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vers un théâtre / narumi kouhei NOTE
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nrmkh · 3 months ago
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この時期になると一度は春を思い出す。ほかの季節も何かの記憶や気持ちを思い出していたたまれなくなるけれど、春はなんだか違う。「ああ、そうだ、これは春だ」と思い出したあとに、いろいろな記憶や風景がやってきて、やっぱりいたたまれない気持ちになる。
今年最初に春を思い出したのは駅のホームで電車を待っていたときだった。普段は車で移動しているので、ほとんど電車には乗らないのだけど、この時期は、特に今年は、お酒の席に呼ばれることが多く、電車に乗る機会も多かった。春を思い出してしまうと、その日はなんだか景色が変わってしまう。見えるものすべてが春に見えてしまう。私が勝手に春を思い出したせいで、駅ですれ違うひとも、電車に乗っているひとも、車窓の向こうに流れる建物の窓ひとつひとつも、みんなそれぞれが春のように思えてきて落ち着かない。
あのひとは引っ越してきたばかりでまだ街に不慣れなのかもしれない。 あのひとは新しい生活に必要なものを買いに行くのかもしれない。 あの窓の向こうで汗ばみながら荷解きをしているかもしれない。
ひとり一人、窓という窓に、それぞれの春を勝手に想像してしまう。
あのひとは大切なひとたちと別れないといけないのかもしれない。 あのひとは忘れられることは悲しいけど、それが道理だと思っているかもしれない。 あの窓の向こうで寂しさと一緒に荷造りをしているのかもしれない。
こちらが勝手に物語をつくっているのに、みんなそれぞれにそれぞれの人生があり、それぞれの窓にはそれぞれの生活があるという、当たり前の事実が突然目の前に迫ってきて、胸の奥がぎゅうっと握られるような心地がしてくる。ほかの誰のものでもない、私の想像でもない、そのひとだけの春に周りを囲まれ、見える景色のすべてを埋めつくされると、意味もなくごめんなさいと言いたくなるけれど、それにじっと耐えていると、だんだんそれぞれの春を勝手に応援したくなったり、勝手に励ましたくなったりしてくる。
春に���に出ると忙しなくて落ち着かない。
先月3月末をもって名古屋芸術大学の教員の務めを離れた。振り返ってみると、5年間、学生とは春のように接してきたように思える。それぞれの人生、それぞれの命が抱えている喜びや不安や悲しみや楽しみを、自分のことのように思いながら、勝手に応援したり、励ましたり、楽しんだりしていた。学生を導く教員としては、あるべき態度ではなかったのかもしれない。
だとしても、今でも、これからも、私はあなたたちのしあわせを願う。自分で自分のしあわせを選べることを願う。自分のしあわせがわからないときは誰かをしあわせにすることを原動力にできることを願う。自分も含めて誰かをできるだけ傷つけないことを願う。どうしても誰かを傷つけないと自分を失うときは、相手と同じくらい自分も傷を負う覚悟を持って傷つけることを願う。生きるのが長くなればなるほど増える傷とうまくつきあえることを願う。誰かを信頼して頼れることを願う。何かを愛せることを、愛しているときちんと言えることを、愛し方がわからないときは誰かに愛されるひとになれることを願う。私のような適当な人間にならないことを願う。
春は、特に今年は、いろいろなひとの春が浮かんで落ち着かない。
やれやれ。
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新年度になりました。
名古屋芸大でお世話になった教員のみなさん、助手のみなさん、事務職員さん、守衛さんや用務などのみなさん、本当にありがとうございました。特に数人の教員の方々といろいろな形でご一緒できたのが、私の人生の大きな幸福となりましたし、演出家としても視野が広がりました。
うまく言葉では表せないくらい寂しいし残念でしかたないですが、こんな適当な人間にみなさんが丁寧に優しく接してくださり、とてもうれしかったですし、とても楽しかったです。またお会いできるときが来ることを心から願っています。
これまで通り、前期のみ愛知大学での授業があり、今年度は京都の大学で演劇の発表公演に係る授業を1年間だけ担当する関係で、週一で京都にも通いますが、基本的に三重を拠点に劇団の活動、演出家としての活動に重心を戻していきます。
三重・宮崎・島根の公立劇場との協働、広島との若手育成事業、Bellevilleでの演劇合宿、オーケストラとの協働、2つのオペラ、コンサート公演、2つの家族向け演劇作品の津市内巡回公演、6年ぶりに三重再演の「ワーニャ伯父さん」、子どもミュージカル、などなどの演出で春以降も忙しない日々となりそうです。
また各地でみなさんに会えることを楽しみにしています。
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nrmkh · 7 months ago
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先日授賞式があり、令和6年度津市文化奨励賞をいただきました。
大学から演劇をはじめて25年超、津に引っ越して10年。今まで演劇や文化に係る賞というものには縁がありませんでしたので、初めて賞をいただきました。うれしく、ありがたいかぎりです。
とはいえ、演出家はひとりで作品をつくり、上演することは不可能ですので、この賞はこれまで関わってくださったすべての俳優やスタッフ、劇場、もうこの世にはいないひとを含む劇作家たち、そして日頃から応援支援してくださるみなさん、ご来場くださったみなさんとともにいただいた賞です。
それを思えば、私が賞を受け取る資格なんてないように感じて、なんだか体がぎゅうと小さくなるような気持ちが甚だしいですが、これを励みにこれからも誰かの人生の糧になるよう創作と育成活動を続けていきます。授賞いただき、ありがとうございました。
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nrmkh · 7 months ago
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演出を務めた三重音楽発信vol.11 オペラ「カルメン」が終演しました。
[当日配布プログラムの演出ノートより抜粋]
私もこの10年超お世話になった三重県総合文化センターの周年事業に、演出家として関わることができたことを心からうれしく、光栄に感じています。博学才穎でチャーミングなマエストロ矢崎さん、真摯で魅力的な歌い手のみなさんとの「カルメン」製作は、私にとって音楽についての発見と楽しさに満ちた日々でした。
プロスペール・メリメの小説「カルメン」を原作に、アンリ・メイヤックとリュドヴィック・アレヴィ、そして作曲者であるジョルジュ・ビゼーとともに台本が書かれたオペラ「カルメン」には、誰もが一度は聞いたことがある曲がいくつも登場します。今回、このあまりにも有名なオペラの演出を担うにあたって、たくさんの資料にあたりましたが、実際に稽古に入るまで腑に落ちない部分がありました。それは「なぜ、ホセはカルメンに恋したのか」でした。音楽上でも台本上でも、ホセがカルメンに心を奪われるタイミングは概ね見当がつけられますが、その理由についてはほとんど手がかりがありません。ホセの一目惚れとも、カルメンの魔力によって酔わされたとも、真面目で堅物なホセがカルメンの誘いにあっという間に惑わされたとも、いろいろな解釈ができてしまいます。ひとが恋に落ちるのに理由は必要ない、という常套句を当ててしまえばそれまでなのですが、それでは演出家としてはやはり腑に落ちないのです。そんな中、立ち稽古に入る前の音楽���古で歌い手のみなさんの声を聞いたとき、その靄が開けていくような感触がありました。あらためてスコアを開いてみて、2幕終盤でカルメンが歌う[Liberté=自由]という言葉と、3幕1場でミカエラが歌う[Seigneur=主・神]という言葉にたどり着くことができました。
私たち人間の歴史は自由と規則の間で右往左往し続けてきたと言っても過言ではありません。キリスト教はもちろん世界のさまざまな宗教は、広大な野生的な自由という土地に立つ個人や社会に指針を与えるものでもありました。それは必然的により良く生きるための規則でもあります。しかしこの自由を制限する規則は人生を類型化し、合理化し、規則をつくる側と従う側、さらには規則を破った者を罰する側と罰せられる側という権力傾斜も生み出しました。多くの権力は増長し腐敗するとともに、縛られていた自由は、その解放を求めて規則を壊したり変更するために権力や多数的価値観と戦うことを選び、その戦いに勝利したとき、ひとはいくつかの自由を手に入れてきました。ただ、この自由には人間が抱き得る多種多様な欲望が含まれ、その中には衝突し合うものもあり、自由の中でも争いが起きます。その争いの調停のために、もしくは多様なそれぞれの自由を尊重するために、規則が導入されることになりますが、いつの世も多数が欲望する自由の方が声が大きく、少数が欲望する自由がその権利を求める争いは終わることはありません。かてて加えて、自由の広大さや野性さに戸惑い、迷い、悩むひとにとっては、宗教が果たす機能と同様に人生の指針を、つまり規則を望む場合も少なくありません。広すぎる自由、危険で野蛮な自由の中に放り出されるよりは、規則に従い、ある種の強さに守られることを選ぶ自由もありえるわけです。アメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人、エーリッヒ・フロムを引くまでもなく、自由から逃走した結果の歴史的な悲劇を私たちはよく知っています。
この自由と規則の間で迷い続けてきた私たちの姿は現在の社会情勢にもはっきりと現れているとともに、オペラ「カルメン」の世界、もっと私個人の疑問に寄せて言えば、「なぜ、ホセはカルメンに恋したのか」の問いにも答えてくれるように思います。
市民に対して力を持ち、規律厳しい軍隊に所属する���セが、敬虔で従順なミカエラを捨てて、自らの意思に従い広大で自由な世界を進むカルメンへの愛に突き進んでしまう姿は、私たち人間の歴史そのものです。そして、手に入れた自由は、自由であるがゆえに、多様な欲望を含み、表し、ひとつの形に留まり続けることはありません。その自由さを許せないホセが、ミカエラの声も聞かず、カルメンを手にかけてしまう姿は、自由の多様性に耐えられず、及ばない規則や秩序の内側に留まるよりも、自由そのものを殺し、悲劇的な結末を迎えてしまう私たちとよく似ています。
オペラ「カルメン」が初演から約150年、世界中で演奏され続けているのは、精緻に論理的でありながら彩り豊なビゼーの音楽はもちろんのこと、この物語の中に生きる人物たちが、人間の自由への欲望や、自由に対する恐怖を示しながら、鏡のように私たちを映しているからなのかもしれません。
音楽に酔い愉しむとともに、矢崎マエストロの音と、舞台から発せられる言葉に向き合う中で、私たち一人ひ���りが自由に対する姿勢を糾す機会になればと願っています。
最後に、この大きな公演に係る膨大な作業を務め、支えててくださった三重県文化会館のスタッフのみなさまと、三重音楽発信vol.11実行委員長の櫛田さんをはじめ、作品をともにつくり上げてきた各セクションの出演者とスタッフ、協力や支援をしてくださった多くの方に心から感謝申し上げます。そして何よりも、ご来場のみなさまと、これまで三重県総合文化センターを支えてきたみなさまに、あらためて心からの厚い感謝と敬意を。
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nrmkh · 10 months ago
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第七劇場「ヘッダ・ガーブレル」@三重県文化会館、台風の影響も少なくなかったですが、無事終演しました。
ご来場くださったみなさま、気に留めてくださったみなさま、ご協力くださったみなさまに、心からの感謝を。
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「ヘッダ・ガーブレル」という戯曲が、約130年前のミュンヘンでの初演から現在に至るまで私たちを不安にさせ続けているのは、私たちがヘッダを理解したり、許容したり、彼女に寄り添うことが難しいからではなく、私が/私たちが自分自身や社会の中に「ヘッダ・ガーブレル」を産み落としているにもかかわらず、それを認めたくない、見たくないという気持ちが反応しているからなのかもしれません。
日本でも、このたった20年の間に、多様な価値観の存在が急速に認知されるようになり、許容されたり、議論の俎上に乗るようになりました。価値観の多様化は、さまざまな喜びや愛が見えやすくなると同時に、さまざまな嫌悪や憎しみも生み出しました。「これがいい」と言う/言われる自由と、「それはイヤ」と言う/言われる自由とを分つことは難しいのでしょう。
作中でヘッダはいろいろなことに嫌悪感を示し、敵対し、失望し、最期を自らの手で選択します。確かに彼女の言葉や振る舞いは、称賛される類のものではないかもしれませんが、私には、彼女のその嫌悪や敵対や失望は、彼女自身にも向けられていたように思えてなりません。130年前からずっと変化し続ける価値観が生む歪みの中で、身動きができなくなってしまったようにも感じます。
彼女の言動は彼女の責任であるのはまちがいないのですが、彼女自身の努力でどうにもできないことや、どうにかしたいのにどうにもできなかったことも、彼女の言動に少なくない影響を与えているのではないかと思います。
最期を自分で選ぶほど、どうにかしたいのにどうにもできない苦しみは、[かろうじて/努力して/あまり意識することなく]生きてしまっている私たちには、なかなか理解できることではないかもしれません。そもそも他人の苦しみなんて理解できるはずもありません。しかし、そのせいで、その苦しみはもっと深く強くなってしまう。
それは甘えだと、彼女を叱咤するひともいるでしょう。彼女から距離を取るひともいるでしょう。彼女を攻撃したり、見ないようにするひともいるでしょう。それは個人の自由です。私だって、ヘッダの苦しみを取り除けるなんて微塵も思いません。ただ、そのいずれも、今まさに、どうにかしたいのにどうにもできないことで苦しんでいるひとを救うことはできません。こんなことを書くと、自分を救えるのは自分だけ、という常套句が浮かんできますが、自分で自分を救いたくて取った行動が、ヘッダの最期の選択だと思うといたたまれない気持ちでいっぱいになります。
私たちには何もできないような気持ちに、もしくは私たちが冷たくて卑怯な存在だと感じさせるのが、「ヘッダ・ガーブレル」という作品の気持ち悪さでもあるかもしれません。言い換えれば、私たちがそういう存在や気持ちと向き合うために、ヘッダはこれまでもこれからも、ずっとどこかで苦しみ続け、死に続けるのかもしれません。
鳴海康平(第七劇場 代表・演出家)
[公演当日プログラム掲載文より]
写真 ©松原豊
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nrmkh · 1 year ago
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北海道の実家で暮らしていた頃、祖母が親戚に電話するとき、しばしばこう言っていた。 「夢に出てきたから」 私が大学進学で東京に出た後、祖母との電話で同じ言葉を何度か聞いた。 祖母が亡くなったあと、今度は実家の母から同じ言葉を聞く機会が増えた。 わざわざ夢に出てきたことを口実にしなくても、用はなくともただ電話をかければいいのに、と、その言葉を聞くたびに思い、同時に、ほとんど場合は用もないのに連絡はしにくいし、自分だって近況を確認するためだけに電話もメールもしないな、と自己問答を繰り返していた。 とはいえ、本を読むときに紙面と顔の距離がだんだん遠くなってきた最近では、これを口実に連絡を取る気持ちがよくわかるようになった、のだけど、なんだか気後れするのと勇気がなくてできない小心者のため、わかるようになったどころか、うらやましかったり、憧れたりする。
この時期、ここを離れて別の場所に向かう姿が周りに多くなる。今は大学にも勤めているせいもあるし、年齢的なものもあるし、不意のものもある。向かった先での少なくても確かな幸福と、より少ない不幸を心から願うとともに、なんだか取り残されるような気持ちにもなる。今では、別の場所に向かったひとの中にも、SNSでその消息を知ることができるひとも多いけど、それでも会いたくなったり、声を聞きたくなるのはなぜだろう。それはそれぞれの元気な姿を確かめたいのと同時に、置いていかれたような寂しさのせいなのかもしれない。
北海道の片田舎に生まれ、東京に出てきた後7回引っ越し、フランスで生活した後、三重県に移住し、仕事で日本各地や海外に行くことが多いため、思い入れがある場所がたくさんあるけど、その愛着は場所そのものというよりは、そこに紐付いているひとへの郷愁の方が強いように感じる。だから、そこにいたひとが移動してしまうと、自分の思いだけがその場所に残されてしまうような寂しさを感じるようにも思える。
今年、私が演出で関わる大きな作品のうちの2つ、第七劇場「ヘッダ・ガーブレル」、三重県総合文化センター開館30周年記念・三重音楽発信 オペラ「カルメン」のために原作を調べていると、それぞれのタイトルロールである2人、奔放で自由な生き方をしているように見えるこの2人、ヘッダとカルメンも、似たような寂しさに付きまとわれているように感じる。自分の場所や価値観ははっきりしているのに、所在がないように感じたり、向かうべき場所や行くべき場所がないような寂寥感。実直なものや純粋なものがまぶしくて、憧れているのに目を背けてしまうような。
もしかしたら、ヘッダもカルメンも、別の場所に向かったひとが夢に出てきて懐かしさが湧いてきても、用もなく連絡できないひとなんじゃないか…と思うのは、自分に寄せすぎなのかもしれない。
私も祖母や母のように、もう少し年月が経つと、「夢に出てきたから」と朗らかに連絡できるようになるんだろうか。ただ、なれたとしても、連絡先がわからなかったり、もう物理的に連絡できない場合もあるし、立場も気にしてしまうから、歳を経ると状況はどんどん複雑になっていく一方でもある。
やれやれ。
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現在、2つの公演で出演者を募集しています。
ひとつは、8月末に三重県文化会館で上演される、第七劇場「ヘッダ・ガーブレル」(原作:イプセン) https://dainanagekijo.tumblr.com/post/743038362283327488/heddaaudition
もうひとつは、同じく三重県文化会館で11月に上演される、三重県総合文化センター開館30周年記念・三重音楽発信vol.11 オペラ「カルメン」(作曲:ビゼー) https://www.center-mie.or.jp/bunka/release/detail/20231201.html
昨年10月末に「三人姉妹」ツアー知立公演を終えたのち、同会場で地域の学校招待公演として「赤ずきん」を上演し、11月に三重オペラ協会「サンドリヨン」(マスネ作曲)の演出、12月に名古屋芸大の同僚・浅井さんが運営するダンスハウス黄金4422で開催された村上春樹を題材にしたワークショップ/ショーイング、年明けて1月に名古屋市西文化小劇場にて名古屋芸大・舞台芸術領域2年生の劇場実習発表「白雪姫」、2月に三重県文化会館制作・絵本コンサート「そっとそおっと」と、名古屋芸大・ミュージカルコース卒業公演「ヘンゼルとグレーテル」(ジャスティン・ロバーツ作曲)と、名古屋芸大・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク作曲)を演出しました。
来週3月上旬には、今年度の演出納めとなる、名古屋芸術大学[音楽の森]家族のための朗読コンサート「おやゆび姫」があります。 https://nua-ap.tumblr.com/post/740564053731229696/onmori23
その後、中旬と下旬に「ヘッダ・ガーブレル」と「カルメン」のオーディションが続き、いつのまにか新年度になっているのでしょう。
今年もすでに2月が終わろうとしています。ついこの前、新年になったと思ったのに。この調子だと、一週間後には今年も終わってるんじゃないだろうかとも思えます。
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nrmkh · 1 year ago
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その悲しみには正しい時間が、
その怒りには誠実さと丁寧さが、
その喜びには努力が、
その憎しみには自分を照らす光が、
その理不尽には適切な忘却が、
その無力感には差し伸べられる手が、
その幸福には他人が、
些しでも確かに与えられ、妥らかに適いますように。
あたらしい年を迎えました。
本年もよろしくお願いいたします。
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nrmkh · 2 years ago
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私たちは生まれたその瞬間、多かれ少なかれ自由を誰かに握らされる。不思議なもので、それは握らされたそばから誰かに取り上げられる場合もあれば、成長するにつれて、大きくなったり小さくなったり、重くなったり軽くなったり、数が増えたり減ったりする。
さらに、それを上手に使って自分を飾ることもできるし、未来に希望を抱くことや、誰かを喜ばせることや、他人や自分を守るためにも役立つ。ただ、ポケットに入れたまま忘れてしまうこともあるし、それを振り回して誰かを傷つけたり、自分を傷つけることだってできる。かてて加えて、目や耳を塞ぐためにも使えるし、身動きが取れなくなるくらい抱えてしまう場合だってある。そう考えると、私たちが生まれた瞬間に握らされるものは、なんだか得体のしれない、扱いにくい、怖い生き物のようにも見えてくる。
それでも私たちの歴史は、いつもこの得体のしれない生き物を巡って進んできた。新たに生み出したり、数や大きさを調整したり、扱い方にルールを設けたりしながら、チェーホフが「三人姉妹」を書いた120年前に比べれば、よりよい社会、よりよい世界になっているはず、だけれど、幸せを感じているひとと不幸せを感じているひとの割合は、実際のところ、どれくらい変わっているのだろうか。私たちが、あの得体のしれない獣と上手に付き合えるようになってきているのかどうか、私はあまり自信がない。むしろ、この獣の扱いを巡って、苦しむひともその種類も、増えているんじゃないかとも感じる。私たちにはこの獣を飼い馴らすことはできないような気すらする。
だとしても、何を考えているのかよくわからないこの獣は、強くて美しくて魅力的で手放すことも難しいし、もはや私たちにぴったりと張り付いていて、部分的にも無理に引きはがそうとすると、こちらが血だらけになりかねない。
どうやら私たちはこれからもずっと、この獣に悩まされるのかもしれない。まるで私たちと一心同体かのような、自由という獣に。
(「三人姉妹」ツアー2023 プログラム掲載・演出ノートより)
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「三人姉妹」リクリエイション版、三重公演は無事終演しました。今日から知立公演の小屋入りです。 https://patio-chiryu.com/event/jisyukikaku5937.html もっと「難しい」という反応が多いかなと想像していましたが、予想を遥かに超えて好評でうれしく感じています。
昨年、三重県文化会館・中ホールで上演したギリシア悲劇「メデイア」の舞台映像が公開されました。 https://youtu.be/L6LWrjzt2as?feature=shared
第七劇場では「物理的な距離、心身の諸条件、ライフステージなどによる環境の変化、経済的な条件などにより、劇場に行きたくてもなかなか行けない方のために、そして劇場文化に親しみがない方にいつか劇場に行ってみたいと思ってもらえるように、第七劇場の舞台映像をYoutubeで公開しています。」 ほかの舞台映像もありますので、もしよければご覧ください。 https://dainanagekijo.tumblr.com/post/615656429521616896/videos
週末の「三人姉妹」知立公演(バリアフリー公演)のあと、仕込み替えをして、来週26・27日には、同じパティオ池鯉鮒・かきつばたホールで学校招待公演として「赤ずきん」を上演します。
来月11月18日には、三重オペラ協会主催・オペラ「サンドリヨン」(マスネ作曲)が、松阪市 農業屋コミュニティー文化センターで上演されます。演出を担当しました。 https://patio-chiryu.com/event/jisyukikaku5937.html
11月25・26日/12月2・3日には、浅井さんが代表を務めるダンスハウス黄金4422で開催される[Autumn Winter Festival]のプログラム「小説から小作品をつくるクリエーションWS」が実施されます。参加者募集中です。ほかのプログラムもかなり魅力的です。 https://www.facebook.com/Kogane4422/
先日、チェーホフが亡くなった年齢と同じ歳になりました。
「あなたがたのような人も古くなって、あなたがたよりも優秀な連中がどんどん生まれてくるでしょう。」 ヴェルシーニン・三幕
「なのに何ひとつ満足というものがない。時間だけはどんどん過ぎていって、本当のすばらしい生活からどんどん離れていってるような気がする。どんどん離れて行って、奈落の底にでも落ちて行くような気がする。」 イリーナ・三幕
「誰も何もわかってない。みんな自分のことは自分でどうにかしないといけないの。」 マーシャ・三幕
「あれは立派で、しっかりした誠実なひとですが、ちょっと変なところがあって、そのせいで、何かこう、目がない、毛がもじゃもじゃの動物みたいになってしまうんです。あれは人間じゃない。」 アンドレイ・四幕
「些細でばかみたいなことが、ふと、私たちの人生に大きな意味を持つことがあります。くだらないことだと気にせず、笑ってるうちに、ずるずる引きずられて、止められない、と思ったときにはもう遅い。」 トゥーゼンバフ・四幕
「そのうち私たちもこの世を離れれば、忘れられていく。私たちの顔も声も何人姉妹だったかも、みんな忘れられてしまう。」 オリガ・四幕
今の私の年齢よりも3歳若い歳のチェーホフが書いた台詞を聞きながら、歳を取って少しずつ確実にほどけていく心身を目の当たりにしながら、いろいろ思い侵みます。
やれやれ。
写真は劇団員が買ってくれたケーキ。ありがとうです。
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nrmkh · 2 years ago
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ずいぶん前、国語の授業で書いた何かの感想文で、多くのひとが若い頃に必ずといっていいほどこだわってしまうことについて、それは「いくつかの制限から解放されたときに錯覚する一時的な経験だ」というようなことを書いて、先生とケンカになりました。今思えば、恥ずかしいのひと言に尽きますし、それはケンカというような立派なものではなく、青臭い私を淡々と諭そうとした先生に納得がいかない私の単なる口答えに過ぎなかったように思います。それから20年近くが経ち、思いがけずまた同じことについて考えました。今度はチェーホフとともに。
さまざまな思考を磨き、大勢の血を流し、多くの涙が流れ、そして乾いていく中で、かつての私たちがそれを手に入れたということは、よく知られています。しかし、その上に立つ私たちは、はたしてかつての私たちが描いたような姿をしているのでしょうか。
20年という歳月で私に何か変化があったのか、2年または100年という歳月で私たちにどんな変化があったのか。
かつての私は差異を手に入れることによって自由という錯覚を経験すると書きました。しかし今、どうやら同じようには考えることができなくなっています。自由そのものが差異を生み出し、すでに私たちは自由から疎外されているように実感しています。
日本と韓国や中国で使われている言葉が異なるのと同じくらい、アジアとヨーロッパの自由をめぐる言葉も異なるように感じます。自由だけではありません。愛情についても、知性についても、労働についても、そして現在��未来や過去についても。いえ、もっと正確にいえば言葉そのものの人生における機能も異なる点が多いとも感じます。
私たちは言葉を使い、何かについて、何かをめぐって思いを伝え合います。そして私たちに許された自由の範囲内で、ひどくたくさんある選択肢の中からひとつを選びながら、自分自身を、または私たち自身をより良く描けるように期待します。
100年後の私たちが、今の私たちを描くとき、どのような姿をしているのでしょうか。
(第七劇場「三人姉妹」初演時のプログラムより・2013)
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3月にあった、名古屋芸術大学での、音楽と影絵のコラボ公演「ブレーメンの音楽隊」と、「赤ずきん」ツアーから、 4月にタスマニアのカンパニーとの共同制作のワークインプログレス、 5月にBelleville Camp23と、若手劇作家シリーズ#2 石見真希「ベビーカー小町」の公演、 6月にピアソラのオペラ「ブエノスアイレスのマリア」、 7月に名古屋芸術大学・舞台芸術領域2年生発表公演「白雪姫」、 8月に津市久居アルスプラザでの子どもミュージカル「オズの魔法使い」と、名古屋芸術大学・舞台芸術領域3年生発表公演「ピノキオ」 9月に津市久居の市民劇「母と会う夏」 と、ゆっくり何かを書く時間も心向きも持てないまま、気づけばもう今年も10月になろうとしています。
そして、来月は第七劇場「三人姉妹」のツアーです。
10月7・8日に三重県文化会館 10月22日にパティオ池鯉鮒(バリアフリー公演)
三重公演は昼の回の残席が少なくなってきているようです。
第七劇場では10年ぶりの「三人姉妹」。 リクリエイション版での上演ですが、これでチェーホフの4つの大きな戯曲(「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」)の作品化にひと区切りです。
みなさまのご来場を心からお待ちしております。
「三人姉妹」ツアー2023 特設サイト https://dainana-trois.tumblr.com/
初演時(2013)の作品情報 https://dainanagekijo.tumblr.com/post/174176399108/threesisters
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nrmkh · 2 years ago
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あけましておめでとうございます。
強さがその強さを振りかざして 何かを傷つけることが少なくありますように。
弱さがその弱さを理由に 何かを殺すことが少なくありますように。
正しさがその正しさを唯一と考えて 他のすべてを斥けることが少なくありますように。
誰かを追いつめる言葉や文字が少なくありますように。
愛や信じることが破戒を招くことが少なくありますように。
本年もよろしくお願いいたします。
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nrmkh · 3 years ago
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自分の人生を自分で選ぶということは甚だ難しい、と感じるのは私だけではないはず。舞台演出家などという職業をやっているのだから、そんなわけないだろうと思われるかもしれないけれど、まったくもってそんなことはなく、自分の人生なのに、なぜだかどうにもこうにもままならない。このままならなさは、私が捨てることが下手だったり、諦めが悪いことに原因があるように思う。何かを選ぶということは、選ばなかったものを捨てることだし、選べなかったものを諦めるということでもある。齢を重ねても、これが上手にならないので、一向に人生もままならない。 とはいえ、メデイアよりはいくらかましなのかもしれない。彼女は自分で自分の人生を選び続けたにもかかわらず犠牲を生み、自らも何かの犠牲になってしまった。 ひとはいつも何かを、誰かを犠牲にしながら生きているのだろうし、ひとりの人生は、ほかの何かや誰かの犠牲の上に成り立っていると言ってもいい。言い換えれば、何も、誰も犠牲にしていない人生は存在しない。 それでも、メデイアが払った犠牲は、端から見れば痛ましい。自分の人生を選ぶたびに、大きな犠牲を払ってきた彼女を思うと、自分の人生を選ぶことには大きな代償が伴い、強い覚悟が必要なことだと気圧されて、私のような小さな人生は物怖じしてしまう。 メデイアの払ってきた犠牲の大きさに畏怖する一方で、彼女は何の、誰の犠牲になったのだろうと気になってくる。私の細々とした想像力でも、国や社会の安全、男の保身、子どもや家族、周囲の無理解や悪意、普通や自然という言葉の暴力、そして自分自身など、気が塞ぐ相手が浮かんでくる。それは現代の私たち一人ひとりを犠牲にする相手とまったく同じように思える。ただ、正確に言うなら犠牲とは大切なものの損失であって、国も男も周囲も言葉も彼女を大切にしているようには思えないことをふまえれば、彼女はただそれらから排除され、疎外されたと言う方が正しいのかもしれない。 私たちはいつも幸せに疎外されながら、生きるために生きてしまう。 母であり、妻であり、女であり、ひとつの存在だったメデイアは、それぞれの幸せから疎外されながらも、代償を払うことでそれに抵抗しようとしたようにも思えてくる。自分自身も含めた、ひとりの自分という存在を疎外する相手から自分と自分の人生を守るために。 メデイアの行動は決して良いことではないけれど、誰かの幸せのために疎外され、排除されているひとが必ずどこかにいることを、どこにでもいることを忘れてはいけないし、彼らそれぞれの歌に耳を傾けてほしいと、彼女は叫んでいるように私には思える。 最後に、もうすぐ3年になる不安定な情況の中で大変なクリエイションに関わってくれたみなさん、応援してくれたみなさん、三重県文化会館、そしてご来場のみなさんに心からの感謝を。 鳴海康平(第七劇場・演出家) ※会場配布プログラムより 写真 ©︎松原豊
------------------ 第七劇場「メデイア」が終演しました。 来年は、2013年に日本とフランスの俳優で製作し、新国立劇場で上演したチェーホフ「三人姉妹」を、10年ぶりにリクリエイションして、三重県文化会館・小ホールで上演します。
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nrmkh · 3 years ago
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「会えるのを楽しみにしてるよ」
それが私が聞いた、あのひとの最後の言葉だった、気がする。少し空気がひんやりしてきた、今くらいの時期、井の頭線の下北沢駅のホームで、電車に乗る前の短い間の電話だった。そのこ���、私は東京に出てきてはじめて彼女ができて、はじめてのクリスマスも年末年始も東京で過ごすつもりだった。それでも上京一年目の年末年始ということもあり、北海道の片田舎にある実家に住む母と祖母は、当然私が帰郷するのだろうと考えていたけど、帰るつもりがないとははっきりとは言わず、冒頭の祖母の電話越しの声に、「ああ」とか「そうだね」とか、あいまいに答えたような気がする。
その数日後か、数週間後かは記憶にない。けれど、それほど経たないうちに、祖母はこの世を去った。仕事から帰った母がキッチンで倒れていた祖母を発見して病院に搬送したが、意識が戻ることはなかった。浮かれた気分を胸の奥に押し込めた私が病院に到着しても、もちろん祖母と言葉は交わすことはできず、あの電話での会話が、私と祖母の最後となった。
臨終が伝えられても、ゆっくり冷たくなっていく体を親戚宅の一室で寝かせていたときも、葬式のときも、悲しいとも感じず、もちろん涙が滲むことすらなかったのに、火葬を済ませ、骨を拾い、親戚とともにマイクロバスに乗った後、涙が勝手に流れ出てきて止まらなくなった。今考えれば、ばかみたいなことだが、骨になった祖母はもうこの世界には存在せず、どうがんばっても、二度と、決して、会うことができないと理解したとき、その顔が体が存在が完全に失われたことが怖くて、悲しくて、どうしていいかわからくなってしまった。
祖母が生きていたら、今年の8月で100歳になる。
1922年、大正11年に生まれた彼女の76年の人生は、幸せだったのだろうか。思い出そうとしても、私が生まれる前の彼女の人生について、私は何も知らないことに気づく。まだ日本では女性に選挙権もない時代に生まれ、戦時中に夫を亡くし、家族のあり方も、就ける仕事も、人々や社会の価値観もどんどん変化していく中で、過酷な時期も長かっただろうけど、子どもたちや姉妹たちと生きてきた人生は幸せだっただろうか。
何の因果か、いや、ただの偶然だけど、現在製作している新作「メデイア」の公演初日は、祖母の命日である。
母であり、妻であり、女であり、ひとりの存在だったメデイア��悲劇は約2500年前の古代ギリシアから現在まで継がれ続けている。メデイアと同じように、母であり、妻であり、女であり、ひとりの存在だった祖母の物語は、映画にもドラマにも演劇にもならないだろうし、2500年どころか100年だって継がれないかもしれないけど、彼女もメデイアのひとりのように思う。
一面的な弱さを理由に不当に差別されたひと、弱くあることを強制されたひと、生命や労働の再生産に無理やり押し込められたひと、強さを認めてもらえず疎外されたひと、普通という言葉に苦しめられたひと。今まさにこういう苦しみを感じているひと、かつてこういう経験をしたひと。そういうすべてのひとのために、メデイアは2500年、物語の中で大切なものを殺し続けてきたように思う。
もし祖母が生きていて、メデイアを観たらなんて言うだろうか。「ひどい母親だね」とでも言うだろうか。「かわいそうに」とでも言うだろうか。いつか聞いてみたいと思う。そして、私が知らない祖母の物語も。
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第七劇場「メデイア」
三重県文化会館 中ホール
2022年12月10日(土)、11日(日)両日14時開演
女性であるがゆえの苦悩と抵抗を描くギリシア悲劇の傑作。メデイアが苦しみの末に選んだ行動が、女と男、親と子、公と私に刻まれた2500年前から癒えない痛みとして響く。人間が人間であるがゆえの悲しく、強く、美しい物語。女になることは、妻になることは、母になることは、幸かそれとも不幸か。
三重県文化会館 公演情報ページ
https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/40147
第七劇場 website
https://dainanagekijo.tumblr.com/post/694258935131258881/medee
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nrmkh · 3 years ago
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走れなくなった。
10分ほど走るとひざが痛むようになって、走れなくなった。そのうえ、字が近いと読みにくくなった。去年の春から1年の間に、走れなくなって、読みにくくなったことになる。こうやって、機能を少しずつ失っていくんだなぁ、としみじみ感じ入る。
もう情愛を以て誰かに触れることも抱くこともないだろう(おそらく最後は母親が去るときだと思われる)。誰かの心に入れてもただ通り過ぎるだけだし、誰かが入ってくることはない(入れることもない)。誰かの背中を押してあげることはできても、押した背中は遠ざかるばかり(それでよい)。私の背中を押してくれたひとたちの中には、ずいぶん遠くなってしまったひとも少なくない。どうやら物理的・生物学的な機能のほかにもいろいろと終わっていくんだなぁ、とやっぱりしみじみする。
春。少しの間、街中がふわふわして、ざわざわする。 銃撃や爆撃から6時間離れた場所では桜が満開に咲いている。いや、銃撃や爆撃はそこだけで響いているわけでもない。ふわふわして、ざわざわするのは、何も春のせいだけではない。6時間向こうの銃声も爆音も事実だし、目の前で咲く桜も若い笑顔も事実に変わりはない。
なんだか春は、ふわふわして、ざわざわして落ち着かない。落ち着かないからしみじみ感じ入るのか、感じ入ることが多いからふわふわざわざわするのかはわからない。
この世はひとでできている。もう少し細かく言えば、ひとの言葉と行動でできている。ほかの誰かの言葉と行動の報せの数や種類が甚だしいからといって、それらを見ないように、聞かないようにするのも困難だ。
見ない、聞かない覚悟ができるのなら、この世界はもっともっと広くて、遠くて、限界がはっきりしているはずだけど、そうはなっていないし、全体としてそこに戻ることはもうできない。私たちは私たちの一般意思でここに行き着いてしまった。
とかくひとの世は今でもやっぱり生きにくい。 言葉は積まれたそばから崩される。言葉を見せなければ存在しない。行動しなければ小突き回される。情が動かなければヒトじゃない。重い絆を引きずりながら、自己責任の断崖のへりを、自分すらも愛せないのに誰かを愛し、自分を見失うほどの寛容を深く吸い込み、優しさを吐く替わりに何かを削りながら生きていく。
生きにくいからといっても、進んで消えることもしない。消えるまでようよう生きるしかないとため息をついたとき、その息の中に光が灯るときがある。その光が寂しげに、やっと自分を照らしてくれる。誰かの足下を、行く先をほんの少し照らすこともできたりもする。ただ照らすだけかもしれないが。
それでも、言葉と行動には、殊に芸術文化には、この世界や社会や隣のひとが思ったよりもはるかに身近でもないと思い出させる力もあるし、ひとは言葉と行動でたくさんの問題や課題を解決してきた。解決に至っていないことでも、解決しようとしてきたし、現在進行形で解決に向けて言葉と行動を駆使している。ただし、それでも解決できないことはあるし、解決しない方がいいこともある。おかしな言い方だけど、解決しようとしながら解決しないでいることが最善であることだってある。なんでもかんでも、解決すれば、良い結果が待っているわけじゃない。
問題や課題を解決する力と同じくらい、解決できない問題や課題のことを考え続けながら一緒に生きる力も大切なのかもしれないし、一時的に考えない力も大切なのかもしれない。※イヤなことを我慢したり、耐えたりすることが大切という意味ではなく、幸福を諦めたり、考えることを放棄することが大切という意味でもない。難しい。
やっぱり、なんだかふわふわざわざわしてしまう。
先日、9歳の男の子に「10年後、なにしてると思う?」と聞いたら、彼は少し考えて、黙ったまま「さあ?」というように首をかしげた。 「私はね、10年後、もう消えていたいな」と、彼には言えなかった。 なぜ言えなかったのかは、彼が生きるであろう未来にまだ希望を感じていたからなのか、ただの無責任からなのかは、わからない。うーむ。
やれやれ、春だ。
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昨年12月ごろから、先日の3月30日まで、ほぼ毎週末、何かの公演本番やら事業やらイベ��トに追われっぱなしで、ついでに合間(というかなんというか)に新型コロナウィルス陽性者にもなったりもして(まったくの無症状でしたが)、なんとか新年度を迎えました。感染症の症状ではなく、本番の数で息もできないほど、でした。
准教授を務める名古屋芸大・舞台芸術領域(昨年度開設)も2年生を迎えました。ありがたいことに、初年度よりも多くの学生を迎えることになったので、わたわたしています。ひとを愛せず、愛され方も下手くそな私が、若い笑顔の未来のために何を伝えることができるのか、いつも疑問に思っていますし、そんな資格はないだろうと自分にいつも確認しながら、どうにかこうにか、彼らの現在と未来の手助けをしてきたいと思います。
現在、第七劇場では2件、募集中です。
興味がある方は詳細を確認してみください。もしくは、お近くの興味を持ちそうな方にご紹介いただければうれしいです。
1つ目。 若手演出家と俳優のための演劇合宿「Belleville Camp22」。 https://dainanagekijo.tumblr.com/post/678803746210365440/camp22 実施日程:5月1日集合、5月6日解散 申込締切:4月17日 24:00
2つ目。 12月に三重県文化会館で上演する、第七劇場・新作「メデイア」の出演俳優と演出助手。 https://dainanagekijo.tumblr.com/post/679854328797921280/medee-audition 公演日程:12月10〜11日 オーディション日程:6月3日、4日 申込締切:5月23日 24:00
新しい場所で、新しい環境で、新しい気持ちで、新しい空気を吸い込んで進むみなさんに、そして年度変わっても何も変わらないみなさんに、小さくても確かな喜びがありますように。悲しみが適切で最小限でありますように。
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nrmkh · 3 years ago
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名古屋芸術大学・舞台芸術領域開設記念事業 第七劇場「oboro」
プログラム掲載ノートより
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第七劇場では、私が劇作をしない演出家ということもあり、広く翻訳され上演され続けているような古典や名作戯曲を上演することがほとんどで、レパートリーも含め、ほぼすべての第七劇場作品の原作劇作家はとうの昔にこの世を去っています。
ましてや誰かに戯曲を依頼することは稀なことですが、この「oboro」は、若手劇作家と協働し、現代作家の戯曲をレパートリー化する企画の一部として書いてもらいました。何度再演しても違う味わいが生まれる戯曲です。
文学において、作品のはじまりと終わり、そしてそのあいだをつなぐ時間の連続性という呪縛とどう向き合うかは、近代以降の一部の作家にとって、とても重要な主題でした。「草枕」も同種の課題への漱石の答えだったと言えます。また、明治に起きた言文一致と前後して生まれた日本における国語と小説を元に展開されてきた散文は、より良く伝達することや巧みに表現することの論理性を聖域にして、極個人性を排除しながら、詩とは異なるアイデンティティを確立していきました。
戯曲においても、物語、時間、場所、人物において一貫性や論理的連続性や、それらに矛盾がないことが前提となっています。それらをあえて一時的に、部分的に崩す技術や工夫がなされている戯曲もありますが、「oboro」ではそれらを全編にわたって断続的に少しだけ異なる別の地平にスライドさせていくことで、物語のあり方に挑戦しているのが、私が感じている「oboro」の魅力のひとつです。
漱石が「草枕」を「プロットもなければ、事件の展開もない」と説明したように、芥川が「詩に近い小説」の可能性を模索したように、見慣れない物語を味わっていただけたらと願っています。
最後に、大変な情況の中で開設記念事業にご協力くださったみなさん、そして何よりもご来場のみなさんに、心からの感謝を。
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第七劇場 oboro 作品ページ https://dainanagekijo.tumblr.com/post/647712275795443712/oboro
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nrmkh · 3 years ago
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名古屋芸術大学・舞台芸術領域開設記念事業 ストラヴィンスキー「兵士の物語」
プログラム掲載ノートより
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今のしあわせと昔のしあわせはどちらかしか選べない。 今の自分と昔の自分はどちらかしか選べない。 何かをえらばなければいけない。 すべてを手に入れてはいけない。 しあわせはひとつですべて ふたつのしあわせなんて、どこにもない。
これは、この「兵士の物語」の中の言葉です。 大きくなったひとにとっては耳が痛い言葉であり、わかっているのについ忘れがちなことでもあります。まだ小さいひとにとってはわかりにくいことかもしれません。そう考えると、ひとつのしあわせを大切にすることも、それを守ることも、それだけで十分だと考えることも、それ以上をほしがらないことも、なかなかむずかしいことなのでしょう。それに、自分のしあわせと、となりにいるひとのしあわせが同じではないこともよくあることで��。しあわせはひとつですべてかもしれませんが、その形はひとそれぞれで、すべてのしあわせが同じ形をしているわけではありません。ひとの数だけしあわせの形があります。それが「しあわせ」をむずかしくしているのかもしれません。それでも、この言葉はしあわせに生きるためのわかりやすい言葉です。
この作品は、100年くらい前、大きな戦争のすぐあとに書かれました。たくさんのひとがくるしんだり、かなしんだり、つらい気持ちになっているときにつくられました。そういうときは、こういうシンプルでわかりやすい言葉が必要になります。こういう言葉を思い出さなければ、生きていけないときともいえます。どうして戦争が起きるのかという問いも「しあわせ」と同じくらいむずかしいのですが、もしかしたらしあわせがむずかしいから起きてしまうのかもしれません。今も私たちの身のまわりや心の中では小さな戦争が起きています。そのせいで、くるしんだり、かなしんだり、つらい気持ちになります。そういうときは、やっぱりこの言葉を思い出す必要があります。何かを捨てることも、あきらめることも楽しいことではありませんが、しあわせがひとつあれば、それがすべてと思えれば、少しは楽になります。
私たちの中の戦争はなかなかおわってくれません。 だからこそ、せめてこの言葉を忘れずにいたいと、私は思います。
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nrmkh · 3 years ago
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あけましておめでとうございます 弱さが不安になる夜が少なくありますように 弱さが楽しみに朝を待つ夜が多くありますように 不安な夜があなたを少し強くしますように 楽しみな朝があなたの縺れを少しでも解きますように 強さが何かを傷つけることが少なくありますように 本年もよろしくお願いいたします
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nrmkh · 4 years ago
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自分のために泣くことはもうないのかもしれない。
もともと涙もろい方ではない。それでもここ10年くらいで、映画だのドラマだの音楽だので、泣くことは多くなった。もらい泣きだってするようになるなんて、10年前では考えられなかった。
けれども、多くの「大人」がそうであるように、自分のために流す涙は体の中のどこを探しても、もう見当たらない気がしてならない。どこかに隠れているものなのだろうか。そういう類の水分は枯れてしまったようにも思う。よもや自分のために泣けなくなったら「大人」ということなのか。いつのまに大人になってしまったのか。
そして、瑞々しくて暴れるような情緒をもって、何かに情愛を抱くことも、憎悪することもなくなった。知識や経験がそれなりにたくさん増えて、思考回路も拡がったせいか、ひとつの情緒に溺れることができなくなった。歳を経るにつれ身体が少しずつ壊れていくように、心も溶けて解けていくものなのかもしれない。もしくは、そういう湧き出るものは有限で、大方を使い果たしてしまったのかもしれない。もうあとは水たまりのようにそこら中に散らばっている情緒で渇きをしのぐしかないのか。
小説家でありながら文学も言葉も信じきれなかった四迷や太宰のように、ぼんやりとした不安から生を信じきれなかった芥川のように、自分の手の中にあるものを信じきれないというのは、なかなか空しいものだ。自分の心身の中に確かにあるはずなのに、そ��を疑い続けることは、文字通り骨身を削ることになる。
「桜の園」3幕で、ラネーフスカヤはこう言う。
— 私、あのひとを愛してる、それははっきりしてる。愛してる、愛してるの。
彼女は、そう言葉にすることで自分の中にあるはずの情緒を確かめようとしているように思う。そうしなければ信じきれなかったのかもしれない。
そして、彼女はこう続ける。
— 私の首に結ばれた重石みたいなもの。それに引っ張られて私は、どんどん沈んで行く。それでもやっぱりその重石が好きで、それがないと生きていけない。
情愛がいつも多幸感だけを伴うものではないことは周知である。ただ、彼女にとってはそんな凡庸な恋愛論はどうでもよくて、きっと愛しているとか憎んでいるとかの細別よりも、自分の心身にまだ湧いてくるものを信じたかった、湧いていることを信じたかった、自分のために信じなければならなかった、ように、私には思える。
孤独や痛みがいつもそばにいるんだから、これはこれで寂しくないと感じるようになってきた私は、そんなラネーフスカヤの姿に少しだけうらやましさを感じる。
少しずつ壊れて、解けて、枯れていく体と心のことと、残りの人生のことを考えると、私はまだまだへどもどしてしまう。とはいえ、へどもどすらしなくなったときのことを思うと、それはそれで暗然たる気持ちに沈んでしまいそうなので、あまり考えないようにしようと思う。
やれやれ。
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「桜の園」ツアー最終地、宮崎公演まであと1週間。 来週18日と19日の2日間、両日ともに14時開演の計2ステージ、宮崎県立芸術劇場で上演します。 初日18日は残席6程度のようです。19日はもう少し余裕があるそうです。
宮崎県芸では、今年2月に「ワーニャ伯父さん」を上演しましたが、またチェーホフです。
「桜の園」は、私にとっては、私の祈りや願いに似た作品です。
みなさんと劇場でお会いできるのを楽しみにしています。
特設サイト(舞台写真もあります) https://dainana-cerisaie.tumblr.com 宮崎県立芸術劇場サイト https://miyazaki-ac.jp/event_typecat/theater_dance/
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nrmkh · 4 years ago
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私が書く「海」という文字は、母親の書く文字を真似ています。
自分の名前の中で「海」という文字を書くのが下手で、大学に入って上京したとき、あらゆる書類に書かねばならない自分の名前のバランスの悪さに、書くたびに恥ずかしかったり、うんざりしたりしていました。上京時は、私の生まれである「北海道」を書く機会も多く、そのまん中にも「海」の文字は鎮座していて、何度も心を折られたものです 笑 その後、実家から届く、食べ物や洗剤やティッシュなどがいっぱい詰まった段ボールに貼り付いた送り状にある母親の特徴的な筆致に目が留まり、真似るようになったんです。
だからといって、私の書く名前のバランスがよくなったわけではないんですけど、うんざりすることはなくなりました(目下の問題は「平」の字です)。今、見比べてみたら、オリジナルの母の筆致と少し違うものにはなっていますが、雰囲気は似ています。あのときは小学生の漢字ドリルのように、母親の筆致を真似てノートにいくつも「海」の字を書きました。だからなのか、自分の名前を書くときを含めて、「海」の文字を書くときは、母親の筆致を思い出すんです。
実は、早稲田、とか、戸山公園、とか、劇研、とか、隈裏、とか、千年、とかの文字を見たり聞いたりするたび、あなたをこっそり思い出していたんです。足場で組まれた丸い野外劇場とか、目白の事務所とか、浦和レッズとかも一緒に思い出したりしていました。もちろん早稲田や高田馬場には私もうんざりするほど思い出はありますが、それでもやっぱり、ただの生意気な駆け出しの後輩若輩演出家の私に、あの演劇祭の運営委員のひとりとして声をかけてくださり、何度も会議でたくさんの言葉を重ね、早稲田を縦横に奔走し、オープニングで見た消防関係者の顔が青くなりそうな演出に、演劇祭関係者が大笑いしていた景色は、私の記憶の中の早稲田を代表する思い出のひとつですよ。ほんと。
そして何よりも、あなたが声をかけてくださったおかげで、たくさんの演劇人との縁ができて、私の人生は大きく変わったんです。今の私があるのは、そのおかげなんです。苦しい時期もありましたし、大変なのは今も変わりませんが、その縁に助けられて、何度も成長する機会や自分を変える機会をもらい、今があります。
弱くて情けない私は、今でも自分で自分を変えることができなくて、他者や、その誰かとの関係に助けられてばかりです。でも、それもおもしろいし、楽しんでいいことだと教えてくれたのは、あなたに誘われたあの演劇祭でした。本当にありがとうございます。
最後にお会いしたのは、学習院女子大学での演劇祭のときでしたよね。 2018年?2019年?どっち��したっけ?覚えてます?笑
寂しいですが、またそっちでお会いできるのを楽しみにしています。 そのとき、あらためてお礼を言わせてくださいね。
ではでは、また。
心からご冥福をお祈りいたします。
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私の人生をしっかり変える機会をくれた方が亡くなったとの訃報を聞きました。ひどく残念です。重ねて心からご冥福をお祈りいたします。
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10月に三重と金沢で上演した「桜の園」が、12月にツアー最終地・宮崎へ行きます。 12月18日の初日の回は残席が少なくなっているようです。
公演情報はこちら https://dainana-cerisaie.tumblr.com
宮崎県立芸術劇場 https://miyazaki-ac.jp/event_typecat/theater_dance/
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今週末は勤めている大学のミュージカルコースの卒業公演の本番。 2月末には声楽コースの卒業オペラ公演。 どちらも演出を担当しています。
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今年もあとひと月で、終わります。
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