Tumgik
moe-hiko · 6 years
Quote
承認欲求って言葉は、人をバカにするために使われがちだけれど、そんなに珍しいものや危険なものじゃない。 子どもが積木で何かをつくったら、「見て見て!」って来るのと同じようなものじゃないかと。 中年になって痛切に感じるのは、「大人は、そう簡単には承認してもらえない」ということなんですよ。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2018/06/04/120000
3 notes · View notes
moe-hiko · 6 years
Quote
人間が、世界中の人々から溢れ出す汚い感情に直面するようになったのはこの10年位の話だ。僕らはもともと大量のネガティブな感情を受け止められるようには出来ていない。大量のネガティブ情報を受け取ってしまったことによる処理エラーが外部への憎悪という形で吐き出されることで、より一層世の中が汚れていく。そう考えると、みんなが地獄に落ちるという話ではなく、みんなで地獄を作っているのが今の世の中なのかもしれない
https://anond.hatelabo.jp/20180128124928
0 notes
moe-hiko · 6 years
Link
自主性の乏しさが罪になってしまう社会 - シロクマの屑籠
0 notes
moe-hiko · 6 years
Link
ジャニヲタがたどり着いた究極の「双眼鏡」と「スワロフスキーうちわ」の話 - それどこ
0 notes
moe-hiko · 6 years
Link
「不安と心配」に本で保険をかけよう──『スゴ本』中の人が選ぶ、「いざ」という時に寄り添ってくれる5冊 - GeekOut
0 notes
moe-hiko · 6 years
Quote
差別用語は絶対発してはならない悪魔の言葉みたいなことを言う頭のおかしい連中がいるけど、そもそも何が問題かってそこに差別や見下しの心が見えてるから問題になってるんだろ。 俺の家には差別に関する本が何冊かあるが、そういう本を差別用語が使われてるから発禁にしろとは誰も言わない。 はあちゅうも同じことで、童貞という言葉を使っているのが問題ではなく、そこに童貞を見下す心が見えてるから批判されてんだよ。 全然童貞に対して真摯な態度じゃねえんだよ、だから批判されてんの。 お前童貞のこと何もわかってないのに何童貞語ってんだよ、馬鹿にしやがってってことなんだよ。 別にリスペクトしろとまでは言わんけど、せめて(はあちゅうの言う)いじりの対象に対してもう少し真摯になってもいいんじゃないのか。 それこそ飯の種にもしてるんだからさ。 セクハラも結局は相手を低く見て小馬鹿にしてるから起こることだし、相手を尊重しないからそんなことができるんだよな。 俺はそんなこと絶対しないよ。 なぜなら俺が一番下だからな! いやマジで。 実際そうじゃないんだとしてもそれぐらいの気持ちでいるのは大切なことだよ。 人間傲慢になったらろくなことがない。
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20171221/1513849101
0 notes
moe-hiko · 7 years
Quote
『仕事で必要な「本当のコミュニケーション能力」はどう身につければいいのか?』(安達裕哉 著) より、"自分に都合よく思い込まず、相手にきちんと言う、聞く。面倒くさいが、それは「多様性を許容すること」のひとつの代償でもある。"
0 notes
moe-hiko · 7 years
Quote
 当然ながら、ゲルサドラになりすますというはじめちゃんの決断は、ゲルちゃんを救いたいということと、この空気を止めて、みんなに空気に流されることの危険性を啓蒙したいということがあるわけですが、それとともに重要なのは、彼女がみんなのことを――「人間」のことを知りたいと欲するような女の子であるということなのだと、僕は思います。  ここで言う彼女が知りたい「人間」というのは、空気に流される「サル」としての愚かさという一面ではなくて、当然のことながら、自ら考え自らの選択を示す、内発性と主体性をもった「あるがままのその人であるような人」としての「人間」ということです。  そのように欲する一ノ瀬はじめがどういう人間なのかというと――一ノ瀬はじめは人間のことを「信じて」いる、そしてそのような姿勢は「愛」とでも呼ぶべきものであると、僕はひとまず述べておきたいと思います。
http://espresson.hatenablog.com/entry/2015/09/27/185349
0 notes
moe-hiko · 7 years
Quote
善きことも悪しきことも行いうる、そうした可能性としての存在が人間である。そして、そのような自由における選択を行えることが人間を人間たらしめ、またそのような選択を通して、そこに人間という存在が常に新たに明らかになっていくということです。  この事実を前提として考えるならば、ではそもそも「選択」を持たない人間というのは、いったいなんなのでしょうか。自ら現実を認識し、自らに問いかけ、自ら考えることによって、自らの選択を為すということをしない人間。そのような者は――つまり、人間にさえなっていない「サル」なのだということなりましょう。  これはまさしく、ガッチャマンクラウズインサイトを通じて描かれてきた、空気に流される「みんな」の姿です。
http://espresson.hatenablog.com/entry/2015/09/27/185349
3 notes · View notes
moe-hiko · 7 years
Link
【ランキング】2017年おすすめ漫画・ベスト100【オススメ漫画総決算】 - 勤務医開業つれづれ日記・3
0 notes
moe-hiko · 7 years
Link
ストロングゼロを飲んだ
0 notes
moe-hiko · 7 years
Quote
今度は嫌う立場側の人について考えてみます。わずかな動きや言葉から、嫌われることがあると書きました。嫌う人は、わずかな動きや言葉から連想するものがあるから、その人を嫌います。ある動き、姿勢、言葉、声から、特に嫌なものであればあるほど、様々なイメージを連想します。 粗雑な言動から、他人の気持ちを考えない人なのではないかと思うことがあれば、神経質そうな言動からは、面倒臭い人なのではないかと思うこともあります。また、そこから過去に出会った人を連想することもあります。この人も、あの人みたいな人なのではないかとか、酷いときは直接話してもいないのに、全く同じような人間に違いないと決めつけてしまうことさえあります。そうなると、もう自分の思い込みの世界に入り込んでしまい、目の前のその人を見ることができなくなっています。 そんなときには、自分が気になった相手の言動を、自分が思った通りのものなのかと落ち着いて観察します。つまり、なぜそんな言動をとるのか、と単純な疑いの中に留まってみます。 例えば、声が大き過ぎる相手に対して「無神経、周囲を観察する能力がない」と思って嫌ってしまった場合、「なぜこの人はこんなに大きな声を出す必要があるのか」という疑問に戻ります。自分自身が無意識に「無神経」と答えを出してしまっているから嫌いになっているのです。耳が悪いのかもしれませんし、周りを気にし過ぎるあまり、かえって自分をアピールしなければいけないと強迫的になっているのかもしれません。違和感のある動きには必ず��由があるものです。 目指すのは好きになることではなく、初めて出会ったような見方ができるようになることです。嫌いだと感じたときには、初めて出会ったもののはずなのに、既にわかっているような気持ちになってしまっているのです。
http://www.nikkeibp.co.jp/atclcsm/16/010600002/060200012/?ST=sp-miraigaku
0 notes
moe-hiko · 7 years
Link
1 note · View note
moe-hiko · 7 years
Link
0 notes
moe-hiko · 7 years
Link
0 notes
moe-hiko · 7 years
Link
1 note · View note
moe-hiko · 7 years
Link
 「うまくいかなかった人」にとって、その集団のなかで、もっとも「みんなの傷口を広げない態度」というのは、とりあえず、周りに余計な負担をかけないことしかない。  実際は「失敗して落ち込んでます」「自分に憤りを感じています」とアピールすることによって、自分を守ろうとしがちなのだが、それは、「いま、戦っている集団」にとっては、何一つプラスにならず、周囲の負担が増えるだけだ。  大瀬良には、それがわかっていたのだと思う。  だからこそ、���しさを押し殺して、ベンチで、打たれたことなど気にしていないように、笑っていた。  内心では、ものすごく悔しかったし、情けなかったはずだ。
0 notes