第四ぱなし:
「このセンスはいかに…」
巷にあふれる「このセンスはいかに…」について、ymnが発見したので、一石を投じました(ポーン)。
TOKYO某所で行われた緑化プロジェクト。
ヒートアイランド現象、地球温暖化、砂漠化… んー確かに問題は山積みですが。
TOKYOのセンスと真の緑化について(!?)、今宵はあつくモノ申します。
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タイムトラベル40年前 沖縄の「復帰」 (ymn)
タイムトリップ タイムトラベル
今日はどちらへ?
「今日は、40年前に戻るよ。」
と思ったが無理だった。どうやら、このタイムトラベルは、自分が経験してきた年月にしか戻れないらしい。案外つまらない装置だ。いつか作り替えてやる。
40年前の5月15日、沖縄が「復帰」した。「復帰」。まるで、ケガが治ったアスリートみたいな言い方(もしくは育休明けの人のよう)だ。沖縄は40年前に日本に「復帰」した。生まれたときから、日本のリゾート地として沖縄を認識している私世代からしたら考えられないことだが、昔、そこは外国だった。
よく昔の話をしてくれた祖母は、はじめての海外旅行が沖縄だったのよ、と言っていた。初めての海外旅行が沖縄。はじめて取得したパスポートにはどんな風にあの印が押されるのだろうか。immigrationの下に「OKINAWA」が押された時代(それとも「RYUKU」?)。
あれから40年が経ちました。と言われても、当然40年前なんて知る由もない。
1972年。その時の衝撃はわからない。
が、沖縄の辿ってきた歴史は、たぶん多くの人が知っているように壮絶そのものだ(と思う)。
もともとは、独自の文化を気づいてきた「琉球」が、日本に併合され、戦後一旦GHQの下に置かれ、再び日本に「復帰」した。今は、在日米軍基地の70%以上が沖縄にある。
ここで、いよいよタイムトリップに出よう。
こんなタイミングで?
うん、思い出したいことがあるの。
ゆっくり目を閉じたまま、大きく深呼吸をして、
両脇からシートベルトを引き出し、きつく締める。よし。
目を開ける。
「シートベルトを締めなさい」を意味するランプが赤く点灯しているのが見える。
固くて窮屈な椅子、前と横との間隔が狭い。
2005年3月
「ふ~っ!!」とか「わー!!」とか「すげー!!!飛んだ?え、飛んだ??」とか、とにかく騒々しいし、なにより、ちょ、拍手はやめよ!恥ずかしいわ!この集団。
…うるさくてごめんなさい。。
高校二年生の終わりに、私たちは修学旅行で沖縄に行った(kjもいたよ、もちろん)。初めて飛行機に乗ったとかいう生徒もいて、かなり騒々しかったけど、これもまた修学旅行の醍醐味でもある。騒がなければ、高校生JYANAI!!!!!(注:誰もそんなこと言ってない)
浮かれに浮かれてイエーイ!と写真を撮りまくる私たちであったが、待ち受けていたのは、ちょっとズーンとするものだった。沖縄×修学旅行といえば、そう、沖縄戦、ひめゆり学徒隊。
ひめゆり学徒隊だったご存命のおばあさまが心を込めて当時を回想してくれた。熱がこもり、震え出す声。あまりに悲惨な話に、涙しながら、そして聞いてるこちらも涙を流しながら。湿度の濃いその時間は過ぎていった。
修学旅行…、やっぱり学校行事だもんね、勉強しなきゃ。
でも、私は今ビーチにいる!クラスの皆で手繋ぎ鬼で遊んでる!!何この青春!リア充!わーい!!笑””
※※※現在:タイムトリップ、今いいとこ取り中※※※
忍び足で他の部屋に向かってますよー大きな音には気をつけてー、
消灯時間過ぎてからの外出は禁止なんだよねー!シーッ!!ちょっとドア静かに開けないと!(すべて小声)
ザザザ シュッ!
べーにいーもチップス~♪ Do you like チップス~?
べーにべにべに、チーーップス♪
(紅芋堀り中。即興で作ったべに芋チップスの歌を歌ってる。てか今でもこの歌思い出せるてw)
ザザザ ワサッ
「はい、チーズ」「カシャ」
おぉ~どれどれ、これとこれとこれにしよっか?
これ超ウケる!いいね!!分割は?4人?
オッケーじゃあと落書きよろしくねー
(プリクラ撮影終了。一体何枚撮ったんだろ…)
ザザザ モッソ
ザザ ざ ザザ座 ザ
ザザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ ブツっ。
あ、戻ってきちゃった。
いいとこ取りしすぎて、あっという間に終わっちゃった。
でも大事なものを思い出せなかったな。一番肝心なことが。
私が沖縄で学んだこと。それは、あのじめっとした時間に集約されていた?
復帰40年を今迎えて、沖縄は単なるリゾート地ではなく、もとは一つの国だったのが、侵略を経て日本になったのだと知っている。それについて、何か私は学んだんだっけ?思い出せない。
沖縄そばの薄口のまろやかなだしの味。それに引き換え、ツンと刺激を与えるシークワーサージュース。
これまた甘みのあるさんぴん茶。
違う、思い出したいのは沖縄の味じゃない。
強い風に当たりながら見渡す青い海。自分と同じくらいの高さを持つサトウキビが風に揺れる。
表面がガサついていて白っぽく、ヒビの入った家々?
ちがうちがう、思い出したいのは、景色じゃない。
違う違う。
私が思い出したいのは、沖縄の、、
沖縄の持つ強さと沖縄が本土を見つめる熱いまなざしと、それを生み出す歴史的背景。
だから、つまり。つまるところ。
ひめゆり学徒隊の方の話をただ聞いて、「戦争って怖いな」と第二次世界大戦の中に沖縄戦を位置づけてはいけなかった。
沖縄という一つの国が辿ってきた道のりの一つとして受け取るべきだった。
もっと深く沖縄について触れたかった。
沖縄の縦軸と横軸をもっと意識して。
どうして首里城があって、沖縄そばが美味しくて、ひめゆり学徒隊があって、基地があるの?
こういう縦軸に対して、日本政府という中央がどうやって横やりを入れてきたかという横軸。
沖縄が抱える現状や、沖縄がこれまで築いてきた歴史の重さは、私たちの想像をはるかに超える。
それは自分の国が丸ごと他国に奪われてしまった、いわば黒歴史なのだから。
沖縄は、復帰40年を迎えて結集し、戦う姿勢を新たにした。
基地があるほうが安全保障上沖縄にとってもいいんだとか、実���の失業率を見れば沖縄に基地がなかったらもっと大変だとか、そういう「論」に対して。普通に考えれば、基地の騒音がうるさくて眠れないとか、米軍が犯した暴行事件が起訴されないとか、ヘリが墜落してくる危険性がいつもあるだなんて、確かにとても平穏な日々を送れるとは思えない。
けれど、こういった事実以上に沖縄が感じているのは、日本という国に本当に対等に属しているのかという疑問と怒りではないだろうか。
基地の70%以上を置いて、「移動させる」と言って、一向に動かず。
私たちはちょうど余暇を過ごしにだけ赴き、基地問題には触れずにまた本国に帰る。
作家の池澤夏樹は、沖縄を擬人化してこう表現する(※1)。
「四十数名のクラスに色の黒い小柄な転校生が来る。目はきらきらしているが肩に力が入っている。こぶしを握りしめて立っている。クラスのみんなは昔この子をいじめたことを忘れていない。強大な他校との喧嘩(けんか)でこの子を前に出してぼろぼろの目に遭わせ、しかもその後で人質として差し出した。だから戻ってきても素直に「お帰り」と言えない。まして「ごめん」とはとても言えない。すごく気まずい。」
私たちはいじめっこだ。強大な他校とは、もちろんアメリカ。
そして続ける。
「だけどこの子はおそろしく芸達者だった。歌がうまく、話がおもしろくて、料理の腕もいい。気まずい思いはそのままに、みんなが彼の持つ芸能力に夢中になった。つまりぼくたちは沖縄によって文化的に制覇されたのだ。」
文化的に制覇する。沖縄の持つ強靭さが我々を圧倒する。
「我々は、日本の植民地ではない!」とその子は語気を強める。特に復帰40年という節目に、より強くはっきりと(※2)。
その戦いっぷりは、恐らく本土にいる人間にはそう簡単には伝わらない。その必死さや必要性は、私たちにはわからない。
生まれ落ちたときから、認識が違う。同じ一つの国でも、私は東京にいて東京の論理で動いている。持っているのは東京のまなざしと理屈。
と同時に、沖縄には沖縄の論理がある。沖縄が築いてきた文化が沖縄にはある。
その文化を武器に我々を「制覇」していく。
池澤夏樹は、こうも語る。
「トラックに強力なアンプと大きなスピーカーを積んで、日本中の学校を巡って普天間基地の騒音を再現する。滑走路への進入コースからわずか130メートルの普天間第二小学校・普天間第二幼稚園の日常を体感させる。年間50時間の授業中断を5分でも味わわせる。この計画に賛同者はいないか?」
ほんの少しだけ、東京のまなざしを遥か南西へとやる。
そんな機会が本当はもっとあってもいいのかもしれない。
今日のテーマソング。
モンパチ 琉球愛歌
http://www.youtube.com/watch?v=o0FXdy6SR2o&ob=av2e
沖縄の文化(芸能力)は、JPOPによく反映されてる。ときは、2002年?中学二年生!懐かしい!
※1池澤夏樹の全文。
同級生は怒っている 「基地は早々にお持ち帰りを」
http://digital.asahi.com/articles/TKY201205140435.html
(朝日新聞 2012年5月15日)
※2こちらも朝日より。
知念ウシさん(ライター)・高橋哲哉さん(哲学者)の対談
知念さんの言葉はチクリと刺さるが、ぜひ読んでみて欲しい。かなり切実な思い。
沖縄と日本の40年 押しつけられ続ける「基地の島」
http://digital.asahi.com/articles/TKY201205140442.html?id1=2&id2=cabcafbf
(朝日新聞 2012年5月15日)
タイムトリップのお手伝いをしてくれるのは、こちら。
沖縄タイムス 写真と動画で見るニュース
http://www.okinawatimes.co.jp/slideshow/復帰40年/
朝日はデジタル版、有料だから読めない方はすいません!
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パタゴニアンLOVE☆ソングス
ふあ~ぁ、今日は土曜日。
落ち着いた朝を迎えられる。
今朝ymnはkjに言った。
「ずっと土日でいい」
kJから返信が来た。
「ずっと土日でいー!」
名付けて「土日がいい!」
エブリデイ ホリデイ☆
土日っていい!!
毎日が土日だったら最高だ!
パタゴニアンLOVE☆ソングス
第一回目は、「ずっと土日がいい!」です。
これをふんふん鼻歌歌いながら、土日の朝を迎えられますように…
塒から翌朝にかけて。
歌詞
「ずっと ずっと 土日でいい
土日でいい ハッピーホリデーライフ♪」
メロディ付き歌詞
「ずっと~ ずっと~ どーにちでいい~
どーにーちーでいっい~ はっぴーほりで~いら~いふ」
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サイバー/ネオ/エレクトロニック/人工的…な宇宙ではなく「天然の」宇宙 を表現すること(kj)
GWを終えた皆さん、こんばんは。最近、「宇宙」が気になるkjです。
先日は月が大きく見える「スーパームーン」とやらが話題となり、月末には日本で25年ぶりの金環日食を控え、映画『宇宙兄弟』のこけら落としも迎えた今、私と同じようにミーハー的に宇宙が気になる人も多いのではないでしょうか。
さて、私は普段人間相手に仕事をしていることもあって、「どんな人間が望ましいか」みたいなことを考えちゃったりします。なんとなくイメージはあって、4つのポイントがあるのではと思っています。
【じぶん】 自分と身近な人を大切にできる
【せかい】 社会や世界について思いを馳せたり考えることができる
【ひと】 人間が作り上げた文化の良さを感じられる
【しぜん】 自然の素晴らしさ、おそろしさを知っている という感じ。漠然としていますが、こういう人と友達になりたいなぁと思います。
4つ全て抑えるのは案外難しいのではないでしょうか。自戒を込めて。
特に、宇宙が気になる最近は、上記の「ひと」と「しぜん」を貫く新しいイメージがあったらいいな、そしたら人と関わるときに良い栄養になるんじゃないかな、と考えてしまいます。
昨日私はレコード店で何気なくPerfumeの新曲を試聴しました。MVを観ると、とっても可愛いのはずなのになんだか悲しい気持ちに襲われました。なぜなら彼女たちの世界観が、あまりにもサイバーでエレクトロニックで人工的なイメージでカナリ意図的に固められすぎていたからです。MVでの彼女たちは、たぶん昔からSF漫画で表現されてきたような、アンドロイドやヒューマノイドとして登場していて、腕やら喉やらの表面がパカっと開いて、火花散らしながら修理されていました。
もしかしたらその世界観は、受け手にとっては分かりやすくて良いのかもしれませんが、あまりにも古臭い「未来観」であるため、既にその世界観を知っている私たち消費者にへつらっているような気がして、良く思えませんでした。どうせやるなら、私たちが持つ既存のイメージを越えてほしくはないでしょうか?(Perfume自体はダンスうまくて可愛くて好きです)
「アート表現におけるあらゆる世界観は出しつくされた」と言われる今、既存のイメージをアップデートしていくことは至難の技なのかもしれませんが。
ということで、「ひと」と「しぜん」…人工と天然…を貫く、新しいイメージが欲しい。私だけでなく、多くの人に必要な気がしています。なぜなら、いつ来るかわからない未来観にしがみついていても、イマココな地に足がつかなくて、未来を考える時、きっと虚しいはずだからです。 「クリーンエネルギー!原子力で便利に快適な未来を☆」のような、人工的でありきたりで夢物語のような未来観ではなく、もっと切実で現実的なイメージ。人工と天然がバランスよく融合するような。
ーーー
ファッションデザイナーにしてカメラマンの、ティエリー・ミュグレーという人がいることを知りました。彼にヒントを求めることができるかもしれません。 冒頭に貼った動画が、90年代の彼のコレクション。前半はまさに人工物を彷彿とさせるモチーフのオンパレード。テカテカでゴツゴツでヌラヌラ。空飛ぶ円盤を纏ったかのよう。 中盤からは徐々にそのゴツゴツがコクーンのような昆虫的なイメージに変化していき、鳥や蝶や爬虫類にインスピレーションを得た、未知の生物の表現に移行します。動画の最後は、劇場/サーカス/カーニバル風に締めくくられ、人間のカルチャーという要素も抑えられています。
ほかにも、未来的宇宙観を保ちつつも、水・雪・大地・生命を表現したコレクション(※1)は一見の価値あり。こんなことを70年代からやっていたというのだから驚き。 未来的宇宙観と言えば、映画『フィフス・エレメント』(※2)の衣装もインパクト大ですね。宇宙人が強烈すぎて、宇宙観というよりも、宇宙人観みたくなっちゃってますが。こっから派生するなら、スターウォーズとか、王道のSFになるんだろう。それだと、「宇宙」に加えてなぜか「古代」のモチーフが払拭できないことが多い。これもまた不思議。
というわけで話を戻しますと、こんにち、人工と天然がそこそこバランスよく融合しているなと感じるのは、ミュグレーさんのクリエーションなのです。世界のガガ様がミュグレーと仕事してることにも妙に納得。 ミュグレーを越えるような、バランスの良い未来のイメージ……「天然」の宇宙のイメージが、私たちの生活に、自然に息づいて来るといいな。ゴテゴテのサイバーパンクじゃなくてね。
そうすれば、来もしないニセモノの未来に焦る必要なんか、ないと思うのです。クリーンなエネルギーで宇宙の神秘を探れたら人類の勝利!!なんてことには、ならないと思うのです。 たかがイメージ、されどイメージ。 さぁ、『宇宙兄弟』でも観に行くか!(ミーハー)
(※1)ミュグレーのコレクションその2。
http://www.youtube.com/watch?v=dp1tskLLSlM&feature=youtube_gdata_player
(※2)映画『フィフス・エレメント』のダイジェスト。後半のアップテンポになるあたりが見応えあり。懐かしい。
http://www.youtube.com/watch?v=4MR6D7tL38U&feature=youtube_gdata_player
ミュグレーのオフィシャルサイト www.mugler.com/
〈おまけ〉 衛星芸術プロジェクトARTSAT(多摩美大×東大) …衛星音楽に衛星家具…よくわからないけど、今後に注目? http://artsat.jp/
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『THE FUTURE TIMES』
全部で30ページ程で、大きさはB4、フルカラーのフリーペーパー。広告らしきものは一切なし。デザインもオシャレで、登場する著名人も超一流。
このフリーペーパーを創っているのは、アジカンの後藤正文氏。いちミュージシャンの後藤氏が、こんなに発信力のある人だとは思いもよらなかった。Twitterのフォロワーはなんと15万人にも及ぶ。
THE FUTURE TIMES
http://www.thefuturetimes.jp/
後藤氏
https://twitter.com/#!/gotch_akg
全体の構成は、まず被災地支援を行っている人のインタビューやその取り組みの紹介が半分くらいを占め、残り半分は、著名人のちょっとしたお話、被災者の話、そして原発/エネルギーの話だ。
特に再生エネルギーについては、エコ、クリーンなエネルギーをまずは知ろう!というスタンスからか、可愛いイラスト付きでその仕組をわかりやすく解説している。
後藤氏は、創刊号でこう述べている。
「僕が知らない間に
いや、知らないふりをしている間に
なんだか不味いことになっていた
ひどくこんがらがって
自分で自分を縛っているような
そんな社会になってしまった
何かを変えたいのだけど
何から手をつけて良いのかわからない
ほんの少しの時間で
とてつもない虚無や諦念の入り口に辿り着いて
途方にくれてしまうときもある
それでも僕は未来を考えたい」
そして、THE FUTURE TIMESの副題には、「新しい時代のこと、これからの社会のこと。未来を考える新聞」とある。
こういった言葉を震災直後は多く目にしたような気がする。少なくとも、私自身何かしたいなと思っていた。
しかしいつからか「何かしなければ!」と駆り立てられる意識は薄れて、忘れているわけではないけど、「とりあえず落ち着いた」状態になっている。
もちろん、それはそれでいいんだと思う。というか、自然なことだと思う。
ずっと何かに急き立てられてても何も出来なくて焦るだけだ。
自分に出来ることを継続的にやっていくことをそれぞれがそれぞれのやり方でやれればいい。
THE FUTURE TIMESの言うように、考えることも知ることもとても重要で、でもせっかくなら、その思いを行動に繋ぐ回路があればいいなと思う。
(『THE FUTURE TIMES』のweb版から支援出来るようにリンクが貼られていればいいと思うんだけど。grow!を作るとか)
『THE FUTURE TIMES』は、いつまで続くんだろう?そしてどんな内容になっていくんだろう?
っていうか、これ無料なら、どこのお金を使ってるんだろう?
これからも折りを見て、読んで行こうと思う。
THE FUTURE TIMESの写真展で流れていたくるりがあまりにも懐かしく久しぶりにちゃんと聞きたくなったで、今回はこちらをお聞きください、どうぞ。(以上、DJ、ymnがお届けしました)
くるり 「東京」
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ぱたごんのおしゃべり ~ある日のチャッツ~
kj: 尊敬する人に褒められたんだけど、褒められるの、すっごく好きだなーーーって再確認した。
kj: そりゃあもう、嬉しい!
kj: う れ し い !
ymn: yokattane!
ymn:何について褒められたかも大事だよね
ymn:尊敬する人から「今日の分け目いいね!」とか言われてもね(←
kj: www確かに。
ymn: 尊敬する人の尊敬出来るポイントを自分にも見出せたときは嬉しいよね。。
kj: 相手が褒めたポイントが、自分にとっても相手にとっても重要なものだと、嬉しいかなあ。
kj: 尊敬ポイント自分に見い出すの、ちょう難しいね。
ymn: そうだね。どんなこと言われたの?
kj: うーんと、
kj: 人をまとめて企画をしている人にある情報を伝えたら、「これは面白い」って言われた。
kj: 企画が採用されたような気持ち?w
kj: もっ��褒めて!!w
ymn: プロデューサー的な?
kj: DがPに太鼓判押されるてきな。
ymn: w
ymn:それ嬉しいねー
kj: 逆に尊敬っする人に叱られるのってどう?
ymn: めちゃくちゃ反省すると思う。すんごい凹むと思う。
kj: うん
ymn: もともと私、怒らない人が好きだし
ymn:そんな人に叱られたら、尚更。
ymn: けど、叱るってシチュエーショあんまないよね。
ymn: 指摘されるってことはあっても叱られるってあんまない。
kj: 指摘も叱られるも同じくらい嫌だな。。図星だったら凹み具合は変わらんもん。
ymn: 確かに。。でも、叱るって緊急を要した場合な気がする。ピリピリした現場というか。指摘するのは、気遣いを交えてる感じがする。
kj: 緊急時か、もしくは、「指摘」程度じゃ響かない相手にあえて「叱る」のはあるかも。
kj: 先日、今まで生きていて最大の声で子どもを叱った。
ymn: うそ
ymn: 響いた?
kj: あー、こんなに出るんだーとか思ったよね
kj: 響いたのかなー。まあ、望ましい行動には促せた。
ymn: んじゃ反省したんだねきっと。
ymn: でもやっぱり大人になってから叱られるってことはあんまないなーと思う
kj: でも、理性的な「あえて」の判断と、私自身の怒りとが、どのくらいの比重なのかは
kj: 自分でもわからん。叱ってる側の話だけど。
ymn: あ、うん
kj: 大人になってからは、説諭すら拒否したくなるもんね。
ymn: うんw
ymn: けど、最近、下手するとどんな言葉を聞いても響かない気がしてそれはそれで怖い。
kj: もはや自分の良心はできあがっていて、それに対して「背中を押して欲しい」くらいのものかもしれない。
kj: できあがっちゃうって、こわいねー。
ymn: もう否定はいい。肯定から入って!って感じ。
kj: 褒めて褒めて!
ymn: ちぎってちぎって!!w
kj: 結んでひらいて!
ymn: 手〜を〜たたいて)
kj: 手を打って!そば打って!
ymn: ズルズル、うま!(ってここまでは、条件反射)
kj: ?てか。手をたたいてって歌詞ない。。。w
kj: そばはもっとない。
kj: はい、建て直します。
ymn: はいw
kj: えーーーーーーっと…
ymn: やっぱ褒められるのは嬉しいってことだね!
kj: うん(ニコ)
ymn: 自己肯定感ってやつでしょうか。。。
kj: 褒め上手になりたいね。
kj: 30歳までにはなりたい。
ymn: 褒め上手か。うまく乗せて、開花させたいね
kj: 第二の芦田まなちゃんを出してね、ヒトハナ咲かせよう。
kj: じゃあ、明日は芸能事務所設立のための物件を検討するということで。
ymn: え?w
ymn: じゃあまなちゃん養成所ということで。
ymn: (話の飛躍大丈夫か?
kj: とりあえず原宿旧GAP前で目を光らせる!
kj: きらーん
ymn: ファッションスナップw
ymn: みんなが輝けるいい未来にしましょう。
ymn: 私は、じゃあ出馬するわ
kj: 当確!
ymn: はやくない!?それ褒めてないから!!
kj: あっ
kj: 褒めべた…!
ymn: w まだまだですね。私も有権者のために頑張る
ymn: とりあえず、お互い事務所設立のために、物件を探すということで。
kj:「投票しなくていかしら」http://www.youtube.com/watch?v=wVqTL7yXppg
kj: http://www.youtube.com/watch?v=wVqTL7yXppg
kj: おっけーおっけー!
ymn: なにこれー!w (視聴ちう
ymn: 投票して欲しい〜
kj: 先生!先生!ymn先生!
ymn: 「はい
kj: きもいなー。政治の文化
ymn: 「
kj: 「←なにこれ
kj: 「
ymn: 「いつも温かいご声援ありがとうございます!」
ymn: の
ymn: 「
kj: w
ymn: 」
kj: 「
ymn: 足洗いました。
kj: 」
kj: すかさず入れるのがだいじだねこれ。
ymn: チャッツ?
kj: うん。
kj: 「
ymn: ですね」
kj: 」
kj: あ!自分で入れちゃだめ!
kj: てかもう寝ようかw
ymn: 「」
kj: 」「
ymn: うん。もう結論でたしね
kj: うん(いったいどこらへんに出たのか…)では。
ymn: (yawn)
ymn: では、おやすみ/
kj: (・0・)
kj: みー。
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日常動作のジェンダーバイアス(kj)
以前から不思議に思っていたことがある。
それは、「男らしい/女らしい動作とはなんぞや」ということについて。
というのも、iPhoneが普及し、満員電車やカフェやそこかしこで、小指を立てながらタッチパネルに人差し指ないしは中指を「ツイーツイー」と滑らせる男性が、それはそれは目に付くようになったからだ。まるでコンパクトミラーを覗きながら化粧くずれをチェックする女性のように。
「なんか女々しい…」 これは人格否定でも、セクマイ否定でも何でもなく、単純に動作に対してそう思ったのだ。同時に、現代人の動作をも革新したジョブズさん凄いな、とも。 セクマイの人の中には、学校で差別的な扱いを受けた経験のある人も多いと思う。彼らに人との違いが顕在化する瞬間があるのだとすれば、それは、「見た目」「話し方」そして「動作」が他に伝わる瞬間なのではなかろうか。
以前、メディアで大活躍の「オネエ系」と言われる人たちの過去を取り上げる番組で、こんなエピソードが紹介されていた。 「床に落ちた物を取る時、膝を閉じてしゃがんで、身体をひねらせて拾ったら、『オカマ』だと言われ傷ついた」と。
「日常動作のジェンダーバイアス」とも言えるものが、一般的に認識されていると言っても良いのかもしれない。 しかし、人々の動作が変わったのは今に始まったことではないだろう。洗濯板を使ってゴッシゴッシしていた時代から、ボタン一つでオールオッケーな時代に変わったのだから、使う道具が変わるたびに「操作」が必然的に「動作」を規定してきたことは、容易に想像できる。
ここで、男性iPhoneユーザーたちの動作のみが本当に「女々しくなった」のか?という疑問が出てくる。男性が女性らしい動作をするようになったとするならば、逆に、女性が男性らしい動作をするようになっている可能性はないか。 そうだとすれば、道具の操作性ではなく「女性の社会進出」が関係していそうな匂いがプンプンするではないか。
女性が男性社会に入ったことで、それまで多くは男性がしていたような動作を女性もするようになった。 しかし、男性に対する印象とはワケが違う気がする。例えば「女性が電車を運転する動き」や、「女性が神輿を担ぐ姿」、「なでしこジャパンが試合する様子」などをとってみても、「あぁ男らしい動きだなぁ、まったくぅ」とは感じにくい。見た目が中性的、ということはあるかもしれないが、動きそのものに逐一「性」性を感じる、とは言い難い。
それよりも、男性の領域に女性が加わったことに主眼を置くのではないか。 もしかしたら、一昔前は「神輿を担ぐ女性」などの動作自体にも、ものすごく違和感をもっていたのかもしれないが、少なくとも今は動作性へのバイアスはほとんど無く、あるとしたら「女が男の領域に出た」という社会認識についてのバイアスだ。そして時代性も手伝って、その多くは歓迎されているようにも感じられる。
男性が「女性的な」動きをする過程と、女性が「男性的な」動きをする過程には、何らかの違いがある。 理論的なことはよくわからないが、違いがあるとしたら、「進歩的ー野蛮」「大人ー子ども」という軸がポイントになるのではないか。 前者は言うまでもなく、文明の発達とともに道具の操作、人の動作が変わる過程。 後者は、「大人しくしなさい」という言葉に表れるように、子ども的な動作を成人の様式に「矯正」していく過程。 ひょっとしたら、女は「大人」しく、「進歩的」な動作が望ましく、男は「少年」のように「本能的」でいて欲しいという思いが、私(たち)の中にあるのかもしれない。
そして、技術革新と経済活性を願う世の中では、男性であろうが女性であろうが、その4つの中で最も目に付くのが「進歩的」動作であり、それが女性の社会進出と同じ方向性をもつ限り、女性に対して有利にはたらくのではないか。
だからこそ、女性たちの男性的な動作は、「男みたい(=子どもっぽく、野蛮)で違和感…」というよりも、「進歩的だわね」という好意的解釈にシフトされる。大学で走り回るハイカラさんのように、時代を追い風として颯爽と。 そして男女平等を(かたち上)謳う社会での、男性の女性的な動作については、進歩性があまり有利にはたらかず、「知的(=大人、進歩的)で素敵」というよりも、「なんか女々しい…」という印象を持つことになってしまっている。これも、時が経てば変化するのだろうが。 詳しい事実と因果関係については今後の課題だ(←逃げ)(そしてもう疲れたのでたぶん今後追究しない)
最近、渋谷駅で男性用ファンデーションの広告を見た。ついに、という感じだ。「男性の女性化」は昨今よく言われることだが、今後は「男性的な動き」「女性的な動き」という動きの「性」性自体は、薄れていくのではないか。 電車内でiPhoneを眺める男性の横で、化粧くずれをチェックする男性がいる、という光景が当たり前になるかもしれない。 それを私たちがいかに許容するかが、ジェンダーバイアスの克服?に繋がるのかもしれない。
※車内マナーは守りましょう。。。
※完全に個人的な偏見を元にした記事になってしまいました。単語についても、適切である自信がありません。「進歩的」て…明治時代か!と自分でツッコミたいくらい。 「意味がわからない!なぜなら〜」「全く共感できない!なぜなら〜」などのご意見あればお待ちしています。特にこの辺りの分野にお詳しい方いらっしゃいましたら、
[email protected]までお知らせ下さい。文献あればちょっと見てみたいです。 …でも考え疲れた。もう布団にもぐります。
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春の思い出ぱなし、四方山ぱなし。(kj)
こんばんは。
ymnと「何アップしよーかー」と言い続けて、かれこれ数週間。
今日は、単なる個人的な思い出話をします。
先日、ある小学校の副校長先生から電話がありました。
「明後日、卒業式ですが来られますか」とのこと。
遅いよ!ひどいよ!早く言ってよ!
…とココまで出ちゃいそうでしたが、ぐっと飲み込んで丁寧にご連絡の御礼を述べました。
この小学校は私にとって特別な場なので、ぜひ卒業式には出たかったのです。
ある男の子の晴れ姿を、一目でいいから、こっそりでいいから、見たかった。
その子との出会いは、彼が9歳の時でした。
友人に「知り合いが関わってる学校で、ちょっと大変なクラスがあるみたいだから手伝ってほしい」と言われ、それ以前に学習ボランティアや家庭教師の経験があった私は、軽い気持ちで受けました。
校長とPTA会長が協議した結果、私には「変に先入観を与えないようにしよう」との結論に至ったらしく、ほとんど何も説明がなされないまま学校現場に入ることになりました。
ただ唯一、校長室で言われたのは、「安全管理をしてほしい。そして、『大人も捨てたもんじゃないんだ』と、子どもたちに思わせてほしい」ということでした。
いざ行ってみると、端的に言えば学級崩壊でした。
それも、見た目にもとてもわかりやすい「崩壊」のしかたでした。
机の上を走り回る。教師に向かって牛乳瓶を投げつける。
人の顔色を伺い、小さい頭で精一杯考えた結果、一緒になって場を煽ることを決意したような子もいました。
ハーフ(ダブル)と思われ、日本語のおぼつかない子は、周りに合わせて平静を装っていました。
大きな「荒れ」が起こると、周囲は一瞬凍りつきますが、多くは直後に「笑う」という行為を選択していました。
40人ぎゅうぎゅう詰めの空気の悪い教室で、いつも床が散らかっていました。
私の思い込みでしょうが、私が行く時は、いつも天気は曇りか雨だったような気がします。
私には何ができるのかさっぱりわからなかったので、まずは誰よりも早く来て、掃除をしてみようと思いやってみました。当時は大学に通い、バイトもしながら、教育委員会の臨時職員として週2・3日小学校に入っていたので、正直毎日が眠気との闘いでした。
そしてお掃除計画は完全に私の空回りとなりました。先生からは「続けられることをやってほしい。子どもとすぐには関係はできないから、焦らないで。」と言われ、私の無茶な考えは見通されていました。
それから自分の無力さを自覚し、少し肩の力を抜いてみて、様々なレッテルを貼られている子(いや、私が貼ってしまった子)と、一緒に授業をサボりながら、ゆったり話をするようになりました。
ぽつぽつと家庭の話題が出てくるようになり、こちらが戸惑うようなことを平気な顔で話してくれる子もいました。
ただ、突発的に予想外のことが起こるとなかなか受け止めきれませんでした。
そのようなことはいつも、ある男の子(A君)を中心に起こりました。彼は学級崩壊の首謀者であり、とても頭の良い、エネルギーのある子でした。
普段は気の合う女子と、ちょっとしたことで加害者・被害者関係になったり(本当に、小さい身体なのですが、大人4人がかりで止めに入ることもしばしば)、かと思えば数週間後にはその女子と異性の関係を匂わせてこちらが勘ぐってしまうようなことがあったり。
ある日、いつもは無邪気に「いたずら」をする彼が、別人のような顔をしている朝がありました。
その日は朝礼があり、みんなは教室を出ていましたが、A君は一人教室に残り、虚ろな目で校庭を眺めていました。教師に声をかけられ、いつもなら反発するのにその日は全くの無反応で、言い返す気力もないような、一種の乖離状態、ショック状態のようでした。
担任は「精神的なものだと思うんですけどね」と言っていましたが、本当のところは分かりませんでした。
彼に「付き添う」仕事は3ヶ月で終わりましたが、翌年も彼との関わりをもつ機会がありました。
私は別の学年の情緒障害の子(B君)を個別に支援することになりました。
A君については、彼が気持ち新たに新年度を迎えられるように、可能な限り環境を変えたいとのことで「あえて離れる」ことになりました。
でも広いようで狭い学校現場。教室に馴染めない子たちは自然と他の場所に集まるもので、彼と鉢合わせることもありました。
ある日、私が新たに支援していた子が、私の尻を触る・腕をひねる、などの歪んだコミュニケーションを図ってきたことがありました。私は「あーまた始まった」と思いながら、やめてほし��旨を伝えていました。
それを偶然見ていたA君が突然、「やめろ!」と叫び、思い切りB君に飛び掛って行きました。
その後1年間、何度か同じようにA君が「私をかばう」ようなことがあり、危ない場面もたくさんありましたが、私自身はどこか安心感を覚えるような、不思議な感覚が残りました。
そのときは単に「被害者としての私」を「守ろうとしてくれている強い奴」というような、まるっきり勘違いな構造に、馬鹿馬鹿しくも優越感を覚えているのかと思っていましたが、今日になってそれが違うのではないかと思うようになりました。
A君がしていたことは、相手が私であるかどうかはさておき、紛れもなく「大人を守る」という表現行動でした。彼にとって大事な大人は、もしかしたら私が知らないところにたくさんいたのかもしれませんが、少なくとも彼を中心とする子どもたちに「『大人も捨てたもんじゃない』と思わせてほしい」と言われていた私にとっては、彼に大きな変化が起きたように映る、象徴的な出来事でした。
大人に敵意をむき出しにしてきた彼にも守りたい大人がいるんだ、と。
B君が転校し、その翌年。3年目は、希望者だけが参加する補習のサポートをすることにしました。
情緒的にも落ち着いた子、学習への意識が比較的高い家庭の子だけがくるような場であり、加えて学校全体が落ち着いてきていたので、当初と同じ学校とは思えない雰囲気の中で支援することになりました。
A君とは一度も合うことなく、1年間が過ぎました。
そして、私の臨時職員としての仕事は終わりました。
先日副校長先生から電話をもらった時には、こちらから様々なことを質問しました。
彼らは元気ですか、落ち着いていますか、という問いに、先生は少し考えた後 「卒業生の顔つきになっていますよ」と言いました。
落ち着いているだのいないだのなんて、一言では言い表せないんだろうということが分かりました。例えば、彼の社会性に成長が見られたとしても、心境は複雑であったり、今後大きなリスクを抱えるような家庭環境の変化を目前に控えていたり、するのかもしれません。
そしてこの1年、少し福祉の勉強をした私は、当時の彼らの何気ない会話から、A君が母子生活支援施設に入っていたことが分かるようになりました。
そこは、「配偶者のない女子」が「監護すべき児童の福祉に欠ける」ような状態の母子のために、生活の見通しが立つまでの生活の場の提供、保育サービス、就労支援などをする施設で、早期退所・社会的自立を目的としていて、全国で4,000世帯以上、10,000人以上が利用しています。
そして私がA君と関わっていた時期は、ちょうどそこを退所する時期と重なっていました。美容師をしているらしいお母さんに切ってもらった髪は、ガタガタになっていました。母の手がうまく動かないのか、とても美容師の仕事で収入があるとは思えませんでした。
今思えば、彼の人生の大事な瞬間に立ち会っていたのだと思います。
ただ、立場上プライバシーにかかわる情報を得ることは難しく、先生たちですら彼らに関する情報がない状況でした。
何もかもがわからず、色々とやりかたも心得ていなかったため、男の子とは体育館倉庫で遊びながら話をしたし、女の子にトイレの個室で泣きつかれた時は背中をさすることしかできなかったし、ほんとうにプロ意識のない、残念な関わり方をしていました。
でもだからこそ見えたことがありました。少々の逸脱を受容し、一緒に遊び(内心テンパリ)、行動の歯止めとなる枠組みの刷り合わせに挑戦したからこそ、彼らのタフさを知り、信じることができたのだと思います。
いまの仕事で同じように相手を信じることができているかというと、自信がありません。。
「こういうやりかたが無難だ」「プラスの変化より、リスクに目を向けるべきだ」という考えが先行しているような気がします。
別に無鉄砲な若かりし自分万歳~、的な主張ではありません。
ただ、当時と今の環境の違いや、子どもとの関わりかたの判断基準の違いを、常にフラットに捉えておかないといけないなと思います。どちらが良いとも悪いとも言えないはずなので。
彼が今どうしているかはわからないし、今後どんな人生を歩むかもわからない。最高に幸せかもしれないし、最悪に不幸かもしれない。私にとっては、人間どんなふーにでもなれるぞってゆー「可能性そのもの」です。
彼に出会うきっかけをくれた人たちに感謝。来月はきっと桜満開の中、中学生になるんだろう。
もし彼と偶然再会した時は、笑顔で会うことにしよう。
そんなことを思った弥生の終わりでした。
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3.11に帰る。 (ymn)
少し小さめのTシャツを襟付きブラウスの上に着て、その日は早朝に家を出た。
外は雨。と思っていたら、徐々にみぞれに変わって、最後には雪になった。
3月ももう10日を過ぎているのに、雪か。
どうやらこの寒さはエルニーニョ現象の影響らしい。
少し小さめのTシャツは、kjのもので、泊まったときに借りて着たら、
「本当、それ似合うわ~」と言われて、まんざらでもない私はそのまま着て帰ってしまった。
以後、特に申し出もしていないけど、しばらくお借りしています(ここで初めて言ってる、そういうことなので、そのうち返すねw)
3月も10日を過ぎた、ということは、明日は3月ももう11日も過ぎた、ということになる。
(これは、3月10日に書かれたものです)
このことが、文字通りの意味以上に大きな意味を持つことはもはや言うまでもない。
寒い雪の中、私は、一旦ここでタイムスリップを試みる。
マイナス365日にトライする!
タイムスリップ。タイムトリップ。タイムトラベル。時空を超えた旅に出る。
ピピピっ
*MISSION 成功*
《2011年3月11日 なう》 おっ!
ん?
ぶぶぶぶぶぶ
*MISSION 失敗*
《2011年3月12日 なう》 あちゃ。ま、いいや。
私は、友達の家に向かっていた。ヤシマ作戦(※1)を実行するため、一人で家にいるよりも節電になると思い、一人暮らしをしている友人宅に行くことにした。
外は土曜日の割には人はまばらで、皆どこか固い表情を浮かべているように見えた。
もしかしたらそれは勘違いで、ただ私が、いつも以上にiPhoneを固く握りしめ、眉間に皺を寄せながらニュースやツイッターを読んでいたせいかもしれない。
とにかく、それだけ気が立っていた。
友人宅の最寄り駅につくと、青年が声を張り上げて訴えていた「東北の方のために、どうか節電にご協力ください!お願いします!」。
ダンボールの切れ端を彼は持っていて、そこには「節電お願いします」と太い黒のマジックで書かれていた。しばらく見入ってしまう。
と、友人がやってきた。「ごめんごめん、待ったー?」寄っていた眉間がすっと平になる。「ううん、今着いたとこ!」
テテテテテっ
*MISSION 再トライ*
《2011年3月9日 なう》 あれ?また失敗してる。うーん、調子悪いな。。
3月9日は、東京大空襲の日で、その日上野公園で追悼の式典が催されていた。
東京大空襲で両親をなくした海老名香葉子(林家三平等の母)が主催している(注2)。
地元の竹台高校吹奏楽部の生徒達による演奏。地元の女性の歌。
”平和”にはどうやら”歌”がセットで付くらしい。こんなテーマの本があるよって誰かに言われた記憶がある。
でも、本を読まずとも、そうだよね、歌謳ってるときって平和な気がするよ確かに。
式では東京も一面焼け野原になったのだと言っていた。戦争って聞くと真っ先に広島・長崎を思い浮かべるけれど、この東京も焼け野原だったのだ。
そして空襲によって大切な人をなくした方がたくさん来ていた。
目の前でしくしくと涙を流している出席者。戦争体験のない戦後世代の私は、かの戦争の惨状は想像でしかわからない。
この人たちの涙の意味は、わかるような、わからないような。
小学校や中学校で習った戦争被害の話を思い出す。繰り返される「可哀想な話」。
何回も聞いてると、何かが抜けてるんじゃないかと疑っちゃう。
わかるような、わからないような。。でもわかりたいとは思ってる。
WARNING!! ん!!
*MISSION 成功*
《2011年3月11日 14時46分 なう》
強い揺れ。ただ事ではないと感じる。机の下に避難。
ほどなくして、東北で震度7が観測されたと知る。
間違いなく、これは大災害だ。
この日はとにかく、寝るのさえ、ためらわれた。
寝て良いかどうかよくわからなかった。食い入るように見つめるパソコンの画面には、
NHKの放送と、ツイッターのタイムラインと、gmail。
家族や友人の安否を確認しながら、今、何が起こっているのか必死に理解しようとしていた。
話を先に進めよう。
*MISSION 成功*
《2011年3月12日 なう》
私は、友人宅でヤシマ作戦を実行していた。
私は、友達の家でテレビをつけた。
津波で流される車や電車の映像と緊迫した表情を見せるキャスターが画面に映し出されている。時折、番組を遮るはずのCMは、なかった。
衝撃的な映像の数々に息を呑むしかなかった。あっけなく流されて行く電車や車が、ミニチアでもジオラマでもないことがとても信じられなかった。
これは何分の1の縮尺なの?Googleマップで言うと、どのくらい離れている映像なの?
ぐっと縮尺を小さくしてみる、寄ってみる。Googleストリートビューに脳内を切り替える。
津波にのまれた電車の中にまで近づく。私は今、そこに立っている。津波がものすごいスピードで押し寄せてくる。パニックに陥る。そして…
ダメだ、これ以上は近づけない。
ふっと、現実に帰る。真っ暗な台所に立って友人がスープをガスで温めている。
スープを持ってきた友人と一緒にテレビをまた見る。
カメラはどこを写しているのだろう。山?起伏がある。
とにかく、一面、火で覆われている。火事?山火事?いや…
友人が「これ、空襲じゃん」と言った。
「本当だね…」
私は戦後世代だけど、でもあれは確かに空襲だ。そう思う。そんな風に見える。
なんだか疲れてきた…帰ろう2012年に。山崎まさよしの歌を口ずさみながら、「おうちへ帰ろう シチューを食べよう♪」
*MISSION … 失敗 *
えーっと…? 私は2012年3月10日に帰りたいんだけど!シチュー食べたいんだけど!!
あれ?ここはどこだ?? 声が聞こえる。
「これは戦争だ」
「既に局地戦では負けているが、これから先、いかに負けを少なくするかだ」
ん?私はどこにいるんだ?今はいつだ?戦争中?ってことは、1945あた��か?
検討が付かない。。でもここは、随分立派な建物の中のようだし、比較的新しい。
私は、どこかの廊下に今立っていて、一つ壁を隔てた向こう側で先の声が聞こえてきたのだ。
また声が聞こえてきた。聞き慣れた声だ。特に震災直後はこの人の声ばかり聞いていた気がする。
わりに落ち着いていて、しっかりしていて、、
そうだ!枝野官房長官(当時)だ!
福島、原発、メルトダウン。。いろんな単語が聞こえてくる。
私は、震災後の東京にいるようだ。しかも大臣が集まるような重要な会議が隣でされている。
ラララララララ ラリー ロー !
ん!?今、いいとこなの!もう少し聞こえたら、何か大事なことがわかrtけおぽdsf@Pkが:;
*MISSION 成功*
《2012年3月10日 なう》
戻ってきちゃった。
「議事概要公表:玄葉氏「これは戦争だ」3月17日対策会議」
という見出しのニュースを私は目にする。そうか、私が聞いたのはこのことだったのか。
それにしても、今頃になって当時の様子がわかるっていうのもおかしな話だ。(※3)
戦争、原発、震災。
何が何だかわからなくなってきた。
まだ雪が降っている。東北を想う。寒いだろうな、と想う。寒かっただろうな、とも。
薄着だったかな。
そういえば、kjのTシャツには、「87」と書いてある。
「87」。バナナ?やしち??
いや、もう何でもいいや。寒い寒い、帰ろう、おうちへ帰ろう。シチューを食べよう。
あぁ、寒かっただろうな。そして、シチュー、食べたいだろうな。
白い息を手に「はぁ」と吐きかけて私は家路へと急いだ。
※1ヤシマ作戦
エヴァンゲリオンに出てくる、攻撃兵器の電力を集めるために日本中を停電状態にする作戦の名前を元に、震災直後に節電への呼びかけを行ったプロジェクト名。要は、皆でヤシマ作戦しよう!=節電しよう!でした。
※2 毎年、「時忘れ時の集い」として上野公園で開催されている。
※3 2012年1月になって、地震直後に開かれた原子力災害対策本部やその他の議事録がないことが発覚した。2月になって、当時の出席者のメモ等を元に議事録を作成、3月に公表。震災直後から政府はメルトダウンの可能性を把握していた事実が明るみになった。
「原子力災害対策本部 議事録全く作成せず」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012012302100006.html
「議事概要公表:玄葉氏「これは戦争だ」3月17日対策会議」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120310k0000m010093000c.html
何故、議事録がなかったか。
「議事録作成、法的義務ない…緊急災害対策本部」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120229-OYT1T00530.htm
実際はどうなのよ?はこちら。
「原子力災害対策本部「議事録ナシ」は氷山の一角 国会事故調が挑む「政府による情報隠し」の壁」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31685
テーマソング 山崎まさよし 「おうちへ帰ろう」
http://www.youtube.com/watch?v=71kwr6Xqh1g
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第三ぱなし:
「なんで、敬語、使っちゃうんだろうね?」
たまになんか知らないけど、使っちゃうんですよね。。
敬語って。親しい仲にも関わらず。。
今宵は、知られざる敬語の使用理由、その背景に隠された心理を暴きます!!
と意気込んでみたものの、ドえらくド深夜テンションの超絶どうでもいい話です。
眠れぬ夜のお共に。お楽しみください。私、今、とても眠いです。
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新しい養育のかたちと実現可能性(kj)
私とymnは、江戸川を渡りながら話していた。
社会的養護の新たな可能性について話していた(なにやらでけぇ)。
社会的養護とは簡単に言うと、親から離れた子どもが暮らす場のことで、
「親ではなく社会が育てよう」という意味が込められていて、里親家庭も、児童養護施設も、そこに含まれている(※注1)。
私は社会的養護に新しい居住形態のエッセンスを入れられないかと考え、ymnに何度となく話していた。
社会的養護下で暮らす子どもは全国で約4万人。これは児童福祉法を根拠にしているから、少年法を根拠法とする少年院などに措置されている子どもを含めたら、親と暮らしていない子はもっとたくさんいる。
一時的にシェルターに逃げ込んでいるなどインフォーマルなケースもあるだろう。挙げたらきりがない。
親子分離の理由はイロイロだ。
虐待(身体・心理・性・ネグレクト)、経済苦、精神・知的・身体障害による養育困難、遺棄、行方不明――。
そのどれにも属さない「ボーダーの家庭」は何倍も在るだろう。
どんなに大変な状況の親子でも、離れずに済むのなら、社会のサポートを得ながら一緒に暮らせることが望ましい。
しかしどうしても安心や安全が脅かされる場合、関係修復のために距離を置いたり、互いの自立まで無期限の分離をする必要がある。
私が社会的養護で特に問題だと感じているのはこの3つ。
① 措置された子どもが自分の地域から離されてしまうこと(0からの人間関係、それまでの財産の喪失)
②-1 施設でのケアは家庭的ではないこと(愛着障害、著しく社会性の低い子どもを助長)
②-2 児童相談所は危機介入で精一杯のため、家族の再統合業務がなかなか進まないこと(施設入れたら入れっぱなし)
③里親家庭が孤立してしまうこと(奇特な人がやるものという世間の認識)
このすべてを克服できる方法はないかと考えた時に、
「シェアハウスで里子の養育ってできるのカシラ?」
「手当てがちゃんと出るようになれば、シェアハウスのメリットを活かして、里子を預かることができるんではないカシラ?」
「まともな若者、社会貢献意識の高い若者って、案外いるんじゃないカシラ?」などと浮かんだ。
コレクティブハウスに行ったり(前掲)、住まいのプロと話をさせてもらったりと、
やまねと一緒に足を動かすうちに、その構想の限界を知ることができた。
以下では、そのぐらぐらな「養育のシェア」構想をぶっ叩いてみます。
▼▲▼▲▼
0.前提として、シェアハウス自体が法的には「世帯」として認められていない。
現在の里親制度における要件は、子どもの福祉を目的とすること~だとか、居住空間の広さ~だとか、いくつかあるが、主に「夫婦の里親」を想定しているため(制度上は単身者でも可能だけど)、養育者が生計を一にしていること、もしくは親族関係にあることが求められている。
「世帯による養育であることが、里親の質の保障」というわけだ。
「養育のシェア」構想を実現するとして…
1.あらかじめ「里親家庭が相互支援できる住まいですよ!」って集客して入居してもらうパターンってアリ?
メリット:専門的な視点を持った養育者たちの入居が見込める。
集団ではあるが、施設と違い、子どもの生活圏に養育者(職員)が出向くのではなく、養育者(里親)の生活圏に子どもを招き入れるというかたちがとれる。
デメリット:単に「職員が厚い施設」のようになる恐れあり。
子どもたちはきっと、地域で「ああ、あの施設みたいなところに住んでる子か」という認識を持たれる。
親子分離で措置された子を、地域から引き剥がし隔離している今の状況とさして変わり無い…という結果になるかもしれない。
2.特に福祉色を打ち出さず、単に集合住宅が里親家庭を受け入れて、事実上みんなで「養育のシェア」ができるパターンならアリ?
メリット:里親家庭が「自立」した状態であれば、コレクティブハウスのような集合住宅に入ることはなんら問題ない。周囲に里親家庭の理解を得る機会になる(これは今マンションに暮らしている里親家庭の状態と変わりない…)。
デメリット:里親のバイタリティと人間性がかなり重要な、属人的な形態である。
地域に「特殊な人」が「特殊な子ども」を育ててる、と思われて結局孤立する可能性がある。
3.①~③の問題点を網羅する形態は現行の制度上は難しい。
制度の中で守られながらやろうとすると、既に色々な形態があることと、その限界を再確認できるだけ。
とあるソーシャルワーカーが「新しいことは、もうゲリラ的にやるしかないのよ」と言っていた。
婦人保護施設(※注2)なども、誰かが誰かのニーズに応えていたから制度が追いついた。
触法しない程度に「ゲリラ的に」実践してみるのも一つの手か…。
▼▲▼▲▼
こんな感じで色々こねくりまわしていたのだけど、この2週間は軽くエンストでした。
終わりの見えないことをやっているのだなと思った途端に、問題意識はガリッと削がれました。
特に、夫婦間のDVと児童虐待の関係なんかを実感する機会があって、���性支援の問題を考えはじめちゃったものだから、
経済的&文化的な貧困の底なし感!!に足を取られ、溺れました。(ごぼごぼ・・)
まがりなりにも10ヶ月働いたこともあり、個人に感情移入し過ぎて引きずられる、ということはもうないけど、構造の大波に打ちのめされるカンジはたまにやって来ます。(ばっしゃーん)
顔が見える支援というのは、ハタチそこそこの甘チャンが簡単にできることではない。
手前の仕事も不十分な状態で、大きなことを考えるなんて、本当に大それたことなのだけど、休み休みにでもやってみるしか道はない。
自分は、何を、どこまでやりたいのか、まだ決められる段階ではないから。
別に、そんなに大きなことが出来るとも思っていないし、大きなことが美徳だとも思わないけど。
前回の記事でymnが、私が仕事中も私生活でもずっとこんなことを考えているのかと心配?してくれましたが。
自他共に認める合理主義者のymnが、「そもそもさぁ?」って浮き輪を投げてくれるので
実は自分たちは浅瀬にいるということ、深呼吸できるということに、気付くのです。
まだまだ考え中、なにかの途中にいる私ども。
体力も精神力も、時間も金も、有限だ。もしかしたら好奇心も。
その中で何をしていこう?
うんと自由に考えられる一方で、もう自分の今後の人生と全く切り離しては考えられないのも事実。
周りの人との間に起こるささやかなできごとも、きちんと楽しんで、噛み締めて。
明日のご飯は確保して、ちゃんとあったかい布団で眠って。それからまた、考えよう。
ほんわか社会派ブログ、今後とも宜しくお願いします。
(次回はもうちょっとほんわかする予定。)
※注※
1:「社会的養護」厚労省 http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/syakaiteki_yougo.html
2:「婦人保護施設」難病・作家・27歳院生の大野更紗さんが、婦人保護施設の取材の様子を共感たっぷりにまとめてます。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1814449.html
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見知らぬ誰かじゃなくて、知っている「あなた」との共生と児童養護施設の問題 (ymn)
ちょい長め
頑張って読んでください!
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先日、日暮里にあるコレクティブハウス「かんかん森」に見学に行った。
コレクティブハウスとは、住人一人一人が独立した家(部屋)を持ちながら、住人全員で共有出来るスペース設けられている集合住宅を言う。例えば共有キッチンがあり、ダイニングがあり、菜園があり工作スペースまである。
そして、週3回程、共有キッチンのコモンキッチンを使って数名が当番の持ち回り制で晩ご飯を作って振る舞う。元々は、80年代頃から北欧スウェーデンで実践された新しい住まいのスタイルで、多世代が一つ屋根の下でそれぞれプライベートを確保しながらも、住人同士がゆるやかに繋がる集合住宅として建てられた。
現在日本に4カ所あるコレクティブハウスの第一号がかんかん森で、今年で完成から9年になる。
かんかん森は主に高齢者施設になっている12階の建物の2、3階を使用していて、1階には保育園が併設されている。見た目は…区の公民館かなんか?と思わせるようなよそよそしい佇まい。
高齢者施設の2、3階部分を無理矢理コレクティブハウスにしている感じがあるから、中の作りもなんとなく病院っぽい。
住むにはどうなの、、この冷たい感じ。。。
とはいえ、見た目ではなく、コレクティブハウスという構想に皆共感して入居している。(言うまでもなく…)
東京都内の一人世帯は、現在、全体の約4割を占める(注1)。
私もその一人だ。未婚の単身世帯、そして老後を一人で過ごす老人。
ちょうど2年前にNHKが「無縁死」を取り上げて話題となった。無縁死とは誰にも看取られることなく一人で死んで行くケースを指す。“一人”とは、家族や親族という血縁、地域コミュニティといった地縁、会社の社縁の3つの縁から孤立している状態。
そんな無縁死が3万人以上いると言われたのだから、自分の生活圏内でも音もなく静かに逝ってしまっている方がいてもおかしくない。そう考えるとこの社会は、なんだか味気なく寂しい。。(注2)
ていうか、老人じゃなくてもやっぱり一人は寂しい!私だって家に帰って「ただいまぁ!今日も疲れたよ~」って言える人がいたらいいのに!とよく思う。
もちろん、一人じゃなくても寂しいものかもしれないけれど。
家族で集合住宅に住んでいても、周りは知らない人で、どんな人なのか知る由もない。通勤、通学で駅に向かっている人は皆匿名の見知らぬ人たちで、満員電車で囲まれるのは匿名の「サラリーマン」。カフェであついコーヒーを出してくれるのもいつも同じ挨拶をする「アルバイトの子」。
誰でもいい誰かじゃなくて、「あなた」であってほしい。誰かじゃなくて「○○さん」であってほしい。私たちの生活はもっと匿名の誰かじゃなくて特定の「あなた」に囲まれたものであればいいのに。
「下町」という単語がもてはやされる理由がよくわかる。
コレクティブハウスに住んだら、まず完全に一人になることはない。すれ違う住人に「おはよう」とか「こんばんは」と声を掛け合い、コモンミールで一緒にご飯を作って食べて、交流が生まれる。また、住人はそれぞれ「広報」や「図書グループ」等の委員やマネジメントグループに属すことになる。ただ住むだけの住人ではなく、住みながらコレクティブハウスコミュニティの運営者にもなることが住人には求められる。
その負担を負うからこそ、コモンスペースに行けば特定の誰かがいて、自分の部屋に帰っても隣には知っている人が住んでいる安心感が生まれる。誰だか知らない人たちではなくて、誰だか知っている人たちとの温かい生活。
ときには、子どもの宿題をコモンダイニングで皆で教えてあげることもあるという。子育て世帯にも優しい。
孤独じゃない。孤立してない。誰かがいる。
この絶対的な安心感を得られるのがコレクティブハウスの最大の魅力だ。
(子どもが遊べるスペース)
kjと私は、あることについて話していた。だからコレクティブハウスに見学に来た。
児童養護施設に入るような子どもの育て親になる「里親」と「里子(育てる子ども)」という世帯が、孤立してしまうケースが多いということ。(かじ調べ)
普通の育児だって親の援助を受けたり、ママ友を作ったり、大変ながらもやっていくものを、例えば虐待の経験のあるような少し難しい子どもを預かって育てるなんて簡単じゃないに決まってる。
専門の教育を受けた人が里親になるとはいえ、孤立して誰にも育児の相談が出来なければ、せっかく親の代わりに家で育てているのに、子どもにとってもよくない。
そんなときにコレクティブハウスにいたら…
問題を家庭内だけでなんとかしようと気負わなくて済むかもしれない。ご飯を作る手間が省けて、それだけでストレスが減るかもしれない。
と思うと、やっぱりコレクティブハウスの持つ温かさはいいなと思う。
(もちろん、コレクティブハウスは自分のことは自分で出来るという自立した人の入居が望ましいので、始めから「助けてください」というスタンスは歓迎されない)
内容が前後するが、ここで児童養護施設について簡単に説明をする。
児童養護施設とは親を亡くしたり親が刑務所にいるような親が不在の子どもや、貧困で親が育てられない場合、また虐待を受けている場合など親と一緒に住めない子どもが住む施設で、全国に579カ所、18歳までの約3万人の子どもが住んでいる(注3)。
そして今、あまりに多くの子どもが施設に居ることが指摘されている。
施設職員一人に対して15人以上見ないといけないときもあり、普通の学校だったらむしろいい方だが、それなりに問題を抱えた子どもが相手なら15人は多い。一人一人をきちんとケア出来ないし、職員の負担が大きすぎる。
だから何をしたらいいか。。
まずは施設に入る子どもを減らすために、虐待する親自体を減らさないといけない。そして今後増えないような手だてをしなければいけない。
それでも親元から離れなければいけない子どもたちは、なるべく家庭らしいところで育ったほうがいい。
とすると、里親が増えたほうがいいということになる。
そのためには何をしたらいいか?
里親になるハードルを低くする(法律の規制をゆるくする、里親の金銭的/精神的負担を減らす)ことが考えられる。
と、なんだか政策提言みたいになってしまったけど、かじと話しているのはこんなところ。答えはまだまだ出ません。。。
そういえば��こ数日は、こんな感じで子ども達のことをずっと考えていた。
ずっと。。?出勤しながら、会社でパソコン見ながら、しばらく手が止まったりしてた。。
…ていうか、kjって仕事も他の時間もずっっっっっっっっと考えてる!?
今まで散々話を聞いていたのに、全然大変さをリアルに感じていなかった自分に驚く。
んむ。いろんな面で「難しい」と言えるこの問題のどこを変えれば、解決に結びつくのか。。。
考えれば考えるほど、猫型ロボッ…じゃなくて、課題解決型人間と手を携えたくなります。
それにしても、もう2012年なのに来るべき未来に近づいている気がしないのは私だけかな?
青い猫に頼る前に人間が変わらねばね。
注1 東京都 総務局調査 東京都世帯数の予測ー統計データー 平成21年3月より。
http://www.toukei.metro.tokyo.jp/syosoku/sy-data.htm
注2 NHKスペシャル「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100131.html
Nスペは書籍化され、朝日新聞では高齢者一人世帯を「弧族」と呼び「弧族の国」という連載を掲載した。
http://www.amazon.co.jp/無縁社会-NHK「無縁社会プロジェクト」取材班/dp/4163733809
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201012250322.html
注3 主に施設退所者の自立支援を行っているNPO法人ブリッジフォースマイルの『自立支援白書2010』より。
自立支援の等、一般の方でも出来るボランティアを募集しているので、興味のある方はアクセスしてみるといいと思います。
私も今度ボランティアをすることになりそうです。
http://www.b4s.jp/index.html
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第二ぱなし:
「2011年を振り返ってみよう」
2011年の振り返りを実は、去年末にしてました。
今頃感あるけど気にせず、アップ!
あみだくじで決めた4つのキーワードで、2011年を振り返ってみました。
「絆」「傷」「距離感」「ぼにょぼにょ」
さて、それぞれどのキーワードになるのでしょうか。。
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かじの初夢ダメージと私の夢ダメージ (ymn)
「鶏多いかな?」不安そうなkj。
「ううん、大丈夫だよ。鶏肉と牛肉ってのはちょっとケンカしそうだけどね笑」と返答した。
少し間があってから、「牛肉は入ってないよ」とkjに言われた。
このビーフシチューには、“ビーフ”が入っていない。
ってことは、ただの「シチュー」??
一人首を傾げてみる。
そしてスプーンで掬ってただのシチューを口へと運んでいく。普通に美味しい。
けど、ちょ…この白っぽいの。鶏肉じゃん!
「鶏肉はいってるんだ!?これ」思わず口をついて出た。だから最初に「鶏多いかな」って聞いてきたのか。
静かにツイート。
「鶏肉の入ったビーフシチューを食らった。何シチューと呼ぶのがいいのやら。。」
…残念ながらめぼしいリプライはなかった。
そして今、kjがダメージを受けている。今のところ、合計63。
私の初夢を思い出してみる。
新年はマンガ版ナウシカと共に迎えた。実家に計7巻のナウシカワイド版とMacBookProと数日分の着替えを持って帰った。(すごく重かった泣)テレビにかじりつくでもなく、なんとなく新年を迎え、なんとなくナウシカを読み始めた。確か2時頃に就寝。
夢…
とにかく壮絶だった。それはそれはとにかく。だからダメージは10としよう。
次の日の夢。
ナウシカの続きを読んだからかまた壮絶だった。戦争にまつわるものだったような気がする。とにかく、RPGの世界に迷いこんだような壮絶さと重量感があった。
ダメージ20。
ここまでで、計30。
そして、鶏肉入りビーフなしシチューを食べた日に、実は夢を見た。あんまり見たくない夢だった。
ここで書くのも憚られるくらいの夢。
私はその夢で、ある男の人に対して、すごく野蛮な一面を見てしまった気がした。
そういえば、この人のコミュニケーションはどこか一方的なところがある。相手(私)を理解する姿勢とか、相手を尊重してるっていう会話を成り立たせる上での前提条件が整っていない気がした。相手の考えていることに興味があるという最低条件がなければ会って話しても会話にならない。そんなことを思い出した。
本当、夢ってたまにすごく疲れる。
現実かどうかしばらく判断がつかないくらいの夢は特に。思い出して、妙な気持ちになって落ち着かずそわそわ不安な思いに駆られることさえある。厄介な夢は見たくない。
この日の夢のダメージは30。
結果発表。 合計60。
kjの合計よりやや少ない。
いや、たぶんkjのダメージと私のダメージはそもそも基準値が違う。
でもダメージはダメージだ。
私は、夢に出てきたその人とこれからも会って話をするだろう。
今年はもっといろんな人と会話がしたい。ダメージを受けずに、むしろ回復していくような。楽しくて実りある会話をたくさんしたい。
パタゴンの塒は今日は一人だけど、塒じゃなくて日中には是非、みなさんお話しましょ。。♡
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初夢から読み解こう(kj)
ymnが来ない。
鳥入りビーフシチューと、鳥のトマトオリーブ焼きを作って待っているが、来ない。
暇なので、先日観た衝撃的な初夢について考えてみる。
■kjの初夢■
それは夜勤明けの日。小一時間昼寝をしようと、明日からの連休に思いを馳せたまま入眠…
すると誰かがおいおいと泣いている声がして目が覚める。
自分だ。
天井に届くほど涙を噴射している私。
ああ、どうしよう、クラシアンに涙腺を締めてもらわないと…
水のトラブルはいくらだったっけ…
あれ、なにが悲しいんだっけか。
まだ夢なのかこれ。
おちつけ、うるさい、黙ろう。 タオルタオル。
と、止血するようにじっと涙を止める。
しゃくりあげーの、さげーの、5分ほどしてようやく事態のおもしろさに気づく。
これは初夢だ。内容を掘り下げれば、なにか2012年のヒントになるかもしれない。
夢を反芻する。
まず、夢の中で私は、段階を追ってダメージを受けていったようだ。その結果の爆発、噴射、となっていた。以下、夢の中の出来事とその時の心情を整理しよう。
1.友人に無視される。
高卒後、フリーターとして働く綺麗な友人に会い、話しかけるも、「さあね」とかわされ、その後無視される。なぜ?
たしかに私はこの数年、彼女の未来を案じているふりをしていたかもしれない。身近な存在でありながら、本気で心配し、声をかけることはしなかったかもしれない。「保険料払ってるの?貯金している?変な男に捕まってない?」などと���ねるチャンスはいくらでもあった。でも話題にしてこなかった。会ってはきさくに談笑し、話の合う部分だけにフォーカスしていた。
「実はね…」からはじまるような、もっと純度の高い空間をつくれたのに。
自分の社会的な優位性に甘え、安心していたのかもしれない。大卒、新卒、手に職系。自分だって明日仕事がなくなるかもしれないのに。
だが、それは彼女自身がいつも、享楽的、刹那的な振る舞いをしているからだ。私は悪くない。
ただ、私が青春時代に落ち込んでいたとき、彼女に助けられたのも事実だ。いつもみんなを気にかけてくれていた。
そして今日もとびきり綺麗だ。
ダメージ10。
~気持ちを切り替えて、職場に向かう。~
2.元彼が私の職場でなぜかボランティアとしていきいきと働いていた。
皆にかわいがられている。単純に、とてもやりづらい。
どうやら、「職場」という公の場に、「カレシ」というプライベートアイコンが登場することに恐れを感じているらしい。
これは現実世界で公私のバランスがとれていないことの表れか?
私は昨年から、仕事や業界全般に関する勉強会に出ている。学会にも行って、自分で言うのもなんだが、出会いをモノにしている。実践家、記者、その他キーパーソンに会いに行っている。さらっとハタから見たら、真面目で活動的な女子だろう。
ただ、職場の人にはそのことを話していない。「がんばっちゃってる人」と思われたくないからか。話が通じない人たちだと、こちらから見切ってしまっているからか。
いや、そんなことはない、私は現場の実際を見に行っているのだ。そこで話す必要がない、までだ。
そんなことはない、はずだ。
苦しい。
ダメージ3。
~そうだ、仕事に戻ろう。あの子はどこ行ったかな。~
3.子どもに性的興奮を覚えさせてしまう。
赤ちゃんの時から、親から離れて生活している子。いまは孤児院にいる男の子。
これまで施設をたらいまわしにされ、固定的な養育者に恵まれなかったため、完全にいわゆる「愛着障害」。
自分の感情をコントロールできず、大人に甘えようと思っても根深い「大人不審」が噴出してしまうため、泣き叫び、相手を罵倒し、それでも大人に近くにいてほしい、と大暴れする。少しでも否定されると過剰に反応する、実在するあの子。
そんな子に人の暖かさを知ってほしい一心で、夢の中で私はその子を抱きしめた。
「私は、社会は、もうあなたを裏切らないよ」と。
すると、女というものをどう捉えていいかわからない彼は、性的に興奮状態になる。私の腕の中で愛くるしい顔をした子どもが一瞬で遠ざかる。
ああ、そうか、この子は極端に「家庭」の経験が乏しい子だった。抱きしめてはいけない子だった。
まず、裸の大人と風呂に入った経験がない。母の裸を見たことが無い。母と思っていた女性たちは、やさしい言葉をかけては彼から離れていったのだ。誰が母なのかわからない。記憶を歪めて作り上げる母、はじめての女性像。
お墓を知らない。送り火を知らない。親きょうだいと手を繋いだことがない。
生と性の概念が未完のまま。
つまり、親から子への愛の「具体的なかたち」を知らない。
母親だったら、子どもに頬ずりするし、抱きしめるし、キスするし、ゲロもうんちも触れるし、赤ん坊の鼻水を吸ってあげちゃうこともある。
子どもが大きくなったら、手は繋がなくなる代わりに、背中を押してくれる者。
誰にだって、家族愛を知ってから、友情や恋愛感情を知り、大人として再び家族愛を求めていってほしい。
そうしていく中で、人との物理的な距離感と、精神的な距離感のバランスを学んでいける。
ちがう、私には性的感情を抱いてほしくないの、落ち着いて、ふつうはこうするの。大人は子どもを抱きしめてもいいの。
「ふつうは」?
ふつうって何?
私はこの子に母代わりとして接してもいいのか?罪ではないか。家族愛なんてものを提供できているのか?ほんとうに?嘘をつくな。
ごめんなさい。社会の歪みに巻き込まれた子どもたち、ごめんなさい。私たちがあなたをそうさせた。暗く、酷い社会があなたに辛く当たっている。あなたは悪くない。
たまたま運が悪かっただけ。申し訳ないけれど。
「じゃあ僕の人生は不運なままなの?」
答えられない。
以前だったら、自信をもって言えた。
「世の中ってとても楽しいところよ」「おもしろい人がたくさんいる」「社会はあなたの味方。絶対に守ってくれる。そうでなきゃ、法治国家としておかしいもの。」
今は、心から言えないかもしれない。
近づけば近づくほど、遠ざかる関係。
ダメージ50。
ここで、自分の嗚咽が聴こえて目が覚める。
自分のやましい部分をエグラレタような気がした。
今年は やましさに目をそらさずに、焦らず前進していきたい。
自分に泣かされるのはごめんだ!
2012年1月5日。
ymnは今、私がつくったシチューをおかわりして食べている。
私たちは健全である。
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第一ぱなし:
「 “パタゴンの塒” で、 何しよう ?」
塒に入るところからはじめました。
寝る前に聴いてください。
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