Text
三省堂のPR誌『三省堂タイムス』『THE ECHO』『エコー』
about
三省堂のPR誌『三省堂タイムス』『THE ECHO』『エコー』の変遷と発刊状況がなんとなく把握できてきたのでメモ。
『三省堂タイムス』
大正10年3月1日創刊と思われる。
大正10年7月11日発行 14号と大正10年12月11日発行 21号を確認。二つ折り4Pのパンフレット。(A4判だったと思うがすでに手放してしまったので曖昧)「毎月1,11,21日発行」と記載。毎月3号とすると創刊から14号は計算が合うが、14~21号、21~278号の間の発行数がそれぞれ少し足りないので、どこかに休刊がある。
昭和5年4月25日 278号を確認。引き続き4Pパンフレット。おそらくこの頃は毎月5,15,25発刊だったと推測。
昨夏来休刊中の「三省堂タイムス」を「カレッヂトリビューン」と改名して、来��六月一日から発刊する 『図書週報』第49号(昭和6年5月11日) ( http://twitter.com/foolbookish/status/1507382599765094400 より引用 )
…とのことなので、昭和5年8月頃の290号前後でいったん休刊したものと思われる。この6月から予定していた「カレッヂトリビューン」という雑誌が実際は『THE ECHO』になったようだ。
『三省堂タイムス』はごくごく一部しか確認していないが、全体を通して内容はまあいわゆる書店の雑報パンフレットで、基本的には記名記事・文芸記事はないか、あっても少なかったものと思われる。
『THE ECHO』
昭和6年7月1日 1号から毎月1,15日発行で、少なくとも11月1日の11号まで確認。おそらくこの年の12月頃までに廃刊になったと思われる。A3版4P。記名文芸記事の充実したスタイルがここから始まった。また実質長田恒雄の編集になったのもここからだと思われる。
CiNiiで『THE ECHO』を探すと『エコー』に紐づいてしまっていて、本来の『THE ECHO』に辿り着けない。これは直した方がいいんじゃないだろうか。駒場の近文に一部所蔵あり。
『エコー』
『THE ECHO』が昭和6年末頃に廃刊になり、その後継として昭和7年初め頃から『エコー』になったと思われる。この際なぜか『THE ECHO』の号数を引き継がず『三省堂タイムス』の号数を引き継いだ。
昭和9年4月の321号までは四六判、昭和9年5月の322号から菊判となった。昭和11年12月の休刊を除いて、少なくとも昭和15年9月397号までは発刊を確認。
文芸記事が豊富なスタイルは『THE ECHO』と同様。実質の編集者はおそらく廃刊まで長田恒雄で、その関係でほぼ毎号に小栗雋一郎(北園克衛)の執筆があるほか、文人の寄稿多数でなかなか重要な雑誌。比較的まとまった図書館所蔵は駒場の近文、神奈川の近文、多摩美の北園克衛文庫あたりがあるものの、残念ながら全部合わせても半分くらい。
0 notes
Text
山田一彦メモ
※追加情報ありましたら [email protected] または @moonymoonman までご一報いただけると助かります。
※この投稿はモバイルブラウザで見るとテーブルレイアウトが崩れるかもしれません。その場合はPCブラウザで表示してください。
※更新履歴
2019/8/8 新規作成
2019/8/24 『新文學研究』追加
2021/12/30 『麥』の朝山洋太郎名義追記
2022/2/23 『木車』2号の「短評」記載漏れ追加
192706-- 木車 第一號 ? 19270701 木車 第二號 螺旋体 ★ 六月同人雜誌創作短評 木車 第三號 ? 木車 第四號 ? 19271105 木車 第五號 立體圖 ★19271201 薔薇魔術學説 第1年第2號 海たち ★ 19280101 薔薇魔術學説 第2年第1號 無限の弓 19280201 薔薇魔術學説 第2年第2號 惡魔の影 拉典性民族 第2號 ? 19280715 拉典性民族 第3號 Ètude 拉典性民族 第4號 ? 拉典性民族 第5號 ? 19281101 衣裳の太陽 NO 1 寛大の喜劇 19281201 花卉幻想 第二年第七號 MADEMOISELLE TARQUIE ★ 19281201 衣裳の太陽 NO 2 二重の白痴 CINEMATOGRAPHE BLEU PHONO DE CIRQUE 19290101 衣裳の太陽 NO 3 花占ひ Mon cinematographe bleu 19290105 花卉幻想 第八號 胸像の假面 ★ 19290201 衣裳の太陽 NO 4 天國への通路 ★ 19290401 衣裳の太陽 NO 5 Poesie d'OBJET d'OBJET 桃色の湖の紙幣 19290701 衣裳の太陽 NO 6 UNE VOIX ETERNELLE 19300101 LE SURRÉALISME INTERNATIONAL 1 RÉVOLUTINS あるひは轉形期感想 19301205 ギロチン 第四輯 上田保君にまた瀧口修造君に 19310125 新文學研究 創刊號 詩に対する態度 北園克衛 "L'EVOLUTION SURREALISTE" 19410130 麥 7号 薔薇・散るまで咲いて居る 朝山洋太郎名義 194105-- 麥 11号 蝕まれても實るべし 第二章 朝山洋太郎名義 19410630 麥 12号 一年を顧る 朝山洋太郎名義 蝕まれても實るべし 第三章 朝山洋太郎名義 19410830 麥 13号 樹々の風 朝山洋太郎名義 19411025 麥 14号 巴旦杏の種は一つ 朝山洋太郎名義
0 notes
Text
星村銀一郎メモ
※追加情報ありましたら [email protected] または @moonymoonman までご一報いただけると助かります。
※この投稿はモバイルブラウザで見るとテーブルレイアウトが崩れるかもしれません。その場合はPCブラウザで表示してください。
※更新履歴
2019/8/7 新規
2020/9/2 『詩美學』の記述誤りを訂正
2020/10/10 『人間群』の詳細訂正
2022/1/5 『手風琴』追加
19260501 人間群 第一卷第五號 朧ろ月 詩 幌馬車 詩 1927---- 道化詩人 ? ? 19270301 詩集「月の落ちる港」 上梓に際して 序詩 詩 約束 詩 坂 詩 綠い帽子 詩 潮風にはらむ九月の窓と風景 詩 冬 詩 構圖 詩 音樂會 詩 痩秋 詩 出帆 詩 朝 詩 夏 詩 春の海港風景 詩 曇日 詩 お君さんと道頓堀と毛唐人 詩 後記 19270605 藝苑詩報 第三號 『感情原型質』其他 エッセイ 1927---- 市街鐵道 1號 ? 19270715 美爪術師 第一輯 未亡人と芥子 詩 からたちの垣根と少女 詩 最近の同人詩誌から エッセイ 19270825 市街鐵道 2号 月と風琴 詩 少年の惡戯 詩 殘月 詩 19271115 日輪草 第二輯 洋舘・夜 詩 19280101 三叉路 創刊號 兄妹 詩 1928---- 京都文藝 ? ? 1928---- 神戸詩人 ? ? 1928---- 道頓堀詩人 ? ? 1928---- 詩火線 ? ? 19280401 全詩人聯合 創刊號 たんぽゝ 詩 19280415 ゴルデンバット族 第一輯 惡童詩篇・構圖 (海軍士官未亡人/赤踵未亡人と三つちやん) 詩 一輪の薔薇に向つて 小説 19280501 拉典性民族 第一號 魔酔藥の懶惰 詩 緑の魔術師 詩 勇敢なる時刻 詩 緑の朝餐 詩 19280510 果樹園 第21號 炎 詩 192806-- 拉典性民族 第二號 ? 19280715 拉典性民族 第三號 POÈMES 詩 Dècalques 詩 192808-- 拉典性民族 第四號 ? 192809-- 拉典性民族 第五號 ? 19281101 青い柱暦 第一年第一輯 青い柱暦の一頁 エッセイ 雜記 (「拉典性民族」のこと/拙詩集「月と風琴」のこと) エッセイ 褪秋 詩 後記 エッセイ 19290301 藝術派 第一卷第一號 CONTE 小説 19290401 詩美學 32号 JEU 詩 Instantanee Anneau 詩 19290501 詩集「月と風琴」 春 詩 六月 詩 のくちゆるぬ 詩 殘月 詩 褪秋 詩 春は少女に戀をおしへた 詩 月と風琴 詩 曇日 詩 蜂と少女 詩 色眼鏡と街 詩 月の横笛 詩 からたちの垣根と少女 詩 未亡人と芥子 詩 惡童詩篇 詩 惡童詩篇 詩 19290801 關西文藝 第五卷第八號 PARE SSEUX MERITE (怠惰な偉勲) 詩 19291220 手風琴 創刊號 智慧の浴場 詩 19300101 關西文藝 第六卷第一號 海の園丁 詩 19300201 關西文藝 第六卷第二號 水夫とマルセイユの太陽 詩 19300401 關西文藝 第六卷第四號 ORAISON IN CONNUE (未知の祈禱) 詩 19310401 詩使徒 13号 酒液の浴場 詩 19310610 あしはら詩話會 舘高重追悼號 追悼記 エッセイ 19480701 詩使徒 第二號 リアルの草花 19480820 詩文化 第三號 愛の歌 詩
謝辞
「三叉路」… レタス様、ありがとうございます
「手風琴」… 季村様、ありがとうございます
0 notes
Photo







“Redemption” cassette tape / David Sylvian and Robert Fripp / P3 art and environment / 1994
1994年、四谷のアートスペースP3で開催された David Sylvian と Robert Fripp による展示 ”Redemption" の会場でのみ販売されたカセットテープ。価格は1500円だったと記憶しています。内容は音声コラージュによる実験的なサウンドポエトリー。David Sylvia の公式ページでストリーミン���で聞くことができます。パンフレットはカセットとは別に会場で配られていたもので、音源の歌詞と対訳が載っています。展示の内容は簡単には説明できませんが、神秘主義っぽいオブジェやコンポジションなど。薄暗い展示室がレーザーで照らされていたのを憶えています。会場内ではカセットの音源とは別の環境音楽っぽい音が流れていました。
【追記】(2016/11/28)
この音源はCDリリースされている同タイトルの “Redemption” とは全く異なる音源。CDリリースされているのは会場でBGMとして流されていたもの。カセットの音源はロバートフリップの詩の朗読をコラージュした実験音源。ストリーミングできるのはここ → http://www.davidsylvian.net/releases/regulars/78-cassettes/1274-redemption-approaching-silence-.html の Tracklist の部分(公式ページではなかった)。ここに会場の様子が少しだけ残っていた → http://www.p3.org/ENG/data/t/6/1/7/4/index.html
2 notes
·
View notes
Text
飛鳥融は北園克衛の筆名ではないか?問題
「飛鳥融」と署名するモダニズム詩人がいる。以前、飛鳥融は実は北園克衛の別のペンネームじゃないかと考えていた時期があった。最近は (下記最後のトピックから) やっぱり別人なのかもしれないと思いつつある。結論は出ていないが。
(1) 飛鳥融は北園克衛の関係先にしか出没しない問題
今のところ把握している飛鳥融の書誌は下記のとおり
1929/04『海の晩餐』第二集「L'OMBRE」 1930/08『白紙』10号「La Comedia」「L'espoir a la mer」 1930/12『越佐詩歌集』「La Comedia」 1931/03『L'esprit Nouveau』2巻1号「TEMPS」 1931/04『白紙』13号「イルブリマベイラ」 1931/05『新形式』2号「青の水翳」 1931/06『新形式』3号「春の口笛」 1931/07『白紙』14号「五月のボヤジ」 1931~1933『今日の文学』(明細未整理) 1932/05『マダムブランシュ』1号「Pelerin」 1933/01『マダムブランシュ』4号「Etudes fleurs」 1933/02『マダムブランシュ』5号「贈物に添へて」 1933/04『マダムブランシュ』6号「エロイーズヘ」 1933/07『マダムブランシュ』8号「歯朶の森」「話された秘密」「花言葉」
◆ 北園だよ派「ほらね、作風もその時々の北園にそっくりだし」 ◇ 別人だよ派「たまたまだよ、この時代はみんな似てるし、他が未発見なだけだよ」
(2) 同一作品で飛鳥名義と北園名義がある問題
1930/08『白紙』10号に掲載の「L'espoir a la mer」は飛鳥名義だが、 1930/12『越佐詩歌集』に掲載の同一作品は北園名義になっている。
◆ 北園だよ派「ほら、決定的だよ」 ◇ 別人だよ派「『越佐詩歌集』では北園と飛鳥のページは連続しているから、ただの編集ミスだよ」
(3) 「岩本修蔵氏覺帖」問題
『文芸汎論』5巻10号(昭和10年10月) 北園克衛「岩本修蔵氏覺帖」に次の記述がある。
僕はその頃、帝大のあるグルウプと文化學院のあるサアクルを友人に持つてゐた。この友人の中には飛鳥融や掘清も居た。また増田渉や井上廣雄や高見順や松田壽衛男が居た。僕たちは「海の晩餐」と言ふ全アアト四六倍版の豪著な詩の雜誌を出してゐた。佐藤寅雄や花島克巳などもこの同人雜誌に寄稿したり意見を述べたりした。然しこの雜誌は結局間もなく廢刊した。費用がかゝりすぎたからである。
◇ 別人だよ派「ほらね」 ◆ 北園だよ派「別人格を作りたかったんだよ、お得意のミスティフィカシオンだ、信用しちゃダメだ」
(4) Yu Asuka問題
昭和10年代のアメリカの某英文詩誌に北園克衛が『VOU』を紹介した文章の中で、日本の代表的詩人の一人として「Yu Asuka」を紹介している。
◇ 別人だよ派「ほらね」 ◆ 北園だよ派「そもそも『VOU』の紹介で『VOU』に参加してない飛鳥融なる人物を紹介する方が不自然だよ、これもミスティフィカシオン、信用しちゃダメだね」
(5) 平井功『爐邊子残稾』の献辞問題
平井功『爐邊子残稾』所収の「死児に」(ロバアト・ブリッヂス)という訳詩に次のような献辞が添えられている。
「この拙訳を先つ頃愛児を喪ひ給へる飛鳥融氏に胎る」
「死児に」の初出は「現代詩講座 第八巻 現代世界詩華選」(昭和5年5月)である。
◇ 別人だよ派「これはどう説明する?平井功と北園の関係は不自然だし、この時期「愛児を喪ふ」もやはり不自然だね」 ◆ 北園だよ派「奇妙だね」
飛鳥融について何か情報がある方はぜひご教授ください
※2016/5/19追記:平井功の専門家、扉野良人さんより。ありがとうございました!!
(6) 『游牧記』問題
平井功の編集による雑誌『游牧記』の購読者欄に「飛鳥融」の名前がある。
◇ 別人だよ派「ほらね、平井と北園を友人に持つ誰かだよ」 ◆ 北園だよ派「つまらない結論だね」
2018/11/3 追記。
(7) 飛鳥融は『海の晩餐』編集発行人の神鳥眞弥
結論。飛鳥融は『海の晩餐』編集発行人の神鳥眞弥だった。
0 notes
Photo




既に一ヶ月以上前に刊行の運びとなりましたが、IDEA No.364/『アイデア』364号 特集「清原悦志・北園克衛」にて、北園克衛の戦前詩誌のパートを担当させていただきました。素人には実に荷が重い仕事でしたが、多くの方の助力を賜り、どうにか形にすることができました。この場をお借りして御礼申し上げます。「カバンの中の月夜」および「北園克衛・橋本平八展図録」に続く北園克衛のヴィジュアルワークの記録に仕上がったのではないかと思います。遅ればせながら、撮影風景などを交えて、このエントリーを記念として上げておきます。
3 notes
·
View notes
Text
尾形亀之助拾遺集「かなしい月」刊行ノート (Web Ver.)
¶ 経緯
2013年7月、たまたま尾形亀之助の執筆がある詩誌・文芸誌を一括で入手する機会があった。かなり珍しい地方誌も多かったため、尾形については門外漢であったが、全集に当たって初出を整理してみることにした。その結果、書誌未記載または作品未収録と思われるものが多数あったため、本作品集を制作することを思いついた。入手した雑誌類の他に、各種資料から全集未収録と思われる作品を列挙し、図書館所蔵で確認できるものは確認した。調査した内容、取捨選択した作品、原本が確認できないために収録を見送った作品、などの詳細については前回の記事 http://moonymoonman.tumblr.com/post/54903936270 を参照いただきたい。ともかく調査開始から入力校了まで1週間というラフワークである。未確認の資料も多数あったが、深追いはしないことにした。どなたか熱意のある方が続きをやっていただければと思う。
¶ 編集方針
「尾形亀之助全集 (増補改訂版)」(1999年、思潮社) に未掲載の作品のみを収録した。書誌未記載であっても、作品が収録されている場合は除外した。また、全集刊行後に雑誌『九大日文』『唯一者』に全集未掲載作品が取り上げられているが、これらも収録しないこととした。ただし、尾形亀之助については詳しくないため、他に同様の資料があることを見落としているかもしれない。もしも内容が重複する資料があった場合はご容赦願いたい。 原本ママの正字正かな表記で入力した。ただし同一の字体がない文字については新字で置き換えた。明らかな誤植と思われるものについては特に断りなく訂正している部分がある。あくまで作品を再録することを念頭に置いているので、学術的?な正確さや厳密さは多少犠牲にしているかもしれない。(が、それでよいと思っている)
¶ 内容
最終的に収録したのは下記18篇。(★第2版では17篇 → 追記1参照)
(表紙デザイン) 『北方詩人』第二巻第四號 (昭和3年4月) ■白い手 (詩) 『三越』 第16巻第2號 (大正15年2月) ★第2版では削除 → 追記1参照 ■窓 (詩) 『文藝の国』第一巻第三號 (昭和2年5月) ■接吻 (詩) 『果樹園』第十六輯 (昭和2年9月) ■冬の街 (詩) 『民謡詩人』第二巻第二號 (昭和3年2月) ■かなしい月 (小説) 『無花果』第十一輯 (昭和2年11月) ■憐れな夏 (小説) 『果樹園』第十七輯 (昭和2年10月) ■夢 (小説) 『カメレオン』第二號 (昭和3年3月) ■マヴォ 『朝日新聞』大正12年8月15・16日 ■又、一月の誓 『新使命』第二號 (昭和2年2月) ■(受信抄) 『果樹園』第十四輯 (昭和2年7月) ■部屋 『無花果』第十輯 (昭和2年10月) ■中西章介君へ 『無花果』第十一輯 (昭和2年11月) ■部屋 『無花果』第十一輯 (昭和2年11月) ■素晴しき哉人生 『民謡詩人』第二巻第二號 (昭和3年2月) ■「白壁」に就いて 『南方詩人』昭和5年1月號 ■花嫁ケイ・フランシス 『若草』第八巻第七號 (昭和7年7月) ■仙臺 ― 在郷詩人之圖 『人物評論』第一年第七號 (昭和8年9月) ★全文収録できておらず → 追記4参照 ■(岡本彌太詩集「瀧」批評) 『鬣』終刊號 (昭和8年11月)
私家版として限定100部を制作、頒価は1000円と設定した。 ★追記(2014/5/22):初刷り分が販売開始から3日で品切れとなったため、第2版100部を増刷します。
¶ 販売について
盛林堂書房さんにお願いすることにしたので、一般の購入は盛林堂書房さんから出される案内を参照していただきたい。今のところ2014年5月17日(土)頃には手配できるよう準備を進めている。 http://d.hatena.ne.jp/seirindou_syobou/ https://twitter.com/seirindou
ごく少部数であるため、将来的に入手しづらい冊子になるかもしれない。その場合の増刷は今のところ予定していないが、絶対にしないというわけでもないし、あるいは電子媒体(PDF)の形式で追加販売するかもしれない。このあたりは要望が多ければ柔軟に対応したいと考えているので、投機的な購入は控えていただきたい。
★追記1(2014/5/12):「白い手」は「色ガラスの街」所収で当然全集にも入っている。最終稿では削除していたつもりが、古い原稿が間違って混入し印刷してしまった。本来除外すべきもの。お詫びして訂正します。
★追記2(2014/5/22):第2版100部増刷しました。第3版以降は今のところ予定していませんが、状況次第です。
★追記3(2015/3/26):国会図書館、日本近代文学館、神奈川県立近代文学館には寄贈済みです(配架時期は分かりません)。
★追記4(2015/3/26) 「仙臺 ― 在郷詩人之圖」については編集ミスにより全文が収録できていない問題が発覚いたしました。大変申し訳ありません。『九大日文』20号に全文の収録がありますので併せてご覧下さい。→ http://scs.kyushu-u.ac.jp/~th/nitibun/kyudainitibun/kyudainitibun.htm
★追記5(2015/3/26):販売委託先の盛林堂さんでは既に完売となっているようです。当方の手元に保存用に残しておいた若干部数があります。もしご入用の方は [email protected] までご連絡ください。数に限りがございますので、品切れの際は御容赦ください。
3 notes
·
View notes
Text
尾形亀之助の重箱の隅をつついてみた
田中啓介に続いて脱線作業。
最近まとまって入手した某資料の中に尾形亀之助の執筆雑誌がいくつかあった。あまり見かけない雑誌が多かったので、尾形亀之助全集の重箱の隅をつついてみた。
尾形亀之助は専門外で、全集の後にどのくらい拾われているのか分からなかったので、少しだけWeb上をリサーチしてみたところ、『九大日文』という紀要にいくつかまとめられているのを見つけた。
http://scs.kyushu-u.ac.jp/~th/nitibun/kyudainitibun/kyudainitibun.htm
また、『唯一者』12号(2012年5月)にもいくつか未収録作が掲載されているとのことであった。
http://editor.bungak.com/2012/06/7-4.html
これらを除外して、下記が全集に書誌未記載と思われるリスト、そのうち★マークがテキストも未収録と思われるもの。
1920/09 『文章世界』(短歌) (※未確認→見当たらず)
1923/08/15・16『朝日新聞 』「マヴォ」 ★
1926/02 『三越』第十六巻第二號「白い手」(詩) → 「色ガラスの街」所収
1926/10 『文芸道』「夏になる」(※現代日本文学大年表による、見当たらず)
1926/12 『亜』24號「寝床にゐる詩」(詩) →「唯一者」所収
1926/12 『亜』24號「秋」(詩) →「唯一者」所収
1927/02 『新使命』第二號(第四輯)「又、一月の誓」 ★
1927/03 『太平洋詩人』第二巻第三號「日本英傑伝抄と野村君」 →「唯一者」所収
1927/04 『太平洋詩人』第二巻第四號「三月」(詩) →「唯一者」所収
1927/05 『文芸の国』第一巻第三號「かなしめる五月」(詩) →「雨になる朝」所収
1927/05 『文芸の国』第一巻第三號「窓」(詩) ★
1927/07 『果樹園』第十四輯「(受信抄)」 ★
1927/09 『果樹園』第十六輯「接吻」(詩) ★
1927/10 『果樹園』第十七輯「憐れな夏」(小説) ★
1927/10 『無花果』第十輯「部屋」(評論) ★
1927/11 『無花果』第十一輯「かなしい月」(詩) ★
1927/11 『無花果』第十一輯「中西章介君へ」(評論) ★
1927/11 『無花果』第十一輯「部屋」(評論) ★
1927/12 『ローマ字文藝』 「眼の中の夏」 (※未確認)
1928/01 『無花樹』第一號「原の端の路」(詩) →「雨になる朝」所収
1928/01 『果樹園』第十八輯「秋日」(詩) →「雨になる朝」所収
1928/01 『日輪草』3號「雨になる朝」(詩) →「雨になる朝」所収
1928/02 『民謡詩人』第二巻第二號「花」(詩) →「雨になる朝」所収
1928/02 『民謡詩人』第二巻第二號「冬の街」(詩) →「雨になる朝」の「十一月の街」に改訂 ★
1928/02 『民謡詩人』第二巻第二號「素晴しき哉人生」(随筆) ★
1928/03 『カメレオン』第二號「夢」(小説) ★
1928/04 『民謡詩人』第二巻第四號「早春夜雨」(詩) →「雨になる朝」の「雨が降る」に改題
1928/04 『民謡詩人』第二巻第四號「可笑しな春」(詩) →「雨になる朝」の「お笑しな春」に改題
1928/08 『令女界』7巻8號「海辺詩譜」(※未確認)
1929/02 『詩集』3巻2號「詩画集「航海」読後感」 (※未確認)
1929/04 『詩美学』32號「十二月」(詩) →「雨になる朝」所収
1929/08 『宣言』創刊號「わが待望する芸術」 (※未確認)
1930/03 『詩文学』1巻2號「中村漁波林」 →「九大日文」18号所収
1930/03 『詩文学』1巻2號 「標」(※未確認)
1930/03 『宣言』2巻3号 「「尖端」にお答へ申す」 (※未確認)
1930/08 『詩神』6巻8號「詩神第三回座談会」 →「九大日文」19号所収
1930/01 『南方詩人』「「白壁」に就いて - 平正夫詩集 - 手紙抄」 ★
1932/08 『若草』8巻8號「花嫁ケイ=フランシス」 ★
1933/09 『人物評論』第一年第七號「在郷詩人の図」(随筆) ★
1933/11 『鬣』終刊號 「(岡本弥太詩集「瀧」批評)」 ★
1934/12 『L'esprit Nouveau』第二冊「私信に代へる」 →「九大日文」18号/「唯一者」所収
もうあと数件心当たりがあるので後日調べて追加予定。で、せっかくなのでこれを小冊子にでも印刷してみようかと急に思い立った。 尾形亀之助は昭和2~3年を中心に恐ろしく多筆の時期がある。聞いたこともないような地方雑誌に多数執筆しており、この種の逸文はまだまだ大量に埋もれているだろう。キリがないので今回この件はあまり深追いする予定はない。あと数日簡単に調べられる範囲を調べて入稿してしまおうかと思っている。
情報提供いただける方は [email protected] までご一報ください。
【更新履歴】 * 2013/7/11 『若草』確認、『鬣』追加 * 2013/7/18 『果樹園』第十四輯追加
0 notes
Text
北園克衛の回想文が当てにならない話
せめて月に一本くらいは何かかかなきゃ、と思いつつもネタを仕込むのが面倒くさい。で、今回はちょっと古いものを引っ張り出してきた。今月はこれでお茶を濁す。ご容赦願いたい。
以下の文章は、今から約十年前に某雑誌に出した原稿の一部である。その雑誌は結局発刊されずに終わった。つまりお蔵入りということだ。そろそろ時効だろう。十年前という部分を割り引いてご笑覧頂きたい。
今回再びちょっとしたメモを書かせて頂けることになったので、この機会に以前から気になっていた問題をひとつ片づけることに決めた。それは若き日の北園克衛が大正期の文芸誌『文章倶楽部』に書いたと言われる詩作品の確認である。藤富保男氏は「評伝 北園克衛」にて「文章倶楽部の詩は見つからなかった」と書かれているが、現在ではありがたいことに『文章倶楽部』全冊の復刻が出ているので、この作業はあっという間に片付くはずであった。事実それは総目次を調べただけですぐに判明した。『文章倶楽部』に掲載された橋本健吉の詩は下記の通りであった。
第九年第一号(大正13年1月) 「月夜散歩」「流離非情」「童」
第九年第九号(大正13年9月) 「夜のメカニスト」
第十年第十一号(大正14年11月) 「電氣博士の思索」
第九年第一号所収の3篇は『鹿火屋』や『雲』に発表されたものに近いやや文語調の古いタイプの詩篇、それに対して「夜のメカニスト」「電気博士の思索」はGGPG系ネオダダの作品である。北園自身は「私の詩はその雑誌(文章倶楽部)に「新進四家」とか「新進七家」というタイトルで印刷された」と回想しているが、「夜のメカニスト」には「新進四家」、「電気博士の思索」には「新しき詩七篇」という特集名がそれぞれ付けられているので、この証言ともぴったりと一致するわけである。万事順調。ここまでは実に良かった。
さて、ぼくがふと頭を悩ませ始めたのはその発表時期のズレに気付いてからである。北園の回想によれば「1921年に生田春月に詩稿を見せ、『文章倶楽部』編集者の加藤武雄を紹介されて作品が掲載され、その後大震災に遭って帰郷した」はずではなかっただろうか? 大震災と言えば大正12年。実際の作品掲載時期とあまりに矛盾している。そこでぼくはもう一度北園の回想文「一人のVOUポエットの記録」をじっくりと読み返してみた。そしてこの文章は「1921年に生田春月に詩稿を見せたがこの時は結局発表には到らず、後にネオダダに転向したばかりの頃の作品が載った」という意味にも取れることに気付いたのだ。つまり生田春月に会ってから、そ��縁で実際に『文章倶楽部』に作品が掲載されるまでの間、震災を含む3年間の空白があったということになる。おそらくこれが正解であろう。北園の文章は話の順序が入れ替わっているため、ぼくらは混乱させられていたのだ。そうと分かれば、あとは年譜を少々修正するだけで全て問題解決……としたいところだが、話はそう簡単ではない。
なるほど、北園が言う『文章倶楽部』掲載の作品は上記のものでいいとしよう。だが困ったことに、最初に生田春月に会った直後に『文章倶楽部』への掲載があったとする材料がもうひとつあるのだ。それは岩本修蔵が『文芸汎論』5巻10号(昭和10年10月)に書いている「北園克衛氏」という文章である。次はこれを検証しなければならない。該当部分を引用しよう。
「北園克衛氏の生家と、僕の生家(僕はそこで中学校を卒へるまで暮らしいた。)とは一里と離れていなかったのに「文章倶楽部」などで、新進詩人として活躍している彼を中学生の僕は、何処の馬の骨とも知らずに愛読したものだ。それは大正十一年頃のことで、当時彼は彫刻家橋本平八氏と馬込村のアトリエで詩を書いていたらしい。犀星、朔太郎の運動から僕等を占領することの出来なかった当時の詩壇では新進詩人の作品は彼等に比べて、非常に客観性を示してきたのを僕等は割に驚いて読んだものだ。」
大正11年(1922年)といえば、まさに生田春月に詩稿を持ち込んだ直後ということになるし、その当時二人は確かに馬込のアトリエに住んでいたわけである。だが今まで疑ってもみなかったが、よくよく考えるとこの文章にも矛盾した部分がある。「驚いて読んだ」のは大正的な詩ではなく、何かしら斬新なタイプの作品だったというニュアンスがうかがえる。とすればネオダダ転向以後、つまり1924年後半以降でなければならない。また岩本修蔵の年譜を調べてみると、1908年生まれ、1921年中学入学とある。いくら岩本修蔵といえど、『文章倶楽部』を愛読して詩壇の新傾向について考えるのはやはり13~14才の少年よりも16~17才の青年である方が相応しくないだろうか。そもそも『文章倶楽部』には橋本健吉名義の作品が他にないことははっきりしているので、1922年頃に何らかの掲載があるなら未知の筆名が使われたことになる。だがこの可能性も非常に考えにくい。これはやはり「大正十一年」という記述が疑わしいと考えざるを得ない。しかし1935年に書いた文章の中で1921年と1924年を間違えるものだろうか? まあ間違えたのであろう。北園にせよ岩本にせよ、詩人が書く文章なんてそんなふうにいつもぼくらを混乱させるよう曖昧にできているのである。
北園はたびたび回想文を書いている。いずれも大筋に間違いはないだろうが、時期やら固有名詞やらはとにかくあてにならない。調べてみたら間違っていた、ということがあまりに多いのだ。また意図的に隠している部分もあるかもしれない。で、ありきたりだが、実証しかないという結論になる。これが実に難しい。北園が乱歩ばりに記録魔だったらどんなに楽だったか、と愚痴りたくもなるというものだ。まだまだ先が長い。
1 note
·
View note
Text
橋本健吉 大正期の活動 箇条書きメモ
もう少し早く書こうと思っていたのだが、どうもブログというのは面倒くさくてなかなか手が付かない。前回「ケフエルス座と『ネオ・ドナチ・コメット』」の補足+αである。
★
前回、『ネオ・ドナチ・コメット』の書影を中野嘉一の『暦象』で見た覚えがあると書いたところ、即日情報を頂いた。『暦象』64号(1969年3月)にも「前衛詩運動史の研究」にも載っているとのこと。ということですぐに確認してきた。要点だけ抜粋すると、『ネオ・ドナチ・コメット』第二号は大正15年5月10日、山上圭(編集・発行)、文川堂書店発行、同人・執筆者は、宮川慶一郎、宇留河泰呂、田中啓介、矢橋公麿、武藤直治、山下圭。寄稿者は橋本健吉、福谷薫、とのこと。しかしケフェルス座についての情報はなかった。
また橋本健吉について気になる情報が後記から転載されている。
宇留河泰呂、橋本健吉、野川隆、坂本謹は、ラ・オルボと称する作家連盟を組織した。
橋本健吉は、狩野鐘太郎と共に舞台芸術の構成を目標に「スツルム運動」を開始した。
「スツルム運動」はドイツ表現主義の芸術運動「シュトゥルム運動」のことだろう。『奈良大学紀要』34号の「北園克衛初期詩篇及び初期未発表詩稿」に収録された『大和日報』への投稿原稿「DER STURMの話」も関係していそうである。「ラ・オルボ」とはまた初めて聞く名前だ。いずれにせよどちらの実態も実績も詳細は不明。
★
話は逸れるが、『萬朝報』大正15年2月9日の学芸消息欄にこんな広告を見つけたことは以前twitterでも報告した。
曲線図案社 橋本健吉 宇留河泰呂 野川隆 柳田伊秀 坂本望氏が組織し美術、装飾、図案に関する依頼に応ず 事務所京橋区紺屋街二三宇留河方
この「曲線図案社」も実態や実績が不明である。それにしても、なんだか思い付きで次々と団体やら結社やらを結成してはあれこれ試行錯誤していたようだ。
★
北園が関わっていたよく分からない組織といえば、「ペリリピカロ・レフ魔術倶楽部」もある。大正14年末から15年末にかけて、「ペリリピカロ・レフ魔術倶楽部」と印刷された専用の封筒で出された書簡がいくつか現存している。『世界詩人』2号に「ペリリピカロ・レフ魔術倶楽部出品創作」(詩)が掲載されたのは大正14年11月。大正14年11月3日に築地小劇場で行われた「世界詩人社第一回講演会」では自作詩の朗読もしている。
「ピカロ」と署名しているのをどこかで見かけた記憶がある。また別の文献で「レフとはロシア語のレーヴィ・フロント・イスクーツフ(芸術の左翼戦線)の略である」という記述をみかけたこともある。この意であるかどうかは不明だが。
★
この他にも、よく知られた「三科」への参加がある。
ペリリ・ピカロ・レフ魔術倶楽部
三科
ケフェルス座
ラ・オルボ
スツルム運動
曲線図案社
etc..
いったいこの時期どこで何をやっていたのやら。謎だらけだ。ぜひ情報をお寄せいただきたい。
★
番外。そういえば宮川慶一郎についても少し補足あり。讀賣新聞の全文検索で宮川慶一郎の執筆が何件か引っかかったので見てみた。ほとんどが舞台芸術に関するエッセイ・評論。タルホっぽい短編が1件。しかしまあ、橋本健吉に繋がる情報は見当たらなかった。これ以上この人を追いかけてもあまり情報が得られそうにないのでやめにした。
omit
0 notes
Text
田中啓介メモ
ちょっと趣旨から逸れるが、他に置いておくところがないのでここに置く。田中啓介の作品について調べて欲しいというリクエストを頂き、目についたものを小一時間で取り急ぎまとめた。 いわゆる rough work なので、完全でもなんでもないし、ほとんど原本も確認していない。情報求む。
19250501 『GGPG』2年5号 「こはれた玩具の話・バンダタイの酒場についての後記」「愉快な散歩」
19250601 『GGPG』2年6号 「彼は飛行機であつたにちがひない」
19250701 『GGPG』2年7号 「人生・スリッパ」「破れた感覚はゴムマリ」
19250805 『GGPG』2年8号 「星色の町」
19250824 『MAVO』7号 「季節の放送」「倦怠」
19260101 『GGPG』3年1号 「広告の話 - 銀座色彩街の余興となればいい」
19260301 『抒���文芸』第2輯 「ニッケル製祝宴」
19260510 『ネオ・ドナチ・コメット』2号 「限りなく拡大する地球」
19260801 『文芸時代』3巻8号 「道化」「コーモリの話をぬひとつた上衣」
19260901 『戦車』1巻3号 「港らしい話」
192701-- 『耽美』2年1号「まるめ捨てられた話」
19270401 『文芸耽美』2年3号 「ボタンとハンカチ」
19270501 『文芸耽美』2年4号 「月夜とTABACO」
19270701 『文芸耽美』2年7月号 「彼等と私たち」
19270801 『文芸耽美』2年8月号 「こはれかかつた話」
19271101 『文芸耽美』2年11月号 「悲しきドン・ヂアン」
19271101 『薔薇魔術学説』1巻1号 「第一短編集」
19280115 『影』3年1輯 「冬眠」
19280401 『関西文芸』4巻4号 「パイプの別れ」
19281001 『関西文芸』4巻10号「シエルエツトの上の怠惰」
19281201 『ドノゴトンカ』1巻8号 「悲劇の発生」「造園学」
19290201 『ドノゴトンカ』2巻2号 「波止場の女と小路」
19290301 『クロネコ』第二号 「コメツトシエアターの話」
19290401 『関西文芸』5巻4号 「上野博物館随想」
19290427 『海の晩餐』 2集 「悲劇の脚の影」
19290501 『ドノゴトンカ』2巻5号 「慰籍の歌」
19290601 『ドノゴトンカ』2巻6号 「一本道」
19290701 『ドノゴトンカ』2巻7号 「街上のコメデイ」
19290801 『ドノゴトンカ』2巻8号 「空中煙幕広告叙景」
19290905 『狐市街』1巻2号 「ホテル」
19291101 『関西文芸』5巻11号 「美容術と女性の社会進出」
19300101 『関西文芸』6巻1号 「少年の黄昏」
19300201 『ドノゴトンカ』3巻2号 「造園学のリボンをつけた家」
※何か情報があれば、このリストは随時アップデートする予定。
■更新履歴: * 『ネオ・ドナチ・コメット』追加 (2012/5/22) * 『関西文芸』5巻4号の作品名記述誤り訂正 (2012/5/23) * 『影』追加 (2012/6/1) * 『関西文芸』4巻10号追加、『MAVO』追加 (2012/11/17) * 『戦車』『海の晩餐』追加 (2013/7/4) * 『文芸時代』刊行年月日訂正 (2013/7/31) * 『クロネコ』追加(2014/8/22) * 『耽美』2年1号『抒情文芸』第2輯 追加(2024/4/11)
■謝辞(情報を頂いた方々): 野田様、ship_ahoy様、高橋様、KK様、ありがとうございます。
1 note
·
View note
Text
ケフエルス座と『ネオ・ドナチ・コメット』
¶ 遅筆陳謝
すっかりここの更新をさぼってしまった。調査の方は特に目立った進捗もないし、作業の方は地味すぎてネタにもならない。あまりWeb上で公開できない話も多いので、どうしても滞ってしまう。ご容赦を。
¶ ケフエルス座と『ネオ・ドナチ・コメット』
大正15年~昭和2年、北園克衛が演劇関連の運動に身を入れていた時期の活動についてはよくわかっていないことが多い。執筆活動とは違い、舞台芸術は形あるものとして残らないのも原因のひとつだろう。「単位三科」あるいは「劇場の三科」が有名だが、「ケフエルス座」については記述を見かけたことがない。今日はこれを紹介しよう。
まずは『讀賣新聞』大正15年4月29日の記事。
「芝居と講演 -本社講堂で-」
ケフエル座(註:ケフエルス座)及び新進座合同の第一回試演舞踊及び劇に關する公演は五月八日(土曜、夕六時半から本社講堂に於て開催試演プログラムは左の如く決定した)
チエホフ作楠山正雄氏譯『白鳥の歌』(一幕)宮川慶一郎氏作『空中分解』(一幕)
尚ほ演出は宮川慶一郎氏裝置は澤靑鳥、橋本健吉兩氏配光は伊倉長吉、外山彌兩氏で效果及び音樂は鈴木賢之進氏が擔任す と
もう1件、似たような内容だが『讀賣新聞』大正15年5月5日の記事。
「新進座の旗揚げ -本社講堂で-」
八日夕六時から本社講堂に於いて第一回試演を開催する新進座(別稱ケフエルス座)の主なる同人は稻田龍治、今井千代子、三輪つね子他三十名で演出は、宮川慶一郎氏が擔任する。裝置は、橋本健吉氏外山彌氏配光は一瀬章氏、效果は柳三郎氏演技監督鈴木賢之進、梅津勝夫がそれぞれ擔任する。出しものは
アントン・チエホフ作築地小劇場譯「白鳥の歌」一幕、宮川慶一郎氏作ネオ・ドナチ・コメツト所載「空中分解」一幕、中村正常氏作婦人公論所載「女はいつも泣いてゐろ」一幕
であるが猶同人稻田龍治は蒲田の若手俳優で、大谷友右衞門々下である。會員券はプレイガイド及京橋八官町十六の事務所で取り扱つてゐる。
朝日新聞にも同様の広告が見られる。要するに大正15年4~5月頃、北園はこの新進座/ケフエルス座なる演劇集団に関わっていたようだ。文中にある『ネオ・ドナチ・コメット』は謎の多い雑誌だ。上記の記事からは『ネオ・ドナチ・コメット』という雑誌は、この前衛演劇集団ケフエルス座の機関誌だったのではないかと推測できる。
『ネオ・ドナチ・コメット』2号(大正15年5月)に橋本健吉の「人間解体詩」が掲載され、プレス・ビブリオマーヌから出た北園克衛初期詩篇「色彩都市」に収録されている。しかし聞くところによると、「色彩都市」の底本となった鳥居昌三旧蔵の『ネオ・ドナチ・コメット』は、「人間解体詩」のページだけの切り取りだったため、雑誌自体の全貌がよくわからないらしい。「大正15年5月」という発刊時期もこの切り取りに鉛筆で書き込まれたメモを信じるしかないという状態。一方、藤富保男著「評伝北園克衛」には「ネオ・ドナチ・コメットという演劇畑の人が多い雑誌の二号(八月刊)」と記載されている。この違いはどこから来たものだろう?評伝では演劇系であることが書かれているので、この記述のソースは鳥居昌三の切り抜きではなく完本だったのかもしれない。そういえばどこか別のところ、確か中野嘉一の『暦象』だったかで書影を見たことがあるような記憶がなきにしもあらず……。すぐに思い出せないが、とにかく現存しているはず。ぜひ拝見させて頂きたく、この場を借りてお願いします。
¶ 宮川慶一郎
さて、ではケフエルス座の主催者とおぼしき宮川慶一郎とはどのような人物なのか。ひとまずネット上を検索してみたところ、下記2件しか引っかからなかった。
『住宅』11巻11号(大正15年11月)「配光雑話」
『黄表紙』2巻4号(昭和3年7月15日)「暗い曲線」
しかもなんだ、『黄表紙』は自分のサイトじゃないか。この時期の『住宅』は、建築雑誌でありながら、橋本健吉、宇留河泰呂、野川隆、稲垣足穂、といった面々が執筆している。初期の『黄表紙』も稲垣足穂や上田敏雄が参加している前衛的な文芸同人誌だ。なんだか横の繋がりを感じる。『黄表紙』は早速書棚から発掘してきた。宮川慶一郎の「暗い曲線」はやや前衛的な(ただしあまり上手いとはいえない)詩作品だ。まるで参考にならない。仕方がないので『住宅』の11巻11号も見てきた。「配光雑話」は舞台照明の話である。まあ演劇人だという追認くらいにしかならない。では困ったときの「現代詩誌総覧」だ。ということで調べて見たが特に何も見当たらない。もう少し詳しいことが知りたい。演劇関連の雑誌を調べていくしかないか。TODOリストは増える一方だ。
¶ 野獣群
ところで、ケフエルス座の公演があったという大正15年5月8日という日付について、ちょっと気になる矛盾がある。それは『野獣群』創刊号(大正15年7月)に掲載されたこの記事だ。ちょっと長いが、全文引用する。
野獣群第十回詩と絵画の展覧会は六月十六日当局の杞憂に触れ中途撤回されたのは既報の通りである。臨検官憲の凄勇さたらなかった。詩の展覧会を××主義の宣伝だと新聞で騒がれるのは実に有り難い次第だが、三人も囚牢に一寸の間でもやられたのは職権だから仕様がないと諦めておこう。野獣群主催文芸漫談会は去る五月八日の夜カフェーブラジルに開催。会衆七十人、鴇田氏、辻潤氏も会合して騒いだのは愉快。出席者と同人闘士の顔振。金煕明、泉徹、有泉譲、片山庚子郎、青木純子、水島治男、仁木二郎、高橋正三、飯田武、池田重二、野呂英夫、松尾武義、阿部貞夫、新納時千代、川崎信二、田辺若男、高橋正、荒木久雄、五井政一、赤田務太郎、浅井日進、難波仙衛、中山善三郎、宮太明、成田八十二、鶴岡直和、小沢茂志、山中幾三、等々力徳金、鈴木敏行、伊藤斤一、大島唯史、小山正木、関口節、大沼庄蔵、岡田龍夫、百瀬二郎、荒川畔村、辻潤、鴇田英太郎、横山更二、伊藤輝美、安部山路、舘林孝治、秋山彦太郎、松元実、伊藤喜久男、榛葉紅春、林栄吉、李東宰、姜世馨、韓植、守口基隆、高松恵三、堀博隆、稲葉重穂、長谷部辰蔵、菅原清生、横井弘三、関井仁、中西郷市、徐基俊、谷口直平、高見沢路直、永井叔、住井美江、五頭攻、岩崎正、西村甲子雄、若林勇、鈴木静雄、西山勇太郎、長崎皎生、松生秀雄、大和啓代、成田元雄、矢島邦助、中塚悌治、佐々木哲、厨子政夫、槙本楠郎、桐谷桐五郎、桃原思右、渡辺三郎、川合主計、杉山豊、田中龍雄、篠原元治郎、森島政一、高山理三郎、吉河武雄、義煎博雄、熊谷吉郎、新保兵次郎、野口隆正、坪田順男、岡田数馬、高山武雄、山本満、佐藤深雪、宮地彪、勝本トシ子、綾川SZ子、福谷薫、高橋英子、里村欽三、吉田泰雄、岡崎龍雄、村山知義、矢橋公麿、黄瀛、黒須八十五郎、中原実、玉村善之助、ルビエンスキー、須山計一、峰岸義一、寺尾龍介、岸秀雄、松井直樹、広沢百合子、市川均、藤田豊吉、井上鉄男、萩原悦子、今井千代子、梅原北明、今東光、山田清三郎、岩崎一、米田曠、飯田徳太郎、麻生義、金塚静子、大鹿定一、佐藤紫浪、小川静孤、永田龍雄、前田河広一郎、中西伊之助、秋田雨雀、八田元夫、萩原恭次郎、福田正夫、ドン・ザッキー、石井漠、堺利彦、今野賢三、今井兼三、金子洋文、青山倭文二、浜野義江、田中正義、成春慶、三輪猛雄、新島栄治、宇津木正夫、橋本健吉
「野獣群主催文芸漫談会は去る五月八日の夜カフェーブラジルに開催」という記載とともに、一番最後に橋本健吉の名前がある。5月8日といえばケフエルス座の公演日と同日じゃないか。物理的に無理でしょう。あーいやいや、よく見ると「出席者と同人闘士の顔振」とあるから、野獣群の方は参加はしてない?または日付の記述誤り?あるいはケフエルス座は「装置担当」なので当日は不参加?ケフエルス座公演→野獣群とハシゴした?真相は不明である。
「野獣群文芸漫談会」または「野獣群詩の展覧会」はこの時期たびたび開催されているのが確認できる。ただし北園がこれらの催しに参加したかどうかはよくわからない。雑誌『野獣群』の創刊号には、橋本健吉の小説「逆体」が掲載されている。ただしこれ、『GGPG』2年3集(大正14年3月)の「汽船のある詩」を改稿したものである。原稿を依頼されたものの、旧作の焼直しでお茶を濁したのかもしれない。『野獣群』という雑誌自体も2号以降はプロレタリア傾向に急速に傾いていっているので、北園はこの集団にはあまり深入りしていそうにはない。
¶ まとめ
とにかくよくわからないことばかりなので、何か情報がありましたらぜひご一報下さい。
0 notes
Text
-
申し訳ありません、この投稿は今となってはつまらない内容なので削除しました (2/Jan/2023)
1 note
·
View note
Text
-
申し訳ありません、この投稿は今となってはつまらない内容なので削除しました (2/Jan/2023)
3 notes
·
View notes