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natoriumu1023 · 8 years ago
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× …東武が大がかりに株式投入をして開発したものではなかったはず…
○ …東武が大がかりに資本投入をして開発したものではなかったはず…
Business Journal「もはや「ありきたり」のSL、東武が巨費投入…衰退一途の鬼怒川温泉復活の狙い、失敗か」記事への批判
もはや「ありきたり」のSL、東武が巨費投入…衰退一途の鬼怒川温泉復活の狙い、失敗か という記事がTwitterのタイムラインで話題となっていたので読んでみたところ、あまりにも酷い、つっこみどころ満載の記事でした。Twitter上でも色々言いましたが、思ったより指摘点が多く大量になってしまったため、こちらで改めてまとめてみたいと思います。
・1ページ目
「…話題性こそ抜群だがSLは運行だけで収益をあげることはできないとされてきた。」
→△ ウィキペディア風に言うと「要出典」。私が無知なだけかもしれませんが、どこで言われているのか出典が欲しいところです。あと、「運行だけ」というのがどこまでの範囲を指すのか(切符売上分のみなのか、車内販売売上を含むのか、SL乗車駅までの運賃増収分を含むのか等々)が曖昧です。
「東武が赤字覚悟でSLを復活させる…」
→× 東洋経済の記事「東武鉄道「51年ぶりSL復活」、感動の舞台裏」3ページ(http://toyokeizai.net/articles/-/184208?page=3)などにありますが、東武の根津社長は「SLに乗っていただくこと自体はもちろん、乗りに来る際に東京から利用してもらう特急列車、さらに関連のグッズ発売などを含め、トータルでは十分に採算は取れると見ている」と発言しており、少なくとも東武はSLに関して赤字覚悟ではありません。
「…東武が主導して開発した鬼怒川温泉は…」
→△ 「主導して」というのがどういうニュアンスなのか微妙ですが、鬼怒川温泉の観光開発には確かに東武線の乗り入れが大きく寄与しましたが、東武が大がかりに株式投入をして開発したものではなかったはずです(多くの場合融資元は地銀の足利銀であり、バブル崩壊後衰退したのはその足利銀の倒産によるものが大きい)。箱根や伊豆(東急と西武)、秩父(秩鉄)くらい観光地に電鉄資本が入っていれば「主導して開発した」と言って差し支えないでしょうが、鬼怒川温泉についてはその表現が適当かは微妙です。
「鬼怒川温泉には、東武が特急スペーシアを運行しているが、鬼怒川の魅力が薄れればスペーシアの乗車率にも大きく影響を及ぼし、東武の屋台骨を揺るがしかねない。」
→× 2017年4月21日のダイヤ改正で、スペーシアの約半数が東武日光発着の「けごん」に振り分けられました。鬼怒川温泉発着の「きぬ」にしても、下今市で東武日光行きの接続列車があるので、日光が墜ちない限り「屋台骨が揺るぐ」ほどのことにはならないと思われます。また、現時点では週末朝の下り特急、夕の上り特急はどれも満員に近い状態で、乗車率低下は喫緊の問題ではありません(むしろ繁忙期の供給力不足が問題)。
・2ページ目
「東武関係者は語る。」
→× 関係者って誰やねん。社員なら社員と書いてあれば分かりますが、そうでないのなら、社員ではない人間の意見など公式見解でも何でもないので意味がありません。だいたいこの宇宙に存在するすべての事物は「同じ宇宙に存在する」という「関係」を有している訳で、「関係者」という語は全く持って無意味です。「関係者」という語はよく低俗週刊誌で用いられますが、恣意的な意見をあたかも公式見解かのように示すというジャーナリズムも糞も無い下品なやり方ですよね。
「C11はそれほど珍しい車両ではなく、集客効果には疑問があります」
→× 確かにC11形は動態保存機としては両数最多の形式ですが、そもそも趣味者ではない一般の観光客からすれば、SL列車というのは「SLそのもの」が珍しいのであり、集客効果に形式などほぼ関係ないと思われます。さらに鉄道趣味者からしても、東武のC11-207は前照灯が2灯の「カニ目」として貴重であり、車掌車を連結して14系原型車に乗り込めるという点からしても、「珍しさ」が薄いものとは考えられません。
「(SLやまぐち号について)…いわば新幹線とセットの抱き合わせ商法的な狙いがあった。」「磐越西線で走るSLも単体で利益を出すのではなく、新幹線とセットで稼ぐことが狙いにある。」「新幹線とセットで稼ぐというSLのビジネスモデルが確立する一方で、…」
→? なぜここで新幹線云々の話が出てきたのかよく分かりませんが、一応言っておくと東武SLほど「抱き合わせ商法」なSL列車もなかなかありません。東武のSL列車の運転区間は下今市―鬼怒川温泉駅で、乗車駅までの移動手段はほとんど東武線しか選択の余地がありません(別にJR日光線今市駅から歩いてもいいけどさ)。先ほど上げた根津社長のコメントにもありますが、東武としてはSLの乗客は乗車駅までは特急利用を想定としている、まさに抱き合わせ商法です。
「秩父鉄道は35.3キロメートル、真岡鉄道にいたっては41.9キロメートルもSLが走行する。東武の12.4キロメートルと比べると、規模の差は歴然としている。そうした部分からも、東武のSL運行は苦戦が予想されている。」
→△ 運行距離・時間がそのまま利用客数に比例するというのは執筆者の独自の考えであり、必ずしもそうとは限らないと思われます。鉄道趣味者でもない観光客が皆、「SL列車は乗車時間が長ければ長いほど良い」と考えているでしょうか?少なくとも僕は乗車時間3時間半超の「SLばんえつ物語」を家族旅行の行程に組み込んだら家族から「長すぎる」と顰蹙を買いましたが。また、東武はSLについて、「手軽に乗れるSL列車」というマーケティングを行っています。(参照:http://www.tobu.co.jp/sl/trip/guide/)
あと、誤謬だと思われますが、秩父鉄道の「35.3キロメートル」という数字がどこから出てきたのか謎です。秩父鉄道のSLパレオエクスプレスの運行区間、熊谷―三峰口間は手元の計算では56.8キロです。
「…ほかの鉄道会社とも対抗できます。しかし、…」(東武のSLは他の鉄道会社のSLに対抗できないというニュアンス)
→× 東武のSLが他のSL列車に対抗できない、対抗できるほどの魅力がないということを言いたいようですが、果たしてそうでしょうか?日光という一等観光地の至近から、鬼怒川温泉という有名温泉地まで走るという東武のSLは、「観光地内移動」というこれまでにない新たな性格を有しています。日光も鬼怒川温泉も元からかなり集客力のある観光地であり、そこへ来る観光客を拾えるというのは東武SL最大の特徴であり、東武特有の強みだと思われます。Twitterのフォロワーさんがおっしゃっていたことですが、東武のSLはあくまでそれ単体が目的となるものではなく、元からある日光鬼怒川の観光地としての魅力への「付加価値」として、目的の一つにできる移動手段として運行されているものです。
「…SLの雄姿を見にくるギャラリーや撮り鉄もたくさん集まることが予想される。しかし、そうした人たちは乗車してくれるわけではないから、東武の運賃収入増にはつながらない。」
→× 先述してありますが、SLの運行区間に行くには実質的に東武線を利用するしかありません。SLを見に来るだけのギャラリーや撮り鉄も、ほとんどの場合下今市や鬼怒川温泉まで東武線の列車を利用するので、乗らない人たちも運賃収入増に大きく寄与します。
非常に長くなりましたが、僕から指摘できる点はおおよそこんな感じです。物事に対してネガティブな視点から疑いを持つことは良いことですが、この記事の場合さすがに恣意的すぎて、中身にほとんど意味がありません。まあ、サイトの名称などからしっかりした印象を受けるだけで、他の記事を見ても基本的にこのサイトはやってることが低俗週刊誌と同じということでした。こうした偏見に満ちた意見には注意していきたいものですね。
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natoriumu1023 · 8 years ago
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Business Journal「もはや「ありきたり」のSL、東武が巨費投入…衰退一途の鬼怒川温泉復活の狙い、失敗か」記事への批判
もはや「ありきたり」のSL、東武が巨費投入…衰退一途の鬼怒川温泉復活の狙い、失敗か という記事がTwitterのタイムラインで話題となっていたので読んでみたところ、あまりにも酷い、つっこみどころ満載の記事でした。Twitter上でも色々言いましたが、思ったより指摘点が多く大量になってしまったため、こちらで改めてまとめてみたいと思います。
・1ページ目
「…話題性こそ抜群だがSLは運行だけで収益をあげることはできないとされてきた。」
→△ ウィキペディア風に言うと「要出典」。私が無知なだけかもしれませんが、どこで言われているのか出典が欲しいところです。あと、「運行だけ」というのがどこまでの範囲を指すのか(切符売上分のみなのか、車内販売売上を含むのか、SL乗車駅までの運賃増収分を含むのか等々)が曖昧です。
「東武が赤字覚悟でSLを復活させる…」
→× 東洋経済の記事「東武鉄道「51年ぶりSL復活」、感動の舞台裏」3ページ(http://toyokeizai.net/articles/-/184208?page=3)などにありますが、東武の根津社長は「SLに乗っていただくこと自体はもちろん、乗りに来る際に東京から利用してもらう特急列車、さらに関連のグッズ発売などを含め、トータルでは十分に採算は取れると見ている」と発言しており、少なくとも東武はSLに関して赤字覚悟ではありません。
「…東武が主導して開発した鬼怒川温泉は…」
→△ 「主導して」というのがどういうニュアンスなのか微妙ですが、鬼怒川温泉の観光開発には確かに東武線の乗り入れが大きく寄与しましたが、東武が大がかりに株式投入をして開発したものではなかったはずです(多くの場合融資元は地銀の足利銀であり、バブル崩壊後衰退したのはその足利銀の倒産によるものが大きい)。箱根や伊豆(東急と西武)、秩父(秩鉄)くらい観光地に電鉄資本が入っていれば「主導して開発した」と言って差し支えないでしょうが、鬼怒川温泉についてはその表現が適当かは微妙です。
「鬼怒川温泉には、東武が特急スペーシアを運行しているが、鬼怒川の魅力が薄れればスペーシアの乗車率にも大きく影響を及ぼし、東武の屋台骨を揺るがしかねない。」
→× 2017年4月21日のダイヤ改正で、スペーシアの約半数が東武日光発着の「けごん」に振り分けられました。鬼怒川温泉発着の「きぬ」にしても、下今市で東武日光行きの接続列車があるので、日光が墜ちない限り「屋台骨が揺るぐ」ほどのことにはならないと思われます。また、現時点では週末朝の下り特急、夕の上り特急はどれも満員に近い状態で、乗車率低下は喫緊の問題ではありません(むしろ繁忙期の供給力不足が問題)。
・2ページ目
「東武関係者は語る。」
→× 関係者って誰やねん。社員なら社員と書いてあれば分かりますが、そうでないのなら、社員ではない人間の意見など公式見解でも何でもないので意味がありません。だいたいこの宇宙に存在するすべての事物は「同じ宇宙に存在する」という「関係」を有している訳で、「関係者」という語は全く持って無意味です。「関係者」という語はよく低俗週刊誌で用いられますが、恣意的な意見をあたかも公式見解かのように示すというジャーナリズムも糞も無い下品なやり方ですよね。
「C11はそれほど珍しい車両ではなく、集客効果には疑問があります」
→× 確かにC11形は動態保存機としては両数最多の形式ですが、そもそも趣味者ではない一般の観光客からすれば、SL列車というのは「SLそのもの」が珍しいのであり、集客効果に形式などほぼ関係ないと思われます。さらに鉄道趣味者からしても、東武のC11-207は前照灯が2灯の「カニ目」として貴重であり、車掌車を連結して14系原型車に乗り込めるという点からしても、「珍しさ」が薄いものとは考えられません。
「(SLやまぐち号について)…いわば新幹線とセットの抱き合わせ商法的な狙いがあった。」「磐越西線で走るSLも単体で利益を出すのではなく、新幹線とセットで稼ぐことが狙いにある。」「新幹線とセットで稼ぐというSLのビジネスモデルが確立する一方で、…」
→? なぜここで新幹線云々の話が出てきたのかよく分かりませんが、一応言っておくと東武SLほど「抱き合わせ商法」なSL列車もなかなかありません。東武のSL列車の運転区間は下今市―鬼怒川温泉駅で、乗車駅までの移動手段はほとんど東武線しか選択の余地がありません(別にJR日光線今市駅から歩いてもいいけどさ)。先ほど上げた根津社長のコメントにもありますが、東武としてはSLの乗客は乗車駅までは特急利用を想定としている、まさに抱き合わせ商法です。
「秩父鉄道は35.3キロメートル、真岡鉄道にいたっては41.9キロメートルもSLが走行する。東武の12.4キロメートルと比べると、規模の差は歴然としている。そうした部分からも、東武のSL運行は苦戦が予想されている。」
→△ 運行距離・時間がそのまま利用客数に比例するというのは執筆者の独自の考えであり、必ずしもそうとは限らないと思われます。鉄道趣味者でもない観光客が皆、「SL列車は乗車時間が長ければ長いほど良い」と考えているでしょうか?少なくとも僕は乗車時間3時間半超の「SLばんえつ物語」を家族旅行の行程に組み込んだら家族から「長すぎる」と顰蹙を買いましたが。また、東武はSLについて、「手軽に乗れるSL列車」というマーケティングを行っています。(参照:http://www.tobu.co.jp/sl/trip/guide/)
あと、誤謬だと思われますが、秩父鉄道の「35.3キロメートル」という数字がどこから出てきたのか謎です。秩父鉄道のSLパレオエクスプレスの運行区間、熊谷―三峰口間は手元の計算では56.8キロです。
「…ほかの鉄道会社とも対抗できます。しかし、…」(東武のSLは他の鉄道会社のSLに対抗できないというニュアンス)
→× 東武のSLが他のSL列車に対抗できない、対抗できるほどの魅力がないということを言いたいようですが、果たしてそうでしょうか?日光という一等観光地の至近から、鬼怒川温泉という有名温泉地まで走るという東武のSLは、「観光地内移動」というこれまでにない新たな性格を有しています。日光も鬼怒川温泉も元からかなり集客力のある観光地であり、そこへ来る観光客を拾えるというのは東武SL最大の特徴であり、東武特有の強みだと思われます。Twitterのフォロワーさんがおっしゃっていたことですが、東武のSLはあくまでそれ単体が目的となるものではなく、元からある日光鬼怒川の観光地としての魅力への「付加価値」として、目的の一つにできる移動手段として運行されているものです。
「…SLの雄姿を見にくるギャラリーや撮り鉄もたくさん集まることが予想される。しかし、そうした人たちは乗車してくれるわけではないから、東武の運賃収入増にはつながらない。」
→× 先述してありますが、SLの運行区間に行くには実質的に東武線を利用するしかありません。SLを見に来るだけのギャラリーや撮り鉄も、ほとんどの場合下今市や鬼怒川温泉まで東武線の列車を利用するので、乗らない人たちも運賃収入増に大きく寄与します。
非常に長くなりましたが、僕から指摘できる点はおおよそこんな感じです。物事に対してネガティブな視点から疑いを持つことは良いことですが、この記事の場合さすがに恣意的すぎて、中身にほとんど意味がありません。まあ、サイトの名称などからしっかりした印象を受けるだけで、他の記事を見ても基本的にこのサイトはやってることが低俗週刊誌と同じということでした。こうした偏見に満ちた意見には注意していきたいものですね。
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natoriumu1023 · 8 years ago
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Q&A
Q:フォローが解除されるの?
A:フォローしている方の発信内容によってどちらのアカウントでフォローするか整理するため、鉄道系用となる現行アカウントではフォローを解除しアニメ系用新アカウントでフォローし直すという形になる方がいらっしゃいます。ただし、これまでフォローしていた方をどちらのアカウントでもフォローしなくなるということはありません(一部bot等を除く)。
Q:「鉄道むすめ」や鉄道とアニメのコラボ企画等はどちらのアカウントで呟くの?
A:「鉄道むすめ」やコラボ企画等についても、基本的に鉄道の話題であれば現行アカウント(鉄道系用)で発信する予定です。ただし、内容によってはアニメ系新アカウントで発信する可能性もあります。
Q:鉄道でもアニメでも無い話題はどちらのアカウントで呟くの?
A:基本的な姿勢として、鉄道系用現行アカウントを「本アカウント」、アニメ系用新アカウントを「第二アカウント」として扱いますので、鉄道でもアニメでもない話題は「本アカウント」である現行アカウントで発信する予定です。ただしアニメ系用新アカウントで全く発信しないというわけではなく、新アカウントのTLのツイートなどから反応する可能性はあります。
Q:その他例外的な扱いはあるの?
A:基本的には内容からどちらのアカウントで発信するか判別し、しっかりと分けて発信していくつもりですが、ミスや状況に応じての例外措置が生じることもあるかと思いますのでご容赦ください。
 また、現時点で既に確定している例外的な扱いとして、現行アカウントにて2016年9月1日~2017年4月15日までアカウントページの最上部に固定していたツイートについては、現在はアカウント分離の周知のため固定を解除していますが、4月21日を過ぎアカウント分離後は再び鉄道系用現行アカウントで最上部固定を行う予定です。当該ツイートは内容からしてアニメ系用新アカウントでの発信が妥当なものですが、既に現行アカウントでツイートしてしまっている以上、当該ツイートの話題については鉄道系用現行アカウントで発信する方針といたしました。この話題については動きがあり次第鉄道系用現行アカウントで発信するとともに、アニメ系用新アカウントでも同様の内容をお伝えする予定です。
Q:なぜ4月21日に分離なの?
A:深い意味はありませんが、この日は東武本線で大きな変革を伴うダイヤ改正が行われる日なので、節目として同じ日を選びました。
「Twitter」アカウント分離のお知らせ
Twitterアカウントをフォローしていただいてる皆様、いつもお世話になっております。
さて、現在のアカウント(https://twitter.com/natoriumu1023)では、鉄道などの乗り物や機械、アニメや漫画などのサブカルチャーなど、趣味の話題を脈絡なく発信していますが、SNSとしてのTwitterの性格に配慮して、前者と後者で話題ごとにアカウントを分離することにしました。
現行アカウントは今後は「鉄道ほか乗り物・機械など」の話題を扱うこととし、「アニメや漫画など」の話題については、新たに開設したアカウント(https://twitter.com/natoriumu_anime)にて扱うこととします。これに伴いましてフォローの整理を行いますので、フォロワーの皆様におかれましては、どちらの(あるいは両方の)アカウントをフォローするか調整していただきたく存じます。お手数をおかけいたしまして大変申し訳ございません。
なお、しばらくは周知のため現行の体制を維持しつつ新アカウントでの発信を始めていきたいと思います。アカウントの完全分離は、4月21日(金)を予定しております。
今後ともナトリウムをよろしくお願いいたします。
鉄道系(現行アカウント):https://twitter.com/natoriumu1023
アニメ系(新アカウント):https://twitter.com/natoriumu_anime
分離…4月21日(金)を予定
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natoriumu1023 · 8 years ago
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「Twitter」アカウント分離のお知らせ
Twitterアカウントをフォローしていただいてる皆様、いつもお世話になっております。
さて、現在のアカウント(https://twitter.com/natoriumu1023)では、鉄道などの乗り物や機械、アニメや漫画などのサブカルチャーなど、趣味の話題を脈絡なく発信していますが、SNSとしてのTwitterの性格に配慮して、前者と後者で話題ごとにアカウントを分離することにしました。
現行アカウントは今後は「鉄道ほか乗り物・機械など」の話題を扱うこととし、「アニメや漫画など」の話題については、新たに開設したアカウント(https://twitter.com/natoriumu_anime)にて扱うこととします。これに伴いましてフォローの整理を行いますので、フォロワーの皆様におかれましては、どちらの(あるいは両方の)アカウントをフォローするか調整していただきたく存じます。お手数をおかけいたしまして大変申し訳ございません。
なお、しばらくは周知のため現行の体制を維持しつつ新アカウントでの発信を始めていきたいと思います。アカウントの完全分離は、4月21日(金)を予定しております。
今後ともナトリウムをよろしくお願いいたします。
鉄道系(現行アカウント):https://twitter.com/natoriumu1023
アニメ系(新アカウント):https://twitter.com/natoriumu_anime
分離…4月21日(金)を予定
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natoriumu1023 · 8 years ago
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「けものフレンズ」は長編ミステリーである
3月28日深夜、大好評のうちに最終話を迎えたアニメ「けものフレンズ」。その魅力はさまざまありますが、ここではその中でも、その特殊な「作品構造」について見てみたいと思います。 「けものフレンズ」が話題になった理由の一つは、退廃的な世界観でしょう。詳しくは割愛しますが、かわいらしいキャラクターたちによるほのぼのしたストーリーに対し、背景では廃墟や人類の遺物が描かれ、そのショッキングなギャップに惹かれた視聴者も多いと思われます。 このように見た目とのギャップを演出し話題になった作品は過去にもありました。具体的には「がっこうぐらし!」や「魔法少女まどか☆マギカ」といった作品です。しかし、「けものフレンズ」はこれらの作品とは大きく異なる点があります。それが「作品構造」です。 前述した前例作品はどちらも、物語の冒頭で「種明かし」をしています。「がっこうぐらし!」の場合は第1話の最後に主人公の幻覚症状と荒廃した世界観が明らかになり、「魔法少女まどか☆マギカ」では第3話でメインキャラクターの死が描かれ、双方ともそこから先はシリアスでハードな物語が展開されてゆきます。しかし「けものフレンズ」ではこうしたストーリー展開はありませんでした。ギャップを見せるためのどんでん返しが用意されず、背景設定の種明かしもされないまま、終盤までずっと「退廃的な世界観とほのぼのしたストーリー」というミスマッチが描かれ続けたのです。 ただしそれに代わって、「退廃的な世界観」についての伏線は終始張られ続けました。なぜこんな世界になったのか、人類はどこへいったのか…そうした謎を秘めたままストーリーが展開されました。そうした伏線はまた、ところどころで回収され、物語が終わりに近づくと共に少しずつ世界観の謎が明かされていったのです。 このような構造は、物語のメインストーリーである主人公かばんちゃんの正体の謎や、敵であるセルリアンの謎についても見られました。伏線として張られたかばんちゃんの特徴が、注目されるにつれ次第に正体が分かってくるという流れや、セルリアンが何者でフレンズが“食べられる”とはどういうことなのかなどが、少しずつヒントが提示されていき明かされるという展開が行われました。 つまり、「けものフレンズ」の作品構造は、「全編にわたって伏線を配置し、終盤でその伏線を回収し謎を明かしていく」というものです。そして、これはまさに、ちょうど長編ミステリー作品の構造と同じと言えましょう。 ミステリーものの漫画やアニメもありますが、大抵は1話2話のうちに「謎」を解明するオムニバス形式です。そんな中で、「けものフレンズ」はミステリーものではないにもかかわらず、30分枠12話全編を通して長編ミステリーを展開するという異例の作品構造を取ったというわけです。 このような作品構造こそが、「けものフレンズ」ブームの一角である「考察」という楽しみ方を生んだのだと思われます。張り巡らされた伏線から推理し真実を探求するという、推理小説的な楽しみ方と言えるでしょう。それどころかむしろ、ここ十数年の推理小説やミステリーものでは大多数の読者は推理せず「名探偵による解決」を口を開けて待つだけとなっている(むしろ伏線が鮮やかに回収されるさまを見るのが目的になっている)のに対し、「けものフレンズ」では、構造こそ長編ミステリーなもののストーリーやキャラクターはミステリのそれとは程遠い変則さや、週1話ごとしか続きが見られないというTVアニメの特性、視聴者の間でのSNSの利用による情報交換、そして「謎」そのものの魅力をもって、視聴者に推理(「考察」)させることに成功したのです。 「けものフレンズ」の作品構造や放��中の「考察」の存在は、今までのアニメではほとんど見られなかった異例のものであり、この大流行は“量”だけでなく、SNS時代の新たな楽しまれ方という内容的な“質”の面でも、アニメ史に残ると言っても過言ではないと思います。
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natoriumu1023 · 8 years ago
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卒業
私はある「先生」とお別れしてきました。 別に死んだとか遠くへ行ったとかというわけではなく、単に別れてきただけです。言うなれば、卒業したということです。 また、先生といっても学校の恩師などではありません。ただ、私が中高生の頃を中心に、自我形成時期に大きな影響を与えたいくつかの存在…2chなどもそうですが…のうちの一人でした。ちょうど夏目漱石「こころ」の登場人物の関係性になぞらえる意味も込めて、ここでは先生と呼ぶことにします。
先生は何かを教えてくれるというわけではありませんでした。ただ、自分というものを強く持って/持とうとしていました。周囲の風に流されない、しっかりと根を張った木のような姿勢や考えに、私は強く影響されたのです。あるいは先生には私の姿など視界に入っていなかったかもしれませんが、私は先生の言動をはたからよく眺め、自分の糧としていました。 先生のおかげもあって、私は内面的に成長できてきたと思います。大衆や風潮に流されず、自らの力で意見や考えを精製し、それをまた整えていくという自分の内面的生き方を確立できたのです。
…ひょっとしたら先生も少しは変わったかもしれませんが、主に私のそうした成長的変化によって、私の先生に対する見方も変わっていきました。元から盲信していたわけでもありませんが、先生の言動に納得できないことが多くなりました。それは単に、私が自ら考えを持てるようになったことによる、互いの意見の相違だということだと思います。 私は、先生に育ててもらうことはもうなくなったと感じました。私は今の私にある程度納得していますし、内面的な在り方がこれ以上先生の影響で変わることもないと思いました。だから、私は先生から卒業することに決めたのです。 あるいは先生には私の姿など視界に入っていないのかもしれません。卒業、お別れといっても、私が勝手に離れるだけのことです。そうして、これから私にとって先生は先生ではなく、「自分と違う視点を持つ一人の他人」になります。 別に「他人」になったからといって関係をほとんど断つようなことをすることもないのかもしれませんが、区切りを打ちたいことと、私の中で特別扱いしてしまう現状を変えて他の「他人」のみなさんと同等な扱いにするという意味で、そうさせてください。
最後に、この場を借りて先生に対する感謝を示すとともに、少しだけ抱負を述べておきます。これからは私も自力で根を張って生きていく所存です。そうして、いつか誰かの参考になればいいなと思います。先生、今までありがとうございました。
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natoriumu1023 · 8 years ago
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情報の価値
最近話題になっている某絵本の無料公開について、少し所見を述べて���きたいと思います。というのも、今回の氏の主張について、私は危機感を覚えました。あのような思想が現状すでにある程度広まっていること、そして今後さらに流布される可能性があることに対して、です。
まず根本的な前提として、「情報」というのは原則的に有料であるはずです。ニュースにしてもあらゆる著作物にしても、誰かが労力をかけて制作している以上、そこには労力への対価としてお金の動きが生じており、またそうあるべきです。
ただ、最近では、情報に対し「対価を払う」という部分が「広告料が発生している広告を閲覧する」という行為に代替されていることが多くなりました。つまり、閲覧者からすれば情報が実質的に無料で手に入れられるようになったということです。そしてそのことにより多くの人が、「情報は無料で提供されている」と誤解するようになってしまったと感じます。
本来は、情報に対して払う対価、それは言い換えればその制作者の労力に対して払う対価と言えます。しかし、「情報は無料で提供されている」と誤認識している人々からすれば、「情報を制作する」という行為、労力に価値が存在しないことになってしまいます。―最近著作権侵害への問題意識が希薄なのもこうした思想があるからかもしれませんね。
ともかく、ここのところそうした誤認識が広まっていると感じていました。そんな中で、ついに『著作者』その人がその「情報の価値」をないがしろにした、というのが今回の無料公開の一件だと思います。多くの人が労力を割いて制作した著作物を、一人の権利者が無料で公開し、そういった制作行為の労力に対する対価をあたかも認めないような言動を行っている…。こうした思想が流布していくと、「情報の価値」が認められなくなることで制作行為を生業とするクリエイターが存在できなくなり、「情報の制作」そのものが破綻する可能性すらはらんでいます。これは情報がより重視されるようになっている現代社会において、きわめて深刻な危険であると、私は考えています。
いま、社会全体における人々の認識が問われています。情報の制作行為の労力に対する対価―「情報の価値」を、正当に認めることが、今後の現代情報社会において強く求められると私は思います。
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natoriumu1023 · 8 years ago
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いえ、大丈夫です。色々と振り回してしまったようでご迷惑おかけしました。
以下、個人的な考えをタンブラに上げるだけの意味なのでスルーしてくださって構いません。
私が議論を有用だと考えているのは、意見にはできるだけ客観性があった方が良いと考えており、様々なデータや知見をもっていてもそれを自分という主観の色眼鏡で見ている以上客観性に欠けていると思っているからです。客観性を獲得するための有用な手段として、他者の意見を知り互いに質問しあい、そうして議論することで他者の意見を深部まで知るというのがあると考えています。それを繰り返すことで他者の視点を取り込んでいき意見は客観性を獲得できると。
ただこれも、私が自力で主観性を排し客観性を有した意見を持つことができない、未熟なだけかもしれませんね。自分の脳内だけでそういった客観的な意見を持つことができるなら、確かに議論や他人の視点を知るという行為は必要ないかもしれません。
※政治的な部分および政治家の言動行動には一切触れません
何度も申し上げますとおり、供給に対して需要があふれるケースというのは、価格とサービスがつりあっていないために起こります。そうでなくとも鉄道の運賃は不当に安い。大手民鉄の運賃は現状の3倍にしてもいいくらいに俺は思っています
で、東急電鉄の場合朝のラッシュ時に販売する商品「通勤定期券」が不当に安いため電車に多くの人が群がります。であれば、通勤定期券を廃止し、朝の7~9時に改札を通過する場合、運賃を10倍にするというのはどうでしょう。渋谷~長津田間3,000円です
これなら運賃が高くて利用客係に半分他の交通機関に逸走しても、運賃収入で十分カバーできますし、しかもラッシュのための設備投資は不要になります
9時~16時は普通運賃の3倍、17時~20時は5倍、21時以降は10倍とすれば需要と供給が均衡するのではないでしょうか。仮に10倍だとしても、せいぜい深夜バス(青葉台まで2,000円。電車は270円!)よりちょっと高い程度。深夜バスより速達性・定時制に優れる鉄道がバスより安い現在がおかしい。バスより便利なら便利代を払うべきなのです
ヨタでいっている部分もありますが、現状の運賃は不当廉売であるという俺の考え方に変化はありません。
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natoriumu1023 · 8 years ago
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参入する供給者が極めて限られるインフラにおいて、競争市場の原理を必ずしも適用できるかどうかってところですかね。
供給者が大勢いる消費市場なら、仮に一社が値上げしても消費者は他にそれより安い代替商品を選べる可能性があり、最終的に業界全体の全社が値上げしたらそれを受け入れるということになるはずです。しかし、インフラの場合そもそも「その地点間の移動」という商品を供給する者が極めて限られていて、実質的に寡占市場なっているので、消費者には選択肢がないため安易に値上げすると最悪暴動とか問題になりかねない気がします。
ゲーム機とかビールとか、いわゆる贅沢品の寡占市場ならまだ社会的に受け入れられるんでしょうが、インフラという必需品の市場が寡占状態なのがこの問題のタチの悪いところですかね…
※政治的な部分および政治家の言動行動には一切触れません
何度も申し上げますとおり、供給に対して需要があふれるケースというのは、価格とサービスがつりあっていないために起こります。そうでなくとも鉄道の運賃は不当に安い。大手民鉄の運賃は現状の3倍にしてもいいくらいに俺は思っています
で、東急電鉄の場合朝のラッシュ時に販売する商品「通勤定期券」が不当に安いため電車に多くの人が群がります。であれば、通勤定期券を廃止し、朝の7~9時に改札を通過する場合、運賃を10倍にするというのはどうでしょう。渋谷~長津田間3,000円です
これなら運賃が高くて利用客係に半分他の交通機関に逸走しても、運賃収入で十分カバーできますし、しかもラッシュのための設備投資は不要になります
9時~16時は普通運賃の3倍、17時~20時は5倍、21時以降は10倍とすれば需要と供給が均衡するのではないでしょうか。仮に10倍だとしても、せいぜい深夜バス(青葉台まで2,000円。電車は270円!)よりちょっと高い程度。深夜バスより速達性・定時制に優れる鉄道がバスより安い現在がおかしい。バスより便利なら便利代を払うべきなのです
ヨタでいっている部分もありますが、現状の運賃は不当廉売であるという俺の考え方に変化はありません。
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natoriumu1023 · 8 years ago
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多分に主観が含まれると思うので無視してくださって構いませんが、仮にスペーシアときりふりの特急料金が同額だったら僕は納得できませんし趣味者ではない利用者も納得しないと思います(少なくとも家族はそう)。鉄道会社が料金設定を行う際に車両設備を考慮することは大いにあることだと思っていますし、利用客もそれを見ていると感じます。Sトレインについては会社をまたぐため値段が上がるのは至極当然のことであり客観的に見てそこに文句をつけることはありませんが、主観的に利用者視点で見た時に料金が高めだなというのは言いたいところです。
あと、座席の向きについてですが、家具の椅子ならともかく列車は決まった方向に動くものです。人間の着座姿勢は脚と尻が前後方向に長さを取りつつ横方向は尻の幅だけ、しかも尻というのは丸いので、慣性力が前後方向に働くクロスシートと横方向に働くロングシートとでは、仮に全く同じ形状の座席でも慣性力に対しての耐えやすさという意味で乗り心地に差が生まれるとは思っています。
直通列車は原則普通電車のみの時代からすると、ホントすごいクルマが走るようになったもんだわね。なにより東京メトロ(営団地下鉄)が頑なにパターンダイヤにこだわった時代から考えるとホントすごいと思いますわ
副都心線開業初期のダイヤ乱れ連発をしっかりとメトロ自身が噛み砕いて、財産にしたなって感じる。10両つなぎと8両つなぎの混在という東急電鉄の事情から、まだまだこなれていない副都心線のダイヤも、だんだん洗練されていくんだろうな
クルマについては改めて乗ってから語りたいけど、L/Cの座席では多くは期待しちゃいけないとは思ってる。それはもうよほど革命的な機構が開発されない限りL/Cの座席には及第点を出すことはできない。それはかけ心地でもっとも大事な部分、構造的な問題だから。もっとも、座席が進行方向向いてりゃなんでもいいのであれば、このへんは気にする必要はない部分
あと、こういうこと書くと座席指定料金とからめて話す人がいるけど、座席のかけ心地と利用料金の相関性は俺一切問わないからね。念のため。料金を決めるのは需要で、かけ心地を決めるのはデザインだから。この両者に「まったく」関連性なんてないのよ
ついでに言うと、座席の向きとかけ心地も一切関係ない。俺がロング/クロス論争をしないのは座席の向きはかけ心地と関係がないから
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natoriumu1023 · 9 years ago
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変化を受け入れた日常
「日常」というのは、儚くてもろいものだと私は思っていました。 日常系作品が数多く出回っている昨今ですが、それらの作品の多くは登場人物の学校卒業などで終了してしまっているように思います。「いつも通り」という同じような毎日が繰り返される「日常」は、当たり前のようであって実は多少の変化があればすぐに散ってしまう、そんな儚い白昼夢のような日々が「日常」なのだと考えていました。 さて、私は鉄道趣味者ですが、少し前から鉄道と日常系作品の類似を感じていました。鉄道の特徴・魅力の一つは、繰り返される当たり前の日常の風景でしょう。いつもと同じように列車は走り、いつもと同じように人々はそれに乗り込んでゆきます。むしろ、鉄道においては「いつもと同じように走る」というそれこそが大切なことでもあります。そして、そうしたかけがえのない日常の風景が感じさせる鉄道の魅力は、日常系と呼ばれる作品が有するそれと同じようなものなのではないか、と私は考えています。 そして同時に鉄道は、「日常」の儚くてもろいさまにも似ていると思っていました。 鉄道は不変に見えて実は様々な変化をしていきます。電車にも寿命があり、今まで当たり前のように人々を乗せて走っていた車両が引退してしまうことや、時��の流れによって、数多くの人々の思い出が詰まった長距離列車や駅が廃止されることがあります。逆らいきれない変化によって散っていく「日常」がそこにはある、と私は感じていました。
しかし、本当にそうでしょうか。日常というのは、本当にそんなにもろいものなのでしょうか? 私の考えを変えてくれたのは「ごちうさ」でした。言わずともわかるかもしれませんが、私は「ご注文はうさぎですか?」のファンです。「ごちうさ」はまぎれもなく日常系作品ですが、描かれる日常については語らなければならないことがあります。というのは、「ごちうさ」に描かれている日常は、“変化を受け入れた”日常だということです。 「ごちうさ」の世界にはちゃんと時間の流れがあり、登場人物たちは年を重ね、進級もしていきます。その中で、登場人物たちはお互いに影響しあい、成長していきます。また、彼女たちの間の関係性も、少しずつ変化を見せます。 しかし、それこそが彼女たちの日常なのです。少しずつ形を変えながらしかし確実にそこに存在し続ける絆、そのもとでやはり少しずつ形を変えながらも紡がれていく日々こそが、彼女たちの尊い日常です。 さて、その上で、もう一度鉄道を見てみましょう。鉄道の日常の風景も、同じなのではないでしょうか。確かに鉄道の風景もさまざまに変化していきます。でもそれこそが鉄道における日常の一側面であり、受け入れるべき風景なのではないでしょうか。もちろん、失われゆくものを追いかけることを否定しはしません、でも、変化を拒んで「失われゆく「日常」」という悲しい幻想に浸り続けるよりも、この日常に変化を受け入れるほうが、日々をより味わえるのだと私は思います。車両やダイヤが変わってしまっても、列車が走り人々を運んでいく風景は存在し続けるのです。 変化していっても、変わらないものは確実にあります。そして、その変わらないものの上に築かれていく「変化を受け入れた日常」こそが、半永久的に続いていく最強のものなのだと私は思います。
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natoriumu1023 · 9 years ago
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現状だと総武快速線のE217系とかもそうですかね
真ん中に貫通扉があって非常時に通り抜けできる構造ならいいんだと思います。逆に今度の浅草線車両は貫通扉が寄ってるのでそれもできないので違うのかなと
そーいや小田急9000形は貫通してないけど地下鉄直通してましね
いざというとき通り抜けできれば普段は施錠しておいてもいいんだろうか
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natoriumu1023 · 9 years ago
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本物に準じつつ、作品世界の「住人」たる必然性を持つような設定があると個人的には一番美味しいのかもしれません
「銀彩の川」の東凪鉄道とかになると最早ついていけてませんが…
比較でしか鉄道を語れない。つまり「鉄道を知らない」んじゃないのかな
創作世界の鉄道に合理的解釈をつけて楽しむのもまた、面白いと思うんだけどね
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natoriumu1023 · 9 years ago
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こういう視点も楽しいと思いますね。
ごちうさ2期で出てきた高速列車とか面白かったなあ。作品の都合上、舞台がどことか確定させちゃいけないから、欧州的だけど現実には存在しない架空の車両を描いてた。高速列車で流線型の機関車のプッシュプルなんだけど、客車は作品の世界観にあったレトロめな雰囲気。いろいろと想像が広がる感じだった。
現実にはありえなそうな設計があったり作画が若干崩れぎみだったりしたけど、作品世界での難しい制約の中での秀逸な「正解例」だと思いましたね。…こういう話をTwitterでしていたら一人からリムーブされましたが
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比較でしか鉄道を語れない。つまり「鉄道を知らない」んじゃないのかな
創作世界の鉄道に合理的解釈をつけて楽しむのもまた、面白いと思うんだけどね
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natoriumu1023 · 9 years ago
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日本のメディアは先進国最低レベル、とよく言われますが、マスコミもマスコミですが需要者側である国民も大概だと思うんですよね。身の回りを見ても、スマホの普及の前から、自分から情報を追求しに行かず、燕の雛のように口をあんぐりあけて情報を待っているだけで、与えられた情報を鵜呑みにする、という人が多い気はします。そういった国民からの需要がある限り、ああいうただそこらへんの情報を垂れ流すだけのワイドショーや情報番組といった空虚なコンテンツは消えないでしょうね
どうしてこんなんなっちゃったかなあ…知識量偏向で「知恵」つまり能動的な思考力を育ててこなかった日本式教育がいけないのかもねえ
言いたかないけど、どうして、なし崩しに既成事実みたいな進め方で小林麻央がガン患者の代表みたいな扱いになるワケですか?
病人がブログやることが、ニュースになるほど奇特な出来事ですか?
ていうか、それ以前の問題として、一個人が日常とプライバシーを切り売りすることを、わざわざ報道するのは狂ってるとしか思えないのですよ。
こういう言い方をすると波風が立つのは承知のうえですけど、見せなかったり見えなかったりするものの中から、いろいろな人が知るに値する出来事を汎く知らせることが報道の報道たる役割であって、ブログで公開しているとか、チラシで宣伝しているとか、ちんどん屋を雇って周囲に知らせまくっているとか、要するに能動的に発信している事柄に迎合するのは、もう職能行為としてはペケなんじゃないかと思うのですよ。
ああ、気持ち悪い。
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natoriumu1023 · 9 years ago
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ガルパンはいいぞ
先ほど、上映11か月目にして初めて「ガールズ&パンツァー劇場版」を見てきました。先日友人が立川に赴いていましたが、調べると近所の春日部イオンでも再上映中とのことだったので、僕も話のタネに一度くらいとその友人と一緒に見てきたのです。とにかく、あの、はい、とても素晴らしかったです。映画公開後、「ガルパンはいいぞ」というフレーズが流行しましたが、いわゆるガルパンおじさん達があのように語彙を失っていた理由が分かった気がします。「いいところ」がすごく多くて分散していて、説明するのが難しい。しかし、あの言いようのない満足感充実感達成感が内からあふれ出し、説明できないまま口をついて出たのがあの「ガルパンはいいぞ」というフレーズなのでしょう。 ただここではそれだけで終わっては仕方ありません。ということで、僕が個人的によかったところを順番に挙げていきたいと思います。
・3DCGとアニメーション まずなにより3DCGがすごかったです。戦車のフォルムや動きを非常にリアルに描いており、迫力のある音も相まってとてつもない臨場感がありました。また、それに対してキャラクターはほとんど手描きのアニメーションで描かれており、アニメとして自然な描写にしつつ作画枚数を多くしなめらかで3DCGにも引けを取らない動きを実現していましたね。
・街中での戦闘と破壊シーン 冒頭のエキシビションマッチ。大洗の街中で戦闘が繰り広げられましたが、「シンゴジラ」を見たときにも思いましたがSF映画によくあるようなああいった現実の街が破壊されていく様子には個人的に感嘆させられるものがあります。大洗の町が全面的に協力しているからこそ成せる描写でしょう。
・戦車に対する声かけ 廃校により戦車が回収されそうになったとき、登場人物たちがそれぞれ自身らが乗ってきた戦車に対し、まるで人に対するように思い出など声をかけていたシーンが印象的でした。機械を機械以上のものとして愛着を持つということは個人的にすごく好きなものです。
・姉妹の回想 実家に帰った主人公が戻り際、姉との幼少期を回想するシーンが、彼女たちの関係性を見せていてとてもいいシーンでした。姉妹間の絆を印象付け、クライマックスの姉妹共闘のシーンのために重要な場面ともなっていました。
・会長の頑張り 廃校を何とか取り消してもらうため、生徒会長が奔走していました。普段の様子ではあまり真面目なようには見えない彼女ですが、いざという時にみんなのために走り回るというキャラクターがとてもよかったです。
・試合開始直前の『転入』 対大学選抜チームとの試合開始直前、絶望的状況であった大洗女子学園チームに助っ人としてライバルたちが加わっていきます。冒頭のエキシビションマッチで戦っていたライバルが、クライマックスで味方について戦うという、スポーツもの的な王道展開に燃えました。
・本戦中 試合中はもういろいろありましたが、不利な状況の中でチームワークを発揮し工夫を凝らして戦っていく展開や、仲間達がリーダーを信頼し自ら生贄となっていく場面は、やはり王道的でありつつ非常に熱いものでした。また、戦車の本来の限界を超えた使い方がなされているシーンが多々ありましたが、先ほど述べた「愛着」に通じるものもありますがあのように機械がその限界を超えつつも何とか動かされている、「人が動かしている」という場面が個人的にとても好きです。また最終的に仲間達みんなが主人公を信頼し、彼女に託していくという展開も熱かったですね。
・クライマックス 主人公と姉の戦車2両で、敵である大学チームの最後まで残った大隊長の戦車1両と戦うクライマックス。手に汗握る臨場感あふれる描写、そして最後の「姉が妹を撃つ」というシーンでは熱くなりました。あの激しい展開の中、表情による心情描写もとても印象的でした。
・エンディング スタッフロールのバックで流れる映像ですが、試合後の姉妹の会話、内容は聞こえないものの試合最後での事を言っているんだろうなというシーンが、やはり姉妹の絆を感じることができよかったです。洋上のフェリーさんふらわあ号での生徒たちの様子も、試合が終わったんだという安心感や達成感を感じさせられました。
ということでいろいろ箇条書きにしてみましたが、これ以外にもいくつもよかったところはありました。全体を通して言えることは、まず「王道」を極めて丁寧に描いた作品だったなと思います。たまにこの手の「王道を極めた作品」というのが出てきますが、ガルパンはその一つと言えるでしょう。そして、そうしたタイプの作品はみな良作でもあります。ガルパンは、スポーツものとしての王道展開を丁寧に描いたことが人気の理由の一つだと感じました。 それから、展開だけでなく、様々なことがとても丁寧に描かれていたと思います。王道的なストーリー展開や、先述した3DCGや音による戦車の描写だけでなく、時系列の描き方、各登場人物の心情描写、そして当然ながら戦闘の展開などが、それぞれ丁寧につくられていたなと感じます。こうした点が、より人気と評価を確実にしたのでしょう。 ともかく、ガルパンという作品を体感することができてよかったです。観終わった後の満足感はとても心地よいものでした。
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natoriumu1023 · 9 years ago
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交通と文化の東武博物館のテーマ曲?(館内ビデオのあれ)が欲しいですね
東武鉄道サウンドトラック
1.東武動物公園テーマソング
2.東武ワールドスクウェアテーマソング
3.東武ロマンスカーの歌
4.TJライナーの歌
5.磯村建設
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