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2025 4/9
日記を続けようチャレンジ。最近アラームの音が大きすぎると思っていたら実際にめちゃくちゃ大きく設定されていた。寝ぼけながら小さくしたら小さすぎて、余計に二時間寝た。洗濯して家を出る。昨日から聴いているTV Girlの新譜が良い。音楽でまだウキウキできる。仕事を辞めるというのに今日は非常に仕事が忙しい。わたしたちはこの歳にしては色んなことを悟りすぎているし、よくやっている。残業しすぎている後輩の仕事が終わるのを待って一緒に帰った。改札の前で話した。やられたことと同��くらいしかやらなくていい。そのやり方はいつか誰かにやられてしまう、と後輩に言った。押し付けがましいかもしれなかった。降り立ったホームには誰も人がいなかった(電車が到着するホームが臨時で変わっていた)。昨日から聴いているSalamandaが良い。ただ、こんなことはやってられないという気持ちが確かにある。
2025 4/10
話にならない様なつまらない感情ばかりで圧迫される仕事の日。やはり辞めると決めてよかった。こういう時はつまらないことしか考えられなさそうなので何を考えても意味なし。早く帰りたい。今日午後からずっと雨が降っていたのか、湿度が高くて頭が痛かった。埋火、美しすぎる。昨日から広末涼子のことばかり考えている。
昨日の夜、酔っ払って丁度一年前の自分の日記を読んでいた。どうしようもなかった気持ちたちのこと、その感触をまだ同じ様に思い出せる。一年前から色んなことが進歩した。本当に良かったと思う。
2025 4/11
朝からカナダのトロントという都市で一人で暮らしている友人と久しぶりに電話をする。彼女は強い、とても真似できない、と思う。電話をしてたら料理が捗って、朝ごはんも昼ごはんも食べた。やることがなくて『ボーはおそれている』を何となく途中まで見たら普通に嫌な気分になった。夕方はいつも不安になるから苦手だ。昔からそうかも。窓を開けてレゲエを流していたら空から轟音が鳴った。雨が降る。
久しぶりに下北沢に行った。最近やけに新宿の地下通路を把握し始めていて、西武線〜小田急線を���度も地上に出ることなくたどり着くことができる。友人は二週間に一度様子が変わり続ける新宿西口に最近怒っている。SPREADでタロを見た。図らずも一番前で、無意識にやってしまうぶしつけな観客としての眼差しを対等に返され、ハッとする。わたしはここにいた。見るということは見られるということでもある。あまりmmm名義の曲も知らないのだけど、ほどけすぎて眠くなった。良かった。居酒屋に行って、西武線の改札前まで送ってもらった。友人といると、何かから引き上げられる。
2025 4/12
仕事に行ったはいいものの、全くモチベーションがないので色々なことに苛立ちを感じて動悸がする。もうこんなのは互いのため(わたしと会社)に良くないのではとか思いながら給湯室でたばこを吸う。逃げる様に三時間だけ仕事をして帰る。夕方に会社を後にする清々しさって半端じゃない。東中野で友人と待ち合わせしていた喫茶店に入ったら、隣の卓に別の友人が座っていた。変なことがよく起こる。ごはんを食べ、映画を見終わった人や森美術館帰りの人たちが集まってくる。何を話したかはよく分からない。ただみんなの顔を見れて嬉しかった。友人と歩いて互いの家の中間地点まで帰る。お互いに話すはずではなかったことを話したと思う。もう寝てしまおうかと思ったけど、お風呂を沸かして寝た。朝6時に訪問者がやって来る。
2025 4/13
雨が降っている。パスタを作って食べて、アイスを食べながらあたしンちを見る。新井薬師前まで歩き、良い居酒屋を知った。今日の雨は霧雨みたいな感じ。服が濡れた。「わたし雨が嫌い」という歌詞の曲を教えてもらう。一緒にYUKIの恋人よ(version)を歌っている目の前の人のこと、未だに全くもって何を考えているのか分からない、けどわりと長く一緒にいる。この絶妙な気持ちや不安感は全部、ここが熊本(くらい今の東京での暮らしから脈絡のない場所)だったら自動的に、力技で解決するのにと思いながら銭湯の浴槽に浸かる。最近、一日の終わりにはよく九州に帰ることを考えてしまう。
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三月のこと (2025 4/8)
動画も日記もやめてしまってから毎日の記憶が薄い。最近、あれはわたしにとって大事だったんだとふと思った。一度長い時間書くことをやめると、どんな風にこれまで文章を書いていたのか全く分からなくなる。どんな風に自分の記憶をアウトプットしていたのか、そもそも何を感じているのか、そんなことが分からなくなる。体の中に言葉が溜まって熱を持っていることに確かに気づいていながらも、なぜかそれを引き出す時間も気力もなく 眠ることを繰り返していた。何でもいいから放熱しなければと思う。なぜか最近はずっと微熱だ、書くことのリハビリをしたい。
三月 仕事を辞めることを決めた。まだ寒かった時だと思う。年が明け、気がついたら仕事について苦しいなと思い続ける時間が長くなっていた。辞めるとは思っていなかったけど、目が霞んで記憶が薄い状態が続く中、久しぶりに会った友人と話していたら、「仕事を辞める」という選択肢が凄いスピードでわたしの中に現れた。ウキウキした。そんなことしていいのか分からなかった、だけど猛烈にウキウキした。※ちなみにわたしたちはその日の帰り道に吉祥寺のルノアールが閉店することを知った
その数日後、また別の久しぶりに会った知り合いと話した。東大の近くの喫茶店、神保町の雑居ビル、全部をのり弁にできるレストラン。不思議と人に「大丈夫だよ」と言ってもらうと、本当にそんな気がしてくるものだ。そんなに互いを知らなくても、初めて会った人でも(わたしはそういうところがちょっとおめでたいのかもしれない)。その日、頭上から鳩の死骸が音を立てて降ってきた。大量の砂をかぶる夢を見た。不吉だと思ったけど、そんなことで止まる気になれなかった。※数日後にたまたま見たフランス映画の中で、街中でカモメの死骸が空から降ってくることがニュースになるシーンがあって、めでたいわたしはまた何かを感じた
次の日には上司に辞めることを伝えた。何にも決まってなかったけど、とりあえず辞めようと思った。ごく時たまやって来る、自分のタガが外れた突っ走り方には惚れ惚れする。上司と二人で泣いて、職場ってこんなに泣いていい場所なんだっけと思った。やるしかないのでバイトを探した。朝から天気のいい谷中霊園を歩いた日はかなり良かった。一番わたしのことを見てきた友人と新宿の喫茶店で話し、泣いた。三月はよく泣いていた(泣いていたというより、泣けてきていた)。両親は結局のところ優しかった。優しすぎて申し訳がなかった。わたしが同じ立場だったら同じことは絶対に言えないと思った。コインランドリーで泣いて、変な人になった。
次にやることがとりあえず決まった。最近はあと数回しか行かない職場で、色んな人に色んなことを言われながら何となく漂っている。デスクはもう片付けた。今日は、ずっとお節介だったけど憎めはしない上司がお昼にお寿司を奢ってくれた。本当は優しい人たちだった。全部後になって気づく。何も分からずに何となく社会人になって、ずっと社会人とか社会のことが分からなかった。普通に悩んだ。嫌でも心が小さくなっていく感覚、しんどかった。それでも色々知ったことはある。自分は一般的にはあまりしっかりしていない方だということや(何を今更という感じだと思うけど)、大した人間ではなく普通に嫌な人間でもあるということ。だけどそれと同時に、どこにいても割と愛される力はある人間であるということも知った。そのほか、会社で働く大人も一人ずつちょっと変なところや嫌なところがある人間なんだということも知った。会社で感情を出してはいけないんだと思っていた。だけど、個人的な言葉をもって優しくしてくれた人たちや、個人的な話をしてくれた人たちもたくさんいた。ありがたかった。
暖かい真昼の外を職場の人と歩き、近くにないはずの桜の花びらを見てどこから来たんだろねと話す。穏やかだった。今は職場が離れている、かつてお世話になった上司にメールをした。���しろこれまでよく頑張ったなぁと思います、この経験も何かには役に立つはずですよ、と返ってきて、何度もそのメールを読み返した。何かを決めることも、慣れた場所を離れることも、とても苦手だ、だけど何かが少し楽しみでいる。家に帰ってきて久しぶりに料理をした。気持ちが静まった。
終わり方が分からない。分からないので今後の希望を書いて終わる。また日記も書けるようになったらいい、眠りかけているビデオカメラも使いたい、本も読みたいし映画も見たい。水泳、登山、編み物、自転車。とにかくやっていくということだと思う。楽しく生きる才能がないと、二度と思わないでいいくらい、やっていくということだと思う。
おわり
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