Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
『よだつ』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2023年 文学フリマ東京37にて発表したホラー短編アンソロジー『よだつ』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
表紙・裏表紙
題字の「よだつ」がめっちゃ好きだ
好きすぎる
より集まった髪のような、植物のようなビジュアルが不気味さとかっこよさを両立してる
傷んだ髪の毛を顕微鏡で見た時のようなぞわりとくる感じがある。
虫の足のような枝毛のような触手のような曲線が恐怖を想起させてくれます。
下の方は傷んだ髪のキューティクルっぽいですよね。でも上の方の枝分かれというか、広がってるのが異形な感じがして、抽象的だけど毛ホラーだ、「よだつ」だ、というのがすごくわかるんだよな。
生命を感じる。おれはこの表紙がなければ今回の執筆は諦めていた。
表紙見てから原稿がめちゃくちゃ進んだんだよな。
緒言/エピグラフ
緒言、最後の一文がかっこいい。
最後の一文に定評のある敷島悟桐。
急に親戚のグローバルさが出てきた敷島。
チュニジア共和国の首都なのか。
「えいべさん オーディオコメンタリ版」cydonianbanana
一言
ジャパニーズホラーのじめじめ感。
普通に怖いんだよ。真面目にホラーに挑んだ主宰にリスペクトしかない。
プロレスラーにえべっさんっていたような(関西では七福神の一人である「えびす様」を「えびすさん」→「えべっさん」と呼ぶようになったとか)
映像系感染呪術の系譜なのかな
作中に出てくる『ヘアー』って映画も毛絡みか
いわゆる映像系のホラーだけれど、いわくつきの映像とそれを視聴する側の視点とが同調して異常性をエスカレーションさせている。温度差の管理が素晴らしいと思いました。
うまく言えないけどばななさんの文体でやるくだけた会話好きなんですよね。
ちゃんとしたホラーの狂い方だ……。全���は理屈がつかなそうな曖昧なところがいかにもホラーな怖さに思える。会話がカタカナだらけになるところ、シンプルに「おおっ」となった。
普通に映画関連の知識がすごくて、コメンタリがそれっぽい。
詳細
冒頭の「かえらなきゃ」という不気味な掴みと、ラストの「かえさなきゃ」という一言が狂気の伝染を象徴してるようで上手い。
未明の街をバスで走るという楽しそうなロケの裏話から、そこが視聴者的にも恐怖の現場となっていく過程の変遷。とても自然で恐ろしかったです。
実際ホラー映画にオーディオコメンタリとかいう風習があるのかどうか知らんけれど、内輪語りっぽさがいかにもなのが面白い。
親密さのある会話→ギャップで怖さへ
ホラー映画の作中作という素で怖いパートと、オーディオコメンタリの会話という安全なゾーンが交互に出てきて、そのギャップが出る、そして最後にオーディオコメンタリ側が安全ではなくなるという定番だけど効果的な構成
オープニング~でたらめな経路で走るバス車内
映像を文章で説明するパートの描写力が良い。「閲覧者」から連なる描写しまくり系の技がこなれている感じがする
徘徊対策のバス停は実在するらしい。バス停名に条里制の名残を感じる
老人「かえらなきゃ」
蓼志野の回想:渡良瀬との会話
過去のフィールドワーク(厩神に関する調査)を振り返る。
「ヒアリングしている間、畑の向こう側にずっと立っていた女」
怖い。
過去(渡良瀬が生きてるという意味では、大過去)回想だけど冒頭に挿入される行方不明者アナウンスは現在(七十二歳の蓼志野の捜索)
スピード感の言及もされてるけど、「言葉で説明しない短編映画」らしい圧縮が効いているのをうまく表現しててすごい。(アナウンスは言葉っちゃ言葉だが……)
渡良瀬の死~『えいべさん』ノート
渡良瀬の遺品整理に訪れた蓼志野。
『えいべさん』という題が書かれた黒いノート
えいべさんは厩猿のこと。捕縛した猿の手を御神体とする信仰。
山海経の朱厭が由来なんだろうか? オンコットと関係ある?
「畑の向こう側に、田舎には似つかわしくない赤いコートを着た女」
怖い。
<コメンタリ>女が立っているカット、アングルがどうなっているのか監督にもよくわからない。
引き続きノート
封印されていた御神体を手に入れる渡良瀬と蓼志野。
しかし蓼志野が「これ、本当にニホンザルの骨ですか?」
モノローグ終わり。蓼志野がノートをめくると紙面が髪の毛で塗りつぶされている。
<コメンタリ>『呪い』は観測問題。
バス車内
バスの中を歩く老人。
「蕷ヶ原まで行きますか?」
蕷ヶ原、は向こう側の地名っぽいよな
「蕷」は、ヤマノイモ科のつる性多年草「薯蕷(ショヨ)(やまのいも)」に用いられる漢字です。読み方は「いも」で、音読みは「ヨ」、訓読みは「いも」です。
黒く細長い曲線が画面に映りこむ。
老人がえいべさんの御神体を取り出す。
「かえらなきゃ」
<コメンタリ>映りこんだ曲線が意図していないものであることがわかる。
ノートに挟まっている(ように最初は見えたが実際には書かれている?)髪の毛を見て呪いに気づく→観測問題としてそれが現実化する、のと重ね合わせるように、映画の画面内に髪の毛らしき線が入っているのに気づいたので……
神社でノートを読む蓼志野(ノート=渡良瀬の独白)
フィールドワーク以来、体調がすぐれず、赤い女が夢に出る。
蓼志野にはそういった事象は起きていないとのことだったが、半年後に蓼志野の訃報が届いた。
ではノートを読んでいる蓼志野は? 老人は?
蓼志野の研究室を片付けていると、えいべさんの御神体を見つけた。
<コメンタリ>撮影に使用した御神体が本物(鵺の手)であることが明かされる。
本物のえいべさんの御神体、というのではなくて、鵺、というのに若干の唐突感があるんだけど、どういうことなんだろう。
蓼志野の調査結果
えいべさんの御神体はヒトであり、その名前は恵比寿様(異邦人)が由来。
解説されてたそれ自体既にちょっと残虐な作り方が、人間相手に行われていたんだ、となってこわ~となる仕掛け。良いね。
<コメンタリ>ここから監督の発言がおかしくなる。マイタリマイタリ。
バス車内~蕷ヶ原着、終幕
蕷ヶ原に着いたが老人は降りず、バスも出発しない。
車内通路に人影、赤いコートの裾。
「かえしにきました」「マイタリマイタリ」
とじるほうの括弧( 》)がないので、ここの発話が、映像から半分現実(コメンタリ側)に派生というか、混じり込んでる感じ?
<コメンタリ>監督「かえさなきゃ」
御神体を?
鵺のほうってこと?
最後に「わたし」が登場している
これまで二重括弧のなかは映像を文章で説明していて、そとはコメンタリーで会話文だけだったところ、その境界が外れている。監督が立ち上がってるところとかが映像で説明されていてカメラが外に出ている?感じ。
真言
オコオシンデ:御庚申
マイタリ:弥勒菩薩の梵名「マイトレーヤ」すなわちいつくしみ、らしいが?
ソワカ:成就
調べてもいまいちわからないけどまあ文言よりもお唱えする行為自体に意味があるのかな。
意味がわからないので怖さが高まるみたいなのがある気がしますね。たとえば御神体の製作過程で真言を唱えるとかの設定が書かれているとそういうのと繋がって解釈しやすくなるんだけど、そういうのがない。
赤いコートの女
アクサラのイメージで読んでました。
これも謎で全然意味がわからない(えいべさんの話にそれらしい女が登場したりしない)ので解釈できないのが不気味さですよね。
「かえらなきゃ」「かえさなきゃ」
オープニングの「かえらなきゃ」も「かえさなきゃ」だった?
蓼志野と渡良瀬の死がせめぎ合うように、映画とコメンタリが侵し合うように、御神体と老人の意志が重なっているんじゃなかろうか(どちらにも聞こえるし、どちらでもある)
「カルマ・アーマ」小林貫
一言
絶対に映像化してほしい(絶対にしてほしくない)
個人的にはいちばん怖かった。にきびに悩んだ高校~大学生の頃の記憶が…
非常に短くまとめられていて、しかも不気味さと気味悪さが余すことなく描かれた傑作。
ヤバい女を書くのが上手すぎる。
自分は角栓系の動画わりと見ちゃう人間なんだけど、あの手の動画の快楽が余すところなく言語で表現されていて、正直かなりゾクゾクした。
キモくて笑っちゃった
伊藤潤二の『グリセリド』思い出した
ねじれ双角錐群の新海誠
毛=要石
詳細
ひらがな多めに女性を描写するとえっちさが増す発見をしました。
この気持ち悪さ、これ、これが書きたかった……。俺の書きたかった小説だこれは……。
毛巣洞で画像検索しないで下さい。
ピークでそのまま終わる感じがすげえ。
それでいてラストの文章はちょっと切ない感じがする。
ポテサラをあてに日本酒をあおる女。只者ではない。
マヨギさんの容姿はブルアカの古関ウイみたいな風貌を想像したが、どうなのか。
■p28「はじめにその視線に気づいたのは」
小林貫作品の嘔吐率の高さ。
この作品、嘔吐に始まり嘔吐に終わる構造になってるんだよな。
「たしか、三回生のマヨギさん。どんな字で書くのかは知らない」
実際どんな字というかどういう意味の名前なんだ??
間世姫
なんか末魔とかと合わせてサンスクリット語とかなんかあるのと思って検索したら出てきた
「最近あごにできてしまったニキビをすりすりとなでて」
芥川の羅生門の下人のニキビの描写を中学の国語の授業でやるじゃないですか。あれを思い出した。主人公の青少年らしい悩み。
でそう思わせて��いて伏線というか、ニキビが後半の展開でメインになってくるの面白いよね。
■p29「結局バーベキューエリアとトイレを往復するばかりで」
「ドアの窓に顔をべったり貼り付けてこちらを見つめているうすら笑いのマヨギさん」
こわすぎ
■p30「それからぼくは大学のレポートやバイトに明け暮れ」
p31「その短い言葉にふくまれた意味がぼくの全身の毛穴をきゅっと締めつけ、鳥肌立ったそのひと粒ひと粒に手を触れたら剥がれ落ちてしまうように思えた。」好き。
p31「気づいていたと認めるのが怖くて質問で返した?」小林貫作品でこういうのが出てくると嬉しい。(何目線なんだ)
異常な女の異常レベルがかなり上がってきて、ニキビを潰すのが好きという設定が出てきて(でもこれあとのことを考えるとそう簡単に嗜好の問題ではないんだよね、きっと)、からの「あふれる涙をぼくは必死にこらえている」に至って主人公も相当もうおかしい。展開にスピード感がある。
■p34「「施術は次の日曜、私の家で。」
アルコール抜いとくのなんか、修行的なやつ?
お酒がニキビの原因になる理由は、主に以下の4つです。
糖分の過剰摂取になる
毒素の排出を妨げる
ビタミンB群が消費されやすい
睡眠の質が低下
お酒に含まれている成分や特徴が、ニキビの原因を作ってしまいます。
このケースだとむしろ呑んだ方がいいのでは?
「時計を進めてみたり」普通それで時間は消費されないだろ
■p35「「さっそくだけど、ここに横になって」」
p37「末魔」これここまでの流れが相当ヤバくて気持ち悪く怖いので盛り上げてきて、それでこの後どうするんだと思ったところからのターンにぶち込んできてめちゃくちゃ笑ってしまった。「もうそういう段階じゃない」。
断末魔の末魔ですよね。「末摩」はサンスクリットの「मर्मन् (marman)」の音写。「関節、致命的な部分、傷つきやすい場所」の意[1]。「死節」「死穴」と訳される[2]。体内に存在すると考えられた極小の急所であり、これを断つと激痛を生じ死に至るとされた。
おギュッ!じゃあないんだよ
■p39「やがて膿は床を埋め尽くし」
いや何が行われているんだよ!
マヨギさんの目的は自身の末魔を開き、生と死を繋げること。そのための儀式?として膿(アーマ)が必要で、伊津見を誘った。目論見通り伊津見から取り出した膿を摂取することでその背の粉瘤の埋没毛が抜けるようになり、末魔を開くことに成功。生と死がつながり、二人は「ひとつに混じり合った次の世界」に進む。
エルデンリングってこと?
大学は人生のモラトリアムだし、狭間の地ではあるな…
好きなとこ
「気にしないで。もうそういう段階じゃない」
「マヨギさんと出会えて本当に幸せです」あふれる涙をぼくは必死にこらえている。
「こっちの左頬のやつは自分でつぶしたでしょう。ね、跡になってる。だめ……自分でつぶすのはだめ。皮膚がでこぼこになっちゃう。ああ、すごい。どれもこれも膿アーマでパンパン。ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも。でもつぶしちゃだめ。触るのもだめ……わかった?」
途端、埋没毛という栓が抜けた粉瘤からマグマのごとく膿が噴き出し、マヨギさんは「おギュ、おギュ、おギュッ!」と人間のものとは思えないうなり声をあげた。
「マヨギさんと出会えて本当に幸せです」あふれる涙をぼくは必死にこらえている。
「取材と収穫」笹幡みなみ
一言
実話怪談というジャンルにフィーチャーしつつ、それが物語のメタ構造を導いているところがクール。
ていうか語り手が笹さんすぎてウケる(いや、語り手は笹さんっていう設定なんだけどそれにしても笹さんすぎるでしょ)。
ツイッターもといXの雑談からぬるりと始まる。実話怪談のセオリーというか、カボチャをかぶった稲川淳二が目に浮かぶようですね
三大盛ってはならないものとして、毒・胸・話がある。
読み終わったあといやあな感じが残るのでよい。
違和感がある現実の短い映像を並べて一つの恐ろしさに仕立てる、という映像作品の手法をうまく小説で出来ている印象。怪談収集家という切り口にはいいアイデアだなと思いました。
普通に構成おもろい。入れ子構造っぽいところは、ちょっとえいべさんとも重なるかねえ。
「三つの怪談がどうつながってくるんだろう?」ってわくわくしながら読んでた。シンプルに物語的に読ませる感じの展開っすよね。
詳細
世にも奇妙な笹物語
消費されていく怪談というコンテンツの側面を冷静に分析していながら、恐ろしさはきっちり担保している手腕が素晴らしいです。
上を見上げたらいる女、真面目に怖かったです。ホラーゲーで出てきそう。
これはマジで怖くて「笹ァ!」って声出た
タメが効いてるのもあり、ここ怖かったですね。
体験者の名前、いち、に、さん、なの、全然気づいてなかった。
マジか
p68からp69に入った瞬間に「読み手(ないしは聞き手)としての自分が消える感じ」がしてかなり不思議な読みごたえだった。
舞台となる事務所は横浜駅から平沼方面へ10分ほど歩いた雑居ビルの二階(高島町と平沼橋のあいだくらいか?)
前置き(あまりにも笹さんすぎるパート)
主人公:笹
怪談収集家:桐谷さん
毛に纏わる怪談#1(バーベキュー場のトイレ)
体験者:市倉
つかみっぽいやつ。
《引き算ならば認められている》この物語の大枠自体もレティサンスがある
毛に纏わる怪談#2(上を見上げたらいる女)
体験者:仁科
でかい女性系は怖い。
ちえりの恋は8メートルや八尺様などをみるに、巨大な女ブームというのは定期的に訪れている。
《死は禁じ手》死者の体験談だと大川隆法の霊言になっちゃうからな 毛に纏わる怪談#3(肉を欲しがる男と豚肉の毛)
体験者:三反田
千反田は存在しない苗字らしいが、三反田は全国に540人くらいいるらしい
「一切れも分けてもらえないですか」やな言い方だなー。
《実話怪談ならではの未決感》オチると怖くなくなる。オチがないと空中分解するお笑いとは真逆の性質がある
4(#1~3の取材相手の消失)
体験者:桐谷
どこからどこまで?
白くて硬い動物の毛
このあたりちゃんと読めてないかもしれない。
P45「横浜駅から~」とその後いくつかの部分、怪談を批評したり、次の怪談を要求したりしている章が、最後に消えた男視点になってるっぽい
最後に消えた男=毛に纏わる怪談収集をする怪異?
笹さん(便宜上の呼称です)が取材した/させられたことで桐谷さんの語りがまるごと「毛に纏わる実話怪談」になってしまったので、次は笹さんのところにも取りにくるかもしれないというオチですよね、ですか?
「消えていったということは、怪談に一応満足してくれたのだろうか」(p.69)
満足しなかったら……
「恢覆」国戸醤油市民
一言
グランドキャニオンでチキンレースの話を聞かせてくれ!!!
語り手に割と感情移入して読んだので、後半の展開は「これどうなっちゃうんだ」というハラハラ感がある。自分がおぞましい存在になってしまう系ホラーとして面白かった。
映像化しづらそうというか、小説ならではという感じがしていい。
いつだって国戸さんは僕の前を走っている。追いつけるのか、その背中に?
寝たきり状態の主人公は乙一の『失はれる物語』を想わせる
それはさておき警備員がいちばん旨かったのは、たぶん肝臓の太ったおっさんだったんだろう
紹介文がすごい。
「全部うまく行くよ。僕を信じて!」
これめちゃ好き
アメコミとか特撮とかのクリーチャーが出現する場面をうまく演出したような作品で、怖さの中にも迫力がありました。理性を半端に残した人間こそが一番なホラーだと考えているので、とても設定や筋立てが好きです。
毛ライジング
起こってることはモンスターパニックっぽい感じだけど、その当事者目線の語りなのがおもろいよな。ちょっと『寄生獣』とか思い出したな。あと、スピード感がすごい。
詳細
手術詳細を読んだ時に「育毛を重ね合わせてるのかな」と思いました。
イヤホンから喘ぎ声聞かされるシーンのディテールなんなんだよ。
不妊治療での精液採取みたいだ(DLsiteの音声作品的なのを聴かされた?)
最後は意識ごと食われて乗っ取られてる感じ、で解釈。すると物語のエンドと語り手の意識のエンドが完全一致する鮮やかな終幕だ。
p78真ん中「身の危険を感じたからか、僕を包んだ繭は〜」
ここから"僕"が入りはじめている。
あーなるほど。初読時気づいてなかった。
と思ったけどあんまり自信なくなった。
“私”は”僕”にとっての繭ってことか
私が主人公で、僕(p78真ん中と、p79最後に出てくる)が受精卵の方?
「僕を信じて!」
「なんだ?」と体を起こすと――体が? 動く!
リズム。
p79末尾は、「これで治すところは最後だ」のほうが「僕」=受精卵のセリフで、僕の方が「千切り捨てた」と言ってるけど、受精卵が毛(p78でほどけたあとどういう状態になっているのか描写がない)を使って千切ったということ?
「僕」サイドが「私」を無用なものとして切り捨てて殺した的な展開かと一瞬思うんだけど「これで治すところは最後だ」と言ってるから治してるという意識?
「僕」が役目を終えて自己犠牲というか、自分自身が「私」にとって不要な存在であるとして切り離して死んで終わる的なエンドなのか?
石井さんが書いているように、「私」の意識が「僕」に乗っ取られて、もともと「私」の身体だったほうに意識が移った上でもともと「僕」だった受精卵の容器を破棄しているというエンド。これだと、それまで腹が減っていたのは「私」の側だったのが「満腹になり」というのも整合する。一番怖いな。でもハッピーエンドだな(?)。これが正しい解釈だろうか。
恢覆の「覆」が「くつがえる」なので乗っ取られたんでしょうね、ちなみに「おおう」でもある
そういうことか!
「毛想症」Garanhead
一言
静かに暮らしたい殺人者というと吉良吉影っぽさがある(ので森川智之ボイスで脳内再生された)
全体的に痛そうな感じがしてひええってなった
拙者抑圧された闇の人格的なやつ出てくる話好き侍
スプラッタ系でちゃんと怖いんだよな。痛え!となる。
身体改造してるのびっくりした。あと一旦VRに行くという展開にもびっくりした。
詳細
主人公の顔が、素人整形の繰り返しでぐずぐずになっていることが終盤で明らかになるが、それにより石川さんが本当に神社仏閣が好きで純粋に同好の士として接することができる人なのだなとの感慨が生じる。
石川さん、いい子っぽいよな。ただ赤口の発話が常に描かれるのに対して、石川さんの発話は一切ないことからもわかるように、主人公からしたらどんだけがんばってもやっぱり欲望の対象としての石川さんなんだよな……。ああ……。
(これは将来読書会レジュメ公開するときには非公開で)草稿を読ませていただいたときからの感覚でいうと、改稿によって主人公の咎たる赤口がその咎性を増しているというか、裏人格みたいな存在であるからこそ本人の欲望を知り尽くしている感じが強まったのがいいなぁと思います
p82「俺と赤口桐枝との出会いは、」
赤口桐枝の赤口は苗字としては「あかぐち」読みでいいのか?(一応実在苗字っぽい) 由来は「しゃっこう」のほうとして……。
(著者コメ)執筆中はずっと「せきぐち」で考えていたような気がしますが、そんな苗字は存在しないっぽいので「あかぐち」ということにしておきましょう。赤口(六曜において仏滅の次に演技の悪い日とされている。血や刃物を想起させる)のイメージが伝わったのならば何よりです。
p84「グロさだけがホラーではないのよ。人の咎も時にはね、ホラーの柱になるの」咎をホラーの柱にしてるからこれ暗示というか伏線なんだけど、グロもやっとるやないかい!と思ってじわじわきた
p86「やってしまった。」
p87「枕には女性の頭が乗っている」俺は頭を抱えたのコピペみたいでニヤニヤしてしまった
p91「家に戻ると素早く荷物をまとめ、」 (著者コメ)ここのすぐに住処を引き払う展開、結構無理があると思っていて、いきなりこんなこと出来るか? たとえ備えていても……と悩んでました。結局、「月一で蒸発訓練をしている」という設定でお茶を濁しました。
p97 肉体改造を明かすパート。痛い。
p99「赤口が俺に紹介したのは」 p103「翌日、また仏閣のエリアに向かっていた。」 p105「半年後、石川さんとVR上ではなくて」 p107「あるいはここも一つのセーフハウスだった。」
p107「あるいはここも一つのセーフハウスだった」段落の書き出しとしては、かなり含みのある言い方で好きです。これあもう物語最終版だな、語り手が腹くくっちゃってノスタルジーモードに入ってるぞ、って感じがめっちゃする。
ここの書き出し好き。
「 」
気配。
p113「意識が鮮明になってきた。」
p113「意識が鮮明になってきた」以降で「ちゃんと物語を終わらせるぞ」という感じがあって、小説の書き手として尊敬……。
顔がぼろぼろになってるのまさにホラー映画の殺人鬼っぽい。
(著者コメ)コンシーラーで傷を隠しているのだとしたら、それが汗か雨かでどろりと剥がれ落ちるシーンはあっても良かった気がします。素人整形を繰り返した結果をイメージとして持続させ続けられなかったので、美味しいところを逃しました。よくない。
読者が男性であったり髪が短かったりした場合でも赤口によりメジャーアップデートされて対応するようになったからお前の所にも来る、というカバーの手厚さが良い。
(著者コメ)笹リスペクトです。事前に笹さんの読ませてもらった際、「やがて災厄がやって来るかもしれない恐怖」をオチで感じたのでパクらせていただきました……。
「きざし」 鴻上怜
一言
メチャクチャいい小説だ。小説をやっている感じがする。
不安感の中に身を置きながら日々の暮らしを送る話も、ジャンル小説としてのホラーの怖さからは外れるけれど、十分に恐ろしさを感じさせる話になると感じました。日常系ホラー。流行るはず……!
これは21世紀の写実主義文学だ!
最初から最後まで重苦しいな。
読み終わったあとに、もう一回見つめる「きざし」というタイトル、めっちゃ渋くてめっちゃ良い。
こわくはない。いや、こわいのかもしれない。いい小説。
詳細
「まるで若ハゲ博士だね」と、妻が検索欄に「ハゲ、なおし方」好き。
夫婦の枕とベッド事情が切実。まずは枕から別々のものになり、それからきっと次はベッドが別々になるだろうと予測する所から、冷え切った関係のうまい暗喩になっている。
仕事辞めて無職だった時期のことを思い出して懐かしくなりました。
会話のやり取りのそっけない感じが好きです。
ラスト3行が、さらっと書かれているけれども、ばっちりと決まっていてすげえ。髪の毛と自分の関係性、妻と自分の関係性を、重ね合わせて出されるリアルな結論が沁みる。巧みな締めくくり。
これバッチリ決まっていて巧みですごいことを言っているようにも、ちょっと酔ってるだけのようにも読める雰囲気になってるのすごいよなと思いました。
仕事を辞めて半年。応募先の面接が終わって二週間経つが連絡はない。
妻から病院でみてもらうのを提案される。
「心療内科だの精神科だの」
抜け毛の量を指摘され、ハゲ治療をすすめられる。
p127「翌日」
排水溝の掃除、抜け毛との対話。
「えっ、おまえ信長公なの?」よすぎる。
帰宅した妻とワイン。
採用通知「今日は来なかったね」、連絡しなかったの「今日のところはね」
悲しくなってくる。
「髪、少し増えてきたね」
抜け毛の指摘をした翌日に、治療が既にはじまっている体で妻が話している。
カレンダーの方に目を向けている。
排水溝掃除のあと(もしくは前)で日付がとんでいる! けど地続きのように書かれている。こわい。
はじめ「妻が狂ったのか? そういうホラー?」とちょっと思ったが、そういうことではなさそう。
キーマカレーで繋げてる?
「新田くんのこと」石井僚一
一言
またハゲの話か!? と思ったら違った……。
新田はちょっと変なやつなのかな? からすこしずつ、こいつマジのやつじゃん となっていく感覚がいい。
高橋さんの髪の毛を抜いて並べる場面で、漱石が鼻毛を抜いて書きかけの原稿に植え付ける癖があったのを思いだしました。
頭頂葉は、外界の認識、触覚、空間認知、視���認知、運動機能などに関わっている
信頼できない語り手的な要素(この語り手は何者なんだ?)と、映画的な要素(構成と、フラッシュバックする過去の場面が頭の中で映像的に再生されること)を感じた。
そう、この作品が語り手が一番怖いと思う。収録順最後にあることでさらに効いてくる。
何度も脱線しながら自分で「戻ろう」って言ってるのがじわじわ怖い。
「髪の毛の話に戻る」ところの使い方が絶妙で、リズムよくイメージが並べられる演出になっている。新田くんの印象が、最初はちょっと神経質なやつだなというところから、徐々にそれをもう越えているなと思わせて、異常さがやがて物質的な外界にまで影響を及ぼすほど滲んでいるのが、好みの展開でした。
脳のくだりは「痛い痛い痛い!」となり、かなりのホラーだった。
こういうパターンのホラーもあるんだ、という感想。自分がホラーを狭く考えすぎだったのかもしれないが、このアンソロジー一冊で随分ホラーって広いなと思わされた。
たのしく書いた。(作者談)
詳細
語り手によると新田くんは初めての出社の日の朝に息絶えていることになるが、職場の飲み会での証言があるので、どれかが嘘ということになる。
髪の毛を全部抜いたら死ぬというのは、実際検証した人がいそうでいなさそうでいそうなフィクションギリギリのラインを攻めていてホラー(都市伝説的な?)でした。
髪の毛の話をするという主題を、「」の用語解説のような叙述で肉付けしながら持続させていて、面白い構成だなと感じました。
p141「ぶにゅぅぃ」
これしかない音だ。
このへんの頭蓋をほじくる表現かなり気持ち悪くてぞくぞくする。
高橋さんに恋人がいるのを知ったときは実際には膝からくずれ落ちてないけど自分の最後の髪を抜いて息絶えるときひざからくずれ落ちたのは紛れもない事実なの、なんかおしゃれ(?)だ。
初出社の日に息絶えた新田
後年に職場の飲み会に出ている新田
後年に刑務所で語る新田
単純に時系列の矛盾っぽい情報にまずは気を取られるんだけど、改めて振り返ると最初の方だと新田くんはなんだか神経質で小心者のイメージだったのが、後半出てくる情報がそれとは噛み合わないというか別人っぽいのも面白い。
0 notes
Text

Fafrotskies
蛙、分身、呪いの手紙、懐妊ウイルス、未来の血統書、そして🦀ーー空から大量の異物が降る怪奇現象《ファフロツキーズ》をテーマに描かれる六つの物語。ねじれ双角錐群によるSF・幻想小説短編アンソロジー!
文学フリマ東京40(2025/5/11) | 南1-2ホール | A-61
ジャンル
《怪雨》SF・幻想短編アンソロジー
収録作品
01 「せんせい、あのね」murashit
「いまもまだ『しん判』がどこかで見はっている気がして、ちょっときんちょうしちゃってます!」 ——山田先生絶賛! 第70回青少年虚構文コンクール・小学校低学年の部応募作!! ※応募時「まきもどされた小学生は気ままなセカンドライフをおうかする」に改題
02 「トリジンタプル」笹幡みなみ
空き教室で一堂に会した高校二年生、多田明莉、多田明莉、多田明莉、多田明莉ほか26名に、担任の穂波から投げかけられた疑問。穂波対30人虚々実々の対決はかくして幕をあけるが、穂波の講義は職員会議で中断され、板書も途絶する。多田明莉は何故多いのか。はやく、宿題やってねようね。
03 「フィジカル・ドリームズ」小林貫
虚構の霊峰「零富士」が見下ろす都市、re・フジ市に無数の手紙が降り注いだ。自由言語で記されたその手紙は、あらゆる言語が定型化されたre・フジ市の秩序を唐突に崩壊させる。呪われた手紙は誰かの意思か、あるいは夢か。
04 「怪雨の子」Garanhead
諸君らは英雄に救われるのを待っている。パン食い競争での圧勝を非難されてもなお、何度も器用に学校の試験で七十点を記録してもなお、英雄は諸君らを見捨てない。地球は自壊へまっしぐら。英雄はテラフォーミングに尽力する。英雄は怪雨の子。関節の外れた世界にもたらされるのは祝福か、それとも。
05 「煙鏡——アビーテスカ血統列伝」cydonianbanana
早世した《史上最強牝馬》テスコガビーは、じつは生きていた? ——ひょんなことから未来の血統書を手にした実業家丸瀬は、独自の配合理論によるサラブレッド生産事業に着手する。やがて約束の馬が大レースに臨むとき、彼らに血の因果が降りかかる。「駿駒」誌掲載記事で振り返る、丸瀬ファーム三〇年間の軌跡。
06 「転がるね群、君に蟹が降る」鴻上怜
そして、次の���学フリマが始まるのです。
執筆者
murashit(X, website)
笹幡みなみ(website)
小林貫(X, website)
Garanhead(website)
cydonianbanana(website)
鴻上怜(bluesky)
表紙イラスト
全自動ムー大陸(website)
仕様
B6判、216頁
価格
¥1000
刊行日
2025年5月11日
1 note
·
View note
Text
ね群読書会:稲田一声『喪われた感情のしずく』
2024年9月15日、ねじれ双角錐群群員有志にて実施した、稲田一声『喪われた感情のしずく』(第15回創元SF短編賞受賞作。『紙魚の手帖vol.18』掲載、単話電子書籍版あり)読書会のメモを公開します。
全体的な感想
セクワ・ジュンの過去作品の伝説説明あたりから加速がかなり効いていき、ツイストが何重にも入って結末答えに至るまでピシッと決まった構成でとても良かった。
人工感情とインプラントっていうストレートな設定から、いろんな方向のアイデアが惜しみなく出てくるのがよかった。その助けもあってか各セクション(特に以下のうちの4〜9)でしっかりヒキがあって、ぐいぐい読ませられる感じ
設定がキマっていて終始読みやすい。機械と生体、感情と意識の話はもう少し理論を掘り下げた方が結末の説得力が増したのかもしれないが、やりすぎると野暮ったいだろうし、現状がいいバランスなのかもしれない。
この設定で書くとセックス&ドラッグ的な退廃的な世界観になりがちだけど、そうならないのはよかったなと。
ドラッグ小説のあたらしい形なのではないか
もしかしてこれはグルメバトルなのか?
部分ごとに
結構細かく多めにツイストを入れていて面白い構成になっていると思う、という前提で、ざっくり割ってしまうと、①~③で設定と状況を出して、④~⑨で事件を起こして細かくツイストしていき、⑩~⑫で主人公が答えを出す、という感じか。
①試作品をテストするとき、いつもすこしだけ
オーデモシオンとその調合師である主人公(コズ)、同僚のドッソさんの導入。最後に「あのセクワ・ジュン」でヒキ。
「エモーショナルディレクター」かっこよすぎる。
②セクワ・ジュンが生み出したオーデモシオン
セクワとは誰ぞやという話と、セクワの過去作品の紹介。セクワの作るオーデモシオンはいずれも罪悪感をテーマにしている。コズのプライベート(配偶者にスウ)。インプラントと〈紙吹雪〉あたりの導入。
セクワさんの過去作品の面白さと説得力。人工的に感情をまとう香水、というまあありがちっちゃありがちな設定を出してきた①に対して「ありがちで済まさないぞ」と差し込んでくる感じ。
『何かを轢いた』→『正方形を轢いた』コンボとか面白すぎる
『犬の絶滅』こわすぎる
架空の職業の「仕事柄」を描写するの、いいな
「身体的な反応が、文脈を通して感情を形作る」
紙吹雪交換OKなの、エッチじゃん
後半のこと考えると、たんに自分と分離された機械を交換してるんじゃなくて、それこそ体液みたいな……ってなってよりエッチにみえてくるんだ��な
③その後も、僕の試作品はいまひとつだった
コズとセクワさんが実際に会う。セクワさんはわりと茶目っけがある人のようである。
「セクワ・ジュンの新作が出るのなら、わざわざ僕がオーデモシオンを作る必要なんてないのでは?」憧れの度合い、そこからくる好奇心と行き詰まりがよく出てるし、結末はオーデモシオンを作るということに迷いなくセットされるし、良いよね
この天才を追いかける的な構成はSF短編だと王道っぽい
あとでお母さんのファイル資料室で見つけちゃうとかもベタベタのベタでいい
④セクワさんに招待されて、
セクワの新作発表会。どんな感情なのか当て会ののち(ここの感情と身体反応の関連をみせる描写がすごい)、「差別感情だ!」でヒキ。
セクワさんガチ勢の『なにかを轢いた』語りがガチ勢すぎて好き。弛緩したゴムのような油断?(これを②のとこにまとめて書かずにこっちに持って来てるの上手い)
これ完全にワインの味の表現とかああいうのですよね
テイスティングノート感
「差別感情」がこんなふうに描写できるのかよ!ってなった。すごい
3つのフェーズで襲ってくる各々の身体反応と情動とか、その科学的説明もかっこいいし、自負とかの出方も怖い!!!(作者もこの小説でこういう盛り上げ方を企図してるだろ!!!怖い!!!!!)
自分もここは本当にすごいと思った
3層にリアリティがある。恐怖から入って……
3段階の層で作っていくのが盛り上げ的にも上手いし、「差別感情」の恐ろしさが読者にしっかり伝わってくる(それ自体の恐ろしさもそうだし、それを作ってしまうのが倫理的にまずくないか、という怖さも)
「差別感情」を導入して一発デカいヒキが作られてて、テーマは差別感情なのかな、と一瞬思うんだけど、全然そんなことなくてこの先も伸びていく感じがすごいよね。
展開が割とスピーディー。枚数のなかでシーン数は多そう
「自分が自分でなくなっていく。こんな感情、初めてだ」設計者たるセクワが、自分が自分でなくなる(=自分が素の人間であるかのようになる)ように、オーデモシオンを設計している。
⑤「……り、リセッタ!」
セクワの新作(『ほろびたもの』)に対する、「まずいのでは?」的な会場の反応。差別感情は差別感情でも、いまやなくなった、「素の人間」による機械化した人間への差別感情であるとのこと。
⑥出社して商品開発室の扉を開けると、
憤慨したドッソさん退職。『ほろびたもの』バカ売れ。スウが『ほろびたもの』を服用している。『ほろびたもの』で起こる直接の感情ではなく、そのあとにくる「ほんものの罪悪感」がキモなのではないか。ここまででおおよそ『ほろびたもの』がなんなのかがわかる。
罪悪感というキーワードは一貫している、ということへの気づきが、気づきを与えつつそれがまた謎を呼ぶ、良い案配で引っ張る。
⑦僕は、セクワさんの若い頃のインタビューや
ここからコズは、「なぜセクワは罪悪感にこだわり、『ほろびたもの』を作ったのか」という謎を追っていくことになる。セクワの母の死が鍵になるのではないか?というところでヒキ。
⑧「ごめん、よく考えたら食事中にする話題じゃ
コズがスウに話す体でセクワの母の死の状況が明かされる。死んで数日間、インプラントの誤作動によって死後も生体機能が維持され、セクワ自身はその母の亡骸から乳を飲んでいたらしい、的な。スウは「誤作動ではないのでは」と意味深なことを言う。ドッソさんからのメールでヒキ。
前章からのつなぎ方が参考になる
「……ほんとに誤作動だったのかな」やや露骨だけど、『ほろびたもの』にハマっているスウくんだとちょっと違う見方ができるという……
⑨画面の中心にセクワさんが映っている
ドッソさんの連絡は『ほろびたもの』の是非をめぐる公開討論会のお知らせだった。討論会のなかでセクワは、「私たちの抱く感情や意識は、すでに大部分が脳内のインプラントや〈紙吹雪〉によって成り立っている」と大々的に発表する。現代の人間のルーツはむしろ機械知性にある(機祖)のではないか、と。
常識をひっくり返す盛り上げシーンがまた討論会というかたち��出てくるのが楽しい。
このサイズの短編で、お披露目会と討論会両方あるのすごくない? 圧縮力というか、ツイストの回数というか。
⑩あの公開討論会から、半年が経った。
機祖派的な考えが世にひろまり、すこしずつ受容されつつある状況。セクワの狙いはこれだったのかもしれない。いっぽう、コズの会社では『ほろびたもの』以外のオーデモシオンがどんどん廃番になってゆく。オーデモシオンを蔑ろにしたセクワへの怒り。
最後のシーンに繋がるコズの行動理由は直接はここなんですよね。全部廃番にして終わらせようとするセクワさんへの怒り。ドッソさんのような許せなさとかじゃないし。
⑪およそ一月後のその日は、
なにかを作ったらしいコズはセクワ宅にカチコミをかける。セクワからの「理由」のネタバラシ。
機械知性としての母親が(も?)真正であることの主張と、それを誤作動としていちどは認めてしまったことへの罪悪感。それを塗りつぶすのではなく、周りの人々を変革するための新作であった、と。
このカチコミからのレスバの流れも様式美
ここで語られるセクワさんの動機、材料的にはここまでのシーンで全部出ているので総合すれば推測可能だけど、読んでいるときに気づけていなくて、なるほどとなった
⑫「それでも僕は、オーデモシオンにはまだ
コズはみずから作ったオーデモシオンをセクワに服用させる。それは機械の身体化を狙ったオーデモシオンであり、そこから、「機械知性ならではの感情を表現できるかもしれない」というオーデモシオンの可能性の話につながる。なんと、セクワの母が子に対して最後に抱いていたであろう感情を表現したものだという。セクワはこのあとどうするのだろうか、というところで締め。
セクワさんの長広舌←言っちゃってるじゃん!
「私に何のメリットがあるんですか?」一応言いつつさらっと使ってくれるセクワさん
グルメバトルマンガなんだよな。すごい料理を食べさせて感動させて勝利みたいな
そのほか
タイトルについて
応募時タイトルが「廃番となった感情について」で、選考過程で「廃番の涙」に改題、さらに受賞後に掲載にあたって「喪われた感情のしずく」に改題されている。
個人的にはとても良い改題のように思った。
「廃番」というあまり親しみのないワードによって興味を惹かれる部分はあると思っていて、応募時タイトルが狙っていたのはそういう線だろうと思う(「廃番」という、聞き慣れないし、意味としても何かの製造をイメージさせる言葉で、それと「感情」という一見結びつきづらそうなものの繋がりという異化効果)。「廃番」をタイトルから外してしまうというのはその意味でちょっともったいないかなという風に最初は思った。
けど「廃番」は作中の後半で主人公にショックを与える出来事として出てくるんだけど、最終的に主人公が出している答えの中において「廃番となった感情」はあまり重要ではない(主人公は「廃番にしないでください」と言ってるけど、それは廃番となった感情が大切だからというよりも、オーデモシオンの役目がもう終わったような扱いにしないで下さいということに力点が置かれていると思う)。そう考えると実は最初のタイトルは主題の正鵠を射てはいないのかもしれないと思えてくる(2回の改題を見てから言っている後知恵だけど)
「涙」も微妙で、ラストシーンで「オーデモシオンの液が滴っていた」とあるのは当然涙を意識した絵面だけれど、これは涙ではないし、人間が涙を流すときのような感情をセクワさんが抱いているのかどうかもわからないことがポイントになっているし、さらにその感情は「廃番」になった感情によるものでもない(これは掲載時にラストシーンが改稿されている可能性が高いから、最終選考時での描写とは整合していたのかもしれないけれど)
その点、「喪われた感情のしずく」は、まさにラストシーンで「オーデモシオンの液が滴っていた」とピッタリくるタイトルだと思う。「廃番」になった方ではなくて、機械知性としての母親の最期の感情という意味での「喪われた」感情であることが最後まで読むとわかるようになっている。「しずく」は冒頭から出てくるスポイトで垂らすオーデモシオンのイメージで素直に入ってきた上で、一番最後のシーンで涙のイメージとも重なるようになっている(が、その感情が人間の普通の涙の時の感情だったのかどうかは読者にはわからない。喪われた感情だから)
オーデモシオン、香水関連の小ネタ
オーデモシオン:オーデコロンeau de Cologneならぬ、eau de émotionsみたいな造語?(フランス語の格変化とかがよくわかってません)
つけぼくろ(ムーシュ):16世紀中頃から18世紀末にかけてフランスの上流階級の間で流行。もともと肌の白さを際立たせたり天然痘などの肌の傷跡を隠すための用途であったものが発達して色んな形の切り絵のようになったり付ける位置によって意味づけがなされたりしていった
https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/history/12.html
……というのが、ポジティブな感情に自分を持っていく、それを周囲に表出する、という元々のオーデモシオンの主要な用途から逸脱して発達していったセクワ・ジュン作品のポジショニングにぴったり合っているネーミング、ということなのだろう
前徴・中徴・後徴:香水のトップノート、ミドルノート、ラストノートに対応すると思われる概念で、人工的な感情を味わうことができるというSFガジェットに対して3段階の時間的に変化という設定を入れることで複雑化できている(単発だとそんなにレパートリー生まれないだろみたいなツッコミが生じそう)し、お披露目会シーンの緊張感の描写にも役立っていて素晴らしい
テクい!!!!!
作者の過去作品関連
なんかまとまってないんだけど、スウくんの存在ってかなり稲田一声作品っぽい一方で、今作では結構機能的な活躍もしているのが面白い。はじめはコズのパートナーで、セクワさんに憧れて職業にまでしたオーデモシオンには興味がないっていう、それが家に帰るといるっていう、コズにとって安全地帯的なポジション(実際、包容力キャラなんだよな)から始まるんだけど、それが『ほろびたもの』にはハマってしまって(若干中毒者っぽくておい大丈夫かみたいなとこあってちょっと面白いんだがそれはそれとして)機祖派の典型例になっていく、という流れで『ほろびたもの』で認識を変革しようというセクワさんの試みに一定の説得力を出すことに貢献してる。でも実際本当に中毒になってしまうとか人格が変容して二人の関係が壊れるとかそういうことはなくてあくまでそこは安全地帯で、最後も雨なのに��くのを呆れつつもセクワさんのところにいくコズを送り出してくれるんだよね。(半年間たぶん憑かれたように「泡」を開発してて、遂にできたから今すぐセクワさんのとこへ持っていく!!ってなってるわけですよ。普通はそれ送り出したらヤバいんですよ、配偶者としては。でも送り出せる。雨降ってるけど?とか言いながら。それがスウくんの器)
具体的に過去作品のどれからそう感じるんだよ、といわれたらわかんないけど。安全地帯的な機能とは違うけど関係のあたたかさみたいなのは「サブスクを食べる幽霊たち」でもそうだったかな。
「おねえちゃんのハンマースペース」のアピールコメントで「「今まで当たり前だと思わされていたものや他人から勝手に押し付けられたものにどう対峙するか」という話が好き」という話がされていて、その構造は本作も似てる意識があるよなと思った。(本作の方がかなりマイルドではあれ)人間性の前提破壊という意味で同じなので。https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/17plus1/4181/
そういえば「故人である母のまじないに囚われている」というモチーフも本作にも受け継がれていると言えるかもしれない。そして本作においてはセクワの父についてはいたのかどうかすら何も語られない!ワオ!
議論してみたいところ
コズが最後につくったオーデモシオンはほんとうに「機械知性の感情(の再現)」につながるのか?
個人的にはやや否定的なところがあるのでいろいろ聞いてみたい
もちろん、素直にうけとると、できそうにはみえるんですよ。ただ……
コズが『ほろびたもの』を体験している際のみごとな描写はたしかに身体反応から感情へのつながりに説得力をもたせている(し、おそらく現代の知見からいっても妥当性がありそうな)一方で、身体反応から恐怖や嫌悪、忌避感、自負や軽蔑への回路の詳細については、空想的な理屈をつけることはなく白紙のままになっている。あるいは討論会でのセクワの発表をみても、作中現在においてもはや機械知性なしの感情というのはありえないということが示される一方で、機械的身体/知性と人間的身体/知性の有機的なつながりがどうなっているかについては(セクワにとっては部分的に機械が「主」であるということ以外に)やはり詳しい言及がない
ここまではよいのだけれど、問題はこれらに絡む「身体感覚から感情への飛躍」というのが本作の最後のピースになっている(ようにみえる)ということ。コズはあくまで「可能性を示した」というだけにすぎず、セクワがどう受け取ってどんな選択を行うかは示されないというある種オープンな結末となっているところから、あえてこの「最後のピース」を埋めきらなかった作為のようなものを感じなくはないんですよね
想像力たくましいことを言ってしまうと、セクワによる強めの母の解釈を受け取ったコズが、分の悪い賭けに(師匠を信じて)賭け金上げてベットしている状況のようにみえるというか
もちろんこの見方をしたらしたでそれはそれでかっこいい終わり方ではある
最後ちょっと棚上げ感があったな。
後半の話の展開は心身問題の領域にもろツッコんでいるんだけど、そこの掘り下げを意図的にしていないというか、さらりと深入りを回避している感じはありますよね
そういう意味では「機械知性の感情(の再現)」につながるのか、っていうと、よくわかんない、と思うけど、「オーデモシオンの可能性がまだあることをセクワさんに示す」「セクワさんの感情を動かす」ことには成功したと捉えるべきかなと感じる(明確に成功したのかどうかは書かれていないオープンなエンドだけれども、涙の代わりに「オーデモシオンの液が滴っていた」が末尾なのは、そういうことなんちゃうの、と自分は思う)
コズは「機械知性の感情(の再現)」を目的としているというよりも、罪悪感を塗りつぶすことができずにオーデモシオン作りをやめて全てを廃番にしようとするセクワさんに、戻ってきて欲しい、自分の憧れの人はそんなじゃない、というエゴをぶつけてる方が主である、と自然に読んでたことに気づいたけど、ウェットすぎるか?
改めて読んでみると、ここはもしかして「想像する」というところに力点を置いてるのかもって気もしてきました。差別感情の話というか、いわゆる「共感」とつながってくるというか(ハント『人権を創造する』の書簡体小説→共感→人権みたいなあれがイメージとして近いのかもしれない)
実際のところ、コズもセクワも、セクワ母が「ほんとうに」どんな感情を抱いていたかは想像するしかない(現状2人とも人間知性と機械知性の混合なので)
罪の装いシリーズ後期作が存在しない罪悪感をつくりだすものであったことや、『ほろびたもの』がすでに存在しない感情から「ほんもの」の罪悪感を生じさせるとか、そのへんとの関連が気になってくる(という意味で、喪われたかどうかは二次的だったりしない?)
過去作との関連として、「サブスクを食べる幽霊たち」の、故人の意識そのものではないけど、でもある種「そのもの」としてとらえようとしてもみる、みたいな姿勢と似通っているところがあるのかもしれない。強引か!?!?
受け容れ力
そもそも、オーデモシオンが感情を再現する(体験させる)というのも、(日常語彙を雑に使うと)感情というより認識のレベルのような気がする。作中で一般的なオーデモシオンの例として「喜び」系統のライン、とかの表現が出てきて、それはまあ、素朴に感情なんだろうなと思うけど、「正方形を轢いた」「犬の絶滅」とかってその人の外側で起きていることであってそれを体験したときの感情って……そもそも単一の何か感情なのか。素の人間に対する差別感情、機械知性としての母の最後の感情、も似たような面があるのでは。
これらの高度な(?)オーデモシオンって、付与されたラベルが効果にとって必要なはずであり、言ってしまえばプラシーボ的な面が多分に有るのではないか。「ほろびたもの」のお披露目会がブラインドテストで行われたとき、オーデモシオンのプロたちでも「差別感情」という正解になかなかたどり着けなかったのもそれを示しているのでは。というか厳密に「素の人間への差別感情」にノーヒントでたどり着くのは不可能では?
実際本文中にも「身体的な反応が、文脈を通して感情を形作る」とある。「泡」は、あの時点でコズがセクワに対峙しているあの文脈の中でもって初めて機械知性としての母の最後の感情(の再現)を形作ることができるものであるはずだ(極端な話、直前の問答なしに、コズがサンプルをセクワに郵送して、セクワがそれを服用しても、同じ感情が得られるようには思えない)
という、ある種の師弟関係、憧れの人に対する完全オーダメイドの一撃必殺であるという解釈をしています
……みたいな狭い見方が「泡」のラストシーンについてはできる、というか自分はしてしまうんだけど、「ほろびたもの」はそれよりも広い効果、社会的変容を一定もたらしていることになっていて、その機序もそれなりの納得感があったりして、うーん面白いな色々考えられるなと思う
ヒトにおける感情は、人の肉体でおこる生体反応の機序に結びつき、感情→生体反応、生体反応→感情、の両方の経路で相互作用的、カスケード的に形成されると考える。「泡」によって生成されるのは、感情ではなく生体反応に終止しているように思える。素のヒトが知覚する生体反応(鼓動、体温など)に対し、機械知性が知覚する生体反応を「泡」は知覚させる。おそらくミナモトたちの時代にあっても、機械知性の感情は十分に認知されておらず、機械知性の感情を指��示す◯◯感といった語彙が存在しないのだろう。だから「泡」は、この時代の言語で語られる以上、「ほろびたもの」を評した「自負」や「軽蔑」といった感情を直接示す言葉で形容できず、感情以前の語=機械知性が知覚する生体反応の描写に終止せざるをえないのだ。
「機械知性の感情」が知覚され、表現されるようになるまで、ミナモト以後しばらく時代を経なければならないと考えられる。本作はその入口に立ったところで終わっている。その先へ進むには、「機械知性の感情」を記述する理論的基盤と、言語的基盤が必要になり、これを作家一人の仕事として行うのは多大な困難を伴うように思える。
1 note
·
View note
Text
よだつ
すべての恐ろしいことどもは、ぼくらの頭の中に棲んでいる――身の毛もよだつ、異彩の《毛》ホラー短編アンソロジー!
文学フリマ東京37(2023/11/11) | き-35
ジャンル
《毛》ホラーアンソロジー
収録作品
01 「えいべさん オーディオコメンタリ版」 cydonianbanana
撮影後に監督が失踪を遂げたことで知られる幻の短編ホラー映画『えいべさん』――このたび、お蔵入りとされ長らく存在を忘れられてきた本作のオーディオコメンタリー音源をとある筋から入手しました! 入手元からは止められていますが、文化的価値を鑑み、こっそり書き起こしたものをここでミナさんにコウカイしたいとオモいます。
02 「カルマ・アーマ」 小林貫
マヨギさんが見ている。その細い目でじっとぼくを品定めして、うすら笑いを浮かべている。遅効性の毒のように、気づけばぼくの生活はマヨギさんに侵されている。
03 「取材と収穫」笹幡みなみ
こんばんは、突然のDMですみません。実は今、秋の文学フリマ東京に向けて毛に纏わる怪談を探しています。■■さんが怪談をされてるのを最近偶然知りまして、もし何かご存じでしたら教えていただけないかと思ったのですが……。
04 「恢覆」国戸醤油市民
不慮の事故で五年以上植物状態となってしまった私に新たな治療が試みられる。世界ではじめての治療はうまく行くのか、どうなるのか。でも大丈夫。全部うまく行くよ。僕を信じて!
05 「毛想症」 Garanhead
その男は女性の長い髪を愛好する。手で触れ撫でて、頬擦りし、香りを吸い……そんな悦楽に浸っていた。身の毛もよだつような猟奇的な手段を用いて。しかし彼はその代償に疲弊し欲望を封じて生きると決めた。穏やかだが何処か物足らぬ日々。そんなある時、彼の前に同じ嗜好を持つ女性が現れるのだった。
06 「きざし」 鴻上怜
――僕はハゲつつあるという残酷な事実へ立ち向かう。
07 「新田くんのこと」 石井僚一
とある朝、初めての出社を前に、鏡の前で新社会人の新田くんは髪の毛をセットしていますが、そこからあらゆる方向に回想&内省は巡り、めくるめく非現実&現実世界へ。髪の毛をとりまく愛と暴力と時間と虚無のサイコスペクタクルホラー小説が今ここに。
執筆者
cydonianbanana(website)
小林貫(X, website)
笹幡みなみ(website)
国戸醤油市民
Garanhead(X)
鴻上怜(twitter)
石井僚一(website)
表紙イラスト
全自動ムー大陸(website)
仕様
B6判、148頁
価格
¥1000
刊行日
2023年11月11日
0 notes
Text
『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合が絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうやわらかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど違和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書としてのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさん��いなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割がどちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としているのに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨てるっていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(?)的なものを物理的に置いて帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを動けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさくらさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作では作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑いました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだよ
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキはCV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向かわず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「おぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区切る)
ジオに縛りつけられピンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつながってんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、怪異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ込む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時点はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験ノートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「本間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてました」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いやまあそこはいいんですよって押し通してくれる推進力に繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を失くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?なのかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良いんだよな
全自動ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好きです。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、私の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引きずられながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じも。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成したあと時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくもないのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目���もクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ麦畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話のような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもやさしいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっぺん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「淡白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな〜」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは確かに子どもに象徴的かもしれない。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対する憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名詞も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとして���るようにも捉えられます。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、でも一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱い要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた���のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こちらといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バイクと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
ネーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、とツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)」以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている。
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか(仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そういえば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がしたので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤のくせして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ帰宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないんよ
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸にちょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の日射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファタール感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということで、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
3 notes
·
View notes
Text
アドベントカレンダー2022終結に寄せて
敷島梧桐
ねじれ双角錐群とはなんなのだろう。
このサイトの「About」ページには「文芸同人ねじれ双角錐群は、ホラー・怪奇小説を志向する創作群です」とある。「創作群」という言葉の捉え方に少し幅があるように思える。
ひとつには、創作を行う人たちの群であるとする解釈。この場合、創作団とか創作衆とか呼んでも同じような意味になる。
もうひとつには、創作された作品の群であるとする解釈。この場合、小説誌やこのサイトに掲載されてきた作品の総体をねじれ双角錐群と呼んでいることになり、またねじれ双角錐群というものの存在自体がある種の創作群であることを仄めかしてもいる。
わたしはねじれ双角錐群のいち群員であるが、実のところ、これまでこの文芸同人に作品を寄稿してきた人々と面識を持ったことがない。わたしたちは小説誌を頒布するため、年に数度開かれる蚤の市に出店するのだが、東京はわたしが住んでいる場所からアクセスが悪く、現地で参加する機会に恵まれてこなかった。
それが今年、ちょうど仕事の休暇と重なっていたこともあり、初めて現地へ行くことができた。飛行機を乗り継いで会場へ辿り着いたわたしは、ねじれ双角錐群のブースを探して2つの会場を練り歩いたのだが、不思議なことに「ヲ−137」という番号のブースはどこにも見当たらなかった。ときおりわたしたちの新刊を手に抱えて歩く人とすれ違ったから、ねじれ双角錐群が出店していることは確からしい。それで1つ1つのブースをしっかりと検分しながら会場を2周、3周と捜索したのだが、どうしても見つけることができないのだ。急に怖くなってメンバー間のやりとりに使っているDiscordを開いたところ、彼らはその日の打ち上げの算段をはじめており、鴨肉がどうとか言っている。こちらからメッセージを送ろうとしても、ネットワーク不良のためか、エラーが出てままならない。それでわたしは怖かったり情けなかったりで、そのまま会場を後にし、帰りの航空便を繰り上げて帰途についたのだった。
そういうこともあって、わたしはいまだにこの文芸同人に参加している人々の実在性を、本当の意味では確信できていないのかもしれない。まったくすべてが虚構であるとは思わないまでも、本当は存在しない人がひとりくらい紛れ込んでいたり、そういうことがあってもおかしくないような受け取り方をしている。このような形で、わたしはねじれ双角錐群が「創作群」であるのだと捉えているのだろう。
いまあらためて、これまでわたしがこの同人へ寄せた序文を読み返してみると、ずいぶん大仰な文章を書いてきたものだと少し照れくさくなる。とはいえ、怪談の序文を砕けた調子で書くわけにもいかないから、この点は仕方のないことだ。むしろ序文ばかりを続けて読むという行為の側に問題がある。ちなみに最近の同人内のやりとりで、たまには怪奇小説ではなく違うジャンルをやろうという気運が高まってきている。来年の今頃には、SFテーマの小説誌を出しているかもしれない。そうなるとわたしも、多少こなれた文体で序文を書くことができるかもしれない。来年なにが起きるか、わたしたちもまだ分かっていない。
12月いっぱいにわたって続いたねじれ双角錐群アドベントカレンダー2022は、記事を落とすこともなく、本日無事に終えることができた。いかなる形であれ、わたしたちという枠組みの中で書かれ・作られたものの総体がわたしたちであるということを踏まえて、来年以降もわたしたちは少しずつでも形を変え、あり方を変えていくことができたらよいと思っている。
4 notes
·
View notes
Text
そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ③~
鴻上怜
ゆる野宿がどんなシロモノなのか、そして何を注意するべきなのか。 前二回(①、②)を踏まえたうえで、実際にぼくがどんな流れで野宿しているかを話しておこう。
まず、最初に行うのは候補地探し。 実際に山や森へ入ると痛感するけれど、自然の地形でフラットな場所なんてほとんど存在しない。 平らな地面というのは、人間が意図的に手を加えないとほぼ成立しないものだ。 だから自然のなかでは、斜めでない土地、岩でごつごつしていない土地を探すのもひと苦労。 冒険気分で野営適地をやみくもに探すのも楽しいけれど、 ぼくは地理院の地形図を読んでおおよその目星をつけている。 地形図の等高線の間隔があいている場所は傾斜がゆるく、適地となる可能性が高い。 近くに人家がないかもわかる。 前回言ったけれど、周囲に人がいるかどうかは超重要だ。
つぎに水場���し。 なるべく川の上流の、淀んでいない清流の水を汲み、浄水器でろ過して活用する。 生水をそのまま飲むのはおすすめできない。おなかを壊す可能性が高いし、 もっと恐ろしいのはエキノコックスへの感染だ。 北海道では昔から恐れられてきたけれど、最近では本州でもエキノコックスが検出された。 野生動物を介して広まる性質上、どこまで広まっているかは未知数なので、 中空糸膜が使われた本格的なフィルターでろ過した水を利用したい。
場所と水の確保が済んだら、ようやく設営だ。 適当な間隔のあいた二本の木にハンモックストラップを結び、ハンモックを設置する。 頭上にロープを通し、その上からタープをはる。 そして汗拭きシートで体を清めると、寝巻に着替えてまったりとくつろぐ。 以前は焚火もしていたけれど、最近は面倒なのでガスストーブでの調理だ。 バーボンをあおりながら、アルミ鍋でコトコト鶏の水炊きなんかを煮込み、 薄墨を流しこんだような暮れなずむ雑木林の景色を眺めては、 ふーふーいいながらあつあつの鍋を食べる。 夕飯がすんだらあとは寝るだけ。 Amazonプライムでダウンロードした映画を観たり、 イヤホンでアンビエントミュージックを聴きながらハンモックに揺られたり。 山の冷たく静かな空気を頬に感じながら、太古の光で星々のきしむ夜空を心ゆくまで眺める。 この分なら明日はきっと晴れるだろう。 帰りのバスは何時だったかな。 まあ、そんなのはどうとでもなるか。 今はただ、誰もいないぼくだけの静かな夜を楽しもう。
鴻上拝
0 notes
Text
四季の帯紐
Garanhead
0 notes
Text
乗降場
murashit
ときおり、あの夜の記憶がよみがえってくる。
夜風にコートの前をかきあわせたわたしは駅のホームに立っていて、残業の帰りだか飲み会の帰りだかも判然としないけれど、ずいぶんと遅い時間ではあるようだった。もうひとまわり厚手のストッキングにしておくべきだった。酒の入った気分でもないから前者と覚えるものの、あるいは後者で酒気を冷まされただけかもしれない。
高架に乗った小綺麗なホームを見るに、私鉄、郊外、そういった立地らしく、遠目の先には街灯がぽつぽつとしている。ときおりのクラクション。駅名表示の看板も時刻表もみあたらず、そこの階段を下りればなにかわかることもあろうかと思った。けれどどうにも億劫だ。このように憮然と立ちつくしているからには、きっとやってくる電車に乗るだけなのだ。
菱川と別れた日を思い出す。葬儀場はおなじような私鉄沿線にあった。終えて、そのまま帰る気にもならず、駅前に見つけたバーでぐずぐずし、遅くなってからこんなふうに電車を待ったのだった。菱川がまとわりついていたような心地がしていた。この夜より前のことだったろうか、それともあとのことだったろうか。あるいは当夜まさにその菱川と会っていたのかもしれない。
かつかつと固い音が響いたと思ったら、女がひとり階段をのぼってきた。階段に見えたときからむこうに立ちどまるまで、いやそれからもずっと、スマートフォンをぽちぽちとしている。階段を挟んで反対側のわたしからは顔も見えないが、うしろ姿から判ずるに若い女のようだった。こちらには気づいていないらしい。ふと、ここはどこかと尋ねようと思いつく。けれど、見知らぬ人間にとつぜん話しかけられても迷惑だろう。そもそも電車を待ちながら、ここはどこかもないものだ。そう考えてやめにした。
ふたたびしばらくの無音ののち、左のむこうのその遠くから、電車のうなりが届く。ちかづいてきたそれは、減速する様子もなさそうだった。つまり急行だか特急だかで、ここはその通過駅なのだろう。ヘッドライトのまぶしさにおもてを下げているうち、強い風とごうごうという音で、車体が流れてゆくのがわかる。むこうの線路を走っていたから、わたしの目当てはきっと右側から来るのだと思った。通りすぎたのを見はからって顔を上げ、その方向をちらと見やった。
先ほどそこらにいたはずの女が消えていた。
怖気の立った気がした。女の消えたことにおののいたのか。けれど、考えてみればたいした話でもない。気づかぬうちに、電車の通りすぎるうちに、また階段を下りたに違いなかった。トイレに行ったとか、そんなところだろう。階段を照らす蛍光灯に群がる蛾たちを眺めつつ、わたしはそう思った。
実際、しばらくして女は戻ってきた。あいかわらずスマートフォンをぽちぽちとしている。たいしたことでもなかったはずだが、それでも心細かったのだろう、どこかほっとした心地がした。どころか、さらに高じてむやみに気持ちが大きくなってしまったらしい。わたしは女に話しかけてみようと思った。女はまだスマートフォンに夢中で、きっとわたしに気づいてはいない。ゆっくりと近付き、警戒されないよう、にこやかな笑みを忘れないように。しぜん後ろから声をかける形になるのはしかたがない。次の電車はいつごろ来るんでしょうか、とでも尋ねるのだ。
すみません、と発したわたしの声に、しかし女が気づく様子もない。イヤホンでもしているのだろうか。いや、そういうわけでもなさそうだ。仕方がない、まさかのっぺらぼうでもあるまいと、わざわざそんなことを考えつつ、スマートフォンにむいた女の顔を覗き込んだ。
そのとおり、のっぺらぼうではなかったけれど、 女の視線は動かぬままで、こんなに近くにいるわたしに気がつかない様子である。手を振ってみる、ふたたび声をあげる。けれどやっぱり気づかない。肩をゆさぶってやろうか。さすがにそれはまずかろう。
女にまとわりつくようななりで逡巡するうち、電車のうなりがまた届く。さきほどと逆方向であるからして、わたしと女の乗るべき電車に思われた。だんだん減速している様子だった。わざわざ尋ねる必要もなくなったわけだ。ぼんやりとしたアナウンスの聞こえる気がした。降車すべき駅はいまだ思い出せなかったけれど、乗ればなんとかなるのだろうと思った。わたしはまだ女の顔を覗きつづけていた。どこかで見覚えのある顔に思えてきたからだ。まじまじ見たところで、どうせ気づきやしないのだ。
停車し、わたしはいまだ女の顔を見つめ、女はいまだスマートフォンを見つめていた。ホームドアと電車のドアが同時に開く。わたしはようやく姿勢を戻した。こんな時間だというのに、車内はたくさんの人でひしめいていた。
そして、そこにいる全員が、わたしを見つめていた。ドアの向こうの人間たちも、窓ごしに見える人間たちも、そこにいる全員が、手前のものはわざわざ振り返ってまで、わたしのほうに顔を向けていた。目玉をこちらに向けていた。曖昧なアナウンスがして、ドアが閉まった。電車がすべりだす。後続する車両に浮かぶすべての目玉が、わたしを見つめていた。加速にともなって視線は曖昧になってゆく。動けなかったのだと、テールライトを見送りながら気がついた。女はあの電車に乗っていったらしかった。
それからわたしは、ずっとこのホームで電車を待っている。覗いた顔は、いまでは菱川の顔としてしか描けない。
3 notes
·
View notes
Text
ことばの中にだけあなたがいた
石井僚一
幸せになる方法が余すところなく書かれた分厚い本を一生をかけて読み終えたところでその人は息を引き取った。
故人のメールアドレスの受信トレイのいちばん上には「あのときはありがとうございました」という件名のメールが未読のままある。
男は歩きながら世の中への不満をひとりでぶつぶつとつぶやき続けているが、風以外にその声を聞き取るものはない。
天井からとめどなく流れくる血液を手のひらで受け止めているあいだここから動けない。
自分の感情を紙にしたためて売り渡したお金で感情以外のすべてを手に入れた男が、数十年ぶりに感情をしたためたその紙を買い戻したが、その瞬間から男の涙はずっと止まらない。
失ってしまったものを箇条書きしていたら窓の外に季節がめぐっていた。
嘘しか言うことしかできない男が好きな人を前に「人間はいつか死んでしまうけれど……」という前置きから愛について話しはじめた。
0 notes
Text
そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ②~
鴻上怜
さて、前回、この企画がゆる野宿であると判明したその続きからだ。 野宿をする上で、ぼくが大切だと考えるポイントがいくつかある。 順番にみていこう。
まず前提として、野宿をするのは人目につかない場所であること。 キャンプ禁止とうたわれている場所はもちろん、それ以外の土地だって誰かの所有物だ。 森の中で地権者に見つかる可能性は低いけど、もちろんゼロじゃない。 トラブルをお望みじゃないなら、野宿中は誰にも発見されないくらいの心意気を持ちたい。
公園の中でテントをはって生活するのは公園条例違反として見とがめられても、 公園内のベンチで座って休憩するのは通常利用の範囲だ。 それなら、ベンチに座ったままもくねんと一夜を明かすのは野営か? 通常利用と野営はどこが境界線なんだろう。 他人とトラブったときの言い訳を、つい考えてしまう。 野宿はあくまで長めの休憩だと強弁できないだろうか? それか、刑法で定める緊急避難を適用した一時的なビバークとか?
…もちろん、そんなのはただの屁理屈だ。 道理がないから、納得してくれるかはあやしい。 でも野宿というグレーな行為は、この屁理屈の延長線上にあり、 世間からかろうじてお目こぼしされているのは忘れてはならない。 ゆえに後ろめたい野営者は、人目をはばかり世をしのばざるをえないのだ。
そしてつぎに考えることは屋根があるかどうか。 そとで眠るのに軒下へ逃げこむなんて意気地がない、なんて言わないでほしい。 満点の星空の下で眠るのをカウボーイキャンプというけれど、 これは気候が比較的安定した土地だからできることで、 国土の大半が温暖湿潤気候である日本ではなかなか難しい。 なにしろ全国平均で年に120日近くも雨が降るんだから、どだい無理な相談だ。 外で寝るには何がしかの雨に対する自衛策が必要になってくる。
ぼくが野宿するときは、だいたいタープをはる。 重量わずか300gくらいの薄いナイロン布一枚だけれど、 よほどの横殴りの豪雨でもなければこれ一枚でこと足りてしまう。 雨粒がタープを叩くぽつぽつという音を聴きながら、 ハンモックに揺られてうとうと微睡んでいると、野営っていいなと思う。
ただし、タープは雨には強いけれど、虫からの攻撃には無力なので、 血を吸う虫が発生する時期は、森林香などの強力な忌避剤が必要になってくる。 そういう意味では、第三の注意点として虫への耐性もあげられるかもしれない。 虫が苦手だと、そもそも野外で寝ようなどと考えないかもしれないけれど、 全身刺されてぼこぼこに腫れあがるのを防ぐためにも、 しっかり各種対策(虫よけスプレーや虫刺されの薬)を用意していきたい。
鴻上拝
0 notes
Text
同期処理
小林貫
ひさしぶりにまとまった休みが取れたので、わたしは母B、母E、母F、母Gを温泉旅行に招待した。どうしても都合がつかず不参加となった母Cのことは残念だが、四人の代替母たちと過ごすゆったりとした時間をわたしも心待ちにしていた。
「そうだ、みんなでトランプでもどう?」 風呂をあがり、地産の懐石料理を堪能して一息ついているところ母Eが提案した。 「こんなこともあろうかと」と母Gはバッグからトランプを取り出してわたしによこす。わたしがひとり暮らしをはじめるときに実家から持ち出した、幼少期から使っているボロボロのやつだ。ケースからカードを取り出すとすこしだけ実家のにおいがして、代替母たちとの存在しないはずの記憶がフラッシュバックする。 「ババ抜きにする? ババばっかりだけど」 母Fが飛ばしたジョークにわたしたちは思わず笑い声をあげた。
母Bにジョーカーを引かせていち早く上がったわたしは、代替母たちのゲームを微笑ましく見守った。真剣な表情でカードを引き、大げさなリアクションをとる代替母たち。何気ないこの瞬間、まぎれもなく彼女らはわたしと血の繋がった家族であり、わたしの腹の底から湧きあがるそれはおそらく「愛情」なのだろうと理解した。 わたしは代替母たちを愛していて、だからこそ彼女たちの死を待ち望んでいる。本来なら一度しか経験しないはずの母親の死、それを代替母たちによって何度も何度も経験することで、わたしは悲しみに耐え、心を強く保ち、残された者の気持ちをあらかじめ知ることができる。しかしこうまで周到に準備をしてなお、わたしはいずれ訪れる実の母の死が怖くて怖くてたまらず、いまだって、そう、母……お母さんのことを思い、いつしかそのやさしい笑顔が失われ、思い出せなくなってしまわないかと、吐きそうなほどに不安なのだ。
気づけば母Fと母Gが上がり、母Bと母Eの一騎打ちとなっている。 「せっかくだから、負けた方は罰ゲームってことにしない?」手元に二枚残ったカードを意味ありげにシャッフルしながら母Bは言う。 「私はかまわないけど、どんな内容?」 「負けた方は、いますぐアキちゃんの母親を辞める」 ひび割れたガラスのような緊張がわたしたちを分断し、上の階でドスドスと子供が走り回る音が響いた。 「母さん、それは—��」母Bはわたしを制止する。 「やあねえ、ジョークよ! ジョーク!」 緊張と緩和。わたしたちは一斉に吹き出した。笑いすぎてお腹が痛くなるほどだった。 「もう、やだわあ」母Eはカードを引く。ジョーカーは母Bの手元に残り、ゲームが終了する。 「さて、私たちはもうひと風呂浴びてくるけどアキちゃんはどうする?」 「疲れたから部屋で休んでるよ」 肩にタオルをかけてにぎやかに部屋を出ていく代替母たちを見送り、なんだかママ友みたいだなとわたしは目を細めた。
0 notes
Text
新宿、午前五時、始発、各駅停車伊勢原行
Garanhead
俺は金曜の朝から新宿にいた。台風接近のニュースはあったが、どうしても教科書をつくる会社に行くつもりだった。先週、電話で内々内定をもらったはいいが、辞退する気でいたのだ。少なくとも先日の俺はそうだった。代々木八幡駅を通過する俺はそうだった。快速急行新宿行きでまどろむ俺は。夢の中で意気込んで気分を高揚させていた。 寝ぼけて固めた決意は、春の昼頃に見せられる夢のようにいともたやすく流れてしまう。溶けたことも分からない。その日の明け方に降った雪に混ざり、どこへ行ったのかも分からない。 ゴールデン街と言われればゴールデン街だし、そこは微妙にゴールデン街ではないと言われればゴールデン街ではない、そんな半端な場所に建つ居酒屋で夜通し飲んだのは安酒で長く居られたからだ。イタリア人が暴れていた。何もおかしくないのに俺はそいつを笑っていた。台風のせいにして俺は内々内定を蹴れなかった。
各駅停車で代々木八幡を去る俺は、少なくともアルコールではない何かにこっぴどく負けて、ひどい気分だった。 結局俺の未来はこの各駅停車にあった。一番のろいが、一番早くどこかに辿り着く電車に乗っているのがいい。伊勢原までは誰も俺には追いつけない。 昼も夜も景色の変わらぬ地下駅は東北沢。 誰かが降り席が一つ空いたので俺は座る。 人と人との間に挟まる形になるが、安酒で足腰がへろへろなので、座席があるだけでありがたい。 内々内定はありがたいのだ。これが欲しくて涙を飲んだ人がきっと何百人もいるだろう。とは言え、顔は一人として思い浮かばない。グループ面接の時のあの筋肉質の女の子も今はもうちっとも思い出さない。あの子とオフィスで働く夢まで見たのに。 あの子と下宿のベッドで目を覚ました時、俺は小田急ロマンスカーミュージアムに遊びに行く夢が頭から離れなかった。あの子とあの子の子供と俺で海老名に行き、小田急ロマンスカーミュージアムでジオラマを前に青木慶則の「セブンティ・ステイションズ」を聞きながらぼんやりしてもいい。 乳房をブラに詰め込む彼女をぼんやり見つめながら聞いた音は、竜巻インバーターの悲鳴だったろうか。
代々木上原で隣の席が空いた。ロングシートの端はオセロの端くらいに優先して取るべき場所だ。急いで尻を持ち上げようとしたが、そこに小さな影が滑り込んできて俺は席を取られる。 青いリュックを背負った少年だった。始発電車とは縁遠い、違和感のある存在だ。怪我しているのか三角巾で左腕を吊っていた。文句の一つも言いたくなるが、相手が幼い少年であるという事実と、負傷を抱えているという現実が、俺の口元で鬱陶しく飛び回っていた。 また電車が走り出す。すると、少年はリュックからPSPを取り出して遊び始めた。左腕は動かないが指は動くらしく、胸元に引き付けて手の平で機体を包み込むように持ち、アナログスティックを器用に摘んでいた。 もしやと思って覗き込むと、やはりモンハンだった。しかも俺が中学生の時にやり込んだ2ndGだ。何でいまさらこんな過去作を。今はニンテンドースイッチでもっと何バージョン先の未来のモンハンが出ているのに。 少年は癖のある立ち回りをしていた。俺の知らないモンハンの動きをしていた。周りに教えてくれる大人がいないのだろうか。日本の教育はどうなっているのか。 少年は低い声で「覗くなよ」と凄んできた。やけに貫禄のある言い方だった。俺は謝りもせずただ背筋を伸ばした。 が、やはり気になって、ちらちらとゲームを観察していると、少年が舌打ちをしてきた。お節介かもしれない。しかし、俺はこのゲームが粗雑にプレイされていると我慢ならないのだ。何かアドバイスでもと思ったが、ちょうど電車は豪徳寺に停まり、少年は歩きPSPをしながら下車していった。駅員よ、注意をしろよ。 ガンランスは砲を使わなければいけない。突いて下がるだけならランスを使えばいいのだ。そんな助言をするべきだったか。しかし、冷静になれば、俺も最初はガンランスを使い出した頃、似たような立ち回りをしていたのを思い出す。もし、あの過去で俺のような年長者が口を出してきたら、あの時の俺は従っていただろうか。いや、きっと同じように舌打ちをしていたはずだ。だからこれでいい。良かったのだ。 このまま始発に乗り続けていいのか。 引き返して内定を辞退するべきではないのか。 もし、この電車に未来の俺が乗り込んできて、俺の隣に座り、そう助言してきたらどう受け取るだろう。不快にはなるだろう。なるだろうが、一考はすると思う。一考はするけれどやはり確実な未来を選択する。このまま座席に居続けるだろう。わざわざ座った席を手放して、次にいつ座れるか分からない空席を待ちたくはない。 本当に? 次の経堂駅で男が乗ってきた。左腕にギブスを巻いていた。スーツ姿で俺よりも一回りは年上そうに見えた。俺はどきりとした。隣に座られて何か話しかけられたらどうしよう。どぎまぎしていたが、その男は窓際に立ったままスマホをいじり始めていた。 和泉多摩川で男はスマホをスーツのポケットにしまい、それから俺を凝視していた。まるで何か言いたそうに見えたのは錯覚だろう。が、だんだんと腹が立ってきた。心の中を見透かされているような気がして苛ついてくる。何でここまで不機嫌になってしまうのか。しかし、変に調子が狂うのだ。 やがて、登戸に到着して男は歩き出したが、降りる前に一度立ち止まった。俺の方を覗き見ていた。一秒だけ過去と未来の時を止めて、彼はそろりと下車する。何なんだ一体。俺は過ぎゆくホームを覗いた。あの男は改札口への階段に向かって歩き出していた。その背中はやけに憂鬱そうに見えた。 何かを言いたかったのだろうか。俺があの少年の雑なモンスターハンターを見るのと同じように、彼には俺がまずい人生の選択をしていると分かっていたのだが、「それを指摘するのはお節介だろう」と思って助言を控えたのではないか。
一年。もう一年。本当に人生を考える時間があってもいい。俺の心は右に左に忙しなく揺れ続ける。次の一年こそは乗る駅も降りる駅も間違えない。そんな乗客になる。 そのために親にもう一年学費を払ってもらい、俺はこの始発から降りて、折り返しの新宿行きに乗り換える。そんな選択肢も捨てがたくなってくる。 新百合ヶ丘を通過し、柿生に着くまでに、俺の心は「ここで下車してやろう」という信念で塗りたぐられていた。引き返そう。新宿へ戻ろう。 近しい未来を覗く度、俺は遠くの過去がかけがえなく思えた。この先の自分を考える時間なんていくらでもあったはずだ。でも、大学生が社会人の自分を想像するというのは、まるで自分の葬儀で流れる音楽を選ぶくらいに現実味のないテーマだった。 三駅先の景色なんて三駅先に行かなくては分からない。そういうものではないか。 でも、終点が近づくたびに俺たちは降りたホームからどう振る舞うかを決めなくてはいけない。 町田に列車が滑り込んだ。俺はふらつきながら降りていく。そして、ホームの券売機でそのまま次のロマンスカーの切符を買っていた。完全座席指定制で小田原まで行ける。伊勢原という未来を飛び越えようとひとまず決めた。その電車に果たして俺は乗っているだろうか。もしも乗っていなかったら、大人しく俺は小田原でまたロマンスカーに乗って、新宿まで折り返していこう。乗っていたら話しかけて、一緒に温泉にでもいこう。箱根湯本までは近いはずだ。 俺は券売機の上にある料金表を見ながら、竜巻インバーターの音を見送る。 その列車は、始発。午前五時に新宿を出発した伊勢原行。僕の未来が乗っているかも知れない列車であり、僕の過去が降りなかったかも知れない列車だ。 ロマンスカーのあのミュージックホーンが聞こえてくるまで、どうしていようか。 慌ただしくなる前の町田駅で俺は、購入した切符の匂いを嗅ぎながら考えていた。
0 notes
Text
そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ①~
鴻上怜
これはなんの文章か? ひと言でいうなら、屋外で眠りたいひとに向けた文章だ。 安心安全な屋根の下をはなれ、森や山奥や公園なんかで眠る。 寝床を用意して、ピクニックみたいに外で煮炊きして晩ごはんを食べ、 そのままそこで眠って一晩すごすんだ。
なんでそんなことをするんだろう? 理由はひとそれぞれだ。 貧乏旅で金銭的な余裕がなかったり(ホテル代もばかにならない)、 じかに自然を感じたかったり(夏に蚊取線香なしで眠れば暴力的なウィルダネスが君を襲うだろう)、 星空を眺めながら眠りたかったりと、いちいち理由を数えあげればきりがない。 屋根の下の穏やかな日常から、屋根のないぴりっとした非日常へ。 見慣れた昼間の森から、あやしげな鹿の鳴き声がひびきわたる夜の森へ。 サラミをそぎ落とすようにして、少しずつ削られてゆく貴重な生の残り時間を惜しむでもなく、 ぼくはせっせと屋根のない場所へ眠りにゆく。
この国では、むかしから積極的な野宿が行われてきた。 俳人は草を枕にして寝そべっては、四季おりおりの自然を感じて句をしたためてきたし、 お遍路は各地の霊場をめぐる長い旅のなか、寺や宿坊の軒先を借りて疲れた体を休めた。 旅路のかれらは目的達成のための手段として野宿をしてきたわけだけれど、 野宿自体を目的とした活動も立派に存在していて、それがいわゆるキャンプというやつだ。
そう、キャンプ。 ぼくのやっている野宿は、たぶん大きなくくりではキャンプに含まれるんだと思う。 なにしろタープを張ってハンモックで眠ってるんだから。 世間一般(というのがあるとして)が思い浮かべる「野宿」というのは、 もっとこう、河川敷で段ボールを敷いて新聞紙に包まるような切実で殺伐としたものだろう。 そうしたストイックな野宿こそ真の野宿だと言われれば、まあそうかなという気はしなくもないけれど、 ここで語られるのはあくまでゆる野宿。 グランピングまで快適ではないにしろ、さまざまなアウトドア用品をもちいて、 それなりに楽しく、朗らかな気分で野外で一晩をすごしたい。 そんなエンジョイ勢寄りの目線で、まったりと野宿の魅力を語れたらと思っている。
鴻上拝
0 notes
Text
虜囚図
cydonianbanana
「聞いたかね」下家が山に指を伸ばし、「昨日、北半球第四図が燃えたらしい」と一筒を切る。
地図が燃えた?「それは、地図が稼働しているサーバーが燃えたって意味ですか?」ぼくは上家が切るのを待って尋ねる。
「いいや。文字通り、地図が燃えたのさ。後に残ったのは、風が吹けば崩れ去るのみの焦げた断片と、鼻を突く黒煙のにおいだけだったんだと」
ぼくは窓の外に目をやる。地平線まで一面となった灰色の地面と黒い空が見える。この月面図がいま燃えたとしたら、ぼくらはどこへ逃げればよいのだろう。
「観世音、南無佛」下家がなにか呟きながら牌を切る。二筒だ。
「えぇ?」
「ほら、牌の横に刻まれてるだろ? 延命十句観音経だよ」
言われて雀牌の側面を注意深く触ってみると、竹の部分にごくごく細かい溝が掘られていることに気づく。
「あ。これ、お経が彫られているんですか? またどうして」
「マニ車みたいなもんさ。牌ってのは初め山に積まれて、それから河へ流れていくだろう? 一局終われば河から再び山へと還る。この繰り返しだ。つまり、牌は循環しているんだよ。これほど輪廻転生的な回転運動を活用しない手はない。牌にマントラを彫っておけば、麻雀を打つだけでどんどん徳が溜まっていくって寸法さ」
「じゃあ、身心こめて打たなきゃいけませんね」ぼくは山から引いた中に掘られた経文を読み取れないかと人差し指を擦りつけてみるが、諦めてそのまま切る「こんな細かい文字、よく読めますね。ぼくには、なんとなく凸凹してるってことしかわかりませんよ」
「盲牌ができれば、そう難しいことじゃあない」
「なるほど」ぼくたちはいつも手で山を積んでいる「あなたと打つのが急に怖くなってきました」
「オレは積み込みなんてしない。徳が減るからな」そう言って下家は一萬を切る。
雀卓の上に山河が繰り返し形成され、絶えず変化し続けることは示唆に富んでいる。麻雀を打つことは、地図を描くという行為の反復に他ならない。雀卓を時間軸にそって俯瞰すると、それは考えうるあらゆる可能な地図のバリエーションを包含する超地図へと向かわねばならない。浄土=地図宗の僧侶もたしかそう言っていた。
「ところで、キミはこの地図に住んで何年たつ?」下家の口数が多い。手が悪いのかもしれない。
「そろそろ四年になるはずです」ぼくは答えて二枚目の中を切る。
「その前に住んでいた地図を思い出せるか?」
「よく覚えていません。海辺の街だったような気がするんですが」
縮尺一分の一の地図に住んでいる以上、地図飛躍はつねに話題の中心になる。地図の中の地図、あるいは地図の外の地図への出口を暴きたいという欲望はヒトの社会的欲求の根本に接続しているらしい。巧妙に隠蔽された出口の発見にはアルキメデス的発見の快楽が伴うのだ。
「海辺の街か、いいな。ここよりはずっと楽しそうだ」
月面図に来てすぐのころは目新しい風景に喜んだものだが、数日も過ごせばどこもかしこも同じ景色ですぐに飽きてしまう。ほんの先月まではこの月面図にも両手で数えるくらいの人がいたのに、いまでは面子を四人揃えることさえできなくなり、今日もこうして三人麻雀を打っている。
「まるで囚人のようですね」脱獄の閃きを待つだけの囚人だ。
「どんなに穴を掘っても、その先はまた次の牢屋につながってる」下家が引いてきた赤五筒を河にたたく。どうやら染めているらしい。
上家の河からは何をやっているか読み取れない。対子系の手かもしれない。
「北」ぼくは北を抜いて、切れるうちに三索を切っておく「だんだん、この卓が牢獄に思えてきました」
「それは正しい認識だ。オレたちはこの卓に新しい地図を描いている。地図と地図の中の地図との間に挟まる地図をな。雀卓ってのは、地図という牢屋を生み出しつづける牢獄なんだ」
そう言って下家が三枚目の中を切ったときだった。
「ロン」今までずっと黙っていた上家が唸りながら牌を倒した。その一三牌は、すべてが互いに異なる么九牌から成っていた。
ぼくと下家が息を呑む。卓上に異なる幾何学と計量へ向かう座標変換が生じ、一〇八枚の牌に隠蔽されていた地図が展開される様が透視されたかのようだった。上家の姿は忽然と消えている。
「上がったか」下家がボソッと呟く「先を越されたな」
「また次の囚人を待ちますか」二人で麻雀は打てない。
「一人二役で打ってもいいぞ」
「ご冗談を」月が新たな虜囚を得るまで、麻雀はお預けだ。ところで……すこし焦げ臭いにおいがしませんか?
宇宙地図の成立よりも、ずっと前の時代の話である。
0 notes
Text
自分で作る! ジルバクテリア水晶オブジェクト 取扱説明書
Garanhead
大切なお客様へ
この度はコロニー型ジルバクテリア(培地付属版)をご購入いただきありがとうございました。このユーザーマニュアルは付属のクイックスタートガイドと共に大切に保管していただきますようお願いいたします。
本マニュアルにおきましては、ジルバクテリアの変容過程における正史と異聞のみの運用を想定しております。そのため、バクテリア置換現象やレボリューショナル因子(悉無律ネットワークの異常発生)といった崩壊現象の兆候を確認した場合は、すぐさま液体培地と史料を破棄して下さい。破棄については各自治体の定めるルールに従って下さい。
禁止行為
紫外線によるジルバクテリアの加工(バクテリアの理性に影響が生じます)。
ジルバクテリア装置の並列培養(上位存在への認知行動を妨げ、バクテリアの不活性化を促進します)。
ジルバクテリアを食す。食用ではありません(お腹がゆるくなることがあります)。
1 準備
1.1 培養培地
付属の容器に電極ユニットと攪拌装置へのアダプタをはめ込んでください。その中にジルバクテリアとAの袋の中身を投入し、二十四時間を目安に日陰で放置して下さい。その後、粉状の物体が白色に発光し始めたら、Bの袋の中身を入れて下さい。その後、液体培地が容器を満たすようになります。十二時間前後で容器がいっぱいになりますので、蓋を閉めて密閉して下さい。ジルバクテリアは必要に応じて液体培地を調整するため、以後水溶液や薬品類、市販培養液の投入は必要ありません。
1.2 攪拌
攪拌装置に容器を格納します。装置全面のパネルにてコース選択を行なって下さい。以下、各コースと分裂傾向を記載しますので、お好みで攪拌具合を調整してください。
標準コース……ジルバクテリアにシムコード2022方式でのエミュレート結果を与えるコースです。核の飛沫は完全に沈澱し、ニューロ因子を菌類が持ち得ることは不可能になります。水晶体の形状は丸型に落ち着きます。
おしゃれコース……ジルバクテリアにシューマン共振に基づいた振動情報を与え続けながら、やさしく撹拌するコースです。菌類は話すようになります。こちらからのインプットは以後不可能になりますが、攪拌時のBPMに応じて核が偏在するようになります。音楽はストラビンスキーの「ぺトリューシュカ」、CHILL ROB G の「RIDE THE RHYTHM」、Stereophonicsの「Dakota」を用意しております。水晶体の形状は角錐型になります。
大物コース……ジルバクテリアに約三日の攪拌を行うコースです。長時間に渡る動作が予想されますので、選択時に確認コードを入力する必要があります。バクテリアの素真核への因子コードを刻まない加工におすすめです。このコースを選択した場合、因子コードに変数ミトコンドリアが侵食する危険性が高まります。ご注意下さい。水晶体の形状は円柱型になります。
スピードコース……ジルバクテリアの崩壊を極限まで抑えるコースです。核の飛沫と菌類の融合が起こりやすくなり、結晶化への過程が単調になります。ニューロ因子を菌類が保持することにより、菌類の雑談を耳にしやすくなります。また、こちらから会話を持ちかけることも可能になります。水晶体の形状は楕円形になります。
1.3 夜明け
攪拌作業の終了後にジルバクテリアは崩壊を始めて容器に漂います。多少の濁りは出ますが、品質に問題はありません。容器にはしばらく液体培地のみが満たされている状態が続きます。通常は七日前後で菌類の活性化が始まりますが、変化に乏しい場合は、電極ユニットを操作して容器全体に刺激を与えると活性化が促進される傾向があります。
注意
電流を発生させる前は以下の点にご注意ください。
七時間未満の容器には電流を用いない。
七時間経過後の容器には一日一回を限度とする。
十五時間経過後の容器には一日二回を限度とする。
それ以上が経過した容器には一日三回までを限度にしてください。
三日が経過しても菌類が活動しない場合は、サポートセンターへの連絡をお願いします。
2 年代記
2.1 菌類の歴史記述について
容器内で菌類がコロニーを形造り始めると、菌同士の侵食活動が行われます。これは群と群とが最適化を目的として行うものですので、仕様上は問題がありません。群の規模が一定まで到達すると、菌類は自らの情報へのアクセスを試みようとします。菌は菌に自らの存在を問います。なお、この間も容器内で菌類は自然発生します。争いも止みません。一時は栄えた群も必ずいつかは瓦解します。そのため、一種類の群が抜きん出て強大になったとしても、仕様ですので問題はありません。戦いを重ねた菌類は、侵食した領域が増えれば増えるほど、自己アクセスの頻度も多くなります。それらの末に菌類が自らの過去を記録し始めた時、全ての物語は始まります。
2.2 菌類の増殖活動
一部の菌類はやがてコロニーから切り離されて、容器内を自由に活動するようになります。群れから離れても菌同士の類似性は認識できます。ジルバクテリアの残骸に触れた群れは一斉に純化し、他の菌を消滅させるためだけに液体培地の変質を行います。これが歴史の蓄積であり、結晶化のための史料であるのです。こうして、ジルバクテリアとの接触が多かった菌類により、容器内は満たされるようになります。
3 水晶化
3.1 因子干渉
菌類の侵食と消滅が繰り返されると、やがて菌類はジルバクテリアを積極的に求めて行動するようになります。一部の菌は液体培地を変質させて、硬質の菌を増やして武器のように用います。史料に触れた菌ほどジルバクテリアほど液体培地の活用をするようになります。この傾向をもった菌類をコード因子と呼びます。コード因子持ちの菌類は将来的に結晶を粗くします。大味な水晶を作りたい場合は因子の誕生は喜ばしいでしょうが、より細やかな結晶を目指すのであれば因子は不利に働く可能性があります。
3.2 信仰告白
菌類の群れから群れへとコードは引き継がれていきますが、史料とジルバクテリアへの近似性に気がついた者たちが神を崇め始めます。コード因子の種類によりその崇拝は史料への変質を招きます。液体培地が狂信者たちによって強奪されるようになると、史料はやがて透明な物質となって容器内で様々な形になります。これを水晶塔と呼びます。容器内の菌類が何をどのようにどんな強度で崇めていたかの結果により、水晶塔の形状は変化をします。
3.3 水晶塔を取り出す
お好みのサイズにまで水晶が成長した場合、容器の蓋を開けて水晶を取り出してください。容器内の菌類は自然には生存できませんので、そのまま容器を洗い流してしまっても構いません。出来上がった水晶はしっかりと水気を拭き取って乾燥させて、二十四時間は日光に当てずに保管してください。水晶が芯まで白くなったのを確認したら完成です。
故障かなと思ったら
菌類の声が聞こえません→イヤフォンジャックにイヤフォンの端子がしっかりとささっているかを確認してください。それにもかかわらず聞こえないのであれば、菌類は音声以外の方法を用いて情報伝達を行なっている可能性があります。また、菌類は必ずしも有意味な発声を行なっている訳ではありません。雑音のように聞こえる場合もあります。
菌類が話しかけてきます→仕様です。コード因子の種類によっては上位存在へのアプローチを取ろうとする菌類も出てきます。返答も可能ですが、その場合は別売りの音声入力装置をお買い求めください。
水晶の成長が途中で止まりました→史料の積み重ねが薄い場合、コード因子を放棄する菌類が出現します。淘汰の速度が低いと思われますので、低温の場所に装置を移動して新たに菌類を発生させてください。やがて強い信仰を持った菌類が出現します。それまでの水晶を継承するかは保証できません。
菌類が容器に張り付いて動かなくなりました→電流の流し過ぎが原因です。一度、液体培地を全て捨てて下さい。ジルバクテリアが健在の場合は、別売りの培地を用いて再度菌類の繁殖を行えます。ジルバクテリアが崩壊しているようでしたら、申し訳ございませんが、再度本機をお買い求めいただきますようよろしくお願いいたします。
6 notes
·
View notes
Text
名刺代わりの私の過去
笹幡みなみ
差し出された紙片を、私たちははじめから読みとる。
紙片は縦横比が1:1.654の横長で、白い用紙の上に横書きで日本語の文字が並んでいる。文字情報は用紙左側に左揃えで整列し、その整列から外れた用紙右上部にはロゴマークがついている。ロゴマークは「T」の文字に惑星環の意匠を取り入れた青色のデザインをしており、「Telesto Technologies」というロゴとセットになっている。左揃えで整列している文字情報の最上部には「株式会社Telesto Technologies」との記載があり、この文字列はロゴと同様の青色で、サンセリフ体である。その下に続いて、「インテリジェンス事業部」、改行、「エンジニア」とあり、これは黒色のゴシック体である。続けて行を改めたのちに、これまでのフォントよりも2.5倍ほどの大きさのゴシック体で「姫野伊織」とあり、その下部には小さなローマン体の「Himeno Iori」が添えられている。その下部には再び小さな、ややウェイトを落としたフォントで、「〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町8番1号 紀尾井フロントプレイス22階」とある。続けて「Tel:」「E-mail:」と記載があり、それぞれに連絡先を特定する文字列が続いているが、いずれも差し出されている現在では有効なものではない。
次の紙片を確認すると、紙片はやはり縦横比が1:1.654の横長で、白い用紙の上に横書きで日本語の文字が並んでいる。紙面の左上にはマークが置かれており、赤色の円に同じく赤色の二本の直線が重なり、うち一本は円の外で鉤のように折り返している。続けて「NAKA」のサンセリフ体のロゴが、やはり赤で配置されている。同じ赤の細い水平線がセクションを区切り、その下に続けて、いずれも黒の明朝体の左揃えで「次世代コミュニケーション研究部門」、改行、「越時知性研究室」、改行、「研究員」。改行して大きなフォントで「姫野伊織」とある。紙面の下部には「株式会社那珂技術研究所」とあり、住所「〒211-0053 神奈川県川崎市中原区上小田中8丁目1-1」、電話番号、メールアドレスの情報が記載されている。最下部の余白にはごく小さなフォントで「地球環境にやさしい紙を使用しています」とある。また、「姫野伊織」の右側のスペースには、藍色の市松模様を環状にしたエンブレム、「TOKYO 2020」、青、黄、黒、緑、赤の五輪、さらに同じく藍色の市松模様が上部を開いているエンブレム、「TOKYO 2020 PARALYMPICS GAMES」、赤、青、緑の動きを思わせるシンボルがつき、それらをとりまとめる下部に「東京2020オフィシャルパートナー」の文字が配置されている。
次の紙片を確認すると、先のものと全体的な印象は変わらないが、「次世代コミュニケーション研究部門」、「越時知性研究室」に続いていた「研究員」の部分が「主任研究員」となっている。また、「東京2020オフィシャルパートナー」の記載がエンブレムを含めてなくなっており、それらがあったスペースには代わりに、二つのマークが並んでいる。左側は、黒色で「B」、「S」、「I」の三文字を組み合わせてハート型としたものを円で囲い、上部に「bsi」と表記したロゴ、その隣には、青い四角形の地に、簡略化された人を表現する「i」に似たシルエットが抜かれ、そのマークの下部に「ISMS-AC」および「ISO 27001」と記載されている。
次の紙片を確認すると、紙片の縦横比はやはり1:1.654であるが、長辺を縦とする縦型となっている。白い用紙に、黒の明朝体の日本語文字列のみが縦書きで配置されており、ロゴマークやエンブレムの類い、あるいは黒以外の色味の印刷は存在しない。紙面の右側に「文部科学省」。続けて、「研究開発局 宇宙開発課 技術専門官」とある。紙面の中央に「姫野伊織」。紙面の左側には「〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号」、続けて電話番号とメールアドレスの記載がある。
次の紙片を確認すると、紙片は再び横型に戻るが、縦横比が先ほどまでと異なり1:1.75となっており、寸法としても先ほどまでよりも一回り小さく、より細長い形になっている。記載されている文字列は全て英字である。紙面の右肩にロゴマークがあり、青色の円のなかに白い点で遥か彼方の星々、それに周回する惑星が表現されており、赤いV字形の紋章が組み込まれたデザインの中央に、「NASA」とある。ロゴマークの右側にはサンセリフ体で「National Astronauts and Space Administration」とあり、紙面中央部に中央揃えで、この部分だけがややウェイトのあるフォントで「Iori Himeno」、その下に「Senior Researcher」、改行、「Omni-time Presence, External Affairs」とある。左下と右下にそれぞれ左揃えの文字列のブロックがあり、左下のブロックには「NASA Ames Research Center」、「236 De France Ave, Mountain View, CA 94043」とあり、右下のブロックには電話番号とメールアドレスが記載されている。
次の紙片を確認すると、この紙片が現在の私たちの前に差し出されているものである。紙片の縦横比は1:1.654の縦置きで、「文部科学省」のものと似たデザインであるが、これには「外務省」とあり、「総合外交政策局 国連政策課 首席事務官」と続く。紙面の中央に「姫野伊織」。
いま現在私たちの前に、彼ら彼女らの代表として送り込まれてきた人物である。
紙片から顔を上げた私たちはそれを受け取り、この人間の顔をよく見る。
自信に満ちた表情であることが私たちにはわかる。
私たちがなにを見ているか、知っているのだ。
私たちはそれをはじめから読みとる。
それはか細い泣き声を上げ、必死に呼吸していた。
2 notes
·
View notes