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同情、可哀想
くそ食らえ、大っ嫌いだ
何様だ、お前はいつから私を見下ろせるようになった
そんなもん、腹の足しにもなりはしない
思うのも思われるのも大嫌いだ
くそったれ!
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私が二人いればいいのに。
そうしたら、
二人で愛して愛されて、
二人で愛おしんで愛おしまれて、
そうして二人で生きていけるのに。
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頑張ること
私は「頑張る」ことが嫌いだ。勿論、何かに向かって努力している人や結果を出そうとしている人に、「頑張って!」と声をかけることはあるし、私も「よし、頑張ろう」と気合をいれることはある。言葉そのものが嫌いなわけではない。言葉の概念そのものも悪くない。他人を、自分を励まし、もう一踏ん張りさせる言葉で、これ以上のものはないと思う。ただ、時に人は、脅迫観念的に「頑張る」という行為を強要してはいないだろうか。他者に対して、己に対して、安易に「頑張れ」というのは非常に無責任だと思う。
そもそも、「頑張る」時とは何かしらの苦痛や疲労が伴う時間を指すと思う。だって、本当に好きなことをしていたら、「今、頑張ってる」なんて思わないでしょう。睡眠もとらず、食事もおざなりであっても、大好きな小説を読んでいる時に「私頑張ってる」なんて思ったことはない。自分の思いや考えをまとめて、文章に書き起こしている時、どんなに目がしょぼつこうが苦痛じゃないし、途中で辞めたいなんて欠片も思わない。そこに「頑張っている」なんて意識は存在しない。つまり、もし、私が「何か」を「頑張っている」としたら、その時間や作業は私にとって好きでも楽しくもないってこと。極論だけれど、私にとって「頑張る」ってそういうこと。
嫌なこと・大変なことを「頑張った」ら、ご褒美が欲しい。誰かに認めてもらいたい。結果が欲しい。褒めてもらいたい。「無償の頑張り」なんて存在しない。少なくとも、私の中には。だって、「頑張り」そのものに意味なんてないから。「頑張り」の過程によき学びが、結果に実りある結末が用意されたのならば、まぁその時間は無駄ではなかったと言えると思う。そう言った価値あるものが得られてこそ、その「頑張り」は評価され、認められ、己の血となり肉となる。結果も出ないで、ただ「頑張る」ことで満足しているなんて、それはただの自己満足、自己陶酔でしかない。「自分は頑張っているから」は物事の判断基準になりはしない。そして、「頑張ること」そのものに意味があるという人は、「頑張ること」を己にも他者にも強要しているような気がする。
だから私は「頑張らない」。必要なこと、与えられた仕事、次のタスクを効率的に進める為の準備、それらを淡々を消化することが、私にとって最良の過ごし方だ。無気力に生きるということではない。ただ、時間と心と体力を、必要以上に「頑張らなければならない」事に注ぐことをしないだけ。「頑張って」仕事をして、残業をして、クタクタになって帰るより、淡々とタスクをこなし、明日の業務に支障がなければ、作業が終わっていなくてもキリのいいところでさっさと切り上げて、家族とご飯を食べる方が、私の人生を有意義なものにしてくれると知っているから。
少し話は変わるけれど、「頑張らない」選択をするためには、やっぱり日頃から、感じ、考えることが必要だと思う。何が自分を幸せにしてくれるのか、「頑張らない」で夢中になって続けられるものはなんなのか。選択をする時の方法は二通りある。一つは、やりたい方・好きな方を選ぶ。もう一つは、やりたくない方・嫌い・苦手な方を選ばない。似ているようで、やってみると全然違った。さっきの例だと、早く帰って家族とご飯を食べたいから定時で上がるのか、残業したくないから早く帰るのか、結果は同じでも、選択時の気持ちの持ちようは全然違う。私は何かを選ぶなら、前者の気持ちで居たい。
私は「頑張る」ことが嫌いだ。「頑張って」満足するくらいなら、「頑張らない」でどこまでも突き進んでいきたい。
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お気に入り都々逸
誓ってあげるわあなたのことを 忘れるまでは好きでいる
三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい
見えないものがあるのがいいの みんな見たがる不幸者
星の数ほど男はあれど 月と見るのはぬしばかり
嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理が良い
泣いた拍子に覚めたが悔しい 夢と知ったら泣かぬのに
恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
戀という字を分析すれば 糸し糸しと言う心
情がふくらみゃ重いと落ちる 線香花火の薄情さ
金も出来たし着物も出来た そろそろあなたと別れよか
白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く
ちらりちらりと降る雪さえも 積もり積もりて深くなる
「川」という字はそりゃ後のこと せめて「り」の字に寝てみたい
あるかないかはどうでもよくて 探す行為を愛と呼ぶ
嘘も吐けずにほんとも言えぬ 遊びでなくなる片思い
この酒を止めちゃ嫌だよ酔わせておくれ まさか素面じゃ言いにくい
つれぬお前をどうして釣ろか 良い餌良い針良い男
何もないよりゃいくらかましよ 刹那の触れ合い 指と指
明日は雨だと君から聞いて 傘を忘れる用意する
咲いた花なら散らねばならぬ 恨むまいぞえ小夜嵐
花は散り際 罪は寸前 恋はなかばが いいらしい
水の月 手にはとれぬと 諦めながら 濡れてみたさの恋の欲
「来るな来るな」と 振るてのひらが 「来い」に見えるを 恋という
酔いに任せて晒すにゃちぃと 隠した心は重すぎる
恋に堕ちたか 堕ちたは罪か いっそこの手で手折ろうか
花は折りたし梢は高し 手折った花にも飽きが来る
温い涙に くちびるの荒れ 「止まらないのはきみのせい」
君は野に咲くあざみの花よ 見ればやさしや寄れば刺す
脱がされるのか脱げばいいのか あなたの前で待ちぼうけ
意識せずにはいられないんだ たとえ好きでも嫌いでも
およそ世間に せつないものは 惚れた三字に 義理の二字
あきらめましたよ どう諦めた あきらめられぬと あきらめた
夢で見るよじゃ 惚れよが足りぬ 真に惚れたら 眠られぬ
野辺の若草 摘み捨てられて 土に思いの 根を残す
雨の降るほど 噂はあれど ただの一度も 濡れはせぬ
うちの亭主と こたつの柱 なくてならぬが あって邪魔
お前死んでも 寺へはやらぬ 焼いて粉にして 酒で飲む
上を思えば 限りがないと 下を見て咲く 百合の花
君は吉野の千本桜 色香よけれど木(気)が多い
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生きるために食べよ、食べるために生きるな。(by ソクラテス)
生きるために仕事をする。でも、仕事するために生きてるんじゃない!
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宗教について
2018/04/28
no religion can guarantee for perfect/complete/happy life.
religion is a protection for our lives (or fear etc).
foundation, purpose, reason for why we were born or are living now.
キリスト教はおそらく唯一afterlifeを保証する。どんな人生を送ろうとも、天国に行ける。多くは、テストみたいに、”こうしなさい。こうできなければ、天国には行けませんよ”って言ってる。
キリスト教はfor each person. regardless of race, nationality, and other aspects. it is specialized for EACH person.
キリスト教の場合、何かhardshipがあれば、神が与えたもうた試練だと考える。意味がある。人はその意味を見つけなければならない。
もし、神が実在するならばそれで話はおしまい。でも、もし宗教というものが人が作り出した壮大な作り話だとしたら、どうだろう。どのような内容であれ、各国各地でそれぞれオリジナルの宗教っていうのが生まれている。必然に。それを生み出したのが人(の心)ならば、何が神や精霊や、悪魔ってものを作り出したのだろうか。
恐れ、だろうか。宗教とは、生や死なんかの普遍的な、どうあがいても変えられない物事に対する恐れ、病なんかの突然で理不尽でunexplainedな事象に対する恐れに対する対抗手段なのかもしれない。だって、適当に投げた石が偶然当たって痛い思いをするように、理由なく痛みや苦痛に晒されるより、この苦しみには意味があるって考えた方が、幾分かマシではないか。挫けそうな心を支えるために、あるかどうかもわからない”理由”を探し求めることは、一つの自衛であり、自然なことだろう。
もしくは、宗教ってのは集団で生きていくために必要な規範って考え方。法律のように、それを皆が守れば、ある程度の秩序と安定が約束される。盗むな殺すな、なんてその典型。それに、愛せよ、なんてのが加われば、穏やかなコミュニティーが出来上がる。砂漠での一神教なんかはその典型なのではないだろうか。性を規制し、厳しさを試練とし、隣人愛を育む。もっというと、守らなければ村八分。日本でも、異国のローカルなコミュニティーでも、時代が古くなればなるほど、コミュニティーから弾かれる=死っていう方程式が適用されたはず。家にこもりきりで生活できる現代だって、コミュニティーから外されれば居心地の悪い思いをするのだから、ひと昔前は、死活問題だったろう。一定以上の人の集まりに秩序を与えるのが宗教の役目。そして、その秩序を乱すものは追放。ね、とてもわかりやすい。
それでも、一つ思うのは、ならば何故、多くの宗教は似たような事柄を謳っているのか。正直に、誠実に、幸せに、平和に、愛を持って��らすように唱えるのは何故なんだろう。私は、宗教ってのは、誰しもの心にある人間への愛が寄り集まったものなのではないかと思ったりする。人は弱く、不安定だ。怒り、笑い、泣く。愛していると告げたその口で誰かを罵る。簡単なことで、愛は憎しみに変わり、憎しみは愛に変わる。でも、そんなどうしようもない、自分を含めた人間たちに対して、仕方無いなぁ���て、でもそんなところがどうしようもなく愛おしいなぁって思う人の心なんじゃないかな。個人ではなく、全体的というか、普遍的な”人間”そのものに対する愛情。多分、多かれ少なかれ、人はそういうものを持っていると思う。ならば、全人類への愛を謳っているのも頷けるというものだ。
宗教は、特にキリスト教や、仏教みたいな大きなものは、たった一人の人を起点にして形作られてはいるけれども、広まって、ある程度の形にしたのは、多くの人の協力あってこそ。何百年、何千年って経っても、いや、経っているからこそ、一つの体系だった概念として浸透しているのならば、そこにはある程度、共通の考えが人々にあって、それが寄り集まってできていると考えることはできないだろうか。人は誰しも違った色を持つ。混ざり合ったり、水と油みたいに反発しあって、決して混じり合わない色をそれぞれが持っている。それが、個性ってやつなんだろう。ただ、誰も同じものは持っていなくとも、似たようなものを持っていたりはするのだと思う。例えば、キリスト教を黄金色としよう。誰も、黄金色一色の人はいない。けれども、1/100, 1/1000で綺麗な黄金色の部分を持っているかもしれない。2000年かけて、それぞれが持つ、そういったほんの少しの部分が、少しずつ重なって集まって、”キリスト教”ってのができたのではないだろうか。他の宗教もそう。もしそうなら、宗教ってのは願いであり、祈りなんだなって思う。理想そのものであり、その理想を実行できない不甲斐ない自分への免罪符であり、贖罪でもある。そうだなぁ、ここまでくると、一周回ってやっぱり、愛おしい。(キリスト教だったら)2000年もおんなじ事を繰り返して、全然進歩がない。でも、その愚かしさというか、未成熟なところが愛おしい。
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2018/02/20
アメリカに来て感じたのは、日本には”文化・伝統”があるということ。そして私はそれを知らないということ。アメリカでは、良くも悪くも”自由”が尊重されて、それがいいとされている。奇抜なことも、一見無駄や無精なことも。 自由が文化だ、という考えもあるだろう。けれども私は、そう言い切ってしまうには、アメリカの文化は未成熟すぎると思う。 アメリカの”自由”には2種類あると思う。一つは、責任のある自由。自覚のある自由だ。もう一つは、無責任?な自由。(良くも悪くも)縛りやルール、知識がないが故の”自由”。いや、”自由”に分類されてしまったもの、とでも言えばいいのか。型にはまらない(はまる型がない)行動と、アメリカという風土によって”自由”というものにカテゴライズされてしまったものがたくさんあると思う。 食生活、マナー、服装、生活の知恵・・・ 特に食生活。日本には、一汁一菜やまごはやさしいなどの知恵がある。それに従えば”普通”で、逸脱すれば”無精”。アメリカは、何をいつ食べてもそれは個人の自由。日本では、例えば、お肉ばっかり食べていたら、基本”おかしい”。でも、アメリカでは”普通”だし、”自由”。ただ、それによって肥満とか色々あるみたいだけれど。
それに、文化はともかく、伝統はそうはいかない。伝統とは、長い時間をかけて系統立てられ、受け継がれてきたものだからだ。技術にしろ知識にしろ。着物、茶道、華道、etc。それらが今の現代社会にどれだけ役に立つのか、どう役に立つのか、まずもって、それらは必要なのかどうかさえ、私には判断出来かねるところではあるのだけれど。けれど、実際、一汁一菜やまごはやさしいなんかの一部の知恵は現代社会でも細々と受け継がれている。だから、なくていいわけでもない。「日本の文化・伝統を学びたい。」それだけだと、正直何て薄っぺらい言葉だろうと感じてしまうけれど、でも確かに、脈々と受け継がれてきた”文化・伝統”があるだけでも、誇らしいし、それを学んでみたいと思うのは自然な流れなのかもしれない。伝統とは決まりであり、法なのだ。”こうした方が良い”から、”こうしなければだめだ”や”こうであるべき”まで多様である。それらを一度学んでみるのも、一興なのかもしれない。
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世界は私たちが思っているよりもずっと、多様で広大なのかもしれない。目に見えるものもあれば、見えないものだってたくさんある。それを受け入れるか受け入れないか、理解出来るか出来ないのかは置いておいて、存外、私が思っているよりも世界は私たちに寛容で、無関心なのかもしれない
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04/03/2017
自分なりの哲学ってどうやって育てるんですかね。
誰かの決断、誰かの判断、誰かの意見。
そんなものに対して、それはいい、それは違うんじゃないかと、どうやったら言えるようになるんだろう。
相手の意思を尊重することと、自分の意見を通すことの境目が見つけられない。どちらも過ぎたればケチがつく。
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04/03/2017
好きな言葉
自分の名前が好きだ
自分の名前が好きだから。呼ばれると、自分の存在を認めてもらえているように感じるから。その場に存在している事を教えてくれるから。存在していることを受け入れてもらっているように感じるから。
「好き」って言葉が好きだ
自分の好意をストレートに伝えられる言葉だから。好きだよって、相手に教えてあげられる言葉だから。言われるより、言って、ぎゅってしたい方だから。
「いただきます」って言葉が好きだ
美味しいご飯を食べられる合図だから。私の血となり肉となる命へ捧げられる最初で最期の言葉だから。
「ごちそうさま」って言葉が好きだ
楽しい食事の時間を、大切な命を、今日この時も無事にいただくことができた証拠だから。
「ただいま」って言葉が好きだ
そう言って帰る場所と人があるということだから。そう言って私の元へ帰ってくる人がいるということだから。
「おかえり」って言葉か好きだ
今日もまた、帰ってくる人が帰ってくるべき場所に帰ってこれたということだから。今日もまた、帰るべき場所に帰ってこれたということだから。
世界は言葉で溢れている。世界は言葉で出来ている。
なんと美しい存在だろうか。姿形は見えなくとも、確かにそこに存在して影響を及ぼしているのだから。
でも、なんといっても、最も幸いなことは、言葉を交わせる人がいること、言葉を交わしたいと思う人がいるとこが、一番大切なんじゃなかろうか。
そこにどんなに想いの籠った言葉があろうと、届ける人がいないのならば、その言葉にはどれほどの価値があるのだろうか。
同時に、どれほどの言葉を紡いでも、そこに想いがないのなら、その言葉にはどれほどの重みがあると言うのだろうか。
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時間の流れがあまりに早い この時の流れの中で、私は色々なものを忘れて、忘れたことさえ気づかないのかもしれない。 ”今”がどんどん”過去になって、”過去”ばかりが増えて行く
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どうしたら、人を元気づけられるのだろう 悲しんでいる人、苦しんでいる人、自身の悲しみにさえ気づいていない人 どんな言葉をかけてあげられるんだろう 私には何が出来るんだろう
何かを伝えるとき感じる時、様々なフィルターを通して、人はそのメッセージを受け取ることができる 絵画、詩、自然現象からでさえ、人はそこから意味を見いだせる けれど、この世で一番普遍的なツールは、言葉なのではないだろうか 言葉を通して人は喜び、傷つき、そしてまた励まされる
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初心を忘れない、初心に帰るって、とっても大事。当たり前のことなんだけれど、すぐに忘れてしまうのね。自分に対してだけじゃない。他人に対しても同じことだろう。特に人間関係。これは私の体験だはないんだけれど、誰かさんたちの話を聞いて、思ったの。求めて、求めたものが帰って来なくって、ないない、足りないってところに目がいってしまって、不満ばかりが溜まってしまう。不満が溜まってしまったら、一回全て忘れてしまおう。一番幸せで楽しかった頃を思い出そう。そんで、その時なんで幸せだったのか考えよう。お互いがお互いに何を求めていたのか、何に満足していたのか。 出会えたこと、今こうして話したり笑いあったり出来ること、一緒にご飯を食べられること、何でもない話ができること、ぎゅってできること、名前を呼んでもらえたこと。とってもとっても幸せなんじゃなかろうか。
求めすぎるのも良くないらしいけれど、全く求めない・求められないのも寂しいものだけれどね。多分。難しいね、人って。だから好きじゃないんだ。本当に面倒くさくって参ってしまう。嫌いではないよ。嫌いって感情も私の好みからは完全に外れているから。興味がない、か、好き・面白いだから。単純で申し訳ないんだけれど、これ以上複雑なのは勘弁してほしい。
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変わること、変わろうとすることはきっと悪いことじゃない。でも、自分を見失ってしまったら、きっと虚しいだけだ。空回りして、悲しくなって、寂しくなって、焦ってばかり。気付いたときには、元の自分ばどこにもいない。嘘の私、作り上げた私と本当の私、元々あった私が混じり合って、どこからが嘘なのか、虚像なのか、もう見分けることは出来なくなった。異物が混ざり込んでいるような、そんな自分に違和感を感じながら、時に後悔と嫌悪を感じながら、戻ることもできない。性懲りも無く、また変わりたいと願ってしまうんだけれど、もう、私は私を見失いたくない。昔と違って、今の私は、私のことがそれなりに気に入っているってところが救いかもしれない。好きっていうと大げさで、嫌いっていうと正しく無くて、どうでもいいっていうんでもなくて、ただ、気に入ってる。そこそこいい、悪くない、どう言えば正確なのかわからないんだけど。
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責難は成事にあらず
相手がどこで躓いているのか、何を理解していないのか考えなさい
言葉は減らない。言葉にした思いも消えない。だから、安心して。伝えることを恐れないで。
愛されるより、愛する方が幸せなのね。
知らないことは恥である
知らないことは罪でも悪でもない。ただ、時として知らなかったが故に罪を犯すことはある。罪を犯した後に「それ」が罪であったと知っても何の役にも立たない。
自分を傷つけられるのは、自分自身しかいない。人は他人を傷つけることなんて本当はできない。「何人たりとも、自分を傷つけることはできない」。しかし、それはつまり自分自身であれば、自分をいくらでも傷つけ、どん底まで放り込めるということだ。
誰にとっても都合のいい人間になりたいの。でも、少しわがままをいってもいいのなら誰か一人か二人くらいには、特別に、大切に思ってもらいたいな。
生きるということは嬉しいこと半分、辛いこと半分なのですよ。人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人が幸せであろうとしたからなのです。苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが人を真に幸せにするのですよ
あなたを信じて得するか損するかは、私の問題。あなたが私をどう思って、その結果、どうなろうとも、それはあなたの問題。
なまじ言葉が通じれば、分かり合えないとき、いっそう虚しい。必要なのは相手の意を汲む努力をすること、こうだと決めてかからずに、相手を受け入れてあげることなのです
結局のところ、その人物の為人の問題でございますよ。そしてそれは、その者がいかにふるまい、生きているかにかかっているのです。常にそれを問われている。必ず誰かが見ているのですから
オリジナリティとは、誰も思いつかないことを発想することではなく、
同じものを見ても違う発想ができるということだ
名前を呼んで貰えた。そんな事がたまらなく嬉しいんだ
辛い時、腹立たしい時、イライラした時、自分を不幸だと感じる時、考えてみるの。それは何故なのか。大抵、そういう時は外界に過剰な期待をしている。嫌なことを無理に押し殺したり、それは不幸せなことなんかじゃないんだ、と言い聞かせたりする必要はないと思う。そんなの、余計に辛くなる。どうしたって、そう感じてしまった心と感情は無くならないんだから。そういう時は、幸せのハードルを下げるに限る。風が心地良かったこと、字が綺麗にかけたこと、名前を呼んでもらえること、あまり話さない人と話したこと。穏やかに生きるってそんなに難しいことじゃないんだよ。
言葉に意味をつけているのは自分自身
誰かに怒りたくなった時はだいたい自分が悪いんだよ(twitter: 班ちょ@新人漫画賞「GATE」班長 Jun 9, 2013)
愛情を持って仕事をしなさい。愛情のない仕事は慣れる必ず相手に伝わる。 気を配って、心を配って仕事をしなさい。
空を見よう。星を見よう。木々を、野に咲く花を愛でよう。風を感じて、日の暖かさを、月の美しさに思いを馳せよう。この美しい星に生まれたことを忘れないで生きよう。
短気は損気
不機嫌は公害
愛ってのは、つまりは言葉だ
束縛をするならもっと柔らかいシルクのリボンで縛ってほしい 久保奈穂子
本質的に物事には善悪なんてない。そんなもの誰がどんな立場から見るかによって千差万別に変わってしまう。あるのは、ソレが実際に成されたのかそうでないのか、それだけだ。もう少し主観的な立場から物申すのならば、ソレか能動的に成されたのか、ただ受け身であったが故に起きたことなのかの違いでしかない。まあ存外、その物事への向き合い方ってのは結果と後味に大きく影響するものではあるが。
出来ることを数えているうちはまだ子供。出来ないことを自覚して受け止められることが大人になるということ。 近藤先生 in 2018成人式(母より)
竹は節が多ければ多いほどしなやかに曲がり、どんなに雪が積もろうと、春が来れば何食わぬ顔でまっすぐに伸びる。人も同じ。人生の節が多いほどしなやかで柔軟なものになる。 高橋先生? in 2018成人式(母より)
感情論で話すことと、感情的に話すことは全く違う
良い人間は良い死に方をする。疎まれながらもダラダラといつまでも生きている人間は、もしかしたら人生の帳尻を合わせるために生きているのかもしれない。なんにせよ、よく死ぬために、よく生きろ。死ぬために、生きろ
「いじり」は「いじめ」かもしれない
「気を使ってばかりで言いたいことや言うべきことが言えない」ことを疎い、「言うべきことをはっきり伝える」ことと「相手の人格や外見を否定する」ことは違う
「こいつにはなにを言ってもいい」と思われない、思わせないことが大切。服装、言葉遣い、話題、返答・・・。衝突を避け、曖昧に笑ってごまかし続けるた先に待っているのは更なる地獄。だって、相手は調子に乗ってエスカレートしてくるし。自虐に走るのも、逃げ。自分で自分を軽んじて貶めたなら、一体誰が自分を大切にしてくれると言うのか。
素直じゃない、謝らない、言い訳ばかり言う、嘘をつく、誤魔化す、失敗を隠す、他人の容姿・経歴・人格を馬鹿にする、悪口を言う、愚痴ばかり言う=信頼されない、好かれない
「会社」は「学校」じゃない。「社会」は私を庇護しない
働くことはボランティアではない
食えなくなったら人間は簡単に武器をとる。戦争の原因は、土地、食料、水、資源。
(写真家・桃井和馬)
愛情を込めて料理をするっていうのは、インゲンの筋をとり、もやしの根っこをとることなのよ。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 夏目漱石
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