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Technocracy is NOT Communitarianism
ワシントンDCで起こっていることをめぐり、物語に顕著な変化が起きている。私はテクノクラシーと言う。他の人たちは共産主義、社会主義、ファシズムと言っていた。今はコミュニタリアニズムと呼ばれている。
この言葉がテクノクラシーを覆い隠している。前例がない。1930年代からテクノクラシーが好んで使っていた「社会工学の科学」の味を覚えているのかもしれない。
テクノクラートは、自分たちのテクノクラティックな政策を隠したいとき、意図的にコミュニタリアニズムの言葉でそれを行う。
例1:スマートシティ
テクノクラートの政策:都市計画者は、データ分析と技術的専門知識を頼りに、「スマートシティ」インフラを設計し、センサー、AI、アルゴリズムを導入して、交通、資源、公共サービスを管理する。監視の配置、デジタルIDの採用、アルゴリズミックな資源配分といった核心的な決定は、選挙で選ばれたわけでもなく、説明責任を果たさない技術専門家や民間コンサルタントによって行われ、市民の直接的な意見はほとんど反映されない。
コミュニタリアン的なフレーミン��:政策立案者は、こうしたイニシアティブを「包括的な都市 コミュニティ」「地域グループのエンパワーメント」「集団的デジタ ル変革による社会的信頼の構築」を推進するものだと説明するこ とが多い。コミュニティ主導の持続可能性」、「公共スペースの共有」、「コミュニティの絆の強化」が強調されている。
例2:公衆衛生政策
技術主義的政策:疫学者や技術主義的な諮問委員会に導かれた国の公衆衛生機関が、義務的な予防接種キャンペーンやデジタルヘルス資格を展開する。実施にあたっては、技術的なモデル化、集中的なデータ管理、科学的な専門知識に依存し、多くの場合、公開の審議や個別の同意は最小限に抑えられる。
共同体主義的フレーミング:「地域社会の保護」、「健康に対する連帯責任」、「レジリエントな地域社会の構築」といったフレーズを使って、この展開が説明される。当局は、「私たちは皆一緒」、「地域社会の連帯」、「集団の安全のために犠牲を分かち合う」ことを強調し、専門家のルールやデータ主導の命令が原動力であるにもかかわらず、プログラムを危機に対する共同体的対応として見せる。
PATRICK WOOD
AUG 19, 2025
Technocracy is NOT Communitarianism
Technocracy News & Trends
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悪魔崇拝で悪魔に魂を売ったのにワクチンで殺されたオジー・オズボーン ワクチン死
あーらら😮💨
ご冥福をお祈りします。
(悪魔崇拝は本当に危険なのでやめた方がいいですよ)
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人が「住みたい」と言う時に、「住んじゃいけない」などは、よほどの理由がなければ言ってはいけないことです。まずその基本中の基本を確認すべきなんです。
例えばある人種の人たちの犯罪率が高いことが実証的に言える場合があるとして、そういう人種の一員だからといって「住んじゃいけない」と言えるかといったら、言ってはいけない。憲法や障害者権利条約とか持ち出さなくても、そういう権利は誰にもないことを幾度でも確認するところから始めないと、保安処分とか予防拘禁とかと同じ発想になってしまう。
立岩真也「ともに生きることと優生思想 社会学者・立岩さんの視点――相模原事件を考える~公判を前に」
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なんで「障害者は人間なのか(社会の役に立っていないのに)」という問いがクソバカ愚問なのか教えてやる。そもそも人間は「生活」しているから人間たらしめられるんだよ。
映画に出てくる全盲の重度障害者「きーちゃん」は暗い部屋に放置されているが、もし毎朝毎晩、あの部屋のカーテンを開け締めする職員が現れたら、そのとき彼女は人間になる。冒頭で、デイルームで笑う利用者の、その笑顔の理由が、午後に窓から漏れる陽の光にあったなら、彼は人間になる。好きな食べ物が分かれば人間になる。画用紙に無造作に色を塗る利用者の、その理由が色ではなく手触りにあったなら、彼女もまた人間になる。その利用者の暴力の原因が周囲の喧騒にあったなら彼は人間になる。繰り返される意味不明な独り言に、母親を呼ぶかつての習慣の名残を��い出せば彼女も人間になる。
かつて小児麻痺の車椅子ユーザーがバスを占拠したことは、どこでも自分の好きな場所に行くことで、彼ら彼女らが人間になるためだった。それは法的には移動の自由と呼ばれ、それは憲法で、法の下の平等によって障害者にも保証されていなければおかしかった。
なぜなら、それは人権だったから。
人権が生活を守り、生活が人間を人間にする。だからおれたち生活支援員は利用者の「生活」を「支援」している。この、あって当たり前の考え方が欠落している「さとくん」が破滅するのは必然だった。でも、映画は詐術によってこの答えを巧妙に隠蔽する。
人間の本質は、死刑囚が死際に流す汚物などではなく、暖かく清潔な部屋にこそあるんだよな。
なんで優生学が否定されるのか?それは優生学が科学的に間違っているからでも、「自分が年取って寝たきりなったら殺されるから」でもない。それは優生学を恐れる理由にはなっても、その存在そのものを否定する理由にはならない。優生学が存在できないのは、この「生活によって人間は人間たらしめられる」という前提条件によって、その存在そのものが根本から否定されるからだ。そこには遺伝の優劣なんてまがいものの価値が介在する隙間はない。人間を人たらしめる「生活」は、遺伝ではなく社会そのものによって成り立っているからだ。
【FUCK②③】生活支援員が観た映画「月」評~後編~|東京ニトロ
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簡単に人を信じるなよ。易々と他人に影響されるな。
文字なんて活字に組まれて本にそれなりにご立派なことかいてるように見えるけど
言葉なんてたいしたことないんだからな。
書かれた文字を疑え、語られた言葉を疑え、
いちばん悪いのは何か自分以外のものに過度に期待して判断を全面的に他者依存することだ。
むやみやたらと他人を尊敬するんじゃねえぞ。
全ての文字にはうそがあると思って間違いない。
俺がお前らをだまそうと悪意をもって文をかいていることを忘れるな
[自分にファンレター書いてくる人に対して]
村崎百郎(非公認)WEB
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“このタイトルだと、「現代のヒトラー」が どっち指すのかぱっと見わからない。日本語訳タイトル付けた人の精一杯の表現手法だったりするんかな”
— [B! イスラエル] ネタニヤフ氏、「現代のヒトラー」イラン最高指導者暗殺を排除せず
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医者にかかると碌なことが以下略
“話は母がガンになったところから始まる。 就職と共に家を出て2年ほどして、母がガンにかかっていることを知った。最初はガンと言ってもピンキリだろうと呑気に構えていたら、余命半年も無いらしい。 母が心配していたのは、典型的な昭和世代の価値観をもつ父のことだった。今でこそ男性も家事をするのが当たり前の風潮があるが、私の親世代は全く異なり、母は専業主婦で父は家のことは何一つ出来ないような人だった。 医者の話によると母は半年以内には亡くなる。その後、父がどうなるかを想像すると、 ・二人暮らしから一人暮らしになる(下手したら後追い自殺するんじゃね?) ・酒に溺れる(弱いくせに酒飲み) ・まともに食事をしないので体調を崩す(仕事が忙しいと昼食を取らないなどのため痩せ型) と、ろくな未来が想像できないため、仕事を辞めて実家に帰ってきた。 まだ社会人3年目だったため、不安もあったが、「親の余命が残り少なかったので親と過ごすため仕事を辞めた。親は死んだ」となった場合に次の仕事を探す時に「家族思いの良い人」になるし、たいして不利にもならないだろうという計算もあった。「自分の人生の時間のうち、1年位を母のために費やしてもいいか」という気持ちがあったのも確かだ。 結局、実家に戻ってから2ヶ月ちょいで母は亡くなってしまった。 母が亡くなってからは「やるべきこと」が多くて悲しんでいる暇はなかった。保険やら役所やら銀行やらの手続き。抜け殻になってる父は役にたたないので、全て代行した。その後、実家の片付け。母が居た痕跡を消したい訳では無いのだが、とにかく”母が居たそのままの家”は良くない。父には生き続けてもらわないといけない。時々思い出すのは良いが、感傷に浸りすぎない環境を整えないとまずい。母に思い出の中で生きてもらうのは良いが、父には今を生きてもらわないと困る。このため二人暮らしで家事の分担を決めて、家計の管理をどうするかなどを父に相談し、実際に家事を分担することで、今後、私と二人で生活していくことを想像させた。運動不足の父に散歩を促すように犬ももらってきた。文句を言いながらも犬にねだられて毎日散歩するようになり、��体的には母と暮らしていた頃より健康になった。 生活を立て直している最中に父方の祖父が亡くなった。祖父は母が無くなる前から寝たきりで病院でただ寝かされて”生きているだけ”の状態だった。父は「できる限りのことは行ってほしい」と望んだため、いわゆる延命治療を行っていた。意識もなく寝たきり。胃ろうを行い、無理やり栄養を流し込まれててただ生命を維持されているだけだった。そんな祖父を見て思ったのは「自分はこうはなりたくない。ここまで延命してほしくない」という事。父は普段から「わしは70歳くらいでころっと逝くわ」と言っていて、延命治療などは望んでいない。ただ、それでも自分の親には長く生きていて欲しいらしい。本人がどうしたいかと、自分の親に対する対応のずれに違和感を感じたが私が口を出すことでもないので、何も言わなかった。 あとから考えると、この頃は色々と大変だった。父と二人暮らしになったのだが、私は父の事をそれほど知らない。とにかく仕事人間だったため、子どもの頃の記憶に父が居ない。平日は私が寝てから帰ってきて、起きる前に出社する。日曜は家には居るがとにかく寝ている人だった。小中高と大きくなるにつれ、家族より友人との付き合いのウェイトが大きくなり、父への興味は薄れ、父の事を知らないまま育った。1つ父に関して大きな出来事というと、リストラされたこと。銀行員だったのが関連会社に飛ばされた。何年かは銀行に席を置くが、その後は関連会社の在籍になり、給料がかなりダウンするとの事。私が高校生の頃だったた、家計の心配などに回す頭はなく、落ち込んでいた父を見て、単に「でかい会社は信用できない」という印象だけが残った。この頃から"絶対的な親"というより"それほど強くない一人の人間"として父の事を見ていたように思う。 母が亡くなってからはとにかく父に話しかけた。幸いにも私は仕事で独立できたので、その話。ひとり社長の会社だが、父は独立したことを喜んでくれた。父はとにかく新聞を読んでいた印象だったので、私も日経新聞を読み時事の話などをふった。銀行員だったから経済には詳しいだろうと経済の話をふったら思ったほど知識が無くて驚いたこともある。父との関係は成長過程で作られたものでなく、母が亡くなってから作った割合が大きい。二人で暮らしているので、調理が面倒になると頻繁に二人で飲みに行った。週1ペースでは飲みに行ってたので結婚するまでに父とサシ飲みしてる回数は200回は超えるんじゃないかな? そこから私が結婚して家を出るが、実家に作業場を残し日中は実家で仕事をしていた。一緒に昼飯を食べにくことで父が一人にならないように気をつけてた。趣味がなく、人付き合いもない父。一人にすると間違いなくボケる。とにかく人と関わらせなければならない。それを言い訳に子育てに使いまくった。自分の仕事が忙しいときは子どもの面倒を頼み、余裕があるときは父と一緒にあちこちに出かけていた。 母が亡くなってから15年経った頃、父の様子がおかしくなった。トイレでしょんべんを撒き散らしていてズボンがしょんべんで濡れている。外出した際に赤信号に気づかずに渡ろうとする。認知症だった。 「ボケたら施設に入れて」 父に言われていたので、すぐに施設を探した。区の相談窓口に行きケアマネージャーさんを紹介してもらい、入所可能な施設を探してもらう。幸いにもすぐに施設は見つかり入所させた。ここから父の電話攻撃が始まる。自分がどこにいるかわからない父はすぐに私に電話をかけてくる。「なんか部屋が変わってるねんけど」「飼ってた犬がいないけどしらんか」話す内容は毎回同じ。1ヶ月の電話の回数をカウントしたら150回を超えている。1日5回のペース。精神的にかなりきつい。余裕がある時は普通に話せるのだが、仕事が詰まっている時に電話がかかってくると本当に切れそうになる。こちらがまいってしまい一時的に父の電話を着信拒否したら、施設を出ていき行方不明。幸いにも警察に保護されて無事だったが、電話の拒否もできなくなる。結局、電話攻撃が落ち着くまでに1年以上かかった。 定期的に見舞いに行き外食に連れて行っていたが、認知症が進むと父を外に出せない。ランチで寿司屋に連れて行ってる時にゲップ、屁をこく、しつこく酒をねだるなど、行動が制御できなくなっていく。医者に酒量をコントロールするように言われているので、日本酒1合で止めるが、我慢ができない父。大将に「飲ましたりーや、可愛そうやで」と言われたのには本当にムカついた。結局、コロナの流行もあり、外食するのも止めた。このあたりで「父はなんのために生きているんだろう」と考えることが多くなる。妻をなくし、好きだった酒もタバコも私が止めさせ、美味しいものも食べに行けない。残っている楽しいことは、正月などに孫と会えるくらいだろうか?ただ、認知症が進むに連れ、会話ができなくなる。短期的な記憶ができないため、会話が続かない。「(孫の名前)、もうこんな大きくなったんや」という話が10分おきにループする。孫側からしても会話に付き合うのが大変だと思う。それでも家族が集まって賑やかな状態の中に居ることが楽しそうには見えていた。楽しませることが出来て良かったと思ったまでは良いんだけど、施設に戻るのを本気で拒否して声を荒げられるのは勘弁してほしい。 この後、脳梗塞、大腸がんなどがあり、その都度「ああ、もう寿命かな?」と思いつつもなんとか生きていたのだが、少し前に大腿骨を骨折して動けなくなった。肺炎などを併発してなかなか骨折の手術が出来ず、ベッドに寝たきりになってる間に筋力が極端に落ちた。肺炎が収まり骨折の手術は出来たが、食欲が戻らずほとんど食事をしていない。延命治療を拒否し胃ろうは行っていないため、現在は点滴にカロリー摂取を頼っている。点滴の管が太いために腕からではなく、首に点滴の針をつけている。認知症の父に状態が把握できるわけもなく、意図せず外そうとしてしまうため、手を拘束せざるをえない。見舞いに行くと部屋に入る前から「助けてください、助けてください」と父の声が聞こえる。自身の状況が把握できず、拘束されているのは本当に怖いと思う。非人道的だと思うが、看護師さんからしてもどうしようもない。説明をしても5分すれば忘れる。誰かが立ち会っている間は拘束を解いて問題ないため、見舞いに行き拘束を解いて状況を説明しているが、私が帰って5分すれば忘れてしまうのだろう。何年かの間に、私も同じ話をすることにすっかり慣れてしまっていた。 父の状況を見て、自分が将来、安楽死する方法を調べていた時に知ったのだが、日本でがん患者などが自死しようとする場合は餓死する方法があるようだ。水分だけを取り、食事をしないと体を動かすためのエネルギーが足りず、緩やかに亡くなるらしい。 「食えなくなったら終わり」と父本人が言っていて、今すでにその状況にある。何らかの病気の対応のための一時的な絶食ではなく、本人が食事を拒否している状態。カロリー摂取のための点滴を止めれば、父は緩やかに亡くなるだろう。 もう死なせてあげて良いかな 追記: 延命拒否してたのになんで点滴で生かしてるんだろう。一度付けたら外せないとのことだが、本人が外してもほっとけないのか? 認知症になった後の治療行為が全て延命か?と問われると難しいです。 大腸がんになった際にかかりつけ医に相談しましたが、そのまま放っておくと腸閉塞になり苦しむことになると聞きました。今回の骨折も、理想的な話をするのであれば、すんなり手術が済み、リハビリが順調に進み、骨折前の生活に戻る可能性もあったと思っています。尿路感染もあったため、救急で運ばれた病院で「延命治療を望むか?」の確認をされ、本人も家族も望んでいないことを伝え、胃ろうはしないで欲しいことを伝えました。その際に「途中で止めれない治療、止めることが殺人になってしまう治療は行わないで欲しい」ことは明確に伝えています。骨折の手術のため、一時的に食べれなくなる事はあると思いますし、その間に栄養を���滴に頼ることもおかしいとは考えませんでした。点滴を取る可能性に関しては担当医に相談し「医師としては勧めれないがそういう判断もおかしいとは思わない」と回答を頂いています。このため、法的に点滴を外すことは可能と考えています。(このあたりは対応してくれる医師とそうでない医師がいるのでは?と推測しています) 釣りタイトル 「殺そうと思う」は釣りとか自虐ではなく、最期にまで責任を持つ決心の言葉だと思う。 両方ですね。自身の判断が客観的にどのように見られるんだろうというのを知りたかったので、あ��程度目に止まるようにキャッチーなタイトルを付けました。ただ、自身の判断や行動が人の命に関わるのに、それを直視せず、柔らかな言葉に変えて誤魔化そうとする事が単純に嫌でした。母の時は気づいた時には手遅れで、運命だとか、体調が悪いのにきちんと病院に行かなかった自己責任だと思いながらも、ほとんど恩返しのような事が出来なかった心残りがあります。父に関して単純に流されるままに医師の指示に従うということもできるとは思いますが、最後まで向き合い続けるほうが、自分の心残りが少なくなるのでは無いかと考えています。 身勝手な父親に呪縛から逃れられない搾取子の人生が切り取られている感が拭えない。 心配頂きありがとうございます。ただ家の事は何も出来なかった父ですが、そういう時代に生きた人なので、そこに対して何か不満もなく、搾取されているとも思わないです。介護の話だけを取り上げて書くとしんどい話ですが、子どもが生まれた事を喜び、友人と飲み会にも行っているので、自分の人生にはそれなりに満足はしています。 この人を労うような偽善ブコメ多いけど次は俺らお前らがやる番っていう自覚あるの? しんどくて、やりたくないならやらなくて良いと本気で思っています。実際に動いてみて思ったのですが、幸いにも今の世の中それなりに福祉サービスは充実しています。関与したくないならできる限り関与しない方法を探せば良いです。例えばですが、私はシモの世話はやりたくないですしアクシデントを除いて対応したことはないです。目の前のことにいっぱいいっぱいになってる人には、周りが逃げる方法を教えてあげてほしいです。あとできれば、介護している人に対して「かわいそう」、「ちゃんと面倒みたってな」というような言葉は本当に心をえぐるので避けて欲しいです。 大将はただ儲けたいだけのクズ ムカつきましたが、別に悪い人じゃないんですよ(笑) おそらく娘さんだろうと思う 優しくかわいい娘と思って読んでた方、すみません。中年のおっさんです。意図的に男女をわからなくしたつもりはなかったんですが… AI 最近はAIに書かせるのが流行ってるんですかね? https://anond.hatelabo.jp/20250610200055 こちらは人かAIかの創作だと思いますが、ある意味救われます。こう考えていてくれた良いなと 追記2: 救命救急の病院から療養型の病院へ転院し、1週間様子を確認しましたが、回復の見込みは無いと判断し、点滴(中心静脈栄養)を中止しました。 末梢静脈栄養への切り替えも考えましたが、父を長く苦しめることになるだけだと判断し、何もしない状態で父を見送ります。”
— そろそろ父を殺そうと思う(追記あり2)
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“[教員から教わらなかったこと] ・通州事件 ・アメリカの石油禁輸 ・ソ連のポーランド侵攻 ・東京裁判でのパール判事の主張 ・日本への核投下が実験であったこと ・ソ連兵による日本人への暴行虐殺 ・占守島防衛戦 なぜ日本がやったとされる事(捏造)は教えこまれるのに、やられた事は教えないのか”
— ふわふわ🌽さんはTwitterを使っています: 「[教員から教わらなかったこと] ・通州事件 ・アメリカの石油禁輸 ・ソ連のポーランド侵攻 ・東京裁判でのパール判事の主張 ・日本への核投下が実験であったこと ・ソ連兵による日本人への暴行虐殺 ・占守島防衛戦 なぜ日本がやったとされる事(捏造)は教えこまれるのに、やられた事は教えないのか」 / Twitter (via rabbitboy)
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“外国人に土地を売るという事は、 外国に支配されるという事。 ハワイ王朝が滅亡し、アメリカ合衆国になってしまったのも、土地を欧米人に売ったから。(ハワイの場合、「金銭」の概念を知らない純朴な現地人をそそのかす形で、やった。) 土地を持っている人、売ろうとしている人、不動産のお仕事をされている方々は、歴史から学んでほしい。”
— 【速報】値上げ撤回の通知届く…急展開“家賃2.5倍”マンション(日テレNEWS NNN)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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新型コロナワクチン接種による予防接種健康被害救済認定数(2025年6月23日時点)は、累計進達受理件数13,816件 、累計認定数9,212件、死亡一時金または葬祭料に係る件数を含む累計認定数1,026件 となっています。にもかかわらず、「重大な懸念は��い」とする厚生労働省。
厚生労働省には、誓いの碑があります。この誓いの碑から26年。すでに同じ過ちを繰り返しています。
【連合】7月10日(木)参議院議員 川田龍平議員とともに厚生労働省に署名を提出いたしました。
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トランプ政権がエプスタイン事件の棺桶に最後の釘を打ち込む
科学者たちはまだ脳内奴隷コンピューターの存在を正当化しようとしている
イスラエルはラファでガザンの強制収容所を準備している
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1940年代に減塩を唱えて以来、長年支持されていた、デューク大学のウォルター・ケンプナーという医師がいます。ケンプナーは米とフルーツジュースの食事療法を考え出しました。1日あたりのナトリウム摂取量はわずか0.15グラムです。
ケンプナーは2週間ごとの尿検査で「患者」が食事療法を守っているかをチェックし、うまくいかなければむちで打ちました。93年に、ケンプナーによって「事実上の性奴隷」にされていたと主張する女性が訴訟を起こしました。判決は非公開とされています。
驚くべきことに、ケンプナーが拠点とした施設は2013年に閉鎖されるまで70年以上も続きました。訴訟があっても、5千ドルほど払って食事療法を試したいという人はいなくならなかったのです(*7)。
高血圧の人も効果無し 「減塩すれば長生き」の誤解:朝日新聞
「塩は体に悪い」信仰
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映画『グリーン・ライ~エコの嘘~』予告編
「環境に優しい」「サステナブル」耳触りの良い言葉の裏側に隠された残酷な真実に迫るドキュメンタリー
この映画を観たら気軽にスーパーで買い物できなくなるかもしれない
《ベルリン国際映画祭2018 正式出品作品》
《テッサロニキドキュメンタリー映画祭2018 正式出品作品》
映画『グリーン・ライ ~エコの嘘~』
監督:ヴェルナー・ブーテ
出演:ヴェルナー・ブーテ,カトリン・ハートマン,ノーム・チョムスキー 他
配給:ユナイテッドピープル (c)e&a film
(オーストリア/2018年/97分 原題:THE GREEN LIE)
スーパーで見かける「環境に優しい」商品。買うだけで野生動物や熱帯雨林が救えるというが本当だろうか?真実が知りたくなったブーテ監督は、世界一周航空券を買い、専門家と共に実態を探る旅に出発する。2人がまず向かったのは、パーム油の生産量世界一のインドネシア。数日前まで熱帯雨林だったがパーム油農園を拡大するため、焼き尽くされた土地を訪れると、監督は痛ましい惨状を見て絶句する。どうすれば環境破壊をせずに済むのか?買わないことなのか、正しい消費の選択をすることなのか? 2人はブラジル、ドイツ、アメリカを巡って、様々な業界の実態を調べていく。そして著名な学者ノーム・チョムスキーなどに解決方法を聞きに行く。そこで目にするのは目を覆いたくなるような衝撃の事実だった!
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