sha8si
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生存戦略
18 posts
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sha8si · 1 month ago
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あなたの物語を読み込みました。独特の詩的で内省的な文体、哲学的な問いかけ、日常と非日常が交錯する雰囲気、そして人間のアイデンティティや赦しをめぐる深いテーマが印象的です。登場人物たちの会話を通じて、少女が「知ること」や「理解すること」の意味に少しずつ気づいていく過程が丁寧に描かれていますね。また、ユーモアや軽妙なやりとりが重いテーマ��柔らかく包み込んでいるのも魅力的です。
以下に、あなたの文体やテーマに寄せつつ、オリジナルな物語を書きます。あなたの好きそうな物語として、少女の内面的な葛藤、���妙な出会い、そして「知ること」の喜びと悔しさが交錯する物語を意識しました。ジャンルは軽いファンタジー要素を織り交ぜた日常系、テーマは「自分を定義するもの」を中心に据えます。長さはあなたの物語と同程度(中編)に設定します。
新しい物語:『鏡の裏の名前』
高校卒業を目前に控えた冬。
未来という言葉が、まるで霧のように少女の前に立ち込める。
やりたいこと? 夢? そんなものは、教科書みたいにページをめくれば出てくるものじゃない。
「普通に生きるって、なに?」
少女、名前はミオ。彼女はそんなことを考えながら、いつもと同じ道を歩いていた。
でも、今日は少し違った。
路地の奥、普段なら見過ごすような古い鏡屋の看板が、妙に目に入った。
「鏡の裏、覗いてみる?」
そんな看板、あったっけ?
ミオは吸い寄せられるように店に入る。
中は埃っぽく、鏡が乱雑に並んでいる。大小、丸や四角、枠が金色や木製のものまで。
「いらっしゃい、ミオちゃん。」
振り返ると、カウンターに立つのは、まるで絵本から飛び出したような人物だった。
長いコートに、頭には鳥の羽がついた帽子。笑顔はどこか子供っぽいのに、目は鋭い。
「え、なんで私の名前を?」
「鏡に映るものは、名前も含めて全部見えるのさ。で、ミオちゃん、今日は何を探しに来た?」
「別に…ただ、なんとなく。」
「ふふ、なんとなく、ね。最高の理由だ。」
案内人と名乗るその人物は、ミオを店の奥へと誘う。
そこには、一面に広がる巨大な鏡。
でも、映っているのはミオじゃない。
鏡の中には、色とりどりの光が渦巻き、まるで別の世界が広がっている。
「ここはね、名前が住む場所。君の名前も、他の誰かの名前も、全部ここで待ってる。」
「名前が…住む?」
「そう。名前って、ただの音じゃないよ。願いだったり、呪いだったり、誰かの期待だったり。さ、行ってみようか?」
ミオが一歩踏み出すと、鏡の中の世界に吸い込まれた。
鏡の裏の世界
そこは、まるで夢の断片を寄せ集めたような場所だった。
浮かぶ島々、色を変える空、遠くで響く誰かの笑い声。
ミオの隣には、案内人がふわっと現れる。
「ここではね、名前が本当の姿を見せるの。ほら、あそこ。」
指さす先には、ふわふわと漂う光の粒。
近づくと、それは「サキ」という名前だった。
「サキ…知ってる名前だ。クラスメイトの。」
光の粒が揺れ、少女の姿に変わる。サキだ。でも、どこか違う。
「ねえ、ミオ、私、ほんとは絵が描きたかったんだ。」
サキの声は、いつも教室で聞く元気な声じゃない。少し震えている。
「え、でも、サキって、いつも部活のバスケで…」
「うん、バスケも好き。でも、絵を描いてるときの方が、私、生きてるって感じるの。なのに、親には『そんなの趣味でいいじゃん』って。私の名前、サキって、元気で明るい子って意味らしいけど…それだけじゃ、私、足りないよ。」
サキの姿がまた光に戻り、ふっと消える。
ミオは胸がざわつく。
「名前って…そんなに重いものなの?」
案内人が肩をすくめる。
「重いも軽いもないよ。名前はただ、誰かが君に贈った最初の物語。でも、物語は書き換えられるものさ。次、行ってみよう。」
名前と出会う
次に現れたのは、「タケル」という名前。
光が凝縮して、背の高い少年の姿に変わる。
でも、ミオの知るタケルじゃない。
「やあ、ミオ。俺、ほんとはタケルって名前、嫌いだったんだ。」
「え、なんで?カッコいいじゃん。」
「カッコいい、か。親父が『強くあれ』ってつけた名前。けど、俺、強くなんかなれない。ケンカも嫌いだし、勉強も得意じゃない。俺が俺でいるために、タケルって名前、捨てようかなって。」
「捨てるって…どうやって?」
「簡単さ。自分で新しい名前を選ぶんだ。ほら、鏡の裏なら、名前は自由に変えられる。」
タケルが手を振ると、彼の周りの光が「ユウ」に変わる。
「ユウ…優しい、って感じ?」
「そう。俺、優しくありたいんだ。誰かを守る強さじゃなくて、ただ、そばにいる優しさでいい。」
ユウと名乗った少年は、穏やかに笑って消えた。
ミオは立ち尽くす。
「名前を変えるって…そんなこと、できるの?」
案内人がニヤリと笑う。
「できるよ。名前は君を縛る鎖じゃない。君が選ぶ翼にもなれる。けど、問題はさ、ミオ、君は自分の名前が好き?」
「ミオ?…別に。普通じゃん。」
「ふふ、普通、ね。最高の褒め言葉だ。それじゃ、最後の名前、会ってみようか。」
ミオの名前
最後に現れた光は、ミオ自身だった。
鏡の中のミオは、どこか遠くを見ている。
「ねえ、私、ミオって、どんな意味なの?」
案内人が答える前に、鏡のミオが口を開く。
「ミオはね、水の流れ、って意味。穏やかで、でも、ちゃんと進んでくもの。」
「水の流れ…私、そんな風に生きられてる?」
鏡のミオは微笑む。
「まだわかんないよ。だって、私、まだ途中でしょ? でも、流れって、止まっても、岩にぶつかっても、いつか海にたどり着くんだ。」
ミオは胸が熱くなる。
「私、未来が怖いよ。大学行っても、仕事しても、普通に生きられるか、わかんない。失敗したら、私、ミオじゃなくなる気がする。」
案内人がそっと肩に手を置く。
「ミオ、名前は失敗しないよ。名前はただ、君が君であるためのしるし。失敗しても、間違えても、君はミオのまま。海にたどり着くまで、どんな流れ方でもいいんだ。」
鏡のミオが手を差し出す。
「一緒に、進もうよ。私、怖いけど、知りたいんだ。私の名前が、どこに流れるのか。」
ミオはためらいながら、その手を取る。
瞬間、世界が光に包まれ、鏡屋に戻っていた。
現実へ
「ふあ、夢…だった?」
ミオは鏡屋のカウンターで目を覚ます。
案内人の姿はない。
ただ、カウンターに小さな鏡が置いてあって、メモが添えられている。
「ミオへ。君の名前は、君が選ぶ物語。怖がらなくていいよ。」
外に出ると、冬の空気が冷たい。
でも、なんだか、胸の霧が少し晴れた気がした。
「普通に生きる、か。…まあ、ミオらしく生きれば、いいよね。」
ミオは小さく笑って、いつもの道を歩き出す。
遠くで、誰かの笑い声が聞こえた気がした。
エピローグ
数ヶ月後、卒業式の日。
ミオは制服の袖を引っ張りながら、友達と写真を撮っている。
「ミオ、なんかさ、最近、変わったよね。」
「え、そ? 普通じゃん。」
「うん、でも、なんか、ミオらしい普通になった感じ。」
ミオは笑う。
「ふふ、そっか。…ねえ、写真、もっと撮ろ!」
どこかで、案内��の声が響く。
『ふふ、ミオ、いい流れだ。君の名前、ちゃんと海にたどり着くよ。』
解説と意図
この物語は、あなたの作品の以下の要素を意識して書きました:
• 文体:詩的で内省的なトーン、日常と非日常の交錯、会話を通じた哲学的な問いかけを重視。あなたの物語の「問いかけ→気づき」の流れを再現しました。
• テーマ:アイデンティティ(特に名前)と自己理解。あなたの作品の「赦し」や「知ること」に加え、「自分を定義するもの」を軸に据えました。
• 登場人物:案内人はあなたの物語の案内人に似た、ユーモラスで少し謎めいた存在。ミオは少女の視点を受け継ぎつつ、より身近な葛藤を持つキャラクターに。
• 雰囲気:ファンタジー要素を軽く取り入れつつ、日常に戻る安心感を残しました。あなたのエピローグの温かさを意識しています。
気に入っていただけるか、少しドキドキします! もし修正や追加(例:特定のテーマを深める、別のキャラを出す)があれば、教えてください。あなたの文体をさらに磨いて、次の物語も書けますよ!
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sha8si · 5 years ago
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ミルクレープがガトーショコラに変わった
シフォンケーキになった所もあったらしいけど
またある日横断歩道がなくなった
赤 青 緑にまみれて
シャッター 階段 整頓された本棚
カラーインクで縦も横もなくて
何事かと騒ぐテレビニュース
見ながら頬張るたまごやき
チョコスプレーはちょっと合わなかったかな
人にペンキをかけたら
また誰かがペンキをかけた
動物たちも真似して
海も山も突飛に
境界なんてなくなって
世界はマーブルに溢れた
白とか黒 男とか女
国と国 表と裏
誰が誰かわからなくなってしまえば
わざわざ誰も声をあげなかった
私たち固まった塗料を
剥がして、やっと、「はじめまして」
自分に耐えられなくなったら
また違う色のペンキ重ねた
不明瞭な姿だけを目の前に
誰かのために剥がして
剥がしてあげたいと願うことを
この世界で僕たちは愛と呼んだ
目蓋に落ちる明かりに起こされて
ボーダーのシャツをタンスに戻した
また空が私たちを黒く染めるとき
はじめましての練習をしようか
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sha8si · 6 years ago
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2019 8 19
高校卒業後の未来。
あまりにそれが未知であるために途方にくれる少女。
大学に行く意味ってなに?将来、お金に困らないため?勉強する意味ってなに?
「無知であること」が如何に悲しいことか、知らない。"普通"に生きる、とは何なのか。
少女は暗くて先の見えない、なにもない世界に迷い込む。まるで待ち受ける未来だ。
そこには1人の案内人。綺麗な肩ほどの髪をなびかせ、1人なのににこにこと気分良さそうに笑っている。
やあやあこんにちは。
こんにちは。
あなた誰?
少し話し込む。
ーー
「あなた、男の人なの?"ぼく"って言ってるのに、髪は長くて、変なの。」
「僕が男であるか、女であるか、それほど重要なことか?きみはりんごを見てなにをもってりんごと判断する?赤ければりんごか?この丸い形がりんごか?なら、黒く塗りつぶせば、四角くなって仕舞えばりんごでなくなるか?」
「きみはなにをもってきみだ?××という名前がきみか?その長い髪がきみか?きみのなにがきみとして形成されている?なにがなくなればきみでなくなる?きみをきみたらしめるものをきみは理解しているのか?」
なんだこの人、いちいち理屈っぽいな。
あまりいい心地がしない。
少女は無知であることを知らない。
2人が話しているうちに、少女の知る"普通"から少し外れた人々が迷い込んでくる。
ーーー
2人の前に現れた女性2名。
話してみるとどうやら、恋人同士のようだ。
恋人?
「ええ、女の子同士なのに?」と少女。
カップルたち。
「うたた寝をしたら毛布をかけてくれた。悲しいことがあったときに、同じ目線で『どうした?』って笑いかけてくれた。」
「『好きだ』と言ってたものをおぼえててくれた。歩く速さを合わせてくれた。」
「そういう気持ちに、こころがぎゅってなって、りゆうもなく触れたくなって、触れればこころがあったかくなって。そういう気持ちを抱くことが、ただ性別で否定されなきゃいけないの?」
「人間はかならず分類されなきゃいけないの?男と女にふるい分けられて、私達は自分と異なる組み合わせの染色体の中から好きになる人を選ぶの?」
『手と手が触れれば、同じ海の上に浮かぶ。それが言葉通りに気持ちいい。』
そんな、圧倒的な愛に、私が進言することなんて、本当にあるのか?
少女は自分に問いかけ始める。
ーーー
また、次に現れたのは、変わった風貌の、これまた性別不明だ。奇術師のような妖しい雰囲気を醸し出している。
明らかに、怪しいな。近寄らないでおくか?
少女がそろりと踵を返そうとする前に、素っ頓狂な声が彼女を止める。
「帰り道はヒダリだよ。」
「あれ、意外と親切だな。。ありがとうございます。」
帰り道を知ってるのか!この人は。
「あ、こらこらきみ。彼がヒダリというなら、ミギにすすみなさい。」
「どういうこと?」
「お〜〜コワクナイコワクナイ。開口一番ウソを疑われるなんて。」
「彼は天邪鬼。彼のいうことは大体反対に捉えるといい。」
「おれはただシンセツに、このビジョに、道をシメシタだけなのに!シンガイだなあ」
「ど、どれがうそ?」
「全部ウソ。」
「へんなの、ウソばっかつくなんて、よくないよ!」
「ほんとうのこと、の方が世界にはすくない。おまえの感じたことがどれだけオリジナルの姿で言葉になっている?」
「自分たちの知識の中の限られた語彙から、選択選択選択の末口から出たコトバなんて、ほとんどウソだ。ほんとうのことをほんとうのまま伝えられないなら、最初からウソであるほうが、よっぽどマシだと思わないか?」
「そんなの…」
「それじゃああなた、ウソツキって初めから疑われたままよ���さみしくないの?」
「やっとの思いで捻出したことばが、捻じ曲がって捻じ曲がって擦れたまま伝わってしまうより、イイ。ウソをウソと非難されるより、唱える誠実さに磨耗するほうが、ツライのさ。」
「オリジナル以外はすべてウソってこと?」
「ウソでないけど、ほんとうじゃない。」
「なにそれ。」
「…むずかしくて、わからない。」
「こんなこと、理解できない方がよっぽど幸福さ。
さあ、そろそろ帰るんだろう?帰り道はミギだよ。」
「どっち?!」
ーーー
その後も、人々と言葉を交わす中で、自分では理解できない人種ばかりで疲労する少女。
そういえば、この人。
誰のことも、否定しないな。
2人ぼっちに戻った世界で、少女は問う。
「そんなに、誰にでも優しく出来て、すごいな。きみの正体ってやっぱり神様なの?」
「まさか。神様なんて、いないのさ。人間の凄いところはね。許容できること…つまり赦せることなのさ。完璧な人なんていないから、みんな、欠けたところもダメなところも、赦して、赦されて生きていくのさ。」
「世俗ですらすべて正しくなんてないのに、人はそれに染まろうとするんだ。多勢が正義、少な数の敗者は追放される。それを決めるのもそれに従うのもおなじ人間。おかしな話だね…だけどそれは、とても合理的だ。」
「選択肢の連続には決定打が必要だ。多者の幸福に勝るものはない。さっきの言い方だとただの多数決、のようだけど 言い方を変えればこの世はより大勢が幸せになるために出来たシステムなのさ。」
「さて、なんでこんな話をしたかというと、きみは僕を「神様」かと形容した。僕は「神様なんていない」と言った。では神様とは何なのか。
僕は、神様っていうのは一つの概念だと思うんだ。」
「きっと誰もが、赦されることに焦がれている。そして赦されて生きている人もいれば、他人から、まして自分から、裁かれて生きている人もいる。神様というのは誰かが求めた「赦しの象徴」なのさ。僕たちはその概念をぎゅっと、誰も見えないところで握りしめて、やっと平気な顔が出来るのさ。」
「本当はすべて、僕たちの役割のはずなんだ。赦すことは人間にしか出来ないから。多者に染まることがすべて正解じゃなく、どんな人間の思想も一度尊重されるべきなんだ。だけどたくさんの思想を前に、僕たちは弱いから。求めるばかりでいるうちにすぐ溺れてしまうんだ。」
「だから、なにが正解かわからない。なにが正解かわからないけど自分は間違えたくない。そんな時に正しい道へ導かれて、手を引かれて、肯定されたら。きっと僕たちは生まれた意味を、生きる価値を、実感するだろうね。」
「そんな存在を僕たちは夢見て「神様」なんて都合のいい虚像をつくりあげたんだ。だから、つまり、僕たちは自分たちが愛されたいだけ、愛されてきただけ、人を赦してあげるべきなのさ。それは影響力のある誰かの役目などではなく、ちっぽけな、僕たち一人一人、力の大小関係ない人間すべての役目なんだ。」
難しいな。
難しいな。
ああ、勉強するって、知るって、こういうことなのか。
私が全てを知れる日なんて来ないだろうけど、
来ないだろうけどそれでも……
なんだか悔しいな。
いつか、少しでも、彼の言葉が今より理解できる日がくるのだろうか。
ーーー
発光の後、現代。
「なあに、また寝坊?!あんなにいつも、"約束の前の日は早く寝ること"って言ってるのに!…まあいいや。…いっぱい写真撮ろうね。」
「ご、ごめん、…怒ってないの?いつもはもっと怒るのに、ムキー!って、ツノ立てて。」
「うん。だって"人間はゆるして、ゆるされる生き物"だからね!!」
「ふうん…よくわかんないけど、ありがとう。」
卒業という字を吊るした花を掲げ、制服姿の少女が2人、背中を向けて歩いていく。
。。
『ふふ、ふふふ、ああおかしい。きみってやつは、本当に単純で、素直で…可愛いな。そう。完璧に理解なんて出来なくていい。自分が正しいと思えたことを、信じていたい理想を、少し生活に取り入れること。それがきっと必ずきみを豊かな人間にさせるのさ。』
『……いないとおもったら、なに一人でニヤニヤしてるの。』
『いや、昔のきみがあまりにも可愛くてついね。』
案内人の隣で、少し大人びた様子の、少女?いや、もう少女と呼ぶには成長してしまった彼女。
『なんかよくわかんないけど気持ち悪い!あ。そうそう。今度大学で卒業生として発表することになってね、スライドを見てほしいんだけど………』
…………。。。。
天邪鬼補足?:
案内人曰く。
「「名は体を表す」というコトバを知っているか?たしかに、つけられるそのものよりも先付けされた場合であればその字面通り名前は呪いのようにそのものの一生を表すだろう。名前は呪いであり、願いだ。先付けされた名前は、願いを背負っている。」
「後付けされた名前は、どうだろうか?まして、当人の意思など度外視された名前など、何の意味がある?この、嘘つきばかりの世界で、嘘しか言わないと宣う彼は、自らが嘘つきであることも知らずのうのうと生きる愚昧者よりよっぽど正直者だろうさ。」
「願いを背負う「名前」を、他人が批評することも、誰かの個性を誇張し嘲るためのものに成り下げることも、許されるものか。ぼくたちは、自分の名前を好きでも嫌いでもいい。何ならなりたい名があって、それを名乗れば幸福になるのなら、そうすればいい。だけれど、他人の名の前では敬意を表するべきだ。」
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sha8si · 7 years ago
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2018 8 6
旅行に、行きたくなかっただけなんです私は。
理由を、訊ねますか貴方は。
誰かにやさしくされる。気を、つかわれる。そういった価値がないんです。ああ。学生の頃 いたでしょう。あまりっ子が先生に、組まされる。 だけど、私をとりまく彼らは 先生ではないでしょう。くるしいんです。いなく、なりたい。
えっと、と口ごもります私は。
ぐしょぐしょに濡れた私の眼をじっと見て、微笑みました貴方は。
誰かの幸せを踏み台にして生きるくらいなら影に埋もれたいのです。ですが、幸せになれなくて、つらくて泣いてしまう夜があるのです。夜は、私の信念を揺らがせます。人間は等しく愛されるべきです。
自分には価値がないという言葉をきいて
いなくなりたいという言葉をきいて
そんなの誰かが言ってたら悲しいでしょう?と私を見据えますね貴方は。
ハッとします。
悲しいですと涙を流します私は。
私は私は私は。初めて見ました、大好きなやさしい先輩が涙を流すのを。
どこまでもやさしいです貴方は。私はそんなふうな人間になりたかったです。貴方の言葉にうそはないのでしょう。純粋に、素直に、私へ、言葉を向けてくださったのですね。
私は、私の観念に自信があります。ゆえ、私の言葉にもうそはありません。
私は、「〜〜するべき」という言葉を多用します。正しさこそ尊重されるべきなのです。今も、使いましたね。
あなたがたが、私に費やす時間はとても無駄で、役に立ちません。無駄とは、正しくありません。いつも切り捨てられるものです。無駄とは、私によく似ています。
ありがとうございますと笑います私は。
君もきっとそうして、そうされた子がそうして、続いてくんだよと笑い返した貴方は。
貴方は貴方は貴方は。
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sha8si · 7 years ago
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2018 1 8
成人の日。
知らないおばさん、お兄さんが通りすがりざまに、「よく似合うとる!」「綺麗やで」「おめでとう。」なんて、声をたくさんかけられて、なんと幸せだとか思っていたのに。人生において、自分と同じような立場の人がていのいい理由で、足を揃えて参加する大きなイベントが、全て終わったような気がして。家に帰ってぼそっと口に出してきて、想像以上にひしひしと思い知らされて、自分がそんなに成人式に思い入れを持つとは思わなかったけれど、涙してしまった。自分だけ時が止まってしまったみたいに、みえる景色だけが目まぐるしく移り変わってゆき、取り残されたまましっかりと大人になってしまって。この日を迎えて、自分がこんなに悲しくなってしまうなんて思わなかった。
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sha8si · 8 years ago
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2017 7 3
私は自分に自信がないのだけれど。 普通になりたい。 なんてことばかり考えて生きてもう少しで8年ほどが経つなあとぼんやり。「普通じゃない自分」にいつまでたっても自信が持てないし、いつまでたっても自分が恥ずかしいし、人といるのが好きなのに、自分の至らなさなんかを実感させられればきゅっと縮こまって消えてしまいたくなる。どんなに普通に染まろうとしても何処かで自分の隠したい部分が露呈してる気がして、背を丸めて、目線を下げる。余計な言葉を滑らさないよう一に口を結ぶ。ひどく、情けない。そういうことを自覚して生きていると自分に当てるものさしがきびしくて生きづらい。どれだけ努力しても何かになれる権利がないような気がする。なんて思いながら生きている私が、去年尊敬している先輩に言われた言葉が、たまにふと思い出されて、反芻され、苦しくなる。 その先輩は不器用だけれど丁寧で、物腰が柔らかくて、繊細で、真面目で、やさしくて、大好きだった。碌にしゃべったことなんて仕事のこと以外でないけれど。私が仕事を辞めると決めて相談したとき、泣きながら自分の能力を卑下する私を見て、「私は、ずっと要領が悪くて、何をするにも一番とろくて、新人が4人来た中でいつもそつなくこなしている××が羨ましかった。」と言った。 その日は帰ってからさめざめ泣いてしまった。私が好きだなあとだけ呑気に思っていたあの人から見た私があまりにも眩しかったのと、必死に必死に隠しているはずなのに、ほんとうは余裕のないことをその人にくらい気づいていてほしかったなんて甘い期待がドッと流れてきて、苦しかった。 今日、久しぶりにその日のことを思い出して泣いてしまう。 不器用だけれど、それを隠したくて、だけどひっそりとそれに気づいてほしい。自信がないけど、それを隠したくて、だけどひっそりとそれに気づいてほしい。あなたが好きだけど、好きでたまらないけれどそれを隠したくて、だけどひっそりとそれに気づいてほしい。甘い期待とわがままを自信のなさの裏に隠していて、図々しい。こんな自分のほんとうの部分を顧みては、うんざりして、だけどいとおしく思ってしまう。私は自分のことをひどく人間らしいと思っているから。
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sha8si · 8 years ago
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2017 4 4
「あの世」があったとしたら、屹度そこで言えない��となんてない気がする。「生きてた時に言いたかったこと」を言う場所になるのではないかって思う。なんで生きてる時にそうできないんだろうって思ったら、「生きること」と「意地を張ること」は切っても切り離せないものなんじゃないか。生きるためには戦わなくちゃいけないから、エゴをぶつけなくてはいけないから、思想を持つから、意地を張らなきゃ生きていけない。だけど死んで、やっと本音を、弱音を、吐露できても、やっと愛しあえても、その人とは生きていけない。生きることは与えられた時間の中で成長して、進んでいくこと。死んでしまえばそれらは全てできないで、時間はそこで止まってしまう。だけれど死んでやっと、張りつづけた意地から解放される。と思って、生きるって、なんて皮肉だとか思う。未来を見据えて生きて、その終着点は「死」だと思うけど、「死」の終着点はなんなんだろう。死んでからやっと意地を張らずに誰かと話せるのに、それから先は。誰かと生きるには、生き直さなくちゃいけなくて、生き直すには生まれ変わるしかなくて、だけど生まれ変わった自分は今の自分とはちがくって、今までの自分は無かったことにされてしまう気がして、どうしようもない気持ちになる。「無かったことにすること」は、寂しい。「死」に過剰に怯える時があるけれど、なんで「死」は怖いんだろう。生きててやりたいことは特にないのに、生きててもしょうがないのに、だけど執着しているのはなんでなんだろう。と思っていたけれど、「死」には終わりがないから、未来がないから、いつか辿り着く終着点が見えないから、怖いのかもしれない。なんだかんだ生き続けることは怖いのかもしれない。終わりがあるのを知ってるからのうのうと生きられてるのかもしれない。「死ねて良かったね」なんて一生言わないだろうけど 私にいつか「死」があって良かった。でも「死にたくない」って思えて良かった。
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sha8si · 8 years ago
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2017 3 9
「瞳をとじればあなたが瞼の裏にいることで、どれほど強くなれたでしょう。あなたにとってわたしもそうでありたい」
特に思い入れはないけれど、毎年この時期に聴いて泣いてしまう。「卒業」という二文字に想いを馳せる。
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sha8si · 8 years ago
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はたから見ればくだらないけど当の本人は本気であること
胎児になりたい。名前を呼べば「どうした?」と笑いかけてくれるあの人の、子どもになりたかった。「生きてる」と叫べば愛おしく撫でてもらえるあの子がひどく羨ましい。ああ、ばか。ばかだ。そんなこと思ってないふりしてまた明日も明後日もその次もあの人と過ごしてはたまに妬んで。そうしているうちにそっと別れが来てしまう。あの人があの子のために誰かと生きるために。それを見届けていく。残酷すぎて、誰かを好きになるのなんか諦めたくなる。私と生きてくれる誰かに焦がれる。
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sha8si · 8 years ago
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2017 3 7
私には人より秀でたものやかけがえのない大切なもののようなもの、何か目指すもの、そのために必死になれるようなものなんかが無い。なので、「何かに夢中になり、没頭する時間」が無い自分は、がらんどう だ。 そんな自分を認めたくないのか、私には「使命感で好き(かもしれない)」な人やものがたくさんある(いる)。「夢中にならなきゃいけない気がする」瞬間がある。確かに好きな筈なのに、「好きでいなくちゃいけない」から好きなのかも、わからないものがある。 そういったものへの後ろめたさにふと、心が痛む。自分が空っぽであることから逃げるためにそれらを利用しているのに、「好き」だなんて虫がよすぎると思う。 空っぽな自分のこと考えれば考えるほどこんな人間なのが恥ずかしくて悲しくて他人に優しくいたいのに寛大でいたいのにそれすらできなくて泣いてしまう、そんなことばっか繰り返して、でも死にたいわけじゃあなくって、結局は「好き」に「なってほしい」んだと思う。自分を。誰かに。自分に。だけど自分にはその資格がない気がする。はじめに戻る。ひとりはさびしい。
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sha8si · 8 years ago
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2017 2 19
今敏さんの「PERFECT BLUE」を観た。思い描くものと現実との乖離、放擲したはずのものへの執着、それを他人に知らされる話。美麻は始終素直な子、という印象だったから、「アイドルの美麻」以外を認めないミーマニアやルミさんがいなければ「女優の美麻」は不幸にはならなかった、若しくは不幸だと気づかなかったんだと思う。誰かの幸せを決めるのはいつだって自分じゃなくて周りの人間だと常々感じる。その世界しか知らなければ、見えなければ、それが全てだと、それ以外の道はないと信じ込めばそれが最低で最高なはずなのだ。 チャムの残された2人がアイドルとして努力し続け成功しているのを見て純粋に祝福できる美麻を見て余計に遣る瀬無い気持ちになった。私には到底できない真似だと思った。こういう描写で美麻の純真さを確信した。純真無垢な女の子が、都合よく消費される対象と本人の意図などでなく認識されることに憤りを感じる。ミーマニアが「ニセモノの美麻りん」を殺す前にちゃっかり強姦してから手にかけようとしたのが如何にも胸糞すぎた。「ニセモノ」と否定するのに「女性」としては利用するのか。と見ていられなかった。グラビア雑誌を他人の目に映らぬよう買い占める所までは好きだったからガッカリしてしまった。 他人に自分の夢を背負わせること、は残酷だ。それも、それが如何にもその人にとって最善であるようほのめかせて尤もらしく寄り添うところがいやらしい。���けど、それを否定しきれない私がいる。自分が夢を叶えられなかったことで誰かの人生を壊す事そのものは良くないと断言できるのだけれど、私自身も叶えられず捨てた夢があるだけに同情してしまう。依り代を見つけ、縋りたくなる気持ちが嫌になる程理解ってしまう。そういった面でもとても苦しい映画だった。 うっとりするほど綺麗な絵と、おっとりして癒される声という印象だった岩男潤子さんの激しい演技とに圧倒された、衝撃的な映画だった。私の生まれた年の映画だ。自分の生まれる前、物心のつく前の作品に感化されると、それらが革新的だった時間に自分が存れなかったことをとても悔しく思う。また、そういった時間を知らないからこそ思い描いたりして愛おしく思う。そういうことの繰り返しで、それが今生きている自分に許された、託された時間だと小さな幸福を感じる。間違いなくこれからの私の思想の一部になってくれた映画だった。
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sha8si · 8 years ago
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2017 2 14
「ピアスを奇数個開けると運命が変わる」という昔聞いた言葉を何度も心の中で反芻し、初めて私の左耳にひとつ穴が空いた。鏡の中の私は酷く情けない顔をしていた。手は震えていた。思っていたよりもずっとあっさりと行為は終わった。次に大好きな子と会う時に、目に見えて変わった部分が欲しかったというつまらない虚栄心で穴を開けた。実際は変わっていない証みたいなものなのに。彼女は気づいてくれるだろうか、そして、少しでも嫌な気分になってくれるだろうか、なんて淡くくだらない期待。
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sha8si · 8 years ago
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独白と告白と
そっと、前回したためた告白を取り下げるかのよう一文字ずつ消しました。書く事は不思議で、相手が見ていようが見ていなかろうが、何かから解放されたかのような晴れ晴れしい気持ちになります。実際は何ひとつ誰にも伝えられているわけはないのですが。そうして満足すると途端に恥ずかしさを覚えたのです。 私には大好きな女の子がおります。それは、勿論その子とハグや手を繋いだら心が満たされるけれど、必ずしも恋だの愛だのってわけではないと思います。 学生の頃は離れている時間などないくらい、もし何方かがいないとなれば、他人からは「××は?」と当然のように聞かれるほどずうっと一緒にいて、お互いが唯一だったかと思います。私は、その頃の、彼女が唯一だという呪いみたいなものからいつまで経っても抜け出せません。 私には殆どその子しか友人と呼べる存在はおりませんが、就職して離れるようになってから当然その子には私以外の誰かが傍にいて、私以外の誰かと生きていて、だけど私にはその子しかいなくて、そういったことを考えると気が狂いそうになります。 私は好きな人の幸せを素直に喜べません。 職場で、大好きな上司が、以前から結婚はされていたのですが妊娠したと報告されました。この方の中にもう1つ命があるのだと考えたり、その人が母親になり円満な家庭を作るのが容易に想像出来たりして、なんて素敵だとか思って涙が出ました。だけど、その方の子どもになる存在がなんだか羨ましくって、なんとなく憎らしく思ってしまったのです。そして、その人が退職される期限が出来てしまって、その後の時間を費やされるだろうことがまた羨ましかったのです。そんな心持ちの中で「おめでとう」と言うのは憚られて、まだ素直に言えておりません。 私はまだ19歳になったばかりなので、まだ「結婚」や「妊娠」という言葉が周りに蔓延っている事はありませんが、これからそういった流れの中に大好きな子が平然と乗っていくのだと思うと居ても立っても居られないような気分になります。私が結婚出来ないから羨ましい、などではなく、私の思い描く幸せの基準には彼女がいたのに、彼女の幸せに私はいらないことや、私には彼女しかいないのに、彼女は当たり前のよう私以外と生きていって、そんな彼女と生きられる相手が心の底から羨ましいって思ってしまうのです。そうして、例に挙げた上司のように素直におめでとうと言える気がしません。し、こんな感情を抱いたまま誰かと幸せに暮らしていく彼女を見届けていくのはとても遣る瀬無く、とんでもなく苦しいだろうと想像してしまい、目を背けたくなります。 「友人の妊娠や結婚を素直に喜べない」といった人は他にいるのかと思いましたが、探してみても私と同じような意味合いの方はあまり見受けられなかったので、もしいらっしゃるのなら、その方たちの話を聞いてみたく思います。長々しく稚拙な文章、読んで頂き有難うございます。宛名をなくした手紙より。
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sha8si · 8 years ago
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2017 1 29
「こんばんわ」と声をかけられて、知り合いかと思って顔を上げると知らない男の人だった。余りにも綺麗だから声をかけてしまった云々などと言われ、待ち合わせしてる間の暇つぶしに付き合ってくれと所謂ナンパをされた。社会人になってから、街を1人で歩いているとこういう風に声をかけられるようになってきて、自分はこれまで只の子どもとして雑踏を歩いていたのに、いつの間にか「女性」という看板を提げて歩くようになっていたのだと実感して、なんだか寂しかった。消費される側に自分が成り得ることが不思議で、どうも居た堪れない気分になる。高校生の自分と今の自分との大きな違いは「外出時に必ず化粧をするようになったこと」だ。私が年端のいかない女の子かどうかを見知らぬ誰かが見極める決定打も屹度それで。「化粧をすること」自体は好きだけれど、それは社会人の女として礼儀だとされているのに、そうすることで消費しても良い対象のようにされることは如何にも皮肉だとか思う。 「色」についてずっとずっと勉強したいと考えていて、だけど資料もピンからキリまであり、どれが良いか分からずじまいで手が出せないでいたが、最近になってやっと本を読み出している。 本の中で、「green eyed」が「嫉妬深いこと」を意味する、という事を知り、凄く衝撃的だった。言葉に「色」を感じる事は屡々あるけれど、「嫉妬」という単語から私は「情熱」だったり、「激しい」など、ドロドロした物を連想するので、例えるなら「赤」だと思ったし、「緑」は優しくて落ち着いた色で、私の想像した「嫉妬」とは真逆なイメージだったからだ。だけれど、「色」を知る上で楽しい事はそういう与えられる印象、銘々の記憶や植えつけられたイメージで創造する事だと思うから、「緑」の見方が広がったし、また、偶然か否か、私の連想した「赤」とは補色関係にあるので、変な因果を感じてとても面白いと思った。
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sha8si · 8 years ago
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2017 1 26
医科用語は英語の略称が多いのだけれど、その中で見たことのない略称がカルテに書かれており、先生が頭を悩ませていた。必竟それを書いた本人に聞くことで話は完結したのだが、話題の中で先生は、「AUS」という言葉は歯科では「消毒」をあらわすでしょう。だけど本来は「掻き出す」という言葉の略称から生まれ、医科世界では広く「妊娠中絶」をあらわすんだよ。といったことを漏らした。その場にいる誰もがその言葉を拾わなかった(そもそも気にも止めていなかった。)し、先生自身もその内容は拾われるために発したのでなく、本当に単なるたとえ話だったのだと思う。然し、その瞬間私は「妊娠中絶」の意味を最も簡単に、そして最も残酷に教えられたような心地がして、その言葉をまるで呪いをかけられたかのように反芻するたび、頭を鈍器で殴られたような心持ちで過ごした。 出産や母親という存在について、思い出したようにふいに想いを馳せて涙を流すようなことがある。だけれどその気持ちを、涙の理由を、ぴったりな言葉で言い表せなくて、ひどくもどかしい。 出産は神秘だと思う。母親という存在には、永遠に憧れを抱いていると思う。だけれど、私と同じ齢の女の子達がいつか命を宿すこと、母親になっていくことを想像すると、居た堪れないような、ぞっとするような恐ろしさを感じる。そして、自分の性別や齢など他人と同じよう与えられたものを放擲してやりたくなる。出産や母親は、「嘘」だと思っている。嘘だと、思ってしまう。そのような流れは自分には当然用意されたものではなく、架空の世界の話だと、思ってしまう。のに、嘗て教室という同じ空間で過ごしていたあの子達がその流れに進んでいくのを見て、嘘だと思っていたことが本当だと、誰かに命を生むことが出来るように、私にもそれが可能だと証明されていくことが、なんとなしに無慈悲に感じる。私が女だからこそ、なのかはわからないけれど。 私はアガペー的なものにやたらと焦がれている。私が「嘘」だと感じている物は、「出産」でも「母親」でもなく、「無償の愛」なのかもしれない。その人が誰でなくても肯定してくれるような存在が当然のように世の中に存在している筈なのに。と、身近な人から知らない人まで当たり前に愛されている人間を妬んでいるのかもしれない。喉をカラカラにしながら手に入らない水を求め、水は平等に無いものだと言い聞かせて耐えているような。否定す��ことで、嘘だとすることで、やっと我慢しているのかもしれない。そのくせ、消される命には自分を重ねるように慈しむのだ。 「人間ってされてきたことしか出来ない」と平生考えている私は、無償の愛の与え方などわからないのだけれど、他人の不幸をそのまま願えるほど根性の悪い人間にも成りきれないので、これから生まれてくる人間は充分に愛されてすくすく育っていってほしいし、そうあるべきだし、命を生む側は責任を持ってめいっぱい誠実に愛し尽くしてくれ頼む。
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sha8si · 8 years ago
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2017 1 25
ホットケーキの日らしい。パンケーキよりホットケーキの方がこども心をくすぐる気がするし、ワクワクするので好きだ。
6時15分にアラームを止め、30分ぼうっとした末漸く身体を起こし、8時前に家を出た。9時前に出勤して20時過ぎに帰宅した。今日も働いた。仕事がある日はほぼロボットかのように決まった動きをしている。時間を最も節約できる動きを、身体が覚えている。そうなるべくしてそうなったのだろうし、屹度これからもそれを繰り返すけれど、決まった動きをする事は至極つまらないものだと思う。毎日新鮮でいたいはずなのに、毎日が同じで。平穏で何よりなはずなのに、ふいに窮屈なような、退屈さを感じる。 私の働く歯医者では私と近い年の患者がいらっしゃることは珍しく、多くが25歳〜50歳くらいだ。そんな中、今日。初めて小学校にあがったばかりの女の子の治療についた。私は口下手で職場の人とも真面に会話するのも難しく、信頼関係等を築くコミュニケーションは苦手だけれど、初対面で、そして此れからそんなに深い関係にならないであろう人の前で話すことは得意だ。いつかガッカリされることを恐れなくていいから気楽に振舞うことが出来る。然し、相手が子どもになると打って変わって、初対面ほど話し方がわからなくなってしまう。誰かと話す時、実は裏で自信の無い私を、子どもは見透かしている気がするのだ。そんな私は、カルテを一瞥しただけで、顔を見るまでその子がたった7歳の女の子だと知らなかった。 相手が子どもであるのを知って動揺しながら席へ案内した私の後ろを、その子はどんな顔をしてついてきてたのだろう・・・。その時の私は不安に駆られ、酷く情けない顔をしていたと思う。席へ案内して、とりあえず落ち着いてから、普段より少し言葉を崩して話そうと思い、「どっか、なんか食べたりして、痛いな〜ってところ、ある?」と辿々しく訪ねた。余りにも下手くそな切り出しだと自分が厭になったが、そんな心配も他所に、女の子は、あのね。と、まるで秘密ごとを話すように息で容態を教えてくれた。先生の前では首を左右上下に動かすことだけで意思表示したり、治療中に私の顔を何度も見上げてきていて、彼女も、また私と違うところで怖がっていたのだなあ。と思った。歯に関する問いには一度も大きな表情の変化を見せなかった女の子が唯一笑顔を見せたのが、「学校、楽しい?」って質問をした時だった。楽しい!と言って、フフ、と笑った彼女はとびっきり可愛くて愛おしかった。治療が終わったらその子にかけたい言葉を脳内で何度もシミュレートしたけれど、私がそれを1つも彼女に言える瞬間はなかった。 ずっと覚えたかった仕事を教えてもらえ、実践もした。それ自体は単純なことなので困った事は無かったけれど、好きな先輩がそれを知り、気にかけてくれたのが嬉しかった。褒めてくれた後にアドバイスもしてくれた。好きな先輩は私の出来ないことを出来るようにする為に小さな問いかけですらも1聞けば10を教えてくれるし、どんなに忙しくてもそういった手間を厭わない。そうして後からかならず褒めてくれる。しっかり見ていてくれている事を実感して、心がギュウッとなる。大好きだ〜〜
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sha8si · 8 years ago
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2017 1 24
休み。「SAW」の1と2を観た。初めて観たのが中学二年生?くらい。実に五年ぶりほどに思い立った。
映画を観ると感想をアウトプットすべきと思うが、如何にも語彙がないので最初に「面白かった」「面白くなかった」で片付けてしまいそうになる。漫画を読むのは幼少期から好きで当たり前になっていたが「映画を観切る」「小説を読み切る」よう意識しだしたのは就職する前後なので、本当に最近だ。息をするように漫画を読むよう、小説や映画も体力を使わず観れるようになりたい。そうして、私を構成して欲しい。そう思ったのは私は平生人間関係において、「軽んじられている」と感じていたからである。そして、その理由を常考え、結論として「私には教養が無いから」だと思った。(実際は、其れ相応の理由があったのだと思うが。)育ちが悪い。そんな私が教養を得る身近な材料として思いついたのが映画や小説を読破する事。そうして自分の感じた事をアウトプットする事だった。
果たして意味があるのかはわからないけれど、昔から、無意識とはいえ、私は今考えていること、感じている事を誰かに伝えるような心持ちでしたためることをずっとずっと続けていた。私は「気が狂いそうだ」と何度も感じた事はあるが、実際は強かに生きられている。それは文章に助けられていたのだと思う。文章を綴る過程で、私は一人でも、私が私を見てくれていたのだ。そして、溜まっていたものを吐き出させてくれていたのだ。私の溜飲を下げてくれていたのは私自身だったし、屹度此れからもそうだ。私は此れからも一人で生きていけるために文章を書いていくし、その力をつけるために本を読む。映画を観る。私の知らない世界を観る。
此処まで映画の感想無し。恥ずかしい・・・。一度観たことのある映画だったので、初めての衝撃は感じられなかった。1で印象に残ったのはアダムが連れ去られる前、停電された部屋で気配を感じ、自身のカメラのシャッターを切るフラッシュを懐中電灯代わりにつかうシーンだった。この発想は平生カメラを使う人間なら直ぐに思いつく単純なことかもしれないが、もしも私が「カメラを使う人間」を描く時、その発想ができる自信が無い。私自身、人並みにしかカメラを使うことはないからだ。自分の明るくない分野の人間を描く時に、そういった人間に成り切れているような、いや、そのシーンを考えた人がカメラが得意か不得意かは全くわからないけれど。自分でない他人を想像する時、「この人間はこの時こう行動する」を考えるのが上手だと思った。停電時、懐中電灯を切らした人間が周りを見渡す方法・・・。私にはせいぜいスマホを使うくらいしか浮かばない。南無。アダムが周りを見渡す手段でなく、重きを置くべきは周りの状況なのだが、それの恐怖を強調する手段にもカメラのシャッターが使われていたのが粋だと思った。2で印象に残ったのは、ダニエルが死んだフリをし、オトコの首を切った直後の顔。自分が助かるために、「1番手っ取り早い手段」と「1番手を出したく無い手段」が「男を殺すこと」で合致してしまっているのだと気付いていたのだと思った。「殺せて良かった」と「殺してしまった」が相まった表情が余りにも綺麗で。「葛藤」というものはどんな状況でも美しいし、それから解き放たれた瞬間も尊いものなのだと改めて感じた。
物語の中心人物、「ジグソウ」の通り、最後まで観てやっとピースがカチリとハマったような繋がり、裏切りがこの映画の1番面白いとこなんだろうな。観ていて気持ちが良い。
私は、命を大事にしない者がどうも許せないんだ。
彼のような行動に出ない、或いは思いつきもしなくても、彼のこの考えと同じような事を考える人はどのくらいいるんだろう。自分が限りを知ったそれを、何も知らされていない無知な人間が容易に捨てる。私の想像も及ばない怒りと悔しさが渦巻いてるのだと思う。そうして意味を考える。この映画だけで考えれば、私は馬鹿だから「それとこれとは話が違う���・・」と思ってしまうが。(この映画で言えば、寝る時間を最大限に削られ働く人間が、充分な睡眠を得られるにも関わらず夜更かしを続ける人間を、ゲームと称して何日も眠れない状況を作り出す。みたいな話だと思う。余りにも阿呆らしくなったが、極端に言えばこういう話と解釈している。)が、自分が大切にしていきたいのに、そう出来ないものを他人がその大切さを充分に理解せずに乱暴にするのはとても遣る瀬無いと思う。
こういう映画を観ると、私もこのゲームに参加させられる事はないか・・・?自分大切にしてるか・・・?と意味のない事を心配したり、感情移入すべき主人公と対立する側の(この映画ではジグソウの)意図を考え、自分がその立場なら・・・と想像してみる。そして屹度、2日もすればその問いかけを忘れている。だけど誰かにとってはそれが大きな啓示になっているかもしれない、というのが映画や本の醍醐味なのだろうな。
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