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un petit pas 小さな一歩|yoyo.|新潟 NIIGATA

イネさん、上條さん、坂本大ちゃんたちと佐渡を旅したのはもう何年まえでしょう。
その旅の最後、フェリーで新潟港に着いた後に立ち寄り、みんなでコーヒーや軽食をいただいたHoshino Koffee&labo.さん。その時はまだこんな未来を知る由もありませんでしたが、現在、その跡地でごはんやさん「mountain△grocery」を営んでいます。
不安定なご時世のこともあって、ここ最近は、お店のランチの営業をお休みしています。新しく始めた試みのひとつは、ご予約いただく1日ひと組のお客様へのコース料理の提供。それから、デリの量り売り販売があります。その量り売りについてお話させていただきます。
とある秋の宵、古町の「bar book box」というお店の豊島淳子さん(じゅんさん)が、自然栽培の農家さんや、自然栽培の農産物を使っている料理家さんに声をかけ、お店で小さな量り売りマーケットを開催されたところに、ふらりと遊びにいきました。ふなくぼ農園さん、おおしま農縁さん、よへいろんさん、たなか農園さんのテーブルには、それぞれ種類は少なくても見るからにエネルギーの詰まったお野菜が並んでいて、直接推しポイントやおすすめの食べ方を聞き、ひとりで食べきれる量だけをちょこっとずつ、持参した新聞紙に包んで購入。マリールゥのパンケーキミックスも量り売り。rucotoさんのおやつも連れて帰りました。この楽しい体験から、数年まえに友人を訪ねた南フランスの小さな街にあるオーガニックのものを扱うお店で受けた衝撃を思い出しました。そのお店では、野菜や果物に限らず、ワインや数種のオイル、ヴィネガー、はちみつ、リキッドソープなどの液体に至るまですべて量り売り。お客さんは空瓶などを持参して購入していきます。古いのにめちゃめちゃ新しい!見た目も美しい!結果的に環境に優しい!!こんなお店が���近にあったらいいのになー、とその時強く思いました。

じゅんさんがこのまちで始めた小さな一歩に触発され、私のお店でも早速おかずの量り売りをはじめました。まずは販売する日取りを決め、私は自分が食べたい、とか、作ってみたいおかずを、2、3日かけて作り、当日、大皿に盛り付けます。お客様にはできる限り、ご自宅のタッパーなどをお持ちいただいて、お店の秤で重さを測っていただき、金額を出し(基本100g 350円に統一しています。1g=3.5円)、お会計いただきます。
お店はひとりで切り盛りしているので、こちらにとっては一連のサーヴィス(お水出し、盛り付け、提供、下げ、洗い物、etc)を省くことができとても助かっています。お客様にとっても、お好きなものをお好きな分だけ、いろいろな種類楽しむことができ、利用された方からはご好評の声をいただいています。リピートしてきてくださっているお客様が、はじめていらした方に買い方を教えてくださっているのは、通常の飲食店では見かけないですが、心地よい光景です。
量り売りではないですが、自然栽培の農家さんたちのグループ、「人田畑」さんはこれから、お客様とともに年間計画を立て、一緒に汗を流して農作業をしながら野菜やお米を育てる「トモニタガヤス」という取り組みを始めるそうです。
ただの「売り手」、「買い手」の関係を超えてゆく。まちを耕すいろんな小さな一歩に、わくわくしています。

△
ヴィーガン(たまにジビエ)料理家 / VEGEしょくどう主宰
yoyo.
Instagram @mountaingrocery @vegeshokudo
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声を出す場所|津田道子 Michiko Tsuda|金沢 KANAZAWA

声を出す場所というのは、あるようであまりないことに気づいた。最近ホーメイの練習を始めてから、声を出せる場所を探していた。鳥は鳴きながら飛んだり、誰かの家の前で鳴いても何も言われないが、人間は歩きながら声を出していたら、他の人をびっくりさせてしまう。そういえば、ニューヨークの街中の風景には、歌いながら歩いている人がいたことを思い出す。その中でホーメイしていても問題ないかもしれない。今度ニューヨークに行ったら何気なくホーメイをしてみよう。

2021年4月に関東から北陸に引っ越した。様々な理由はあるけれど、一言で言うと日本海側に住んでみたかったからだ。2012年に山口県の秋吉台国際芸術村に滞在し、関東までの帰りに日本海側を経由した。その時から気になっていながら、なかなか滞在する機会がないまま10年ほど経とうとしていた。そんな中コロナ禍に青森に滞在し、制作をしないで地方で生活をすることができた感触を得た頃に、金沢移住を考えるタイミングが訪れた。
到着すると、まず空気がややしっとり、ゆったりしている。空はカラッと晴れることがない。朝焼けや夕焼け時に、なんとも怪しく目の前の空気まで色がついているかのような気持ちになる。

金沢のカラスは、その空気のようにおっとりしているようだ。街中で横��歩道を渡るカラスや、散歩中に一緒に近くを歩いてついてくるカラスに出会う。カラスにとっては、人間が怖かったり、何か奪うものを持っていたりしないようである。東京のカラスが人に対して攻撃的で、ゴミを荒らすなどの害を与える存在になっているのは、そこの空気やそこにいる人を反映しているのではないかと仮説を立ててみたりした。そう考えると極日本的な「あなたと私は同じ」という社会の前提が強いゆえに他者の受け入れ方、他者への関わり方を理解してきていない金沢の街では、カラスも他者ではないのかもしれない。カラスにとっても人間は他者ではなく、なんらかの鳴かない生物、くらいの存在なのかもしれない。
もしかしたら、鳥がいるところで声を出してみたら、カラスもこちらを他者として認識するかもしれない。今度鳥にホーメイをしてみようと思う。
津田道子 http://2da.jp/
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トヨダヒトシさんの「新作」|泉イネ Ine Izumi|記憶の処

小さな 青虫を 摘まみ出す
ご飯と
お数
指名手配犯の張り紙
都市の地下鉄出入り口の灯り
電線の間に枝を巡らす桜の木
犬 小屋
アメリカと日本の 新聞 日々変わりゆく テロや 震災の 見出し 死者の数
食卓の
ご飯と
お数
NYの友達
今、思い返す 初夏 ふげん社でのスライドショーでみた 景色 トヨダさんが被災地へ通って撮った景色以外で 印象に残っているもの
被災地のスライドで印象に残っているのは プレハブで新しい床屋をはじめた 女性の 笑顔と 暖かそうな頬の 色
新作のスライドショーには トヨダさんが2011年1月から2012年4月まで NYから気仙沼へ通って 地元の人々と一緒に作業をしたり ご飯を共にしているたくさんの風景と その 間 間 に 印象に残ったスライドは 浮かんでは 消えていた トヨダさんは写真を物として残さず スライドショーを見る人の目をメディウムに 記憶へ像を 残してゆく

スライドショーが終わった後 観ていた人からトヨダさんへふと 投げかけられた言葉
「トヨダさんは、写真を撮っているんですか?」
トヨダさんが返した言葉
「写真にならないように撮っています」 「たぶん、写真家じゃないんだと思う」
その会話を聴いていて、しっくりきた。 カシャン カシャン と スライドが切り替わっていく数時間 視ていた写真、というか 像は ほとんど美しいとは感じなかった 醜い ということでもなく、映像や写真で受け取りやすい 美しさや 格好良さは なかった
淡々とトヨダさんの目が トヨダさんの意識が視たもの が 切り取られているようで
人は普段、目の見える人が目覚めてから眠るまで 美しいものばかりを 視ていない(そもそも美しいと思うものが 其々に異なるけれど)
物をつくる時、写真や絵にするときは 多くは美しく仕上げようとする 良く見せようとしてしまう作為が働く
久しぶりにトヨダさんに会えたし、ちゃんと観て最後に何か質問できることがあればと思って じっ とスライドを視続けて、カシャン カシャンと音を聞き続けた 途中から これは……言葉にするのは 難しい な と。黙って見ているのだけれど、心の中でも言葉を失いながら時を過ごす。
絵も、映像も、音楽も、本も料理も なんもかも 人其々に受け取り方は違う でも 観ている人、というより 今 生きている人へ トヨダさん自身へも含めて 同じ問いかけが スライド と スライド の 隙間に 挟まれているような気がした
その問いかけを 否定せずに受け入れると 足場を失くしそうになるので 薄っすらと わかりつつも 横に置いて 保留して 生きているような 気づかないふりをして 慰め合っているような
上映の後、質問もできず トヨダさんへ挨拶だけして 暗くなっても明るい 東京の夜道を歩いて
帰る
そのあと しばらく忙しくて、日常にも驚く出来事がいくつかあったりして、夏に観たトヨダさんの新作の記憶の鮮度が薄れてしまった気がして。改めて メールでだけれど 問いと返事のやりとりが何通かありました。
ここからはその何通か から シャッフルを

t(トヨダさん)
「ほんとうのことも知らないのに」「よく知りもしない人のことはほっとけ」
と言いたくなるようなことが多くあり過ぎる。
そんなことよりも今、自分の目の前にいる・ある、大切にすべきこと、
愛おしいことにもっとこころと時間を使え、と。
でも「ほんとうのこと」はその本人すらも知らないことが多くあるね。
そのことは、僕のスライドショーの底辺を流れるテーマのひとつでもあります。
i(イネ)
都合の悪いものは除き
沢山の人が犠牲になった
本当の犯人は誰なのか
世界の不条理のようなもの
自分がまず安全、安定していれば良い。 多くの人が日々そう生きている一方で その安全の代償をなぜか背負わなければならなくなった人達が 人だけじゃなくて動植物も自然環境も どこかで生きている
誰が悪いのか、見て見ぬふりをしている
私たちも(悪いのは)同じじゃないか、
そんな問いかけを 私はスライドショーの中で感じ取っていたのですが
t
イネさんが書いてくれた
青虫を除く
指名手配のチラシ
死者のニュース
主犯のニュース
は、あの「新作」で僕が見てほしかったことです。
3.11の震災やボランティア活動の記録(だけ)ではないつもりで作りました。生きていること、(ときに突然に・不条理に)死ぬこと、生き残ったこと、生き続けること、他者を殺すこと、他者を裁くということ、人によって人が死刑に処されるということ、いろいろないのちの、日々の、あり方・・
そんなことについての自分のわからなさも含めて 近しい友人に宛てて手紙を書いた、そんな作品にしたかったのかも知れません。
i
「写真家じゃない」とトークのときにお返事されていましたが、他にしっくりくる言い方はあるでしょうか(私は最近は絵描きか絵伏です。絵に伏す人)
t
「何をしているのですか?」「お仕事は?」と訊かれると NYにいた時からずっと「写真を撮っています」と答えています��
もし話を聞いてくれそうな人が相手なら、その写真でこんなこと(プリントされた写真ではなく、消えていく写真 云々)をしています、と話します。
自分のことを○○です、と名詞でくくる(くくられる)のに違和感があり、○○しています、と動詞で答えています。
i
スライドショーを見ていて、殆どありのままの風景…良い写真を撮ろうとしていない、目に入った景色を瞬きで切り取ったかのような一枚一枚でしたが、ショーに使われないスライドも沢山あるのでしょうか?
t
なるべく「写真」にならないように気をつけて写真を撮っています。
「写真」を撮りたいわけではないので。
作品には使われないスライドもたくさんあります。こういう作品を作ろうと決めて写真を撮りはじめるのではなく、普段の、過ぎていく日々の中で気になったこと、(自分にとって)大切なこと、覚えておきたいことなどをつれづれに撮っているので、その中から作品となっていくのは、どれくらいかな・・10枚に1枚くらいかなあ・・ 数えていないのでわからないけれど。
最近はもっと少ないかもしれない。
i
ご自宅から見える桜の木と電線。季節が変わる毎に写っていたのが印象に残っています。この木について、何か想いはあるのでしょうか。
t
小学校に入学した時に、入学式の最後に桜の苗木をプレゼントされました。それを持って帰って庭に植えたのがあの桜の樹です。今では考えられないようなプレゼントだね。
自分の背よりすこしちいさいくらいだった苗木を片手に持って、これから始まる新しい(小学生の)日々にワクワクと不安がないまぜの変な気持ちになって家に帰ったことを 今もよく覚えています。
やがて庭がなくなった時に、家の敷地のほんの端っこに植え替えて、それでもそこで元気に育ってくれました。
僕が日本に帰ると泊まる部屋(実家の)の窓から見えるその樹を 撮った写真です。
桜の苗木がどれくらいの月日で育つのかはわからないけれど、きっと僕とほぼ同じ年月を〈樹〉として生きているその存在を そばで見ています。
i
夏のスライドショーから暫く時間が過ぎましたが、新作について「言葉にならない」「どう話していいか分からない」と言われていたのは今も変わらないでしょうか?
t
どの作品もそうなのかもしれないけれど、言葉にしたり説明しようとすると、やっぱり何かが崩れていきます。
何か言葉にするとしたら、僕の場合、スライドと同じように断片になってしまうのかも知れません。以下は新作上映のDMにそえた言葉です。
2011年 / ニューヨーク / 時計が時を刻む音 / それはとても小さな / 雲がはこばれていく / あの冬 / 止まった時計 / ここに / 震える輪郭 / やっと思い出せた / たえまなく降りつもる / 窓 / 人 / 人間の風景 / かつてここに生きたものたちと自分 / 写真は / 鏡のように / 閉じていく / たったひとつの今 / たったひとつの命 / 雪
i
スライドの順番は時系列なのでしょうか?
t
時系列をベースにしていますが、時系列どおりに見せることは目標にしていません。
時間という不思議なものへの興味や感嘆、それと 時間というものの中で起こる自然な順序は大事にしたいと思っていますが。うまく言えませんが、おそらく僕は「話ししたいこと」があって作品を作っています。その「話したいこと」を自分のやり方できちんと話すことの方を 時系列を厳格に守ることよりも大事にしています。
ただ、「時間」も僕の興味を大いにひくものなので そのことは作品の基礎部になっています。 それと、日々写真を撮る中で無意識にできる写真の自然な順序(この写真を撮ったあとにこんな写真を撮っていたのか、というような)偶然も含めた、出来事の自然な順序や、自分のこころの中の自然な順序が(無意識に)もたらす流れは、人生の妙というか不思議さが顔を出している場合が多いので大事に思い、そのままに(まさに時系列どおりに)並べることが多々あります。

i
スライドの並べ方はどのように選んでいるのでしょうか?
t
上記の「話ししたいこと」がある時期のスライドをライトテーブルの上に撮った順にすべて並べ、そこから、その時に「話ししたいこと」と遠く離れているものは外していきます。 時期ごとにあるテーマを決めて写真を撮っているわけではなく、その時々の自分の興味・関心の流れに身を任せて何かを写真に撮っているので、並べられた写真のうち、今回の「話し」のことではないと思うものは 外していきます。
それから、それらの写真が撮られた時のこと、今現在のこと、そしてその他の自分のいろいろな時期のこと(こどもの頃のことも含めて)を行き来しながら、時間をかけて写真が並んでいきます。
でもある程度のところまで来たら、はじめに外した写真をもう一度見返します。すると、最初には見えなかったその写真を撮った自分の無意識の意味に気づくことがあり、そうするとそれらの写真は作品にすっと入れられていきます。
何年も経って(自分が歳を重ねてやっと)気づいて(何年も経ってから)その写真が撮られた時期の作品に入れられることもしばしばあります。
同じ理由で、作品に選んであった写真が 時間を経てから作品から抜かれることもあります。
i
スライドからスライドへの間の秒数はどのように決めているのですか?
t
上映が始まる前に、その会場のロケーションやその季節(によるその場の気配も)によって写真を送る基本になる秒数(10秒ずつとか14秒ずつとか)を「こんな感じかなあ・・」と決めるけれども、
上映が始まると、自分が感じるままに進めていきます。その場の雰囲気や、その時の過去を見返す僕のこころの在りようとかでも変わっていきます。
筑波大学で野外上映した時は 降り出した雨の中、100分くらいの上映時間の「NAZUNA」という作品が140分になったこともありました。観る人たちは屋根のあるところから観ていて、でもやがてスクリーンの立つ芝生の上に椅子を持ち出して 傘をさしながら、雨に濡れる大きなスクリーンのそばで観る人たちもいました。
スライド写真を機械に任せずに手動で送る作業は、前にも話したかも知れないけれど、写真を撮った時の時間と上映している時間(それに僕の中に流れる他の時間)を 一枚一枚 縫い合わせていっているような感じです。
i
人を撮る時、その人に撮って良いか逐一確認はとられるものなのでしょうか? それとも信頼関係がある人には何も言わずに撮るなど、トヨダさんの中でルールのようなものはあるのでしょうか?
t
基本的にある程度の関係性のある人しか写真には撮らないので、写真を撮るよと訊かずに撮ることが多いです。 訊くことによってその時の何か、大切な気配が遠ざかってしまうことがあるので。 でも、親しい人でも確認してから撮ることも多々あります。その人との関係性や、その時その人とどんな時間を過ごしているかによって その都度考えて写真機を手にします。
しかし、訊かずに撮る時も、僕がその人の写真を撮ることはその人は知っています。ほとんど正面から、その人とアイコンタクトをとってから撮っているので。

トヨダさんから時々届くお知らせのメール、個々にやりとりするメール、どちらもトヨダさんの口調や気配りが伝わってくる。目前に居る友達へ話すかのように。社交辞令、決まり文句、メールだからこれぐらい、というものではなく。あなたを信じて 送っています、という言葉の温度がある。(なので、私もできるだけメールは相手を信じて送るようになった。残っても構わないという細やかな覚悟と共に)
私は 2013年に甲状腺疾患を患って、当初は立つことも辛くて、アート蜃気楼も患って、絵が描けなくなって 旅へ出た。
こんなに描いて頑張ってきたのに、なんでこんなことになったのか、何も信じられなくなって行き先が見えなくなっていた。それでも 守る存在が居るから、消えるわけにはいかないと分かっていて…身体が不自由になって初めて 生きたいと、願いながら眺めた天井を 今も時々思い出す。そして
何かが 間違っていたの、かもしれないと 旅を歩めるほどに 振り返るようになる。
少しでも心が動く 会ってみたい人や土地へ出向いて7年の今。絵を描き直し始めて、病はほとんど治った。時をかけて トヨダさんを始め、様々なジャンルの人との関わりが 今も栄養になっている。
shimaRTMISTLETOE は その旅の途中から芽吹いた場でした。
新作上映のあと トヨダさんは
「忘れてはいけないこと」と言われていたように
この星は 忘れてはいけないことが 積もり 積もっている。 人間の海馬には追いつかないほど たくさん 増えてゆく。 気づく人も 気づかない人も 答えは見出せないまま 忙しく日々過ぎゆき 便利になればなるほど、忙しさに拍車がかかる。 便利さのとおい裏側に、 誰かの 何かの 哀しみがあるかもしれないと 歩調をゆるめて 想像して 都市の改札を 通り過ぎる。
どうしたらいいのか もう諦めて あっという間の人生を 刹那に 楽しく 生きたいように 生きたらいい と 思う時もあるけれど 忘れていることを 想い出そうとすることは 大切なのだと トヨダさんの まだタイトルのない「新作」からの問いかけを いつかどこかで
見てほしい

スライドショーにあった
NYでも気仙沼でも東京でも映っていた
ご飯と
お数
の 問いを最後に
i
いくつもの ご飯や食事 を撮るのはなぜですか?
撮る、それか撮る直前に感情や感覚が動くのでしょうか。それとも食事を撮るという決まりを作っているのでしょうか。
t
決まりは作っていません。 あ、撮りたいなあと思った時に撮ります。
「美味しそう!」とか「温かな時間だなあ」という。 「食事」そのものや、「食事を一緒にする」ということは 日々の中で大切なことと思っています。 なので、食事を作っている時の写真も撮ることがあります。
基本的に僕は
生きている中で大事だなあ、大切だなあと(個人的に)感じた時に
何かを写真に撮っています。
✳︎文の間に在る画像は新作のスライドショーで浮かんでは消えていったものものです
《トヨダヒトシさんの今後の予定》
第14回恵比寿映像祭 2022年2月6日(日)、13日(日)
広島市現代美術館(野外上映) 3月26日(土)、27日(日)(予定)
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居心地の良い場所|益永梢子 Shoko Masunaga|東京 TOKYO

Face Up
(店名を省略)では、商品の正面を通路側へ向ける業務を「フェイスアップ」と呼びます。
この店内でも陳列された食料品や日用品が、私達の方へ顔を向けています。
ところで、絵に顔はあるのでしょうか?
展覧会をつくることは、作品の顔を通路側へ向けることでもあります。
あなたと絵は、目が合っています。
光藤雄介
2020年12月12日(土) ~ 2021年5月29日(土)
企画:光藤計画
特別協力:吉田和貴
参加作家:内山聡、大槻英世、川﨑昭、タナカヤスオ、益永梢子、光藤雄介
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2021年5月29日
なんだか寂しい。
展示作家として参加した都内某所で半年という長期間に渡り開催されたグループ展「Face Up」展が終了した。
某所と書いたのには理由があり、展覧会を行う許可を得ていない店舗を展示会場としていた。(一方、企画者は「その店舗内で既に展覧会はいつも開かれている」と述べている)
その店舗は、誰もが一度は立ち寄ったことがあろう場所。知り合いのいない日雇いバイト先で昼休みにできた自分の時間を確保するような場所。真っ暗な田舎道では灯台のようにも、ときにはテーマパークのようにも映るだろう。実家の門限が厳しかった当時の私にとっては、「夜中に気ままに訪れる=自由」というささやかな憧れの場所でさえもあった。そんな個々人のドラマが交差するような場所であり、みんなの中継地点でもあると思う。
展示会場で、実際にFace Upされた商品は正面から見ると平面的だけれど、横から見ると凸凹していた。私は三次元空間を平面に置き換える絵画の視点のようだと興味を持ち、その物理的な構造を引用することから考え始めた。作品の構造は棚状になっていて、立体的でありながら絵画であることを強調したいが為に、正面から見るとP4号のキャンバスサイズになるように作成し、窓のイメージを取り入れ、カーテンのように頼りなく折りたたまれたキャンバスが傾きながら上部を支えている。最近は、もはや支持体が何であるのかがわからない。
作品のタイトルは「休み時間」と名付けた。先に挙げた日雇いバイトの休憩時間、そして鳥の中継地点を想ったのだ。一旦はここでひと休み。作品が置かれる状況をタイトルにした。
本来、会期中は常に緊張状態にある筈(これまでの自分の経験では)なのに、この展覧会では作品が一時的に休憩することを想像した。例えば、展覧会が開催されていることを知らず、商品を買う目的を持って訪れた人にとっては、見えない存在として作品はただそこで休憩する。しかし、作品の鑑賞を目的に訪れた人の前では作品然とし、なに食わぬ顔してそこにいることを主張する。私が期待していたのは偶然にも商品ではない何かがそこにあることに気づき連鎖的に他の作品に気づいてゆくこと。その後、陳列された見慣れた商品までが違��ようにみえ、周囲の環境を疑いはじめること。そして、企画者の意図でもあるが、その体験が別の店舗へ行ったときに思い出されたり、個々人の生活に滲み出すことだった。私がまだ芸術に興味を持っていなかった頃、生活の中で、みえていなかったものが急に目に見え始め、「何もない」ことが見えるようになった経験がある。生活の中に芸術のようなものが潜んでいる、発見があることが楽しく、私はそれに支えられている気がする。
展覧会全体で見ると、店舗内に個々に違った状況で作品達は展示された。ホワイトキューブに展示するのと同様に周囲に関係なく独立したものとして展示されたものや、ブランクを利用するかのような場所に展示された作品、私の作品は商品に紛れ込むかたちで展示をした。展覧会が始まってから分かったことだが、展示会場では作品を鑑賞しようとしている人、生活用品や食品購入が目的の人、お店のスタッフ、異なる立場で同じ空間にいる複雑さに戸惑う鑑賞者も多かったようだ。しかし、作品をみる態度、これまでみてきた態度とは。そんな意識を問うこともできる展示空間になったのではないかと今は振り返っている。そして、自分の作品をどうみせたいのか?と改めて考えた。
この、生活の中では特別な場所ではないけれど、展示会場としては特殊な展示の会期中、私は作品の居心地の良さを感じていた。そして終了時にいつもと違う質の寂しさを感じていたのだが、それは私にとって展示会場とその周辺地域と自身が重ねてきた関係性が寂しさを更に助長したのかもしれない。

私は、大阪で生まれ20歳まで暮らした。自分の町内から少しも出られない程、臆病な子供だった。
しかし、実家が大分県別府市へ転居したことで私にとっての故郷が地面から宙に浮いた感覚になり、「どこへでも行ける」と解放された気持ちになった。その後は京都、東京、神奈川の山奥、ニューヨーク、そして現在は埼玉県。期間にばらつきはあるものの、それぞれの土地で生活してきた。 そして、このグループ展が行われた地域は人生で2番目に長く住んだ東京都内のある街だった。 しかも私がこよなく愛する喫茶店のすぐ側、思い出の地なのだった。通い慣れたその喫茶店は都内に店舗を多数持つチェーン店だが、そこの居心地の良さを好んで通っていた。いつも店員さんから死角になるような場所を選び、のんびりするのが好きだった。隅々まで明るく照らすでもなく少し薄暗い店内で、だれも自分のことが見えていないのではないかと思える場所が私は好きだ。作品に使用する色彩も、名前がないようなぼんやりと濁った色彩を選択してしまう。一見無関係に思える、作品を設置した場所と喫茶店と作品だが、これらの名詞を置き換えても話の内容が伝わる程、共通した傾向がある。

久しぶりにその喫茶店を訪れた時、コロナ禍で喫茶店で過ごすことがなくなったせいか、忘れていたことを急に思い出したような気持ちになった。 そして、私が感じていたその居心地の良さと展覧会が終わることで湧き上がった感情、いつもと違う質の「なんだか寂しい」への接続を、大事なことではないかと言葉にしてくれた知人がいた。
鑑賞を目的に鑑賞者の考えや興味と照らし合わせながら集中的に鑑賞していく展示(批判、批評を目的に作られることが多い現代美術は、生活空間とは異なる空間を作り出し、居心地の悪さ、異和が積極的に求められているように思う。)とは異なり、居心地の良さを齎す展示として受け止められ、会期終了時における感想として寂しさをよんだのではないだろうか。( twitter:hippo @digippox より引用 )
私はこれを読み、全く腑に落ちた。
この「なんだか寂しい」余韻をここに記録しておきたいと思う。
益永梢子
https://shokomasunaga.info
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写真家をたずねて|橋爪亜衣子 Aiko Hashizume|国東半島 Kunisaki Peninsula

それは梅雨のあいまの晴天で、鋭い日差しが地面にくっきりと影を落とす。大分���港に隣接する地産の販売所で友人と落ち合い、武蔵町にある写真家のスタジオまでは車で10分弱。久しぶり、と迎えてくれた高崎恵(たかさきめぐむ)さんの案内で、自宅の倉庫を会場とした展示を拝見する。シャッターを開けてもらい一人ずつ、一部屋ずつ。
ー
大分県の東北部、国東半島は中心となる両子山から放射状に尾根が伸びていて、それぞれの谷地が独自の文化圏を築いていたと言う。1300年前に開山したとされる山岳宗教を源流に、修験道や独特の祭、そこらに散る寺・神社・石塔など、今も神仏習合のならわしが残る。私の住む別府からは車で一時間弱。湯けむりも手伝って常に湿度の高い、緩く包み込むような別府の空気とはまた違う、ときおり神秘的な匂いを発する地域だ。
高崎さんは長崎出身、東京を拠点に写真家として活動していた。10年ほど前から大分県を訪ねることが増え、国東である岩と出会ったことをきっかけにその撮影に通うようになる。ついには移住して、いまは生活と制作をこの地で行う。国東を主題としたシリーズ「Peninsula」では、2020年の写真新世紀に入選した。そしてこの地で迎える2回目の春、自宅の倉庫を使って展示を始めた。
(展示風景、訪問方法→https://www.instagram.com/megumu_takasaki)
ー
倉庫の中へ進み、コントラストの強い外界の光に慣れた目の焦点を、薄暗い空間で微かに揺れる大判の写真へ徐々にあわせていく。その中、鬱蒼とした森へ入り込めば、外気の熱を感じる皮膚と裏腹に、体の中で風が起こり、木々のざわめきが聞こえてくるようだ。ここにあるのは、すべて移住後に国東で撮られた風景。
うねる海潮を捉えた写真。海面に反射する複雑な光と水しぶきを目で追うが、おや?と近づいてみると、写真紙の経時変化によってインクの剥げや収縮によるテクスチャ―が生まれていることに気づく。それは作品の表面にまたスケールの違う奥行きをつくりだしていて、水流をより立体的に立ち上げる。切り取られた波と同じように、この作品のこの状態は二度とない。

小さな紙きれに、最近つけたというスタジオ名。「Studio Nest」。農作業に使われていたであろうという倉庫はさして手を加えられておらず、そこにあった木材や縄も展示に使われていて、梁の御札や御幣、外してそっと立てかけられている棚板に、その地の風習も匂う。展示用の糸に張り出した蜘蛛の巣や、窓から入り込む葉も、排除されることなく存在している。苔生す床、壁の褪せた塗料と写真のハーモニー。
ネスト。巣、棲家、逃げ込むところ。倉庫のうちには移り変わる光、うごめく生き物たち、やわらかく透ける窓ごしの風景、見つめられる作品、それが写し出す国東の風景。やってくる人たちを見つめる写真家。作品は空間と共棲するように存在していて、その共棲というありよう自体がこの人の目的なのかもしれないと、縦横くるりとまわって窓辺に貼られている、小さな石仏の写真を見て思う。


この巣は時間すらも抱擁している。岩の時間、木々の時間、水の時間、石工の時間、大地の時間、台風の時間、山に分け入る写真家の時間。倉庫の過ごしてきた時間。変化する写真紙の時間。巣を張る蜘蛛の、這いまわるナメクジが壁に稜線を描く時間。コンマ何秒のシャッタースピードで取り込んだ光が、それらを現前化させる不思議。
幾層にも積み重なった膨大な時間が体のうちを去来して、目の前が霞んでいった。

(この写真のみ、高崎恵撮影)
展示:高崎恵
https://megumu-takasaki.com/ 倉庫での展示は10月頃までとのこと。 設営協力:谷知英
文:橋爪亜衣子 時々アートマネジメント、東南アジア、会計 2019年に泉イネと別府(ゆ)立上げ https://yu-beppu.tumblr.com/
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梅田哲也in 別府『0帯』をみにいく |木野彩子 Saiko Kino|別府 Beppu
先日佐渡島に一緒に行った泉イネさんやこれまでも混浴温泉世界など多くのダンス友人から聞いていたもののなかなかいくことができず、初めての別府。駅を降りたら、あらゆるところから湯気が出ていて、明らかに異国。ラクテンチ(別府の遊園地)の名に恥じない。
みにいった梅田作品は地図とラジオと呼ばれる黒い受信機を渡され、まちの中を点々と移動して音を探す参加型のアート作品。微妙に受信機能が違うのか一緒にきたカップルでも別のところで別の音を聞いていたりする。また、音を探してウロウロする人が多数おり、黒い箱を持っている人は妙な仲間意識を持つようになる。合わせて映像作品も制作されていて、老舗映画館ブルーバードで上映されている。

その音や景色はその中の一部であることが後からわかるが、実際にその場所を訪れなければわからないことがある。
その空気、その質感、周りで見える景色、坂を延々と登り続ける感触、実はこの景色の裏はスーパーだということ。たまたま出会ったおじさんとのお話。
重要なのは映画のお話ではなく、その隙間に出会う別府の街と人に気がつくための仕組みで、むしろ別府が作品だったのかもしれない。音を探すという行為をしているうちに行列ができているパン屋さんに出会ったり、酒屋のおじさんに鳥取話をすることになったり、番頭もいない地元の人用の温泉に紛れ込んで入ることになったりする。温泉と同じくらい小さなお寺やお堂があり、温泉をはじめとした自然の恵みに感謝して暮らすこの土地の人が見えてくる。

観光地ということもあるが、小さな土地のせいかよそ者の私は妙に話しかけられてしまう。人懐っこい人が多いのだ。私が現在住んでいる鳥取も同じ温泉地なのだが大分違う。普段はどちらかというとそっと放っておくようなところがあり、シャイな人柄のなかで暮らしているので、ちょっと驚かされてしまう。ふらふら湯けむりの中を彷徨いながら、コロナの打撃を受け大変ですよねと話しつつ、この土地の人が妙に明るいことに気がついた。地元の人は「温泉入ったら忘れられるんだよ〜」というが、くるもの拒まず、去るもの追わず、基本なんでもウェルカムなこの気質が別府の街をおおっているみたいだ。
居酒屋さんのお兄ちゃんが「高校時代から別府で映画作るのが夢だったんだけれど、もうすぐ叶いそうなん」と語ってくれる。この夢のような楽天地も、30年かかっても夢を実現させようとする人がいる限り安泰だ。いや、30年夢を見続けさせてくれるこの土地がスペシャルなのかもしれない。かつては夢を見ることが当たり前だったけれど、夢は叶わないのが現実になってしまった。夢とは本来持ち続けるものであり、希望でもある。ここは夢の見方を忘れてしまった大人たちのために開かれた土地でもあり、場所に心惹かれ移住する人も増えていると聞く。いずれにしても、また行かねば。
追記:2021年3月に書いて、出しそびれてしまったこの原稿、今は6月。なかなかいけないまま。ちなみに鳥取から別府まではJR(特急・新幹線)で5時間半。距離や時間の問題以上に、コロナ下ということで仕事の関係で越県移動制限があったりもする。でもいつか行きたいな、という想いは大事な気がしてそのまま載せることにしました。
踊子は本来放浪するもので、少しずつ移動しなければいけない存在です。(今半分学校の先生をしているのですけれど)もちろん、メールも映像もzoomもできるのですが、生身の身体がいかないと伝えられないことはある。受け止められないこともある。別府に限らず、行けない場所を想い、案じつつ、アナログな自分を改めて感じる今日この頃です。
こういう時代だからこそ、やっぱり生身の身体が大事になるのではないか。(学生さんを見るとそんな気配はない)見えない未来を見据えつつ、おばちゃんにまた会いに行く(忘れられてたとしても)ことをやはり思うのでした。

今回いきそこねたラクテンチ、次は行きます。
踊り子 木野彩子
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自宅|中山晃子 Akiko Nakayama|神奈川 KANAGAWA

オンライン会議もすっかり日常に溶け込み、打ち合わせからリハーサル、本番、���しくは制作から納品までがベッドルームで完結することも多くなった。
今日も、画面の向こうで仕事相手が「新しくコンポストはじめた!」というので、えらいすごい地球に優しいと盛り上がっていたけれど、conpostじゃなくてcomposed (作曲)だったかも、しかしブラウザを閉じた今更「堆肥の話じゃなくて音楽の話だった?」とは聞きにくい。
外で人と会うことも少なくなり、待ち合わせといったら時差を合わせて空間よりも時間のほうに位置を感じるようになった。相手が今いる経度を朧げに知るだけで、背景に音楽が広がっているのか、コンポストが置かれているのか予測も立たないほど。入出力の中で噛み砕かれた声。形がうやむやに定まらない単語を頭の中で捏ねているうちに時間は過ぎ去ってゆく。パソコンを閉じて外の空気を吸いに。

駅直結のショッピングビル、改札を出てすぐの吹き抜けには待ち合わせに良さそうな季節のオブジェクトが置かれる。クリスマスツリー、正月飾りにハロウィンパンプキンのバルーン。外出制限のなかったころ、終電から降りれば明日からはじまる季節のために黙々とモニュメントを組み立てる人の姿。私はたまに遭遇するその制作現場が好きだった。今年も一夜にして等倍サイズの桜が満開となったが、どうも花の形よりもプラスチックらしさを目が拾ってしまって花見の気分には到底ならなかった。今年までは。
ある日、吹き抜け側を向いた座席、冷めたコーヒーを持て余してぼーっとしていると目の端で何かうごめくのでふと見やると、造花の先端にハトがとまっていた。 茶色い枝に真っピンクの花、という塗り絵のような彩色の中、カワラバトの緑や紫、明るさも暗さもあるグ レーの羽根は諧調豊かでとても綺麗だ。2階のカフェから見下ろせばすぐわかる。ハトがとまれそうな建物の縁の部分には、どこもかしこもトゲが生やされていて、まだこの周辺を覚えていないからか、迷い込んでしまった若い鳥が羽根を休める止まり木はもうこの偽物の桜しか無い。そして今微動だにせずに本物の樹に変化したのだ。
花見の帰路、地元のパン屋や豆腐屋とスターバックス、マクドナルドが並んで商店街を作り、チェーンかどうか関係なく生活に溶け込んだものだけがこの街らしさになってゆく。商店街の屋外スピーカーはあちらこちらで良く壊れ、あるところではノイズの粒が尖るように痺れるように、変化してなおエスカレーターの位置を伝え、あるところではクラシックBGMが初めの3秒をループし続けて、日常にすこしづつ変化を与えて くれる。鉄が錆びる過程がもともと好きだったけれど、デジタルの音声がこうして魅力的に壊れ、メロ ディーやハーモニーから解放された音の粒に戻っているところに出会うと、空間を移動する旅ではなく、時間が流れて変化する、また時間の位置からも旅立つ音の存在に、開放感と、ある種理想の未来すら感じるの だった。緯度と経度を固定して、今日も時だけを刻んで進む。空間が広さだとするならば、時間に刻まれる痕跡は深さの作る陰影だろうか。渓谷への冒険はまだ始まったばかりである。
http://akiko.co.jp/akikoweb/top.html
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海に見る|西野壮平 Sohei Nishino|戸田 HEDA

移動を制限されたコロナ禍という時間の中、移動をしながら写真を撮る生活を長年やってきた私にとっては、全く違う風景を見ることになった。その時間の中で気づくことや新たに制作する機会を与えられたりもしたが、やはり知らない場所を歩きこの目で見て発見することを閉ざされた風景は味気なく感じたし、虚しさを感じた。
そういった時には海まで行き遠くの水平線を見ながらざわついた自分の心拍数を落ち着かせる。そうすると少しづつ穏やかになる。
海には不思議な力がある。
夏になると楽しみが増える場所になるのが私がアトリエを構える西伊豆の戸田という港町だ。
駿河湾に面するこの海は、日本の海の水質調査で毎回トップ10内に入るほどの透明度で非常に綺麗なのだ。この場所に5年前にやってきてからカヌーや素潜りなどの遊びを積極的に覚えるようになった。
しかし私にとって何よりも楽しみなのが新月の日に出会う夜光虫だ。
夜光虫とは海に生息する夜行性のプランクトンで大量発生すると夜の海がキラキラと光る。
6月ごろから徐々に増えだし夏には凄い量の夜光虫が海に漂う。
通常毎晩見ることができるのだが、個人的にはより闇が深くなる新月に見にいくことがとにかく好きだ。街灯や月の光が弱いので夜光虫達の発光する光がよりはっきり見えるからだ。

アトリエから車で数分の所にある海の近くの駐車場からそのスポットに行くまでは街灯がないので懐中電灯を持ってそろりそろりと歩いていく。
砂浜に着き、身につけてる全てを脱ぎ去り裸になって開放感を味わいながら海に入る。暗闇の中目を慣らしながら泳ぐ。海の中で手足を掻く度に体の周りがキラキラと光で覆う。とてもとても綺麗だ。
満点の星が空に広がっている時には、海の光と夜空の星空の光がまるで宇宙の中にいるような感覚になる。そんなスペシャルな体験に手がふやけてしまうほどの時間を過ごしてしまうことも多々ある。
毎年この時期になるのが楽しみで夜光虫がいなくなると同時に夏の終わりを感じ少し寂しくなる。
そしてその時間を過ごしている時にいつも思い出す風景がある。

約9年前に西イスラエルを旅した時ステファノというスイス人の友人と死海に行ったことがある。海の塩分濃度が一般的な海に比べてかなり高いため入ると沈むことは無く、どのような体勢にしても自然と体がプカプカと浮くのだ。
出発地のエルサレムを出たのが遅かったせいもあり、死海についたのが夕方6時ごろで周りの観光客などはいなくなっていた。1時間も経過した頃には辺りが真っ暗になっていた。あまりの気持ちよさに目を閉じながら入っていたこともあり気づいたら夕焼けから暗闇に変わっていたのだ。さらには空に満点の星が広がっていてまるで自分が羊水の中にいるかのような不思議な感覚になった。あぁ、こんな世界があるんだなんてただただ驚きながら、横で浮かんでるステファノを見ると涙を流していたので笑ったのを覚えている。
今後自分にとって旅というものがどのようなものになっていくのか分からないが、“コロナ禍”という言葉が当たり前のように定着してしまったこの世界が以前のような世界に戻ることなんて到底思えないし、自分が何ものかどうかなんてどうでも良いと思えるような旅なんて当面出来ないと思っている。
だから尚更記憶のストックの中から思い出される風景や空気、匂いや会話の全てが本当に貴重なものに感じるし、近くの海を通して遠くの場所を想像することに愛おしさを感じるのだ。
Hp: http://www.soheinishino.net/ Instagram : @soheinishino Vimeo: https://vimeo.com/user57141772
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風景散歩|竹下洋子 Yoko Takeshita|隠岐 Oki no shima

散歩しながら呼吸する5月の風は、 上達した鶯の鳴き声と共に 私の体に馴れ合うように入ってくる。 初々しかった始まりの春風は すでに遠くへ旅をして 私との戯れは思い出のカケラにもならなかったのだろう、新しい土地からの風の便りは届かない。 きっと風は記憶力なんぞ 持たないことにしているんだろう。 風には執着というひっつき虫の 接着剤は機能しない。

この日本海に浮かぶ海士(あま)にやってくる風は、海の上を転がって、 海の中の出来事を 深く浅く掬い取りながら、 小さな離島に上陸する。 一緒に乗せてくるのは、 渡鳥や旅鳥や、なにかしらの任務を受けた 伝書鳩。 みんなしばしこの島で旅の疲れを癒し、 遊び、 生きることをふとふりかえり、 リセットして、また旅立つ。 この島には、人も鳥たちも、 羽の生えたものたちが集まる。 着地して、気ままに歩き、飛び立つ。
風が運ぶ情報言語があるならば、 ただひたすら無心に歩けば聴こえそう。

風景にとけて、境界線がなくなり、 わたし、がなくなり、 それは、実態が消えるわけではなく、 たとえばいったん素に分解され、、 決して消えるわけではなく、。
いつのまにか、 大地をふみしめて歩くことに意識がもどり、 ヒトはもう一度、人間になり、 また人生を歩くのだろう。 鳥のように、 飛びたければ飛べばいいと思ってる。
古代から、 歌人文人が人生をかけて旅をするように、 現代人の散歩は、 小分けパックの人生旅のようだ。
歩ける距離で海あり山ありのこの島は、 春夏秋冬日々の景色のディテールや彩りが、 ぎゅっと詰まっている。
たくさんたくさん歩くのだ。 そして画家は、風景を食べて絵を描く。
竹下洋子
1995年から、編みと手描きテキスタイルで 纏う絵画を制作しています。
2020年から島根県隠岐島諸島の海士町(中之島)在住
Instagram yokoknit
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植物になりたい|上條桂子 Keiko Kamijo|東京 Tokyo
「休む」ことについて考える。
数年前、妊娠から出産、育児休暇とはいってもフリーランスなので単なる休みに入っていた時期は、以前と比べて行動範囲が著しく狭くなったことで不安も感じていたし、まるで根が生えてしまったようだなと感じていた。それまでは回遊魚のように落ち着きがなく、なにかというと理由をつけてあちらこちらへ飛び回っていた性分もあって、こうして、土地、家に根を下ろしていくのか、とネガティブな気持ちにもなっていた。「休む」という言葉に罪悪感はないのだが、どこかに行かないのではなくて行けない、出掛けることが制限されるのがどうにも息苦しかった。
本を読むにも集中力が途切れやすく、ドラマばっかり見ていたのだが、それはそれでいいのか?という気分にもなってくるし、家にばっかりいると息が詰まる。こう書くと、ワンオペ大変とか家族の理解がない、とか思われそうだがそうじゃない。夫はどちらかというとめっぽう協力的で、コロナの前は母や姉も手伝いに来てくれていたので産後孤独で……、みたいなことではない。もっともっと辛い生活をしている人はきっとたくさんいるだろうが、こんなに比較的恵まれた産後生活をしていた私でも息が詰まった���だから、産後クライシスというのはよほど楽天的な人にも等しく訪れるものなんだなと思った。SNSで友人たちが「狂う」って言葉を使っていて、最初に聞いたときはいやいやそこまでと思っていたが、程度の差こそあれあの時期はやっぱり頭や体のあちこちでいろんなものが狂っていたんだと思う。

そんなこんなで散歩ばかりしていた。幸い自宅から歩いて5分のところに植物園があり、終身パスを入手していたので近所の公園のごとく通える状態だったからだ。子がどんなに泣き叫んでも高くそびえた木々が吸収してくれるし、なんなら私が大声で歌っていたって大丈夫だ。でもそんな心配には及ばず、植物園に連れて数分歩くだけで子はいつもすぐに寝息を立て始めた。自然に行くといつも感じることだが、自然=静寂じゃない。鳥の会話や虫たちの羽音、葉が擦れる音、風なんて吹いていたらさらに。むしろけたたましいんじゃないかと思うほどだ。それは自分の耳が敏感になっているだけなのかな。それはよくわからないけど、あちこちで鳴り響く音の中に包まれている轟音に包まれていると、妙な安心感が襲ってきた。

桜や紅葉の時期にはたくさんの人で賑わう植物園だが、それ以外の季節は基本的に閑散としている。だいたい9時の開園と同時に入るので、親子連れや長いレンズをつけたカメラを持った鳥愛好家、老夫婦がちらほらいることもあるが、小雨がパラついていたりすると植物園を独り占め(人数的には2人だが)できる。まっすぐに伸びるメタセコイアの並木やスズカケノキも大好きなのだが、毎回訪れるたびに挨拶しに行くのはユリノキだ。植物園の中には巨木が多いけれども、このユリノキは抜きんでている気がする。と思って調べてみたら、やはり。樹高は29メートル、幹周りは491センチあるという。雷などで多少樹高は変化するだろうが、とにかくでかい。実の形がユリに似ているということで名付けられたと書かれていたが、実は遥か遠くにあり見ることができないなあ、落ちてきたら見てみようと思っているうちにいつも忘れていた。

アメリカには29メートルどころか50メートルを超えるユリノキがあるという。産後でポンコツになっていた私の頭にガツンと刺激を与えてくれたのが、リチャード・パワーズの長編小説『オーバーストーリー(The Overstory)』(木原善彦訳/新潮社刊)だ。このタイトルには二つの意味があって、ひとつは私たちがよく知っている「〜を超えて」という意味のover、物語を超える物語といったものと、もうひとつは「林冠層」という意味だ。これは森を上空から見たときに見えるような、木々の一番高い部分の層を表す。そう、これは樹木の物語なのだ。物語自体も樹木のようなつくりになっており、根の章で8組の木に深く関わる登場人物たちの来歴が語られ、それが幹、樹冠の章へと発展しながら登場人物同士が絡まり合い、アメリカ大陸に残された手付かずの原始林を守るために集結し、最後種子の章で結ばれる。結ばれるというよりは、種子となって読者の脳へと植え付けられ、さらにそれぞれのもとで新たに萌芽していくのだろう。何もかもが超越し過ぎてオーバーくらいでは済まない小説だった。植物に興味がある方は、ぜひ読んで欲しいので内容は詳しく書かないが、一番面白いと思ったのは植物同士がコミュニケーションをしているという点だ。
言葉と耳が不自由なパトリシア・ウェスターフォードは、父から植物について教わったことで学ぶ喜びを得、ユリノキに関する研究で博士号を取る。そして森を観察しながら発見したのが、植物同士のコミュニケーションだ。
攻撃を受けた木は、自分の身を守るため、殺虫成分を分泌するのだ。そこまでは疑いようのない事実。しかし、データの別の部分を目にしたとき、彼女は動揺する。少し離れたところに生えている木も、隣の木が虫に襲われると、自分が襲われているわけではないのに防御態勢を取る。何かが彼らに警告を与えているのだ。木は災厄の噂を聞きつけ、備えをする。
(『オーバーストーリー』P170より)

動物のように移動したり言葉を発したりすることのない植物が、何らかの物質を出して植物同士で情報伝達をしているというのだ。この植物同士が作り出すネットワークは、物語全体のキーワードにもなる。根が生えていて動くことができないといわれる木だが、種をどこまでも遠く飛ばすことができることを考えると、それも含めて移動だよねともいえるし、少し前に興味深く読んでいたノンフィクション『欲望の植物誌―人をあやつる4つの植物』(マイケル・ポーラン著、西田佐知子訳/八坂書房)によれば、植物は人を介して全世界へと種や苗木を運ばせ繁殖している。恐るべき植物!
全然「休む」の話ではなくなってしまったが、何が言いたいかというと、植物はその場に根を下ろして動けないが、動けないから何もできないということではない。ウドの大木なんていう言葉が否定的に使われるのは、人間側の勝手な視点によるもので、大木側から見たら人間なんてどこが地球の役に立っているのか。それこそ木を見て森を見ずとはよく言ったもので、木も森もはたまた土も地球もきちんと見れていないのは人間ではないか。地球規模の話も重要ではあるのだが、話をひとつの部屋まで引き戻すと、産後に引き続きコロナ禍で締めつけられながら日々暮らしていた私は、動けないなら動けないなりの生存戦略を何億年もかけて培ってきている植物に、学べることはたくさんあるよねと思ったのだ。動きが鈍くなった自分への単なる前向きな言い訳が見つかっただけなのかもしれないが。

上條桂子 編集者・ライター
https://twitter.com/keeeeeeei https://www.instagram.com/keique/
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ヴィーガンになって|林ナツミ Natsumi Hayashi|別府 Beppu

猫と暮らしていて、ある日気づいた。 牛や豚やニワトリにも感情があって、彼らも痛みを感じ、そして生きたいと願っていると。
東京から九州の別府へ移住して7年、ヴィーガンになってからは5年が経つ。 (ヴィーガン=完全菜食主義:動物性の食品や製品を回避する生き方)
ヴィーガンになる前の2年間、肉は食べないが卵と乳製品は食べる生活をしていた。肉を食べなければ動物を苦しめることはないと思っていたから……でも現実は違った。 雌鶏たちは、足の踏み場もないフンまみれの鶏舎で来る日も来る日も卵を産まされ、産めなくなれば廃棄される。雌牛たちは、人為的に妊娠させられ、ひとたび仔牛が産まれれば引き離され、悲しみにくれたまま搾乳される。仔牛たちは、オスなら屠殺され、メスなら母牛と同様に扱われる。生きるも死ぬも地獄。あらゆる畜産動物の運命に大差はない。人間のために命あるかぎり搾取され、最期はボロきれのように廃てられて、殺されてしまう。 動物たちの現実を知ってから、大好物だった卵と乳製品を食べるのをやめた。
なぜヴィーガンになったの? とよく訊かれる。 第1の理由:美味しいというだけで、動物の命をうばって食べたいとは思えない。 第2の理由:子どもたちの未来のために、地球の自然環境を少しでも恢復したい。 第3の理由:自分自身が健康でありたい。

春の曇天の暖かなその日、観覧車から見晴らした丘陵地帯の一画に、ゆったりと草を食む牛たちの姿があった。以前なら「のどかだな」と思った眺め。でも今は、胸が締めつけられてしまう。牛たちが天寿をまっとうすることは決してない。彼らの寿命は人間によって決められているから。

動物の命にかぎった話ではない。 動物たちを人間の都合で利用してよい、彼らの生命をうばってもよい、という考え方が、実のところ人間同士の関係性にとげとげしい影響を及ぼしている。 人が動物を差別し搾取するかぎり、人が人を差別し搾取する現実は変わらない、と思う。
「この世に屠殺場があるかぎり、戦場はなくならない」 ロシアの文豪・平和主義者であるトルストイが遺した言葉。
人間があらゆる命に対して愛をも��て接せられるようになれたとき、初めて世界に真の平和が訪れる、と理屈で考えてそう思うのだが、「そんなの無理に決まっている、仏様でもあるまいし」、と一笑に付されることは多い。 でも、誰しも幼いころは、虫さんも、鳥さんも、豚さんも、お魚さんも、みんなみんな友だちだったのでは? あのころの実感を取り戻すことは、できると思うのだ。
林ナツミ ヴィーガン写真家 https://www.instagram.com/natsumitsou/
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高崎山のふもと|イワクラケイコ atelier antenna|赤松/別府 Akamatsu/Beppu

3年前の春に大分市の街から、別府の高崎山のふもとに小さく存在する赤松集落の一軒家にアトリエを移した。(正確には、高崎山は大分市で、アトリエがある集落は別府市)
別府の中心地から高崎山に向かって、車を10分ほど走らせると辿り着く。
そこは街が近いことを忘れてしまうほど、がらりと風景が変わり、一日中、静かでゆっくりとした時間が流れている。集落への道中には昔、峠を越える人々の安全を願って彫ったとされる小さな石仏やお地蔵さんが沢山並んでいて、昔の人々の山に対する畏敬や畏怖の念を想うことができる。街暮らしが長かった自分にとっては、自然への祈りを肌で感じることは初めての感覚だった。
そんな場所に縁あって、便利で効率的な街の暮らしから、不便で何もかも時間と手間がかかる田舎の暮らしへ。
いつ頃からだったか、便利なものを手放したいと思うようになった自分がいて、そうしたらどんな変化が起こるのか、どうしても知りたいと思うようになった事が、移転のきっかけ。

田舎に慣れるまで少し苦労もしたような気がするけど、3年が経った今、感覚も価値観も大きく影響を受けて変化した。吸う空気も、飲む水も変わり、体の細胞自体が変わっていく感覚もあった。すっかり赤松に馴染んで暮らす自分が居る。
その変化が、すぐに作品作りに良い影響として現れるかと言うと、それはもっと後のことになりそう。今は、自分の知らなかった山や草花、自然のこと、人里近くに住む野生動物の暮らしについてなどに夢中。山の天気の変わりやすさや、気温の変化にやっと体が慣れたところ。朝靄の美しさと小鳥の囀り、凛と澄み切った空気。晴れた夜の星空の綺麗なこと。
ぽっかり浮かぶ月に、夜の山に響く鹿やフクロウの鳴き声。自然は時にとても厳しく怖い思いもするけれど、それも含めて美しい。
ゆっくり穏やかに時間が流れる場所なのに、四季折々、毎日は変化に富んでいて、小さな気づきに心が震える。
暮らしながら自分に染み込んでいったもので、どんな人生になって、どんなものを作るようになるだろう。

atelier antenna
イワクラケイコ
https://www.instagram.com/atelier_antenna
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月山|坂本大三郎 Daizaburo Sakamoto | 山形 Yamagata

ときおり、そらをとぶ夢をみる。
気分よくそらをとぶ。
でもだんだんととべなくなる。
夢のすじがきは、いつもそう。
なぜ?
北国の山にも、まもなく春がやってくる。
坂本大三郎 山伏|作家
各地の山に残る伝承と神話の道をたどる新刊
『山の神々』A&Fより発売中
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火水木金土日月|佐藤純也Junya Sato|橋本 Hashimoto
火曜日
何をしていたのか、思い出せないような曜日から書き始めてみる。
私の制作拠点となる共同スタジオがあるこの街に住み始めたのは大学生の頃からだ。気がついたら、生まれたばかりの子が成人式を迎えるほどの時間をこの街と共にしている。スタジオがある以外に、もとよりの縁もゆかりもない。とはいえ、この場所を離れたいと思う強い理由もないまま、いまも変わらずに留まっている。
街はゆっくりと便利になりながら、駅の近くでは新しいマンションが育ちの良い植物のように伸びている。

水曜日
駅から住宅街への入り組んだ路地を進む。角を曲がりながら、ふいに「人生のどのくらいを過ぎたのか」という言葉が頭に浮かぶ。折り返しを過ぎた頃を告げに来る神様がいたら助かるね。

木曜日
いつもの定食。近所にある小さなお店。「週替わり」と「定番メニュー」がある。千円もあればお釣りが来る金額というのも財布に優しい。メインのおかず、小鉢、お味噌汁とごはん。おろそかになりがちな野菜もさりげなく添えてある。個性が目立ちすぎず、好き嫌いが別れないような味付け。いつ聴き返しても飽きることのない曲があるけれど、そんなものに似ている。
金曜日
自粛の夜。それなりに人が多い街なので飲み屋さんもそろっている。お馴染みのチェーン店が幅を利かせているが、この街にだけある店もちらほらとある。張り上げた雑然とした声が、街灯に染まった夜道にこだましていたのはいつの頃だったか。一日が24時間よりも微かに短くなっているみたいだ。
土曜日
ショッピングモール。広々とした回廊を歩いていると迷うことがある。ここでは買えないものを見つけることは難しい。そして、何が欲しかったのかを思い出せなくなる。
日曜日
おやすみ。
月曜日
新しい世界。2027年には工事が終わって、仮囲いの向こうにリニア新幹線の駅が開業するらしい。未来が思い描いた通りにまっすぐ進まないことは、いま私たちが口元を覆いながら暮らしていることで語っている。見えない先に何を求めるのか、どんな生き方をしていくのか、そんなことを始まりの曜日に考えている。

佐藤純也 artist
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Puzzled Documents|中村恩恵 Megumi Nakamura|東京 Tokyo

新型コロナウイルスの感染が拡大し始めて、早くも1年以上が経とうとしています。この一年、これまでにない程に自宅での時間を過ごしました。外からの刺激に応えるのではなく、自分の内に広がる静かな領域に降って耳を澄ますような時間を持つことができたと感じています。私たちが日常を生きるこの「自宅」の中で自分がより深く自分と繋がり、普段は見過ごしていた「非日常的な体験」=「芸術体験」を日常の様々な場面で発見する日々でした。
さて、私の祖母は終戦を経て、自分たちが必要とするものは殆ど全て自分で生産する様になったと聞いています。桑の木を育て、蚕を飼い、糸を紡いで、草木で染色し、機織で布を織る。綿を育てて、綿入りの服を仕立てる。小麦を栽培して、小麦粉とし、庭に自分で竈を作ってパンを焼く。山羊を飼ってミルクをもらう。等々。
私も、自粛期間中に娘とパンを焼いたり、お菓子を作ったり、「手作りの時間」を少々持つことができました。そうした体験から、舞踊作品も「手作り」してみたい、そして等身大の作品と向かい合いたいと強く願うようになりました。
自宅で娘と日々の創造的な時間を共有する中で「日常の中に潜む芸術」をテーマにした作品のイメージがムクムクと膨らんで来ました。わたしが振付を、娘が編集を担当し、オンライン作品「Puzzled Documents」を創ることにしました。そして音楽にはこれまで多くの作品を共に作り上げて来たディルク・ハウブリッヒが加わってくれる事になりました。
「もしも、全ての記憶を手放さなければならない時がくるとして、最後まで手放したくない記憶はなんですか?」���んな問いかけから始まって、ダンサーから個人的な思い出やフィーリングを聞き取りながら現在クリエーションに取り組んでいます。ダンサーとの対話の中で、「人と人との繋がり」が一人の人をその人として形成しているのだということ、人生という大海の中で「愛」が私たちの帆となり碇となっているのだということを感じています。
そして、クリエーションを進める中でダンサーの口から繰り返し発せられる言葉が、「コンプレックス」。理想と現実の狭間で踠き苦しむ、そんな孤独な戦いが私たち一人一人の中で日々繰り返されているのです。私達ダンサーは、自分を乗り越えようとなされる闘いの最中で自分自身の「身の丈」を知り、ある日自分らしい自分しか踊れない踊りに出会うのでしょう。そして他者をも、深い意味での自己受容に誘う舞踊家へと至ってゆくのでしょう。
来月、3月21日から28日までの8日間、DaBYチャネルにて一日一つのソロ作品を配信して行く予定です。
日曜日:中村恩恵
月曜日:オステアー紗良
火曜日:清水健太
水曜日:小尻健太
木曜日:中村祥子
金曜日:米沢唯
土曜日:福岡雄大
日曜日:中村恩恵
7人のダンサーによって綴られる日常の中に潜む芸術を見つける旅、どうぞお楽しみに。
中村恩恵
振付家 舞踊家
Instagram|megumi.choreographer
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湖山池|佐々木友輔 Yusuke Sasaki|鳥取 Tottori

新年早々、引っ越すことになりました。いろんな事情が重なったのですが、一言でいえば、現状のライフスタイルが家のスケールと合わなくなったということだと思います。次はもっと身の丈に合った場所にしようと話し合い、いまより職場に近いアパートに移ることに決めました。
荷造りをしながら、この場所に越してきた時のことを思い出しました。すぐ近くに湖山池という日本一大きな池があって、ポール・スミザーさんがデザインしたナチュラルガーデンの飾らない風景がとても魅力的で、ここにしようと決めたんです。休日はナチュラルガーデンの屋根付きベンチに座って原稿を進めようとか、散歩を日課にできたら良いなとか、夜は満天の星空を眺めて過ごせるとか、そういうベタな計画をたくさん立てていました。けれども現実には、鳥取は天気が崩れやすいので、日向ぼっこもにも星の観察にも向かないし、仕事と制作に追われて、散歩どころか家でくつろぐ時間さえつくれないし、ここ1、2年は明らかに家を持て余してしまっていました。
今回に限らず、私は常に場所との関わり方が下手だと感じます。愛着をうまくかたちにできないというか、こうしたい、こうありたいという気持ちがいつも空回りして、焦燥感ばかりつのって、場所とすれ違い続けてしまう。確かにそこで生きていたのだという実感らしきものが得られるのは、いつも、その場所を離れてしばらく経ってからです。例えば最近は、赤羽に住んでいた時のことをよく思い出します。日々の通勤経路ではなく、たまに歩いた図書館までの道のりが繰り返し頭に浮かぶのですが、当時とりたてて印象的な出来事があったわけではありません。ただ、歩いたなあというだけです。それだけなのですが、いまになってやっとその場所と出会えた気がして、嬉しいような、寂しいような気持ちになります。

この冬はたくさん雪が降って、ナチュラルガーデンが真っ白になりました。色をなくしたことで、木々や小屋の形状、地面の起伏がいつもよりくっきりと浮かび上がってきて、久々に、目を滑らせずに場所を見つめることができたような気がします。それなりに覚えてることはたくさんあるな、とも気づきました。ぽてぽてと地面に丸まっているカモやオオバン。初めて見たモズの早贄。家の庭にやって来たイソヒヨドリの鳴き声。大雨が続いた日、足の踏み場もないほどのサワガニが陸に上がってきたのを見たこと。逆にしばらく雨が降らず、おたまじゃくしの水たまりの水位がどんどん下がって、毎日心配しながら眺めていたこと。他にもいろいろ。
時々、近くにやってきたカモやオオバンに挨拶をしています。たいてい誰もいないので、人間から変に思われる心配はありません。鳥たちは何も返事してくれないけれど、私がそこにいて、自分に視線を向けていること、自分に向けて話しかけているということまでは、ちゃんと理解してくれているようです。実は新居のすぐ傍にも川が流れていて、たくさんの鳥たちが暮らしています。いまよりもう少し仲良くなれたら良いなと、あまり期待しすぎないように気をつけながら、でもやっぱり期待してしまう自分がいます。

佐々木友輔
映像作家 企画
https://qspds996.com/sasakiyusuke/
第13回 恵比寿映像祭
揺動PROJECTS: Retouch Me Not
[日本現代作家特集]
プログラマー 佐々木友輔 × 荒木悠
https://www.yebizo.com/jp/program/detail/2021-04-04
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みえなかったものがみえてくる|木坂美生 Mio Kisaca|モロッコ - 東京 Morocco - Tokyo
「ノンフィクションとドキュメンタリー ーどちらも共通して言えることは、事実に即して制作されるため虚構はないが、構成上の取捨選択や編集などから制作者の主観が反映されることがあるという点があげられる」とある
写真についてはどうかー
わたしの写真はPhotoshopなどで加工することなく、ほぼすべてが撮って出しの状態である
それはつまり、映す時点で、すでにわたしの眼差しによって「トリミング」されている状態だからなのだということに最近気付いた
ここに一枚の写真がある
2008年の4月下旬にモロッコのマラケシュで撮影したものだ
普段はカラーでしか撮らないが、こ���ときはモノクロフィルムで撮影していた
それを先日ColouriseSGという無料サイトでカラーに変換してみた


すると、絶望感に打ちひしがれ孤独な男と認識していた彼の傍には犬がいた
カラーにするまでは、まったく気付かずにいたのである
そのものを撮っているようでいて、それはわたしの心象風景に編集されていた
処変わって、2018年に東京の府中市にある郷土の森博物館にて撮影したものがある
移築された洋館の階段の登り切った先にくみ紐がだらりと垂れていた
このときわたしは、作曲家でありながら写真家でもあるロベルト安達氏の主催する哲学的な写真講座を受講することにしていたので、翌週そのくみ紐の写真を持参した
すると、「なにか、祈りのようなものを感じますね」と指摘されたのだった
その前の月に、1歳になる娘が難病の告知を受けており、そのことを話すつもりは一切なかったのだが、不意を打たれて言葉に詰まってしまった
わたしはそれまで感情をあまり表に出すことはなく、それは写真についても同様で、無機質なものだとおもっていた
その後五島文化賞美術新人賞において海外研修を行う機会を得、家族を伴いニュージーランドへ渡った
くみ紐を撮影した直後にデータの入ったCFカードを紛失してしまったわたしは、2年が経過した府中の同じ場所で撮影することにした
すると暗がりのようにおもえた階段の横には窓があり、こうこうと陽が差し込んでいたのである

認識はそれほど曖昧なものなのだ
事実はそれほど悲嘆するものではないのかもしれない
木坂美生
写真家
https://miokisaca.net/
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