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Some arty activities, mostly in London (in Japanese)
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picolin · 19 hours ago
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A Moon for the Misbegotten
by Eugine O'Neill
dir. Rebecca Frecknall
2025年7月12日 Almeida
ユージン・オニールの 『夜への長い旅路』 の続編にあたる 『日陰者に照る月』 のリバイバル。演出はレベッカ・フレックナル。ジェームズ・タイロン・Jrに 『夜旅』 の2016年BWリバイバルで同役を演じたマイケル・シャノン、ジョージーにルース・ウィルソン、その父フィルにデヴィッド・スレルフォールを配する。
トム・スカットの美術。木製の円形舞台の周りには木材や梯子が大量に置かれ、舞台自体には向かって左に階段と、さらに逆時計回りに階段があり一段上にはドレッシングデスクと椅子が置かれ、農場の中に立つ家屋の屋内を示す。物語の半分以上が月が昇って沈む夜ということもあり、ジャック・ノウルズによる照明が大変いい仕事をしている。スポットライト二種が天井と舞台の端のレールに設置され、色を変えながらぐるりと回転することで月の動きと時間の経過を表し、日の出になると舞台の下から暖色の光が登ってくる。
基本的にリアルタイムの時間に沿って展開する4つの場によって構成される戯��で、少人数の会話をじっくり見せ、聞かせる作品である上に、間をたっぷりと取ることで演者の素晴らしいパフォーマンスを存分に楽しめるプロダクション。全編ほぼ出ずっぱりのウィルソンは気丈な農場の娘からジムの告白に心を動かされるまでの心の動きを繊細に見せ、歳を重ねアルコール中毒がかなり悪化し、後悔と恥の感情に押しつぶされそうになっているシャノンのジムの時折見せるシニカルさと悲嘆、そこにスレルフォールのフィルが時折コミカルな味を加える。正直戯曲そのものがかなり晦渋な作りと感じたが、今時ここまでじっくりと、長時間煮込んだ料理のように戯曲と質の高い演技そのものを見せるプロダクションも久しぶりに感じた。
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picolin · 8 days ago
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Intimate Apparel
by Lynn Nottage
dir. Lynette Linton
2025年7月5日 Donmar Warehouse
リン・ノテージの2003年作。1905年のロウワー・マンハッタン。お針子のエスター(サミラ・ワイリー)は30歳を過ぎても裁縫工房で働いている。将来の夢のビューティー・パーラー創業に向けての資金調達のため、副業として上流階級のWASPの奥方やナイトクラブで働く黒人女性たちのために豪奢なコルセットを作り、固定客とは深い信頼関係を築いている。そんな時、パナマで働くバルバドス人男性ジョージ(カーディフ・カーワン)から手紙が送られてくる。文字の読み書きができないエスターは、顧客のひとりヴァン・ビューレン夫人(クラウディア・ジョリー)に返事の代筆を頼むのだが。
アレックス・ベリーの美術。動かせるベッドやミシ��の乗ったデスク、仕切り屏風といった道具をシーンによって動かして異なる部屋を作る。ドンマーお馴染みの背面の二階部分の通路は、パナマ運河建設現場にいるジョージが現地から手紙を書いている描写や生地屋のセットに使われている。
20C前半はまだ一般的だったコルセットを女性の社会的抑圧のシンボルとして扱う作品は過去にもあるが、本作では美しく豪華なものを着たいという女性の欲望をもって彼女たちのささやかな自己実現手段としても描写しているのが特徴的。顧客を美しく彩るコルセットは、しかしエスターがそれを着用しているところを見せるのはジョージとの噛み合わない結婚生活のシーンとなり、どちらかというと抑圧寄りの見せ方にはなっている。アメリカ黒人の労働者階級の生活を書いてきたノテージらしい題材である一方、世界中の貴重な生地への情熱を分かち合う東欧系ユダヤ人の生地屋マークス氏(アレックス・ワルドマン)との関係は「白人」の範囲がまだ狭かった時代におけるマイノリティ同士の協力関係を表現する。時折キャストたちによる歌唱なども交えながら、地味なお針子(の割には結構モテる)だが背筋をすっと伸ばして生きることを選ぶエスターの姿に、現代にも通じる女性の生き方についての提示がなされている。この、女性たちへのエンカレッジメントと歴史を切り取った観察の両方の塩梅がちょうど良いプロダクションになっていると思う。
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picolin · 8 days ago
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Marriage Material
by Gurpreet Kaur Bhatti
based on the novel by Sathnam Sanghera
dir. Iqbal Khan
2025年7月3日 Birmingham Rep
『Empireland』『Empireworld』の作者Sathnam Sangheraの小説の舞台化。6月にLyric Hammersmithで上演されていたプロダクションのトランスファー。1969年のウルヴァーハンプトン。二人の娘と共にコーナーショップを営むパンジャビ系のベインズ夫妻だが、夫が急病で寝たきりになってしまう。そんな中、次女のスリンダーは営業に来たチョコレートのセールスマンに興味を抱くが。
デザインスタジオGood Teethによる美術と衣装。小さな一戸建ての家のセットとコーナーショップの店先をコンパクトに見せる。前半の1960年代、後半の00年代では店先に並ぶものが変わるのも楽しい。
タイトルから想像する以上に、 「地方のコーナーショップを通じてUKの移民の生き様を記録する」 という趣が強い作品で、1969年のウルヴァーハンプトンで起きたシク教徒のバス運転手のターバン許可運動(当時はバスの運転手は頭の被り物禁止でヒゲは剃ることを求められていた)が前半において大きな位置を占め、後半は21Cになって移民三世はロンドンに出てクリエ���ティブな仕事に就ているいるという変化が描かれる。当然それぞれの時代における結婚の意味合いも変わり、特に娘がいる場合の 「経済的に安定した家に嫁ぎ子供を育てて家業を守ること」 、UK白人相手の結婚に伴う意識の変化が物語の中心に据えられている。同時に、コミュニティ内でより経済力のある世話役的な構成員との力関係や、移民の中小企業経営者の保守的な傾向の理由の一端が描かれている比較的珍しい作品でもある。とはいえ、全体的にほんわかとした雰囲気に包まれた愛すべきプロダクションに仕上がっている。これは前半と後半の間の時間を埋めれば、NHKの朝の連続ドラマ小説にできそうな話かもしれない。
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picolin · 13 days ago
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Caught by the tide
(中:風流一代)(日:新世紀ロマンティクス)
written by Wan Jiahuan & Jia Zhangke
dir. Jia Zhangke
 ジャ・ジャンクーの2024年作品。第77回カンヌ国際映画祭コンペ作品。2001年の大同、2006年の(三峡ダム建設によって沈む運命にある)奉節、2022年の珠海から再び大同を巡る一組の男女(チャオ・タオとリー・チュウビン)の出会いと分かれを、ノンフィクションフテージと監督の過去作 『青の稲妻』 『長江哀歌』 『帰れない二人』 からの引用、新録部分を組み合わせて描く。
残念ながら引用されている過去作を見ていないので正しく評価できないのだが、同じ俳優をキャストした作品を使いながら長いタイムスケールを扱うというのは面白い。ちょうど中国が急激に変化した時代を扱っているが、おそらく最も変化したのは描かれない2006年から2022年の間と思われるので、その間にもう1セグメントがあってもよかったのではとも思うが、これは個人的な関心なので監督のアーティスティックなビジョンからはかけ離れてしまうのかもしれない。冒頭と最後に流れるロック、各時代に流れる音楽の変遷も興味深く、2002年パートのホールで女性が歌う曲と2022年の小綺麗なホールで社交ダンスの背景に流れる曲は同じだっただろうか、少なくとも同じジャンルであると思われる。一方で、各時代で流れる音楽は変化すれども、街頭パフォーマンス的なライブの横で若い女性を踊らせるのは20年以上変わっていない。
全体的にセリフの少ない映画ではあるが、特に女性側のチャオには全くセリフがなく、携帯のテキストが表示される以外は表情だけですべての感情を語る。これが思いがけないラストと彼女の発する 「掛け声」 の意味を強く印象づける。
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picolin · 14 days ago
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4.48 Psychosis
by Sarah Kane
dir. James Macdonald
2025年6月27日 Royal Court Upstairs
サラ・ケインの最後の作品。2000年の初演と同じ出演者(ダニエル・エヴァンス、ジョー・マッキネス、マデレーン・ポッター)、演出家(ジェームズ・マクドナルド)他のスタッフによるプロダクションを上階の小さな劇場で再演する。エヴァンスが芸術監督を務めるRSCとの共同製作で、ロイヤルコートでの公演のあとはRSCのThe Other Placeにトランスファーする(楽日はタイトル通り午前4時48分からの開演となっている)。
ジェレミー・ハーバートによる美術と衣装。プロセニアムの舞台の上に斜めに大きな鏡(というか、小さな鏡をつぎ合わせているので微妙に鏡像がずれる)をかけ、舞台に寝転ぶキャストや白い大きな机の上の書き込み(キャストはなんと鏡文字で書いているので鏡でちゃんと文字が読める)がはっきり見える。時折床と机に投影される映像は、机に合わせるように窓からのロンドンの光景やTVの砂嵐。これがナイジェル・エドワーズによる照明の色と照度と合わせて章によるトーンの違いを引き立たせる。
2018年にオペラ版を見ており、もともと登場人物の人数の指定もない散文詩のような作品であることは知っていた。初演は3名で、語り手と精神科医と思われるセリフを役割固定せずに、そのうえに語り手のセリフも分担しながら自己の認識が緩やかに流れるように演じられる。寝転がったり机の上に寝そべって演じるというなかなか難しい演出であるが、鏡で表情を確認できるのもあり、これもまたひとりの人物の内にある複数の感情が並行して存在しているかのような効果をもたらす。そして、悲痛な内容に混ざって時々ユーモラスなトーンになるのが面白い。最後、音楽におけるリタルダンドのように言葉と言葉の間が開いていき、最後にキャストが起き上がり窓を開け、外の光と音が入ってくるのがあまりにも素晴らしすぎる。
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picolin · 19 days ago
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Sinners
written and dir, by Ryan Coogler
2025年6月24日 BFI IMAX
ライアン・クーグラーの新作。1932年、シカゴ帰りのスモークとスタックの双子の兄弟(マイケル・B・ジョーダン)はミシシッピの故郷で馴染みの仲間たちの協力を得ながら黒人労働者たちのためのナイトクラブを始めようとする。しかし思いもしない脅威が迫る。
20C前半におけるUS南部の人種分離政策下における黒人音楽、特にブルースがどういう背景で演じられ親しまれてきたかという文脈と、そこに相互影響があった白人音楽、ここではアイルランドのフォークミュージックという要素を載せ、ミシシッピの中国人コミュニティやネイティヴアメリカンのヴァンパイアハンターやKKKといったキャラクターも登場し、とにかく要素がてんこ盛りな映画である。黒人音楽とアイリッシュの関係においては北村紗衣氏のブログに詳しい。一見すると 「黒人文化は白人からの影響や収奪を拒否して文化的純血を保つべき」 という話なのかな?と思ってしまうが、ミドルクレジット場面を見るとそこまで単純な話でもないことがわかるし、そもそも劇中で演奏されるアイリッシュフォークが「ガチ」のまじめなもので、さまざまな地域からやってきた移民たちの文化が混在して成立したアメリカの民衆音楽自体に対するリスペクトを感じられる内容になっている。そこに牧師の息子であるギタリストのサミー(マイルス・ケイトン)が父親が 「悪魔の音楽」 と嫌悪するブルースのミュージシャンになることに拘泥すること、「罪人たち」 というタイトルから、教会でのゴスペルや、作中では全く出てこないがハイカルチャーとしての白人クラシックではない、庶民の口承や伝承の流れを汲む民謡やポピュラー音楽の類に心を奪われる我々はみな罪人であり、オチではそれがさらに商業主義に堕ちることが 「吸血鬼の手に堕ちる」 ことであるという解釈も可��かもしれない。途中で黒人音楽の歴史としてロックやラップミュージシャンが幻視されるシーンがあり、ちょっと 『Alterations』 を思い出した。監督の学生時代以来の盟友であるルドウィグ・ゴランソンの音楽もテーマがテーマだけあってとても面白い。
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picolin · 22 days ago
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London Road
book and lyrics by Alecky Blythe
music and lyrics by Adam Cork
dir. Rufas Norris
2025年6月21日 NT Olivier
2011年にNTの(当時)コッテスロー劇場で初演され、2015年には映画化もされたアリッキー・ブライスとアダム・コークによるバーベイティムミュージカルのオリジナルプロダクションの再演。ニック・ホールダーやマイケル・シェーファーなどのオリジナルキャスト数名が同じ役をリプライズしている。
カトリーナ・リンジーによる美術と衣装。オリヴィエの大きな舞台を上下に区切り、下半分はソファや警察のバリア、ラストシーンでは花籠と花壇をプレーンな舞台に乗せ、上の空間は抽象的な背景画像を投影したり少人数のキャストが演技したりする。花籠は天井にもずっと下げられており、ラストに観客席近くまで降りてくる。舞台の奥は開演前にはバンドが見えているが、上演が始まると回転舞台によって脇に消える。全体的に客電が完全に消えない一方暗めの照明で、それゆえに最後の明るさが映えるようになっている。この客電がほんのりついたままの状態はアレクサンダー・ゼルディンの作品のように舞台上のパフォーマンスが客席と一体化しているかのような感覚をもたらす。
イプスウィッチのごく普通の住宅地で起きたセックスワーカーの連続殺人事件によるコミュニテイへの影響を描くというドキュドラマを、住人たちやニュースフテージ(と収録前後のニュースキャスターの様子)の実際の言葉で綴るというだけでもなかなかの労力と思われるのに、それに音楽をつけてミュージカルにしてしまうというアイデア自体が相当に突飛で、それがドキュメンタリーとして説得力を持ち、ミュージカルとしても感動的な作品に仕上がっていることに驚く。映画版ではもっと個人としての目を惹くキャラクターが数名いた記憶があるのだが、舞台版ではもっとフラットな群像劇としてまとめられている印象。14年前の作品ということで、現在に新作として出していたら住民の人種の偏りや彼らのセックスワーカーに対するストレートな偏見が好ましくないものと誤解される可能性がなきにしもあらずだが、作品として見るとある凄惨な事件に対するさまざまな人々の目と心情を、特定個人や家族のそれを強調することなく並置して見せる、そういう意味でも大変に稀有な作品だと思う。
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picolin · 1 month ago
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Fiddler on the Roof
Based on the Sholem Aleichem Stories by Special Permission of Arnold Perl
Book by Joseph Stein
Music by Jerry Bock
Lyrics by Sheldon Harnick
dir. Jordan Fein
2025年6月7日 Barbican
2024年夏にRegent Park Open Air Theatreで上演されて好評を取り、オリヴィエ賞の最優秀リバイバルミュージカル賞を受賞した 『屋根の上のヴァイオリン弾き』 。演出はジョーダン・フェイン。
トム・スカットによる美術。冒頭、仄暗い照明の中に藁葺きにしては草が茂りすぎかもしれない屋根にヴァイオリン奏者(ラファエル・パーポ)が一人佇み弓をふるうと屋根部分が次第に上がっていき舞台の空間が広がっていくのを見るだけで世界に引き込まれる。舞台の奥と左右には屋根と同じ草(麦?)が生い茂り、背面の草むらの奥には弦楽奏者が陣取る(他の楽器奏者は舞台の裏にいる)。舞台上では長机と椅子を使い、異なる室内を効果的に見せる。婚礼のシーンでは屋根が少し下がり、暗闇の蝋燭が効果をより発揮している。前半は暖色系、後半はホワイトライト中心を使い分ける照明もうまい。そしてなんといってもジュリア・チェンのダイナミックで温かみのあるコミカルさもある振付がスペクタクルさを演出している。ダンスシーンがメイン���が、スモークマシーンまで使用するテヴィエ(アダム・ダンハイザー)の夢のシーンや、後半の噂のシーンのチャーミングな可笑しさもとても楽しい。
キャストもダンハイザーをはじめゴルデ役のララ・パルヴァーなど申し分ない。三女チャバ役のハナ・ブリストウは後半クラリネットも披露する。
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picolin · 1 month ago
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The Frogs
Based on the comedy by Aristophanes
Freely adapted by Burt Shevelove and Nathan Lane
Music & Lyrics by Stephen Sondheim
dir. Georgie Rankcom
2025年6月6日 Southwark Playhouse Borough
The Grey Areaによるソンドハイムの 『蛙』 の再演。
囲み舞台の後ろに階段があり、左右の後ろはカーテンで仕切られている。階段の一番下の部分はカロンの渡し船になる。舞台では四角い台を組み合わせて変化をつけている。衣装は冒頭のディオニュソス(ダン・バックリー)とクサンシアス(ケヴィン・マクヘイル)がカジュアルな現代衣装で出てきたり、カロン(カール・パトリック)がレインコートに帽子のいでたちだったり、冥界のプルート(週替わりで、この回はダニエル・スティアーズ)の取り巻きが過去のディーヴァたちだったりと、どことなく古代ギリシアぽいものと現代的なものとよくわからないものが混在している。全体的にチープできっちりと作り込まれている感じのプロダクションではないのだが、前述のとっちらかった衣装やキャバレー的な雰囲気はもともと学生プロダクションとして始まった作品そのものの精神に合致したものではないかと思う。
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picolin · 2 months ago
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The Phoenician Scheme
written and dir. by Wes Anderson
2025年5月26日 Curzon Soho
ウェス・アンダーソンの新作。1950年代。世界を股にかける財界の巨魁ザザ・コルダ(ベニチオ・デル・トロ)はUSAなどの国家を含む敵も多く、日々その命を狙われる日々を送っていた。そんな彼は唯一の血縁の娘で現在は尼となっているリーゼル(ミア・スレープルトン)にその財産を譲り、ある巨大プロジェクトを成功させようとするが。
もはや批判も多くなったお馴染みの画作りだが、今回は久しぶりにまともな筋のある長編映画としてまとまった作りとなっている。今回は邸宅に飾られた名画とプロジェクトに関わる書類が保管された7つの靴箱、そして金庫の中のもう一つの箱という謎解きもあり、 『グランド・ブダペスト・ホテル』 路線の大冒険が繰り広げられる。もはやこの、かたくなに変化しない作風を許せるか許せないかで評価が分かれる作家になってしまったことは否めない。
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picolin · 2 months ago
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The Fifth Step
by David Ireland
dir. Finn Den Hertog
2025年5月24日 @sohoplace
2024年にエディンバラとグラスゴーで上演されたデヴィッド・アイルランドの新作で、National Theatre of Scotlandの製作。ジャック・ロウデンは昨年からの続投で、今回はショーン・ギルダーに代わりマーティン・フリーマンが出演。アルコール中毒者のリハビリのための自助グループ、アルコホール・アノニマス (AA) の会合で断酒プロセスにある若いルカ(ロウデン)は年長で25年間断酒しているジェームズ(フリーマン)のメンタリングによって12ステップのプログラムを実行することになる。その過程でルカはキリスト教とその神、そしてキリストに救いの道を見出すが。
マイラ・クラークの美術はプレーンな囲み舞台に各ステップを象徴するような5つのパイプ椅子、小さなテーブルにお茶セットと、舞台を囲む段のみ。椅子は次第に減っていくが、場の合間にロウデンが囲み段を踊り歩いたりする。
二人のパフォーマンスは申し分ない。特に最初の方で貧乏ゆすりが止まらず、自分のポルノ依存や女性に対する(不適切とも言える)関心を無邪気とも言える様子で語り、突然信仰に目覚める若く世間知らずなルカを演じるロウデン、頼りになりそうな落ち着いた態度を取りながらもルカの信仰告白や女性関係を聞くうちに疑心暗鬼になっていくフリーマンのジェームズは、適切なコミックタイミングもあり深刻な雰囲気の漂うシーンでもどこかおかしげになる。作品のトーンとしてはアイルランドを有名にした暴力的な作品群よりも2022年の 『Not Now』 に近く、最終場に緊迫感はあるとはいえ二人の男性の間で依存と信頼、世代間のギャップ、AAが持つ 「スピリチュアル」 な面と信仰とのずれなどを80分の短い時間で攫っていく。わかりやすく単純化しすぎでは、という気もしなくもないが、最近ネットやニュースで話題になる若い男性の右傾化・女性嫌悪に対する理由の説明の可能性をきちんと提示している。ただ、個人的な好みとしてはロイヤルコートの上階やブッシュ、オレンジツリーくらいの規模の舞台で見た方がよりしっくりきたかもしれない。
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picolin · 2 months ago
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Ben and Imo
by Mark Ravenhill
dir. Erica Whyman
2025年5月22日 Orange Tree (On Screen)
2024年にRSCでかけられ、好評だったマーク・レイヴンヒルの作品。2013年にラジオドラマとして書かれたものの改作。1952年、エリザベス二世の戴冠に合わせてベンジャミン・ブリテン(サミュエル・バーネット)はエリザベス一世とエセックス公の関係を描いた新作オペラ 『グロリアーナ』 を執筆していた。9ヶ月というタイトな締め切りで苦労する彼だが、助手としてギュスターフ・ホルストの娘で作曲家・編曲家・音楽学者・教育者としてのキャリアを積んでいたイモジェン・ホルスト(ヴィクトリア・イエイツ)が助手としてエリザベス朝の音楽の調査を含むアシスタントを行うが。
いつものオレンジツリーの囲み舞台で、中央に小さめのグランドピアノが置かれ、その上に小さな家の模型が置かれている。場の暗転時にはときおり模型に照明が灯り、四方の壁の上部に手書きの楽譜が投影される。
気分が乗っているときはお茶目だが基本的に神経質で癇癪持ちの気があるブリテンと、生命力とアイデアに溢れたホルストの間の時には息のあった、時には緊張感のあるやりとりを二人の巧者で、この小さな空間で余す所なく楽しめるプロダクションである。天才作曲家としての地位をほしいままにしていたブリテンと、音楽におけるルネッサンス・パーソンとも言えるマルチな才能に溢れ、尚且つ仕事に対する情熱が途切れないホルストという対照でもあり、また一般的な知名度において圧倒的な差がついてしまったという残酷な歴史に対してのリマインドとなるような作品ともいえる。全体的にネームドロップがやや過ぎる感じはあるが、特に当時イングランドのアート・カウンシルの重職についており、のちにBBCで 『Civilisation』 を作成・司会するケネス・クラークの名が、どちらかというと権威を嫌うブリテン(と彼のパートナーであるピーター・ピアース)が対峙せねばならない相手として何度も言及される。そういったUK・イングランドの20C文化史ものとしての楽しさと並行して、舞台には出てこないピアースの不在の大きさが興味深い。のちに3人でオルデバラ・フェスティバルを運営することになることを考えると、なんとも複雑な気分になる展開でもある。
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picolin · 2 months ago
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1536
by Ava Pickett
dir. Lyndsey Turner
2025年5月17日 Almeida
2024年のSusan Smith Blackburn Prize受賞作。1536年のロンドンの東、エセックスの(おそらく下か中の中流かと思われる)3人の女性が当時の王妃であったアン・ブーリンの逮捕のニュースについて語り合っている。美人で男にモテるアナ(シエナ・ケリー)、裕福な相手との結婚を控える純真なジェイン(リヴ・ヒル)、毒舌が冴える助産婦のマリエラ(ターニャ・レノルズ)、それぞれの人生が首都での出来事と不気味にシンクロして動き始める。演出はリンジー・ターナー。
マックス・ジョーンズの美術。大きなLEDの照明によって枠組まれたプロセニアムの舞台は背の高い草と一本の枯木が植えられ、背後は白い壁となっておりシーンによって異なる色に染められる(本当に最近このパターンが多いね)。全編同じ場所で展開し、各場が暗転によって区切られているのはロイヤルコートあたりの新作にありそうな感じで、あまり有機的には見えない。ポスターのチューダー期の貴人の服装は完全にミスリーディングで、実際は庶民的な衣装(サビア・スミス)になっている。ボリューミーなスカートが魅力的。
歴史上の出来事に当時の庶民はどう反応したか、というテーマは昨年の 『The Bounds』 とも似たところがあり、時代考証を厳密に行っているというよりはそのアイデアを自由に広げて登場人物は比較的現代的な会話を行うところも近い。実際に当時の 「貞操観念」 や近代や現代における家制度や家父長制がどう浸透していったかを考察するというよりは、ヘンリー八世のキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚とその後のアン・ブーリンの逮捕と処刑という、彼女たちからはある程度距離のある出来事がロンドンではないが北部やミッドランズほどは遠くないエセックスの庶民と言っていい女性たちにどういう影響を及ぼすか、という想像を膨らませている物語である。アナは比較的裕福であるリチャード(アダム・ヒューギル)と継続的な性的関係を持っているが、それをいちいち見せる必要があるかはわからない。最後の最後にクリティカルな描写として出した方がショッキングではなかろうかという気もする。同時に、物語としてはブーリンの処刑の報をそれを男たちがパブで喜んでいるというシーンで終わらせた方が個人的にはより暗い余韻があって好きかもしれない。
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picolin · 2 months ago
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Here We Are
book by David Ives
music and lyrics by Stephen Sondheim
inspired by the films of Luis Buñuel
dir.  Joe Mantello
2025年5月1日(Preview)  、5月16日 NT Lyttelton
2021年に死去したスティーヴン・ソンドハイムの最後の作品。脚本はデヴィッド・アイヴス。演出はNYのThe Shedでの初演と同様にジョー・マンテロ。前半はルイス・ブニュエルの『ブルジョワジーの密かな愉しみ』、後半は同じブニュエルの『皆殺しの天使』を原案としている。
デヴィッド・ジンの美術。前半は白い空間に側面が鏡という空間を照明(ナターシャ・カッツ)と上から降りてくる円形の大道具で場の転換を示す方法で、モダンでポップな印象。後半は大使館内のクラシカルな社交部屋となり、本棚やアンティーク調の家具を暗めの照明で灯す。NY版から続投のサム・ピンクルトンの振り付けが常に移動し続ける前半で特にかわいらしい。
ブルジョワ階級の身勝手で理解し難い行動を皮肉った映画を原作にしていることで、 『逆転のトライアングル』 や 『ホワイト・ロータス』 といった近年の映像作品における流行に図らずも乗ってしまったのは皮肉かもしれない。そもそも二つの全く別の映画を前述のテーマという共通点で無理やりひとつにした感は正直否めないが、「なかなかひとつの場所に落ち着いて食事ができない」前半と「ひとつの場所に囚われて動けない」後半の対比として組み立てるアイデアであることはわかる。タイトルと後半のセリフから 「実存主義ブラックコメディミュージカル」 を目指したのかな、とも伺えるが、楽曲が完成しなかった今となってはそれを垣間見る程度しかできない。一方で前半でフリッツ(チュミサ・ドーンフォード=メイ)がやたらと左派革命を唱えるのに後半兵士(リチャード・フリーシュマン)とのロマンスにかまけるだけになってしまうのは、前半のデュエットが楽しすぎることを考えるとちょっともったいない。後半はほとんど楽曲がなくなってしまうのも未完成の作品としては仕方ないところか。演出はよくできていると思うので、作品としての完成度よりもイベントとしての重要性を評価するべきかもしれない。ローリー・キニア(レオ)、ジェーン・クラコウスキ(マリアン)、ジェシー・タイラー・ファーガソン(ポール)といった豪華キャストは大変に贅沢な気分にさせてくれる。その中でもその濃さが頭から離れなくなるラファエル役のパウロ・ゾット、大変チャーミングな司祭役のハリー・ハッデン=ペイトンが特に印象的。
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picolin · 2 months ago
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Haribo Kimchi
by Jaha koo
2025年5月14日 Southbank Centre Purcell Room
ベルギー在住の韓国の作家、ジャハ・クーによる作品。2024年のKyoto Experimentでも上演された。家族から10キロのキムチの袋を渡されてベルリンに渡ったクーは、発酵が進み膨れ上がる袋と強くなるキムチの臭いから気まずい思いをする。そこから語られる嗅覚を中心に据えた自らと家族、民族と移動し続ける自らにとっての記憶についての物語。
舞台上に妙に優美にビニールカバーがかけられた韓国の屋台ポジャンマチャが据えられている。まずそこにソウルの情景が投影されたあと、舞台上に上がったクーがカバーの三方を取り去り、客席から2名の観客(?)を屋台に招き韓国料理を振る舞っていく。屋台の両脇には大きなLEDディスプレイがあり、そこに語りに登場するロケーションやかたつむり、ハリボー、鰻型ロボットが楽曲に合わせて口パクする(動く口がはめられていて微妙に不気味な)映像などが投影される。自身の手による楽曲はちょっとポップすぎる感じもする一方、従軍中の父親が光州事件の際に配属された時の死臭とフライドチキン屋とのリンクというエピソードも挿入され、欧州における差別体験と並びネガティブかつ重い話題が友人の鰻養殖施設でのややユーモラスな経験と並置されている。いずれにせよ全編を貫くのは嗅覚と民族・家族・自身の歴史と記憶のリンク。それを実際の調理から漂う(韓国料理が好きな者にとっては心地よい)臭いとリンクさせる手法が上手い。最後にソジュとビールを割った爆弾酒をいくつか作り観客に振る舞い、残った料理も観客を舞台に上げて食べてもらう、つまりは物語を共有するかのごとくクーが親しんだ味を物理的に共有させるという締めも見事である。
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picolin · 2 months ago
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Dealer's Choice
by Patric Marber
dir. Matthew Dunster
2025年5月10日 Donmar Warehouse
パトリック・マーバーの劇作家としての第一作(1995年NT初演)のリバイバル。演出はマシュー・ダンスター。
モイ・トランの美術。前半は黒とダークレッドを基調としたシックなキッチンとレストランで、舞台前半分をレストランとして小さいテーブルと椅子が二つ、後ろ半分がアルコールセラーを備えたオープンキッチンとなっており、シェフのスウィーニー(テオ・バークレム=ビッグス)が実際に調理する。後半のポーカーの舞台となる後半はキッチンが後方に下がり前半の舞台が一気に天井に吊り上がると、丸テーブルと舞台後方に階段が現れる。丸テーブルは回転舞台となっており、展開によって速度と方向が変わる。前半のレストランフロントとバックはスポット照明の位置を変えることで表現しており、サリー・ファーガソンの照明が良い仕事をしている。後半は持ち回りのディーラーがどのゲームをやるかを決める (ディーラーズ・チョイス) ということで、異なるゲームになるたびに爆音の音楽と共に後ろの壁にゲーム名が投影されるややポップな見た目になっているが、舞台ではさすがにテーブルの手元だけで確認しにくいところもあるのでわかりやすさとしてよくできている。
幕開き、ウェイターのマグシー(ハメド・アニマショーン)が 『ガイズ&ドールズ』 の 『Luck be a Lady』 をうろ覚えで歌うところから彼のちょっとお調子者だが最高にチャーミングなキャラクターに鷲掴みにされてしまう。スウィーニーとソムリエと思われるフランキー(アルフィー・アレン)は毎週日曜日に地下室で行われるポーカーゲームについての期待と勝った場合の夢を語り合う。その会話のスピーディーさにしびれる。一方でレストランのオーナースティーヴン(ダニエル・ラパイン)とその息子でギャンブル中毒で多額の借金を抱えているカール(カスパー・ヒルトン=ヒル)の話があり、前半終わり頃にその金の回収にアッシュ(ブレンダン・コイル)がやってきて後半のメンバーが揃う、そのプロセスが手際良く進む。後半のゲームも回転舞台と暗転をうまく使い、特にマグシー、カール、スティーヴン、アッシュのギャンブルへの依存というか異常な思い入れが炙り出されていく。これもまた男の話か!という批判を集めそうなプロではあるが、群像劇としてのバランスの良さと軽口や罵り合い、わずかな運にほのかな希望から自分の人生まで賭けてしまうひとびとの愚かながらも憎めない様を絶妙なバランスでスタイリッシュに描いている。
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picolin · 2 months ago
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Krapp's Last Tape
by Samuel Beckett
dir. Vicky Featherstone
2025年5月3日 Barbican Theatre
昨年ダブリンで上演されて好評だったヴィッキー・フェザーストーン演出、スティーヴン・レイ出演の 『クラップの最後のテープ』 。図らずもゲイリー・オールドマンによるヨークでのプロダクションと同時期となった。
美術はジェイミー・ヴァータン。舞台上には中央に台があり、その上に長机と椅子、天井からはライトが吊り下がっているだけのかなり質素なセット。テープやレコーダーがないぞ?と思ったら背面の壁が開いて出入り口になる。思いつくたびにクラップがそこにいそいそと向かい、奇妙なノイズを出したり歌ったりした後にそれらの小道具を持ってくるのだが、結構広い部屋と家のように見える。バナナと空テープが入っている机の引き出しは手前ではなくて横から引き出すので、棚部分が妙に長く、それをゆっくりと引き出していくのがおかしい。バナナを食べるシーンではまずまじまじと確認したあとに皮を剥いた後に食らいつく際に手が震えていたり、床に落とした皮を踏んで足を滑らせたあとに起こって台の外の暗闇に放り投げたりしていた。
今まで2015年の同じバービカン・シアターでのロバート・ウィルソン版と2020年のJermyn St でのトレヴァー・ナン版の二つを見ている。老人が自分の過去の録音を聴き、それから今の録音を試みるという内容をこのような大劇場でかけるのはなかなか大変であろうと思う。今回もクラップがこんな大きな家に住んでいるとは思いにくいところがあったのだが、レイの演技はさすがの密度で、妙に上機嫌で 「Spool!」 と言う様からバナナに苛立つ姿、39歳の頃の自分の声(全く演じる予定はなかったのに、レイ自身が10数年ほど前に録音した音声らしい)から思い出を引き出し、レコーダーを抱え込むようにする姿、そこからある種の諦観を感じさせる最後まで、1時間弱の時間にありとあらゆる感情が詰め込まれている。あの大きなバービカン・シアターでここまで親密な感覚を持たせるのは単純にすごい。
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