えへへ。
自分の魅力のなさや無能さに嫌気。
パーティーで出来た女友達から
某サイトを紹介され(今でいうマッチングアプリ的な)、何人かと会いましたが時間と労力の無駄だなと絶望してました。笑
あと詐欺の写真の多さ、ね。
女が言われがちですが、男の人もなかなかの詐欺の人いますからね。
マッチングアプリ使ってる皆さん、気をつけてくださいね。
あとは身体目的の多さも。
最初からそういう方向性なら(まだ)いいのですが、好きとか可愛いとか思わせぶりをしながら近寄ってくる人は山ほどいると思います。
これは本当に気をつけてください。心も身体もえぐられちゃいますよ!
わたしはコミュ障なので、
そういうところで出会った人とは電話をしたり、すぐに会ったりはしませんでした。
だいたいメールを取り始めてから会うまでに1ヶ月以上経ってから次のステップへと思っていました。
そこで知り合った人とレスポンス早くメールをしていました。
なんと、明日会おうと言ってくるのです。
「明日とか言うなんてやり目かよ。うぜえ」と思って適当にあしらっていましたが、突然電話がかかってきて思わず出てしまいました。
そうしたら、何故か楽しく話せてしまい次の日会うことに。
こんなの最速パターン!
実際会っても沈黙はありましたが
いつもとは比べ物にならないくらい話せました。
飲んだのは彼の最寄駅の居酒屋。
なので、お持ち帰りされるのではと勝手に警戒していませんが解散しました。
警戒していたなんて自惚れ恥ずかしすぎる。
彼は次回会う予定をその日のうちに決めてくれたんです。
まさにそれは恋愛コラムの「彼が脈アリか判断するポイント」に書かれていたそのものでした。
今までそういうことがなかったので、都市伝説なのかと思っていました。
そこからハイペースで会うようになり、時には電話をしていました。
気付けば好きになっていました。
なんとそれだけではなく、
生まれて初めて“付き合いたい”という感情が湧いてきたのです。
彼はなかなか思わせぶりをしてきますが、本音はよくわかりませんでした。
でももうわたしの想いは止まりません。
告白してしまいました。
告白してから返答があるまで結構長い時間があったような気がします。
この時は人生で3本指に入るくらい緊張した時間でした。
結果はなんと、
お付き合いできることに!
本当にこの時期は
一番人生で幸せな時期だったなと思います。
付き合う前と付き合い立てが一番楽しいって言うじゃないですか、それですよ。
付き合って1か月ちょっとくらいで
彼は同棲したいと言ってきました。
わたしは以前同棲して嫌な思いをしたので結婚をしない人とは暮らしたくないと強く思っていました。
ですが、彼の誠実さが伝わり気づけば同棲したいと思うように。
そこでわたしの両親にも会ってもらい、この人はわたしとの未来を本気で考えてくれてるんだなと姿勢伝わってきました。
物件探しや家具探しも
ワクワクした毎日で本当に楽しかった。
どんなに好きな人でも他人と暮らすのはやっぱりすれ違いや嫌なところが気になってしまうんです。
喧嘩も増えていきましたが、
共通の趣味(かき氷巡り)が楽しくそこそこ順調に経過。
その年の誕生日にプロポーズしていただけました。
この時の瞬間も忘れられないくらい、幸せな瞬間であの時言ってくれた言葉を棺桶に添えて欲しいくらい大事に思っています。
108本の薔薇の花束をもらいました。
プロポーズの意味だそうです。
わたしは「花より団子」タイプなのですが、
花をあげたら喜んでもらえるタイプと思われたい、花が欲しいとボヤいたのを覚えてくれてたそう。
そういうわたしの小さな願いも叶えてくれる、そんな彼だったので結婚しました。
こんなにも人を好きになったことはなく、本当にかけがえのない人です。
わたしには勿体ないくらい素敵な人。
(ただ究極に頑固)
最近はマンネリ化というか
冷え切ってしまったのか、
夫婦関係はあまり上手く行かず
夫は婚活パーティーに行くほどです。
本当に腹立つし、
許されるならぶん殴りたいです。
だけど、
わたしの愚かさを考え直したり、気付かせてくれた出来事と思えば。。
どんなに誠実な人でも
わたしの手にかかればみんな浮気をしてしまうのではないか。
あんなにまじめでわたしを真っ直ぐに思ってくれていた夫が、
浮気するまでになってしまうなんて
わたしはどれだけ嫌な思いさせたり
我慢させてしまったのだろう。
浮気を計画している間も
笑顔で仲良く接してくれていました。
その瞬間は全くわかりません。
後から気づき、
その時はもうそういう計画をしていなんて、、、あの時の笑顔や好きという言葉は演技だったんだろうなと思うと胸が苦しくてたまりません。
これからも笑顔を見ていても、
心のどこかでこのモヤモヤはある。
どうしたら消えるのかな。
どうしたら仲良くなれるのかな。
わたしが努力したらもう浮気しないのかな。
それとも
2度あることは3度あるのかな。
演技をしていたのも、
冷たくするとわたしのメンヘラが発動するからだと思います。
まだ心のモヤモヤは続くけど
少しずつ、少しずつ
自分が変われるように努力して
夫のことをもっと大切にしていれば
いつかまた本当に仲良くなって
かけがえのない存在になれるのかな。
以上、
拗らせ女子でも結婚はできるよ!というお話でした。
ただ結婚生活はうまく行くかは
相手の器の大きさではなく
自分の努力と思いやる気持ちが問題です。
相手が悪いと思う前に
自分を振り返ってみることが大事だと気づきました。
何度も言いますがわたしは夫が大好きです。
この大好きすぎるのも重いんだと思います。
重すぎて相手の気持ちは離れていきます、今もそう。日に日に離れていく。
どうしたら相手が不快にならない程度に愛せるのだろう。
それは今も答えは出ていません。
いつか答えが出たら書きたいテーマのひとつです。
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midori54day · 5 years
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共依存
わたしがこの言葉を知ったのは大学生の頃。
共依存を知るきっかけとなったのは
当時ニートをしていた某友人。
その友人は昔からお人好しで
誘ったら断らないし、
話していても意見を言わず共感やおうむ返し。
欲望として「お菓子食べたいな〜」と言ったら
次の日買ってきてくれる。
友人関係としてはちょっと異常だな、と
わたしは思いました。
この関係性に違和感を持って調べてみると、
“共依存”という言葉が出てきてしっくりきました。
後に大学の精神科の授業でやりましたが、
“共依存”は元々はアルコール依存症の家族をみて生まれた言葉らしいです。
そこから広まり今ではよく聞く言葉になりました。
共依存とはどのようなことかというと
・自分の価値を周りからの評価が全て
・周りの人の期待に応える行動
          などがあります。
原因は自信がないことや
自尊心の低下といわれています。
根本は「誰かの役に立ちたい」
「必要とされたい」そういった心理です。
そういう心理は珍しくありません。
誰しもが必要とされたいと思っているはずです。
そこを拗らせてしまうかどうか、
それが共依存かどうかの別れ目だと考えます。
かくいう私も
自分に自信がないです。
他人からの評価で一喜一憂します。
一般人のくせにエゴサーチしてしまうほどです。
親子で共依存になることもあります。
おそらく自分はそれに該当するのだと思います。
昔やっていた習い事を続けていたのも
部活も、高校も大学も、就職先も
全て親が望んだものでした。
何回か反発をしましたが、結局はいい顔して言いなりになるしかありませんでした。
昔から親から褒められたことや選択肢という自由を与えられたことはありませんでした。
ただ一人っ子のためおもちゃなどは不自由なく与えてもらっていました。
子供の頃から縛られて自由などなかったため、自由が苦手です。
高校までと比べると
大学は授業に自由が効きます。
社会人もやるやらない自由です。
それが出来ないのです。強く縛られないとわたしはなにも出来ないのです。
自律が欠けてしまいました。
自由がないのが当たり前と自然に思っているので、無意識に夫に制限かけてしまっているようです。
また、
仕事をする時は「この仕事を先にやったら先輩に喜んでもらえる」と念頭に置いていました。
それを達成するには時間が必要だったため、
勤務開始1時間以上前から出社していました。
また、他の人が嫌がる仕事も率先して行なっていきました。
そこを評価してもらえることができ、
念願の“気が利く後輩”となれました。
ですが、
どんどんそれでは足りなくなってしまって
もっとやらなきゃ!やらなきゃ!となったり、
周りから色々なことを依頼されるようになりさすがに疲れてしまいました。
その時に思いました
わたしも共依存になるんじゃないかって。
評価してもらえるためになら
わたしはいくらでも頑張ると思っていました。
周りの空気にも敏感で、
少しでも不機嫌そうな表情を見ると
気になって仕方がありませんでした。
これは仕事対わたしなので、
仕事に悪影響は出ることはなく
さほど問題ではありませんでした。
問題は相手が一個人、彼氏や夫となってしまうと話は変わってきます。
夫相手にわたしの承認欲求や存在価値を満たして欲しいので、たくさんのことを求めてしまいます。
夫は元来優しいため、
最初はよく応え、尽くしてくれました。
徐々にエスカレートしてしまいました。
「わたしは夫がいないと生きていけない」と思っていますし、
夫は「自分がいないとこの人は生きていけない」と思っているはずです。
夫婦として支え合う分には良いのですが、
わたしは満たされたい欲を夫で埋める
夫は自分の思いを我慢して愛してるフリをする
そして、
わたしが酷すぎて夫か��の愛が冷めてきたのを感じ取って、もっと愛して欲しいと想いが強まる。
そうなればなるほど夫の愛は冷めていきました。
自覚のないままに“共依存”へのステップを登り始めてしまった気がします。
相手の心を機敏に察知する能力に長けているそうで、
考えすぎて深く落ち込んだりしてしまいます。
そして何より1番最低なのは
わたしが依存しているから
相手にも依存して欲しいと思うし束縛をして欲しいと思ってしまうところです。
それがないと愛を感じられないとすら思ってしまうのは異常なことです。
とにかく夫の浮気が心配で、
隙あらばスマホや鞄のチェックをしてしまいました。
1度目の浮気はスマホを見て気付きました。わたしが地元に帰ってる日に夫は朝帰りしていました。それからわたしの監視は悪化。
この日以降心の溝が深まりました。
夫がスマホいじってれば浮気してるのかな、
冷たいと他に好きな人出来たのかな、
身体の関係の頻度が減ると他でやってきてるのかな、
仕事の帰りが遅いと誰かと会ってるのかな、
駅から家までの時間がいつもより遅いと浮気相手と電話してるのかな、
などなど色々なことを考えしまい毎日が辛かったです。
そしてその思いを夫にぶつけていました。
本当に浮気しているかはわからず、わたしの妄想で夫に当たり喧嘩をしていました。
こうしてどんどん2人の気持ちにズレが生じてきました。
そうすると、わたしの承認欲求は満たされません。
元々自己評価が低いため、好きな人から必要とされてないと思い込みどんどん辛くなり生きてる意味がわからない!といった状態に。
こうした自分の心の特性に薄々気付いていましたが、
夫のことが大好きで、もっとわたしのことを好きになってほしい!という想いが優ってしまい暴走を止められることができませんでした。
そんな大好きな夫に2度目浮気をされて
内心は発狂するほどでした。
ですが、このままでは離婚されるか浮気を繰り返されてしまうと思います。
自分自身のためにも、
大好きな夫のためにも、
この歪んだ心や認知のズレを治していかないといけません。
自分に自信が持てるようになれば
もう少し心に余裕を持って接することができると思いますし、こんなに依存しないと思います。
今までもらってた愛情を
まっさらな気持ちでありがたく受け止めたかった。
たくさんくれていたのに、
それが出来なくてごめんなさいの気持ちでいっぱいです。
わたしはすぐに嫌なことがあると
人のせいにしてしまいます。
例外なく夫との出来事も夫のせいにします。
これは自信のなさからくる自己防衛なのだと思います。
自分を守るために他人を傷つけて良いはずがありません。
今回こうして依存について文章で整理して、
いかに自分が異常だったかを目の当たりにしまきた。
努力せずして「これがわたしなの!わたしは昔から変わってない!あなたが好きって言ってたのはこのわたし!ありのままを愛しなさい」と何故か自信がないくせに変わろうとはせず、ただ夫に愛するように命じていました。
ありのままの自分を受け止めてくれる男性なんて、きっとドラマや少女漫画の中にしかいません。
自信を持てるように努力しながら、
相手を思いやって適度に尽くしていくことが依存からの抜け道ではないかと考えました。
大好きなな夫と仲良く暮らしたい。
それがわたしの1番の幸せであり願いです。
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