Text
ちょっと海の向こうで、でも同じ地球で、普通に今戦争してるのに、私は自分のことでいっぱいいっぱいで、Twitterで気が狂いそうになりながら、チケットを探してて、本当、どうなってるの。
無関心でいいわけないけど、対岸の火事で、普通にしてて、なんなら生きるに直結しないことに必死になって悩んでて、いつも見ないふりしてた問題が露わになった瞬間に、あたふたと罪悪感ぶら下げてうろうろ。
いつも冷��に無視してたくせに。
平和な部屋で平和な悩みごと、何もできることないしと自分を甘やかす。でも頭のどこかに引っかかってて、もやもやと。
0 notes
Text

ね
いつのまにか、自分が楽しむんじゃなくて、楽しませてもらうことが前提みたいに考えていたことにやっと気が付いた。
余りにも当たり前にずっと楽しかったから。与えられることに慣れきっちゃって。それってずいぶん傲慢だなぁって。
手を差し出したら必ずチョコレートを与えられるなんて、子供の時だってありえなかったのにね。
また。頭の中だけで気持ちよくなって、現実見て少し泣いて。でもそれだけで終わらなくて。ちゃんとまた前を向いちゃうんだなぁ。私って最強だから。
私、また前より強くなって。大きくなって。
この世界と仲良くできそう。
あとはもう、自分のできることをやるだけだ。
0 notes
Text

水母の骨を拾って
tacicaについて、私はずっとライブよりも音源の方が好きだった。いつのタイミングでライブに行っても、楽しいけどいつもどこか消化不良で、目の前の音楽を放っておいて、頭の中では違う曲が流れていることも少なくなかった。
だから、今日も気まぐれに知らない映画を見に行くみたいに、ちょっと前に調べた絵を美術館に見に行くみたいに、日曜日のパン屋さんのパンみたいに、いつもはなくて問題なくて、でもあったら嬉しいくらいの気持ちで有楽町へ向かった。
やっぱりtacicaは歌詞だから、歌詞集を買えたらいいなと物販にも並んだ。多分、物販に並ぶの10年前の烏兎ぶりだと思う。本一冊読めちゃう時間、ひたすらに並んだんだ。401、危なかったね。よかった。
それからお酒。スペインのビールとパエリア、場所変えて緑茶ハイとビール。リハの音漏れを思い出して気持ちが高まる。入ったらあっという間。暗転。
私はずっとtacicaのライブに血が流れてないと感じていた。いい意味でも悪い意味でも、レースのカーテン越しのライブだと思っていた。同じ音楽を聴いてるけど、見えてるけど熱気がないような。CDよりも熱を感じないなんて。だから、今日は驚いた。ずっと、違うものを見ていたのかな。
こんなにもピュアに歌詞が耳に届くなんて。こんなにも強く身体が揺さぶられるなんて今までなかった。tacicaのライブにもっとと思う日が来るなんて思わなかった。CDだけじゃ聴こえない音が聴こえた気がして。2008年の宇都宮で初めて見たライブを超えてくるような。初めてHuman Orchestraをタワレコで聴いた時のような。余韻を抱えたまま電車に乗れると思わなかった。
tacica、今、すっごくかっこいい。付かず離れずからもう少しだけ近づいて、出不精にならずに、一つと決めずに、これからもちゃんと音楽に向き合ってこう。
やっぱ音楽っていいなぁ!
0 notes
Text

名前なんて呼ばなくていいから、知ってくれてなくていいから、だから
まだこんなに気持ち悪いくらいに大好きなんだって思って、笑った。笑ってみた。桜を見て綺麗だねって言うみたいに自然に、桜が散って寂しいねって言うくらいに乾いていられたらいいのに。
カリスマのツアーがめっちゃ良くて、もっともっとって、そんな自分が手を伸ばしてたんだって。足るを知るってずっと言ってるのに。なんですぐに忘れちゃうのかなぁ。
少し気持ちを離して、いろんな世界吸い込んでくる。ちゃんと自分の中で解決するから。
0 notes
Text
あっという間に一つの事しか考えられなくなるから、本当に自分が大嫌い
一つ私は、それはもう愚かもので、性格も悪く、そんな自分を自覚してるんですよというこんな前張りをして、守りに入るような卑怯者なので。この以下の文章は読んで欲しいけど読んで欲しくない。そんな気持ちで今キーボードを打ってる。
まず、有料情報だから、言いたいことをはっきりと書くことができない。だけど言いたいことがあったから、公式に直接メッセージ送ろうと考えたんだけど、基地外、粘着、痛いファンと思われるだけだろうし、結局最後は『嫌なら降りろ』というだけなので、ただ楽しい雰囲気に水を差すだけの行為はしないほうがましと考えた。まあ、単に怖かった。じゃあ、なんでここに書こうとしてるのかというと、そうしないとはじけ飛びそうだから。誰も見ないで、誰か見て。気持ち的には今すぐチケットをキャンセルしたくてしかたない。そのくらい、今苦しい。
そもそもたかだか好きなバンドのファンクラブライブごときで、ごちゃごちゃ内面荒らしてるんじゃねえよって言われたら。それはごもっともで、私の頭ではそれを理解してる。でもそのバンドの音楽が好きで、そのバンドのライブが好きで、そのバンドとの関係値が自分の人生の中に確固としてあるからこそ、私にはごときなんかじゃないからこそ、今回のラジオの内容に心がぎゅうぎゅうと締め付けられる。全部自分の望む通りになるなんてありえないし、たった一人の意見が尊重される世界は民主主義の敵だよ。嫌なら行くな。本当にそう。なのに、それを選びたくなくて、世界が変わってくれないかと子供みたいに、ほんとバカみたい。ばかばかしい。でも、気持ちを整頓させて。お願い。ここに残しておきたい��。
なにがそんなに気に食わないのかって。まず、私はFTTにいってない。配信は買ったし見たけど、どんなに素晴らしいイベントだったのか私は全体像を知らない。それは本当にごめんなさい。ラジオとライブの相性について、その魅力を分かってないから、この企画のすばらしさが分からないんだと言われたら、その通りなので。
その上で、やっぱりみんなの投票を基に、からの今回の情報ではだいぶニュアンスが違ってくるのかなと。どこまで書いていいのかわからないから、もう一線を越えててファンとして失格ですって言われたらもう終わりなんだけど。投票を軸にしたライブはまあわかる。でも、ラジオを絡めることで、投票+ファン個人が作成したコンテンツが軸になるなら、私はその時間どう過ごせばいいのかわからない。私が私の好きなままに聞いてた音楽に、私じゃない人が感じたこと、私じゃない人の思い出、私じゃない人のお気持ちを添加しないといけないの?
わかるよ。たった数行の他人の感性を受け入れられないの?って言うんでしょ?そうなんです。私って人間はそういう人間なんです。だから、大事な映画は一人で行くし、ユニゾンのライブだって一人で行くし、美術館だって一人で行くんだよ。私が感じたことが全て。誰がなんて言ったって、それを大事にしてきて、今の私ができてる。小さい人間でしょ。でもさ、世界だってたった数行の他人の感性が受け付けられないから、ブロックやミュートって機能がSNSにはあるんじゃないの。かっこいい音楽を聴きに行くときに、自分とバンド以外の第三者が入って、それで『よりよく』なることなんてあるの? もちろん、その誰かの感性が尊いことは間違いないんだけど。それはその人とバンドの中だけにあればいいって思っちゃうんだ。なんで私がそれに手を叩かないといけないの。ほんと辛い。8000円払って傍観者として突っ立っていろということなの?
ただライブをするだけじゃ、だめなんかな。わかってる。ファンを楽しませるために、いつもと違うことをやろうってこと。嫌な気持ちにさせてやろうって思ってる人はだれもいないってこと。つまり私が勝手に傷ついてイラついて、唸っているだけだ。ただ選ばれないことに悲観して、僻んでいるだけだと言われたら、その通りかもしれない。でも、そんな一生の思い出つくるって、幕間で名前叫ぶ行為と変わらなくね。それがユニゾンのライブで体験できる一生の思い出なの?それはお手軽な一体感となにが違うの?わかるよ、全員をフォローなんてできないこと。でも、なんで会費払ってさらにチケット代払って、他人の自己顕示欲を満たしてやらないといけないの。その分ライブみたいって思うのは間違ってるの?ファンが本当に他のファンのコンテンツを聴きたいってそう思ってるの?それとも、名前呼んでやるからきゃーきゃーいって満足してねってことなの? 私はベースがその日の為に考えた最高にクールなセットリストで音楽を聴きたいよ。
他にも自由に過ごせるはずの時間を拘束されるのもしんどい。自分勝手だってわかってる。でもなるべく人と居たくないからギリギリに入りたい。時間内で魅せてはくれないものなのか。その日全部をバンドに捧げなくちゃだめなの?そうしないとちゃんと楽しむことができないの?気持ちを高めるのも、余韻を楽しむのも、私にとって大事だから。気持ち悪いってわかってる。だから。こんな自分が嫌いだって言ってる。でもこんな自分でも生きてていいのかなって思わせてくれたのがユニゾンなんだもん。くそ、くそ、くそ。
こんなに苦しんでるけど。まだラジオは会議なだけで、内容が決まったわけじゃないっていうのなら救われるけど、決まり!って言ってたしからそれもないよね。まじで8000円のチケット、買ったけど行けないままで終わるかもしれない。ただ好きなバンドの音楽が聴きたいだけなのに。つど曲間に耳を塞いで、音が鳴ったら外すって、そうとう痛い客だよね。ほんと、やだあ。もう本当にやだ。なんでラジオに拘るの。
普通のライブがいい。普通が最高にかっこいいから。結局行くのかな。聴きたい曲を人質にされて。でもどうせ選ばれない。民主主義は多数決だから。こんなに人を拒絶して、私が悪いのはわかってるの。泣いたって駄々こねったってダメだって。私の大事な曲はダイジェストでお届け!すらされないだろうからねって、ほんとなんでガッカリしなきゃいけないの。そこにある意味がちゃんとあるセットリストなら、納得できる。ファンのだれかがこんな気持ちになる曲ですって。他の人達も好きですって、では曲やりますって、気持ち悪いんだよ。ツライ。そうぞうして勝手に苦しんでバカみたい。行きたくないのに行きたいのバカみたい。
行かなければいいは本当にそう。受け入れられないなら、辞めればいいもそう。ドラムが言ってくれたように、ちゃんと自分たちで考えた企画なのはそうなんでしょう。でも、それにしても、ラジオの攻撃力高すぎた。耐性なさ過ぎて死にそう。
私の感性を披露されたら満足なの?私の好きな曲全部やったら満足なの?それは違うって言えるよ。だからわかったごめん、私ベースが考えたかっこいいセットリストが聞きたいだけなんだわ。それを長い時間聞けたらいいなって。つまり、普通のツアーに行けよって話なんだろうね。
そうだよね。そもそも、ライブのチケットが当たりやすくなればいいって入ったファンクラブだもん。今回のファンクラブ会員限定ライブはオマケみたいなもので。行きたいに決まってるし、行きたいよ。でも、ダメなら諦めるしかない。私は何よりも自分とバンドの音楽にノイズ(って言い方はよくない、その人にとっては本当に尊い感性)が入って欲しくない。だからダメなら仕方ない。その気持ちでいる。でもさ、みんなもラジオがあるからファンクラブ会員になったわけじゃないんじゃない?ライブが見たくて入ったんじゃない?それともこれがいまのユニゾンが適切だと思うファンとの距離なの?お前は来るなってことなら殺してくれ。
まだ全然気持ちが治まらないけど、いつもみたいに勝手に悩んで勝手に苦しんでるだけかもしれないし。捻りのないバットエンドは望まないって自分で言ってたでしょう。苦しむ、ちゃんと苦しむ。
いっそなくなってくれた方がましって思う私は本当に最低です。
0 notes
Text

苦しいこと、悲しいこと、辛いことばかりで、この先日本でも戦争が起こって、地球の環境が悪化し��、お先真っ暗だったとしても。それが真実だったとしても。
この世界の終わりやこの命の終わりが、ただのありきたりなバッドエンドだなんて、そんな捻りのない未来は描きたくない。
どこか局所的にある希望、日陰で咲こうとするたんぽぽのような、毒を撒き散らさない胞子のような。どこまでも絶望的だったとしても、簡単に終わりだと終わらせないように。自分の命も。これ以上ない、この辛さには耐えられないと思った先をやっぱり感じたいと思うから。
春の風に吹かれて。
1 note
·
View note
Text

目を凝らしたら、ちゃんと見えるから
今日もふと寂しくなって、泣いてしまった。悲しい想いは悲しい想いとくっつく性質があるのかな。お母さん、お父さん、なんて呼んでしまったりして。
まだ、どこにも行けないでいる人を想う。
どうか安らかであるように健やかであるように。
悲しいことが一つでもなくなりますように。
そう思う。偽善でもなんでもいい。そう思うから。
苦しさとか辛さとかごまかせないけど、ごまかせないまま生きる。
大丈夫になれなくても、大丈夫じゃなくても、
明日悲しい事がまた起こっても、それでも生きる。
いつも正しい君はきっと違う答えを出すんだとしても、
今はそう思えるから。
私はそう思うから。
1 note
·
View note
Text

答え合わせのその前に。
今日は散歩をしなかった。早くお風呂に入ろうと思って。ただぼんやりしてた。湯が沸けるまでの時間。1月にライブを見て、2月は見なかった。3月も見たかったけどチケットがなかった。勝手に少しブルーになる。早く入ろうと思ったのに、まだパソコンの前でダラダラしてる。いつもの時間と変わらない。お風呂に入らないと。
やっぱり。言葉にしておかないと、大事な時間のその時の気持ちは毎日のあれこれと共に流されちゃう。それでもなんとか目を凝らして欠片が光るのを待つけど、それだって瞬きの隙に消えちゃうみたいで。
詰まり何が言いたいのかというと、次の約束が欲しい。そこまで頑張るテープを張って欲しい。
そんなことを考えながら、椅子に座ってる。誇れる自分は最近不在。万能感があればいいんだけど、脳みそは手足程には自由に扱えないから不便。
もうすぐオリオン座も見られなくなる。別に消えちゃうわけじゃないけど、太陽の光に隠れちゃうから。もううっすらとしてる。
こんな日は早く眠ること。音楽は聴かないこと。今すぐお風呂に入ること。
1 note
·
View note
Text

今度はお父さんが逝っちゃって、もう私が生まれた日の、夜の色を知ってる人は居なくなっちゃった。
別にいい親じゃなかった。お母さんもお父さんも。だけど、わるい親でもなかった。よくある破綻した家族だった。
思い出なんか多くなかったけど、それだって大事にしてる思い出もちゃんとある。何よりも愛されてると確信していた。誰よりも大切にしてきた自負もある。
だから悔いとかはないけど、もっと話がしたかったなぁ。話がもっと聴きたかった。人の業について教えて欲しかった。愛の形について一緒に考えたかった。
足りないよ、全然足りないよね。あーあ。
1 note
·
View note
Text

今日どんな日になるのか、神様もまだ知らない
なんとか、なんとか、今日にたどり着いた。年末から悲しいことがたくさん起きて、ジクジクと耳が痛んでいて、追い重なる電話にまた果てしない気持ちになってた。
一つの感情を処���する前に次から次から船を揺らされて、まだ、ちょっと、待ってよなんて言えなくて、一つひとつなんて考えること自体が罪みたいな場所で、やらなくちゃでいっぱいいっぱいで溺れそうだった。
自分だけが辛いんだってそう思い込めたら、まだ多不幸感に酔えてなんとか感情を一本化できたけど、もうそんな風に喚き散らかせるほど子供じゃ居られなくて、段ボールにボールペンで穴あけながら、もらったお土産の人形焼を投げ付けながら、なんとかするしかなかった。
嫌いとか、苦手とか、言って回避できることって本当にありがたいことだったんだなと。現実は嫌いでも苦手でも、向いてなくても、できないなりにやらなくちゃいけないものね。
そんなことがあったから、今日はもう有明なんか行けないのかなぁって、ぼんやり思ってた。インフルエンザも流行ってるし、そういう個人の楽しみを優先したらだめかなって。でも、お姉ちゃんが助けてくれて、肩を押してくれて、送り出してくれた。私が行く気になるように、きっとやりたくなかったことを引き受けてくれて。
一人きりじゃ行けないところって、もっとふわふわした幻想だと思ってたけど、現実にたくさんあるって、そう思った。本当にありがとう。
今日どんな気持ちで会場をでるのか、私はまだ知らない。どんな曲から始まって、どんな曲で終わるのか、どんな余韻に纏われながら改札を抜けるのかまだ知らない。今から一個づつ知っていく。明日の私は全部知ってる。それが楽しみでちょっと怖い。
着いたらホットワインとか飲めたら良いんだけど、有明からの道なにもないから、結局ファミマでビールになるんだろうな。想像できないこと、見てくる。わからなくて当たり前な感情、感じてくるよ。もうすぐだ。
1 note
·
View note
Text

2024年もおしまい。
お母さんが死んで、急に1人になって、残されたものに追われて、責任と義務ばかり感じて、毎日布団に入るとやっと1日が終わったって思って、いつもこのまま目が覚めなければって願ってて、先行きは不安ばかりで、お金の価値が下がって、それと同じ速さで自分の価値もどんどん下がってて、体も衰えてて、7億円が当たってもやりたいことがないことに気がついちゃって、夢も見なくなってて、お気に入りのお洋服が全部3年以上前に買った服ばかりで好きな服にも出会えてなくて、今も不安で、明日のことも不安で、来年のことなんか考えたくもなくて。
未来が不安。世界が不安。自分が不安。楽しいことだって嬉しいことだって、たくさんあるけど、それらを簡単に押しつぶしちゃうくらい、考えると全部が怖くなる。
なんとか、なんとか、毎日生きてる。なんとか、栗きんとんを作って、なんとか蕎麦を茹でて、なんとか暮れの挨拶できて、なんとか明日の刺身を用意できて、なんとか好きな音楽を聴けて、なんとか明日の雑煮のレシピを見られて、なんとかこのブログを書いてる。
立派なことなんか一つもなくて、自信を持ってできることもなくて、毎日毎秒不安がって心を酷使してる。もっと良くなりたい。もっと大らかになりたい。健やかに豊かに、安心と共にいたい。だけど多分、私には無理だと思う。ピンと張り詰めたままだと思う。だってずっとそうだったから。
明るく努めようって、すでにどこかネガティブをはらむ考え方で、頑張りすぎないとかもおんなじ。私はもともとそういう作りなんだと思う。それを受け入れてしまいたい。
なのでこれからも、なんとか、なんとかを繰り返して、明日を生きます。
イヤイヤでも、希望がなくても、義務に感じても、それでも最後まで生きる。生き抜く。それが多分私の1番やりたいことなんだと今は思うから。大好きな曲、あと何回聴けるかな?この人生で、あと何回ライブに行けるかな。時間はそんなに多くないね。だから、生きよう。辛くても、それでも、生きよう。
1 note
·
View note
Text

目を凝らして、耳を澄ませて、足るを知る
言葉にしないと、そのことを思い出す手立てすら無くしてしまうから、両手に少しだけ残った欠片をちゃんとここに残しておこうと思う。
高崎。極まった。私にとって最初の極まるで、そして2024年のライブが極まる、そんな1日だった。高崎は好き。今回はあんまり街を歩いたりできなかったけど、山が近い場所特有の澄んだ空気が都会的な街並みに溶け込んでいるような感じがして。絶対に伝わらないと思うんだけど、リニアブルーを聴きながらって感じの色をしてる。
もう終わったから曲名出していいんだろうけど、まあ1曲目。こんなに胸が熱くなるイントロ、リバイバルでだって、武道館でだって聴いたハズなのに、ずっと聞きたくて今日やっと初めてライブで聴けたんです。みたいな気持ちにさせられる。何かを体の中から呼び起こされるような、コップの中の水が振動で揺れだすような、光の輪が広がって全部を飲み込むような、圧倒的始まりの予感に、身体が震えた。
それから、秋だね。どうしてイヤホンから聴こえる音とライブで耳に届く音、こんなに動かされる情緒が違うんだろう。イヤホンだとコート着込んで落ち葉を踏みながら足早に歩いてるような気がするのに、ライブだと低くなった太陽からの日差しを窓越しに感じてるような安心できるような温かさがある。どっちも好き。そして、次の曲も良かった。久しぶりに聴けて嬉しかった。コーヒーもね。気持ちが明るくなるね。好きだ。あとは通常通り、幕引きは自分で。やっぱりそれが一番いい。
もうあとは年末年始を駆けるだけだ。もちろん気持ちだけなら、クリスマスだってまだ音楽が聴きたかったし、バスのタワレコのイベントだって行きた��ったけど、全部を自分の願い通りにするなんて、それはもうただの傲慢だから。欲張りは身を滅ぼす。だから、ちゃんと自分で考えて、行かないって決めた。今年はもうたくさん過ぎるくらい、音楽を聴けたから。なので、次に目を向ける。私にとっての次のライブは1月のカリスマツアーだね。それだって私の感覚なら、もうすぐだ。
ちょっと風邪気味で、少し寝不足で、気持ち仕事を頑張り過ぎて、思ったより人と多く喋って、だから疲れたって気持ちで一杯になって。ここのところ、いろんなことに嫌気がさしてた。誰かと一緒は楽しいけどしんどい。楽しいだけはどこにもないよなぁとか。でも、まあまだ生きてる。きっと来年も頑張れる。なので、とりあえず今日は寝よう。それが一番だから。
1 note
·
View note
Text

じわりじわりと沁み込むような温かいカラー
幸せな余韻のまま迎えた大阪ぶりのライブ。いつもだったらどんよりとした今にも泣きだしそうな空だなんて例えただろうけど、その日の私はまろみのある乳白色の柔らかい空だななんておもったりして。
横浜の街を少し遠回りしながら散歩して久しぶりに海を間近にみた。不思議と潮の香はそこまでしない。ウミネコの鳴き声を聞きながら大きな船の横を歩いて、大きな観覧車もみたよ。
まったりした気持ちだった。今日は飲まなくても良いんじゃないかって思ったくらい。穏やかだった。まぁ、地ビールが売ってたから、結局は飲んだんだけど。でも立てないほど歩けないほど酔わなくて、本当に気持ちいい酔いで向かった。開演10分前。
終わりみたいに始まって、始まるように終わった不思議なセットリストだった。火が噴いたり銀テが飛んだり(掴んじゃった笑)、そもそもみんな自分が主役ですみたいな曲たちばかりなのに、そのみんなが席を譲るみたいに、真ん中にはアナザーワールドエンドが座ってて、そこには思ってたほどの感傷や必要以上の高揚はなくて、ただただ美しかった。
やっぱり、ユニゾンの曲はライブで聴くと輪郭がはっき��する。音源で聴くのもすごくいいし、歌詞を読むのも好きなんだけど、ライブはそれぞれのレイヤーが結合されて、聞こえてなかった奥の奥の音を感じられる気がする。continuedと同じくらいに輝いて、大好きになるんだろうなってそう思った。
その日は帰り道に駆け出すような踊りだすような、そんなライブじゃなかった。じんわりと紅茶のティーバッグから色が溶けだすような、姿が見えないのに香る金木犀のようなライブだった。今日の延長線上に明日があるってことを感じさせてくれるような、いつまでも余韻を残してくれるようなライブに感じた。いつもは現実に戻らないとって思うのに、切り替えが必要に感じないほど自然にフェードアウトしていった。
本来ならベストのツアーでシングル曲が9割のセットリストなんだから、牛丼のチェーン店食べ比べみたいに重いはずなのに、この軽やかさはなんなんだろう。本当に新しいライブ体験だったと思う。またシングルだけのライブが見たいね。
次は高崎が極まる。やっと買った極まるTシャツを着られる!Tシャツでは高崎は極まってない?けど、初めて極まるからね。高崎で極まれて本当に良かった。また仕事いっぱい頑張る。
明日でライブから1週間も過ぎちゃうなんて信じられない。本当はもっと話したい事がたくさんあるんだけど、今日はもうこのくらいで。中途半端だけど、おやすみなさい。
1 note
·
View note
Text

ぼんやり生きてると、昨日も明後日も全部一緒になって流れてしまうよ。
なんの話からしよう。9月19日。私は、大阪にいた。大阪は数えで5回目?初めてはバスの復活じゃないライブ、その次が復活ライブ、ユニットバス(おいカタカナ)、それからユニゾンの15周年。そろそろ慣れたっていいのに、全然知らない街に感じる。同じものをみたはずなのに。
今回、初めて新幹線に乗って行ったよ。すっごく快適だ。さすがに買ったソイラテは冷めちゃう距離だけど、あっという間に着くからまるで隣の県へ行くみたい。バスをのんびり夜行バスで見に行くっていうもの大好きだったけど、新幹線を覚えちゃうとそれもなかなか選択できなくなるね。
今回の大阪は実はそんなに怖くなかった。前回のユニットバス(おい略)で怖いことは全部自分の中にだけあって、それらはすべて杞憂だってわかったから。だから、割と純粋に好きなバンドたちのツーマンを見るんだって気持ちだけだった。なつかしさとか思い出とか、そーいうセンチメンタルな気持ちはなくて、まあ普通に考えればメジャーとアマ(私はアマとは思ってないけど)の対バンなんだから特別に決まってるんだけど、もっとなんかかっこいいバンドがそれぞれライブ活動してるなら、そういう日もあるよね。くらいの感じで迎えたの。
だから、正直いうとユニゾンのライブも楽しみだったけど、バスの新曲を聴ける方がわりとワクワクしてたと思う。もちろん、ユニゾンのライブは最高だけど、大阪でメインに活動しているバンドのライブを見られる機会は本当に限られてる。しかもこんな機会でなきゃ、長時間ライブだって見られないんだから。だから、本当に最高だった。
バスの音楽はやっぱり、すごい。Cheersの曲も生で聴くの初めてだったけど、めっちゃ好き!ってなった。ときどきメモリアルやっぱり、ライブで映える。(せっかくなら会場でアルバム買いたいって思ってたけど、売り切れだったね。通販先にしておけば良かったなぁ。バカバカバカ)新曲もめっちゃ良かった。シーサイドシャングリラいいね。バスはメンバーそれぞれ曲を作ってて、中野さんと田村さん、澤田さん(お休み中だけど)、それぞれめっちゃ違う雰囲気の曲つくるから、一粒で三度美味い!みたいになる。そんでイクラさんがあの笑顔でドラム叩くと全部ちゃんとバスの曲になるのがすごい。今のバスで澤田さんが曲書いたらどうなるのかなって思い馳せちゃうね。
相変わらずバスは僕たちただのネズミですからみたいなこと言っておきながら、バキバキにカッコよくて。いつも通りって言葉にすると変に聞こえちゃうかもだけど、顔見知りを人見知りしてくれるわけで。セトリも最高に良かった。1曲目新曲で最後も2曲新曲って攻めてる。MCも良かった。たくさん曲やってくれたのはもっと良かった。最高だ。
ユニゾンは、逆に小さい箱で見るのが久しぶり過ぎて、どうすればいいんだっけ?ってなった。別に深刻な話ではなくて。それこそ最初は席のあるライブに抵抗感があったはずなのに。いつのまにか席があるライブが当たり前になってて、急に自由にしてくださいってなったら固まっちゃったみたいな。ここで見て良いんだっけ?みたいな、席っていう自分の絶対的スペースにずいぶんと甘やかされていたみたいだ。セトリに関してはまあ、いいでしょう。私の中にあれば。あえて何か言うならドラムが楽しそうだと、私までめっちゃ嬉しくなる。誰よりも幸せになってほしい。勝手だけど、言われなくてもだけど、そう思う。音楽を続けてくれてありがとう。
最後に、ちょっとだけ後悔があって。まあ、いつものことなんだけど、私はお酒を飲んでいたわけで。買ったバスの新譜。どこかに置き忘れて来たんだよね。2枚買って、1枚は手元にあるんだけど、ホテルに帰るまでに待ちきれなくて歌詞カードを見たのまでは覚えてるんだけど、ホテルに帰ったら持ってなかった。私ってほんとバカなんだよね。また今度買わないと。拾った人がいるなら、バスの曲聞いてくれると良いな。
今回、いろんな縁があって、私は大阪に行けて、すごいものを見た。こんな普通な感想書いてるけど、私の心みて欲しいくらい。言葉にできない想いでいっぱいだ。相変わらず世界はすごい勢いで回っちゃうけど、ちゃんとここに刻んで。次にみられるだろうライブに向かってまたちゃんと自分の足で歩きだすんです。おわり。
0 notes
Text
正直であることが正しいと限らない日
お誕生日でした。 昨日はお姉ちゃんにお祝いしてもらって、今日はママの家族にお祝いしてもらって、友達にもメッセージを貰った。1年に一回のご褒美だね。台湾で出会ったハンガリーの子が未だにメッセージをくれるのが嬉しい。私は彼の誕生日さえ知らないのに。みんな、どうもありがとう。
人に優しくされると、自分が人に優しく出来てなくて、泣けてくる。10月に台湾から友達が来るのに、仕事と私事と友達を天秤にかけて、均衡を保とうとしてしまう私がいる。どれか一つを、友達にだけ重きを置けたらいいのに、そうできない自分が人でなしに思えてくる。というか、人でなしだよね。ごめんね。
自分が許せなくて、きっと友達はなによりも私を大切にしてくれるのに、私は全部を投げ出して友達を大事にできなくて。数少ない友達なのに、彼女をきっと傷つけた。きっと私を遠くに感じた。それがわかってるのに、もっと優先したいことを私は優先しようとしている。
謝るくらいなら、友達を優先すればいいのに。苦しくなるくらいなら嘘つけばよかったのに。こんな時ばかりは、自分の身勝手な正直さが痛々しい。断るにしたって、もっともらしい嘘を付けばいいのに、馬鹿正直で相手を傷つけた。
傷つけた分、自分も傷つければいいって思っても、結局はそれって自己満足で、自分は罰せられたつもりでも相手の嫌な気持ちが消えるわけはない。今私にできることは最初の約束を守ること。自分にできることをやることだ。日本に来た時に、少しでも楽しかったって思って貰えるように。
ほんと私って全然立派な人間じゃない。人として最低な人間だ。だって、こんなになっても、大阪が楽しみでしょうがない。10月の予定だってキャンセルしようと思ってない。どこまでも自己中心的だ。そりゃ友達少ないに決まってるよなぁ。
誕生日の日にこんなこと書いちゃう時点で終わってるものね。ほんと、自分にばかり都合よく生きて私は。最低だ。そして、誰かにこんなエゴでいっぱいの私を許してもらいたくて仕方ないんだから、終わってる。ほんと。許して。許してって、もうこんこんと。
結局誰にも何にも言えなかった。自分の選択の代償は、どんなものでもやっぱり自分で引き受けなくちゃいけないから。なにを持って今を誇れるのか、今は答えがわからない。自分の心の在処をもっと目を凝らして見つけなくちゃ。
1 note
·
View note
Text
この日が忘れられなくて、カレンダーに丸をつけるのか。この日を忘れたくなくて、カレンダーに丸をつけるのか。911が来るたびに、あの日のあの時のことを思い出す。
もっと悲惨な事件はたくさんあるのに、この瞬間も戦争やテロは起こり続けてるのに、この日にだけに囚われているから、これは時代を憂うなんてそんな綺麗な感情じゃなくて、もっと個人的な執着。
今はどんな言葉も自分を許すために使っちゃいそうだから、簡単に自分を肯定しちゃいそうになるから、これ以上はやめておく。
ただ毎日を真面目に。洗濯機を回して、猫にご飯をあげて、コーヒーを飲んで、ちょっとだけ祈って、謝って、感謝して。仕事をする。
いつも通りに。
0 notes