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Chapter3社会的認知
Chapter3社会的認知(Social Cognition)p.68~p.74
ヒューリスティック
アンカリングヒューリスティック
アンカリングは、定量的な判断を行う際に初期値に偏っている傾向を指します。
Pious (1989) 冷戦時の調査を例として、
参加者の半分は核戦争がすぐに開始する可能性が1%以上であると考えているかどうか、半分は90%未満であると考えているかどうかを尋ねました。どちらの質問でも定量的な推定が求められたました。結果として、
最初の質問は「可能性が1%以上と考えているかどうか」の参加者が、その後核戦争の可能性を10%と推定し、最初の質問は「可能性が90%未満と考えているかどうか」の参加者が、その後核戦争の可能性を25%と推定しました。
同じような結果がGreenberg (1986)の研究でも見だされました。最初に寛大的な評決よりも、厳しい評決を検討するように依頼したの方が、後で参加者の決定が厳しいものでした。
つまり、私たちの一連の問題に関する判断が、その審議の原点によって大きく左右されるようです。
アンカリングヒューリスティックと利用可能性ヒューリスティックが区別されましたが、本質的には同じ心理的メカニズムです。
原点(Anchor)は、手元の問題に関して最も利用可能な情報源であるため、私たちの判断に影響を及ぼします。
このバイアスは、弁護士が特定の回答を引き出すための質問方法から、世論調査で世論の態度を測定する方法まで、社会的背景には重要な意味を持っているということが明らかになりました。
動機を持つ戦術家(THE MOTIVATED TACTICIAN)
Jones やKelleyが提案したモデルは、特定の条件下でのみ発生します。
また、ヒューリスティック的なショートカットは、合理的で論理的な思考方法よりも正確ではないが、受け入れ可能な範囲以内にあるようです。
では、人々がこれらの戦略のうち1つを優先して採用するのを決定するのは何ですか?
人間はいつNaïve Scientistsであり、いつCognitive Misersであるのですか?
この問題に対し…
Kruglanski(1996):人々は、現在の目標、動機、およびニーズに基づいて、複数の認知戦略(スピード/容易さvs.精度/論理)を選択する柔軟な社会的思想家であると主張しました。
実際に人々は動機を持つ戦術家です:人々は認知的資源の配分において戦略的であり、それゆえに多くの要因に応じてCognitive MisersまたはNaïve Scientistになることを決定することができます。
人々が論理的、時間のかかる処理戦略を社会的推論に採用するか、あるいは迅速かつ容易に解決するかを決定するいくつかの要素があります(図3.2参照):
1.時間
人々は、時間が足りないときには、Cognitive Misersになる可能性が高いです。
ヒューリスティックは、迅速な決定が必要な場合には時間が節約できます。
2.認知負荷
ヒューリスティックは単に本能や直感(または可用性)から作られたもので、
もし私たちの考え事が多ければ、ヒューリスティックを使用する可能性が非常に高いです。
3.重要性
もし決定しなければならないことが私たちにとって非常に重要であれば、ヒューリスティックを使用する可能性は低く、Naïve Scientistsである可能性が非常に高いです。
4.情報レベル
もしすべての事実を持っていなければ(例えば合意性、一貫性、弁別性情報)、私たちがNaïve Scientistsになることは不可能でしょう。なぜならば合理的かつ論理的に詳細な分析を行うための十分な情報がないです。この場合はヒューリスティックなショートカットを使って正しい対処に近いです。
まとめ
私たちはNaïve Scientistsであり、合意性、一貫性、弁別性に関する情報を組み合わせた複雑な帰属の計算が行われています。
しかし多くの場合には、私たちはこれらの複雑なルールを使わないし、精巧なプロセスも経ていないです。代わりに、いくつかの帰属的な誤りが明らかになりました。
社会的推論とは異なるアプローチ、The Cognitive Miserの視点を示しています。
ヒューリスティックまたは体系的な社会的推論の戦略を使用するかどうかを決定する多くの要因があります。
また、これまでの議論から、ヒューリスティックを日常的かつ一貫して使用することが明らかになりました。
社会的カテゴリー化(SOCIAL CATEGORIZATION)
基本原理
カテゴリー化ということは、他のものと相当なのかそれとも異なるのかによって、何かを理解するプロセス」、物事、事件、意見、態度、概念、または人々の集めることを分類する方法です。
カテゴリー化は、集団にラベル付けする方法であり、あるものと別のものを比較する方法です。
従来の研究は、カテゴリーの境界を定義し、例えば、定義された特徴を介して分類される方法(Bruner&Goodnow&Austin,1956)
しかし、多くのカテゴリーは不確定的、「曖昧な」境界を持っています(Rosch,1978)
よって、カテゴリー化のより柔軟な見方として、カテゴリーの成員を決定する属性が定義されず、成員はどれぐらいカテゴリーの典型的なものであるのかを主張されました(Labov,1973)。
ここで重要なのは:典型性は可変であることです。
プロトタイプ(Prototypes)は、典型性を定義するもの、カテゴリーの最も代表的な事例です(Barsalou,1991)
私たちは、カテゴリーの成員がそのカテゴリーの原型である程度を、思い起こさせるように概念化することができます。
例:「フルーツ」と言ったら、
りんごとオレンジ:「フルーツ」というカテゴリーとして典型的
キウイとトマト:「フルーツ」というカテゴリーとして非常に非典型的
よく心に留めるプロトタイプが、他のものをカテゴリーするときに誤りに導く可能性があります。
例:「エンジニア」のプロトタイプは男性であり、女性のエンジニアに出会ったときに分類に誤りが生じる可能性があります。
カテゴリーの内容
カテゴリーはプロトタイプによって定義されます。
社会的カテゴリーでは、プロトタイプをステレオタイプと呼ぶことができます。
また、否定的なステレオタイプは少数派グループと結び付けられるようになる可能性があり、そこで錯誤相関が生じます。
錯誤相関(illusory correlation)
実際にはほとんどまたはまったく関連がないが、ある2つの変数が互いに関連付けられているということです(Hamilton&Gifford,1976)。
古典的な実験(Hamilton&Gifford,1976):
まず、参加者に情報を読むことを頼みました。
Aグループ(多数派)はBグループ(少数派)より2倍多くの情報が提供されました。
さらに、両方のグループに提供された情報では、望ましい行動は望まし��ない行動より多かったです。
Aグループ(多数派) Bグループ(少数派)
望ましい行動 情報量4 情報量2
望ましくない行動 情報量2 情報量1
あと、帰属させるようとしました。
結果:
Aグループ(多数派)よりもBグループ(少数派)の方が、望ましくない負の行動を帰属されたことが多かったです。
参加者は、ネガティブな行動は、大きなグループよりも小さいグループの方の特徴であることを信じていました。
これは、共有の独特性の概念から説明できます。
少数派の特性とネガティブの特性両方が比較的にまれであったため、両方ともは特徴的であり、際立っていました。
これ��代表性 ヒューリスティックと一致し、少数の否定的な行動は、より小さいグループを代表するものと見なされるようになりました。
感想
バイアスと言ったら、この前ネガティブっぽいと私が感じましたが、弁護士が特定の回答を引き出すための質問方法などの場合が、実に重要な意味合いが持っているということがわかりました。逆に、人間としての私たちがこういう認知のバイアスがあるのだと認識していたら、生活中の罠を避けるようになるだろうと思います。
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第3章 集団間の関係
第1節 社会的アイデンテイテイと自己カテゴリー化の影響
集団間の偏見や差別行動を説明する最も広く受け入れられている理論:
社会的アイデンテイテイ理論
自己カテゴリー化理論
Ø 自己を内集団という社会的カテゴリーの一部として認知する過程と、内集団を外集団よりも優れたものとして捉えようとする動機的過程の重要性が強調されている。
1.社会的アイデンテイテイ
人の自己概念は、まずその個人がもつ価値観や態度や能力といった偏性によって決まるが、社会集団や社会的力テゴリ一への所属意識もその重要な部分を占めている。
2.社会的カテゴリー化
人が社会的アイデンティティをもつことの背後には、認知的・行動的倹約のために人間の集まりを、社会的カテゴリーとしてひとまとまりの単位と見なす
カテゴリ一の顕現性の規定要因:
接近可能性
規範的適合度:規範に則した行動やステレオタイプ的な行動のように、観察された行動
適合度 と知覚者の期待との一致度
比較的適合度:対象集団の成員同士に知覚される類似性が他の集団の成員との類似性よりも小さく知覚される程度
3.自己過程への適用
自己カテゴリ一化理論:社会的カテゴリー化に関する原則が、自己が所属する内集団にも適用されると主張する。
例)比較的適合度:「内集団」という一つの単位と知覚され、自己と容易に同一視されるのは、自己との類似性が認められる人びとの集まりである。
「外集団」:自己や内集団との差異性が大きいと知覚される人びとの集合
メタ・コントラスト比=
自己と内集団の同一視は、外集団に対する偏見や差別の原因となる。
内集団ひいき/内集団バイアス:内集団よりも外集団に対して否定的な評価をしたり、否定的な感情をもったり、差別的な扱いをしたりする傾向
Ø 内集団に対しては、外集団に対するよりも多くの報酬や資源が配分されやすい
Ø 認知や行動におけるこうした偏りは、「最小条件集団パラダイム」でも観察される
第2節集団間の感情
1.集団間情動理論
「認知的評価理論」の観点:
内集団の方が地位や勢力において劣っていると認知される場合や不確定性が高い状況下で、外集団に対する恐怖が顕著になる。反応傾向:防御、逃避
内集団の高地位が認知される場合や不確定性が低い状況では、むしろ嫌悪が経験されやすい。反応傾向:回避
高地位の集団は、低地位集団からの不公正さを認知すると、怒りを覚える
Ø しかし、内集団の地位の方が低いと、同じ不公正な行為に対しても軽蔑もしくは嫌気が経験される。
集団間情動の理論モデル(P44 図3-2):
自己カテゴリー化と対象との固有の組み合わせによって、特定の情動経験を喚起する認知的評価が行われている。
集団への自己同一視の強さが、情動経験の強さに影響を与える:
集団への自己同一視 強い正の相関 「満足」「幸福感」などのポジテイブな情動経験、外集団に対する 「怒り」などネガテイブな情動
集団への自己同一視 負の相関 「嫌悪感」「不安」などのネガテイブな情動、内集団への「怒り」
内集団が攻撃を受けた後の報復行動の結果が、そ れ以前の情動に左右されることを示している:
攻撃に怒りを感じた場合:報復によってこれを軽減させることができ、怒りの程度に比例して罪悪感や不安が収まり、満足感が高まった。
同じ攻撃から不安を喚起された場合:報復後も怒り、不安、罪悪感がかえって強くなり、满足感も低下する。
2.集団間の脅威
基本的なレベルで、内集団とは異なる属性をもった外集団と遭遇するだけでも、その不確定性の高さのために不安を喚起されやすい。
脅威の性質に対応した特定の情動を喚起する(ニューバーグら,2002):
物理的安全の面で脅威を及ぼすと知覚される集団 →恐怖
互恵的関係や信頼を裏切る可能性があるという意味で脅威となる集団 →怒り・憤り
衛生面や価値観などにおける「感染」に似た脅威を感じさせるもの →嫌悪感
互患的関係を築くのに必要な能力が不足しているために脅威となる集団 →同情
Ø 「好き-嫌い」「ポジティブ-ネガティブ」などの評定においては、これらの集団が一様にネガティブな評価を得ていた。
3.集合的罪悪感
内集団が不当な過程を経て外集団よりも優位な地位におかれていることを認識したり、内集団が外集団に何らかの加害行為を行ったことを想起するような場合に、集団の一員として罪悪感を覚える。
ただし集団同一視の影響が強くなるほど集合的罪悪感が強まるのではない:
自己防衛的過程の働く
自己と加害者行為者とを分離すること
内集団の加害行為に対して抱く感情と、補償など具体的行動への意図との関連に一貫した結果が必ずしも得られているわけではない:
恥の典型的な反応傾向が関係回避であるため、修復の行動を喚起するとは限らない
罪悪感よりもむしろ恥や内集団の行為に対する怒りこそが、補償意図の要因である
第3節 偏見の対象集団からの反応
偏見や差別が、その対象集団に不快感情を喚起し、自尊感情の低下を招きかねない。
帰属的曖昧性
望まない成績を個人の資質に原因帰属すべきか、それとも偏見や差別に帰属する余地があるのかどうかが判然としない
望まない結果を差別に原因帰属することについての異なる見解:
失敗を自己の内的原因ではなく差別に帰属することによって自尊感情の低下を回避できる
逆の主張:
差別という社会構造的原因による説明は、長期的には同様の不愉快な経験を繰り返さなければならないため、ネガティブな感情をもたらす可能性がある。
Ø 差別への帰属が外的帰属だけでなく内的帰属としての意味ももちうること、そして自尊感情の低下を引き起こす場合がある(シュミットら,2002)
内集団は明らかに差別を受けていても、自身はそのなかではましな方だと考えることによって、自身の差別経験を過小評価してしまうという一般的な傾向がみられる。
Ø 自己防衛的動機の原因
第4節 偏見や葛藤の解消
1.接触の効果
集団間の偏見を減らすため、まず双方の集団が、物理的に接触の機会を増やして、相互の理解を深める必要がある。
接触の効果をもつために、4点の重要な前提条件:
①地位の対等性:集団同士が、あるいは双方の集団の成員が接触する際には、両者の間に地位の高低がないこと。
��親近感:成員間の接触の機会をできるだけ増やし、個人同士として親密な関係が築けるようにすること。
③協力関係:両者が共通の目標に向かって協力関係を築けるようにすること。
④制度的・規範的支援:法や制度による支接または強制、あるいは世論などによる規範的影響があること。
2.脱カテゴリー化
カテゴリ一化に基づいた集団間認知を弱めることが偏見の低減につながるはずだ。
「脱カテゴリー化」のモデル(P52 図3-3)
個人としての「〇〇さん」の特徴に注意を向けさせることにより、内・外集団に区別することの意味を相対的に後退させようという考え方
Ø 集団間の文脈における関係ではなく対人間の文脈での関係を促進する(社会的アイデンテイテイ理論)
Ø より包括性の低い階層で自己と相手とを認知させようとしている(自己カテゴリ一化理論)。
外集団に対して脱カテゴリー化を行う →外集団に対して多様性を認知する →カテゴリー化を弱める
Ø 対人ベースで接触を行うことにより、外集団 に対する態度が好転することを示す実証例は多い。
3.再カテゴリー化
共通内集団アイデンティティ・モデル(P52 図3-3)
集団間の区別をなくす代わりに、両者に共通する包括的な集団の存在に意識を向けさせ、新しいカテゴリー化へと認知を更新させることによって、もとの集団間の悪感情や差別を低減することができるという主張。
Ø オールポートの接触仮説、シェリフらによるキャンプ場でのフィールド実験。
4.交差カテゴリー化(P55 表3-2)
内、外集団が下位集団へと細分化できることに注意を向けることが、元のカテゴリー化を目立たなくさせる効果をもつ。
Ø 交差する複数のカテゴリー表象を同時に活性化させることが、偏見や内集団バイアスを低減するのに役立つことを示している(クリスプやヒユーストンら,2007)
第5節 批判的な視点
1.内集団の第一義性を強調する立場
第一の立場は、従来の理論が社会的アイデンティティや集団間差別を説明しようとする際、内・外集団間の認知的弁別や外集団に対するステレオタイブ化の役割を過度に強調していることを批判し、むしろ内集団こそが第一義的であると主張する。
内集団ひいきや外集団差別といった一見すると「集団間」の現象は、第一義的にはこうした集団内の過程の副産物にすぎない。
Ø 従来の内集団ひいき研究で見られてきた結果はこれらの主張と一貫している。
2.集団過程の多様性を強調する立場
集団内部の相互協力関係維持に動機づけられた集団間差別
異なる集団や状況において
内・外集団間の競争的関係 に動機づけられた集団間差別 引き起こされる
例:
様々な社会集団を「共通アイデンティティ集団」と「共通絆集団」に分類した(プレンティスら,1994)。
最小条件集団パラダイムにおいても、集団内過程と集団間過程のそれぞれに基づいた内集団ひいきが起こた。
後者は特に集団間の競争的関係が予期される場合に、また特に男性が起こしやすい。
いずれの心理過程から集団行動が生み出されやすいかについては文化差がある:
北米社会:社会的アイデンティティ理論が主張する肯定的な内集団アイデンティティの獲得に動機づけられた、自己カテゴリー化を通じた集団行動原理が優勢
東アジア社会:内集団内部の相互依存性の維持に動機づけられた個人間ネットワーク型の集団行動原理が優勢
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无奈
昨天用手机写的莫名地没了……好吧,我也忘了我写的是什么了,无非就是一些伤感的牢骚。
刚刚你从家里回来,问我请yao吃饭的事。我有些吃惊,不过想到你一日三变,也就无所谓了。你让我团购,让我联系yao,我说你和yao商量,你说不想联系yao,她太不清楚了云云。是啊,现在你和我们接触,像是在完成任务一般,无非就是表面应酬,哪里是真心对待。
我去你们宿舍时,你正和她发微信,满脸都是开心的笑容。没什么,我没有什么奢望,只希望能做你的一个最普通最普通的朋友罢了。她是你最重要的人,之前因为我和其他种种原因,和她有所疏远,现在才是你们之间的常态。我没有理由,更没有身份来嫉妒吃醋。正如你所说的,各自安好。
可是为什么,明明前一秒还伤心的要死,当你走进宿舍之后我看着你的脸和你说话时,却还是发自内心的微笑,尽管和你说话觉得心很累很累。大概不想把自己内心的阴霾带给你吧。你在我的心里,还是如此重要。
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回归
两天没有写东西了。前天是因为被锁外面了,昨天是因为和yao出去吃饭。
前天被锁门外,我有些不知所措,最终还是敲响了你宿舍的门。进门后你一直忙自己的事,背对着我,和我有一句没一句地聊天,语气非常平淡,略微带着不耐烦。你在微信上和她聊天,问她问题,寻求��建议,又或者时不时低声一笑。我知道,这是你和她的世界,容不得别人侵犯。我看着你的背影,泪水浸湿了眼眶。我和你距离这么近,可是又是如此遥远,这大概就是所谓的世界上最遥远的距离吧。
你不愿和我多待,去了yao的宿舍。可是你与其他同学说话也带着鄙视。你不屑与我们为伍,大学对你来说没有值得回忆的人或事。你回到宿舍后舍友也回来了,你便视我为空气,和舍友聊得火热。你和她电话,约着第二天吃饭,去她的公寓云云。我听着听着就哭了,不知道为什么。不是我还想回到从前,也不是嫉妒或者吃醋,只是有一种说不出来的心酸和无奈。唯一可以确定的是,现在的我对你还是有感情的。
昨天晚上和yao出去吃饭,去之前看到了年初你和我在微博上的对话,你说亲爱的,不要在这个时候提分手,咱们可以吵架,但不分手……我实在是忍不住了,眼泪不停的往下流。
没什么,都过去了。我能得到你三年的真心对待,足够了。真的足够了,我已经很满足了。
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坚持,孩子
今天也没有哭。
早上当堂讲话,你言语之间倒是比以前大方了许多。老师问我能不能行,我下意识地看向你,被你说能自信点不,我才发觉我还是想依赖你。依赖是一种习惯,习惯才最可怕。你的话里带着一丝鄙视,你在不断成长我却在原地踏步。没错,你在逼自己成长,为了你的梦想和你爱的人。昨晚天真的我还以为你是需要我,我才满口答应,现在看来,你只是把你不想干的苦差交给我罢了。你对我笑得如同对待其他同学一般,你会碰碰我,跟我讲话。这也足够了。你让我坐哪儿我就坐哪儿,你让我干什么我就干什么。你或许又会觉得我爱得卑微,我却觉得是我把你看得太重了。我大可以委婉拒绝,或是一走了之。我也大可不必回复你的短信,不接你的话茬,更不用故作开心地和你讲话。可是这些我做不到,我还是不愿永远失去你。老爸说,你们之中一定要有一个人先做决断。我做不到,你来做便好。
我现在在努力适应没有你的生活。吃饭,学习,睡觉。一个人有一个人的好处。可是还会有隐隐的心酸。晚上和yao聊天,很开心。还看到了可爱的小仓鼠,心都被萌化了,也让我不由得想起了你家里那只小胖子。我还在纠结要不要上小号,你的日志成了现在我了解你内心想法的唯一途径了。但是了解之后又能怎样呢?每次不都是失望而归吗?可是不看却又怕你对我讲话而我没有看到。其实你的内心已经完全与我无关了,你想让陪在身边的人也绝对不会是我了。就算跟我讲话又有什么意义呢?还是别看了吧,傻瓜。
其实这样挺好,正如我所愿了。你就想普通同学那样对待我就好,我很知足了。爱的反面不是恨,是忘记。
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今天没有哭
大概是因为今天见到了yao,还收到满满一包吃的,满心欢喜,心里感觉很暖。真的很感谢yao,没有她或许我会崩溃吧?她开导了我这么久,我这个不争气的却还是执迷不悟,唉。真希望我能早一天彻底放下,不辜负她的苦心才好。
你今天给我发短信,还是那么简短,一个多余的字都没有。我有些迷茫,不知道和你该何去何从。是朋友?是同学?还只是一个路人?你怕寂寞,却暂时不愿再找。你相信缘分,我却知晓是我伤你太深。我和你或许就此形同陌路,可是我还是会有一个有点小女生又有点幼稚的想法:下辈子,我还想和你遇到。那一次,我会好好守护你。
刚才你找我商量事情,三个月了,三个月以来第一次直视你的眼睛和你正常讲话。你好像非常介意我们两个独处,硬要拉着爽一起听课。也好也好,这是你的态度,我又怎会不明白。明天会发生什么,我不得而知,只得全力以赴,其余顺其自然。现在的我对未来有种莫名的恐惧,恐惧源于不自信,源于对未知的怯懦。 以前的我太过心安理得,得过且过,甚至沾沾自喜自己是个幸运儿。现在看来上天是公平的,以前有多幸福,现在就有多痛苦。好吧,跟你说完话,我现在异常平静。被折磨了快两个月的内心,它在今天在此时此刻终于可以暂得歇息了。
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忍住眼泪
害怕一个人。不知怎的。
之前在家也是。屋子里剩下我一个人的时候,就会魂不守舍。
现在在宿舍也是。舍友出去后,我竟不像以前一样自在,反倒觉得寂寞。
这究竟是怎么回事呢?我还是我吗?真正的我究竟去了哪里?
刚吃饭回来,看到你倚在门边的墙上讲电话,很开心的样子。你朝我招招手,我笑了,也赶紧朝你挥手。那一刻,我觉得我的心都暖了。可是进屋之后还是泪流满面。我是什么时候变得如此卑微,这种感觉就好像我在单恋你。我会忍不住猜现在你在干什么,关门时总是下意识地朝你们宿舍望去,甚至你在走廊说句话我的心都会一颤。看到你那么瘦,说实话很心疼。可是只能告诉自己,这关我什么事呢?你活得好好的,逍遥自在,没有了我的束缚,不必考虑我的感情,勾搭学妹也好,重拾旧爱也罢,和我有一丝一毫的关系吗?我连关心你的身份都没有啊。但心里还会有另一种声音,她说你没有好好吃饭,你的偏头疼又犯了,你为情所伤,虽然不是为我。她说希望你能幸福,不,是一定要幸福。可惜我只能把这些念想埋藏在心底了。
之前在微博上看到说,和你相遇之前,我一直住在北极,在我习惯温暖后,现在又不得不重新回到那里。
现在的我真的好冷啊。
我觉得我再也不会如此爱一个人了。失恋的人都这么讲。而此时的我是发自内心的。我倒真的希望十年后的自己看到这句话时会不屑地一笑,感叹自己当年好傻。真心的。
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这大概就是所谓的孤独寂寞冷
10月26日。我安好。
昨天见了你,你的头发长了,已经扎起来了。你之前说你瘦了,我却紧张得眼神飘忽不定,匆匆一眼连你的容貌都没能看清。你很尴尬,我知道,而且你并不想见我。你搂着��笑得没心没肺,我知道你是在化解尴尬。你说希望见了面能像老朋友一样,可是我的内心却出卖了我,以至于说话都在颤抖。这么多��来,我一直认为我虽不坚强,倒还理智冷静。可是为什么偏偏败在你的手下。只要与你相关的事,我便不是我了。你曾经说过你把你的心给了我,现在你的心已经回去了,甚至给过了别人。而我知道,我的心早已经丢了。
我早已不奢求还能回到从前,只是希望能一起聊聊天,一起吃个饭。能听听你发个牢骚也好。我清楚和你做朋友,比做恋人更难。我也知道我们十有八九做不了朋友。可是我却仍愿努力一试。大概是因为自己已经一无所有,只能义无反顾了。最差的结局也不过是永远失去你,不是吗?
今天我一个人走路,一个人吃饭,一个人考试。孤独才是最大的敌人。我在想,我急于和你缓和关系,无非就是希望你还能陪着我。人就是如此自私的动物。我躺在床上,看到你几个月前给我绑的小风扇,却还是忍不住哭了。
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