noirpomme9999
noirpomme9999
うみのうま
15 posts
脳裏に焼きついた風景
Don't wanna be here? Send us removal request.
noirpomme9999 · 1 year ago
Text
子供嫌いの理由
 世間一般の子供がうっすらと苦手だ。苦手なあまり、虫の居所が悪い時に未就学児を見ると意味もなくイライラする。電車や店内で金切り声を上げるガキがいると口をガムテープで塞いで黙らせることはできないものかと辟易するし、イヤホンの音楽すら貫通してくる甲高い声が不快なので、可能であれば車両を変えたりと距離を置くようにしている。親も親であやす気もなく放置している様を見ると、躾という製造責任を果たす気もないのになぜ娑婆に命を生み出したのかと問い詰めたくなる。
 もちろん全ての子供が嫌いというわけではない。幼児特有の容姿は子猫を見た時と同様可愛らしいと思うし、生後数年のボキャブラリーから発せられる言葉は面白くてついつい聞き耳を立ててしまったりする。親戚の子供は特に可愛く、従弟が小さい時はつきっきりで自転車の乗り方を教えたりもした。キャンキャンと吠える子犬はうるさくても苛立たないのに、なぜ同じく愛らしい人間の子供の存在はこんなにも不愉快なのか。
 思うに、この不快感の原因は自分の中にある。物心つく前の子供は甘えと依存の天才だ。欲しいものがあれば買ってくれとせがみ、気に入らないことがあれば喉が枯れるまで泣き喚いて自己主張する。人目があろうと腹が減れば泣き、疲れれば泣き、寂しければ泣き、不快を叫び周囲の人間を使役しようとする。
 常に人目を気にして生きてきた小心者の私は、正気を失ったりでもしない限りそんなことは到底できない。嫌なことがあれば、酒でエチゾラムを飲み下して眠り、それでも怒りが収まらなければ若い時は腕を切って己を落ち着かせて生きてきた。心の中の自分が泣き叫ぶとき、私は無意識にガムテープでその口を塞ぐ。典型的なアダルトチルドレンである。
 幼い子供を見て苛立ちを感じるのは、その姿に己のインナーチャイルドを重ねるからかもしれない。そういう意味では、幼児を見ても苛立ちを覚えなくなった時こそが私にとっての真の成長なのだろう。
 
 
3 notes · View notes
noirpomme9999 · 1 year ago
Text
今朝の夢
 また今日も、大学生に戻っている夢を見た。大学を卒業してかれこれ10年近くが経とうとしているのに、未だに学内を歩いている夢をよく見る。
 よく見るとは言っても夢なので完全に当時に戻っているわけではなくて、登場���物は全然知らない人間ばかりだったり、就職してから出会った同僚が出てくることも多い。そして自分が何の授業を取っているかも分からず、そもそも履修登録をしているのか、必要単位が足りているのかも分からず、大学にいることを居心地悪く感じながら地縛霊みたいにあてもなく学内を彷徨っていことが殆どだ。
 今朝は、当時付き合っていた彼氏が夢に出てきた。彼は23歳の若い姿のまま、就活用の着慣れないスーツを着て購買の前をひとりで歩いていた。夢の中の我々はすでに関係が破綻してしまった後のようで、目が合うとばつが悪そうにちょっと笑ってから目をそらして、そのまま話しかけることもできずすれ違ってしまった。その直後、自分はもう三十を過ぎた社会人であることを思い出して、目が覚めた。
 反射的に時計を見ると、いつも仕事に行くため起床する時間だった。今日は祝日で目覚ましも掛けていないのに、社会に飼い慣らされた自分に悲しくなった。未だに大学生活に未練があってこんな夢を見るのだから、夢を見ている間くらい学生時代に戻って楽しかったことを追体験すればいいのに。
 こんな夢をみた日は、当時から過ぎてしまった年数を数えては寝起き早々絶望する。今の生活に不満はなくてむしろ幸せだと思っているけれど、ただただあの若くて自由だった時間に戻りたいと思う。
2 notes · View notes
noirpomme9999 · 1 year ago
Text
興味・関心の低下について
 子供の時からぱっとしない成績で、小学校から持ち帰るあゆみ(小学校の通信簿)では△〜◎の3段階評価のうち真ん中の◯ばかりが並んでいた。国語や体育は◎が多かったが、特に算数などは△になることもしばしばだった。
 当時のあゆみで納得いかなかったのが、「興味・関心」という項目だ。物事への興味なんて自発的に持つべきもので学校教育に強制されるべきではないのに、退屈極まりない算数という科目に興味を持てないことで評価を下げられるのはおかしいと子供ながらに不服だった。自分の興味は主にクラスメイトの誰と誰が両思いとか、学校で飼っているうさぎの世話とか、ポケモンのアニメとか、今日の欠席者の人数からいって給食でデザートのゼリーは何個余りそうかといったことに向けられていて、大人の作った勝手な評価制度で己の関心を採点されることに納得がいかなかった。
 それから約20年。今となっては、物事に興味を持つこと・持ち続けることが難しい。
 たとえば読書ひとつとってみても、いまは読める本のジャンルがかなり限定されてしまった。受け付けるのはエッセイや新書ばかりで、以前好きだったファンタジーや恋愛小説はどうせ自分の人生に関係のない作り話と白けてしまい最後まで読み進めることができない。誰と誰が結婚したという話を聞いても、他人の人間関係に露ほどの興味も湧かない。たまの休みも疲れるのが億劫で外出もせず、かといってゲームを起動するのも面倒でただ布団に寝転がって手頃なYouTube動画を流し見して一日が終わる。
 なにかに熱中できることは、それだけで財産だと思う。時間を忘れるほどに楽しめる趣味があるのなら、それは何を注ぎ込んででも続けるべき価値がある。
 中島らもは自身のエッセイの中で「一人で時間を潰せることを教養という。教養のない奴が酒や薬やギャンブルにハマる」といったようなことを書いていたが、まさしくその通りだと思う。ジャンクフードのドカ食いなんかもそうだが、自分で自分を喜ばせる手段を知らない人間は興奮そのものを目的に不摂生な生活習慣へ陥る。低俗な暇つぶししか知らない人間に比べたら、趣味を熱く語るオタク達は選ばれし高等遊民なのだ。
 三十を過ぎても何かひとつ寝食を忘れるほど熱中するものを持てない一般人は、おとなしく結婚して子どもを作り、その成長を何よりの喜びとして生きるべきなのかもしれない。私のように無教養で飽きっぽく感性に乏しい人間にとって、生殖は遺伝子に組み込まれた最後の娯楽なのだとしたら、これを拒む理由があるだろうか。
 生まれてくる子供にはかわいそうだが、ここはひとつ親である私の人生を豊かにすることを目的に、彼・彼女には腹を決めてこの腐った世に産声をあげてもらうべきなのかもしれない。太宰治が言った通り、この世界では「子供より親が大事」なのだ。
 長らく反出生主義者として過ごしてきたが、思想の転換をすべきか、といったところがここ数ヶ月の主な悩みである。反出生に至った経緯については、また自分の感情の整理のためにまた改めてまとめることにした���。
6 notes · View notes
noirpomme9999 · 1 year ago
Text
老後はアラサーから始まる
 三十路を過ぎて、人生すでに折り返し地点に来ているという実感がある。脊柱側湾症という持病のある私は人より首やら腰やら痛みやすい上に、子供の頃から体力がなくすぐ座り込むタイプだった。いまでは朝起きた瞬間から体が重く、ちょっとした傷の治りは遅い。通勤電車では立っていられないので、絶対に始発に並んで座席を死守する。以前に比べると記憶力すらも落ちていて、人に聞いたことやスケジュールもすぐ忘れてしまうので、職場では何でもかんでも書き留めるメモ魔と化している。異動の多い職場なので、この先さらに苦労することを思うと気が重い。
 人間の野生下での寿命は37歳と聞いたことがあるが、かなり信ぴょう性があると思っている。数年後のさらに体力が落ちた自分では、文明下でも健康で文化的な生活ができているか危うい。
 使い込んだiPhoneのバッテリーみたいに日々劣化していく体力を補うため、最近はサプリメントを買い漁ったりセルフ円皮鍼に勤しんだりしている。若い頃は退廃的な生活をかっこいいと思っていて、健康オタクの中年なんてアナーキーじゃないぜと馬鹿にしていたが、今となってはきちんと夜寝て野菜を食べて立派なウンコをしなければ肌荒れと倦怠感で全身ボロボロだ。酒!煙草!OD!と毎晩キャッキャ騒げるのはテロメアがまだ長く伸びている若者の特権なのだ。
 最近試した中では、キューピーコーワヒーリングと養命酒の組み合わせが気に入っている。長らく患っている不眠にも効果的で、寝る前に錠剤2錠とミニカップ2杯分の養命酒を摂取すれば、運が良ければ眠剤を飲まずとも30分くらいで入眠している。朝の目覚めも悪くなく、睡眠時間さえ足りていればわりあいスッキリと目が覚める。ただ一週間くらい連用したらあまり効果を感じなくなってきたので、本当に疲れている時のスペシャル休息手段として温存しておくのがよさそう。あとかぼちゃや里芋などの根菜類の煮物とヤクルト。腸内環境さえ健全に保っておけばメンタルもお通じもお肌もハッピーになれる。ブロンなんか飲んで便秘してる場合じゃないんですよ。
 今後の人生、落ちていく体力といかに付き合いながら日々の暮らしを楽しめるかにかかっていると思う。労働・遊び・その他諸々の活動の原動力はまさしく体力だ。生来体力に恵まれない者にとって、老後はアラサーから始まる。
3 notes · View notes
noirpomme9999 · 1 year ago
Text
やっぱりキーボードが好き
 実家で長いこと使っていたノートパソコンがオシャカになってから、かれこれ6年近くiPhone頼りの生活をしている。日常の調べ物や連絡手段としては全く不便がなく、むしろ面倒な起動や更新がない分使い勝手は完全にiPhoneの方が優れているのだが、長文を書くという行為がとても遠くなってしまった。
 スマホのフリック入力はどうしても時間がかかり、まとまった文を入力することが物理的に億劫である。一方でキーボードなら頭の中に言葉が浮かぶまま書き留めることができるし、なによりキーの打鍵感が心地よくて次の一文へと書き進めたくなる。私は話が苦手な代わりに文章で考えをまとめるタイプなので、スマホ生活になってからあまり物事を考えなくなったように感じる。文芸部員だった過去の自分がいまの私を見たら、社会を腐す言葉すら失った哀れな労働者と笑うだろう。
 このままTwitterで数十文字の短文を毎日のように書き連ねて承認欲求を満たすのもいいが、たまにはこうしてブログを書くのも脳トレになるだろうとiPhoneにBluetooth接続できる小型キーボードを買ってみた。携行に便利な折りたたみ式で、そんなモチベーションがあるかは別としてカフェなどで気軽に文章を書くこともできる。インターネット老人会の端くれとしては、いくつになってもネットでくらいは多弁でいたいものである。
3 notes · View notes
noirpomme9999 · 6 years ago
Text
暗い映画を観ると落ち着く
高校くらいから、明るいストーリーの創作物が苦手になった。中高生の爽やかな恋愛模様・青春を描いた作品や、主人公が温かい仲間に囲まれて成長していくような作品に当たると、「あ~はいはい、"こういう系"ね」と白けた気持ちで戻るボタンを押してしまう。孤独感の強かった高校・大学時代はともかく、今は以前に比べれば世界と折り合いをつけて生活できているのだが、この傾向は変わらなかった。
人は何を求めて映画を観るのだろうか。興奮、感動、現実逃避…。私が最近観る映画は、魔法が出てくるファンタジーか精神異常者が主人公の悲劇ばかりだ。センスのいい映画は、何気ないシーンも(酩酊した主人公が世界一汚いトイレでウンコまみれになったとしても)絵になるし、何がしかの意味を感じ取ることができる。現実世界を生きていて、退屈で冗長で無意味で時には最悪な日常のワンシーン(主に労働が当てはまる)にも意味づけできるような何かを探しているのかもしれない。
思い返せば文芸部時代は、面白い話よりは自分の頭の中のもやもやした何かを形にして納得するために文章を書いていた。当然部内の評判は良くなかったし、「いつもよくわからない暗い話を書く奴」みたいに思われていたと思う。暗い映画を観て落ち着くのは、自分に投影できる何かを見つけられるからなのだろう。
0 notes
noirpomme9999 · 6 years ago
Text
自殺について
大学生のとき、中学時代の部活の先輩が自殺した。当時の友達の兄でもあり、家に遊びに行くたびに度々顔を合わせていたので突然の訃報に驚いたが、不思議と納得している自分もいた。物静かで真面目で、いつも考え込んでいるような顔をしていて、どこか影のある不思議な雰囲気の人だった。
自殺はその人の寿命だと私は思っている。ビルの屋上から地面を見下ろすと、永遠に目覚めない死の恐ろしさを実感して身震いしてしまう。そんな死の恐怖すら克服して一線を越えられるのは、すでに寿命を迎えて生きることから決別した人だけだ。
あの人みたいに遺書も残さず、きれいさっぱり死んでしまいたい気持ちが1日に何度も湧き上がってくるのに、まだ一線は超えられそうにない。私の寿命は後どれくらい残されているのだろう。あと1、2年なのか。それとも50年以上、ギリギリで生き続けるのだろうか。
0 notes
noirpomme9999 · 6 years ago
Text
世界の早送りバグについて
先日、大学時代のサークル仲間と久しぶりに飲み会をした。あの頃と違ってちょっといいお店を選んだため、度数の高い本格的なドイツビールなども揃っていてとても美味しかった。社会人になってからというもの飲みに行く機会がめっきり減っていたのだが、つい大学時代通い詰めた安居酒屋のノリでガブガブとビールを飲み、あっという間にフラフラに出来上がった。その足で場所を移して日本酒を何合か飲み、気がつけば私は人生で5本の指に入るほどに酔っ払っていた。
遠くで聞き取れないほど早口な知人の声がする。ゆったりとしているはずのBGMが流行りのJポップのような速さで流れる。気づけば世界が早送りボタンを押したような速さで回っていた。自分だけがテレビの前に座って、4倍速の画面を眺めている気分だった。私の頭の中で、地球が自転の速さを変えたのだ。
思い出すのは、数ヶ月前のアカシア茶体験だ。あのときは時計の秒針が止まって驚いたが、今回は逆に時間がものすごいスピードで目の前を通り過ぎていくのを感じた。酔っていてそれどころではなかったが、時計を眺めたら、秒針がグルングルンと回るのが見えたかもしれない。やはり、脳味噌を通して知覚する世界に絶対的なものなどないのだろう。人生の長さを語る上で寿命はそれほど関係なくて、その人が与えられた時間をどう感じるか次第なのだ。
その後は急性アルコール中毒かと思うほどの吐き気に見舞われ、翌日の昼まで合計10回以上吐いた。いい歳して情けないにも程がある。まだ私には安居酒屋がお似合いで、良い酒を少し嗜むような楽しみ方は早いらしい。
多量のアルコールは危険ドラッグなんて目ではないと思う。今後は自重して飲み会に臨みたい。
0 notes
noirpomme9999 · 6 years ago
Text
まな板の上の鯉もハッピーになりたい
明日は内示が出る日だ。現在勤めている職場は手掛けている事業があまりに���いため、部署異動といえども実際には転職に限りなく近い。私は今の部署で3年目のため今度の4月で異動になる可能性が高く、落ち着かない日々を過ごしている。
形式的に異動希望を訊かれるが、実際に希望が通ることはほぼないらしい。それなりに業務が少ない部署でまったりしていた人が、突然休日出勤有りで月100時間残業の激務部署に飛ばされる可能性も大いにある。全ては運次第なのだ。
20代の働き方は、人生に大いに影響があると思う。連日の残業で疲れきって休日は寝て過ごすようでは、私生活はボロボロだ。好きなことをする余裕も出会いを求める時間もない。一方で定時できちんと帰れる環境にいる人間は、もちろん人によるけれど、その間に恋人を作り愛情を育むことだってできる。結婚やら何やら、人生設計が大きく変わる人だっているだろう。
就活等で就職先を厳選してブラック企業を回避したつもりでも、激務部署に配属されてしまえば転職でもしない以上は従うしかない。運命の見えざる手によって、環境はドラム式洗濯機のように引っ掻き回される。まな板の上の鯉は、口をパクパクさせて運命を呪うだけだ。一部のバイタリティー溢れる超人を除いて、運命の流れの前に人は無力なのだ。
幸福とは、あくまで自らの脳味噌が作り出す主観的なものだと私は思う。愛する配偶者と子供2人と大きな犬とマイホーム。これはあくまで幸福を感じる手段でしかない。こんな人生を送ってる中にだって不幸な人はいるはずだ。天涯孤独の貧しい修行僧が極寒の朝に滝壺で坐禅していて、トランス状態の脳味噌が多幸感を作り出していたとしたら、その瞬間の彼/彼女は紛れも無い幸せ者だ。
空気を求め���苦しむ可哀想な鯉は、運命を呪って哀れに死んでいく前に、己の持つ脳味噌を飼い慣らすことに努めるべきなのだ。それが一番手っ取り早く、幸福への近道だと思う。もしも明日起きて激務部署に飛ばされることが発覚したらひとまず適応に向けて努力するが、それでもダメなら過酷な環境下でも幸福感を得られる術を探す他ない。別にこれはお薬だけを指しているのではなくて、ヨガ、温泉、サウナ、ランニング等さまざまなアプローチの方法がある。とにかく不幸になるのは御免だ。脳味噌をきちんと管理する訓練を、もっと早くからしておけばよかった。
0 notes
noirpomme9999 · 7 years ago
Text
死ぬ瞬間の感覚について
今日は仕事をしながら、ずっと死ぬ瞬間の感覚について考えていた。アカシア茶を飲んでから、「感覚」について考える時間が増えたような気がする。
エリザベス・キューブラー=ロスという有名な精神科医がいる。人が己の死を受け入れる「死の受容のプロセス」について論じた高名な学者らしいが、ネットではむしろ、晩年に「死の真実」に気づいて気が狂ってしまったという洒落怖等で見かけるコピペで有名だ。
http://itest.5ch.net/hayabusa/test/read.cgi/news4vip/1364562018/
キューブラー=ロスが本当に狂人になって晩節を汚したのか真偽の程はさておき、「人間は死ぬ瞬間の光景、感情、痛みを感じながら、そこで時間が停止する」 という部分が非常に興味深く感じた。
3日前の投稿にあるように、バッドトリップした私は、引き延ばされた時間の中で時計の針が止まるのを見て半狂乱になるという非常に得難い体験をした。死の間際に見る走馬灯もこんな感じなのだろうと、その時は思った。
でも、所詮は摂取した物質が束の間にもたらす有限の作用だ。脳が本当の「死」を前に、何万倍もの脳内物質を放出したとしたら、一体何が見えるのだろう。数日前のトリップとは比べ物にならないような永遠に近い時間、意識の中に閉じ込められ続けるとしたら?
時間は知覚する人間によって長さを変える。死の瞬間を悟った脳が、その意識を永遠の中に閉じ込めてしまうことだってあり得るはずだ。生まれてくる前の記憶がないのと同じように、死んだことを知覚することもできず、バグった脳味噌が時間を永遠に巻き戻して、意識が閉じ込められる可能性はゼロではない。
実は人間は、賢者の石を求めずとも不老不死を約束されていたのかもしれない。それも、最悪のシチュエーションで。そんなことを考えていたら、「人生何もかも詰んだら死んじまおう」というこれまでの自分のスタンスもどうかと思えてきた。
0 notes
noirpomme9999 · 7 years ago
Text
無限の時間に身を投じた話2
青井氏の指示でお茶を飲んだ。グレープフルーツジュースに微かな苦味があるような味で、想像よりも飲みやすい。ネットでは非常に苦くてゲロマズと書かれていたが、きっと青井氏の��製や味の調整が優れているのだろう。
途中でオーロリクスの半錠を飲み忘れていたことに気づき、慌てて飲んだ。本当はお茶を飲む30分前に飲むべきだったらしいけど、まあ効果にそこまで違いはない……と思いたい。
10:00。お茶を5分ほどかけてゆっくり飲み床に横たわるが、しばらくは効きそうにない。反原発女性が特殊能力氏に占いをしてもらっているのをぼんやり眺める。
10:30。手足が重くなり、頭がぼんやりしてきた。この時の感覚はブロンのコデインタイムに近く、ふわふわと心地いい。「いまの時点で全然聞いてない人いますかー」と青井氏が確認を取る。まだ効果は弱いが、様子を見ることにする。
10:40。遠近感がおかしくなり、空間が2倍程に広く見える幻覚が発生。この歳でアリス症候群を体験することになるとは思わなかった。歩き回るスタッフ達の足が3本に見えて、目を閉じればサイケデリックな模様が見える。聴覚が鋭敏になり、室内に流れていたヒーリング音楽が妙にクリアに聞こえるようになる。空調の音が頭に響いて、ボイラー室で寝ている気分だ。暖かい室内が寒く感じ、大量の手汗をかく。
10:50。右隣にいたサブカル女子がうめき声をあげて嘔吐し、青井氏に介抱される。聴覚が鋭くなっているためか、彼女のうめき声が頭の中に反響して恐ろしく感じる。こんなに大声をあげて近隣に聞かれたらどうするんだろう。思い返すと、この頃から若干バッドトリップになっていたように思う。手足を動かしても「動かそう」と思って実際に動くまでタイムラグが生じる。意識と肉体が乖離する感覚に驚き、恐怖する。
11:00。寒気と汗が酷く、手がビチョビチョになる。床に落ちていた髪の毛が手に張り付き、不快。時間が無限に引き延ばされて、外界では1分しか経っていないのに何十分もこうして思考していた感覚に陥る。試しにスマホアプリの時計の針を見ると、集中したときだけ秒針が止まる。ツイッターを眺めるも、気を抜くと文字がグチャグチャに見えてしまう。反原発女性が床にうずくまって叫び声をあげ、青井氏が優しく語りかけてあやしている。
このまま静止した時間に閉じ込められてしまうような気がして恐ろしくなり、起き上がって気を確かに持つよう努めた。無限ループのヒーリング音楽では時間の経過がわからないため、何千回と聴き歌詞を丸暗記している椎名林檎の曲を聴いて、思考に飲まれないよう必死に精神の舵をとる。このままでは時間に閉じ込められる。1曲終われば少なくとも4分時間が経ったことがわかる。恐怖心の中で慣れた音楽に縋る様は、ペットショップから人間の家に連れてこられて必死で自分の匂いを嗅ぎとり、安心を得ようとするハムスターのように無様だ。��面の人間(スタッフ達)が同じ空間にいることがとても頼もしく、ありがたく感じる。
自分の意思で長さを変える時間の中で、デジャヴや死ぬ間際の長い長い走馬灯の仕組み、はたまた認知症患者の幻覚症状について何となく理解する。世界は自分が知覚する範囲内のものでしかない。ドラッグで世界の様子はガラリと変わるのだ。ヒッピーカップルの彼氏の方が、「みんなずーっとこのままじゃんな!」って満面の笑みで言った。彼もまた、引き延ばされた時間の中にいるのだろう。
11:30。あまりに遅く流れる時間に絶望する。体がコントロール不能なことが恐ろしく、もしやこの先ずっとバグった世界で生きるのではないかと不安になる。暖かい部屋でダウンジャケットを着込んでいるのに凍えそうな寒さだ。体育座りで顔や腕をさすり、ひたすら耐える。
12:30。吐き気を感じるが、嘔吐するほどでもない。男性陣は体格的に効果が切れるのが早いのか、スタッフに付き添われてトイレに行ったりタバコを吸いに行ったりする。ところが時間の感覚がおかしいため、彼らがいつまでも戻ってこないように思われて、(暴れて警察に捕まっているのではないか)と強迫観念に襲われるようになる。ハサミなどの鋭利なものが恐ろしい。今にも警察がガサ入れに来るような気分になり、汗と震えが止まらなくなる。合法なんだけどね。
しばらくして男性陣はみんな追加でお茶を飲んでいたが、「これ以上飲むと死んでしまうぞ!」と暴れて止めに入りたい気分に襲われた。閉塞した空間で嫌な汗をかき、早く帰りたい気持ちでいっぱいになった。遅れて来た薬中氏がニヤニヤと笑いながら何もない場所を見て体を揺すっている。これは危ない薬だと感じ、二度とやりたくないと思うようになる。
12:40。自己嫌悪と疑心暗鬼でその場にいるのがつらくなり、エチゾラム舌下錠を半錠飲む。知覚がややまともになってきたため、青井氏に申し出てトイレに向かう。廊下のひんやりした空気が心地よく、なぜか廊下の方が寒いはずなのに悪寒を感じなかった。お茶の酔いが不潔に感じ、もう二度とお薬遊びはしたくない気分になる。
13:00。エチゾラムの舌下摂取が効いたのか、徐々に意識と肉体がリンクしていくのを感じる。周囲を見回すと追加でお茶を飲んでいた男性陣は思いの外元気そうで、女性陣はみんな私と同様ぐったりしている。特に嘔吐していたサブカル女子は辛そうに横たわっていた。体格差や異物摂取に対する耐性で、効き方がだいぶ違うようだ。例外で、ヒッピーカップルの彼女の方は始終ニコニコしていた。数分もすると平常時と全く変わらない知覚を取り戻し、青井氏が切ってくれた林檎���食べた。
14:00。お茶会午前の部終了の時間。午後の部の参加者と入れ替わりで帰路につく。ヒッピーカップルは午後の部も残ってトリップするようだったが、私はもうこりごりだ。足早にビルを後にし、駅へと向かう。シャバの空気がこんなに美味しいとは思わなかった。地元駅でその日初めての食事(うどん)をして、家に帰る。そして、今に至る。
薬が効き始めてから数十分は、非常に興味深い時間だった。外界が時間を止める中で自分の意識だけがフル回転し、世のサイケ音楽の存在意義に気づいたり、いろんな人の顔を思い浮かべたり、恐怖したりした。トリップに慣れた人なら、たしかに加速する思考の中で精神的な財産を得ることができそうだ。
私はバッドトリップしてしまったため手放しに楽しい経験とは言い難かったが、一連の不思議体験には素面では得られない価値があると感じた。体験して良かったと心から思っている。もしもアヤワスカ・アナログを試してみたい人がいたら、是非この体験談を参考にしてほしい。
0 notes
noirpomme9999 · 7 years ago
Text
無限の時間に身を投じた話1
アヤワスカ・アナログをご存知だろうか。アカシア茶とオーロリクスを同時に摂取することでペルーの秘薬アヤワスカに似た幻覚作用を起こすという、一種の脱法ドラッグのようなものだ。今のところ法的に問題はなく、所持や摂取をしても罰せられることはないらしい。
詳細については、下記のページで確認してほしい。
http://aoi-do.com/
都内でアカシア茶を振る舞う「お茶会」なるイベントが開かれると聞いて、迷う間も無く参加申込をした。参加費は8000円と安くなかったが、知識もないまま自宅で試して事故を起こす方が怖かったため、惜しいとは思わなかった。
当日は、参加要項にあったオーロリクス(精神薬)、ナウゼリン(吐き気止め)、エチゾラム(抗不安薬。お守り代わり)、大きなぬいぐるみ(枕)、りんごジュース(お茶が切れてから飲むとうまいらしい)を用意して住宅街のこぢんまりした公園で待ち合わせをした。私が一番乗りらしく、鉄棒でおじいさんが朝の運動をしている他、誰もいない。私が言えたことじゃないが、こんなアングラなイベントに参加する人間の顔が見てみたい。
しばらくすると10人ほどの参加者が集まった。高円寺に居そうなヒッピーっぽいカップルや反原発デモにいそうな女性、サブカル風のメガネ女子、ダンディーなイケオジと大学生風のイケメンの二人連れなど濃い面子だ。不幸にもたまたま居合わせたおじいさんは、目を丸くして我々一行をジロジロ見ていた。そうです、私たちは見た目通りのあやしい集団なんです。
主催の青井氏は、早口で��る温和な雰囲気の青年だった。どこにでもいる理系男子っぽい風貌で、危険な感じはあまりしない。彼に連れられて、一行は公園から2分ほどの団地のようなビルの一室へ向かった。
部屋の中は意外と広く、教室2つ分くらいはあった。ノートPCの他に目立った家具は一切なく、ゴミや荷物が端に置かれている。普段は劇団などが稽古に使うレンタルスペースらしい。清潔とは言いがたい部屋だったが、各々床に腰を下ろす。
説明の前に参加の同意書と緊急時に備えての連絡先や保険証番号を記入する紙を渡され、記入する。個人情報を書くことに躊躇した。(無事にお茶会が終わったせいか、結局回収されることもなかったため、これは帰り際に捨てた)
パワーポイントで青井氏の説明を受けていると、途中で青井氏のヘルプらしき男性2名と、遅れてきた参加者1名が合流した。ヘルプの男性のうち一人はどうやら人の運勢がわかる特殊能力を持っているらしいが、目つきが外斜視ぎみでちょっと怖い。2000円払えばカード占いをしてくれるらしいが、はたして……?遅れてきた参加者は長髪の男性で、目の焦点が合っておらず、いかにもヤバイ薬中って感じだった。大人しそうな人だったので気にならなかったけど。
回復体位やヨガの精神統一方法などの説明が一通り終わったタイミングで、甘い香りの香水を手首に吹きかけられ、お茶が配られる。お茶はグレープフルーツジュースで割られているらしく、赤茶色をしていて爽やかな柑橘系の香りがする。説明に従い、酔い止めを2錠飲み、オーロリクスをお茶に溶かす。いよいよ、精神世界への旅が始まろうとしていた。
0 notes
noirpomme9999 · 8 years ago
Text
打ち上げ花火
どうせこんなページ誰も見ないのだから好きなことを書いてやろう。
今日は祝日の前日だったから職場で休みの人が多かった。うちの担当が5人いるなかで、うち4人が休み。つまり私だけが出勤。休んでるおばさま方からしたら、一番若い私があくせく働けばいいのだろう。全員同じ年度に入ったから上も下もないし、正職員の私のほうが立場は上なのだが。養ってくれる人がいる、気楽な身の上が羨ましい。
普通に週5日8時間時々残業で働いて月に手取り17万ちょっともらう、20代としてごく普通の生活が、どうしてこんなに辛いのだろう。期日や上司の顔色や人間関係に追われて、些細な言葉ですり減って、毎晩寝て毎朝起きるのが辛くてたまらない。仕事内容や待遇面ではこれでも恵まれているほうらしいけれど、世の中の人たちはどれほどの苦痛に耐えながら毎日生きているのだろうか。
私には他の人たちがどれほど苦しみながら生きているのか分からない。私を恵まれていると言う人たちだって、おそらく私の苦しみなんて分かっていないと思う。自分ばかりが辛いのだと言い張って人のつらさを「まだまだ甘い」とあざ笑う不幸自慢で、どれほどの人が楽になれるのだろう。そういうマウンティングも馴れ合いも何もかも、すべてが馬鹿らしい。
大学時代にやっていたHPで、過去の自分の記事を読み返したら「幸福は一瞬の感覚に過ぎない、打ち上げ花火のようなものだ」というようなことが書いてあった。まったくあの頃の自分は正しいと思う。あの頃自分の幸せを形作っていたものは、今はもうすべて跡形もない。
今の私の幸せはいつまで続くのだろう。また後から思い返して、「あれは打ち上げ花火のようなものだった」なんて言うのだろうか。諸行無常。盛者必衰。ただ春の夜の夢のごとし。
1 note · View note
noirpomme9999 · 8 years ago
Text
今年最初の願い事
今年のお正月も、近��の神社で初詣をした。
去年の願い事は、「今年も彼氏と楽しくいられますように」だった。一昨年も、その前の年も同じ願い事をしていたから、その時の相手は変わ���ても、その願いは叶っていたのかもしれない。
今年のお正月は、ただ「幸せになりたい」とだけ願っておいた。そんな抽象的な願い事も神様仏様は黙って聞いてくれる。祈願とはすなわち決意なのである。
前回の投稿の時は人生がどん底であるようなことを書いていたけれど、そんな私もここ数か月は彼氏ができて浮かれている。なんて現金な人間なんだと自分でも悲しくなるけれど、今は何をしていても楽しく、排ガスだらけの都会の空気もきらきらして見える。
好きな人といるときは脳みそがラリっているから、ジャンキーが些細なことでスイッチが入ってワンワン泣き出すように、何にだってドラマチックに興奮してしまう。友達も少なく、大した趣味もなく、ただ漠然と生きている人間はこの脳内麻薬の味を占めるとメロメロになってそれなしでは生きいていけなくなる。悲しい動物の性である。
0 notes
noirpomme9999 · 9 years ago
Text
何も書けない
今の生活には何もない。趣味も好きな人も充実感も欠如している。楽しかったこと、変わったこと、新しい発見、そんなものを記録しようにも無味乾燥な生活にキラキラした何かが見つかるはずもなかった。開設して初めての記事に偉そうなことを書きつつも、現実にはこの有様である。
最近は、暇なとき映画を観て過ごしている。
昔はそんなとき読書をしていたけれど、活字を追ってイメージを膨らます気力が今はわいてこない。必然的に手に取るのはぼんやりと眺めているだけで済むアニメや映画に偏る。読書はあれで能動的な趣味だったのだと、何もできなくなった今になって気が付く。
もっぱら最近は、行動したくてもMP不足で動けないジレンマに煮やされる毎日である。
1 note · View note