Tumgik
otoha-moka · 5 years
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光の箱庭
※ちょぎくに※いつもの通りの感じ※ノリは少女漫画 
誰にも言えないようなこと、秘密、そんなものが誰にだってひとつやふたつはある。そして、それを抱え続けるのは酷く辛いことも。山姥切国広は、誰にも言えないことをいくつも抱えている刀だった。
正確には、言えないまま飲み込まれてしまった言葉が、思いが、たくさんあるのだ。口下手さや、遠慮がちな性格が、どんどん言えずに溜めこんで伝わらなくなってしまった言葉を増やしていたのだろう。そんなものを抱え続けるのは苦しくて、気がつけば身体が妙に重くなっていた。 「…あれは」
畑当番も終わって、同じく畑当番だった獅子王が「切り上げるぞー」と声をかけてくる。国広がどこかぼうっと見ているのを見て、「山姥切ー?どした?何かあった?」と心配そうに覗き込んできて、国広は我に返った。「ん、問題ない…先に戻っていてくれ」「いいけど、何かあったのか?」「…いや、」
国広の視線の先を獅子王が見てみるも、何もないように見える。疑問符を浮かべる獅子王に、国広は、なんでもない、と首を横に振った。「具合悪いとかじゃないんだよな?」「ああ…すまない、気を遣わせて」「心配したくて心配してんだ、気にすんなって。じゃ、先に戻ってるけど、無理とかすんなよ」
獅子王と別れて、国広は畑の先の雑木林の中に入っていった。ふわりとなにか光の球ようなものが入っていったように見えたのだ。きょろきょろと辺りを見回すと、いたのは野うさぎ。うさぎは国広を見ると、本能なのか逃げ出す。なぜか、追いかけた先に何かがある、と思った。雑木林の奥へと歩を進める。
しばらくして、開けた場所に出た。そこにあった光景に、国広は息を飲んだ。 最近、国広が本丸から姿を消す。もとよりどこかへ頻繁に出掛けたりすることはなく、縁側にいたり、誰かの手伝いをしていたり、といったことが多かった。それが、どこかへ出掛けているのか、本丸で見かけないのだ。
長義は、それがなんとなくもやもやとした気分にさせてくるので、気に入らなかった。誰かに会っているのだろうか、こんなに頻繁に?もしかして恋仲だったり?そんなことを考えるたびに苛立ちが募る。別に自分達も恋仲ということではないが、とにかく気に入らない。
だから、国広に余計につらく当たってしまうようになっていた。ところが、国広ときたら、最近見かける度に、妙に穏やかな表情を浮かべているように見える。初めて本丸に配属され、あいつを呼びかけた時に見せた、あのピンと張った糸のような表情ではない。それがまた、長義を苛立たせた。
俺の言葉など瑣末事とでも?そんな風に思う。長義は、自分の言葉で国広が何か大きく揺らぐのを見たかったのだ。それがたとえプラスでもマイナスでも構わなかった。 「嫌われてるんだと思う。今日も話掛けることはできなかった」ぽつりと呟いた言葉は、ふわふわと光の球になって浮かぶ。
まるで鈴蘭のような、あるいはクリスマスツリーのオーナメントのような、白い光は庭をまたひとつ彩った。国広が適当にそのうちの一つに触れれば、そこから聞こえるのは聞きなれない自分の声。
『兄弟が料理当番だからと気を利かせてくれたのに、肉じゃがが食べたいと言えなかった』 これは1週間くらい前のこと。 『長谷部が怪我を気にしてくれた、気遣いだとわかっているのに、また疑ってしまった。結局礼も言えてない』 これは3日前のこと。
『采配ミスで平野に大怪我を負わせてしまった。平野にも一期一振にも戦場なのだから気にすることはないと言われたが、あれは俺のせいだ』 これは昨日だ。 雑木林を抜けた先には、生垣のようなものがあった。古い鉄製の冷たい柵のひとつが入口。その中はぽっかりと開けた場所になっていた。
花がいくつか咲いていて、ちょっとした庭のような状態だ。それだけならば特別変なことではないのだけれど(人目につかないところに人工物である庭があるのは些か不思議だが)、それよりももっと不思議なことがあった。
あの日、この場所を見つけた日、『獅子王に気を使わせてしまったな』と呟いた言葉がきっかけだ。そのちょっとした後悔は口から言葉として紡がれると、途端に白くて丸い光の球になって、ふよふよと浮いたと思えば庭を飾った。
初めは意味がわからなかったが、その光に触れれば、自分の発した言葉がそのまま聞こえてきて、光の球は役目を終えたとばかりにぱちんと消えた。まるでしゃぼん玉だ。
それからと言うもの、度々国広はこの庭に入り込んでは、言えなかったこと、出来なかったこと、後悔の類、そんなものを庭にしまい込むようにした。誰に聞かれるでもないし、吐き出してしまうことで少し気分が楽になる、身体が軽くなる、そんな安心感は、国広にとって心地いいものだった。
なんとなく、今日の後悔が飛んでいった先の光に触れてみる。そこは常にとある刀への想いで埋め尽くされていた。 『好きだ。…迷惑なのはわかってる、嫌われるのも道理だ、でも、好きなんだ』 ぱちん。ひとつはじける。
『これでいいんだと思ってる、これ以上望むと、今度はいつ終わるのかと怖くなる』 ぱちん。またひとつはじける。 『逃げているんだろうか…臆病だ、そんなのわかってる。でも、押し付けるのはもっと迷惑に決まってる』 ぱちん。もうひとつはじけた。
これは国広が長義に対して抱いている、言えない想いの結晶だった。自分の言葉を自分で聞いて、ため息をつく。もうこんなことをどのくらい続けているだろうか、と思う。けれど止められないのだからどうしようもない。
「同じ本丸にいるだけで、見ているだけで、もう十分なんだ、これが丁度いいんだ」 言い聞かせるように呟いた言葉は、また光の球になって、消えた分の光を補っていった。
光の球はどんどん増えていって、仄かな光も集まれば夜でもそれなりの光量になっていた。こんなことでは、夜にこの辺りに偶然誰かが入り込んでバレやしないかと心配になる。しかし、庭の外に出て、鉄柵の扉をがちゃんと閉めてしまえば、不思議と国広本人にもその光は認識できなくなっていた。
秘密基地なのだ、ここは。そんなことを考えれば、少し楽しくなって、閉めた扉に手をかけつつ、小さく笑みが零れた。 「山姥切くん、最近調子いいみたい」「偽物くんが?」「国広くんね、何かいいことでもあったのかなあって」
食事当番の燭台切の手伝いに入った長義は、さやえんどうの筋を取っていた手を止めた。特におかしくもない会話にやはり不信感を募らせる。いい事ってなんだというんだ、そんなところだった。「燭台切は知らないのか?何があったとか」「うーん、思い当たることはないかなあ」
「…誰か、懸想している相手がいるとか」「あはは、それはまたロマンチックなこと言うね。でも、彼にそんな素敵なひとが出来たのなら、それはいいことだ。ほら、彼結構溜め込んじゃうタイプだから」「…そんな素敵なひととやらが出来たとして、あいつが思うことを吐露できるタイプとは思えないけどね」
思わず刺々しい言い方をしてしまった。まずったかな、と思いつつちらりと燭台切を見るも、燭台切はさほど気にはしていない様子で出汁をとっている。よかった、と長義は筋取りを再開した。人数がいるので馬鹿にならない量だ、これから厨に人が増えるのはわかってはいるものの、
終わりの見えない量に若干の焦りも覚える。しばらく経って、さすがに量の減ったさやえんどうの山(まだ終わりではないが)にうんざりした所で、「お手伝いありがとう、ちょっと休憩にしよっか」と有難い声がかかった。 カタンとテーブルに置かれたのはチーズスフレのようだった。
「試作品でね、味見してみて」と言ってにっこりと笑う燭台切に押されるように一口目を口に運ぶ。安定感のある美味しさだ。「どう?」「いつもの通り美味しいよ。スフレらしく少し甘みが強いから、苦めの飲み物と合わせるといい、かも…。
あと、思ったよりチーズの風味が強いかな。スフレの割にやや硬いかもしれない」燭台切の作るものはなんでも美味しい。けれど、燭台切はどこを目指しているのか、より美味しいものを作るための努力を惜しまず、料理のダメ出しをしない本丸の皆の感想では納得できなくなっていたらしい。
配属翌日、最初に試食を頼まれた際、長義も「美味しい」と感想を述べようとしたところで、燭台切に制止された。かと思えば、「お願い!改善点をいってくれないかい?完璧に仕上げたいんだ」なんて頼み込んでくるので、ほぼないマイナスポイントを探して、苦し紛れにダメ出しをしてみたのだ。
以来、燭台切は長義にダメ出しを貰う目的で試食を頼んでいた。「そっか、ありがとう。もう少し研究しないとなあ」混ぜ方をもう少し変えてみようか、それとも分量をもう少し変えてみるか、と独り言が始まったのを、長義は訝しげに見る。「十分に美味しいし、これはこれで完成度高いと思うけど…?」
「そう言って貰えるのは嬉しいんだけど…やっぱり、完成品は一番美味しいって確信を持てるものじゃないと」「…そういうものかな」今のスフレも、今ある中で一番美味しい燭台切のチーズスフレだ。見えない頂点を目指したところで、度を超えればそれはただの自己満足。
見えないものより、とにかく今ある最上を出し続けることも必要なのではないか、と考えながら、長義は最後の一口をフォークにさした。 手伝いの人数も増え、長義はもういいかと厨を出た。出たところで偶然国広と鉢合わせた。最近あまり会っていなかった気がする。「…あ、」と気まずそうに目を逸らし、
そのまま通り過ぎようとするのを、長義は引き止めた。「…最近、どこへいってるんだ」「ど、どこでもいいだろう、長義には関係ない」「…そう。布に葉がついてるよ」「え、あ…これは…」こんなことで特定出来ることといえば、国広が行く先は街中ではなく、どこか木々が茂る場所だということくらいだ。
しかし、国広は分かりやすく狼狽えた。密会、なんて言葉を思いつく。「誰かと会ってた?」「違…っ」「ああそう、まあ、俺には関係ないかな」必死そうな国広に、長義の方は断然面白くなくなってくる。長義はそう言い残すと、少し伸ばして、そのまま降ろされた国広の手を無視して部屋へと戻っていった。
「長義が怒っていた。違う、俺が怒らせた…厨から出てきていたから、夕飯の手伝いをしていたはず…ここに来ていて、手伝いが疎かになっていただろうか」夕食後、ほとんどの者が寝静まってから、国広はこっそりと起き出して、端末の灯りを頼りに庭へと辿り着いた。
庭の扉さえ開ければ、そこは真昼とはいかずとも、そこそこに明るい。庭に入って、鉄柵の扉を背にしゃがみ込んで、ぽつりぽつりと言葉を吐き出していく。「誰かと会っていたのではないかと言われた…外で誰かと遊び呆けているとでも思われたのかもしれない…
そんなことを疑われるくらい、信用がなかったということか」吐き出した言葉は、ひとつふたつと光の球になって庭に浮かぶ。もう見慣れた光景だった。「どう声をかけるかわからなくて、あれから話せなかった…こんなことでいちいち落ち込むなんて…全く、情けな…」情けない、そう言いかけたところで、
がさりと音がした。まずい、敵か?いや、ここは一応本丸の敷地内のはずだ。一応本体を持ってきておいたのは正解だったかと体勢を整えいつでも抜刀できるように刀を構える。またも、がさりと音がした。左手側の生垣の方だ。息を殺して様子を伺う。気配はひとつだけ、殺気のようなものはない。
とはいえ油断はできない。国広はすっかり慣れてしまっていたが、こんな不思議空間だ、何がいてもおかしくはないだろう。 「…そこにいるのはわかってるんだ、出て来い!」 抑えるような声でそう言って構えた刀を握る手に力が入る。三度目の草木を揺らす音と共に、それは現れた。
同時に、国広は拍子抜けしてしまって、全身から力が抜けたように再び座り込む。正体はあの日ここへと連れてきたうさぎだった。首を傾げるような仕草をして、うさぎは国広の方へと寄ってくる。「あんた…そういえばあの日以来見てなかったな」もちろん返事が返ってくるわけではないし、
そんなことを期待しているわけでもない。刀にかけていた手を差し出すと、簡単に抱き上げることが出来てしまう。うさぎは野生動物なのが不思議なくらい、国広にあっさりと懐いてみせた。「…そんなに警戒心が弱くていいのか、俺は一応武器をもってるんだが」
そう言ってみても、やはり返事があるはずなく、頬ずりでもするような仕草をとる。「…どうしたものかな。えっと…その、俺はもう戻るつもりなんだが…本丸に来るか?」突然の侵入者に落ち込みが吹き飛んでしまった。夜も遅いし、もともと長居するつもりもなかったのだ。
そもそも、話しかけたとして、人の言葉など解するのだろうか。そんな疑問も脳裏に浮かべつつ、国広はうさぎに話しかける。今更ながら、誰も見ていなくてよかった、なんて思った。ところが、本丸、という言葉を聞いた途端、うさぎは国広からぴょんと跳ねて逃げ出した。
そのまま、声を上げるまでもなく夜闇の中に消えていってしまう。「…ひとが多いところは、好かないということか?」よく分からないまま、国広は軽く服についた土を払って、秘密の庭をあとにした。やはり、来た時よりも少しだけ、身体は軽く、気持ちも凪いでいた。
見かけたのは偶然だった。最近、国広にあからさまに避けられている気がする。それはまあ、先日結構盛大にやってしまったとは思うけれども!長義はひとりそんなことを考えながら、縁側を歩いていた。なんてことはない、審神者に報告事項があって、自室に戻る時に通るというだけだ。
そんな時、国広がたまたま、畑の奥の方にある雑木林にわけいっていったのを見かけた。「…偽物くん?」その方向には何も無いと思うのだけれど、と考えたものの、国広が存外動物好きなのは長義も知るところだったし、静かな場所を好むこと――書庫なんかはお気に入りらしい――も知っていた。
だから、"何もなさそうな場所"というのは、国広にとっては好ましい場所なのかもしれない。そう思って、でも、何もなさそうな場所というのが先日脳裏を過った密会にも最適な場所だというのもすぐに思いついた。本丸内ということは、そのまま、この本丸の誰かが相手なのか?
そんな思考の暴走に無自覚のまま、長義は国広の後をつけるように雑木林に入り込んでいった。 「…見失った」 長義はどちらかと言うとこの手の森林は苦手だ。山姥切という名を持てど、切ったのは山姥であり、山そのものはあまり関係がない。大体、周り全部木で、目印も何もないのに迷わない方が難しい。
国広がこの手の道に迷わないのは、あれの兄弟の影響だろうと思う。そんな言い訳を誰にするでもなく、長義は諦めて戻るか、と考え始めた。その時だった。目の前をうさぎが通り抜けた。「うさぎ…?こんな所に住み着くのもいるのか…」はじめこそ、能天気にとそんなことを考えついたものの、
次にはなぜか、追いかけないといけないような気がして、長義はうさぎが抜けていった方向へと走り出していた。 適当に走り回ったせいで、本丸の方へどうやって戻ればいいのか怪しくなってきてしまった。だいたい、なんで本丸にこんな手付かずの広大な敷地があるんだ!と小さく悪態をついて顔を上げる。
「生垣…?」なぜ突然の人工物が?不思議に思って、その道をたどる。やがては鉄柵、そして同じ素材の扉へと辿り着いた。軽い力で手をかければ、キイ、と軋む音と共に、あっけなく扉が開かれる。その先の光景に、長義は息を飲んだ。
そこは光の箱庭だった。まるでイルミネーションのように、草木に光の球が飾り付けられている。幻想的、と表現されるような小さな世界がそこには広がっていた。光の球は、ひとつひとつは仄かな光を放っているものの、かなりの量がある。これが夜ならそれなりに明るいだろうことは想像に難くなかった。
「…なんだ、これ」そっと寄ってよく見ればそれは電飾などではなく、本当に文字通り光の球だ。不思議に思って手を近付けてみる。熱さはない。そう考えて、それが触れたか触れないか、といったところだった。 『……もう……な…だ、これ……いい…だ』 その言葉とともに、光の球は弾けて消えた。
「…偽物くん?」国広の声だった、と思う。しかし、辺りを見回してみても国広の姿はない。「偽物くん…国広、いるのか?」返事はない。周りに気配もない。近くには誰もいないということだろうか。それならば、今の声は、まさか。眉を顰めながら、長義はもうひとつ、別の場所の光の球に触れてみる。
『俺はちゃんと、期待に応えられているのだろうか。…いや、主は俺を使ってくれている…信じたい、信じていたいんだ』 ぱちん。ひとつはじける。 お前はここの初期刀で、修行にもいって、主はこちらが少し情けないと思うくらいにはお前を頼っているだろう、戦果を挙げてきた何よりの証明じゃないのか。
『寝不足気味なのを、鯰尾に心配されてしまった。…迷惑をかけたいわけじゃないんだが』 ぱちん。もうひとつはじける。 鯰尾はかなり他者の表情の機微に敏感なやつだ。それに、あいつは別にお前を迷惑に思ったりしていないだろう。心配したのもお前が何か悩んでいるんじゃないかと思っただけだろうに。
『不注意だった。俺を庇って兄弟が代わりに怪我をした。兄弟はいつも通りに笑って大丈夫だと言ったが、兄弟だけならあんな山道で怪我なんてしなかったはずだ。…一緒に行きたいなんて、言わなければよかった』 ぱちん。またひとつはじける。
だからどうしてそうなるんだ!山伏国広はお前が大切だからお前を庇ったというだけだろう。どこへ同行したのかは知らないが、お前が着いてきたことに対して、嬉しいと思いこそスレ、悪い感情を持っているわけがない。そんなの傍目から見ていてもわかる!
光の球に記録された声は、国広の後悔、それも本当にささやかなもの達ばかりだった。イライラとしながらも、長義は思い返す。そういえば、最近国広はやけに穏やかそうな表情をすることが多くなった。燭台切も、最近国広が調子が良さそうだとか言っていた。「…まさか、ここに置いてきていたから?」
非現実的ではあるが、まあまあ筋は通る話だ。勝手に国広の思いを覗き見ている事への罪悪感は若干ありながらも、長義はさらに光に手を伸ばした。 『迷惑なのはわかってる…でも、長義が好きだ』 ぱちん、光の球ははじける。 「…え、」思わず固まってしまった。そんな話、聞いたこともなかった。
そんな素振りどこかにあっただろうか。色々と考える。というか、これは、少なくとも自分は、本当に聞いてはいけないことだったのではないだろうか。そう思いながらも、指先は次の光に触れてしまう。
『今日は少しだけ、長義が優しかった。書類整理を手伝ってくれた。…どうしよう、嬉しくて、苦しい』 ぱちん。 『見ているだけで十分なんだ、これ以上は望まない、そう決めている…刀が刀に思いを寄せるなんて、長義は気味悪がる』 ぱちん。
『今日は夕飯当番だった。長義はたまご豆腐が好きだって聞いたから、こっそりメニューに入れてみた…喜んでくれていたらいいんだが…』 ぱちん。 その一帯の光は、どれもこれもが長義への思いばかりだった。長義は呆然としながらも、次々と光に触れる手が止まらず、声を聞いていく。
「…長義?!どうしてここが、何…して、」 『長義が怒っていた。違う、俺が怒らせた…厨から出てきていたから、夕飯の手伝いをしていたはず…ここに来ていて、手伝いが疎かになっていただろうか』 ぱちん。 光の中から聞こえる声とともに、もうひとつ、同じ声が背後の方から聞こえた。
振り返ってみると、そこにいたのは青い顔をした、国広自身だった。 「…お前、これは一体」「それに触るな…っ!」長義を止めようと走り出すも、2人にはそれなりの距離がある。長義がその光に触れるのに、国広は間に合わない。光がまた、ぱちん、ぱちんと弾けていく。
『このままでいいなんていうのは逃げだ…今よりもっと嫌われるのが怖いだけだ』 『今日も好きだった…ここに想いも全部置いて、忘れることができたら』 『…諦めたい、もう、諦めたいのに、』 「聞くな!…っ頼む、聞かないでくれ…!」
ひとつひとつの想いが、懺悔が、後悔が、願いが、光を通して長義に届いてしまう。国広が飛びかかってきて、バランスを崩した長義はどさりと押し倒される形になる。必死に耳を塞がせようとするも、もう声はしっかりと耳に届いてしまっていた。「…ッ痛、いきなりなりするんだ!…偽、物…くん?」
「ああそうだ、俺はお前が好きだ!嫌っている相手に好かれるなんて気持ち悪いだろう!こんなのお前には良いも悪いも応えることなんて出来ないだろう!」普段の様子からは想像がつかないくらいに捲し立てる国広に長義は戸惑う。けれど、それ以上に長義を戸惑わせたのは、ぽたり、と頬に落ちた雫だった。
「…勝手に想っておいて、あんたのやることなすことに一喜一憂して…こんな、馬鹿みたいに…本当に、馬鹿みたいだ…」そのまま、国広は電池が切れたように急に静かに泣き出してしまう。流されたままの涙は、縋るようにしがみつかれた長義のシャツの胸元に吸い込まれていく。
「何、言いっ放しにした上に泣き出してるんだよ…」ほぼ無抵抗になった国広に、長義は呆れたようにわざとらしくため息をついて、やや上体を起こした。仕方が無いので手を回して形のいい後頭部を撫でてやると、少しだけ嗚咽が大きくなった、気がする。
「…まあ、勝手に聞いたのは、俺も悪かった…かな」どうしようもなく、かける言葉に迷った末に出てきたのは、そんなことだった。
「ここを見つけたのは偶然だったんだ。御伽噺のようなんだが、追いかけないといけない気がした」しばらくして落ち着いたのか、状況を理解したようで、慌てて国広は離れると、「うわ、す、すまな…忘れてくれ、こんなつもりじゃ…お前の服も汚した…」などと分かりやすく右往左往しだした。
長義としては面白いので放っておくことも考えたが、それよりもこの空間の説明の方が優先度が高い。「ここまでの道の汚れもついてるし、洗えばなんとでもなるだろう」と言えば、「違う、自然物によって汚れた分はある程度は不可抗力だから仕方が無いが、俺が汚した分は俺の責任だ、ものが全然違う」と、
まあよくわからない理屈を並べ立てた。結果的に洗濯が必要、という部分に何も変化はないと思うのだけれど。自分の写しのことながら、長義には国広のこういう部分は特に理解ができない。呆れながらも、長義は「はいはい、じゃあ帰ったらお前がこれ洗濯な、それでいいだろう」と国広を納得させて、
「それよりも、ここは一体なんなんだよ…」と半ば本題に無理やり入る。国広は別に秘密があるわけではないのか、事の経緯をあっさりと白状した。国広はここのところ時間があればここへきて、ここに言えなかったことや出来なかったこと、後悔やらなにやらを一人反省会していたらしい。
相も変わらず根本的にネガティブなやつだ、と長義はたくさん残っている光の球を見る。つまり、これのひとつひとつが、長義が聞いたあの言葉ひとつひとつなのだ。どれだけ溜め込んでいるんだか、と横目で国広を見るも、国広との視線はいまいち合わず、うさぎを追ってきたなどという話に繋がっていく。
「…うさぎ?それなら俺も見たな、ここで迷ってしまって、そこで見つけたから追いかけたんだ」「迷う?…お前、そんなに極度の方向音痴だったか?それなりの広さがあるとはいえ、ここはちょっとした目隠し程度の雑木林で、本丸の敷地内だぞ?」「あーあーうるさいなあ、迷ったものは迷ったんだよ」
そもそも、よく考えれば国広を見かけてここに入ったのに、国広よりも先にここに着くのがおかしくはないか?などと長義は考える。国広の方も思うところがあるらしく、「…まさか、な」と呟くように零した。「…本当に畑の方から少し入ったところだ、本当は迷う所じゃないはずだ」
「偽物くんは俺がその程度のところで道に迷うといいたいのかな」「違う、ここに目眩しの術がかかっている可能性がある。あのうさぎがそれを解く鍵になってるのかもしれない」そしてまた、相も変わらず冗談も通じない。長義の軽口に国広は至極真面目に答えると立ち上がった。
「また迷うといけない。長義、戻ろう」立ち上がった国広に、長義も続けて立ち上がる。それから、少し考えて、あいた国広の左手に自分の右手を重ねた。しばらく固まってしまった国広は、ようやく言葉を絞りだす。「…………何してるんだ」
「術式があるのかもしれないんだろう?どこでどうかかっているのか分からない以上対処のしようがないし、少しでも離れると、どちらかが呑まれる可能性があるということだ」「それはそうだが…いや、敵陣ならともかくここは本丸内だ、ここまでする必要はないだろう、自覚あるのか?俺はお前に、」
「わかってるよ」国広の言葉を途中で遮って、長義はあっさりと肯定してみせる。国広の動揺が掌越しに伝わった。けれど、それもすぐにやけに悲痛そうな声に変わってしまう。「なら止めてくれ…期待したくない」「…へえ、お前は手を繋ぐ程度で期待するんだ?」まるで子供だな、と揶揄うと、
国広はばっと長義へ振り返って抗議しようと顔を上げる。白い肌だから、薄暗がりに光がふわりと照らしているだけの庭でも、紅潮しているのがわかりやすく、少し可哀想なくらいだ。見開かれた瞳は先程緩んだばかりの涙腺だからか、光に反射してきらきらと潤んでいた。「な、な…っ」
面白さ半分で、ずい、と覗き込むように顔を近づけてみれば、国広はそれを手で止めようと顔の前に突き出した。本当に面白い、と長義は笑いこらえる。なんだか、今笑ってしまうと国広はまた妙な勘違いをするような気がした。「…本当に、もうやめてくれ、頼むから」「…すればいいんじゃないか」「え、」
「だから、期待。したいなら、すればいい」「長義、それって…」「さて、庭を出るよ。案内はよろしく、偽物くん」言って先に庭を出ようとすれば、国広は「写しは偽物じゃ…って待ってくれ、俺が先導するから」と慌てて追いかけてくる。気分がいい。
自分が、国広をここまで振り回しているのだと思えば、最高に気分が良かった。ようやく国広の意識が自分に向いたという自覚を得られたような気がした。そんなことを考えながら、鉄柵の所にある扉に手をかけたところで、長義はふとひとつの考えに思い至る。「…はは、そういうことか」「…長義?」
「燭台切の気持ちが、少しわかった気がする」「…燭台切?何かあったのか?」「…いや、こちらの話だよ」今あるベストが重要だという考えは変わらないが、見えない完成を求めたいというのもまた、そういうものなのだろう。 脈絡のない長義の言葉に首を傾げる国広をそのままに、手を繋いで案内させ、
雑木林を少し抜けると、本当にすぐそこは畑だった。なるほど、これは迷う余地はない。国広の方はといえば、気まずさからか、雑木林を抜けるとすぐに長義と別れ部屋に戻って行った。
残された長義は雑木林と本丸を何度か見比べて、「狐…いや、うさぎだったか。…まあどちらでもいいけど、感謝するよ」とひとり呟いたのだった。 その後、これで国広は自分にアプローチをかけてくるだろう、機が熟したら返してやれば、あいつはどんな反応をするだろう、などと思っていたところ、
結局国広から何もアプローチをかけてこないのに焦れた長義が、怒りながら国広の部屋に突撃し、脅すような告白をしたことで騒ぎになるのだが、それはまた別のお話。 おしまい! 長義くんは反省とかしないひと。
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otoha-moka · 5 years
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山姥切探偵事務所
※いつものノリ※ちょぎくに※現パロです※いつも通り人を選ぶかもしれない 探偵事務所、と書かれている看板がある雑居ビルの目の前に安定は立っていた。うろうろと、しばらくの間、どうしようかと悩んでいる。やっぱり引き返そうと思ったところで、脳裏に親友が「安定は優柔不断だなあ」と悪気なく
(なのにどこか意地悪そうに)笑うの姿が過ぎる。想像上の親友の姿なのに、なんだか少しむっとして、負けず嫌いが働き、意を決して雑居ビルの脇にある階段で2階まで上がった。 というわけで、山姥切探偵事務所の門戸を叩いた安定は、中に入ってすぐに気がついた金髪の青年の姿を見て驚く。
まだ学生服を身にまとっていて、これがコスプレでなければ彼は学生だからだった。金髪の青年、まあまんばなんだけど、まんばは「…依頼人ですか」と存外低い声で、愛想なく訊ねる。「え…あ、はい…えっと…君が探偵さん…?」「いえ…俺は…座ってください、飲み物出すんで」
混乱しながらも、安定はまんばに促されるままにソファに座る。土曜昼すぎのテレビが、人気タレントのトーク番組を流していて、特に意味もなく眺めていたら、「どうぞ」とさっき聞いた声がして、ソファの高さに合わせた高さのテーブル、安定の目の前にカタン、と小さな音を立てて、
氷が入ったコーヒーが出された。ぱちぱちとそのグラスを見つめていると「…コーヒー苦手でしたか」とお盆を持つ青年が目を泳がせている。何年下(多分)に気を遣わせてるんだ僕…!と安定は慌てて両手を振って、違うとポーズをとって「ち、違…!…えっと、ミルクとお砂糖ってあります…か?」と続けた。
人が来たからか青年はテレビの電源を切って、それから、ミルクをたっぷりいれたコーヒーに口をつける安定に「うちの…所長は、今不在で…もうすぐ帰ると思うんですが…」と申し訳なさそうにする。安定としては、やっぱりこの子が探偵さんではないのか、と少しほっとした。
「じゃあ、君が探偵というわけではないんだ」「それは…俺、高校生ですよ」これで分かるかと思ったんですが、と学生服のブレザーを自分で指さす。よく見れば、そこにある校章はそれなりに有名な私立校。だから敬語とかも大丈夫です、とたどたどしく話すまんばに、安定もすっかり緊張がとけていく。
「じゃあここのお手伝いさんなんだね、アルバイト?」「手伝い…そんなところ、です…バイト、ではないですが」「じゃあ実家のお手伝いかな、ふふ、偉いなあ…」「そんなんじゃ…」そんなふうに話をしていると、探偵事務所の出入口から音がする。
かと思えば、次には、「国広!だから、制服のままで来客対応をするなと言っただろう!」と怒っているような困っているような���が響いた。 「あんたが昼に出るからしばらく頼むとLINEを寄越したんだろう、今日は土曜、学校が終わるのが12時20分、間に合わせるのがどれだけ…」」
「だからと言って…未成年の学生働かせてるとかバレたらどうなるか…ハンバンガーチェーン店じゃないんだよ、ここは」「借金カタにその未成年を好きに使ってる立場のくせに…」「助けてやったんだろうが人聞きの悪い…あー、もういい…ほら、上で着替えてきなよ、俺の服でいいから」
「…とか言って、また変なのじゃないよな」「人前で人を変態趣味みたいに言うんじゃない!」安定が2人のやり取りに呆然としていると、先程まで話をしていたまんばが奥の階段の方へと消えていく。代わりに、現れた男性が安定に向き直り、にこりと微笑んだ。
「うちの助手がすまなかった。…さて、用件は依頼、かな」その所作があまりにも完成されていたものだから、安定はすっかり、今しがた交わされていたあまり穏やかではない単語も飛び交う応酬のことなど忘れて、「はい」と返事をしてしまったのだった。
「…脅迫を受けているんです」安定が話始める頃には、少し大きめのパーカーに着替えたまんばが降りてくる。そのまま何も言わず、座って話を聞く姿勢の長義くんの後ろに立った。それに気づいた安定は気まずそうに話を止めてまんばの方を見る。「あ、君…えっとこれは依頼で…」
「わかってます、俺は居ないものと思って貰って問題ないです、続けてください」「そうは言っても…」さっきの話だと未成年というじゃないか、子供に依頼内容を聞かせてしまっていいものか、そう思って安定が逡巡していると、すかさず長義くんがフォローに入る。
「俺が許可してるんですよ、助手、とは言ってもこいつが主に動くこともあるんで、こいつも同席させてください」「…そう?それじゃあ…ああそうだ、立って聞いてるの疲れちゃうでしょ、せめて座って…って、僕が言うのはおかしいか…あの、いいですよね?」安定がそうたずねると、
まんばは目で長義くんに合図を送る。長義くんが顎で自分の隣を指すので、まんばは周囲を伺うように少し目を左右に動かしたあと、なぜか安定の座るソファの後ろを回って、ちょこんと長義くんの隣に控えめに腰掛けた。「…さて、話を続けてください」「え、はい…それで、届いた脅迫状がこれです」
「…失礼、手に取って見ても?」「はい…」そう言って長義くんは、安定が鞄から取り出した、届いたという脅迫状をじっと見る。印刷された無機質な文字は誰のものか判別が出来ない。「…ファッションショーを中止にしろ、ねえ」よくある文面に、長義くんは顎に手を当てて紙の裏表を確かめたりしていた。
それをちらりと横目で見たまんばは、深刻そうな表情の安定に声をかけた。「あの、大和守さんはデザイナーか何かで?」「…うん?いいや、違うよ。デザイナーなのは僕の親友兼幼馴染…だから、正確にはその脅迫状も、僕じゃなくてそいつに届いたもので…」「その親友は何か言ってるんですか」
「こういうやっかみは人気が出るとよくあるから気にするな、と…でも僕心配で…」まんばが何か返そうとしたところで、さっきまで脅迫状を見ていた長義くんがそっと制する。安定は気付いてないようで、思いが溢れ出すように次々と言葉をつむぎ始めた。
「僕、これが悪い冗談だと思えないんです…清光、この前事故にあいかけて…あの車、赤なのにスピード落とすこともなかったし…それに、こういうの何度も来てるみたいだし、郵便受けに直接投函されてたこともあるみたいなんです…なのに、通報しようって言っても、
沖田くん…えっと、僕と彼の師匠みたいな人なんですけど、その人、ずっと入院してて、もう長くなくて、だから、最後になるかもしれないから、このショーは絶対成功させたいって、沖田くんに見せたいから、中止には出来ない、だから警察にも言わないでって…その気持ち、僕にもすごくよくわかるから、
どうしたらいいのかわからなくなって…」「…それで、秘密裏に探偵事務所に来た、と」「…はい」「事情はわかりました、それで、大和守さんとしてはどうされたいんでしょう」長義くんがそう返すと、安定は話を信じて、依頼を受けてくれそうな雰囲気に、ほっと肩をなでおろす。
そして、息を吸い込んで、何か思い切るような調子で続けた。「ショーを無事に終わらせたい、僕だってショーを中止にしたくなんてない、沖田くんには笑ってほしいし、清光にも…でも、大切な人だから、危険な目にだって遭ってほしくないんです…警備はもちろん厳重にすると思いますが…
それでも心配なんです…」そこまでいうと、「お願いします」と深く頭を下げた。「…つまり、秘密裏に犯人を特定、出頭させてしまうのが早いかな。よし、わかりました、依頼を受けましょう…さしあたっては…」
「お前、何勝手に探偵なんて雇ってんの…」とりあえず、そのデザイナーには話をしよう、ということで、2人が安定に連れられて来た場所は加州くんのもと。いきなり現れた2人組を見て不思議そうにしていた加州くんに、長義くんはことのあらましを説明する。
最初こそ、きょとんとした表情で聞いていたものの、加州くんはどんどん眉を顰めていき、話を聞き終えると、責めるような視線を安定に向けた。「だって心配なんだ…お前の制止を無視したのは悪いと思うよ、けど、僕はお前がもし…」「はあ…別に、過ぎた事だしもういいよ。
だからじめじめしない!きのこ生やさない!お前のその心配性は昔からだし、俺も知ってることだし。…それで、探偵さんは俺に何を聞きたいわけ?」「話が早くて助かるよ。手っ取り早くいこう、心当たりはある?」「あったらもっと手を打ってるよ。
まあ、仕事柄目立つし、多少は有名税だと思ってはいるけど…けど、個人的にはさっぱり…あ、」思い当たる節がない、と言おうとしていた加州くんは、急に何かを思い出したかのように声を上げた。「心当たりがあるのか?」「そういえば、以前うちのをパクったってうるさかったやつがいたなあって。
紛うことなき俺のデザインだったし、確認してみたけど全然似てもいなくて、酷い言いがかりだと思ったんだけどね、あの時は家に押しかけられたりもして、大変だったよ」「…そいつは?」「さあ?急に何も言ってこなくなったから、懲りたのかと思ってたけど…ああ、でも…もしかしたら…」
「何かあったの?」「…いや、この業界から干されたのかなあってだけ、なんでもないよ」加州くんの口調は、あくまでなんでもない風を装っている。本当に、こういった業界ではその手のことは日常茶飯事なのかもしれない。一番険しい顔をしていたのは、まだ高校生のまんばだった。
長義くんは少し考えてから、そうだな、と独り言のように呟く。「…名前と、顔もわかればそれも。そいつのことを調べてみよう」その言葉を受け、加州くんはさらさらとメモ用紙に何か書き綴り、紙を2枚重ねにして手渡した。
そんなこんなで、まんばは安定と一緒にパーティー会場にいくことになっていた。お互いそれなりの正装で、どこから用意したのやら、長義くんが用意した2人分の招待券片手に潜り込んでいる。「あいつ、本当にここに来るのかな…」「わからない。でも、来なくてもハズレという情報が落ちるんだ、
無駄じゃない…です」「ふふ、探偵さんの助手さんも探偵さんみたい」御堂隆義という男性の名前と、いかにも、といったやや強面な男性の写真を加州くんに提供された長義くんは、それをもとにひとつの手がかりにたどり着いた。しかし、何か自分で動くというわけではなかったらしく、
「というわけだから、御堂家の人間も出ているパーティだ、衣類は一式用意するから、お前が行ってこい」とまんばを放り出した。「…お前は?」とまんばが問えば「俺は他にやることがある」と返される。協力出来ることならなんでもする、と言った安定は、
「方針はわかったけど、でも子供をひとり危険に晒すわけにはいかないよ」の一心で同行することになった。
「それにしても、不思議だね、あの探偵さんとの関係」「まあ…普通はそう考えると思います」「バイトじゃないんだっけ…そうだよね、こうやって調査を本格的にしてるもんなあ」「…えっと、それは…」「あ!踏み入ったこと聞いちゃってごめん、でも気になって…」「…いいです、変なのは事実ですから」
パーティー入りしたのはいいが、どう動けばいいかわからなかった2人は、なるべく目立たない隅、壁の花になりつつ、該当人物の姿を探しながら何となく会話を始めた。話は探偵事務所のことに移る。プライベートに踏み込み過ぎたかと思って、安定が謝った。まんばは別段気にする様子はない。
「…俺は、あいつに会わなければ今頃生きてはいないと思うんです」「え?」「聞いていたでしょう、バイトではないですが、金銭的な問題で…まあ、そういうこと、です」金銭的な?そういえば、借金がどうとか言っていた。多額の借金で生きるか死ぬか、と言ったところを助けられたとでも言うようだ。
こんな子供が?なぜ?そう思うことはあれど、安定はさすがにこれ以上は不躾がすぎる、と聞くに聞けない。「…そっか。色々あったんだね」「大和守さん?…あ、」安定がひとり納得したように呟くのを、なにか聞かれたのかと思ったまんばは不思議そうに見る。
その時、まんばの耳は雑談の波の中ひとつ、目的の人物かもしれない話題を拾い上げた。 「隆義さん、もしもお亡くなりになっていなかったら、今日は記念すべき日になっていたのに」 先程までしていなかったのに、急に息を潜めるようにして会話は続けられる。思わず、まんばも息を殺そうとしてしまった。
「…?どうしたの?何か…」「向こうで会話が聞こえる」まんばの様子に安定が疑問に思ってたずねると、短くそう返された。その言葉を聞いて、安定も納得したようにそちらに注意を向ける。会話はまだ続いていた。
「あら、それはどうかしら?」「どういうことだい?」「隆義さん、事業に失敗したらしいじゃない。借金もあったって。でも、その後急に返済したらしくて、何か危ない仕事をしているんじゃないかって専ら噂よ」「へえ、聞かなかったな」「御堂家の恥だもの、あまり大声では言わないわ」
「…御堂家…御堂…まさか」「国広くん?顔色が…」その会話を聞きながら、だんだん青ざめていくまんばに気付いた安定は何度か声をかける。「…すまな、風、あたってくる」口元を抑え、耐えるような声でそれだけ言うと、まんばは急ぎ足で会場の外へと走り出す。安定もまんばを追いかけ外へと向かった。
唐突な過去編。 遠い記憶のこと。 いつかはこうなるだろうと思ってはいた。学校から帰ると家がなかった。アパートの一室にあるものは何もかも差し押さえられていた。両親はおらず、よく分からない大男が何人も家にいて、玄関で呆然としていると、
そのうちの一人が自分に気がついたようで振り返り近付いてきた。「おう、おかえり」そう言って頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。それだけなら悪い人だとは思えないはずなのに、なぜかぞっとして、縫い付けられたようにそこから動けなくなってしまった。「お前の母さんと父さんは酷ェやつだな」「え…」
「可愛い息子捨ててトンズラなんざ、少なくとも善人がやることじゃあねェ」豪快に笑う大男に、僅かに身動ぐ。手にあるのは小型のナイフだろうか。逆らえば最後、殺される、と思った。それから少しの間、真っ白になった頭の中で、なのにぐるぐると渦巻くような感覚の中で、
どっどっと煩い心臓が余計に焦燥を煽る中で、そこにいた。ふと思い出したように大男が自分に向き直る。「…知ってるか?」「…っ、は、何…が、」「お前さんの値段さ」例えばここ。そう言って先程のナイフがピンッと制服のシャツのボタンを飛ばす。丁度胸元の位置だ。
「心臓、とか…ははっこれも親孝行かもなあ?」その言葉で、ぱちん、と張り詰めた糸が切れた音がした。やばい、これはやばい。その一心で、先程まで自由のきかなかった体を動かしてその場を飛び出す。偶然にも不意をつく事が出来たのか、なんとか男に追いつかれることはなかった。
けれど、行くあても当然なかった。とにかく走って、走って、少しでも止まるともう動くことが出来なさそうで、どこまで来たのか、足が縺れて転んで、顔を上げた眼前に、どこかの公園を見つけた。大切にしていたもの全て、写真の1枚すら持っていくことは出来なかった。
辛うじて引っ掴んできた鞄の中身は教科書とノート、体育のジャージ、学生証、定期券程度のもの。学校は携帯電話の持ち込みが出来なかったから連絡手段はない。財布も家の中で落としたままなのか、持ってきていなかった。水道で怪我をした肘を洗い流して、ベンチに座って日の落ちた空を見た。
どうしよう、どうしよう、と頭の中に浮かぶ言葉はそればかりで、なのに公園のベンチなんかじゃあ、なんの打開策も見当たらない。そうしてどのくらいたったか、突然目の前に現れたのは若い男性だった。中学生の自分よりは年上、けれど、はっきりした年齢はわからない。あえて言うなら20代に見えた。
身に纏う衣服はどれも高級そうで、住む世界が違うのだろうと思い知らされる。「…お前、何してるの」そんな異世界の住人は、こともあろう事か根無し草になってしまった自分に声をかけてきた。「…何も」「今日は冷えるよ、上着は?」「…」「えっと…甘いものは好き?コーヒーと紅茶ならどっち?」
「…」「あーもう!なにか言えよ、その口は飾り?」「…っ、ごめ、なさ」「…はあ、適当に買ってくるから、ここで少し待っていろ」そう言ってしばらく経つと、本当にその人は戻ってきた。手には缶コーヒーとホットココア。そのうち、ココアの方を渡してくる。
「甘いのが苦手、とか言われてももう知らないからな」「あ…え、俺…?」「ほら、早く飲んだら?冷めるよ」手渡されたココアはひどく暖かい。悴んだ手には熱いと感じるほどで、制服の袖を伸ばして持ち直した。ひとくち口に含むと、その名の通り甘くて温かい。無機質な大量生産の缶が、
なんだかやたらと優しく感じて、またじわじわと涙が込み上げてくる。「な、何、なんで泣くんだよ…まさか泣くほど美味しい?」「…っ、おれ、俺…」そこからは嗚咽ばかりがもれて、何も言葉にならない。どうしたらいいか分からなくなったのかその人は、ポケットからハンカチを取り出して、
あまり慣れていないような仕草で拭ってきた。「とりあえず、なんか俺が泣かしたみたいで気分悪いから泣き止んでくれないかな」と、困ったような声でそんなことを言いながら。
帰る家がない、と言えば、その人は深くため息をついた。面倒事にで��捕まった、と言いたげだ。けれど、そのくせ「じゃあ、今日はうちに来なよ。外で寝ると風邪ひくよ」と、未だ泣き続ける自分の手を引いて、家(だと思われるところ)まで連れ帰ってきた。コートも何も着ていない、制服姿だったけれど、
上着を脱いでも部屋の中は暖かい。「第二ボタンも、取れてるね。まさかこんな冬に卒業式だったわけでもあるまいし…」「これは…」「うーん、俺、料理と裁縫だけはめっきりダメなんだよね、悪いけど直せないから、新しいのを用意させよう。それでもいい?」「あ、え…いいん、ですか」
「ボロボロの格好で家にあげたくないだけだよ。俺の敷地内にいるんだから、ちゃんとしててくれないとね」そういえば、ボタンを取られたんだった、と上着を脱いでから思い出した。すかさず気がついたその人は、冗談めかしてそういうと、服のサイズを聞いてくる。次にはどこかに連絡したのだろうか、
「届けさせるからもう少し待ってて」と言ってスマホをテーブルに置いた。もう少し、と言うのは言葉の通りで、本当に30分くらいで宅配が来て、ラフなスウェットと替えのシャツを当然のように渡されることになるのだった。
大男の正体は、税金滞納だか破産だかなどで訪れるような、よく仕組みは理解していないけど、とにかくそういう国の、正式な人などでは勿論なくて(そりゃそうか、とは思うけど)、もっと裏社会の、闇金業者の人だと知らされた。どこからどう調べたのか、その人はそういうと、
「全く、やることが下衆で味がない」と冷ややかに呟く。たしかに怖いはずなのに、家にいた大男よりも安全なように感じる。武器を持っていないからだろうか?わからなかった。「危ないから、しばらくは学校は休みにしてもらうよ。ここは安全だから安心して?
あー…勉強が不安なら…そうだな、代わりに俺が見てあげる…疑っているようなら最初に言っておくけど、俺はイギリスにある…」「う、疑ってない…です。でも、学校行かないと…出席日数とか」「真面目だなあ…心配には及ばない。義務教育はね、ちゃんと卒業出来るようにできているんだよ。
君、保健室登校してるのに聞かされなかったのか?」「なんでそれを知って…」「…学生証。個人情報には気を付けようね、こういうことする大人がいるんだから」俺みたいな、ね…と言いながら取り出してきたのは、なんとか持ってきた鞄に入れていた学生証だった。
いつの間にとられていたんだろか、決まってる、寝ているときだ。「あ、ちょ、返し…」「もういいよ、貸してくれてどうも」「貸してないです!」奪い取るように学生証を掴む。手はあっさり離れて、そもそも最初から返すつもりだったようだった。逆に言えば、もうこれで調べることは無いということか。
あまりにも怪しすぎる。安全な場所、衣類、それからデリバリーで運ばれてくるご飯。それを疑うことなく受け入れるには、自分は成長しすぎていて、けれど、跳ね除けて立っていけるほど自分は大人でもなくて。命の恩人なのに、目の前のその人を探るような眼差しをやめることは出来そうにはなかった。
唐突に時間軸が戻るよ! まんばと安定がパーティーに行くあいだ、長義くんは勿論サボってなどいなくて、ひとり埠頭にまで足を運んでいた。加州くんが渡してきた紙の2枚目、隠すように渡してきたそれが示す場所がここだった。字は手書き。加州くんの字ではない。脅迫状が手書きではないため、
犯人はそういったことには慎重なはず。ゆえに、これは届いた脅迫のひとつではない。加州くんの、本当の心当たりだ、と長義くんは考え、ここまで来たのだった。自らの出自の関係で、こういった悪い取引の行われている場所には異様に詳しくなってしまったような気がする。
「…潰そうとしているものを利用している、というのも皮肉なものかもね」ぽつりと呟く声に反応するものは当然ない。あまりにも捜索範囲が広い。見つからないかもしれないな、と1人考える。とはいえ国広を連れていくわけには行かないと、なんやかんやでよく働く助手のことを考えた。
安定は子供を一人で危険なところに行かせるわけにはいかない、と言っていたが、国広はその「危険なところ」の当事者だったことがある。それを拾った自分もまた、似たような存在だったりする。「…知らぬが仏か」向こうは大丈夫だろうか、うちの助手は間違いなく働き者だけれど、特別強いわけではない。
ずっと過酷な環境にいたから、年齢にそぐわない程度には多少場馴れしてはいるけど、あれで年相応に柔いところも沢山あることを数年の暮らしでよく知っている。だから、ハズレっぽい所にあえて行かせたのだ。ただ、もしも向こうがあたりだったとしたら…とそこまで考えて、すぐに考え直した。
「大和守さんもしっかりしてるから、大丈夫か」自分がついていてやれないことに、少しの悔しさを覚えつつも、長義くんは捜索活動を再開した。 しばらく見て回っていると、何か声が聞こえてくる。「…当たり、かな」もう少し近付いて物証を手に入れたい。レコーダーをオンにしてそっと物陰から近付く。
易々と会話を手に入れられそうだった。 「御堂の奴、よかったのか?」「何、あのデザイナーに証拠握られてるんだ、捨て置くのが一番だよ、あれくらいなら高く売れるし…それより…」 中身は取引だった。薬物ではなく、武器でもない、人身売買の類だ。
やっぱり国広を連れてこなかったのは正解だった、と長義くんは息をつきそうになる。まだこちらとしても油断はできない。…見つかったら、こいつらを消さなければならなくなってしまう。とりあえず持ち合わせた護身用のナイフをそっと確認して、再び息を潜めた。
続き! 長義くんが埠頭を出てすぐ、スマホに連絡が入った。見ればこれで3回目の電話、名前を確認すると安定からで、何かあったのかと少し慌てて通話ボタンをタップする。「もしもし、何かあった?」「すみません、その、国広くんがすごく具合悪そうで…会場からは出たんですけど…」「国広は?」
「もう問題ないから…と。でも顔色悪いし、とりあえず近くで休ませています、場所伝えますね」「そのままその馬鹿押さえておいて。そいつ動いてた方が忘れられるとか言ってオーバーワークしがちなんだ、すぐ行く」「忘れ…?わかりました、待ってます」
長義くんは会場となっているホテルからほど近い施設の敷地内にある広場へと向かう。公園よりひっそりとしている私有地は、当然必要もないのに立ち入ることは本来許可されていないところだ。あえてそこを選んだのは恐らく安定ではなく国広の方だろう、と長義くんは考えながら、
埠頭の離の方に隠すように止めておいた車に乗り込む。公園よりも騒ぎを起こせば目立つことが出来る場所でもある。逃げるならこう行け、と教えこんだのが役に立っているようで何よりだった。 埠頭からホテルまでは大した距離はない。ふたりのいる場所も同様だ。10分ほど車を走らせて、目的地に着く。
適当に(とはいえナンバーを覚えられたらやっかいなので、やはり死角を選び)駐車して車から降りた。少し敷地に入ると、人影がふたつ、ベンチに座っている。「よかった、すぐに見つかった」そう言って近付くと、人影のひとり、安定はぱっと顔を上げて、心底ほっとしたと言ったように表情をやわらげる。
まんばはそんな安定に背中をさすられていた。「ありがとうございます、国広くん、立てる?」「…大丈夫、です」「何があった?…人酔い?」「ちが、う…長義、俺は大丈夫…だから、」「そうは見えないんだよ…それとも、何か思い出した?」そう問えば、まんばは図星だったのか、ギクリと肩を震わせて、
観念したように小さく頷く。何か聞いてしまったのだろうか。そう思えば、まんばは小さく「御堂、聞いた名だと…」と呟く。当たりを引かせてしまったかもしれない。失敗した。「…帰ろうか、裏に車を止めてある」
3人で事務所まで帰って、まんばには上の階(実は今の住まい)に行くように伝えた。まんば自身も自分のことはわかっているのだろう、存外素直に頷いて、思ったよりもしっかりとした足取りで階段を上っていく。とりあえず今日はもう休ませた方がいいだろう、話を聞くのは明日だ。
まんばの階段を上る足音が止むのを待って、長義くんは安定に向き直り、少しだけいいかな、と言って安定にソファに座るよう促した。「さて、夜分遅くまで申し訳なかったね」「いえ、依頼したのは僕ですから…それより、国広くんは」「しばらく休めば大丈夫…それに、前にもあったことだから」
あまり深入りしない方がいい話題だろう、そう感じた安定は出されたミルクティーを一口飲んで、話題を変えようと口を開いた(コーヒーに大量にミルクと砂糖を入れていたのを見られていたようだ)。「…えっと、それで、何かわかったのでしょうか」「そうだね、とりあえず単刀直入に言おう。
心当たりの御堂隆義だけど、彼はすでに亡くなっている…それも恐らく殺されて、ね」「殺…なんで、そんな…清光、まさかそれで何かを知って、狙われてるとか…」長義くんの言葉に、安定の表情はさあっと青ざめた。あくまで表情を変えていない長義くんは、それを一瞥しつつも安定に訊ねる。
「あいつ…国広は、パーティー会場で何を聞いていたかわかる?」「あ、はい…僕も途中から聞いてたから…御堂隆義の事業が失敗して、危ない仕事に手を出したって感じのことを…」「そう…単刀直入に言うけど、御堂家は旧財閥系から分かれた家系でね。…いや、旧財閥系から追い出された、
と言った方が正しいかな、裏で指定暴力団と関係を持っていて、そちらでも稼いでるんだ。恐らく薬物か武器か、と思っていたんだけど…商品は人間だったみたい」「人?…それって、まさか…」「そう、人身売買。それで、加州さんだっけ、彼もなかなか強かだね、事情はわからないけど、
その証拠を偶然にも持ってるんだと思う、そして、御堂家の証拠を例のファッションショーでばら撒く算段なんだろう」「そんな…なんでそんな危険なことを…」「わからない。けど、やっぱり大和守さんには話していなかったんだね」そういうと、長義くんは加州くんに渡されたメモを安定の前に差し出す。
「メモ…?」「彼は俺にこのメモを渡してきた…今日埠頭で取引があったんだけど、そのメモだ。加州さんがどこからかこれを手に入れたのは確実だと思う…そして、それを大和守さん、君には本当は知られたくない。だから、こっそり俺に渡してきた…きっと、危険な目にあわせたくないから、
止めて欲しくないから、そんなところだろう」「それって、僕が清光を止めて、警察に通報することでもっと悪いことが起きる…みたい、な…そうだ、沖田くん! 沖田くんの病院が何か関わってたりしませんか」「ああ、共通の知人は関係あるかもしれない、明日案内願おうか」
唐突な過去編再び。 生まれたその時には将来が約束されている人、というのはいくらでも存在する。恵まれた立場ともいうし、ある意味では自由がないとも言うし…その辺は認識の問題だけれど、とにかく、自分の生まれはそういったものに近かった。ただし、華々しい表の道
――たとえば、絵本の中の王子様であるとか、漫画みたいにどこかの財閥の跡取り息子であるとか――ではなかった。山姥切という名は、その手の界隈では広く知られている。物心着いた時には舎弟みたいな奴らが何人もあてがわれていて、自分よりもうんと年上のそいつらを”使う”方法を身につけさせられた。
とはいえ、厳しい環境だったかといえばそうではない。末っ子の自分は、もう両親も歳をとってから産んだ子供だったことやら、年の離れた兄が3人ほどいたことやらが相まって、ほとんど孫を可愛がるような状態、逆に言えば、自分の裁量というのは全くなく”なんでもやってあげる”という状態で
幼少期を過ごした。その時の自分の認識といえば、不自由はないが自由とは言えない。端的に言えば不満だった。自分は兄よりも優れた仕事が出来るはずだ、なのになんで自分だけ何もせずそこにいるだけ、なんて立場に甘んじていなければならない?…とかなんとか、そんな不満を抱えて生きてきたから、
対象の汚点はいやでも目に付くようになる。小学生の頃は、それでも仲良くなったクラスの友達が、ある日急に遠巻きにしてくる、みたいな目にはあったものの、それだけだった。けれど、中学生、高校生くらいにまでなると、さすがに自分の家がヤバいからだ、ということに気がつく。
ヤバい、というのは、家庭環境が劣悪、たとえば暴力を振るう親がいるだとか親がアル中だとか、そういう類のものではない。そう、我が家は、一家がまるまる暴力団(それも国内でも有数の)の取りまとめを行っている、そんな、簡単に言えばヤクザの家だった。幸いにして、可愛がられていたことで
汚れ仕事からは遠ざけられ続けてきた自分にとって、調べれば調べるほど出てくる家族の犯罪履歴は、軽蔑するにあまりあるものだった。だから、高校二年生の時についに家を飛び出した。自分も大いにその恩恵に預かっていたというのに、軽蔑する家族の存在に、自分がその家にいるということに、
何よりそいつらが血の繋がった家族だということに、同じ空気を吸っていることに、何もかもに、耐えきれなかった。転がり込んだのは、事情を知りつつも親身に接してくれた担任教師(長船光忠という名前の、まだ若い担任だ)だった。その時の自分といえば、どうみても家出をした非行少年だ。
けれど、その先生は何も言わず家で匿ってくれた。もちろん、捜索願いなど出されるはずもない。家は裏稼業だから、あまり公で騒ぎを起こしたくないのだというのはわかっていた。けれど、家もそんなに甘くはない。子供の考える家出先など、3日もあれば簡単にバレてしまった。
自分にずっとついていた部下が、先生の自宅まで堂々と迎えに来たのは、3日どころか、わずか2日後だったのを覚えている。絶対に帰らない、と言えば、一時的な子供の我儘、駄々をこねているのだと見なされたのか(事実そうなのだが)、わかりました、とあっさり引き下がった。
「しかし、先生のお宅にお世話になるなら、お金はどうするのですか」とも、その時訊ねられた。先生は「いいんですよ、落ち着くまでここにいてもらって。僕は大丈夫なので」と優しく笑ってくれた。この問答は、そこは一応、犯罪一家である以前に子供を預ける立場だったのだと今になって思うが、
頭を下げたのは俺ではなく部下、つまり家だった。「せめて金銭の方はこちらでなんとかするから」と家の方が押し切って、結局、家出したというのに、家から金銭援助を最大限に受けつつ、高校卒業まで都合よく担任教師の家に世話になったのだった。
大学進学は最初考えていなかったけれど、家族と聞く度に威嚇するような状態だった自分は、先生に「一度、もっと広い世界をみてみたらどうかな」とアドバイスされ、どうせなら、と海外を選ぶことにした。完全に子供の甘えで、実際はおんぶにだっこだったわけだが(先生はあくまで親子の問題として、
親に自分の様子を報告していたらしいことを、後々になってから聞かされた)、その時は距離的に家から離れることで、自立した気分に浸っていたというわけだ。イギリスにある某名門校、もちろん自分の実力を疑うわけではないけど、留学にあたって必要な費用についても出所は家だった。
…恐らく、その金も違法薬物やら武器の売買、どこかからせしめたもの、脅迫、といった諸々から得た金なわけだが。早い話が、自分でなんでも決めたつもりでいて、その実、そんなことは全然なかったわけだ。 それに気付いたのは大学在学中のこと。もちろん怒りが沸いた。家族にも、自分にも。
そして、そっちがその気なら、と方向転換した。甘やかされている自分の立場を大いに利用することにした。今の自分は、言ってみれば金持ちの家の放蕩息子と言ったところだろう、それならそれで思う存分甘んじてやろうじゃないか、と思ったのだった。まず始めたのは、家と繋がりのある組の把握だった。
部下だったやつに伝えれば、長い反抗期が終わったと喜んでくれた。人生でおそらく最初で最後の親孝行ってやつなのだが。これは裏切りだ。やろうとしたことは、家の為に動くことじゃない。自分の潔癖な性分は、やっぱりこの家を許すことは出来なかった。末端組織から潰してやろう、そんな算段だった。
日本から帰ってきて、今後どうやって家を潰すか、ということばかり考えていた。そんな夜のことだ。公園のベンチで、それは寒そうな格好で、しかもその服も汚れていてボロボロな、そんな子供が泣いているのを見つけた。これは上手く乗せれば売れるな、などと頭の片隅で少し考えてしまったのを振り払う。
そんなことを考えたことを否定したかったのか、自分は家のものとは違うのだ、と誰が見ている訳でも無いのに、誇示したくなった。まず、部下に連絡をとった。子供の特徴と制服を伝え、身元をわれないか伝える。それから、今見かけました、100%善意です、といった笑みを貼り付けて声をかけた。
子供は話しかけても黙りこくっていて、すぐに苛立ちが勝った。同時に、自分にこんなことはあっただろうか、と考えずにはいられない。結局どうすればその子供の恐慌状態を取り除けるかわからなくて、物で釣ることにした。あまりにも安易だった。中学生くらいの子供が飲むものなんて分からなくて、
自販機の前でしばらく悩んだ。結局適当にホットココアを押して、押し付けるように渡したら、ようやく自分に応えた。安易な選択だったのに、打算だったのに、それが少し嬉しいと思って、少しだけ、ちくりと罪悪感が肺の辺りを刺して、どうすればいいのかわからなくなった。
気の迷いだった。子供を連れ帰って、ボロボロな服の替えを調達し、夕飯のデリバリーも頼んで、そのまま自分のベッドに寝かせて、すぐに連絡が来た。子供の身元はあっさり割れた。国広、という名前であること。近くの公立中学に通っていること。ボロアパートの2階に住んでいること。
両親は共に子供を育てるような能力のないやつだということ。学校ではいじめにあっていて、今は保健室登校していること。好きな科目は理科、嫌いな科目は英語、だなんてことまであっさりわかってしまった。それから、今、彼には2億5千万相当の額がついている、ということも。
同時に、思いついてしまった。 彼には今、自分しかいないのではないか?もしも、彼を上手く扱うことができたなら、自分の目的達成に使えるのではないか?と。上手い言い訳を考えているうちに夜はあけた。そうして、暫定的な���応として、国広にここで過ごすことを、半ば強制的に提案したのだった。
続き。また時間軸は現在に戻ります。 まんばは布団に横になると、頭まですっぽりと布団を被った。長義に気を遣わせてしまった、それに大和守さんにも、と考える。今頃2人は今日のことを話しているのだろう。カーテンを閉めて電気を切った部屋は暗くて静かだ。
いつもは遅くまで、何をやっているのか(仕事か、そうでなければ碌でもないことだとは思うが…)、夜型の長義は起きていて、ライトが漏れる中で眠りについているので、こんな暗い中で眠るのは随分と久しぶりな気がする。久しぶりすぎて、少し対処に困ってしまう。
御堂、聞いたことのある名だ。あの日、アパートの2階にいた男だ。長義が捕え損ねたと言っていた、あの。そこまで考えて、またざわざわとした悪寒の様なものが背中の方にはりついた。この感覚をよく知っている。恐怖だ。まんばは逃げるようにぎゅっと目を瞑って、やり過ごすうちに眠ってしまっていた。
「ほら、朝だよ」「んん、…朝…?」「ああ、おはよう国広…なんて言うと思ったか、寝坊だよ寝坊」目を擦りながら体を起こすと、目の前にいたのは既に出掛ける準備を整えた長義だった。「寝坊…?まだ7時…え、7時?」まんばは時間を確認して、ようやく覚醒した。長義くんは夜型。
だから、朝の7時にしっかりと起きていることは珍しい。「まさかもう夜…」「そんなわけあるか」そんな、まるまる1日寝て過ごすなんて、そんなことを、とまんばが青ざめていると、音を立ててカーテンが開く。眩しさに朝だと言うことがわかった。
「長義、この時間に起きてられるんだな」「人を寝起き最悪みたいな言い方しないでくれるかな」「だが事実いつも…」「いいから、早く支度する!それと、朝食は外でとるよ。いつものところでいいね?」「構わないが…どこへ行くんだ…?」「病院。大和守さんが来る前に調べておきたいことがある」
今日は日曜日だからたいてい休診日じゃないか、というまんばの意見は聞き流され、急かされるままに身支度を整えて、2人は揃って事務所の上にある住まいを出た。 近所にあるカフェチェーン店に入って、お好きな席に、と言われるまま、2人は出来るだけ隅の方を選んだ。
長義くんはメニューを見ることなく、まんばに確認することもなく、モーニングセットを2つ頼む。「…それで、昨日はあの後どうなったんだ」「どうって?」「急に病院に行く、と言い出したから。何か思う所でも出来たのかと思ってな」「…そうだな、あまり美味しい話にはならないけど」
「分かってる…だって、御堂隆義は、」まんばはそこで言い淀んでしまい、誤魔化すように水を飲む。長義くんの方も気まずそうに目を伏せた。「…昨日はその、悪かった」「お前が謝るなんて珍しい、傘がいるか…今日は一日晴れの予報だったんだがな」「たまに殊勝な態度を取ればこれだ、可愛くない」
「たまにしかとらない自覚はあるんじゃないか。…それで?どうなったのか知りたい」「御堂隆義は死んでる、そうだね、消された、と言った方が適当だ…ここまでは、お前も想像ついてるだろうけど。…それから、あのデザイナーは、何か持ってる、隠してるというか…
警察に言わないのは何もショーを中止にされたくないからじゃないだろうね」「…それで、なんで病院なんだ?」「彼と依頼人の共通の知人が入院している。…俺は、こいつが鍵だと考えた」そこまで言ったところで、店員がモーニングセットを2つ分運んでくる。「さっさと食べて行くぞ」「…ああ」
長義くんは、あまり依頼人に言えないような方法で情報を獲得することがあった。それをまんばは知っている。だから、今回も安定に知られたくない方法を病院で使おうとしているのだろうと言うことは、何となく思っていた。まんばとしてはどうかと思っているが、
自分もそれに助けられた身なのであまりどうこう言えず、結局やりたい放題にやらせてしまっているのだった。 ついた病院は街の中心部にある総合病院だった。総合病院、とはいえ日曜日は初診は行っておらず、科によっては休診日になっていた。朝も早い時間こともあって、中は比較的閑散としている。
「沖田さん、と言ったか…病室を探すのか?」「いや、それは後でいい。どうせその人自身は何も知らないだろうし。それより、彼のカルテを覗き見たい…そうだな、俺が上手く引き付けておくから、俺が言う情報を見てこい。ついでにこれ、許可証だから無くすなよ」「…またそう無茶苦茶なことを」
長義くんが何をしているのかはよくわからないが、ただの高校生のはずのまんばが、恐らく偽造したのか借り物か、それは分からないが許可証、とか言うのを持ちながらとはいえ、あっさり立ち入り禁止区域に入れる程度には口八丁なようだった。まんばは当たりをつけてカルテを探す。
こういったことは助手として働いて、やたらと上手くなってしまった。「…いいんだろうか、いや、よくはないんだが」ぽつりと呟いて、そうだろうと思われるカルテを見つけた。同姓同名の人がいなければいいのだが、と思いながら内容を確認する。「えっと…心疾患か、担当医は佐々木浩二、経過は…」
約束の時間は10時だったらしい。まんばが戻ると、続きは今度だ、と言って病院を出た。それから、ぐるりと裏を一周して、表側の入口付近で待っている安定に長義くんは声をかける。「待たせたかな、すまないね」「いえ、大丈夫です。…国広くん、もう平気?」「俺は大丈夫です、ちゃんと休んだんで」
安定はぺこりと小さく頭を下げて挨拶をした後、長義くんの少し後ろにいるまんばにも声をかける。まんばがしっかりとした受け答えをしているのを確認し、「よかった」と心底安心したような声を漏らすと、「それじゃあ、病室に案内しますね」と言って病院内に入っていった。
「沖田くん、入るよ…えっと、今日はと、友達…?を2人連れてきたんだけど…」安定はそう言って病室に入る。2人も「失礼します」と挨拶をして後に続いた。沖田くん、という人物は入院着を着ていて、点滴を受けていて、
病室のベッドから体を起こしてなにやら雑誌を見ていた。安定の声に気がつくと病室の入口に顔を向けて、「いらっしゃい」とにっこり微笑む。「…雑誌?」「ああ、君たち、加州とは知り合い?デザイナーをやっててね、絶対大成してみせるから見ててねって」「そう、ですか」
「それに、今度は何かショーがあるみたいで。…とはいっても、僕はあまり詳しくないんだけどね、ふふ、楽しみだなあ」ずっと入院していて先も長くない、と聞いていた2人は、穏やかで、朗らかに、無邪気さすら含んだ笑みを浮かべる沖田くんなる人物に少々面食ら��。
同時に、なるほど2人が慕うような人物なのだろうとも考えた。「…あの、加州さんは、どういう方なんですか」「…うーん、ずっと一緒だったからなあ…可愛い後輩だよ、僕ら皆剣道をやっていてね、僕が先輩で、2人は同じくらいの時期に道場に来た後輩。あいつお洒落が好きなのに、
小さい頃は自分にはお洒落なんてする資格がないって泣いてたんだ…気負いすることなく好きなことを出来るようになったみたいで、僕もあいつの先輩として嬉しいよ、それから…」「沖田くん沖田くん、2人が驚いてる」「え、あ…ごめんね、僕お喋りが好きで…病室一人のことも多いし、
話し相手がいるとね、ついつい…」沖田くんは楽しく話を続けていて、2人は話に入るタイミングを見失う。特にまんばは、何度か「あの…」だとか「えっと」だとかもらして、途中で諦めた。つらつらと話し続ける沖田くんを安定がやんわりと止めると、沖田くんはハッとして二人を見やり、
困ったように笑いながら謝る。「いえ…構わないです、俺なんかで良ければ…」「それに、俺達は貴方の話を聞きにきたんですよ」「…僕の?ということは、病院のことかい?何か面白い話題でもあったかなあ…」「佐々木浩二という人間について、知ってることを教えてほしいんです、
些細なことで構いません…俺達は、こういう者でして」そう言うと、長義くんは沖田くんに名刺を手渡す。「え、探偵?すごいね、漫画みたい…でも、佐々木先生のこと、と言われてもなあ…僕の担当医ってことくらいしか分からないや。あ、担当医だから、専門はここだよ…って、探偵ならもう調べてるよね」
ここ、と言いながら、沖田くんは自分の胸の当たりを自分で指差す。安定の表情が僅かに曇った。それを横目に長義くんは質問を続ける。「悪い噂などは聞きませんでしたか?」「あはは、自分の担当医の悪い噂って嫌だなあ…さすがに不安になっちゃうよ」「…じゃあ、良い噂は?」
「良い噂かあ…良い…どんな病気でも治してくれる名医…なんてね、そんな人いないよな。どこかから呼ばれた先生らしいくらいで、本当に何も無いと思う。お役に立てなくてごめんね」「あ…えっと、」「いえ、参考になりました、聞かれたくないことだったかと思いますが協力ありがとうございます」
長義くんはそう言うと、まんばに病室を出るように合図する。まんばもそれに続いて「今日はありがとうございました」と一礼した。「そう?それならよかった、よく分からないけど、お仕事頑張って。それから、安定と…よければ清…加州のことをよろしくね」
病室を出て、示し合わせるように目を合わせ頷き合う。「”どこかから呼ばれた”」「…ああ」「やっぱり恐らく、横流ししてる…下劣だな」「…沖田さん、転院できないんだろうか。こんな所じゃ危ない…し」「何も知らない沖田さんには、当然転院の意思はないだろう?…手遅れ、というのもあるけれど」
先程カルテを盗み見た時に書かれていた内容から、沖田くんなる人物は本当にもう長くないことがわかっていた。「…そうか」「とにかく、そう沈んでいても始まらない、どうにか止めないと」「ああ…命を狙われているのは本当だが、あの脅迫状は捏造…いや、ああやって大事にするように脅されている、
脅迫状が届いたけれどもショーを行う、ということに意味がある」「お前もだいぶ板についてきたじゃないか…そう、そしてその脅迫を行った人物、それこそがこの病院の佐々木浩二、その人だ…以前、加州が御堂隆義と揉めた時にでも偶然そのつながりを聞いてしまったんだろうね…
それで、御堂はこの病院と取引していたわけだ」「でも、どうするんだ、俺達が手に入れた佐々木が黒って証拠も、合法的に手に入れたものでは無いだろう」「そうだな…まあ、任せておけ。なんとかしてみせよう」長義くんはそう言うと、得意そうに口角をあげて見せた。
過去編再び。 怪しい。怪しすぎる。そう思ってからは早かった。1週間くらいたっただろうか。慣れない不自由のない生活ではあるけれど、あまりにもおかしすぎる。疑心暗鬼はひとつの道筋をうんでいた。ひょっとして、アパートにいたアイツらと長義は仲間で、自分を匿うのは嘘で、
本当は、油断したところで自分のことをあいつらに売るつもりなんじゃないか、なんてちょっとした陰謀論だった。陰謀論、とはいえ何も突拍子もない話なんかじゃない。現に、生徒手帳を勝手に見られて調べられた。あれだって、俺が”売り物”を知りたかったんじゃないか?と思う。そうした疑心で、
長義のパソコンを勝手に盗み見た。パスワードは使う時にお茶を出すフリをしながらこっそりと見て覚えて、長義が出かけている隙を見計らって起動する。メール辺りを探してみるのがいいだろう、誰かとのやり取りに、怪しいものがあれば黒だ。そうやって、知ってしまった。長義が、
いわゆるヤクザと呼ばれるような家系の人間であること、その家との縁は切れておらず、自分に関わるやりとりをしていることを。 高層マンションだから飛び降りて逃げ出すなんてわけにはいかなかった。エントランスホールを上手く抜けるために、人が来るのを待って、影に隠れるようにして逃げた。
今度は身一つで、学生証はどうしようかとぼんやり考える。当時の自分はまだ中学生で、子供で、だから詰めも甘くて、これでとりあえず逃げきれた、と思っていた。まだアパートにいたやつらは自分を探している、という長義の忠告だって忘れていた。声をかけられた。
振り返ろうとして、その声が聞き覚えのあるものだと気がつく。やばい、と思った時には、頭の後ろ、首の辺りにビリッとした激痛が走り、意識を失っていた。 目を覚ますと、薄暗いところに寝かされていた。辺りを見回しても、身に覚えのない倉庫のような場所で、僅かに潮の匂いがした。
背の高い建物がいくつも積んであって、体を起こそうと試みたところで、自分の手足が自由に動かせないことに気がつく。縛られていた。藻掻くと縄のような感触が擦れて痛む。相当きつく縛ってあり、簡単には抜け出すことが難しそうだった。小さく舌打ちして、他の手立てを考える。
とりあえず、もう暫く寝たふりをしておいた方がいいだろうか、そう思った時だった。声が聞こえた。「こいつなかなか目を覚まさないな」「ガキなんだからしょうがないでしょ」ガキ、子供、自分のことだろう。どうやら結構な時間が経ってしまっているらしい。
そういえば自分は何をされた?そう思ってみると首の違和感にも気付く。火傷をしてしまったような気がする。何か、危害を加えられて気絶してしまったらしかった。「まあ下手に暴れられる方が困る。移動は明朝予定、一晩はここに置いとくしか…」
「そういやコイツ、山姥切んとこの息子といるとこ見たって奴がいるらしいけど、問題ないんスかね」「は?そんなの聞いてねぇぞ…」どうやら、こいつらは長義を知っているが、手を組んでいると言うわけではないらしいことに、内心ほっとした。同時に、疑ったことを申し訳なくも思った。
今の自分にとって、本当に外は危険で、本当に長義は自分のことを匿うつもりだったのだ、と思うと、こんな勝手をしたことに罪悪感すら覚えた。長義も危ない団体の一員であることは本当だし、軟禁状態だったことは確かだし、勝手に個人情報を漁られたのも確かだったのだけれど、
異常な状況に置かれすぎて、少し頭が混乱していたこともあったとは思う(こういうの、なんとか症候群と言うんだったか)。 今下手に目を覚ましてしまえば、”大人しく”させるために手段を選ばないだろう、そう思って、未だ何やら話している2人の会話にはもう蓋をした。疲れていた。
もう諦めよう、せめてあまり痛い思いはしたくはない、そう思って寝たふりを続けようとした矢先、腹部に重い衝撃が走った。声にならない声が漏れて、びっくりしてそのまま目を開ける。ズズっと体が地面に擦れて、蹴られたのだとわかった。「いい加減目ェ覚ませ。移動だ」「…ッう、…い、移動…?」
襟首をつかんで締め上げるように立たせたそいつは、力強く背中を叩きつけて、よろめいた俺はそのままもう1人の元まで動いてしまう。「…ぁ、」さあっと青くなった。そいつはアパートで自分に話しかけてきたやつで、そう、自分のことを”高く値がつく”と言っていたような気がする。
その時のことを鮮明に思い出してしまうと、いよいよ前後もわからないくらい怖くて、この場から離れないと、と思うのに、ガタガタと震えて身動きがとれなくなってしまった。ぐい、と男に引っ張られて、また1歩と足を踏み出してしまう。
「や、…やだ…嫌、」その場から動かまいと力を込めても、大人の男の力に子供である自分が敵うはずがない。嫌だ、と何度も言ったって聞いてくれるはずもない。男はそんな自分の微かな抵抗など構うことなく、引っ張るように連れ出されて、不格好に、いちいち転ぶみたいについて行くことになってしまう。
制服を着てでたけど、シャツは捨ててしまっていたから貰い物だった。悪い事をしたな、とやっぱり思ってしまって、怖いのと不安と罪悪感で、頭の中どころか、もう身体中がいっぱいだった。「逃げ回ったツケは払ってもらうぞ」そう言われて、押し込むように車に乗せられそうになる。
これに乗ったら最後だと、本気でそう思って、ふと顔をあげた先、涙目が一瞬とらえた景色に声が出なかった。突然押されていた力が抜けた。何者かが何かで男を殴ったのだ。けれど、殴ったという事実より、誰が、という部分の方が衝撃的だった。
「…ちょう、ぎ?」「…ったく、匿ってやったというのに世話のやける」そう言って、コンテナ近くにある材木片手に息を切らしていたのは、逃げ出したはずのあの家の主、長義その人だったからだ。
「長義、どうしてここに…っ」「話は後だ、逃げるぞ!余計な証拠を残したくない!」「証拠って、あの人は…」「生きてるに決まってるだろう!俺はあんなのとは違う!」そう言うと、長義は手早く縄をナイフで切って、そのまま腕をつかんで走り出す。
そこでようやくわかったのが、ここが湾岸部の、あまり治安が良くないとよく言われている場所ということ。通りへ出ると一台車が止まっていて、「乗って!はやく!」と急かされるままに車に乗り込む。自分が乗ったのを確認すると、長義も素早く運転席へ乗り込んで車を発進させた。
不思議と、あの時感じた危機感は、再び感じることはなかった。 暫く走って、車の通りの多い道路に出た。明るい街灯、右も左も車が行き交う。横断歩道を歩く人々はいかにもサラリーマンといった風体の人々ばかりで、会社帰りなのだろうか、と考える。日常風景と言われるような光景は丁度こんな感じで、
けれど今の自分にとっては少し眩しい光景だった。信号が赤に変わり、車が止まる。バックミラー越しに長義が見えた。「…だから、外は危険だと言っただろう」「あんたも、同じくらい危険に見えた」「…まあ、そうかもね」「…助けたことにも、意図があるんだろ」
「無鉄砲なガキのくせになかなか冴えてるじゃないか、褒めてやろう」「…隠さないんだな」「必要ないだろう?…さて、詳しい話は夕飯を食べてからだな」しばしの沈黙。再び車が止まって、その頃にはもう、少し前に長義に連れてこられて、出ていったはずのあの建物が目の前にあった。
長義はデリを頼んで、そのあいだ俺は着替えさせられた。「全くボロボロにしてくれて…」「う…すまない…」「まあ子供の服なんてそんなものか。とりあえず夕飯がつくまで着替えておいで」「え、俺が作らなくてもいいのか」「怪我人にあれこれさせるほど鬼じゃないよ」「…そう、か」
なんて会話をして、しっかり用意されていたスウェットに着替える。着替えてリビングに戻れば、長義がちょいちょいと手招きをした。素直にそちらへ向かえば、手にあるのは救急箱だ。「夜も遅いし、今日はもう外には出ない方がいいし、もしも大きい怪我があったとしても病院とかは明日になるけど…」
「大したことな…っ痛、いきなり何するんだ!」「消毒だよ消毒、手足以外は?」長義はなんの予告もなしに腕をつかんで引き寄せると、縄で擦り切れ痕が残った手首を消毒だと言って、丸めた消毒綿を押し付けにかかる。予期していなかった痛みに呻くと、今度はまじまじと俺を見てそう言ってきた。
視線が痛い。「特には…」「そう?とりあえず、足も見せろ」「え…、痛…ッ、だから触るなら言ってから… っ」「って、お前、手足だけかと思ったらほかも結構派手にいってるな…痛くないの?」「痛いに決まってるだろう!現に今そう言って…」「いや、そう��ゃなくて、
車でもそういうふうに見えなかったから、」「…それは、非常時だったから」「ふぅん、まあいいけど」何度かそんなやり取りをして、少し緩く包帯を巻かれたり、微妙な形に切り取られたガーゼを当てられたりして、満足気に長義が「終わり終わり。夕飯にしようか」とやっと離れる頃には夕飯が届いていた。
「さて、どうしてここから逃げようと思ったのかな」「…見たから」そう言ってパソコンのある方に視線を向けると、了解したのか長義は「…ああ」と納得したような声を上げる。「まあ、そうだろうと思った。お前、抜け目ないね、この前茶を出した時に指の動きで覚えたんだろう?」「…ああ」「怖い?」
「今は、そうでもない。あいつらとは、違うんだろ…そう言っていた」あんたが、と続けて真っ直ぐに長義を見る。海の底のような瞳は、見つめたところで何も分からなかった。「ああそうだ、あんなのと俺は違う。…お前の処遇についても話そうか」「…売るわけじゃないんだな」
言えば、長義は箸を止めて自分の方を見る。意外なものを見る目だった。「そうか、話していなかったね…俺が買うんだよ」「…誰を」「お前」その言葉に呆気に取られた。何を言っているのかさっぱり分からなかった。 帰ってみれば国広の姿がなかった。
念の為GPSを忍ばせておいた制服の上着を着ていってくれたのは幸いだった。怪しまれることはしたし、まあ妥当な判断だとは思う。けれど、今は本当にあいつにとって外は危険だった。「…明日までに見つけないと」1人そう呟いて、GPSで居場所の探知を始める。キーボードの位置が少しずれている。
どんな方法を使ったのかはともかく、これを見たのだろう、というのはわかった。国広の居場所はこの街を離れ、海、もっと言えば湾岸部へと向かっているようだった。恐らくまだ移動中だろう。思ったよりも早く見つかった。部下に連絡して、うちとの取引に…と考えて、やめることにした。
そんなことしたら家に借りを作ってしまうし、何より国広を好きに出来なくなる。それはまずい、といつもの部下にだけ連絡事項を伝えて家を出た。国広に掛けられていた金額を用意すること、もちろん全て俺のところから出してくれて構わない、責任は俺が持つ。そう言うと、部下は驚いて「いいんですか?」
と確認をとってくる。それもそうだろう、いくら金があれど、あいつにふっかけられた金額を支払うのはかなり痛い。だが、今はそんなことは関係なかった。この辺りで気付くべきだったと思うが、ほんの短い期間にも関わらず、俺は損益を考えることを放棄する程度には国広へと入れ込んでいた。
利用価値を考えるなら、国広を上手く売ってしまった方がいいはずなのだけれど、国広を使って家を、という計画を頓挫させたくなかった。 色々と準備を整えているあいだに日は落ち始めていた。まだ寒い冬だから、日も長くない。倉庫方面につく頃にはもう夜で、1人夜に倉庫に、堂々と正面から入った。
「…国広は?」そう問えば、俺を知る者は情けなく逃げ出したり、知らない者は威嚇したり、とにかくざわついて、その雑音の中、代表の1人が目の前に立つ。「山姥切が何の用だ?」「訂正させてもらうと、俺個人の用だよ。さて、取引といこうか」
取引の中身は単純だ。国広に掛けられた金全てをもって、俺が国広を買取るというもの。あれには利用価値がある、それくらい払うだけの。とにかくそう思っていたから、自分自身では道理だと思ったけれど、相手にはそうは見えなかったらしい。
「は?何言ってるんだ、山姥切んとこがアレを買い取って何の得がある?」「だから、俺個人の取引だと言っているだろう。どうする?今あいつを引き渡せば、確実に今2億は入るけれど?…言っておくけど、あいつ案外小賢しいぞ、油断をすれば逃げられるかもしれない。
それなら俺との取引に応じた方が賢明だと思わないか?」ペラペラとそれらしく捲し立てている間に、向こう側は応じる気はないのか仲間に連絡をとっていたらしい。「あのガキ連れ出しました」と小さく耳打ちしているのがうっかり聞こえてしまった。「ふぅん、あいつは12番倉庫か」「はっ、どうだかな」
「…そ、交渉決裂、かな。ならば無理にでも取り返すだけだ」このあたりの位置把握ならば、家の都合上完璧だと自負していた。迷わず12番倉庫方面に向かうと、丁度国広が何者かに引きずられている所。これはまずい、と思って、次にはもう、武器になりそうな物を適当に掴んで男のに向かって叩きつけた。
こんなことがあったからか、国広は始終大人しく、もう暫くは言うことを聞くモードのようだった。その夜には、部下から、国広を売ると伝達があった旨を伝えられる。どうやら名の大きさに今更恐れをなしたらしい。こちらとしてははじめから穏便に済ませたかったのだが残念だ。さて、これからどうするか。
国広には、家を潰すために動き回ってもらわなければならない。そう育てる必要がある。俺も情報がまだまだほしい。疲れが限界になったのか、眠ってしまった国広をベッドまで運びながらも今後について考えた。考えて、そうだとひとつ考えついた。
「まず、俺はお前を買取った。値段は2億7538万9623円…ちなみにまだ桜中生徒で世間知らずなお前に言ってあげるけど、一般的なサラリーマンが一生で稼ぐ金額は2億弱と言われている…どういうことかわかるね?」朝食もどこかで頼んだものが運ばれてきた。そんな食事をとりながら、
長義はなんでもないように昨日の話の続きを始める。「…俺は、何をすればいい」言わんとしていることはわかった。俺は、長義に対して一生かかっても返せないくらい借金があるのだ。その返済を、長義は求めている。しかし、俺は中学生だし、親は消えたし、家もないし、当然金もなかった。
身売りでもしろというのだろうか、と長義の方をうかがえば、長義はやたらと機嫌が良さそうだった。「話が早くて助かるよ。…俺は探偵事務所を開く。お前はそこで働いてもらう…危険は伴うが、代わりにお前の生活は全て保証してやろう、福利厚生ってやつだね。
それで、依頼のうち、お前が手伝ったものに関しては報酬の3割を俺への借金の返済としてやろう…帰る家もないお前にしてみれば、悪くない条件だろう?」「探偵…」「お前がみたとおり、俺の出身はああいうところでね。けれど、俺はあんなのとは違うんだ、その証明する…
そのための探偵だ、いかにも対立軸にありそうだろう」どうする?と再び聞かれたが、拒否権なんてあるはずがなかった。もう、俺にはこの場所で藻掻くしかないのだから。長義の手を取って「よろしく頼む」と言えば、長義はますます機嫌が良さそうに手を握り返して、「こちらこそ」と少し笑った。
終わらせてなかったので残り!長いよ! 舞台は現在に戻ります。 「要は、あのグループを仕留めて、言質をとってしまえばいいんだ。そうすれば、加州も全てを話してくれる」「仕留めるって…いいのか」「俺たちは警察じゃないからね、正攻法である必要もない」
それに、すでに正攻法ではないだろう?なんでもないようにそう言う長義くんに、まんばはまた始まったとばかりに苦い顔をする。自分がこっそり見に行ったカルテのことだ。けれどいちいち止めることもしない。まんば自身長義くんのそれに助けられた身だし、
長義くんの最終目的も知ってたし、それらをとうにわかった上で今まで付き合ってきてるのだし、それにまんばには長義くんに対して借金があるので、依頼解決の方が優先で、つまり今更のことだった。
長義くんの考えは単純だった。先日の埠頭で取った音声では、次の取引についても話がされていた。同じ場所でもう一度、といった内容のものは、ショーの前日だのものだ。そこで、長義くんは自身の名を使って黙らせる。家には御堂とその関係者についての不利切り捨てを促させておけば、
あとは勝手に消し合うだろう。問題は佐々木の方だった。こちらもその実御堂の筋の人間なのだろう。しかし、こいつを叩かず御堂を叩けば、逆上し依頼人や依頼人の周りの人に危害が及ぶ可能性がある。だから、佐々木は先に見つけ出して自ら黙らせる必要があった。場所の見当はいくつかついている。
「というわけで、もうお前は戻っていろ、あとはこっちで…」「嫌だ」「お前…」我儘を言うな、とため息をつく長義くんをまんばはじっと見る。折れるまで動かない、とでも言いたげな頑なさは長義くんもよく知るところだった。「お前わかっているだろう、お前の知るあの御堂の人間が関わっているんだよ。
現にパーティーでも…」「あ、の時は…だが、二度はないと誓う!これは俺の問題でもあるんだ。俺の問題を、勝手に他人に明け渡したりするものか!たとえお前でも、だ!」そう言い放つと、長義くんは呆れたというようにため息をついた。「…そういうところが子供だって言ってるんだ。
まあいい、精々人質に取られないように、隠れ方は教えたね?」「ああ、わかってる」「それじゃあ行こうか」そうしてまず向かった先は、加州のいる事務所だった。
扉の前で聞き耳を立てると、加州と男の声が聞こえる。早速当たりをひいたようだった。長義くんとまんばは気配を殺して会話の方に集中した。「…かに、お…くんは、…だよ。でも、」扉越しに聞こえる音はやや小さい。もっと、とまんばは寄ってみる。
「治らないのはわかってるよ、何度も聞いたし、何度も諦めさせられたんだ、わかってるよ。もう一度言う、俺はお前の移植手術の話には応じない!ちゃんと脅迫状は安定に見せてる、あいつは動いた。もう満足でしょ?」「ああ、非常に残念だよ。患者の命を救えたかもしれないのに…」「…っお前!」
「証拠は十分…かな。さて、そこまでだ」その言葉を聞いて、長義くんは遠慮なくドアノブを捻った。鍵はかかっておらず、あっさりと侵入を許す。突然の乱入者に、2人はハッとしてそちらを見る。長義くんは2人の注目などものともせずにレコーダーをチラつかせながら話を続けた。
「沖田さんは心臓を患っているそうだね。…確かに移植手術自体は近年増加傾向にあるけど…彼は認可を受けている施設に動く予定もなさそうだし、本当に患者を治す気があるのかな…それとも、奇病の患者の心臓が惜しい?少なくとも俺は聞いたことの無い病名だったし…」「な、何を…」
「お前が御堂の…そう、人身売買を扱う外道共と手を組んでいるのは知ってるんだよ。証拠はここにある…それに、」そう言って、長義くんは少し後ろに視線をやる。まんばは隠れていて、2人からはなんの行動かはさっぱり読めない。佐々木はその一瞬の隙をついて、長義くんに突っかかってくる。
狙いは証拠となるレコーダーだった。軽々と腕を掴まれて、その衝撃でレコーダーは地に落ちる。「っ痛…手荒だな、お前のその行動、それが全部記録してるよ」「壊せば問題は何も無くなるなァ?」「ちょ、探偵さん!」加州くんがやばい!と動く前に、押さえつけられたままの長義くんの目の前で、
レコーダーはあっさりと壊される。長義くんは特にそちらは気にせず、佐々木の方を見る。「持たぬお前に教えてあげようか。まず、お前は医者でありながら、患者の手術に度々、わざと失敗している。…意図的だ。人身売買を行っている御堂と繋がりがあるからね、それはそうだろうな。
けれど、そんな藪医者掛かりたいやつなんていないからね、勤め先の病院については頻繁にうつっていたようだ。もちろん、名前で検索をかけてしまえば悪評はわかってしまう。だから、御堂の人間に火消しを頼んだんだ。こうしてお前は人畜無害な医者を装っては患者に近づいては、
非健康的な臓器を売っていた…何に売れるのかは、知りたくはないけどね。健康体なら、あの手の輩は別の方法でとれるものだ…だから、売れたんだろう」「はっ、それがどうした?」「でも、御堂の家の息子がしくった。御堂は表では旧財閥系の分家のようなもの。
そこから人身売買なんて漏れたらたまったものじゃない。なぜしくったのか。加州が偶然、お前と御堂隆義の会話を聞いていたとか、そんなところだろう。沖田を次に売ることを知った加州はもちろん、そんなことを許せない。だから交渉したんだ。彼の大きなファッションショーは埠頭に近い。
ここに大量の警察をつぎ込めば向こうは手薄になるね?つまりこう、『次のショーで脅迫されたことにするから、沖田には手を出すな』と言ったところだろう…違う?」「…」「無言は肯定と受け取ろうか。けれど、加州とて犯罪の片棒を担ぐのはごめんだ。だから渋った。…けれど、その用意した脅迫状を、
大和守に見られてしま���…そして、彼から俺に依頼が来たんだ。次のショーで大事にすればお前達の取引をしやすくしてしまう…加州は大和守に被害届を出すとは言えないよね…どうかな?」加州は黙ったまま。佐々木はイライラとして、ぎり、と長義くんを押さえつける力を強める。
「お前…言わせておけばあることないことをベラベラと…!」「へえ、それじゃあ、どこまでが本当でどこからが虚構なのか聞かせてもらおうか」ものともせず、長義くんは変わらず佐々木を睨む。佐々木が殴りかからんとしたところで、ついに加州が声を上げた。
「…っ、ほ、本当だよ!そいつがどういう取引をしてるとか、そういうのは知らない!けど、俺のことについては、全部本当だ!」「お前…っ!」佐々木が長義くんを弾いて加州の方を向いたその時。「…国広!」「ああ!」長義くんのその言葉でまんばが長義くんに何かを投げ渡しつつ、
そのまま佐々木に特攻した。手荷物のはスタンガンで、全くの遠慮はなくそれを佐々木の首の後ろに押し当てる。突然の電流に叫ぶ佐々木に、呆然とする加州。その手を引いたのはまんばで、「立てるか?これは護身用のよくあるやつだから、そんなに持たない。早くここからでるぞ」と半ば無理やり立たせて
部屋の出口に向かう。逃がした獲物になんとか注意を向けたが最後、残っていた長義くんはあっさり背後をとった。「最後に教えてやるけれど、お前が壊したのはダミー、本物は今受け取ったんだけどよく取れてるよ」って聞こえてないか、と長義くんはのびた佐々木を見ながらそう呟き、悠々と電話をかけた。
「ちょっと、お前…!」「なんだ?」「いや、何じゃないでしょ、どういうこと?!あの探偵置いてきていいわけ?!」「構わない。事務所で落ち合う予定になっている…それに、あいつなら上手くごまかせる…あ、です」「ごま、…何が?」「…、ファッションショー、頑張ってください」
「言われなくても頑張るよ!ってそうじゃなくて!」走って向かった先、電車まで勢いで乗ってしまった加州は、息を整えながらまんばに抗議の声をあげる。「大和守さんに連絡取ります。もう大丈夫なので」「大丈夫って何が!」「…沖田さん」「…え、」「もう、全部大丈夫…なので」
「…はあ?あーもう!後で全部聞くからね!」そう言いながらも電車はあっという間に数駅を過ぎ、まんばが「降ります」と言えば加州くんも渋々着いていく。事務所の最寄り駅だった。行く道すがら見たところ、駐車場には車がもうあるようだった。帰ったのだろう、早いなと思いつつあがる。
「…ただいま。事情聴取は?」「面倒だから任せてきた」「…そうか」「…それ任せられるものなの?」訝しげに眉を寄せながら加州くんが部屋に入る。その先にはソファにちょこんと座る安定がいた。
こっからエピローグ。ほんと長くてすみません。 翌々日のこと。「…ということで、もう不安の種は取り除かれているかと。犯人は警察に通報されていますし、主治医ですが、変更になるそうです」「そうですか…ありがとうございました」「こちらは証拠品の類ですね。警察のガサ入れはあると思いますが
…そちらに来た折には提出してください」長義くんはそう言って事務的に調査資料を渡していく。「…はい。あの…国広くんは?」「あいつは…あいつなら熱を出したみたいで、部屋で休ませてます。最後ですし…挨拶させましょうか?」「あ、いえ…無理させちゃ悪いですから」安定がそう言って断り、
事務所の外へと見送られ、出入口へと来たところで、上の階から人が降りてくる。確認するまでもない。この数日一緒にいた高校生、国広だった。やや高級そうな素材のパジャマ姿のまま降りてきて、「長義」と呼ぶ声は、何度か話をした時よりも少し幼い。長義くんは断りを入れると振り返って
「お前、そのままで降りてくるなって言っただろう。大体、依頼人に風邪がうつったらどうするんだ」などと諌めるようにしながらまんばの元へ寄る。「…長義の声が下からしたから」「これ終わったら上に戻るから」「仕事あるだろう…俺が下にいればいい」「病人は布団被って大人しくしてろ馬鹿」
その様子をみながら、安定はそうだ、と今しがた寄り道をしたスーパーの袋に入っていたゼリーをもうひとつのビニール袋に入れて、開けようとしていたドアから離れ、長義くんの元へと駆け寄り、ビニール袋を渡した。「あの、これ」「え、いいんですか?」「お見舞い用といえばお見舞い用なので。
それに、彼にもたくさん頑張ってもらいましたから…お礼です」「俺、は…そんな、」言いながら咳き込んでしまうまんばの姿に安定は入院前の沖田くんを重ねてしまって、違うと首を振る。「そ、それじゃあ、本当にありがとうございました!」
そう言って、安定はビニール袋を押し付けると、足早に去っていった。残された長義くんは、ビニール袋を確認する。「…グレープ、みかん、もも、りんご」どれがいい?と訊ねて、まんばにも見えるようにビニール袋を大きく開いた。まんばはぼーっとしながらもビニール袋の中をしばらく眺めて、
小さく「もも…」と呟く。「わかった。食べたら寝るんだよ…俺も今日はもう上に行くから」長義くんのその言葉には声はなく、こくりと小さく頷いてみせた。 あの日、全ての事情を説明した翌日、起き出した時にはまんばには酷い倦怠感と頭痛が襲っていた。ふらふらと起き上がって、
ふらふらと朝食の準備をしていたところを、少し遅く目を覚ました長義くんが発見し、そのまま慌てた様子の長義くんによって、まんばはベッドに強制送還された。その流れで投げ捨てるように渡された体温計で熱を測ると、しっかりと38度を少し超える熱が出ている。
「パーティか病院で貰ってきたか…あるいはストレス性だろうな。今日はもう休め」「でも学校…」「お前は馬鹿なのかな。他人にうつすなって言っているんだよ」「う、すまない…」「医者は…連れていくのもな…呼ぶか。食事も用意させるから…あとは…」長義くんが呟きながら思案していると、
くいと服の裾を引っ張られる。犯人は言うまでもない。「長義、」「…どうしたかな?」「…俺、頑張れただろ」「…うん」それ以上のことはまんばはなにも言わなかった。気まずそうに目を逸らして、なんでもないと言葉を紡ぐことをやめてしまう。長義くんはベッドサイドの端に座って、
目元にかかったまんばの前髪を軽く払ってやった。結構熱くて、少し戸惑う。「…もっと、俺…頑張る、から」「…うん」「だから、今だけ、」それきり、まんばは眠ってしまう。彼に頑張らせるように強いたのは他ならぬ自分だというのに、長義くんは若干の罪悪感にまんばを撫でた手を止める。
彼には確かに退路はなかった、けれど、公的機関に助けを求めさせることをせず、依存させたのは自分だというのに、ふと、同情しそうになってしまった。「…ごめん」眠っていて、視線が合わないことはわかっているのに、何故か顔を見れない。届かない謝罪が、ぽつりと部屋の中に響いた。 おしまい!
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otoha-moka · 5 years
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病床本丸のまんばくんと監査官さん
※刀剣破壊?描写あり(創作病気ネタ)※原作ゲームより遅いスピード感(まんばの極実装から数年経って聚楽第任務)※ちょぎくに※いつも通り人を選ぶ 「…また来たのか」「監査が仕事だからね」そう言って誰に断るでもなく国広の隣に深くフードを被った青年が座る。「…こんなところで監査か?」
「こんなところでも、本丸に登録されているんだよ」季節は秋、けれど縁側から見える紅葉は葉もつけていない。それもそのはずだ。本丸の土地はその主、審神者の霊力に拠るところが大きいのだから。黙り込んだままの国広に、耐えきれないと溜息をつき、青年、もとい長義はフードをとり仮面を外した。
しっかりと上げていた髪もくしゃりと手で梳いて崩してしまう。あまり堅苦しいのは趣味じゃない。もう一度溜息をつく。全くやってられない。縁側は相変わらず殺風景極まりないというのに、己が写しはいつもそこにいる。なんてことはない。この馬鹿は、来ない主の帰りを待っているのだ。
長義が初めてこの本丸に赴いた時、すでに主はおらず、極めた写しのみがそこにいた。「特別任務があるんだけど」「…すまない、ここにはもう、俺しかいない。主も不在で、本丸解体の許可も降りていない…任務の達成は困難だ」帰ってくれ、と言う国広の言葉に、長義は訝しげに眉を寄せた。
ほかの刀は、と尋ねれば、そこに、と国広は庭の一角を指す。土が盛られ、木の枝なんかを使った、いかにもな手作りの墓だった。主は、と次に尋ねれば、国広は静かに首を横に振る。考えうることを考えて、ひとつ仮説を思いついた。「…本丸襲撃にでも?」もしそうだとしたら、さすがに気の毒だ。
そう思えば、国広はそれにも首を横に振った。たしかに、あちこちぼろぼろの本丸ではあるが、襲撃を受け一振のみ残ったと考えるなら綺麗すぎる。そうして考えあぐねる長義に対し、国広は「…最初は千代金丸だった。熱を出して、しばらくしたら、本体から鉄の破片のようなものが…」と話を始めた。
聞けば話はこうだった。国広が修行を終えて、さらに少し月日が流れた頃、突然千代金丸が倒れた。はじめは疲れが溜まったのだろうと言っていた。事実、千代金丸はしばらく寝て、目を覚ました時には特に異常はなかった。けれど、その数日後、またも彼は倒れてしまった。
今度は戦場での出来事で、慌てて帰還し看病にあたった。審神者を勿論手を尽くしたけれど、今度は熱は下がらなかった。そこで、審神者は現世での治療を探すため、政府の元へ行くことを決め、本丸を離れることにしたのだという。しかし、その後主が戻ることはなく、千代金丸の熱も下がることがなかった。
次第に、まるで刃が溶けだすように、ぽたりぽたりと鉄が零れるようになった。そして、そのまま、本丸にいながらにして、彼は”破壊”されたのだという。鉄の破片を見た時あたりから、いよいよマズいと誰もが直感していた。そんな最中、次に同じ症状を示したのは南泉一文字だったという。
「…じゃあ、猫殺しくんの、も?」「猫…ああ…南泉か。…あれだ」国広は迷わず土が盛られ十字に木を束ねたところのひとつを指を指す。自分のよく知る政府で働く南泉はからかえば響く、あの姿の彼だ。だから、物言わぬ刀だったものが地中にあることには違和感があった。
一振り、また一振り、と、何も解決策が見当たらないまま、主不在の本丸に生存している刀はどんどん減っていった。薬研が診るには、主の霊力枯渇で免疫力の落ちた刀剣からかかりやすい、なんらかの伝染病なのではないかという見立てだった。半ば閉鎖された空間だからか、伝染病の類は特に感染しやすい。
短い期間で大勢倒れたわけではない、だが、少しずつ減っていく仲間たちの数に、危機感は覚えたが、止める術も持たない。八方塞がりだった。 「それで、最後に残ったのが初期刀であるお前というわけだ」「…そうだ」「…仕事だからね。お前に思うところはあれど、恨みはないことははじめに断っておく」
「報告なりなんなり、すればいい」どうせ、今の自分に出来ることもない。そう言おうと国広は口を開いて、まるで何も知らない長義に当たるような態度だと思い直し言葉を詰まらせた。「…もし、主に会ったのなら」「うん?」「主を、見つけられたのなら、どうかこのことは言わないでほしい」
「…このこと、って」「俺以外の皆がもうこの本丸にいないこと。俺がここにいること。その全てを…もう、主不在になったのは何年も前だが…一応、な」「…約束は、しないでおくよ」そう言って、初めて長義が本丸に来たその日に、長義は特別任務について何か話すということもなく、早々に本丸を出た。
もちろん、本丸の件については政府に報告をした。政府役員の新人と思われる若い男性は戸惑っていたが、彼の上司にあたる人物は驚く様子もなく、少し考え込んで、それから長義に何かのワクチンを打つようにと命じ、定期報告を任務とするようにと伝えた。
「…ワクチン?」「ああ、いや…放置本丸は衛生状態があまりよくないことが多いから、一応ね」「へえ…そう、”一応”、納得したことにしておいてあげるよ」と、そんな会話を経て、長義は二度、三度と、件の、自分の写し以外いない本丸へと、否応なしにおとずれることになった。
そうして、今日は4回目の訪問だった。相変わらず、閑古鳥すら鳴かない、しんと静まり返った本丸だ。門を叩いてみても反応はなく、まあいいかと無断でくぐる。長義が国広を探して本丸を彷徨いていると、ふと、何かが香った。「…そこにいるのか?」言いながら香りを辿った部屋を開ける。
開け放った部屋は無人だった。一人用の部屋の思われる部屋には、甘い香りのする香が炊かれていて、それ以外には簡素な文机と、敷きっぱなしの布団があった。丁寧に畳まれた単衣が枕元にあり、それから、かけてある刀は山姥切国広だった。
「…偽物くんの、部屋?」生活感のある部屋なんて、この本丸にはきっとひとつしかない。「でも、こんな甘い香り好むか?」ひとりそう呟いて、部屋を見回す。普通の部屋だ。長義くんは、そうして発見した半開きになっていた文机の引き出しを、良くないとは思いつつも、好奇心には勝てず開けてしまった。
中には、文を書くための一式が揃っている。便箋はいくつか使われていた。隣にある小さなゴミ箱をみれば、そこにあったのは丸められた手紙…だったものがいくつも捨てられている。書き損じでもしたのだろうか。長義がクシャクシャに丸まったそれのひとつをを開いてみると、
そこには『主へ』という文字から始まる手紙があった。手紙の中身は、どれも自分たちはまだ大丈夫だから、であるとか、今日は誰と何をした、であるとか、そんなささやかな内容と、自分たちの無事を伝える内容、主を気遣うような文面だけで、決してこの本丸で起きたことだと語ってみせた内容ではない。
「…これ、結局出したのかな」その問いに答える者はおらず、長義は文机の引き出しを閉め、元あったように痕跡を消して部屋を出た。 国広はその後すぐに見つかった。うっかり池に落ちてしまって、服を乾かしていたのだという。
夏だからマシだった、と言う国広に、長義は手紙のことについて聞くことなど叶わず、ただ、ぼうっとしているからだ、と軽く頭を小突いた。もう頭からは被っていない布に隠れていない右腕をあげ、額をおさえ、少し拗ねるような声で「痛い」と小さく零す国広に、長義は思わず笑ってしまった。
その時の次の訪問が、今日だったというわけだ。この本丸の監査、もっといえば、国広の様子を確認することが長義に課せられていた使命だった。だから、ぐるりと本丸をまわって、前回との違いを記録する(違いなどないが)。それから、国広を探して、変わりはないか聞く。
まるで診察のようだと思う。思って、訪問命令を出されたとき、同時に何かのワクチンだと打たれた注射のことを思い出し、思いすごしだと頭を振った。 「そういえば、お前、寒いのか?」「…なぜ?」「袖、おろしているから」通常、国広は袖を肘の辺りまで捲っている。そう、ちょうど自分と同じように。
国広は嘘が下手だ。口ではああだこうだと言えるが、真っ直ぐに向けられた瞳が揺れるから、すぐにわかってしまう。そんな雄弁な瞳が気まずそうに逸らされた。先日池に落ちたと言っていたし、風邪でも引いているんだろうか、そう考えるも、国広は先程から咳をする様子もないし、
ほかにも、典型的な風邪の諸症状のようなものはみられないような気がする。ずっと縁側にいるから判断しにくいが、恐らくふらついたりもしていないように見える。「…何か、隠しているね?」「違…、」そう言う国広が、分かりやすく、普段布に隠されている方の腕を後ろに隠そうとする。
長義はそれを見逃さず、すかさず掴みあげた。「や、め…っ!」「何も無いなら、見せられるはずだろう」振りほどかれないよう強く掴んだため、国広は痛みに僅かに表情を歪ませる。長義は、それには構わず、無理矢理掴んだその腕の袖を、思い切り捲りあげた。「…これは、」
驚き目を見開く長義に、国広は、まるで悪いことがバレた子供のように気まずそうに、罪悪感でたくさんになったように、目を伏せる。国広の手首よりも少し上の辺りまで、焦げたように黒ずんでいるのが、はっきりと長義の目に映っていた。
どうして隠していた、とは言えない。長義自身、はじめに”自分には報告義務がある”と言ってしまっていた。国広はそれを了承していた。長義としても、コソコソと嗅ぎ回るようなのは趣味じゃないし、それはそれで納得した、後悔などない行動だった。けれど、失敗だったかもしれない、とは思う。
国広のことだ、もしもこれがバレたら?報告次第で自分が政府命令での刀解処分になったら?どこからか探し出された主が処罰を受けたら?こいつが考えそうなことなんてそんなところだろう、というところまで思いついて、長義はここへ訪れるようになって何度目かの溜息をつく。面倒なことになった。
「…熱も、あるな」「…」「いつから」「…」国広は初期刀だ。けれど、だからといって、付喪神としてはなにも特別なんかじゃない。ほかの刀剣となにも変わらない。それならば、ほかの刀剣が失われたように、国広だって失われてしまうことは、なにも不思議なことじゃない。黙ったままの国広に、
仕方なしに質問を変える。「…これは職務質問だ、協力を要請する。最後のお前の仲間が破壊されて、何日だ」「……、お前が来る、5日前」僅か5日前。なぜ、彼が何年もひとり、ずっとここで待っているなんて思っていたのだろうか。強く掴んだため、脆くなった表皮が、ぱらぱらと黒い欠片を落としていた。
「…刀身崩壊症?」「俺達はそう呼んでる。直接その患者を診たわけじゃないから保証は出来ないが、旦那の言い分から察するに、恐らくこれだ」そう言いながら、国立の総合病院、そこに隠された時の政府用、もっといえば、時の政府が刀剣用に設立した病院に勤めている薬研は、
タブレット端末を操作し、長義に見せる。”刀身崩壊症”と見出しのついた政府運営のサイトだった。小見出しで、さらにいくつかの種類に分類されている。薬研はとん、とタブレットの一点を指し、話を続ける。「ついこの前まで難病指定になっててな。感染率も高けりゃ致死率も高い、
刀剣男士のみが罹患する病気だ。今は…っと、なんだ、旦那これの予防接種を受けてるじゃあないか。これ、最近急に研究が進んでな、旦那が受けた予防接種も、丁度今年、認可を受けた」「…じゃあ、治るのかな」「それは…俺には、答えられねえな。
医者として、そういう部分で不確実なことをいうわけにはいかない」「それもそうか…いや、いいよ。語りえぬものは沈黙せよ、というしね。相談に乗ってくれてありがとう」「もしできるなら、そっちの山姥切の旦那も連れてきてみてくれや。専門のやつを紹介できるようにはしておこう」
長義が礼を言って部屋を出てみると、目の前に南泉が待ち伏せていた。眠そうに欠伸をしていたのに、長義の姿を認めるなり、じとっとした目で長義のことを見つめてくる。長義に用があるのは間違いなさそうだった。目の前にいられては、声をかけざるを得ない。長義は軽く右手を上げて、南泉に近づいた。
「やあ猫殺しくん、何か…」「…さっき見かけたとき、様子が少しおかしかった、にゃ」「は?」今更なにを遠慮しているのか、と疑問に思う長義を見て、南泉は難しい顔をしてうー、と唸った。さっき見かけた時、たしかにすれ違いはしたけれど、それだけだった。急いでいたから。
そんなに顔に焦燥でも出ていただろうか。頭を軽くかいて、南泉はもう一度長義を見つめ、それから続けた。「ついでに…今も変な顔してる」「…変な顔だなんて失礼な」「お前の普段のオレへの態度に比べたら可愛いもんにゃ!…ったく…で、なんかあったんだろ?」「…なにか、ね」
言うべきだろうか、言わないべきだろうか。しばらく考えて、長義は無言で南泉の手を掴み、そのまま引っぱって病気の出口へと歩き出した。「え、おま、ちょ…っ」「少し、人のいないところに行こう。話がある…どうせ暇だろう?」「…だからお前、そういう態度、にゃ!」戸惑う南泉をよそに、
長義は迷いなく歩を進める。しばらく抵抗しようとして、結局諦めた南泉は、分かりやすく聞こえるように大きく息をついた。「はあ…ハーゲンダッツで手を打ってやる」「はは、時間に比べれば安い買い物だね」向かう先は資料室の方だ。 結局、ハーゲンダッツだけでなく飲み物も長義持ちとなった。
売店で売られているものを適当に買い、資料室近くの会議室に入る。長義は考える間もなく扉に手を翳し、政府の認証システムで鍵をかけ、「さあ座って」と南泉を椅子に座るよう促した。南泉はというと、「公私混同…」などと長義を疎んだ目で睨みつけたが、
なに食わぬ顔をした長義が「はい、約束の品。溶けないうちにどうぞ」とアイスを取り出すので、諦めて渋々促された椅子に座り、売店で付けてもらった木製のスプーンの袋を破った。 「椿5763本丸…?それって…」「そう、今俺が監査対象にしている本丸だよ」
「つまり、お前の監査対象になった本丸の主を調べろ、ってぇ?」長義の話は宣言通りの長話で、守秘義務もへったくれもないものだった。あけすけに自らの監査内容、命令を語る長義に、初めこそ呆れたものの、話を聞くうちに、何やら事態は思ったよりも深刻らしいことが伝わる。
それはそうだ、長義は確かに我が道というか、天上天下唯我独尊のようなところが見られるが、仕事は決して疎かにしない。…というのが時の政府公安部第二課に所属している南泉の、同じく時の政府の監査科に所属するこの長義に対する評価だった。
だから本来必要も無いのにぺらぺらと仕事のことを話したりはしないはずだ。話終えると、次に長義は「登録番号椿5763の本丸の主について、少し調べて見てはくれないか」と依頼までしてきた。「主の謀反ってところか、にゃ」「いいや、違う。どちらかと言えば、”ここ”の話」
南泉の予測に長義は首を振って、自らの左腕を指さす。南泉は何が何だかといった様子で眉を顰めた。「…にゃ、お前の腕?いけ好かない奴だけど、その点は信用してるぜ?」「それはどうも。でも今回はそうじゃなくてね、あの本丸に通うよう命じられた時に、俺は刀身崩壊症の予防接種を受けているんだよ。
感染症などの特定はなかった本丸で、難病指定にあったとはいえ、目立った流行もないこの病を、なぜあの職員は特定出来たんだろうね?」「ははーん、なるほど、にゃ。…わかった、引き受けてやる、にゃ。
ただし、今度焼肉奢れよ!」「ええ…もうアイス奢っただろう?」「お前のいうところの安い買い物に見合わない仕事なんだよ」「仕方ないなあ、食べ放題ならいいか。成果、期待して待ってるよ」 翌日。長義は監査対象本丸、国広だけがいる本丸へと赴いた。
今日は日取りでは訪問しなければならない日ではなかったが、薬研の言葉を伝える必要が���ると判断したためだった。「…政府所属の監査官だが」相変わらず、静まり返った本丸は、生きた気配がほとんどない。これだけ広い場所に、国広しかいないのだから当然だろう。
そして、国広が訪問者に対して少し反応が鈍いところはよく知っている。思えばこれも、熱があったから、そのせいなのかもしれない。…池に落ちたと言っていたのも、もしかしたら。そんなことを考えながら、縁側の方を目指す。国広の定位置だ。見つけた、と思った国広からは、やたらと甘い香りと共に、
煤けた戦場のにおいがした。「…偽、物くん?」「…ああ、長義か。前回来てからあまり間が空いてないようだが…何かあったのか?」「いや…」見れば、いつもは開けているジャージの上のほうまで、彼の脇差の方の兄弟のようにきちんと閉めている。思ったよりも、猶予はあまりないのかもしれない。
間に合うかどうかは分からないと言っていた薬研を思い出す。言わなければ。「…国広。聞いてほしいことがある…お前に関わる、重要な話だ」
※創作病名の名の通り、刀本体もキャラもあまりいい思いをしません。ここから先ちょっと描写注意。(最初言った通り話としては死ネタです) 「…長義、お前が何を思ってかは知らないが、俺を助けようと、この病を治そうとしてくれていることはわかった…だが…」「…手遅れ、だとでも?
そんなの、検査してみないと…」「…俺の部屋に入っただろう?少し開けていた引き出しがしまっていたからな。…ならば、その時に”刀(俺)”を見たんじゃないか」「…お前?」たしかに、山姥切国広がかけてあったのを見た。けれど、しっかりと確認まではしていなかったように思う。
あのときは、たしか、別のことに気を取られていて…弾けるように立ち上がり、長義の足は国広の部屋へと駆けた。なにも遠慮はなく、勢い任せに戸を開く。国広はついてくる様子はない。「…刀、に何が…」掴んだ刀は鞘におさめられている。そっと少し抜き出して、すぐに気がついた。
ぼろ、と何かが落ちた気がする。このまま刀を抜くのが怖くなって、長義は思わず鞘にしまい込む。この刀はもう、刀工の最高傑作としての形を成すことが困難になっていた。「…そん、な」ここまでの状態で、国広はなぜ人の身を保っていられるのだろうか。お守り?そんなはずはない。
これは戦ではなく、彼らは正確には”破壊”ではなく、刀剣に有るまじき死、”病死”だ。 縁側に戻った長義が国広に物言いたげな視線を寄越すと、国広はなんでもないように「見てきたのか」と告げる。「見てきたけど…お前、あれは…」「ああ、刀としては、俺はとうに助からない。
…ところで、お前は実戦部隊で隊長をつとめたことは?」「ある、あるよ…でもそれに、何の関係が」「簡単な話だ、近侍の命を解かれたならば、その瞬間、俺は破壊される。主の霊力の枯渇による自動解任でも、同様だが…早いか遅いかの違いだ」主不在の本丸は登録解除とならないが、刀剣数0の本丸は自動
で本丸登録を解除されてしまう。主戦力は刀剣達だからだ。戦力外の本丸はいらない、ということになる。だからこそ、部隊長だけは帰還できるように時間跳躍のシステムは作られている。「…お前は、主に帰ってこなくていいと言ってくれと言いつつ、なぜ主を待つんだよ」「…俺が、主のための刀だからだ」
国広を連れ出せなかった。長義の頭の中は、本丸から戻ってもその事でいっぱいだった。2日後、定期報告書を作成しながら次の手はないかと考える。あいつは、もう主が帰ってくるだなんて思っちゃいない。来るなと言ったのは仲間の死を、もう間に合わない自分を、主に見せたくはないからだ。
…あいつは、最初から主を待ってなどいない。主の霊力が完全に途絶えるのを、仲間達と共に、いや、仲間達の墓守として終わるのを待っているのだ…”主のための刀”として。近侍を命じられた状態で主がいなくなったから、最後まで近侍のして命を果たそうというのだ。
健気、といえば聞こえがいいが、長義にしてみればただひたすらに頑固、としか評しようがなかった。「くそっ…どうすればいいんだ、どうすれば…」「おい、山姥切!」「…え、あ…何、かな」「ずっと呼んでたのに気付かねえから…」長義が呼ばれたのに気づいてふと顔を上げると、
しかめっ面の南泉が立っていた。どうやらずっと呼んでいたらしく、長義は考え事をしていたと弁明する。南泉は「まあいいけどよ…」と長義を一瞥し、小声で耳打ちした。「…ここじゃだめだ、向こう行く、にゃ」
南泉が長義に先だって向かった場所は、資料室近くの会議室だった。南泉は政府職員用の認証システムを使用し、セキュリティレベルを最大にまであげる。長義が「公私混同だね」と呟くと「お前もやってたろ」と短く返された。互いにむかいの席に座るなり、南泉は早速本題、とばかりに話を始める。
「…まず、例の本丸と主について、いくつかわかったことがある、にゃ。これに調査資料はつっこんでる。…わかってると思うけど、私用の端末使えよ」そういって、端末用のチップを南泉は投げる。受け取った長義が明かりにそれを透かしてみせた。「…早かったね」「お前が急いでそうだったから、にゃ。
端的に調査内容を報告する。…まず、例の本丸の主は、1年前に亡くなってる…もともと身体があまり強くなかったらしい。最終的な死因は肺炎、にゃ。そんで、あの本丸についてだけど、お前の思った通りのことになってたぜ」「…サンプリング、かな」
「多分。順番としてはこう…まず、本丸内に刀身崩壊症に罹患した刀剣があらわれる」「…あいつは、千代金丸だったと言っていたな…それから次に…」「…、別に、オレは気にしねえよ。ここにいるオレ自身じゃねえし」「…そう」次が、南泉だったと言っていた。目の前の南泉にそれを伝えるのは憚られる。
南泉の方は察したらしく、長義に気遣うように声をかけ、本題に戻すぞ、とすぐに話題を変える。「それから、主は政府に報告したんだ。原因不明の状態で、本丸の刀剣が重傷…いや、重症の状態だ、と…それで、あの本丸は観察対象になった」この病気は、
ついこの前まで難病指定になっていたものだと薬研は語っていた。最近になって急に研究が進み、治るものになった、とも。「発症率もさほど高くない病気なのは?」「感染はしても、主の霊力が免疫のはたらきをするから、主が本丸に居続ければ発症しにくいんだよ…最初がオレや千代だったのは、その当時、
1番顕現が短い、つまり主からの霊力供給量が少ないからだろう、にゃ。まあとにかく、主はそれで本丸の任をとかれた。記録は断片的にしか残ってないから、細かい所まではわからなかったが…何十年経ったもんでもないから…誰かが消したな」
「ならば、おかしいだろう。あいつは、本丸自体は存続していると…」「お前から聞いてる。だから、ここからは調査報告じゃなく、オレの仮説になる…にゃ…あんま、こういうのには自信はねえけど…」「…いいよ、お前の見解を聞きたい」長義が促すと、迷ったように視線を動かしていた南泉は口を開いた。
南泉の仮説は納得のいくものだった。南泉の所属する第二課は、もともと監査の調査報告やその他機密文書の管理等を取り扱う課だから、こういうのは得意中の得意だろう。だからこそ、長義は南泉に依頼したのだ。渡された調査報告を確認しながら、長義は悪い事をさせたな、とひとり考える。
南泉はおそらく、持ち出し厳禁のものであるとか、そもそもアクセスを禁じられているようなところからこれらの情報を持ち出したに違いない。長義はそれも分かっていて南泉に依頼したし、南泉もあの様子ならば分かっていて引き受けた。それでも、一方的に巻き込んでしまったのは長義だった。
「…まあ、猫殺しくんなら上手くやるか」そうは言っても、過ぎたことは仕方がないし、やってしまったことは仕方がない。南泉なら何とかするだろうと結論付けて、長義は渡された調査報告に集中した。
南泉の見解の通り、恐らく、こういうことだろう。主は政府の元へ病状報告をした、政府はこの危険な病で戦力を削ぐわけには行かないから、主には自身の刀剣達を優先的に診ることを約束し、審神者としての職務を解任させる、
その際、何らかの方法で審神者がそのまま微弱な霊力を本丸に流し続けられるような仕組みにした。だから、緩やかにあの本丸の刀剣達は朽ちていった。そして、間に合わなかったのだ。予防接種の認可は今年といっていた。主が亡くなったのは去年だし、
国広もすぐに仲間の数が減っていったのではないと言っていた、そのうえで、最後の仲間は5日前だとも。恐らく、最後の仲間は初鍛刀あたり、彼らの発症は主の死後、霊力の供給が止まってからだ。その直後に、ワクチンがでたのなら?あの弱った本丸は、戦力外として、文字通り見捨てられたのだ。
助かるとはあまり思えない。けれど、何もせずに終わらせたくはなかった。あいつが行かないならせめてこちらで誰かを連れていけばいいのではないか、と次に長義が起こした行動は、知り合いの、信用のおける刀剣への依頼だった。南泉の時とは異なり、さすがに全てを話すわけにはいかないが、
ぼかして国広の状況を伝えると、石切丸は驚いた、と表情を変えて、しばし考え込む。そして、言いにくそうに口を開いた。「加持祈祷でも何でも、出来ることなら引き受けよう…けれど、私の専門は…病魔を切るために一番必要なものは、当事者の治したいという意志だよ」「あいつに、その意志はないと?」
「…それは、君が一番よく知っているんじゃないかな」石切丸は、長義の言葉に、言葉を選ぶようにそう告げた。「あいつの、意志…」そう呟いて俯いてしまう長義に、石切丸はなるべく優しい声色を作り、困ったように微笑んだ。「それでも良ければいつでも声をかけてくれ」
次に長義が行った場所は、最近南泉と同じ課に配属された白山だった。事情を話すと、「…南泉一文字が最近色々と調べていたのはそのことだったのですね」と納得したように答える。「あいつ…バレてるじゃないか」「いえ…これは偶然で…恐らく知っているのはわたくしだけかと」「…それでそのことは?」
「誰にも報告してません。…第一課の鯰尾藤四郎が以前、男には秘密がひとつふたつある方が輝くんだよ!と言っていたので、報告しない方が南泉一文字は輝くのだろう、とそう判断し、視界から外しました」「…よくわからないけど、黙っててくれたんだね、ありがとう」
「…?感謝をされることはしていませんが」疑問符を浮かべた白山に対して、長義は構わず、それで、と話を始めた。 「構いませんが…わたくしの持つ治癒は、あくまで”重傷”への効果…病に…それも、そのような特殊なものに、効果があるかは…」「…だよね、そう聞いてる。」掻い摘んだ話でも
実状をある程度理解してくれた白山は、石切丸とは違い、眉ひとつ動かしはしないものの、極めて真剣に、石切丸と同じように考え込んで、似たような答えを導き出した。「それに…病の治癒ならば、病院施設が最も確実性が高いはず」難しいのか、と尋ねる白山に、
治す意志がないと効果は期待出来ないかもしれないと告げる石切丸の言葉が重なった。そうだ、あいつは治そうとも思っていないんだ。もう間に合わないから、自分は本丸を不在にしたくないから。長義が項垂れると、白山は南泉を呼ぶかと尋ねる。長義はそれに首を横に振って、礼を伝えるとその場を離れた。
「…というわけだ、薬研」「って言われてもなあ、俺だって何でも治せるというわけじゃあない。言ったろ?治せるかどうかは病気の進行にもよるって」「ああ、わかってる。そのうえで、頼んでいるんだよ」「…あまり長い時間はいられない。向こうで大きな治療はできない、それでもいいなら時間を作る
…旦那が頭下げるなんて、滅多にないからな」結局、長義が最後に向かったのは、最初に国広について話をした病院だった。その一室にいる薬研を捕まえて、その後について話す。薬研も言葉を選んでいるが、長義には伝わった。もう、国広は助からない所まできているのだ。そんなのは
、刀本体や身体をみればわかっていた。そして、国広自身もそのつもりだ。そのうえで、診てほしいと長義は薬研に頼んだ。これは、長義のわがままで、利己的な願いだった。「時間は明日…手続きとか面倒だから、少し刀に戻っていてくれ。俺が隠していく」「ははっ、短刀はこういう時にいいな」
そうからっとした雰囲気で笑う薬研に、長義は待ち合わせ場所として人目があまりない裏門近くの茂みを指定した。
思ったよりも大荷物を持ってきた薬研を懐に隠して荷物を手に持つ。「…重い」「短刀の俺が持てる荷物だ、旦那、書類仕事ばっかりで体なまってるんじゃないか?」「トレーニングは欠かしてないよ、そんなことになったら山姥切の名折れだからね」懐にある刀と会話をしながらゲートへ向かうのは
何だか不思議な気分だった。一応小声で会話しているが、傍目から見たら独り言のように聞こえるかもしれない。それは嫌だな、と長義はぼんやり考える。ゲートまではすぐそこだった。手をかざして門を開く。「…それじゃあ、行こうか」長義はそう合図すると一歩踏み出す。ぐにゃりと世界が歪み、
思わず目を閉じる。慣れた感覚だ。そうして気付くと、何度も通っている本丸の前までやってきていた。 「…ついたよ」そう言って長義が短刀を取り出すと、それを媒介にして薬研が顕れる。薬研は大きく伸びをして、本丸の門を見た。「…あれが、例の?」「ああ」本丸の門の方を指して尋ねる薬研に、
長義は短く肯定する。なにかを言うまでもなく、薬研は長義に持たせていた荷物を手に持ち、「…確かにこれは重すぎたな」と呟いてから、迷いなく門をくぐる。長義はといえば、急に軽くなった体に気を取られ、薬研の後ろを着いていくように門をくぐることになってしまった。
「とはいえ、勇んで入ったはいいが、俺はこの本丸の構造知らないんだよな。奴さんの部屋は?」「部屋よりも…多分、縁側の方。いつもそこにいたから」「…本当か?刀身崩壊症はかなりの高熱と痛みを伴うから、そんな風当たりのいい所、避けそうなもんだがな」「物好きなんだろう」
縁側は本丸の門からは最も遠いところに位置している。他の本丸は必ずしもそうではないけど、この本丸はそういう造りをしていた。廊下を歩きながら、薬研となんとはなしにこの本丸について話す。いつもより少し早く定位置に着けるような気がした。「次はどっち曲がるんだ?」「そこの角を右に…、ッ!」
曲がったらすぐのところ、と言おうとして、目に入った光景に固まってしまった。続いて薬研もその光景を目にし、「何…ッ」と零すと、荷物を放り出して駆け足になった。国広が倒れていた。意識は混濁していて、薬研が何度も声をかけても意味のない言葉が僅かに漏れるだけで、
すぐに糸が切れるように意識が途切れた。「おい、水と、それから…まあいいその荷物の中にあるAってある箱全部投げてくれ!」「…っ、ああ」その様子を、ぼうっと見ているしか出来なかった長義に、薬研は声を上げる。すぐに我に返って、薬研の荷物からAと書かれている箱を取り出し、廊下を滑らせた。
「この場で何かするわけにもいかねえな、とりあえず冷やすだけ冷やして…っと、部屋は?!」「さっき通ったところ、入ってすぐの左側だ!そいつは俺が運ぶ、薬研は何か準備があるなら先に行っててくれ!」そう言うと、薬研は「頼んだ!」と言うやいなや、素早く荷物を持って来た道を走っていく。
長義も早く行こうと、国広を抱きかかえた。わかってはいたが、健全な成体の男性が持つ重さではない。それどころか、ちらりと見えた服の中、肩の辺りまですっかりと黒ずんでいる。少し触れた肌は異様に熱く、いつから、と考えそうになって、長義はその考えを振り払うように頭を振る。
今はそんなことを考えている場合ではない。薬研のところまでいかなければ。なるべく揺らさないように慎重に、けれどなるべく急いで、長義も来た道を戻り始めた。
「…あまり非医学的なことは言いたくはねえが、こりゃあこの山姥切の旦那、気合いだけで持ってると言っても過言じゃないな。本来ならここまで進行してたら、人の身は保てなくなる」部屋に連れ帰って、敷きっぱなしの布団に寝かせる。応急処置を施した後、薬研が国広を一通り診た。
長いような短いような時間が経ち、薬研は息をついて、長義にそう答える。「それじゃあ、やっぱり…」「ああ、はっきり言う…助からない」薬研の言葉はどこまでも真っ直ぐに長義を突き刺した。わかってはいた、自分もそのつもりだった。けれど、はっきり言われることでのショックはある。
「…そう」「さっきも言ったが、酷い高熱と酷い痛みを伴う病気なんだ。なにせ、刀本体ごと、自分が崩壊する病だから。だから、今は鎮静剤を打ってある…が、痛みを軽減することと病を治すことは当然別物だ」「…わかってる。ねえ、薬研…ここまで進行するのに、平均的にどのくらいの時間がかかる?
こいつは、いつからその”人の身を保てないはず”の状態だった?」「主不在の本丸での資料は…いや、旦那が知りたいのはそうじゃあないな」薬研は長義の問に資料をパラパラと捲りながら答えようとして、はた、と手を止める。それから、うーん、と腕を組んで唸り、「確証はないが…」と続けた。
「恐らく、3度目に本丸に訪れた時、その時には、もう限界だったと思う」「もう、結構前のことじゃないか…全く、頑固なやつ」言いながら、汗ばむ国広の長めの前髪をそっと避けてやる。まだ熱いが、先程よりは呼吸は落ち着いている。鎮静剤が効いたのだろうか。
けれど、それは国広を今の状態から根本的に回復させるものではない。もっと早くに気付いていれば?そういった後悔は山ほどある。時間の前には、あまりにも無力だった。「…ちょ、うぎ?」それからさらにしばらくして、国広の瞼が重たげ持ち上げられる。すぐに視界に入った長義の名を掠れた声で呼んだ。
「…っ、ああ、やっと気がついた、お前縁側の方で倒れて、」「…なんで、あんたが泣きそうになってるんだ」「なっ…」「よう、この俺とは初めましてだな、政府の持つ病院勤務の薬研だ。気がついたようで何より」国広を覗き込むようにしながら、思わず早口になる長義に国広は僅かに腕を持ち上げる。
思うように動かないのか、その手は結局途中で下ろされてしまった。国広の言葉に、長義が言い返そうとしたもころで、薬研が間に割って入った。「薬研、も…すまな、ここの薬研は…」「病気は誰のせいでもない、気にすんな。それに、この俺っちはこの通り生きてる、な?」国広は薬研の姿を認めると、
申し訳なさそうに目を伏せる。薬研の方は、国広の言葉を受けて、長義に対して南泉が言ったような言葉を言い聞かせるように続けて、安心させるように笑顔を作った。国広から返事を貰うと、さて、と薬研は国広に向き直る。国広も起き上がることが出来るようになったらしく、ゆっくり体を起こした。
「最初に謝るが、こっちの山姥切の旦那の依頼で、��手に体の方を診させてもらった…結論をいうが、」「…構わない。どうせもう朽ちる身だ、最初からわかっていた」「…でも、出来ることはしてやりたいんだ、医者として長らく働いてると、命を奪う刀にも命を救いあげたいという感情が芽生えるらしい」
容態の説明から、何をどう診たのか、どんな処置を施したのか、そういったことを薬研は簡潔に語っていく。国広の方も静かにそれを聞いて、たまに相槌を打っていた。「…そうか、道理で身体が軽い」最後まで聞いて、納得したように国広は薬研にそう返す。鎮静剤の効果はかなり確かなものらしい、
と穏やかな様子の国広に長義は考えた。「…それと、俺からも」一通り話し終えただろう薬研に、長義の方も進言する。国広は何を言われるのか分からないようで、長義を見て小首を傾げた。「お前の本丸と、主のことだよ」「…主、の」長義の言葉を国広は確かめるようにたどたどしく繰り返す。
「ああ、酷な話だけど、お前の主は1年前に…」「長義、その話…あと3日、待ってくれないか」何を言われるかなど、分からないはずがない。けれど、国広はそういって、長義の言葉を制止した。どうしてでも今言わなければならないことではない。長義も納得して「わかった」と話をやめた。
「…それから、長義。これは俺のわがままだから、無理にとは言わない」「…いくらなんでも聞く前から無理とは言わないよ」「…あと3日、この本丸にいてはくれないだろうか」断る理由は、長義には見当たらなかった。
(毎度ほんと長くてすみません、あともう少しなので良ければお付き合い下さい) 「それで、俺はなにをすればいい?」薬研は国広に、3日分の鎮静剤をはじめとするいくつかの薬と、それから呼べばすぐに来るから、と言って連絡先を寄越したらしかった。連れてきた時に1人だったから、
一旦長義ごとゲートをくぐり、長義は本丸までトンボ帰りする。ふたりになった本丸の自室で、長義の帰りを待っていた国広に、長義はそう訊ねた。「…特別な何かが欲しいわけじゃない…ただ、お前のいる本丸というのを感じてみたかった」縁側に行きたい、という国広を立たせる。
背負う?抱きかかえてもいいけど、と言えば、途端に真っ赤になった国広は、もう歩けるから!と断った。縁側までの道を、引き摺るように歩く国広に歩調を合わせながら辿る。そのさなか、先程の答えなのか、ぽつりと国広が呟いた。そんなこと?長義がそう言おうとしたのが顔に出ていたのか、
国広は布を被っていた時の癖なのか、顔を下に向けて逸らし、手を持ち上げようとして下げた。「…迷惑、だろうか」「別に…それに、ここはひとりには広すぎる、とは思ってた」ついた縁側は、相も変わらず枯れた木々が殺風景な雰囲気を出していた。
「…南泉とは知り合いなんだろう?…見知った相手なら、会わせてやれれば…」「はは、あいつの事だから、お前にだけは絶対会いたくなかったとか言うよ」「…そうか」縁側からすぐに見えるのは数多ある手作りの墓だ。今にして思えば、国広はどうしてでもこれを見ていたかったんじゃないかと思う。
とはいっても、体を冷やすわけには行かないので、長義は自らのストールを国広にかけてやる。ついでに、先程見つけた厨から茶器を持ち出して、政府に戻った際持ってきた茶葉(とはいえティーバッグだが)を入れてお湯を注ぐ。国広に渡せば、きょとんとした目で長義と茶を交互に見つめた。
「お前が茶を淹れるとは思わなかった」「俺をなんだと思ってるのかな」「…山姥切長義だろう」「そういう意味じゃない」「…お前のいうことは難しい」「お前よりは平易なつもりだよ」言えば、そうだろうか、と考え出す国広に、これ以上付き合っても仕方がない、と長義は何でもない話に話題を逸らした。
「隣の部屋を使ってくれ」「隣?」「…主のいた部屋、だった。掃除はできる範囲でしていたから…少し、足りないと思うが、そこまで汚くもない…と思う」そういえば、この国広は近侍だったと言っていたな、と思い出した。
隣の部屋と言っても、中で繋がっている続き間で、廊下に出なくても行き来が可能になっているものだ。開けて確認してみるが、荷物が少ないこともあり、軽く見積っても1-2週間掃除をしていない程度と言った程度で、そこまで酷くは感じない。「構わないけど…戸はあけておいていい?」「…戸?」
「ああ、夜中に何かあったらすぐに気が付けるように」「…今までひとりでもやっていけた」「ふたりいるんだから、より効率的になるべきだよ」言いながら、長義は押し入れを開けて布団を敷きだす。頼ってくれ、とは言えなかった。言ってしまえば、国広は尻込みして頑なになってしまうだろうから。
手伝おうとした国広を止めて、もう一度、効率のために戸は開けるようにと説得した。はじめこそ渋っていたが、国広は押し負けて最後には「わかった」と頷いた。 長義の懸念とは裏腹に、夜間に特に何か起きたりはしなかった。翌朝、目が覚めると国広はもう起きていた。
布団から上体を起こして、薬研から貰ったのだろう薬を見ている。「…おはよう、それ、薬研の?」声をかけると、自分で言い出した割には長義がいることに慣れていないのか、少し驚いて、なぜか���てるような素振りで薬を隠そうとする。すぐにそんな必要が無いことを思い出したのか、
薬の入った袋を横に置き、長義に挨拶を交わす。「俺には十分すぎる…」「何、風邪をひくとゼリーが冷蔵庫にあるのと同じようなものだと思えばいい」「…ふ、なんだ、それ…」「…うーん、人間の親子の慣習、かな」長義の言葉に、いよいよおかしくなったのか、国広は控えめに声をあげて笑いだした。
薬の効き目が余程いいのか、国広は容態が急に悪化することもなく、ただ長義の話を聞きたがった。いわく、本丸の外の話を長く聞いていないから気になる、とのことだった。「…もっと何がしたいとか、本当にないのか」「…最初に言っただろう。お前のいる本丸を見てみたかった…だから、これでいい」
話す合間に、あまりにも欲のない国広に長義は初日と同じ問いをかける。国広も、初日と同じ答えを用意してみせた。「明���で、約束の3日目なんだよ」「ああ、そうだな」「…ねえ、国広。俺は、お前を助けられるかもしれない方法を知ってる…いや、知っているというべきではないな、これは賭けだ」
長義がそう続けても、国広は黙ったまま、何も反応を見せない。こうなればもう、反応を窺うなんてらしくないことなどせず、全て言ってしまおう。長義は意を決したように深く息を吐き出して、吸い込んだ。「…俺を、主にする気はないか」
長義の考えは簡単なものだった。この病は霊力によっておさえることができる。だから、主が不在であり霊力が枯渇したこの本丸では止まることがなかった。ならば、もしも主が現れたなら?薬研には話すことはしなかった、南泉の調査資料では、この本丸の主は亡くなっているということが明らかだ。
主従の契約はとうに切れている。ならば、自分が主として、国広に霊力を供給出来れば、国広の病は奇跡的よくなる可能性があるのではないか、というものだった。 「…長義、は。長義は、俺達が死んだら…折れるのではなく、人の身として死んだら、どうなると思う」長義の提案に、
しばらく考えるような素振りを見せた国広は、やっと口を開いたかと思えば、まるで話の噛み合わないような言葉を紡ぎ出した。「…は?」「死というのは、無くなるということだと、思ったんだ。命を奪うことは出来ない、失わせることだけだ、と…ならば、失ったものはどこへ消える?」
「消える、質量がなくなるという話?それとも、もっと魂の部分についての話をしてる?」国広の言葉はまるで要領を得ない。長義が呆然としているにも関わらず、国広は構うことなく話を続ける。「なくなるまえに、証がほしい、と思ったんだ…だから、お前に頼みたいことがある」
「…っ、薬研!」「あいつの願い、聞いてやれたか」「何が願いだ、あんな、あんなの…っ!」翌々日、4日目。長義は早足で病院へと向かう。まだ早朝だ、患者などは誰もいないのを、政府権限で裏口から入った。薬研は朝早く起きるほうで、逆に夜は早々に帰ってしまう。だから、
今日ももうここにいるだろうという確信があった。予想通り、薬研はそこにいた。長義の姿を見ると、苦々しそうに表情を微かに歪ませる。「なぜ、国広に安楽死用のカプセルを渡した!」「…言ったろ、あの山姥切の旦那は本来ならいつ死んでもおかしくない。だが、だかな、診察時に言われたんだ、
”検体である俺が死ぬと、監視を行う長義に何か罰が下るのか”ってな!…知ってたんだ、あの本丸が、そういう風に利用されているんだろうってことは…けど、あの本丸に来たのが山姥切長義だったから…いや、違うな、お前だったから…!」なりふりを構ってはいなかった。
長義は薬研に半ば詰め寄るように近付く。薬研の方も負けじと長義を睨み返した。「だからといって、あいつに死を与えることが救いになるとでもいうのか!」「…俺もあの日聞いたんだよ!”主のための刀として朽ちること”だった、
それから、照れくさそうに”出来ることなら、この本丸で共に”と付け足したんだ…なあ、山姥切、そうだったんだろう?お前も、そう聞いたんだろう?!」「それは…」「…医療にはまだまだ限界がある…悔しいことにな。もう助からない患者にしてやれる一番のことは、願いを聞いてやることだ。
それが出来たなら、上出来だ」「そんなの、自己満足にすぎないじゃないか…」「ああ…だが、生者に墓はない、だからこれでいいんだ」その場で項垂れた長義に、薬研はタオルを1枚取って投げ渡す。ばさりと頭からかかったタオルを気にする様子もなく、しばらくの間長義はその場から動こうとしなかった。
「よう、戦線復帰、ついでに本丸配属になるんだって?」「ああ、猫殺しくんの顔が見られなくなると思うと残念だよ」「オレはずーっと会いたくなかったんだけど、にゃ」あの日から、長義は暫くは本丸には行きたくない、と伝えて、裏方の仕事に徹していた。
要望は思ったよりあっさり通り(以前少し話したためか、石切丸や白山が口添えをしてくれたらしい)、書類審査や資料整理といった業務に明け暮れること2年、再び特別任務があるとのことで、久方ぶりに本丸監査任務への配属を希望したのだった。監査結果は上々で、明日から長義の配属先はその本丸になる。
幼い主と初期刀の陸奥守が中心となっている本丸だった。「…そういや、お前の配属になる本丸って、審神者がまだ歳若いんだったな」「…それがどうかした?」「いーや、泣かせんじゃねーぞ」「そんなヘマはしないよ…上手く立ち回るさ」手を振っていくつかの荷物を持ち、ゲートのある方へと向かう。
久しぶりに感じたぐにゃりと歪む視界に目を閉じて、開いたその前にあったのは、いつかとは少し違う門と、「待っとったぜよ!」と豪快に笑う陸奥守、それから賑やかな声、きっと審神者もまじっているのだろう、そんな声が聞こえる本丸だった。
「あれ、主…と、偽物くんは?」長義が本丸に配属されてしばらくたった頃だった。特に用事がある訳ではなかったが、姿が見えないとなんとなく気になってしまう。部屋で寛いでいる加州と大和守に聞けば、あっさりと答えが返ってきた。「主なら出掛けたよ、まんばはその付き添い」「陸奥守ではなく?」
「なんでも、まんばじゃないとダメな用事なんだって。政府からの要請でなんとかかんとかーって」「なんとかかんとかじゃわからないよ…」それこそ陸奥守の方が詳しいんだろうか、陸奥守もどこにいるのかいまいち分かりにくい。いつもあちこちを駆け回っているような気がする。
この本丸は主が幼いこともあって、色々と多忙だというのは、配属後に知ったことだった。「んーと、たしか、土地の相続?と、お墓参りとか言ってたよ、なんで山姥切…えっと、国広の方、あいつが関係あるのかは分からないけど」「土地相続?」なんでそんなことに国広が関係してくるのだろうか、
長義も不思議に思い、顎に手を当て考え始める。その瞬間、大和守の言葉に、「あー、そうそう、お墓参り!」と加州が声を上げた。「ちょっと声大きい!」「あ、ごめんごめん。でね、なんでも、主のお母さんも元審神者で、でもお母さん、主産んですぐに亡くなったんだって…それで、
主のお母さんの初期刀があいつだったから、主ってばお母さんにくーちゃんを会わせてあげるんだ!って」「そうだったそうだった。最初は俺よりも適任がーとか渋ってたけど、結局押し負けてたよね」「まあ、主には長生きしてほしいよなあ」「特に、僕らみたいな扱いにくい刀を使いこなす主には、ね」
長義の姿が見えているのかいないのか、ふたりはそのまま思い出話に花を咲かせようとする。これ以上話に巻き込まれてしまうのも面倒に思い、長義は「とにかくありがとう」と適当に切り上げてその場を離れた。
主と国広が帰ってきたのは夕方過ぎだった。帰ってきてすぐ、廊下をすれ違ったときに、ふわりと何か甘い香りが漂う。匂いのもとは国広の方だった。「…偽物くん?」「…写しは偽物とは…って何してるんだ!」長義は国広を呼び止めると、
常時纏っている布(この本丸はまだ修行に出た刀は0だった)を掴んで自らに寄せる。慌てる国広をよそに、長義の疑惑は深まっていく。「…ねえ、この匂いどこでつけた?」「…は?匂い?…今日言った場所は、本丸跡地と政府の霊園くらいだが…焼香ではないのか」
「違う…もっと、花のような…焦げたにおいを誤魔化せそうなくらいの…ああそうだ、これ金木犀の匂いだよ」どこかでこの匂いを強く覚えていた気がする。長義は思い出を手繰るように匂いのありかを探そうとする。…ひとつ、思い当たる節があった。けれど、とんだ偶然だ。ありえない、とも思う。
「…金木犀…そういえば、本丸跡地で香ったような気がする…おかしいな、何も無いはずなのに、やけにある部屋だけ香りがあった気がして…というか、急にどうしたんだ、怖いんだが…」国広の言葉に、ありえない、がひょっとしたら、に変わる。長義は国広の肩を思い切り掴んで続けた。
「…次、その本丸跡地にはいつ行くんだ」「次の週明けに…」「連れてってくれないかな、その週明け」「そういうことは俺じゃなく主…なら二つ返事か」「主には言っておくから」長義が肩から手を離すのを国広は呆然と見る。そのまま、一体急にどうしたんだろう、と去っていく背中を見つめて続けていた。
訪れた本丸は、2年半前に刀剣数が0となった本丸だった。無人の本丸はあちこちが朽ちている。初めて来るはずの場所、少なくとも主や国広にとって、長義はそのはずなのに、とうの本人は迷うことなく歩いていく。主と国広はといえば、前回は政府役員に入口近くで説明を受け、1-2部屋回っただけだった。
庭だってまだ見ていない。「ちょぎくん、何かあったのかなあ」「さあな…とりあえず、全員迷子になるわけにもいかない、あいつについていこう」「うん!」戸惑いながらも、ずかずかと進む長義に、主と国広は着いていった。何度か角を曲がったと思えば、突然視界が開ける。縁側からは庭が見えた。
長義がその場所で立ち止まる。合わせて主と国広も止まって、長義の視線の先を見た。「これ…は…」最初に声を上げたのは国広だった。次に、主はその場所を指して、「おはか…? 」とふたりに問う。長義はそれには返事をせず、ただ、「やっぱり…」と一言呟いた。
木の枝と盛った土で作られた手作りの墓達の中、長義が凝視するものには、朱色に、よく見たら繊細な装飾が所々にある鉢巻のようなものが結んであり、風になびいている。国広は何度か演練場で見かけたことがあった。「…あれは、俺の」
「くーちゃん?」「…主、少し長義と話があるんだ。ここで、座っていい子にして待ってくれるか?」国広は、元気よく返事をする主をその場に残し、長義の方へと近づいた。 「…手向けられるような花がない」「いいよ、別に」何をどう話すべきなのか、とても思いつかなくて、
ようやくでてきた一言といえばそんなことだった。しゃがんで、そっと風に揺られている鉢巻を手に取ってみる。手を合わせてしまってもいいのかどうかもわからなかった。「…襲撃か?」「違う…俺は、ただ、墓守の墓を作っただけだよ…自己満足だ」「…そうか」
何がここで起きたのか、国広にはわからなかった。けれど、それを訊ねるのは不躾だろう、と国広はそれ以上の追及を避ける。「この俺は、探すものを見つけられたんだろうか…」「さあね…ただ、頑固なところはお前に似てる」「…俺は、俺を曲げるわけにはいかない」「ほらね、忌々しいくらいそっくりだ」
なにか咎めたわけでもないのに、そういうと国広は黙り込んでしまった。それを横目で見ていた長義は、なんとなしに国広に問いかける。「…なあ、お前は、もしも、もしも人の身として死ぬとしたら、折れるのではなく、死ぬとしたら、俺達はどうなるんだと思う?」
「…人の身としての死は、命がなくなるということ、俺が俺として生きられなくなること、だと思う…だから、死の瞬間から、俺はもう存在しなくなる、と思う…」だから、存在していたという証がほしい。そう言ってきたあの日の国広がリフレインした。「…本当に、忌々しいほどにそっくりだよ」
その後、本丸は解体せずに残しておくことにしたらしい。国広が何か言ったらしく、主は「ちょぎくんの大切なものがあるところって言ってた!」との一点張りだ。何をどうしたらそんなことになるのだろう。あの場所には、後悔ばかりがあるというのに。今では、第二拠点として、
少しずつあの殺風景な本丸にも刀剣が行き来するようになっていた。政府も、とうに立ち入り調査済みらしく、あっさりとこれらは認められた。もうすぐ季節が半周する。今年の春には、あの本丸の庭にも桜が咲くだろう。
国広はといえば、修行に出ていって、帰ってくる頃には忌々しさを倍増させていた。とはいえ、大きな問題もなく、賑やかに本丸は動いている。
「…半年前、この俺は探しているものを見つけられたかと訊ねたな」「そんなこともあったね」賑やかになっても、沢山の墓はそのままだった。飛ばしたものでダメにしてはいけない、と囲いを作って、少し立派には改造してしまったが。国広は、思うところがあるとすぐにこの場所に来るようになっていた。
「それで、お前は捜し物でも見つけたのかな」「…いや、そういうわけでは…だが、気になって」「…何が」「…お前がそれほどに気にする俺は、一体どんなやつだったのか、と」なにを気にしているかと思えば、今度はそんなことか、と長義はことさらに大きくため息をつく。
「…言っただろう?お前に��て、馬鹿みたいに頑固で、意固地で、申し分なく強い刀だったよ」「…え、」「はい、終わり終わり。こんな所でぼーっとしてても始まらない、さっさと行くよ、俺達には俺達のことがある…生者はいくら向こう側を考えたって仕方がないんだから」
勝手に思うくらいで丁度いい、それだけ言うと、直ぐに長義は囲いの向こうへと出ていこうとする。「…その、すまない…だが、俺は俺のやり方を貫くと思う、から…あんたの望みと同じではないかもしれない…それを、許してほしい」国広は自身の同位体の墓前でしゃがむと、
まるで自分に言い聞かせるようにそう呟く。長義に急かされるようにして、国広も囲いから出ていこうとしたその時、ふわりと甘い香りが掠めた気がした。もう春の盛りだと言うのに、金木犀の香りだった。 おしまい! ここまで読んで頂きありがとうございました! 一応タグ便乗のつもりだった。
分かりにくいわ!と思ったので補足。本丸跡地は長義くんがまんばを看取った本丸、本丸跡地の主と配属先本丸の主は親子。なので、霊力が似ていて、まんばに本丸跡地のまんばの香りが移った。本丸跡地まんばは、長義くんが来るので、病による焦げたにおいを誤魔化すために強めの香を身にまとっていた。
まんばの願いは、この本丸で仲間達と共に、主の刀として朽ちること、死んだらそうではなくなるからその証がほしい、というもので、それを形にしたのがお墓。それでよかったのかどうかは、死者であるまんばは語りようがないので、自己満足だ、と長義くんは言ってる…というつもりだった。分かりにくい!
あと、配属先まんばはnot初期刀but古参刀。時折自分を見ては他の自分を重ねている長義くんを気にかけていて、薄ぼんやりと恋愛感情を自覚しそうな状態。なので、最後に本丸跡地のまんばに、自分はやりたいようにやる、と宣戦布告した。けど、まんばはまんばなので、同じ状況になったら同じ選択をする。
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otoha-moka · 5 years
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ちょぎくに※現パロ※さっき言ってた幽霊ネタ※相変わらず人を選ぶ話
ちょぎくに※現パロ※さっき言ってた幽霊ネタ※相変わらず人を選ぶ話 人なんてほとんど居着かない高校の隅の隅。長義くんも普段から行くような場所ではなくて、連絡事項を職員室に伝えに行ったら、担任の先生から「これもついでにお願い」と別件で押し付けられた資料を返しにいくことになったのが、
図書室の隣にある、既に倉庫と化していて、教室の名前通りの使われ方はしていない、図書準備室だった。この図書準備室、以前から生徒の間で、なにかページを捲る音が聞こえるだとか、かけたはずの鍵が開いているだとか、逆に開いているはずの鍵が閉まっているだとか、そういった小さな噂が絶えず、
いつの間にか「幽霊が出る」なんて言われるようになっているところだった。早い話が学校の七不思議というやつで、長義くんとしては面白おかしく話に加わることはあっても、心の底から信じているなんてことはなかった。大半の生徒がそうであったように。さて、長義くんが少し重い心で扉を開けると、
舞った埃が西日に当たってきらきらと煌めいた。ああ、案の定汚い。長義くんは溜息をつき、教室に1歩足を踏み入れる。そこで、先客がいることに気がついた。窓にほど近い、工具やガラクタの積まれたところの一角に座って、開いた本を膝に乗せたままぼんやりと外を眺めている、自分とほぼ同い年くらい、
制服からしてもここの学校の男子生徒。思わず目を奪われて立ち止まると、人が入ってきたことに気がついた彼は扉の方を振り返って、驚いた、と言うように零れそうなほど目を大きく見開いて、それから「あんた…俺が、見えてるのか…?」と問いかけたのだった。
「…見えるって…そりゃあそうだろう」素っ頓狂な問いかけに、長義くんが訝しげに眉を寄せながら答えると、「…そうか」と短く返事が帰ってきた。そんな感情の乗らない声で、もう一度自分に言い聞かせでもするように「そう、だよな…」と答える。それから、「すまない、おかしなことをきいた。
なにか捜し物でも頼まれたのか?俺でよければ手伝おう…この教室のことなら、きっと誰よりも詳しいと思う…」と気を取り直したのか、立ち上がり、長義くんの方へ向き直った。長義くんはといえば、その夕陽を背にした男子生徒の姿が、なぜかこの世界から一人浮いたような存在に見えて、
思わず彼に答えるのを躊躇った。らしくもない。あの、幽霊の話を思い出してしまったのだ。そんな長義くんの様子に、不思議そうに首を傾げ、「えっと…」と何か言いたげに言葉を詰まらせている彼に、我に返って「…あ、ああ、俺は長義。山姥切長義だ。2-Aなんだけど…会ったことはないよね?」と
少し早口になりながら返す。「…長義」「ああ、そうだ。お前は?」「俺…?俺は、」確かめるように名前を呼んだ彼に、長義くんは名を尋ねた。いつまでも"お前"というわけにもいかない。そう思ってのことで、特に深い意味もなかったが、目の前の彼はなぜか少し考えるような素振りを見せる。
自分の名前に悩むものか?少し疑問に思うも、次の瞬間には真っ直ぐ長義くんを見て、「国広、と言う」と彼、もとい国広は答えたのだった。というのが二人の出会い。 それからというもの、放課後に図書準備室に向かうと、必ずまんばがいることに長義くんは気付く。定位置の椅子に座って、
ぼんやりと外を眺めているか、そうでなければ準備室にある少ない蔵書を適当に引っ張ってきて読んでいるか。気まぐれにもう一度訪れた際、本が好きなのかと訊ねたら、まんばは静かに首を横に振った。まんばは、首を振りながらも「だが、時間は忘れられるから」と答えた。その声が少し、本当に少しだけ、
苦しそうだった気がして、長義くんは放課後図書準備室に通うことに決めたのだった。「放課後はいつもここに?」「…まあ、そうだな」「じゃあ、ここの本なんてすぐにでも読み終えてしまうんじゃないかな」「…そうかもしれない」「本が読みたいなら、図書室に行けばいいのに」「…そう、かもな」と、
まんばはいつもそんな調子で、長義くんの言葉は否定せず、けれどこの部屋から動くつもりもなさそうな態度だった。初めこそ、そんな曖昧な態度に苛立ったものの、こいつはこういうやつなのだと思えば、存外悪くはないもので、むしろ何も言わずに話を聞いてくれるまんばの存在はなかなか貴重で、
長義くんとしてもその日あったことなんかをまんばに話にいくのが習慣になりつつあった。まんばに嫌がる様子もないので、話を聞くのは好きなのだろうと長義くんはいいように解釈させて貰っている。 明くる日、その日は教師の都合で突発的な自習になった。眠ってしまおうか、と思うと
いつもより騒がしい教室にいるのもなんだかいい気分ではない。少し静かな所へ行こうと考え、思いついたのがいつもの図書準備室だった。奥まったところにぽつんとあるその教室は、放課後の喧騒からですら隔離された静けさがある。授業中なら尚更のことだ。それに、教師ですら訪れないそこは、
絶好のサボり場のようでもある。他のクラスは授業中。あいつだって居ないはず。勝手知ったる戸を無遠慮に開いた。そこには、予想に反して、まんばが定位置に座っていて、扉の方へ振り返り、「お前、授業は…」なんてどの口が言うのかと思うようなことを呟いたのだった。
「俺は自習。お前こそ、どうしてここに?まさか、お前も自習?」こっそり通った教室は、どこもかしこも授業中だった。もぬけの殻になっている教室もあったけど、それは教室移動があったのか、あるいは体育か、どちらかだろうことが明らかだ。
ひょっとして、同じ学年だと思っていたのは間違いだったのだろうか、思えば、何年生か聞いていない。「…俺は、」まんばはそう言って、名前を応えようとした時のように、また俯いて考えるような姿勢になる。だから、なぜ自分のことを答えるだけなのにそんなに考える必要があるのだろうか。
長義くんは、それを尋ねたくて、けれどうまい言葉が見つからない。「俺は、教室には行けない、から…」考えた末、まんばが寂しそうにそう答える。「教室に行けない?」「…ああ。せきが、ないから」「席が…?理由、は…いや、なんでもない」長義くんは理由を尋ねようとして、やめた。
学校には来ている、教室に行けない、そうしてこんな教室に篭っている。導き出される答えなんて、そんなに多くない。かける言葉に迷った長義くんは、最終的には「…あまり、無理はするなよ」なんてありがちな言葉をかけるに落ち着いてしまう。間違えたか、と思えば、「…すまない」と謝罪が返ってきた。
もう夏だというのに、図書準備室には冷房がなかった。人の寄り付かない、半ば倉庫と化している忘れ去られた教室だから無理もない。「暑いな」と呟いた長義くんに、まんばが無言で定位置を立ち上がり、なにか引っ張ってくる。少し古い、大きな扇風機だった。「こんなものあるのなら最初から…」
「お前が暑いというから出したんだ。俺一人なら出してない」「あー…はいはい、それはどうも」3ヶ月と言ったところだろうか、最初の頃よりも砕けた関係になっていた2人は、相も変わらず放課後の図書準備室にいる。7月は今年も記録的な暑さで、西日の射す教室もやっぱり暑い以外に表現の仕様がない。
というのに、少なくとも長義くんには、まんばが涼しげにしているように見えた。見れば、自分とは異なり、汗のひとつも見えやしない。「…お前、もしかして極度の寒がりだったりする?」「…そうか?そんなことは、ないと思うんだがな」この夏の日光に照らされたまんばは、思えば日焼けのひとつもない。
かといって、何かそういったことに気を使っているタイプにも見えない。「この暑さで平然としてるし…」「ああ、あまり気にしないでいい」「気にするよ」「なら、お前の視界から消えればいいのか?」「そうじゃなくて…もういい」微妙に言いたいことが伝わっていない気がして、会話の方を切り上げた。
「ところで、もうすぐ夏休みだけど、お前はどこか行ったりするの?」しばらく沈黙がおりて、ページを捲る音がたまに聞こえるだけだったが、そういえば、と思い出したように、何となく長義くんはまんばに訊ねる。手を止めたまんばは顔を上げ、カレンダーのかかっている壁の方を見る。
壁にかかっているカレンダーは、見ればもう30年ほど昔のもので、とても使えたも��じゃないのだが…それから、まんばは「いや、」と首を振って「…何もないな…いつも通りだ」と、どこか遠いところでも見るかのように、ぽつりと呟いた。
何はともあれ夏休みだ。思えば、LINEくらい交換しておけばよかったな、と、毎日のように会っていたからなんとも思わなかったけれど、今更になって一抹の寂しさを感じて、クラス連絡用のメッセージを見る。まんばだけが、日常にあるもので手元から欠けていた。スマホを敷きっぱなしの布団に投げて、
自分も布団に入る。普段のベッドと少し寝心地が違う。長義くんは夏休みは隣の県の父方の実家に家族で行くことが常だった。まんばとは、半月と少しほど会ってない。そういえば、あいつは夏休みは何もないと言っていたな、と思う。「…寂しそう、だった…よね…あまり、よくわからなかったけど」
彼は少し前髪が長い。少し顔を伏せてしまうと、あっという間に表情が読み取れなくなってしまう。けれど、あの声は少し寂しそうに長義くんには聞き取れた。無理もないとは思う。少なくとも、あの学校では彼の居場所はあの図書準備室にしかないのだろうし、
あの様子だと家庭もそれほど居心地のいいものではないのかもしれない。きっと色々な輪から外れてしまったような、そんな寂しい人なのだろう、だからあの日、あの教室に通うことに決めたのだし。
夏休みなんだから、学校にいるはずがないとはわかっていても、長義くんには、今日もまんばが図書準備室の定位置で、ぼんやりと夏空を眺めているように思えて仕方がなかった。
ある種の違和感はずっとあって、それが確信に変わったのは、夏休み明けのことだった。「そういえば、山姥切。君、2年生にあがってから部活動はどうした?」担任にそんなことを言われて戸惑う。自分は帰宅部だと思っていた。今日の今日までそう思っていた。だから暇な放課後くらい、と思っていたのに。
「…え、俺は…ずっと帰宅部、ですよね?」「いや、1年のときは剣道部にいただろう?将来有望だって言ってたから、何か悩みでもあったのかと思ってな」「… そ、んなことは、」「…山姥切?どこか具合でも…」自分でもひどく青ざめている自覚がある。記憶が流れ込むように、
急に忘れていた色々なことを思い出した。心臓がいやに早く鳴っていて、どっとえも言われぬ気持ち悪さがせりあがってくる。たまらず職員室を飛び出して、いつもの図書準備室へと走っていた。
ほんの少し前までは、親しみすら覚えていた。だからこそ、裏切られたような気分になった。ここ1年の記憶が、まるまる書き換えられていた。自分は本当は剣道部にいて、毎日のように放課後は部活動に励んでいた。適当に既読をつけて投げた夏休みの日のLINEも、思い返せばクラスメイトからの
「山姥切が少し心配だ」といった旨の内容だった。図書準備室だって、教師すら寄り付かない場所なはずがない!初めてあそこに足を踏み入れたあの日、自分は他ならぬ教師の荷物を片しにいったのだから。
あそこは、授業に関係のある大きめの荷物をまとめて置く場所のはずで、絶好のサボり場になんてなるはずがない。どうして気が付かなかった?決まっている、原因になりそうなやつなど、ひとりしかいない。
たどり着いた目的の部屋の前。勢いよく扉を開くと、いつもと同じようにまんばが定位置にいた。まるで、そこからは動くことが出来ないとでも言うように。振り返って、それから長義くんが睨むように自分を見ているのに気がついて心配そうに近づく。「…どうした、何か…」「お前、俺に何をした…っ!」
まんばの声を途中で遮るように、伸ばされた手を払い、長義くんはまんばを問い詰めた。まんばは、そんな、いつもとは違う長義くんの様子に少し怯んで1歩後ずさる。「俺が、何かお前の気に障ることをしてしまったのか…?」「とぼけるなよ!お前が何かしたのはわかっているんだ!」「とぼけて、など…」
本当にわからない、といった様子のまんばに、長義くんは苛立ちを募らせて声を荒らげる。なおも何も知らないという態度を崩すつもりのないまんばに、長義くんは「もういい」と言い放ち、呼び止めようとするまんばを無視して、「気味が悪い」と一人まんばを置いて、ぴしゃりと扉を閉めてしまった。
扉の前にいても、中から声はなく、驚くほど静かだった。何者かはわからない、けれど、きっとこの世の何かではないものだ。直感だけれど、それはほとんど確信に近い。自分の隣に、まるでそう、化け物が、そうとは知らなかったとはいえ、数ヶ月いた事に気が付けなかったことへの気持ち悪さと、
部屋を出る直前、本当に何も知らず、自分の言動に戸惑うまんばの、心配と不安に影を落として揺れる瞳への罪悪感でいっぱいで、長義くんは階段を登ってすぐのところで、ずるずると壁に背を預けて座り込む。自分で思うよりも、深くため息をついた。
「お、山姥切じゃあないか」しばらくそうしていると、突然声が聞こえた。剣道部の先輩だった。「連休過ぎから突然部活に出なくなって、どうしたのかと思っていたんだが…」「…先輩」「ん、どうした?元気そう、ではないか。何かあったみたいだな」
話してみろ、と言わんばかりに、先輩も隣にしゃがんで、長義くんの方を見る。「…先輩は、図書準備室の幽霊の噂って、知ってますか」長義くんの問いに、先輩は茶化すでも笑うでもなく、黙って続きを促した。(先輩誰か決めてるけどご想像にお任せします)
「なるほど…つまり、その国広という生徒と会ってから今日まで、自分は帰宅部だと信じていた、と?」「…信じ難いでしょう?」「確かに不思議ではあるけれど、信じないとはいわないさ。可愛い後輩がこれだけ真剣に話してくれたんだから」そう言って、先輩は長義くんの頭をぽんぽんと撫でる。
慰められている自分がひどく情けない気がして、それをそっと止めさせた。「先輩は、幽霊の噂は知ってたんですよね?図書準備室に行ったことは?」「いや、ないな。俺は肝試しとか、そういったことは不粋だと考えているたちでね。用もなかったから、行ったことがないし…
それに、たしかに幽霊の噂は何度か聞いたけれど、金髪の男子生徒の話も聞いたことがない」先輩の言葉に、長義くんはまた行き詰まってしまう。こんなにも、どれが正解かわからなくなってしまったのは初めてのことだった。すると、先輩は立ち上がり、長義くんのことも立たせようと手を差し出す。
「さて、それじゃあ俺たちで図書準備室に行こうか」「…は?」「何はともあれ、喧嘩してしまったのなら、まずは仲直りだろう?何、心配はいらない。先輩がついて行ってやろう」先輩は、どうだい?と改めて長義くんの目を見てにこりと笑う。「…今の話に、そんな要素どこにもなかったですよ。
でも、そうだな…もう一度、図書準備室にはいかないと」その言葉に、長義くんはおかしくなって、小さく笑いながら、先輩の手は借りずに立ち上がった。 図書準備室の前は、少し前と同じで静かだった。この扉を隔てた向こうには、まだ彼がいるのだろうか。気味が悪い化け物、そう思う一方で、
何度も見たあの寂しそうな表情を思い出してしまう。長義くんが扉に手をかけるのを躊躇していると、先輩が「少しいいかい?」と言ったかと思えば、突然横からノックして、「失礼します」と定型句を中に聞こえるよう少し大きな声で唱え、長義くんが何か言う前に、ガラガラと扉を開いてしまった。
中はもぬけの殻だった。少しほっとして、それから少しだけ、もやもやとした気持ちが胸の片隅に広がる。なかなか部屋に入りづらい長義くんを横目で見て、先輩は先に教室に入って、舞った埃を吸い込んでむせた。「うわ、随分と埃っぽいなあ…先生方もたまには掃除をした方がいい。そう思うだろう?」
先輩がくるりと振り返ると、窓の外の光を背にした先輩の姿が長義くんの瞳に映る。それはまるで放課後、いつも彼が自分を見つける時のようで。「…国、広」なんて、結局この数ヶ月、あまり呼ばなかった名前を、思わず呼んだ。
結局、部屋の中にあったのは、ほどほどに使われる授業用の道具一式と、昔のカレンダーと、いくつかの蔵書、それから、本棚の1番上、先輩が手に取ったものだった。「これ、20-30年は昔の卒業アルバムじゃないかい?」ちょっとこっち、と長義くんを手招いた先輩は、大判の本を捲る。
それは確かに、今から24年前の卒業アルバムだった。「おお、懐かしいなあ…」「…先輩、今年で18でしょう。24年前なんて生まれてもいないじゃないですか」「はは、そうだったな」「そうだったって…あ、そうだ。母さんのもあるかな」そう言って、長義くんは小さめの踏み台を持ってくる。
すっかり物色することに夢中になってしまっていた。本棚の最上部は、先輩には届くけれど、長義くんにはぎりぎり手が届かない場所だった。その一連の様子を眺めながら、先輩は「母さんの?」と長義くんに尋ねる。「そうです。俺の母、ここのOGで…確か卒業年は…あったあった」「おっと、落ちるなよ」
「受験生がいる手前、落ちるに落ちれませんよ」長義くんが危うげなく取ったものは、24年前と同じ大きさと、似たような装丁の本で、24年前の卒業アルバムよりも、さらに6年前のものだった。
母の旧姓は山姥切。長義くんの母の家は由緒正しいお家柄と言うやつで、だから苗字は母方に合わせたのだと聞かされたことがあった。だから、卒業アルバムで探すのは山姥切という苗字の女性だ。名前順だと最後から数えて2-3番目、現に今の自身の出席番号も35だから、そのくらいの場所にあたりをつける。
しかし、先に見つかったのは女子生徒ではなく同じ名字の男子生徒だった。大人しそうな表情、古い写真だけれどはっきりと分かる淡く光をとかしたような金髪、西洋人形のように綺麗な、浮いた存在。それはまるで、この世界の輪から弾かれてしまったかのような。恐る恐る名前を指でなぞって確かめる。
「…山姥切、国広」そういえば、名前を聞いた時に、あいつは考えるような仕草をしていた、と今更になって思い出した。
「なあ、俺はあまり詳しくはないんだが、山姥切という苗字は、さほど珍しくもないのかい?」「…珍しいか珍しくないかと言われたら、少数だと思いますけど…でも、国広という名前なら、さほど珍しくは…」横から覗き込んだ先輩が、その名前を見て、長義くんを見て、それからまた写真の中の人物を見る。
長義くんは先輩の問いに半ば逃避するような答えを出す。「山姥切。その、ここにいた国広という生徒は…この子で違いなく、それも、この写真と違わぬ姿でここにいた。そうだろう?」「…どうして、」その様子に対してか、先輩は長義くんに、半ば確信めいたような、事実確認するような調子で訊ねる。
長義くんの疑問は肯定を意味していた。「はは、わかるさ。存外、わかりやすいからな」先輩は、少しだけ笑って、その問いに答えたのだった。 家に帰って、長義くんは母に山姥切国広という生徒のことについて訊ねた。答えはあっさりでてくる。もはや予想は半分くらいついていた。
「あんたは、遠い親戚のことなんて興味なかったでしょうけど、今年もお盆に親戚のお墓参りにいったでしょう?うちの墓のところのひとつが、国広くんのお墓だったのよ」「じゃあ、今年も…」「行ったわよ。あんたに花を運んでって行ったところ、あそこが国広くんのお墓。
それにしても、突然古いアルバムなんて持ってきてどうしたの?」彼は、30年前、あの学校の生徒だった頃に亡くなっていた。事故だったそうだ。修学旅行のとき、川に溺れたクラスメイトを助けようとして、代わりに自分が流されてしまったのだという。まるでカンパネルラのようだ、とぼんやりと思う。
本家筋のうちとは、分家の国広の家とは特別深い関わりなかったらしく、そのこともあってか、母の中ではもはや、クラスメイト兼親戚の死は大昔の思い出となっていて、感慨も何も無い、懐かしむだけのものになっていた。けれど、30年も昔のことだ。そんなものなのかもしれない。
死者とは、そうやって忘れられていくものだから。けれど、その話を聞いた時、長義くんはなぜだか涙が止まらなかった。
1週間後、長義くんは再びひとりで図書準備室の前に立っていた。理由はないが、今日は彼に会える気がした。すう、と息を吸い込んで、深く吐き出す。それから、いつもより少し力を込めて扉を開けた。
続き! やっぱり定位置に、何事もなかったかのように、その人はいた。「…国広」名前を呼べば、どうかしたのかと少し首を傾げる。そして、しばらく長義くんを見て、「…そうか」と、勝手にひと���で納得するかのように呟き、「もう会うことはないと思っていた」と長義くんに向かって不器用に笑んだ。
「…その、見たんだろう」どのくらいの沈黙だったか。まんばが目を本棚のある方に向けて、長義くんにそう訊ねる。細かく聞かずとも分かる。卒業アルバムのことだ。長義くんは「ああ」と短く肯定を返した。その肯定を受けてか、「…お前が、山姥切だと名乗った時、同じ名字だとわかれば、
俺のことを知られてしまうと思った」だから言わなかった、とまんばは静かに話し始めた。 気がついたときには、この図書準備室に閉じ込められていた。ここは?自分は一体なぜこんなところに?さっきまで修学旅行で外にいたはずなのに、いつの間にか室内にいる。
窓の外に広がるのは学校のグラウンド脇の方にあるテニスコートと駐輪場だ。髪が濡れていて、ぽたぽたと手元を濡らす。少し意識してみれば、髪どころではない。まるで急に土砂降りの雨にでも降られたかのように、全身がぐっしょりと濡れていた。タオルを探したけれど、ハンカチのひとつもなくて、
そこで、うっかり手を着いてしまった本が、濡れている自分に反して全く濡れていないのが見えて、自分の現状を理解した。と、同時に、大体のことに諦めは着いた。ひとつだけ懸念があるとすれば、あいつは助かったのだろうか、ということくらいだ。ひどく流れの早い川だったことは覚えている。
流されていたやつはカナヅチであることを度々からかわれていたやつで、まんばは考える間もなく飛び出した。そこからどうしたのか、記憶は曖昧だ。けれど、きっと、自分は助からなかったのだろうということは、想像に難くない。どういう仕組みなのか、扉を閉めてしまえば廊下の声は聞こえない。
たまに扉が開いて、生徒や教師がなにか道具を持ち出したり片付けたりするのを、初めのうちは本棚の影からこっそり覗いていたが、誰も気づく気配がない。自分は、ここには存在していないのも同じなのだ。そう思えば、段々と隠れて過ごすのも馬鹿馬鹿しくなってくる。
教室の扉からすぐに目につく窓辺に堂々と居座るようになったのはいつからだっただろうか。暑さも寒さもなく、眠る必要もない体で、それこそ無限とも言える時間を、窓枠で切り取られた風景と、僅かに増えたり減ったりする蔵書と、せんのない考えごとだけで潰していく日々は、
時間の感覚を狂わせてしまうには十分すぎる材料だった。もう自分がどれくらいの時間この部屋にいるのか忘れてしまうくらいの時間が経った頃。自分を認識する人物が現れた。その青年は、自分と同じ山姥切という姓を名乗っていた。その時、すっかり失せていたと思っていた欲が、ふと沸いたのだ。
「俺は、きっとお前の時間を狂わせようとしてしまっていた…意識こそ、していなかったが」死者というものは、生者に執着してしまうものなのだと、耳にしたことがある…だから、とまんばは続ける。「本当は、誰かに見つけてほしかっただけだったのかもしれない…なのに、お前が俺を見つけて、
そうしたら、今度は無限と続く一人きりの時間が怖くなった」だから、無意識下に、まんばは長義くんがこの部屋に赴くように暗示をかけてしまっていた。とうにまんば自身と一体化していて、時間を失っていたこの教室は、そんなささやかな暗示とは相性がよすぎた。
本当は。何度か教師がこの部屋を立ち入っていた。長義くんは、誰も来ないと思い込んでいただけで、教師と話をしていた記憶がすっぽりと抜け落ちていた。ひとりでずっとこの部屋にいるのは、違和感があったから。「山姥切くん?こんなところで何してるんだい?」
「ああ、いえ、ここ日当たりのいい教室なので…穴場ですね」「はは、でも埃っぽいから、昼寝には向いてないと思うけどなあ。そうそう、気乗りしなくなったのかもしれないけど、サボりはほどほどにね、顧問の先生心配してたよ」
そういって、教師が数学で使う大きい方眼マスのマグネットシートを置いていったのは、たしか6月のことだ。そうやって、この教室は、違和感のある部分を次々となかったことにしていった。他ならぬ、長義くんが、無意識下でそうするように、この教室は仕向けていったのだ。
「あの日お前がいなくなって、お前が他の…先輩、と呼んでいたが、その人と入ってきたとき、俺のことは見えてないようだった。そこで、思い出したんだ…最初の願いを」「…最初の?」まんばは長い話を終えると、長義くんに向き合って、改めて目を合わせた。何か、覚悟を決めているかのような、
幽霊だというのに強い意志を宿した瞳だ。けれど、長義くんにとっては、嫌な予感を感じさせるものでしかなかった。その覚悟は、きっと自分の望むものじゃない、そう直感する。「…もう、俺の姿を見ても、話しかけないでくれ」それは諦めではないのだと、雄弁な瞳は語っていた。
「何、言ってるんだよ…俺がここに来たのは、お前に、言いたいがあったからで、」それは1週間前に勢い任せに突き放してしまったことに対しての言葉だった。そして、出来ることならきちんと知り合って、また話し相手にでもなってはくれないかと、そう思って今日ここに来たのに。
まんばは、長義くんの思いとは裏腹に、二度と自分に話しかけるなと言ってくる。「見えているものを見ないようにして欲しいなんて、無茶を言っているのはわかってるんだ。けれど、俺はきっと、またお前の生活のどこかを侵食してしまう…俺が、死者だから」
色々と考えて出した結論なんだ、と言いたげなまんばの言葉に、長義くんは返す言葉を失っていた。そんなはずがない、自分はお前のその意味のわからない理論になど乗らない、そうは言えなかった。一週間前に、思い切り取り乱し、果ては何も知らないまんばのことを突き放してしまったのは、
他ならぬ自分だったからだ。長義くんが黙って俯くと、まんばは静かに、なんでもないような調子を装いながら「…あの日、会わない方が互いのためだったのかもしれないな」と呟く。その言葉に、長義くんは顔を上げた。「黙って聞いていれば、何をふざけたことを…」「…え、」
「確かによく分からないことに巻き込まれた!今だって、お前が勝手にひとりで決めたことに、何も言葉を返せないのが悔しくて仕方がないさ!…けど、あの日ここに来たことすら間違いなはずがあるものか!」そう叫ぶように、長義くんはまんばの胸ぐらを掴んで訴える。
まんばはさっきまで黙って話を聞いていた長義くんの突然の行動に、おろおろと戸惑ってしまう。そんなまんばに対して、長義くんは畳み掛けるように声を上げた。「お前がどう思おうが、俺は後悔など、一度だってするものか…!」その言葉を聞いたまんばは、
初めて会った日と同じように、驚いたように、零れそうなほど大きく目を見開いて、それから、嬉しそうに、くすぐったそうにその瞳を細めた。「…十分だったんだ、ずっと。その言葉だけで、もう十分だったんだ」
「せんせーっ、山姥切先生ー!」「…うん?どうしたかな」「どうしたじゃないでしょ、プリント放課後でいいからって言ったの先生じゃん。…それにしても、こんなとこにいるなんて思わなかったよ…探したんだから」あれから何年も経って、長義くんは教師になっていた。
初めての赴任先の高校は自分の母校で、何年かぶりの懐かしさに、小さく「ただいま」と零したのを覚えている。教員としての仕事は大変で、けれど充実していて、なるほど自分にはなかなかに適職だったのではないか、なんて思えてくるようになった頃、ふと、あの図書準備室が目に入った。
あの日、最後に彼の声が聞こえて、意識が遠のいた。次に目が覚めた時にはなぜか保健室のベッドに横になっていて、聞けば、図書室近くの階段で倒れていたのだという。足を踏み外して転んだか、はたまた貧血か、と言われたけど、足に怪我は一切なくて、結局後者なのではないかということだった。
そのままとぼとぼと家に帰ると、連絡がいっていたのか母がとても心配してきて、その日は半ば病人のような扱いを受けてしまった。普段貧血で倒れるなんてことは全くないから、慌てさせてしまったのかもしれない。
次の日、学校に行くなり、迷わず図書準備室に向かったけれど、開いた扉の先には誰もいなかった。ああ、やっぱり、と、心のどこかでそう予想していたのだろう、納得はあっさりと出来てしまった。そのまま教室を探したけど、やっぱり誰もいなくて、
長く放置され埃をかぶった道具とよく使われている綺麗な道具があべこべに置かれているだけで。けれど、ふと、窓辺に目をやれば、本が一冊だけぽつんと置いたあったのが目に付いた。手に取ったその宮沢賢治の本を本棚に戻そうとして、はらはらと何か落ちたのに気がつく。鈴蘭模様の栞だった。
間違いない、きっとあいつが使っていたものだ。そっと拾い上げ、本の間に戻そうとして、いや、と思い立ち、少し考えてから鞄の中に入れっぱなしの単行本に挟み込んで、それから教室を出た。
何年も経ってしまったけれど、図書準備室は何も変わりなかった。あれから、お守りのように持っている栞を取り出して、窓から射し込んでいる光に翳してみる。一瞬、本当に一瞬だけ、風が吹き込んだような気がして、光の中に、あの日と同じ姿を見た気がして、手を伸ばそうとして、虚しく空を切った。
それからというもの、なんとなく誰もいない教室にたまに訪れるようになった。あの日、もう二度と自分を見ても話しかけないでくれ、なんて言ってきたことなど、すっかり頭になかった。この何年もの間の積もる話があるのだから、早く現れないかとすら思った。
けれど、何度訪れても、まるで魔法が解けてしまったかのように、図書準備室は誰もいない、ただの部屋でしかなかった。
「あれ、先生、鈴蘭なんて、随分可愛い栞持ってるね」プリントを受け取った時、ちらりと見えた栞を見て、生徒が訊ねる。「ん?ああ、これは貰い物というか拾い物というか…」隠しているわけでもない、気にしている様子だったので、少しだけ古くなってしまった栞を生徒にみせる。
まじまじと見て、それから自分に向かって、にやりと笑った。「ふぅん、大切な人からもらったの?」「…どうして、そう思ったのかな」「先生知らないの?鈴蘭はね、送る相手への幸せを願う花なんだよ」 あの頃あった図書準備室の幽霊の噂は、もう学校中のどこでもされていなかった。 おしまい!
まんばがどこで何してるのか、どうなったのかはご想像にお任せしますが、ちゃんとハッピーエンドです。
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otoha-moka · 5 years
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長義くん引き取って育てるまんば
たまたま風邪ひいて家族旅行に行かなかったため、水難事故で自分以外の家族が全員亡くなり天涯孤独になってしまった長義くん、施設に引き取られ生活するも、もう義務教育は終わりだし…と高校1年生になる際一人暮らしを始める…はずだったのだが、遠い親戚であるまんば(社会人)が偶然自分を見つけて、
高校生の一人暮らしなんて不便だし危ないしお金の工面も大変だろうし、いや、今までも大変だったんだとは思うが…早く見つけてやれなくてすまなかった…などと言い、一緒に住むことを提案してくる。特に断る理由もない長義くんは、じゃあお言葉に甘えて、と了承。2人の生活が始まるのだった。
というところから始まる、高校生長義くん×社会人まんばのちょぎくに。実は長義くんの家族構成は両親と弟で、遠い親戚ながら弟がそのまま大きくなったような見た目をまんばはしていて、しかも名前は同じ”国広”で、だから長義くんとしてはどうしてでも弟を年上のまんばに重ねてしまうんだよ。
それで、まんばが遠いとはいえ、親戚の家の息子さんが天涯孤独というのを知らなかったのは、遠い昔に自分は理不尽な理由で家を追い出されていて、だから知らされることもなかったという経緯があって、だから血筋的には親戚だけど、戸籍的には?もう親戚じゃないという経緯があるんだけど、
でも赤の他人だとばれると長義にも悪いしなあと思って黙ってたりする。そういう、ちょっと危うい綱渡りをしながらも、平穏に日々が過ぎていく、みたいな…。
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otoha-moka · 5 years
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「だいじょーぶ、任せとけって!」
骨喰くんあれじゃん、1匹も結局すくえなくて、ちょっとしょぼんとしてる(あんまわからない)のを、鯰尾くんが「だいじょーぶ、任せとけって!」と、自分がとってあげる!とばかりに意気揚々と100円玉をおっちゃんに渡すんだけど、自分もとれなくて、「もう1回!おじさんもう1回!」ってなってる。
結局、骨喰くんの方がお小遣いなくなるって止めるんだけど、成果がまさかの0で、2人してしょぼんとしてたら、おじさんが最後だよっておまけしてくれて、すくい方のコツ教えてくれて、なんとか2匹だけすくうことに成功する。で、金魚すくいのおじさんも見てる方も楽しめたっておまけしてくれるんだよ。
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otoha-moka · 5 years
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まんばが連れてこられた取引先の営業部にたまたまいた長義くん
現パロまんば、奇跡的にまともな家庭で幸せに育っても、入社した会社先で、その綺麗な顔立ちと内気な性格から、上司命令で枕営業強制されたりして、でも、女性でも人に相談しにくいような話なのに男性で枕営業強制されたなんてなおさら誰にも言えなくて…みたいなことになりそうなとこあるじゃん…。
それでまあ、失意と絶望の中で、でも働かないと生きてけないわけだし…とか、いい歳して親兄弟に甘えるのも悪いなって思うし、迷惑かけたくないし…みたいに考え出して、すごい勢いで自分を追い詰めていくとこあるじゃん…いやそこは助けを求める場面だろって感じのところでそれをしなさそうじゃん…。
自分で言っといてひでえなって思ったから、ハッピーエンドメーカー(兼トラブルメーカー)長義くんに助けてもらおう…。そんなある日、まんばが連れてこられた取引先の営業部にたまたまいたのが長義くんだった。長義くんは、枕営業云々とは無関係なんだけど、最近会社内に違和感あるなあとは思ってた。
そんなタイミングで、取引先の会社からやたら綺麗な(ついでに言うとなぜか自分と少し似てる)顔立ちの男が、少し怯えた様子で上司に連れられて挨拶に来ているのを偶然見かける。それで、なんだあいつ…?何かあったのか?って思った。これが長義くんのファーストコンタクト。まんばは知らないけど。
それで、そっと応接室を覗いていると、ニコニコ笑うまんばのとこの上司と思しき人物と、怯えた様子で小さくなってるまんばと、何かにやにやとしながらそんなまんばを値踏みするように見やる自分の上司の様子がしっかりとみてとれて、あれこれ弊社やばいことしてるのでは?と長義くんは思い至る。
というわけで、無音モードにして、こっそりスマホで写真を撮る。でも、あくまでまだ確証はない。証拠がほしい、と長義くんは自分の上司の尾行に挑戦する。ちなみにこの会社、探偵事務所とかではない。あと、この時は、まんばを助けたいとかじゃなくて、会社内の不正を暴きたい、の方が強い。
場所は聞き耳立ててたのでわかっていた。駅近くの携帯ショップ。恐らくは待ち合わせ場所といったところ。先に待っていたのはまんばで、上司がまんばに話しかけた。上司は長義くんの尾行には全く気づく様子がなく、長義くんは遠慮なくその様子もカメラに写し続ける。2人の向かう先はホテル街だった。
ホテルにふたりで入っていく様子に、これは黒だ、決定打だ、とシャッターを切る。多少ぶれてるかもしれないが、まあ証拠にはなるだろう。そう思って、それからどうするかあまり考えてなかった長義くんは、
そういえばあの金髪の男はどうしよう…とここで思い至る。放っておいてもいいかとも思うが、それでは枕営業、不正の幇助をしたも同然なのでは?とも思う。けど、ここで騒ぎを起こすのはどうなんだろう?少し考えて、偶然を装って(ここホテルだけど…)上司に声かければいいんじゃ?と思い��く。
まあホテル街なので、そんなことしたら尾行ごとバレるんだけどね。でも、上司的には偶然のふりをしてくれたのは助かった。騒ぎを起こされるよりは、ここは一旦引いて、後日会社の方でうまいこと長義くんを孤立させるなど対策すればいい、と思ってたから。それでそそくさと去ったいった上司、
その場に残されたのは長義くんとまんばだけ。でも、助けられたはずのまんばは、長義くんを睨むように見て、「あんた、いいのか」と訊ねる。「…何が?」と問えば、「あんたの尾行、あいつに気付かれただろう。このままだと、あんたの立場がなくなるだろう」と返された。これが2人の出会いだった。
長義くんは、間一髪で助かったってとこじゃないのかこいつ…とか思うわけじゃん。助かったとか言うのかと思ったら、なぜか見ず知らずの長義くんの心配をしてるまんばに、ますますなんだコイツ…ってなるじゃん。とはいえ、長義くんには写真という物証がある。「俺が何もせずに尾行してたとでも?」
そう言ってカメラをちらつかせると、まんばはハッと目を見開いて、それから「…警察に出すのか」と言って俯く。長義くんは、まんばが自分がまんばを売ると思ってるのかと思って、「別に、お前を売るつもりはないよ。お前のところのやつに言われて来たんだろう?なら被害者だし…」と続ける。
まんばはこの件が明るみに出ることによって、自分に対する視線が「枕営業している男」になるのが嫌で、だから躊躇ったんだけど、長義くんはそれに気づかない。うかない表情のままのまんばに、「…まさかとは思うけど、お前、好きでやってるのか?」と訊ねる。「なっ…ば、馬鹿にしているのか!」と、
分かりやすくまんばは激昂する。「こんなこと、したいはずがないだろう!こんな、兄弟にだって向けられる顔がない…っ!だが、こうするより他にない、と…言われ、て…」言いながら、冷静になったのか、徐々に語尾が小さくなっていく。それから「すまない…見ず知らずの相手に当たるような真似…」と
まんばは再び俯いてしまう。長義くん、ここでまんばがとんでもなくネガティブなやつだということに気がつく。話進めようとして、「…お前、すごく面倒なやつだね」と言葉選びは盛大に間違える長義くん。「まあ、いい。とりあえずお前が好きでやってるんじゃないなら、尚更これは警察に出さないと」
それから、まんばに対して「それから…ああ、お前の証言があれば心強い。協力、してくれるね?」と有無を言わせない同意の握手を求めてくる長義くん。まんばはイエスともノーとも言えず、曖昧に少し頷いて、長義くんの手をとるのだった。って感じで会社の不正を暴いてまんばも助けてくれるよ長義くん。
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otoha-moka · 5 years
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「問題ありません…ただ、目の前が回って…」
白山くん、回復で疲れてるだけなのはわかるけど、海に連れてこられ、どうしたらいいかわからず、遊ぶの誘われても自分が参加していいのかと断ってしまい、日向でぼーっとしてて、具合悪そうにしてるのに気づいた誰かに心配されて「問題ありません…ただ、目の前が回って…」って倒れるのが想像できる。
気が付いたらパラソルの下で、冷やしたタオルとか乗せられてて、心配そうにのぞき込む秋田くんとごこちゃんが「だ、大丈夫ですか…?」って聞いてきたり、「目覚めた?えっと、飲み物飲み物…」ってクーラーボックス漁りにいく乱ちゃんがいたりして、ああ自分は倒れたのかって自覚する白山くん。
で、「こういうときってスポドリ?お茶?」「アクエリもポカリもあるよ!」「白山は何が飲みたいー?」って矢継ぎ早に言われて混乱してると、いち兄が「こらこら、彼が困っているだろう?」って出てきて、「薬研が様子がおかしいと気付いたんだ…気付けずにすまなかった」って言われたりする。
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otoha-moka · 5 years
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――相手はどういう刀ですか?
――相手はどういう刀ですか? 長義「見ているとイライラするタイプ」 まんば「どちらかと言うと苦手なタイプ」 ――偽物と呼ぶことについてどう思いますか? 長義「偽物くんは偽物くんだよ、訂正?なんで?」 まんば「写しは偽物とは違うのでやめてほしい」 こんな感じ。
――仲良くなりたいなどはありますか? 長義「は?歩み寄り?どうして俺が譲歩しないといけないんだよ」 まんば「距離はできるだけ置いておきたい…」 ――相手とはどういう関係ですか? 長義「俺が本歌でこいつは写し、それ以上でも以下でもないな」 まんば「同じ本丸の仲間として大切には思ってる」
――お付き合いしていると聞きましたが? 長義「まあ一応ね」 まんば「えっそうなのか?」 長義「…?!もう何度寝てると思ってるんだよ」 まんば「いや…別に付き合わなくてもすることはできるし…大体お前、俺が嫌いなんだろう?」 長義「は?なんで?」 まんば「…少し前の自分の回答見直してこい」
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otoha-moka · 5 years
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1LDKに暮らしてるちょぎくに(共ににょた)
1LDKに暮らしてるちょぎくに(共ににょた)、長義くんが帰り遅くなってもまんばは待っててくれるし、「ただいまー」って疲れた声で家に入ると、まんばが「おかえり、長義。今日もお疲れ様」って言ってくるから、長義くんはまんばに体重を預けて「ほんとに疲れた…ちょっと補充…」ってなるじゃん…?
それで、ほんとに疲れてるんだなってなったまんばは「長義、夕飯…は食べたってさっき言った(※LINEで)から、お風呂…」って声かけるんだけど、長義くんが「うん…ああそうだ、先にベッドで待ってて。寝ちゃダメだよ」って言い出すので「え…でも、長義疲れてるだろう?」ってまんばは返すんだけど、
これ、まんばは疲れてるんだから早く休もうって提案だったんだけど、長義くんは「うん、だからお前を可愛がりたい。…わかったならいい子で待ってて、いいね?」って言って、欠伸しながらお風呂場に向かってしまうので、まんばは為す術もなく、結局ベッドで大人しく待つことになるじゃん…。
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otoha-moka · 5 years
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ケーキ屋さんを営んでる国広兄弟と、女性向け雑誌の記者?してる長義くん
ところで、今日くにひろ(ローマ字表記)って名前のケーキ屋さんを見つけたので(折角なのでショートケーキを買った。今夜のデザート)、ケーキ屋さんを営んでる国広兄弟と、そこに取材に訪れてまんまとまんばに恋してしまう女性向け雑誌の記者?してる長義くんというちょぎくにの話をしていい?いいよ。
そのお店は少し郊外の、各駅停車しか止まらないような駅の商店街の、さらに少し外れに位置しているお店で、だから長義くんも別に取材しに行きたくて見つけたとかじゃなくて、休みの日に、今日は少し寄り道して帰ろう、みたいなそういう気分でいつも通らない道で帰った時に、
可愛らしい外観のお店が目に入って、職業柄そういうところにふらりと立ち寄る癖があった長義くんはお店に吸い込まれていったのね。「いらっしゃいませ」と背の低い男性、まあ堀川くんなんだけど、堀川くんがにこやかに声をかけてきて、長義くんはそれを特に気にする様子もなく、
これもまた職業柄の癖で店内を見回して、商品を値踏みするよう��じとっと見てしまう。堀川くんはそんな長義くんに対して、機嫌の悪いお客様なのかなと思って、「すみません、今日はもうすぐお店閉めるので、あまり残ってなくて…」と申し訳なさそうにするんだけど、
そこで長義くんは自分の悪い癖に気がついて「あ、ああ…すまないね、職業柄こういう店は観察してしまうところがあって…不快だったかな」と堀川くんに返す。「いえ!気を悪くされてないならそれでいいんです。職業柄って、貴方も何かお店を?」「いや…俺は、」こういった店を雑誌に乗せるのが仕事で…
と言おうとしたところで、奥の方から人が出てくる。まあまんばなんだけど。「兄弟、明日の仕込みについて兄弟が言ってたことなんだが…」と周囲を気にする様子もなく店の話をしかけたまんばは、もう店には誰にもいないだろうと思っていたのか、長義くんの姿を認めると、少し驚いて、
それからやや気まずそうに「す、すまない…!」と言って、あわてて引っ込んでしまう。「あ、兄弟!…本当にすみません、ちょっと向こう行くので、ごゆっくりどうぞ!」とぺこりと頭を下げて、「兄弟、明日の何ー?」などと言いながら、堀川くんまで店の奥へと引っ込んでしまう。
「…不用心だな」1人店内に取り残されてぽかんとしていた長義くんは、ぽつりとそう零して、それからケースの中のケーキを眺めた。
しばらくケースを眺めながら待つと、堀川くんが戻ってくる。「お客様なのに、お待たせしちゃってすみません!」と言って、小さい体に忙しない様子の堀川くんに、長義くんは小さく笑みを作って、「いや、いいよ。知らなかったとはいえ、閉店間際に店に寄った俺にも非はあるしね…それより、彼は?」
と気にしていないことを伝えつつ、まんばについて訊ねた。堀川くんは、少し言葉を探すように目を逸らして、それから「彼、えっと、彼はその…ここのパティシエで…でも、ほら、あんな見た目だから目立つでしょう?でも、それが不本意みたいで。それで、お客様が来店されてる時はずっと奥にいるんです。
だから、貴方がいて焦っちゃったみたいで…」と纏まらないような言い方で話して、最後に、悪い子じゃないんですよ、と続ける。
続き。堀川くんがまんばを守るような発言は少々気にかかったものの、自分には関係ないか、と長義くんは思い直して、その日はショートケーキをひとつ買った。家に帰って早速食べてみると、これがまた美味しい。ふんわりとしたスポンジは口当たりがよく、ほどよい甘さの生クリームは苺を引き立てる。
甘すぎないクリームではない。しっかりと甘いのにしつこさがない。数々のスイーツを食べている長義くんでも、驚くほど美味しいと感じた。こんなに美味しければ話題にもなっているのではないか、いや、取り上げられているのを見たことはないな、そう思いつつもネットで調べてみる。
店のホームページはなく、食べログみたいなのにも登録はない。だから、勿論話題は余り見つからなかった。立地もそんなにいいわけではない。これがもし、表参道なんかにある店ならば、あるいは行列でもできていたのだろうと思う。そこで、ふと店員は名札をしていたな、ということを思い出した。
その名前で検索をかけてみる。話をした店員の名前は見つからなかった。しかし、似た名前として、あのすぐに奥に引っ込んだ金髪の青年が、写真付きで見つかった。数年前の、世界大会ジュニア部門のページだ。「…フランスの、世界大会の優勝者…?」思わず呟く。
そのページにあったのは、フランスで2年二1度開催されるスイーツの世界大会の、25歳以下のジュニア部門での優勝記録だった。少し考えて、当時のニュースを新聞社のサイトで調べてみる。「6年前の10月…あった…なになに…?”15歳、スイーツの世界大会で歴代最年少での優勝”…」
長義くんがスイーツ業界に詳しくなったのは、あくまで、仕事として覚えていくうちに、というやつで、だから当時このニュースに興味関心などもなく、したがって覚えもなかった。「15歳…じゃあ、今は21か…俺よりも年下じゃないか」ほんの興味だ。次は、彼とも話をしてみたい、と思った。
追われる夢を見て、まんばは飛び起きた。時間を見ると、まだ起きる時間まで少しある。悪い夢だったからか、少し荒い息を調えて、窓を見る。まだ暗い。けれど、そんな静寂がまんばを何よりも落ち着かせた。この家にはテレビはない。まんば自身が嫌がったからだ。
大会で優勝してから4年間、まんばはずっと引きこもりだった。家の外というのがどうしてでも怖い。だから、安全な家の中に籠るようになってしまった。そんなまんばに対しても、兄弟は優しかった。「大丈夫」「兄弟のせいじゃない」「何も悪くない」と繰り返し言ってくれる兄弟が、まんばには2人いた。
まんばにとって、当時の救いといえばそれくらいだと思っていたし、逆に言えば、彼らがいたから自分はどうにかなったのだとも思う。2年前、通信制の高校で高卒認定を受けて、それから夜間の専門学校に入った。二度とするかとすら思っていたお菓子作りを再開した。
それから、兄弟達の手伝いということで、兄弟が3年前から営んでいた洋菓子店に、パティシエとして入ることにして、今年から本格的に働き出した。
「兄弟、おはよう」リビングに向かうと、山伏さんがもう起きてて、まんばは声をかける(ところで、この3人は実兄弟なんだけど、名前はいじらずそのままでいきます)。山伏さんはまんばを見て「うむ、おはよう兄弟。今朝は早いのであるな…気分はどうだ?」と聞いてくる。
まんばは困ったように笑って、「はは、兄弟は心配症だな。俺はもう大丈夫だと何度も言っているだろう?」と答える。「カカカ!兄弟が息災ならば何よりであるぞ!」なんて山伏さんがからっと笑っていると、眠たそうに目を擦りながら堀川くんが入ってくる。
「おはよー…2人とも早いね、今日って朝早くにやらないといけないことあったっけ…」「昨日の通りだ。兄弟が当番だから、俺たちはない」「あ、そうだったね…あ、朝ごはん!スクランブルエッグ美味しそう!」そんな感じで、3人仲良くいただきますして朝ごはんを食べた。
長義くんが再び店に訪れたのはそれから数日経ってからのことだった。平日の、仕事終わりかと思われる時間。長義くんはその日はスーツで、ああ仕事帰りなんだなと思わせるような格好をしていた。「いらっしゃいませ!あ、この前の方ですね、こんにちは」堀川くんは記憶力がいいのか、
それとも長義くんが印象に残りやすいのか、あるいは両方か、それはともかくとして、堀川くんは長義くんのことを覚えてて、そう声をかける。「こんにちは。この前の、すごく美味しかったよ」「わあ、そう言っていただけると嬉しいですっ!あのクリームの味、兄弟の自信作なんですよ」
「へえ、この前の彼のことかな」「はい!お仕事はこの時間に終わるんですか?」そう親しげに話しかける堀川くんに、長義くんはさっと名刺を渡した。「…実は、俺はこういった者でね。今日は仕事で来たんだ」名刺を受け取った堀川くんは、まじまじとそれを見つめて、それから少し眉を八の字に寄せる。
「…出版社」「ああ。俺…いや、私の担当は女性誌のグルメページで、今日はこの店を載せて貰えないかと打診しに来ました」「…え、と」「もちろん、悪いことを書くつもりはありません。さっき言った通り、ここのケーキ、すごく美味しかったので、この店を紹介したいと思ったんです」
「でも、でも、お店っていうなら、もっと大きいところとかの方が…」「今はこういった、少し郊外にあるような小さな店も人気があるんですよ。隠れ家的…というのを聞いたことはありませんか?それに…」あと一押しか、と長義くんは考える。それから、一呼吸おいて「彼、山姥切国広さん、でしたね。
スイーツの世界大会のジュニア部門での優勝経験があるらしいじゃないですか」と続けた。その言葉に、途端、堀川くんの瞳が曇る。華々しい記録だから、長義くんはあれ?となった。けれど、堀川くんは「その…すみませんが、お断りします」と答える。「え、」
「本当にすみません…!気持ちは、嬉しいんですけど、でも…」どうしてでも無理、と言うようにぺこり、と堀川くんは頭を下げる。その様子に気がついたようで、バックヤードの方からまんばが出てくる。「兄弟、何かあったのか…?って、あんた、この前の…」
そう言って、堀川くんと長義くんの間に何度か視線を行き来させて、まんばは堀川くんがケースの方に置いた名刺を見た。「…出版、社」「兄弟、この人は…」「すまないが、取材の類なら断っている…引き取ってもらいたい」堀川くんがなにか言おうとするも、それを遮って、まんばははっきりとそう告げる。
断定的な口調とは裏腹に、確かに名刺を見た瞬間、ほんのその一瞬、まんばの表情が青ざめたのがわかった。
長義くんが去っていって、堀川くんは、はあ、とため息をついた。置きっぱなしの名刺をまんばから隠すようにしまう。「ごめんね、兄弟。嫌なもの見せちゃって」その言葉に、まんばは僅かに眉を寄せ、「…兄弟たちは心配のしすぎだ。もう、6年前のことだし、俺は大丈夫だと言ってるだろう」と返す。
堀川くんはまだ納得いっていない様子で「でも…」と少し顔を伏せるので、まんばは追い打ちをかけるように「それとも、兄弟は俺が信じられないか」なんて問う。そんなこと言われたら、堀川くんは何も言えなくなっちゃって「ううん!そんなはずないよ!
でも、心配はさせて…僕らも、6年前みたいなのはもう二度とごめんなんだ」なんて言うので、今度はまんばが黙った。そんな空気をあえて壊すように、堀川くんはパン!と手を叩き、「さて、もうお店閉める時間だね、僕はお店の前の方やるから、兄弟レジをお願い。
裏口は兄弟がそろそろ帰ってくるから閉めちゃダメだよ」と少し早口で言うから、まんばは「…ああ、わかった」と物分り良さそうに返事をした。 国広兄弟の家庭は母子家庭。歳の近い兄弟の堀川くんとまんば、少し歳の離れた山伏さんの三兄弟で、お母さんはいわゆる夜の仕事がメインで、
昼間もたまに働きに出ていて、それでなんとか3人を育てあげた(珍しくいい人設定)。だから、ご飯はまんばと堀川くんが幼い頃は山伏さんが、2人が少し大きくなる頃には3人で作ってて、まんばにお菓子作りの才能が芽生えたのはそんな最中。いつもひどく疲れて帰ってくるお母さんに、
なにかしてあげられないだろうか?となって、じゃあ何か作ってあげたい、と思って3人で考えたのが、疲れた時には甘いものというフレーズから甘いお菓子で、3人でその時は協力して作った。お母さんはそれを食べると微笑んで3人の頭を撫でて、「ありがとう、とっても嬉しいわ」と抱きしめてくれた。
その時に、特にまんばはお菓子作りの楽しさに目覚めた。甘いお菓子で、お母さんはこんなに喜んでくれた!もっと色々と作れるようになりたい!兄弟達にも食べさせてあげたい!そうしたら兄弟達もいっぱい笑ってくれるんじゃないか?そんな子供らしい発想で、お菓子作りにのめり込んでいった。
が、趣味で終わらなかった。まんばのお菓子作りの才能の伸びしろはとんでもなくて、中学にもなると家庭科の先生にコンクールに出てみないかと提案される。最初は目立つのが嫌いなまんばは乗り気ではなかったけど、何せ家はあまりお金が無い。その時のコンクールは規模こそ小さかったものの、
優勝賞金はそれなりに美味しかった。まんばは、今月は厳しいと働き出した山伏さんが言ってたのを思い出して、そのコンクールの出場を決めた。これが、うっかりまんばは優勝してしまう。それからはとんとん拍子で、もっと大きい大会への誘いがかかり、
結構のめり込むタイプのまんばは、せっかくだしもっといいものを作ろうと謎の職人気質を発揮し、そんなこんなで15歳にして世界大会のジュニア部門で華々しく優勝してしまう。が、これがまんばにとっては地獄の始まりだった。
15歳の少年が最年少でジュニア部門とはいえ、世界大会で優勝した、しかもその少年の容姿はひどく整っていて、その上母子家庭育ちといういかにもドラマ仕立てにできそうな境遇までもっている(実際は母子家庭で生活に多少の苦労はあれど、まんば自身はそこまで極端に我慢を強いられたりはしていないし、
お菓子作りもきっかけはともあれ、好きだからやっていたけど、テレビではなぜか、何か涙ぐましいエピソードが勝手に色々と付与されてたりした)。まんばがメディアの注目の的になるのに時間はかからなかった。長義くんは6年前のそんな一瞬世間が湧いた話なんてすっかり忘れているが、
当時はそれなりに世間をさわがせた時の人だった。雑誌を開けば自分がいる、知らぬ間にニュース番組で報道されてる、学校の先生がインタビューを受けていて、インターネットを見ればあることないこと噂をされていた。整った容姿ゆえに、中にはかなりゲスい話題や勘繰りもあって、
でもまんばがどれだけ「違う」と否定してもそれが止まるはずがなくて、しまいにはお母さんや兄弟までもカメラに追いかけられたりとか、職場に押しかけられたりして、疲弊していった。まんばは、自分はなんてことをしてしまったんだろうと痛く自分を責めて、部屋にとじこもるようになった。
そんな出来事が、6年前のこと。だから、まんばはテレビの類は今でも嫌いで、兄弟もそれをよく知っていてテレビは置いてない。新聞もとってない。けれど、それだけでは終わらない。自分が引こもることで矢面に立たされたのがお母さんだった。
お母さんがメインで働くお店は夜の店なので、あまり表沙汰に出来ない。メディアがそのお店をうっかり報道してしまって、すると世論は批判した。お母さんが何かした訳では無いのに、勝手に母親のせいでまんば自身が引きこもるようになったかのような言い方をされるようになって、
お母さんは騒ぎになってしまった責任として店を辞めさせられた。山伏さんはその時は大工の仕事をしていて、親方がかなり面倒見が良く、なんとか守ってくれたけど、息子に背負わせてしまったことを責めたお母さんまで、ついには病に伏して、散々自責した挙句、
一年経つ頃についにはふらりとどこかにいなくなってしまって、数日後遺体で発見された。その頃にはすっかりメディアは沈静化していて、誰もそのことを話してはくれなかった。以来、3人も母親の話題は避けている。
とまあ、一連のそれらをずっと見てきた山伏さんと堀川くんは、いつかまんばだけでも元気になったのなら、その時にすぐに好きだったお菓子を作れるようにと、お店の経営の仕方を独学で学んで、今の洋菓子店を作った。目論見は大成功と言える。
まんばはそんな兄弟を見て、少しずつ社会復帰をして、今では裏方とはいえ一時期はトラウマだったお菓子作りも楽しく再開できているし、何もかも元通りではないけど、上手くいっていると思えた。そんな中雑誌の取材依頼ときたから、まんばは頑なだったし、堀川くんもまんばの経歴を話した途端断った。
が、もちろん長義くんはそんなこと知らないし、長義くん自身も上司にめちゃめちゃおすすめしてしまって、話を通してしまった後だったので(はっきり言ってケーキの味に惚れた)、諦めきれないところはあった。というわけで、長義くんは「やっぱりいきなり依頼はまずかったかな…」となってる。
で、長義くんはしばらく通ってもう一度依頼してみようか、と考えて、店の常連になるのだった。なにせ長義くんは、本当に6年前のそんなことなんてさっぱり覚えてない、いや朧気になにか話題になってた奴がいたかなあくらいには思うけど、話題の芸人と区別もついてない。興味がほんとになかったので。
続き!ただのお客様としてなら、少なくとも堀川くんと、その後会った山伏さんは歓迎してくれた。そんなこんなで、曲げられない男長義くんが店に頻繁に訪れるようになったある日、店の裏手の方でまんばと偶然会う。「…店の入口は反対側だが」「ここを通っていくんだよ」「…わかってるなら、いい」
まんばはそう言うと、視線を逸らしてしまう。堀川くんや山伏さんはにこやかに歓迎してくれてるが、まんばはそうではないらしいことを長義くんはなんとなく悟る。が、諦めの悪さに定評のある長義くん。「お前こそ、ここで何を?」ともう話すことはないとばかりに壁を作り出したまんばに食い下がる。
まんばとて無視するほど冷たくもなれず「…空調」とだけ答える。見れば、まんばの前にはエアコンの室外機がある。「壊れたのか?」「それが、効きが悪いんだが、何が悪いのかさっぱりで」「壊れたかな。うん…?いや、待てよ…何か、音がする」「音…?」室外機をよくよく見る。
近付いたからか、長義くんは何かの音が中からしていることに気が付いた。まんばも長義くんの言葉に耳を近付けて確認する。「…本当だ、鳥の鳴き声のような…中に入り込んでしまったんだろうか…すまないが、少し見ててくれ。動かしてみる」そんなこんなで、室外機には小鳥が巣を作っていた。
「あ、鳥…と巣…」「あーあ、これはまた、綺麗に作られちゃったな」「どうしよう…」まんばは本当に困ったような表情で狼狽える。「場所が場所だし、許可も降りそうだけど」もう夏だし、室外機が使えない状態は飲食物を扱う店としては死活問題だろう、と長義くんは考える。
まんばは何か考え込むようにしていた顔を上げ、「いや、ここの室外機は上の家の方のやつなんだ…店のは、向こうの方。雛ってすぐにいなくなるんだろう?…もう少し待ってみようと思う」などと返す。長義くんとしてはどっちでもいい話なので「したいようにすればいいんじゃないか」と答えた。
というわけで、図らずもまんばと話す機会を得た長義くん。まんばも一度話したことで少し慣れたのか、いつもの閉店ギリギリの時間にいけば、たまに奥からひょっこり顔を出すようになった。
続き!そんなこんなで、まんばと話す機会が増えた長義くんは、ある日、いつもの閉店間際の時間帯に訪れると、いつもいる堀川くんがいなくて、代わりにまんばがいるのに気が付く。「あれ、今日はお前だけ?」「…俺で悪かったな」「悪いとは言ってないだろう、曲解するな。珍しいと思っただけだよ」
「…あとは、来るとしたらお前くらいだから。だから、大丈夫だと言った。兄弟は、俳優の友人がいるんだが、そいつの応援に行きたがってたから」「へえ、そうなんだ」この俳優の友人はまあ兼さんなんですけど、それは置いといて、そんな会話を軽くした後、長義くんはケーキのケースに目を向ける。
今日ももちろん数は減っているが、それでも宝石のようにきらきらと光るケースの中のケーキを眺めて、どれにしようかと吟味する。すると、まんばの方から「…この前の鳥のことだが」と声をかけてくる。「ああ、室外機の?」言えばまんばはこくりと頷いて、「雛は巣立ったみたいだ」と続ける。
長義くんはケーキを選びながら、あまり真剣ではなく、半分くらいになんとなく聞いていた。けど、まんばは気にする様子もなく、「それで、この前世話になったし、お礼…になるかはわからないんだが…」と言って視線を泳がせる。長義くんが顔をあげて続きを待っていると、
まんばは「その…ちょっと…」と言って手招き、店の奥に来るよう促した。「…ここ、入っていいのか?」「構わない。一応そこのアルコール消毒は使ってくれ」「ん?ああ、これか。じゃあ遠慮なく」そう言って店の奥、厨房の方に行く。まんばは大型の冷蔵庫を開けて、それからすぐに戻ってきた。
両手には皿を持っていて、そこにはゼリーのような、見るからによく冷えたフルーツのお菓子がある。「え、と…これ、と…それからこっち。もう夏だから、食べやすそうなものを…と、その、新作で…」「新作?もう売り切れちゃってる分かな」
「…いや、まだ店には出してない。お前はよく来てくれるし、この前も世話になったし、その、お礼というか…い、いやだった…だろうか…」「嫌なんて、そんなわけないだろう。むしろ光栄だよ、俺はここの味が好きなんだから、一番乗りなんてね」そう言って、引っ込めようとしたまんばから皿を受け取る。
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otoha-moka · 5 years
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付かず離れずを繰り返しつつ最終的に同棲する話
第二弾もかのちょぎくにの同人誌、発行決定しました! 内容ですが もかのちょぎくにが付かず離れずを繰り返しつつ最終的に同棲する話で、年齢制限はなし、こちら大変相手への想いが溢れに溢れた作品となっております! 是非ご一読ください! https://shindanmaker.com/760585 付かず離れずめっちゃありそう。
同棲ってか、嫌でも一緒の本丸に住んでるので、これは多分現パロ。小学校の頃同じクラスで、社会人になってから偶然再会、それ以来何かと友人関係のようになるが、実は幼い頃の小さな初恋をお互いにしていて、仕舞い込んでいた想いが再び芽吹いて、あとはいつもの少女漫画…的なやつ。私が見たい。
「お前、もしかして山姥切…?」という声が重なった。幼い時分、珍しいと思っていたから、同じ名字の奴が同じクラスにいることに驚いて、それから何かと気にかけるようになった。そのあとは、長義くんは親の都合で転校して、それで終わり。そんな感じで終わった2人だったが、ある日偶然にも再会する。
場所は、バー。もっと言えば、いわゆるゲイバーと呼ばれるようなところだった。「あんた、いつの間に戻ってたんだ?確か、転校ってアメリカとかだったよな」「高校生のときかな?あの時と同じく急に帰ることになってね」「はは、それは大変そうだ」
「本当だよ、子供の都合も考えてほしかったな。お前は?今は何してるんだ?」「俺?俺、は…今は、色々とあって…」そういってまんばは言葉を濁す。詮索しない方がよさそうだ、と長義くんは「まあ、どうでもいいけど」と言ってまんばから目を逸らした。
「あ、そうだ。連絡先教えてよ。こんな所で昔なじみと会うなんて滅多なことじゃないしね」その日は昔話で盛り上がり、そのまま2人でバーを出て、まだ少し肌寒い3月の夜空の下を2人で歩いて駅へと向かった。場所が場所とはいえ、旧友との再会だ、嬉しくないはずがない。
見れば、まんばは飲酒しているからか、それとも別の理由か、白い頬を少し紅潮させている。彼も同じ気持ちなのだろうか、と長義くんは少し回らなくなった頭で考えた。もうすぐでお別れ、となるのは惜しい。そうして、長義くんから、まんばに連絡先の交換を持ちかけたのだった。 って感じで再会する。
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otoha-moka · 5 years
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ちょぎくにとにょたちょぎくに
長義(♀)「長義と上手くいってない?それ、その男のせいじゃない?」 まんば「え、あ、いや…そうではなくて…」 長義「は?俺の(強調)国広のこと、何も知らないくせに知ったような口をきかないでくれないか?」 ってまんばそっちのけで言い争いが始まる(長義(にょた)のが強い)。
で、 長義( ♀ )「へえ、山姥切長義ともあろう刀が負け惜しみかな?まあ仕方ないか、ろくに出かけることすら出来ないそっちとは違って、こっちはこの前もふたりで(強調)温泉に行ってきたし…ねえ国広?」 まんば( ♀ )「えっああ、そうだな…?」 ってずっと膝に乗せてたまんば(にょた)が巻き込まれる。
長義()「気持ちよかったよね、料理もすごく美味しかったし、女将さんも気が利く方で…」 まんば( ♀ )「…たしかに、優しい方だったが、」 長義( ♀ )「ふふ、あの時の国広もすっごく可愛かったよ」 まんば( ♀ )「…っ…い、今そう言う流れだったか…?」 長義「ほら、困ってるみたいだけど?」
長義( ♀ )「困った顔も可愛いだろう?」 長義「うわ…いい性格してるな、お前…」 長義()「この国広の可愛さを理解できないなんて可哀想に…」 長義「…っ言っておくけど!俺の!(ド強調)国広の方が可愛いんだよ!」 まんば「可愛いとか言うな…っ!(条件反射)」
長義���おい国広、俺達も温泉行くぞ!」 まんば「えっいきなりどうした?!」 長義「どうもしなくても!」 というわけで唐突に温泉に行くことになる。なんやかんやで仲良く?なってWデートとかしてほしい。
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otoha-moka · 5 years
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ちょぎ←くにからのちょぎくに
朝言ってたやつ。ちょぎ←くにからのちょぎくに。 まんばが長義くんに片思いしてて、長義くんはこの頃は「写しが本歌に懸想など意味がわからない」とか思ってて、その事実に毛嫌いしていたので、まんばの気持ちに気付くと、ちょっとからかって振ってやろうとかそういう出来心で、
まんばを呼び出し「お前、俺のことが好きなんだろう?」と詰まった。自分を「偽物」と呼び嫌う彼を、それなのに恋しく思ってしまう自分を責めては、でも、こっそり見るくらいなら許されるだろうか、と思っていたまんばは大層慌てふためくんだけど、
長義くんはそれに対して「いいよ、付き合ってあげる」と言ってしまう。というわけで、長義くんはまんばに恋愛感情はないまま恋人になってしまったが、まんばから長義くんを求めてくることはない。長義くんは不思議に思うけど、何せ長義くんは現状そういう意味で好きではないので、
自分からまんばを求めて抱こうとかそういう発想には至らない。でも、何も無いというのもどうなんだ?とそこそこ真面目に長義くんは考える。それで、入ってたドラマにでてきた指輪を渡す光景を見て、本当に気まぐれに適当な、それこそおもちゃの指輪なんかを買ってきて、まんばに渡す。
まんばは少し驚いて、それから「ありがとう、大事にする」と嬉しそうに目を細めるのだった。こうしていると、長義くんの良心にちくりと刺すものがあったけど、でもここまでやってこっぴどく振ればこいつも俺への想いなど捨てるだろうと思っていたし、
何よりも、自分の行為に対して「よくないこと」という認識が長義くんにはあるので、だからこそ認めがたかったために、引き摺っているのもある。 ある晩、長義くんはその日夜戦出陣だったので帰ってきて夜遅くにお風呂に入って、それで風呂上がりに縁側を歩いて自室へと戻ろうとしていたときだった。
まんばが縁側に座っていて、気まぐれに渡した指輪を月明かりに照らしている。何となく声をかけてはいけないような気がして、長義くんはさっと息を潜めて隠れた。すると、その日長義くんと同じ部隊だった堀川くんが逆側から歩いてきて、まんばに気付くと「兄弟、まだ寝てなかったの?」と話しかける。
それから「…それ、指輪?」と尋ねた。まんばは「…ああ、貰ったんだ」と少し声色を明るくして言うので、「そっか。…あ、そういうのって、左手の薬指に付けるんだよね」と堀川くんが察してくれて返す。しかし、まんばはそれに対して「いや…それは、出来ない」とこたえた。
聞き耳立ててる長義くんがどういうことだと思っていたら、堀川くんも疑問に思ったらしく聞いてくれる。まんばは「…あいつは、別に俺のことはなんとも思ってないんだ。だから、そんな勝手はできない」と言って、
それから、何か言いたげな堀川くんを制して「好きでいることを許してくれているだけで、もう十分なんだ」と不器用そうに微笑むのだった。 翌朝、長義くんは昨晩のまんばの言葉とあの微笑みが頭から離れなかった。だって自分の打算など全て気付かれていたのだ。自分でも酷い仕打ちをしたと思う、
それでもなお、何一つ糾弾することなく、今だって斜向かいに座って朝ご飯を食べている。じっと見ていたら視線に気付いたのか、まんばはちらりとこちらを見て、少し恥ずかしそうに目を逸らした。その行動の一つ一つが長義くんには不可解だ。
こちらはお前の心を弄んでいるようなものなのに、なぜそんな顔ができるんだ。眉を顰めて長義くんはそう思う。見れば、やはり指輪はどこにもしていなさそうだった。
そんなこんなで、イライラが募る長義くん。まんばは相変わらず何かを求めてくるようなことはない。そもそも長義くんは後々振る予定だったのに、まんばが「好きでいることを許してくれている」だなんて言うのを聞いたせいでタイミングを逃した(と、長義くんは感じている)。それもまた腹が立つ。
なんで腹が立つのかはわからないけど…と、そんな感じで、長義くんが向かった先はまんばの自室。夜だし、まんばは今日は出陣予定などもないから、自室にいるだろう。そう思って、声をかけることもなく、勢いよく戸を開ける。「…長義?どうしたんだ、こんな時間に」とまんばは驚いて長義くんを見る。
その瞬間にまんばが慌てて何かを隠したのが見えて、長義くんは無言でズカズカとまんばの方へ歩いていって、捻りあげるように手首を掴む。「痛っ…な、なにするんだ…っ!」「今、何を隠した?」「何、言って…」「何か、隠しただろう?何を隠した?」「…隠してなんて、」「…ふぅん、引き出しね」
そういって、目が泳いだまんばの視線の先、手近にあった文机の、勢いよく閉めたせいで少し開いてしまっている引き出しを開けると、そこには、手の取りやすい位置に例のおもちゃの指輪があった。「これ…」「…っやめろ!」「…俺があげたものなんだから、俺が手に取っても問題はないだろう?」
長義くんがそれを手に取ると、まんばは零れそうなほどに目を見開いて、それから「返せ!」と声を荒らげ、長義くんが掴んでいた手を振り落として、長義くんが持っていた指輪を奪うように取り返す。まるでお気に入りのおもちゃを取り上げられた子供のような反応に、長義くんの苛立ちはさらに募る。
「…抱いてやろうか?」そんな長義くんが思わず放った言葉はそんな言葉だった。まんばは固まってしまって言葉がでない。ようやく出たと思えば「は…?」という一音だけ。長義くんはそんなまんばの様子に構うことなく続ける。「聞こえなかった?抱いてやろうか、と言ったんだよ」「…何、を」
「少なくとも、おもちゃの指輪より余程満足できるだろう?」その言葉は言外に、だから指輪は手放せ、と言っていた。それはまんばにも伝わったようで、まんばは何度も首を横に振る。拒絶だった。長義くんは頑ななまんばにすっかり興醒めしたとでも言うように立ち上がる。
「…そんな、おもちゃの指輪の方がいいだなんて、偽物くんは随分と少女趣味だったんだね」「…なんとでも言え」そうして長義くんは嵐のようにまんばの部屋から出ていくんだけど、長義くんが部屋から出ていってからもまんばは放心していて、ずっと障子戸から目が離せなかった。
ふと手に握られた小さいものの感覚がして、おもちゃの指輪に目を向ける。自分の感情など、このおもちゃの指輪と同じで、長義にしてみればなんの価値もないんだろう、だなんて、そんなことをふと考えた。それでも好きだというのだから、自分は到底どうかしている、とまんばは自嘲する。
はた、と自分勝手な考えをしていた、とまんばは思い直した。思いもよらない相手から唐突に恋愛感情を向けられるのは、やはり酷く気味が悪いものだ、とまんばは自身を戒める。「…だから、好きでいていいというのは、幸せなことだ」まんばはひとりきりの部屋で、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
そんなこんなで長義くんは相変わらずイライラしていた。自分よりも自分が気まぐれてくれてやったものを、自分のことが好きだなどと宣う写しは優先した。ひどい仕打ちをしているとは今でも思っている。でも、まんばの方から何か糾弾すること相変わらずない。
ひょっとして、あいつはその実、俺のことは大して好きじゃないんじゃか?と 長義くんは思いついてしまう。おもちゃの指輪を大事にしているのも、案外本当にああいうのが好きなのかもしれない。何せ、長義くんはまんばのことなんて何も知らないのだから、まんばが何を好きかなんてのも見当がつかない。
そんなこんなで、状況は進退のないまま日々は過ぎ去っていく。そこまで来て、長義くんはここまできておいて自分から別れを切り出すのは癪だと感じるようになっていた。どうせ、まんばは自分が恋愛感情を持たずに付き合うことを持ちかけたことに気付いている。
今別れを切り出したところで、別に恋人らしいこともしてないし、「ああ、そうか」で終わるのではないか、それは嫌だ、と長義くんは考えていた。それどころか、あの様子なら、気まぐれにやった指輪の方が今の関係よりも優先順位が高いかもしれない。このまま別れるのはとにかく自分の気が済まなかった。
そんな膠着状態の明くる日、アクションがあったのはまんばの方だった。部屋を訪れたまんばは「先日はすまなかった」とこともあろう事か謝罪してくる。まさか、あの時抱いてやると言ったのを本気にした?今になって惜しくなったとか?なんて考えたが、まんばの言葉は全く違うものだった。
「わかっていたんだ、お前が、俺を好きではないことくらい…ずっと見ていたからな」そういって切り出したのは「だが、俺の我儘で付き合わせてしまっていたんだな…先日、それを思い知らされた…今まですまなかった」という言葉から始まる、長義くんが望んでいたはずの別れの言葉だった。
それからさらに数日。これでやっと終わった、と長義くんには思えなかった。もやもやとした感情がどうにも拭えない。そのもやもやが何か長義くんにはわからない。ただ、その原因がまんばだということだけははっきりとしていた。まんばはあからさまに長義くんを避けていた。
南泉くんが「お前ら何かあったのか?」と声をかけてくるほどにはわかりやすく。南泉くんは「まあ、こんなに大人数の本丸だし、関わろうとしなければ関わりようもないか、にゃ。あいつも忙しそうだし…」と続けてきた。
「…忙しい?」「にゃ?知らねーのか?ほら、あいつ昔からいるだろ、だからあちこちの面倒とか見てるんだってよ」そこで長義くんはハッとした。そう、今までは、まんばとは何もせずともそれなりに関わりがあって、話す機会も嫌でもあった。同じ本丸にいるのだから、それはそうだろう、と思っていた。
でも違う。長義くんではなく、まんばの方が関わろうとしていた。だから、長義くんはまんばと会う機会も話す機会もあった。まんばが避けているのではなくて、何もないならこちらの方が”普通”のはずなのだ、と気付かされた。もやもやとした感情にイライラしていた長義くんは、そこではっきりと自覚した。
まんばが自分に関わろうとしないことが嫌だ。「写しが本歌に懸想など」とはどの口が言ったのか、いつの間にやら、まんばに特別意識されている、自分が何もしなくても、恋愛感情を自分に向けている、ということに胡座をかいていた。つまり、長義くんもまんばを意識していたのだった。
とはいえ、今更どうしようというのか。長義くんはすでにまんばから別れの言葉を受けている。まんばが積極的に長義くんに関わろうとしていないから、長義くんの方から関わりに行かないと、そもそもまんばは捕まらない。けれど、その方法が長義くんにはわからなかった。
わからないなりに、長義くんの方も日に日に思うところは増えていく。そんなある日、非番だった長義くんが街へ出ると、まんばがどこかの路地に入っていくのが見えた。なんとなくあとをつける。「本当に……たのか?」「…ああ、間違いない……のはずだ」まんばと、それからもう1人の話し声。
聞き覚えがないはずがない。その声は他ならぬ自分と同じ、山姥切長義の声だった。もう少し近づいて会話を聞こうと試みる。「すまない、手間をかけさせて…」「別に構わないよ、持てるものは与えなくてはね」「…だが、」「いちいち気に病むな、暇だった、と言っているんだ」
そう言う長義くんの目に見えたのは、別本丸の長義くんが例のおもちゃの指輪を手にしている瞬間だった。まんばと言えば、あの日怒って取り返そうとした時とは打って変わって、ひどく嬉しそうにしている。どうして、なぜ。居てもたってもいられなくなり、長義くんは走ってその場を去った。
自室まで戻って、戸をしめると、思い切り息をつく。結構な距離を走ったからかそれとも別の理由か、バクバクと心臓がうるさい。今の姿を誰かに見られていたらどうしようか、とすら思う。嫉妬だった。明確な嫉妬だった。ふつふつとまんばに対する怒りが湧いてくる。
筋違いだとは頭では理解しているのに、それが止まらない。別れてまだそんなに時がたっているわけでもないのに、もう誰かを見つけているのか、とか、山姥切長義なら誰でもいいのか、とか、少なくとも俺より優先するほど大事なものじゃないのか、とか、そんなことを次々と考えてしまう。
熱くなりすぎて冷えた頭で、そのまま、まんばの部屋の前まで来た。さほど時間をあけずにまんばが帰ってきて、長義くんの姿を認めると足を止めた。「…どうしたんだ?そこは俺の部屋…」「…帰るのが早かったな」「え?」「てっきり逢い引きだと思っていたから、もっとかかると思ってたよ」
わざとらしくからかうようにそう言えば、まんばは不快そうに眉根を寄せる。「…何言ってるんだ、俺は万屋に主から頼まれていたものを買いに行っただけで…」「名目はそうだろうね」「名目…?」「とぼけるのもたいがいにしたらどうかな…あんなに、大事そうにしていたくせに」
そういうと、まんばは少し驚いた顔をして「…まさか、見ていたのか」とまるでひとりごとのように呟いた。言質を取ったとばかりに長義くんは畳みかける。「”俺”なら誰でもいいってところか、俺だって、お前がそこまで節操なしだとは思わなかったよ」
まんばはその言葉には耐えられないとばかりに「そ、んな…いくらなんでも、」と言い澱む。小さく聞こえないような声で「侮辱だ」と言ったのが長義くんには何とか聞き取れた。「いくらなんでも?…それはこっちのセリフだよ。突然別れようと言ってきたのも、ひょっとして”代わり”でも見つかったから?」
勢い任せに放った言葉だった。その瞬間、今まであまり変化のなかったまんばの表情が思い切り歪む。「…”代わり”を、俺が求めた、と…お前は考えてるんだな」絞り出すような、泣きそうな声でまんばがそういうのを聞いて、しまった、と長義くんは思った。
いくら冷静さを欠いていたとはいえ、まんばがどこかの山姥切長義と会っていて、自分のあげた指輪をそいつが持っていたとはいえ、言うつもりのなかった言葉だった。それがまんばの柔い部分を刺す言葉だと、長義くんは知っていたから。
「…あ、」そんなつもりではなかった、と言おうとするももう遅くて、まんばは無言で部屋に入って、ぴしゃりと戸を閉めてしまう。先日のように、無遠慮に入ることは、長義くんにはできなかった。
部屋に入って、扉を閉めて、まんばは座り込んだ。溜め込んでいた涙が止まらない。この日、まんばは主に頼まれて万屋に買い出しに行っていた。結構な量の荷物で、主が誰かに手伝ってもらった方がいいかもしれない、と言ったのを、買い物くらいひとりでできるし問題ないと答えてしまったのを後悔した。
袋にいっぱいに詰め込まれたものを持っていたから、うっかりひととぶつかって、荷物を結構派手にぶちまけてしまった。それらを拾って詰め直して、その時、持っていた御守りをどこかにひっかけて落とした。御守りの中には例の、長義くんから貰った唯一のものであるおもちゃの指輪をこっそり入れていて、
だから二重の意味で、絶対になくしたくないものだった。探せば近くに袋部分はあった。しかし、紐が切れてしまっていて、中身はなくなっていた。そうして、ひとり指輪を探していたところ、「やあ、偽物くん…そんなところで何してるのかな」と声をかけてきたのが、よその本丸の山姥切長義だった。
「…写しは偽物とは」「はいはい、それで?お前は地べたを這いつくばる趣味でもあるのか?」「…。その、御守りを、落としてしまって、袋は見つかったんだが、中身が…」まんばがそういうと、よその本丸の長義くんは少し考える素振りを見せる。
「…中身?札の類か?」それなら、残念だけど風で飛ばされてしまってるんじゃないかな、と続ける。まんばは言いにくそうにしながらも「いや…指輪、なんだが…」と返した。「指輪?どうしてそんなものをそんなところに入れているんだか…まあいいか。形状は?特徴とかある?」
「え…あ、いや…無関係のあんたに探させるわけには…」長義くんはその話を聞くなり、しゃがんでゴミ捨て場の影になっている部分なんかを見ていく。
まんばが慌てて制止するも「いいから、ほら、どんなやつ?色は?なにか装飾はされてる?」と訊ねていく。まんばも折角の好意を無下にするわけにもいかないので「…おもちゃの、軽い材質で、銀の指輪」と答えていった。
「全然見つからないけど…本当にこの辺りに落としたのか?」「…ああ、間違いない…袋の部分はこの路地の入口に落ちてたから、この辺りのはずなんだ」指輪という特性上、どうしてでも転がりやすく、どこかの隙間に落ちてしまっているのかもしれない。そうして、少し入り組んだ路地裏まで探していった。
指輪を見つけたのはよその本丸の長義くんだった。「あった、探し物はこれ?」「…あ、それだ。すまない、手間をかけさせて…」よかった、とまんばは指輪を受け取る。大事そうにしている様子に、よその本丸の長義くんは不思議そうにしながら
「それにしても、そんな安物の指輪が大事だなんて、お前変わってるな」と返す。「貰い物なんだ…すごく、大事な」「…ふうん?お前のところの審神者からのものとか?」審神者が幼いのなら、おもちゃの指輪をまんばが大事そうにしているのも頷ける、とよその本丸の長義くんは考える。
しかし、まんばは静かに首を横に振った。「…いや、」と答えて、それから言いにくそうに目の前の長義くんを見る。「…まあ、どうでもいいけど。そんなに大切なものなら今後はなくすなよ」「本当にすまなかった…その、ありがとう…」そういって、路地から出て、挨拶を交わしてふたりは別れた。
少し予定よりも遅くなってしまったから、急いで本丸へと戻る。主に買い出し分を報告して、片付けて、それから部屋に戻ろうとしたところで、部屋の前の長義くんを見つけた。何か用だろうか?貰ったものをなくしてしまったことへの罪悪感が少しありつつ、まんばは声をかけた。
一頻り泣いたからか、少し頭が痛い。けれど、さっきよりは冷静になった。きっと、長義は自分があの指輪を落としたところを見ていたのだろう、とまんばは考える。「…代わり、か」さっきはその言葉に頭が真っ白になってしまった。
本科が来れば自分は用済みになるだろう、とよく不貞腐れていた頃のことを思い出す。もうずっと昔のことだ。そのことを長義くんも知っていることはまんばにもわかっていた。だからこそ、長義は俺がそうすると思ってるんだろうか、自分がされたくないことを他ならぬ好きな相手にすると、と考えてしまう。
長義くんの中でのまんばがそういうやつだというのが、まんばにとっては何よりも悲しい。「偽物」と呼び嫌う彼をそれでも好きになったのは、長い年月によるものだった。好きになるきっかけや理由があったわけではなく、本当にいつの間にか好きになってしまった。
好きになったことに理由がないなら、嫌いになる理由もあるはずがなくて、こんなにも悲しくて苦しいのにやっぱり嫌いにはなれそうにない。好きだというのがそもそも迷惑だというのに、自分の感情というのはままならず、身勝手だ、とまんばはまた、体育座りをした膝に自分の顔を押し付けるようにした。
やってしまった、と長義くんはかつてないほど落ち込んでいた。自分の行動が自分でも明らかに間違ったと思ったからだった。夕飯の時間になってもまんばがどこにも姿を現さないので、早く謝らなければならない、とも思った。色々と考えてたせいか、眠りは浅く、翌朝はいつもより早く目が覚めた。
着替えて適当に部屋を歩いていると声が聞こえてくる。すぐそこの部屋から聞こえる声だった。「何があったのか知らないけど、これきりにしてよ?」「すまない…朝早くに起こすような真似をしてしまって…」加州くんの部屋から聞こえてくる声は、加州くんのものと、それからまんばのもの。
長義くんは通り過ぎようとして、足��止める。「ちっがーう!朝早くってのはいいんだよ、安定がいつも異様に早起きだから、俺もいつも起こされるし…朝の散歩とかお爺ちゃんみたいな趣味してるんだよなあいつ…ってそうじゃなくて、痕を隠したいから化粧をしてくれ、みたいなのをやめろって言ってんの」
「もしかして、かなり手間がかかるのか…?」「かかんないよ、俺の手にかかれば朝飯前!そうじゃなくて、長年一緒にいる奴が目元腫らしてんのを何もないように偽装するのが嫌なんだよ、もう、恥ずかしいからあんま言わせんなって」長義くんはぎくりとした。酷く傷付けたという自覚があったからだった。
昨日の泣きそうな顔を思い出す、泣きそうな、というよりも、入ることが出来なかった部屋で泣いていたのだろう、というのは会話から容易に想像できた。きっと、例えば兄弟あたりにバレて心配をかけさせたくないんだろうな、というのも想像に容易い。あいつの考えそうなことだ、と長義くんは考え���。
「あーもう、お前擦ったでしょ、綺麗なのにもったいない…」「…綺麗とか、」「はいはい、わかったから目閉じて!」「あ、その…長義には、バレないようにしてほしい」バレたくないだろう対象が兄弟だと思っていたから、長義くんは驚いた。驚いて、さらに耳をそばだてる。
自分の名前が出てくるとは思っていなかった。「…やっぱあいつ絡みか。お前も頑張るね、俺はちょっと理解に苦しむな」「…俺は、欲張りすぎてしまうから。迷惑をかけたくないんだ…もう、これ以上は」その言葉を聞くや否や、長義くんは加州くんの部屋を遠慮なく開けていた。
開けた部屋は布団が敷きっぱなしになっていて、どちらももぬけの殻、部屋の住人はひとりだけ。正確には、部屋には予想通り部屋の住人の加州くんと、それからまんばがいた。まんばは長義くんを見るなり、悪いことがバレた、とでもいうようにさあっと青ざめた。声も出ないようでそのまま固まっている。
代わりにとばかりに加州くんが対応した。「…部屋に入る時は声くらいかけてよ」「それは失礼。でも、声をかけたらそいつは逃げ出すだろう?」「…まあ、そうだろうけどさ…あ、ちょっと?!」加州くんは固まったままのまんばをちらりと見るとそう返す。
そういう加州くんの隣にいるまんばの腕を、長義くんは引っ張って立たせると、そのまま部屋を出ようとする。「こいつを着飾るのは後日にしてくれるかな、俺もこいつに至急の用があってね。それじゃ、朝早くに悪かった」加州くんが抗議の声を上げると、長義くんはそう答えて、まんばを連れて部屋を出た。
行くあてがあるわけでもないので、とりあえず部屋に引き返そうと長義くんは自室を目指す。この本丸では部屋は希望に応じて一人部屋でも複数人部屋でも選べるため、長義くんは一人部屋を所望した。だから、加州くんの部屋のように同居人はいない。
しばらくされるがままだったまんばが「…長義、」とようやく言葉を発した。まんばが続きを言う前に、長義くんの方が「悪かった」と告げた。ふたりはその場で立ち止まる。「昨日のは、言い過ぎたと思ってる」「…思っていること、なんだろう」「違う!」
思わず大きな声が出て、まだ寝ている者も多い時間帯だったため、長義くんはしまった、と声を潜める。「確かに、思ったよ。でもそれは、本心ではないというか…そう、嫉妬だった」「…嫉妬?どうしてお前が…だって、お前は…」俺のことなんか、とまんばは口篭る。納得がいってないことは明白だった。
「ああ、そうだね。今から、随分と自分に都合がいいことを言うよ」そう言って、長義くんは言いにくそうに頭をかき、それからまんばに向き直る。「…お前が好きだ。けれど、お前のことが好きではなかったというのも真実。俺は、お前と別れてから気が付いたんだから」真剣な顔で、長義くんはそう告げた。
「な、んだ…それ…」まんばが発することが出来た言葉といえばそれくらいで、その言葉に思わず半歩後ずさる。言われた言葉がうまく飲み込めなくて、昨晩あれだけ泣いたというのに、またじわりと視界が滲んだ。涙脆いほうじゃなかったはずなのに、なんてまんばは心の隅の方で考える。
そんなまんばに対して、長義くんは続ける。「お前がよその本丸の俺に、あの指輪を渡しているように見えた時、本当に頭に血が上った。あんなに大事にしていたものを、そう簡単に人に渡すのか、と…いや、違うな、俺は…って、袖で拭うな、加州にも言われてただろう?」
長義くんがまんばの手を掴んで、まんばが服の袖で瞼を擦るのを止める。結果的に両手を掴んでしまったので、まんばは逃げることも出来なくなる。ぽたぽたと床に涙が落ちて、それをなんとか止めようとまんばは小さく身をよじった。「だ、って…お前、困る…っ」「…こう何度も泣かれると確かに困るけど」
「もう、こ、困らせたくない…っのに、止め、ないと…いけないのに…っ」そういってまんばはクズグズと泣き出してしまう。困ったのは長義くんの方で、どうすればいいのかと考えた末に、まんばの腕を引いて自分の胸にまんばの頭を預けさせた。
まんばは僅かに抵抗を見せたものの、頭をおさえるようにして抱き締めてしまえば、大人しく腕の中で嗚咽をもらす。「…まったく、どうしたら泣き止むのかな、お前は」「…お前の、せいだ…!お前が、お前が勝手だから!」「俺だって都合がいいこと言って、」「だから、諦められないんだ…っ!」「え?」
まんばの少しくぐもった声が、顔を上げたことでクリアになる。至近距離に、場違いにも少しドキッとして、長義くんは反応が遅れてしまう。まんばはそれには構わず「今更、遅いんだ…俺は…諦め、ようと、諦め、たかったのに…」と言ってついには泣き崩れてしまう。あたふたふる長義くんに対して、
さすがに騒動に気が付いた本丸のみんなが次々と出てきて「何があった?」「山姥切コンビ喧嘩っぽい?」「あー!長義さん、国広さん泣かせてる!」と口々に好き勝手言い出す。長義くんも、ここが本丸の廊下だということを思い出して、居た堪れなくなって、まんばを引っ張って部屋に連れ込む。
部屋に連れ帰って、戸を閉めればさすがに泣き止んでたまんばが「す、すまない…俺のせいで、お前を巻き込んで…」とどんよりした空気のまま謝ってくる。長義くんはその様子を見て「お前がそこまで泣き虫だとは思わなかったよ」とか言い出すから、まんばも「俺だって!こんなこと、なかった…」と
言って俯く。「お前が、俺をなんとも思ってないの、ずっとわかってて…でも、少しだけ、嘘でもいいから、と…黙っていた…」「…うん、以前も言ってたね」「お前が、気紛れでくれたものだって、そんなの分かってるのに、指輪…嬉しくて。この嘘が終わった時、残るものはこれだけだって、思って…」
だから、お守りにしたんだ。お前と別れたその日、あの嘘の日々をお守りにした。そういってまんばがポケットから取り出したのは、紐の切れたお守りだった。長義くんは自分の勘違いを察して目を逸らす。顔が赤い気がする、異様にあつい。「その、それ…紐…」「ああ、引っ掛けたみたいで、切れてたんだ」
そう言って、事の顛末を話されて、長義くんは自分の勘違いを嫌という程に恥じた。「…つまり、あの長義は…お前の持ち物を一緒に探してただけ…?」「…そうだと言ってる」「………その、昨日は本当に悪かった」「…別に、」俺も気にしすぎていただけだ、と言おうとしたところで、長義くんが口を挟む。
「でも、それさえあれば、みたいなのはやっぱり気に入らないな」「は?」今そう言う会話の流れだったか?とまんばは斜め上の長義くんの言葉に、言葉を詰まらせる。「それに、御守りにするなら…こっちにしてほしい」そう言って、長義くんはまんばの左手をとるので、まんばは目を白黒させる。
「お、まえ…っほん、と都合のいい…俺がどれだけ…」「だから、都合いいことを言うとさっきから言ってるだろう?」「…もういい」そういう勝手なお前を好きになったんだから。その言葉に、今度は長義くんが撃沈するのだった。こうして、まんばの片想いは、長義くんからの告白によって幕を閉じた。
後日、「今度は、ちゃんと本物をあげるよ」と本当に指輪を用意してくる長義くんと、それはそうとしておもちゃの指輪をお守りに入れ続けるまんばがいるとかいないとか…。 おしまい!最後ちょっと無理あったけどハッピーエンド!長々とありがとうございました!
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otoha-moka · 5 years
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ラッキースケベの呪い
長義くんがこう、ラッキースケベの呪いにかかって、南泉くんとToLOVEるなことになるんだけど、そんとき南泉くんに「まさか…それも化け物を斬った呪いかにゃ…」って言われて「俺は呪いとやらとは無関係だよ」って返してしまって、
「じゃあ、それはお前の意思…ってことか、にゃ…?」って引かれて「んなわけあるか!不慮の事故だ!」ってなるし、その光景をたまたま見たまんばが「長義今少し…す、すまない、邪魔をしたっ!」って慌てて去っていって「ちょっと偽物くんあらぬ誤解してるよ」「お前のせいだろ!にゃ!」ってなる。
で、誤解をとくために追いかけた長義くん、今度は追いついたと思ったらコケて今度は廊下でまんばとToLOVEるなことになるでしょ。ToLOVEるなことってよくわかんないけど。「なっ…なんなんだお前…!」「俺が知りたいよ!」「ば、ちょ、そんなとこ触るな…っ」「え、あ…すまない…」みたいになる。
で、追いついた南泉くんが「お前ら…何やってんだ…」ってめっちゃ呆れるのを、「ちが、これは事故で…」とまんばが慌てて長義くんがどこうとしたとこで、虎ちゃん(ごこちゃんは修行前)がきて、さらに酷い有様になるし、南泉くんは虎を追いかけて廊下にでてきたごこちゃんの目をそっと手のひらで覆う。
「ひぁっ?!…ど、どうしてこうなるんだ!」「不可抗力だよ!」「え、え、なんですか…?」「あー…いや、ちょっと見ない方がいい…にゃ…」みたいな騒ぎになって、審神者辺りに見つかって、長義くんにラッキースケベの呪いがかかってることが判明してしまうやつ。
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otoha-moka · 5 years
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媚薬を指定本数飲まないと出られない部屋に入れられたちょぎくに
媚薬を指定本数飲まないと出られない部屋に入れられたちょぎくに、指令を見てすぐにきゅぽんって蓋開ける音がして、長義くんが「うん?」ってなりながらまんばを見ると、まんばは躊躇いもなく飲もうもしていて、「ちょ、ま、おま、ちょ…っ」ってなって慌てて止めるじゃん…。
「…?これを飲めと言う指示だよな?」「そうだけど!…まさかとは思うけど、それ何だかわかって言ってる?」「…媚薬だが」「わかってるのかよ」「効き出す前に飲みきるから、飲んだ本数がわからなくなるとかそういうこともないし、大丈夫だ」「指令以外全部大丈夫じゃないんだよ馬鹿」ってなる。
で、「待って。考えよう。飲まずに部屋を壊して脱出できないか、そこから考えよう」「だが、これ出られない部屋だぞ…指示に従わないと何しても無駄と噂の…」「メタい」「…それに、お前に飲ませるわけにはいかないだろう」「……っは~~~!!(クソデカため息)」ってなる。
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otoha-moka · 5 years
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※ちょぎくに※現パロ※死ネタってか最初から死んでる。
※ちょぎくに※現パロ※死ネタってか最初から死んでる。 大学入学で上京したまんばが借りたアパートには先客がいた。これは噂のダブルブッキングとでは?と問い合わせるも、そんなことはない様子。戸惑うまんばにアパートの先客はやけにいい笑顔で「俺、ここの地縛霊なんだよね」と答えるのだった――。
たしかに立地の割には安かった!けど、まんばは東京の人ではないので、東京の地価物価なんてよくわからないし、家も特別裕福ではないので、安い方がいいだろう精神で安易に契約を結んでしまった。頭を抱えたまんばに、地縛霊は自らを「長義」と名乗り、
しまいには「俺はここで快適な幽霊生活を楽しんでたんだから、出ていってくれないかな」などと言い出す。それはまあ、最初に住んでた場所に突然人が押しかけてきたら嫌だと思うだろう、とまんばは一瞬考えるも、上京したてでいきなり引越すわけにもいかないし(お金もかかるし)、
というかどう説明しろって言うんだと言った感じだしで、その言葉に「断る」と答えてしまった。そこから言い争いはヒートアップ。「俺にだって俺なりに事情もあれば生活もあるんだ、突然出て行けと言われてはいそうですかと出て行けるか!」
「ずっとここに住んでる家主がいるというのに、家主の言い分もきけないわけ?どこまで融通きかないんだ!不当だよ、不当!」「不当なんかじゃない!こっちはあんたと違って正当な契約を結んでここに住むことになったんだ!」「は?契約の正当性よりも実態だろう!俺はこの部屋の家主!お前は余所者!」
「実態も何も、ここ賃貸だろう!あんたの所有物じゃない!それに、オーナーはあんたじゃなくて俺に部屋を貸したんだ!」と散々その場で言い争ってるともう18時30分。疲れてきてお腹すいたまんばが、そういえば、引越したばかりでまだ何も食べるものもないと気付いて財布片手に出ていこうとすると
「なんだ、出て行く気になったのか」とか煽ってくるので「出てかない!買い物だ!」と言い残して近所のスーパーへ。春の日が落ちかけた時間帯はまだ少し肌寒く、風にあたって冷静になったまんばは「そういえば、幽霊って夕飯は食べるんだろうか…」などと考える。
結局、迷った末に二人分のタイムセールの特売惣菜を買って帰ってきて「ただいま…その、食べるか」などと訊ねるのを、長義くんは少し呆気にとられて、それから思い切り噴き出してして、「幽霊に食べ物を与えようとする人、はじめてだよ」とくつくつと笑いながら言うので、まんばは「いらないならいい」
と拗ねるんだけど、「食べなくても生きてけるけど、食事をとることは出来るよ。なにせ、元々は生きた人間だったからね」と言って、我が物顔で、まんばの向かいに座って「じゃあ、いただきます」と言って食べ始めてしまう。まんばはまんばで、幽霊って物に接触できるのか…とか、
というか何当然のように俺のもの使ってるんだこいつ…とか思いながらもご飯を食べた。そういうわけで、人間と幽霊の奇妙な二人暮しが、18歳春の、まんばの新生活になってしまったのだった。 ってところから始まる、シリアスの欠片もないハッピーラブコメちょぎくにが見たい。
なぜか続いた。幽霊ライフ満喫してる長義くん×引越し先に幽霊が住んでた大学生まんば。 幽霊と同居してる、なんて聞く人が聞けば卒倒しそうだな、とまんばは考えつつ、いつものスーパーへ買い出しに行く。最近では長義くんの好き嫌いとか、そういうのも否応なしにわかってきて、
そういえば長義が美味しいって言ってたな…とか思いながら買い物をしてしまう。長義くんはといえば、実体はあったりなかったりというか、物理法則まるまる無視、透けて壁をすりぬけることもできれば、普通に物に触れることもできる便利なことこの上ない状態で、まんばの生活にしれっと居座っていた。
いわく「俺はここから離れられないから、買い出しするのはお前だし、ついでにご飯はよろしく。それを賃料として受け取ってあげるよ」とのことで、最近まんばは、食費が2倍になるから、代わりに家賃を折半してくれ、と思ったりしていた(心霊現象の起こる事故物件なので家賃は安いが)。
自炊スキルも他人が食べると思うとサボれないし無駄に向上した気がする。ただ、まんばは、「ただいま」と玄関を開けると「ああ、おかえり。それで、今日の夕飯は?」「…何のんびりと待ってるんだ、お前も手伝え」「賃料にしてやると言ったのに手伝えって?」「食費だけで賃料としては十分だろう」
「…ケチな居候だな」「居候はお前だろう、家賃払ってるのお前じゃないんだから」なんて会話が始まる賑やかな生活は、案外嫌ではなかった。 そんなこんなで6月。季節の変わり目で、新生活3ヶ月目ということもあり疲れでも溜まってたのか、まんばは風邪をひいてしまう。
体が怠くて、熱をはかると結構高くて、大学休んで、バイトも休む旨をなんとか電話して、そのまま倒れるように布団へと沈む。そうして、朝だったはずが、気がつけばもう夕方で、そういえば長義のやつ、今日はやけに静かだな、と思って、あれ?と思う。何か音がする。部屋より玄関側、多分キッチンから。
そう思って痛む頭を抑えつつ体を起こすと、ちょうど長義くんが一人用のお粥を、ペットボトルのお茶とコップも一緒にお盆に乗せてきて、本人は透けるけどお盆は透けないからか、足で軽くドア開けて入ってくる。長義くんもまんばが起きてることに気づいて、呆れるようにわざとらしくため息をつく。
それで、「…お前、風邪薬くらい用意しておきなよ。俺は買いに行けないんだから」って言いながら枕元まで来て、お盆置いて自分も座る。「起こそうと思ってたから丁度よかった。お前、朝から何も食べてないだろう?」「これ、お前が…?」「…他に誰がいるんだよ」「それは、そうだが…」と言い合って、
冷めないうちに食べて寝ろ、と言い渡されて、まんばは一口お粥を掬って、口に運ぶ。普通に美味しい。割とあっという間に食べ終えて、片付けるくらいはする、というまんばを布団に押し戻して、するとまんばはすぐにうとうとしだして、眠る間際に「料理、できたんだな」とか言い出す。
。「何を失礼な」「…だって、普段しないから…できないのかと思っていた」「賃料だと言ってるだろう」とか会話してるうちにまんば寝ちゃって、だから長義くんの「…それに、お前がいないなら、俺には必要ないものだ」という呟きは聞こえなかった。
翌朝、すっかり熱の下がったまんばに長義くんは「今日は?一限ある?」と聞いてくる。ない、と答えれば「じゃあ朝ごはんもよろしく」と言って、にこりと笑うのだった。なんやかんやで、同居人との距離がちょっと縮まったかもしれない。
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