Tumgik
pinkblazenut-blog · 7 years
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エルドラド②
花鶏さん、と名前を呼ばれ、思わず体が強張った。恐々と振り返ると、刃のように鋭い眼差しがこちらを向いていた。
「有栖、川」
「呼び止めてしまってすみません。明日の会議のことなんですが」
高らかに踵を鳴らして、大ぶりな歩幅で近づいていた有栖川は平然と話し始めた。滔々と語られる業務連絡を、けれど花鶏はどこかぼんやりと聞いていた。あの日からずっとこうだ。夢と現実が混ざり合ってしまったあの日以来、ずっと。
エルドラドでの邂逅から一夜明け、職場で出会ったとき、有栖川は何も言わなかった。あれから一か月、きらびやかな牢獄じみたあの空間での密やかな逢瀬のことを、彼は一言も口にしない。
一夜の過ちだと思っているのならばまだその態度も理解できる。けれど彼はあの日以降も、何度も店に通って来ているのだ。顔の上半分を隠すヴェネツィアンマスク越しにも分かる、射るような視線を自分に注ぐのだ。あの、焦げつくような熱視線の前で、自分は何度も痴態を晒した。曲がりなりにも客相手に「見るな」とは言えなかった。だから羞恥に震えながら、職場の後輩の前で人として最底辺の失態を幾度も演じた。
まるで呪いだった。
矢の如く真っ直ぐな目線は職場でも相変わらずだ。いつしか、彼に見つめられるだけでスポットライトに照らされた淫靡な壇上を思い出してしまうようになった。現実と虚構が入り交ざっていく。その感覚に身震いした。
ようやく、現実から逃げられる場所を見つけたと思ったのに。
何度も下唇を噛んだ。唯一の安住の地が壊されることが怖かった。これ以上、死に物狂いで確立した世界をかき乱さないでほしかった。
ちら、と見た横顔は凛々しく、鋭い。陶器のような肌、剃刀のように鋭利な眼、気の強そうな眉、鼻筋の通った鼻梁、薄い唇。どこをとっても美しいその顔は、今の花鶏には悪魔の貌に見えて仕方がなかった。
「……さん、花鶏さん、聞いてましたか?」
呼びかけにのろのろと視線を上げる。コップに注がれた水が表面張力の限界を越えてあふれるように、花色の唇からぽろりと言の葉が零れ落ちる。
「お前、どういうつもりだ」
「何のことですか?」
有栖川は薄く笑って首をかしげた。並の人間ならばまず間違いなく見惚れるだろう微笑に、花鶏もさっと顔に朱を走らせた。ただし好意からではない。怒りでだ。
「しらばっくれるな! 来ていただろう、店に」
「さぁ、どうでしょうね。俺に似た人じゃないですか」
「っ、ふざけ」
胸倉に掴みかかろうとしたその時だ。有栖川がふっと笑みを消した。無表情の凄みに花鶏は思わず怯む。
「あの場所は相互不干渉が原則だ。……それとも、そんなに現実にしたいんですか、あなたは」
「俺にとってはもう現実なんだよ!」
反射で叫んでいた。今度は有栖川が驚く番だった。
そうだ。有栖川が現れたあの日から、エルドラドは花鶏にとってもはや夢を見られる場所ではなかった。昼の世界から逃げられる楽園ではなくなってしまったのだ。ほかならぬ、有栖川飛鷹という無慈悲な太陽の存在によって。
「お前のせいで、俺は」
また行き場がなくなったじゃないか、と呟いて、そこで足から力が抜けた。ずるずると床にへたりこむ。力なく垂れた腕を掴まれ、緩慢な動作で頭上を仰ぐ。蛍光灯の明かりが眩しい。有栖川の顔は逆光でよく見えなかった。
「分かりました。だったら教えてあげます。今日の出勤の後、アフター入れてください」
アフター、という単語に花鶏はとっさに身構えた。エルドラド退勤後の追加サービスであるアフターを、花鶏は今まで一度も入れたことがなかった。どんなに大金を積まれてもかたくなに拒否してきた。
けれど、それで彼の不可解な行動の意味が分かるなら。覚悟はすぐに決まった。
「……わかった」
浅く頷く。語尾が震えたことには、気がつかなかったふりをした。
      華やかな地獄を出た後、有栖川に連れてこられたのは都内某所の高級ホテルの一室だった。間接照明の明かりが品よく部屋の陰影を形作っている。窓の向こうにはビーズをちりばめたような高層ビルの夜景が見てとれた。
スーツのジャケットを脱ぎ、クローゼットの中にあったハンガーにかける。ふぅ、と息をつき、未だ入り口で佇んだまま動かない有栖川の方を向く。
「……で? どうしてお前は」
質問を最後まで発することは許されなかった。ひねりあげるように左腕を掴まれ、そのまま引きずられる。釣り糸に引っ張られる魚のようになされるがまま連れ去られ、ダブルベッドの上に放り投げられた。受け身もとれずに背中から着地し、衝撃でたわんだスプリングの反動で跳ね上げられる。突然のことに言葉も出なかった。目を白黒させている間に有栖川は長い脚でベッドに乗り上げ、そのまま花鶏をまたいで馬乗りになる。
「おい、何してる」
思ったよりも低い声が出た。けれど自分でも分かるくらい困惑が強くにじむ声色だった。ネクタイを緩めて投げ捨てた有栖川は、口角だけを持ち上げる、あの特徴的な冷笑を唇に乗せる。
「何って、やることはひとつでしょう。いまさら何を清純ぶっているんですか」
音節を大脳が理解するのに数瞬の間を要した。その間に有栖川の指が首筋に伸びてくる。しゅる、という控えめな衣擦れの音にネクタイを解かれているのだと気づく。
「男同士、だぞ」
ようやく発した一言はひどく震えていた。は、と有栖川が鼻を鳴らす。
「ええ、そうですよ。分かりませんか? これが俺の答えです。俺はあなたをそういう欲の対象として見ているんですよ、花鶏さん」
ネクタイが静かに抜き取られた。プレゼントを飾るリボンを解くような仕草に見とれた次の瞬間、むしるようにシャツの前を開かれた。爪先ほどのシャコ貝のような、つやつやと光を弾くボタンがはじけ飛び、調度や壁に当たって硬質な音を立て、赤い絨毯の上に散る。
そこでようやく花鶏は自分の窮状を察した。
「っ、嫌だ、やめろ……ッ!」
本能的な恐怖で四肢をばたつかせ、なんとかこの状況を脱しようと試みる。けれど体格差は歴然としていた。いくら押し返しても有栖川の体はびくともしなかった。
「やめませんよ。金なら払った。これはすでに合意です」
背中を丸めて顔を近づけてきた有栖川の白い歯がガリ、と容赦なく喉仏に食い込む。急所に歯を立てられている感覚に花鶏は目を見開き、ひゅ、と息をのんだ。無意識に体が震えはじめる。
怖い、と思った。どうしようもなく。
自分に覆いかぶさっている人物に、忌まわしい過去の情景が重なった。
(どうしてお前はこんなこともできないんだ、聖児ならこんなことで苦労はしなかったぞ。この出来損ないが)
そういって、幼い自分に馬乗りになり、何度も平手を振るう父。
心の奥底に閉じ込めた記憶が瞬きのように甦り、脳裏を埋め尽くす。絶望、恐怖、困惑。そういったものが思考回路を侵し、呼吸をできなくさせていく。
花鶏は無意識のうちに両腕を顔の前で交差させていた。防御反応だった。
「ぅ、あ、やだ、やだよぉ……こわいの、いやぁ……っ」
「……花鶏先輩?」
有栖川の呼びかけも遠かった。花鶏はすでにこの空間から遠ざかっていた。
「どうして、匡俊、なにもわるいことしてないのに……っ、いい子なのに……いや、ごめんなさい、おこらないで、おこらないでぇ……!」
頬が熱かった。眼球が痛かった。泣いているのだとは気がついていなかった。
ぎしり、とスプリングが軋む。気配がほんの少しだけ遠ざかる。
「まさか、初めて、だったんですか」
降ってくる声はさっきよりわずかに高い位置からのものだった。恐る恐る腕をずらして見上げると、覆いかぶさるのをやめた男が困惑しきった顔でこちらを見下ろしていた。
その時、『匡俊』は目の前の人物が誰かももう、分からなくなっていた。
「しらない……こんな、こわいの、匡俊しらないもん……」
幼い子供そのままの口調でなじれば、男の表情が踏みにじられたように歪む。要らぬことを言って機嫌を損ねてしまったかと思い、反射で謝罪すると顔の歪みは一層ひどくなった。まるで泣くのを堪えているような顔だった。
「……すみません。悪いことをしました。痛かったでしょう。今、避けます」
長い指の先でなぞるように喉仏を撫でた後、男は馬乗りをやめて脇へと避けた。そのままこちらに背を向けてベッドの淵に腰かける。
背を丸めて、前髪を掴んで何事かを毒づく背中に、匡俊はいささか困惑した。てっきり怒らせてしまったと、手酷く折檻されると思っていたのに。
……おこってたんじゃ、ないのかな。
そろそろと身を起こす。シーツの上に四つん這いになり、子猫のようにぎこちなく男へ���近づく。呼びかけようとして名前を知らないことに気がついて、サックスブルーのシャツの袖をそっと引っ張る。
「おにいちゃん、なまえは?」
「名前?」
顔を上げた男は迷子のような目をしていた。潤みを帯びた目で、鋭い容貌がほんの少しだけ揺らいで、和らいで見えた。
「うん。ぼくはね、花鶏匡俊っていうの。おにいちゃんは?」
男が低く呻く。幼児退行か、と。ようじたいこう。聞いたことのない単語に首をかしげると、男は何かを振り切るようにゆるく首を振った。
「……いえ、なんでもありません。俺は有栖川飛鷹です。はじめまして、匡俊くん」
「ひだか? かっこいいなまえだね!」
素直な感想を口にすると、飛鷹はざっくりと心をえぐられたように眉をしかめた。
「何か飲みましょうか。匡俊くんは何が好きですか?」
ベッドサイドテーブルに置かれたメニュー表を手に取った飛鷹に尋ねられ、匡俊は真剣な面持ちで中身を覗き込んだ。
「これ! ミルクココア!」
「そうですか。じゃあこれを飲んで、今日はもう寝ましょう」
肩を掴まれ、抱き寄せられる。さっきとはまるで違う、優しい手つき。されるがままに腕の中に納まって、匡俊はにこりと笑った。
匡俊が泣き出しても怒らないどころか優しくしてくれた人は、飛鷹が初めてだった。
      瞼越しにも分かる眩い朝陽に、花鶏は眉間に深い皺を刻んだ。寝返りを打ち、諦めて目を開ける。見覚えのない内装に視線を泳がせ、昨晩の出来事を思い起こそうと記憶をたどる。
確か昨日はエルドラドに行って、その後有栖川とここにきて、それで。
寝起きの頭でそこまで考えてハッとした。思わず飛び上がって身を起こす。
部屋を見回すも、室内には花鶏一人だった。安堵とも落胆ともつかぬ感情で肩を下ろす。
ふと視線を落としたシャツはボタンが千切れて見るも無残な状況だったけれど、どうやら乱暴を働かれた形跡はなかった。体も痛まない。
彼は結局自分を抱かなかったのだろうか。途中から記憶が曖昧だ。いつの間に寝入ったのかさえも覚えていない。たまにある記憶障害だ。エルドラドに勤め始めたばかりの頃も幾度かあった。けれど久しぶりだ。最近は少し、落ち着いていたから。
花鶏は目を閉ざした。そして右手を左手でそっと包む。
内容は思い出せないけれど、なんだかとても幸せな夢を見ていた気がする。いつもは冷たい指先が、今朝はなぜか温かい。
まるで、ついさっきまで、誰かが握ってくれていたみたいに。
      あれきり、有栖川は花鶏を避けるようになった。
(俺はあなたをそういう欲の対象として見ているんですよ)
有栖川が告げてきた理由はひどく単純で、だからこそ重かった。だから正直彼の方から自分を避けてくれるのはありがたかった。どんな顔をすればいいのか、どんな��うに答えればいいのか、花鶏には分からなかったから。
けれど、その平穏は三日と持たなかった。
ホテルでの一夜から二日後、花鶏はエルドラドに出勤した。いつものように裏口から邸内へと入り、控室に入って――思わず革鞄を取り落した。
中身が詰まったものが絨毯の上に落ちる重い音に、姿見の前にいた人物がこちらを向く。
爪先が尖った、かかとの高い革の編み上げブーツ。体にぴったりとはりつくようなシルエットのスラックス。胴体を締め上げるコルセットベストの赤いリボンが腰で蝶々のように揺れている。シャツは雪のような白で、ネクタイの臙脂がよく映えている。
サディスティックかつユニセックスな衣装に身を包んだ男は、花鶏に一瞥をくれた後、さも興味がなさげに視線を逸らし、黒い皮手袋を嵌めた手でジャケットを羽織った。
「お前、どうして……」
有栖川、と呻くと、雄らしい美しさを秘めた骨格をした男は首をひねってこちらを向いた。丹念に分けられた髪の割れ目に青い花が咲いていることに、その時初めて花鶏は気がついた。
「……あなたはまだ夢の中にいる」
カツ、と踵を鳴らして一歩。有栖川が近づいてくる。
「でも俺がその夢に入り込んだせいで、夢は現実になってしまった」
規則正しいリズムでブーツの踵が音を刻む。二人の距離が縮まっていく。
「だから考えたんです。俺も同じ夢を見れば、あなたの夢を壊さなくて済むと」
ヒールの音が止んだ。いつの間にか有栖川は花鶏の目の前にいた。
「どうして、そんなこと……」
声が震えた。信じられなかった。理解の範疇外だった。まさか、自分以外の人間で、自らこの地獄に飛び込んでくる人間がいるだなんて。
有栖川はふっと笑った。いつもの皮肉げな笑顔ではなく、純粋な、純朴ですらあるような微笑み。そうして笑うと少年のようにあどけないのだと、花鶏は初めて知った。
「深海に住む魚に触るには、同じ深さまで潜るしかない。……そういうことですよ」
花鶏の脇をすり抜けて、有栖川は部屋を出ていった。ドアが閉ざされる音が殊更に大きく響く。けれど花鶏は動けなかった。
彼はここまで下りてくるつもりなのだろうか。堕ちてくる、つもりなのだろうか。
こんな、救いも何もない世界に――
想像すると胸が苦しくて、花鶏は思わずその場にうずくまった。どうして、と何度も繰り返す。
魚になってまでこの仄暗い底に潜ってこようとする彼の思いが、愛が、花鶏には分からなかった。
      部屋を出ると、そこに燕尾服をスマートに着こなした男が壁に背を預けて立っていた。清潔な印象と薄暗い雰囲気が同居する、いかにも裏社会で生きている人間だ。
彼の胸元には金色のピンバッチが光っていた。ここ、エルドラドのコンシェルジュの証だ。
「なるほど。そういうことか」
訳知り顔で一人ごちるコンシェルジュに、アリスは隠すでもなく顔をしかめた。
「何を犠牲にしてでも絶対に助けたい人、だったか。同じ季節に咲けない花同士の恋……私は嫌いではないが、なぁ」
果たしてそれをこの地獄が許すかな、と。愉しげに頬を緩めたコンシェルジュを、有栖川はまるで怨敵を見るような眼で睨んだ。
「救って見せるさ、必ず。そのために俺はこの地獄に来たんだから」
「そうか。なら精々頑張ると良い、ブルー・デルフィニウム」
からかうような口調で呼ばれた己の花の名に、有栖川は盛大に舌打ちをして、ステージへと続く廊下を歩き出した。
      砕かれたダイヤモンドを銀の鎖でつないだような、繊細な意匠のシャンデリアがきらきらと光の粒を辺りに振りまいている。
幻想的な輝きをぼんやりと眺めながら、有栖川はキャストたちが居並ぶ壁際の、さらに隅で背筋を伸ばして立っていた。客からは最も遠い位置だ。当然、彼らの目には入りにくいのだから指名も来ない。開店して二時間、花鶏はすでに二階も指名が入ったというのにだ。
とは言っても彼は今ボトルキープ中らしく、オーダーは二回とも聖水ショーだった。一回目はスラックスのチャックだけを下ろして陰茎を取り出したほとんど着衣の状態で、朝からため込んでいたのだろう濃密なアンモニア水を白磁のスープボウルに排泄させられていた。二回目は利尿剤と大量の水を飲まされた挙句、限界まで我慢させられて、ズボンから片足を抜いて四つん這いになり、犬のように足を上げた屈辱的なポーズでペットシーツへの排泄を強制されていた。彼ほどの美人の惨めなさまは見ごたえがあるのだろう、二回目のショーはかなり盛り上がっていた。
下世話な空間だ、と思う。口の中に苦い唾液が滲む。嫌悪感が胸の奥で渦を巻く。
例えるなら薔薇の花で飾った小瓶に注がれた猛毒のような、淫靡さと下品さと狂気とを煮詰めたような空気。異質な熱気。静かな興奮。それらを客としてではなく、キャストとして感じると違和感は段違いだった。気が狂っている。ここにいる奴ら、全員。
有栖川は瞼を閉ざした。眉をしかめ、唇を引き結ぶ。ふ、と吐く息が浅い。胸を上下させるだけで苦しいのだ。腹の中に満ち満ちたモノのせいで。
華やかな容貌の裏側で、有栖川飛鷹には一つの秘め事があった。便秘体質だ。
排便は五日に一度くらいの頻度で、排出のたびに黒く固く歪に膨れ上がった長大なブツをひり出す。肛門を嬲られる感覚に冷や汗を垂らして、ガクガクと膝を振るわせて、声を上げて糞を息み落とす。それが有栖川にとっての排泄――つまり、今からあのステージの上でやろうとしていることだ。
この衆人環視の環境で排泄を行うなど、想像しただけで目が眩む。けれど同時に、一刻も早く腹の中身を出してしまいたいと思う自分もいた。羞恥と解放。相反する事象に悩みながら、有栖川はパンパンに張りつめた腹を服の上からそっと擦った。
肛門のすぐ裏に糞が控えているせいか、緩い便意がずっと神経を苛んでいる。おかげで頭がじんわりと鈍く痺れていた。油断すると思考がばらけ、情けなく眉が下がりそうになるのを意地だけで堪える。
便意の波が一旦引き、はぁ、と溜息をつく。同時にカランコロン、と陽気にベルが鳴った。
「オーダーです。Mr.ブルー・デルフィニウム!」
初耳の名に、ホール内が俄にざわついた。奥歯を噛み締め、有栖川は胸を張って一歩足を踏み出す。弱い部分など欠片も見せてやるものか。四方八方から値踏みするようにまとわりつく視線を感じながら、前方を強く睨みつけて進み、ボーイに案内されたテーブルへとつく。
そこには一人の男が足を組んでソファに座っていた。冷たげな釣り目の、酷薄そうな印象の男だ。
静かに片膝をついてしゃがみこむと、体勢のせいか、腸内に詰め込まれた糞礫が肉壁をゴリリと抉った。差し込むような痛みに思わず低く呻く。おや、と愉快げに男が唇を歪めた。
「……オーダー、どうなさいますか」
ぶっきらぼうに問うと、男の顔がさらに楽しげに綻んだ。
彼は笑顔のままメニュー表を指さした。長い指が示したのは。
「おまる……ですか」
「ああ。君みたいな綺麗な男がおまるをまたいで排泄するだなんて、見物だろう?」
子供の用に無邪気な語り口に、花鶏は隠すでもなく舌打ちをした。やっぱり狂っている。何が黄金郷(エルドラド)だ、馬鹿馬鹿しい。とんだディストピアだ。
返事は、と尋ねられ、有栖川は不服げに「……Yes,sir」と答えた。荒々しくメニューを閉じ、ボーイに投げ渡す。立ちあがり、スポットライトに照らされたステージを見やる。
ごくり、と喉が鳴る。知らぬ間に喉が渇いていた。緊張しているのだ。
目を閉じ、開く。慣れないブーツで一歩踏み出すと、その振動さえ腹に響いた。綱渡りをするピエロのように、ゆっくりと、一直線に壇上へと向かう。
店内は静まり返っていた。誰もが有栖川の一挙手一投足に意識を集中していた。この美雄が一体どんな痴態を晒すのか。密やかな昂奮がさざ波のように人々の間を伝播し、空間の熱を上げていく。
同心円を三つ重ねたステージの一番上、その中央にはいつの間にか仔馬を模したパステルイエローのおまるが置かれていた。まさしく子供の排泄器具だ。トイレで糞便を出すことさえ出来ない幼稚さの象徴を見下ろし、有栖川は自尊心すら抉られていくような感覚に歯噛みした。
ゆっくりと、本当にゆっくりと、おまるをまたぐ。
体が熱い。スポットライトが当たっているからか。全身にまとわりつく幾つもの視線のせいか。
それとも、自分は高ぶっているのか。この異常な状況下で。
考えたくなくて、有栖川は首を振った。小刻みに震える指先をベルトへと伸ばす。出来る限り何も考えず、作業としてベルトとボタンを外す。ジッパーをおろし、一瞬だけ躊躇って、目を伏せて下着ごとスラックスをふくらはぎまで引き下ろす。煌々と光る照明のもとに暴露された、筋肉の詰まった美々しい雄尻に観客たちがおお、とざわめいた。
艶めかしい革靴に皺を残さぬよう、膝に手を添えてそろそろとしゃがみ込む。そうすると立派に実った臀部が静かに割り開かれ、谷間に息づく濃いピンク色の肉菊が露わになる。健やかな男の体に見合わぬ慎ましやかな蕾は呼吸をしているようにひくひくと蠢いていた。押し寄せてきた便塊が内側から肉をこじ開けようとしているのだ。
けれど五日間腸内で滞留し、水分を無くした糞は巌の如き頑なさの持ち主だった。
「ふ、ぐ、ぅ……っ!」
膝を握りしめて息む。いたいけな有栖川の肛門がイソギンチャクのように突き出され、肉の輪がニチ…とかすかに開く。けれどそこまでだ。頭をわずかに出した便秘糞はそこから一歩も動こうとしなかった。やがて有栖川の息が続かなくなり、ふっと力が抜ける。すると引っ込む肛門につられて滞留便も中へと舞い戻った。
何度か攻防を続けたが、結果は同じだった。まるで腸壁に鉤爪でもひっかけているのではないかと疑いたくなるほどに、直腸内のブツは動かなかった。すぐそこにあるのに、こんなにも出したいのに、出てくれない。神経を炙られるような焦燥感に、こめかみにじわりと汗がにじむ。
「おっと、便秘か? 浣腸を追加してやればいいのに」
「いや、あれは随分と頑固そうだ。摘便のほうがいいんじゃないのか」
「分かっていないな。ああやって苦しんでいる姿を楽しむのが一興なんだよ」
観客たちは糞をひり出そうと喘ぎ苦しむ有栖川の醜態を肴に話に花を咲かせていた。直截な揶揄に、有栖川は砕けるほど強く奥歯を噛み、そちらを睨み据えた。
「黙れ、クソ野郎どもが……っ!」
唾棄するような掠れた声でも、音の少ない店内では思いのほか大きく響いたらしい。耳ざとく聞きつけた客らがおや、と眉を跳ね上げる。
「これはこれは、随分と活きのいい子が入ったね」
「気が強そうで何よりだ。嬲り甲斐がある」
くすくすと笑いあう悪魔たちから視線を逸らし、有栖川は空気を深く吸い込んで肺を膨らませた。息を止め、肛門へと意識を集中する。
「ふぐぅぅぅっ……!」
みっともなく呻き声を上げて息むと、ズリ、としぶとい滞留便が身動ぎする気配がした。もう少しだ。ようやっと出せる。
有栖川はとっさに尻へと手を伸ばしていた。瑞々しく張りつめた尻の肉に皮手袋を嵌めた十指を食い込ませ、左右に引っ張る。すると後孔がニヂリと拡がった。息み過ぎて真っ赤に充血した菊門は痛ましいほどで、皺の一つもなく、ひょっとこの口のように盛り上がっていた。
「は、ぅ˝、ん˝ぐぅっ……!」
削れそうな勢いで歯を食いしばる。根負けした糞塊が狭い肉の隧道をズリ…ズリ…と匍匐前進のようなまどろっこしさでずり下がってくる。ミチ、メ˝リと既に限界の肛門が押し開かれ、ピリピリとした痛みが走る。圧倒的な異物感に腰骨が痺れ、脳髄をとろかしていく。
「あ゛、ァ、んぎぃ……ッ!」
潰れたカエルのような声が出るが、構ってなどいられなかった。心臓が弾けそうに走っている。もう少し。なのに、肛門を最大直径まで拡げたところで糞栓の動きは止まった。
「っ、ど、して」
肉の輪で黒々とした糞を食い締めたまま、絶望に呻く。くらり、と視界が回った。息み過ぎて酸欠になったのだ。
膝に額を押しつけ、息を整える。かくなる上は、と尻たぶを掴んでいた指を動かし、盛り上がった肛門の縁をぐっと押し戻す。
荒療治の効果はてきめんだった。
  ズリュ、メリ……ニヂ、
  「あ、ぅ」
もはや息む必要はなかった。一番太いところが抜け出した溜まり糞は重力に抗わずに肛門をものすごい勢いで擦り立てて体外へと排出されていく。とにかく長い。そして太い。おぞましいほどの直径をしたそれは歪に盛り上がり、膨れ、丸々と太り、黒々と光っていた。立派としか言いようのない便秘便に人々がまたざわめく。
「ん、ぁ、あ、ああああああっ!」
  ニヂニヂニヂミヂ、ミヂヂヂヂヂヂヂッ! ゴトッ! ブゥゥゥゥゥゥゥッッッ!
  仰け反って絶叫を噴き上げたのとほぼ同時に、全長30センチ近くはあろうかという極太の糞が肛門をすり抜け、おまるの底におよそ便とは思えない硬質な音を立てて叩きつけられた。栓を失った肛門からは溜まりに溜まっていたガスが糞を追いかけるように噴き出る。
だがそれだけでは終わらなかった。堰を切られた菊座からは我先にと、腹に溜めこまれた健康的なバナナ便が何本も排出され始めたのだ。
  ブリ、ブリュブリュブリリッ! ドサッ! ムヂ、ムチチチチチ、ブリ、ベチャァッ!
  「あ、ぁ、あ」
もはや有栖川の排泄器官は意識の制御下に無かった。息んでいないのに勝手に這い出てくる糞便たちが肛門括約筋を苛め抜き、有栖川の背骨から力を奪い取っていく。原始的な快楽に眼球が潤んだ。五日ぶりの排便は背筋が震えるほど気持ち良かった。その一瞬、有栖川はここが衆人環視の環境であることを忘れて惚けた。
  ニュリリリリリ、ムチュ、ヌュチュチュ、ブブッ、ヌチャッ! ブッ、プ、プスゥゥゥゥ……
  いくらか細くなった柔らかめの固形便を何本か押し出して、炭酸飲料の蓋を開けた時のようにガスが抜けて、有栖川の肛門はようやく沈黙した。長時間嬲られ続けた肉孔は閉じきらず、淫猥に花開いて中の肉の赤さを見せつけている。ひく、ひくと痙攣しているのも淫らさに拍車をかけていた。
「はぁっ……」
色っぽい溜息をついた有栖川は額と言わず尻と言わず全身が汗でしっとりと湿っていた。こめかみから滴り落ちた汗の雫が顎の先で光り、白いステージの床へと散る。鋭い美貌が快楽に茹だっている様は老若男女問わず惑わす色香を放っていた。ごく、と唾を飲み込む音がそこかしこで聞こえるくらいに魅力的な花が一輪、ステージ上に咲いていた。
ややしばらく放心していた有栖川は、やがてのろのろと右腕を動かしてポケットハンカチーフを手に取ると、それで尻穴を拭った。長い間しゃがんでいたせいで鈍く痺れている足を叱咤して立ちあがり、元通りにスラックスを穿いてベルトを締める。さっきまでは息苦しかったコルセットベストの締め付けはもう気にならなかった。胸を張って居丈高げに客席を見下ろしても胸がつかえるような苦しさはない。腹の中身はきれいさっぱりなくなっていた。
こちらを見つめる面々をぐるりと見回し、有栖川は舞台役者のように気障ったらしい仕草で優雅に一礼した。自尊心など欠片も損なわれていないふりをした。そうして戦うのだと、有栖川は心に決めていた。
おまるの中身はあえて見ずに、強気な視線のまま面を上げる。そのまま段を下り、控えの位置まで戻る。
途中、壁際に立っている花鶏の前を通った。
芯のある儚さを秘めた美貌の男は、何故か泣きそうな顔をしていた。
どうして、と有栖川は少し面白くなった。どうしてあなたがそんな顔をするんです、花鶏さん。自分が舞台に立たせられたわけでもないのに。
すれ違ったのはほんの一瞬。囁けたのは一言だけだった。
「大丈夫ですよ、俺は」
そう、大丈夫だ。自分で選んだ道の半ばで折れるほど華奢でも虚弱でもない。たとえここがどんな地獄であろうとも抗う覚悟は出来ていた。
そのまますれ違い、所定の位置に戻る。
きらびやかな世界を一瞥して、有栖川は目を細めた。
「これがあなたの見ている悪夢なら、俺はいくらだって耐えられます」
唇を動かしただけの囁きは、店内の喧騒に飲まれて、本人の耳にすら届かずに掻き消された。
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pinkblazenut-blog · 7 years
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おとまりプロフィール
音尾光久(おとおみつひさ)オットー
31歳、179cm
貿易商社勤務
特技はトロンボーン(中学・高校と吹奏楽部だった)
   早起き(よくマリーに「おじいさんか」って言われるくらい早い)
   そろばん(お母さんがそろばん塾をやってた関係)
   チェス(最初はインテリアとして買ったけどちょっとやってみたら面白かった)
趣味は裁縫(ミシン。親の代わりに弟妹のものを繕ってあげているうちに上手くなった)
   渓流釣り(マイナスイオンを浴びに行くついでに晩ごはんのおかずもゲットできるから一石二鳥だよ)
   柴犬グッズ集め(柴犬可愛いよね。あの尻尾が特に)
   スポーツ観戦(頑張っている人たちを応援するのが好き。現地でもTVでも良い)
好きなものは石焼ビビンバ、南国のフルーツ(マンゴーとかパイナップルとか)、革製品(鞄とか靴とか)、綺麗な貝殻(海辺に行くとつい集めちゃう)
  御燈商事で輸送機(船舶)部門の営業をしている。
二年前、営業中に事故に遭い、左目の視力のほとんどを失っている(明暗はかろうじて分かるくらい)。
※頭を強打したのと、割れたフロントガラスが目に刺さり角膜が傷ついたため。
右目は普通に見える。普段かけている眼鏡は左右の視力差を少しでも均等にするためのもの。
  御燈商事には珍しい文化系。運動はそこまで得意じゃない。ただし根性はあるのでハードな外回りもこなせる。さすがに暑い夏場はちょっとへばってるけど。
でも日に焼けると真っ赤になってしまうので夏場でも長袖ワイシャツ。
  家族構成は父、母、妹、妹、弟。四人兄弟の長男。なので小さい子供の相手には慣れてる。
名前の由来は『久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ』という紀友則の和歌。
ちなみに兄弟の名前も「春日(はるひ)」「静花(しずか)」「友紀(ゆうき)」と同じ和歌から取られている(弟は作者の名前からだけど)。
  実は花鶏匡俊の従兄弟(花鶏の父親と音尾の母親が兄弟)。
ただし音尾の母は高校卒業後すぐに恋仲だった教諭と結婚するために駆け落ちをしているため、花鶏との面識はない。
従兄弟の存在は母から聞いてぼんやり知っている程度。花鶏も音尾家のことは知らない。
  普段は物腰柔らかな好青年だが、怒らせると怖い。口調もかなり変わる。インテリヤンキー。
ただし怒りの沸点はかなり高いので、ほとんどの人はそのことを知らない。
彼が今まで本気でキレたのは人生で三回。二番目の妹をいじめていた男子生徒相手と、痴漢の現行犯で捕まえたのに往生際悪く言い逃れようとしたおっさんにと、繁南のことを噂して笑っていた同僚へ。
怒ると相手を壁際に追いつめてスラックスのポケットに両手を入れて後ろの壁をガッと蹴るくらいはやりそう(偏見)。
  万里崎のことは事故前から好ましく思っていたが、事故を機にお互いすれ違ってしまい、淋しく思いながらずっと声をかけられずにいた。
音尾は音尾で「自分を庇って万里崎が大怪我をした」とずっと気にしていた。
自分だけあの日から解放されるのはフェアじゃない、と手術を受ければ視力が回復することを知りながらも、頑なに手術を受けずにいた。
が、万里崎に説得され、角膜移植手術を受ける。
  手術をきっかけに少しずつ関係を修復し、恋人になるまでこぎつけたことをとても嬉しく思っている。
万里崎のことは大好きで、出来る限り甘やかしたい。でも恋人は自分のことは自分でやろうと無理をする(それが自分のためだと音尾は気づいていない)のでまだまだすれ違い気味。
意見が食い違うたびに言葉を重ねて分かり合う努力を欠かさないので、少しずつ相違は解消されていく(はず)。
  多分わりとドS。
好きな人のいろんな顔を見たい。だから尿道ブジーとか買っちゃう。変態()
でもマリーが気持ち良くなることしかしないと心に決めている。
ただし過ぎた快楽は苦痛でしかないことに関しては気が回ってない。やっぱりドS。
                        万里崎知草(までさきちぐさ)27 マリー 
27歳、175cm
貿易商社勤務
特技は日本の古い遊び(コマ回し、百人一首、けん玉など。特に得意なのはベーゴマ)
   山菜の選別(実家の裏は山)
   ボイスパーカッション(高校生の時に友達とハ○ネプに出た経験あり)
   ワイシャツのアイロンかけ(中学生の頃から自分のは自分でやってた)
趣味はキックボクシング(退勤後の習い事&ストレス発散)
   三味線(青森出身の母親の影響。最近は弾いてない)
   油絵(独学。耳が悪くなってから三味線の代わりに始めた)
   ウィンドゥショッピング(ハンナにつぐ衣装持ち。でもハンナとは違いなるべく低コストで済ます)
好きなものは大河ドラマ(真田丸むっちゃおもろかった!)、餃子、蜜柑(毎年冬は手のひらが黄色くなる)、猛獣(豹とかライオンとか。理由は格好いいから)
  船舶営業部門で事務作業を行っている営業職。
元は営業で、音尾とペアを組んでいたが、二年前に交通事故に遭い受傷。一週間生死の境をさまよい、なんとか一命は取り留めたが聴力障害が残った。
※後遺障害等級7級3号 1耳の聴力を全く失い、他耳の聴力が1メートル以上の距離では普通の話し声を解することができない程度になる。
普段は残っている左耳の聴力を補聴器で補い、聞き取れない部分に関しては読唇と筆談で補っている。手話はまだ勉強中。
  明るく朗らかなムードメーカーで、イベント大好き。船舶営業部門内でなにかやる時は大体この人が発起人。ハロウィンとか。
耳のことで一時期は腫れ物に触るような扱いを受けていたが、本人の元々の明朗さもあり、今ではほとんどの人間と問題なく接している。
ただ、本人は多少気にしている部分もあるようで、以前と比べると飲み会などに出かける頻度は減った。
※人ごみなど賑やかなところへ行くと話が聞き取りづらい&危険察知(車のクラクションなど)が遅れるので。
  関西出身。実家は山奥の集落の寺。お経唱えられるよ。
耳が聞こえづらくなってからは一度も地元に帰っていない。
理由は、幼いころから見知っていた人たちの声が、前と同じように聞こえないことを思い知らされるのが怖いから。
そして、幼馴染たちに憐れまれるのが嫌だから(そんな人たちではないと知っていても)。
いつかは帰らなければ、と思っている。けれど踏ん切りがつかない。
  名前の由来は『かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを』という和歌から。
……というのは表向きの理由で、実際は名付け親の祖父が大の牡丹餅(おはぎ)好きだったため。おはぎ=萩=秋知草=知草。
「え、ちょい待ち、俺の名前おはぎから来てるん?」
ちなみにお兄さんは天香(あまか)さん。※お坊さんとしての名前は「てんきょう」さん。
これも表向きは『春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山』が由来。
だけど本当は『牡丹餅=牡丹=天香国色=天香』
「うちのじいさんどんだけ牡丹餅好きやったん?」
  実家が和式だったため、高校生に進学するまで一度も洋式便器を使ったことがなかった。
ちなみに下宿のトイレは和式だったし、高校の校舎は新し目だったけど旧校舎側に和式便所があったのでなんとかなった。
今でも和式しか使えない。外出先では結構困る。なので知らない場所に行くのは渋る。和式便器があると分かっているなら行く。
  音尾に対しては淡い恋心を抱いていたが、事故をきっかけに打ち明ける機会を逸し、以来ずっとぎこちない関係が続いていた。
相手車両の飛び出しが原因の事故だが、万里崎は「自分の不注意が原因だ」とずっと己を責め続けていた。
不注意で先輩の世界の一部分を奪った自分が、どの口で「あなたが好きです」などと言えるのだ、と。
  手術をすれば音尾の視力が回復できると知り、手術を受けてくれと懇願したのは、音尾への贖罪もあるが、なにより自分を罪の意識から解き放つためには『何もなかった頃』に戻るしかないと思っていたから。
『先輩の世界を取り戻すこと』が罪悪感で押しつぶされそうになっていた万里崎の悲願だった。
「自分勝手でしょう、俺。先輩のためと言いながら、結局は自分が救われたいだけなんですよ」って寂しそうに笑うから抱き締めるしかない。
  家族構成は父、母、兄。家族関係は良好。兄のことは「兄ちゃん」と呼んでいる。
でも最近ちょっと恥ずかしくなってきたので「兄貴」と呼んでみたら「今更どうしたんや、知草」と鼻で笑われた。
  聴力障害の原因は聴神経の負傷だが、三半規管や耳小骨あたりもダメージを受けており、少しの刺激ですぐ気持ち悪くなる。
なので熱が出たりしたらまず歩けないし吐き気がすごい。ひどい船酔いみたいな状態になる。
でもなるべく他人の手は借りたくない。なのでいつもオットーとバトルになる。そして負ける。
  オットーと思いが通じ合った後も「本当に自分でいいのか」「光久先輩にはもっと似合いの、五体満足のひとがいるんじゃないか」という不安で一杯。大好きだからこそ怖い。
その不安を悟られないように必要以上に明るく振舞ってしまう部分もある。優しくされると胸が痛くて、無性に泣きたくなる。泣かないけど。
自分が相手の重荷になっていないかをいつも気にしている。だからこそオットーの世話にならずに、出来る限り自分のことは自分でやりたい。
  小さな頃から扁桃腺が弱く、わりとよく熱を出す。無茶は厳禁。
  いつかはまた営業に戻りたいなぁと考えている。
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pinkblazenut-blog · 7 years
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繁昌プロフィール
祥雲昌一朗(さくもしょういちろう)
25歳、172cm
貿易商社勤務
特技はフェンシング(高校・大学の部活動)
   ルービックキューブ
   フルート(小五からの習い事。今もやってる。エピソードは後述)
   フラッシュ暗算
趣味はジョギング(出勤前に音楽聞きながら走ってる)
   読書(明治、大正、昭和の邦書。最近のはあまり読まない)
   お菓子作り(作るだけ。食べるのはもっぱら家族)
   美術館めぐり(好みの画家はフェルメール、コロー、モネあたり)
好きなものはお子様ランチ系ごはん(ハンバーグ、ナポリタン、エビフライ、オムライスなど)
      お日様の匂いがする洗濯物(特に干したてのふかふかタオル)
      綺麗に整った本棚(本屋さんに行ったらバラバラなのが気になって直しちゃうタイプ)
      ディズニー全般(姉の影響。子供っぽいので誰にも言ってないけど好き。年パス持ってる)
  総合商社で輸送機(船舶)の営業をしている25歳。
サラサラの黒髪、固く引き結ばれた唇、少し三白眼気味の大きな目。
表情の硬さも相まって研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を放つ、課内の期待の星。
第一印象は良くないが、とにかく頭の回転が早く、顧客の要望を読む力に長けているため、営業成績は常に上位に食い込んでいる。
将来の幹部候補と目されており、上層部からも覚えが良い。
  不正や不当を見逃せない、潔癖なまでに歪な正義感の持ち主。
これは歴代最年少駐在大使として某国に単身赴任していた父が、国内の過激派組織に拉致され拷問の末に殺害された事件による。
当時の政府の対応、その後のマスコミの執拗な取材、警察・司法の無情さに、権威的なものへの不信感を持ち、
それが裏返って「正当性」への固執、ひいては不正や不当への嫌悪に繋がっている。
  父親が殺される前まではおっとりとして、いつもニコニコと笑っている純真な子どもだった。
父の死後、殉職者の家族として生活だけは国から保障されていたため、経済面での不自由はなく育つ。
現在の家族は母と年子の姉、そして猫(元野良、10歳)。
父が死んでから、一度も泣けていない。笑うことはできる。ただしかなりぎこちない。
  事件の後、感情を内に溜めこむようになり、心労からか便秘がちにもなっていく。
便秘体質は年齢を重ねるごとに重症化し、現在では週に一度排便があるかどうかというくらいにまでなってしまっている。
  現在の会社を志望したのは「ビジネスで世界を変える」ためで、その高い理想のためにがむしゃらに働いている。
残業は当たり前で、時には働きすぎ&不眠で体調を崩してしまうこともある。
が、少しくらいの熱や頭痛は薬で無理矢理押さえつけて片道一時間の道のりを電車に揺られて出社する。社畜の鑑。
  高給取りだが、実家住みのため、必要経費を家に入れ、必要物品購入代(スーツ、文房具、昼食など)、貯金分以外はすべて恵まれない子供たち(国内外問わず)のための募金活動に充てている。
そのため生活ぶりは意外と質素(でも身に着けているものは結構いい。良いものを長く使うタイプ)。
物欲もないので本人は満足。お昼は出先で外食か社食。基本ぼっち。
  趣味の一つであるフルートは父親からの最後の贈り物。
父親が誘拐される前日、久しぶりに国際電話をした際に
「明日は誕生日だろう。前から欲しがっていた物を送ったからな」
「ほんと?なにを送ってくれたの?」
「それは届いてからのお楽しみだ」
「えー、お父さんの意地悪!じゃあ届いたらまた電話するね!」
という会話をしていた。
結局ありがとうの電話は出来ないまま、父親が死んだ後に、綺麗な箱に入ったフルートが届いた。
以来、今までずっと、そのフルートは本人のお守り。握っていると自然と心が凪ぐ。
  繁南のことは話の鋭い切り口や幅広い知識量から「頭の良い人なんだろう」とぼんやり思っていたが、
一度とある企画で一緒に仕事���したときにその能力の高さに���き、尊敬の念を抱くとともに、
彼が正当に評価されていない現状に言いようもない歯痒さと苛立ちを感じた。
以後、どうしても彼が気になっているが、いざ本人を目の前にすると素直になれずにつっけんどんな態度をとってしまうようになる。
  年子の姉とは一緒にディズニーに行くくらい仲良し。性格は正反対だけど落ち着く。凸凹コンビ。
なお「姉貴」とか「姉さん」などと呼ぶと怒られるので、小さな頃から姉のことは「キョウちゃん」と愛称で呼んでいる。可愛い。
ちなみに姉には「チロ」と呼ばれている(しょうい『ちろ』うの『チロ』)。可愛い。
  猫舌。熱いコーヒーとか出されたら冷めるまでじっと待ってる。
  子供体温。平熱は36.8℃くらい。だからこそ自分が熱を出していることに気がつきにくく、体調を崩しかけていても平気で出社してきて残業して悪化して動けなくなる。
  直見とは入社式で隣に座って以来の仲。祥雲にとっては数少ない愚痴を吐ける知り合い。
      コンビニ限定のお茶の付録(ディズニーのストラップ)
「あ、ミニー……」
「なに、もしかしてほしいの?」
「っ、そんなわけないでしょう」
「そう? でも俺、昨日も同じやつ当たったんだよね。だからあげる(※嘘)」
みたいな会話してるんですよ繁昌コンビ可愛すぎか。
           繁南伊織(しげみなみいおり)
29歳、177cm
貿易商社勤務
特技はテーブルクロス引き(新人の頃余興として覚えた。シャンパンタワーも倒さないよ!)
   手話(スキルアップの一環)
   カラオケ(ほら、外の人(?)が声のお仕事の人だから……)
   ペン回し(高校時代、授業中に極めた)
趣味はゴルフ(他部署の人たちとの外交手段)
   落語観賞(「話術の勉強になるよ、アレ」とのこと)
   語学(英語、フランス語、スペイン語が話せる。現在中国語の勉強中)
   マリンスポーツ(ヨット、ウィンドサーフィン、ジェットスキーあたり。きっと大学でやってた)
好きなものはダーバンのスーツ(着心地が好き)
        辛い食べ物(担担麺、キムチ、麻婆豆腐など)
        洋画(サスペンス、ミステリー。たまにアクションも。映画館に行くよりDVD借りてきて自室でだらけながら見たい派)
        料理(お洒落な洋食が得意。カフェのご飯かな? でも里芋の煮っ転がしとかもつくる。美味しい)
  総合商社で輸送機(船舶)の営業部門にいる29歳。
一応営業職だが営業にはいかない。どころか重要な会議やプロジェクトに参加もしない。要はハブられている。
これは数年前に重要なプロジェクトで多大な損失を出してしまい、挙句「重大なビジネスシーンに同席すると腹の調子が悪くなる」体質になってしまったため。
そのため普段は課で書類作成などの後方支援的な作業を行っている、イレギュラー中のイレギュラーな営業職。
ただし小さな会議には参加する。そして十中八九腹を下す。
  だからといって仕事ができないわけではなく、むしろかなりできる。
圧倒的知識量と人脈と話術と顔面()を駆使してあらゆることをそつなくこなす。ハイスペック器用貧乏。
人付き合いは広く浅い。使えるものは何でも使うし、嘘も平気でつける、ある意味ドライな性格。人たらしともいう。
  実は、曾祖父は政治家、祖父は大学教授、父親はヴァイオリニスト、母親は小説家、兄はNHKアナウンサー、姉は元宝塚娘役、姪はモデルという華麗なる一族出身(そりゃあの顔面にもなりますよね)。
ただし本人は出自をひけらかすつもりがまるでない。兄姉とは年も離れてるし。
  現在の勤め先を志望したのは「家族がまだ誰もやったことのない分野の仕事をしてみたかった」から。
親の七光り、などと言われるのが大嫌いな、根っからの負けず嫌い。
感染性胃腸炎で発表会を欠席し、周りからの風当たりが強かった頃には色々と心無いことを言われ、出自のこともあげつらわれ、かなり追いつめられていた。
それでも「ここで折れるのだけは嫌だ」と踏みとどまり、血のにじむような努力で今のポジションを確立した。
負けん気の強さではあのジョーイにすら「お前には負ける」と言われるほど。
  末端冷え性。意識して生姜とか辛い食べ物とかを摂取しているが、指先が氷のように冷たい。
冬ともなれば生きているのか怪しい体温になる。なので祥雲の子供体温はかなり心地よい。
  祥雲のことは「一人で頑張ってる子がいるなぁ」くらいにしか思っていなかったが、ある晩忘れ物を取りに職場に戻ったところでデスク脇にて顔面蒼白で蹲っている祥雲を発見する。
吐き気を必死に堪えていた彼をトイレに連れて行って吐かせてやり、その後熱発した彼を自宅まで連れ帰って看病したのをきっかけに気にかけるようになる。
そうしたらまぁ無理をする子でびっくり。
  一回り以上歳の離れた兄と姉がいる末っ子。兄姉より甥姪のほうが年が近く、本人も弟妹のように可愛がってきた。
家族(甥姪含む)からの呼称は「伊織くん」。家以外で名前を呼ばれないので、たまに他人に名前を呼ばれるとくすぐったい。でも嫌じゃない。
  酒豪。ウォッカをジョッキで一気飲みできる。飲み会では最後まで平然と杯を重ねているので最後には介抱役に回る羽目になる。
末っ子なのに面倒見が良くなったのはここらへんの都合もあるのかもしれない。
  丈偉とは最初に配属された部署が一緒だったことが縁で仲良くなった。今でも月に一回は飲みに行く。
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pinkblazenut-blog · 7 years
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GWもぐもぐ話①(繁昌、隼永)
ホーローのミルクパンに水と冷ご飯を投入し、火にかける。顆粒だしと塩を少量入れ、弱火でじっくりと煮込みながら、繁南伊織はふぅ、と嘆息した。
溜息の理由は今、寝室で丸まっているであろう後輩だ。あれほど無理をするなと言い聞かせているのに、どうにも彼は自分の体を顧みられない性格らしい。結局苦しむのは自分なのに、どうしてあそこまで頑張ってしまうのだろう。まるで何かに追いかけられているみたいだ。
「何かをしてないと怖いのかね、あの子は」
ぼやき、ねっとりとしてきた米をお玉でゆっくりかき混ぜる。冷蔵庫から取り出した梅干しの種を取り除き、小さくちぎって鍋に投入する。一匙掬って味見をすると、程よい塩気と酸味が舌先を刺激した。うん、これなら風邪引きさんにも食べやすいかな。
黒い陶器の茶碗に梅粥をよそい、木匙とともにお盆に乗せる。自作の経口補水塩で満たされたガラスポットとグラスも一緒だ。
対風邪引き特製セットを手に、繁南は寝室へと足を向けた。勝手知ったる我が家だが、一応ノックをしてからドアノブをひねる。
「入りますよー、っと。祥雲、調子はどう?」
こちらに背を向けてベッドの上で丸まっている人物に声をかける。祥雲、という名前に反応したのか、猫のように丸まっていた背中がぐるりと寝返りを打って、後輩がこちらを向いた。
皺にならないようにスーツのジャケットは脱がせてある。ネクタイも引き抜いて、苦しくないようにワイシャツのボタンも一、二個外してから布団の上に転がした。というのに後輩、祥雲昌一朗の顔は真っ赤に上気していた。普段は強気な目も潤み、頼りなげにぼやけている。見るからに辛そうだ。
あー、と苦笑気味の声を出しながら、繁南はベッド脇まで近づくと、ベッドサイドテーブルにお盆を置いて床に膝をついた。
「顔赤いね。もしかして熱上がった?」
ぺたり、と首筋に手を当てると、冷たさが心地よかったのか、祥雲がわずか��目を細めた。指先から伝わる熱はかなり高い。この調子だと39度近くあるかもしれなかった。
「お粥持ってきたよ。食べられる?」
前髪をくすぐりながら訊ねる。高熱で頭が上手く回っていないのだろう、祥雲は眠りに落ちるような長い沈黙の後、消え入りそうな声で「たべます」と返してきた。そしてシーツに膝をついて状態を起こそうとする。けれど体に力が入らないのか、関節が痛むのか、うまく起き上がれない。細い腕が小刻みに震えているのを見かねて、繁南は祥雲の脇に手を入れて、自分に抱きつかせるように抱きすくめた。
「熱出てるのに無理しないの。ほら」
薄い肉つきの体を軽々と抱き起こしてやり、ポンポンとなだめるように背中を優しく叩いてから体を離す。その間、祥雲はされるがままだった。普段の彼なら抱きついただけでも「離してください」と邪険にされるが常だから、これは相当調子が悪い。ぼうっと焦点が合わない目を見ているとこっちまで辛くなってくる。
繁南は持ってきた茶碗を手に持つと、木匙で一口分だけ掬い、すでに温んでいるそれを軽く吹き冷ましてから祥雲の口元に運んだ。祥雲は猫舌なのだ。
「はい、祥雲の好きな梅粥」
ドアをノックするように木匙で何度か唇をつつくと、やわやわと口が開く。狭い隙間に木匙を滑りこませ、上顎を擦るように粥を口内に滑り落とし、引き抜く。この一連の動作も慣れたものだ。
緩慢な祥雲の動作に合わせながら、二度、三度と粥を食べさせる。従順に木匙を受け入れる祥雲はまるで親鳥に餌付けされる雛だ。飲み込みきれずに口の端から零れた重湯を親指の腹でぬぐい、そのまま自分の口に運ぶ。塩気しかないはずの粥が甘く感じられるのは祥雲の体に触れた物だからだろう。
茶碗の中身が半分ほど減った頃、祥雲がゆるゆると首を横に振った。もういらない、の合図だ。彼としては頑張ったほうだろう。分かった、と繁南は素直に茶碗をお盆の上に置いた。
「くすり……」
「はいはい、ちゃんとあるよ」
その前に、とガラスポットからグラスに経口補水塩を注ぎ、祥雲に手渡す。ベッドサイドテーブルの引き出しを開け、中から市販の総合感冒薬の瓶を取り出す。三錠だけ手に取って瓶を元の位置に戻し、引き出しを閉めて祥雲のほうを向くと、彼は震える手でグラスの中身を飲もうと四苦八苦していた。経口補水塩は半分以上が零れてシャツの前面を濡らしている。肌に張り付く透けた布がいやに扇情的で、目に毒だ。
「あーあー、こんなに零しちゃって。あとで着替えないとね」
「薬、は」
「うん、薬もね。飲ませてあげるから大丈夫だよ」
祥雲の手からグラスを奪い、経口補水塩を注ぎ直す。今度は手渡さず、繁南は一口分を自分の口内に入れると、錠剤を煽り、そのまま祥雲に口づけた。
反射で後ろに逃げようとした後輩の後頭部を掴み、グラスを置いたもう片方の手を細腰に添えて、水分と薬を口移しする。触れた唇は炎のように熱かった。後頭部も、腰もだ。全身が発火した様な熱を帯びている。こっちまで気が触れそうな体温だ。
祥雲の咽頭が上下に動いたのを確認してから唇を離すと、二人の間をか細い銀糸が繋いだ。かすかに口を開いて、涙目でこちらを見上げてくる後輩に薄暗い欲求が沸き起こるのをどうにか堪える。こう見えて、弱っている人間を抱くほど悪趣味ではないのだ。相手が無理しがちな、愛おしい後輩であればなおさら手酷くは出来ない。いや、したくない。
「ちゃんと薬飲めたね。偉い、偉い」
安心させるように微笑んで頭を撫でてやる。あとは濡れたシャツを着替えさせないと、とボタンに手をかけた繁南の頭上から「しげ、みなみ、さん」と途切れ途切れの声が降ってきた。
「んー、なに?」
「のど、が」
「うん?」
前のボタンを全て外してから顔を上げる。迷うような表情をした祥雲と視線がかち合う。
「かわい、て」
だから、とまで言って祥雲の視線が横に逸れる。
繁南は自分の頬が緩むのを感じた。この意地っ張りな後輩は「ください」と何かを強請るのがとてつもなく下手だ。たとえそれが「熱のせいで喉が渇いているからもっと水を飲ませてください」という、誰に憚ることもないような欲求でさえ、無意識に自分のうちに溜めこもうとする。その頑なさが繁南にはとてつもなく愛おしい。
「喉、乾いたんだ?」
「っ、はい」
「それで、祥雲はどうしたいの? どうしてほしい?」
答えは分かりきっていたがあえて問う。その唇から聞かせてほしいと思う。もっと強請って、縋っていいのだと視線と態度で促す。誰かに頼ることも、甘えることも罪ではないのだと教えてやりたくて、繁南は黙って強情な後輩の言葉を辛抱強く待った。
「……みず、を」
ややしばらくして、祥雲の唇から零れたのはそんな一言だった。
「水、ほしいの?」
問えば、こくり、と頭が縦に動く。
「そう。祥雲はきちんと言えて偉いね」
労わりを込めて鼻先に軽く口づける。そしてグラスを手に取り、中身を口に含んで、繁南はもう一度後輩の顔に唇を寄せた。
                     居並ぶ豪勢な中華料理を目の前にして、舞鶴永の目は子供のようにきらきらと輝いていた。
「は、隼飛君、これ、全部食べ放題なの?」
「ええ、そうですよ。でもとりあえず席につきましょうか」
興奮気味に大皿を指さす年上の恋人に苦笑し、有栖川隼飛は永の席を軽く押して着席を促した。
永と隼飛、二人は横浜中華街に来ていた。水曜日から昨日まで関西に出張で、そのまま土日の休みに突入し、都内に帰る前にこうして少し足を延ばしてランチバイキングの店に来たというわけだ。
出張帰りのため、二人とも服装はスーツである。先程からチラチラと見られているのを永は「やっぱり休日にスーツは目立つね」と笑っていたが、彼は自分の容姿がどれだけ人を魅了する引力を持ったものなのか、まるで理解していないのだから罪深い。
「飲み物は別料金なんだ。じゃあグレープフルーツジュースにしようかな。隼飛君は?」
「俺は烏龍茶が良いです」
メニュー表を覗き込んで首をひねっている永はあからさまにワクワクしていて、見ているこっちがにやけてしまうほどだ。やっぱり連れてきてよかったな、と関西までの長距離移動を耐え抜いた永へのご褒美にとこの計画をしたことを我ながら褒めてやりたい気分になる。
それに、正直彼がどこまで食べられるのかが気になったというのもある。この薄い腹にどれだけの物が収まるのか、彼の体質を知っている身としては興味深い案件だ。今日はこれから帰るだけだし、なんなら横浜で一泊してもいい。心行くまで食べてもらおう、と隼飛は考えていた。
飲み物が来る前に取ってきちゃうね、と意気揚々とバイキングに向かった永を追いかけて隼飛も席を立つ。あまり深く考えず、棒棒鶏、八宝菜、酢豚、空芯菜の塩炒め、担担麺、焼売を皿に盛り、お盆一杯に乗せてテーブルに戻る。
テーブルではすでに永が着席して待っていた。彼の前に並ぶ皿の量に隼飛は目を剥いた。ざっと数えても十皿前後、しかもすべて山盛りだ。
「永さん、それ」
全部食べるんですか、と恐々と聞く。
「うん。だってバイキングでしょ? なら元取らなきゃ!」
満面の笑顔が可愛い。……いや、そうじゃない。
「それじゃ、いただきまーす」
ほくほく顔の永が人さし指と中指の間に箸をはさみ、両手を合わせて一礼する。
それからの一連の動作は圧巻の一言に尽きた。
ザーサイを咀嚼し、油淋鶏にかぶりつき、コーンスープを啜り、五目春巻きに歯を立て、帆立貝のオイスターソース炒めを大口開けて食らい、豚の角煮に舌つづみを打ち、小龍包に悪戦苦闘し、ちまきをかじり、台湾風焼きビーフンをかきこむ。小さめの皿とはいえ、あっという間になくなっていく中華料理達に、隼飛は思わず箸を止めて見入ってしまった。
「隼飛くん、ぼーっとしてると担担麺伸びちゃうよ?」
「え? あぁ、はい」
指摘され、隼飛はのろのろと自分の分を消費し始める。大量の中華料理を平らげていく永のいい食べっぷりに、人々がざわつき始める。うん、そりゃそうなりますよね。俺だってこんな可愛い顔のお兄さんがフードファイターばりの食事スタイルだったら見るわ。ガン見するわ。
自分に向けられている視線に気づいているのかいないのか、永はすでに皿の半分以上を空っぽにしていた。熱いのか、頬がほんのりと朱に染まっていて、目は幸せそうにとろけている。正直言ってかなり“クる”表情だ。
いや、表情だけではない。花の色の唇が男っぽ��全開の脂ぎった肉料理を食み、白鷺のような咽頭が蠢いて食物を胃に運ぶ様子だって相当性的だ。ジャケットの前ボタンを全て外し、ネクタイを少しだけ緩めて、ふぅふぅと息を吐きながら脂っこい料理の数々を口に運んでいるのも、普段のお堅い白衣スーツ姿とのギャップがあっていい。自分の分を食べ終えた隼飛は、頬杖をついてじっと永の食事風景を見守っていた。
すると、熱視線に居心地の悪さを感じたのか、最後の一皿であるエビチリに挑み始めた永がくりくりとした目でこちらを窺ってきた。
「さっきからどうしたの、隼飛くん」
「いや……興奮するなと思って」
素直な感想を告げる。
普段の様子からして「隼飛くん、最低」と冷ややかな目線が返ってくるのがオチだろうと思っていた。けれど永は目を丸くした後、ふふ、と楽しげに目を細めて笑んだ。
「なに、隼飛くん、僕が食べてる姿見て興奮するの? 変態だね」
言葉尻にぺろり、と口の端についたチリソースを舐めとる永は正直誘っているとしか思えない妖艶さだった。こんな顔もできるのか、と隼飛は背筋がゾク、と粟立つのを感じた。
「んー、でもそろそろお腹いっぱいかな。デザート取ってくる」
いつの間にかエビチリは綺麗に消えてなくなっていた。揚々と席を立った背中を見送り、隼飛はテーブルに額を押しつけるように前かがみになると、テーブルの下で密かに股間に触れた。
「やば、勃った……」
永さんが戻ってくるまでにどうにかしないと。隼飛は悶々としながら、努めて冷静になるべく、頭の中で素数を数えだした。
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pinkblazenut-blog · 7 years
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はやはる①
就職してから、生活リズムが狂った。特に食生活が。
その代償は腹に来た。便秘だ。
妊婦のように膨れた腹を抱えて、毎朝トイレで何十分も唸る。けれど中身は微動だにしない。辛くて苦しくて涙が出た。まさか便秘がここまで辛いものだったなんて。
上京してきて、初めての一人暮らしで、職場では研究を続けられて楽しかったけれど、人間関係とかいろいろあって、結構参っていたのだろう。昼食は紙パックの野菜ジュースだけとか、コンビニの菓子パンとかで済ませてしまうことが多かった僕が、その弁当屋さんを見つけたのは就職してから一か月ほどが経ったある日のことだった。
まず値段に惹かれた。おかずも昔ながらの物が多く、東北の田舎で育った自分には懐かしい物ばかりで、思わず店の奥に声をかけていた。
はーい、と威勢のいい声が聞こえてきて、中からエプロン姿の青年がひょこりと顔を出した。
彼と目が合った瞬間、僕は雷に打たれた。それくらい綺麗な人がそこにいた。
日本人離れした整った顔に、清々しい太陽の匂いがする笑顔を浮かべている彼は、何も言わずに立ち尽くしている僕に、不思議そうに首を傾げた。
「あの、注文」
どうなさいますか? と聞かれ、僕はようやく我に返った。
しどろもどろになりながら幕の内弁当を注文するサラリーマンを、彼はニコニコと見守っていた。
      弁当屋通いはそれから一年間、平日はほぼ毎日続いた。
彼は隼飛くんといって、近くの大学の二年生らしかった。昼休みだけここでバイトしてるんです、と朗らかに笑う彼は、放課後はフットサルと軽音のサークルを掛け持ちしているらしかった。
いつしか僕たちは顔見知りになり、様々なことを話した。とは言っても天気の話とか、その日のニュースとか、そんな他愛もない話だ。でも僕は幸せだった。楽しく、満たされていた。
けれど、そんな日々が長く続くはずもなかった。
一年ほどが経った三月のある日、いつものように昼食を買いに行くと、ひどく真面目な顔をした隼飛に声をかけられた。
「永さん、今日の夜空いてますか」
「うん、別に予定はないけど」
「じゃあ、お仕事終わったら、あそこの公園に来てもらえますか。話したいことがあります」
なんだろうと思いつつ、僕は二つ返事で申し出を承諾した。
終業後、僕は言われたとおりに公園に出向いた。
隼飛くんは街灯にもたれて立っていた。僕に気づくと背中を街灯から離し、すっと真っ直ぐに立つ。その顔はひどく緊張していた。
「話って何?」
単刀直入に問う。
夕暮れの光を背負って立つ隼飛くんは、ごくりと唾を飲み込むと、重々しく口を開いた。
「俺、永さんが好きです」
最初、何と告げられたのか分からなかった。
好きって、誰が。誰を。
瞬きをして、脳がゆっくりと言葉を反芻して、飲み込んで。ようやく理解した。
理解して、体が震えた。初めて会った日と同じ雷が僕の背骨を貫いた。
ああ、僕もだ。
僕も隼飛君のことが好きだ。そう確信した。
否、きっと一目惚れだったのだろう。ただ、それを知覚できていなかっただけで。
だけど。
「……男同士、だよ」
隼飛くんはそれでいいの、と言外に込める。
同性同士の愛情を軽蔑する主義思想はなかった。好きな人が自分を好きだと言ってくれている。それだけで天にも昇るほど嬉しかった。でも聞かずにはいられなかった。
この社会はまだマイノリティには優しくないのだ。それに隼飛はまだ若い。年上の男性に対する憧れを恋と勘違いしているだけじゃないのか。
訝るような眼差しにも負けずに、隼飛は視線を逸らさずに宣言する。
「俺は永さんが好きです。男とか、年上とか、そんなことは関係ありません」
付き合って下さい、と頭を下げられる。形の良い後頭部の丸みが目の前に晒される。
僕は。
僕、は。
「だめ、だよ」
弾かれたように隼飛が顔を上げる。
「そんなのは、駄目だよ。隼飛くんは、絶対」
この思いは、たった今思い知った恋心は、きっと叶えてはいけない。僕は本能で察した。愛おしい彼を、前途洋々たる未来に溢れているこの子を、茨の道に誘い込んではいけないと。
「隼飛くんは、僕と付き合っちゃ駄目だ」
「永さんは、嫌いなんですか。俺のこと」
真っすぐな眼で問いかけられる。その言葉の素直さに心臓が抉られる。
ねぇ、隼飛くん。それを僕に言わせるの。僕に選ばせるの。
喉が震えた。吐く息が浅く、熱かった。
「っ、嫌い、だ」
「永さん……」
「嫌い、きらい、大っ嫌い、子どもっぽくて、世間知らずな隼飛くんのことなんて、全然」
好きじゃない、大嫌いだと嘘を吐く。嫌い以外の言葉を知らない子供のように幼稚に、必死に。受け入れてなるものかと言葉を連ねる。
たとえ自らが発した言の葉のナイフで心を切り裂かれることになっても。
僕は、君が大好きで、大切で、幸せになってほしくて、だけど、僕は君より七年分大人で、世界を知っているから。
「だいきらい、大嫌いなんだよぉ……!」
世界が歪む。泣きそうなのだ。ああ、最高にみっともない。
隼飛くんは黙っていた。滲んだ視界では、彼がどんな顔をしているのかはまったく分からなかった。
せめて最後くらい、君の顔を記憶に刻みこみたかったけれど、それも無理みたいだ。
ならば、とさよならも告げずに踵を返す。
「永さん!」
名前を呼ばれた。でも振り向けなかった。
「俺、出直してきます! 絶対、迎えに行きますから!」
全力で走って、逃げた。息の続く限り駆けた。走って、走って、呼吸が追いつかなくなってからようやく止まる。
肩で息をしながら、僕はいつの間にか自分が泣いていたことに気がついた。
「っ、ぁ」
熱い水が目尻から溢れて止まらなかった。心も体も千切れそうに痛かった。
いや、千切れてしまえばよいと思った。嘘をついて、傷つけて、挙句放り投げるように見捨てた彼への不義理に報いるのなら、このまま死んでしまうべきだと思った。
誰もいない夕刻の住宅街の真ん中を、僕は家にたどり着くまで一時間以上、泣きながら歩いた。
      それ以来、隼飛くんのアルバイト先へ行くことはやめた。
一年間通って、お通じにいい食材が何かはある程度頭に入っていたから、代わりに自炊を始めた。最初はうまくいかなかった料理も慣れれば楽しいもので、僕はそれなりに日々を過ごしていた。
もう一度あの弁当屋を訪れたのは喧嘩別れから一年が経ち、関西への異動が決まった頃だった。
けれど、会いたくて会いたくない人はすでにそこにいなかった。
「隼飛君ね、この前やめちゃったの。ほらあの子、四月から四年生でしょう? 卒業論文とか、忙しいんですって」
ごめんなさいね、と謝るぽっちゃりとしたおばさんから日替わり弁当を受けとり、店を後にする。
懐かしい街並みを歩きながら、そうか卒業か、と僕はぼんやり思った。
たった365日。けれど月日は確実にめぐり、世界は変わっていた。そのことを思い知らされた。
一年ぶりに食べた弁当は、あの頃と変わらず美味しかった。
      関西では三年を過ごした。住めば都とはよく言ったもので、友達もでき、それなりに楽しい三年間だった。
けれど、やはり心の片隅にはあの晴れ渡る青空のような笑顔があった。
もう会えない人のことをずっと引きずっているなんて、僕も大概未練がましいな。自嘲で笑みがこぼれた。でもそれでいいとも思い始めていた。一生消せない思い出にして、綺麗なまま、彼の笑顔を墓場まで持っていこうと。
なのに、神さまは、彼を思い出にさえしてくれなかった。
東京に戻ってきて、いつものように研究室でデータを睨んでいたある日のこと、今年の新入社員が社内見学の一環で研究室を訪れた。
瑞々しい表情の面々を見て微笑ましく思っていた僕は、彼らの中でひときわ背が高い美丈夫の顔を見て、言葉を失った。
「っ、キミ」
思わず声を上げると、彼は顔を上げて、爽やかに笑んだ。
「有栖川隼飛です。よろしくお願いします」
そう言って丁寧に腰を折った彼は、随分とあか抜けて、たくましくなっていた。けれど見間違えるはずはなかった。五年前に手酷く拒否し、そのくせ五年も引きずった片恋の相手がそこにいた。
新入社員が去った後、僕は仕事が手につかなかった。なんで、どうして。そんな思いだけが頭の中をぐるぐると巡っていた。
退勤時間になり、緩慢な手つきでタイムカードを押し、会社を出る。
そこに当たり前のように隼飛が待っていた。
彼は僕と目が合うとつかつかと歩み寄ってきて、何も言わずに僕の右腕を取った。そしてそのまま会社の裏へと回る。
誰もいない、薄暗いビルの隙間に滑りこんでから、彼はようやく手を離し、こちらを向いた。
「お久しぶりです、永さん」
懐かしい呼称だ。耳に心地よい声に名前を呼ばれる。たったそれだけのことなのに胸が一杯になってしまって、僕は思わず俯いた。
「どうです? 今の俺なら、付き合ってくれますか?」
冗談めかした口調で訊ねてくるのは相変わらずだ。あの頃と、同じ。
そう思うともう駄目だった。
「ほんとに、来ちゃったの」
「はい。だって、約束しましたから。絶対出直しますって。それとも嫌でした? だったら」
「嫌じゃない、けど」
「けど?」
「……隼飛君は、普通に結婚して、子どもが出来て、そういう幸せが似合うって思ってたから……僕なんかで、いいのかなって……」
「……永さん、」
ふわり、と肩に手を回され、そのまま抱き寄せられる。はじめて収まった彼の腕の中は温かかった。トクトクと響く心音に、彼も緊張しているのだと気づく。
「泣かないでください。ようやく会えた好きな人に泣かれたら、俺、どうしたらいいのか分からなくなります」
ぐ、っと。抱き締める腕に力がこもる。痛いくらいの抱擁。でもその熱が嬉しかった。どうしようもなく。
馬鹿、と、こんな時にまで口をついて出る悪態に我ながら辟易する。ああ、もう。
「いいの。こんな、口の悪い、七歳年上の年増で」
「どうとでも言ってください。俺は永さん以外を選ぶつもりはありませんから」
当然のように言われ、そこで想いの堰が決壊した。
「っ、すき」
ひどく単純な二文字。けれどずっと告げられなかった言葉。今、ようやく素直に言える。
「すき、すき、はやとくん、すき、だいすき……っ」
子供じみた好意の発露は口づけで堰き止められた。薄汚れた夕暮れの路地裏で、二人。ファーストキスにはあまりにも似つかわしくないシチュエーションで、僕らは何度も唇を重ねた。互いの体温を確かめるように。
何度目��のキスの後、ほんの少しだけ顔を離して、隼飛が呼気で笑った。
「意外と泣き虫なんですね、永さん」
「うるさい、ばか」
息をするように吐かれた罵倒に、けれど隼飛は至極嬉しそうに頬を緩めて、もう一度だけ唇を寄せてきた。
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pinkblazenut-blog · 7 years
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直桜とショハン
全国展開されている居酒屋チェーン店の自動ドアをくぐると、むっとした空気が桜葉丈偉(さくらばたけひで)の前面を押した。酒精と活気と怠惰が混ざり合った、飲み屋の匂いだ。
即座に近づいてきた店員に「連れが先に来ているので」と断り、がやがやと賑やかしい店内をぐるりと見回す。桜葉、と名前を呼ばれたのはその時だ。
「おおい、こっちこっち」
声のした方を向くと、カウンター席で一人の男がにこやかに手を振っていた。
一見して人好きのする善良さを秘めた、整った顔立ちの男だ。どちらかといえば顔のつくりは童顔で、けれど表情には大人の男の艶っぽさと茶目っ気がある。どことなくアンバランスで、だからこそ見ずにはいられない、そんな美男だ。濃いグレーのスーツも良く似合っている。往来を歩いていれば衆目の視線を集めることはほぼ確実だろう。
そんな美麗な男が安っぽい居酒屋のカウンター席で、枝豆を摘まみながら陽気に手を振っているのである。目立たないわけがない。はぁ、と嘆息し、丈偉は彼の方へと足を向けた。
「シゲ、そんなに呼ばなくても聞こえる」
「ごめんごめん。それにしても遅かったね」
「商談が伸びてな」
「あっはは、さすがは若手営業の花。俺と違って忙しいね」
けらけらと笑う彼、繁南伊織(しげみなみいおり)の声色には一切の湿っぽさがなかった。彼の自虐的な物言いはもはや持ちネタの部類だ。彼は積極的に自分を腐し、笑い飛ばす。そうせずにはいられない過去を、咎を、彼は背負っている。それを知っているから、丈偉は「まあな」とだけ答えて繁南の隣の椅子を引いた。
「はい、メニュー」
手渡されたお品書きを受けとり、開いて睨む。飲み物はお定まりのウーロンハイでいいとして、問題はおつまみだ。今日はここで夕食も兼ねるつもりでいるから、ある程度腹を満たせるものである必要がある。だが、肉と卵は駄目だ。そして居酒屋のメニューにはとかくこの二つを使った品物が多い。
迷いに迷った挙句、丈偉は『スタミナ豆腐』という名称の納豆キムチ乗せ冷奴、たこわさ、ごぼうスティック、ウーロンハイを注文した。かしこまりました、と一礼した店員が下がってから、繁南が苦笑する。
「相変わらずストイックだね桜葉は。体重制限のあるアスリートじゃあるまいし。これ以上引き締めてどうすんの、この体」
「こら、触るな」
Yシャツ越しに腹筋に触れてきた手の甲を、ハエを叩き落とすように軽くはたく。ころころと笑いながら手を戻す繁南は一歳年上だとは思えない無邪気さだ。だからこそ、丈偉も同期として気兼ねなく付き合えるのだが。
ほどなくしてウーロンハイが運ばれてきた。ひやりと冷えたグラスを受け取る。
「はい、それじゃあ今日も一日お疲れ様」
「ああ、お疲れ様」
なみなみと注がれたウーロンハイと、半分ほど中身が減ったハイボールのグラスを打ち鳴らす。
一口だけ口に含んだ丈偉とは違い、繁南は残りを一気に飲み干すと、通りがかった店員に焼酎を注文した。無論ストレートだ。彼の酒豪ぶりは知る人ぞ知るすさまじさである。ウォッカをジョッキで一気飲みしても平然としている男だ、焼酎などただの水に等しいに違いない。
「海外行くんだって?」
一体どこからその話を。だし巻き卵を箸で二分割しながら、あくまでも世間話の延長線上のノリで訊ねてきた繁南に、丈偉はまだ内々にしか知らされていないはずの人事を既に知っている他部署の同期の情報の速さに舌を巻いた。
驚いている同期の顔が面白いのだろう、くすくすと肩を揺らす繁南は
「この前の日曜日にゴルフ行ったんだ。人事部長とね」
と、あっさりとネタばらしをして、大きな口を開けてだし巻き卵を口に放り込んだ。
繁南伊織は営業に行かない営業職だ。いや、『行かない』のではなく『行けない』が正しいだろう。彼は重要なビジネスシーンで必ず腹を下してしまう体質なのだ。
そうなるきっかけになった出来事は知っている。入社して三年目の繁南に、期待も込めて任されたプロジェクト。その発表会の日に、彼は感染性胃腸炎に罹患し、発表会を欠席したのだ。プレゼンターを欠いた発表会は結果として失敗に終わり、社は多大な損害を被った。
その後からだ、繁南の体が重大な商談の席や大規模な会議に拒否反応を示すようになったのは。
一種のトラウマなんだろうね、と繁南は笑う。けれど笑って語れるようになるまでの相当な煩悶と葛藤を、丈偉はこの目で見てきた。重大な失敗を犯し、有能な才を発揮する機会を奪われ、部内の笑いものになり、寮でも避けられ、心身ともに追いつめられていた頃の彼を今でも覚えている。あの頃の彼は、いつ変な気を起こすか見ていてハラハラするほどの極限状態にいた。
けれど繁南は逃げなかった。あらゆることから。
閑職に回されたのならばできた時間で自分を磨こうと経済と英語の勉強に改めて取り組み、自らを遠巻きにした人々のほうへ自分から声をかけ、粘り強く働きかけ、いつの間にか同期で一番幅広い対人ネットワークを構築した。生来の聡明さと見目の良さに加えて、膨大な知識と広大な交友関係を持つ彼は、営業に行かない営業職でありながら、部内で確固たる地位を築くまでに至ったのだ。
繁南に聞けば九割の問題は解決する。そうも豪語されるこの男が知らないことなどあるのだろうか。溜息をついて、丈偉は諦めたように「ああ」と肯定した。
「カンボジアだっけ? また大変そうなところに行くね、桜葉も」
「シゲは入社一年目からガーナだったんだろう。似たようなものだ」
「そう? 面白かったよ、アフリカ。暑かったけど」
店員が持ってきた焼酎を早速煽り、繁南はにっと笑う。半月になった目に丈偉はとっさに危険を察知して軽く身を引いた。彼がこの表情をするときは大概が他人をおちょくる時だ。
「直見くんには言ったの、この話」
そう来たか。反射で顔が渋くなったのが自分でも分かる。三か月前に丈偉が寮を出た理由が「寮に居られる最後の年だからいい物件が残っているうちに出た」という表向きの物以外にもあることを、繁南は知っていた。
「……言ってない、まだ」
「まだ、ね」
悪戯っ子の顔でニヤニヤしている繁南から視線を逸らし、ウーロンハイをちびちびと舐めるように飲む。アルコールで体は程よく温まっている。けれど頭は冷静だった。
「言うなら早い方が良いよ。長引かせた方が絶対に言いにくくなる」
「分かってる」
そもそもうちの営業職は、入社してから十年の間に一度は海外赴任を経験するのが当たり前だ。入社六年目でまだ海外に行っていない丈偉にいつそういった辞令が来てもおかしくはないことくらい、直見だって分かっている。行かないでほしいと我儘を言うような奴でもない。
それでも言いにくいのだ。紆余曲折を経て、ようやく隣にいられるようになった彼に、たった一年とはいえ離ればなれになることを告げるのは勇気がいる。
そんな丈偉の心境を読んだかのように、遠くに視線を投げた繁南が優しい声で言う。
「大丈夫。直見くんは強い子だよ。なんたって桜葉の彼氏だからね」
「そんなこと、」
「知ってるって? だったら信じてあげなよ。キミがいる部署への異動願を通すために最初の配属部署で新人ながら一年半も成績トップを維持して、社内試験の成績も一番で、しかも並行して勉強してたTOEICでも800点以上を叩きだしたんだ。全部君のためにね。けっこう一途だよ、あの子」
一体どこまで知ってるんだ、と喉元まで出かかった疑問を飲み込み、代わりに長く息をつく。
「……別に、あいつの気持ちを疑ってるわけじゃない。問題なのは俺だ」
「へぇ?」
繁南の声色がほんの少しばかり真面目になる。頬杖をつき、まっすぐにこちらを見つめてくる気の置けない同期の促すような視線に負け、丈偉はもう一度溜息をついた。
「今更、あいつがいない生活に戻ったらどうなるんだろうって考えると」
怖い、と素直な気持ちを吐露する。声が震えかけたのはなんとか堪えた。
直見と付き合う前の自分なら、きっとなんの憂いもなくカンボジアに飛んでいただろう。けれど今の自分は知っているのだ。虚飾を全てかなぐり捨てて、素のままの自分でもたれられる場所があることがどれほど心地よく、満たされるか。どれほど安らぐか。
頼る場所を知ってしまった今、昔のように一人で強くいられるのか、それが怖い。
「大丈夫。暗い顔しないの。キミは自分で思ってるよりずっと強いよ」
ガシガシと頭を撫でられ、嫌がる元気もなくされるがままになる。あいつとは撫で方が違うなと、こんな時にまで直見のことを思い出してしまう自分に気がつき、ぎゅっと唇を噛む。
「それにさ、どんなに遠くに行ったって帰る場所があるんだって考えたら元気が出るじゃない。一度離れても、また戻ってくればいい。永遠の別れじゃないんだ。一年間で今より素敵な人になって驚かせてあげなよ、直見くんのこと」
「帰る、場所」
丈偉は瞬きをした。その考え方は無かった。
丈偉は思いを巡らせて考えてみた。残業で遅くなって、マンションのドアの鍵を開けて、玄関に入ったとき。キッチンからひょこりと顔を出して「おかえりなさい、先輩」と笑う直見の顔。あの、嬉しそうな笑顔。
あれが、自分の帰るべき場所。
かろん、とウーロンハイのグラスの中で溶けた氷がなる。
「……一年も待たせるなら、よっぽどいい男になって帰ってこないと怒られそうだな」
「ははっ、今よりいい男になるなんて、桜葉は末恐ろしい子だねぇ」
「うるさい、ばか」
茶化す繁南の脇腹を軽く小突く。お互い笑顔だ。
氷が解けて薄まったウーロンハイの残りを一気に喉に流し込み、グラスを置く。
「トイレ」
「はいはい、いってらっしゃい」
手を振る繁南に見送られ、丈偉は店の奥へと向かった。
                  掘りごたつ式の個室、座卓の向かいに座り、ビールジョッキを手に赤い顔をしている同期を、直見英佐(なおみえいすけ)は冷めた目で見ていた。
「どうして繁南さんは正当に評価されないんだ……」
「もう五巡目くらいなんだけど、その話」
鶏のから揚げにかぶりつき、塩だれキャベツを咀嚼し、明太じゃがグラタンを吹き冷まして口に運びつつ、合間合間にアルコールを摂取して、かれこれ二時間は経過している。その間、ほぼずっとしゃべり通していた目の前の彼、祥雲昌一朗(さくもしょういちろう)の話はどうやら先程の一言に集約されるらしい。
そういうことは職場の上司に言うべきじゃないのか、とは思う。だが、そうできないからここで毒を吐いていることも分かっているから、結局こうして二時間も愚痴に付き合う羽目になっていたりする。難儀な性格だなぁ、俺も。
祥雲がいう『先輩』が誰のことかは分かる。繁南伊織。『営業に行かずにトップの成績を叩き出す営業職』として部署を越えて名を知られている人物だ。ただ、祥雲が言うとおり、彼の発案や努力はほとんど全て他の人間に不当に奪われているようだけれど。
「今回のプロジェクトだって、円滑に進むように各方面に電話をかけて根回しをしたのも、夜中まで資料を作成したのも、他部署に頼み込んで会議室を開けてもらったのも、全部繁南さんなんだ。なのに発表会のプレゼンターが小西さんだったからって、すべて小西さんの功績みたいになってる。おかしいだろう、そんなの!」
バン、と机上を叩く祥雲の目は潤み、据わっている。元々そんなに酒に強くない癖に、怒りに任せてビールをジョッキ三杯も煽るからだ。おつまみのみそ豚モツ焼きも、もやしのナムルもほとんど手がつけられていない。アルコールだけを直接胃に流し込んでいれば酔いが回るのも早かろう。深酔いしたらすぐ戻してしまう癖に、祥雲はいつまで経っても飲むのが上手くならない。
「分かった分かった。はい、とりあえずこれ食べて」
「むぐっ」
止まらない口をひとまず塞ぐべく、手にしていたねぎまの串を祥雲の口に突っ込む。祥雲は素直に串を受け取って咀嚼し始めた。途端に個室内が静かになる。
「せっかく頼んだんだから目の前の物もちゃんと食べろよ」
「ん、ああ」
勧められるがままに箸を掴んでナムルを口に運ぶ祥雲はやはり相当酔っているらしい。普段なら「そんなこと言われなくても分かってる!」と悪態の一つでも飛んでくる場面なのに、こうも素直に了承されるとこちらとしても居心地が悪い。
「どうしてそこまで『正しさ』にこだわるかね、祥雲は」
祥雲には聞こえないようにぼやき、梅酒を一口嚥下する。
不正や不当は社会において避けようもない事象だ。持つ力が強大になればなるほど、人も会社も清濁併せ持っていくのが普通だし、そうでなければやっていけない。けれど祥雲昌一朗は必要悪ですら看過できないのだ。そういうものだから仕方ない、と割り切れないのだ。さぞかし生きにくいだろう。ただでさえ、善良なものが食いつぶされ、したたかなものが生き残っていく現代社会ではなおのこと。
生き方を変えられれば楽だろうに、祥雲はあくまでも『正しさ』にこだわるのだ。
「まぁ、分からないでもないけど」
正当。正義。公平。そういった類のことに祥雲が殊更にこだわるのには理由がある。無論本人から聞いた話ではないから推測でしかないけれど、祥雲なんてそういない名字だ。調べずとも噂話は聞こえてきた。
今から十五年ほど前の話だ。とある国の駐在大使が国内の過激派組織に誘拐され、あげく殺された。しかもリアルタイムで配信されながらの殺害だ。当然社会問題になったし、政府の対応も問題視された。報道は過熱し、殺害された大使の家族にまで執拗な取材が繰り返された。
やがて人々は事件を忘れ、報道も沈静化した。今では国際政治の専門家くらいしか関心を持っていない出来事だ。
けれど家族にとってはそうではなかったのだろう。血を分けた人間が国に助けられることもなく無残に殺され、傷口を抉られるように執拗に質問を繰り返され、時には恫喝まがいの詰問を受け、それを警察や司法が守ってくれなかったとしたら。想像するだに痛ましい。ましてやそれが十かそこらの子どもなら尚更だ。きっと何も信じられなくなる。国も、報道も、司法も、警察も。世間一般から見て正当、正義、公平と思われている権力全てを憎まずにはいられなくなる。
外務省大使誘拐殺害事件の被害者、祥雲凌志郎の息子。それが祥雲昌一朗の両肩に常に乗っている重しだ。
だから祥雲は正しさにこだわる。うちの会社を志望したのも『ビジネスで』世界を変えたいからだと言っていた。貧困、差別、戦争。それら全てを政治ではなく、報道でもなく、商売で変える。その信念があるからこそ、祥雲はこんなにも頑なで、強く、脆い。
二つの皿を空っぽにして、胃が満たされた祥雲は強烈な眠気に襲われ始めたらしい。がくがくと舟をこぎ始め、最終的には右頬を座卓にくっつけた状態でビールを煽り始めた。どうして、とかなんで、と繰り返す声は湿っている。これ以上呑ませると泣き上戸のスイッチが入るだろう。そうなった祥雲の面倒くささは異常だ。
「明日も早いんだろ? お冷もらってくるから、それ飲んだら帰れ」
さりげなく彼の手からジョッキを奪い取り、座卓に突っ伏している祥雲の形の良い後頭部に声をかけると「あー」とも「うー」ともつかない呻き声が返ってきた。
これは相当だ。長く息をつき、直見はセルフサービスのお冷を取りに行くべく胡坐を崩して立ちあがった。
      「あ、先輩」
聞き慣れた声に、ハンカチで手を拭いながらトイレから出てきた丈偉は顔を上げた。そしてそこにいた人物に目を丸くする。
「直見」
どうして、と問うと「癖の強い同期に連れて来られて」と苦笑が返ってきた。彼の手にはお冷がある。どうやら彼の連れは相当悪酔いしているらしい。
「俺、連れを寮まで送ってから帰ります。先輩は?」
「あー……こっちはまだ飲むと思う。日付が変わる前には帰るから」
「分かりました」
それじゃあ、と立ち去りかけた直見を丈偉は呼び止めた。振り返った直見の目は不思議そうだ。
息を吸って、吐いて。丈偉はにっと口角を上げた。
「帰ったら話がある」
だから寝ないで待っていろ、と。笑った丈偉の顔はいつもと変わらず自身に満ち溢れていて、直見が見惚れるほどに男前だった。
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pinkblazenut-blog · 7 years
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レイエマ①
一目見た瞬間に「欲しい」と思った。
最初は単なる思いつきだった。それまでずっと一人っ子で、自由気ままに生きてきて、不自由もなかった。ただ何となく兄弟がいたらと夢想する日はあって、特に弟がいたら楽しいだろうと思ったりもした。
その空想をうっかり夕食の席で口にしたところ、両親は「それなら弟を迎えに行こう」と軽々しく――もちろん彼らのことだから軽妙な口ぶりでも熟慮の末の発言だろうけれど――宣言し、本当に児童養護施設まで足を運んだ。しかも僕まで連れて。
僕が運命に出会ったのはその時だった。
群れて遊ぶ子供たちから離れた場所で、一人本を読んでいた少年。
ふと目を上げたその子と視線がかち合った瞬間、僕は「欲しい」と思った。
黒曜石を砕いて作ったカミソリのような、鋭さを秘めた美しさ。黒々とした瞳の奥に凝る冷たい闇。どこか無機質で、作り物めいてすらいる、造形の妙。すべてを欲した。
あの眼差しが僕だけに注がれるようになれば、それはなんて幸せなことだろうと、そう思った。
だから望んだ。
一人息子に甘い両親は僕の申し出をあっけなく了承してくれた。
そうして僕に『弟』ができた。
弟は理知的で、寡黙で、いつも固く張りつめた表情をしていて、深淵を覗きこんだ人間の目をしている、12歳の少年だった。
僕は彼に夢中になった。彼のことをもっと知りたい。まだ見たことのない彼をもっと見たい。新しいおもちゃを買い与えられた幼児のように、あるいは渇きを潤すように。僕は彼を求めた。
けれど彼は、こちらがどんなに好意を向けても、冷たい氷のままだった。表面すらも解けなかった。
欲しいのに手に入らない。すぐ目の前にあるのに、手を伸ばせは触れられるのに、一番欲しい部分を手中に収められない。そんなことは初めてだった。だからこそ恋い焦がれた。それこそ気が狂いそうなほど。
初めて弟を抱いたのは、彼が二十歳になった日の夜だった。
破瓜の痛みに、けれど彼はうめき声一つ上げなかった。血が滴るほど強く唇を噛んで、固く目をつむって、理不尽な凌辱に耐えていた。
泣けばいいと、泣いてほしいと思った。
僕のせいで泣いて、僕のせいで怒って、僕のせいで絶望して、そうやって僕だけしか目に入らなくなればいい。
なのに、そう思えば思うほど、弟は頑なになっていった。
子供じみた独占欲だった。愚かな支配欲だった。そんなこと自分が一番よく分かっていた。
でも、いまさら優しくしたところで彼が受け入れるはずがないとも分かっていたから、僕はできる限り手ひどく彼を抱いた。彼の内側に少しでも傷をつけたかった。
肉体だけの関係は、今も続いている。
ベッドの上の弟は従順だ。奉仕しろと言えばするし、拒むことはない。だが娼婦のように足を開いても、心までは開いていない。弟は誰に対してもそうだった。
そうだった、はずだった。
なのに、彼が心を開く人物が現れた。
とはいっても、蕾がわずかに綻ぶような、本当に些細な緩みだ。けれど僕には衝撃だった。彼が嘘ではない微笑みを向け、個人的な話をし、あげく背中の傷に触れることを許す人物が現れるなど、思ってもみないことだった。
嫉妬した。強烈に。
どうして、と思った。
僕を見ないくせに、どうしてそいつを見る。どうしてそいつに笑いかける。どうして、どうして、どうして。
感情��冬の嵐のように身の内で荒れ狂っていた。激情のままに彼を組み敷いた。一晩中、彼が泣き叫んで、泣き疲れて、気を失うまで。踏みにじるように抱いた。
蹂躙を終えて、僕の胸に残ったのは空しさだけだった。
ああ、どうあがいても僕はこの人間の心を手に入れられないのだと、本当はずっと前から分かっていたことを、ようやく認めるときが来たのだと思った。
恵眞。美しく賢く愚かな、僕の可愛い弟。愛おしくて憎らしい、僕の最愛の人。
気絶して死んだように眠る彼の、普段は下りていない前髪を指先でもてあそびながら、僕は落ち窪んだような堀の深い目元にそっと唇を寄せた。
「ん……」
健やかな筋肉に覆われた肢体がかすかに蠢き、僕はとっさに身を離した。
薄い瞼が緞帳を上げるようにそっと開く。
あの日から僕を魅了してやまない黒曜石の瞳が、少し潤んだように僕を見る。
「……、を……」
「え?」
「みず、を」
ください、と彼は言った。低く甘い声が寝ぼけて少し浮ついている。
彼から何かを望まれたのは、その時が初めてだった。
部屋に備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、キャップを開ける。中身をグラスに注ごうとして、ふと思いついて、僕は水を一口分だけ口に含んだ。
そのまま唇を寄せる。普段、何があっても唇へのキスだけは許さない弟は、抵抗もせずに唇を受け入れた。
少し温んだ水を口内に流し込み、顔を離す。
もっと、と舌足らずな声がねだる。せがまれるままに何度か口移しで水を与える。
何度目かの口吻が途切れた後、弟はほっとしたように息をついた。その瞼は重たげだ。疲れが残っているのだろう。
「もう少し寝ていなさい。仕事に間に合うようには起こしてあげるから」
精いっぱい優しい口調で囁き、先程とは違い、恐る恐る前髪に触れる。そのまま頭を撫でていると、沈むように静かに弟の瞼が閉ざされた。すぐに寝息が聞こえ始める。
規則的に上下する胸元を見つめながら、僕は己の口唇に触れた。まだそこに残っている気がする、彼の体温の残滓をたどるように。
指先が震えた。恐怖でも、歓喜でもなく、憂愁で。
「……恵眞」
鼓動が早い。全身が燃えるように熱い。なのに眼球の奥が痛い。
じわり、と視界がにじむ。
夜明け前の暗闇に満ちた部屋で、僕は密かに涙をこぼした。
              初めて抱かれた日のことを、今でもよく覚えている。
嵐のような一夜だった。痛みと恥辱で思考回路が混乱していた。せめてもの矜持で声は上げなかった。
「強情だな、君は。そんなところも可愛いけど」
唇から血をしたたらせる義弟に、彼はひどく嬉しそうに微笑んで嘯き、柔らかさのかけらもない男の体を夜明けまで、飽きることなく揺さぶった。
一度だけの気まぐれだろうと思った。だから耐えられると、耐えようと思っていた。
だというのに、彼はそれから何度も自分を組み敷いてはめちゃくちゃにした。
毎度飽きることなく愛を囁き、可愛いとほざき、心底愛おしげにキスの雨を降らせてきた。
そうしながら、彼はひどく屈辱に満ち溢れたことを自分に課した。
まるで愛玩動物のように愛でられながら、ひたすらに堪えた。
いつか終わる。いつかは解放される。そう願って、十年以上が経った。
そんなある日、彼は、ずいぶんと切羽詰まった顔で自分の前に現れた。
「君は、ひどいな」
「怜文さ、」
最後まで呼びかけることすら許されずにベッドに押し倒された。仰向けのまま馬乗りになられ、そのまま首を絞められた。
「っぐ、ぅ」
「恵眞。僕の可愛い弟。可愛くて愛おしい、僕の――」
酸欠で頭がくらくらした。視界が回る。
判然としない視野の中で、それでも彼が壊れたように笑っていることだけは分かった。
「どうして僕は、君を好きになってしまったんだろう」
泣いているようにしか見えない顔で、彼は笑っていた。
初めて見る顔だった。
四六時中微笑んでいるこの人にも、こんなに深い情念があるのかと気圧された。
得体のしれない義兄が、その時初めて生身の人間に見えた。
一晩中抱かれた。声が枯れるまで啼かされ、最後には糸が切れるように意識を失った。
目を覚ますと、まだ夜が明けたばかりだった。上半身を起こし、室内を見回す。彼は窓辺に立って外を眺めていた。
彼は衣擦れの音で振り返り、自分と目が合うと、いつものように微笑んだ。
「起きたかい。おはよう、恵眞」
常と変わらぬ微笑。けれど、彼の生身を知った今となっては、その微笑みも不気味ではなかった。ただひたすらに優しかった。
だから、思わず本音が漏れた。
「……あなたは、」
声がかすれた。ごくり、と唾を飲み込む。喉が渇いていた。
「あなたは、誰かを……殺したいほど、憎んだことはありますか」
純粋な殺意で胸が一杯になって、頭が真っ白になって、殺すことしか考えられなくなる。あの真っ黒い感情を、きっとこの人は知らない。
「そうだね、ないよ」
ほら、やっぱり。安堵とも落胆ともつかない溜め息が漏れる。
「でもね」
やわらかい声。けれどどこか愁いを帯びた響きに目線を上げる。
いつの間にか、目の前に彼が立っていた。思慮深いまなざしに見下ろされる。心の奥底の闇まで見透かすような瞳と目が合う。
ふわり、と。関節の目立つ長い指が輪郭に触れる。
「誰かを殺したいほど愛したことなら、あるよ」
優しい指先があごの骨をなぞるのに身をゆだねる。されるがままに肌をたどられる。
「きっと、叶わない思いだけれど」
薄く笑って、彼は私を抱きしめた。いつものように荒々しくはなく、静かに。毛布でくるむような抱擁だった。
「叶わない、んですか」
白々しく問う。その恋の相手が誰かも知りながら、それでも訊く。
兄は、ふ、と呼気だけで笑った。
「そうさ。初恋だからね。初恋は叶わないっていうだろう」
肩を包むように抱く腕に力がこもったような気がした。
彼は背中に触れない。自分が拒否したからだ。それが過去の傷だと分かっているから、この人は触れてこない。
その優しさが深い想いゆえだと知っている。だからこそ歯がゆい。
その相手が自分でさえなければ、きっと彼は報われただろうに。
自分を愛してしまったがゆえに、この人は終生報われることなどないのだ。
自分を愛してしまったがゆえに、この人はここまで狂ってしまったのだ。
「……そう、ですね」
眼前にある筋張った首筋に額を寄せる。肩口の肌のにおいを嗅ぎながら目を閉じる。
触れ合った箇所から体温が伝わってくる。あの日、手のひら越しに感じていたのと同じ、優しい温度。
「あなたは、愚かな人だ。“兄さん”」
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pinkblazenut-blog · 7 years
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うちの子雑記帳(随時更新)
※超絶ネタバレ注意です!
                     ……大丈夫ですか? ではどうぞ!
【花鶏匡俊】
  家族構成
  祖父 花鶏博美(あとりひろみ)  98
父  花鶏正親(あとりまさちか) 68
母  花鶏展絵(あとりのぶえ)  65
兄  花鶏聖児(あとりせいじ)  39 ※享年12
  慶應義塾大学
  現在両親とは絶縁中。就職する際に大喧嘩してそのまま。
ただ、高齢の祖父のことは少々気にしている。
生まれてこのかたTVゲーム&携帯ゲームをやったことがない。
バレンタイン生まれなので当日はチョコと誕生日プレゼントで大変なことになる。
慶応には幼稚舎から通っている。生粋の慶応っ子。
小学受験には失敗した兄の教訓を生かし(?)物心ついた頃からスパルタ式で鍛えられた。
ちなみに兄が受かっていたのは灘中。公立小学校からだからかなりすごい。
酔うとキス魔になる。だから人前ではあまり飲まない。
  【有栖川飛鷹】
  家族構成
  父 有栖川敦司(ありすがわあつし) 50
母 有栖川夕子(ありすがわゆうこ) 54
弟 有栖川隼飛(ありすがわはやと) 20
妹 有栖川飛鳥(ありすがわあすか) 20
    実家は東京都墨田区。こう見えて下町っ子。
今まで旅行で行ったことのある国はインド、エジプト、オーストラリア、カナダ、グリーンランド(デンマーク領)、シンガポール、台湾、タンザニア、ペルー。
ヨーロッパは仕事で行くから旅行先からは除外。
小学生時代にカリオ○トロの城を見て握りこぶしから万国旗を出す手品をめっちゃ練習した。
あの顔で両親は「親父」「お袋」呼び。父親とは常に喧嘩腰だけど仲は悪くない。
納豆が大嫌い。あの臭いがダメ。食べる人の気が知れない。
他にはチーズも臭いがきついやつはちょっと苦手。
      【桜葉丈偉】
  家族構成
祖父 桜葉丈治(さくらばたけはる) 92 ※婿養子
祖母 桜葉久里子(さくらばくりこ) 85
父  桜葉景嗣(さくらばかげつぐ) 62
母  桜葉安子(さくらばやすこ)  57
兄  桜葉隆久(さくらばたかひさ) 32
義姉 桜葉舞子(さくらばまい��)  30
甥  桜葉有嘉(さくらばありよし)  0
姪  桜葉真綾(さくらばまあや)  -3
甥  桜葉明生(さくらばあきお) -7
妹  桜葉麗(さくらばうらら)   27
      実は片頭痛持ち。スーツの裏ポケットにはいざというときのロキソニンと下痢止めが常に入ってる。
おとめ座なことをちょっとだけ気にしている。
剣道は現在四段。そろそろ五段の試験を受けたいと思っている。
得意料理はサバの味噌煮。きちんと真サバで作るし針生姜もつけるよ!
運転免許は持ってるけど滅多なことでは運転しない。運転中は眉間の皺が二割増し。
焼肉で一番好きな肉の部位はハラミ。こんなところでも庶民的。
実は蜂が大の苦手。小さい頃外で遊んでいて刺されてバンバンに腫れて以来、あの羽音からしてもう無理。「あの時の丈偉は一晩中泣いて大変だった」by隆久
今度エイサとちょっと遠い温泉に行きたい。有馬とか下呂とか。
          桜葉家には本家に子供が生まれるたびに桜の苗木を植える風習があって、それで家の周り一帯が桜の群生地になっていて、春には薄紅色の霞に包まれる日本家屋、みたいな幻想的な光景が広がっていると良いよね、という妄想。もちろん丈偉の桜もあるよ!※1
        【直見英佐】
  家族構成
  祖父 直見英幸(なおみひでゆき)81
祖母 直見佐保子(なおみさほこ)75
母  直見絵梨(なおみえり)  55 実はおみむーと同じ職場(違う部署の管理職)
叔父 直見橘平(なおみきっぺい)37
    エイサの名前は祖父と祖母の名前の頭文字をとっている。
のと、『英』には「光り輝く花」という意味があって、絵梨さんが「光り輝く花のように魅力ある人になるように、それでいて他人の補佐もできるような、思いやりにあふれた人になるように」という願いを込めて付けた名前だったりする。
おばあちゃんには「英ちゃん」と呼ばれている。
高所恐怖症。小さい頃遊園地で乗っていた観覧車が最上部で停止して閉じ込められた経験がある。
ちなみにその時は橘平おじさんと一緒に乗ってたけど、我慢できずに漏らしたのを処理してもらってたりする。おじさんには今でもからかいのネタにされる。
イメージ画像を見る限り彼は地毛がちょっと癖毛なのかもしれない。それをストパーで真っ直ぐにしてる感じ。
焼肉で一番好きな肉の部位はタン。
今度ジョーイと島に行きたい。淡路島とか沖縄とか。
      【麻績村朔人】
  家族構成
  父 麻績村静雄(おみむらしずお) 57 高校の国語科教師
母 麻績村淑乃(おみむらよしの) 54
弟 麻績村日向(おみむらひゅうが)29 精神科医
  カントリーマアムが大好き。
お酒の辛い味か嫌い。カシスオレンジとか甘い系しか飲めない。
体が固い。前屈がまるで出来ない。
面白がったみなちに後ろから押されて「痛い痛い痛い」ってやってる。
三年前、血統書つきだが生まれつき片目が見えないため買い手がついていなかったジョセフに店先で出会い、その場で購入を決意した。
手がごつごつとしていて色っぽい。
私服もかっちり目。パーカーとか着たことない。ノーネクタイでもジャケットは羽織る。最大限ラフな格好でロングカーディガン&シャツ&ジーンズ。
ブラックミント系のガムを噛むと必ずくしゃみが出る。鼻の粘膜が弱い。風邪は必ず鼻風邪。
        【薬袋千秋】
  家族構成
  父 薬袋慎一(みないしんいち)53
母 薬袋知世(みないともよ) 55
妹 薬袋小春(みないこはる) 15
  リラックマが大好き。
スプラッタもホラーも虫も平気。強心臓の持ち主。
G退治ならまかせて!(丸めた新聞紙を装備しながら)
妹ちゃんとは仲がいい。一緒に買いものとか普通に行く。渋谷とか原宿とか。
「ちぃくんはアイス食べ歩きたいだけでしょ?」by小春
妹が高校生になったら変な男に引っかからないか心配。
笑いのツボがおかしい。そしてずっと笑ってる。
めっちゃお酒強い。水のようにウォッカを飲む。
ベッドは人を駄目にするソファ。リラックマぬいぐるみに囲まれて、タオルケットにくるまって寝る。まるで何かの生き物の巣。よく��ョセフと一緒に寝てる。最近はおみむーにもらった抱き枕を常用している。
名前の由来は、二度の流産を経てようやく授かった、一日千秋の思いで待ちわびた我が子だから。別に秋生まれだからとかじゃない。
          【麻績村日向】
  家族構成
  父 麻績村静雄(おみむらしずお) 57 高校の国語科教師
母 麻績村淑乃(おみむらよしの) 54
弟 麻績村朔人(おみむらさくひと)29 百貨店のバイヤー
  野菜の好き嫌いが激しい(ピーマン、トマト、椎茸、なすび……etc.)
白衣のポケットには必ず飴玉が数個入っている。よく夜勤の看護師さんに配ってる。
カナヅチ。どうしてか本人は覚えてない。実は5才くらいの時に海で溺れかけて大嫌いな兄に助けられたことを含めて、溺れかけたショックで全て吹っ飛んでる。ただ深層意識に水への恐怖だけが刻み込まれて、それでカナヅチになった。
料理は下手。ダークマター製造機。
カフェイン中毒。水の代わりにコーヒー飲んでる。
          【森井戸侑】
  家族構成
  父 森井戸文穂(もりいどふみお) 60
母 森井戸愛子(もりいどあいこ) 53
  毎日その日の分の食材しか買わない。なので冷蔵庫には瓶の炭酸水と調味料しか入っていない。
低血圧。寝起きはものすごく機嫌が悪い。
イライラすると爪を噛む癖がある。
絶対音感の持ち主。だから音程のあっていない歌とか聞かされると頭が痛い。なのでカラオケが大嫌い。誘われても絶対行かない。
こう見えて職場の人との仲は悪くない。職場での愛称は「ミステリアスプリンス」。
蜘蛛が大の苦手。視界に入ってきたら飛び退く。「ひゅ、日向さん、くも、蜘蛛が」「はいはい、分かったからしがみつくのはやめてね。捕まえられないから」みたいな。タランチュラとか見たら(たとえ写真でも)卒倒する。
ハリーポッターのDVDを日向と一緒に観た時にはアラゴグで絶叫した。
「侑くんのあんな声初めて聞いた」by日向
滅多に笑わないけど笑った顔はものすごく可愛い。
先日定年退職を迎えた父親と、父親を支えてきた母親をねぎらうために海外旅行をプレゼントした。基本的には良い子。
        【有栖川隼飛】
  家族構成
  父 有栖川敦司(ありすがわあつし) 50
母 有栖川夕子(ありすがわゆうこ) 54
兄 有栖川飛鷹(ありすがわひだか) 26
妹 有栖川飛鳥(ありすがわあすか) 20
  中学高校とサッカー部に所属していた。大学ではフットサルサークルと軽音サークルに所属している。担当はドラム。
大量ガス体質なのでサツマイモは食べない。食べたら翌日に腹が張ってガスが止まらなくなる。
お化けが大嫌い。でも妹が大好きだから夏場の心霊番組視聴は無理矢理同席させられる。
「だからやだって言ってるだろ飛鳥!」「そうやって嫌がる隼飛がいけないんだよ、もっといじめたくなるから」「ドSか!!!」とかやってる。勝てない。
就職してからも実家住み。あと一、二年してお金が貯まったら同棲を切りだそうと考えている。それまでは節約&我慢。
寝相が悪い。ベッドの上で寝ていたはずなのに二回に一回は目覚めると床に落ちてる。
        【舞鶴永】
  家族構成
  父  舞鶴光矢(まいづるみつや)60
母  舞鶴敬子(まいづるけいこ)56
長兄 舞鶴明(まいづるあける) 32
次兄 舞鶴拓(まいづるひらく) 30
三兄 舞鶴聖(まいづるきよい) 29
長弟 舞鶴巧(まいづるたくみ) 25
次弟 舞鶴希(まいづるのぞむ) 23
妹  舞鶴香(まいづるかおり) 18
  家族構成を見てもらえばわかる通り六男一女の七人兄弟。大家族。
なのでおっとりしているように見えてわりと押しは強い。じゃないとやっていけないので。
大家族ゆえあまりお菓子だとかを食べられずに育ってきたため、ケーキとかチョコレートとかを貰うとすごく喜ぶ。可愛い。
歯医者さんが大嫌い。あの音とか特徴的な臭いとか全部だめ。親知らずを抜きに行ったときには本気で泣いた。
侑とは従兄弟同士。(母親が姉妹)
秋田出身。油断すると相槌が「んだ」になる。色白な秋田美人。でも出すモノは立派()
乗り物酔いが激しい。バス、船、飛行機。全部だめ。酔い止め飲んでも途中で吐く。車での長距離移動も好きじゃない。
なので就職して上京してくるときは新幹線の中で吐いて大変だったし、修学旅行は憂鬱の塊だった。
それでも海外への出張命令が出たら行く。真面目。
      【胡桃沢恵眞】
  家族構成
  実父 胡桃沢岳(くるみさわがく)    70
実母 胡桃沢百恵(くるみさわももえ)  66
姉  胡桃沢めぐ実(くるみさわめぐみ) 46 享年35
養父 戸枝作之助(とえださくのすけ)  71
養母 戸枝絹代(とえだきぬよ)     69
義兄 戸枝怜文(とえだあきふみ)    38
甥  伊武和希(いぶかずき)      18
  家族構成から察せられるように生い立ちがものすごく複雑。
不仲な両親のもとに生まれ、年の離れた姉に守られながら育つ。
しかしそんな姉も6歳の時に失踪し、以後は怒号が絶えない家庭環境で息を殺すように生き延び、10歳の時に母親を刺し殺そうとした父親を止めようとして背中を切り裂かれる。
その後病院に搬送され一命は取り留めたが、背中には今も大きな傷跡が残っている。
事件をきっかけに両親は離婚。父親は刑務所に行き、母親の行方は知れない。
児童養護施設に引き取られた後、12歳の時に戸枝家の里子になる。
戸枝家が恵眞を里子にしたのは一人息子の怜文が「弟が欲しい」と言い出したから。
義兄とはつかず離れずの関係。考え方が根本的に合わない。エマが唯一といっていいくらい珍しく苦手に思っている人物。
就職してすぐに姉が亡くなったことと、彼女がシングルマザーで息子を遺して逝ったことを知り、甥を引き取る決意をする。以来11年間、甥っ子を男手ひとつで育ててきた。
甥っ子には「俺も今年で高校卒業して一人暮らしするし、大学には奨学金で行くから、恵眞さんはそろそろ自分が幸せになったほうが良いですよ」と言われている。でも本人は人並みに幸せになるつもりがない。
つたないなりに自分を守ろうとしてくれていた姉のことを尊敬し、敬愛している。だからこそ彼女の訃報を知った際、彼女が実父に性的虐待を受けていたこと、その果てに妊娠・中絶したこと、そのために自分の前からいなくなったことを知り、実父に言いようのない殺意を覚えた。※2
と同時に、そんな男の血が流れている自分は誰かと幸せになってはいけない人種だろうと思い、それからは誰とも付き合わず、行きずりの相手とのセックスしかしていない。
「いつか姉さんを見つけて恩返しをしよう」という向上心で生きてきたし、和希を引き取ってからは「この子を立派に育てよう」という責任感で生きてきた。どちらにせよ自分に厳しい生き方。
自分にも冷酷な部分があることを自覚している。
      ※1 桜の話
直桜が結婚して数年経った後、麗ちゃんが里帰り出産することになって(結婚は直桜の一年前くらいにしてた)ジョーイに電話がかかってきて「丈兄ちゃん、たまには帰ってきたら?」「いや、だって……」「お父さんがぎっくり腰やっちゃってね。舞子さんのところにも三人目が生まれるでしょ?隆兄ちゃんは有嘉(ありよし)くんと真綾(まあや)ちゃんの相手で忙しいし、人手が足りなくってお母さんがてんてこ舞いなの。だから帰って来てよ。二人分の人手、あてにしてるからさ」※有嘉くんと真綾ちゃん…隆久の長男長女。つまりジョーイの甥っ子姪っ子。「二人分?」「え、丈兄ちゃん一人で帰ってくるつもり?」「いや……いいのかなって」※ジョーイは結婚してから一度も実家に帰っていません。「何言ってるの? お母さんが言ってたんだよ。丈偉に英佐さんと帰ってきて模様替え手伝いなさいって言いなさいって」コロコロと電話口で笑う妹に、肩の力が抜けるジョーイ。「……そっか。帰って来なさいって、母さんが言ってたのか」「うん。……だから帰ってきて。みんな待ってるよ」「ああ、分かった」
  そんなこんなで帰ることになって、どうにかこうにか都合をつけて土日含めて三連休くらいもらって、直見の運転で茨城まで行くんだけど、緊張しまくった直見は道を間違えるし田んぼに落ちそうになるし散々。「どうした、お前」「いや、緊張して」「らしくないな。昨日はあんなに堂々とプレゼンしてたくせに」「親御さんに会うんですよ? プレゼンより断然こっちのほうが緊張しますって!」「そんなもんかね」「丈偉さんは緊張しないでしょうよ、うちの絵梨さんはあんなだから」「あんな、ってお前な」※絵梨さん…直見のお母さん。
  ようやくたどりついた立派な日本家屋は、ちょうど桜の時期でもあり、辺り一面に植えられた桜の木で覆われていて、まるで薄紅の霞に浮んでいるよう。思わず見惚れる直見を微笑ましげにジョーイが見守っていると、玄関が慌ただしく開く。「ああ、車の音がしたからもしかしてと思ったらやっぱり!」出てきたのは割烹着を着た初老の女性。母さん、と呼ぶジョーイ。固まる直見。ジョーイに呼ばれた母さんこと安子(やすこ)さんは二人を見るなり「丈偉、あなた手先が器用だったわよね?じゃあ後でベビーベッドを組み立てるのを手伝ってちょうだい。最近老眼がひどくって小さいネジとかがよく見えなくって困るわ。英佐くんは……そうね、背が高いみたいだからお台所の整理を手伝ってもらおうかしら。景嗣(かげつぐ)さんったら一番上の棚に重いものをしまうんだもの。あれじゃあぎっくり腰になるわよね」と矢継ぎ早に話す。上品な見た目の御婦人のマシンガントークに圧倒される直見、ああ懐かしいなぁこの感じ、と思うジョーイ。その場から動かない二人に安子さんは付け加える。「あら、ごめんなさい。言い忘れてたわね、お帰りなさい」にこっと笑う安子さんに、二人は顔を見合わせた後、揃って言う。「「ただいま帰りました」」と。※作者はここまで考えて既に泣いてた。
  その後は言われたとおりに台所の鍋を整理したり年代物のベビーベッドを組み立てたりしてお昼になり、居間に全員集合。隆久さんや舞子さん、麗ちゃんに「どうも」と改めて挨拶する直見。※舞子さん…隆久さんの奥さん。現在三人目妊娠中。と、そこへぎっくり腰で寝込んでいたお父さんこと景嗣さんもやってくる。今日一緊張する直見。「お、お邪魔しています、桜葉さん」「あら、ここにいる人は全員桜葉さんよ」くすくすと笑う安子さん。そうだな、と同意する景嗣さん。やらかしたー!と内心滝汗な直見に景嗣さんは言う。「桜葉景嗣だ。呼ぶときは名前でいい。私も君を名前で呼ぼう。英佐くん、だったか。良い名前だな」一拍置いて、意味を理解して「あ、ありがとうございます、景嗣さん!」と頭を下げた直見、勢いが良すぎて座卓に頭突きしてひとしきり皆に笑われる。
  お昼ごはんが終わった後、甥っ子姪っ子と遊んでいる(というより遊ばれている?)ジョーイを遠巻きに微笑んで見守っていた直見に、麗ちゃんが声をかける。「英佐さん、もしよければちょっと外を歩きませんか?」断る理由はないので承諾して外に出る。一面の桜。「すごいですね、この桜」「でしょう? これは桜葉家の本家に子供が生まれるたびに植えられる桜なんです。丈にいちゃんの木もありますよ」ほらあれです、と麗ちゃんが指差したのはカーネーションにも似たの濃い紅色の花が重そうに枝を枝垂れさせている木。「福禄寿、って品種なんです。おじいちゃんが選んで植えたんですよ。丈偉桜(じょういざくら)です」「丈偉桜?」「ええ、ここの木は誕生を祝って植えられた木だから、その子の名前をとって呼ぶんです。隆にいちゃんなら隆久桜(りゅうきゅうざくら)、お父さんなら景嗣桜(けいしざくら)。女性の場合は桜を『おう』と読むので、私の木は麗桜(れいおう)、真綾ちゃんの木は真綾桜(しんりょうおう)です」「へぇ、なんというか、雅ですね」「桜葉家の名前の由来ですから。江戸時代から続くしきたりです」呼吸をするように出てきた『江戸時代から』の言葉の重みを噛み締めて黙る直見。そのまましばらく無言で桜の海を眺める。「自分と結婚しなかったら丈偉さんも父親になれてたのかな、とか考えてます?」「えっ」「ふふ、その反応は図星ですね」「……どうして分かったんですか?」「この世の終わりみたいな顔で桜を見てましたから。さっき丈にいちゃんを見てた時の顔とは大違い。そんな顔をする理由なんて、あんまりないでしょう? あとは想像です」「……まぁ、考えないわけにはいきませんよ。どう頑張っても俺が丈偉さんに残してあげられないものの一つはそれだから」「丈にいちゃんも同じこと言ってましたよ。店で迷子を見つけた時、手を繋いで親を一緒に探してあげている直見を見ると心臓が痛くなるって。自分の我儘に付き合わせて申し訳ないって」「そんなこと!」「ない、って思います? だったら丈にいちゃんも一緒です。英佐さんがさっきみたいなこと丈にいちゃんに言ったら平手で打たれますよ」「……それは勘弁してほしいな……」「だったら言っちゃだめですよ。大丈夫、あの人は英佐さんが思っているよりずっと強い覚悟であなたを愛するって決めてますから」ふふ、と笑う麗ちゃんの顔にジョーイの面影を見つけて、兄妹だなぁって思う直見。
  一方その頃の居間。「ねぇ丈偉くん、ひとつお願いがあるんだけど」「はい、なんでしょうか舞子さん」「この子の名前ね、丈偉君につけてもらおうと思って」「え?」「有嘉はお義父さんがつけたでしょ? で、真綾は隆久さんがつけて。桜葉本家の子は同じ本家の男性に名づけてもらうのがしきたりだから、次は丈偉君だねって隆久さんと話してたの」ちなみに男の子だよ、とニコニコ笑う舞子に戸惑いを隠しきれない丈偉。「なんなら英佐君と二人で考えてくれ。名付け親が二人なんて贅沢じゃないか」横から飛んできた隆久の言葉に込み上げてくるものがあって俯く。「丈おじさん、泣いてるの?」有嘉に首を傾げられる。「英佐さんと結婚してから泣き虫になったな、丈偉は」隆久の言葉に一同笑う。ジョーイも涙を拭いながら泣き笑い。
  そうこうしているうちに三日があっという間に過ぎて、帰る時間になる。帰り際、舞子さんを呼ぶジョーイ。「どうしたの?」「名前のことです」「ああ! 良い案、浮かんだ?」「良い案かは分かりませんが、考えはまとまりました。字は『明るく生きる』で、読みは『あきお』。明るい、という字には『明るく照らす』『夜明け』『光』という意味があるそうです。だから、他人を明るく照らせるように、一日の始まりである夜明けのように可能性に満ちているように、光に満ち、光を満たす人生を歩めるように。そんな願いをこめて、二人で考えました」「そう、二人で、ね。素敵な名前。良かったね、明生」お腹に語りかける舞子さん。「あ、蹴った! 明生もそうだねって言ってるみたい」「なら良かった」笑って、車に乗り込むジョーイ。一礼して続こうとする直見を呼び止める安子さん。「英佐さん」「はい?」振り向く直見。神妙な面持ちの安子さん。「また、帰って来てちょうだいね。待っているから」安子さんの隣で力強く頷く景嗣さん。目を見開いて、それから顔一杯に笑う直見。「はい!」皆に見送られて車を出してからしばらく経って、こそっと話しかけるジョーイ。「……運転代わるか?」「なんでですか」「前、見えないだろ。泣いてたら」「丈偉さん何年ペーパードライバーだと思ってるんですか……あー駄目だ、ティッシュ取ってください」「はいはい」そんな直桜、愛おしい。
      ※2 キラキラ
初めて見る世界はキラキラに満ち溢れていた。
顔が移るくらいピカピカに磨かれた石の廊下、広い空間。並べられている見たこともないほど綺麗な靴、触り心地のよさそうな服、眩しいくらいの輝きを放つ宝石。行き交う人々も上品で見惚れた。きらびやかな世界に圧倒された。
綺麗だった。だからこそ気圧された。
怯えて、縋るように握った手に力を込めると、優しい声が頭上から降ってきた。
「恵くんは百貨店にくるのは始めてだよね」
「うん。きらきらしてて、すごく綺麗」
お姉ちゃんは来たことあるの? と右斜め上を見上げると、優しいモカブラウンの瞳と目が合う。
「うん。小さい頃に一回だけ。お父さんたちとね」
「お父さんたちと?」
驚いて聞き返す。そんなの想像できなかった。お酒に酔っていつも怒っているお父さんと、甲高い声でわめいて泣いているお母さん。それが僕の知る二人だ。どう考えたってこんなに綺麗なところに連れてきてそうにはない。
「昔はね、あんなに仲が悪くなかったんだよ。ちょうど恵くんが生まれた頃くらいからかな、仲が悪くなったの」
「どうして?」
無邪気な疑問を重ねると、姉は曖昧に笑って答えてはくれなかった。答えられなかったのだろうと今なら思う。妻が妊娠している間、夫は中学一年生の娘を手籠めにしていて、出産後にそのことがばれて夫婦仲が破綻したのだなどと五歳児に言えるはずがない。自分のせいで家族が壊れたのだ、などと。
答えない姉に首をひねって、でも当時の自分はそれ以上問いを重ねなかった。それよりも目の前の魅力あふれる世界に意識が向いていた。
休日昼間の百貨店で、セーラー服姿の少女と古ぼけたセーター姿の幼児は浮いていただろう。しかも保護者らしき大人の姿は見当たらないのだ。ちらちらとこちらに向けられる視線が怖くなり、幼い自分は姉の背後に半ば隠れるように館内を巡った。
姉はその間、ずっと手を握り続けてくれていた。
今となっては顔すらもおぼろげだ。生き別れたのが六歳の頃で、結局その後一度も巡り会えずに遠��離れてしまったのだから、当然と言えば当然である。
だた、あの優しい手のぬくもりと、キラキラした世界のことだけは強烈に記憶に刻みこまれていた。
幼い自分は無知だった。
姉があの頃もまだ父親に辱められていたことも、その腹の中に命を宿していたことも、出奔を決意していたことも、何一つ知らなかった。ただ、家の中に吹き荒れる嵐から弟を守るために、いつものように遠出をしたのだとしか思っていなかった。
知らなかった。あらゆることを。
成長し、それらの醜い真実を知って、絶望した。
この体に、あの男と同じ血が流れているのだと知り、戦慄した。
そして人並みの幸せを諦めることに決めた。
恋だとか、愛だとか、そういったものを全て。
ただ一つだけ、あの人が遺したものだけは慈しむことにした。
幼かった自分たちのように悪意に潰されないよう、不必要な痛みに晒されないよう、出来うる限り守り、育ててきた。
そのおかげか、元来の性質か、彼は素直で実直な、健やかな少年に成長した。
あなたは幸せになるべきだ、と彼は言う。
今までずっと誰かのために生きてきたのだから、今度はあなたが幸せになる番だと。
善良な勧めを、けれど私は心の中で冷笑する。
こんな人間が、悪魔の子が、幸せになれるはずがないだろう。
そんなことは言えないから、言葉の代わりに、私は微笑む。
あの男に瓜二つの顔を歪めるように、笑う。
「気にするな、和希。今でも私は充分だ」
これ以上を望むなんて野暮は、しないさ。
      うちの子テーマソング
  アリあと
Wings of Words CHEMISTRY
ドライアイス ハルカトミユキ
直桜
シャングリラ チャットモンチー
麻薬(薬麻)
らへん 近藤晃央
おみもり
FINAL DISTANCE 宇多田ヒカル
不時着 椿屋四重奏
ギプス 椎名林檎
はやはる
正夢 スピッツ
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うちの子オナ事情
【花鶏匡俊】
淡白。生理現象の事務処理。動画とかは見ない。場所はお風呂場(終わった後そのまま洗うから)。控えめな吐息が浴室に反響するの良い。
  【有栖川飛鷹】
動画より写真派。場所はベッド(ところで飛鷹のベッドは絶対全部黒だと思う)勢力強そうだから一回で二、三回は抜いてそう。
  【桜葉丈偉】
やるの? 多分学校の保健体育で習った通りって感じ。はしたない行為だからなるべく早く終わらせたいのに、下手だから中々達せなくて三十分以上ぐちぐちしてたらいい。一回終わる頃にはぐったりしちゃうからあんまり好きじゃないと思う。
  【直見英佐】
動画派。なのでパソコンの前。椅子に座ったままやる。……だったんだけど最近はジョーイ一筋だから、仕事中にうっかりムラッときて職場のトイレでこっそり処理したことも一回くらいあると思う()
  【麻績村朔人】
場所はトイレ。今までのことを思い出してやる。彼は絶対性癖がちょっとずれてる。父とかあんまり興味なくて綺麗な髪とか足とかにムラムラしそう(偏見)。みなちの美脚に踏まれればいい。
  【薬袋千秋】
先っぽばっかりいじって気持ち良くなるの好きそう。あんまり扱かない。動画をあえて音だけ聞いて目を閉じて妄想にふけってそうで、想像力たくましい。映像見たら萎える、とか言いそう。男らしい(?)
  【麻績村日向】
絶対オナホール使ってる(偏見) でも忙しいから溜まってそう……家には寝に帰るだけだから、職場の仮眠室で夜勤中にT○NGAを使って密かに処理するんだろうか……えっちだ……
  【森井戸侑】
できるの?  汚いから直接触りたくなくて、ディスポーサブル手袋嵌めてやってそう。それか床オナ() とにかくさっさと終わらせたいから手つきは荒々しい。最低限の頻度でしか抜かないから出てくるものも濃そう。
  【有栖川隼飛】
動画派。ちゃんと見ます。巨乳好きそう。でも永と付き合うようになってから大量自然便排泄系の動画見て(永さんもこんな感じなのかな……)ってドキドキしてそうで確実に性癖開発されてる()
  【舞鶴永】
彼はあまりにも大量のウンチを排泄しているうちにだんだん気持ち良くなってきてそのまま抜くタイプと見た。長時間の排泄で閉じきらないお尻の穴をくぱくぱさせて、排泄物の匂いが充満する個室で、おしっこがたゆたう和式便器にどぴゅっとする永、うちの子の中で一番変態チック。
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pinkblazenut-blog · 7 years
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直見の枕営業
指定されたのは超高層マンションの最上階。摩天楼を見下ろす絶対者にだけ許された視界を誇る空間だった。
緊張した面持ちで玄関ホールを抜け、エレベーターに乗り込む。最上階のボタンを押し、音もなく滑り出す機内でごくり、と知らず生唾を飲み込む。
大丈夫だ、と思う。覚悟はしてきた。所詮は一夜の関係だ。野犬に咬まれたとでも思って忘れればいい。
そう思いこもうとすればするほど体の筋肉は緊張し、喉が渇いていく。自分はこれから見知らぬ男に体を預けるのだ、という事実に脳髄の奥が鈍く痺れていく。
チン、と軽快な音を鳴らしてエレベーターが止まる。
滑らかに開いたドアに背中を押されるように、直見は赤い絨毯張りの廊下へと踏み出した。
  「どうぞ、こちらへ」
豪奢な室内で直見を待ち構えていたのは、鋼鉄の雪豹のような空気を全身から匂わす壮年の男だった。目元の皺を見る限り三十代後半、あるいは四十の頭といった頃合いだろう。しなやかな美貌の中にあって瞳だけが鋭い刃のように光っている。見ただけで最上級と分かる生地で仕立てられたスーツ、磨き上げられた靴。身に着けているものはどれも疑う余地なく最高位の人間のそれなのに、本人が放つ空気がそれら全てを冷たく、無機質に見せていた。
直見はその男の顔を脳内フォルダで検索した。そして思い出す。戸枝怜文(とえだあきふみ)。新進気鋭のIT企業の敏腕若社長だ。
「直見英佐です。よろしくお願いします」
「ふふ、そう畏まらなくてもいい。今夜は楽しもうじゃないか」
にこにこと笑って言われ、直見は視線を彷徨わせた。楽しむ、だなんて。これから何をするか、この男は分かっているのか。思わず疑いの視線を向け、けれどすぐに目を逸らす。分かって居ての発言だろう。直見にとっては気が滅入るだけの恥辱も、彼にとってみれば心躍る遊戯なのだ。
「どうだい? まずは一杯」
戸枝はテーブルの上に置かれた、ヴィンテージワインと思しきボトルの曲線を指でなぞった。長い指だ。程よく関節が目立つ、色気のある指。
結構です、と直見は端的に断った。
「それより、早く」
始めてください、とまでは羞恥心が勝って言えなかった。早く、だなんて娼婦みたいな下世話な誘い文句を言ってでも、この恥辱をなるべく早く終わらせてしまいたい。そんな直見の葛藤を分かっているのかいないのか、戸枝は
「随分積極的だね。見た目によらないな」
と喉の奥を鳴らした。
「じゃあ、早速だけれど、自慰を見せてもらおうか」
「……はい?」
予想外の単語に思わずそんな声が出た。きっとひどく間抜けな顔をしていたのだろう。戸枝の笑みが邪悪に深まる。
「聞こえなかったかな? そのベットの上で、スーツのまま、前だけを寛げてオナニーをしなさい、と僕は言ったんだよ」
「それ、は」
抱かれる覚悟はあった。踏みにじられる覚悟も。だが、これは。
人前で、着衣で自らを慰めるなど、まるで淫乱の所業だ。
凍りついている直見に向かい、戸枝は笑顔のままこう宣告した。
「さっさと抱かれて終わりだと思ったかい? だったら残念だね。僕は君みたいな気位の高そうな子が屈服する瞬間が好きなんだ」
せいぜいあがいておくれよ、直見くん。
冷たい美貌の悪魔の囁きに、直見は己の足元に底なしの暗い穴が開くような心地を覚えた。
      「うあ、ぁ……っ、ひ、ぃ」
「こら、指が止まっているよ。前は弄っていなさいといっただろう」
「でも、もう…っ!」
「ああ、もちろん出してはいけないよ。出したくなったら我慢しなさい」
冷徹な、有無を言わさぬ声。直見は頭を緩く振って、シーツに額を押しつけた。そしてそろそろと右手を動かす。這うような動きでも、今まで一時間以上寸止めを繰り返されてきて、充血しきった性器には過剰な刺激だった。鋭い悲鳴が上がりかけるのをなんとか咽頭で押しとどめ、飲み込む。視界がけぶっているのは涙のせいだろう。さっきからずっとだ。
あの後、宣言通りに戸枝は直見に自慰をさせた。この日のために気合を入れて着てきたポールスミスのスーツのスラックスをわずかに寛げ、下唇を噛んで、性器をさする。次第ににちにちと粘着質な水音が上がり始め、息が上がり、腹筋にグッと力が入った瞬間、戸枝は制止を命じた。
一夜限りの主人の命令には逆らえない直見は上り詰める直前の体をなんとか御して、その命を受けた。高々と突き上がった陰茎、その先端からとろとろと溢れ出る先走りを見て、戸枝は満足げにこう言った。
「スラックスと下着を太腿まで下ろして、僕の方に尻を向けて四つん這いになりなさい」
直見は否やを唱えなかった。唱えられなかった。言われたとおりに這い、尻を高々と掲げる。浅ましい犬のポーズ。服従の体勢。
「前はそのまま続けて。でも出すのは厳禁だ。出そうになったら根元を握りしめて、波が去るのを待ちなさい。何度でもね」
冷酷な命令に喉が震えた。つまり自分で幾度でも寸止めをしろと言っているのだ、この男は。同じ男の身、出したい欲求を堪えることがどれほど辛いかは知っているだろうに。
「……分かり、ました……」
「うん、いい子だ」
褒めるように尻たぶを撫でられ、悔しさで涙が滲んだ。固く張りつめた肉茎をそっと握り、ゆるゆるとしごく。
ふ、と生温かい風を肛門に感じたのはその時だった。
「っ、ひ」
「動かないで」
ぱちん、と尻たぶで音が弾ける。尻を叩かれたのだ。けれどそんなことは問題ではなかった。肛門で感じるにはあり得ない、生温かい粘膜の感覚。
あれは、舌だ。
肛門を舐められている――
思いついた瞬間、羞恥で全身がカッと火照った。なんてことを。太腿が屈辱で震える。
「不服そうな顔だね。でも慣らさないと辛いのは君だよ。……ああ、それとも無理矢理抱かれるのが趣味かな?」
戸枝の声は楽しげだった。直見がどう答えるか知っている声音だ。こいつ、と心の奥底から仄暗い殺意が湧く。
「さて、君はどうしてほしい?」
「っ……」
直見は固く目を瞑った。これが戸枝の手法だ。選択肢など無いに等しいのに、彼は直見に口にさせる。まるで自分で選んだかのように。
「……舐めて、ください……」
「そうそう。最初から素直になっておきなさい」
そう言って戸枝は再び菊門に舌を伸ばした。
あれからゆうに一時間以上、直見は執拗に肉菊を舐めほぐされていた。
ぺちゃぺちゃと聞こえる下品な水音が鼓膜を犯す。生温かい物体が肛門の皺をなぞり、括約筋をねぶり、出入りを繰り返し、そうして固い肉堰をゆるゆるとこじ開けていく。肛門への刺激と性感が無理矢理イコールで結ばれていく。肉菊が花開けば容赦なく指が入りこんできた。柔らかい粘膜をくじられ、前立腺を叩かれ、揉まれ、確実に追い詰められていく。
その間も性器への愛撫を止めることは許されていない。達しそうになればぎゅっと根元を握り、やり過ごし、そしてまた指を動かす。何度も堰き止められた熱情は下腹部に重く溜まり、全身を甘く痺れされていた。まるで全身が性感帯になった気分だ。脳みそが煮立っている。呼吸すら辛い。全身の関節が抜かれていくように、体に力が入らなくなっていく。四つに這うことさえ出来ず、肩をシーツに押し付けて、腰を高く上げる体勢しか出来なくなる。
「ふむ、そろそろ頃合いかな」
そう呟く声が聞こえ、ようやく肛門が柔らかい舌先の襲撃から解放される。肉の輪がゆるみきり、くっぱりと口を開けているのが見ずとも分かる。肛門が痺れたような熱さを帯びている。物欲しげにひくつく尻穴はさぞ淫靡だろう。そう思うと羞恥に頭が煮えたぎった。
「これ、なんだかわかるかい?」
耳元で囁かれ、直見はシーツに突っ伏していた顔をねじって右を向いた。
眼前にあったのはウズラの卵より少し大きいような、下品なピンク色をしたプラスチック製の物体だった。直見にも見覚えがある。ローターだ。
「君の下のおくちが寂しそうだからね。これをプレゼントしてあげよう」
ひたり、と丸く冷たい異物が後孔に添えられる。戸枝が軽く押すと、ほじくられて緩みきった尻穴は容易く異物を飲み込んだ。ズルンッ、と肛門括約筋を擦られ、思わず甘い吐息が漏れる。
「確かここらへん……っと」
戸枝はローターを指で奥へと押し込めると、にわかに振動のスイッチを入れた。微細な震えはちょうど前立腺の位置にあった。敏感な個所を舐め上げるように震わされ、ひくりと肩が跳ねる。
「起きなさい」
揺るぎない五文字に鞭打たれたように、直見はゆっくりと膝立ちの体勢になった。されるがままスラックスから右足を抜かれ、ジャケットを脱がされる。シャツのボタンを外され、ネクタイを引き抜かれ、それで手首を後ろ手に拘束される。床に下ろされ、自然とベッドの縁に腰かけている戸枝を見上げる体勢になる。
「自分で準備をしなさい」
そう言って戸枝は自らの股間をそっと撫で上げた。準備。茹だった頭で考える。これから行われること、そしてこの状況。導き出される答えは一つだった。
「口、で……?」
「そうだよ。察しのいい子は嫌いじゃない」
いい子だ、と顎の下をくすぐるように撫でられる。でも、と掠れた声で問う。
「どう、やって」
手は使えないのだ。どうやって前を寛げさせればいい。
困惑の眼差しを向けると、戸枝はそっと直見の唇を指でなぞった。
「君の口は何のためについているんだい? ほら、ホックは外してあげよう。出来るだろう?」
「……ッ!」
この期に及んでさらに屈辱の上塗りか。煮込むような快楽責めに崩れかけていた理性がにわかに復活する。そうそうその顔、と戸枝が嬉しそうにはしゃぐ。
「悔しいだろう? 恥ずかしいだろう? そうでなくちゃ。ほら、君に拒否権はないよ」
顎のラインをなぞられ、直見は覚悟を決めた。股間に顔を寄せ、歯でチャックを噛み、下ろす。ボクサーパンツも口でずり下ろすと、眼前に巨大な逸物がぼろり、とまろび出てきた。あまりに勢いよく解放されたそれに頬を叩かれ、ぬちゃりとした感触が肌に残る。雄の匂いが鼻先を掠め、ジンと頭が痺れる。
ごくりと唾を飲み、恐る恐る舌を伸ばす。苦いようなしょっぱいような味に眉を顰め、大きすぎる先端をなんとか飲み込む。
けれどできたのはそこまでだった。なにせ大きすぎる。顎が外れてしまいそうだ。
赤子のように先端を吸い、舐め、咥え着れない部分に舌を這わせ、ぎこちなく愛撫する。口の端からあふれた唾液が顎を伝い、絨毯に落ちる。ジュルジュルと淫猥な音が立つ。
その間も後ろの玩具は動いたままだ。あえて微弱な刺激だからこそ、意識から弾けない。もっと強く、と無意識に思ってしまう。もっと強く、そうしたらイケるのに、と勝手に腰が揺らめく。
「うーん……一生懸命なのはいいけど、下手だねぇ、君」
直截な感想に、頬に熱が集まる。
戸枝は直見の後頭部に手を伸ばすと、
「こういうのはね、こうやるんだよ」
と、笑顔のまま直見の口内を逸物で貫いた。
「~~~~~~~っ!?」
声にならない悲鳴を上げ、直見は目を見開いた。強烈な吐き気が込み上げてくるが、後頭部を押さえつけられているためにどうしようもできない。せめてもの抵抗で押し戻そうとする舌の動きも、戸枝を悦ばせるだけだ。
「っ、いいね、柔らかい喉だ。しかもよく動く。君、ディープスロートの才能があるよ」
喉奥を亀頭で叩かれると、苦しさで後ろがキュッと締まり、ローターを食い締めてしまう。そうすると震えが直に前立腺に響き、腰が甘く砕けてしまう。
呼吸が出来ない。まるで溺れていくようだ。なのに体が熱い。
苦しいのか、気持ちいいのか、もう直見には分からなかった。
酸素が足りなくなり、意識が遠のきかけた頃、突然解放された。
「っは、がはっ、えほっ」
ヒューヒューと喉を鳴らして空気を貪る。涙がボロボロと落ちる。泣いていたのか。
顎を掴まれ、無理矢理に上を向かされる。
「はは、可愛い泣き顔だ。もっと泣かせたくなる」
冷たい声。ぞく、と背筋が粟立つ。
細身の体からは想像もつかない力でベッドの上に引きずり上げられ、そのまま放り投げられる。うつ伏せで、尻だけを高く上げる体位だ。
「いやらしいねぇ、ここ。太いもので埋めてほしくてヒクヒクしてるよ」
柔らかく綻び、蜜を垂らす菊座を指で撫でられ、はふ、と熱い吐息が漏れる。微弱な振動で嬲られ続けた前立腺は過敏にしこっていた。肛門の粘膜があの色気のある指先に吸いつくのが分かる。その指で奥をいじって、気持ち良くしてと強請るのが分かる。
「ねぇ、どうしてほしい?」
答えなんて分かりきっているだろうに、それでも楽しげに戸枝は問う。指先で肛門の浅い部分をくちくちと嬲りながら、直見の精神を極限まで追い詰める。
「このまま朝まで生殺しのまま、一夜を明かすか」
ちゅ、と音を立てて指が肛門から離れ、代わりに熱いものが触れる。
「それとも僕のこれで滅茶苦茶に犯されて、犬のように泣きながらイき狂うか」
どっちがいい? と尋ねる戸枝はきっと笑っていた。そういう声音だった。
焼きごてのように熱く、固いものに尻の谷間をぬるぬるとこすられる。たったそれだけの刺激にも全身がガクガクと震えた。全身がとろ火で長時間炙られたように熱い。
もう限界だった。心も、体も。
「……せて、」
「うん?」
わざとらしく聞き返され、直見の心はついに折れた。
「っ、イかせて、ください……っ!」
「どうやって?」
「~っ、その、太いのでっ……お腹、いっぱいにしてください…っ!」
「うん。はじめてにしては良く出来ました」
幼子のように頭を撫でられた、次の瞬間。
ゴン、という質量が最奥を穿った。
「ッ」
呼吸が一瞬詰まる。直見の目が極限まで見開かれる。押し出されるように先端から白濁が放たれる。
「っあああぁっ!」
「あれ、入れただけでイっちゃったの? 可愛いね、君」
腰を掴まれ、最奥をガツガツと殴られる。熱い。太い。苦しい。
なのにとてつもなく気持ちがいい。
もう、直見に意味のある音節を発する思考回路は残っていなかった。獣のように鳴き、喘ぎ、幾度も精を放ち、また放たれた。出された白濁はかき回され、ぐぷぐぷと淫猥な音を立てた。肉襞は固く張りつめた陰茎に絡みつき、引き絞るように蠕動し、排泄器官とは思えぬ淫乱さで雄を咥えこむ。焦らされ尽くした肉筒は極上の性器と化していた。
「あ、ああっ、やっ、あ、ぁ、あ」
「声止まらないんだ? ほんと、淫乱だなぁ」
背中に覆いかぶされ、かり、と耳たぶを噛まれる。たった数時間で、直見の体をそんな些細な刺激にすら絶頂を極めるように仕立て上げた男は、待ちに待った快楽に翻弄されている直見の鼓膜にこう囁いた。
「まだ夜は長いよ。精々楽しもうじゃないか、直見くん」
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pinkblazenut-blog · 7 years
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カストロ家の男子たちを日本人で例えるなら。
 閲覧は自己責任でお願いします↓↓↓
                   と言っても花鶏と麻績村兄弟はいないんですけど。
(花鶏は某お方が描いてくださったイメージ図が理想すぎて。麻績村兄弟はバーバリーお兄さんの印象が強すぎた)
というわけでアリスから!
 アリス…城田優
最初のイメージだったドミニク・サドクさんにも通じる目力。
ジョーイ…石黒英雄
かっこ可愛い男前な先輩。
エイサ…岡田将生
爽やか好青年。
みなち…窪田正孝
普段はおっとりした可愛さがありつつ、いざとなればSもいけそう。
モリー…本郷奏多
昼の人格「侑」と夜の人格「モリー」が共存してそうな感じ。
トモちゃん…小池徹平
とにかく可愛い。
ハナちゃん…高杉真宙
理想のゆるふわ。
隼飛…松本潤
エリカリンダーさんと見比べてもらうとなんとなく分かるかもしれない。
 あくまでも私が知っている日との中で選んだらこうなりました、という話なので。
もしかしたら世界には私が知らないうちの子そっくりさんがいるかもしれない。
いたらぜひ教えてください。
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pinkblazenut-blog · 8 years
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❀直桜プロフィール❀
桜葉丈偉(さくらばたけひで)
28歳、169cm
貿易商社勤務。
特技は剣道(中学校から大学までの部活動)
     ドイツ語(大学の選択外国語、短期留学経験あり)
    茶道(家元である祖母にしつけられた。着物も一人で着られる)
趣味は将棋(幼少期に祖父から教えてもらった思い出の遊び)
     ボトルシップ(学生時代に集中力を鍛えようと始めたらハマった)
     筋トレ(無心になれる。小柄ながらも引き締まった筋肉)
好きなものは和食(祖父母と同居していたので洋食があまり食卓に上がらなかった)
         温泉(休みの日は日帰りで熱海とか行くときもある)
         絶叫マシン(あの爽快感が好き)
         アロマキャンドル(寝る前に火をつけてぼうっと灯りを眺めて精神を落ち着かせる)
名前の由来…心身ともに『丈』夫でたくましく、世の中に名を残す『偉』大な人になるように。
   営業課の新進気鋭のホープ。飛び込み営業をやらせたら右に出る者はいない。初対面の人間に物怖じすることがなく、真面目さもあり、驚くほど新規を集めてくる。しかも常連の扱いも上手い。
 三年前、新入社員の研修を担当したときに初めて直見と出会う。バディを組んで営業をし始めたのは一年前。飄々としてつかみどころのない、一見すると不真面目にさえ見える後輩を叱咤激励する毎日。自分にも他人にも厳しいのは成育環境ゆえ(後述)。
   江戸時代より地主として地元では有名で、明治時代に不動産業で財を成した桜葉家の二男として生まれる。お手伝いさんがいるような家で、丈偉はいわゆる「坊ちゃん」だが、旧家ゆえ躾は厳しく、自分のことは自分でやるようにと物心ついた頃からきつく言い含められていたため一通りのことはできる。普段はざっくばらんな物言いだが、実家の玄関をくぐった瞬間から「ただいま戻りました」と敬語になる。実家はそれくらい規律まみれの空間。
 四歳年上の兄は長男として目をかけられ、年子の妹は末っ子で唯一の妹として可愛がられる中、疎外感を感じながら育つ。そして目覚ましい活躍をすれば両親に褒めてもらえるのではないかと思い、文武両道を目指してストイックなまでに真面目な、そして負けず嫌いな性格になった。努力の甲斐あって難関私立中学に合格し、そのままエスカレーター式に大学まで卒業し、今の会社に就職する。就職してからは正月にしか実家に帰っていない。
   身長の低さと軟便体質がコンプレックス。身長は妹より低い。対抗心を燃やしている兄にはことあるごとに身長をからかわれていたため、自分より背の高い人間と並んで立つことを極端に嫌う。その点直見の背の高さはかなり腹立たしい。
 軟便体質は生まれつきで、トイレトレーニングがなかなか進まず(便意を覚えてからトイレにたどり着くまでに漏らしてしまうことが多かったので)小学校に入学する直前までオムツを着用していた。祖父にとても厳しく叱責され(漏らすとお尻叩き百発とか?)、どうにかトイレまで我慢できるようになったが、その時に「軟便は恥ずべきもの」「他人に聞かれてはならないもの」「この体質は隠すべきもの」という潔癖が過ぎる思考を植えつけられる。おせっせの時にジョーイが執拗に腸内洗浄をするのもこの局地的な潔癖ゆえ。
 こんな体質のため学校に上がってからも人が集まるトイレには行けず、人がいない放課後の特別教室棟のトイレでしか排泄できなかった。また、どうしても放課後まで我慢できなかった際には休み時間に人が滅多に訪れない校舎裏の茂みで野糞をすることもあったが、厳格な家庭環境育ちゆえ野外で排泄しているという事実に打ちのめされ、毎度泣いていた。中学校からは校舎が広い分トイレも多く、時間によって人気のないトイレを脳内マッピングすることによって排泄の問題はクリアした。
 体質を克服するために下痢止めを服用したこともあるが、どの種類の下痢止めを飲んでも便秘になり、何十分もトイレに籠って唸り続けて苦しむことになるので内服をやめた。今は肛門括約筋を鍛えているので十分程度であれば我慢が出来るが、朝から晩までスケジュールの詰まっている日には自分で尻にSサイズのアナルプラグを差し込んで栓をするときもある。
   酒には割と弱い。酔うと近くにいる人間の首にアームロックを仕掛けてぐっと自分の方に引き寄せて延々の相手の長所を語るという『絡み酒&褒め上戸』。「お前はなぁ、自分に自信が無さすぎるんだ。もっと自信を持て。課で一番綺麗な書類を作るのはお前だぞ。その勤勉さを誇らないでどうする。お前にしか作れないんだぞ、あんなに整った書類は。あれは税務署だって褒める出来だ」みたいな感じ。あまりにも可愛い酔い方なので職場の飲み会では周囲総出で真っ先に酔い潰される。弱いくせに度数の強い辛口のお酒が好き。根っからの辛党。甘い物はあまり好きじゃない。
   酔ったときの言動からも分かるように他人をよく見ているが、そのくせ自分のことにはめっぽう興味がない。服装も清潔感が保たれていればいいだろう、とブランドとかは全く気にしていない。せっかく男前なのに勿体ない!と直見には喚かれるがことごとく聞き流す。
 ベッドの上では根が歪んでいるドSな直見にアレコレと屈辱的なことを言わされやらされるが、あられもない自分の痴態を見て興奮している直見を見て「こんな自分でも彼を悦ばせてあげられるんだなぁ」と嬉しく思っていたりするので割とお似合い。
 根深い利他主義。幼い頃から「誰かのためになるように生きなさい」と言われ続けてきて、三兄弟の真ん中としてほしい物ややりたいことを我慢することも多く、結果として何よりもまず他人を優先する性格に育ってしまったため。ゆえに「自分のやりたいようにしていいよ」と言われると「俺はどうしたいんだ?」と困る。天性の甘えベタ。(ああ、直見にキスしてもらいたいなぁ)と思っても絶対に言いだせない。心身ともに強いのである程度のことは我慢できてしまう。だからこそ直見は、普段は丈偉をベッタベタに甘やかす。「大好きですよ。惨めで、意地っ張りで、甘えベタで、可愛い、そんな桜葉先輩がね」と言われて無言で腹パンを噛ますけど実は嬉しい。竹を割ったような性格に見えて実は花鶏並みにひねこびていて面倒くさい。そこが愛おしい。
  祖父母は既に逝去しているため、現在は両親と兄、妹の五人家族。(仕事の都合上一人暮らしをしているが世帯は一緒)
兄 桜葉隆久(さくらばたかひさ)32
  実家の不動産業を継いでいる。絵にかいたような完璧人間。
妹 桜葉麗 (さくらばうらら)27
  花鶏の会社の受付嬢。
  直見英佐(なおみえいすけ)
25歳、181cm
貿易商社勤務
特技はナンパ(勝率は八割)
     バスケ(高校時代の部活動)
     ミルクパズル(やっている間は無心になれる。完成したら絵の具で絵を描くのも楽しみ)
趣味はテレビゲーム(ジャンルは問わない。なんでもできるしやる)
     DIY(就職して引っ越した際にサイズの合う棚がなくて自作したらハマった)
     一眼レフ(最近買った。今は休みの日に散歩がてら風景を撮っている)
好きなものはチョコミントアイス(スーッとする口の感覚と甘さが同居しているのが好き)
         羊(牡羊座だから)
         ヴィンテージジーンズ(古着屋で好みの柄に出会うとテンションが上が��)
         ピアノジャズ(落ちついたお洒落系の曲が好き)
   営業課の対女性顧客最終兵器。老若男女問わず受ける端正な顔つきをしており、この顔を活かして地に足を着けて稼げる職業をと営業職の世界に飛び込んできた。自分の魅力を最大限に理解し、最大限に活用している頭のまわる奴。
 三年前、新入社員研修で講師を務めた丈偉に初対面から厳しく叱責され、自分の見目に惑わされず駄目なものは駄目だと断固とした姿勢で対してきた直見に興味を抱く。以来ずっと彼と肩を並べられる成績を取ろうと努力し続け、念願かなって一年前に丈偉と営業ペアを組んだ。
  幼いころに両親が離婚し、母方に引き取られる。母はバリバリのキャリアウーマンで、物心つく前から保育所に通い、小学校に上がってからも学童で放課後の時間を潰していた。もちろん食事は一人で摂っていた。母のことは素直に尊敬しているが、いい意味でドライな関係。親子というより尊重し合える血の繋がった他人といった感じ。
幼いころから見目をもてはやされることが多く、内面を見てもらえないことに寂しさを感じていたが、小学校高学年くらいから「この見た目で騙せる人間はその程度の人間だ、だから精一杯利用してやろう」と割り切った。そう思うと人間関係は随分楽になったが、心に空いた穴は日増しに大きく、深くなっていく一方だった。その闇の深さは大学生時代に心因性の喘息を発症したほどだが、周囲には喘息のことを秘密にしていた。
 そんな風に大学卒業までを人に囲まれて孤独に過ごし、この見た目を活かそうと入った営業職で丈偉と劇的な出会いを果たし、彼に執着し、依存するようになる。
   根本的に他人を信用しておらず、ある一定の距離から内側へは誰も踏み入らせてこなかったため、誰かに深く思われたことも、誰かを深く思ったこともない。だからこそ日増しに丈偉を好きになっていく自分が恐ろしくなり、未知の感覚から逃げるために丈偉を遠ざけようとする。加えて新入社員の後輩に見た目で一目惚れされ付きまとわれ、外見を褒める言葉を毎日聞かされたことによって、就職してからは収まっていた心因性喘息が再発。影で薬を飲んでなんとか誤魔化していたが、ある日営業中に過呼吸発作が起き、それを丈偉にキスされて止められた時に(あぁ、俺、この人が好きなんだなぁ)と確信的に思い知らされることになる。以後、丈偉への想いを隠すことなく日夜口や行動に出しているが、丈偉の性格ゆえに返ってくるのは無視か罵倒語かバイオレンスで、そんな反応も楽しんでいる。
  丈偉のことは大切で、大好きで、大好きだからいじめたいし、キスしたいし、ぐちゃぐちゃにしたいし、手を繋ぎたいし、踏みにじりたいし、抱き締めたい。幼稚な独占欲と純粋な恋心がごちゃ混ぜになった複雑怪奇な感情を本人も理解しきれていない、抑えきれていない節がある。
  再発した喘息と過呼吸発作は現在治療中。見目を褒める言葉を完全に消すことは出来ないので、今後も長く付き合っていくことになるのだろうと現在は受け入れている。
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pinkblazenut-blog · 8 years
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『千秋』の理由
『千秋』の理由
  最初はふとした好奇心だったんですよ。一人称が「僕」で常に誰にでも(たとえ幼児にでも)敬語を崩さないおみむーがどうしてみなちのことを「千秋」って、下の名前を呼び捨てるという、乱暴ですらあるような呼び方をするのか。
  そしたら妄想が膨らんで膨らんで、ストーリーが出来上がっていました()
以下、妄想の結果決まった麻薬の過去です。
      おみむーとみなちは二歳差で、同じ中学校出身です。朔人くんが三年生の時に千秋くんが一年生。千秋くんは一年生の頃から生徒会に立候補するなど活発で、運動も勉強もできるクラスの中心的な存在でした。そして、朔人くんはそのとき生徒会の会計をしていました。そこで二人は出会います。
  人懐っこい千秋くんはすぐに朔人くんにも懐きました。「麻績村先輩、お腹すいた!なんかちょうだい!」とじゃれ付いてくる後輩に、苦笑しつつも朔人くんは飴だとかガムだとか駄菓子だとかを与えていました。何をあげても「美味しい」と笑う後輩が朔人くんは好きでした。
  一年が経ち、朔人くんは卒業して遠くの進学校へ行きます。自然と二人は離れました。そして千秋くんが学校で食中毒になり、教室で吐くという事件が起こります。以来、クラスの中心だった千秋くんは皆から遠巻きにされるようになり、また本人も人前で吐いてしまった羞恥心から、次第に学校から足が遠のくようになりました。
  それだけではありません。千秋くんは食事ができなくなっていきました。モノを口に入れて飲み込んだ瞬間、強烈な腹痛と吐き気を思い出して胃が蠕動し、中身を吐き戻してしまうのです。お腹は空いているのに、胃の中がカラカラに乾くほど空腹なのに、一口も食べ物を胃に収められない。食べたいのに食べられない、その苦痛は天真爛漫だった千秋くんの精神を削り、笑顔を失わせました。栄養失調と貧血で倒れて入退院を繰り返し、幾度も栄養点滴を打たれ、傷だらけになっていく腕。次第に分からなくなっていく空腹。自分の体がぼろぼろになっていく感覚。千秋くんの中学二年はそうして終わり、三年は食事のリハビリでほとんどを入院して過ごしました。
  その後、なんとか柔らかい物であれば食べられるようになった千秋くんは地元から離れた高校に進学します。その後大学へと進み、アルバイト先だったアクセサリーショップに就職します。バイト先をアクセサリーショップにしたのはこまごまとしたものを作るのが趣味だったからです。中学生の時に初めて作ったピアス、そういえば先輩にあげたんだっけ。あの人、いまどうしてるんだろう。そんなことをぼんやり思いつつ、千秋くんは数年を過ごします。
  勤勉な働きぶりが評価され、千秋くんは晴れて百貨店内にある店舗に異動となりました。そこで思いもよらぬ人物と再会します。麻績村先輩です。向こうはこちらに気づいていないようでいた。当たり前だろう、と千秋くんは一人笑います。あの時とは、まるで別人になってしまったから。
  けれど数日が経った後、彼はこう声をかけてきます。「千秋?」と。あの頃と同じ呼び名で。あまりいない名字だからまさかと思ったんです、とにこやかに笑う先輩はあの時のように優しい良い人でした。自分に何が起こったのかを知らないとはいえ、中学時代の知り合いで、昔と同じように自分に接してくれる人は初めてでした。その時、本人も気がつかないうちに、千秋君は恋に落ちていました。
  一方、高校入学以来好成績を維持し、第一志望の大学へ合格し、百貨店に入社し、二十代でバイヤーに抜擢され…と順風満帆なエリート街道を歩んでいた朔人くんも、中学二年生のときの千秋くんのように苦悩し始めます。理由は心因性の夜尿症。つまりおねしょです。誰にも相談できるはずのない、恥ずかしいにも程がある失態を、朔人くんは必死にひた隠します。若手の敏腕バイヤーとして日夜気を張り通しづめの毎日。ある日、疲れが溜まった朔人くんは控室で椅子に座ったまま居眠りをしてしまいます。
  気がついたときにはもう遅かったのです。いつものように粗相をしていました。足元に黄色い水たまりにさっと血の気が引きます。そこへタイミング悪くやってきたのは千秋くんでした。中学の後輩におもらし姿を見られ、さぞ幻滅され、軽蔑されただろうと朔人くんは恥じ入ります。
  けれど千秋くんは笑いも貶しもしませんでした。ただ「朔人さん、着替えは持ってますか?」と尋ねてきただけ。裏にある、と答えると、部屋を出て行った千秋君はややしばらくして着替えとタオルを持ってきてくれました。何も言わず片づけを手伝ってくれる千秋くんに、朔人くんは少しだけ心を許します。千秋君にしてみれば、変わり果てた自分に、中学時代と同じように接してくれた朔人くんを邪険にする理由がなかっただけなのですが。
  ともあれそうして始まった二人の関係のなか、朔人くんは気がつきます。千秋くんが自分をあの頃のように「麻績村先輩」ではなく「朔人さん」と呼ぶこと。千秋君からすれば変わってしまった自分にはあの頃と同じ呼び名で呼べる資格はなかったのです。朔人くんはそれを寂しいと感じつつ、千秋くんのためにと手をかけて食べやすい料理を作って食べさせてあげます。そう、中学生の頃、生徒会室で後輩にお菓子を恵んでいたあの頃と同じように。
  そんな日々を過ごしていたある日、寝ぼけてキッチンまでやってきた千秋くんが言うのです。「麻績村先輩、お腹すいた」と。目を見開いて、それから『麻績村先輩』は嬉しそうに笑います。「分かった。今何か作るから待ってて、千秋」と。
      ……って感じでね!そんな風になったら麻薬コンビのベストエンドかなってね!思って!これは書き留めないと忘れるなって思ったんですよ!!!だから書いた。こんな夜中に。
  そんなわけでこの二人は二歳差で、おみむーのほうが年上なんですけど、実際何歳だろう。ちょっと調べたら百貨店のバイヤーって「入社して十年以上たってからようやく抜擢されることもザラ」とか書いてあって、22で入ったとしても十年経ったら32、おみむーが異例の二十代の抜擢だったとして、やっぱり28か29くらい、個人的には今29歳の子がいないから29がいいかなと思いますので、そうなるとみなちは27ですね。
  麻績村朔人 29歳
薬袋千秋  27歳
  ……うん、いい字面だ(?)
  そんな感じの麻薬コンビ、コンビ名は物騒ですか中身は純度120%のピュアップルなので、応援よろしくお願いします???
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pinkblazenut-blog · 8 years
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短編エロみっつ(アリあと、直桜、麻薬)
【アリあと】
あなたの背中が華奢なことを、毎度思い知らされる。
セックスの時、あなたは頑なにバックでしか俺を受け入れようとしない。うつ伏せで腰を高く上げる体位なんて獣じみていて、屈辱そのものだろうに。あなたは絶対に正常位を許さないのだ。
理由は知っている。怖いからだ。シーツを噛んでいないと漏れてしまうあられもない声を聞かれることが、快感にとろけきった顔を見られることが、自分が今誰と何をしているのかを視覚情報として受け取ることが怖いから、この人はいつまでたっても俺と向かい合わない。
自分の手で気持ち良くなっていく恋人の様子を窺えないのは正直口惜しい。けれど同時に、その怖がりを、俺はひどく愛しく思う。
いつもスーツと言う名の理性の鎧で自分を覆い隠し、何かに追い立てられるように仕事に励んでいる人だ。そんな彼が態度であっても「怖い」という感情を素直に表出できているのなら、そしてそれが自分の腕の中であるなら、これほど喜ばしいことはないだろう。
華奢な体を揺さぶりながら、眼前にある白い背中に静かに口付ける。たったそれだけの刺激で跳ねる体は清貧な精神に反して欲望に忠実だ。そのアンバランスさもいい。危ういバランスで成り立っている『花鶏匡俊』という人間の脆さがとてつもなく愛おしい。
先輩、と呼ぶ。汗ばむうなじにそっと歯を立てる。強く噛みつきはしない。ただやわやわと甘噛みをする。獅子の子が親に甘えるような、じゃれつくような、ただの戯れ。
そのまま唇で首筋を遡り、仄かに赤く染まった耳朶にふっと息を吹きかける。
「気持ちいいですか、先輩」
答えが返ってこないことは今までの経験から知っていた。ただの確認だ。聞かないと自分の気が済まないという、儀式めいた自己満足。
だから、爪先が白くなるほどきつくシーツを掴んで、枕を噛み締めていたあなたがちらと視線をこちらにやったとき、その濡れた黒目の美しさに俺は釘付けになった。
「っ、それ、聞くのか」
分かってるくせに。
それだけ言ってあなたは枕に顔を埋める。耳はさっきより随分と赤い。
数回瞬きをして、告げられた言葉の意味を理解して、俺は頬が緩むのを抑えきれなかった。
「……分からないですね。俺、先輩と違って頭が良くないんで」
いつものようにぶっきらぼうな口調で、けれど常より随分と甘みを含んだ声で、耳元で囁いてやる。鼓膜を揺らす低音に過敏に反応して震える体にほくそ笑み、シーツを掴んでいる手の上から手を重ねてそっと握る。
「だから、先輩が教えてください。その口で、直接」
それは今じゃなくてもいい。ずっとずっと先でもいい。
ただ、いつか。あなたが俺の前でだけは何も隠さずにいられるようになってほしいと願う。あなたが全てを預けるに足る存在になれたらいいと夢想する。
それだけで、俺はひどく幸福な気分になる。
        【直桜】
先輩は強情だ。
普段からそれはひしひしと感じているけれど、特に顕著なのはベッドの上でだ。
まず、行為に至るまでが大変だったりする。スーツを脱ぐのはわりと素直に、というか豪快に、ちょっと情緒がないくらい手早く自分でやる。問題はその後、シャワーだ。
先輩は排泄物が緩い。だから、必要以上に腸内洗浄を繰り返すのだ。
もちろん必要な行為だとは分かっているけれど、彼の場合は潔癖が過ぎる。吐き出すぬるま湯が透明になってからも薄い腹をお湯で膨らませて、ふうふうと荒い息を吐いて、額を汗でびっしょり濡らして我慢して、出す。何度も、何度も。俺が止めるまでずっと。
「先輩、もう大丈夫ですよ。ほら、綺麗ですってば」
「っ、嫌だ……まだ、汚い」
「じゃあ次で終わりにしましょう。放っておかれたままの後輩のこと、そろそろ構ってください」
こんな風に冗談めかして言うと、先輩は弱々しく頷いてようやく風呂場から出てくる。その時点ですでに体力を随分と消費していることがほとんどだ。お湯とはいえ、大量排泄を何度も繰り返せばどんな人間だってそうなる。
だから、俺はこれでもかと優しく先輩を抱く。
腸内洗浄で少し緩まったとはいえ、先輩の肛門括約筋は固い。普段固形物をひり出すことが無いのだから当たり前だ。俺は人肌に温めたローションをたっぷりを指に絡めて、丁寧すぎるほど丁寧に先輩の尻穴をほぐす。ぐぷぐぷとか、ぬぽぬぽとか、そんな感じの擬音がつきそうな手つきで執拗に狭い入口をほじくり、少しずつ拡張していく。
勿論その間、前をいじったり、キスをしたりして、先輩を悦ばせることも忘れちゃいない。ただ、あんまりにも丁寧にやりすぎるから、途中で焦れすぎた先輩がおかしくなることも多いけれど。
「っ、お前、いつまでやってんだ……っ」
「だって先輩のここ、きついから。ほぐさないで辛い思いをするのは先輩ですよ?」
「も、いいからっ……!」
「あはっ、おねだりですか? だったらもうちょっと俺がそそられるように言ってくださいね」
ここぞとばかりに意地悪なことを言うと、先輩がギロリと睨んでくる。でも涙で潤んだ目で睨まれたってちっとも怖くない。むしろ可愛いと思ってしまう自分がいて、大概頭がおかしいなと自分でも思う。
「良い性格してんなお前っ、あ、ひっ!」
「褒めてくれてありがとうございます。ほら、先輩。どうしてほしいんですか?」
ぐちぐちと肛門のあたりを嬲っていた指を引き抜いてにっこりと笑うと、先輩は恐々とした手つきで自分の尻たぶを掴み、左右にぐっと引っ張る。そうすると綻んだ肉菊の蕾がよく見える。熱い質量に満たされることを待ち望んで引くつく肉蕾のいやらしさに思わず喉が鳴る。
「……ここ、に……」
「違うでしょう? 可愛い言い方、教えてあげたじゃないですか」
にっこりと悪魔のように笑えば先輩があからさまに狼狽える。普段は厳しくて男前な先輩の扇情的な姿に、俺は隠すでもなく興奮する。
「俺、の」
「はい?」
「俺の……お尻の、穴に……英佐の、おっきいの、ください……」
顔どころか首まで真っ赤にして、目を伏せて懇願してくる先輩に、俺は満面の笑みを浮かべる。
 「ふふ、上出来です。それじゃあご褒美あげますね。たっぷり可愛がってあげますよ、丈偉さん」
       【麻薬】
白く、冷たい、雪のような肌に触れる。壊れ物を扱うより慎重に、静かに。
僕と千秋が体を重ねる時は、ほとんど衣擦れの音しかしない。お互い積極的に声を上げる性質でもないし、そもそも声が上がるような衝動的な交わりではないからだ。
「千秋」
名前を呼んで、細い手首や、あばらの浮いた腹を撫でる。対面座位で僕と向かい合っている薬袋は何も言わず、ただ自分に触れる手のひらを甘受している。まるで水の底でそっと蹲っている深海魚のように。
冷たい肌を、僕はそっと愛撫する。体温を移すように。氷を常温で放置して、じわじわと溶かしていくように。
今まで付き合ってきた相手には、こんな風に丁寧に前戯をほどこしたことは無かった。もちろん無理矢理に抱いたこともないけれど、こうやって一つ一つ確かめるように体に触れて、キスをして、甘やかに名前を呼んだことはない。セックスは快楽を得るための一つの手段でしかなかったし、その相手に執着することだってなかった。むしろ一夜限りの相手と致すことの方が多かったはずだ。仕事ばかりに熱中する自分の生き方には、どうにも恋人という存在はそぐわないようだったから。
けれど、薬袋は違う。なにせ彼は知っているのだ。僕が最も他人に晒したくないと思っていた秘密を。それでいて彼は僕を忌避しなかった。ただ依然と変わらずそこにいた。だから興味を持った。触れてみたいと思った。
それは僕が生まれて初めて知る他人への執着だった。
目の前にある喉仏にキスをする。全力を込めれば折れてしまいそうな体を抱き寄せて、心臓の音を聞きながら肌を愛撫する。静かな交わり。お互いの呼吸音しかない、シーツの海の中。僕らは貝のように一つになる。
華奢というにも細い痩身を横たえ、貫く。眉をしかめる薬袋は苦しげで、けれど人形じみた美貌の表面にようやく人間らしさが滲み出てきたようにも見えて、僕はほんの少しだけ嬉しくなる。
千秋、ともう一度名前を呼ぶ。すると答えるように手が伸びてきた。僕はその手を捉えて指を絡めてやる。捕まえた指先に唇を寄せると、いつも引き結ばれたままの淡い色の唇がそっと開いた。
「……朔人さん」
「どうしました?」
「俺、大丈夫ですよ」
思わず目を見開く。薬袋は滅多なことでは弛緩しない表情筋をほんのわずかに動かして、ぎこちなさげに微笑んだ。
「もっと、たくさんください。俺、朔人さんがほしいんです」
「……いいんですか。優しく、できませんよ」
 「はい。……激しくしてください。朔人さんなら、きっと、大丈夫だから」
 そんな殊勝なことを言われて我慢できるほど、僕は人間ができてはいなかった。言質は取ったのだ。愛しい恋人からの申し出を断る理由なんてなかった。
「分かりました。あなたが泣いても止めませんよ、千秋」
興奮でざらつく声で言うと、薬袋はやはり嬉しそうに「はい」と笑った。
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pinkblazenut-blog · 8 years
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エルドラド設定資料集(随時更新版)
El Dorado(エルドラド)
  ○都内某所にある会員制高級クラブ。キャストは選りすぐりの美男(18~30後半まで、上限に関しては例外あり)
○制服はフォーマルウェア
 【上着】
  ・シングル
  ・ダブル
  ・燕尾服
 【ベスト】
  ・ジレ
  ・ニットベスト
  ・燕尾ベスト
  ・コルセットベスト
 【靴】
  ・ストレートチップ
  ・プレーントゥ
  ・モンクストラップ
  ・ショートブーツ
  ・ハイヒール
 【タイ】
  ・ネクタイ
  ・蝶ネクタイ
  ・ホワイトタイ
  ・リボンタイ
  ・ループタイ
  ・スカーフ
 【その他】
  ・手袋(白、黒革、指出しetc…)
  ・ソックスガーター
  ・ランジェリー(ブラジャー、ショーツ)
  ・小物(ハンカチ、懐中時計、眼鏡etc…)
 【ユニフォーム】
  ・軍服
  ・バーテンダー
  ・警察官
                      Etc…
○スタッフ一覧
 ・総支配人      …一番偉い。謎の人物。
 ・コンシェルジュ   …ホールの総括をする人。キャストの管理も行う。多忙。
 ・ボーイ       …ホールの雑用係。主にお客様の対応をする。
 ・ショーアシスタント …必要に応じてオプション(浣腸、鞭打ちなど)を行う。
ショーに華を添える熟練の職人。
 ・シェフ&バーテン
 ・演奏スタッフ
 ・ギャラガー
 ・医療スタッフ
                        Etc…
○ショー内容(諸制度)
 ・出すもの
  ◎大きい方         ◎小さい方
   ・なし(床)        ・猫砂
   ・おまる          ・バケツ
   ・ペットシーツ       ・ペットシーツ
   ・洗面器          ・おまる
   ・お皿           ・ティーカップ
   ・簡易便器         ・タオルケット
   ・おまる          ・洗面器
   ・新聞紙          ・尿器
   ・着衣           ・着衣
                        Etc…
・ボトルキープ …要は排泄管理。最初からプラグを入れられるときもあれば、
           途中で我慢しきれずに自ら栓をねだることも。
 ・同伴出勤   …出勤前に店外でプレイさせられる。価格は時価(キャストによる)。
             要は野外プレイ。
 ・アフター   …出勤後に(以下略。 エルドラドの個室でおせっせも可能。
           正規の勤務時間外なのでおさわりもOK。
 ・花名     …フラワーネームとも。源氏名のこと。
           キャスト一人ひとりに象徴の花がある。
           花は見た目や花言葉などから決められる。
           入店時から指名キャストが決まっている人は玄関ホールにある
           花を一輪取って胸元に飾り、「今日はこの子を指名するよ(*^_^*)」と
           ボーイやコンシェルジュに無言でアピールする。
 ・排泄権買取  …永久排泄管理。金額はものすごく高い。
             買い取られたら絶対服従。許可が出るまでずっと我慢しないといけないし、
             命令が出たらいつでもどこでもどんな状況でも出さないといけない。鬼畜。
○エルドラド内装
 ・玄関ホール、エントランス キャストの写真と花がずらりと飾られている。壮観。
                   たまにここで舞踏会が開かれることも。
 ・広間 キャストがショーをする場所。エルドラドのメイン。
 ・遊戯室 ダーツやビリヤード、トランプ遊びが出来る。キャストと対戦も可能。
       負けたらお仕置き…なんかもありですよ!むしろやろう()
 ・キッチン お客様にお出しする��のを作ってます。おいしい。
 ・ワイン���ラー 各種名品を取り揃えております。ソムリエもいるよ!
 ・バスルーム お客様が使う用&お客様と一緒に入る用の豪華なジャグジーと、
          キャストが仕事終わりに使用するシャワールームとがあります。
          アフターだったらジャグジーでいけないお遊びなんかも…ゴクリ…。
 ・VIPルーム 豪華な個室。そのお客さんに合わせてカスタマイズされてる。
 ・医務室 もし仮に誰かが体調を崩しても安心!エルドラドには医師が常駐しています。
       浣腸、摘便もお手のもの!
 ・楽屋 キャストが着替えたりお仕事前に駄弁ったりするところ。別名(私の)天国。
 ・庭 綺麗にお手入れされた庭。イメージはヴェルサイユ宮殿。
 ・スタッフルーム 職員の控室。楽屋に比べてかなり事務的。
 ・バルコニー 庭を一望できる。ここで疑似野外プレイなんかもいいね!
 ・倉庫
 ・駐車場
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pinkblazenut-blog · 8 years
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トモちゃん&ハナちゃんプロフィール【エルドラド】
市来智也(いちきともや)
20歳、173cm
  大学生(経済学部)、ラクロス部。
特技は素潜り、折り紙、マジック、家事全般。
趣味はサイクリング、風景スケッチ、部活。
好きなものは苺のショートケーキ、カレーライス、綺麗な景色、イルカ。
  物心つく前に両親が離婚し、父子家庭で育つ。
大学の入学式の日に父親が倒れ、以来ほぼ天涯孤独の状態。
自分の学費と父親の医療費を稼ぐために高額バイトを探してエルドラドのショーキャストになった。
  柴犬系ワンコ。天性の弟属性で甘え上手なので誰からも好かれている。
丸々とした目、色素の薄い髪と肌、愛嬌のある笑い顔、人懐っこい話しぶりでどんな相手とでもすぐ仲良くなる。
テスト時期になると花鶏に英語を教えてもらったり、他のキャストに経済学を教えてもらったりしている。
おかげで大学の成績は良い方。
ラクロスは高校から続けている。
  大量に溜めこんだモノを出した後の表情がとにかく性的で、その顔に惚れ込んだ固定客が多い。
故によくボトルキープをさせられたり、便の量を嵩増しする薬を内服させられたりしている。
いつも満杯の腹を抱えてうなっていることが多いのはそのため。
普段の明るい笑顔が消し飛び、額に脂汗をかいて苦悶している姿はとても扇情的で、キャストでさえムラッとくるほど。
基本的には食べたら食べた分だけ出る快便体質。
  幼いころから父が多忙でほとんど家におらず、大抵のことは自分一人で解決しなければならない環境で育ったため自活スキルは高い。
大抵のことはそつなつこなすが、要領が良い分周りからは「あの子は大丈夫だから」とあまり目をかけられない。
もちろん本当に大丈夫なのだが、たまに言いようもなく寂しくなる。
けれどその寂しさをどうすればいいのか分からず、そもそも本人も胸の奥に凝る重苦しい感情が寂しさだと分かっていない。
そのため寂しくてもいつものように笑っている。
天真爛漫なように見えて(自覚症状はないが)かなり危うい子。
十代の頃の自分に似た空気を薄々感じている花鶏に遠まわしに心配されているが、本人は全く気にしていない。
ただ、ゆるふわ系の親友の前でだけは少しだけ弱音を吐ける。
  キャスト内での愛称は「いっちー」、親友には「トモちゃん」と呼ばれている。
      花野井明松(はなのいかがり)
20歳、168cm
  市来の親友。ゆるふわ系天パの癒し系。垂れ目と泣きぼくろが特徴的。通称ハナちゃん。
過敏性腸症候群でよくお腹を下している。ストッ○は戦友。
市来とは同じ学部で、授業で席が偶然隣同士になったのをきっかけに仲良くなった。
下痢で遅刻したり早退したりすることも度々あり、よく市来がノートを取ってあげている。
両親がともに40を過ぎてから生まれた待望の子供(一人っ子)であり、周りから蝶よ花よと育てられてきた。
そのため少々世間知らずだが、基本的には良い子。
市来のバイト先については全く知らないが、ボトルキープ時の辛そうな友人をとても心配している。
便秘だと思っているのでお通じが良くなるようにと飲むヨーグルトなんかをくれる。トドメを刺しているとは知らない無垢な子。
  どんな話も笑顔でのんびりと聞いてくれる(聞いていないときも半分くらいある)ので周りからよく愚痴のはけ口にされる。
こう見えて鋼メンタル、というより周りをまるで気にしないのでどんな愚痴でも笑って聞いていられる。
トモちゃんもお話したいことあったら俺にたくさんお話ししてね? は市来の弱音を引き出す魔法の言葉。
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