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ほそかつ。 : ( ゚毒゚)< しんどい。
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shblogjp · 6 years
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そういえば、今日すごい良い写真が撮れたんですよ https://twitter.com/kiriyasan_1123/status/1071031583652536320/photo/1
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shblogjp · 6 years
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我々とは何か
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「我々は何処から来たのか 我々とは何者か 我々は何処へ行くのか」(P.ゴーギャン 1897)
ゴーギャンの晩年における畢生の大作であるこの絵と、有名な絵の題名の言葉は、深く私たちの心に突き刺さる。題名のこの言葉が、回答の宣言の文型ではなく疑問の文型であることは象徴的だ。この根元的な問いは、わからないままに私たちの中にはつねにあるような気がする。この南洋の森の中のような薄暗い絵は、そのことに関するゴーギャンの無言の回答、ということなのだろうか。
「我々は何処から来たのか 我々とは何者か 我々は何処へ行くのか」
我々とは何者か
しかし、「我々とは何者か」と問うときの「我々」とは何を指しているのだろうか。この絵をしばし離れて考えてみたい。
禅問答のように聞こえるかもしれないが、「我々とは何者か」と問うときに、問う者と応える者の間で最低限「『我々』という観念」は共有されていなければならない。そうでなければ、それは何か?と問うこともできない。 私たちがそれぞれ「私である」と思っているものは、実は「私の意識」のことではないか。「あれをした」とか「これをした」といった行為や経験の主体は、私そのものというより、その経験をしたことを覚えていて、考えを巡らし、ときに振り返る「私の意識」である。そして「私の意識」が、経験したことをあれこれと意義づける。
「我思うゆえに我あり」とデカルトは言ったが、このときの「思う我」とはまさに「私の意識」のことである。つまり、「私の意識」=〈意識〉とは、私たち自身である、と言ってもよいと思える。
しかし、大きくとらえれば「私」なのだが、「私の意識」と呼べない部分も、私の中には実はある。身体性の問題がその一つである。「私の身体」は、ほとんど「私の意識」の外にあるといえないだろうか。 痛みでもないかぎり、私は、私の「臓器」の存在をほとんど意識することができない。まして臓器の動きをコントロールすることなどできない。これらは、意識的にコントロールできないという意味の「不随意筋」によって動いている。意のままに動かせる「随意筋」で動いている手足や指は、たしかに意識的に動かすことはできる。しかし、スポーツや楽器演奏な���の高度で繊細な筋肉のコントロールを、意識がおこなってはいるとは言いがたい。むしろ意識は、往々にしてスムーズな動きの邪魔をする。そういった筋肉の繊細な使い方を上達させるために、アスリートや音楽家は、意識を消し去ることを長い時間をかけて訓練をする。また訓練を越えて上手な人は、普通の人はどんなに意識的に頑張っても及ばない「天才」と呼ばれる。 特別に高度なことでなくても、普通の人が自転車に乗ることもやはり意識的にやっているわけではない。どう自転車でバランスを取っているか、言葉を使って意識的に説明することはむずかしい。あるいは表情筋を意識的に動かして、表情を作ることはできなくないが、顔の表情の多くは無意識に現れてしまうものである。
■〈私〉と〈自分〉 トール・ノーレットランダージュは、「私の意識」を〈私〉、その〈私〉も含む全体としての自分を〈自分〉と呼んだ(または、self1とself2と呼んでいる)。〈私〉は〈自分〉の一部である。
人間は、視覚や聴覚、触覚などを通して、絶えず外界から情報を取り込んでいる。その情報量を計算すると1000万ビット/秒ほどになるという。一方人間があれこれ考えごとをするとき、つまり意識の中でどれくらいの情報量を処理しているかというと10ビット/秒程度であるという。ということは〈自分〉として取り込んでいる情報の100万分の1ほどしか、〈私〉は使っていないということになる。逆にいうと、私であるところの〈私〉が知らされていない100万倍の情報を〈自分〉は受け取っているのに、それを〈私〉は教えてもらえない。しかし〈私〉は、渡された毎秒10ビットの情報を、〈私〉が経験した、すべての、「生な」情報、と思い込んでいる。(→「会話の木」)
〈自分〉は、その多量な情報をいったいどうしてしまうのだろうか。 〈自分〉は多量な情報から、〈私〉=私の意識が扱えるように、ごく少量の情報へ、気づかれないように裏でこっそりダウンコンバートしている。その処理の過程で落とされた情報のうち、いくらかが無意識の底に沈み、多くの情報は完全に捨て去られる。無意識の底にサブリミナル情報としてとらえる作用は「閾下知覚」と呼ばれている。
コンピュータ的に言えば、〈私〉というアプリケーションは、OSからマウスや画面タッチの情報をイベントとして受け取って動いている。しかし実際には、OSのさらに下にあるBIOSがハードウェアからの電気信号パターンを常時監視/処理してマウスの位置やクリック、何本かの指でのピンチ操作という、仮想の意味を創作して上へ返している。そういった状況に似ている。
ジュリアン・ジェインズは〈意識〉に関しての卓越したこんな比喩を語っている。 〈意識〉は懐中電灯のようなものである。暗闇に置かれた懐中電灯に部屋の様子を報告させたら、部屋は明るくて何でも日中のように見えていることになるだろう。懐中電灯が見ようとするものには、常に光が当たっているから。 〈意識〉に心の中を報告させれば、すべてが自明のことのように映るだろう。しかし実際には意識が差し向けられていない心の物陰で、多くの心の事態は動いている。 「だるまさんがころんだ」(「ぼんさんが屁をこいた」)のようでもある。
つまりわれわれは〈意識〉に閉じ込められている、とも言えるのではないかとわたしは思う。
これまでのことをまとめると、私が私自身と考えている〈私〉とは、私の意識であり、マクロに見ると高度な楽器演奏もできないし、自転車に乗ることすらもできないほどたよりない。またミクロに見ても、〈自分〉というハードウェアが経験から得られる生な情報のうちの、ほんの少しの調理済みの情報だけを、もらっているに過ぎない。でも、やっぱり〈私〉こそが私のすべてだと思って生きている。
もちろん、こういった〈意識〉によって、人間は他の動物とは決定的にちがう文化、文明、芸術、科学、宗教などを生み出して、はるかな髙みに立つことができたわけであるが。
〈意識〉の起源
ジェインズは、この〈意識〉の起源と本質のありようについて、大胆な仮説を提示する。ここではジェインズにそって〈意識〉がどうやって生まれたのかを追ってみよう。
ジェインズによれば、人間が他の動物とはまったく異なる精神生活を始めたきっかけは「言葉(話し言葉)」にあったという。 言葉は、呼び声からはじまり次に修飾詞そして命令、最後に名詞の順にできていった。言葉のもっとも重要なエンジンは「比喩」の機能である。何のようか、という視点である。それによって語彙はじょじょに増えていった。
■〈二分心〉の時代 たがいにある程度の意思疎通のできるまで言葉を獲得した頃、人の精神生活/心の在り様はどんなものだったのだろうか。ジェインズはその時代を〈二分心〉の時代と名付けている。 その時代の人々の心(脳)は、二つの役割に大きく分かれていたという。一つは発起する心であり、自分の行為や行動を想起し、自分自身に命令をくだす心である。もう一つは、第一の心の命を受けて、それを忠実に実行しようとする心である。この第二の心は冷静で、客観的/論理的/合理的な判断をくだすことができる。それに対して第一の心は、情動的ないし欲望的な存在である。これらの二つは具体的には、右脳(脳の右半球)と左脳(左半球)に対応している。
〈二分心〉"Bicameral mind" の直接の意味は、「二つの部屋(箱)の心」である。また「二院制の心」という意味でもある。二院制(上院/下院ないし衆議院/参議院)は、二段階の手続きで人がなすべきことを決めて実行していく体制、といった意味合いであろう。しかし役割から考えると、二院制よりも立法と行政という二権による運営に近いように自分には思える。
右脳は、一種の「神」として、「人」である左脳に君臨していた。この命令する声=内なる神は、いわゆる現代の宗教における神とは違うが、働きとしてはほぼ同じである。絶対的に正しく、疑うことなく人が実行すべきことを人に示すものである。左脳は、疑うことなくただこれに従った。
■内なる神の声 その頃の人たちは、群れによる狩猟採取の生活をしていたと考えられている。群れの中にはリーダーとして、ほかの者に命令をする者もいただろう。このリーダーの声も、多くの群れの中の者たちは、同じように従うべきものとして聴いたことだろう。そしておそらく自分の内なる声よりは、リーダーの声に従ったのだろうと思う。そうしなければ、群れが存続していくことがむずかしくなってしまう。どうしても従えない者は、群れを出て行くしかない。 現代の感覚から言えば、群れの中の人たちは何に従うべきか、葛藤が生じたのではないかと想像される。しかし実際にはそうではなかった。なぜならば、人にはまだ「葛藤」するための〈意識〉が芽生えていなかったのだ。人はまだ、ほかの動物たちと同じように、素直な存在だった。何かを疑うことはまだ学んでいなかった。 たとえば人から見ると狡猾そうに見える、ハイエナなどの動物はたしかにいる。しかし実際のところは、ほかの動物に比べて少しだけ頭の回転の早い動物が、うまく立ち振る舞っているにすぎない。
ジェインズによれば、この〈二分心〉の時代は、言葉を獲得した数万年前からほんの3000年ほど前まで続いていたという。その間ずっと、人はこの〈二分心〉という形で精神的な生を送っていた。 これはにわかには信じがたいことであるが、さまざまな事例でジェインズはこれを裏付けていく。
私たちホモ・サピエンスは、今から1万年ほど前に狩猟採取の生活から農耕生活に移ったとされる。最古の文明であるメソポタミアは、8000年〜6000年前、つまり3000年前の2倍ほどさかのぼった頃のことである。その他のいくつかの古代文明も、3000年前ころには成立していた。 つまり都市ができ、文明が成立するころ、人はまだ〈意識〉もなく暮らしていたということになる。〈意識〉もなく、文明といった多くの人が参加するような社会が本当に運営できるのだろうか。また文明の中には、多くの複雑な制度や道具、発明品などの人工物があった。そういったものを自覚的な〈意識〉抜きで、作り出せるものなのだろうか。その理由もさまざまに述べられている。
では〈二分心〉の時代は、どうやって次の時代へ移行していったのだろうか。そして移行した先の時代とはどういう時代だったのか。
■〈意識〉の時代 文明の中でなした多くの発明品の中に、「文字」というものがあった。文字は交易のための覚書から始まった。誰それにどれほどの貸しがあるかを、両者が目に見える物理的な印として残すことは有効であったにちがいない。そしてその有用性は、さまざまなものの「記録」に波及していった。そしてその時その時のできごとを客観的に記録することもできるようになった。またその「記録」によって過去のできごとをありありと思い出すことができた。 この言葉による「記録」という「過去の記憶」は、人が明日とるべき行動の指針ともなった。それにしたがえば、ときに右脳やリーダーの声以上に、まちがいがなかった。さらにその指針は自分一人のための覚え書きとしてだけでなく、多くの人に世代を超えて伝わっていく有効なものとなっていったはずである。言葉は、過去の記憶を記録にとどめだけでなく、未来を想像し計画することを可能にした。
こうして過去と未来を、つまり「時間」を今までにない新たなかたちで人は手に入れ直した。私という意識にとって、時間はキーとなる観念である。過去にこうあって、未来にこうなるものとして、はじめて「私のアイデンティティ」という物語りが立ち上がる。 また時間によって、反省や悔恨、夢や希望といった感情を育んでいったことだろう。その過程で思いやりや嫉妬も学んだ。
ジェインズによれば、情動(affect)は動物も持ちうるもので、恐怖、恥、交尾、怒り、興奮、親和などがその代表である。これらはやがて、不安、罪悪感、セックス、憎しみ、喜び、愛へ変化していった。そして感情(emotion)とは、過去や未来の情動に対する意識(awareness)であるという。ということはつまり、人間がとても大切にしている「感情」すら、意識によってもたらされたものであって、〈二分心〉の時代には「感情」はなかったということになる。
〈意識〉によって、人は合理的な思考や哲学的な思考を深めていくとともに、たくさんの知識や知恵を手にしていった。ギリシャ時代の多くの哲人や思考家は、それをもっとも象徴するものである。今あるほとんどの学問の原点はギリシャにある。 しかしその一方、人々は同時に大いなるものを失ってもいった。右脳から発せられる内なる神の声である。お役御免となった内なる神の声は、ときとともに途切れ途切れになり、ついには神々は沈黙した。神を失った人々が、新たな、自らの統治者として選んだものこそが〈意識〉であった。
これが〈意識〉の起源である。 〈二分心〉時代の次なるこの時代を〈意識〉の時代と呼ぶことができるだろう。そして〈意識〉の時代は、たった今も続いている。
〈二分心〉の時代の人々の精神的な暮らしぶりとは、どんなものであったのか。その頃の人は蒙昧といえばたしかに蒙昧だったのかもしれない。しかしそれは今の私たちから見た相対的なものであって、むしろ後悔もなく、憂いもない、幸せな時代であったような気もする。そういった想像は、野生の動物たちが幸せかと問うのに似ている。 しかし一方、現在も進行中の〈意識〉の時代は、〈二分心〉の時代とくらべて、はたしてどれほど幸せな時代といえるだろうか。
■〈二分心〉という発想 ところでジェインズは、どうやって〈二分心〉という想を得たのだろう。 ジェインズは、人類最古の著作「イーリアス」を詳細に紐解いた。そしてこの長編の神々を語る叙事詩の中に、意識や心が語られていないことを発見した。一見して意識や精神活動を表すような単語も詩中に見えるが、その言葉の使われ方を吟味すると、まだ精神性を表すような意味では使われていないという。たとえば「プシケー」という「魂」や「心」を洗わす言葉は、その言葉の原義である「血」や「息」という意味でしか使われていない。 日本の能楽師である安田登氏も、漢字において同様の指摘をしている。孔子による「論語」の中には「心」という漢字ばかりでなく、心を表す「忄」(りっしんべん)のつく漢字も出現しないという。まだそれらの漢字は作られていなかった。文字がないということは、その観念が人々の中に根づいていなかったことを意味している。だからこそ孔子は、生まれようとしている「心」の正しい用い��を説いたのだという。
これら書物による〈二分心〉の考察は、一つの検証でしかない。他にも古代の墓や偶像などから、帰納統合(→コンシリエンス)的に〈二分心〉が導かれている。
〈二分心〉の残照
〈二分心〉の時代から〈意識〉の時代への移行は、世界中で起きた。ある地域では比較的早く、ある地域ではかなり遅く。近い地域どうしでは、移行が伝播もしていった。そしてもちろんどの移行も一瞬にして起こったわけではない。
■預言と宗教 神々の声がじょじょに聞こえなくなっていったとき、困った人たちは預言者らを頼った。託宣者、預言者や巫女、あるいは口寄せの術を使う者は、神の声が小さくなっていった時代にあって、神の声を“まだ”聴くことのできる少数の人たちだった、と考えられる。人々は必死の思いで、これらの人に頼ったにちがいない。 また、消えゆく神の声をなんとか留めようと言葉にまとめたものは宗教の聖典となった。大まかではあるが、宗教もそんなふうにはじまっていったと考えることができる。
ところで旧約聖書に、イブが悪魔の化身のヘビから知恵の林檎を食べさせられて、以後知恵とともに羞恥心などを覚えて楽園から追放された、というくだりがある。これは「知恵の林檎」を「意識」に置き換えると、これまで書いてきたことに深く符合するのは非常に興味深い。
■詩、音楽、芸術 「イーリアス」がそうであるように、初期の書物の多くは詩という形式で書かれている。 詩とは韻律を持つ文である。おそらく内容は文に書かれる前に、口頭で伝承してきたと考えられる。口で覚えて伝えるためには韻律をもっていた方が有利であるし、韻律(音楽)を司る右脳は、元々神の居座であった。 詩、音楽、そしてほとんどの芸術は、失ってしまった内に生きていた神を指向していると考えられる。
■統合失調症、憑依 また、統合失調症や憑依、催眠といった心理学的な現象についても、〈二分心〉の名残りという観点から説明が可能であるとしている。
■科学、真実 ジェインズのさまざまな論考は、基本的には「科学」をベースに置いたものである。しかしついに、その科学についてさえ、ジェインズは〈二分心〉の崩壊に対する反応のひとつと読み解いてみせる。 人の活動のほとんどは「内なる神」の確実性を追い求めることであった。宗教は「内なる神」から、造物主やすべてを統べる存在としての「神」を、直接求める活動であった。科学の出発点は、「神」を求める過程で分離したプロテスタントが帯びた合理主義的側面の先にあった。そうして科学革命がはじまり、今にいたっている。(もちろんこれはキリスト教史的な見方で、それですべてとはいえないが、大筋は納得できる。)
本書の最後一文は、以下のように結ばれている。 「真実という概念そのものが、文化に与えられた指針であり、大昔の確実性に対して誰もが抱く根深いノスタルジアの一部なのだ。(真実を)世界中を巡って探し求めることができるという考えそのものが、失われた神々を求めてきた直接の結果だ。」
あわいの時代
前述の安田氏は、〈二分心〉から〈意識〉の時代へ移ろう中間の時を「→あわいの時代」と呼んだ。そして〈あわいの時代〉で起きたことを、身を以て演じることによって読み解こうとしている。
さらに、ジェインズや安田氏はこんな���感を綴っている。それは現代という時代は〈意識〉の時代からさらにその次の時代へいたる第二の〈あわい時代〉ではないか、と。 〈意識〉の次の時代がどのようなものかは、まだ誰にも描けていない。それはすぐにでもやってくるものなのか、それともこの100年世紀あるいは1000年世紀をかけて起こることなのだろうか。
■次なる時代 〈二分心〉が、左脳と右脳のプリミティブな協調の時代で、〈意識〉の時代が左脳優位の合理を指向した時代であったとすると、次の時代の在り様は以下のような3つが考えられるだろうか。
右脳の時代。感覚や感性の時代。
右脳と左脳の、新たな関係性がもたらす時代。
左脳でも右脳でもない、第三の何か新しいものの優位となる時代。
3.は、まさに想像を超えたものであり何とも言いようがないが、1.または2.であるとすると、いずれにしても、しばらく力を発揮できなかった右脳の進展に関するものとなる。さて、どうなのだろうか。
■自律した言葉 「話し言葉」によって〈二分心〉の時代が開かれ、「書き言葉」によって〈意識〉の時代が開かれたのだとしたら、次の時代がどういうものであるにせよ、それはコンピュータとネットワークという技術(ICT)によって開かれるものであることは、まちがいのないように感じる。旅の行き先はわからないが、出発のきっかけはおそらくそこにある。
歯車やスチームエンジンの延長にあるコンピュータという「機械」によって人間が変えられてしまう、というイメージに違和感を抱くのなら、こう言いかえてもよい。「言葉の自律」が次の時代が開くと。
左脳が生み出したおそらく最大の発明品であるICTのベースは、数学理論に裏付けられたものである。ベースがそうであるにせよ、ICTが結果として実現したものとは、言葉それ自体が生命をもって生きていけるダイナミックな仕掛けとしてのメディアだったのではかいか。 文学的な「生きた言葉」という言い方があるが、まさにICTによって、言葉は舞台上の俳優のように「生きた」ものとなり、自らの役割を自律的に演じることができる。
ICTによって言葉を制御するものは、歯車やエンジンではなく、プログラミングという言語である。つまり言語を生かすための仕組みもやはり言語であったということである。言語はもともとそのような再帰的な自律性を秘めていたということなのだろう。
「話し言葉」とは、実体としてみれば空気の震えでしかない。「書き言葉」も、粘土や紙に印されたシミでしかない。ICTが実現しようとすることは、そのシミに生命を与えて動き出させることである。 雪舟は室町時代の伝説的な水墨画家であるが、少年雪舟が自らの涙で床に描いた鼠は、あまりにリアルでついには動き出したという。そんなイメージがする。
こうしてふり返ると、我々という人=ホモ・サピエンスは、「言葉」を生み出した動物というより、「言葉」によって形作られてきた動物である、といえるのかもしれない。
■ひずみ いつでも人は、自分のいるその時その時を、特別な時代と感じるものなのかもしれない。しかし、それでもやはり、この20世紀の終わりから21世紀はじめという時代は、さまざまなひずみをはらんだ時代、あるいはひずみが露わになった時代のように感じる。
よく言われるように、技術(左脳の作り出したもの)そのものが悪いわけではないとわたしも思う。しかし、それを誤って使う人が悪いのだ、という言説にはわたしは賛同できない。たんに人が、この技術の進展の早さについて来られなかったためのひずみであったのだとわたしは思う。
原子力という安全に制御するにはあまりに大きすぎる力、戦争と原水爆弾による危機、つもりに積もった世界規模の人工の自然破壊、ICTという有効な道具があるというのに起きている意思疎通に関する不具合、AIのシンギュラリティは我々を天国に導くのかそれとも地獄へ導くのか。どの技術についても、自らの左脳が生んだ道具の有能さに、我々自身が追いつけていないうようだ。
このような世界で起きているさまざまなひずみを見ていると、どれも〈意識〉の限界を示唆しているような気が強くするのである。
これが〈意識〉の時代の終焉を示すものであるなら、次に起きることはこれを解消するものでなければならないだろう。そう考えると少しは希望もわいてくるのであるが。
■ふたたびゴーギャン さて、ふたたびゴーギャンの問いにもどろう。 わたしがこれまで述べてきたことは、「我々とは何か」というものであり、「どこから来たのか」であり、そして「どこへ行くのか」であった。わたしがというより、ゴーギャンやジェインズ、安田登、そしてノーレットランダージュという人たちが表したことであり、わたしもそれに共振したにすぎない。でもかれらの指摘は、どれもわたしがこれまでほとんど聴いたこともなかった重要な問いかけであり、読み解きの物語りであった。そしてそれはわたしを夢見させた。結局はまだ解けない謎でもあるけれども。
デザインと〈意識〉
デザイナーとしてのわたしは、ここまで事情があきらかになれば、何か先も見えるのではないかと無謀に夢想した。誰もわからないのだから、大いにこの問いを楽しみたいと思った。たとえ〈私〉には、100万分の1しか事実が知らされていないのだとしても。
あまりに大きな話なので、デザインとこれまで述べてきた〈意識〉がどういう関係にあるのか、自分でもなかなかうまくまとめられない。しかしデザインは、新米とはいえ芸術や科学を親に持つ営みであるのだから、〈意識〉とまったく関係がないとはいえない。いや大いに関係があるはずである。 しかし寡聞にして、デザインと〈意識〉が、このように結びつけて語られるのを聴かない。
わたしはデザインをスタイリングの問題とは思わない。しかしまた、認知に関わる、わかりやすさや使いやすさの問題とも考えない。この二つの側面はたがいに対立するものではないし、どちらも等しく重要なものである。むしろデザインは、それらを大きく包み、それらの向こうにあるものだと思う。
それは「認識」の問題と捉えるべきなのかもしれない。 デザインとは、広い意味での道具(道具、メディア、制度)を、人がどのように認識するものとして作るのか、を問題意識とする行為ではないのか。 認識という作用それ自体は、意識下〈私〉のものであるが、それが対象としているのは、無意識や身体性を含む全体としての〈自分〉である。 認識の問題は、コインの裏表として表現と現象の問題と響きあっている。
デザインのことを考えていく中で、〈意識〉の問題に行き当たったのであるけれど、なんだかどうも、デザインの「床」をぶち抜いてしまったような気もしている。この上自分は、デザインの上に立っていられるのだろうか。
(180221)
「ユーザーイリュージョン」        ー 意識という幻想(トール・ノーレットランダージュ) 「神々の沈黙」ー 意識の誕生と文明の興亡(ジュリアン・ジェインズ) 「あわいの時代の『論語』」ー ヒューマン2.0(安田登)
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