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嘘のない人たち 1(natsuki)
あるブランドが5周年を迎えた。
Todayful 。
ファッション好きで、
流行に敏感な日本の女の子でれば
一度は聞いたことがあるかもしれない。
2018年9月19日、5周年を記念して
アニバーサリー本が出版された。
また、21日には、ブランドディレクターの
吉田怜香さん、
デザイナーの船曳ひろみさんが
代官山店で接客をしているとのことで、
お会いしてみたくて行ってきた。
時代の空気や心境による新しいもの、
変わらず好きなもののバランスが絶妙な
怜香さんのファッション。
素敵だ、とブログやインスタグラムを
通して見ていた方と同じ空間にいるだけで
ドキドキした。
とあるお客さんが服を試着し、
どっちとの合わせ方がいいかを
怜香さんに、
怜香さんに、聞いていた。
すると「どっちでも良いですよ。」
とさらり。
その応答の仕方をみて、
この方はストレートで嘘のない方だ、と
強く感じた。
本当にどちらでも合うから、
あえて選ぶことなく答えたという
様子だった。
また、どんなにひとりの方を接客
していても、ブランドディレクターとして、
全体を俯瞰していた。
私と話して下さっているときも
怜香さんの頭の中には、
もう一つの世界があり、
そちら側は何を考えているんだろう?
と気になった。
まるで片思いしている女子の気持ちだ。
ストレートさ、少しの掴み所の無さに
男性の香りを感じ、
笑うと目尻に優しい皺が入り、
その表情が色っぽい。
ファッションセンスの高さだけでなく、
この二面性も怜香さんの魅力だ。
ひろみさんとはじっくり
お話をすることができた。
苦労や戸惑い。
その部分を包み隠さず話してくれた。
この嘘のなさは怜香さんのとは違う。
デザイナーだけど、服飾専門学校を出ているわけではなく、デザイン画を書けるわけではない。
そこに負い目を感じることがある。
そんなひろみさんはどうやって服を
デザインしているのか。
まずはブランドで今季のテーマを決める。
そして、メーカーが持っている
生地や服を見て、
これはこうしたら良くなるという
アイディアを伝え、
さらに度重なる意見交換を重ね、
todayful の服にしていく。
デザイン画書けないし…
で終わるのではなく、出来る方法を考え、
ひろみさん・怜香さん二人三脚で
ブランドを育ててこられたとは
本当に凄いと思ったし、
そこに共感を覚えた。
出来ないからこそ、作れるモノが
たしかにあると思う。
LINEゲームで1番の売り上げを記録した
ポコパンはゲームをしたことがない女性
が主導で作った。
彼女はゲームをするなら
読書をした方が為になる
と思ってきた側の人だった。
ゲームは得意ではない。
だから見ただけで嫌になる
複雑なものではなく、感覚的に分かる
シンプルなゲームを作った。
それが今までゲームをしてこなかった人たちを取り込んだ。
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嘘のない人たち 2(natsuki)
だが彼女はそれだけでは終わらなかった。
繋がる、という仕組みを大切にした。
ゲームのアイテムを交換したり、順位を競う。
これが新たなコミュニケーションツールになった。
はかるに、
ゲームをするだけなら時間を奪ってしまうが
誰かと繋がるなら価値があると考えた。
女性の罪滅ぼし的な気持ちが垣間見れる。
ゲームをしない人が作ったからこそ
できたものだ。
Todayful の服にも、
デザイン画を書かないからこそ、
作れた服の形であったり、
売り方があるのだと思う。
それが確かに人々を取り込んでいる。
時代はこれからも進み、
新しい価値感が
生まれてくるだろう。
その中でどんな風にtodayful の服が
進化していくのかが楽しみだ。
そんな私は、
お気に入りの一着を購入し、
少しでも長く着ていきたいと思う。
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ちょこんと座って日常のワンシーンのよう。ズボンの裾から靴下が見えているのがにくらしいです。
イラストにまでご本人同様の抜け感があります。元々はグラフィックデザインをされていました。
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この人から買いたい(natsuki)
私は急な変更が苦手です。
服を買いに行くとなると、
雑誌を読みあさり、ターゲットを絞ります。
欲しい服が手持ちの服に合うのか?
クローゼットを見回しながら、ぐるぐると脳内
シュミレーションをします。
そして、よし!と思えるとやっと
買いにいく慎重派です。
こんな私ですが、何を買うではなく、
この人にすすめられたものを
買ってみたいと思う人がいます。
八木沢さんです。
八木沢さんの着こなしは
トラディショナルの香りがしていて、
一見かっこよくなりすぎるスタイルも
頑張りすぎていない。
何を着ても八木沢色に染まっています。
八木沢さんのお店ブログの文章も、
写真の撮り方も、イラストも
私の心をくすぐります。
さて、そんな八木沢さんの売りたいもの
だけを詰めたお店に
行ったときの話です。
お店に入りました。
八木沢さんはどこ…でしょう?
服を見回し顔を上げると…いらっしゃった!
何十年も東京は原宿のアパレルショップに
立っておられるのになんて
控えめなんでしょう。
気になる服を見つけ、
その服について尋ねみると、
肌ざわりが良いことを
「とってもしっとりしていますよ。」
と触らしてくれました。
しっとり…肌ざわりが良いと
よくいうけれどこちらのほうが、
感覚的で、直感的に気持ちの良いことが
伝わります。
忘れさられそうで忘れ難い、
儚さのようなものをもって、
八木沢さんという存在が私の記憶に
とどまっています。
お客さんがゆっくり服が見れるように
気配を消したり消さなかったりできる
魔法をみたような体験でした。
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人間らしさとは、(mio)
人間の、ロボットとの違いは「間違うこと」
というセリフが印象的だった。
間違うからこそ、
助け合ったり、相手を尊敬したり、
愛おしくなったり、共感が生まれたり。
時にはロボットにはない、ならではの
「憎しみ」から生まれる間違えは戦争のように連鎖してしまう。
らしさの中に何を見出すのか。
何を見失ってはいけないのか。
舞台「PLUTO」より
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やさしいおもちゃ(Natsuki)
あるおもちゃ研究家に出会いました。
和久洋三という方です。
和久さんが作るおもちゃは「童具」と呼ばれ、遊び方が限定されない気配りがあります。創造性を大切にしているのです。
この方の思想・童具に出会い、心が踊りました。新しいドアの先に光が見えるように、子育てがとても楽しみになりました。
お伝えしたいことが溢れて逆に伝わりにくくなりそうなので、今回は「どうして和久さんの思想・童具に惚れ込んだのか」をお話ししたいと思います。
童具のほとんどは白木で出来ており、色がついていません。肌触りは滑らかで、大人の私が持っても気持ちよく、童具を握って寝てしまうほどです。また、形は丸や三角、四角のシンプルな形です。何故でしょうか?
子どもたちには「想像力」があるからです。
例え色がついていなくても、形がそれそのものでなくても、ある子には長方形の積み木は電話に見え、「はい、もしもし〜」と遊べます。そして、その電話はその子の好きな青色です。つまり、子どもには「見立て遊び」ができるのです。見立て遊びは、1歳からできるようです。
この力は、例えばある物を買わなくてはいけないとき、家にあるアレとアレを組み合わせれば代用できる、と考えることに繋がるのではないでしょうか。いわゆる、応用力です。
応用力が1歳の子供に既に備わっているなんて凄いの一言です。
リカちゃん人形は服を着せ替え、髪の毛をアレンジしてと遊びが限定され、遊びが膨らみません。ですが、童具はシンプルなことがかえって想像力を刺激し、子どもたちさまざまな世界に連れていってくれます。
また、童具の積み木は、三角・四角にしろ、組み合わせたときに同じ高さになっています。積み木を繋げたときに、高さが合わなければ、それ以上積み上げることができません。となると大きな作品を作りあげることはできなくなります。和久さんが少年だったとき、高さが合わないジレンマを体験し、とてもがっかりしました。
最初は積み木ひとつで見立て遊びをしていた子も、積み木と積み木を繋げ、違う形を作れることを知ります。
知識が増えるに従い、お城や橋のような、ダイナミックな作品を作れるように、どの積み木も高さが均一になる、という気配りがあるのです。童具を購入する大人にとっても、前に買ったおもちゃが無駄になるどころか、役立つのは嬉しいことです。
自分の頭で考え、手先を動かし、また考え、改良する。「創造性」の楽しさ、苦労、大切さを童具は教えてくれます。テレビなどの情報は受け取るだけで、自分で作りあげる楽しみを奪ってしまいます。創造性を付けてはじめて、情報がただの情報では無くなり、ひとつのニュースに、こうしたい、ああしよう、という気持ちが働くと思います。
シンプルな色、形にすることで創造力を身につける。その裏に和久さんの子供たちへの絶対的な信頼があること、それが私を一番ワクワクさせました。
子供と呼ぶのはどうかと思うくらい、彼らには与えればあたえるほど吸収力があります。なので、その童具をあたえるには少し早いのでは?と思う時期から童具をあたえることを勧めています。
また、子どもたちはそれぞれの個性があり、それを伸ばすべきだと和久さんは言います。学校の先生は、人の肌の色は肌色だと教えても、その子には青色には、青色です。それでいいのです。2歳くらいの子でも、世界的な芸術家と同じような絵(抽象画)を描いてみせます。両者の違いは、今まで美しくとされてなかったものを美しいと人々に思わせたか否かの違いだ、と和久さんがおっしゃったとき、なるほどと頭を打ちました。いうならば、同じような作風を描き続けたか、またその美しさを社会に説いたかどうか、それだけの差です。
最後に、和久さんは「一心不乱になる」ことが大切だと説いています。子どもたちに集中力が無いなんて誰が言った?才能が無いなんて誰が言った?
子どもに遊び方を教えてあげれば、環境さえあたえてあげれば、好きに遊べば良いんだよ、と言ってあげれば、大人が一から十まで教えなくても、自分の好きなようにあれこれ工夫して見事な作品を作れます。
この話を和久さんの口から、本から読んだとき、大学生になり、ゼミに入ったとき、先生がこ���しなさい、とはいわず「なんでもしてよいよ。」と言って下さったとき、自分の目が輝き、心が晴れやかになったことを思い出したした。私はその言葉通り、やりたいことをやりましたが、必要なときには助け船を出して下さったので、安心してやりたいことに集中できました。
子どもたちに考え、試行錯誤できる力があるから、子どもたちに任せればちゃんとよい子に育ちますよ。生きる力がみなぎった子が。
和久さんのおもちゃ作り、いや、童具作りの根幹には、そんな優しい哲学が込められています。
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限られた空間での心地よい暮らし(natsuki)
一昨年引っ越し2回、 昨年引っ越し1回 今年引っ越し1回。 生まれてから22歳まで一度も引っ越したことの無かったのですが、ここ3年で4回の引っ越しを経験したため、最初は難しく感じていた「暮らしの整え方」が随分とうまくなったように思います。 愛知県から東京に引っ越した際、同じ家賃で家の広さが半分ほどになりました。備え付けの下駄箱は段数が10段ほどと、とても多く、さらに奥行きが深く大変驚きました。 一方、他の備え付けの頼れる収納といえば、小さなクローゼットのみでした。 そのとき、東京では、下駄箱はそれだけだと思ってはいけないのだと学びました。そして、下駄箱は、工具入れや、本棚、使い捨てキッチン用品のストック置きと、実に様々な用途で活躍してくれました。 この体験は、固定観念に縛られない自由さを教えてくれました。この考えが今回の引っ越しで大変役に立ちました。 下駄箱には靴だけでなく、外に持ち出すレジャーシート、洗車グッズ、また玄関マットを置くことで、「するところにあるべきものを置く」ことができ、機能的になりました。 初めての東京暮らしは、一人暮らし、東京という土地柄ゆえ、とにかく部屋が狭かったのです。私は整理整頓された部屋に住みたい人ですが、大雑把です。取りたいものをすぐにとれることが大事だと考えました。また、引き出しを開けたときに好きなものが並んでいると、キュンと体温が高くなり、嬉しいことにも気づきました。すぐに取り出せて、好きなものに囲まれたい。 そして私は決めたのです。 少量でも好きなものを持とう。 この考えは、もともと持っていたファッションへの考えにも当てはまりました。 私は来年には着なくなっている服やファッションアイテムを買うのは好きではありません。来年も、その服を見れば嬉しく、その服を着れる喜びを感じれる服を買いたいのです。そのためには、かけるべきところにはお金をかけるべきだと学びました。靴やコート、鞄にはお金をかけることを惜しみません。 しかし、お金には限りがあります。ファッション以外にも好きなことがありますし、貯金も必要です。かけるべきところにはお金をかけるため、自然とアイテムが少なくなります。 アイテムが少なくても、シンプルで普遍的なデザインの服があれば着まわしが効き、それが楽しいのです。また、たくさん服があっても着る服は限られていることに気づくでしょう。クローゼットを開けたとき、お気に入りの服が並んでいて、取り出しやすく、クリエイティブな感覚が働くなんて、なんて素敵なんでしょうか。 ものを少量しか持てないことが、私のファッション哲学「かけるべきところにはお金をかけることが、長い目でみれば節約になり、満足が長い」「シンプルで普遍的なデザインの服は着まわしが効く」を促進してくれました。 最後は、ストック品についてです。ストックする場所は限られているし、たくさんアイテムがあっても覚えられるのは一部。使われないものを買うのはもったいない…。やはりここでも必要なものだけおきたい。そんな私は色々な用途に使いまわせるものが好きです。 例えば、お掃除グッズです。 重曹、クエン酸、過炭酸ナトリウム、セスキ炭酸ソーダがあれば、キッチン・トイレ・お風呂掃除…オールマイティーに使えます。用途別に洗剤を買い込む必要がなく、ストック品がすっきりします。 また、これらは、化学的な香りがしないのが良いのです。妊娠をきっかけにそのような香りが苦手になった私は、無臭または、アロマオイルを入れ、好きな香りにアレンジ出来る重曹のようなナチュラル洗剤を支持するようになりました。 美容グッズではワセリンが好きです。乾燥してるなと思えば、唇、顔、体にも使えて便利で、1つあれば安心のアイテムです。 限られていることは一見不自由なように思いますが、あなたなりの自由を手にするチャンスでもあります。限られた空間をどう心地よくすべきか?を考え、あなたなりの哲学を生み出してはいかがでしょうか。
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山が教えてくれたこと
(mio)
昨年の夏あたりから
母と山に登るようになりました。
.
山ではみんなすれ違う時に
こんにちは
と、挨拶をします。
それがわたしのとびきりのお気に入り。
人を優しくするちからが
山にはあるのかもしれません。
.
山を歩く時に、
目の前を見ていないと岩などで転ぶかもしれない。
でも実は落ち着いて周りを見渡してみると
辺りには素晴らしい景色が広がっています。
生活もこれと似ているような
今年はその景色に、より気づく年にしたいものです。
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デザインは幸せへの鍵(natsuki)
北欧と聞くと、イッタラやアラバマのお皿を思い出す人々が多いのではないでしょうか。ですが、私が愛して止まないのは、北欧の家具の方です。 初めて、ポールヘニングセンの手がける、ルイスポールセンのライトを見たとき、一目で恋に落ちました。それはきのこのような形をしていましたが、デザインがスッキリしていて、電気をつけると柔らかい光が降り注ぎます。それが、北欧家具が好きになったキッカケです。 マーガレットハウエルによく置いてあるので知った、アーコール社の机や椅子も素敵です。すっきりとした机の脚、椅子の滑らかな曲線。派手では無いですが見飽きない。素朴ですが、いつも側にいて欲しい、そんな気持ちにさせてくれるものが北欧デザインには多いです。 愛して止まない北欧家具たちを見たい。その思いで、「デンマーク・デザイン」展に行きました。 展示物は食器、椅子、照明が目立ちます。初めて国際的評価を得た、ブルーフルテッドと呼ばれる青い磁器に始まり、第二次世界対戦後、20世紀中頃のデザイン黄金期「ミッド・センチュリー」を代表するハンス・ウェグナーのYチェア…それはそれは見事でした。 特に私の関心を集めたのは、まず、デンマークの家具は、「デザインは日常生活で使う道具に適切なかたちをあたえもの」という精神が流れていることです。余計な装飾が無いのに、じんわりと心を掴まれるのは、過去の作品を念入りに研究し、適切な寸法をとっているから。そのストイックさに関心しました。 次に、デザインは一部の富裕層だけのものだけでなく、全ての国民のためであるべきだとし、学校の机や椅子、図書館にも有名デザイナーの作品が使われていることです。日本では「デザイン」と聞くと、高級な、余分にお金を使える人たちだけの特権な気がします。ですが、デンマークでは、全国民のためのもの、そしてそれは本当に良いデザインというのが福祉国家ならではの思想というか、素敵だと思わずにはいられません。 しかし、なぜデンマーク人はこれほどまでにデザインにこだわりがあるのでしょうか? それはおそらく、自然環境、税の仕組みにあります。 デンマークは緯度が高く、冬が長い。冬の日照時間は7時間しかなく、暗くて長い時間が続きます。北欧の夜は長いため、家で過ごす時間が長くなります。また、税金さえ払っていれば、出産費、医療費、教育費、介護費も無償で、ゆりかごから墓場までの制度が整っている福祉国家です。その分、酒税も高く、仕事が終わっても「さぁ、外で飲みましょう!」ということになりません。そのような訳で、家(屋内)で過ごすことが多いデンマーク人は、「家にいる時間を心地よくすること」に幸せに生きるコツを見出したようです。 家で心地よく過ごすために、インテリアのデザインにとことんこだわるだけでなく、「Hygge(ヒュッゲ)」という言葉をも生み出しています。ヒュッゲとは、居心地の良い空間や時間を意味します。いうなれば、家族や友人と過ごす、まったりとした温かい時間です。「ヒュッゲしよう!」という動詞もあり、ホストのキッチンにゲストも立ち入り、みんなでごはんを作り、食べることを楽しみます。 幸せな国ランキング常に上位国のデンマークですが、その反面、気候のせいもあり、自殺率が多いのも事実です。薄暗く寒い冬も人との絆を大切にし、幸せに生きていく。そのためのコツとして、「デザイン」と「ヒュッゲ」という哲学を生み出した、幸せへのひたむきさとその文化力に感動を受けました。 私たち日本人は「我慢強さ」という国民性を持っていますが、自分達が幸せに生きていくために、もう少し貪欲になっても良いのではないでしょうか。幸せになるための権利を主張するのは、エゴだと我慢するのでは無く、なかなか変わらない制度を変えようと粘り強く活動する中に、我慢しながら耐え抜くべきではないでしょうか。
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スポットライトの下(mio)
人々がお喋りをする。
あまり大きすぎないブザー音が流れた瞬間
一瞬にしてそこは静かな場所へと変わる。
それと共に、あたり一面は真っ暗闇になる。
たくさん人がいるはずなのに
そこには自分だけしか居ないのではないかと
錯覚してしまうほど静か暗くて何も見えない。
暗闇の中、ぽっと灯がともされる。
少しパリッとした顔つきになり
これから目の前で綴られる
ストーリーの語り始めを
少し前のめりになって待っている。
やはりそこに居た、沢山の観客たちが
目を輝かせて
その照らされた場所を見つめていた。
舞台は生もの。
稽古のたびにそう言ったわたしの先生は
大切な時間を私にくれた。
たとえ同じ演目だとしても、偶然にもそこに居合わせたひとりひとりの空気感によって舞台はすっかり違うものになってしまう。
博多の幼稚園にかよっいてたわたしは
歌が大好きだった。
おてんばで
よく遊んで動き回る子どもだったらしい。
歌なんかも作っちゃって
(実際、歌と言えるかはわからないようなひどいものもある。)
親戚の前で披露していたそうだ。
ある日わたしは同じくらいの歳の少女が
舞台の上で歌って踊っている場所に
家族に連れていってもらった。
そこから私は
心を動かすその空間の虜になっていた。
そこから月日が経ち、
中学生のときに担任の先生の紹介で
ある劇団のオーディションを受けることになった。
受かるわけないんだし気楽にやろう。
と軽い気持ちで受けたそのオーディションでは研究生として入団を許された。
そこでは毎週稽古があるのだが、
私と違って小さな頃から有名な劇団の舞台に立ってきたような人たちが山ほどいた。
その中で、たとえ端っこだとしても舞台に立つのがたまらなく楽しかった。
あの、舞台裏にいる人たちにしか共有できない、なんというか、心地のいい緊張感を今でも忘れることができない。
なぜ、舞台では突然歌って踊るの?
たまに聞かれるのだが
私はこう思う。
普段言葉にならない感情って
あると思う。
そんなシンプルな感情じゃなくて
もっとこう、��、。
表現したい、誰かに伝えたい共有したい。
そんな風にそこから湧き上がる気持ちを
体現していること舞台の醍醐味なのではないだろうか。
たった数時間で非日常な時間を持てる。
心を揺さぶる時間をあなたもすごしてみて欲しい。
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小さな野心(natsuki)
悪阻も治り、「やっと、まともに働ける。」と思った矢先にのことです。 お腹がむくむくと大きくなり、立ち座りもよっこいしょ、といった様子でなかなか体が思うように動かなくなりました。 お腹に命が宿るということは、生きるエネルギーを分け合うということで、続けて立っていたり、少し頭を使うだけで疲れてしまいます。 今までのように融通の利かない体を0か1(1でも最後は詰めの甘さが出る)でしか力を注げない完全主義な私を苦しめました。 仕事で頑張っている人達を見ると妙に焦りを感じ、「今の私にはそこまで出来る体力・気力も無い…」とその人達が眩しく見え、自分がちっぽけな存在に感じます。ただ、電話が繋がらないだの、こんなことを聞いても仕方ないと、少しのことで落ち込んでしまい、感情のコントロールが出来なくなりました。 すると、みるみる自分に自信が無くなり、暫く仕事を休みました。ベッドで眠り、目覚めては不安で頭がいっぱい…「こんな私が仕事をする意味があるの?」いつまでも着地点が変わらず堂々巡りです。少し視点を変えようと、同じ働く女性が書いた「女、今日も仕事をする」という本を読みました。 就職、「こんなの男女平等じゃない!」からの転職、出産を機会に退職、産後うつ、再就職からのクビ、社長就任…波乱万丈ですが、必死で駆け抜け、プライドを持ちながら仕事をする筆者に感銘を受けました。 妊娠しながらの仕事と、この本を読んだことで、強く感じました。 「産後も子供を育てながら、働きたい」ということです。 でも、私は強くない。 チームプレーが前提で、自分がチームのためになり、またチームに支えられている、と感じられる環境で無ければ私は働けないと思いました。 そのために、会議で無くともコミュニケーションを密に取り、お互いがそれぞれがやっている仕事を把握する。働くママだけで無く、誰でも休みたいとき、休まざるえないときに安心して休める環境を作り、チームワークを高めるべきです。 また、ワークとプライベートを分けるのでは無く、混同させるべきだということです。これは、本にも書いてあり、納得しました。 例えば、時短で働き、16時には子供のお迎えに行きますが、その後は時間がある。ならば、帰ってこの資料を作っておきますね!と言えれば後ろめたさもなく、退社できます。チームワークが良くなれば、必ず後ろめたさが出てくるものです。 仕事とプライベートを分けるのは、男は企業戦士・女は主婦の時代の価値観です。女も男も働くようになれば、逆にワークとプライベートを分けない、お店を持つお母ちゃんスタイルが合うはずです。 ただ、時間には限りがあります。 日頃からコミュニケーションを密に取り、休みたいときに休めるためにも、仕事の「質」を高めるべきです。 全ての仕事をやみくもに受けるなんて出来ませんので、質を高めるため、仕事のスローガンを持ち、それに削ぐわないものは切る、合うものは全力で取り組むことです。 そのスローガンが根付けば、それが働く人達にも誇りになる。 イギリスのブランド、「サンスペル」は、アンダーウェアから始まった老舗ブランドです。 創業者の「シンプルな日常着を美しい素材で作る」という理念は、大恐慌の事業縮小でも揺るぐことなく今に続いています。 また、良い仕事には、良い環境が必要だとし、工場では1日2回の掃除をし、環境そのものを整えること、勤務は週4日制で、プライベートを大切にし、仕事をする人間自体の環境を整えることを大切にしています。 限られた時間で質の高い仕事をするため、作るべき「生産量」も決まっています。毎日、目標枚数を着実に作っていきます。 そんな理念が詰まった服は、着る人が愛を持って着れる、愛着のわく洋服になります。 働く人が誇りを持てる仕事になるよう、働き方を変える役割として、再出発をさせてもらいたい。それが私のママとしての仕事論です。
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点と線 1 (mio)
少し前の三連休。
そこで私は、まるで真逆。全く関係のないことのようで実は繋がっているようなふたつの経験をした。
まずはひとつめについて話したい。
明日から三連休だ。ラスト一日乗り切ろう。
そんな気持ちで目覚めた木曜日の朝。
ここ最近で、わたしが一番おそれていた知らせが届いた。
太陽のような、お月さまのような。そんなまん丸くて包み込むような優しい笑顔の持ち主であるおじちゃん。一般病棟に移ったらまた会える。そう思っていた。
おじちゃんに特にお世話になったのは社会人になりたての頃から。約1年半前からだ。
はじめて親元を離れ一人暮らしをする。そんな心細さの中、同じ街に親戚がいることを知ったわたしは連絡を取ってみることにした。おじちゃんの娘さんと二人暮らし。
すぐにお家にお邪魔することになり、その可愛い笑顔に出会った。
母に聞くとわたしが幼い頃、とてもお世話になっていたそうなのだがまだ小さかったので覚えていない。
思い出話が聞けるかな、と思ったけれどおじちゃんは記憶が長くは続かない状態になってしまっていた。
夜になって一緒にご飯を食べる。その時おじいちゃんは大好きなお酒を片手に大きな声で歌っていた。
「つきが〜出た出た 今日も〜でた! ああ よいよい!」
その陽気な姿に新しい場所で生活していくことへの不安が消えていくのがわかった。
その後も何回もお家にお邪魔していたわたしはおじいちゃんに会うたびに元気をもらっていた。実家のように安らぐ場所で、仕事がうまくいかない日は特に、わたしの心を癒してくれた。
知らせが来た、その次の次の日。
おじいちゃんは沢山の色とりどりのお花につつまれていた。久しぶりにわんわん泣いた。
寂しいのか、本当のことなのか。
なんだかよくわからなかったけどとにかく涙が出て止まらなかった。
最後のお見送りの時。
おじいちゃんの子どもさんたちが
父らしく、陽気に送ってあげたい!
といって歌詞カードを配ってくれた。
「つきが〜出た出た 今日も〜でた! ああ よいよい!」
みんなわんわん泣きながらも大きな声で、笑顔で歌っていた。
こんなにあたたかい、送り出し方ってあるのかなぁ。
本当に愛に満ち溢れた時間だった。
そういえば、と思い出したことがあった。
おじいちゃん、そういえば
記憶が続かなくなっていたけれど
絶対に自分の子どもの名前と先に天国にいっていた奥さんとの記憶だけは全く失ってなかったな。
わたしが
「おばちゃんとどうやって出会ったの?
どこが好きだったの?」
と聞くと、嬉しそうに出会って経緯をおしえてくれて。寂しいなぁ。と。
本当に愛するってこういうことかと
時間を経て感じだ瞬間だった。
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ひっかかる(natsuki)
「今、洋服を見に行く店はここだ。」 と私の心に引っかかり、とある古着屋さんを訪ねました。 古着屋と聞くと、誰が着ていたものか分からないものと、抵抗がある人もいるかと思います。ですが、良い古着屋さんに行けば、仕立ての良い、長く大切に着られた服が、店主が一番良いと思う状態でラインナップされており安心です。 また、一般ブランドでは流行の洋服が並びます。ワイドパンツ、ロングコートが流行ればそれ一色に。ですが、古着屋さんには、様々な時代、様々な国、様々な用途のために作られた洋服が集まっているものですから、本当に自分に似合う洋服、好きな洋服を選びやすいのが嬉しく、やはり行きたくなります。 さて、そのお店の最寄駅は渋谷で、そこからアクセスが良い訳ではありませんが、わざわざ訪ねて行く感じがとても好きです。坂を登り青山大学方面へ向かい、曲る角を間違えないように四方八方を見渡しながらお店へ向かいました。 閑静な通りに、そのお店はありました。 開放的な店内に入ると、色別または、セーター、ボトムスというように、カテゴリー別に洋服がラックに並んでいます。入るなり、店員さんが鞄を預かりましょうか?と尋ねて下さり、重い荷物が嫌いな私はそうしました。 黒い洋服コーナーを見ていると、店員さんがすっと寄ってきて、「この黒いジャケット、形が綺麗ですよ。良ければ着てみますか?」と導いてもらい、袖を通しました。 丈はお尻が隠れるくらいの丈で、仕事でも、プライベートでも着れそうだな、と思いました。まるで、フランス版VOGUE編集長、エマニュエル・アルトみたい!彼女のように、ジャケットを開けたり、閉めてベルトをして、カッコよく着こなしてみたいと夢が膨らみます。店員さんもベルトで閉めるきこなしはおすすめのようで、実際にベルトを巻いてもらうと、文句無しに素敵でした。 その後、気になっていた毛糸のパンツを着させてもらいました。私が着替えている間に、パンプスも用意して下さり、古い靴は横幅が狭く、入らないと思っていましたが、すっと入り、サイズも言ってないのに…驚くばかり。 鏡の前に立ってみると、野暮ったいパンツとかっちりしたジャケットのアンバランスさがしっくりきました。店員さんによると、それは、1930年代、ヨーロッパのミリタリー用品で、今でいうパッチのように、ボトムスの下に履く下着だそう。アメリカのミリタリー用品のように、カッコよすぎない、素朴さがあるのはそのためでしょうか。 少し毛がチクチクしますが、「寒い冬に、足を通したとき、冷たい、とならならいのが良いですよね。」と落ちついた透明感のある声で言われると、それもそうだと納得してしまいます。下にスパッツを履けば痛くないし温かいでしょう。 「これで、皮のグローブを巻いても素敵ですよね。」何故か、この店員さんの言葉は私の想像力をかきたて、楽しいところに連れていって下さります。 その洋服たちが今のなりたいシャープな女性に近づけてくれること、店員さん、女性の方なのですが、この方の言葉がひっかかり、購入することにしました。 このお店は「Hooked Vintage」といい、「Hooked」とは営まれているご夫婦が好きな映画に出てくる言葉で、「ひっかかる、夢中になる」という意味があります。誰かにとって、この洋服の色形が「ひっかかる」。そんな洋服屋さんでありますように、という意味が込められているそうです。 この日、接客を受けて、店員さんであるお姉さんの、服を丁寧に扱いながらもテキパキした所作、お客様に似合う服を提供し輝いてもらいたいとうじんわりとした気持ち、さらには、お姉さんの言葉たちがお客さん達の心に何かをひっかけている気がしました。 一概には言えませんが、どちらかというと、一般的なブランドの店員さんは、「洋服を売る」ことを目的にしており、古着屋さんの店員さんは「着る人へファッションを楽しんで欲しいという気持ち」を売っている気がします。ネットで服が安く買える時代、お店に足を運び買いにいくなら、店員さんとは洋服が好きだという気持ちの共有、自分の似合う服を提案してくれる人が良いと思います。 さ、この間買った洋服を着ようと思い、袖を通すと、古着特有の消毒薬のような匂いがしません。とても良い香りがします。ただならぬ洋服とお客様への気遣いを感じました。 スキニーに似合う、お尻が隠れる丈のアウターをお姉さんと探したいと、楽しみが増え、胸が高鳴る嬉しい出会いでした。
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