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宝くじ
ガネーシャの夢を見た。 ママと焼肉屋さんに行こうと歩いていたら店に到着する直前に変なおっさんにめちゃめちゃ乱暴な自転車の運転をされてひかれそうになった。気分最悪のまま、焼肉屋さんの扉を開けたらピンク色の象が迎えてくれて、「まあ、なるようになるよ。好きに生きたら」と声をかけてくれた。
なるようになる、好きに生きたら。つまり私は働かなくていい生活を手に入れられることなのだろうと思い、ママには家出すると嘘をついて宝くじを買いに行った。宝くじを買うと言ってもいけないと思ったし、ガネーシャの夢を見たと言ってもいけないと思ったからだ。ママからは猛烈に怒られたが無事に宝くじを手に入れることができた。買ってきたそれを犬のベッドの下に隠した。犬をむりやりベッドの上に寝かせて「宝くじを守れ」と何度も言った。 ママに嘘をついたことや、犬を無理やり寝かせたことがいけなかったのかもしれない。私の初宝くじの結果は無惨なものであった。
ただ、ロト6の中継を見るのは初めてで楽しかったし、ママと宝くじのことでキャッキャ言ってるのも楽しかったし、当たったあと仕事を辞めることを想像することも楽しかった。 2000円で楽しい時間を買えたと思う。これは2000円を無駄にしたと思いたくない自分がバイアスをかけているだけかもしれないが。
宝くじが当たったらゆうとさんと、普段はなかなか行けないお高いお店で、おいしいものが食べたい。ゆうとさんには宝くじに当たったことは黙って、勝手に支払ってしまいたい。それで、ゆうとさんの苦い顔を見て楽しみたい。めちゃくちゃ高い金額を私が支払った後、申し訳なさそうにするゆうとさんに、「10億円の宝くじが当たったからね」って言ってみたい。怒られるかもしれない。信じてもらえないかもしれない。自宅のベランダに屋根を付けて、それでやっと信じてもらえるかもしれない。
宝くじが当たったら旅行に行きたい。個室に温泉がついているタイプの。あとは仕事をしばらくの間辞めて、細々とアルバイトだけしながらゆっくり本が読みたい。映画も見たい。ベランダに屋根もつけてママを喜ばせたい。あとはかわいいワンピースを買ったり、マンツーマンジムに行ったり、ゆっくりエステにも行ってみたい。仕事を辞められたらネイルもしてみたい。 誰でも思いつくようなことしか思いつかないけど、それで十分。
宝くじは外れてしまったけれど、以前希望していた美容系のクリニックから面接可能との連絡がきた。その当時はもう、めちゃくちゃ転職がしたくて、もう病棟看護師なんてやりたくなくて、気が狂いそうだった。ちょうど一か月前の話だ。全国的に展開している有名な美容クリニックへ応募して、何の連絡もなく過ごしているうちに、もう少し今の場所でも頑張れるかなと思った矢先の連絡。 正直、どうしたらいいのか分からないし、どうするべきかも分からない。好きに生きるって何なんだろう。私が好きに、のびのび生きるためにはどうしたらいいんだろう。私のやりたいことって何だろう。何も分からない。分からないから今の職場でいいかと思っていた。3年目で辞めたら、とりあえず一通りの技術は学んでいるし、そのあとは何とでもなるから頑張ろうって。でもそれって自分のやりたいことではない気がする。かといって、美容クリニックも自分のやりたいことではない。本当に自分のやりたいことはよくわからない。こうやって人生を浪費するのかなと思うと空しい。 空しいけれど、私は1人ではない。ゆうとさんがいる。しかしゆうとさんは相談相手にはならない。「自分の事だから自分で考えや」と口調はやんわり、だけれど��中身は厳しいことを言ってくることだろう。続けて、「なつみさんはどうしたいの?」どうしたいか分からないから聞いてるんじゃと私は思うことだろう。もしくは「難しいねえ」どこぞのインターネットの、恋愛指南とやらに書かれているであろう無駄な共感をすなと私は思う事だろう。それで私が生理前だったりなんだったりでイライラしていたら喧嘩になるのだ。ガネーシャの夢を見た私にはすべてが分かる。
ゆうとさんに相談はしてはいけない。この11か月で学んだことだ。自分で答えの出ていないことに関してはまだ壁に相談しているほうがましだ。ではなぜ、私にはゆうとさんがいると言えるのか。 ゆうとさんは私が空しい人生を送っていてもなんとかしてくれるからだ。そう信じている。別に根拠はない。本当にそう信じているだけ。職場で根拠を常々求められているからプライベートでは好き放題言ってもいいはず。ゆうとさんは空しい人生を送っているからと言って私を捨てたりしないだろう。多分。仕事と家の往復をして犬の散歩をしている生活にだって彩を与えてくれるはずだ。あのいい顔で。いいにおいで。ゆうとさんのにおいのついたTシャツが欲しい。枕カバーにできたら私の人生は石油王のそれよりも豊かになることであろう。
毎月宝くじを買って、夢を買おうと思う。 空しい人生でも宝くじで色をつけてちょっとでも楽しい人生にしたい。「宝くじが当たったら」と想像して出てくる『したいこと』はきっと、自分が本当にしたいことなんだと思う。お金がないからとか、仕事があるからとか、色々理由をつけてできない本当にしたいこと。理由をつけて「できない」と思い込むなんてすっごいダサいことだけど、私は臆病者だからどうしようもない。だけど宝くじを毎月買っているうちに、「こんなに何回も思うぐらいだし宝くじ当たってないけどもうやっちゃうか」なんて思う日が来るかもしれない。その日が来ることを夢見て、来月も宝くじを買おうと思う。
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すばらしい日々
まったく連絡の取れなかった友人��ら連絡があった。子供が生まれたらしい。彼は父親になるそうだ。
大学を卒業したのが4年前。同人誌をつくったり、腕を脱臼したり、夢が叶ったり、鬱になったり、風俗に行ったり、恋人ができたりした。思い返せば、ここ数年のあいだにもいろんなことがたくさん起きていた。時間の過ぎるのは、自覚できないぐらいあっという間だ。
10年前のいまごろ、ぼくらは高校2年生だった。ぼくは部活動を辞めてバイトに明け暮れていたし、石川は遊戯王に専念していたし、てるはぼくたちが辞めて出る負担のほとんどを一身に背負って部活動に精進していた。先日父親になった榎本は「練習しんどいしもう辞めるわ」と、どうにもこうにもできない理由で真っ先に部活動を辞めてバイトもせずに日々クラスのいろんな人間に最低なあだ名をつけては笑っていた。
「なあ、おまえギター弾けや。俺教える、しギター弾けたらモテるやん絶対」榎本がぼくにそう言ってきたのは、高校2年生の夏休み前。ちょうどぼくが当時付き合ってまだ3ヵ月ほどしか経っていなかった女の子に「なんか付き合うとかやっぱわからんし、いま色々自分の身辺整理とかしてて、いったんぜんぶゼロにしたいから別れたいんやけど」と、あまりに幼稚で最低なことを言って別れた放課後のことだったように思う。昼までしかなかった授業を終えて、ボロボロのエナメルバッグを前カゴに詰めてぼくらは自転車を漕いでいた。マクドナルドで別れたことを散々茶化して満足したのか、榎本はふとそんなことを言ったのである。
榎本とは同じ部活動に所属していて、それで仲良くなった。高校3年間で1度も同じクラスになったこともなかったから、水球部に入っていなかったら彼と仲良くなることはなかっただろうと思う。榎本はいわゆるお調子者で、だけれどけっこうナイーブなメンタルの持ち主だった。その場の空気でふざけたことをしたり言ったりしては、その場から離れて冷静になったときにいちいち落ち込んでいるようなやつだった。根は真面目なのだ。なのに悪いことがしたい、そんなやつだった。部活動を一緒にしているときも部のムードメーカーのような役割を担っているところがあり、コーチにはよくいびられていた。彼は泳ぎもはやくなく体力もなかったけれど、ときどき奇跡を起こすようなやつだった。練習試合をやった全国大会優勝もしている相手からシュートを決めて点を取ったり、投げたボールが速すぎてゴールポストの角に刺さることが度々あった。公式試合のレギュラーメンバーだったぼくと石川を「まあせいぜいがんばれや。俺はベンチでぼぉーっとしとるからよ」と言うカスだったので、よく肩パンをしたものである。
高校時代、ぼくがいちばんいろんなことを教わったのが、むかつくけれど、この榎本というやつなのである。「なあ、福くん」と問いかける榎本に「なんや、愛菜ちゃん」と返すのがぼくは好きだった。syrup16gやthe pillowsを教わったのも彼だし、惑星のさみだれやベルセルクやヘルシングなど、ぼくが週刊少年ジャンプ以外のマンガを読み始めるきっかけになったのもこいつだ。コミケに行くきっかけすら、こいつから貸してもらった『げんしけん』というマンガなのだから、マジで現在のぼくを形作っているといっても過言でないほどである。それがぼくは非常に不愉快なのだが、しかし事実なのだから仕方ない。それでぼくはその後の人生を相当狂わされることになるのだが、こいつはどこ吹く風。いまや夫で、父親で、家族を持つ男なのである。世界は本当に小説よりも奇妙にできていると痛感する。
はじめてギターを買いに、いまはもうない心斎橋の三木楽器に学ランで行ったときも、榎本が付き合ってくれた。ギターを弾けないぼくに代わって試奏して、良し悪しなどを語るという生意気をやっていた。そのあとぼくらふたりは2年の冬休み前に軽音フォーク部に入部するのだが、こいつがぼくにえギターを教えてくれたことはない。知らない曲をうたう榎本に「それなんの曲? ええ曲やんけ。俺にも弾き教えてくれや」と言うと「この曲知らんの? 遅れてんなあデブ」と言ってまた歌い始めたのでマジで殺してやろうかと思ったことを今でも覚えている。そのとき彼の歌っていた曲こそフジファブリックの『茜色の夕日』であり、ぼくが初めて一曲通して弾けるようになった曲である。ある日の放課後に榎本からの電話を受けながら芸術棟の4階に差す夕日を背にへたくそなギターで熱唱していたら、実は榎本の側には当時ぼくが好きだった松岡さんもいて「おまえマジで殺すぞ」と言ったことも覚えている。榎本は懲りずに「せいなてぃんてぃんてぃんこ」と言っていた。こいつには人の心というものがないのかと心の底から思ったものである。
はじめてのライブではめちゃくちゃなことをやらかされた。『茜色の夕日』を弾けるようになったぼくに「じゃあライブ出るぞ。おまえ歌えや。俺はこないだ買ったピアニカを吹きたいからよ」と言う榎本に「ええやんけ。これでモテモテや」とぼくは快諾した。ライブに向けてぼくらは練習した。声のでかいぼくとピアニカを吹き狂う榎本。ぼくたちは軽音フォーク部で干されていた。「いやあいつ絶対俺のこと好きやろ」と榎本は言っていたが、蓋を開けてみると、途中から入ってきたぼくらにただ気を遣ってくれていただけというのがわかって、落ち込む彼の目の前で爆笑したことを覚えている。ちなみに北江さんとの出会いはこの軽音フォーク部がきっかけである。その後ちゃっかり後輩と付き合ってチューまでしたのも北江さんである。ぼくらは3年の後夜祭で一緒にライブをした。ユニコーンの『すばらしい日々』。選曲は榎本。むかつくが、いま思っても抜群のセンスである。
そんなふうにしてぼくらは高校時代のほとんどを一緒に過ごしていたように思う。「高校時代の思い出は?」と問われると、ぼくは筆頭で彼の顔が浮かぶ。彼もきっとそうではないだろうか。案外ちがうっぽい気もするからむかつくのだけれど。
そんな彼と最後に会ったのは大学4年生の秋ぐらいだったと思う。ぼくと榎本と北江さんの3人で飲めない酒を飲んで酔っ払って、そのままスタジオに入ってギターを借りて朝方までうたった。それが最後だ。いまのところ。どうせこの先またきっと会うので、それが最後には全然ならないだろうけれども。 今度会ったら「まともな振りしやがってよ!!」と言って肩パンをしてやりたいものである。続けて「その調子でこれからもしあわせにな!!」とも。
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ゆうとさんがたくさん、初めてのデートの日の話をしてくれたから、私も初めてのデートの話をしようと思う。
ゆうとさんと会おうと思ったのは完全なる思いつきだった。
私たちはマッチングアプリで出会ったわけだけれども、面食いの私はゆうとさんのあげている写真には一切の興味を抱けなかった。当時の私はトレースペーパーよりも薄っぺらい顔で、かつ、油断すればDVでも振るってきそうなちょっと社会不適合的でクズなにおいがしている男が好みだった。好みというだけで全くそういう男には出会えてはいなかった。クズっぽい男はたくさんいたのだが、私の胸にグッとくるトレースペーパー顔の男はいなかったのである。プロフィール欄によろしく!の1行だけとかテンプレートをそのままコピペしてきたんだろうなと予測がつくようなものだったりだとか、そんなしょーもない男ばかりにいいねされて、マッチングアプリにも飽きてきた頃。やる気もなく、通知も見る元気もなく、退会目前でいたちょうどその頃に、ゆうとさんが私にいいねをしてくれた。
私は先にも述べた通り、面食いである。そして、薄っぺらい顔が好きである。ゆうとさんの写真はすべて、はっきりとした顔は写っていないものばかりで雰囲気を感じ取るしかなかった。肝心のその雰囲気はTHEヲタクって感じで、正直言って私の好みではなかった。けれどプロフィールは1行だけでもなく、テンプレート文でもなく、しっかりと書き込まれていた。隅から隅までプロフィールを読み上げて、少し臭いなと思いながらもまあいいかと思っていいねを返した。
ゆうとさんを甘くいじるような、プロフィールをもじったメッセージを送ってみるとしばらくして返信があった。ゆうとさんはメッセージの中でも優しかった。優しいというよりも決断力がないのかなと思うほどに長々と話を続けていた。長く話を続けることは嫌いではないけれど文字を打つのはだるくて、会いませんか?と私から誘ったような気がする。ゆうとさんは好意的な返事をしてくれて、半ば勢いに任せたような感じで約束をした。
当日。行きたくなかった。ドタキャンをしてしまいたかったけど、以前マッチングアプリでそういう目にあったことがあるので流石に申し訳なくてドタキャンはしなかった。気合なんぞいれなくていいだろうと思っていたのでタンスを開けて一番上にあった服を取り出して着た。コンタクトすらつけない、化粧も最低限。しかも時間はギリギリに到着した(ゆうとさんは遅刻したと言い張るが、間違いなくギリギリであった)。
「僕は右端のソファで本を読んでいます」とか、なんかそういう感じのメッセージがきていたと思う。それを頼りに探し出して、さりげなく隣に座った。特に何も思っていなかったからできたことである。隣に座って、近い場所で見てみると顔がよく整っていることに気付いた。しかし私は薄い顔が好きだったからその点が大きなポイントになったということはない。
ゆうとさんに一通りの挨拶をして、「チケット買いにいきましょう」と声をかけたらもう買いましたと言われた。私はその時、「えっ、先に買うとかある?もし隣知らん人に取られてたらどうするん?まあバラバラになってもわしはいいけどさ…」と思いながら自分の分を買いに行こうとした。止められた。「もう買ってあるんです」と言われ、何がなんだかわからなかった。お金を払うと言っても払わせてくれなかった。理解できなかった…何もかもがわからなかった。とにかく混乱した。大昔のブログに、私は男性に女の子扱いされたことがないと書いた。今の今まで、男性に何かを支払ってもらったりしたことがなかったのだ。私は戸惑って、混乱して、とりあえずめちゃくちゃにお礼を述べて、少なくとも楽しんでもらわないといけないなと思った。だけれども私ができることは少ない。映画代もだしてもらって沈黙は流石にいけない。そう考えた私は、必死に言葉を繋げた。1つ投げたら2が返ってきて、返ってきた2にさらに5をつけたり、1に戻したり。なんだかんだで1時間は話をした。その時に優しい声で喋る人だなと思った。耳に優しくて刺がなくてのんびりしていて、好きな声。映画代分ぐらいは楽しませないとと思って始めた会話だけれど、いつの間にか普通に楽しんで会話していた。
映画の時間になって、ドリンクでも買おうかという話になり、さすがにこの時は私が2人分を出した。カフェオレの半分は慌てん坊の私により床に吸われてしまったので、ゆうとさんに出してもらわなくて本当に良かったと思う。もし出してもらっていたら私は床を舐めなければならないところだった。職場からもらってきていたアルコール綿に代わりに舐めとってもらった。
映画を見終わり、ゆうとさんのワックスでセットしてきたんだろうなという頭が映画館の背もたれのせいでぺたんこになっているのを見て愛おしさでいっぱいになった。私のために髪の毛を整えてくれたのかな。でも毎日整える人なのかもしれないな。でも私���会うときに整えてくれたってことは私のために整えたようなもんじゃない?ぺたんこになってること言った方がいいのかな。言わないほうがいい?髪の毛触ってみていいのかな。ダメかな〜まだダメかな。広告に流れていくフリをして、そういうことを思っていた。正直このまま帰りたくなかった。もう少し一緒に居たかったし、色んな話がしたかった。ご飯に誘ってくれないかな、なんて思っていたけれど誘ってくれなかったのでダメ元で「お腹が空きました」とアピールをしたら、ご飯にいきましょうと言ってくれた。優しい人だなと思った。
ハンバーグを食べて、ゆうとさんの無限パンを1つ奪って食べて(本当はもっといっぱい食べたかった)、卵を大事にしていることに笑われたりした。ご飯を食べたら解散だろうなと思ったので、「おすすめの本を教えてください。本屋にいきましょう」なんて言ってみたりした。ゆうとさんはいいですよって優しく言ってくれて、本屋さんで真剣に本を選んでくれて、だだっ広い本屋さんを何周もしてくれて、その時も髪の毛は後頭部だけがぺったんこで。触りたいなと思った。髪の毛も触ってみたかったけど、それよりも手に触ってみたいなと思った。どんな体温でどんな大きさでどんな形でどんな力で手を握り返してくれるのかな。握りかえしてくれることが前提になっていることに気付いて、1人で焦って恥ずかしくなったりした。
ゆうとさんは私のことを好きになるような人じゃないなと思った。私みたいな色々と迷走して、暗くて生きがいのない人生を送っているようなブサイクでデブな奴には目もくれないはずの人だと思った。今日は優しさに甘えているだけの日だなと思った。だから調子に乗ってボディタッチをしてみた。どうせもう、二度と会うことはない。ちょっとぐらいいい思いをしたっていいはずだ。最初はちょっと近づいてみるところから、それで大丈夫そうだったからちょっと触ってみた。いけた。次はベースの距離を近づけた。いけた。でも嫌がってないかな。怖くてもうやめた。
ゆうとさんとの初回のデートはすごく楽しかった。楽しくて、たのしかったから、次がないことに落ち込んだ。電車に乗った後に今日はありがとうって連絡をして、連絡をしながらこれが最後かなあって思ったりした。ゆうとさんは、○○(なんかどこかの、大阪から遠いところの地域。忘れた)のカニを食べにいきましょう。カニが剥けないことを2人で笑い合うのも良いですよとか言っていて、「そこのカニは旅行じゃないと食べれないですよ」と言いたかったけれど最後ぐらいサッパリしなきゃなと思って何も言わなかった。
結局私の頭にはぺたんこになった後頭部がしみついていて、サッパリ忘れることなんてできなかった。ゆうとさんから連絡なんて一度も来なかったから、ゆうとさんの勧めてくれた本を読んで感想を書いたりした。会話のきっかけとして。でもその話はすぐ終わってしまったから、次はきっかけに困った。また会いたいなんて自分から言えるようなタイプでもない。諦めるしかないのかと思ったときに、ゆうとさんが連絡をくれた。2回目のデートに続く。
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チャットレディ
20代前半、私は大いに迷走していた。今回はゆうとさんがどうしてもとリクエストをするので、チャットレディとして活動していたころの話を書きたいと思う。
私は、メール専門のチャットレディであった。実家暮らしであるので、知らないおじさんとエッチな会話をすることは抵抗があった。しかしメール専門のチャットレディというのは工夫がないと誰も返信をくれない。それもそのはず、おじさんは返信するたびにいくらかお金を取られるシステムなのだ。だから「はじめまして、こんにちは!はるこっていいます。プロフィールを見て、仲良くなりたいなと思ってメールしました。ちなみに私はすごくエッチです。よろしくお願いします」なんていうメールには返信なんて1通もこなかった。私は頭を振り絞って、おじさんから返事が来るようなシステムを色々と考えた。 まず、プロフィール画像を工夫した。とにかくエロく映るように努力した。おじさんはナチュラルな方が好きなんじゃないかと考え口紅はナチュラルかつ艶やかな薄ピンク色で血色をよくした。さらにおじさんは確実にほくろが好きだろうと思っていたので化粧でほくろを書いた。サイトでは顔出しが推奨されていたが当時自分の顔に自信がなかったため、顔をすべて出すのではなく、鼻から下と乳の隙間が少し映るようにした。そして公開。結果、返信なし。 おじさんはロングヘアが好きなのではないだろうか。私はショートヘアである。ウィッグを買えばよかったのだが、おじさん相手にそんな金を出すのは嫌だった。仕方ないのでプロフィール内容と返信速度に拘ることにした。
プロフィール内容をどうすべきか。売れている女性のプロフィールを見られるのであればそれを参考にすることができるのだが、そのサイトは一切そういうことができなかった。頼れるものは公式が発表している例文と己の頭だけ。私はひたすら脳みそを絞り続け、ようやく、「特殊性癖に寄り添えばいいのではないか」という考えに至った。 特殊性癖とは言えども、私にはSMの知識と考えしかなかった。おじさんの相手に特殊性癖で検索をかけるのは嫌だった。仕方ないのでドMとしてプロフィールを書き上げた。そして公開。結果、ちょっとキモイおじさんたちから返信がきた。 「ドMなんでしょ?〇〇〇〇(局部名)見せろよ。俺からの命令だぞ。そんなこと言われて、写真撮る想像して、〇〇〇〇びしょびしょなんだろ。早くしろ」「今すぐに服を脱いで乳首とクリに洗濯ばさみを挟んでベランダに出ろ。命令だ。自撮り棒で写真も撮れ」など、命令文が自分に酔っている感じがして本当に気持ち悪かった。 気持ち悪かったが自分が書いたプロフィールにここまでの反応が得られたのは素直に嬉しかった。なので、とりあえず「素人 〇〇〇(局部名)」で検索をして、いい感じに光を飛ばして加工をして送りつけたりをした。洗濯ばさみに自撮り棒の彼のリクエストには応えることができなかったので、そっとブロックをした。 しかしこれも長くは続かなかった。私にはMの素質がないのだろうと割り切り、今までやり取りしていた人を全員ブロックして今度はドSとしてプロフィールを書き上げた。そして公開。結果、かなりキモイおじさんたちから返信がきた。 「はるこ様、僕の自慰の管理をしてください」「僕ははるこ様の犬になります。なんでも言うことを聞きます。犬にご褒美をください」「僕の自慰を見てください!(局部の写真添付。小指程度の大きさであった)」など、自分に酔っている感じはしなかったけれども、性に操られている感じがして本当に気持ち悪かった。 私は犬を飼っていて、犬がとてつもなく好きだったのでキモイおじさんと犬を並べてこられて腹が立ったので犬おじさんはかなり強めにブロックした。 Sのほうではなかなか長くやり取りができたが、5日程度で飽きた。私が5日で稼いだ金額は3000円。そのサイトでは5000円から換金できるのであと2000円を頑張れば何とか手元に残るものになったのだが、私はもう、それすら我慢できないほどに飽きていた。キモイおじさんのキモイ部分を見て得た3000円は泡となって消えた。
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昨日はなににも集中することができないでぼんやりしていたら、そのうちに夕方になっていた。「なにかしなければ」と「なにもしたくない」が磁石のS極とN極みたく同程度の力で作用して、その中心で両方から引っ張られる心とのあいだで焦燥が醸成されぼくは少しずつ疲弊する、そんな日だった。日中かけていた自室の冷房は古過ぎて大味な温度調整しかできず、ぼくは度々つけたり消したりを繰り返した。なにより駆動音がほとんど騒音のようでうるさいのが心に���風を立たせる。冷やしてほしいのは内面でなく贅肉がついて熱の籠るこの重い身体だけでよいのだ。1日こんなふうにして憂鬱の続く日というのは近ごろあまりなかったのだが、遅れてやってきた5月病かなにかだろうか、雨と湿気の多い日が連日続くとどうやらぼくはダメらしい。恋人に情けない泣き言を聞いてもらっていた昨晩は知らず寝落ちしていたみたいで、ぼくは切り忘れていたアラームに叩き起こされてやっとそのことに気付いた。恋人はぼくより早くに起きてすでにメッセージを送ってくれていた。ぼくは寝惚け眼でそれに返信して、気付けばまた二度寝をしていた。二度目の起床でぼくは寝床から這い出て煙草を吸って、僅かしか残っていなかったボトルコーヒーに多過ぎるぐらいの牛乳を加えて飲んだ。それから歯を磨いて顔を洗った。布団を干そうとベランダに出るとたいへんな量の紫陽花がツルを空にぐんぐん延ばしてたくさん咲いていた。昨日とは打って変わって天気がよくてほんとうによかった。心が少し空いたような感じがする。部屋の掃除を済ませて、買い出しに出て、今日は1日音楽を聴いて書き物をしようと思う。「好きなことをしてみたら?」という昨晩の恋人の言葉はまだ胸中で落ち着きのない犬のようにぐるぐるめぐっている。たしかに近ごろ内心を整理して昇華してモノにする作業をおろそかにしていたことは否めない。「そういった内省が好きである」というのもまた気障で気持ち悪いのだけれど、これはもう性分であるから仕方ない。恋人曰く「うさんくさい眼鏡」にも随分と慣れてきた。ぼくがこれまで見てきた世界は乱視のもとの世界であるようだ。左に右に焦点を絞れずぶれる世界が薄いレンズで調整されるというのはすばらしいけれど、しかしなんだか少し寂しい気もする。理由をうまく言葉にすることはできないし、またいまはそれを上手いこと言おうという気分にもならないからこれ以上それには言及しないけれど、自分の目で見た世界がこうも簡単に変わってしまうというのは、またそれに快さを見出してしまう自分というものに、少し疑問を抱く次第である。交換日記ではなく非常に私的な内容でまたつまらないものになったけれど、今回はこの程度で。

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昨日のデートのこと
コロナによる緊急事態宣言が解除された。ならばするべきことは一つ。デートである。…とはいっても、デートをしようと前々から言っていたわけではなく、私が、ただ単に、夜勤の疲れから癒されたいとゆうとさんを呼び出しただけ。だからゆうとさんは髭も眉毛もじょりじょりのボサボサで現れた。それでも、やっぱり、久しぶりのデートだからか3割増しでかっこよく見えた。
嫌なことがあった日には酒と彼氏に限るな、なんて夜勤明けでよく回らない頭で考えた私は、帰宅途中のミニストップでアルコール度数9%の体によくなさそうなアルコールをすきっ腹にいれ、勝手に気持ち悪くなり、気持ち悪いのをごまかそうとスーパー玉出のイカのパック寿司を食べた。変に胃が重たくてしんどいのをごまかそうと太田胃散を何袋か腹に入れ、久しぶりの化粧をして、ゆうとさんが好きだと言ったから買った服を着てデートに向かった。 久しぶりの日本橋。どの出口から出たら”ウルフくんのガチャガチャ”があったところか忘れていた。ゆうとさんに、何番出口?と聞いたが、返事には8秒ぐらいかかっていて、早くゆうとさんに会いたい私は突発的に少しイライラした。何か仕返しをせねばと思っていたけれど、久しぶりに会った彼氏がものすっごい嬉しそうな顔をしていて何か悪意を持ったことができる人がいるのなら知りたい。
向かった先は寿司屋さん。なんばは思ったよりももっとずっと人が少なくてびっくりした。もっと開放的で酒に溺れた短絡的思考の、砕けて言えば女の股のことしか考えていないバカがたくさんいるのかと思った。短絡的思考なのはこちらの方だった。バカにしてごめん。でもきっとまたバカにする。 はまち、サーモン、炙りイカ、他にもいろいろ食べた。ひとつひとつにおいしいと顔をくしゃくしゃにするゆうとさんがキラキラして見えた。髭面なのに。じょりじょりなのにかっこいい。おいしいのにあんまり食べられなかった。酒と、パック寿司のせいだ。寿司屋のトイレに座って二日酔いの覚まし方を調べたりした。
時刻は20時20分。帰るにはまだ早いけれど、緊急事態宣言が解除されたばかりの繁華街ではすることがない時間。 私はゆうとさんとセックスがしたかった。私は性欲が強いほうだと思う。AVも見るしスケベな絵だって見る。スケベな二次創作でしか知らないキャラクターだってたくさんいる。BLの二次創作も、そういうキャラクターではないのにヤンデレ設定が二次創作上で定着していたりするから、この子のヤンデレ設定も二次創作上のものなのだろうなと思いながら見たりする。それはどうでもいい。私はゆうとさんととにかくセックスがしたくて、自分の手持ちのカバンの中では収納力があるカバンを選んだ。その中に化粧道具を押し込んだせいで太田胃散の入っているポーチは入らなかった。それでも私は化粧道具を選んだ。 ゆうとさんは会った時からもじもじしていた。目に性欲をにじませていた。だから私はあえて何も言わなかった。ゆうとさんに言ってほしかった。私だけがめちゃめちゃ好きなような気がして癪だったので。
ゆうとさんはなかなかラブホテルに行こうとは言わなかった。コーヒーでも飲む?とありきたりな選択肢を出してきた。仕方なくコーヒー屋さんを探したけれど、緊急時代宣言が解除されたばかりの繁華街のコーヒー屋さんはだいたい営業時間外であった。時刻は20時40分。もう癪だとか何だとか言っている場合ではなかった。もうストレートに言うしかないと腹をくくった瞬間、「ムラムラしてきた」とゆうとさんが言った。 ムラムラしてきたって何?会った時からムラムラした顔してたやん。ムラムラしてたやん会った時から。何さも今ムラムラしてきましたみたいな言い方してるんや。何その自分はクリーンですアピールはよ。性欲を目ににじませていたやんか。会った瞬間からよ。何なら会う前からムラムラしてたんとちゃうんか?なあ?はっきり言え!…なんてことを言ってしまったら、ゆうとさんのちんこは下を向き皮の中に隠れてしまいそうだったので、私は、ウン、とだけ言った。
久々のラブホテルである。一軒目では「21時50分までです」と言われて隣のラブホテルに来た。内装はきれいにしてあるけれど、古さを隠しきれていないラブホテルだった。私は風呂場のきれいさを何よりも重視している。風呂場に入った時真っ先に目に入ったのが天井のカビのシミと、シャワーヘッドのさびであった。だけど、ゆうとさんが「お風呂きれいだね」と言ったので何も言わなかった。
黙ってキスをした。体の中でアルコールを分解しづらい体質のゆうとさんの口からはアルコールの臭いがプンプンした。だけれども、嫌ではなかった。酒に酔っているからかいつもよりもねっとりと柔らかいキスで、とてもよかった。いつもは性急にキスをするあまり舌が運動会状態になってしまっているので新鮮だった。 さっさと服を脱いで、股を洗って、前戯をしてもらった。潔癖症気味の彼が私の股に顔を埋めているのは、何とも言えぬ光景である。顎の肉が気になるのであまりゆうとさんの方へは顔を向けないようにしているが。
2発目までフィニッシュして、クーラーをつけて、しばらくくっついて、もう内容も覚えていないような話をした。確か、ブーメランパンツの時に勃起してしまった場合、どのようにして隠すのか?ということを話していたはずだけれど、いつもしょーもない話をしているので確信はない。 のんびりして、服を着せてもらって、太田胃散の代わりに詰め込んだ化粧道具で化粧をして、部屋を出た。 久しぶりに下から見るゆうとさんの顔は非常にかっこよかった。髭面だし、腹も出ているし、陰毛も剃ったせいで肌触りがじょりじょりだったけれど、何もかもがよくて、気づけば二日酔いも治っていて、満たされていた。気持ち悪さが治ったお腹に先程食べた寿司はどうも足りないようで、うどん屋さんを見つけた瞬間に猛烈にお腹がすいた。ゆうとさんにねだったけれど、お腹がすいてないからと断られた。次の日になってもどうしてもうどんが食べたくてカップうどんを食べたけれど求めていた味ではなかった。仕方がないので追いチャーハンをした。この恨みは一生忘れないだろう。
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3回目のデートをするとき、ぼくらはそれまでのなんと言っていいかわからない関係に『恋人同士』という名前をつけていた。日にちは2019年10月13日。なぜこんなにはっきり覚えているのかというと、その日に撮った約270枚の写真を保存しているフォルダに日付も記入していたからだ。ぼくの記憶力が特別高かったわけではないのである。ただ、ぼくの日々の几帳面さ、それが表れた事例のひとつと考えてもらえればよい。そう、ぼくはけっこう几帳面なのだ。
その当時のぼくらと言えば、ことある毎に会っていたような気がする。仕事終わりにごはんを食べて、毎晩どちらかが寝落ちするまで電話して、彼女が夜の深い時間に「会いたい」と言うことも多かったように思う。ぼくはその度「いいよ」とふたつ返事をして自転車を飛ばしたものである。いまではもはや日課になってしまった電話は毎日している。こんな時勢でなければ外食も週に一度はしていたことだろう。けれども当時のぼくらの勢いは、いま思い返せば少し不健全だったような気もする。彼女は、会えばいつも「本当に私たちは恋人なのだろうかと不安になる」といった旨のことを漏らしていた。そんな当時に比べると、ぼくらも少しは恋人然としてきたのだろうか。少なくともお互いの信頼度は上がっているように思う。だって、ぼくらはもう「ぼくらは本当に恋人なのだろうか」と疑うことも減っただろうから。そんなふうに順調に思えるぼくらだけれど、ぼくは当時といまを比べて、これは変えないでおこうと思っていることもある。それは彼女が真夜中に電話をかけてきたとき。しかもそれがどこか繁華街で「会いたい」と電話をしたとき。そんなときは、ぼくはいつまで経ってもふたつ返事で「いいよ」と言って彼女のもとへ駆けつけようと思う。理由は以下のとおり。つまり「心配だから」である。
話は今回の主となるものから少し外れたが、ここらでそれも本線に戻そう。つまりそれは彼女からのリクエスト、今回は3回目のデート、その所感と思い出について書こうと思う。
「水族館に行きたいね」と、どちらともなく言い始めたのがきっかけである。ぼくらは午前中に現地集合した。ひとりでの往路、電車内には家族連れや外国人観光客でそれなりの乗車率だった。ぼくは音楽を聴いていたように思うけれど、彼らのにぎやかな声が少しうるさいぐらいの音量で脳内再生されていた。彼女はどうやら先に着いたようで「どこにもいない。デートするって言ったのに。嘘つき……」などというLINEがきていたように思う。この記憶は捏造されたものかもしれない。裏を取ろうと当時のLINEを読み返していたが、お互いあまりに他人行儀な言葉遣いで恥ずかしくなって閉じてしまった次第である。改札を出ると、縦セーターを着た彼女が立っていた。彼女は当時を思い出してこう言う。「顔より先に胸見てなかった?」言われるとそんな気もする。とてもぴったりしたサイズだったから。彼女はおっぱいが大きく、縦セーターがよく似合うのだ。
ぼくらはチケットを買いに並んだ。渡されたチケットにデザインされていたアザラシの顔真似をする彼女以上にぼくはいとおしい生き物をぼくは知らない。それからぼくらは数時間かけて館内を見て回った。ちっともこちらを見ないカワウソを見て、気ままに泳ぐアザラシを見て、群れからはぐれてぼんやり立ち尽くすペンギンを見て、ひとりぼっちの水槽で回遊するマンボウを見た。彼女はときどき展示されている生き物の顔真似を披露してくれて、それはもうかわいさがはじけていた。ぼくは彼女の写真を撮ることに夢中だった。
館内に出てからぼくらは青いソフトクリームを食べた。10月とはいえまだ暖かく、ソフトクリームはすぐに溶け出した。海に近いベンチに腰掛けたものだからぼくらのジンベエソフトは瞬く間に潮風に攫われて、彼女の手はベタベタになって、それを見てぼくらはまた笑い合ったりした。
昼食には水族館近くの定食屋さんに入った。ぼくはポークチャップ定食を、彼女はカツとじ定食を頼んだように思う。定食屋の子どもを誘いに友達の子どもが店にぞろぞろと入ってきたことをなんだかよく覚えている。彼女はうどんを少し残して、ぼくはそれを食べた。カツもくれた。当時のぼくはまだ彼女のことをよくわかっておらず「よく食べる子である」という認識であったため「ぼくにとても気を遣っているのでないか?」と思っていたが、それはいまでは違うとわかる。彼女は食べたいものを食べたい量だけ食べたいのである。そう、彼女は「足るを知る」ことのなんたるかを本当によく知っているのだ。ぼくは彼女の残飯処理をすることに得も言えぬ感情を覚えている。これが世に言う「彼氏面」というものなのかもしれない。
昼食を食べたぼくらは電車に乗って繁華街へ出た。特にこれといった目的地があるわけではなかった。ただぼくはなんとなくまだまだ彼女と一緒にいたかったのである。それは彼女も同じだったのではないだろうか。きっとそうだっただろう。そう思うことにする。ぼくは「コーヒーでも飲みましょうか?」と言って、彼女は「いいですね」と了承してくれた。けれどもその日は日曜日、昼時の繁華街の喫茶店はどこも当然満席で、ぼくらは当てもなく歩いた。初々しいぼくらは、けれどもそれがなにより幸福であったのだ。だって好きな人と手を繋ぎ歩いているのだから。これはいまになっても薄れない。好きな人との物理的接触はすばらしいのである。不要不急の密こそ人にとって最も重要なものであると、ぼくがそう断言できるほどに。ただ、それがぼくにとっても不本意な「なりゆき」を誘発することになったのだけれど。迷い込んだホテル街、軽く乳首をタッチする彼女、勃起を隠す気もないぼく。条件は揃い過ぎていた。ぼくらはその日はじめてした。ぼくは素人童貞であることを悟られぬよう、努めて冷静にしたつもりである。やさしくゆっくり、はやる気持ちを抑えに抑えてしたつもりである。けれども内心とてつもない衝撃であった。「好きな人とすると、こんなにも違うのか」と。ぼくははじめて最後までいけた。こういった言いかたは非常に旧世代的かつハラスメントじみていると思うけれども、あえてぼくは言いたい。これはとてつもなくきもちのよい行為であると。しかしそのときを振り返った彼女にはひとこと「かなり鼻息荒かったよ」と指摘された。ぼくはそのときのことは彼女にも書いてほしいと希望する。
3回目のデートについては、このようなところである。なんだかいろいろとあったデートだった。ぼくらの距離も相当に縮まった、そんなデートだったのだ。たいへんによいデートだったのである。

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ぼくらのジュラ紀
今日は1日、恋人に「天ぷらの豚」と言われ続けた。元々のあだ名は「デブラノドン」であり、彼女曰くそれは「天ぷらのトン」を経由し変化したものらしい。あまりにひどいとは思わないだろうか。だけれども愛に溢れてもいると思う自分もあり、やはり人間とは常に意味不明である。 そんなふうにいまでは冗談を交えけらけら笑い合える仲だけれども、なにもはじめからこんなふうだったわけではない。ぼくが彼女と意気投合したのは2回目のデートでのことだった。
当時のぼくは無職から再就職をはたしており、なんだか落ち着かない日々を送っていた。それでもなんとか久しぶりの社会復帰と日々の生活にも慣れ始め、1回目のデートから2週間ほど経ったころ、ぼくは再び彼女をデートに誘ったわけである。その期間、彼女はいつも「連絡こねえな。おっせえ。はよ連絡してこい。もうこっちからするぞ」と振り返る。いい加減しびれを切らしていたころにポンとLINEに通知がやってきたそうだ。我ながらタイミングがよいというか、いい加減であるというか、とにかく彼女のそんな所感を聞く度にぼくはいつもくすぐったい気持ちになるのである。 「このあいだ言ってたプラネタリウムに行きませんか?」デートへの誘い文句はたしかこんなふうだったように思う。彼女が1回目のデートのときに「プラネタリウムが好きでよく行っていた」と言っていたことを妙に覚えていたから。ぼくとしては1度目に会ったときから「なんかわかんないけど、好きだな」と思っていたのだけれど、とはいえそれなりの期間が経っていたから「返事が来なくてもしょうがないよな」と半ば諦めてもいたのである。だから彼女から返信がやってきたときはひどく安堵し「またデートができる」という期待に心弾んだ。
その日はそれなりの降水確率で雨だったように思うけれど、自称晴れ女の彼女のおかげか、よく晴れた日だったように思う。もう9月も半ばというのに少し暑いぐらいだった。駅前の広場に腰掛けながら彼女に「改札前まで迎えに行きましょうか?」と連絡すると「そんなの悪いから座って待っててください。それに、方向音痴のあなただから、また道に迷われませんか?」とあまくいじられたのを覚えている。1回目のときとは違いお互いを少し知っているなかでの探り探りのコミュニケーションにぼくは少しにやけていたように思う。 無事落ち合えたぼくらはプラネタリウムへと徒歩で向かいながらさまざまな話をした。そのなかでぼくらが実は同じ高校に通っていたこと、また在籍期間が1年重なっていたこと、それからぼくらの高校での行動範囲がニアミスしていたことが発覚して、ぼくは「なんだかこんなこともあるもんなんだなあ」と驚いた。それはきっと彼女も同じだったように思う。とはいえぼくらはお互いをさっぱり知らないのであった。ふたりとも普段はそこそこ他人に無関心であることがその一因を担っていることだろう。案外ぼくらは似たもの同士であるのだった。彼女がおどけてぼくを「せんぱい」と呼ぶ度に、ぼくはなんだか照れてしまい、彼女の顔をまっすぐ見れなかった。 ひとつ大きな共通項が見つかったからだろうか、1回目のときに比べると彼女も随分リラックスしているように思えた。街を流れる川に架かる橋の上に乗り出して川を見つめる彼女を見て「おぉ、意外とアクティブな子なんだなあ」と思ったり、風にあおられてめちゃくちゃになった髪型を直すこともせず諦めて笑う彼女を見て「なんか好きだなあ」など思ったり、ぼくはずっと彼女に心を掻き乱されていた。ぼくがプラネタリウムのある科学館への道に迷ってしまい、たまたま元職場の近くまでやってきたときには、その当時のことを彼女に話した。「鬱になって、自律神経もおかしくなって、やめる直前には歩いてるとコンクリートが浮いて見えたんだ」という話をすると、彼女に爆笑された。彼女は笑いながら「こんな話笑って聞くものではないですよね。ごめんなさい、でもおもしろくて。私はぜったい鬱とかにはならないので」と言っていた。それがいまでは強がりであったこともわかるぐらい、ぼくは彼女を当時に比べて知れたのかなあと、書きながらしみじみしている。
プラネタリウムのある科学館の前まで到着し、さあ館内に入ろうかというところで、ぼくらの背後でちょっとした悲鳴が聞こえた。振り返るとそこには4人ぐらいの家族連れがいて、車椅子がなぜか横転していた。ぼくは「でも家族がいるし大丈夫か」と立ち止まった足を再び館内のほうへ動かそうとしたけれど彼女はそうせず、すぐ車椅子に乗っていたであろうおばあちゃんのもとへ向かった。おばあちゃんは額を軽く擦り剝いていて、血が少し滲んでいた。彼女は倒れたおばあちゃんと目線を合わせるようにしてしゃがみながら「大丈夫ですか?」と声掛けをしつつ、パンパンになった小さなかばんのなかからアルコール綿を1枚取り出して額の血を拭ってやっていた。「ほんとに看護師なんだな。すげえ」など、棒立ちのままでなにもできないままでいるぼくは驚いていた。華麗な手付きでおばあちゃんを再び車椅子に乗せてから戻ってきた彼女は「アルコール綿、職場からいっぱいパクってくるんですよ」と、そんなことをぼくに照れくさそうにしながら言ってきたことを覚えている。
館内に入りチケットを買う段階で彼女に「こないだは映画のチケットを出されたので」と制され、ぼくは「いやいや、ぼくは先輩であなたは後輩なので」と食い下がると「それはそれ、これはこれ」と、たしか財布を出させてくれなかったように思う。十数年振りに見るプラネタリウムはたいへんによいもので「なにこれめちゃくちゃデートではないか?」と勝手にどぎまぎしていたものである。とはいえ暗い場内、ふかふかの椅子、条件は揃い過ぎており、次第にうつらうつらするぼくを察知しては、彼女はぼくの腕や足をちねってぼくの目を覚ましてくれた。それは冗談抜きにそこそこ痛く「えっ、加減を知らぬのか、彼女は?」など思った。そのうちにまた彼女とプラネタリウムに行ったとして、ぼくがうつらうつらとした場合、さらにすごいことになるだろうとぼくはいまから震えている。
プラネタリウムを見たあとのことは正直あんまり覚えていない。はっきり彼女を「好きだ。付き合いたい」と思ってしまっていたことが最大の原因であると思う。科学館からまた駅前の繁華街へ戻ったぼくらは少し飲酒して観覧車に乗った。自然と隣に座ってくる彼女にどきどきして、飲めない酒を飲んで少し緩んだ気持ちと、ふつうに高所恐怖症であることが作用して、ぼくはもうわけがわからなくなっていた。そんなぼくの気も知らず彼女はぼくとの自撮りを始め「彼女はあまりにデートに慣れ過ぎていまいか」と戸惑ったことを覚えている。当時を振り返り彼女は「いや、あんまり付き合う気もなかったし、記念に近くに行って触っておこうと思って」と漏らす。思想がすけべなおやじのそれと全く同じである。あまりにひどい話ではなかろうか。 観覧車に降りたあと、ぼくは「彼女と付き合いたい」とはっきり思っていた。だから勇気を出して「手を繋いでいいですか」と申し出た。彼女が存外あっさり「いいですよ」とぼくの手を握るものだから、ぼくは呆気に取られてしまった。彼女は「記念にまあ」という気持ちで、ぼくは「これは脈ありなのか?」という気持ちで、手を繋ぎ街を歩いた。それからぼくらはかき氷を食べて、その年のかき氷納めをした。空はすっかり暗くなっており、待ち合わせをした駅前の広場に腰掛けたぼくの隣で彼女は「まだ帰りたくないなあ」とうじうじしていたのを覚えている。ぼくがアルコールで大きくなった気持ちのまま告白しようとすると「お酒を飲んだあとに大事な話をしないでください」と言われ、一気に酔いが醒めた。「あと3回デートしたあとに決めます。いまはノーコメントで」といったことも。「手も繋いでくれたのにダメなのだろうか」とぼくは少し落ち込んだ。彼女はけれどニコニコと上機嫌であるように見えた。不思議な子だなあと思って、ぼくはまた彼女を好きになった。
はるかむかしのことのように思いつつデブラノドンはこれまでを書いた。けれども、ぼくらはまだ出会って1年と経っていない。「ほんとに?」と思うほどナツケラトプスとの思い出はたくさんある。これからもそれらを積み重ねていきたいとぼくは思う。それこそもういちいち覚えていられないぐらいたくさんの思い出を。 またこれは余談であるけれど、彼女との関係も正式に「恋人」になって少し経ったころ、待ち合わせをしながら彼女とLINEでするやりとりににやけるぼくをたまたま彼女本人に目撃され「なににやけてんの? 浮気?」と言われたことをなんだか妙に覚えている。「『妙に覚えている』ことを積み重ねるごとに、ぼくのなかで彼女はだれより特別な存在になっていくのかなあ」など、そんなふうに思う。
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一切モテない中高時代を過ごし、専門学校に進んだ。専門学校で私は初めて【男と付き合うために男を探す】ことを友人に教えてもらい、様々な出会いの場に赴いた。合コン、街コン、相席屋、立ち飲み、スイッチバー、クラブ、アプリ、友人の紹介…インターネットで【男 出会い方】で検索をして出てきた方法はすべて試した。結果はすべて惨敗だった。一度も女として扱われたことはない。
合コンでは、友人が「こういうは男が金を払うものだから、お金なんて持ってこなくていいんだよ」と言っていたがあまりにも恐れすぎて三万円をもっていっていた。結果、私だけ男側とカウントされ徴収されそうになり、友人たちがかばってくれて何とか出費を免れた��他に行った合コンでは全く相手にされず、男側が勝手に計算して「これで足りるから」と渡された金額が全然足りず、多めに払ったりもしたものである。
街コンではどれだけ話を振ってもああ、だとか、うん、だとかそういう返事一つで終わってしまい、主催者が連絡先交換タイムです!と大きな声でアナウンスをかけても誰からも連絡先を聞かれることはなかった。隣のかわいい女の子は大漁だったので(その子は「好きじゃない男のラインなんてゴミ以下」と言っていたが)そういうことなのだろう。
相席屋では陶芸家だったり、宗教家だったり、変な職業の人間ばかりあてられた。かわいい友人は消防士だったり警察官、会社員など比較的まともな職業の人をあててもらっていたように思う。こいつにはこの変なやつでも当てておけと店員も思ったに違いない。もちろん話はたいして盛り上がらず、なんか変な宗教に勧誘されたり陶芸教室に勧誘されたりした。
立ち飲みやスイッチバー、では一切声を掛けられることがなかった。友人と一緒に行ったのだが、友人にばかり声がかかり、私は彼らの目に映っていないようであった。テラス席のような場所で、友人がナンパされているのを右耳から聞きながら、ただ空を見上げて星の数を数えていた。
クラブでは男にあまりにも話しかけられなさ過ぎて、先輩が男から買ってもらったお酒のおこぼれを飲みながら、女の尻を撫でたりして遊んでいた。尻を撫でられた女は、近くにいる男に不信気な目を向け、時には「触ったやろ!」と怒りの感情を露わにしていたものである。
アプリでも何人かの男に会った。30歳の男に会ったこともあったが、「そんなんじゃだめだよ。学歴がない」とかなんとか言われまくったりした。その人と昼に食べたオムライス代は割り勘で、1010円だったのだが、10円がなかったので1100円を出したところ、90円はかえってこなかった。90円。悔しい。他の男にもなんやかんや言われたものである。アプリには女を呼び出して憂さ晴らしをしたい男しかいないのだな、と理解した。
あらゆる出会いの場に赴いて、結果、私の自己肯定感は地にへばりつくどころか、土を掘り進め地球の真ん中までたどり着いていた。結果として身に着けたものは、知らない人相手であればある程度会話を続けられるという能力のみであった。顔がかわいければ相手側が頑張って話を繋いでくれたはずなので、ブスだからこそ身に着けた能力であるともいえる。悲しくなるので終わり。
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彼女と出会う前後の話
2019年1月、ぼくは念願叶ってコピーライターになった。試用期間となる2月はじめからアルバイトとして広告制作会社に勤め始め、3月には正社員として働き始めた。自身で書いたコピーが世に出たのは自分でも驚くほどはやく、入社して1ヵ月と経っていなかったと思う。平成最後の桜花賞、阪神競馬場のみではあるが、ぼくの書いたコピーが場内のあらゆる箇所にポスターや垂れ幕として掲示されていた。冗談でなく本気でうれしいことというのがこの年になってもあるんだなと、当時はそんなことを思いながら競馬場で写真を撮っていた。そんなふうに華々しいライターデビューをしたぼくだが、それからまもなく心身ともに壊れて無職になっていた。同年5月末のことである。
それからのぼくはなにもかもがどうでもよくて、祖母の住む公共住宅の一室、六畳の自室で延々に起き続けていたり、寝続けていたりと、冗談でなく破滅的な生活を送っていた。就職先も決めれぬままに大学を卒業し、その焦りからくだらない会社に入って2週間で辞めて落ち込んでいた2016年5月は、いま思えばまったくどん底ではなかったんだなあなど、オードリーの何度も聞いた回のラジオをまた聞きながら、ぼんやり思ったものである。
ぼくのまだ長くない人生のなかにも挫折と呼べるものはいくつか思い当たるものがある。2016年5月のできごとも一応それには当たるのだろう。その当時もぼくはひどく落ち込んでいて、そのときにであったものがオードリーのオールナイトニッポンと『いりす症候群』というフリーゲームであった。それまでのぼくはFMラジオを聞いていた時期はあったけれど、AMラジオというのは聞いたこともなく、またさほど興味もなかった。ときどき乙一の小説のなかに出てくることがあったぐらいで「へえ、なんかおもしろいんだね」と、あくまで自分が聞くことはないのだろうなというスタンスを崩さぬまま外様でその存在を少し知っていた程度である。新卒カードを失った当時のぼくは虚ろな目で『いりす症候群』をプレイしながらyoutubeを観て日々を過ごしていた。またその当時は祖母の家にネット環境がなかったので、ぼくは毎日家族全員が学校や仕事に出て誰もいなくなったであろう時間を見計らって実家に帰り、ノートパソコンを開いたものである。だれに責められたわけでもないのに、日々だれかに責められたような気になって、ぼくはほとんど家族とも会わない日々を送っていた。祖母の記憶もこのころにはもう曖昧なものになっていて、こんなことを言ってしまうのはとても罰当たりなことだけれど、でもこのときほど彼女の記憶能力の低下に救いを見出したことはない。彼女はずっとぼくが実家に帰っている時間も「働いている」と思い、接してくれていた。帰ると必ず「おつかれさま」と声をかけてくれた。その度に自分のついている嘘と卑怯な態度に吐きそうになったこともあるけれど。
そんなこんなで自堕落な日々を続けるなか、ぼくはオードリーのオールナイトニッポンにであった。最初聞いたのはyoutubeに違法アップロードされていた初回放送。メール投稿者のラジオネームである「ちんこ」がツボに入ってしゃべれなくなる若林とそれを諫める春日のやりとりを聞いて、ぼくもひさしぶりに爆笑したことを覚えている。それからなんとなくyoutubeにある過去回を片っ端から聴き始めた。それまでぼくはオードリーという芸人コンビに特別な感情を持ってはいなかったが、彼らが毎週深夜にさも世の中にはどんなつらいことも凄惨な事件もないみたいにくだらないことを話し続けるラジオを聴く度、ぼくは救われる気持ちになったものだった。そこからぼくはオードリー、とりわけ若林のことを好きになって、彼のエッセイを読んだりもした。彼の最初のエッセイ集『社会人大学人見知り学部卒業見込』は当時のぼくにとっては本当に「自分のためだけに書かれたものなんじゃないか」ということ、それはたとえば社会に対する不満や憤り、自分に対する省察など書かれていた。ぼくはあまり運命とかそういったものを信じている人間ではないけれど、それでもやはり近ごろは、人生に起こる出来事、それも自分史の節目になるような大きな出来事は、どれも「然るべきタイミング」で起こっているような、そんな気がしている。2016年5月当時のぼくがもし彼のエッセイに出会っていなければ、ぼくはもしかしてもしかすると、すごいひきこもりとなっていたかもしれないなあ、なんてことを思う。
そうして徐々に元気になっていったぼくは、ふたたびいろんなことを始めるようになる。まずは仕事だと思い立って、恥も何もかも捨てて学生時代に働いていたバイト先に電話して出戻りをした。それから「やっぱり文芸の世界で働きたい」と思っていろんな学校にも通った。そんななかでいろんなつながりもできた。仕事や社会に対して、また他者に対する眼差しも幾分柔軟になったように思う。そうしてはっきりとスキルアップを実感した2018年夏、ぼくは再び就職活動を始めて、この日記の冒頭2019年1月に戻る。その間およそ2年と少し。その間に積み上げてきたものすべてが、自分の夢見た世界で通用することを知って、無理をして、たった3ヵ月で何もかも台無しになった、というわけである。
「なにも考えたくないな。心がうるさいな。ロボットになりたい。もう自意識はいらないや。どうしたらぼくは自分ともう感じずにいられるのだろう……あぁ、死ねばいいのか」と、まったく幼稚なひらめきが眠れない夜にやってきて、ぼくはその夜の明けぬうちに死に場所を決めて、高速バスの予約と支度を済ませて、一睡もせず高速バスターミナルのある街までの電車に乗った。ぼくは昼間に乗る高速バスが好きで、大学の就職活動中にもよく乗っていた。大阪から香川までは約2時間、ぼくは音楽を聴きながらずっと車窓を眺めていた。香川に着いてすぐ、ぼくは手軽に死ねそうな崖などありそうな島へ渡るための船に乗った。残念だけれど1日目にそんな場所は見つけられなくて、ぼくは仕方なく宿を取った。シャワーを浴びて、身体も吹かぬまま全裸でベッドに寝転んでいると勃起してきて、するとそのうちに「童貞のまま死ぬのは、なんかもったいないな」と思って、ホテルから歩いて20分ほどある風俗店に向かった。「そこまで気持ちよくねえ」という感想を抱きながら腰を振って、結局最後まで射精できないまま2万2000円が1時間で溶けていった。帰り道、普段はまったくしない歩き煙草をしながら、きっとさきほどまでぼくがいた風俗街へと向かう人と時折すれ違いながら、島内に死に場所を求めてたくさん歩いたせいか靴擦れで破れたかかとの刺す痛みを感じながら、ホテルに戻る前に食べた徳島ラーメン「香川なのにうどんでもなければ、徳島て……」など思いつつ啜りながら、ホテルのベッドに飛び込んで仰向けになって「もうちょっと生きようかな」など思った。それからあとにしたオナニーが死ぬほど気持ちよくて「まだ死にたくないな」と思った。
それからのぼくは無職期間に開き直って、貯金のことなど気にせず満喫することにした。せっかくだからこれまで自分がバカにしていたことをしよう。そうやっていろいろなことをするうち、ぼくはなつみさんと出会うことになるのである。夢に破れていなければ、死に場所を探しに、それから投げやりに童貞を捨てていなければ、ぼくはたぶんいま生きてもいないし、なつみさんと出会ってもいないだろう。そう思えば、ぼくのこれまでに無駄なことなんてただの一瞬さえなかったかのように思えてくる。人の理解はいい加減で身勝手でほとほと呆れかえるような代物だけれど、だからこそ人は人に恋をするのだろう。そんなふうに詩的なことを思ったりもするのである。
はじめてなつみさんと出会ったとき、ぼくはなんだか緊張していた。気が動転しており、映画を観る約束を取り付けたのはよいものの「ほとんど勢いでお互い盛り上がってしまっていたよなあの会話の流れだと」などくよくよとし「こなけりゃこないでもういい。本読もう」と待ち合わせ場所で現実逃避に勤しんだ。なつみさんは少し遅れてやってきた(彼女自身はいつもこの事実を否定している)。彼女はいまでもときどき「はじめてわたしを見たとき��う思った?」と聞いてくる。ぼくは彼女に合わせて「かわいかったよ」とか「きれいだと思った」など言っているのだが、本当のところはあまり覚えていない。自律神経がイカレていたこともあるとは思うが、しかしぼくはそれ以上に緊張で多量の発汗をしていた。彼女は「ふくやまさんですか」とぼくを呼び、とても自然な流れでぼくの座るソファの隣に腰掛けた。ぼくは平静を装いつつも内心では「えっ、近くない? ソーシャルなディスタンスがよぉ……」など、素人童貞のぼくは思ったものである。「こいつ、とても男慣れしているのか?」など、よくわからない危機感を覚えたような気もする。映画まで1時間もある時間に待ち合わせをしたことも、いま思えば最悪だったような気がする。なにせぼくは人見知りで、口頭でライブ感たっぷりに話すことも苦手だったから。けれどなつみさんは次々に話題を絶やすことなく振ってくれ、ぼくは彼女のそんな振る舞いにすごく助かったのと同時「この子はにぎやかで、でもちゃんと気を遣われてるのモロバレで、でも本人はうまくやれているような感じでいるのが、かわよいですな」など自分のことは棚に上げきもい感想を抱いていた。映画を見終えたあと、ぼくはいかに自然な流れで食事に誘うかを考えていた。なつみさんはそんな人の気も知らずに映画館のチラシやポスターに目移りしては「これ観に行きたいんです」など笑顔で話しかけてくれた。ぼくはそんな彼女に意を決して、けれども外にはなるだけ漏らさない感じのクールでできる男を装い「このあと食事でも……」などまったく身の丈に合わない台詞を吐いたような気がする。なつみさんは「もちろん」とか「よろこんで」とか、そんな肯定的なことを言って微笑んでくれた気がする。それからぼくらはお店に入ってハンバーグを食べた。なつみさんは、目玉焼きをにまったく手をつけずハンバーグを食べていて、ぼくは最初「たまごあんまり好きじゃないのかな」と思ったことを覚えている。そのすぐあとにたまご狂信者であることを知ることになるのだが……。彼女はぼくの無限パンとかなんとかくだらないことでケタケタと笑ってくれて、うれしかった。食事中に外は雨が降り出して、でも店から外にぼくらが出ると晴れたりもして、彼女が「わたし、実は晴れ女なんですよお」などと言ったりもして「ぼくは雨男なんですよね」などとつまらないことを言ったりもして、そんなこんなで本屋さんにも行った。なつみさんと同じところをグルグル回って本を選んで、なつみさんはぼくのおすすめの本を買ってくれた。今村夏子だったかなあ。数日後、すぐに感想がやってきてとてもうれしかった。それからぼくは駅まで彼女を送ろうとして道に迷って、なつみさんがぼくの腕を引いてくれて、ぼくの心の中に住まう女性性が「きゃあ、なに、強引ね、あなた」など騒ぎたいへんにキュンとして、改札の前で「また遊びに行きましょうね」と言う彼女の言葉に「またまたお世辞言っちゃってさあ」なんてことを思いつつ、でも本心のところではもうすでに完全に惚れてしまっていて、ぼくはその日にまにましながら帰りの電車に乗った。勇気を出して聞いたなつみさんのLINEに電車のなかでお礼の連絡もしたような気がする。
こうやって書くと、なんだかんだでなつみさんとの初デートをぼくは案外覚えているものである。映画館でカフェオレをこぼしてしまって慌てふためいていたなつみさんの顔を、なぜかいまでもはっきり覚えていたりする。そんな感じだ。なつみさんはいつも「わたしなんかより、もっといい女がいたでしょう」とぼくに言う。ぼくはそれを否定しない。けれど、そんななかで、本当に運命みたいなタイミングでぼくの前に現れたのは、なつみさん、あなたただひとりだったんだよ。それだけ。でもそれだけあれば、あとはもう充分ではないでしょうか? だれもなつみさんには勝てないよ。それにぼく、やっぱりなつみさんはけっこうタイプだもんね。あなた自身はあまり自信なさげな外見も、わがままなとこも、ちょっと弱虫なとこも、やさしすぎるところも、ダイモをまだ買えないところも。
とりあえず今回はこのあたりで終わろうと思う。なつみさん、あいしてる。
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中学生の時の話
陰キャだった。私はオタクで、インターネットが大好きであった。一日の半分以上をインターネットをして過ごしていた。寿司タイピングもして、そのころにブラインドタッチができるようになった。今ではカルテ入力に役立っている。そのころ、インターネットでは個人サイトが全盛期であった。今のようにPivixなどのサービスはなく、オタクはみんなホームページを作成して、そこに自分の作品をアップロードしていたものである。当時のオタクのホームページにはアクセス数のきりがいいところで自己申告するキリバン制度などもあり、キリバンを踏んだものは掲示板でキリバンを踏みました。何々のイラストをお願いします。などとリクエストをできたものである。懐かしい。私は当時、まるマシリーズ(ややホモくさい)にどっぷりはまっており、村田のイラストをリクエストした記憶がある。懐かしい。懐かしすぎて胃が痛くなってきた。
当時の友人は夢小説などにはまっていたが、私は夢小説には魅力を見いだせなかった。しかし、友人は夢小説を一生懸命書いており、私も何度も読まされたものである。夢小説の中で、私は家庭教師ヒットマンリボーンの雲雀とラブラブしていた。私は雲雀の皿も持っていた。高校卒業まで捨てれずにいたが、引っ越しを機に捨てた。あと色々グッズも持っていたけれど、確かなんか全部人にあげた気がする。捨てたかもしれない。忘れた。
当時私は週刊少年サンデーを毎週購読しており、家からちょっと離れたコンビニが一日前に販売するので、わざわざそこに買いに行ったりもしていた。懐かしい。 勉強は全然していなかったがなかなかの成績をおさめており、ひたすらにオタク活動をしていたものである。友人とアニメイトにチャリンコで片道30分かけて頑張って行ったり、BL小説を貸しあったりしたものである。
ゆうとさんが中学生の頃の話を知りたいというので書いてみたが、もう胸が痛いのでやめることにする。おわり。
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とにかくおっぱいが見たい日がある。おっぱいには力がある。おっぱいは人を元気にしてくれる。私はおっぱいが好きだ。おっぱいには癒しの効果がある。誰にでも付いているというのも高評価。とにかくおっぱいは良い。
ゆうとさんのおっぱいは大きい。乳輪は小ぶりでミルクチョコレート色で綺麗だ。白い皮膚と乳輪の境目なんてもう芸術なんじゃないかとすら思う。乳首も太くもなく細くもなくちょうどいい。男性にしてはややBIGでSOFTなそれは私の心を何よりも癒す。私は朝起きたとき、泣きそうになることがしばしばある。あと何日寝たらまた仕事だ、とか、性格の悪い先輩のことを思ったり、なんて噂されているだろうか、なんて、意味もないことをぐるぐると考える。そんなときに、私はゆうとさんにおっぱいを見せてくれとねだる。ゆうとさんは基本、おっぱいを素直に見せてくれたりはしない。隠したり、やだぁって言ったり、ごまかして話の流れを変えてしまうこともある。ゆうとさんが眠いときにねだると成功率は上がるので、私は基本、寝起きか疲れているであろう夜を狙う。
ゆうとさんのおっぱいは良い。癒される。コロナ以前、しんどいときは路上でもハグしてるフリをしておっぱいを触ったり、もうそれが当然かのようにおっぱいを触ったり、不意打ちで乳首を指で押したりしていた(私は愛の力でゆうとさんの乳首がどこにあるのか服の上からでも分かる)。最近おっぱいを触っていない。触ることもできない。完全におっぱい不足。おっぱいに触りたい!でも会えない。会えたとしても触れない。ソーシャルディスタンス。仕方ないので見るしかない。見せてとねだるしかない。画面越しのそれは、触感を伴わないぶん不十分だけれど、私の荒んだ心を一時的に癒してくれる。ちょっと照れた顔をしているとなおさらGOODだ。最近、「これが好きなんでしょ?すけべだな〜」という顔をしてくるが、その顔も良い。ゆうとさんの長所はとにかく顔がいいことなので、どんな顔をしても最高の一言に尽きる。
おっぱいで心がこんなに癒されるのであれば、ちんこならもっと癒されるのではと、私を元気にしてくれるんじゃないかと思って、今日はテレビ電話越しにちんこを見せてくれとねだった。ゆうとさんは「恥ずかしいからやだぁ〜」といつも言う。ゆうとさんの「やだぁ」は、ナイトクラブで好みの顔のイケメンに「友だちとはぐれちゃったの?君かわいいね、すっごいタイプ。もっとゆっくり話したい。静かなところに行こう。俺んちきてよ」と言われた時のOL(ちょっと股が緩い。彼氏募集中)の反応の様だ。つまり、押せば絶対、確実、明白にいける筈なのだが、成功率はかなり低い。それはなぜか?私のタイミングが圧倒的に悪いのだ。はぐれたはずの友達が探してきてくれたような、そんな感じ。さすがに友達の前で私ヤってきます!なんて言えないものだから。
ちんこは中々見れないが、(本当に本当にたまに、陰毛だけ見せてくれる。たまに先っちょが映る)パンツはねだれば見放題だ。ゆうとさんのパンツは全部私がプレゼントをしたもの。彼氏がプレゼントしたパンツばかりを履いてくれるというのは気分が良い。征服感がある。私のものだ、と見えないところでマーキングしているような気分だ。だからわざと、ゆうとさんが選ばなさそうな派手でかわいいパンツを選んだ。毎日かわいくて派手なピチピチのパンツを履いている私の愛しい人。たまらない。そういえば、以前はヘロヘロのユニクロのボクサーもローテーションの中に組み込まれていたけれどいつのまにかなくなったな。捨てたのだろうか。もしまだ捨ててなかったら捨てる前に一声かけてほしい。枕カバーにリメイクする。私の枕カバーにする。ゆうとさんのパンツはすごくいい匂いがするのだ。パンツを枕カバーにできたら、もう、安眠。絶対安眠。間違いなし。ゆうとさんは体のいたるところからいい匂いがする。ゆうとさんに抱きしめてもらいたいな。コロナが憎い。
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どこにも行かずに家で過ごす未曽有のGWも今日で終わり。3連休のほとんどを恋人と電話していたように思う。昔の自分からは考えられないことである。「自分だけの時間をほとんど確保できないのなら、恋人なんていらない。迷惑なだけである」なんて思っていた人間と、ぼくはいま同一人物であるのだろうか。テセウスの船的メソッドで大枠から思想が変化したと考えないと、ほとんど説明のつかない事態である。
テレビ電話での彼女は、いつもキュートだ。こちらを見つめてかわいこぶりっこをする顔も、なぜか時折する変顔も、どんな飾りもなく口を開けてぐうぐう眠る彼女も、どれも愛おしくて仕方がない。彼女に対する溢れんばかりのこの気持ちもいつかは収まるものであろうことを、ぼくは映画や小説、音楽や漫画、あるいは身近な友人たちの話から類推しているのだけれど、しかしいまはそんなふうになることをぼくはにわかに信じられない。彼女に対するこの気持ちは、一生この熱量のままなのではないかと、割と本気で思っているのだ。
彼女はときどき「自分のためにお金を使うことができない」と、少し残念そうにつぶやくことがある。ぼくはこれまでずっと自分にばかりお金を使ってきた人間で、だから彼女の悩みに共感できない。彼女は誰かへのプレゼントなど、自分のためではない出費にはあまり抵抗がないように見える。彼女は「自分みたいなものにこんなにお金を使ってもいいのだろうか」という後ろめたさを感じているそうだ。ぼくはそんな彼女を見て、少し思うところがある。彼女と付き合うなかで、ぼくはずっと彼女の自己肯定感の低さがどこからくるのかを考え続けている。答えは未だに見つからない。この先も寸分違わない理解をできるとは思っていない。他者とはそもそもそういうものであるし、大切なのはそれを踏まえたうえでどのように彼女と付き合っていくのか、というところにあると考えているから。 けれどもそんなきれいごとは置いておいて、ときどき彼女がそんな自己肯定感の低さに苦しんでいるように感じるときがある。これはぼくにとって大問題である。大切な人が苦しんでいるというのは心底好ましいことでない。安直なぼくはだからまずなににおいても「かわいい」と、ちゃんと彼女に伝えることにした。「好き」という気持ちも、自分でも驚くほど隠さないでいる。そうすることで彼女によい変化があればよいなと、ほとんど祈る気持ちである。
ぼくはおそらく、いや確実に、ほとんど自意識過剰なほどに自己肯定感が高い。もちろんそれを裏付けるような実績や根拠はない。けれどもぼくはいまでも「自分は特別で、才能があり、ほかでもないぼくにしかできないことがある」と、割と本気で思っているタイプの痛い人間だ。そんなぼくだから、いつか彼女に「あなたには私みたいな人間のことはわからない」と言われるんじゃないかと、少し怯えてもいる。彼女は少しやさしすぎるのだ。それからあたまがよい。だから周りが見えすぎているような気もする。見なくていいものや、本来ならそこまで気にすることのないことまで、彼女はぜんぶ真に受けて、受け止めようとする。ぼくは「そこまでしなくても、世界はもっといい加減で、無関心だよ」と思うのだけれど、彼女のあまりに純粋な態度に対して、そんな妥協や忖度ばかりの���の良い言葉を投げかけられるほど、ぼくもまだ割り切れてないところがある。折り合いをつけることができないでいるところが、きっと一部彼女と重なっているんだろうと思う。だからある意味では似たもの同士なのかもなあなんて思っているのです。
日記であるから、思いつくことを思いつくまま書いていると、なんだか思わぬ方向へ話が進んでしまった。しかも不時着。どこに落ち着く話でもなかった。 だからひとつだけ宣言。ぼくはこれからも恋人には「かわいい」と言い、「綺麗だね」と言い、「あいしてる」と言う。端から見れば見ていられないだろうけれど、そもぼくには彼女しか見えていないのだ。というか、周りの人間を見るような余裕を持って、それでいてなお人ひとりを愛せるほどキャパシティの大きな人間ではないのだ。だからこそ全力で、これからもあなたを見続ける。そしていつか「これほしいから、かわいい私にプレゼントしてよ」と、どんな照れもなく、気負いもなく、さもその台詞が当然であるように彼女の口から出てくるまで、ぼくは彼女のとなりであまりにやさしい彼女に代わって、自分勝手に彼女の自己肯定感を褒める所存である。
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発熱、解熱、発熱、解熱、発熱解熱発熱解熱。体調不良。仕事なんて言ってられないし、行ってられない。
あんなに鼻について、女の匂いだ!って嫌ってたシャンプーのにおいもわからなくなってきた。かすかに鼻の奥で香るような気がするが、う〜ん…いつもと違うにおいなのは確か。コロったかも…という疑念からセルフ鼻づまりを起こしている可能性もゼロではない。なんか鼻もズビズビ…ズビズビはしないけど…。
ショートヘアだからわかりにくいのかも知れない。こんなときこそザ女の匂い、鼻を刺激する代表の、シャネルのハンドクリームを使うときだ!……なんか変なにおいがする。皮脂のにおい。いつもの女のにおいがしない。どうして?もうこれはコロです。おしまい。
私のように自粛自粛自粛で好きな人にも会えなくて、ジムも行けなくて、毎日職場と家の行ったりきたりしかしてなくて、いつも感染に怯えて手洗いうがいマスク徹底してても感染するんだな。外来を止めないから、入院患者を止めないから、緊急入院だっていつまでもとるから、いつかはかかるかもと恐怖していたけど、恐れていたことが本当に起こってしまった。危険手当なんてでない。病院側はうちは受け入れ病院ではないからと危険手当をくれる気配はない。吉村知事がいつから危険手当をくれるのかも謎だ。流れてしまうのも十分にあり得る。トップへの信頼なんてゼロに等しい。行動を伴ってはじめて信頼ができるというものだ。
パチンコに行ってるような他者も考えられないようなやつが苦しめばいいのに。なんで私みたいな毎日頑張ってる人間が苦しまなきゃいけないんだ。
お金をくれないならせめて優先的に検査をして欲しい。優先的にホテルにでも隔離して欲しい。検査をしてくれないと勤め先に正確な報告ができない。さらには、再感染もあり得ると囁かれている感染症なので家族が感染している状況で業務再開するのは難しい。家族に感染しないように努力を、とは言われるがそれは無理な話だ。じゃああんた、完全に部屋に引きこもって食事も排泄もできるんか?清潔を保てるんか?無理なことをなぜいう。国はおかしい。
金をよこせ。これは労災だ。金をよこせ。賠償請求。労災。金をよこせ。しばらく働かなくていいだけの、疾病の治療に専念できるだけの金をたっぷりとよこせ。それができないなら看護師は全員自宅待機にしろ。
働け、でも金は出さないなんていうのはムカつく話だ。人の命を盾に取りやがって。ムカつく国だ。
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なんもない日
ぼくの意中の人が好きという倉橋ヨエコの『友達のうた』を聴きながらいまこれを書いている。なんだか思ったよりアッパーな曲調に少しだけ驚いている。ノーバディノウズみたいだね。操転したらこんな感じのテンションになりそうなんて思いながら、ちょっとだけからだを揺らしながら聴いている。時間は夜の23時30分。休日が終わるまで、4月の最後の日になるまであと30分。
今年は花見なんてまったくできなかったなあなんて思いながら、きっとどこにも行けないであろうゴールデンウィーク目前の水曜日、ぼくは休日だった。ぼくの意中の人も休日だった。ぼくは部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり、スパゲティをつくったり、ゲームをしたりした。ぼくの意中の人は歯磨きをすることを拒んだり、歯に海苔をつけたり、口を大きく開けてすやすや気持ちよさそうな昼寝をしていた。それからふたりともなにかしながら時々通話した。 ぼくの意中の人が「ベトナムサンダルがかわいい」と言うので検索してみたら、なんだか昔ぼくの母親が履いていたのを見たことがあるようなサンダルの画像が出てきて少し懐かしかった。それから彼女が「ホーチミンがどうのこうの」言うので、その通話のあと少しだけディエンビエンフーを読み直した。結局最終巻まで買わないままずっといる。新編集版のようなものも以前書店で見かけたけれど、いつもどおり装丁がクールで、だからいつか集めたいなと思っている。
僕の意中の人は、今日はずっと「今日のパンツの色は何色であるか?」という質問を僕に投げかけてきた。ぼくはその度に「ライオン」と応えるのだが、彼女はその返答にさほど興味はないように思えた。それから彼女は上記に続いて「ちんこを見せてはくれまいか?」と今日一日を通して延々とぼくに交渉を重ねた。ぼくはその度に「それはできぬ」と応えたが、彼女の意志は固く「ちんこを見せてくれたら、わたしの鼻の穴を見せてやることもやぶさかでないが?」と更なる交渉材料を提示してきた。ぼくはそれでも「ノー」と応えた。そう、鼻だけに。ノーだけに。ノーバディノーズだけにね。ココロオドルね。
夜、ぼくの意中の人は少しずつ体温が上がったみたいで、しんどくもあるようで、ぼくはとても心配している。彼女は近ごろ、休日のおわりが近づくと体調を崩しているように思う。普段のつかれが出ているのもあるとは思うが、それ以上に精神的な負担が大きなウェイトを占めているのではないかとぼくは思っている。彼女は「自分の身は自分で守るから」と言えるとてもつよい人、ぼくはそういったところも大好きなのだけれど、反面その強さに彼女自身がいつか潰されてしまうこともあるのではないかと心配もしているのである。自分の弱さを棚に上げて、それは非常に大きなお世話だとわかってもいるのだけれど。
人を好きになると、人はついめんどくさい物言いをしてしまうものだなあ、なんてことを近ごろ思う。そのくせ日常のなんでもないときには、ついつい自分の気持ちを伝えることを怠けてしまっていたりもする。それは、もう半年以上の付き合いになる意中の人への「ぼくのこと、わかってくれるよね?」という甘えからくるものであるのだが、ぼくは自分のそういったところを「よくない」と思っているので、やっぱりこれから少しずつ直していきたい、など、まためんどくさいことを書いている夜。倉橋ヨエコはもう終わっちゃった。今日は最後に柴田聡子の『いじわる全集』を聴いたら布団を敷いて部屋の電気を消して、 眠る前に今日彼女が送ってくれた自撮り写真を少しだけ見てから、それから目を閉じようかなあなんて思う。。
朝起きて、きっとこれを読むなつみさんの体調が、少しでもよくなっていますように。無理しないで、今日もなんとか生き延びようね。
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休日明けての出勤はたいへんに忙しく、10時にタイムカードを切ってから結局夜の11時近くまで約13時間、休憩なしのぶっ通しで働いていた。あまりに忙しいと自己防衛なのか、ぼくはたのしい気持ちになることが多く、やはりその意味で昨日はぼくも冷静ではなかったのだろう。明日の出勤まで半日もないころにタイムカードを切ったあと、自粛ムードの夜の街をふらふら自転車を漕いで帰った。 普段であれば、帰り道にはなつみさんに電話をして、彼女にぼくの他愛ない話に付き合ってもらって帰るのだけれど、昨日はもう夜遅くになっていて、彼女にもまた仕事があり、だから電話することができなかった。ぼくは日々にこだわりのつよい、ぼくの大学の友人いわく少し自閉傾向の強い類の人間であるので、やはり好きな人の声を1度も聞かずに終える1日というのは、なんだかとても落ち着かないのであった。 昨日の彼女はどうだったんだろう。たのしいことはあったのだろうか。うれしいことはあったのだろうか。はたまたくやしいことやかなしいことはなかっただろうか。そんなことを彼女の声を通して確認できなかったのがとてもなんだか寂しい感じだ。とはいえ今日、出勤前にふと思い立ちこれを書こうとパソコンを起動させたら、彼女もまた日記を書いていた。内容は少し後ろ向きなものであったが、しかし「考えることは同じだねえ」などひとり思い、いまこれを書きながら少しだけにやけているのである。
今日は電話できたらいいな、など思う。けれども今日も忙しいだろう。こんな日々がいつまで続くのかも、まだまだ見通しがつかない。けれども絶対に生き延びたいと思う。あんなに死にたがりだったぼくであるが、そんなぼくももういまではどこ吹く風である。なぜか。ぜんぶなつみさんのせいなのだ。まいった。
いまを乗り切って、ぜったいぜったいまたいろんなとこデートしよう。 しごとはやくおわったら、また電話するね。
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