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昭和は新しいモノ作り、 平成は新しい仕事作り、 令和は新しい目的作り。
2017年の12月に「平成が終わる」と発表されて以来、 「平成最後の夏」、「平成最後の紅白」、「平成最後の入社式」など、 色々なフレーズや言い回しが出てきたけど、ついに「平成最後の日」��やってきた。
平成から令和になろうと、世界的にはそれほど大きな影響も関心もないだろうが、 日本人の精神性や価値観には大きな影響を与える出来事には違いない。
事実、ここ一週間、さまざまなメディアが「平成特集」的なことを盛んにやっていた。
色々な解釈があるようだが、あらかた、 「平成とは、戦後日本人が作り上げたシステムが崩れていった時代」とか、 「『生きづらさ』という言葉は、平成を語る上で欠かせないキーワード」のように、 どちらかというと、悲観的な論調に終始することが多い印象だった。
平成という時代しか知らない僕にしてみると、例えるならば、将来に対しては全く不明確だったけど、 何か特別やることもない大学生活のような、案外結構自由に生きられた時代であったように思う。
もし、バブルの絶頂期に自分の今の年齢を迎えていたら、将来に対しての不安はなかったのかもしれない。 ただ、決められたルールの中で、決められたレールの上を歩いていくことを当たり前だと思っていたはずだ。
平成という時代しか知らない人の考えはどうであれ、いずれにせよ、やはり平成という時代は、 「モノが溢れかえって物欲が満たされているのに、みんな悲しい顔をしている」という 「不満はないけど満足はしていない」不思議な時代だったのではないだろうか。
“The challenge for our generation is creating a world where everyone has a sense of purpose.”
マーク・ザッカーバーグがハーバード大の卒業のスピーチで述べたように、 ミレニアム世代の人達が挑戦すべきことは、新しい仕事を作り出すだけでは不十分で、新しい仕事を作り出すと同時に、 自分以外の人達が生きる目的を見つけられる世の中をつくっていくことなのかもしれない。 (*参考Link)
他人の生きる目的を作り出すこと。 それは、モノを作るよりも、新しい仕事を作り出すことよりも、きっと挑戦のしがいがあることにちがいない。
こと、3つの寂しさにこれから向き合いつづけなければならない日本においては。(*出典)
ほんとうは、 生きる目標が無いなんて、本当に贅沢な悩みなのだろうけど。
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『世の中の大きな波には抗えなくても、小さな流れは自分たちでつくり出せる。』
最近まで、世の中には正解の流れというものが存在するものだと思っていた。でも本当は、正解の流れなんてものは存在しないのかも。 マンガ『スラムダンク』の山王戦で宮城リョータも言ってたけど、「流れは自分たちでもってくるもんだろがよ!!」っていうのは本当にそのとおりで…。 大きな波には抗えない、それはもう紛れもない真実。 例えば「ブロックチェーン技術が世界を変える」とか、「これからは信用経済になっていく」とか、そういった社会変革はもう確実に起きる未来であり、これを抗おうとしたところで、それは悪あがきにすぎない。 でも、その大きなうねりの中で、小さな流れをつくり出すのは自分たちの力で、そして、もしかしたらその小さな流れこそ「文化」と呼ぶべきものなののかもしれない。 文化になった広��って、いくつかあるけど、揃いも揃って名作だよなぁ。
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『曖昧なものを、曖昧なままにしておく、ということ』
コミュニティとか会議とか打ち合わせとか人が集まる場はなんでもそうなんだけど、「それってつまりこういうことだよね」って言語化うますぎるやつがいるのもあまりよくない。
言語化した途端に、曖昧な部分が抜け落ちちゃうことがある。人間は自分が知っている範囲でしか理解できない。 理解するために言語に落とし込んだその途端に、ズバッと言われた瞬間に、それがなんとなくその場の答えになってしまう。 あえて言語化しないっていうことも、すごく大事。
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「すぐにカレーを温めるから待ってて」 彼女は冷蔵庫から冷えたジャスミンティーを出してグラスに注いでくれた。 カレーは実に美味しかった。
「今日のは、わたしのお母さんのつくるカレーよ。なんだかんだ言って、こういうカレーがいちばんおいしいわ。ねえ、ミラノの話を聞かせて。」 彼女はこう言って、食後に淹れた湯気の立ったチャイを口に含ませた。 --
ミラノにはじめて着いた日、 雨でびしょ濡れになってスーツケースを引きずりながら、本来の最寄り駅よりひとつ前の駅からアパートを目指して歩いたこと。 街で出会った人との面白かった日々のこと。 とびきり美味しいサンドイッチ屋のこと。
好きな本屋やフリーマーケットのことなどを思い出しながら、僕は彼女に聞かせた。
そしてミラノには2週間後に戻る予定であることも話した。
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「いいなあ、わたしも一緒に行きたい。りゅうくんみたいに好きなことを見つけて、ミラノで暮らせたら夢みたいだわ」
そんな言葉で僕を酔わせる彼女は、僕を買い被っているように思えた。 僕はそんなすてきな男ではないし、ミラノの暮らしなんてひとつもよいことはないと心のなかでつぶやいた。なにひとつ順応できず、単に日本から逃げ出した場所が、たまたまミラノだった。それだけのことだった。 しょっちゅう日本を飛び出していることは、他人から見れば、格好いいように見えるが、決してそうではないことを自分が一番よく知っていた。
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「安ホテルとか、又貸しされた狭いアパートで暮らすのは結構大変ですよ。夜になると暗くてひとりで歩くのも怖いエリアもありますしね」 そう言うと彼女は、「ねえ、一度遊びに行ってもいい?」と身体を寄せて訊いた。 彼女の瞳は僕をじっと見つめていた。 そして閉じていたくちびるが小さく開いた。ぼくはくちびるを自然に重ねた。一度離してから、もう一度重ねた時、彼女の身体をはじめて触った。 痩せていたが、やわらかくてあたたかかった。 彼女の手に自分の手を合わせて指を触った。彼女の手はあの日と同じようにひんやりとしていた。
「彼女いるの?」
「うん、いる」
「……」
「そっか」
「かおりさんは?」
「いる」
「……」
当時、彼女のいなかった僕は、なぜか格好つけて嘘をついた。
「どう……する?」彼女は訊いた。
沈黙してから「帰……ります。」と答えた。
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いま彼女をここで抱くことによって、自分が幻滅されるのが怖かった。 その時、自分に一つも自信がなく、人と深くつながることで、だめな自分を知られてしまうのが嫌だった。 その頃は誰と親しくなっても距離を縮めることを避けていた。 彼女から格好いいとか、すてきとか思われている自分を失いたくもなかった。
「かおりさん、帰ります」 「そうね…。うん、わかった」 「すみません…」 「謝らないで。今日は楽しかったわ」
僕は玄関に向かい、ドアノブを手にして後ろを振り返った。彼女はこちらに背中を向けて、カレーの容器を洗いはじめた。 互いになにか言おうとしたが、蛇口から流れる水道の音がふたりの言葉を遮った。
「またね。気をつけて帰って」 彼女の背中はバイト先で見る背中に戻っていた。外に出てドアを閉める時、彼女は一瞬だけ僕��方を向いて小さく手を振った。夏の夜の外は暑かった。
とぼとぼと歩いて駅に着くと、すでに終電はなくなり、駅の電気は消えて暗くなっていた。タクシ−代を持っていなかった僕は、どこか店に入って始発まで時間を潰そうか…としばらく立ったまま考えた。しかし歩いて帰ることにした。歩きながら時折くちびるを噛むと、彼女のリップグロスの味が残っていた。
次の日バイト先に出勤すると、いつものように彼女は働いていた。僕と彼女が目を合わすことはなかった。僕は遠くから彼女の背中を見つめるだけだった。
僕は二週間後、なにかから逃げるようにして日本を経った。20歳の僕は最低な自分といつも戦っていた。
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女生徒
今年生誕100年をむかえた小説家、太宰治の短篇「女生徒」に現代の写真家、佐内正史の写真を加えた本。
街と風景と少女の写真が叙情的に絡み合う一冊。
太宰先生の作品はまだ数点しか読んだことがない。 のだけれども、とかくこの小説「女性徒」が好き。
東京に住む一人の女学生が、朝起きて、着替え、朝食を食べ、電車に乗って学校に通い、労働者に怯え、学校にて先生に憧れ、また先生を嫌い、友人と遊び、帰宅、来客をもてなしながらもその来客のことを嫌い、そして自分を嫌い、また、夜、死んだ父のことを思い出して、母と二人で何気ない会話をして、幸福を思い、そして東京の夜に眠る。
おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。
[p.100]
そんな一日をあるがままに叙述する短篇。
描写が丁寧で、特に「とりとめもなく揺れ動く自然な感情」が少女の一人称���あるがままにつづられていくのは、読んでいて心地よい。古典作品でありながらも現代においてほとんど古びることのない表現、だと思う。
ここでくだくだ内容について述べても仕方がない。「青空文庫」のホームページにて無料で読むことができるので、興味のある人は是非一読を。
そして写真について。
ポラロイドカメラで気の向くままに撮ったような色味の、少々色あせた、何気ない風景の写真。写真単体で見たときにある種の哀愁を感じてしまう、そんな物語のある写真。小説部分に劣らないほど、感傷的な印象のある素晴らしい写真だと思う。
ただ、個人的に、写真部分が、小説部分に対して多少の食い違いがあるように思った。���和初期くらいの日本を舞台にする小説部分の哀愁と、現代の都市を舞台にする写真の哀愁、それらが私の中でどうも交じり合わなかった。高層ビルやエスカレーターなど、それ単体で見たとき素晴らしい写真なのだけど、小説の持つ作品イメージと違った作品イメージを作り出している気がした。
互いに感傷的であるがゆえに生まれてしまった違和感、のように思う。
それと、小説見開き2ページと写真見開き2ページが交互に繰り返していくのだけれど、そこで少し読書のリズムを失った。それも違和感を覚えた原因。
とはいえ単体では素晴らしい作品であることに変わりはないし、人によってはまったく気にせずに両方を楽しめると思う。
思春期のあやふやな感覚を鮮やかに描き出す小説と写真。文学の哀愁に浸りたい人に、オススメ。
ーhttp://d.hatena.ne.jp/kamiharu/20090630/1246366344
#041
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「食べ物は何が一番好き?」 夏のある日、吉祥寺のバイト先で知り合った三歳年上の彼女から突然こう訊かれた。 偶然、駅までの帰り道が一緒になって並んで歩いている時だった。
「カレーライス。カレーだったら毎日でもいいですね」 こう答えると、彼女はけらけらと笑って、 「にんじんとかじゃがいもが、ごろごろ入っているカレーか、タイカレーみたいに、さらさらしてるのか、どっちが好き?」と訊いた。
「ゴロゴロ入っているカレー。」 道幅の狭い商店街の前から来た車を避けながら答えると、 彼女も一緒に車をよけようとして足がふらついた。彼女は一瞬、僕の腕を掴んだ。
「ごめん、ここ狭くて、車が来るといつも危ないわ」 彼女は照れたようにつぶやいた。彼女の手はひんやりとしていて、細い指と少しだけ伸ばした爪の感触が、陽に焼けた僕の腕にかすかに残った。
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「昨日、カレー作ったの。今日よかったら食べにこない?」 カレーの話をした三日後、またしても偶然に帰り道が一緒になった時、彼女は僕に話しかけてきた。 「『ゴロゴロ入ったカレー』作ったの。たくさん作りすぎちゃって。」 彼女は、聞き取りにくいくらい小さい声で、いつもよりゆっくりと話した。
「あ、また車がきた」 彼女がこう言って、僕に身体を寄せてきた時、彼女の身体が触れてくることを、ほのかに期待する自分がいた。 ---
彼女はバイト先の社員のひとりで、テキパキと仕事を片付ける手際の良さから、仲間から頼られる一目置かれた存在だった。
名字ではなく、「かおりさん」と名前で呼ばれ、化粧気はないが、いつもシンプルで上質な服を着こなすおしゃれな人だった。 ----
「ごめんね、散らかってて……」 彼女のマンションは、西荻窪の駅から近い2LDKの部屋だった。 白いカーテンに白いカーペット、部屋の奥には白いベッドが見えた。 部屋は一つも散らかってなんていなかった。 テーブルの上に置かれたフォトフレームを見て、 「あ、ミラノに行ったんですね。ここ、ドゥオーモですよね。」と僕が言うと、 「うん、二年前に行った。りゅうくんは、ミラノに住んでるのよね。うらやましいわ。わたしも住んでみたい」と彼女は台所で調理をしながら答えた。
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料理ができるのを待っている間、椅子に座って彼女の背中をぼんやりと見つめていた。
彼女の背中はなんだかちからがすっと抜けて艶があり、肩の線がやわらかで美しかった。
それはバイト先で見る背中とは、まったく違った背中だった。
彼女は僕のことを名字ではなく、このときはじめて名前で呼んだ。
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さまざまなアイデアをもっていても、それが完全に形成される以前にやめるように説得されてしまうというのは、いったい日本はどんな社会なのだろうか。 社会を変えられるほどの大きな力はもっていないけど、せめて最も身近な社会である親くらいは、「好きなことを好きなように好きなだけやらせてあげたい」と思った。
「できないこと」よりも「できること」
子どもの成長を見ていると「できないこと」が「できること」になっていく。 子どもは「できないこと」だらけで生まれてくるので当然のことなのかもしれないけれど、 ついこないだまでハイハイしていた子が歩くようになって、泣くことしかできなかった子が親に文句言うようになって…(笑)
「人間の成長とはできることが増えることだ」と思いがち。 そうすると、どうしても「できないこと」に目がいってしまう。
だけど、大人になってからの成長は子どもの成長とは違うんだ。 「できないこと」が「できること」になる以外にも、「できること」が「もっとできること」になる成長もある。
大人になっても「できないこと」を多大な労力をかけて克服するよりも、「できること」を強化する方がいい。 受験勉強と違って実際の社会では100点満点じゃない。200点も300点もある。だったらその能力を強化したほうがいい。
持っていないカードを必死に集める(中には見つからないものすらあるよね)よりも、持っているカードを最大限活用するべき。 偏差値とか、テストの結果とか、お給料とか、外見とか、そういう価値尺度でしかモノを計れないのは、正しくないと思っている。
あれは、そういう願いをこめてやったんだよ。
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2003年、電通に入社した。築地の電通ビルで内定式を行った最後の世代であり、汐留の電通ビルで入社式を行った最初の世代。別にだから何だ、という話だが、それから気がついたらもう13年もの月日が経つ。クリエイティブ職に就いてからも13年。振り返ってみれば失敗ばかりだった気がする。「もうちょっとやりようなかったのか」最近時間ができるとそんなことばかり考えてしまう。もし13年前、汐留の電通ホールで早く帰ることしか考えていなかった自分に会えるとしたら、伝えておきたいことをまとめてみた。 1. お前は「最後の砦」だ 自分を「最後の砦」だと思って仕事をしている人間と、そうでない人間の成長のスピードは、プラレールとリニアモーターカーくらい違うぞ。「絶対にミスを見逃さない」「絶対にこのプレゼンで決める」「絶対に俺の案で決める」そう思いながら仕事してる人間になるか。「先輩がいる」「デザイナーだからコピーのことは関係ない」「失敗しても会社の責任」そう思いながら仕事をする人間になるか、お前の未来は心持ち一つで決まるぞ。 2. とにかくネタのストックだ 優秀な人間ほど、情報の収集に余念がない。優秀な営業やプロデューサーは常に新しい「組み手」を探していて「こういう仕事が来たらここに相談しよう」「こういう問題が起きたらこう対処しよう」とシュミレーションしながら、始まってもいない仕事に対して準備している。お前がいるクリエイティブも同様、優秀な人間ほど、頼まれてもいないのにネタのストックを死ぬほど抱えていて、ものすごい量の引き出しを持っている。仕事が「来てから」考える人間との差は、歴然となる。 3. 仕事は「引き」だ、「押し」じゃなくて 「引き」のコミュニケーションの使い方が、「イケてるビジネスマン」になるか、「可もなく不可もないビジネスマン」になるかの分かれ目になるぞ。相手を見て、状況を見て、押しすぎるとここではマイナスだ、と感じた時は引き、発言しない方が良い局面では発言しない。また、馬鹿なふりをした方が良い時は大笑いし、馬鹿になりきる。「あいつと仕事すると何か楽しいんだよな」「あいつの言うことは断れないんだよな」と言われるのは、そういう人間だ。 4. 仕事は整理だぞ 仕事を整理できる人間は強いぞ。すべての打ち合わせの前に議題を整理し、「今日決めたいこと」を打ち合わせの前、参加者に明示する。そして、打ち合わせの場で最短時間で決めないといけないことを決める。打ち合わせの終わりには結論を伝え、「今日決まったこと」をメールでシェアしみんなの認識にズレがないようにする。整理することは、無駄をなくすことにつながり、効率と自分の精神的、肉体的余裕を生んでくれるぞ。 5. 人への頼り方を学べ 「自分が��きないこと」を知れ。できないことは無理して��分ではやらず、できる人に任せる。その代わり「頼るべき人、会社」を必ず準備しておけ。また「サボり方」も学んでおけ。勝負時にフルコミットできるよう、上司や同僚、パートナーに頼りながら「自分が一番力を発揮できること、タイミング」を見極めろ。 6. お金の話がうまくできる人間になれ お金の話はビジネス上一番重要だぞ。自分が受注側であれ、発注側であれ、はじめにお金の話をきちっとしてモヤモヤを残さないことが重要だ。自分の要望を伝え、条件が折り合わなければ撤退することも必要だ。受注したからには相手が想定していなかった何かを付加して納品しろ。それが次の仕事の、同じ金額での受注につながる。発注したからには値切ったりするな、自分の言ったことに対しては身銭を切ってでも責任を持て。それが信頼を生む。 7. 第三者視点でモノを見れる人間になれ 第三者視点でモノを見れる人間になると仕事の仕方が変わってくるぞ。自分のエゴや「やりたい」だけでなく、そのアイデアが採用され、世の中に出て行くまでにどれくらいの、どのような人が関与し、どのようなフローで決裁されていくのか。また、そのアイデアが世の中に出た時、どのようなモノとして受け入れられるのか。それを第三者視点で捉えようとすることで仕事の精度は高まってくる。 8. 誰にも負けない何かを習得しろ 同じ仕事をしている人間は、みんなその仕事のプロだ。しかし、もう一つ誰にも負けない武器を身につけることで自分の強みはかけがえのないものになる。「フィギュアに強い」でも「アフリカのサッカーの歴史のことなら誰にも負けない」でもいい。自分が絶対一番だと胸を張れる何かを習得し、それを仕事でどう生かすか、それを常に考えておけ。 9. いつまでも「自分は未熟」だと思え 「現状の自分」に決して満足してはいけない。自分に足りないものは何か、自分が好きでまだ取り組んでいないものは何かをつねに探し続けろ。「自分はまだまだ素人だ」という意識をつねに持ち続けろ。「今の自分には何が足りないのか」を分析し、その足りないものを身につける努力を続けることこそが、誰にも負けない「自分」を生む。 10. 自分の誤りは簡単に認めろ 自分が誤っているとわかったらすぐに謝れ。プライドの高い人間ほど、自分の正当性を示すために無駄な時間を過ごしてしまう。社内も、クライアントも同じ方向を向いたチームメイトだと考えられれば、自分の失敗ではなく、チームの成功だけに目を向けられるぞ。 以上、13年前の自分は知らなかった。それでいて自分が13年間で学んだことの中で必要だと思う10のことをまとめてみた。これからの仕事人生も、この10を大切に持っていきたいと思う。
ーhttp://www.t-nishijima.net/
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組織にいると好きなことが出来ない、もっと自由に働きたいと言う人もいるが、そのメンタリティでは組織から出ても好きなことは出来ないように思う。とはいえ、ただの精神論だけでなく、大きな組織にいても自由に働くためのテクニックもある。
上司にはYES/NOで提案せずに、相談から入る
組織にいて、自分のアイデアややりたいことがあった時、まずは上司に話にいくだろう。その時に、こうすべき、こうしたほうが良い、というような提案をするのは良い手とは言えない。特に若いうちは自分の信念や正義があって、それ自体はとても良いことだが、そのまま振りかざしてもうまくいかない。
上司に対してYESかNOの返事をもらうような提案をすると、まずはNOと言われることが多いはずだ。上司としても、本当に良いアイデアや提案だったとしても、プライドもあってすぐにはYESとは言えない。それに、自分には自分の予算や計画があって、それをクリアすることが至上命題だから、外れることにYESとは言えない。
そこで着眼点を変えて、提案するのではなく相談をしてみることだ。上司とは部下の相談を受けることも仕事のうちだ。もし本当に実現したいことがあれば、どうすれば実現できそうか相談してみることだ。そこで、もし一緒に考えてくれるならしめたもので、うまくすれば味方にさえなってくれるはずだ。
私も、会社の資産をオープンソース化しようと考えた時、最初は提案を行っていたが、YES/NOの二択で迫ってもうまくはいかなかった。そんなことに取り組んだ前例がないのだから、そもそもYESもNOも判断できないようなことだったのだ。困った私は、どうすれば良いか相談するようにした。それが結果的には良かった。
「許可を求めるな、謝罪せよ」とは言うものの、それをするリスクは大きい。だから、みんな許可を得るような提案をしてしまうのだろう。だから、「許可を求めるな、相談せよ」くらいがちょうど良いのではないか。
いつでもバッターボックスに立てるように準備する
社内ベンチャーを立ち上げる話は、その当時に着任されたばかりだった新社長とのランチの機会があり、実はその会食のタイミングで決まったのだ。アジャイル開発で本を出したり、オープンソース化に取り組んだりしていたこともあり、変わった社員がいるということでランチの機会をもらうことが出来た。
当時の私は、自分のチームを持っていて、そのチームを存続させるために、自分たちでビジネスを立ち上げ���いこうと考えていた。もちろん意味のある事業として、SIerでは取り組んでいなかったクラウドのビジネスを立ち上げるプランをあたためていたところだったので、そのランチはチャンスだった。
そこで、社長室での会食の場で、秘書の方にプロジェクタを用意してもらい、食事もほどほどに用意をしたプレゼンを聞いてもらうことにしたのだ。社長も面白がって聞いてくれたおかげで、私の考えていることに賛同をしてくれて、なんと、その場で新規事業に取り組むことが決まってしまった。
この時のチャンスを活かしてなければ、今のソニックガーデンはなかっただろう。もし考えを用意してなければ、もし挑戦したい思いがなければ、もし伝える勇気がなければ、ただの会食で終わっていただろう。たとえ完成度が低かったとしても、チャンスを活かす方が大事な時もあるのだ。
100%の準備をしてからチャレンジするよりも、タイミングをうまく活かすこと。そのためにも、常に準備しておくことが大事だ。機会があるのは運なのかもしれない。しかし、準備してないと機会は活かせない。
あえてマイノリティでいて、プレゼンスを出す
就任されたばかりの社長とのランチの機会を得られたのは、果たして運が良かっただけだろうか。もちろん、とてもラッキーだったとは思うが、私のことを知っている役員の方の推挙がなければ、また、私が社内でも変わった経歴とスキルを持っていなければ、そんな機会は得られなかっただろう。
私は、その会社の中では、常にマイノリティ側の人間だった。200人ほどいた一緒に入社した同期の中で、プログラミングの経験があり、技術志向でやっていきたい人間など殆どいなかった。アジャイル開発が日本に上陸したばかりの頃に興味を持って、社内で広めようとした人間もいなかった。
社外に出て、コミュニティに参加したり、本を書いたり講演をしたりする人間もいなかったから、必然的に目立つようになった。そうした珍しさもあったからか、現場から本社部門に異動することになって、全社に影響できる立場でアジャイル開発や、Rubyの推進をする立場で働くことが出来た。
私は、私のやりたいことを常に表明してきた。誰かが勝手に、気持ちを汲んで好きな仕事をさせてくれるとは思わなかった。自分のやり��いことがあるなら、自分で表明しないと伝わらないと考えていた。組織で個人が意思を表明すれば、敵も多かったけれど、味方になってくれる人も多かった。
プレゼンスを出すことは、組織で働く中でも好きなことに取り組むためには大事なのだ。そして、他の人と同じことをするのではなく、恐れずマイノリティでいる方が高いプレゼンスを出すことができる。
経営トップの視点で捉えて、経営者の言葉を使う
今でこそ、こんな風にブログを書いたりしているし、目的のある話であれば人と話すことも、それなりにうまく出来る方だと思うが、プログラミングが全てだった若い頃は、本当にコミュニケーションが下手だった。自分の考えを伝えるなんてことの大事さがわかっていなかったのもある。
だけど組織にいようがいまいが、自分の考えが伝わらなければ何も始まらない。逆説的だが、自由に好きなことをするためには、自分ひとりでは実現することが出来ない。あらゆる周囲の人たちの協力があって実現できる。周りの人たちに伝えるには、日本語が必要だ。
日本語は、プログラミング言語よりも圧倒的に多くの人と通じ合えるプロトコルだ。そして、プログラミングをするように、ロジカルに伝えれば、さらによく伝わるということも知った。当たり前だが伝えるためには、相手のわかる言葉で伝えなければいけない。
そこで気付く。社内で自分の考えを伝える時に、プログラマの視点で、プログラマの言葉で、プログラマにしか伝わらないような伝え方をしていなかったか、と。相手の立場になって、相手の言葉で、相手に伝わるように伝えなければ、伝わりはしない。
経営者が相手なら、経営者の視点で考えて、経営者の使う言葉で伝えていくことが重要だ。そのために、伝えたい相手が読みそうな本を読む、なんてのも良いだろう。そういえば沢山の経営の本を読んだ。
会社を辞めても自立が出来るだけの繋がりとスキルを持つ
ここで書いたようなテクニックや戦略を活かせば、組織の中にいても好きなことが出来る可能性は高まるだろう。だけど、本当に大事だったと思うのは、会社を辞める気になってからが、会社員としては本番だったな、ということだ。
会社員でいて本当に良いことは、多少の失敗をしたところで死ぬほどのことはない、ということだ。ドラマなんかだと「私が責任をとる」とか言うけれど、責任のとりかたって一体なんなのだろうか。会社を辞めることなのか、果たして本当にそれはペナルティなのか。
大事なことは、会社での評価よりも、より高い評価を社会から得ておくことだ。その会社を辞めたとしても、どこにいっても働けると思えば、何も怖いものはない。辞めることが責任をとるということならば、辞めても大丈夫だと思っていれば、なんだって出来るとは思わないか。
会社から自立が出来るだけの繋がりとスキルを持って、その上で、その組織と自分を活かす道を見つければ良い。組織にいて良いことは、自分だけでは出来ないような事業や仕事に挑戦することが出来ることだ。一人きりでは無理な挑戦は難しいだろう。
組織を活かしつつ、自分も活かす。会社を取引先や顧客だと考えて働く。私は、裸一貫から起業した訳ではないから大したことはないけれど、そんな大したことのない私でも起業が出来るような戦略を取ることが出来たのは、組織の力を活かして、自分を活かしたからだと思っている。
-https://kuranuki.sonicgarden.jp/2017/12/organization-hack.html
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自分がフリーランスだった頃、「どんな人と仕事をするか」というのはとても重要な問いでした。
その時は漠然としか考えていなかったけれど、組織に属すると決めた今思うのは、 これは「働き方」や「専門性」と同じくらい、人生に大きな影響を与える仕事の側面ではないか、ということ。
仕事における「人」の選び方には、いろいろな選択基準があります。 たとえば、「仕事のやり方が近い人」と仕事をすれば、阿吽の呼吸でプロジェクトを進められるでしょう。 「仕事でやっている事が近い人」と仕事をすれば、共通言語も多くコミュニケーションコストが低くなります。
このように、やり方(How)とやっている事(What)の類似性で一緒に仕事をする人を選ぶのも良いでしょう。
しかし、私がフリーランスとして様々な人と仕事をするなかで感じたのは、 「問い(Why)が似ている人と仕事をするのが最強」という感覚です。
「問い」を軸に新しい繋がりが生まれる
いい仕事をするだけなら、HowとWhatが一致する人とやるのが一番でした。 もともと同じ共通言語を持っているため、まさに「言わなくてもわかる」状態。 余計な労力を裂くことなく、心地よく仕事ができました。
だけど、今も印象に残っている「面白い」仕事ができたのは全て、Whyが一致した人とやったときのものです。
Whyが似ている人を探していると、人との繋がりの多様性が高まります。 逆に、HowやWhatが似ている人と仕事をしていると、その領域の外に繋がりを増やすのは難しい。HowやWhatでの繋がりは速いけど狭いんです。
デザイナーやエンジニアのミートアップ、起業家コミュニティなどの色々な集まりに顔を出すと、 そういった場ではHowやWhatが同じ人達の出会いが生まれています。 そういった場でよく見かける光景があります。初対面の人同士がFacebookで共通の友達が多いのを見て「世間は狭いですねえ」と言っているのです。
それは当たり前で、HowやWhatをテーマにした場は狭い世間になるようにできているのです。共通の友達がいないような人は来ない。ここでの出会いは拡張性がありません。
「問い」があれば領域を横断して繋がれる
一方でWhyを同じくする人たちが集まるコミュニティには、様々な領域から人が集まってきます。かつて属していたそんなコミュニティは、どれも刺激的でした。
そういったコミュニティでの出会いが仕事に繋がると、これもまた楽しいものになります。 業界や専門性を超えて同じ「問い」に向き合うとき、化学反応が最も起きやすいのではないでしょうか。
♯035
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[前篇]
生きること。それは詩を紡ぐこと。 その人の詩に触れたいと思うのが恋ならば、 共に一遍の詩を紡いでいきたいと願うのが愛なのだろうか。
だとすると、恋は、相手との別れでは終わらない。 むしろ別れがあったからこそ恋に気づくこともある。相手を思い続けている間は恋は紛れもなく存在する。
向けるべき相手はもうおらず、現在地がどこなのかもわからない。 そうしてどこにも行けなかった残骸。 なるほど、恋を失うから、「失恋」なのね。
♯034
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6種の報酬
1.喜び:精神的報酬 仕事そのものが楽しい。仕事ができる事自体が報酬という、自己目的的な行為としての仕事。趣味的。
2.学び(技能的報酬) 仕事を通じて自分の成長を実感できることが報酬。また、身につけたスキル・ノウハウもこの「学び」という報酬に含める。
3.稼ぎ(金銭的報酬) 一般的な意味での報酬。価値提供に対する正当なリターン。この報酬額を上げていくというゲームが好きな人も一定いる様子。
4.貢献(役に立った実感が報酬) 誰かの役に立つことが報酬。「感謝される」ことが必要な人もいれば、感謝されなくても「貢献した」という実感が報酬となる人もいる。
5.信頼(評判とその後の機会につながる報酬) 一緒に仕事をしたり、価値を提供した相手からの信頼が報酬。この報酬が貯まると「評判」となり、新たな機会や人とのつながりをもたらす。
6.自己理解(将来のよりよい選択を可能にする報酬) 仕事を通じて自分のことを理解すれば、あらゆる選択肢の中から自分の価値観やビジョンにマッチするものを選択することができる。
ーhttps://medium.com/@yusukekuroda
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1:撮るときは、相手に恋をすること
いい写真を撮るいちばんのエネルギーは、愛情!
どんな相手でもすてきに撮ろうと思うなら、その人の人生に共感したり、異性なら一瞬の恋をする。同性なら、憧れを抱く。そんな風に、相手のことを好きになって、撮ることがとても大切なことです。
2:被写体を画面の中心から、ずらす
ど真ん中に被写体がくるように撮りがちですが、それをちょっとずらしてみる。これも大事なポイントです。右へ、左へ、上へ、下へ、その場の状況を見ながら、ちょっとずらしてみるだけで、写真に雰囲気が生まれます。
3:背景は見通しのいいところを
バックに壁面がくるよりも、奥行きのあるところで撮るように心がけてみてください。たとえば道や通り、広い場所など。奥行きがあることで写真の空気感が変わってきます。構図的にきれいになるし、見る人にも気持ちのいい写真になるんです。
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【VSCO Recipe】
・Kodak Ultra Max 400・Kodak Ultra Max 400+・Kodak Ultra Max 400++
それぞれで何が違うのかーっていうのは使ってみるとわかりますが白い幕?のようなもの���量が違います。どこかブリーチバイパスっぽくもあるこの白い幕はハイライトを滑らかにするため非常に重要です。しかし影の部分では逆にわざとらしくもあるため写真によって使い分けているというわけです。
フィルムっぽさも明るさを調整することで緩和します。400+は少しだけ白い幕がありますが400はまったくなく濃厚な色味が出るプリセットです。ただ、やっぱりあったほうが色味は魅力的だと感じます
++までになると全体的に暗く、色味も渋くなります。なので調整もある程度必要なので慣れるまで時間がかかりました。バランスでみると400+が一番安定しているという印象があります
ハッキリとした話、+が増えるごとに自然さも薄くなっていきます。
プリセットを使うといっても自然さは大事というなら400や400+をオススメします
私が今使っているこれらは一番最初の状態からかなりいじって使っています。全部の数値を言うのはちょっとあれなので参考程度に書きます。
初期状態は青っぽいので個別に青の彩度を下げる、またはカメラキャリブレーションの青色に関するパラメータを下げる (私は-40~-45)
明瞭度を-5~-8の範囲にして滑らかに
写真によってシャープとノイズ除去のバランスをとる (例 : シャープ30 ノイズ除去15~20)
粒子の適用量をゼロへ
明るい部分と暗い部分の差が激しいと目に痛いのでその両者の差を少なくるために(明暗を)フラット���する
基本は露出度で調整してそこからシャドーや黒レベル、ハイライトを調整
その他好みの色味があれば各色相をいじる
まだまだ完全ではないですが大体はこんな感じです
元の表現とは別物になってしまっていますがそれはもう好みなので仕方ない。このUltra Max400は青みが出るプリセットなのでそこをどうするかが鍵だと思います
色をいじる際に感じたのが、赤・青・緑の三色を中心にしていじってみることが大切ということ。この三色を良く調整できれば他も何となく良くなっていくなという印象でしたので最初はこの三色から考えてみると良いでしょう
ーhttp://www.photograpark.net/entry/2018/01/29/080000
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