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🆕 玄光社VIDEO SALON 3月号 特集NEW AGE CREATORS にて 三浦エントと「遠泳」Music Videoについて 取り上げて頂きました
WEB記事 https://videosalon.jp/serialization/nac07/
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TRAVEL FILM 01 Beijing,China
わたしは恋をした 彼は名を"中国"と言った
1937年7月7日の 盧溝橋事件から77年 大気汚染で美しく霞む 夏の北京の物語
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documentary 00:20:30 _________________
わたしの目に映る君は美しく いつでも憧れに思っている それなのに 歴史や政治というものが 度々君を遠ざけた
わたしはそれが悔しかった
悠久の世界遺産や伝統音楽 流れるような中国語の音に 艶やかなチャイナドレス 日常の雑多な風景から 制圧に抗う人間の生命力まで
君の何もかもが美しく愛おしいのに どうしてそれだけではいけないのだろう




北京に着いたのは夜だった
今日は1937年7月7日の盧溝橋事件から77年の夏 この街の広場には 軽やかに抗日ダンスを踊る人々で賑わっていた
わたしはさりげない日常に潜む反日感情に やりきれない気持ちだ
誰かにとっての遠い過去の出来事が 誰かにとっての癒えない悲しみの記憶であること その価値観の違いに 一体いつまで翻弄されていくのだろう

胡同と呼ばれる古い路地裏の街並みは 次々と取り壊され 革命の地天安門は PM2.5の霞んだ空気で この世のものとは思えないほど幻想的だ


この宿での生活にも慣れて 女の子たちは日本のお化粧ポーチに興味津々だ 馴染みの定食屋さんができて いつも同じ席 同じ料理が出てきた この国が生んだ映画を観て 今日はぼんやりと考える
政治が越えられない大きな壁は わたしたちの当たり前の優しさの間に どんな意味があるだろう
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卒業制作 日芸学部長賞受賞
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TRAVEL FILM 02 Varanasi,India
遠いところへ行きたくて 夜行列車に乗り込んだ
そこで出会った 夢のない青年と 夢を愛した一組の夫婦の物語
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documentary 00:25:00 __________________

インドコルカタ国際空港から夜行列車で10時間 バラナシは聖なるガンジス河に沿って広がる ヒンドゥー教の大聖地 そして数多くの安宿が密集する旅人の聖地だ


この街は本当に 人間をひとりぼっちにさせてくれない 雑踏の中に行き交う巡礼者 客引き、物乞い、聖者、旅人
今日もまた 一人のインド青年が 旅慣れぬ私を見兼ねて声をかける
「お土産買う?」「ううん いらない」 「いい店あるよ」「いらない」 「そう… じゃあガンガーへ行かない?」
ガンジス河に浮かんだおんぼろの船を 彼は Titanicと呼んでいた
バラナシのタイタニック号に乗りながら 彼はわたしに夢を訊いた わたしはドキュメンタリーを撮り続けたいと答え 彼にも将来の夢を尋ねた
「僕の夢?ないよ」 「なぜ?」「わからない」 「わからない?」 「If you have money, you make a dream, if you have no money , there are no dream. no possible ね」
インドには今でもなおカーストという制度が残る 生まれた時から階級を持ち 仕事も階級ごとに定められている
彼の表情を眺めながら わたし遠い遠い国へ来たのだと感じた

バラナシにクミコハウスという宿がある 日本人の久美子さんと インド人のシャンティーさんが ご夫婦で営むゲストハ���スだ
40年間この地で暮らす二人の間には 永い永い物語があった


シャンティーさん: 日本で会いました 日本で恋愛しました 日本で話し 結婚を決めた 日本で結婚しました
久美子さんのパストート作ってビザ作って 国籍がインドになるまで5年待って また色々な書類を出して 本当に色々な書類を出して 市民権をもらって ようやくインド人になって インドで暮らし始めました
久美子さん: 23…24の時かな 普通に日本人と結婚して日本に住んでると思ってた 外国に行くなんて思わなかった
シャンティーさんはインドで美術を研究後 日本の武蔵野美術大学に留学 日本で暮らす中で出会ったのが久美子さんだった
当時 インドという国に女性が一人で嫁ぎに行くこと そんな世界を誰が想像できるだろう
久美子さん: 反対された だから2、3年かかった もうダメダメダメで お父さんの死に目に会えなくから行くなって 本当にそうなったけど こどもが生まれて一度日本に帰ったけれど そのあともう帰れなかった 行くからねって手紙を出して ごめん行けなくなったっていうのを 何度も何度もやっちゃったの
それでもね 相談はしなかった 行くって勝手にわたしが決めた 駄目なら帰ればいい 住めなかったら帰ればいい それだけだった
シャンティーさん: わがままな社会で 自分もわがままになりたいという 気持ちになった それが日本に行って 久美子さんの心を見て わたし驚いた 人間的な心を持った人間が 今も社会にいると思って 安心しました

人の心を動かす何かに出会う時 人の人生は大きく動き始める それは映画のようにロマンチックで どうしようもないほどの現実だ



この街には独特の時間が流れる 聖なるガンガーで身を清め 祈りの歌に身を預ける ガートで焼かれゆく死者に思いを馳せては また日が暮れるのを待つだけだ
人々は自由を求め旅をし ここへやってくるけれど
この街の人々は言う 本当に自由な国とは 日本のような国なのだと
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卒業制作2014 日芸学部長賞受賞
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