Tumgik
oisigyunyuchan · 4 years
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一言で表せる奥ゆかしさを持つ半面、それでは庇いきれない感情と、表現することのできる知性を持った人々のなかで、
文章という分野においてどのような表現していくべきなんだろう。
死にたい。という言葉と同様に。この状況から逃げ出したい。という願望があるように。
この世は、発言と解釈の間の違いが広がりつつあると思う。
死にたい。は、逃げたいの最上級表現。であることを、誰が理解するのだろうか。
死にたいと言った人のなかでも、行きたい人がたくさんいるということはわかるかもしれない。
だけれども、理解してるのはどれくらいだろうか。
言葉を言葉のままで理解する。
人間は、比喩とは別に、言葉のままで理解することの知性のみを持ち合わせるのでよかったのではないか。
テクノロジーとともに、言語の解釈も進化している。若者の中で新しい言語が生まれていくなかで、初期の言葉を駆使して表現することが、どれほどうつくしく、感覚的に感じ取れるものになるだろうか。
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oisigyunyuchan · 4 years
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2020/09/07
昔は、いつも楽しそうでいいね。と言われていたけど、最近は、生きるのが下手。と言われる。
おちゃらけた笑顔と、高めの声、揃えた前髪に、白と黒のセーラー服。一見どこにでもいる中学生なのに、他の誰よりも、楽しそうでいいね。と言われていた。部活もろくに行かず、少し上げたハンドルに、だらりと手をかける猫背の私。いったいこれのどこが楽しそうだと言うのだ。
当時の彼らが言いたかったのはきっと、
楽しそうでいいね。じゃなくて、ラクそうでいいね。
それに加えてこう言うだろう。
私たちは、この学生時代における面倒なわだかまりの中を生きているのにあなたは。
ああ、わたしは彼らに言わせたら、楽そうな人間だったかもしれない。
しかし、いつも楽しそうでいいね。と言われていた時。わたしは、いつも楽しくなかった。
部活も行ってなければ、毎日毎日ファミレスに行ったり、ビデオ屋さんに行ったりしては、知り合いがいるかもと、落ち着きなく前髪を揃える。
いろんな人と関わるのが苦手なわりに、中学生らしくいろんな人と関わっては、毎日疲弊しきっていた。どんなことを言われようと、やられようと、笑ってしまう口元がヒクヒクと引きつるとき、ああ、なんでこんなところにいるんだろう。
といつも思っていた。
それから、高校、大学と毎回知っている人のいない学校を選んで、ついに周りには昔の私を知っている人がいなくなったとき、
生きるのが下手。と言われ出した。
そう言われ出したとき、無意識に高くなっていた声が低くなった。
無理に笑うのをやめ、明るくするのもやめた。
すると、とてもラクになった。そうです。私はとても生きるのが下手です。と胸を張って前を向けるようになった。
心のモヤモヤに従って、生きるのが下手なことに甘えるようになった。
それと同時に気がついた、生きるのが下手でも、生きるのを頑張っている。と
頑張った結果、下手なんだと。
上手に生きられない自分の居場所と、妥協点を毎日毎日探しては、無理に人と会わず、家から出なくてもいい日々を送る。
生きるのが下手でも、必死に生きてるからいいじゃない。
そう思えたらあとはここから、どんどん城を築き上げるだけ。
身を守るための思想の塀を、心を彩る芸術の家具を、きれいな花に恵みの雨を降らせてくれる友人を。
どんどんスキマを埋めていく、そうすればきっと、私はちょっと生きるのが下手なだけの、素敵な人になれる。
そう信じて疑わず、そうなることを望んで明日も必死に生きるのだ。
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oisigyunyuchan · 4 years
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2020/08/14
毎日毎日、漠然とした不安に駆られ、なにかしなければ、でも何を?の堂々巡り。
私がもし病気になったら、きっと入院費すらも払えず、優しい両親が病院代を肩代わりしてくれるのだろう。家を出て、自立できているとはいえ、そういうハプニングに対応できるとは思えず、心苦しい。
東京を出て、地元で一人暮らしをすると言う夢も、今や夢ではなく現実になりつつある今日この頃、会社を辞めてから社会的信用も底に落ち、何なら貯金も少しずつ削られていっている。
帰省したとき、実家に住みながらお金を貯めればと、両親が提案してくれた。
一度出た家に、戻ってくるのは恥ずかしいことだと思う。
わたしはまだ、病気になっても、家を借りるにも、両親には面倒を見てもらわなければ生きれない歳なのだ。
もしかしたら、仕事をクビになるかもしれないと言う局面において、良い仕事をしようと過度に思い、日々を生きてしまったせいか、両親に対してもまた、何かを賭けてしまっている。
自分の本能のままに行きたい。
わたしは地元に帰って一人暮らしがしたいと思った時の衝動をまた、再燃させなければならない。
今や地元に帰りたい気持ちすらも、遠く薄れているように感じる。
仕事をしなければ、日々を楽しく過ごさなければ、と毎日、しなければ。と思い続け、根本を見失ってしまっている。そもそも根本というのは本当にあるのだろうか。
私の身体は、
まるでダッチワイフのように、空っぽになってしまっている気がする。
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