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文脈から遠く離れて
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moron-ween-blog · 6 years ago
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われわれの記憶は、たがいに輸血しあい、集合的な憤怒を形成している。トウニン人なら、自分たちが植えつけた偽の記憶とどっこいどっこいだと言うだろうな。だが、忘れることはよく覚えていることよりはるかに重い罪なのだ。
ケン・リュウ「生まれ変わり」『生まれ変わり』p.44
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moron-ween-blog · 6 years ago
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おれたちは群衆にもまれながら少しずつ進んでいった。人生の歩みがあれほどのろく、凶暴なものであろうとは夢にも思わなかった。人びとは太陽に焼かれながら、砂ぼこりの中を無数のうじ虫のようにうごめいていた。
フアン・ルルフォ「タルパ」『燃える平原』pp.85-86
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moron-ween-blog · 6 years ago
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僕たちがこのような一年の循環によく耐えねばならぬこと、僕たちが長い愛に耐えねばならぬこと、たぶん、――この二つは今日の極度に新しい困難な課題に相違ない。〔……〕僕たちは僕たちに与えられた自然の限界をどこまでも無限に長く延ばさねばならぬ。僕たちには無限の時間がいるのだ。一年が僕たちに何であろう。百年千年が僕たちになんであろう。ろくろくまだ神に取りかかりもせぬうちから、僕たちは神に向かって祈るのだ。夜に耐えさせたまえ。病気に耐えさせたまえ。そして、愛に耐えさせたまえと。
リルケ『マルテの日記』p.293
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moron-ween-blog · 6 years ago
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僕は僕にとって安心のできる世界の「意味」の中で暮らしたかった。
リルケ『マルテの日記』p.64
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moron-ween-blog · 6 years ago
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僕はどしどし書く。僕は様々の詩想を豊かに持っているし、ありとあらゆるものの思い出を書くだろう。しかし、僕の生活はその反対だった。神だけが「なぜ」を知っているのだ。
リルケ『マルテの日記』p.53
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moron-ween-blog · 6 years ago
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どうして自分の思想を書いて発表しないのか、と、彼女は問い掛けた。なんのために?と。かれはわざと嘲りをこめて問い返した。美辞麗句を並べ立てるだけの連中、ものの六十秒も思考することのできない連中と張り合うために?道徳は巡査にまかせ美術は興行師にまかせる鈍感な中流階級の批評を甘んじて受けるために?
ジェイムズ・ジョイス「痛ましい事故」『ダブリナーズ』p.185
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moron-ween-blog · 6 years ago
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「幸福な若者は老人の家など訪ねちゃこんものさ」
森絵都『みかづき』p.495
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moron-ween-blog · 6 years ago
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暇があると人は過去をふりかえる。あえて直視もせずにきた泥沼にさえも首を突っこみ、ずるずると怨念を釣りあげる。二十年にもわたる春秋を経て、まだどこかで一枝にこだわっている自分がいるという発見に、千明自身も人の心の度しがたさを突きつけられた思いだった。情けなくもあり、可笑しくもあり。
森絵都『みかづき』p.423
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moron-ween-blog · 6 years ago
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たまらなかったのは睦月と寝られないことじゃなく、平然とこんなにやさしくできる睦月。水を抱く気持ちっていうのはセックスのない淋しさじゃなく、それを互いにコンプレックスにして気を使いあっていることの窮屈。
江國香織『きらきらひかる』p.181
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moron-ween-blog · 6 years ago
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睦月はまるで、良心という針をたくさん逆立てたハリネズミみたいだ。睦月はほんとうのことを言うのをこわがらない。もちろん私はそれが死ぬほどこわくて、言葉なんてほんとのことを言うためのものじゃないと思っているのだ。
江國香織『きらきらひかる』p.180
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moron-ween-blog · 7 years ago
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人間は遥か昔から、全能と全知の理想像を築き上げ、それを神々の姿に仮託してきた。自らの欲望には手が届きそうになかったり、禁じられたりしていたものをすべて神々に委ねてきた。つまり、これらの神々は文化の理想だったと言ってよい。そして、今、人間は自らこの理想にほとんど到達するまでになった。自身がほぼ神に匹敵するまでになったのである。もちろん、それは単に常識で、理想に到達した、というときの意味においてであって、完全に到達したというのではない。理想到達とは無縁の部分もあれば、道半ばという部分もある。人間はいわば一種の人工義神になったのである。人工の補助器官をすべて装着すればなるほど大したものだが、それらは人間とうまく一体化しているわけではなく、ときにまだ面倒を引き起こすこともある。ちなみに人は、こうした発展が一九三〇年という時点で完結しているわけでもあるまいということで、自らを慰めもできるし、その権利もある。遥か将来には、新しい、おそらく思いもよらない偉大な進歩が文化のこの領域にもたらされ、人間はいよいよ神に似た存在となることだろう。
ジークムント・フロイト「文化の中の居心地悪さ」『フロイト全集20』p.100
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moron-ween-blog · 7 years ago
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「祖母は誰とも話さなかった。人と話をするのは都会の人のすることだ。田舎では違うんだ。私の家では話をしないんだ。誰も話をしない。私はクララと話をしないし、彼女も私と話をしない。子供たちもそうだ。誰も話をしない。話すってことをしないんだ。それに、私も誰かと話をしたいわけでもない。日々起きることを納得したいだけだ。それで毎日、自分と話をするんだ。国立民族研究所へ行く道々、歩きながら話すと楽になる。ひとりで話すんだ。誰かと話すのは好きじゃないんだ」
杉山晃「解説」フアン・ルルフォ『燃える平原』p.273
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moron-ween-blog · 7 years ago
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「誰かに賭けてみなくてはなりません」ケッセルマン夫人は言う。「でないと、生きていけません」
フィリップ・K・ディック『時は乱れて』p.229
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moron-ween-blog · 7 years ago
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タクシー運転手がわたしを知っているという場合、それは、わたしの頭の中の出来事ではない――たぶん。だが、天が大きく裂けて、神が名ざしでわたしに語りかける時……それは、私の精神が完全におかしくなった時だ。
フィリップ・K・ディック『時は乱れて』pp.174-175
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moron-ween-blog · 7 years ago
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こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。
F. S. フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』p.300
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moron-ween-blog · 7 years ago
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「いずれにしても、そんなことは個人的なことにすぎない」そう彼は言ったのである。  この事件を考える彼の考えの中に、はかり知れぬ激しさがこもっているのだろうとでも思うよりほかに、この言葉を解釈する方法があるだろうか?
F. S. フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』p.251 
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moron-ween-blog · 7 years ago
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ぼくは三十だった。前途には、新しい十年の無気味な歳月がおびやかすようにのびていた。 〔……〕人間の同情には限界がある。ぼくたちは、彼らのいたましい言い合いの記憶が、流れ去る街の灯とともに薄れてゆくがままに喜んで任せていた。三十歳――今後に予想される孤独の十年間。独身の友の数はほそり、感激を蔵した袋もほそり、髪の毛もまたほそってゆくことだろう。
F. S. フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』pp.234-235
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