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薫風が吹けば
「サクラなんて嫌いだ……」
青年は竹箒の柄に顎を乗せ、新緑と青空に深いため息をついた。
うららかな春は終わりを迎え、次第に近付く夏の影が緑と共に濃くなっていく。いずれ梅雨がやってくることすらも霞むような、見事な“五月晴れ”の朝。
青年は広がる葉桜の並木の下、アスファルトの路面にいくつも転がるサクラの果実を掃き捨てていた。竹箒がアスファルトを擦る音はまるで、寄せては返す波のようだ。
しかしその甲斐もむなしく、一陣の風が吹く度に黒く熟したサクラの果実が新たに降りそそぐ。爽やかな雰囲気とは裏腹に、風が吹く度に彼の顔が青くなった。
「風が吹くたびにこれじゃ、本当にキリが無い!」
「お仕事ですから、頑張りましょう。私もお手伝いします」
口を尖らせながら腕を動かす彼の足元で、くたびれたスニーカーに手をついたのは青いD-phone。アウトドアでの活動に特化した「クロム」タイプだ。彼はクロムを蹴り飛ばさないように気を配りながら、終わらない労働から気を紛らわせるように話しかけた。
「春の花はどんどん散るし、雨が降ったら道路に貼りついて取れなくなるし……」
「あれは大変でしたねぇ。バーニアに花びらが、詰まっ、ちゃっ、て!」
「秋は落ち葉なんだよなぁ。少しずつ落ちるから、掃き掃除も長く続けないといけないし……」
「まあ、でも、どんな木を植えたって管理は必要ですよっ、と」
「なぁ、さっきから何してるの?」
不自然に言葉を詰まらせる足元のクロムを訝しみ、青年は手を止め腰を落とす。彼女の手にはダウンロード(再物質化)したはずの古めかしい竹箒ではなく、ダークグレーの棒が握られている。いつの間に持ち替えたのだろうか。
「それ、付属のスタンドじゃない?竹箒のデータは?」
「……あはは、こっちの方がやりやすいので」
悪びれもせずクロムは転路上に転がる果実へ向かい、まるでゴルフクラブのようにスタンドを振るった。黒い球がポコンと音を立て、数回バウンドして草むらに消える。
「あ、OB」
「そんな言葉、教えたっけ?」
ただの細い私道であるこの道も、手のひらに乗るほどの大きさしかないD-phoneにしてみれば、広大な“コース”なのだろう。側溝はバンカーのように大きな口を開け、アスファルトの隙間に盛り上がったコケや背の低い雑草はさしずめラフであろうか。身をかがめてクロムと近い目線になった青年は、思いがけない発見に顔を綻ばせた。
「なんか、ジオラマみたいで面白いな」
「楽しんだもの勝ちですよ。特に仕事なんかは」
青い風が吹き、またサクラの果実が降りそそぐ。アスファルトの上、草むらの中。パラパラと音を立てながら落ちるそれは、まるで拍手のようにも聞こえた。ささやかながら、サクラからのねぎらいだろうか。二人は顔を見合わせ、小さく視線を交わして微笑んだ。
「……でも、ルールなんて知ってた?」
「いや、ルールデータをダウンロードしようとしたら妙に重くて開けなかったので、遠くに飛ばせたら勝ちということにしました」
文字通りの一人相撲ですが、と呟いたクロムはスタンドクラブを握り直し、1打を放つ。青年と彼女は固唾を呑んでサクラの果実の行く末を見守った。当の果実は2人の目線などつゆ知らず、かさりとささやかな葉擦れの音を残し、再び草むらの中へ消えた。
「やった、新記録!」
「おお、凄いな。……でもさ、こうしたらもっと飛ぶんじゃない?」
「えっ、何かあるんですか!?」
クロムは興奮も醒めやらぬまま、目を光らせながら青年を見上げる。 彼は足元に転がる果実を1つつまみ上げ、左手の手のひらに乗せる。右手は横に倒したOKを模したハンドサイン。まるで射手のように構えた両手を顔の前へと掲げ、片目をつぶり狙いを定める。風に揺れるサクラのこずえさえも、今だけは息を潜めたような気がした。
「よく見とけよ。それっ」
「わっ」
それはさながら攻城兵器。ぽかんと口を開けているクロムを横目に、文字通り目にも留まらぬ速さで果実が弾き飛ばされた。道を飛び越え垣根を抜け、クロムのフルスイング記録を軽々と飛び越す。ついには青年さえもどこへ飛んでいったのか見失ってしまった。
勝利を確信して得意気にクロムへ向き直った彼の目に映ったのは、不満と大きく顔に書かれたむくれっ面のクロム。先ほどまで意気揚々と振り回していたクラブ代わりのスタンドにもたれかかり、いかにも不服そうに青年から目を逸らす。やってしまったと気まずげに髪を掻く青年の頭に、サクラの実が1つ落ちた。
「やっぱり、サクラなんて嫌いだ……」
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ユウマズメ
――“現代”から、ちょっと先の未来……
かつての人間にとって、未来という言葉は“輝かしいもの”と同義であった。 しかし、人々が思い描いていた訪れるべき未来の情景は、文字通りの絵空事でしかなかった。
幾多の月日が流れようとも、人々は変わらず春の芽吹きを愛で、夏の潮風に涼を求め、秋の切なさに酔いしれ、冬の寒さに肩を寄せあっていた。 数百年、数千年と変わらずに紡がれてきた日常は、これからもきっと、大して変わらないだろう。
だが、人間は緩やかに、そして確かに歩み続けていた。紡がれてゆく日常を、より満たされたものにするために。
人の隣で笑い、泣き、怒り、共に歩む、人ならざる隣人。掌の上の携帯秘書とも言うべき、人工知能を搭載した超小型人型モバイル、『A.I.Doll-phone』。人類の隣に、新たな足跡が刻まれた。
どこからか、夕暮れを知らせるチャイムが聴こえてきた。多方向へ向けられたスピーカーから、時間差で発せられたセピア色のメロディーが輪唱のように街へ響く。
雲間に沈みゆく太陽さえも、どこか家路を急いでいるかのように感じられた。淡い紫色に色付いた空を支えるように伸びた柱の先で、3色の信号機が痛いほど鮮やかな燐光を放つ。アンバランスな光芒の中で、街を行く人々は無意識の内に歩を速める。
そんな人々を尻目に、一人の青年が街中にかかる橋の上から流れる川を見下ろしていた。小さな名も無き橋が架かっているのはコンクリートで両岸を押さえつけられた哀れな小川だった。だが、申し訳程度に残った両岸には貧相なススキのようなツルヨシがしたたかに群落を成し、かつてこの川が渓流だった頃を忍ばせていた。
「おお、沢山いるなぁ……」
川のせせらぎに掻き消されてしまいそうな、他愛のない独り言。確かによくよく目を凝らしてみると、ゆったりと流れる水面下で流線型の影が幾つも揺らめいている。
時はまさに“夕まずめ”。川面は光を灯した街灯を反射しさながら地上の天の川だ。数匹のアブラコウモリが翼を千切れんばかりに羽ばたかせながら橋の上を飛び回っている。おそらく、羽化したユスリカやカゲロウを狙っているのだろう。案の定、ひとつの魚影が小さな獲物を求めて水上へと踊り出た。弾けて散る水滴を見下ろしながら、彼は小さく感嘆の声を上げた。
「……**も見える? もっと前に出ようか」
突然発せられた問いかけには、もちろん返事は無い。その代わり、青年の肩から小さな影が顔を出した。水晶のように透き通った銀髪を揺らしながら現れたのは、『クロム』シリーズのD-phoneだ。彼女は彼の肩から首を伸ばし、眼下の大河を見遣った。
「へええ、あの影が魚なんですね。もっとよく見たいです」 「ん、解った。 ……まあ、ハヤだろうけど。何のハヤかな?」
青年は橋の欄干に寄り掛かり、水平に左腕を伸ばした。“彼女”は揺れる肩口から二の腕を伝い、(彼女にとっては)丸太の如き前腕へと歩を進めた。彼は微かな重みと姿勢制御ジャイロの揺らめきを感じながら、ゴンドラのように手のひらを丸めて相棒の為の座を作った。
彼はクロムが手のひらに座り込んだことを見届けると、ゆっくりと川面に向けて腕を降ろす。クロムは柵のように並んだ指から身を乗り出しつつ、フルフェイスヘルメットのデータをダウンロードし物質化した。いわゆる『グレイ』タイプに特有のアプリケーションだ。本来ならばメカニック同士の“試合”に使用されるものだが、彼女の好奇心と繊細な動体センサーは水面下の魚に向けられていた。
「あれが魚……」 「うーん、一応オイカワってことにしておこうか」 「オイカワ、覚えました。録画して、共有ドライブと“アーカイブ”に保存しておきます」
別のD-phoneが教えてくれるかもしれませんし、とクロムは続けた。眼下の魚影は泡立つ川波に揺らめきながら、ときおり翻って銀色の腹を晒す。その煌めきがクロムのカメラアイに映るたび、彼女から恍惚とした溜息が漏れる。
「釣りが出来れば、どんな魚か本物を見せてやれるんだけどなぁ。……うちに帰ったって、切り身や開きぐらいだろうし」
彼は手持無沙汰だった右腕を振り上げ、釣竿を振りかぶるジェスチャーを取った。クロムは親指にしがみ付きながら、今度はその一挙手一投足をじっと見つめていた。
「……釣竿、ダウンロードしましょうか?」 「かなり大きいぞ?それに、遊漁券も必要だし、エサも用意しないと……」
残念そうに溜息を吐く彼の真似をしながら、クロムも一緒に肩を落とした。いかに可能性に満ちたアプリケーションだといえども、“活きのいい”有機物を生成することは難しい。
「……また、釣堀にでも行こうか。川虫を使わなくても、ルアーとかの貸出があるだろうし」 「ルアーですか?」
クロムは上体を逸らし、青年を見上げる。
「まあ、エサの代わりよ。マスとかバスとか、魚を食う魚を釣るときに使う…のかな」
生きた魚なんて何匹も用意できないし、と締めた青年は左手を吊り上げ、クロムを右肩へと導く。彼女は小さな手のひらを彼の首筋に沿わせ肩へ飛び乗ると、ごそごそと座面を、すなわちジャケットの肩口を整え、まるで小鳥のように肩口へ座り込んだ。彼はこそばゆさと冷たい川風に小さく肩を竦め、橋を後にする。
見上げた空はすでに川面とよく似た紺色に染まっており、ビルのシルエットの合間で小さく金星が輝いていた。
「……ルアーってすごく大きいんですか? 魚が喰いつくぐらいですし」
クロムのヘッドマウントから投影されたホロ・ディスプレイで現在位置と時刻を確認しながら、彼女は質問を投げ掛けた。先程の邂逅がよほど印象深かったのだろう。
「まあ、魚によるかな…… 管理釣り場のマスとかなら、そこまで大きいのはいらないだろうし…… 《検索》しようか?」 「ダメです。歩行中ですよ」
彼はディスプレイの操作権を受け取ろうとしたが、クロムに呆気なく突っぱねられた。歩行中のD-phone操作は安全面から規制されている。仕方なく、彼はジェスチャーを交えながらクロムに説明を始めた。携帯端末としては本末転倒だが、彼はそれを『悪くない』と感じていた。
「まあ、ハリを入れて大体10センチぐらいかな…… 大きくても20、30センチのマスだろうし」
左手の親指と人差し指を尺取虫のように動かしながら、想像上のルアーの大きさを測る。開かれた二本の指の距離は奇しくもクロムの身長と同程度。このくらいかと呟き、青年は何気なく肩口に腰掛けているクロムへ指を押し当てた。ランウェイのように並んだ街灯の下を通るたび、クロムの表情がだんだんと険しくなっていたことに彼は気が付かなかった。
「……大きさ、私と同じくらいなんですね」 「多分ね。マス釣りなら、金属製のスプーンとか、ミノーは樹脂、かな? うろ覚えだけど」 「はぁ……」
クロムはぶるりと体を震わせ、居心地が悪そうに一人で肩を抱く。それは搭載された高度なAIの為せる技だろうか。本来ならば、“金属”と“樹脂”で形作られたD-phoneの体は寒気を感じることもないはずだ。
「水の中で動き回るとキラキラ光ったり、弱った魚みたいに動いて『食欲をそそる』……らしい」 「……やっぱり、釣りに行くのは今度にしませんか?」
苦々しい顔をしながらクロムが呟く。青年は何かを察したように笑うと、手のひらを右肩へ差し出す。クロムは怪訝な顔をしながらも、開かれた主人の手に飛び乗った。
一度は陽の光と共に鳴りを潜めた町の喧騒が、闇が深くなるにつれネオンとともに再び活気を取り戻す。街へ繰り出す人々の周りには、それぞれのパートナー、D-phoneたちが発する蛍火のような光が瞬いていた。そして、その輝きのひとつひとつにかけがえのない物語があるのだ。
「**を釣り餌になんかしやしないよ。 ……ルアーが嫌なら、アユの友釣りでも……」 「……わかって言ってますね?」
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