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Fairlady 1
顔馴染みの従業員たちに軽く挨拶を終え、店の裏口から出る。
十一月の肌寒い空気に、コートの前を気持ち閉め直しながら敷地内を歩いていると、駐車場に見知らぬ車が停まっている事に気が付いた。
車に興味のない俺にはわからないが、傍目に見てもきちんと手入れがされているのだろう黒い車が電柱の光を反射している様は威圧感がある。
そしてその傍ら、見知った長身の男が車にもたれかかって煙草を吸っている。彼は煙草を咥えたままじっと電灯の方を見つめていた。
「真秀さん…………お疲れ様、です」
俺は男――睦門真秀に声をかけた。
無視してそのまま帰っても良かったが、明日の朝の自分は無視した事を気に病むのだろう。声をかけた方が遥かにマシ���。
睦門は「んーー……」と気の抜けた返事をした。視線はまだ電灯を見ており、煙草も咥えたままだった。
何があったのかはしれないが珍しく白衣を着ておらず、黒い薄手のタートルネックセーターに黒のジャケットを羽織っているせいで余計に背丈が高く……スタイルが良く見えた。
「……虫数えてます?」
当てずっぽうで尋ねると、やっと彼と目が合った。
彼はポケットに突っ込んでいた左手で煙草を持ち、長く煙を吐いた。
「十五匹まで数えてわからなくなった」
「声掛けたからですか?」
「いやぁ……なんか、増えたり減ったりするからどうでも良くなってきて」
「暇なんですね」
「全然暇じゃないの知ってる癖に」
睦門はけらけらと何時ものように笑い声をあげて、吸い終わった煙草をアスファルトにぽいと投げ靴底で火を消した。吸殻を拾う気配は一切無い。仕方なく俺はそれを拾い少し離れた場所にある従業員用の灰皿に捨てた。
「えらいえらい」
「犬扱いしないで貰えます?」
「猫可愛がりしてるだけだぞ?」
戻ってきた俺の頭を睦門は撫でようとしたが、その手をそっと払い除ける。ふわと煙草の匂いがした。
「……あー……もう行って良いですか?」
「ん、帰るんなら送ってこうか?」
睦門はそう言って車を指差した。
一瞬、逡巡する。
終電のないこの時間に自宅のマンションまで帰るにはタクシーを呼ぶ必要がある。高天から「仕事で来たのだから直帰する際も経費で落として良い」と許可を得ているので金銭面での心配はしていないが、この店の周りにはタクシーがいない為、ここまで呼ぶか、俺が駅前まで移動しなくてはならない。
普段なら今すぐこの場で、ありがたく首を縦に振っていたことだろう。
その上でそれをしないのは……運転手の技量が測れないせいだ。
正直な話、睦門という人間に対してまともに車が運転出来るイメージが全くない。
俺は率直に問いかけた。
「真秀さんって車の運転できるんですか?」
「できるからここに居るんだがなぁ」
「いや、運転手の方とかいらっしゃるのかなと、割と普段そうじゃないですかうちの会社」
「悠仁じゃあるまいし」
「あー…………はい」
「で? ガソリン経費で落とすから別に気にしなくていいぞ」
「その経費の計算するの俺ですよね」
「んはは」
今日も睦門は機嫌が良さそうで、頻繁に声を上げて笑った。
乗るかどうか決めあぐ��ていると助手席のドアが開けられ、俺は悩むことを諦め「お邪魔します」と断りを入れてからシートに着くことにする。
エンジンがかけっぱなしだったのだろう。思っていたより中は暖かかったのでシートベルトをつける前にコートを脱いだ。
彼の研究室と違い、車内は綺麗に片付いている。
黒いケースに入った箱ティッシュとドリンクホルダーの缶コーヒーぐらいか、その他には何一つ私物が見当たらない。やれば片付けができるはずなのになぜこの人は自分の部屋を片付けないのだろうかと心底不思議に思った。
ばん、とドアが閉まる大きな音で気がついて横を見るといつの間にやら、運転席に睦門が座っていた。助手席に座ること自体久しぶりで忘れていたが思ったよりも距離が近く感じる。
最近俺は、この人が伏し目がちに何かを考えている時の横顔を好いていることに気がついた。今もそんな顔をしてカーステレオを操作している。何が楽しいのか口元がにやけていた。
「何かいいことでもあったんですか?」
「……何か?」
「いや、今日は真秀さん、ご機嫌だなって思って」
「ゴキゲンって言われると脳天気そうで癪に障るな。まぁ……そうだな、いいことは……あったよ」
そう言うと睦門はステレオの操作を止め、車を発進させた。特にステレオから何かが流れてくるわけでもなかったので「この人は何をあんなに操作していたのだろう」と思った。
助手席から外を見るとほとんどの窓は電気が消え、ぽつりぽつりと立った電柱の光だけが窓を横切っていく。
時折信号で止まったり交差点を曲がったりしてわかったことだが、睦門は想像していたよりもずっと丁寧な運転をする人だった。法定速度も一時停止も守っているらしく、特段大きく揺れることもないので、俺は暖かな車内でのんびりと運ばれる感覚だけを味わっていた。
「真秀さんって、運転上手いんですね」
車が動く音だけが聞こえる今の状況が少し気まずくて、俺は口を開く。
「なんか、絶叫マシンとか好きなタイプだろうし運転荒そうだなって思ってたんですけど」
「あはは、今すぐここで外に放り出されたいか」
「別に、タクシー呼ぶんでいいですよ。あと高天さんに明日いいつけます。真秀さんが夜中俺のこと車から追い出してそのまま置いてったって」
「あーーそれは……悠仁に怒られるなぁ」
睦門は「冗談が通じないなぁ」と苦笑した。「やりかねないでしょう」と返し、俺も笑った。
「ま、通勤に使ってるからな、多少慣れはするだろうなぁ……」
「車通勤なんですか……っていうか真秀さんあそこに住んでるんだと思ってたんですけど」
何度か��を運んだことがあるが、睦門の研究室は夥しい量の資料や機材の他に一通りの生活家電が揃っていたように思う。そもそも俺は彼の口から自宅の話を聞いた記憶自体が無かった。
「実際月の半分くらいは研究室に篭ってるかもな。前は悠仁のところに行ったり研究室に行ったりしないといけなかったからもっと家に帰ってたけど……累のお陰で研究に集中できるから」
「いや、家には帰りましょうよ」
「なんか面倒なんだよな……俺も悠仁のとこに住もうかな。行き来楽になるし、経過観察するのも楽だろうし」
「今も半分くらい住んでません?」
「んーだから、もう半分も住んだら行き来する場所が減って楽だなって話」
何度目かの信号で再び車が止まる。それに合わせてか、なんとなく会話も途切れた。
ふと景色の中に見慣れたコンビニの灯りを見つけ、いつの間にか自宅の近くまで来ていたことに気付く。ここの交差点って信号変わるまで長いんだよな、と思う。
「…………」
ふと隣を見ると睦門は暇そうに両手をハンドルの上に乗せていた。人差し指がコツコツと規則正しくハンドルを叩き、視線は信号機を見ている。秒数でも数えているのだろう。
「累ぇ」
彼は真っ赤に光っている信号機を見ながら俺を呼んだ。
「……ドライブ、したくないか?」
そうして、さも今しがた思いついたようにそう呟く。
明日は休みだから、家に着いたら遅い夕食をとって、その後湯船にでも浸かりながら映画を見ようと思っていた。まぁそんな予定はあってないようなものだけど。
もうすぐこの信号が青になって、そうすると数分もせずに家に着くのだろう。
だとすると、それはなんというか、少し勿体ないような、気がする。
「いいですよ」
俺が答えて間も無く、信号が青に変わる。車の走り出しはとても静かだった。
「晩御飯食べてないから、途中でコンビニ寄ってください」
睦門は「ん」と短く返事をした。
自宅のマンションから漏れる光が他の景色と一緒に窓の外を流れていく。
「真秀さん」
「……ん?」
「晩御飯奢ってよ」
なんとなく甘えてみる。
「いいぞ」と言った彼の横顔はまだ口元が綻んでいて、なんだかやっぱり機嫌がよさそうだった。
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「ユキヒラトワって人、知ってるか」
俺がそう問いかけると雪片はぴたりと静止した。
言葉通り彼だけ時が止まったように、瞬きもせず止まっている。遊んでいたゲームの充電が急に切れたみたいに、俺は少し気味悪く、そして居心地悪く感じた。
「…………」
雪片は黙りこくったまま動かない。ただ、眼帯に覆われていない左の目からつぅと一筋、涙を零した。
その涙の粒が頬を伝って、シャツの胸元に落ちた頃、雪片はそっと目を閉じ、長い瞬きをする。
再び瞳を開け、彼はそのまま机に向かってそこに伏せられていた写真立てを手に取った。
古い写真立てだ。
俺がこの家を訪れるようになってまだ間も無い頃に研究書や資料については何を触っても文句を言わなかった雪片が唯一、触れようとした瞬間、普段の数倍低く怒気を孕んだ声で「さわるな」と言い放ったことを覚えている、そんな写真立てだった。
人一倍「感傷」などと言うものとは縁遠く、また、そういった類は嫌いだと公言していた雪片が何をそんなに大切にしているのか俺は常々疑問だったから、その写真立てが俺に向けて差し出された事に好奇心と戸惑いを程々に覚えたのだった。
「見ていいの?」
俺が聞くと雪片は頷いた。
おさめられた写真はモノクロで、黒い髪の青年……これは雪片か。そして、にこやかに笑っている白髪の少女が写っている。
ゆるゆると波打ったロングヘアにエプロンドレス姿の少女は背丈のわりに幼い顔立ちをしている。
眉の下がるへにゃりとした笑い顔の少女。隣に立つ雪片は、俺の知っている雪片羊を10歳ほど成長させたような姿をしていて、澄ました仏頂面で居るが機嫌は悪くなさそうな、そんな表情でいた。
「……この女の子?」
「そいつが、永遠。雪片永遠だよ」
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俺が思うに。
昔から俺はやたらと厳しく折檻をされていたような気がする。
そこに俺に起因するような…所謂不出来であるとか、そも扱いにくい小生意気なガキであった等々の理由の他に意図があったのか?肉親の居なくなった今となっては知る由もない。興味もさほど無い。
『彗星の魔術師』と呼ばれるようになる迄の記憶は酷く朧気で、俺がまぁなにか、悪いことをしていたのだろうと言うのは想像にかたくないがそれが一体なんだったのかなんて、そんなものは全く覚えていない。
ただ何となく、なんとなくだ。
ふと昔のことを思い出そうとすると不意に息が苦しくなるから首を絞められたのじゃないかと思うのだ。
臓器がズキズキと痛むので蹲ると遠い昔もそんな事をした気がするのだ。
だから、きっと俺は今の俺としてある為に其れを忘れることにしたのだと言うことだけははっきりと分かる。
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煽梨はあまりその神様とやらを信じていない。神様がいるのなら自分たちは今頃こんな場所にはいないで、本物の空の下で生活をしているはずだ。神様を信じる学生の言い分としては「外で迫害されるしかない自分たちを守るためにこの街を与えてくださった」ということだが煽梨にしてみればお節介もいいところである。まあ、外の世界に出たことがないから言える話なのだろうと自覚してはいるが、それでも迷惑な話には違いなかった。神様ならもう少し頑張ってほしかった。
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思えば、兄さんが泣いている姿を見るのはこれが初めてでした。
12年も昔のことですが、小さかった私でも姉さんの葬儀の景色を思い出すのは容易く、小さな棺に入って眠っている姉さんの横に私は一輪、白い花を手向けたのを鮮明に覚えています。名前こそ知りませんが姉さんの好きな花だったのでしょう、家の庭にも同じ花が植わっていたことも、まだ覚えています。あの頃見た庭の花は薄い桃色をしていました。
その葬儀の時ですら兄さんは涙の一粒も零さずただ私の右手を強く握って離しませんでした。下から覗き込んだ兄さんの顔は正に魂が半分抜け落ちたようにどこか遠くの方を見ていて、私は「普段の兄さんは私をみると笑いかけてくれるのに」なんて、空いた左手の感触も相まってとても寂しく感じたのです。
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愛とはなんだろう 好きとはなんだろう 恋するとはどういうことだろう 恋人とはなんなのだろう 何をもってして愛と恋とその他好意諸々は定義されるのだろう それはきっと辞書やなんかに載っているようなものじゃなくて皆本能で漠然としかし堅実に確信を持っているのだろう。
眠っていた文章の供養
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息がつまりそうだった。
「ヒトゴロシ」とか「イカれてる」とかそんなのは良いんだ。そんなの自分が一番よくわかっている。
「フツウのヒトは”好き”だからってヒトゴロシはしない」
知っている。
「”好き”になった相手を殺してまわる俺は絶対的にフツウじゃない」
知っている。
でも、それじゃあ母さんは。
あの日俺のことを殺そうとした母さんは?
俺は母さんがオカシイんじゃないかなんて考えたこともなかった。いや、それは嘘で、本当はずっと頭の何処か奥の方で考えていた。ただ「愛されていたんだ」と俺が信じ込んいるだけなんじゃないかって。
ただ、母さんはあの日確かに「ごめんね」って。
言ってくれた。言ってくれたのか?本当に?
あの日あの時の母さんの表情なんて覚えちゃいない、見えちゃいない。逆光の中のあの人はとても綺麗だった。それだけだ。
俺は知らない。知らないんだ。あの日母さんが何を考えていたかなんて。
でも、ああ、あの人一人で逝こうとしていたじゃないか。母さんは、本当は寂しがりだから、だから俺も連れて行ってくれる筈だったんだ。そうだと思う。
だとしたら俺は大層な親不孝者だ。あろう事かそれを拒んで、あまつさえ母さんのことを殺してしまったのだから。
そうだ、殺したのは俺だ。
でもあれは仕方の無いことで。だって俺は生きたかった。死にたくなかった。怖かった。苦しかった。そうしてただ悲しかった。悲しくて、だから俺はあの日あの夕陽の中で泣いたのだ。
だけれど、もし、そうじゃなかったら。
母さんが、俺を「要らない」と、思っていたとしたら。
なぁ、俺がオカシイのか?いや、俺は、オカシイんだ、とうに前から、ずっと。それでも。
……ねぇ、母さん、教えて欲しい。今どこにいるのか。あの日何を思ったのか。
ああ、そうだ。あの人を殺したのは
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屋形壱与は自分の事を記憶していない。
そもそもこの名前もあくまで己を表す記号として使っているに過ぎないのだ。
ただ、地下都市で暮らすにあたって、最初から手にしていた学生証にそう名前が書かれていたから漠然と「ああ、俺はそういう名前なのだ」と認識しているだけであって。若しかすると本当はもっと別の名前があってこの名は適当に付けられたものかもしれないし、学生証が己の物ではなく他の誰かの物だったかもしれないと考えることは儘有る事だが、しかしだからといってどうということも無いのだ。己がここに居て、それを呼称するに辺りそれ以外に記号がないから屋形壱与は屋形壱与として生きている。
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―
気が付いたら窓の外がまるで終末の様に朱かったから僕は座っていたソファから立ち上がりキッチンへ向かう。殴られた拍子にぶつけた頭とつい庇うのに使ってしまった左手が痛むけれど動くのに差支えはないのでそのまま冷蔵庫を空けた。
買い物に行くのは明日の予定だから今日は今あるもので適当に済ませたいと思うけど思ったより冷蔵庫の中身は空っぽで。ああ、最近は無闇矢鱈と暑いしそうめんでも茹でようかな。先輩は好き嫌いがないし、どうせ茹でるのは一把ずつだからあの人がその気になったらその時に茹でてあげれば良い。
なんとなく気分が決まった僕は水をはった小さな鍋をコンロにかけた。
お湯が湧くまでの間で先輩の様子を伺いに行く。
先輩は数ヶ月前からひとつの像を作るのにかかりきりになっていた。作り始めと比べると随分と形になってはきたのだろうけれど僕にはいつも通り、全く何を作ろうとしているのかわからなくって、ただ、その針金と鉄くずとをよりあわせ溶接したそれの姿が女性の形をしているのだろうことはなんとなく感じた。
僕も先輩と過ごすようになってから数年経ったわけだから、多分少しはそういうものを見る目が育ったのだ。と、そう思いたい。
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「なぁ、ウェンズデー。お前は今、しあわせ?」
「……さぁ、わからないな。ぼくは生まれてこの方満たされた気持ちになんてなった事がないから。」
水星は伏した目で一度瞬きをした。小さな手でふと口元に触れた。それが考え事をする時の癖なのだと駿河明は知っていた。
「ただね、満たされない事に対して、ぼくは不満を持ったりなんかしないよ。人間は……特にぼくらのような魔術師は。いつだって何かを求めているべきなんだ、満たされた人間はただ堕ちるだけなのだから。堕落するくらいならぼくは、永久に飢えていた方がマシだ。」
「……そっか」
「君だってそうだろう、明。」
「俺が?」
「君が何かを壊したいと思うのは」
「…………ああ、そういうことか」
「そうだよ」
「「満ち足りているから、壊したくなるんだ」」
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永遠なんてない 2
昔話、というからには、そう「once upon a time」とでも書くべきなんだろう。
「キミの瞳、とってもきれい。ぼくの名前と同じ色だ」
昔々、俺と彼女が初めて会った時に、彼女はそんなことを言った。
確かに、彼女の名前は「薄明」とかそんな感じの意味だし俺の目は日暮れ時の空によく似ていると知っていたからそれ自体はどうってこともないんだが、なんにせよ初対面の人間に対してそういうセリフを言うような奴が、あろうことか天才である俺を差し置いて「エリクサー」の精製に最も近づいたなどという事実にその時の俺は酷く苛立ったと記憶している。
彼女、出会ったばかりの時はトワイラと名乗っていたあいつは錬金術師でも薬師でも、まして化学者でも何でもない、ただの医療魔術師の一人だった。
まぁ、会ったとき既に「小夜啼鳥」と呼ばれていたから、それなりに素質はあったんだろうけど。
それはそうとして、そんな彼女がたかが十と幾つとかの年齢で、すべての錬金術師が夢に見る霊薬を生成したなんていうのは傍目には信じがたかったし俺も全く信��ちゃいなかった。
ただ、俺は悔しかった。
俺が当代一の錬金術師として「水曜の魔術師」と呼ばれるようになってからその時で三十年ほどの時が経っていて。当時の俺が夢中になっていたのは歴代の魔術師たちが行った偉業の再現だった。
金の精製に始まり五大元素の分離やら万能溶解液の精製やら、俺以前に存在した十二人の水曜の魔術師たちの功績を片っ端から再現してやった。
結果としては想像通り、俺は過去の十一人よりはうまく物事を成し遂げてやった。より効率的に、より美しく、より精密に。そんな感じで物事を行うのは特別難しくもなかったし、まぁまぁ手こずったものもあったにせよ、そのことに辛さを感じるような性格を俺はしていない。
唯一、俺が再現できなかったのが「人体の変成」……原初の水曜の魔術師、ウェンズデーが成し遂げた偉業である。
実際に成功例がある以上、不可能な訳じゃあない。そもそも世の中に不可能とかそういうものはない。だから俺にもできて然るべき、ではあるんだが。
こればっかりはどうしても時間が足りないと言わざるを得なかった。大体普通の人間一人を生命活動も思考もそのままに別の物質に変換するなんて行為は錬金術のソレじゃないだろ。そういうのは呪術の領域のはずだ。
事実、現在になっても俺は水星の功績を超えられずにいる。
まったくもって憎らしい、彼の才能が。そう感じたのはその時だけだと思っていたのに。
そこに飛び込んできたのが「どこだかの病院に勤めている何とかいう魔術師の少女がおよそあらゆる傷病を癒す霊薬を作った」という噂だった。
いや、おかしいだろう。その話が本当ならそいつは紛れもない天才だ。それもこの俺を超える、恐ろしい才能の。
そんなこと認めたくはないし事実なのだとしたら嫉妬せずにはいられない。
そもそもそんな才能を持っているのにどうして彼女は一介の医療魔術師なんかやっているんだ。俺と張り合える才能を持っている奴が漸く現れたかもしれないのに、それが他人に奉仕するだけでつまらない一生を終える?まったく我慢ならない話だ。
だから俺は彼女に会いに行くことにしたんだ。
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永遠なんてない
大した話じゃあない、ただの昔話だ。 俺はこの後、彼女のことは金輪際忘れてしまおうと思っている。 なにしろ、彼女がいなくなってこの方、俺は何もかもが手につかない状態なのだ。 今こうしている間も、自分の思考回路が手の付けられないくらいばらばらになって、頭の至る所で歯車が空回りばかりを続けているように感じる。 俺にはその理由がわからない。 ……否、わからないわけじゃあない、明白なことだ。 ついこの間まで横にいた人間が居なくなった。 俺の日常に対して起こった変化はそれだけなのだから推論を重ねる必要もない、それが原因に違いない。 わからないのは「どうして今回に限ってこんな不具合が生じているのか?」ということだ。 生身の肉体で過ごして二十余年、そこから人体を生成するのに成功して、そうしてその体を使うようになってさらに三十年程度、過ごしてきただろうか。 その間、周りにいた人間が居なくなることなんていくらでもあったじゃないか。 他の魔術師のように友人やら師匠やらがいるわけじゃないが、それでも俺が錬金術を志す理由となった魔術師の死はあった。やたらと俺のことを目の敵にしてきた錬金術師も死んだ。俺を生んだ母も、こんな人間に育てた父も。死んだのはとうに昔の話だ。 それでも俺は、特別何かの感傷に浸ったりもせずまぁいつも通り、平静を保って生き続けてきた。そうだったはずだ。 なのに今、今、そう、現在、どうして俺はこんなにも苦しいんだ? あの日から何度も何度も思考が止まるようになったんだ。 どうしようもなく突然涙があふれてくるんだ。 ふとした瞬間すぐそばに彼女がいるような気がしてならないんだ。 なによりも、こうして文章を認める間でさえ、何故だ、息が、胸が詰まるように、切り刻まれたように、めった刺しにされているように、痛んで、苦しくて、何もできなくなってしまうんだ。 なんて酷い不備だろう。こんなことがまさか自分の身に起こりうるなんて。まったく、人間という生き物は斯くも不完全で、儘ならないものなんだと、認識を改めてしまう。 とはいえ、このままこんな状態で居続けるなんてあってはならない事だと、それは俺だって理解している。 俺にはまだやる���きことがある。 まだ明かしていない謎が、真理が、世の中にはあふれかえっている。 それを解明しないと、それこそ俺が存在している価値がないというものだ。 だから俺は、彼女を忘れることにした。 彼女と共に過ごしたことを、未だ俺の思考を、感情を支配するすべてを、俺は「引き継がない」ことにした。 今使っている三体目のボディ……彼女と出会ってから造ったんだったか、そう、こいつももうじき寿命が来るだろう。もう既に次の器の準備は整っている。 いつもならばこの俺の記憶はそっくりそのまま、魂と呼ばれるようなソレと共に新しい器に移しているのだが、今回ばかりはそうもいかない。 この重篤な欠陥を抱えたまま次の器を使ったところで、無駄な時間を消費するだけなのは明白。 ならば、彼女の記憶はこのまま、この俺、現在の肉体と共に破棄してしまったほうが賢明というものだろう。 …………けれど。 どうしても、俺は、ああ、なんてこった、どうしたらいい? わからない。 彼女を忘れるなんて、そんなこと、本当にして良いのか? だって俺が彼女を忘れてしまったら、彼女の笑顔、俺を呼ぶ時の声、少しばかり幸福と呼べるような、人並みに過ごした日々は消えてしまうんじゃないか? まただ、また、今も涙が止まらない。どうして、俺が為すべきことはわかっている。早く、一刻も早くこの不具合を解消しないと。俺が使い物にならなくなる前に。 彼女が居なくなったのだから、俺はまた「水曜の魔術師」になるんだろう。 それがこんな状態ではいられない、早く、忘れてしまわないと。 大丈夫だ。一時的に消すだけなんだから。 入用になったら、静かに感傷に浸れるような時が来たら、その時に思い出せばいいように、俺は今これを書いているんじゃないか。 たとえ俺にそんな時間が永遠に来なかったとしても。 だとしてもその時は俺以外の誰かがこれを読んで、そうして、彼女が確かに存在していたことを記憶する。それでいいんだ。
……だからこれは大した話じゃあない。 ただの昔話になるんだ。
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校舎を出て長い坂道を下り、国道を上り方面に少し歩くと俺がいつも使っているバス停がある。携帯の時計を確認するとバスが来るまでは10分ほど時間があったので、カバンの中から適当に参考書を引っ張り出して読みながら立っていると間もなくバスがやって来る。俺は整理券をとり空いていた後ろから二番目の座席に腰を下ろす。俺の家の方角から登校する生徒は少ないので、いつもの事だがバスは空いていた。
バスに乗ると家の最寄りのバス停までは20分ほどかかる。最初の10分は参考書を開きさっきの続きを読んでいたが途中で飽きて顔を上げると窓には雨粒がついていた。俺は参考書をしまい、かわりに傘を取り出す。それから家の近くに着くまで、ぼんやりとアスファルトや屋根や傘を持たない人やその他色々を雨粒が叩くのを見ていた。
俺の家の近くもまだ雨が降っていた。バスから降りた俺は学校に置きっぱなしにしていたビニール傘を広げて歩き出した。
雨は次第に強くなっているようでまだ夕方なのにどこか薄暗かった。学校にいた頃は晴れとは言い難いが��ぁそれなりに明るかったので天気とはわからないものだ。俺は傘をさして歩いている。辺りに人気はない。時折横を車が走り抜けていく。きっと人々は雨足が弱まるのを待ってどこか屋根の下に閉じこもっているのだろう。
雨粒の落ちる音と車が走り抜ける音を聴いていると、ふと、突然に、視界の中の遠くの方に真っ赤な傘が現れた。奇矯な奴がいると思って少し安心した。その傘は進行方向側からこちらへ歩いているらしくどんどんと大きくなっていく。それにつれて、傘の持ち主の姿も少しずつ見えてきた。
真っ赤な傘の下に居るのは女の子のようだった。真っ黒な学生服、あれは隣の街にある女子校の制服だったと思う。片手にカバン、もう片方の手には傘を持ちぱちゃぱちゃと黒いローファーで水を踏み踏みこちらへ歩いてくる。顔は傘の影になって、見えない。
俺も彼女も歩いているから距離はどんどん小さくなっていく。とうとう彼女とすれ違う時、彼女の顔が見えた。
あの顔を俺は知っている。何度も何度も描いていたから。高校生になった彼女と一緒に話をする夢を、ただ恋人同士のように隣を歩く夢を、そうであったらという叶わない妄想をしていたから。
「未雨!」
考えるより先に身体が動いた。そんな事が実際にあるなんてその時まで知らなかった。けれど操られるみたいに俺は横を過ぎ去って行こうとしたその亡霊に駆け寄り名前を呼びその細い肩に手をかけた。彼女が振り返る、何事もなかったみたいに。
「あれ、竣じゃないか。こんな雨の日にどうしたの」
そう言ってにこりと笑う。毎日教室で会っているクラスメイトと、たまたますれ違ったみたいな声をあげる。
「なんだ。竣、きみ、傘持ってないの?」
馬鹿だなぁと言って彼女は持っていた傘を傾け俺が入るようにする。ああ、お前は本当に、いるのか?
「ぼくこれから暇なんだけど。雨宿りでもしない?」
彼女は俺の返事を聞かないで歩みを再開する。俺がしばらくそこに立ち尽くしているとやがて彼女は再び歩みを止めて振り返り俺の方を見た。
「竣、来ないの?」
ああ、行く。と返事をしてまた彼女がさしている傘の下に入れてもらう。傘を持つ手にそっと触れると彼女は窘めるように笑う。触れた手が冷たかったので俺はやっぱり彼女が幽霊なんじゃないかとそう思った。
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「おかえりィ」
「アレ」は口に入れたばかりのカレーライスをひとしきり咀嚼し、ごくりと飲み込むとそう言った。「アレ」というか、目の前にいるから、「ソレ」か。
はじめて見た「ソレ」の姿は、端的に言うと子供、というか高校に入るか否か位の少年だった。すっきりとした長さの黒髪の切り口は、自分で切ったんだろう、所々直線を描いている。色の白い肌、スプーンを持つ左手の指はすらりとして美しい。長く上向きの睫毛に覆われた大きなアーモンド型の眼窩にはぱっちりした瞳が収まっており、瞬きをする度にその朱色が、まるで炎が風に吹かれるようにちらちらと揺らいだ。 カレーライスを口に運ぶ仕草と口元や目元の少しばかり大仰な笑みさえ無ければ、物静かで憂いのある美少年といった所だろうか。表情で全てが無駄になっているけど。
ひとまず、俺は「ソレ」へ「ただいま」と返事をして食卓の向かいへ座り「ソレ」の仕草を見ていた。
「ソレ」は最初のうちは気にせず呑気に食事を続けていたが暫く後ピタリと食事の手を止め俺を見つめ返した。
「…………カレー食べないの?まだ鍋の中に残ってるよォおれまだ食べ始めたばっかりだから」
先の一言ではわからなかったが変に間延びした、それでいてめいっぱい喋りたいと言わんばかりの早口で「ソレ」は言葉を発した。
「今日は外で食べてきたから良い」
俺がそう返すと「そっかァじゃおれのためにカレー残しといてくれたわけェ?えー困るよ嬉しくなっちゃうじゃん」などとひとしきり喋ってから食事を再開した。大きく口を開き、嬉しそうにカレーライスを頬張る。皿の上には器用に人参が避けて残されていた。
「あ、そうだ。」
再び「ソレ」は俺に声をかけてきた。
「おみやげある。そこのォ、冷凍庫の中に入れたから、開けてみて」
何故か声色が嬉しそうだった。アイスクリームでも買ってきたんだろうか。俺は席を立ち中型の冷蔵庫の下の段に手をかけ冷凍室を開ける。箱の中に閉じ込められた冷気が首元を撫でた。
買い物に行く前であまり物の入っていない冷凍庫の中には、カップに入ったバニラのアイスクリームがふたつ���近くのコンビニのビニール袋に入ったままの状態で入っている。「ソレ」が買ってきたんだろう。
「アイス?」
「それもそうだけどォその下のやつ」
「……下?」
アイスクリームの入ったコンビニの袋をちょっとくらいなら平気だろうと外へ出す。確かに言われた通り、俺の身には覚えのない大きめのジップロックに入れられている何かが入っている。
「…………」
その、透明な密閉式ポリ袋の中には、ふっくらとして、肉付きの良い、40センチばかりの、柔らかく、きめ細やかな、切り落としたばかりの「とても美味しそうな」幼い腕が一対、収められていた。
ごくりと唾を飲み込み俺は振り返る。キッチンの向こう側、食卓テーブルから「ソレ」は冷蔵庫を確認する俺の一部始終を見ていた。
目と目、俺の目と「ソレ」の目とが合う。
その目が細められるのに合わせて焔のような瞳が大きく一度陰る。良からぬものを火にくべた時のように怪しい色が瞳のゆらめきに混ざり光った。
「あ、おれアイス食べるからァ。スプーン、頂戴?」
そう言って「ソレ」は、
開野寧はにいっと笑った。
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ある日。
俺は大学から自宅の前まで戻ってきたところでリビングに明かりが点っていることに気が付いた。夜の住宅街の中、遮光性の低い安物のカーテンごしに、室内灯が窓枠で四角にに切り取られて青白くぼんやりとした光を放っている。
それには別段、驚きはしなかった。俺は朝、電気を消して家を出たから、恐らく「アレ」が今日も俺の家に来て電気を消し忘れてそのまま出ていったんだろうと思った。
戸を開けようと革製のキーホルダーがついた鍵を一回転させドアノブを捻るが扉は開かない。少し首を傾げた後もう一度鍵を、今度は反対向きに一回転。今度はすんなりとドアノブが回り、俺は無事に家に着いた。
勿論、家主である俺は毎日きちんと戸締りをして家を出ている。つまり、鍵を開けっ放しにしていたのは「アレ」の仕業な訳だ。今日のメモに戸締りはきちんとしろと添えてやろうと考えていたところで、玄関に見知らぬ靴があると漸く気が付いた。
底の丈夫そうな黒のショートブーツだった。玄関に置いてある俺の靴とは明らかに大きさの違う、少し小振りの、しかしれっきとした男性用の靴だ。
ふむと少し考える。土足で入るなという俺の言い分を「アレ」は聞いてくれているらしい。そしてこの靴が玄関にあるということはつまり。
廊下を歩きリビングの戸を開けるとやはり、「アレ」は居た。
「アレ」は、リビングから繋がるダイニングスペースでまるでそうすることが当たり前といった風に食卓について、俺が昨日作ったカレーライスを心底幸せそうに口に運んでいるところだった。
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なんでもない日 続き
まだ春だというのに茹だるように暑い日だった。
合鍵を使って階段を幾らか上がった階の突き当りにあるちはやの部屋の重たい扉を開けるとすぐに鉄の匂いがした。
「出来の悪い邦画のようだ」と言うのはこういうもののことを言うのだと俺は一人で納得していた。
ちはやはいつもと同じ格好(着古した黒いライダースジャケットとタイトな黒のパンツに悪目立ちしそうな蛍光ピンクのTシャツで俺は再三やめろと言っているけれど本人は10年近くその服装を止めない。)でいつも俺が使っているソファに腰掛けて煙草を吸っていた。
メンソールの煙草があげる煙の匂いと鉄の匂いが混ざりあって本当に何処かの邦画のようだった。
リビングへ繋がる扉が開いたのを聞いてちはやはこっちを向き「よっ」と言って軽く手を挙げた。
俺は適当に挨拶をしてソファの横に座った。
本当になんでもない日のようだった。
「硝子ちゃんは?」
「んー?実家」
「そっか」
「これさ、出る時に張替えとか金かかるかな。」
「かかるでしょ、ただでさえヤニ塗れなんだから」
壁に散った絵の具のような赤は水気を無くし既に鮮やかさを失いつつあった。
それを見ても自分が冷静なのは特段不思議ではなかった。
けれどちはやがここまでいつも通りであるのは多少なりとも不気味に思えた。
俺が考えているちはやはもっとこういう時に慌てふためくのではないかと勝手に思い込んでいたものだから、寧ろ落ち着き過ぎているとも言えるような彼の様子は俺に(若しやこいつは既に狂っているのかもしれない)とすら思わせた。
「それで、なんで殺したの?」
我ながら月並みな台詞を吐いたものだと口にしてから気付いた。
もしかしたら俺も少しは動揺していたのかもしれない。(動揺していたとしたらそれは死体に対してではなくやけに落ち着いているちはやに対してだろうけれど)
問いかけられたちはやは僅かに困ったような素振りを見せた。
理由を言語にしようと視線を彷徨わせながら(それはいつもちはやと会話する時に見える仕草だったので俺は少しだけ安心した)彼は吸い終わっていない煙草を灰皿に押し付けた。
「むしゃくしゃしてやった。で良いかな」
「俺は良いけど世間は許すかな」
「じゃあカッとなってつい」
「そう」
「カッとなってたから思い出せない」
「なるほどね」
まぁそんなもんだろ、なんて言ってちはやはソファから立ち上がった。
その態度が俺にはなんだか気に食わなかった。
何はどうあれこのような状況で、嘘みたいに落ち着き払っているちはやが、俺は何故だか無性に羨ましかった。
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