Tumgik
semicolonized-blog · 1 month
Text
風船
小さい頃から、プカプカと宙に浮かぶ風船が心底好きだったことを思い出しました。なぜなら、非現実的な現実だからです。
ヘリウムがないと実現しない上に、二日と経たずに浮かばなくなるレアものです。儚すぎる。しかし、現実として浮かぶことは可能なわけです。これは嬉しい。
デジタル上や空想上の世界は非現実的で、本当に魅力に溢れているのですが、プカプカ浮かぶ風船には遠く及びません。イラストとか漫画とかCGとかゲームとかVRとかARとかでは、どうしても誤魔化し切れない領域にあるものなのです。
非現実に対して、「だってそれは全部嘘じゃんね!」と言ってしまうと、身も蓋もないのですがね。
そういえば、プカプカ浮かぶ風船が好きな理由はもうひとつありました。
かわいいからです。
2024.8.15
3 notes · View notes
semicolonized-blog · 3 months
Text
パラドックス謎謎
Q 「自分の意思では行けないのに、一度だけ行くことができる場所ってどーこだ?」
↓ スクロールして答え合わせ!
A 「自分の葬儀」
2024.7.4
3 notes · View notes
semicolonized-blog · 4 months
Text
言語活動
A 「奴らは皆、軒並み思慮が浅く、嘘をつく。」
B 「言語表現は心の発露であり、事実を必要としない。」
A 「奴らの言語活動は既存表現に大きく依存しており、自身の心情を表現しているとは言い難い。」
B 「慣用表現も表現方法であると言える。」
A 「言語の扱い方に美意識や誇りがない。」
B 「それらは必ずしも必要ではない。」
A 「必須でないものから選び取るのが人間ではなかったか。」
B 「彼らはそれを選ばなかった。」
A 「今から選び取ることもできる。」
B 「貴方だって、今からでも捨てたら良い。」
2024.5.25
2 notes · View notes
semicolonized-blog · 6 months
Text
お掃除(ゴミ集め)
大変非効率な方法で動き回り、無駄に体力を消耗しながらも健気に使命を果たそうとする、ルンバでもない、なんか分からん名前のお掃除ロボットに、一言挨拶してから帰りたかったです。
2024.4.7
2 notes · View notes
semicolonized-blog · 8 months
Text
最悪状態
制作においては、自分自身が割と「ええやん」と思っているものほど評価されず、逆に「駄目でした」と思っているものほど評価されるということが多々あります。というか毎回です。
これ、なんなんでしょうね。私は最悪状態と呼んでいます。
最悪状態の最悪ポイントは、自分の感性が信用できなくなるという点です。例えば、自分には黄色に見えている色が世間一般では赤色だったとしたら、赤いものを描く時に黄色なのになぁと思いながら描くことになるわけです。
これは苦しい。しかし、今更でしょうか。もしかして、私以外の皆様は既にそのようなスキルをお持ちなのでしょうか。
なんてことだ…。なんてことでしょうか!
社会とはそういう…。(吐く音)
2024.2.8
2 notes · View notes
semicolonized-blog · 10 months
Text
受け入れ態勢
現代医学の進歩を鑑みると、パーツを取り替えることで120歳くらいまでは生きられるだろうと基本的には考えているのですが、ここ数ヶ月の私はどうも咳が止まらなくて苦しいので、死も救いとしては悪くないかもな〜などと多少の受け入れ態勢に入っていて我ながら恐ろしい限りです。いや、ただの咳なのですが。
人は、明日死ぬかもと思いながらは生きられず、呑気に明日の予定を立てる生き物なのですが、因果律と同じで、この安定して見えるルールも突如として崩壊し得るのですよね。
しかし、今はただ咳を怺えるのみです…。
2023.12.2
2 notes · View notes
semicolonized-blog · 1 year
Text
味のあるお湯
私の親戚には楽器が弾けるよという人が割と多くおりまして、楽器も弾けず音楽理論もイマイチ分かっていない私が何故曲を作っているのかと少し考えてみたのですが、
どうやら私は「音楽を作っている」という意識が薄く、「旋律のある歌詞を“曲”に仕立てている」という意識でやっているようなのです。つまり、音楽における「うた(詩)/歌詞/意味」の配点比率が高いのです。これは聴く時も同様です。
スープが好きというよりは、味のあるお湯が好きという感じです。
私にとってのスープ(音楽)の味とは「旋律付きの歌詞」の味であり、スープ(音楽)を成り立たせるためと、味を引き立たせるために具材(インスト)が存在するのです。ですから、私の曲はスープ(音楽)という料理名で呼ぶにはあまりにも偏っていて、味のあるお湯≒曲とでも呼ぶべき代物だったというわけなのです。
訳わかんねーことぬかすなバーカと言われれば、それで終いですけどね。
2023.9.25
2 notes · View notes
semicolonized-blog · 1 year
Text
情けのないこと
強く心が動かされるようなことがあったとしても、それを言葉や音楽で表現するとなるとこれがまた一筋縄ではいかないものなのだと気付かされますね。
例えば、先日の豪雨と強風と雷鳴はついスマホで撮影してしまう程の激しさで鮮烈でしたが、それが夕立だったことで一時間も経つと外はすっかり晴れ渡っておりまして、ついさっき体験したはずの光景が無かったことにされてしまったかのようで、物悲しさともなんとも言えない遣り場のない感情になったのでした。
このように、状況説明はある程度容易なのですが、感情を表現するとなると難しいですね。
情けのないことです。
2023.7.12
2 notes · View notes
semicolonized-blog · 1 year
Text
破滅と恋慕
私、破滅という感情をお慕いしておりまして、そのような感情を内包している事物に恋焦がれているようなところがあります。
例えば、雨風/鉄錆/狂気/恋慕/運命/思い出…
為す術のなさとか、仕方のなさとか、そういうものに惹かれる性分のようです。逆に、人間の身勝手さとか、グロ/死とかは苦手です。
ところで、“破滅”というものを感情だと言い切ってみたのですが、これはいかがでしょうかね。喜怒哀楽、滅。どうですか。
2023.4.26
1 note · View note
semicolonized-blog · 2 years
Text
感情バグ
最近、無性に虚しいのですが。これはなんなのでしょうね。こういう感覚をいつでも取り出せたり維持出来たりするような何かを作りたいのですが、感情は往々にして持続しないものでして。
つまんねー日々を送っております。これは感情バグでしょうかね。
2023.2.6
1 note · View note
semicolonized-blog · 2 years
Text
信頼している感情
それは、「可笑しさ」と「哀しさ」です。
可笑しいもので笑っている時、その心は偽りなく草を生やしていますからね。爽快感を伴う感情で良いですよね。思い出し笑いもするし。
それに対して、生活のあらゆる場面に溶け込んでいて、気付いた途端に心を締め付けて来るのが哀しさです。抗いようのない、実に人間的な感情ですよね。引きずるし。
喜びや怒りは、より瞬間的な感情というイメージです。上記の2つに部分的に内包されてはいますけどね。なんのこっちゃ。
2022.12.17
0 notes
semicolonized-blog · 2 years
Text
弱・自暴自棄
理性を保ったまま自暴自棄な感じになっている状態を、弱・自暴自棄と呼ぶことにします。
その発露はどんなものかと言いますと、表現の節々が荒れている/尖っている、それでいてある程度整えてある、というような感じです。
ね。。。。。。。。。ねねねねねねね。
こういうのです。
ですすすすすすすすすすす。
これです。
2022.10.12
0 notes
semicolonized-blog · 2 years
Text
ゲームとは!
ゲームの本質的な面白さとは、忍耐の先にある成功体験である!と思います。これを人生に置き換えると、いかにやり繰りして耐え忍び、生き残るかということです。
人間とは、生きている!と感じることに喜びを感じる生き物ですから、ゲーム性というものは理に適っていますね。これは生物全般に言えることかもしれませんが。
プレイヤーに厳しいゲームで遊べば遊ぶほど、強い人間になれそうですがそうでもないんですかね。
2022.8.10
0 notes
semicolonized-blog · 2 years
Text
居心地
どこにいても、なんか居心地が悪いです。何故でしょうか。ずっと同じ場所にいるのがそもそも苦手なのかもしれません。
居心地の良さを自ら壊しに行っている部分もあります。嫌いな���のの方が多い。破滅的な感情がずっとあります。しかしこの方法で幸福になるのは相当難しい。
コナン・ドイルはホームズを殺したくて仕方なかったらしいじゃないですか。なんかそういう感じじゃないですかね。まあ、結局復活させたんですけども。そしたら先に死んだのは作者本人ということになりましたね。
2022.7.27
0 notes
semicolonized-blog · 2 years
Text
エコロケーション
今日(既に昨日)、曲を投稿しました。普段はあまり書かないのですが、少しだけ…。
一年前に投稿した「ハイドレンジアは紫陽花」という曲を作る前に作り始めた曲です。何度も没にしましたが、結局捨て切れませんでした。歌詞とメロディーはほとんど一年前のままですが、半年後くらいに少し歌詞を足しています。A.I.VOICEが発売されて音域が広がったことも、使用したいと思えるような環境音が録音出来たことも、没脱却の要因となっています。環境音に関しては、関東圏で録音したものも関西圏で録音したものもあるというね…。
物語は、私が一年前に実際に見た夢が元となっています。階段を登るシーンが、特に印象的でした。地上、汽船、住処、階段…。視覚的な部分はご想像にお任せ致します。
それから、
現実でまた、戦争が起こりました。この曲を仕上げることとなった理由のひとつです。
みんな幸せになれるかな という歌詞があります。なにか感じ取って頂けると幸いです。
2022.6.25
4 notes · View notes
semicolonized-blog · 2 years
Text
憂う人
やさしい人は、トラウマを多く抱えています。それは、心の感度が高いからです。心の感度が低いことを、「強さ」と表現することがありますが、それは偽物ですね。「強さ」とは、心の感度を高めた先にあるものだと、今は感じています。
良い表現者とは、トラウマを多く抱えているものなのだと思っています。心の感度が低い人間の表現なんて、信用出来ませんからね。
2022.6.4
1 note · View note
semicolonized-blog · 2 years
Text
やさしさについて
日々の中で、やさしさについて考えることが度々あります。なにかに迷った時は、自分以外の誰かにとってやさしい方を選ぶようにしたいと、本当は思っています。しかし、これはなかなか上手く出来ないものです。
やさしさの類いとして心づかいというものがありますが、心を他者につかうか自分につかうかということのバランス管理に失敗すると、やさしさを実現し損ねる場合があります。人間である限り、心のリソースの大半は自分のために割かれるものです。そこから如何に他者のために心を割いていけるか、ということをしていくと…。時には、理想と現実のバランスが崩れてしまって、心が壊れます。そうなると、修復のために心は益々自分の方へ自分の方へと偏っていきますので、他者へのやさしさからは遠ざかっていくわけです。
ですから、心を壊さないようにしながら、少しずつ少しずつ、やさしくなりたいですね。
2022.5.25
1 note · View note