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New York Diary
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newyorkdiary7th · 4 months ago
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newyorkdiary7th · 4 months ago
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232 Guest House_1
20250216
目覚めると最初に感じのは恋しさ。結構今はブルックリン、住んでいた界隈が恋しい気がする。NYが、という大きな言い方ではなくて、ブルックリンのパークスロープ界隈が恋しい。もしかするともはやあの家が恋しいんじゃなかろうかと思っている。232 Guest Houseの話しをしておきたい。
1月はNYのAirbnbに住むという予定だった。もし崇のアパートが1月から住めるところで決まればそこになるけれど、日に日にその可能性が減っていって、Airbnbだろうね、という感じだった、12月28日までは。まだ12月28日の日記に辿り着けていないので、あの日のことを文字にするのは初めてだ。
12月28日は雪山ハイキングをした。一人また一人と帰っていって、最後まで進み続けたのが崇と私の二人だった。「シュタイナーって基礎��力があるとかなのかな?」と崇。いや、シュタイナーで括っちゃうのは違うんじゃないかしら、とおかしい気持ちになりながら、寒い雪山の下山をした記憶がある。下山をしてとうの昔に下山したカレンとビアンカと柴犬2匹のいるログハウスのカフェに入っていった。あの時間のことはものすごく記憶に濃い。雪の中の世界にある暖炉がパチパチしているログハウス、というのは一つの理想郷だもの。ホットカクテルを飲んだ。ホットカクテルのオーダーをするよりも先に、帽子を取るくらい、まだ席に着くよりも前くらいの、ついて早々に、カレンとビアンカが言った。「うちに泊まりなよ」「ビアンカの家に泊めてもらえるって」と。「「What?」」ほんとに青天の霹靂でそんなこと言われて、どゆこと?という感じだった。二人は長いこと暖炉のそばでチルっていたとのことで、カレンが色々事情をビアンカに話し切った後だったんだと思う。「あなたたちが家を探しているところだったなんて知らなかったから。」とビアンカ。「うちに泊まれるよ、私が帰るまでは。4月に帰るけどそれまでは居て良いよ。庭もあってワインセラーもあるよ。ベッドは2台あるから足りるし。崇がレント払ってくれるから葉月は払わなくて良いし」「ビアンカの家はすーーーんばらしいところだよ」カレン。「マジで!?それは最高、良いの、ありがとう」崇。「えええ、ありがとう」私。
マジで!?となりながらとりあえず忙しそうに働いているお姉さんを待ちながらオーダーをする為にバーカウンターの前で未来が変更になった感覚を味わっていた。「ビアンカの家、普通ありえないような、ほんとすごい場所なんだよ。あそこに泊まって良いのはほんとに最高だと思う。」と崇。崇とカレンにどれだけ最高だと言われても想像のしようがないし、私は泊まれる場所があるだけでどんな場所でも有難いからあんまり気にしていなかった、この頃はまだ。
75%の家賃で1500ドル/月。一人750ドル。崇が譲らないから結局私はトータル1000ドルしか払わなかった。
極寒の雪山から戻った後に暖炉のそばでホットカクテルを飲んでいるというのはもう体も頭もほかほかでぽかぽかの中で、こうして出会ったばかりの友達の家に泊まる未来が決まって、とろけていた。ヌヌが見上げてくるのが可愛い。ハイチェアに腰掛けた私たちは濡れた靴を脱いで暖炉のそばで乾かしながらまったりしていた。「友達が2泊くらい遊びに来るんだけど、その友達も泊めても良い?」と私。「もちろん、好きにして良いけどベッドは2台しかないから調整しないといけないかもしれない」「全然、私マットと寝袋あるからどこでも大丈夫なの」
「友達が来るの?」カレン
「言ったじゃん、葉月の仲良い友達で俺が韓国いた時に彼も韓国にいた人」崇
「そう、仕事でNYに来るから数日休みとって会おうって話してて、Airbnbに泊まって良いよって言ってあったの。崇の韓国もだし、その前の年の南仏の時も、同じ時に二人ともニースにいたんだよ」私
「崇は会ったことがあるの?」カレン
「ううん、どっちに対しても崇もいるよ、健太郎もいるよ、って言ってたけど会ったことはなくて、ようやくついにNYで集合することになったの。」
健太郎というかつて唯一無二レベルの親友だった友達がいる。何があったわけでもないけれど、彼が現職についてやたら忙しくなったあたりからそんなに頻繁には会わなくなった。今でもとても近しいことに変わりはないけれど、前みたいに一週間くらい一緒に軽井沢で過ごしたりするような、そんな関係地にはもうならないような気がする。50代くらいになったら出来るかも。
そしてもう一人唯一無二レベルの親友が崇だと思う。もはや唯一無二じゃないじゃん既に二人じゃ、となるんだけど、こっちはちょっと歴史があって、ちょうど健太郎と最も近しかった時代に崇とは空白の5年間があって、唯一無二のタイミングはちょうど重なっていない。
空白の5年という割と面白い歴史が私と崇の仲にはあって、わざわざ人に説明したりはしないけど、場合によっては避けては通れない話題だったりもするので、崇が適当にはぐらかした説明をする。私は崇のしたいように説明の仕方は任せていて、私が詳細を他人に教えるものではないから、あんまり自分からは言わない。一人だけ全部伝えたけれど。崇は私にしか100%の説明はしていないらしい。人間はややこしい。カレンがビアンカに崇と葉月にはそんな過去があったと教えたらビアンカが信じられないととても驚いていたらしい、とカレンから聞いた話を崇が後日教えてくれて、いつカレンがビアンカに言ったのかは分からないけど、と言っていて、私はこの日の暖炉での二人のチルタイムの事だったんじゃないかな~と思っている。
「カレンには全部話したの?」私
「全部はないでしょ。全部の全部は葉月しか知らない。事実関係は話したと思う」崇
あら、正確には私とかすみんだけど、と内心でこっそり思う私。
ともかく、健太郎が仕事でニースに行くと言った時、あれ?崇も6月にニース行くんだけど!と思って健太郎にも崇にも伝えた。会ったら面白いのにな~、この二人仲良くなれるだろうにな~と思ったけど、健太郎がとにかく非社交的だし崇も人見知り(だとこの頃は思っていた)だし、わざわざ会ったりしないんだろうなと諦めていた。
そして翌年、今度は崇が仕事で韓国に行くと言っていて、あれ?なんか今健太郎が韓国にいるっぽいんだけど!前にもそんな事あったよね、すごい確率!となった。後で聞いたら健太郎も仕事で行っていたらしい。
そんな二人がやっと会う日が来る!in New York! それがビアンカの家でってことになるのか、人生は何があるかわからんな~!となった。
ビアンカはものすごくiPhoneでメッセージを頻繁にしていて、なんかこう、モダンレディーという感じ?なんて言えば良いのかな、パパパパパパー!とチャットしてシャシャシャシャシャーっとグループチャット作って、もうそのハイスピード具合に、あぁ私には無理ぃぃぃぃと縮こまっちゃう感じ。
うちに泊まって良いよ、の話があったすぐ後、RVでぱっぱぱっぱとチャットをして、あっという間に私と崇を232 Guest Houseという名前のブルックリンの家を共有しているみんなのチャットに招待してくれた。私からするとスピード感に面食らうというか、それは旅が終わってからで良いじゃん、的なタイプなんだけど、ビアンカみたいな人を見ていると、こういうスピード感で生きていける人がNYとかで生きていけるんだろうな~みたいな気持ちにもさせられた。懐かしいな12月28日。旅で仲良くなった、これからも仲良くできたら素敵だなと思える人に出会えた、そんな人の家にお世話になることになった、嬉しいな~という感情だった。水のようにビールを飲みまくっていたあの日々のこと。なんて懐かしい時間だろう。
「二人の鍵のコード設定できるんだけど何番が良い?」とビアンカ。
「えー、なんでも良い。5962にする?」
RVが泊まれるキャンプ場はどこもシャワーやラウンドリー、トイレがあって、全てコードキーになっている。4箇所泊まったけれも、毎回4桁のコードを記憶する。時々誰かが、コード教えて、とRVの戸口まで戻ってくることもあった。
ビアンカ宅に泊めてもらう、ということになった頃に泊まっていたキャンプ場のコードキーが5962だった。今となっては5962という番号がとても好き。
1月5日、まだ暗い時刻にみんなが空港まで送ってくれて私は一人、サンフランシスコのハーヴェイミルク空港でみんなと別れてNYに帰った。JFKに降り立った時の嬉しさは今でも思い出せる。住処じゃないのに、「帰ってきたー!」という感情と、嬉しすぎて口角が上がりっぱなしだったあの到着ロビーの感じ。降り立ったよ~とグループラインに一報を入れたら、ビアンカから怒涛のメッセージが届く。家までのサブウェイの番号とか、スーパーの情報とか。
“旅は最高に楽しかったけれど、私はやっぱりNYが大好きだ。好きすぎる。”という感情にほくほくと溺れながらサブウェイでブルックリン、初めてのGrand-Army Plazaに降り立った。あの日見た駅の周りの景色を、それから毎日見た。毎日、到着した日の感情を思い出せた。
家について、ベルを鳴らして、5962を入力する。セキュリティー度の高そうなコードキーが回って、開いた。入っていくとちょうどエドが降りてきた。
エドワードという同居人がいる、とビアンカが教えてくれた頃は、なんかのっぽで割と痩せている茶髪の白人男性を勝手に描いていた。SMSを使いこなすビアンカにちゃっちゃと追加されたグループチャットでエドワードと思われる電話番号の人が、「ようこそ。着く日時教えて」的なメッセージを私と崇宛に送ってくれていて、返さなきゃね、となったけど彼の名前が思い出せなくて、ダニエルじゃなくてなんだっけ、となって崇がRVの助手席からビアンカに聞いたらRVがうるさすぎて聞き取りずらくて、「My husband name!? What the heck you talking about?」と聞き返されて爆笑するシーンがあった。あぁ、エドワードのことね。韓国人だよ、と。あ、でたでた洋名使うひとびと。エドはねITのオタクで、家のセキュリティ系も全部彼が設定していて、iPhoneのホームアプリで全部管理できるんだよ、あなたたちもついたらエドが設定してくれると思う。コードキーもそう。コックピット、操縦機のゲームもエドが作ったのがあって遊ばせてくれると思うよ。なんていう前情報をもらっていたエドワード。
初めましてのエドワードはとっても柔らかくて、背が低めのぽやっとしたオーラのハームレスな感じがする青年だった。完璧に流暢な英語でちょっとボサボサっと喋る。とっても優しく家のことを教えてくれた。
「Oh my gosh Bianca!!!」・・・「やばいよビアンカ、この家素晴らしすぎる」そう到着報告がてら興奮を伝えようとSMSを入力しかけていたら秒で返事してくるビアンカ。omgしか送れず続きを入力しているうちにすぐ返してきちゃうビアンカ、「どうした!?!?」と。待って待って最後まで言わせて。
とんでもなく素晴らしいね、本当にありがとう。そうやっとこさ言うと、気に入ってもらえて嬉しいわ。布団は洗濯機の前にあるよ、ヘアドライアーはLAに持ってきちゃってるからエドに借りて、何かわからないことはある? 間髪入れずに怒涛のチャットがどばどばどば。興奮に浸っていてチャットはちょっくら放置のわたくし。
なんと言うことだ。こりゃ大変。素晴らしすぎる豪邸だ。
20250222
47秒くらい前に、アースマンシップ、と言う先日聞いたばかりの畑プロジェクトに滑り込みで申し込みをした。今朝は久しぶりに30分くらい自転車を漕いだ。景色は面白くないけれど、やっぱり自転車は気持ちが良い。ランニングに似ていて、家を出るまではちょっぴりめんどくさいのに、走り出しちゃえばこんなに気持ちの良い運動ってないよ、と言う感じ。運動ってそんなもんだっけね。
そういえば、私って躁鬱っけのある人間なんだった、と帰ってきてから思い出した。NYに行ってから、鬱という概念の存在の余地すらない次元で暮らしていたから、なんか、そうだったなぁ、忘れてたわ、と言う感じ。内容は違うけど同じことだと先日思ったのは、木曜日、帰ってきて6日目の晩に映画館に行って映画を観た。映画に出会った中学生以来、映画は欠かせない趣味。でもNYで映画を観たいと思った日がなかった。街の人々を観察していれば、映画以上に映画みたいな現実があった。日本で暮らす私は、ずっとずっと夢に逃げているのかもなぁと思った。あ、NY×映画、で思い出したから書いておく。サティアと『タンポポ』を観た夜があった。East Manhattan 96, Lexington Aveの17階。日記祭にビデオで参加したり、ウガンダとモルドバと繋いだりしたスタジオマンションの1室で。で、山崎努を観た翌日にVillage Vanguardで隣の席だったサックスプレーヤーの男の人と話していたら、「最近『タンポポ』と言う日本の映画を観た」と言われて、「おぉ、私もちょうど昨晩観た!」なんて言う会話をした。嘘みたいだ。毎日が嘘みたいだった。
嘘みたいに素敵なBrooklyn lifeを過ごさせてもらっていた家の話しを書いていたページだったのよね、これ。
到着した日は、なんだか家の素晴らしさを持て余して(いやまぁ持て余さなかった日もないけれど)ソワソワした。空のタンスが4つあったので、2つを使わせてもらうことにして洋服や帽子を入れた。暖炉の上にモンサンミッシェルの大きな絵があった。フランス語を今一度勉強しているビアンカの部屋のモンサンミッシェル。RVの道中で、モン・サン・ミチェルみたいだね、と言う風景の話をした時間を思い出した。暖炉の横にはラーメンのだろうなと思しきクッションがあった。小さなテーブルにはGSAPP(コロンビア大の建築学科)の分厚いカタログが積んであった。床が少し軋んでいて、うっすら斜めな部屋。NYっぽい。日本じゃ1億%ありえない、歪んで、ガタガタで、地震なんてあったら震度2でも崩れ去りそうなくらいのタウンハウス。100年以上も前からそのままの建物。あ、そのままというのは変か。共用の洗面所には美味しい水を飲ませてくれる清浄機が設置されている。3階に洗濯機がある。iPhoneのタップで電気を操作できる。iPhoneの画面で、Uberの配達員を見れるカメラがある。そのどれもが、この古い建物に馴染んでいる、心地良い。
着いた晩は22pmのVillage Vanguardに行ってChris Potterを聴いた。Chris Potterは結構好きなアルバムがあって、師匠経由ではなく自分で出会った好きなサックス、という事でやはり諦めが付かずSF→NYの飛行機を7日から5日に変更してまで行くことにしたライブ。でも結局、少々集中力が途切れた。朝5時くらいにサンホゼ(今更だけれどサンノゼが正しい表記かも…)のカレン宅を出てきて、荷物背負って初めての家に辿り着いて、それなりに疲れていた。ライブは集中力が切れたけれど、NYに帰ってきた喜びを存分に味わって、残りの二十日間、大事に過ごそうと決意して最高にワクワクしていた。
ライブが終わる頃に崇がJFKについて、お腹が空きすぎてウーバーをオーダーしたと言っていたけれど、眠くて起きてられなくて、崇が帰ってくる前に寝た1時半くらい。
1月6日、目覚めると真っ白だった。ビアンカの部屋の窓からは、庭が見下ろせて、冬の庭、しんとしているBBQセットなどがある庭が雪をかぶっていた。3階の高さまで伸びている雄大なモミの木(違うかも。見た目はミノの木)が雪を纏ってとても素敵な景色。良いなぁ、という気持ち。
11時にビアンカの友達のJennaに会いに雪の中のBrooklynを散歩して行った。ピンからキリまで幸せだったなぁ。過去にソールライターの展示には2回ほど行った。渋谷で見たNYの雪景色。憧れていたとかそういうのでもなかったけれど、ポールオースターが表紙に使うソールライターの景色。『キャロル』のシーンと区別のつかないようなソールライターの景色。知らぬ間に胸の内に積もっていた景色だったんだろうなぁ。それが今、自分をまとっているこの現実である、という時間がひたすら嬉しかった。もう、カリフォルニアのことなんか完膚なきまでに意識から吹っ飛んでいた(笑)まだ戻って24時間経ってすらいないのに、自分はやっぱりNYジャー!という感じがおかしかった。
そんな訳なのでJennaとも楽しく喋って、かっこいいコーヒーショップで楽しい時間を過ごした。私は観ていなくて、「観てないの!?(日本人なのに!)」とサティアとかによく言われたSHOGUNがなんだか賞を獲ったタイミングで、カフェのテーブルに転がっている新聞の一面の中にガッツポーズをした浅野忠信がいた。丹念にリードの色選びをした。楽しかったなぁ。誰にこの色、というのはもう諦めて、ただただ自分の好みの色の組み合わせを4本分考えた。Jennaは鋭いことを言ってくれて、私のこのNY熱は、どこまでがいっときのもので、住んでみたら感じる不都合も踏まえたらまたどう感じるか楽しみだね、と言っていた。それはもちろんそうだよね。Jennaはウィーンに住みたいと感じているらしい。私は昔ヨーロッパを旅して、住みたいと思いはしなかった、NYで初めて、ここに住みたいと感じる旅先に出会った、と言ったら大きな反応が返ってきて、自分はウィーンにそれを感じた、と言っていたなぁ。みんな簡単にそう言うんだけどさ、Jennaも、住みなよ、次会う時は葉月が引っ越してきたらだね、って言ってた。いいなぁ。住みたいなぁ。
NYに住む話については昨日ぶちょーと家賃の話をして、「それは大西さんでも無理なんじゃない」と言っていた。大西さんのことは知らんけど。日本のサラリーでは無理ですね。
プロスペクトパークをたくさん歩いて、写真を撮って、雪のブルックリンを噛み締めた。どこを切り取ってもソールライターの景色が現実にあることを楽しんでいた散歩の後半に、公園から見える空の模様がマルグリットの色と景色だった。マルグリット美術館に行ったのは10年も前なのに、自分の中にしっかりと残っているマルグリットの作品が、(ブルックリンの空を見ていたら、)コトコトと弱火で煮詰まるジャムの表面みたいに胸の内でざわめいた。
夜ご飯は家から歩いて2分くらいのラーメン屋さんに行った。2,3千円かけてラーメンなんて食べなくて良い!日本に帰ったらいくらでも美味しいラーメン食べれるから、そう思っていたのだけれど、ビアンカが大好きなラーメン屋さんが近所にあるとお薦めしていて、行っちゃった。恵比寿とかにもあるみたい。ダンボ。美味しかった。しかも、“NYでラーメンは高い”と言う思考が先行していたけれど、よく考えたらこの味をこの値段で食べれるなら決して高い代物ではないなと、われ、既にニューヨーカーザイフなり(入り口変わらないのに!!!)。2025年1月6日のこと。
1月7日、朝起きるとLAが燃え出していた。今日も同じ時間に同じカフェにJennaに会いに行って、早速作ってくれた4本のリードを受け取りに行った。崇とも笑っていたのだけれど、オーダーまで済ませておきながら値段を知らず、どうしよう信じられないほど高かったら、と楽しみに出かけた。旦那さんとわんこも一緒に来てた。旧正月で台湾に帰る前に仕事は済ませちゃいたいの、と速攻で作ってくれた。Jennaは今夜から台湾へ戻る。そうそう、232 Guest Houseのオーナー、億万長者の台湾人も、私が着いた日の朝に、台湾に戻ったとエドが教えてくれた。だから私たちは、本当の大家さんには会っていない。グループチャットで文字だけ見た。insta覗いた感じではドバイとかアブダビとかがとっても似合う感じの女性だった。デヴィ夫人とかと仲良さそうな感じの。ビアンカやエドは、どうしたらそんな人と知り合いになったんだろうね、と崇と首を捻った。友達の友達のパーティで、みたいなそういう事らしいけれど詳細は聞き取れなかった。
得意の、文脈がジェットコースター級に曲がりくねる文章になるけれど、そう、このタウンハウスで生活できると言うことは、本当に異次元の幸運なのである~~~。
そもそも、タウンハウスは庶民が暮らす家じゃない。ハリウッド俳優とかそう言う人が住んでいるところらしい。あれだね、なんか急にノッティングヒルの恋人たちのシーンを思い出した。マット・デイモンとか住んでいるらしい。私も通りでなんか見たことあるモデルさん見かけたけど、名前は思い出せなかった。だからんなだと言う感じがするのがNYだよね。
クリスティと言うここの大家さんは、南米だっけ?とかでも不動産業を営んでいるらしい。まだ30代、そんなにわたしたちと変わらないと聞いた。家業だそうです。家業を継げるの凄いよね。MITからのコロンビア出て、NYには一年のうち居て良い日数に限りがあるから、帰ってきたと思ったらまたすぐどこかに行っちゃうらしい。てことはさ、エドとビアンカはそもそもあの豪邸に多くの時間を2人で過ごしているのか、すげ。 LAでビアンカとお茶をした時に、ビアンカが家はどう?と聞いてきて、「more than amazingだよ」と答えた。「そういえば、キッチンにあるたくさんのおやつ、あれ全部自由に食べてね」と。「クリスティがいつも大量のお土産と共に帰ってきて、全部キッチンに放って、でまた数日したらどこか行っちゃうから、いつも私が整理してるの。クリスティは買ってくるだけだから、だから食べてね」と。片付けるの大変なんだから、とお茶目に笑っていた。
途方もなく優雅なキッチンに、大きな恐竜のぬいぐるみが座っている。大量の酒瓶がバーの壁のように飾られている。そしてたくさんのおやつ、半分くらいが日本のお菓子がセレクトショップのカウンターみたいな具合に整頓されて並んでいる。そう言うの全部、クリスティが買ってきて、ビアンカが片づけているんだろうね。大きな大きなミラーもある。ワインセラーにはぎっしりとワインが眠っていて、怖いくらい高級なボトルの木箱がすごく高いところに何箱も重なっている。LAから戻った後は、気にせずおやつを摘んだ、白い恋人とかそういうの。
1月7日、グループチャットに「キッチンで気をつけることやルールはある?」とチャットを投げた。包丁が10本くらいあって、肉と魚は分けてるのかね、とかさ。3階にいるエドがすぐに返事をよこして、「この質問に答えられるのはビアンカだけだよ」と。クリスティからは「包丁もまな板も使い分けてない、好きに使って!でも上にしまってあるワイングラスは食洗機に入れないでね」とのことだった。そんな恐れ多いグラス、はなから使う気ございませんでしたさ。
LAのお茶でビアンカが「キッチン使ってるの?」と聞くので、「使ってるなんてもんじゃないよ、ほとんど毎食使ってる。あんな夢みたいなキッチン、何しても楽しくて。クリスティも料理しないんだってね」と答える。エドは一生ウーバーガイ。本当に、信じられないほど一生ウーバーで生きている。それはそれでニューヨーカーだな~と感じた。ビアンカは「私のものはほとんどなくて、あれ全部、元からあったものなんだよね」と言っていた。はて。料理をしない人間が、あんなにも全て揃えたのかと思うと、やっぱり全然意味わからない人間がこの世にはいるんだなと思った。広いキッチンには、全部揃っている。ポルトガルから来たらしい積み上がった魚の絵が描かれたお皿は、パーティ用、って感じで、クイジナートのホールセット!と言う感じの大小様々なフライパンから鍋がひとしきり揃っていて、象印の炊飯器も、たこ焼き器も、全部ある。おろし器がちょっと使いづらかったり、計量器の電池が切れていたり、確かにところどころ料理をしない感じはあったけど、ものは全部揃っているキッチンだった。(コーヒー器具以外)。一番料理というかこのキッチン��使われていないんだろうなと感じたのは、皿のしまわれ方。皿が、縦並びなんだよね。2枚出すと、もう雪崩が起きる寸前。出すのもしまうのも、やりづらいことやりづらいことこの上ない。「本当に使ってないんだろうなと感じるよね」崇とよくそう言い合った。
1月6日に初めてUnionにラーメンを食べた後に行って、何かと高くてやめたのだった。これだったら明日トレジョに行こう、と言って、最低限必要な玉ねぎとニンニクくらいしか買わなかった。1月7日におすすめリストに載っていたパン屋さんに行ってサワドーをゲットした。跳び上がらんばかりに美味しかったので、Unionに飛んで行ってバターを探した。美味しいパンには美味しいバターを惜しみなく。あの高級スーパーならばきっと美味しいバターがあるはずだ、と。バターを買いに行ったついでに、ちょこまかと買い物をした。油とか。トレジョは遠くてね。あ、Unionは歩いて26秒くらいなので、火をつけっぱなしでも足りないものがあれば買い物に行くくらいの距離。リビングで何かをつまんでワインを飲んでいたらエドが降りてきて、Unionで買ったと言ったら、「wowwww, the most expensive glousery store in this neighbor」と茶化していておかしかった。そうなんだね、高いなとは思ったけど、そのクオリティの高さにワクワクちゃってついつい楽しんでいたけど、ここに住む人をもってして、そんな言い方するスーパーだったとはね。高いけど楽しいスーパーと言えば、広尾のイータリーってすごい楽しいじゃないですか、生ハムとか生ハムのコーナーとかチーズコーナーとか。あんなところに毎日用はないけど、楽しいじゃん、あそこ。ニューヨークのイータリーは全然面白くなかった。普通に面白くないスーパーのそれって感じだった。その違いが面白いよねぇ。スタバの扱いが、日本で言う吉野家以下みたいな、日本とNYの違いかな。(吉野家を悪く言うつもりは1ミリもないんだけど、難しいな、こう、とにかく安い飲食、という意味合いで言いたかった。吉野家に行かないのでそもそも公平なジャッジをできていないなり。)あ、NYにラーメン一蘭とかビアードパパが堂々としたいでたちで店舗を構えているんだけど、日本だと田舎の国道沿いとか、駅ナカにあるような、逆の現象もまたおかし、よね。
ところでエドは、一生ウーバーだけど、飲料だけは買いに出る。コーヒーを買いに出て行ったり、唯一スーパーで買うものがソーダ水のボックス。ライム風味の炭酸水の250ml缶をよく箱で買っている。冷蔵庫には調味料と、エドのソーダが入っていた、私たちが来るまでは。私たちはもりもりと野菜を買ったりいつもチーズを用意していた。私はエドのソーダスペースを埋めちゃいけない、と引き出しに自分のものをしまうのだけれど、崇さんは本当に細かいこと気にしないので、何度しまい込んでも、崇が使う度に全部がメインの、一番手の届きやすい場所に出ていて困った。何度仕舞っても、戻されちゃう。後半はもうエドのソーダは冷蔵庫に眠らなくなった笑 部屋に置いていたみたい。ごめんねエド。
1月8日、LAの山火事が只事じゃない感じになってきた。ビアンカに連絡をして、映像の入手を手伝ってもらえるだろうかと聞いたら、速攻で動いてくれた。この頃、ビアンカも停電中の日々を過ごしていたとは梅雨とも知らなかった。自分は離れたところにいるから大丈夫だ、心配してくれてありがとう、と言っていたから、大丈夫なんだと思っていたけれど、他に比べれば大丈夫、程度の事だったとは、後から知った。崇が、仮に葉月が行ったら、何をするの?と聞いていて、さぁ、何ができるんだろうね、とモロッコではこうでああだった、みたいな会話をしながらパスタを作ったりしていた。崇は気に入る所があるらしく、副業できるかな、とかセカンドライフで考えようかな、などと言っておった。好きにしてくれ。
ジムさんのメールを読んで、だよね、流石にPWJが出ていくって運びにはならんよねと思いながらトレジョでたくさん買い出しをしてきた。日本の朝が来て、ジムさんの発言を無視した感じでチャンウさんが動き出している感じが漂っていた。ぶちょーに、できる事があればなんでもする、とチャットを入れた。運転できるのでしたっけ?と返事が来た。どうだろな、行くのかな、行かないのかな、フィフティフィフティという感じで眠りについた。
1月9日、行くとも、何にも聞いていなかったけど、チャットが出来ていて、保険をかけられないから自分で入ってくださいねと言われた。その前に誰か、航空券買えと言ってくれや、と思いながら自分で買った。情報収集に取りかかるのと、飛行機を買うのと、宿を決めるのと、レンタカーを押さえるのと、バタバタしていたらあっという間に時間が過ぎた。慌ててサティアん家に行って、カリフォルニアに行く間置かせてもらっていた荷物を回収しに行った。サティアの家には、NYに戻ったらお土産のナパワイン持ってゆっくり遊びに行きたいと思っていたのに。大慌てで荷物を回収した。そこにポロシャツが入っているのでね。
健太郎に詫びの連絡を入れたら「NO WAY!!!」と返ってきた。緊急に出るのは3回目だ。いつも誰かに謝っている。でも、行かないっていう選択肢は無いんだよなぁ。だから、気づいたらこんなに長いことここにいるんだろうなぁ。
なんだかすごくバタバタしていて緊急感が満ちていたので、落ち着きを取り戻そうとスパイスカレーを作った。ライスは崇が買っていたジャスミンライス。JFKに夜中についた晩にオーダーしたタイカレーがあまりにも辛くて全然進まなくて、ライスを買い足したやつ。
そうやって、あっという間に、LAに向けて出発した。1月10日の朝4時、崇にさよならも言わずに暗いブルックリンを後にした。まだ深夜帯でちょうど良いサブウェイが無くて、20分も寒い中歩いて行った暗いブルックリンの大通り。精算できるんだなこの交通費、と思って初めて券売機で列車のチケットを買った。
そして、崇の言うことに騙されてはいけない!!!国内線だったら1時間前で大丈夫、と言っていて、すっかり信頼していたけれど、私みたいな人間は1時間前では間に合わない。なんだかのトラブルで、検閲の列が違う階に誘導されて、みんなでゾロくらと並び直すという異様な感じだった。
仕事なのに乗り遅れるとかありえない!!とヒヤヒヤしまくった明け方のJFKだった。あれは本当にヒヤヒヤしたなぁ。検閲の長蛇の列に並んでいるうちにボーディングが始まって、すいませんすいませんと謝り続けて長蛇の列を抜かさせてもらって進んで、最後のところでグッチを身に纏ったピンクのファーを着た女性に、「アンタの飛行機何時な訳?」と言われて時間を言ったら、「アタシの方がもっと早いのよ」と怒っていて、シュンとして、その女性の後ろの黒人さんに入れてもらった。同じようにすいませんすいません、乗り遅れるんです、と詫びながら追い越して行った白人の女の子が半べそかいていて、内心共感したけど、ちょっと楽しんでもいた。こんなこと二度と経験したくないし、しないだろうな、貴重~みたいなね。検閲超えた瞬間猛ダッシュして、見事グッチの女性も猛烈に追い越して走って行ったら、案外すぐにゲートがあって無事も無事、すごく無事に乗り込んだ。そんな感じで、あっという間にカリフォルニアに舞い戻った1月10日、とこの誕生日。デヴィッドボウイの命日。
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newyorkdiary7th · 4 months ago
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飛行機の中で書いてたメモそのまま
(2/15)
日本の、関東の?駅の放送がうるさ過ぎるの忘れてたー!と言うかたぶん日頃から嫌だけどかなり麻痺してるから、いちいち嫌だと言う感情にはなっていなかった。
日頃は耳栓を持ち歩いているんだったわたし。駅の放送が耐えられない体質なの忘れてられたの幸せの一つだったんだね〜
で、電車に座ったらふくらはぎが熱くなるほかほか列車の感じも懐かしい。
で、思ったんだけど、NYの人の感じが好き、と言ってたけど、社会の放任主義な感じも結構性に合ってるんだろうなぁ。こうやって電車に乗ってありとあらゆるアナウンスがひたすら喋ってる感じとか、座席温めてくれる感じとか、過保護だなぁ、と感じる。
あとは羽田ついてからずっと感じてるのはなんと言っても子供の頃から蛍光灯の灯りが嫌いな私はNYの99%白熱灯な灯りのセンスも落ち着くんだろうなぁ。日本のメトロ眩しい🥺電子の看板の感じも「ハイテク」なんだろうけどセンス全部置いてきちゃった感じの電光掲示板より、たまにしか見えないタイル張りの19世紀みたいな看板の方が好き〜〜〜
やれやれ。これは隣の芝ではないなぁ。
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newyorkdiary7th · 4 months ago
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あと3回しか、寝れない。そう思って悲しくなった今朝(2/10)。日本に戻ってやりたいこともやるべきことも山積みなのだけれど、終わりたくないなぁ。
土曜日の夜にタクオミとタイガを呼んで、タクオミが彼女ともう一人友達を連れてきてくた。餃子作って食べてポーカーをした。負けた、私とタイガが負けて、ユシャンが大勝ちした。11月に、初めてポーカーをやった晩ぶりに現金をかけてポーカーをした。崇は全然違ったと言っていた、やっぱりお金をかけると楽しいそうである。私は、この晩に心底気がついたのだけれど、かけてもかけなくても、変わらない。全然変わらずふざけるし、様子見るために損もするし、特に上達もしなければ、守りに入るわけでもない。ただ単純にゲームが好きなだけなのだった。あ、ポーカーの話がしたかったのではなくて、タイガがさ、「ハイライトは何?」と問うてくるのですよ、私のNY滞在のハイライトは何だった?って。
タイガとは、前回11月の晩にポーカーをした時しか会ってなくて、あんまりまだ知らない。悩みに悩んでうまく答えられなかった。残念。
結論からほぐしていくと、そう言うわけなので私は今一度社交的な人間になる努力を、日本に帰ったらしてみようなどという気持ちになっている。あの会話のテーブルで、タイガにサラッと骨子を言える自分でありたかった。いつの間にか、社交の場を避けるようになって久しい私は、そういう、日頃から付き合いのある人ではない人に向かって、言葉を上手く組み立てる筋力を失っていたことに気がつかされた。あとはまぁ英語力の限界ね。
ハイライトって、難しい。しばらく時間をかけてからそう言うと、「旅じゃなかったんだ」と笑って、崇も、「ね、俺もそう思った」と言っていた。うん、旅はNYのハイライトではないよね、旅は全く別物なのです。
ハイライトね~と悩んでいて、何となく胸の内にある解答としては、暮らしたかった、暮らしができた、と言うことかなぁ。変な暮らし方ではあったけれど、ご飯作って食器洗って、日記書いて本屋行って、図書館行ってカフェ行って。
NY行って何するんですか?と言う質問をごまんと浴びた、渡航前に。わかりません、と答えていた。ただ行きたかった。
ハイライトを探してNYに来てからの日々を思い返しながら餃子を包んだ。ちなみに私は餃子を包むのが上手い。誰かに教わった覚えは特にない。
渡航直前に相島さんとランチをして、NYで何するか予定あるんですか?と聞かれて、全くないんです、と答えながら、まぁでも気ままに公園とかカフェで本でも読めれば、きっともうそれだけで満足なんだと思います、と答えたことを、セントラルパークにピクニックシート敷いて寝っ転がりながら本を読んだりポストカードに手紙を書いたりしながらふと思い出した、時のことを餃子を包みながら思い出した。あ、そう言えば本当に有言実行しているなぁ、あの時(ランチ)割と口から出まかせに答えた予定とは言えないような予想を、聞かれたから言っただけだったのに、結局本当にただただ公園で寝転がって本読んでいる今ほど満足を覚える午後の使い方もない、言った通りのことしているなぁ、そう思った。自転車で走れたと言うのがとても大きかったけど。
自転車といえば、NY滞在の最後の週末が始まった一昨日、土曜日。
残りの時間、何をしたいかな、と考えずとも考えざるを得ないような、未来のノスタルジーのエキスを先に舐めているようなこの終わりの始まりの時間に、やっぱり自転車に乗ろう、と“やること”が自然と私の中に転がり込んできた。セントラルパークそばの日貸しのレンタサイクルを5件ほど調べて一番良かったところの1日レンタルを予約する。サブウェイに乗って35分くらい、マンハッタンへ。何とも思わなくなっていたサブウェイがブルックリンからマンハッタン島へと渡る橋の上での景色などを、“もしかするとこれが最後に見る景色になったりするのかも”と言う気持ちで眺めてしまう。
気温は0~2度くらい。サブウェイを降りるとものすごく寒くてちょっと不安がよぎる。レンタサイクルはぎっしりと眠っていていかにもオフシーズンな感じのお店だった。顔写真付きのIDを預かると言われて期限の切れているマイナンバーカードを置いていった。
スキーやるかもと思って持ってきていたフェイスマスクをぴっしりと着けて、いざ走り出す。スキーはやらなかったけれどやっと大活躍の一日だった。
公園(セントラルパーク)を走り出す、適当にアッパーウェストまで行って、大好きだったリバーサイドパーク行ってこよう、そんな適当な感じで走り出す。寒さは全然平気で、なんだ冬のNYでも自転車乗れるんじゃん、と思いながら葉の無い木々の中を通り抜けていった。冬の公園は木々に葉がなくて、公園沿いの歴史ある建物がより一層雰囲気良く見えてくる。“あぁ帰りたく無いなぁ”と思った。
浸っていたせいなのかどうかはわからないけれど、公園の上端まではあっという間に着いてしまった。もっとずっと遠い、広い縦だと思っていたのでびっくり。Trekのレンタサイクルはとても乗りやすくて、あの乗り辛かった自転車でよほど苦労していたのかもしれないという現実にこんなに時を経てから気付かされた。ほぼ立ち漕ぎのようなあの自転車で走っていた日々、私はあまりにも自転車で走ることが楽しくて、そんなに大変な自転車ライドをしているつもりがなかった。でも今のこのレンタサイクルのギアチェンジし放題な感じは確かに、公園の丘をものともせず走れちゃうから、スイスイスイ~と気持ちよく走っているうちに公園中を走り切れてしまう(直径訳4km)。
アッパーウェストに行く前に、イーストのグッゲンハイム美術館に立ち寄る。NYで一番好きな美術館。閉まっている時間だったから何となく外から愛でた。そして110、公園の一番上まで行ってアッパーウェストへ。Broadwayまで西に行く。懐かしいし、好きだ。NYに行ってくる、とただ飛び出して、最初に寝泊まりできた場所がアッパーウェストだったことの果てしない幸運を、何度も何度も覚えてきた幸運を再び味わった。仮にNYに旅行に来て、アッパーウェストに何の用事があるだろう?アッパーウェストの界隈に足を踏み入れることなく去る人はそう少なく無いはずだ。でもアッパーウェストこそがNYの、マンハッタンの、生活が営まれている界隈でもあるなぁ。毎日自転車で帰る際のアパートに着く前の最後の下り坂が好きで、そこに着くと動画を撮りながら下った。何をするわけでもなくアパートを路上から見上げて、次はどこに行こうか、と。リバーサイドパークも通ったし、Broadway通りのノスタルジーも味わったし、というかアッパーウェストのBroadway通りの雰囲気がとても好きだな~と再認識しながら通った。信号という信号を無視して進むこの感じも懐かしい。
ハーレムを通過して、再び公園方面へ。気狂い騒ぎがあった晩も懐かしいし、ストリートスナップを撮られた日なんてもう9年前の思い出かと思うくらい昔に感じる。女の子が叫んでいた日もあったし、自転車が盗まれた日もあったハーレム。ものすごくエネルギーと愛を感じるハーレム。ハーレムというプライドが、有害ではないプライドが滲み溢れている気がする。自転車に乗る日はほぼ毎日通過していたなぁ。
公園を下って、やはりあっという間で、そういえば川村さんがいつか行きたいと言っていたジョンレノンが住んでいたアパート、結局見てないからと寄り道をして、崇にNY day2くらいにお薦めされたけど行ってなかったBethesda Terraceにも寄っていくことにした。びっくり、毎日通過していた橋の、その下がBethesda Terraceのタイルの天井だった。どうりで、だいたいその辺通っているはずなのに見かけたことがないのよね~と思っていたわけでした。いつもタイルの天井のその上を走っていたのだった。
Bethesda Terraceにて、次の行き先を考えているうちに、Brooklynに自転車で行っちまおうという発想に至った。ビアンカおすすめのイスラエル料理はランチもやっているので、ウィリアムズバーグでランチをして、家に帰って、いつも20分かけて歩いて行っているパン屋に自転車で行って、とBrooklynで自転車に乗ろう!となった。アッパーマンハッタンは地図がいらない。だいたい走れる。年内にとてつもなく歩き回ったし、それ以上に走り回っていたので。
Brooklyn方面はわからないので地図を見ながら走り出し、Queensboro Bridgeを渡ってRoosevelt Islandを通過してQueensという未知なる土地を走り出す。ノスタルジーツアーの予定だったのに、また新しいことしている!と思いながら知らない景色を走っていった。これがQueensなのか~と思ったけれど、特に足を止めたくなる何かには出会わなかった。大したことなくウィリアムズバーグに到着。調べていたリカーショップでお目当てのカベルネ・ソーヴィニヨンを無事にゲット。イスラエル料理は45分待ちだったので退散して一回家に戻って残りのボロネーゼを食べた。
久しぶりにたくさん自転車を漕いで早くも膝の筋が弱音を上げ始めている。
夕方は崇もチャリに乗ると言うので、崇の行きたいポスター屋さん集合で再び出る。NYに来て最初の週にとりあえず行っておきたいと言って崇と歩いて渡ったBrooklyn Bridge、その時刻はあまりにも混んでいて、なんだかんだで帰るまでもう来ないとかあり得るよね、なんて言っていたけれど、結局その後4回渡った。ブルックリンからマンハッタンに向けて自転車で渡るのは今日が初めてだった。
ポスター屋さんで新居のポスター探し(家具より先にポスターって、順序どうなんだろう?はてなすぎる。)をしたけれど難航し、諦めた崇はCiti bikeを利用開始、電動自転車!ロワーマンハッタンからとりあえずワシントンスクエアパークまで一漕ぎ。道はやや狭くて前後で走っていても話したりはできない。ワシントンスクエアパークも、懐かしいねなどと言って次どこいく?と。アジアンマートに行きたいということでブライアントパークを目指す。
ミッドタウンになってくると格段に自転車が楽しい。自転車道が広く整備されていてマンハッタンー!という景色をどこまでも漕いでいく楽しさはやっぱり抜群で、“マンハッタンでは自転車に乗ることが一番楽しいアクティビティだな”と思い、続いて“マンハッタンほどに自転車が楽しい都市は他にあるのだろうか?”となった。崇は興味も持たなければ観る事もないであろう私の大好きなニューヨーク映画『アメリカンユートピア』の自転車滑走シーンを説明したけど、案の定興味なさそうだった。あ、そうそう、Brooklynはね、自転車難しい。マンハッタンほど自転車道の整備が張り巡らされているわけではないのと、何と言ってもマンハッタンは道が縦と横しかないから、迷う事がまずあり得ない。でもBrooklynはマンハッタンほど均一な網目状の未知ではないので、適当に走っていても大体目的地付近までは行ける、ということにはならなくて、どこの角でどっちに曲がって、何ブロックであっち曲がって、とちゃんと地図を見ないと目的地に辿り着かない。ということでマンハッタンはただただ楽しく乗れる、漕げる。ようやく崇も自転車の楽しさを知ったようであった。
でもCiti Bikeは恐ろしく高いのでほんの1時間ほどのライドで終了。私はそのまま登り続けて自転車屋へ返しに行き、崇は日本食スーパーで餃子の材料を揃えていた。
そうして帰って、餃子作って、ポーカーした。最後の土曜日。寝たのは3時くらい、、、。あ、雪がたっぷり降って、みんなをウーバーに見送った後の2時頃にタバコを持って雪の中でフラフラしたのも良い時間でありましたね。
最後の日曜日の話の前に、金曜日の話もしようか。そうやってほろほろと最近のことを思い返していると結局、みっちり毎日日記を書きたい気分になってしまうねぇ。
とりあえず金曜日。金曜日はPublic RepordでRV tripの日記を書いていた。書き続けたいモードだったけれど、Avishai Cohenの日だったからきっかり切り上げて帰宅。大急ぎでボロネーゼを作った。ハンバーグの残りの挽肉が残っていていい加減使ったほうが良くて。と思ってひき肉を冷蔵庫から出したらすこーし臭った。うーん、アウトかなぁ、と思って崇にセカンドオピニオンを求めたら全然平気だと言われて、うっぷ、、、。本当に?うん、全然行けるでしょ。ということでそのまま使った。私は肉は、明日使う予定がないなら冷凍しちゃう人なので、引き続き異文化体験なり。
そしてあんまり行かないBlue Noteが2時間半前には到着しないと良い席が取れないと読んだので、急いで急いでボロネーゼを食べて、急いで急いでBlue Noteへ。懐かしい、前回ここに来た晩はHIMALAYAN DIALYの入稿前夜で、路上のスタバのWi-Fiから一生懸命原稿のアップロードをしていた。そんなことを思い出しながら覚悟して路上に並んだけれどそこまで極寒ではなかった。崇も会場時刻ギリギリに到着して無事素晴らしい席に着けた。
Blue Noteには私は音楽を聴きに行っているので全然高いお金払って食事をしようという思考回路がなかったけれど、よく考えたら2時間もテーブルで待つ!一人だったら本を読んでいるけれど、たかちゃんの前で一人本を読んでいるのもなんか違うし、結局コニャックをダブルでチビチビした。してたんだけど、なんやかやで食べたくなり始めちゃった二人は、ポテトとサラダを頼んで、なんかずっと食べてるねとなった。
Avishai Cohen Trioはもう、天にも登るほどの至高の晩だった。Avishaiのライブに初めて行ったのは23年の春。それなのにもうすでに5回目のライブ、こりゃ歴としたファンだわね。というのもあるけれど、Avishaiはお世辞じゃなくて本当に日本が好きみたいで、年に2回も違うプログラムで来日してくれるのでよく行けた。そのどれもが本当にぶち抜けて素晴らしくて、かっこよくて、心底好きになっちゃう人たちなのだけれど、そんなTrioのニューヨークライブに行けるというのは、とても嬉しい。元々の帰国スケジュールでは行けるはずがなかったので、あら残念、まぁまたすぐ東京来てくれるだろうから、と諦めていた。でも行けることになって、チケットを買う時たまたま前に崇がいたので誘うともなく声をかけてみたら行くというので2枚買った。
行くと言ったものの彼らの名前もわからない崇は、「なんだっけ?名前」と言って予習を始める。アルバム引っ提げてのジャズライブは予習をしっかりしていくとより一層楽しい。Brightlightをよく予習するようにと伝えたけれど、SpotifyのおすすめリミックスでRememberingに出会った崇、すっかりRememberingとBrooklynのマリアージュに惚れ惚れしていて、何かとRememberingばかりかけていた。「アンコールでRememberingやってくれたら感動するなぁ」などと言っていた。
ライブが始まって、本当に最高で、ガイの指さばきを間近に観ることができる席で、ともかく幸せだった。するとどうでしょう、AvishaiがMCで今日は特別な夜なんだと言う。Roniのお母さんが来ているんだ、と。会場大拍手。Avishaiが指差しちゃってRoni’s mom身バレ。二個先のテーブルに座っている素敵なブロンズレイディーが実はRoniのお母様だった!!!そうとは知らずバッチリ動画に収めてしまった。これはRoniが大好きな母に良い土産話が出来たなぁ~!
そしたらまさかのアンコールはRememberingだった。すごいね。よかったね崇。
崇の本物のJazz初体験がAvishaiだったことは私も嬉しい。私もちゃんと心して行った初めてのJazzライブはAvishaiだった。
Blue Noteを出て、バーに行こうとなったけれど、今自分の中で鳴り響いているこの音楽を消さないバーってどこだろう?となり、Terreに行ってデザートとワインもありだよね、となったのだけれど、閉店まで30分しかなかったので結局サラミとポテチを買って赤ワインの待つ232 St Johnsに帰宅した。これが金曜日。
木曜日はTerreに行った晩です。Avishaiを体験しながら、2晩も続けてこんなにも最上級の夜を過ごしてしまうなんて、そう思った。1晩目の最上級の夜。
木曜日は前から行きたかったBakeriというパン屋カフェに行くことに。なんと片道50分。NYのサブウェイは本当に遅くて遅くて参っちまう。ちなみに自転車で45分の場所。東京だったらあれか?葉山の奥地のカフェにでも出かけるくらいの時間かけるということか?でもBakeriには行ってみたかったのでいざ。Bakeriは素晴らしかった。レジで可愛いオリジナルポストカードをもらった。なんか、ショーケースの中のストロベリーと書かれた何かが『マイブルーベリーナイツ』のブルーベリーパイみたいだったので思わずそれをオーダーした。スコー��だった。ラテとストロベリースコーンの朝なり。贅沢すぎるなぁ、と感じながら、帰国前ならではの財布の緩みを楽しむことにした。本が少し進んで良い感じ。ビアンカにカードを書いた。書いたことはベルの音によるちょっとした思い出しだったのに、ちょうどビアンカ宛ての郵便を回収しにLAの友達が今日家に来る、という連絡が入ったので、ならばこのカードも持って行ってもらっちゃおう、とそこそこでカフェタイムを引き上げて帰った。
夜に外食が待っているので午後は仕事をした。外食。そうなのです。この外食が凄まじく良かった、、、。
発端は崇がマットレスを買う、ということだった。NYではfacebookなどで人から中古品を買うというのが家具入手における当たり前だそうで、ここ数日ずっとマットレス探しをしていた崇はついに買いたいマットレスを見つけたので、バンを借りてマットレスを人から買うからドライブして葉月の行きたいレストラン行こうよ、という事になった。ビアンカが食通すぎるのでBrooklynのレストランの良すぎるリストが溜まっていて、ずっと行きたかったイタリアンに行く事になった。予約は21時。相変わらずのスペイン人モード。
ところで私は誰かが5,6年使ったマットレスはちょっと買えないなぁと思った。と言いつつめちゃくちゃ手伝った。マットレスはとてつもなく重かった。汗だくになってバンに積み込み、ブルックリンハイツの崇宅、まだ契約したのに誰も使っていない伽藍堂のアパートに運び込む。いや重かった。レストランの予約時間が迫っているのでマットレスを放り込んで急いで去る。マンハッタンは車が一番遅い移動手段、というほど混んでいる。マンハッタンやブルックリンの夜景を見ながら車で走って、ブルックリンブリッジをBrooklynに向かって渡りながら、このブリッジを逆方向(Brooklyn to Manhattan)に歩いたNYライフの始まりの時間を思い出し、なんだか綺麗なエンディングになりつつあるなぁ、などとシナリオティックな感想を抱く。車を返した場所からレストランは崇の勘違いにより15分ではなく25分もかかるので、えっさおっさと小走りで歩き続けた。そんな風についたTerre.ビアンカの強いおすすすめ。うちに住みなよ、と最初に言ってくれた会話の時から、近所にすごく良いイタリアンレストランがあるの、と言っていた。その後大量のおすすめリストを送ってくれた時も、トップにまずはこのイタリアン、と言っていたレストラン、Terre.
入り口の黒板に「LIFE IS TOO SHORT TO EAT BAD PASTA & BAD WINE」と書いてあって“So true!”とご機嫌に入っていった。
21時ともなると徐々に人が帰っていく時間、店内は程よく食べ終わった感じに空きだしていて、タイミングとしてはナイスだった。端の方の席について、良いねぇ良いねぇ、と言っていて。ハッとびっくり、ねぇ、音楽ライブじゃん!と。ライブのレコーディングが流れているのだと思っていたのだけれど、違った、本当にライブ演奏が奥で行われていた、びっくりびっくり。
思わず席を変えて良いかと店員さんに聞いたら、ちょっと待ってな呼ぶから、と片付けてくれて奥の、ライブに近い方の席に移動した、ベルムースと赤ワインを持って。
さて、珍しく前日から予約を取っていたレストランの晩だというのにもかかわらず4時頃ランチを摂った崇の失態。まだお腹が空いていないとか抜かすので、知らん!と好きにオーダーした。
ブルスケッタは割と好きでよく作るので、RVでもブルスケッタを作った晩があった。なかなかの人気を博してみなお気に召したようなので気分も上々。そんな思い出のブルスケッタがアペタイザーメニューに載っていたので、ちょっとここは本物を味わって手本にしようとブルスケッタをオーダーした。うむ、書いているだけで涎が出てくるぞ、もう四日も前の晩だというのに。
私の知っていたブルスケッタの概念をことごとく凌駕してくる素敵なブルスケッタエクスペリエンスだった。まず持ってバゲットではなくむっちりほんわりどっかりとした大きなパンが敷かれている。そしてこのお店ではオリーブオイルのテイスティングというメニューもある。気になるけれど、試せるタイミングのないまま、、、。すなわち、大変こだわったオリーブオイルなのである。もう香りからして3呼吸くらい置いてしまう良い香りと美味しいオリーブオイル。にずっっしりと漬け込まれたチェリートマト。あ、ブルスケッタってチョップドトマトじゃなくてチェリートマトをこんな風にただ柔らかくなるまで漬け込むという方法があるのですね!となった。美味しかった。。。。。。。。
メインはラムラグーのRoasted Almond Pasta とGrilled Octopus.
Grilled Octopusが衝撃的な美味しさだった。LAで食べたエビに匹敵する美味しさ。あ、ちなみにワインはナチュールなのだけれど、日本で知っていたナチュールよりもクラシックに近い風味だったのはなぜだろう?美味しいワインと美味しすぎる料理に感激した晩でありました。誕生日にここ来たい。
水曜日は911 memorial museumを目指してWorld Trade Centerに行った。museumは36ドルととっても高かったので、free Mondayに来直そう、と石碑や跡地などを見るだけに留めてチェルシーに移動する。チェルシーのDavid Zwirnerにわこちゃんからぜひ行ってきてと言われた画家の展示がやっているので行った。チェルシーにはいつでも行きたかったのでちょうど良いや、くらいの程度で行ったけれど、面白かったRaoul De Keyser。通りを挟んだGiorgio Morandiもすごく面白くて、目がチカチカするほど凝視した。
そばにあったとても楽しいリカーショップで赤を一本買って崇とビアンカにギフトカードを買った。
そしてルドルフ・シュタイナーの本屋という気になりすぎる本屋に歩いていく。オイリュトミー講座の張り紙があった。なんだかよくはわからなかったけれど日の浅くなさそうな、根付いた感じのする小さな本屋だった。エポックノートや慣れ親しんだドイツの文房具も売っていた。
火曜日のことも月曜日のことも、もうくっきりは思い出せない。でもAnaisという気に入りすぎたワインバーに毎日のように出掛けているので、おそらく行っていたと思う。
日曜日2/2は嶺くんに会った。Ray Suzuki.シュタイナー全員集合。嶺くんに会うのは15年ぶりくらいかもしれない。りかさんには軽井沢で会ったけど。嶺くんは変わってなかった。昔のまま飛び抜けて爆発力があって、ある意味その時代の先を行きたい彼の爆発力が、今、ついに世界と噛み合ってきているんだな、という感じだった。数年後、ひょっとしたらビッグネームになっているかも知れない、そんな感じの爆発力でキラキラしてて、とっても楽しそうだった。とにかく楽しそうだった。楽しく生きることは戦いである、という責任みたいなあのセリフをまた思い出した、頑張って楽しまなくちゃというエネルギーがちょっと沸かされた。いっちゃんおかしかったのは「バズっていう友達がいて、あ、すごい年上なんだけど」と話し始めて、それが実はバズラーマンのことだったっていうのが、私的にはかぶりを振るほどの面白さだった。バズラーマンと友達って、ニューヨークがすごいというよりはやっぱ嶺くんって感じだなぁ、と思った。後日談で面白かったのは、サティアが「嶺は変わらないな、ビッグネームを出せばみんな感心すると思っているあたり」と崇との帰り道に言っていたらしい。そう、ソムタムダーでご飯をした後、私はVillage Vanguardのライブに出かけ、解散した。ちなみに、ソムタムダーをお薦めされた時は、“へぇ、代々木のソムタムダーと名前一緒だ。まぁタイ料理では使いがちな名前なんだろうな”と思っていたのだけれど、まさかの世界チェーンだった。おったまげ~
その後のVillage VanguardのVijay Iyer Trioのライブに偉く心揺さぶられる感動をした。(のに今はもうAvishaiを経ちゃったので…)
さて、ビューンと一週間時間を戻して次の日曜日、すなわち最後の日曜日in New York, 9th February 2025.
起きたのは9時頃で雪景色が楽しみたくて散歩に出た。二日酔いという感じはなかったけれど夜ふかしをしたのとタバコで口の中が不味いのでコーヒーが必要。そんな感じで、あぁ最後の日曜日なんだなぁ、と散歩に出た。雪はそんなに長持ちしそうなのではなくて、春のような雪だった。踏まれる場所は結構べちゃべちゃしている。Prospect Parkはほとんど毎日走っている公園。今日は雪ですっかりと雰囲気が違っていた。ウォーリーを探せ!の景色だ!と誰しもが思うような風景だった。Grand Army PlazaからProspect Parkに入るとまず広がっている大きな大きな広場に、無数のヤングファミリーが遊んでいた。雪なので、スキー用具なので、カラフルなのです。それが、ウォーリーを探せの景色を醸していた。公園内のコーヒー店はずらりと列ができていた。小さな店内は決して忙しない様子ではなくて、マイペースにやっていた。外にこんなにも長い列ができていることなんかぜんぜん気になっていない雰囲気の働きぶりが好きだし、列に並んでいる皆さんの決してイライラしていない感じもとても好き。そう、NYに着いた初日から感じていることだけれど、なんでかな、“みんな”なんか余裕があるんだよねぇ。余白があるというか、急いでないというか、豊かな感じがするんだよねぇ。なんでかなぁ。好きなんだよなぁ。
あ、そうそう、私がNYが好きな理由の大きなところに人の様子、というのがあるけれど、先日嶺くんもNYに住む理由は人だ、と言っていた。でも中身は全然違っていたのがやっぱり面白い。「生活のクオリティは間違いなく日本の方が高いし、99%日本の方が好きなのに、なのに最後の1%のNYの良さが全部をひっくり返しちゃって叶わない(くて自分は10年NYに住んでいる)」と言っていた。「その1%は人なんだよね。日本にはこんなに面白い人間たちはいない。こんなに面白い人たちに出会える機会ばかりのNYはやばい。ぶっ飛んでる(ぶっ飛んでるという言葉が大好きなようでしょっちゅう言ってた、ぶっ飛んでるって。)人がたくさんいて、この刺激が東京にはない」とのことだそうです。それを聞いていて私はタクオミとの会話を思い出した。
タクオミ「一見面白そうって感じた人に限って、その先に面白さがないんだけど、最初は何も感じなかった“普通”そうな人ほど、付き合っていくと面白いなと思うことが増えてくるなと、最近よく思う」
じっくり誰かに出会っていくのか、ほんの15分の出会いで面白い面白くないを判断して生きていくのか、二人の異なる人間を目の当たりにした2月なり。崇は真ん中な気がするなぁ。私は完全にタクオミ派。
さて、飛んでしまった。最後の日曜日の話、どこまでしたっけ。そう、公園内のWINNERに並んでいたところね。ラテと、ついついパンオショコラを買ってしまいましたとさ。コーヒー呼ばれるまで時間かかりすぎて待っている間にパンオショコラ食べ終わっちゃった。でっかなパンオショコラ。雪の公園でこんなにもみんなが外でコーヒー飲んでる感じが好きよねぇ。待ちに待ったラテは結構ぬるくて笑っちゃう。ラテと散歩を続ける。
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さてと、今はですね2025/2/11, 16:39、BrooklynのCafe Mogadorというモロッコ料理なのかな、のレストランでチーズケーキとラテを横にパソコン開いていたんです。そして初めて、自分から赤の他人に話しかけてみました。隣の男性二人がね、ちょいちょいHumanitarian Aid界隈な話してるな~とは漏れ聞こえてくるのだけれど、まぁ最近はUSAIDのこと話してる人たちも結構いるからそんなに聞き耳を立ててはいなかった。でもピピーンと反応しちゃったのがその数分後で、「ガザで撮っている映画」の話しに広がっていっていて、つい手が止まった。途中から聞いていたからよくわからなかったけど、何やらパレスチナの女性のドキュメンタリーを作ってらっしゃる方のようである。一人がトイレに出かけたので、私の隣に座っているもう一人に思わず話しかけた。すごい、私、割とこっちの人の感じになってきたのね、帰る3日前にして。自分の中にある日本人らしさというのかなんというのか赤の他人に話しかけにいく勇気はやはり奮い立たせないと出てこなくて、これまで何度か諦めたことがあったけど、今さっきはなんだか普通にいけた。数ヶ月前にカフェで本読んでいて突然おじさまに話しかけられたことを思い出して、あの逆の流れだよね、イケる、となんかの踏ん切りがついて急に話しかけた。
そうなんだよ、今パレスチナに関する映画を撮っているけれど、この状況になってあと2年は完成しないと思う。と白髪でブルーグレーっぽい目がキュッと奥に潜んでいるおじさまが言う。「興味があるんだね?」と。「日本のNGOで働いていて…」「日本のどこ?」・・・
あなたは映画を作っている方なのですか?「そうだよ。というかこの辺りに住んでいる人はほとんどみんな映画関係者だね」「みんな!?」「ははは、ちょっと言い過ぎかな、でも多いんだよ。彼も映画監���だよ」(と目の前に戻ってきた男性を指す。『Dirty Wars』という監督作ドキュメンタリーをお勧めしてもらった。)
そろそろ帰らなくちゃ!今日は新人研修があるのでタイトなスケジュールです。
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ラテ散歩から帰って今宵も予約したレストランからの逆算で出かける。夜出かけちゃうので日本の月曜日がくる前に片付けるべきパソコンごとを片付けていたらあっという間に時間が来てしまって、ブッシュウィックはやめてそのままウィリアムズバーグへ行こうということになった。DAMBOに行ってDAMBO散歩して、ウィリアムズバーグまで歩く。1時間以上もかかるなんてちょっと計算外だったけれど歩き始めちゃったのでそのまま歩き続けた。
昨日自転車で漕いだ辺りも逆行して歩いていったりしながら、よく歩いた。その中で、ハシディックの区画を通過することになって、二人ともその異様な雰囲気にかなり困惑した。ニューヨーク、中でもブルックリンでは本当によくユダヤ教の人を見る。瞬時にみてわかる服装ともみあげ(って言い方で良いのだろうか…)、女性の様、あまりにもよく見るけれど、何か引っかかることはなかった、これまでは。ハシディックの方が多い界隈だと、あぁこの辺はジューイッシュ界隈なのだな、くらいにしか思っていなかった。でもウィリアムズバーグに向けてネイビーヤードを50分くらい歩いている中で、異様なハシディックの世界を通過して、二人ともあまりにもわからないことが多すぎて困惑した。みんなのガラケーの使い方に違和感を感じる。凄まじい数の幼稚園児くらいの子供たちが皆ヘブライ語で遊んでいて、一様に真っ黒なその服装の集合体。家並みの閉塞感。東西分断時代の東ベルリンなのかここは?というような閉塞感あるマンションは、ニューヨークの中ではすごく異様だ。みたことないほど飲食店がなくて、スーパーも全然ない。コマーシャルボードが全くない。工場地帯のような静かな景色と、全くニューヨークらしい開放感が消し切られた閉塞感ある建物に雰囲気。なんなんだ!?ここは!?
と歩き抜け、今夜はハシディックを調べよう、ということになった。
そうやってウィリアムズバーグに到着し、「あぁ、なんかやっと呼吸が楽になったね」と言い合った。
ドミノパークに行ってまた一通りノスタルジーを覚える。ドミノパークは、NY day2に歩いてきた場所だ。あの頃は半袖を着ていた。今はアイススケートパークが楽しげで、雪景色のドミノ。気になる本屋があって入り、これ以上荷物を増やしてはいけないと本屋に入る度に思って、結局また買いたいものを手に取って、レジに持っていって、カードで払いたいと言ったら1ドルだから良いよそのまま持っていきなと言われる。
ご機嫌に到着した今宵のレストランはHave & Mayer.ところで今夜はスーパーボウル。アメリカの一年で一番大きいイベントの一つとのことで、レストランがガラ空き!!!スポーツバーに人口が集中している。そうか!予約の取りづらいレストランはスーパーボウルの日が狙い目なのか!と気がつく崇くん。
Have & Mayerは行かないわけには行かなかった。ビアンカの究極のお勧め。本当に大事な友達かめちゃくちゃ気に入った男の子しか連れて行かない究極のデートスポット、という説明でお薦めされたレストラン。インテリアデザイナーもしているビアンカがそこまでいう空間を、覗かずに帰る訳には行かないよねぇ。
素敵だった。隠れ家的なくすぐられる素敵さと、ちょっと特別な感じとカジュアルさのバランスが絶妙で、どっちのテンションにもなれる。アンティーク調なインテリアと植物のバランスも可愛かった~
あとは最初から最後まで楽しんでいたのは、全ての(アンティーク調な)ワイングラスが全部違うの!どのテーブルにも最初からグラスが置かれていて、見渡す限り全部違うグラスだった。見ていて飽きない。。。
食事はお高め。一番高い外食だったな。
なすが大好きな崇くんを前に、Grilled eggpluntから目が離せなくなった我々。それからTerreのGrilled Octopusの感動を引きずり続けている我々は食べ比べと評してGrilled Octopus、お姉さんの激推しだったので。どちらも小ぶりの上品な皿だった。崇の表現ではこちらのGrilled OpctopusはTerreのよりも全体を均一にグリルされているのが良いとのこと。Terreは太さ細さによってグリル加減が変化していてそれが良い、とのこと。Terreの一皿の感動は付け合わせにもあるのよね、ちょっとフムスっぽいビネガーの効いたあの付け合わせはなんだったのか、、、。「帰ったらGrilled Octopusやってみよ~」と私。「日本帰る前にやってみようよ」崇。メインはSmoked Mozzareraのパスタ。ニューヨークの本物イタリアンは全てパスタは自家製のようですね。それからナチュールワイン。ナチュールだけどPas Loinのナチュールよりもクラシカル寄りなんだよなぁ。Smoked Mozzareraを味わいながら、またまたRV tripの炭火焼とか言って楽しんでいたBBQに思いを馳せる我々であった。
レストランは兎にも角にもガラガラで、隠れ家席の裏に座っているゲイカップルと我々くらいしかいないのでお姉さんがもうぱっぱぱっぱ来ちゃって逆にのんびりできないというカラクリの時間だった。ガラガラだからのんびりできるね!という最初のアイディアは食べ終わる頃には無くなっていて、誘われるままにティラミスを食べ終えた我々は、次どこいく?という話になる。結局、Terre行って食べ損ねたブラータとプロシュートのあいつ、食べておく!?という冗談調なアイディアに即決した我々。てくてく歩いて再びTerreへ。やっぱり大好きすぎる。
「Biancaが究極のデートスポットをこっちじゃなくてHave & Mayerにしたのはわかる気がするなぁ」と崇。「なんで?」と私。私はどうもTerreの方が好きだ!Have & Mayerももうそれはそれは素敵極まりないのだけど、ちょっと素敵すぎちゃって笑 Terreくらいアットホームな雰囲気で中身は至極の料理を出すお店によりグッと来ちゃう。「Have & Mayerの空間の作り込み方とかは確かにTerreのカジュアルさより究極感あるじゃん」と崇。でも俺もTerreの方が好き、とのことでした。34歳の誕生日にTerreに来たい、という目標を定めたわたくし。ブラータとプロシュートのプレートには先日のブルスケッタに乗っている例のトマトがついてきて最高でした。ワインもベリグッドでした。贅沢すぎる!という持て余すほどの贅沢をひたひたに味わい尽くして帰宅した。
Netflixでハシディックに関するドキュメンタリーを観たけれど、謎がより一層深まったのと私はちょいちょい寝落ちた。
そうして翌朝が、このpagesを書き始めた2/10になると言うことですね。読みづらいなぁ。まぁ良いか~~~
月曜日、2/10の朝はプロスペクトパークのジョギングをしてからパン屋に行くと午前中が勿体無い、と言う限られた時間を感じてしまうモードに入っていたので、パン屋に走って行く、と言う一石二鳥コースを実施してみた。パン屋までは歩いて片道20分くらいなのでジョギングコースに最適では?とザック背負ってジョギング。でもやっぱり公園を毎日走れちゃう最高の環境だったので、通りを走るのはそんなに気持ちの良いものではなかった、信号に、通行人に、凍った歩道に。大好きすぎるこのパン屋も、これで最後になるのかなぁ、と言う気持ち。
引き続き大好きなAnaisに行って昨日サボった分の仕事と、ここ最近の振り返り上記を書き、そういえばすっかり911メモリアルミュージアムのフリーチケット取るの忘れたなーとなった。パルミジャーノレッジャーノを買って帰ってリゾの晩。『アンオーソドックス』Netflixのハシディックのドラマを一気見した。
火曜日はウィリアムズバーグに出かけてTrader’s Joesでお土産を買って、Bakeriでバゲットを買って、カフェがどこも混んでいたのでCafe Mogadorに入ってみた。コーヒーだけのつもりだったのに空気感に飲まれまくってチーズケーキをオーダーしてしまった。至福のティータイムであった。上記の続きを書いて帰って新人研修やった。20時半に新人研修が終わってブイヤベースを作り始めた。今夜何食べる?話をしていて珍しく?崇が海鮮にしよう、と言うので使われてなかったサフランの出番とばかりにブイヤベースを提案。私がCafe Mogadorにいるうちに崇がブルックリンハイツの気になっている魚屋さんに行ってくると言って、私はセロリを探し求めて結局ユニオンで見つけた。ニューヨークの海鮮は軽井沢ツルヤの海鮮には叶わず、思ってたほど魚介スープの濃さが出なかったけれど、美味しいワインがあるので結果オーライな晩だった。
てな訳で、書きかけを重ね続けた今は2/12の17:20 at Anais. 間も無く、帰らなくては。
最終日の水曜日、本日は昨夜雪が降ったので朝から散歩に出た。こんなにも帰るのが悲しいなんて、生まれて初めての感情である。日本には友達もいて家族もいて温泉もあるけど、まだニューヨークに居たいねぇ。結局後ろ髪引かれちゃうのか単に散歩が好きなのか2時間半くらい散歩してた。サンフランシスコからBrooklynに来たのが1/5の晩で、その夜はVillage Vanguardに行った。翌日の11時に、ビアンカの友達のペットグッズを作っている作家さんに会いに行ったカフェが家から徒歩15分くらいなので、久しぶりにそのカフェに行ってラテを持って散歩しようというアイディア。ビアンカの友達さんとはなんか英語が話しやすくて楽しく話したカフェ。我が家のワンコ4匹に特注リードをオーダーしたカフェ。浅野忠信がガッツポーズしている写真が一面にある新聞がぺろりんとテーブルに置かれていたカフェ。あの日も雪だったというかあの日の雪が結局ニューヨークで見た一番素敵な雪景色だった。あの日はまだ、これからもっと雪が降るんだろうな、楽しみだな、と思っていた。その2日後に西海岸に戻ることになった。あの束の間の、「これから残りの期間、ブルックリンを楽しむぞ!」と思っていた、不思議なサンドイッチの具材みたいな印象になって残っている束の間の数日間に散歩していたあたりを散歩した、最後の日の朝。
そのカフェにはペットグッズを受け取りに1/7にも行ったのだけれど、持ち帰りでオーダーしたのは今朝が初めて。蓋に書かれた「Hazuki」がなんだか可愛い。ラテはミルクの配分が多すぎて、エスプレッソ風味のホットミルク、みたいな飲み物だった。ラテを片手にカメラを2台首から下げて1時間半くらいプロスペクトパークを散歩した。思考が捗ったというか考え事をずっとしていたけれど何考えていたのかあまり覚えていない。気持ちの良い飽きることのない散歩だった。公園の雪景色って、別にニューヨーク感ある景色かというとそうでもないのに、好きなものは好きなのよね、と独りごちた。雪でもランナーがたくさんいて、犬はより一層楽しそうにしていて、鴨は今日も勇ましいほどの集合をしていた。
散歩から戻ったら通りにエドがいた。あれ?エドの話ってこの日記でしたことがない!?エドは同居人ね。まぁエドの説明はいつかするとして、ともかく、通りでエドと、「なんでかね、またゴミ回収されなかったね」と話してから「ところで明日はバハマに何時に出るの?」と聞いたら「朝なんだよ8時とか」と言うので、「私も明日、朝早く出る」と言ってウーバーに乗るエドに分かれて帰宅した。
シャワーを浴びて、荷造りを始める。始めようとして盛大にかっぴろげたんだけど、お腹が空いて待てない崇さんが「ブイヤベーススープでのリゾットの作り方教えて。教えてくれたら作るから。」と言うので降りていって(あ、部屋は3階。共有キッチンは1階)リゾを作った。美味しかったけれど、やっぱり海鮮の濃度が足りない。崇が日本に次に来たら、軽井沢ツルヤの海鮮でちゃんとブイヤベースを作って食べて欲しい。
パッキングに戻って、過去にワインをお土産に持ち帰ろうとした自分を憎んだ。難しいし重いし!!!ワインってとてもよろしくないわね、持ち帰ろうとするの。絶対入り切らない、と怯えてかかった荷造りだったけど、なんとかなりそう。まだ持ち上げてないので最後の不安は残っているけれど。
荷造りの目処が立ったので大好きなサワドーを家に持ち帰ろうと買いに出かける。家から20分。WINNERからAnaisまで40分。1時間も歩いていたとは思えないほど、噛み締めていたらあっという間だった。one last sip of French Perl at Anaisと出かけてきたのが今ということです。
ビアンカに感謝の手紙を書いて、この時空が行き交いすぎている日記?の後半を大急ぎでここまで書き殴った感じ。RV tip日記は、日本に持ち帰りたくなかったけれど、仕方ないね、日本でのんびり回顧しましょう~。
さぁ、帰らなくちゃ!!!
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newyorkdiary7th · 5 months ago
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旅の間に唯一書いたRV trip日記の断片。
日記を書くことが大好きだ。
ニューヨークも大好き。
でもどちらも一言で理由をうまく言うことができない。むしろうまく説明できない良いものは大体大好きになるのかもしれない!
はて、この一週間(今は2/2)は極力時間を割いてエアビー旅を書いていた。どちらのバージョンも読んでみたい。この(LAも挟んだ)ひと月以上後に書いている思い出し日記と、もしあの日々に書けていたらどんな言葉が残っていたのか、と。いずれも行った場所や食べたものは変わらないのに、その事実を纏う感情や言葉は、違うものもありそう。こうして結果的にビアンカの家に泊まっている今と、そんな未来を梅雨とも感じていなかったあの最初の日々の中で書き残した日記には、どんな違いがあったのやらなかったのやら、そんな辺りが気になる。
RV trip: 26th Dec
12月26日は大移動というかシフトチェンジの日というか記念すべき人生初RVの日。
朝、Pollock Pinesを出てきたという事実が少し信じ難いような気がする。荷物詰め込んで、2泊ってこんなにも物足りないのかという気持ちにもなりながら、サンホゼに帰る。
車の中では買い出しリストのアイディアを出し合う。サンホゼについてからの身の振り方も相談し合う。任せっきりで全然知らなかったのだけれど、そもそもRVの予約では大人4人と子供2人、という登録をしているとのことで、全員でピックアップに行くのはないよね、でも運転手は登録したほうが良いね、などなど。誰が受付時にキャンピングカー屋さんへ行くのか、誰が買い物に行くのか、最適な動きをシュミレーションし合う帰路。
あーそっか、朝のコーヒーを買いにカフェにも寄った帰路だった。コーヒー欲しい、とカレンが言って、オンザウェイの珈琲屋を見つけたから行こうということになってナビに従って行ったら、なんということはないただの閑静な住宅街のどこでもないどこかにたどり着いて面白かった。目的地と思っていたポイントへ近づけば近づくほど、こんなに街から離れた場所にあるカフェってどんななんだろうとみんなが胸の内で思っていた。で、ついたところはなんでもなくて、「なんで?」とカレン&みんな。結局そこからそう遠くないカフェに行った。そのカフェがとってもとっても良かった。ただコーヒーを買うだけなのが勿体無い、また行きたいけどかなりの高確率で二度と一生行く事のないであろう場所のカフェだった。一応mapに星つけておいた、Moonraker Coffee Roasters。ふと今書いた一段落を読み直していたら思い出したカフェがある。10年前のイギリスの田舎の、人里離れた場所のカフェ。カフェなのかダイニングなのか覚えていない。自転車旅の最中に寄ったカフェ。あれは現実なのか夢なのかも朧げと表現したくなるくらい、手の届かないどこかにある、あった、時間だった。何年かに一度思い出すことがある。この朝のカフェで思い出したかどうか全く分からないけれど、日記を書く楽しさはおそらく、ただ事実をしたためるだけじゃなくて、その事実・行動によって自分は何を感じて考えていたのかに、面白さを見出している気がする。その整理をする行為が日記を書くと言う行為の本当の楽しさかもしれない。
サンホゼの家について、nice to meet you Naoya. 第一印象は、人見知りのなさそうな人。その場では私とビアンカがナオヤと初対面。他の二人とは旧知の仲だから、そう言う環境で生じる人見知りのなさもあったのかもしれないけれど、普通にそつなく話す事のできる、男子、と言う感じの人という印象だった。5月までアメリカに2年住んでいたという。
ひたすら無駄な時間の無いように、と荷造り。というかまぁナオヤはいつでも出れるし、私とビアンカもほとんど荷物は変わらない。ナパワインは置いていく。
崇とカレンが服やら何やら何から何まで荷造りのし直しをして、ビアンカがせっせせっせとカレンのキッチンから旅で使えるものをパッキングする。私はちょっくら仕事をば。
そしてみんなでIndie Campersと言うサンフランシスコのRVレンタルに向かう。向かう途中で薬局に寄り、使い捨てフィルムカメラを2つゲットするカレン。40ドル。
Indie Campersには早く着けそうだったので、崇がとにかくおすすめしているサンフランシスコだけにあるバーガーチェーンでお昼を入手。Super Duperと言うバーガー。ビアンカはIn-n-Outを食べないでNYに帰るなんてあり得ないからね、帰る前に食べなね、とよく私に言っていて、その度に崇が、いやSuper Duperが美味しい、と言っていた。みんな好きねぇバーガー。
サンフランシスコはゲイカルチャーの発展がとても早かったことや、環境意識も昔からマインドセットがあったという。で、Super Duperはスローフードを掲げるオーガニックなバーガーチェーンという事だそうです。六個のバーガーを買ったボックスはなかなか迫力あった。トランクにその箱を積んでいよいよIndie Campersへ。
路肩で、またもトランクを台にして、みんなでバーガー頬張った。タクオミが到着。いろんな事が記憶から溢れていくのに、なぜかこの集合のシーンはとても克明に記憶している。潜在意識が躍起になっていたのかもしれないね、“始まるんだ!”と。
タクオミが通りの向こうからだんだん段々と近づいてきて、みんなはバーガー食べながら手を振った。2週間以上ひどい風邪で寝込んでいた病み上がりのタクオミは、絶賛鼻声だった。キャンプ椅子を肩から下げて、トランクとリュックサックで現れたタクオミ。日本人の量が多くて、最初からずっとビアンカが何度も言っていたのだけれど、人生でこんなに日本人と過ごすのは初めてだ、と、また言っていた。
ところで先日、崇にこんな話をした。「崇は男子と話をする時全然口調が違うよね」と。すると崇はびっくりしていて、全然気づかなかった、恥ずかしい、とめちゃくちゃ恥ずかしがっていた。いや気付いてないと聞いてめちゃくちゃびっくり。全然違うんだもの。簡単に言えば言葉使いが悪くなる。崇・ナオヤ・タクオミ、が集合するともうそこには、男子ー!という空気がムンムンしていて、急にカレンとビアンカと私の中に何やら連帯感が芽生えた。人間心理は面白い。日本語が増えて、台湾語が増えた。
ここからは二手に。崇・カレン・タクオミが在米者かつアメリカの免許を持っているので受付することに。他の3人が買い出しに。
カレン宅とIndie Campersは車で30分くらい。遠く無いけど近くはない。その距離を買い出しに向けて走り終わるまさに直前くらいに、レンタカー組から電話がかかってきて、あと3-4時間は出発できそうにない、と連絡が来る。受付の対応が酷く、今日は混んでいて、前の人の返却も遅くて、掃除とかに時間がかかるから予約時間には間に合わない、ということだった。酷いね、となってとりあえずとんぼ返りしてみんなを迎えに行くか、とUターンをして戻っているとまた電話がかかってきて、掃除を自分たちで手伝うから早く貸出してくれ、と交渉したから迎えに来なくて良い、買い出しをして家に戻っていてくれ、という内容だったので、もう一度Uターンをしてまたアジアンスーパーに向けて走り出した。コメディみたいに私たち3人の乗った車はあっちこっちあっちこっちと動き回った。
ヤッホー。今は2月4日の13:19。もう何度来たのか数え切れないほど楽しんでいるワインバーで、今日もアイスコーヒーを啜っている。一昨日サブウェイの中で崇とこのページに書いていある時間の話になった。
「どこまで書いた?」
「まだRVtripが始まってもないよ。なんかあのみんなでバーガー食べていたあたりがすごく記憶に濃くて無駄に文字数割いてしまって進んでない。」
「俺もあそこすごい覚えてるんだよね」
「なんか、目に見えない、始まるぞ、という感情が結びついたんだろうね
ところでさ、あの二手に別れた時に、鍵がどうのこうのとか、あったじゃん。全然細かいこと覚えてなくて、ただただ車で右往左往したことは覚えているんだけど。鍵の話覚えてる?」
「なんかあった気がするね。タクオミが集合した瞬間のことはすごい濃く覚えてるんだけど、その後のこと曖昧だわ。
あ!あったわ!俺、ビアンカに鍵渡したの思い出した。」
「やっぱあったんだ、あったかも!」
「あの時はまだ全然受付の人と話しさえできてなくて、で、ビアンカに鍵渡して、しばらくしてから掃除終わるまで貸出できないとか言われて、ずーっとカレンとタクオミと事務所で座って話してたんだよね。何話してたのか全く思い出せないけど。」
上記〈〉で囲った段落のことがちょっと曖昧で、鍵がないとかなんとかなったのに結論覚えてないからぼやっと書いた。でも崇と記憶を掘り起こしていて思い出してきた。
バーガーを食べ終えて、じゃぁね、と二手に別れて。ナオヤが助手席で、私が運転して、日本語で喋ったり、ナオヤとビアンカが一通り喋ったりしながら30分近くかけてスーパーの方に向かっていて、ふと、誰が言い出したんだったか、多分私じゃないけど、「てか、買い物終わってもアパート入れないじゃん、鍵、彼らが持ってるじゃん。」となった。それで1回目のUターンだった。またまたハイウェイ飛ばしてみんなでバーガー食べた通りに戻って路駐して、ビアンカが鍵を取りにレンタカーの受付にいる崇の所に行ってきた。2度目の出発をして、その道中で、私は3-4時間はまだRV借りれな��、と上記で書いたけれど、一昨日崇に聞いたら3-4時間なんてもんじゃなくて、5-6時間はかかるって言われたとのことだった。もうすぐスーパーに着く、というあたりで崇とビアンカが電話して、ビアンカが「えぇ!」みたいな反応をしていたので私とナオヤはビクビクしていたのを思い出す。5-6時間は貸出できないと言われて、じゃぁ自分たちで掃除手伝うから、という話になったということだった。RVの掃除はなんだかんだ言って楽しかったそうです、一昨日初めて聞いたけど。
あの日はアメリカンピーポーはみんないかにして掃除した分を割引してもらうのかの交渉の話で盛り上がっていた。ので、そもそも掃除を楽しんだという感情は全く知らなかった。
私とナオヤとビアンカは、アジアンスーパーで一通り買い物をする。台湾ビールの瓶とアサヒビールの缶。日本酒。巨大なポッキー。果物。鍋やカレーの具材やらなんやら。アップル本社のすぐ裏手にあるスーパーでナオヤが興奮していた、昔アップルでバイトしてたらしい。他の3人からはこの辺りでゴム手袋してキャンピングカーを掃除している動画が送られてきた。
家で待機していてもなかなか帰ってこないので、RVが到着したら出来るだけスムーズに出発できるようにと、荷物を駐車場に運び出した。車も倉庫のように使って色々乗せておいた。
今日は3時間ほどの移動なので、今夜は明るいうちには着けないね、という時刻になっていった。ナオヤは本を読んでいて、私はもうできないと思って切り上げていた仕事のパソコンを開いたり、HIMALAYAN DIARYの第二版の仕上げなどをしていた。
出発したよーという連絡が入ってから1時間弱、どんどん夕暮れになる時刻に、RVがカレンの家に到着した。早速後ろのてっぺんが車庫に軽くぶつかってておっかないのなんの。大層でかい。
テキパキテキパキ手分けして荷物を運び込む。家から車から、どかどかどかどかと積み込んでいく。カレンのバルコニーからビーチチェアとバルコニーテーブルを持って行くか否かで私と崇の意見が割れた。崇は要らない。私は、持っていっておけば良いじゃん!という派。だって、荷物スペースいくらでもあって、たとえ使わなくても邪魔にならないのに!とゴリ押しして持って行くことになった。みんながそのやりとりを笑っていて誰も意見を述べなかった。(レンタルの椅子は4つしかないのです。)テーブルは絶対キャンプの時に役立つという判断。
とにかく、広いね、というのが最初の感想だった。こんなにスペースあるんだ、キャンピングカーって、という感じ。犬2匹が一つのソファの左右に括り付けられているのが最高に可愛い。いざ、出発。12月26日、16時23分。始まるぞーっ
運転はたかちゃん。始まるぞーとは言っても、まずはガソリン入れなきゃだったりスノーチェーンを買わなくてはならない。崇くんの運転のせいだとは思わないようにしていたのだけれど、RVはものすんごい揺れる。震度8くらいの感じ。立ってられないレベルで揺れて、棚という棚からいろんなものが落ちてきた。ちょっと待ってー!となったけれど、既に車道に出ていて、巨大なRVを路駐できる場所がない。タクオミがとっさに荷物から靴下を引っ掴んで戸棚の取手を縛る。「ちゃんと洗ってあるやつだから」byタクオミ。ヌヌがすっ転んでペシャンコになる。とにかく大慌てでキッチンあたりの出ているものをシンクの中に沈める。
開始早々にあまりの揺れと、轟音で、ワクワクよりもどうなっちまうんだ感に見舞われる。なんと言ってもラーメンがビビりまくっていて可哀想すぎた。骨の髄まで震えていた。頼むからもう少し優しくアクセル踏んで~と思うけど、言えないよね、RV運転したことないので加減を知らないし。もう信号が青になったりすると構えの体制になる、クル、、、!と思って掴めるところを掴んで飛ばされないようにする。そんな感じのスタートを切った。
スノーチェーンを買うまでが長かった。普通の一般道を曲がることが結構困難なのである。なので、普通のナビに案内されて町中を走ることができない。ナビに曲がると言われているところで曲がれないので、広そうな角を探して大きく大きく町中を曲がりまくった。崇が一番焦ったというシーンはUターンを試みた時。今にして思えばRVでUターンなんて絶対不可能なのに、まだ開始15分の私たちは誰も指摘しなかったのでえらい事になった。Uターンしようとして交差点止めてた笑 クラクションの嵐浴びた。笑
タクオミが冷静に、良いから慌てないでゆっくりで良いからぶつけんなよ、と優しいパパになっていた。
外はもう真っ暗。スノーチェーンは200ドル近くしたけれど、保険だと思って仕方ないね、と。使わなかったら返却できるし、と。
本当の出発を切った時刻はもうすっかり暗かった。カーブでは冷蔵庫の扉が開いて中身が全部飛び出してきた。運転手も、乗組員も、だいぶ慣れたけど、先は長かった。高速道路のうるささは本当にすごかった。音楽も全然聴こえない、音量マックスなのに。とっても退屈で寝るしかできなかった。そうしてある時、台湾ビールが冷蔵庫から飛び出してきて、割れた。6本飛び出してきて、割れたのは1本だったから、まぁまぁまぁ、という感じだったけど、ガラスの破片の飛び散った床とビールのベタベタが最悪で、着いたらいの一番に掃除をした。
真っ暗で雨の中、運転お疲れ様でしたのまき。到着時刻は分からないけれど20時過ぎかな。まっっっっっっくらで、怖かった。RV parkというRVの停められるキャンプ場なのだけれど、そんな時間に受付もちゃんとやってないし、雨だし、街灯が全くなくて、どこ!?!?という感じだったけど、タクオミと崇がぱっぱと動いて無事自分たちの番号のパーキングスペースに到着した。Yosemite Pines RV Resort。
割れたビールの掃除をして、カップラーメンを食べる事になった。今日はもう遅いから、カップラーメンだねって、誰が言い出したのだったか、私は内心、えぇ~だった。ええやん、手分けして準備したらものの30分とかでご飯できるだろうに、と。結果ラーメンで正解だったんだけどね。
男子がhookupを頑張ってくれた。電気とガス、水栓を繋ぐ。
カップラーメンはナオヤが作ってくれた。辛ラーメンと辛くない辛ラーメン。いずれにせよ辛いって言う。21時半ごろラーメン食べてる写真が残っている。ただただ楽しかったな~。これが最初の晩なのか、と言う感情があった。みんなでいることは不思議なくらい当たり前の感覚なのも面白かった。まだ出会って半日とかのメンバーなのに、なんかこう一緒に乗り越えなきゃならないことが多すぎたのか、不思議な調和があった。あとはやはり、犬が偉大。可愛いね~可愛いね~と入れ替わり立ち替わりに2匹のキャラの違いすぎる犬を愛でて、そこに人間的な会話が不要になるという偉大さがあったと思う。
ナオヤが成田空港で買ってきたロイスのチョコレートを食べながら台湾ビールを消費した。瓶ビールはRVに持ち込んではいけないねと学んだね、今夜飲んじゃおう、と言う事になって。
そしてポーカーナイツが始まった。寝床をかけてポーカーしようと言う事になった。買った人から取りたい寝床を決めて行くと言うことで。ポーカーは、勝負に出る時に、やっぱりリスク次第で動きが変わる。私も崇も、えぇ~所詮寝床でしょ、どこでも良いもん、みたいなこと言いながら結構ふざけた勝負に出た。本当にひたすらビール飲んだ。なんか、飲めた。
結局ナオヤが大勝ちして、俺絶対ここ~!と嬉しそうにシングルベッドを確保。2,3番目だった私はロフトを確保。いや絶対一位でもここ選ぶんだけど、と言うどう考えても好きな場所をとれて嬉しい。ビアンカが一緒でも良い?ってロフトに決めて、カレンがシングルベッド、崇とタクオミが奥のダブルベッドと、とっても順風満帆に配置が決まった。タクオミはいびきが凄いらしく1番のはずれは崇だ、と言うことで騒いでいた。
ベッドも決まったし、寝支度しますか~と。私は全然シャワーなしで寝れちゃうタイプだけど、全くそんなこと絶えられないタイプの人もいて、三々五々シャワーやらなんやら行動する。キャンピングカーにはシャワーがついていて、でもキャンプ場にもシャワーがある。
ビアンカがまずは試さないと、とRVのシャワーを試していた。私はキャンプ場のシャワールームを確かめに雨の真っ暗のキャンプ場に繰り出した。案外すぐシャワー棟に着いたしシャワーもトイレもすごく綺麗でびっくり。なんか思っていたより全然サバイバル感物足りないんですけど!と言う感覚になった笑 環境良すぎるやん、と。みんなに写真を送ろうとしたけれど電波が弱すぎて一生写真が送れなかった。
ところでGmailアプリって一番電波強いアプリだと私は時々おもうのですがいかがです?この頃だった、菊池の姉さんからバングラに行きそうだという連絡が来たのは。LINEで写真は一生送れなかったけど、シャワー棟の付近で繋がった電波が、姉さんからのchatメッセージをキャッチした。普通に返してからちょっとずつ電波が悪くなって、「ヨセミテにいて電波悪い」って伝えて朝起きたらデジタルデトックスしてきてって言われてた。
1時前に寝たと思う。
あ、ナオヤのベッドは、普段はテーブルと差し向かいの2つのソファになっている場所がフルフラットになって一つのベッドになる、と言う場所で、フルフラットにするのが大変だった。カレンのも日頃ソファの場所だけど、そっちは結構簡単にベッドに変えられた。私とビアンカはずっと布団も出しっぱなしでOKの誰も使わないロフト。寝床へは毎回上り下りが必要だけど、特に大変なものでもないし、荷物のそばで寝れるのも何かと楽だった。
RV trip: 27th Dec
朝はシャワーを浴びにシャワー棟に行った。キャンプ場の雰囲気がやっとわかって、とても良い空間だった。木々は、深い森というよりも、どこかオンザロード感のある木々。なんだそれ。なんか杉が多くてね。私どちらかというと杉じゃない木が好きなのでね。
RVの電気がうまく付かなくて、人間は電気がないとこうも何もできないのだねというお決まりの話になる。ガスはつくのだけれど、火はものすごく弱いのでお湯を6人分沸かすのは大変時間を要する。電気がつかないと持ってきたケトルもただの物質。
外の隣の車のスペースの電気も借りちゃおうという事になって、外で炊飯器をつなぐ際に。持ってきたカレンのバルコニーテーブルが役に立ってそら見たことかというくだりをした朝ごはん準備。味噌汁とご飯。ふりかけ。残間さんがNY行ってらっしゃいとふりかけをくれて、はるばるキャンピングカー旅で台湾人たちの胃に収まった。私はサンホゼでよく食べた梅ふりかけ。
ここで面白い記憶の残り方をしているのが、象印炊飯器のメロディー音に関するもの。炊飯器で米炊きの準備をしていたのは外にいた人たちで、私は中にいたのでそのメロディーを聞いていない。なのにすごく覚えている。外にいた人たちが、「この大自然の中で鳴る炊飯器の電子音楽の間抜けさやばい!」とわざわざキャンピングカーの中にいる人たちに説明しにきて、自分では聞いていないのに、それがどんな風に響いたのかを共感した。それ以降、象印の炊飯器の電子音楽を聞くたびに、あの日のキャンプ場を思い出す。
さて、夜ご飯はカップ麺で、と急いだ人たちなのに朝ごはんはのんびりと準備して、時刻はすっかり10時過ぎ。今日ってヨセミテでハイキングするんじゃなかったの?と内心思いつつ、集団行動って感じだわ~と楽しむ事にしていた。崇は心なしかちょっと急いでいた。みんなのムードというものがあって、みんなそれぞれ協調性の塊で、様子見合っているからこそのあまりテキパキとは進まない。やばいね、もう10時半だ、とか崇だけ言っていた記憶がある。私は既にハイキング案はないだろうな~とか思っていたので、まぁwe’ll seeね、というマインド。
運転です!人生初キャンピングカーじゃー!
まずはパーキングスペースを出て、排水場へ。ダークウォーターとグレーウォーターと呼ばれるトイレシャワーの排水と、シンクの水を出す場所につなぐ。特に難しいこともなく、事前情報でこの掃除が大変だ、みたいに聞いていた崇は一安心。なんてことはないじゃん、こういう感じなのね、というムード。
さて、出発。異常なほどゆっくりアクセルを踏んで進む。助手席には崇。
道を走り始めてナオヤ、「これって、崇の運転が荒すぎたって事だったんじゃん」と。特に後ろでてんやわんやはしなかった。まぁ昨日散々体験したからこその慎重な運転だよね。
とはいえ、ナショナルパークに入ってからは結構焦る。そんなにのんびりしていられなくて、観光地だから車の列がすぐできちゃって、ダークウォーター流すね、とか冗談言いながらよく路肩に避けて後ろに溜まった乗用車の列に先に行ってもらって、で、また発進するのにアクセル踏まなきゃでいちいち揺れて、と。急にブレーキ踏まなきゃいけない時も結構最悪で、観光地ではよくプチ渋滞が生じていて、乗用車だったら軽くブレーキ踏みながらで済むところ、RVはグンと踏まないと止まらない。sorry sorry sorryと叫びながらよく必死な思いをした。あとはナショナルパークのだいぶ奥地まで行くと道の整備が成っておらず、凹凸が多いのでまさかの上下の揺れが激しくなった。急がなくて良いから、とタクオミ。ごめんちゃい。一本道なのでね、焦るんですよ、自分が渋滞を作っている、という感覚がね。でもちょっとスピード出すと上下にガボガボと揺れる、すごい悪路が奥にはあった。結構崖っぷちで怖かった。
目的地はまだだったけれど、一回ちょっと良さそうなスペースがあって停まる。ここでの散歩がとても良くて、私も崇もその後よく、「あの、一回目に停まったのが良かったよね」と言い合っている。ところでサイドミラーは2種類が上下についていて、違う角度と違う広角で後ろが見えるようになっている。車は長くて、車の後ろの感覚を掴むのが難しい。2つのミラーのうちの1つは、ずいぶん遠くを写している。
あてもなく散歩して、楽しかった。信じられないなぁ、10年以上夢見ていたヨセミテに、こんな形で来る事になったなんて、そんな気分を秘めていた。カレンと崇、ビアンカは既に来たことがあって(タクオミとナオヤは知らない)、ビアンカにもうそんなに何回も来たことあるんだ的なことを言ったら、カリフォルニアってやることないから行くところといえば大体決まってくるものよ、と言われた。なるほど、そういうものなのかしら?
すごい高さを落ちている滝を見て、ビアンカがあの滝を見れるのは貴重だ、と教えてくれる。凍っているか、乾いているかで、滝があんな風に発生しているのは限られた時期で、私は初めて見る、と言っていた。そして滝の向こうの崖の窪みに虹が生じているのも素敵だった。
柴犬は、なんだかヨセミテという私の持っているイメージとは絶妙に似合わなくて、でも最高にカッコ良いやはり似合うものがあって、柴犬たちとヨセミテという大地を散歩するのが楽しかった。ナオヤは押し黙っていて何を感じているのかちょっとよくわからなかった。だいたいずんずん歩いちゃうのが私で、カレンが大体一番後ろで、ふと気づくとみんなでカレンを待って、ふと気づくと私とビアンカとラーメンがみんなから離れていて、ちょっと待っているとヌヌのなんだかが起きていて、みたいな散歩。崇は楽しいね楽しいねと笑顔いっぱいで、タクオミは私とは違って、前をいくのではなくて、横に一人でどっかに行ってしまう。あ、タクオミどこか散策に行ったな、と思いながら消えていく彼の後ろ姿に近しいものを感じる。ビアンカはひたすら中立な気がする。勝手な行動はしないで、一番前にも一番後ろにも左右にもはみ出ないで、ラーメンに話しかけたりしてた。
この時間は靄が素晴らしかった。雄大な場所に、ひたひたと流れる靄が美しかった。枯れきった大地の色は、水分を含んでコントラストが濃い。見たことのない植物もあれば、見慣れた植物も枯れてある。棘のある枯れ枝のあたりでは犬が入れなくて二手になったり。
すごく背の高い木の、肌がすごくて、ねぇちょっと木の肌がすごい、とみんなを呼び集める。みんながほんとだー、と熱心に木に集まっている姿がおかしくて、何枚も写真を撮った。今でもすごくお気に入りの一枚。
あとは燃えた木の大地がすごい迫力だった。深く感じていたのに、すっぽりと書き忘れている事を思い出した。12/25、レイクタホに向かう道中でのこと。山火事の跡地を通過した。まさかそのあと山火事の現場に出向く事になるなんて1億%も予想していなかったあの日、堪えるものがあった。山が一面燃えた跡になっていて、それがいつのことなのかは分からないけれど、異様な禿山がそこのあたりに当たり前に存在している場所があった。決して再生することのなさそうなツルハゲの死んだ木が所々立っていたり、ほとんど全てが横倒しになっている流木の積み重ねの山。禿山なのは冬場だから、ということもあるのかもしれないけれど。燃えたものが再生するのは、人の一生では測りきれない時間を要するのだろうなという残酷な感覚に見舞われた。美しさと紙一重のエルドラドフリーウェイ、大事なドライブだったなぁ。
という感情を思い出しながら、ヨセミテのこの散歩でも炭化した大木の幹などによく出会った。崇と、あのドライブ思い出すねと言いながら、これは、燃やしたのかな、燃えちゃった時があったのかな、と見た目では分からない景色の中を歩いていた。炭になった木の肌に魅了されてみんなを呼ぶ。倒れている黒い木を見たあと体を起こすと遠くを横切る靄の様子がすごく綺麗。そんな感じの散歩時間だった。
車に戻って、目的地、ヨセミテヴァレーに着いたのは14時半頃とかだったのかな。
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newyorkdiary7th · 5 months ago
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EOY trip : 25th Dec
クリスマス!クリスマス感はそんなにない。今にして思えばあった方だけど、イルミネーションとか全然見なかった。そもそもクリスマス感ってなんだろう。
本日はレイクタホへ。片道1時間ちょっと。道中が大変良かった。結構生涯トップレベルのドライブだった。大変美しい雪の森を抜けていった。クリスマスにこのドライブはあまりにも嬉しいなぁと感じていた。レイクタホの標高は2千にも及ぶ。スキーリゾート感がすごかった。駐車場を探すのが大変だった。どこもかしこも埋まっていて、ホリデー中のホリデーという感じ。ランチ場所もどこもかしこもすごい並んで諦め続けた。コーヒーショップ探しも難航。
何もかもが混んでいて駐車場探しが大変で、ちょっと気疲れした。レイクタホは美しかったのに、スキーリゾート感が疲れた。結局ドライブスルーのマックに行こうということになって、マック一生食べない系人間なので、モロッコで菊池さんに連れて行かれたぶりのマックだった。キャラメルラテだけ飲んだ。カレンは20ドルする靴下をキャンプ用に買っていた@スポーツ用品店。あとはガスコンロ探しもした、キャンプ用に。
何度か思い出す面白いセリフの話し。
カフェ探し難航中に、一件かっこいいのをmapで見つけて満場一致で目指していったら、そこはリゾートホテルの中のカフェだった。ゲートでカフェに行きたいと言うと何やら難しい駐車場情報を教えてもらってとりあえず通過。高級リゾート感満載の敷地内をうろうろするアジア人4人と柴犬2匹を乗せたマツダ。カフェのある建物と非宿泊者が停めて良い駐車場がわからなすぎて右往左往していた時に、やばいねこのエグゼクティブな敷地、みたいな話から、超金持ちのどら息子みたいに威張ってないと怖いね、「you know who I am?」って威張って、親に電話一本かけさえすればあんたなんかね、みたいなノリのね、とかなんとか笑い話をしている中で、セレブの生意気な子供の声音を真似したビアンカの「you know who I am?」からの、「no, I don’t even know who I am」って爆笑しながら自分で突っ込んでるのがめちゃくちゃ面白かった。なんか描写するの上手く行かないんだけども、このセリフがなぜかすごくシャープに私の内に飛び込んできて、その場では一緒に笑っていただけだったんだけど、なぜかちょくちょく思い出すこのセリフ。「I don’t even know who I am」
てな感じに、今日は遅くならずに帰らないとね、スペアリブ作るの時間かかるしね、と帰路に着く。あ、結局超エグゼクティブなホテルでは車をサークルに置いて、エンジンかけっぱなしでドアを開いたまま鍵をボーイに渡し、カフェのある館内に行ったのにも関わらず、カフェがちょっとだけお休み中、みたいなタイミングだったのでそそくさと帰ることになった。
帰り道も大層美しく、レイクタホ周辺のリゾート感ははまらなかったものの、この道中があまりにも素敵だった日だった。雪解けの泥水が凄まじくて、フロントワイパーの洗浄液を使いすぎたのか、エラーメッセージが消えず、洗浄液をガソリンスタンドで買って帰った。帰宅して、ビアンカは今宵もフランス語のクラス。崇とカレンと、洗浄液を車に入れるという挑戦をした。
今夜も暖炉をつけて、洗濯機を回して、明日からはいよいよキャンピングカーだから、良いシャワーも最後だ、とかなんとか言いながら過ごした。
スペアリブは崇の専門なので、彼がレシピを見ながら初めてのソースに挑戦していた。今宵は2段階ディナー。スペアリブを長時間オーブンに入れている間に、アペタイザーテーブル with ナパワイン。あ、の前にモルドワイン。果物もスパイスもふんだんでいと美味しかった、タイワニーズが作ってくれた。そしてもののけ姫鑑賞会。というかタイワニーズが観ていた。音量が大きすぎて崇がこっそり音量を下げていた。拙者親方と申すは レベルの日本語を英語で説明するのは大変すぎた。日本語の奥深さたるや。ともののけ姫で気付かされる24年のクリスマスの晩であった。
この数日ずっとジブリの話になっていたのと、森の中にいることがもののけ姫を観たいという欲求を助長させ続けていたので、今夜は、今夜こそはもののけ姫が見たい、と言っていた。
中国語の「魔法公主」というタイトルはどうなの?おかしいんじゃないの?という問いが日本人に向けてあって、いや、あながちあってると思うよ、という会話が発端だった。「Mononoke」ってなんなのか、という話が難しくて、ちょっと正しい伝わり方をしているのか大いに怪しいけれど、日本には森羅万象に神が宿るという思想があるから、もののけを一言で説明するのは難しい、と言った話しになって以来、ありとあらゆるものに「Mononoke、Mononoke」言うようになってしまったビアンカなのであった。動かない食洗機を前に、「マシンのMononokeが悪さしてる」とか、食卓の湯気を見れば「食べ物のMononoke」と言っていたり。アイディアの伝播って、こう言うことなのかもしれないと目の当たりにした数日間だった。私の中にある「物の怪」の正解とはズレていながらも、「Mononoke」が一つの共通認識としてこの旅の中で扱われていった。もしかするとビアンカが今度はいつか誰か西洋の友達に、間違���たまま説明していくのかもしれない、と想像しながら、なんだか世界の縮図を勝手に体感していたのであった。
アペタイザーは、チーズオンクラッカーにディルをまぶしたもの、サーモンのマリネ、ジンジャークッキーとチョコレートプレッツェル(どちらも車用のスナックの余り)、そしてモルドワイン。
食べながら飲みながら、もののけ姫がかかりながら、ご飯の支度をした。スペアリブ、野菜のグリル、サラダ、マッシュポテト。
2段階ご飯ってどう言うこと?となりながら、ワイナリーで買ってきたワインたちを空けていった。今日は良いよね、と言い合いながら、ひたすら食べた。犬用に用意した味付けのないスペアリブと野菜のプレート可愛かった。しっかり野菜は残す犬たちであった。
さて、食事が進み、ワインが進み、政治の話が盛り上がっていった。全然入れなかった。アメリカの政治を、英語で話すのは、土台無理だった。このレベルの会話には入れない、と言う深い感覚を覚えた晩であった。
まさかのパラオとビデオコールが生じたり、日本は26日真っ盛りで仕事をしたりした。こんなにもふにゃりとした頭で仕事のパソコンを触ったのは金輪際にしたい。明日から電波もないかもと言う状況で、何がなんでも持ち越してはいけない類のやりとりが、なんでかこのタイミングになって発生し出して、ナパワイン漬けの脳みそをなんとかかんとか奮い立たせたクリスマスの深夜だった。
そして、政治談義を燃え盛らせていた3人も、明日は絶対寝坊できない、と寝支度に入る。そしてそして、ブレーカーが落ちた。急に電気がつかなくなって、お湯も沸かないやら暖房が切れるやら。もう寝る直前で助かったねとなりながら、暗い家の中でお休みと解散した。朝になってもブレーカーは戻らなかった。
あ、この日の朝に、木が深呼吸をしている現象を見たのだった。旅行先の朝の散歩が好きな私は今日も、コーヒーを持って散歩に出た。そして大層美しい現象に出会った。
夜が明けて空気の温度が刻一刻と変化を遂げている何かの狭間のような時刻に、木の中と外の水分や温度の変化が目に見える現象があった。日光が直接木の皮に指すことで、逆光を浴びた蒸気が蠢いていた。あっ、とその現象に気がついて見てびっくり、その辺りの木々全体からその現象が発生していて、荘厳な風景だった。
急いで家に戻って3人を呼ぶ。木が呼吸をしている!と言っても伝わらなくて、とりあえず見にきて、と呼ぶ。これが、リアルMononokeだよね、と言う話になって朝食へ戻った朝だった。あぁ、朝食思い出した。海老のガーリックバターソテーとサラダだ。大事な食事の話だった。思い出せてよかった。あとパンとバターももちろん。
海老はどこかのスーパーで安かったからと買ったのだけれど、崇は気に入らなかった様子。私は普通に美味しく食べたけれども。もっと美味しい海老を買いたいとずっと言ってた。サラダがね、大層気に入りましてね。ビアンカが用意したサラダ。
トレジョの葉っぱに紫玉ねぎとりんごのチョップ、酢漬けのケッパーが入って、塩胡椒オイルレモンを本当に本当に控え目に。ものすごく気に入ったサラダで、あれからひと月以上たった今日まで、何度繰り返してきたか数え切れないくらい、あのサラダを作っている。
崇が結構オリーブオイル大好き人間で、調味料はドバドバ人間で、煮込む時はマグマの如くに立たせている人間なので、オイリーな食事が多い。美味しいし文句は全くないけど、傾向としてしっかりした味付けが多い。
そこにきてビアンカが、サラダをオイリーにしたくないから、調味料は本当に少ししか使わないの、と言っていて好感をもった。と言う話はつい先日崇にしたら「えーオリーブオイル好き~」と言っていて、うんそれは知ってる、となった。
伊丹式のアボカドの食べ方が始まったのは2017年の冬。この日を機に、チョップドサラダが大好きになった2024年の冬になったと思う。10月にNY来てから崇と、誰かと旅をして、自分のレパートリーになかったレシピが今後の人生に影響してくるの、楽しいよね、と何度も話しているけれど、たまのレパートリーどころか、ベースになるくらいに気に入るレシピは出会いも少なく、より一層嬉しい。
EOY trip : 26th Dec
5泊の旅行って、普通に考えたらとても贅沢なのに、なんだか結果的にはあっという間だった。旅100%と言うよりも、暮らすように旅をしていたような気がする。いや、遊びすぎだけども。なんて言うんだろう、友達と旅行に行くと、予定詰めまくりのパッツンパッツンになることが多々ある。今回はすごく余白があった、個々人の。個室があって、みんなパソコン持ってきていて、私は仕事もしていたし。
次の感想はRVtripも経てからの感想でもあるのだけれど、この歳にもなって旅に出るようなタイプの人間、中でもはじめましての人と旅に出るタイプの人間、は、ある程度他人とのスペースの取り方に長けている人間が多いのかもしれない、と思った。まだ結婚していないどこかフリーな感じと、他人に踏み込みすぎないのに決して冷たいのではなくて、その場を一緒に楽しむことに長けている気がした。みんながみんなどこか大人びていて、すごく楽だし、すごく楽しい、かった。このエアビー旅の終わりは不思議な感じだった。
終わっちゃったね、もっともっとこの時間続けたいね、続けられるね、と言いつつも、目の前にはみんな生まれて初めてのキャンピングカー旅が待ち受けていて、不安と期待をみんな秘めていた。
ヌヌは気難しい。突然だけれどヌヌの話し。ヌヌはしつけを受けるタイミングを逸してきたと言うことで、人を噛みもするし、近づかれるとめちゃめちゃ怒る。足拭きが大嫌いで、ヌヌの足拭きはいつも二人がかり。噛まれないように要注意。
ラーメンはものすごく怖がり。車の中ではほぼ永遠に震えていて、疲れ果てるまで寝れない。人の前にはほとんど来ないしヌヌからは部屋二個分くらいは常に逃げている。時々何かのおりにラーメンがヌヌのそばに近づこうものならば、ヌヌがおっかない唸り声で威嚇する。するとカレンが怒鳴る。その怒鳴り声が何よりもおっかない。ヤンシャンヌー!と中国語でひたすら怒る、ヌヌに向かって。私と崇はなんと言って怒っているのか全くわからないけど、ビアンカは理解できるから、最初の数日はあははと言う反応をしていた。
かわいそうに犬たちはなかなかのストレスだろうよ。車旅をしてきて、知らない家を転々として。そりゃ気もたつさ。と私は思っちゃうのだけれど、カレンは容赦ない。もうすんごい怒鳴ってた、ヌヌのことを。崇がそれを正論で諭す。そんな風に怒こっても変わらない、そもそもきちんと躾をしないことには、ただただ怒鳴っても意味がない、と。
旅が終わる頃に、そう言えばカレンの怒鳴り声を聞かなくなった。人も犬も、すっかり旅が日常のような空気を吸っていたのかもしれない。
とか言って、機嫌が良いとヌヌは人にべったり。撫でてくれ~と寄ってくる。
ラーメンは決して寄ってこない。
どっちも可愛い。。。
さて、3時間かけてサンホゼに戻る!
ナオヤは昨夜サンホゼに着いて、一晩カレンの家に一人で泊まっている。タクオミがNYからサンフランシスコの空港に向けて飛んでいるところ。我々はまたしこたま大量の荷物と共にサンホゼへ。この日私は5時間以上運転していて、もうこんなにアメリカを運転する日は来ないだろうと、この頃は思っていた。まさか、まさかLAで運転しまくるなんて、どうひっくり返っても想像しようがなかったわね。
やっほう。今は2月2日の13時台。この調子で書き続けたいけれど、週末が終わってしまう~
今朝は昨夜こしらえた餃子を蒸しと焼きで用意することになって、崇がお決まりの崇ママのチキンスープを作ってくれた。このチキンスープはAirbnb旅の間に2回も食べたのだけれど、日記に書かれていないなぁ、と思いながら話しながら摂った日曜のブランチ。
崇ママのチキンスープ、崇は本当にしょっちゅう作る。11月だけでも何度かいただいた。Airbnbの初日か二日目の晩に寝る前にスープを拵えて朝食べた時があった。ビアンカが大変気に入ってまたこのスープやりたい、何入ってるの、と。わかるわかる気持ちわかる。でもまさかの翌日、連日でまたこのスープが作られたのがすごい面白かった。この旅の間にもう一回は食べたい、くらいのテンションで聞いていたのに、すぐさま翌日にはまたこのスープ作ってたの、あのくだり面白かったよね、と何度かその後話に挙がっている。そんなスープを食べた朝。引き続き駆け足で、RV tripを書き残したい。
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newyorkdiary7th · 5 months ago
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EOY trip : 21st Dec
Hi there. 今は1月29日のお昼。1時間以上散歩をして来た素敵なカフェで残り25%の電池のパソコンに向かっている。昨夜はミントチキンカレーにした。例の使われなかったミントで。久しぶりに作ったミントチキンカレーはパプリカパウダーの持ち合わせがなかったので、赤いからという理由でサフランを使ってみたのですが、かなり美味しくできましたとさ。さて、急がないと。電池が切れちゃう前に、マインドを旅に引き戻して書けるところまで書きたい。
・・・
マインドを戻そうと写真を見返していたらパソコンの電池は残りあと15%。ひーん。
崇が運転をして、ヌヌ(おデブな柴、6歳くらい)を抱えたカレン(台湾名はヌヌ。妹の台湾名はニニ。だからわんこがヌヌ)が助手席に。私が左でラーメン(シャイな柴)を抱えたビアンカが右、という車旅。私とビアンカの間は荷物で埋まっている。日本だったら普通の乗用車だけど、アメリカではコンパクトとされるサイズのSUV、MAZDA。カレンがひと月ほど前に買った車で、車のない生活は半日だって持たないようなサンホゼで仕方なく買った車だという。カレンが買う車悩みをしている頃まだ私は崇とNYのカレンの家にい��、崇が “頼むからベンツとかボルボとか言うな”、と価値観の違いに悩んでいた。金持ちの中国人代表みたいになるからやめてくれと嘆いていた。でもカレンの趣向としては洋車(と言う言葉はあるのか?)が良いみたいだった。結局マツダに落ち着いたけれど、彼女としては致し方なく、だったらしい。マツダは台湾ではヤンキーが乗る車だから、とその説明を一通りし終わった時にビアンカが、「うちの家族マツダに乗ってるんだけど」と笑っていた。(ビアンカの家族は台湾にいて、カレンの家族はLAにいて妹はUCLA)
初めましてのラーメンはめちゃくちゃ可愛くて愛でたいんだけどめちゃくちゃシャイで全然振り向いてくれないので悶絶した。
崇とカレンとビアンカが一通りキャッチアップしているのを(知らない名前がたくさん出てくるので)聞くともなく聞きながら、ワクワクとうまくやっていけるのかと言う漠然とした思いの両方を実感しながらドライブが始まっていった。簡単に仕事の話になって、あ、違う、ESTA取れなくなった話しになってイラク出張が、みたいな話しになって、結局渡米の日程もズラして、みたいな話しをしたらビアンカが「That’s so cool」と言って、え、クールなんか?と思ったのにカレンも「その話し聞いた時私もなんてcoolなんだと思ったの~」と振り向いてきて、なんかこう世界の違いが際立った。で、ビアンカがアフリカには行ったのかとか中東ではどんなことをしているのかとか、聞いた後に「国連で働きたくはないの?」と言ってきて、「う~ん」みたいなフニャッとした反応を私がしていて、私は国連なんてそう簡単に私がたどり着ける先ではない、と言う趣旨をどう言うかと頭の中で英語を考えていたんだけど、その間に待ったなしのビアンカが、「NYに国連で働いている友達が二人いるから良かったら紹介する」と言って、私はあちゃ~すげ~う~ん、と言う感情で、崇が「チャンスじゃん~!」と盛り上がっていた。私は彼らのように上手には生きていけそうにない。自分のペースで頑張りましょう。と言う感じに、まぁNYで頑張っている裕福な家庭で育ったアジア人たちとの旅が始まった。だいたいみんな米国在住歴は10年前後。
崇のコロンビア院時代の(金銭の)話を聞いているタイミングに、自分は自分で(未来の)子育てについて考え込んでいたタイミングだったので、その後にこうも裕福な家庭で育って来た人たちばかりを前にすると結構絶望する。
ところで私はNYで携帯電話の電波を繋いでいない。そこまでケチらなくて良いとも思いつつ、無いならないで結構清々しいし、誰かとの待ち合わせ以外で困ることも特にない。と言うことで車では携帯でできることも特にない。ビアンカが携帯をいじっていてそう気がついた。
あ、別のどこかで書いたけれど、出発後はまずはサンフランシスコの日本食スーパーに行って食材を買い込んだ。アサヒビール12缶ケースも。年確が厳しくてアメリカって感じだった。
Rio Nidoの家に着いたのは16時過ぎ。最高の家だったー。ここまで広くなくてもよかったのでは、、、と思わずにはいられない広さの家。この家を探して決めたのは私がNY着いて一番最初にやったこと。10月31日だったっけ、そこら辺。カレンの家から歩いて5分の、トワイライトのサントラがかかっているとても良いカフェ(Dear Mama)で崇は仕事してて私とカレンでAirbnb探しをした。大人6人と犬2匹、と言う条件で探すのでまぁ豪邸になる。カレンは金額気にせず超がつくほどファンシーな家ばかりリストに追加するので、やんわりと否定する家ばかりを私が追加した。懐かしー!6人で割ればすごい安いよね、と言うことで私からすると大層な豪邸に決まった。そこに、着いた12月21日。時間の流れをとてもしっかりと味わう感覚が好きだった。車でメインの車道から逸れて林道に入り、ナビが間もなく、と指している中ソワソワと一軒一軒注意して、ようやく目的地を見つけた時、あの日予約した家にワープした感覚が新鮮で、面白くて、楽しみになった。
玄関コードが最初は開かなくてわちゃわちゃしたけれど、なんとか開いて入ると、余裕を感じる階段が迎え入れてくる構造。玄関を入ると階段があって、それを登り切るとリビング、と言う半分吹き抜けの構図。モロッコのマリヤム(提携団体のCEO)の豪邸を思い出した。階段の全段に置き物がある。ぜっっっったいに傷つけたり落としたりしたくない類の置き物がずらり。階段の踊り場を靴脱ぎ場にした。
ラーメンはシャイだけど脱走癖のあるヤンチャボーイでもあるのでビアンカは一目散にラーメンを連れて部屋に閉じ込めに行った。私と崇で大量の荷物を車から家に運び込んだ。私は子供の頃から車で移動が多く、毎週末、週末分の荷物を持って車で移動して荷物の出し入れをしていたので、こう言う事をするたびにふとノスタルジーが込み上げる。こんなにも想像していなかったような状況でもその感情はやはり現れた。
車から荷物を下ろし終わってリビングに行くとビアンカがテキパキテキパキと食材を冷蔵庫にしまっていた。トイレバスも2カ所にあった。戸棚にカクテルの教科書みたいな本と一通りのカクテルグッズがあって、あちゃー!リキュール欲しいー!となった。BOSEのスピーカーもあった。なんかキッチン?も2カ所にあって、裏のキッチンにはコーヒーメーカーとトースター(パンが飛び出してくるやつ)があった。お手伝いさんのスペースなのかな?とか言い合った。電気や空調のスイッチが未来感あった、テクノロジー!って感じのスイッチで崇と二人でガチャガチャ回しまくってお子様になった。
でも。食器が微妙にピカピカじゃ無いのはなんかアメリカンだった。ウェーっと拒否反応を示した崇とビアンカが一通り食洗機をかける。食洗機用の洗剤がなくて皿洗いのソープをダラダラと入れて回した。すっかり記憶のザルから落ちていたこのシーンを、最近ビアンカ邸で食洗機を崇と回している時に思い出した。
とりあえずみんな荷物の整理とかをし終わって、ぼちぼち夕食の下拵えとか始めようかという感じになって、ビアンカはラーメンの散歩に出かけた。
話し飛ぶんだけどこの前の日曜日(1/26)の夜にタクオミを家(ビアンカ邸)に呼んでラザニアナイトをして話していた中で、「こんだけ一緒にいて嫌だと思うところないの?」って言う話しになって、「この人、水回りが酷いの」と私が崇を告発した。崇は料理好きでキッチンに立つことは本当にしょっちゅうあるんだけど、そこいら中に水が、、、。水の出し方も激しいんだが、手拭きの文化がないアメリカでは濡れた手で歩いてキッチンペーパーを取りに行ったり、拭かない食器を移動させたり起きっぱなしにするのでもう床がびっしゃびしゃで、、、。崇はゴムのサンダルを履いているので平気なんだが私は布のスリッパなので踏んだらもう最悪で。勘弁して、とはよく言うけど、治るものでもない。そしてこの間柄のすごいところは、それでも嫌いにならないところ。あぁもう、洗い物は私にさせて、とか思ったり、あぁもう勘弁して、と思いながら床を拭く。
で、カレンの家の床も、キッチンの使い方(食器は基本しまわないで洗った後のラックに放置しておくもの。私は収納したい派なのですぐ拭いて片付けてしまう。ある時カレンが「フォークは全部どこに行っちゃったの?」と言っていてびっくり。しまうという概念がないと言うことを知った。フォークというか全ての在処はラックの上なのだ。)も、全く自分のスタイルではないけれどお世話になっている身なので極限まで合わせて生活していた。
でもRio Nidoの生活が4人で始って自分の中で芽生えた感情で面白かったのが、“ここでは平等”というもの。カレンの家ではキッチンの水浸しは頑張って放っておくか耐えられなければ自分で拭いていた。でもこのAirbnbでは「拭いて」と言った。まぁ言ってもそんなに変わらないので結局こっちが拭くんだけど、ここから大きく違ったのがビアンカが完全に私派だったこと。
関係値の違いなのかわたしとビアンカの性格の違いなのかもう少し分析が必要だけれど、ビアンカは「拭いて」とか、「ゴミはちゃんと捨てて」とか私みたいにうるさいのではなくて、何も言わずに全部自分で片付けていた。その姿を目の当たりにした私は、まだまだだな自分、という大きな大きな気付きに見舞われた。彼女を見ていて、自分の器の小ささに気づく。そして初日からずっと思っているのが、この人とても素敵な母になるんだろうなぁ、という感情だった。一度も誰にも言わなかったけど。
うるさい、とは書いたけど、多分言ったのは1回ずつでその他は100回ずつくらい胸の内で言っていた。胸の内で言って、最初の方は自分で手を動かさなかった。崇とカレンが自分たちのタイミングで片付けたくなるのに任せよう、と頑張って放っておいた。でも結局ビアンカが全部片付ける。そう気づいて結局私も彼らに任せるのではなくて自分でやる事にした。
おもろ。こんなに掘れるエピソードだったんだこのこと。関係性を穏便に進める事に私はおそらく自分で思っている以上に神経使っているんだろうなあ。
かと言ってそれがストレスになるタイプではない。他の部分でその人の事が尊敬できる場合は、ちっともこうした習慣の違いでその人を嫌いになるような事はない。夫婦目指しているわけではないのでね。
ぼちぼちみんなが部屋に引き上げる時に、「私物は共有スペースに放置しません。」と崇に言う私。苦笑いしながら自分とカレンの散乱しているジャケットや置きっぱなしの飲みかけのスタバカップなどを片付ける崇。
ともかく。ビアンカの性分にすごく救われる時間が多かった。共有スペースに私とビアンカのものは寝る前には皆無で、他2人のパソコンとかがいつも広がっていた。面白かったなあ。飲みかけのカップとか空のビールの缶とかは耐えられなくて片付けてしまうわたしたち。
救われるというか好み合う~の場面も多かった。最初に起きたのはバター。
ビアンカがおフランスのたっかいバターを旅に持ってきてくれた。LAでひと月に一回だけ輸入されるバターがあって(この期に及んで名前忘れた)それをはるばる運んできてくれた。
幸福論になると『女2人暮らしてます』の美味しいパンと美味しいバターがあれば幸せに生きていける、というくだりを必ず引き合いに出す私は、バターを語��ビアンカとは仲良くなれそうだと早々に思った。
出来れば美味しいパンを買いたかったけれどカリフォルニアの田舎にそれはどだい求められずトレジョでましそうなバゲットを買って行ったわたしたち。
エアビーの冷蔵庫にもバターがあったので、ブラインドバターをした。朝食はブラインドバター大会。
あ、朝食の前に私はみんなが寝ているうち(と言っても7時頃とか)にバナナとみかんを持って散歩に出かけ、帰りがけにビアンカとラーメンに会った。ヌヌは散歩に行ってなかったけどまあなんとかなるのでしょう。
フレンチプレスでトレジョのコーヒーを淹れ、ベリーを皿に盛り、ブラインドバター大会。かわいいクリスマス柄のナプキンを持ってきてくれていたビアンカが、「これはこの旅(エアビー)の間に使い切らなきゃだからみんなたくさん使ってね」と何度も言っていた。可愛すぎてあんまりどかどか使えなかった笑
EOY trip : 22nd Dec
さて、本当に容易に想像できていた事なのですが、出発予定時刻はやはり過ぎた。笑
カレンさんはすごく気が散るタイプで、いろんなことを同時多発的にやっているので、予定時間はあってない。崇によるとカレンとカレンの友達の待ち合わせなどは1時間遅れが平常運転らしい。
それを知っている私と崇は前日の晩御飯で明日の予定の話になった時、既に余裕をみた出発時間を設定していた。
みんなで車移動をする時は決まって私とビアンカが車で待ちぼうけをして崇とカレンが来るのを待っていた。何度も言うけどそれがストレスになるとかそう言う感じはなかった。仕事じゃなくてホリデーだったからかもなあ。まあ好きにして~と言う感覚だった。
本日は、ワイナリー巡りです!!!
まずはJoseph Phelpsに11時am。なんだけど。その前に。電動歯ブラシを家に忘れてきたカレンが歯ブラシを買いたいのでスーパーに寄る。歯ブラシとホッカイロ(RV用にホッカイロ、と言っている台湾人2人)を買いにカレンとビアンカがスーパーに行って、私と崇は車で待つ。待てど暮らせど帰ってこない。たかちゃん(クラスメイトの内ではその昔崇はたかちゃんと呼ばれていた。今でもたまに使う。)はイライラし出す。「なんで歯ブラシ買うだけでこんなに時間かかるんだよお~」「オンタイム(早く出るはずが出れなくて結局オンタイムになった)だったのにもう遅刻だよお~」「も~~」と言っていた。私は心のうちで “全然いつものことじゃーん” と思っていた。
天気は曇り。「トワイライトは観た?」と私。「似てるよね~」とビアンカ。すぐ伝わった。「昨日来た時から感じてたんだけど、ベラの家のあたりの雰囲気に物凄く似てるよね。あとこのエアビーを崇とカレンと探していた時にいたモーニングハイツのカフェではあの日ずっとトワイライトのサントラが流れてたんだよ」と私。
その後はカレンがトワイライトを観ていた時代の話しをしてくれて、いかに彼女がお嬢様学校に通っていたのかが分かってきた。寄宿学校でとても校則が厳しくて色んな禁じられていたエンタメをいかに友達たちと掻い潜っていたのか話してくれた。
私と崇の学校も変わってたね、と言う話に繋がって、崇がいかに親に隠れてPSPにハマっていたかと幼少期について話しているのをぼんやり聞いていた。私はその話しの情景の全てを知っていて映像的にも思い出せて、カレンやビアンカからするとそれは崇の昔話なのであって。
ものすごいたくさんの時間を一緒にいたから、いつどこでの会話だったかはもうあやふやだけれど、ビアンカの過去もすごかった。フィルムカメラの話になった時に(フィルムカメラといえば先日LAで戸田さんがフィルムカメラの概念を知らなかったシーンもあったな)、昔自分で現像していた頃があって、と言う話をはじめて、お~~アート系なライフの時代があった人なんだ~と思って聞いていたのにおったまげ、会話の最後にそれは何歳くらいの頃のことなのと聞いたらまさかの15歳くらいだった。なんなん、中学生でフィルムの現像をする子供時代って。そう思った数日後にまたこの話しが繋がって、「フィルムの現像もそうなんだけど、中学生の時サマーキャンプに毎年行ってて、ある時はフィルムの現像をしたけど、違う年に(事件の)現場検証の体験があって」と繋がった。その話しは、なんでアメリカに出る事にしたのかと言う話しから始まって、子供の頃FBIになりたいと思っていたから、との事だった。それはなぜかといえばそのサマーキャンプでやった現場検証の体験がものすごく楽しかったから、とのこと。ちなみにその時代にフランス語を習っていた。お家柄が伺えちゃう感じよね、節々から。
JPには5分遅れくらいに着いた。どっひゃー!と言う感じのラグジュアリーな施設だった。
もう受付がカッコ良いのなんのってね。
まずは建物の外の受付で名前を言って、建物に入るとウェルカムシャンパンが待ち受けている。なぜか急に思い出したのだけれど、この日は犬たちは家に置き去りで、出る時にビアンカがラーメンに「byeeeee Mummy’s gonna drink today sorryyy but I love you!」って言ってておかしかった。そういえばこの日犬がいなかったなと思い出して、そのシーンも思い出した。
ウェルカムシャンパン飲みながらどっひゃーな館内を案内人について進んでいく。えらいことになってしまったわという気持ちで。
ついたテーブルのかっこよさがこれまたね~
ハイチェアの丸テーブルで、ぎっっっしりとグラスが溢れかえっていた。6グラス×4人、24グラス!?
テーブルには重厚な革のバインダーに挟まれた上質な紙に、4人の名前が印字されていて、「だから予約の時に全員の名前聞かれたのかー!」と崇。お品書きがずらりっ。
さてさて、私たちのテーブルを担当してくれたおばちゃんが最高だった。あーあ、もう名前忘れちゃった。スーザンとかだったっけ。
短髪で元気はつらつのおばちゃん。セーターの前面にクリスマスツリーの刺繍があって、そのツリーをコルクが飾っているの。10数個くらいのコルクが賑わっているセーター。コルクとあと電飾。ピカピカと光っているライトがコルクと共に縫いつけられているセーター。それを完全に着こなせちゃう感じのハッピー系なおばちゃん。一際愛するワインのコルクたちだそう。
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ところで今はパソコンの電池が切れたのでしばらくiPhoneでちこちこ書いているのだけれど、崇からLINEが来てアパートがついに決まったそうです。おめでとう。2ヶ月くらいに渡るアパート探しついに決着。ビアンカの家がどうひっくりかえってもありえないような豪邸だったから、結構苦しんでいた。こんなに良い家に住みながら現実問題住めるアパートを探すのは大変そうだった。ちなみに月50万くらい。NYってそう言う場所なのよね。
ビアンカは金持ち台湾人が経営するタウンハウスの一室にありえないほど安く(月35万)他の2人と住んでいる。そこにさらに友達価格で25万ほどで住ませてもらうわたしたち。普通にこのクラスの部屋に住もうとしたら相場は100万くらいのところ。結局世の中は人の繋がりですねっていう事になった。その話しはまたいつか。ちなみにJimさんが今タウンハウスに居るって聞いておったまげてた。ゼイタクネェ~!って。
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Hello hello, 今日(1/30)も今日とてカフェに来ました。今日は近所のカフェ。イタリア訛りのお姉さんが素敵なカフェ。崇くんは新生活が始まるワクワクでいっぱいです。仕事してるのかと思ったら家具探してる。パソコンのバッテリーは90%あるので今日は落ち着いて続きを書けるかしら。
Joseph Phelps ではカレンは飲まなくて、他の3人がテイスティング。スナックが信じられないほどの美味しさだった。そりゃもちろん買いたいワインにたくさん出会ったんだけど、そもそもCA→NYの移動も大変な上に、どうやって日本に持ち帰るんだという苦労が目に見えすぎたこと、そして価格が恐ろしかった事、によりなんとかその場の空気に飲まれないように踏ん張った。さらにはこの日、まだ後2件行くので、1件目で買ってしまうのもな、という判断だった。崇とビアンカは余裕のあるニューヨーカーズなのでバチバチに買っていた。「この為に仕事しているんだもの」by Bianca.
でも結局結論から言うと、Joseph Phelpsがこの旅で一番レベルの高い世界だった。いつかまた絶対に行きたい。崇もビアンカも既に何度もナパバレーに来ていていろんなワイナリーを経験しているのだけれど、ここはすごい、やっぱりお金かけると世界が違う、と言っていた。
一番びっくりしたのはデビッドホックニーの原画が私たちのテーブルのそばにかかっていたことね。カッコ良い絵があるな~とずっと気に入っていたのだけれど、ふとよく見たらデビッドホックニーと書いてあってびっくり。デビッドホックニーってあのデビッドホックニーかな!?!?と言い合って、スーザンに聞いたら。Joseph Phelpsの親戚がデビッドホックニーの知り合いだったので、Joseph Phelpsを描いてもらった、と言う話だった。おったまげ~。
大満喫をしてバーガーに向かった話しを続けようとしてふと思い出したのだけれど、この日Joseph Phelpsまで運転したの私だったわ。時の風化ってすごい。ナパバレー運転している~と喜んでいたことを、こんな風に忘れていられるくらい、今日までにいろんな事があったわね。だから、どれだけ適当でも良いから、その場その場で書く日記が好きなんだよな~。まぁ良いや、ふと思い出したけれどJoseph Phelpsまでは私が運転したんだった。山道というよりは丘を上がって下がってと進んで、雲が丘をところどころ覆っていて、あたり一面葡萄畑だった、冬の、枯れた葡萄畑。
てことで、Joseph Phelpsに感服しきった私たちは、ウォークインを予定していた一件はスキップすることに決めた。もう一件の予約が16時とかだったので、昼間にもう一件挟むのはやめよう、と。St. Helenaと言うナパバレーにある小さな町がとても可愛らしいので、そこの散策でもしようよ、食事どうする?と言うやりとりの中で、ビアンカがバーガー屋を勧めてくれていざ。めちゃくちゃ良いバーガーエクスペリエンスだったなぁ。ナパ名物の汽車が走っていく景色を見ながら、賑わうテラス席で食べた美味しいバーガー。普段ハンバーガーって全然食べなのでアメリカで食べた一番美味しいバーガーだったわ。アメリカでハンバーガー食べてるわ自分~と言う感情だった。そう、NYにいるとアメリカにいるという感情にほとんどならない。カリフォルニアではいつもアメリカを体感していた。私はこの頃はまだ日頃の節約モードが辛うじて残っていた頃なので小さなバーガーのみでポテトとかつけなかった。みんなはでかい飲み物にポテトにでかいバーガーに、と頼んでいたのに、みんな残して持って帰っていた。いやいやいや、みんな経済回しすぎとちゃうか?
腹ごしらえが済んでからSt Helena 散策!ここら辺から本格的に崇・カレン&ビアンカ・葉月、のリズムが克明になり出した。寄り道するお店、物色のスピード、などなど。気づくと周りに崇・カレンがいなくて、ビアンカとふらふらしてた。特に何を話すわけでもないけど、なんかリズムが合ってた。
車に集合して今度はClos du Valへ向かう~。正直一件目で結構ちゃんとアルコール摂取した感あって、昼間からふわふわしていた。からの2件目。エントランスとか受付の感じとか、全然違って違いが楽しい。ブロンドで高い声の若いお姉さんが席まで案内してくた。担当は40くらいに見える男性だった。ものすんごい喋る男性。ものすんごい。4人全員沈黙してしまった。私はもともとほとんど喋りませんが。いわゆるオタク感というか、もうワイン愛、Clos du Valを崇め奉る感が凄まじくて圧倒された。彼が去るとみんなでちょっとすごいね、みたいなこと言い合った。
でも結局、1時間半くらいだったろうか、彼の捲し立てる情報を浴びながら一杯また一杯と体験していくうちに、みんな彼の事を気に入った。ちょっと最初は引くほどの熱量だったけど、結局彼は純粋に熱い男で、崇なんか終わる頃にはノリノリで彼と話してた。20年ものなどが眠っているセラーの中を見せてもらったり、樽の倉庫を見学したり、今年の樽から直接スポイトで汲んだものを飲ませてもらったり、サービス精神が溢れかえっているナイスガイだった。
カレンはあまり強くないので最後は寝てた。カレンの分も飲んだり、ナイスガイがサービスたくさんしてくれたりで、外が暗くなる頃に、身体はもうほっかほかだった。あ、ここのスナックも最高だった。クリームチーズをちょっとホイップしたものとザクロの実のディップ。
さて、ここではヴィンテージワインのなんたるかを教わった。2014年と2024年を飲んでおったまげた。そして30年がベストとされるボトルが今年詰められたと言う。崇とビアンカが30年寝かせる、と言って買っていた。30年後にも会わなきゃねって話してた。面白い~~~
ビアンカはLA以外で運転できない免許で、カレンは絶対に運転はできない泥酔状態で、私と崇どっちにするってなりながら崇が運転した。まりさんが絶対行きなとおすすめしてくれていた老舗ブリュアリーに寄ってビールを買って帰ることに。お店の感じすごい良かったので食べるチャンスなくて残念。でも持ち帰り可能なビールの形態が最高だった。1/2ガロン(1.89271 liter)の大瓶。growlerというようですね、wiki情報。その瓶しか持ち帰りで売ってくれるビールがなかったのでそれを買って帰宅。真っ暗だった。
タイワニーズ二人が犬の散歩に出て、ジャパニーズ二人はご飯の支度でもしたのかしら。この日は何を食べたんだろうと携帯電話の写真を見ないといけないくらい、朧げだ。同じ鍋食べてた。具材余ってる的な流れだったんだったかな。あー!違うー!思い出した!鍋じゃなくて、おでんだ。
もうよくない、一食くらい抜いても?と言いたくなるくらい、ご飯どうする?って話しずっとしてる人たちだったわ。サンフランシスコの日本食スーパーで冷凍のおでんセットを買っていた。こんだけ飲んで帰っておでんとか最高だねってなって帰ったんだった。写真を見たら前夜と同じ鍋使ってて色味も似てて鍋かと思った。おでんだったわ。あースッキリ。
前日の夜はスターウォーズを見た事がない崇が強制的にスターウォーズ鑑賞をさせられていて、私はスターウォーズの音を聞きながらビール飲んだ後の脳みそで仕事していた。酷い。。。今夜はいくらなんでも仕事にならないわと最低限の打ち返しだけして翌朝に回すつもりが、何してたんだか忘れたけどなかなかパソコンから離れられなくて、ご飯の後片付けとかも全部任せて、ビアンカのポーカーデビューをみんなで遊ぼうって言ってたのにまだ終わらなくて、崇がちょいちょい「まだ~」とちょっかいを出してきてカレンが怒こってた。「仕事してる人を邪魔しないで!」とプンスカしてて可愛かった。「誰もあなたが仕事している時に邪魔する人いないのに、なんでそんなこと言うの!」って怒ってた。懐かしい。カレンに怒られてからちょっかい出さなくなってこっちは逆に寂しかった笑 みんなの遊んでる音声を聞きながらそばで何かに取り組んでいた。全然思い出せない、何がそんなに急ぎの仕事だったんだろう。
後半少しだけポーカーに混ざって、カレンも見かけによらず強かで、ビアンカは見かけ通り感覚を掴むのが早かった。ポーカーは本当に面白い、人の心理を駆け引きしあうゲーム。崇はとってもevilなタイプなので腹立たしい。負けず嫌いともまた違う損をしない動きをするタイプかなぁ。NYで崇の友達二人と、合わせて4人でポーカーをした日が私のポーカーデビューだったのですが、25ドル勝った。ひと月後とかそれくらいに自転車のパンク修理に25ドルかかった。まぁ許容範囲の金額での遊び。現金が絡むか否かで、本当にゲームへの向き合い方が変わる。崇はevilなので、じゃあ、そろそろ慣れてきたから本当にお金かけてやる?ってニタニタと引き込みに入った。ビアンカがピシャリと、お金は絶対かけない、と言ってぐうの音も出ない空気感に一瞬にして包まれた。お金をかけなくても私は十二分に楽しいのだけれど、男子という生き物はちょっと物足りないらしい。あ、かけても楽しいのが私だけど!
EOY trip : 23rd Dec
この日の朝ごはんが思い出せない。致し方ないわね。
海辺に遊びにでも行こうか、みたいな余白の1日だったのだけれど、天気とかの兼ね合いでなんとなく海辺案は無くなったのが前夜。今からでも予約のできるワイナリーに行こうっていう運びになったのも前夜。RIDGEというワイナリーへ。気さくな雰囲気がすごく居心地の良いテイスティングだった。面白かったのは昨日の味の感想は基本的に大体崇とビアンカと合致していたのに、今日は合わない事が多かった。多分、彼らは切り捨てる事が潔い。あ、これは違うわ、と思ったら容赦ない。社会的強者という感じだわ。私は、彼らの評価もわからなくはないけれど、その中での良さ、その中での面白さに、まだまだ遊びに行く。二人は、あぁ、違うね、と言って終わりだったけど、私は昨日までとはもちろん違うのだけれど、もうちょい続けてみなよ、繰り返しているうちに発見があるやらないやら面白いけど?という感じだった。面白かったな、そういう違いもまた。さらに、結局みんな買いたいと思ったワインは一緒で、全員で同じ白を6本、箱で買った。
その後はタコスへ。フードトラックのタコス屋さんに。めちゃくちゃ美味しかったし、路駐した車のトランクを開けて、ワインの箱を台にしてつまんだタコスの思い出良き良き。そして崇がクレジットカードを無くしたという騒動。おそらく昨夜のビール屋さんだ、ということになり、30分くらいかけてまたビール屋さんに戻る。崇は一人で行ってくる、と言って、みんなが別に良いよみんなで行こうよ、となってドライブドライブ。ところでこの日は犬連れ。
帰りにまたしてもアジアンスーパーへ行く。どうしてそんなにもアジア食が好きなのやら分からぬ。田舎にもアジアンスーパーって必ずあるものなのねぇ。アメリカってそういうところなんだなと学ぶ日々。ちょっと寂れてて怖い感じの駐車場に停めて、あれ、そういえばこの日私運転してるわ、アジアンスーパーに駐車した記憶がある。アジアンスーパーではルーロウ飯に必要なスパイスを買う、ということだった。いつどこからどうやってルーロウ飯案が出てきたのやらだけどなんでも良きです~という感じでついて行った。言語のベースが、英語でありなら2対2で台湾語と日本語のシーンも多々あって、ピンからキリまで通じ合っているのでもなかった。
アジアンスーパーでは日本人対台湾人の構図で、あんなに食糧で溢れている家があるのにこれ以上何を買うというのでしょうね、という雰囲気をヒソヒソと話していた。立派な梨の箱を買って帰って、喉に良いという梨の氷砂糖煮をビアンカが作っていた、夜に。梨高かった~。ここまできてから思い出している異文化体験の話が、どこかでは書いた冬至の中国の決まりで団子を食べた夜。梨の氷砂糖煮もすごく新しかった。これが台湾のものなのかビアンカの家庭のものなのか細かい話にはならなかったけど、崇とビアンカが少し(喉の)調子が悪くて、調子悪い時にはうちでは必ずこれを食べるんだと言っていた。梨が煮込まれていく景色が新鮮で、違う文化を持っている人と旅をする楽しさでいっぱいだった。ルーロウ飯の下拵えと梨を煮ることを同時進行していたビアンカが、キリの良いところでラーメンの散歩に出ることになって、「Hazuki, 梨の火加減を注意しといてくれる?」と言い残して散歩に出かけたんだけど、しばらくしてから、梨の火加減私ワカラナイ!となった。とりあえず言われた通り、吹きそうになったら弱火にして放置した。
この日は白米を炊くというイベントがあった。みんな炊飯器でしか炊いた事がなくてどうやって炊くのか分からない、とすごい一大事みたいに言っていて、なんやねんとなった。私も鍋で炊くことはほぼないけど、山で炊いた事があるのでなんとかなるっしょという感じでトライした。なんとかなった。そしてルーロウ飯、すごく美味しかった。ビアンカは肉がルーロウ飯用の部位をゲットできなかった、と言っていたけれど、ルーロウ飯を日頃から食べるタイプではないので、味だけで十分美味しかった。あ、もう文脈もへったくれもないモードでひたすら思い出しながら買いているのだけれど、崇のクレジットカードは無事見つかった。本当にビール屋さんにあった。
さて、この晩はモノポリーナイト。このAirbnbにはゲームがたくさん詰まっている戸棚があって、モノポリーは二種もあった。あ、そういえばこの日か前日の午後くらいから、音楽がかかるようになっていて、Spotifyの素晴らしい機能に出会った。崇の携帯をApple Car Shareに繋いでいるので音楽も必然的に崇のSpotifyでかける。そしてビアンカが気づく、なぜか勝手にビアンカのSpotifyも起動していたということに。Spotifyのドライブシェアモードすごい!となった。一生サブスクから逃げている私だけど、この機能には大変感動してSpotify入るかーとなった。(入っていない)。ということで、崇のiPhoneが車につながっているのに、ビアンカが自分のSpotifyから崇のSpotifyに繋ぐ事ができて、DJをするに至った。ビアンカの選曲は素晴らしくてシャザムの出来ない自分のネット制限がこの時ばかりは残念だった。あ、でも大概1日の半分くらいはクリスマスソングをメドレーさせてもいた。それがまたなんとも楽しかった。クリスマスソングのドライブと、ナパバレーの風景が、いつか思い出すことになるんだろうなぁ、と思いながら過ぎていった。
はい、モノポリーに戻ると、結構なボリュームで音楽をかけながらやったモノポリー、楽しかった。みんな10年以上ぶりのモノポリー。カレンがどかどかと買いまくって大笑い。買えるだけ全部買うと言って破産寸前までむやみやたらと買いまくる。私とビアンカは運がない始まりであんまり買えない。崇はevilなので最初から上手に攻めていった。崇の運の良さは怖いくらいだった。運の良さに頭の良さというかevil精神が重なってもう怖い。交渉の持ちかけ方も超怖い。こんな真剣に生き残りをかけたモノポリーやったことない。モノポリーってもっとわちゃわちゃ楽しむゲームじゃなかったの、という感じの真剣な交渉というか破産しないための遊びは、新感覚であった。最終的に刑務所に入れると天国、という恐ろしいゲームになって、カレンが破産して終わった。楽しかったですねぇ、10数年ぶりのモノポリー。ビアンカは刑務所で悠々と歌って、ドラッグディーラーをやっていた。
EOY trip : 24th Dec
本日は移動日。荷造りをしていて、とんでもない量の食糧だねとなった。来る時に既に荷物で溢れかえっていたのに、12本のワインがすごい幅を占めていた。
今日までずっと曇りかしとしとと雨が降っていたのだけれど、この最終日だけは晴れたのがとてもとても印象深かった。針葉樹の濡れた森に光が刺す朝の時間がとても好きだった。もっとずっとこの家にいたいと思える家に来れたことと、でも確か次の家の様子もすごかったんだよねというのと、未知すぎるこの後待ち受けているRV tripへの感情と、なんか思い出すなぁ、この移動日の朝のこと。
移動は3時間くらい、なかなかの距離だったのだけれど、とても記憶に濃いのはコストコに寄った時間。ランチどうする話をしていて、どんな流れだったのか忘れたけどコストコのジャンクフードランチにしようよ~!と台湾人2人が盛り上がっていて、アメリカンやなぁと思った。食へのこだわりを持ちつつも、ジャンクフードも好き~と言っているあたり、アメリカに染まっているんだなという感想を覚えた。正しいものの見方なのかどうかは知らぬ。
コストコは素通りして何も買わず、トイレだけ使って、食事コーナーへ。衝撃的なピザ製作マシンをみんなで動画撮った。巨大なピザ生地がくるくる回っていて、トマトソースが注入されていた。大笑いだった。
ありえないほどに安いホットドックと0ドルの飲み物を持って車へ。アメリカンロードトリップって感じですねと楽しんでいた、食べるまでは。食べてからは、乗りきれなかった。vivesだけではついていけない味の無さに直面した時間だった。食べ物というよりは、空腹満たしのために物質を腹に詰め込んでいる、という感じだった。でもカリフォルニアの光とペプシのロゴとコストコの巨大な空間とは、本の中で知っていた西海岸な感じで、そういう感覚的な体感はすごく楽しかった。その昔アメリカ現代写真を学問としてかじっていた頃のことを幾度となく思い出していた。あの頃見ていた本の中に写っていた映像の質感が、今自分の現実としてある、という体感があった。
コストコでガスを入れて再出発。空がとても印象的な駐車場だった。
途中、湖や湿地帯を抜けるような道が良かった。
渋滞もあった。
わんこ達が同じ方向を向いて外を見ていて可愛かった。
この日も多分クリスマスソングはかけていた。
この車中の会話だったか定かではないけれど、車中の会話で、カレンもビアンカも、祖父が日本占領時代の家系で、そのふた家庭の日本の見方などの話が印象深かった。最終的に日本が好きになった家系と、一生死ぬまで日本を憎んだままの祖父を支えた祖母の胸の内や、日本の文化がどう台湾に、台湾の家系に染み込んでいるのか、新鮮だった。カレンが歴史が好きなのもあって、中国、台湾、日本、の近代史の話にはちょくちょくなった。その度出てくる祖父母時代の話し。かと思いきやそれぞれボルドーのワイナリー巡りをした話しになるやらヨーロッパ旅行に明け暮れている両親の話しにもなる。近現代史をまざまざと目撃する気分だった。時はトランプ2度目の就任目前なり。ちなみに3人が通っていたコロンビアはパレスチナデモが激し過ぎてしばらく休講だったというタイミングに学生だった人たち。
さてさて、お次の家はPollock PinesというEldorado National Forestの側の小さな山の中の街。エアビー探しをしていた頃は、まっっっっったくどんな雰囲気かわからないままに、とにかく山の中の家探そうみたいた事しか当てがなかった。実際に来てみたら思ったよりも山の中ではなくて、というかやっぱりアメリカは道路が広いから、道がある限りはそれなりに人の気配がある。そんなに隔絶された環境では、全然なかった。ガススタもスーパーも、普通にアクセスのあるPollock Pinesのエアビー。近所のスーパーに寄ってビール買い足して、あー!コストコになんで寄ったのか思い出したー!クリスマスの肉が良いのあれば買おうって話しだったんだそもそも。でも結局良さそうな肉はなくて、ただただ素通りしてランチしたんだった。思い出したわ。で、目的地に近いトレジョに寄って、ホットワイン(モルドワイン)用のワインや試食していたチーズが美味しくてチーズとクラッカーなどを買って、さらにPollock Pinesの近所のスーパーでクリスマス用のリブを購入してから家へ。すっかり日が暮れた。大移動日だった。綺麗な虹を2回見た。
ハイウェイの後半が結構雰囲気が変わって、明らかに森の様相になってくるのがとてもワクワクした。家は、傾斜の大地に建っている家だった。玄関を入ると今度は階段が下に向かってある。今回もバスシャワーは二つ。階下を崇・カレン・ヌヌ、グランドフロアの2部屋が私とビアンカ・ラーメン。大量のワインも一回車から降ろした。
この日は餃子パーチー。私はちょいとばかし仕事に明け暮れ、崇は暖炉の火をつけることに集中。ビアンカはフランス語のクラスがあると言ってリビングでクラスに入っていった。なんだか好きな時間だった。みんな悠々自適に好きなことしているけど、リビングが大き過ぎて過ごしやすい。暖炉の火がつくと崇は日課であるアパート探し、カレンはNYの仕事探し、私は仕事、みんなビアンカのフランス語クラスを邪魔しないようにヒソヒソ話ししてるのがなんとも面白かった。
ちなみにビアンカはそのフランス語のクラスは取り始めてまだ数回目らしい。前のクラスの先生がトランプ支持者と分かった時に大喧嘩になって最低な別れ方をしたと言っていた。それで探していた新しい先生に出会えてまだ数回しか受けていないクラスを、旅先から受けていた。宿題が間に合わない~と言って家に到着するなりごめんと言い残してフランス語の宿題をしていた。
餃子の餡が出来上がった頃にパソコンを離れてみんなで餃子を包んだ。ご飯と一緒に餃子を食べるという習慣がどうしても受け入れられない台湾人達とひたすら言い合いを続けた。日本の食卓では餃子パーティーでは白米を炊くもの、どうして餃子とご飯を一緒にしてしまうのか、餃子はメインであって、ご飯は邪魔。ご飯は汁物と一緒に食べるものであって餃子では筋が通らない。どうしてって言われても餃子と白米はセットなんだってば!という両者絶対に譲らない平行線の会話は、年を越すまでずっと続いた。まぁ良いわ、合わせてみるわ、と言って白米を炊くのは好きにさせてもらったけれど、食卓についてもずっとずっと笑ってた、どうしても餃子を食べるのにご飯があるテーブルが理解できない、と言って。写真見て思い出したのだけれど、サンフランシスの日本食屋で明太子を見つけたビアンカが嬉々として買った明太子をようやくこの日に食べた。
この日の夜はまだもう一つイベントがあるので、一旦切り上げよう。
今夜(1/30)わたくしはカーネギーホールのコンサートに参ります。楽しみだぁ。
Hi hi, 今は1月31日の午後13時57分。たまらなく満足度の高いランチを食べながら悶絶しているところです。と書いて食べに戻り、食べ終わったので食器を片付けてきます。(いつの誰になんの報告をしているんだ。。。)
餃子パーティーのイブのその先を書き終えたいのだけれど、その前に今のランチの話しをメモらずにはおられぬ。その前に昨夜の超適当パスタが絶品だった話もしようかなぁ。昨夜は明太子を食べたところまで書いて、こんなにどっぷり書き進めたのにまだ旅の序盤すら書き終わっていないという事の膨大さを味わいながら帰宅して、コンサート前に食事を済ませたかったので冷蔵庫にあるものでパスタにした。レモンとミントが使いたくてものすごく適当にゴロゴロ野菜のスパゲッティにしたらすごく絶品になった。適当に進め過ぎて再現できそうになくて残念。でもようやくミントのパックが使い終わった。ミントって思っていたよりも全然どんな形でも寄り添えるということを学んだ。なんかもっと主張の激しい、使い方に悩む存在だと勘違いしていたけれど、この度ブルックリンライフを機に印象を改めました。
はて、今朝は(結局食事だけじゃなくて今日の日記も書くんかい)調子の良いジョギングをした。ようやく、ようやく、身体が動くようになってきた。家を出て地面を蹴り出した時に、すごく軽くて心地よかった。雨が降った後の色素を落とした冬のブルックリンの風景が愛おしかった。
昼に、一昨日契約完了した崇のアパートの鍵の受け取りについていった。次にNYに遊びにくる時にはこのアパートに来るのかね、とか言いながら、初めて自分の家に入る崇を撮影した。素敵な家だった。というかそもそもそこは11月に一緒に散歩をしていた日にまさに歩いていた通りで、この辺とか住めたら良いな、などと言ってた場所なのだった。すごいなー。ビアンカ邸で生活していなかったらこんな風にブルックリンで家探しはできていなかったのだから、運命は面白いねってなった。で、その界隈にある行列のできる有名なクロワッサン屋さんに寄ってクロワッサンを買って帰った。最寄駅Grand Army Plazaを降りると、帰ってきたなという感情が腹に来る。Unionに寄って立派なソーセージとアボカドを買って帰って一目散にソーセージをフライパンに放り、コーヒーの準備をする。アボカドは伊丹式(伊丹十三『退屈日記』参照)で。崇はmtgに入り、手をつけられないままランチプレートがそばにある。私は一人悶絶しながら食べ終えたことを書き終えるくらい時間が過ぎた。クロワッサンはとってもビッグ!大きい!ものすんごくおいしかった。けど多分私はあと少しバターを減らしたい。勝手なこと言ってみる。クロワッサンのリッチな感じと、バターの多過ぎない感じの黄金比は少なくとも今回のクロワッサンではなかった。あれ?否定から入っている?いや途方もなく美味しかったのですよ。そしてアボカド。たまらぬ、なんだこの完成品は。最初に掴んだアボカドがものすごくぶよぶよだったので掴み直したアボカドさん、完璧すぎた、ようこそ私の2025/1/31の腹の中へ。そしてソーセージ。こちらも最高。今夜は外食なので昼間にガッツリ調理したご飯とか食べなくて良いや、というのがこのランチ案の発端だったのだけれど、気軽に用意したつもりが途方もなく満足度の高いランチだった。これは日本でも実現できるな~と思いながら、昔、谷口さんが駐在生活を終えて日本に住みたいと思うようになった根っこの部分は、今こうして飲んでいるみたいに一杯のコーヒーのクオリティに満足できる都市に住みたいと思ったからです、と事務所最寄りのコーヒースタンドでランチ後にコーヒー飲みながら言っていたのを思い出した。
幸せの絶対条件っていつまでたっても決めるの難しい。こうしてつらつらしたくなるくらい、食べることも飲むことも(毎日最低ボトル一本空けている日々)大好きだけれど、なくても幸せに生きていくことは結構できる。一生そこで暮らしますか、というと悩むけど、多分そもそも一生同じ場所で、という覚悟の仕方がおかしい。?やめやめ、こんな話し出したらイブの星空の話しにいつまで経っても辿り着かない!!!あ、たかちゃんのmtg終わった。私も無駄話終えよう。
「今日も書いてる~?(EOY tripの日記)」と温め直したソーセージを切りながら聞く崇。
「書いてるけどランチの話ししてエアビーの話しが全然進んでない」私。
Mtgが終わった崇と巡り巡ってなぜかNISAの話しをして時間が過ぎた。ライフハッカー崇は今日も今日とて銀行に行ったので私はいい加減書き進めましょう。
2024年のクリスマスイブ at Pollock Pines。荷解きをしていたらカレンが持ってきたサンタハットが出てきて、被った。被り物とかと無縁な人生を送ってきた私だけど、楽しい。被り続けているとちょっと蒸してくる。サンタハット被りながらみんなで餃子包んで、せっせと焼いた私。合うフライパンが無くてとっても難しかったのを思い出した。崇とギネスを買ったんだけど、ビアンカがギネスは嫌いだと家についてから言って、ごめーん!となった晩。残りのアサヒで凌いでもらった。
23時頃に防寒対策をして出かける。星を見に。車で20分ほどの山の奥に、天体観測のできる駐車場があるという情報を昨夜見つけていて、行ってみよう、という事に。真っ暗で、車のライト以外何も見えなくて、すごかった。
ねぇもしかして雪? と進んでいくうちに何やら雪っぽいものに気が付く4人。進めば進むだけ木につく雪が増えていって、しまいには路面が白くなった。アメリカにスタッドレスタイヤの文化がないのかはよくわからないけれど、ともかくノーマルタイヤの車だということが私はこの上なく怖かった。ちなみに今更の情報なのだけれど、崇とカレンはものすごく運転が荒い。なんと言っても崇は教習所に行ったことがない。アメリカって教習所行かなくても免許取れるらしい。君たちはなんだ、ドバイで運転でもしていたのか、というほど急発進急ブレーキの運転スタイル。ちなみにちなむと私はものすごいスピード狂。でも急発進急ブレーキはしない。アクセルを3以上に踏むことはまずない。1~2で温めて、2の後半でスピードを上げていくのが楽しい。崇とカレンは青信号になったら秒で3~5みたいな感じの人たち。日本でもなんて荒い運転なんだと思ったけど、レンタカーだったから何にも言わなかった。今回もカレンの車なので何も言わなかった。
雪の上では急に身の危険を感じたのでめちゃくちゃうるさくなった。絶対急ブレーキしないで!とうるさい私。わかってるわかってるって。という例のやりとり。ちなみにあたりは既に山道で、スリップでもした日にゃ崖からゴロリです。
そうこうしてついた目的地。駐車場は雪で埋もれていて侵入できなかったので路肩に。車を降りると靴が半分埋もれるくらいの雪だった。
凄まじい星空だった。
感動的な星空を体験すると、言葉に詰まるなぁ。写真で撮れないのと同じように、言葉でも追いつかない気持ちに書く前からなるから、やや諦めの体勢なのかもしれない。
30分くらい車のライトも消してその場を散策していたと思う。5分もすればどんどん瞳孔が開いていって、驚くほど見えてくる。最初は当たりが何も見えなかったのに、すっかり森の様子が見えてきた。当然、見える星の量も格段に増える。流れ星も心なしかゆっくりと流れていく気がした。
カレンは靴がどうにも雪の耐性がなくて早々に車に引き上げる。
ビアンカが星座のアプリをかざして星座講義。
シリウスに心惹かれて仕方なかった崇。
山の麓の街の明かりが、ほんのりと疼いていて、素敵な景色だった。
いつまででも居れる本当に素敵な星空だった。ここでこんなにすごかったら、キャンピングカーで行った先はどれほどだろうねと話したりもした。
��付を超えて、メリークリスマス。
帰り道は驚くほど道が見える。瞳孔が覚醒しまくっていた。そしてびっくりするほど雪道だった。見えてなかったからこれたようなものの、ここノーマルタイヤで登ってきていたって怖過ぎる。
帰宅して、ビアンカは早々に寝て、私と崇は少しウィスキーを舐める。カレンはパソコンをいじっていた。カレンはNYでの職探しを頑張っていて、年明けにアプライしたいところがあるんだけど、キャンピングカーに書類系を持ち込みたくない、ということで色々頑張っているところだった。
さてさて、一回アップしよう。Pollock Pinesで2泊、サンフランシスコに戻ってRV(キャンピングカー)旅。まだまだ続きは長い。
仕事中の崇さんがニコニコしながらこっちを見てきて(ビアンカ邸のひろーいひろーーーーいダイニングのおおきーーーーなテーブルで差し向かいに座っている)
「ビールとかあったら気持ちよくレストラン行けたね」と若干意味不明なことを言ってきたので、すぐさま買いに飛び出してきた私なのでした。瓶ビールを2本買って帰ってきて、「It’s fridayyyy」と2025/1/31(金)16:00に盛り上がっているお調子者たちの冬休みはまだまだ続くとさ。
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newyorkdiary7th · 5 months ago
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美味しいサンドウィッチをめぐる私の思考回路
JANUARY 29th
美味しいサンドウィッチを食べている1月29日17時18分。硬い硬い美味しい美味しいバゲットに挟まれるハムとチーズ。そして粒マスタード。シンプルイズベスト。ソーダ水。完璧。うん、これなら週4くらいいける。そう独りごちる。先日タクオミがほぼ毎日オニオンガーリックスープとパンで生きているというのを聞いて、飽きない!?と無礼な反応をしたのを思い出しながら、このサンドウィッチとソーダの組み合わせは週4でいける、そう思った。先ほどね、週1で行っているパン屋に行って、いつもの通り並んでいたらちょうど、そのパン屋をお薦めしてくれたビアンカからメッセージが来たので「今ここ並んでるよ」と写真を送ったら、「ハムとチーズのサンドウィッチが絶品」というので、思わず買ったのであった。可愛いトートバッグも。バゲットとサンドウィッチとトートバッグで7千円くらいした。凄いわ~~~為替も物価も。家に帰って可愛いトートバッグの中からパンを出したらバゲットの代わりにサワドーが入っていた。あらら。大好きなサワドー。毎日食べているサワドー。ようやく今日こそはサワドーじゃなくてバゲットをば、と思ったのに結局サワドー。美味しいパンは私をとてもとても幸せにする。いい加減Kindleの充電をして、美味しいパンとバターは私の宗教だ、と言い放ったあの『女ふたり、暮らしています。』の名センテンスをちゃんと読み直そう、そう思いながら大きなサワドーをスライスして、2枚ずつジップロックにしまって冷凍した。
“美味しいサンドウィッチ”という語感は村上春樹の専売特許という認識が私の中にはあるのですが皆さんはいかがでしょうか。ちゃんとダブルクォーテーションで括って、ある日のストーリーにあげたら珍しく柴原しほからイイネがついていたのだけれど、どっちだろうか。専売特許への反応かシンプルに投稿への反応か。後者だよねきっと。村上春樹はサンドウィッチに対して小うるさい。そんな春樹さんが愛するレイモンド・チャンドラーの春樹訳を読むという毎冬の習慣を始めたのは、もう6年前。銀世界で暮らした3ヶ月。毎晩暖炉の前でチャンドラーを読んでいた中で、やはり今みたいに、東京へ戻りたいという気持ちには全然ならなくて、でも美味しいサンドウィッチを食べれる街には行きたい、という気にさせられる一文があった。『ロンググッドバイ』村上春樹訳。あの冬以来、毎年年末年始にはフィリップマーロウシリーズを読む。だから、その習慣がついて以来、冬になると私の中に、フィリップマーロウシリーズの舞台であるカリフォルニア、西海岸の風が吹く。ふと、(ほぼ)行ったこともないのにカリフォルニアの空気感が私の中をよぎる瞬間があって、あぁ、そろそろフィリップマーロウ読まなくちゃ、そう思う。
だから、この冬の出来事は、私の中ではとても偉大だった。冬に、西海岸を味わえたこと。フィリップマーロウシリーズの舞台を歩いていること。
美味しいサンドウィッチを食べると決まって村上春樹とレイモンドチャンドラーを思い浮かべる。そして硬くて美味しいバゲットを食べると、その硬さが本当に硬い時には、2014年の冬のベルリンを思い出す。ん、フランスだっけ?うーん、フランスだったかも。フランスのポールで食べたやはりハムチのバゲットサンドがものすんごく美味しかった。ものすんごく寒いパリの街を歩きながら食べたものすんごく美味しかったそしてものすんごく硬かったサンドウィッチのシーンは(たとえそれがどの国のどの街だったのかはうろ覚えになったとしても)一生覚えていられる気がする。
美味しいパンは私を幸せにする。
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newyorkdiary7th · 5 months ago
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EOY trip : prologue
旅のメンバー:崇、カレン、ビアンカ、タクオミ、ナオヤ、私
崇:幼稚園からの幼馴染。NYに飛び出してこれたのは崇がいたから。
カレン:崇のパートナー。昨年の11月からサンホゼに引っ越して仕事をしている。
ビアンカ:崇の院のクラスメイトでカレンとも台湾人同士の友達。建築家。セレブの新居のプロジェクトのため半年ほどLA在住中、家はブルックリン。
タクオミ:ブルックリン在住の崇の友達。建築家。大手建築事務所で巨大なプロジェクトについている。
ナオヤ:カレンの院のクラスメイト。今回唯一、はるばる日本から旅のために飛んできた。参加を決めたのは数週間前。名古屋在住。
始まりは、私が3ヶ月、崇が出張で日本に行く間家を使わせてもらう、というものだった。飛行機チケットを買った後になって、いろんなことが変わり始めて、崇の出張は会社の方向性でなくなるし、崇のルームメイトとの事情で崇は新しいアパートを探すことになった。そんな矢先カレンの就職ががサンホゼになり、その引っ越しを手伝いに崇もしばらく西海岸に行くということになった。年末年始はみんなでAirbnbとかもありだよね、ということになって、私はもう何が何だかついていけないけれど、とりあえず3ヶ月間ホテル生活はできないので、サティアに10数年ぶりに連絡をとり、とりあえず年内の空白期間は埋められそう、ということが渡米数日前に決まった。
年末年始はどこか山奥のAirbnbに行こう、という元の話しが崇とカレンの間で爆発して、キャンピングカーで旅しよう、になっていた。ちょっと突然結論だけ聞いても、心の準備が追いつかなかったけれど、1日くらい悩んでからニューヨーク⇄サンフランシスコの飛行機をえいやっと買った。この時点ではカレンとは一回ビデオ越しに数分話したことしかなかった。
サンフランシスコに飛んだのは12月17日で、サティア宅はすんばらしく最高で、ニューヨーク離れられない~という時期だった。早朝便に乗るのは随分苦労したんだっけね。骨の髄まで疲れてついたサンフランシスコは暑かった。10度を超えていて、まずは服を脱ぐところからだった。
カレンは毎日出社していて、崇は重度の風邪を引いていて、私はどえらく疲れきっていて、というサンホゼ集合をした。ずっとインスタで追っていたサウンドシステムのイベントスペースがサンフランシスコにあるということに気がついて、興味あるの?という感じの2人と一緒に行った。スティービーワンダーを聴く1時間。ほんとはタクオミも12月17日(なぜならここがホリデー価格になる前の最後の安い便)にサンホゼに移動するはずだったのだけれど、重度の風邪が酷すぎて飛行機を変え、結局はAirbnbパートの旅をも欠席することになった。Envelop(サウンドスペース)から帰ってきたらタクオミからそのメッセージが入っていて、みんなで落ち込んだ。というか崇が落ち込んだ。なんとか間に合わないかなと頑張っていた。まぁ風邪を治せるか否かは本人しか頑張れないのだけれど。
サンホゼはつまらない街だった。車がないと何もできない街で、ある意味その究極の真逆の街から来たところだったので、散歩をしても広大な車道と、大型、大量消費社会の典型的な姿の街に、惹かれるものがなかった。NYにいると、みんなの顔色がわかる。全く知らない赤の他人が読んでいる本が分かる。車社会では、人の顔色どころか、人が乗っているのかどうかさえわからなくて、他者の存在すら感じることのない深い深い孤立を感じた。(東京でも人の顔色は見えるはずなんだけれど、東京とNYにはまた大きな違いがあるけれどそれはまたいつか考える。書く。とりあえず東京人はスマホ見過ぎ。)
莫大な高速道路に無数の車が流れていて、『マトリックス』的感覚に襲われる。無数の車が一方向とその反対に流れ、個性が抹消された風景。何かのための流れであって、自分達のための動きには見えなくなるような錯覚。私たちもその風景のごま一粒にも満たない小さな点に化している。流れる車窓は、私が描いていたまさにアメリカの風景で、そう口にしたら、在米暦10年を超える崇が「アメリカの90%はこんな感じだよ。」と言っていて、やっぱりNYはNYなんだなと改まった。
そうしてようやく、旅が始まる。12月21日にサンフランシスコでビアンカを拾って、Rio Nidoという町に車で2時間弱くらい走っていった。
1月26日(日曜日)の書きかけ。ようやく旅が始まるところで中断中。
12/21~12/24
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newyorkdiary7th · 5 months ago
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私にとっての二月。
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newyorkdiary7th · 5 months ago
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JANUARY 25th
「最近トレジョ行ってないね」私
「すっかりユニオン派になっちゃったね」崇
ブルックリンライフでしか起きえない会話を料理の合間に挟む。
トレジョ=Trader Joe’s アメリカ中にあるオーガニックスーパー(安い)
ユニオン=Union Market ブルックリンにある高級スーパー(高い)
今回の旅行メンバーの何が素晴らしかったって、食事をこよなく愛する人が集ったことだったね、と言いながら片方がムニエルを、もう片方がパスタの用意をする21時。私は細かい親に育てられたので調味料は全部測りたい。瓶の蓋が空きっぱなしだとすぐしまうし、切り終えたまな板が放置されてると片っ端から洗ってしまう。習慣の違いが、気にならなくなるくらい多くの食事を一緒に用意してきた1月の終盤。小麦粉を使い切るアテが無さすぎて買わなかったのと、圧倒的肉派の人たちと過ごしていたので、ムニエルをするタイミングがなかったのだけれど、この豪邸にはちゃっかり小麦粉があったので今夜はサーモンのムニエルです。ユニオンでモッツァレラに惹かれたのだけれど、モッツァレラを楽しむには、ブロンクスのリトルイタリーに足を伸ばす以外の道はない。
昨夜はラムチョップ。母上のレシピで好きな料理の中でも、自分で作ったことのなかった、アラブ風のミントを使ったラムチョップ。もう毎日がホリデーの我々は、今日何にする?とネタ切れ満載。絞り出したのが、というか思い出したのがラムチョップだったので初予(はつよ=母)さんにレシピを聞いた。「肉離れをして久しいのでレシピが手元にない」と返ってきた。のはLA突撃の前のこと。数日後にラムチョップのレシピが送られてきたけれど、私はLAで塩胡椒オイルのミニマム調理に明け暮れていた日々。ユニオンではラムチョップもミントも手に入るので、いざ、と。ワインショップに行ったらテイスティングテーブルがあって五種飲んだ。崇やビアンカといてすごくスムーズなのは、赤の好みが基本近いこと。満場一致でテイスティングテーブルで飲んだ三種の赤に好みのものはなくて、スペインのXarel-Loという二人とも知らなかった白を即決した。その後の赤探しも楽しかった。この店をこよなく愛しているアルバイトのお兄ちゃんに求めている赤探しを手伝ってもらった。Malbec95%の18年。一人一本握りしめてマイナス10度のブルックリンを闊歩した。
ラムチョップは抜群に美味しくて、やっぱり自分はスパイスを使う料理が好きだなぁとしみじみしながら赤ワインは気付けば空いていた。ちなみに我々は今のところシェーブル80%みたいなバランスでシェーブル比重高めに毎日チーズを食べている。ワインとチーズの中毒性から逃れられないブルックリンライフ。
さて、ミントをですね、使い忘れたんですね、ラムチョップに。最後の盛り付けに使う肝心のミントを、鍋からラムを救い出して皿に移し、うまそーうまそーさわいじゃってそのままテーブルについてしまった。シェアハウスという言葉の響きに含まれる意味合いの、日本のそれとアメリカのそれの大きな乖離と、ニューヨークで起きているシェアハウス事情とその人生の豊かさや未来図を語り合うのにミントは不要であった。
そういうわけで、今夜はミントを使いたい。私はミントはカレーくらいしか持ち前のレシピがないのだけれど、今夜はカレーの気分ではない。エスニックの気分でもない。そこで。パセリを使う大好きなムニエルのソースをミントバージョンで作ってみる方向に決まった。それでもミントは余ったので、今私の中には明日はラム酒を仕入れてくるという計画が少しある。レッツドゥーダモヒートナイト。モヒートのことを考え出していたらもう何を書こうとしてpagesを開いたのだったか思い出せなくなった。思い出せなくなったというところまで書く数秒を経て思い出せたので続きを書くけれど、いつものように、長い長い脱線になってしまったなぁ。
EOY tripです。旅について、やっぱりどうしても書いておきたい。LAの日々では、目の前のことが98%くらいを占めていて、特に最初の数日は倒れるくらいまで仕事のことで頭がいっぱいだった。ベッドに座ったらもう立てなくて生まれて初めてピースのロゴを着たまま寝た。笑 数日経ってエアビーに移れて、いろんな余裕がうまく嵌まり込んできたあたりで、少しづつEOY tripが胸の内で頭をもたげてきた。今カリフォルニアはLAにいるという事実と、ほんの二週間前まで北カリフォルニアを旅していたことの繋がりや、運命のおかしみなんかが、ドライマティーニのオリーブに刺さっている串くらいの存在感で私の中で揺れ動いていた。
LAでは最後の日曜日を完全オフにして、みんなそれぞれ楽しんだ。私は朝にビアンカとカレンに会えたことがものすごく良い時間だった。ビアンカの中にある途轍もない優しさや他者の痛みを背負ってしまう繊細さを目の当たりにした。カレンはカレンのままで、ピースが何をしているのか教えて教えてとハツラツとしていた。結局私は英語力の限界と、大して報告できることもないのとでそこそこの話ししかできなくて、その後はただ楽しく友達トークをしていた。時は次期大統領就任1日前。地獄の始まりは明日、今夜は飲んで荒れよう、というムードがみんなの中にはあるらしい。
二人と別れてチームの二人のお迎えにまたLAを横断して一人また一人と送迎をしているうちに、友達に会っていた1時間がどれだけ自分の心を解放していたのかに気付かされた。9日間、ほとんどシャワーと睡眠以外の全ての時間を一緒に過ごしていた人たちからほんの1時間、解放されたことの大きさは凄かった。
あぁ、また脱線してしまった!!!
つまり、旅で金輪際かと思っていた友達たちに、信じられないくらい早く、信じられないような物事の運びで、再会した、という運命のスピニングを、一言で言うなら楽しんでいると言うことです。
そんなLAすらももう歴とした過去になるくらいに今私はブルックリンライフというシーンにいる。そして日に1日は、「本当に最高だったね(旅)」という話になる。フライパンでじっくり縮んでいくサーモンを見守りながら、トマトの皮の湯向きが済んで、スナップエンドウを茹でる用意も済んで、崇が作っているパスタソースの湯気を眺めながら、とてつもなく美味しいゴートチーズ(シェーブルなのかどうか見極めのつかないゴートチーズ)に歓喜の小さな悲鳴をあげながらチャバタと合わせて食べていて、今夜は、今夜こそは、EOY tripを綴るぞ、と胸の内で小さく決心した。
でも結局、22時半とかに始めた夜ご飯はあまりにも満足で、そこから我々は始めようとしているプロジェクトについていよいよ作業を開始してみることになり、執筆時間はどこにもなかった。「friend’s」というプロジェクトを動かそうという話が既に11月くらいから起きていて、ずっと動かそう動かそう言いながら出来てこなかったので、昨夜はとりあえずgmailを作って、ホームページ作成のアイディアをブラウザしながらロゴのデザインを書き散らした。乞うご期待、というか中途半端なことにならないように頑張れよ自分&崇。
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newyorkdiary7th · 5 months ago
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2025 January 23rd, 16:29
ようやく、日記を書く。というか最早日記ではなくて感情を文字にする。残したいのかどうかさえよくわからないけれど、何も書かない毎日があったことの反動で、とりあえずなんでも良いから書いてみたい、そんな現時点。
今朝はカリフォルニアの車生活の反動でとにかく走りたかった。マイナス9度の氷の世界に飛び出して行ったのだけれど、流石にジョギングは悩ましい真冬だわ。そもそも体が弱っていて、LAでの車生活と、貧困の食生活とで体が本当に弱っているので、走るとあっという間に体が悲鳴を上げる。プロスペクトパークを走るというのは夢のようで嬉しいのだけれど、雪が固まっているので大通りしか走れない。寒さでちょっと頭が痛い。間も無くして気持ち悪くなって、こりゃ相当体力無くしたのねと悲しい。車生活怖い。
昨日は有名なクロワッサン屋さんに出かけたのだけれど予告もなく閉まっていてあら残念と散歩をした。最高に楽しかった。なんだか好きすぎるお店に出会ってしまって、日頃自分の頭の中にある意味のなさそうなふわふわした哲学的思考をそっくりそのまま冊子にしたみたいな冊子に出会って静かに興奮しながら2冊買った。りんごに関する思考と、トイレットペーパーに関するそれの2冊。58ドル。恐ろしい。調子に乗ってその後に行った好きな本屋で出会った難しそうな今度は本当の哲学書も買ってしまった。タガが外れているというか完全に例の、むやみやたらと哲学的な書物を欲するシーズンに落っこちてしまったみたいだ。急だった。そして気がつく、もう2月になっちゃうじゃないか、と。
ところでLA。色々あったけど、良かったことはMKに出会ったこと。趣味も価値観も合わない部分が大きいのに、どこかのチャンネルが合っていて、何よりも大切なのは会話が成立したこと。久しぶりに新しい誰かに出会う感覚を覚えた10日間だった。やつとは何かと人生哲学を話してばかりいた。私はピースのYouTubeのサムネが背筋が凍るほど嫌いで、サムネも字幕も、文章も、全部、本当に趣味が合わなくて、過去にはそれでピースをやめようかと思った事さえあった。笑
でもお金は必要で、嫌で仕方ないけれど、視聴率と金額は本当に紙一重で、ピースが生き残ってくれなかったらいずれ私も食えなくなる訳で、それぞれの専門に任せることにした。そういうわけで3周くらい回って今では広報の仕事を尊敬している。自分には絶対にできないことだから、仕事であのような事をしている人たちをすごいと思っている。MKとは相入れない撮り方、編集の仕方、発信の仕方、がたくさんあった。普段の仕事では犬をいかに可哀想に撮るかを頑張っているらしい。そういえば母が、「ピースワンコのインスタはあまりにも辛くて見てられない」と言っていたのを思い出した。であればMKはやり過ぎなのかもしれない?でも過激なものによってたかる人間心理からするとやり過ぎくらいが稼げるのものなのだろうか?
カメラと同行するのはかれこれ3度目。今回もずっと真実と広報について考えていた。何にも答えは見つからなかったけれど。なんでこんな話を始めたのだったっけ?
あぁ、哲学的モードに突入した、という感想を書いていたら、MKとは面白いくらい人生哲学を話してばかりいたなと思い出したんだった。彼のバイブルは進撃の巨人らしい。観るわ~と言って別れたけれど、帰ったら崇が「えー、1話で離脱したんだけど」というのでちょっと早くも躊躇している。困った。そして私はバイブルを持っていない。半年弱前、神石での車の中で好きな本を教えてくださいと言われて『存在の耐えられない軽さ』『すべての見えない光』ドストエフスキーあたり、と言ったら、くみさんが全部読んだことはないけど作者を知っていて面白かった。聞いた本人(シバハラシホ)は一ミリも分からないということで逆に面白かった。で、話が得意の離脱モードに入っているけれど、それで、私はバイブルを持っていない。好きな本ですら1冊を選び切ることができない。バイブルは散らばっている、いろんなところに潜んでいる。それを自分という一冊にまとめる作業こそがそもそも日々を積み重ねることかもしれない。
さてさて、今は何時だっけとカフェの外に目をやろうとしたら、隣の席の人が小さなノートにずっと絵を描いていたことに気がついた。素敵だなぁ。昨日のカフェも素敵だった。どこのお店も犬の入店が当たり前の世界線なのだけれど、昨日のカフェではソファで犬がくつろいでいて素敵だった。犬はとっても懐っこくて一度目があって撫でられにやってきてからというもの、私の膝下から離れることがなく、ずっと撫でてた。
いよいよ、滞在は2月中旬までに延ばしたけれど、いよいよ本当に残りの日々が始まってしまった。楽しみきって悔いなく過ごしたい。
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newyorkdiary7th · 6 months ago
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ビアンカがホットハニーレモンジンジャーを用意してくれている。ポッドでお湯が沸いている音がする。ジャケットのフードを被ったまま熱心に本を読んでいるナオヤがいる。私はそれらから1~1.5mくらいのところで膝にパソコンを開いている。左膝にはラーメン(小さな柴犬)の熱を少しだけ感じる。時刻は16:56、12月28日、RV(キャンピングカー)トリップの3日目。RVに乗ってから、丸48時間が経ったのかな。時間のことはよく判からない、不思議な心地だ。
他の3人はRVの外のテーブルに居て何やら話し込んでいる。きっと明日のプランだろう。
6人もいると、行動は大変かと思いきや、全然。ノーストレス。
旅は、その序章が12月21日に始まった。崇とカレンとヌヌ(おでぶな柴犬)と出発した際の事はもはや鮮明には思い出せない。自分の記憶倉庫の小ささに本当に驚く。
ビアンカは音楽が好きだ。いや、みんなそれぞれに好きだけど、誰よりもすぐに音楽をかけて、誰よりもみんなが納得をするDJをするので、もうすっかりDJの座はビアンカのものになった。ホットレモンをみんなに配った後、本を開いてすかさず、音楽かけて良い?と断ってから、静かなジャズが始まった。
ビアンカとは12月21日に初めてサンフランシスコで落ち合った。ビアンカはニューヨーカーなのだけれど、今は仕事でLAに住んでいて、休暇はサンフランシスコにいるという。公開は禁じられている途方もないセレブの家を建てる仕事に就ているところとのこと。この部屋の外では話しちゃダメよ、と言いながらセレブの名前を教えてくれた次の日には、この車の外では話しちゃダメよ、と車内で話して、ここ以外では話しちゃダメよって言ってみんなに言いふらしている、と笑っていた。ビアンカは崇のコロンビアの同級生で、そのままアメリカで建築家になった。崇は建築でコロンビアに入ったのに、卒業する時にはメジャー変更をしてすっかりテックの人間になった。
台湾人達は皆洋名を持っていて、「ビアンカ」と言われてもどんな人間を想像していいのか今一つわからなかった。
初めて彼女を目にした瞬間のことはとても鮮明に憶えている。
私は車の後部座席に座っていて、眠くて、降りなかった、ビアンカの家に着いた時。崇とカレンが降りて、お団子を高い位置に作った背の高い女性が現れた。手の振り方���か、ヌヌを可愛がる「オーマイガッ」の発音などから、とてつもなくアメリカンな雰囲気を感じ取った。それがほんの5秒くらいの間に捉えた第一印象。
聞いていた話は、すごく料理をする人、ワイナリー巡りには熱心だと思うということ、くらいかな。買い物リストをカレンとビアンカが作ってくれていて、もう本当に凄まじい量の食材が並んでいて、私と崇はどうやって二人の暴走を止めようか、と目論んでいた。そんな感じで初めましてをした。サングラスを額に乗せたアメリカンな彼女が隣に、小さくてシャイな芝犬を膝に乗せて乗り込んできて、ようやく2024EOY tripの始まり。
まずはサンフランシスコの日本食スーパーに行って買い出し。特に恐れていたような暴走はしなかったし、レトルト食材を平気で買う感じから、聞いていた「ビアンカ」象は早くも改まる。
最初のAirbnbに向けて車旅が始まった。その柔らかな口調が、第一印象のイケイケ系アメリカンな印象を改めていく。気遣いの細やかさも「良い人」感が強まる一方。
1件目のAirbnbはものすごく大きかった。元々6人+2匹というプランで予約して、直前で来れなくなった人がいて4人プラス2匹になったので一人一部屋あるやらもうとにもかくにも広い。アメリカンピーポーと旅をするととんでもない贅沢をする事になるんだなぁ、という感覚。難しいことは考えず、ここまで来たんだから楽しみ切れれば良いなという思いでスタートした。
一通り贅沢すぎる家の、扉という扉を開いてキャーキャー言った後、ビアンカはすぐさま犬の散歩に出た。(という記憶があるやらちょっと自信がないやら)。タカシとカレンの犬の飼い方にかなりカルチャーショックを受けていた(散歩に出ない。基本寝てる。贅沢なご飯。プリンセスプリンセス)ところなので、ビアンカの犬ファーストな様子にはちょっと安心した。稼いでるんだろうなぁ、というオシャレな革リードに、こだわったドッグフードに、すごいわ。インディペンデントウーマンね、と私のことをおちょくったその言葉、そっくりそのまま本気でお返しするわ。
最初の晩は鍋をした。私は何かと洋食ばかり自炊するので、みんなのアジア食好きが面白い。長いこと自国を離れると、できるだけふるさとのものが食べたくなるものなのだろうか。私は昔から、どこに行っても、日本にいても、主食はパスタだし、米はリゾにしがちだ。みんなでつつく鍋はもちろん美味しいし、一向に不満はない。
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今は12月29日(日)の23時47分。私は早くも3泊目となる(実際の感覚はもっとたくさん泊まった気がする)ロフトでの寝床(キャンプ用のマットレスに寝袋)を用意して上記までの記述を読み直しながら再び少しだけ書いてみようかと思う。既にカレンの寝息が聞こえて、ナオヤが扉を開いてキャンピングカーを出ていった、おそらくトイレかシャワーだろう。
私の寝床の真横に寝ているビアンカにはタイピングしていても平気?と聞いたら「I can sleep in any condition」と3回目くらいの同じセリフを聞いた。
カレンのベットには犬が2匹寝ていて、奥のキングベッドにはタクオミとタカシが居る。タクオミはDUNEを英語で読んでいる。タカシ(=崇)はスマホをみていて、私の真下のベッドのナオヤもスマホを見ている。なんだかすっかり日常を感じる、キャンピングカーに。素敵な感覚だ。
キャンピングカーの第一印象は、思っていたより広い!だ。とても広い。
とはいえ6人(+2匹)で生活するので、言うても割と一杯一杯。
今日は雪山ハイキングをした。ビアンカと二人で朝の5時に起きてみんなのランチボックスを拵えた。カレンもすぐに起きてきてたくさんのベーグルにひたすらクリームチーズを塗ってくれた。雪山はとても本格的で大変だったけれど、下山後のロッジがとても素敵だった。
帰宅後のシャワー、そして魚介のリゾットはもうこの上なく最高だった。美味しかったなぁ。毎食とてつもなく贅沢に食べることにみんなで一心になっている。
一つのキャンピングカーの中で、毎晩異なる展開が、計画外で形成されていく感じがものすごく面白い。たとえば今、3泊目の夜は、上述のように、寝る人は寝たけれど、書いている私を含めて起きている人は起きている。このケースは初めてだ。
昨夜はみんな焚き火の煙臭が凄まじくて、シャワー浴びた人からどんどん寝ていった、翌朝が早いので。その前は、、、と考えてみて、今晩は既に4泊目なのでは!?となった。出発日は26日なので、29の晩というのは4日目?
毎日楽しいことがあって、もうよくわかりません~。
旅の始まり、Airbnbパートの12月21日に話を戻そう。
最初の晩は鍋をして、うわー!たくさんDVDがある、とかジブリ映画の話とか、スターウォーズ観ていないなんて、というお決まりの話とか。
ともかく家が贅沢すぎて、もうここに一週間は泊まりたい、そう思っていた。旅好きが伺えるインテリア(いろんな旅行先が収められたたくさんの額縁がいろんなところに散りばめられていたり)に、全てが使い居心地の良いグッズ、空間。(使えるリキュールを揃えなかったけれどシェイカーがあった。今度からアメリカのサマーハウスに行く時はカクテルセットを持っていきましょう)
ポーカーを一通り楽しんだ後に、おやすみと解散して、私はリビングで本を読んでいた。しばし集中していたら、突然にビアンカの部屋の扉が開いて、「気づいちゃった!」というので、何かの大事だと覚悟の気持ちで続きのセリフを待った。スターウォーズを半強制的に観させられていたAVスペースのタカシも、どうした!?という感じで固唾を飲む。
「餅を食べ忘れちゃった!」とビアンカ。
タンユェン、と言って、中国では冬至の日に欠かさずに食べる団子があるのだそうだ。カレンとビアンカはいずれも台湾人である。
眠って目を閉じていたのに、急に思い出しちゃった!という。
私とタカシは冬至のこだわりは無いものの、私はありがたく楽しく、その文化を味わった。
団子を拵えて、楽しんだ後に、健やかにおやすみ~!と部屋に引き上げたビアンカ。
翌朝は少し散歩をした。ネイバーを味わうのはとても楽しかった。別荘街を丹念に歩いて、建築物などを楽しんだ。もののけもののけ言い合っていた雨林帯に、木の家はカビそうだなと思ったり、深い緑の中に一台の真っ赤なジープが良く映えたり。
はて、22日は午前中から本当によく飲んだ。ワイナリー巡りある。
1件目には11時にJoseph Phillips。晴れではなかったけれど、ワイン畑のドライブは最高だった。10年も経つけれど、南仏巡りが鮮明に思い出されてノスタルジックなドライブ風景。
JPは身の丈に合わない気がするくらいゴージャスがすぎる空間。ぶどう畑が広がる展望を存分に活かした建物、玄関。駐車場からわざわざルートが定められて入り口まで誘導されるのだけれど、通る時には“なんで?”となる。どこを歩いても玄関に行けるのに、なぜわざわざここを通るようにと定められているのか、と。
リッチな空間に入った後、ウェルカムシャンパンを片手に席まで案内される。座席は背の高いテーブルに座高の高い椅子。溢れんばかりの輝くグラスたち。全員の氏名が印字されたワインリストも重厚なバインダーに挟まっている。あまりの裕福な環境に馴染みきれていない間に、スーザンが登場。恰幅が良くて背は低め。セーターにはコルクが縫い付けられていて、ツリーになっていた。ライトがキラキラとコルクと一緒に縫い付けられていて、ゆかいこの上無い。重厚なメガネに、クリスマスなイヤリング。誰しもが楽しくなる人がスーザンだ。
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今は1月3日の15:42。San Joseのダウンタウンにあるカフェに、タカシとナオヤといる。日本ではカフェでMacBookを開くのにほんのちょっとだけ抵抗を感じる。なんかそれっぽくなるのがすごく嫌で。笑 アメリカではMacBookがiPhone人口くらいの勢いなのでなんとも感じない。私たち日本人3人はややBGMの音の大きすぎるカフェの大きなテーブルでそれぞれのMacを開いてそれぞれなんかやっている。私は29日の夜中にキャンピングカーのロフトで少し書き進めたその日からさらに1週間前くらいの日記を読み直したところ。
旅が終わった。
旅が終わるのはいつも寂しい。でも今回はそれなりに肉体的な疲れもあるし、NYCが好きすぎるので帰ることが楽しみでもある。でもNYCに戻ったら残り後ほんの20日間ほどで、本当の帰国になるので、そのことを想像するともっと寂しくなので先のことに思いは馳せないようにしている、そんな1月3日。正月感は全くない。元日の朝にキャンピングカーのキッチンでビアンカとお雑煮を作った時間が正月感のピークである。
昨夜はMBAの試合を観に行った。とてつもなく楽しかった。クラブにいるみたいな騒ぎだった。アメリカってこんな感じなんだなぁ、と改めて体感もして楽しかった。朝は仕事に行ったカレン以外のみんなで素敵なカフェで朝ごはんを食べた。都市に戻るこれ以上なく最高のやり方なんじゃない?と好きな時間だった。テラスで朝食食べる冬の西海岸最高。朝ごはん食べた後はビアンカのオフィスで少し仕事をしてからSF散歩をした。
その前の晩、すなわちRVを降りてカレンの家に戻ってきた最初の晩はみんなで『あいの里』に(布教を受けて)没頭して寝不足になった。
今日の午前は写真のアップロードに費やした。初めて見る動画が沢山。見直し出してみて、もうRV Tripが手の届かないところに去ってしまった感覚と直面した。旅の全部が、あまりにも最高だった。RVを降りてからも結局みんなで一緒にいるから、旅が終わってしまった感覚が急激ではない。普段の旅行や登山では、山を降りたり、駅についたりすると友達と解散をするから、その瞬間からどっと襲ってくる、旅の終わりの感覚が。でも今回は、終わった後もみんなでご飯食べて、シャワー譲り合って、買い出しの話をしていて、なんだか新しいカタチだ。
ビアンカ(私の1月の大屋さんになった)は昨日LAに戻った。
ナオヤは明日日本に帰る。
私は明後日の早朝にNYに立ち、タカシとタクオミは明後日の夜NYに立つ。
SJに残るカレンの寂しさを想像すると他人のことながら胸が潰れそうになる!友達と一週間くらい過ごした後にみんなが帰って行った時のあの感情の、今回はどれほど膨大なものになるのだろう。ボーイフレンドまでもみんなと同時に去っていくのだから。
崇が昨日仕事のmtg中に、once in a lifetime levelの旅だった、と同僚に向かって言っていて、アメリカっぽい大仰な表現だなぁ、と隣でMR作りながら片耳で聞いていた。でも今こうしてpagesを前に書きたい気持ちと何を書けば良いのか、という気持ちと、どこからどうやって記録すれば良いのか途方に暮れる現実を前に、確かにこの旅は、どこから手をつけたら良いのか自分でも手に負えないくらいの大きな大きな旅だったんだなぁ、と実感している。スパイシーなチャイラテが切れたのでpagesも新しくして何かを書いてみたい。そういえばチャイラテを作ってくれたお姉さんに「by the way あなたの名前とても素敵ね」と言われて嬉しかった。アメリカでそんなこと言われたの初めて。
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newyorkdiary7th · 6 months ago
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西海岸day3
DECEMBER 20th Fri
カリフォルニアに来てから3日目。カルフォルニアに来てから一度も文字を書いていないし、本を読み進めてもいない。でも今朝は少しとこの日記を読んだ。良いなぁと思った。数年前のとこの生きた時間がほんの断片ながらもこの上なくしっかりと伺うことができて。送ってもらった古賀及子さんのnoteを読んで唸り、そしてとこの文章を思い出した。布団の中でとこのタンブラーを引っ張り出し、いや引っ張り出すような気持ちでページを探し出し、読んだ。
サンホセ、サンフランシスコで過ごす数十時間の間に、ニューヨークシティを離れたところから感じ始めていて、その感じ始めていることを文字に落としておきたい気持ちがずっとあるのに、パソコンを開くタイミングがずっとない。またいつかちゃんと書けたら良いなぁ。
今日は一日サンフランシスコを巡った。
今日は初めてアメリカ合衆国で運転をした。
今日はフォーを食べた。
今日はずっと頭が痛い。
サンホセは静かだ、NYCに比べて。でも車の鍵を閉めるときのアラームがうるさい。アラームというかクラクション。(あぁ、頭痛がひどい。)クラクションがうるさいので中学生くらいの頃に見た『ノイズ』という変な映画を思い出した。youtubeで予告編を探したら、NYCのサイレンの音が聞こえて、あぁ今はなんて静かなところにいるのだろうと、iPhoneのスピーカーから聞こえる予告編の音声にそう気付かされた。
サンフランシスコではまずはヒッピーの聖地に降り立った。崇に案内されるがまま、ハイト・アッシュベリーというヒッピーの聖地にまずは降りる。そう、言葉のあやではなくて文字通り降りる。そう、ずっと車に乗っている、カリフォルニアライフは。車では頭痛と眠気で寝た。すごい間柄だなと思った。運転させて、寝た。
ちゃんとヒッピーが居た。NYCの寒さでは野外生活は不可能だろうけれど、西海岸では路肩にテントが貼ってあったりする。ギターをポロロンと奏でているヒッピーもいた。なんというか、とても不思議な界隈だった。外国に来たみたいだねって言い合った。建造物がまずとても不思議で、不思議というかサンフランシスコのスタイルなのだろうけれど、不思議。おもちゃみたい。基調はヨーロッパから来ているけれど、色使いがアメリカっぽくて、ほんとによくできたおもちゃを拡大したみたいな家が立ち並んで街になっている。不思議な家並みを、より一層ハッピーにヒッピーな感じにしたのがアッシュベリーだった。
崇がトイレに行きたくて仕方無くなったのと、寒かったのとで、noodle shopという小汚い(褒め言葉)店にそそられた、崇が。私は基本的に頭痛を抱えていて空腹ではなかったのだけれど、別に合わせるよという感じでフォーが食べたいという崇に従った。何件かあったアジア料理の複合店を巡って、一番よさそうだった場所にはフォーがなくて、フォーがメニューに載っている店に行ったらフォーは後1時間くらいしないと出来ないと言われた、時刻は11時半くらい。
「じゃぁもういっそのことリトルイタリーにでも行く?」と私。
「でもスープ飲んで温まりたい」崇。
ということで車に戻って、私が行ってみたかった本屋のあるリトルイタリーに向かうことにした。めげずにその辺りのフォーを調べた崇、「この辺に数件ベトナミーズがあるから行ってみよう」と。
目指したベトナミーズがある界隈は大変に治安がよろしくない雰囲気だった。サンフランシスコでは平気で車の窓ガラスが破られるそうだ。窓ガラスのない車がたまに走っている。運転手のいない無人のタクシーはたまどころではないそこいら中を走っている(今度東京に来るらしい)。なんとか駐車スペースに車をねじ込んだ我々は、私物を全てトランクに隠し込んでフォーを目指した。
するとどうだろう、電信柱の上の方で揺れている旗に、リトルサイゴン、と書いてあった。
「ねぇここリトルサイゴンだって」
「メイクセンスだね」
先日部長がメイクセンスですねと言っていた声が脳内を泳ぎ去った。
すごく良さげな、すなわちすごくローカルな感じの Pho 2000 という店に入った。ヒッピータウンではまだお腹の空いていなかった私も、いくばくか食べれそうな感じになってきたので、ハノイでは200円くらいで美味しく食べれたフォーに、2000円以上かけて冒険することになった。
店の中には本場を感じる匂いが充満していて期待できた。これは実に本場な香りだ、と少々興奮しだす私に対し言い出しっぺの崇は、日本とアメリカでしかフォーを食べたことがないから本場が分からない、と言う。 生のもやしとバジル、ライムを盛った皿が乱雑にテーブルに運ばれてくる、良い感じだ、それっぽくて。 フォーは麺がそうめんくらいの細さだった。「細いね」と言ったら「アメリカのフォーはだいたいこれ」と言っていた。 フォーのスープは美味しかった。麺も悪くはなかったけれど、勝手にペラペラの麺を想像していたので、そちらが少し恋しくもある。チキンは残念なお味だった。久しぶりに食べ物をためらい無く残した、それくらいチキンはいただけない味だった。
総じて、なんだか可笑しかった。カリフォルニアに来て3日、サンフランシスコのリトルサイゴンで本場を感じるベトナムを味わっている。(あ、ハノイで食べたフォーはどれも絶品だったので、味のクオリティはちょっと別物)
満たされた私たちは無事だった車に戻って、リトルイタリーに移動した。どこにでもあるんだなぁ、リトルイタリー。そしてここのカフェもキャッシュオンリーだった。リトルイタリーには現金を持って参じましょう。カンノーリはあのカクテルに入っている色のチェリーが付いていたので遠慮しておいた。ここのリトルイタリーは夜のバー巡りが最高だそうです。
目指していた本屋、ビートニクの本屋に行って、ビートニクミュージアムのミュージアムショップを歩いて、チャイナタウンの合奏をBGMに聴きながらリトルイタリーの丘を登った。
やっぱり家が面白くて、急な坂を見下ろしていたら、急に『ロンググッドバイ』の映画のワンシーンを思い出した。
そうやって、サンフランシスコが自分の中に染み込んでくる感覚を味わった。
それからやっとゴールデンゲートブリッジに向かった。 サンフランシスコといえばゴールデンゲートブリッジだろうに、慣れた人に連れて行ってもらうと最後になってしまった。でも今日はほとんど一日曇っていたのに、橋を展望する場所にいた数分だけは晴れた。タイミングすごーい。
リトルイタリーの坂の上で、スケボーに座り込んだ青年達が上質なスピーカーで音楽をかけていて、そのシーンが大層気に入った私たちは彼らの音楽をシャザムして、それをかけながら橋に向かった。
Current Joys
非常にハマった。あの時間とはじめましてのこの音楽が。あぁこれはきっと遠い未来にも愛でることになる類の時間の中に今いるなぁ、と感じながら夕方に向かう車窓を見ていた。そしてついにゴールデンゲートブリッジの御目見。
ゴールデンゲートブリッジは、会った事はないけれどその存在を勝手に拝借してきた過去がある。先の長い目標を定めた時に、ルート66を走りきる、などとメタファーにして、いつかゴールデンゲートブリッジを渡る日まで諦めちゃいけない、などと言っていた、胸の内で。だからほんのちょびっとだけ、コバエの前足くらい少しだけ、感慨深い気持ちもあったりなかったり。いかんせん、展望スポットにいた時だけ西陽が射したのは嬉しいラッキーだったわね。
そうして駐車場から展望スポットの往復を歩いている5分くらいの間になぜか私は「I love you baby…」がエンドレスループをしだす。そのフレーズしか空で歌えないのだけれど。ヒース・レジャーが『恋のから騒ぎ』で歌っているあのシーンが脳の3%くらいを占めて仕方ない時刻だった。車に戻って、それが「Can't Take My Eyes Off You」という60年代に生まれた曲だということを知って、2回ほど繰り返しかけながらサンフランシスコの丘をドライブした。アメリカでの初めての運転。
夕暮れと、ゴールデンゲートパークの中のドライブコースと、ユニークな姿の高級住宅街と、丘に次ぐ丘と。山沿いのハイウェイを1時間ほどドライブして帰路に着いた。二人してとても具合が悪いけれど、やった事はどれも楽しくて、変な思い出になりそうだねと話していた時の車窓をずっと憶えておきたい気分。
いつか書いておきたいことリスト
・カリフォルニアの、人と接点のない車社会
・グッゲンハイム美術館とNYCが好きな訳
・運転と音楽
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newyorkdiary7th · 6 months ago
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飛行機内メモ
DECEMBER 17th
決意、決断が胸のうちに着地する感覚。 何かに触れて、目から鱗というか、スッと落ちてくる時もあるし、 悩んで悩んで悩んで絞り出した方角が徐々に染み込んできて納得する時もある。 なんとなく面白そうだからと流されてみる時もある。でもそんな時でも胸の奥、深層部分では納得をしたから乗り出すというか、その決断に少なくとも責任を負う意思は固まっている、流れに乗るような時でも。
サンフランシスコ行きは私がこれまで何かを選び取ってきた中ではかなり流された方。 「一緒に行きます」と答えるまでも、答えてからも、問答がしばらく胸の内に燻っていた。 本当に?私は今の自分の時間を費やしてNYを用意したのに、ほんとに行くの?わざわざ真反対まで。 最初は、崇の誘いだったから、一緒に旅をすることになんの躊躇いもない相手だったから、 その中身に全幅の納得がいっていなくても、とりあえず楽しいだろうから、ま、それもありかな、みたいな感じでYESだった。 そんな感じで決めた事だからしばらくは燻った、本当に行く?ニューヨークのクリスマスもニューイヤーズイブも逃して、行く?結構な出費だけど?初めましての人たちばかりで?
この旅がどんな時間になるのか、していけるのか、まだまだ未知。 でも、今、AM10:43(どこ時間かは分からない、多分ミネアポリス)、サンフランシスコに向かう飛行機の中で、 既にこの旅に出た事は良い未来に繋がっていく、という嬉しい直感が満ちた。
昨夜、今朝、は寝ていない。徹夜なんて久しぶりだ。 日本を出る前、ビザのことでバタバタしていて、サンフランシスコ行きはもう全然眼中になくて、考える余裕がなくて、とりあえず飛行機だけ押さえた。ニューヨークにある3つの空港のどれがなんなのかもろくに調べずに、とりあえずパパッと取った、という感じだった。
ニューアークの空港はニューヨーカーにとって1番行き辛い空港だということはNYに着いてから聞いた。 朝6時のフライトで、4時頃には空港に着きたいなと思って調べたら乗り継ぎがすごく悪くて1時には出発しなくちゃいけなかった。 基本12時まで仕事に就いているから、こりゃ寝る暇なしか、と。
深夜のNYCの郊外はすごく怖かった。 駅では喧嘩はおっぱじまるし罵られるし。NYCで初めて怖いという感覚に出会った。公共交通機関は基本24時間動いているけれど、郊外になると深夜は閉まっている通路などもあって、どこから地上に出れるのか、どこからホームに行けるのか、本当に難しくて、荷物は重いし、雨だし、中々参った。
乗りたい電車のホームへの行き方がどうしても分からなくて放浪しまくり、誰もいなくて聞けず、 先日スーザンが「NYCはみんながみんな本当に助け合っているからね」といっていて、大概大賛成しているんだけど、そもそも助けを求められる人が見当たらない時刻に知らない場所に行ってはいけませんねえ、と思いながら、ようやく、白髪のおばあさんがカートを押しながら歩いている姿を見つけて近寄った。おばあさんの眼球がクルクルしていてどこを見ているのか全然分からなかったけど優しかった。あの建物の入り口を入って、地下に行くと電車へのサインがあるよと教えてくれた。
30分くらい乗って、30分くらい乗り換えの電車を待って、という乗り継ぎと、入り口が見つからな過ぎて一本逃すなどを繰り返した果てに、着いたバスステーションで私は、10年前のベルリンの寒い明け方を思い出していた。あの時は長距離バスの乗り換えで、前のバスが遅れて次のバスに乗れなくて、零下の真っ暗なベルリンの明け方に途方に暮れたあの出来事を、10年経ってもとても克明に記憶していて、そう、写真などは一枚も残っていなくて、でもあのバス停、大きな車道、とてつもなく冷たい空気、ようやく見つけた開いているカフェに出会えた安堵、などはビビットに記憶が蘇る。この分だとあと数十年は濃く残りそう。そう思いながら、大変な分、記憶に濃く残ったりするんだろうななどと、今たった今のこの疲れさえも未来に託すような心地でふと目の前の写真をiPhoneに収めておいた。
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それから、10年前のトランクパッカー(バックパッカーの造語を作った。トランクで旅していたので。)みたいな旅はもう無理だなあ、と思った。数日置きや数週間置きにありとあらゆる乗り物を乗り継いで移動し続けていたスケジュールが到底出来そうにない。あの年頃、体力以上に気力が、若くて、強かったなあ、と思いながら眠気と戦ってバス停でひどい疲れを味わっていた。
やっと来たバスは怖かった。ハーレムのカフェで過ごしていると突然窓ガラスが外からバンバン叩かれる事がある。たまにその勢いでカフェの中に入ってくる事もある。 バスは中と外に叩く男たちがいて、深夜である事も相まっ���怖かった。あと凄く臭いがきつかった。現実が克明に現実としてここにある、不思議なほど知覚が透き通る感覚だった。私は誰ともいざこざを起こさずに空港に辿り着くことに一心集中した。
バスの運転はものすごく荒くて、あるいはバスのブレーキが壊れかけているかのようで、勘弁してくれという乗車だった。降車時にこんなにも礼を言う気分にならないバスも中々ない。そう思いながらようやく空港について安心かと思いきや、チェックインの長蛇の列は信じられないほど進まなかった。 早めに来て本当に良かった。 35ドルで荷物を預け、国内線だろうが関係のない厳しいセキュリティを越えて、ゲートで倉持の姉さんとMFRのビデオを繋いだ。あのオンライン会ぶりだ。 飛行機ではとにかく寝て、ミネアポリスに着く。乗り換え時間ほぼ0分、すごい、スムーズっちゃスムーズだけど、遅れたりしたら最悪だわね。菊池の姉さんがMOZに行くことになったらしい。事業部へようこそと送って飛行機に乗った。 寝ようと思ったものの、気になる山のドキュメンタリーがあったのでつけた。 泣いた。苦しくなっちゃうくらい生きる事を諦めない傷ついた大人達の力強い作品だった。再生して1分ちょっとくらいで眠気が吹っ飛び、一気観した。 またヒマラヤに行こうと決意が定まった。
初めてのヒマラヤトレッキングから間も無く1年で、またいつか行けたら行きたいとは思っていた。 でも映画を観ているうちに、いつか、とか、行けたら、と言ったタイミング待ちの姿勢ではなくて、行こう、と決意が湧いた。 いつ、誰と、どこに行くのか0ミリも見えてこないけど、行く事は決まった。
だから、このサンフランシスコトリップは、早くも(まだ辿り着いてすらいないけれど)来て良かった。この作品に出会えたから。
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newyorkdiary7th · 6 months ago
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newyorkdiary7th · 6 months ago
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DECEMBER 14th
疲れた!めちゃくちゃ疲れた! こういう感じの疲れは、NY来てから味わっていないなぁ。 今は、復活したところ(我ながら復活早かった)。
内見巡りしてきた。今日も今日とて。NYCの賃貸事情恐ろしいわもうほんとに。
崇(NY来る前に想定していた大家)については私はもはや前世かその前の前世とかで双子の兄弟だったんじゃないかなと思っている。笑
そんな崇に頼まれてあっちの家こっちの家と走り回った。そしてヘロヘロになった。
自分の月給を丸ごと注ぎ込んでも住めないような部屋を見て回るという、こんな経験普通じゃないね。そんなこと言い出したら今こうやってNYCでふわふわ生活していること自体も全然普通じゃないのだけれど。 あー疲れた。
なかなか寒いし、荷物重いし(自分のせい)、疲れちゃったけど、楽しかったこともたくさんあって。 それは普段用事のない界隈を、そこに住むのはどういう感じだろう、という妄想をしながら歩き回る、というのは、本当に新鮮で楽しい。そもそも知らない界隈を歩くのは楽しいし、この街は崇に合うなとか、この街に崇が住むのは全然似合わないな、とか、勝手に他人の未来を想像しながら歩くのは意味分かんないけど、ユニークすぎて楽しい。 しかし帰国後にこの疲れが待っているのかと思うと気が重いわ。
さてさて。 疲れた!と思ってカフェにへたり込み、ハリのない蒸しパンみたいに飽和した脳みそで読書にあたった。とりあえずもうNYCの賃貸事情については一旦シャットアウトしよう、と。
この本を読み始たのは11月のそこそこ初旬だったんじゃなかろうか。であればもうひと月くらい経つのねぇ。ようやく半分くらいに辿り着いたところ。やや急ぎたい。年越しはレイモンドチャンドラーを読むというのが私の5年前からの決まり事なので、なんとしてもちゃんとチャンドラーに移れるように読了したい。間に合うかなぁ。
アパートからアパートへと歩いている最中にちょっとしたサプライズがあった。自分で選んだ動線じゃなくて、他人のための他人による動線を歩き回っているので、時々自分がどこにいるのかさえ忘れてしまう。いつの間にかリトルパリスというあたりを歩いていた。パリは、もはやフランスですらなくパリだけでNYCに存在しちゃうのかとおかしかった。歩いていたら目前に、“MORRISON HOTEL”というよく知っている文字とフォントの看板があった。なぜにモリソンホテル!と近づいたら、ギャラリーだというので、入ってみた。
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ほんとにモリソンホテルだった。いやどういうことだよモリソンホテルだった、とは。モリソンホテルは70sあたりのアメリカのロックバンド、ドアーズの超有名なアルバムのタイトル。大好きなアルバムですねぇ。モリソンホテルを語り出したらもうこの日記に帰ってこれなくなりそうなので思考の離脱の強制終了をば。
ギャラリーには70年代ロッカーたちの写真が展示されていた。ドアーズ、ストーンズ、パティスミスにボウイ。写真がフィルムだけだった時代って、やっぱり良いなぁ、すごいことだなぁと感じた。そしてでっかなストーンズの写真集をめくったら、素敵な写真があって釘付けになった。
ここ数日ストーンズをよくかけていた。読んでいる本の主人公の妹がストーンズ狂で、やたらストーンズを語ってくるあたりをずっと読んでいるので、聴かざるを得ない感じ。
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『The Last of Her Kind』という本を読んでいるのですが、ちょうど自分が数週間前まで過ごしていたあたりが舞台で、そのあたりに生活している女性の物語なので、登場人物の動線もそっくりそのまま体感できると言う楽しい読書体験をしている。そして70年代の物語なので、ちょうど本当にちょうど物語の舞台の時代の写真展に行ったみたいな流れになった。
素敵なポストカードが無料でびっくりした。何枚でも持っていきな!って言われて、それではと2枚とった。
ではこれからVillage Vanguardです。72年生まれのベーシストのライブへいざ!
マクブライドは2年弱前に母の日にと母親と聴きに行った思い入れのあるベーシストでありまして、彼はその名もLive at Village Vanguardというイケてるアルバムを出しているので、まさかこの滞在中にホントのヴィレヴァンでマクブライドを聴けることになるとは、とても嬉しく楽しみ。
たくさん厚着してこれからマイナス3度の路上に並びに行く。いろんな意味で震えるね。
では。
p.s. あれからスライスピザを1日1枚順調にたべつづけています🍕
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