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2025年5月31日

放送網は守れるか「設備費20年で30億円」、岐路に立つローカル局(朝日新聞 連載:放送100年 5月31日)宮田裕介
ラジオ放送から始まり、今年で100年にわたる放送文化は、全国に張り巡らされた放送網が支えてきた。しかし、テレビ離れも進むなかで設備を維持する負担は重く、特にローカル局の経営を圧迫している。多様性や地域性といった理念は揺らいでいるのか。
角栄時代に芽吹いたローカル局、淘汰は本当に「仕方ない」でいいのか
愛媛県を放送エリアとする日本テレビ系列の南海放送は、1953年にラジオ局として創業。郷土史を掘り起こすラジオドラマに定評があり、テレビ局としても、優れた番組を表彰する日本民間放送連盟賞やギャラクシー賞の常連でもある。

南海放送で地域ニュースを伝えるラジオ番組のDJを務める合田みゆきさん。トークや選曲、機器の操作など、基本的にすべて一人でこなす「ワンマンDJ」のスタイルだ=2025年3月5日、松山市、宮田裕介撮影
しかし、山あいの集落や瀬戸内海の島嶼部にもあまねく放送を届けるためには、大きな負担がかかる。
同社の年間売り上げは50億~55億円規模。一方、地上デジタル放送の親局と中継局合わせて40局を整備するために、必要な設備費は20年ほどで約30億円。1千世帯にも満たない地域をカバーする中継局が10近くある。維持費も年間約2億5千万円かかるという。

瀬戸内海の島にある宮窪中継局。カバーする範囲は1千世帯を切る=愛媛県今治市、南海放送提供
大西康司社長は「愛媛は電波事情が厳しいが、放送の網を絶対に破らせないという使命感は開局から変わっていない」と語る。

南海放送の大西康司社長=2025年3月5日午後2時14分、松山市本町1丁目、宮田裕介撮影
テレビの中継局は、民放とNHKを合わせて約1万2千局ある。しかし、地デジ開始から20年が経過し、設備の更新時期を迎える中で、経営環境は厳しさを増している。日本民間放送連盟(民放連)によると、放送局127局のうち21局が2023年度に赤字を計上した。
逆境下にある近年、放送網をどう維持するかの議論が活発化している。
総務省の有識者会議は、山間部などの小規模な中継局を高速大容量のデータ通信「ブロードバンド」などで代替することを経営の選択肢として認めることが適当だとする報告書を昨年12月、まとめた。
また、NHKは同月に受信料を用いて民放との中継局の共同利用会社を設立。設備の保守・管理を一体でして効率的な運営を目指すという。
元々、国民を戦争に動員する役割を果たした反省から、戦後の放送は多元性、多様性、地域性を大事にするという理念を掲げた。
こうした考えのもと、放送局は中心都市に偏在するのではなく、全国各地に分散。三大都市圏などを除き、放送エリアが県単位となった要因の一つとなり、特定の事業者が多数の放送局を傘下に収めることを禁じる規制「マスメディア集中排除原則」(マス排)にもつながった。

日本テレビ系列の読売テレビ、中京テレビ、福岡放送、札幌テレビの4社による持ち株会社「読売中京FSホールディングス」の看板除幕式に臨んだ丸山公夫会長(左)と石沢顕社長=2025年4月1日、東京都港区、松本紗知撮影
だが、08年に認定放送持ち株会社制度ができ、複数の局を傘下に置けるように、マス排が緩和された。導入の背景の一つには、地上デジタル化に伴う経営圧迫があった。新たな中継局の建設など巨額の設備投資が経営を圧迫するローカル局を、体力のあるキー局が支える仕組みが求められた。
今年になって、日本テレビ系列の規模の大きい北海道、大阪、名古屋、福岡の4社の経営統合があった。「業界再編の号砲」とも言われているが、地域性は損なわれないのか。

東海大学の樋口喜昭教授
東海大学の樋口喜昭教授(メディア史)は「ローカル局の理念と現実との間には、開局当初から乖離が続いてきた」と指摘する。
ローカル局の自主制作比率は1割程度に過ぎず、東京のキー局から番組を購入して放送してきた。さらに、そうした番組を地方で流す放送枠を買い取る形でキー局から支払われる配分金が、ローカル局にとって主要な収入源。番組も収入も依存する構造だ。
一方で60年代以降は、水俣病といった公害や過疎など地域課題への関心が高まり、中央主導の番組編成への反発も起きた。地域の歴史を掘り起こし、住民と向き合う番組づくりも目立つようになったという。
こうしたローカル局の重要性は近年も示されている。樋口さんが例示するのは、東日本大震災の際、東京電力福島第一原発1号機の水素爆発を福島中央テレビが唯一撮影していたことだ。「メディアが多元的だったから、あの映像が世に出た」
樋口さんは、比較的安価なネットへ移行する動きや、番組づくりのソフト面と中継設備などハード面での「分業化の流れも止められない」とみる。
それでも、なおローカル局が発信する意義を強調する。「テレビというメディア自体が地域��有の文化や感性を薄れさせ、均質化を進めてきた。だからこそ、地元の歴史や文化を掘り起こし、それを未来に残していく役割が重要になってくる。分断が進む社会において、地元の日々のニュースや番組を通じて『自分はこの場所にいる』と感じることは本当に大きな意味があるのです」
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マライ・メントライン(よろず物書き業・翻訳家)【視点】 では、視聴者である「地域住民」のニーズの実態はどうなのか、どういうベクトルで動いているのか、という要素がこの問題の開放を考えるためには必要と思われるが、その点だけ記述が欠落している。
興味深いテーマだけにこれは困った。別記事でフォローされることを期待したい。
小西美穂(関西学院大学総合政策学部特別客員教授)【視点】 元テレビ局員として、興味深く読みました。先日、日テレ系4社の経営統合を記念して、札幌・名古屋・大阪・福岡が同時中継で地域紹介をする番組がありました。私は中京テレビのスタジオで拝見しましたが、特に福岡の「惣菜最強スーパー」の中継が印象的でした。13年連続入賞、7度の日本一という実力店の敏腕女性店員さんとのやりとりから、地域ならではの食材、物価の違い、その土地の暮らしや温かさが生き生きと伝わってきました。いまのテレビは、横並びで画一的な番組が溢れているからこそ、地域の固有性を前面に出した番組がとても新鮮に映りました。厳しい経営環境だからこそ、ローカル局は「ここにしかない価値」で差別化を図る必要があります。地域の個性を競い合い、認め合う番組作りこそが、記事が指摘する「自分はこの場所にいる」と感じさせる放送本来の力だと確信しています。
松谷創一郎(ジャーナリスト)【提案】 全国にまんべんなく普及している日本の放送事業は、現在のところ海外で深刻化している「ニュース砂漠」現象とはほど遠い状況にあると捉えられます。たしかに地方テレビ局の経営は厳しく、経営統合も始まりましたが、この状況をどれほど深刻視すべきかには留保が必要かもしれません。
日本の多くの地域では、テレビは民放3~4局とNHKに加え、地元紙と全国紙が報道をカバーしています。6つも7つもの報道機関が存在しているわけです。国土面積を考慮すれば、日本は「ニュース砂漠」が生じにくい環境です。むしろ護送船団方式の放送事業により報道が供給過剰になっているのではないかとすら感じます。
たとえば私が生まれ育った広島では、ひとつの事故が起きた際、NHKと民放4局、さらに地元新聞と全国紙などが警察発表をほぼトレースしたストレートニュースを報じます。その都度警察発表をチェックすることは必要ですが、果たしてそれが4つも5つも必要でしょうか。地方のテレビ番組を見ると、大事故でないかぎりそうした報道内容はだいたい同じでとくに工夫もありません。正直、それに使うヒューマンリソースを他のことに転用したほうが有意義ではないかと考えてしまいます。
今後生じうる再編では、地域単位でのテレビ局の経営統合は十分考えられ、さらにそれは新聞社も含んだかたちになる可能性もあります。
この記事にある島嶼部への放送電波送信が負担になる問題については、現実的には通信で十分にカバーできます。コストも抑えられ、携帯電話が届く場所には配信可能です。正直、そうした地域を放送でカバーすることを放送局存続の大義にしているようで、むしろ早期の通信移行を推進すべきではないでしょうか。もちろん、これを推進すると地方局の存在証明が失われるという懸念はあるのでしょうが。
ただ、重要なのはコンテンツと、それを届けることです。放送インフラは極めて安定した完成されたものですが、無駄が多いのも事実です。護送船団方式で放送事業が守られた結果、コンテンツ、とくに報道がないがしろにされてきたようにも思えます。
現在、地方の視聴者も当然インターネットやYouTubeでさまざまなコンテンツを視聴できる環境にあります。ですので、地域のニュースをより効率的に伝達できる方法もあります。しかし既存インフラの維持議論ばかりが前面に出ており、これはいかにも日本的な発想と言えます。
放送はいずれなくなります。これは避けられない未来で、いずれはすべてABEMAのようなストリーミングになるでしょう。ですので、新たなインフラ整備に向けた議論をより早期に始めるべきではないでしょうか。
そしてこうした現状で足踏みをし続けるなかで、コンテンツ制作会社としての放送局の存在価値が放送事業とともに弱体化していくばかりだと感じます。早期にコンテンツ企業としての価値転換を図らなければおそらく生き残れません。アニメ『名探偵コナン』というドル箱コンテンツを持っている読売テレビは、その余裕もあって再編を主導できた側面もあります。
同時にこの問題のなかでは、NHKの役割が極めて大きいです。今後NHKをどう存立・継続させるか、あるいはさせないかが、実は地方にとってより重要な課題かもしれません。政策学者の西田亮介氏が提案したように、NHKの通信社化も現実的なアイデアとして十分に検討に値します。
なんにせよ、現在のかたちに価値があると主張するよりも、未来志向の積極的な議論を行うべき段階に来ていると考えます。
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2025年5月22日

止まらぬ物価高の中、大みそかの弁当配布に多くの人が並んだ=2024年12月31日午後6時12分、東京・池袋、長島一浩撮影
日本人の4割超が「食料危機層」 気候変動にも脆弱 東京科学大調査 編集委員・香取啓介
お金がなくて、一日中何も食べないことがあった、十分な食べ物が買えずに体重が減ったことがあった――。過去1年間でこんな経験をしたことがある人が日本の5人に2人以上いることが、東京科学大の調査でわかった。
健康的な食料を十分に継続的に取ることができない「食料危機層」だとしている。食品価格の高騰で、日本でもフードセキュリティーが脅かされているとみられる。
東京科学大が、今年2月、全国の1万人を対象にオンラインで行った世論調査の一環。米農務省のフードセキュリティー調査を参考に、この1年間で「食べ物を買うためのお金が入る前に、食べ物がなくなるのではと心配したことがあった」など、八つの質問をした。「よく当てはまる」「時々当てはまる」などと答えた人を「食料危機の状態にある人」と定義した。
食料危機層は全体で43.8%で、男性が46.3%とやや多かった。また世帯年収が少ない、若年層、非都市部に多く、最終学歴が中学や高校、短大などの人の方が大学や大学院の人よりも危機層の割合が高かったという。地域別では東北、九州で50%超が危機層だった。
調査した研究者「日本でこれほどとは」
調査した藤原武男・未来社会創成研究院長(公衆衛生学)は「食料そのものがないわけではない。日本でこれほど多くの人が経済的理由で食料を買い控えていることに驚いた」と話す。収入に加え、食や健康への優先度が低い、食べ物を売るスーパーや商店に行きにくい、などの要因が考えられるという。
調査はもともと、気候変動に対する意識を調べることが目的だった。分析すると、食料危機層がより気候変動の影響を受け、対策が必要だと考えている実態も浮かび上がった。
「猛暑や暴風雨などの異常気象で健康被害を受けた経験がある」と答えたのは、食料危機がない人は7.5%だったのに対し、食料危機層では18.2%と倍以上になった。気候変動に対する不安も、食料危機層の方が高かった。
全体では37.3%の人が「気候変動対策を熱心に進める政治家がいたら投票する」と答えたが、食料危機層に限ると、割合が43.7%に高まった。
藤原さんは「食料危機層は、社会的に弱い立場にある人たち。気候変動もその層により強い影響を与えていることが示された」と話す。直接的なフードセキュリティー対策だけではなく、気候変動対策を同時に行うことが必要だとしている。
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本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)【視点】 調査を実施した研究者も驚くほどの高比率である。若年層、非都市部、相対的に最終学歴が低い層で割合が高いという。重要な研究であるが、どのように「食料危機層」を定義しているかを吟味するためには、そのもとになった調査における8つの質問の具体的内容(ワーディング)や回答分布を示すことが不可欠である。
新聞記事には詳細な調査結果や論文、記者発表などへのリンクがついたいない場合が多いが、できればリンクをつけてほしいし、少なくとも検索できるように調査名などを記載しておいてほしい。なお今回は研究者や所属大学名で検索したが、詳細な資料を見つけることができなかった。
小熊英二(歴史社会学者)【視点】 金融広報中央委員会の世論調査における「貯金なし世帯」は二人以上世帯24.7%、単身世帯36.0%(2023年)なので、「食糧危機層」が4割程度というのは、インフレが生じれば起こりうることだとは思う。https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/yoron/futari2021-/2023/23bunruif001.html
日本の有業者(自営業部門含む)に占める正規労働者は、1980年代以降は一貫して5割強である。残りの4割強は自営業主・家族従業者・非正規労働者である。正規労働者の5割強も、中小企業の正規労働者ならば、それほど高給ではない。日本はアメリカのような超富裕層はいないが、貧しい人が4割前後はいるという意味で、もともと格差が大きい社会なのである。
この記事の元の調査概要が探せないので、詳細がよくわからない。できればこういう記事を出すときは、資料出典が探せるように調査名(やリンク)を表示してもらえるとありがたい。
雨宮処凛(作家・反貧困活動家)【視点】 コロナ前、50〜60人が並んでいた食品配布の場(並ぶ人の多くが近隣で野宿する方々でした)に、現在、600〜800人が並んでいます。コロナ禍で「住まいはあるが一食でも節約したい層」が増えた結果です。
これは東京・新宿の話ですが、東京・池袋ではやはり炊き出しに600人ほどが並んでいます。コロナ前は150人ほどでした。
約20年、貧困の現場で取材していると、コロナを機に、貧困は一気に中間層を襲った印象があります。
そこに追い討ちをかけるのが、3年にわたる物価高騰。
しかし、この国の人々は貧困に慣れたのか、一時と比較して関心は低いように思えます。
よって、このような調査が行われ、こうして記事になることはありがたいです。
調査はもともと気候変動に関するものだったそうですが、毎年、猛暑の中、熱中症で命を落とす人の一部を占めているのが貧困層です。
エアコンがない、あっても電気代負担を気にして使用を控える人々の命が奪われている現実。夏を前に、国はしっかり対策に取り組んでほしいと記事を読んで改めて思いました。
岩本菜々(NPO法人POSSE代表理事)【視点】 私たちが連携するフードバンクに昨年相談を寄せた相談者のうち、11%が「お金がなくて、2日以上、食事が取れない時があった」と回答していました。こうした相談現場の現状を踏まえると、5人に2人が「食糧危機層」というのは、ありうる結果だと考えます。
「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」などの言葉が世間に衝撃を与えた15年前から、貧困はとめどな���深化して来ました。しかし、その実態は、「孤独死」の増加などにひっそりと現れるだけで、貧困問題として対処されるべき問題として扱われていません。貧困の広がりとその背景を詳しく明らかにする社会調査が必要だと感じます。
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2025年4月29日

正論のような顔して流れ出す陰謀論 江川紹子さん「放置はまずい」 聞き手・岩本修弥
かつては新聞やテレビ��どマスメディアから情報を得るのが主流でしたが、今はSNSを中心に情報を得る人が増えています。SNSには真偽不明だったり発信元が不明確だったりする情報もあり、何げない投稿や拡散で、誰かを傷つけてしまうことも少なくありません。そんなSNS時代に私たちマスメディアに課されている役割とは何か。フリージャーナリストの江川紹子さん(66)と考えました。
――江川さんもX(旧ツイッター)を使って発信していらっしゃいますね。
このところ、SNSを使う機会が減りました。文脈を取り違えて反論してくる人が多くて、くたびれちゃったんですよね。
前は楽しくて、有益な世界だったんですけど。情報が正しいかどうか以前に、好きか嫌いかという感情・感覚的なもので非難してくる人たちがいて。SNSに没入している時にそんな投稿を見ると、みんなが私のことを嫌ってるんじゃないかって陥ってしまうのも、分かります。
それでもやめないのは、惰性ということもありますが、専ら情報源がSNSという学生たちに、マスメディアの出す情報につなげていきたいからです。今、大学の授業で新聞を読ませていますが、自発的に読んでもらうのは難しい。彼らにこのニュースが届くかもしれない。そんな思いがあって、読んでもらいたいニュースにリンクする発信をするなど、とりあえずやめないって感じですかね。
SNSで危ないのは、むしろ中高年
ただ、SNSに関してはとかく若者たちの問題と見られがちですが、今の学生たちはSNSを見るだけで、リアクションをしない子が多いです。意外なことに結構警戒心を持っていて、慎重なんですよ。
危ないのはむしろ中高年の方。テレビや新聞など、マスメディアが出す情報になじんでいた世代が、同じような感覚でSNSの情報と接する人が結構いらっしゃるように思います。新聞は載るまでにいろんな人の手が加わって、事実確認をしているじゃないですか。一方、SNSでは真偽不明、あるいは明らかな虚偽、さらには陰謀論的な情報が、事実と等価値のもののように飛び交っている。にもかかわらず、その情報と同じような感覚で接し、「マスコミが報じない真実」を信じてしまっている。危ないところがありますね。
――SNSが主流になっている今、私たちメディアの役割とは何なのでしょうか。
もちろん物事は毎日動いているわけで、マスメディアが今日出す情報が明日も100%正しいかどうかは分からない。でも、いろんな人の手が加わって、確認して発信している情報なので、精度はかなり高いと言えるでしょう。
マスメディアが報じるファクトを多くの人たちが共有し、それをもとに物事を論じ、よりよい方策を決めていくのが民主主義の基本だと思います。それぞれが信頼度の低い情報をどれだけたくさん積んでも前提が食い違い、話がかみ合わない。報道機関の方には、民主主義社会の土台となる情報を提供しているという自負を持って報道してもらいたいですね。今のマスメディアの人たちはいろんなたたかれ方をしているので、自信喪失に陥っていると思います。
今のマスメディアバッシングは、傾聴に値するものとそうでないものがあって、そうでないものの方が結構多いんですよ。「マスメディアは悪」という、ある種のイデオロギーみたいなものもありますよね。ポジティブな反応が増えるほど、面白い記事や番組が増える傾向にあるので、そんな反応があふれるSNSになるといいんですが、悪意や怒りの方が広がりやすいのが現実です。
陰謀論につなげて発信、カルト性の一つ
――SNSの投稿の中には、陰謀論のようなものもあります。対処法はありますか。
陰謀論の多くは、以前は同好会のような趣味の世界でした。月刊「ムー」のように、楽しく陰謀論を論じていたのが、今は正論のような顔をして、一般社会に流れ出してきていると思います。まるで、かつてカルト団体が人々の心を操作するのに用いたように、「現状の裏には、実はこういうことがあるんだ」「諸悪の根源はここだ」と言い募る。
自分の意見が批判されると、被害者意識を過度に募らせ、陰謀論につなげて発信する人もいます。私はある種、カルト性の一つだと思っています。
そんな陰謀論や明らかな虚偽情報に対し、マスメディアはこれまでまともに相手にせず、見て見ぬふりをしてきました。これからの時代、それはまずいなと思いますね。放置している間に、陰謀論的発想や虚偽が広がっていくからです。面倒でも、専門家の話を交えながら、一つひとつ根拠を示して否定しないと、勝手にフェイクニュースが育っていく感じがします。明らかに事実と違う情報は、プラットフォームの方でもチェックする責任はあるでしょうね。
――私たちメディアも時代とともに変わっていく必要があります。
ジャーナリストの故・青地晨(しん)さんの言葉でものすごく好きな言葉があります。「同じことをみずみずしい感動で言い続けたい」です。
このところ、オウム真理教事件のことで、若い記者の人から取材を受ける機会が増えました。私たち世代が当たり前だと思い、もう語り尽くしているかのように思っていることでも、若手の記者は新鮮な感覚でそれを受け止め、心を動かし、記事を書いてくれます。それを新しい読者が読むわけです。
大事なことというのは、聞き手が感動するからこそ伝わるんですね。聞き手を変えながら言葉をつなぐことで、次の世代にも広がっていくと感じました。
だから、同じ人のところに行って話を聞いて書くことも、決して無駄なことではありません。同じ事柄でも、一言一句同じじゃないですからね。聞きたいことがあって記者になっているんですから、「すでに出ている話だ」とためらい、自らを抑制する必要はないです。新たな目で見て、聞いて、みずみずしい感動とともに、伝え続けることが大事だと思いますね。
――改めて、私たち新聞が期待されていることは何でしょうか。
多くの人たちがSNSで情報を得るようになりました。でも、新聞の方が信頼できるって分かっている人も少なくない。その情報が本当に正しいのか、信頼していいのかを検討する、あるいは考え直す材料を提供することが必要だと思います。ある種のセカンドオピニオンなのかもしれないですけど。調査報道など、元来のマスメディアが担ってきた情報発信は大事で、それにファクトチェック機能が付け加わる、ということです。
1958年生まれ。神奈川新聞記者を経てフリージャーナリスト。神奈川大学特任教授として、カルト問題、ジャーナリズム、メディアリテラシーなどを教える。著書に「『カルト』はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち」など。
朝日新聞阪神支局襲撃事件から38年
38年前の5月3日の夜、朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)に目出し帽姿の男が侵入し、散弾銃を発砲した。小尻知博記者(当時29)が左脇腹を撃たれて死亡。犬飼兵衛記者(同42)は右手の薬指と小指を失った。
報道機関に届いた「赤報隊」を名乗る犯行声明文には「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみ」と記されていた。
警察庁は、のちに判明した東京本社銃撃など一連の事件を「広域重要指定116号事件」として捜査を続けたが、2003年までに全8事件が未解決のまま時効となった。
朝日新聞労働組合は、事件の翌年から「言論の自由を考える5・3集会」を続けてきた。事件を語り継ぐとともに、言論の自由などのテーマについて���ストらとパネルディスカッション形式で語り合ってきた。

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佐倉統(実践女子大学教授=科学技術社会論)【視点】 陰謀論がカルトのようなものだというのは100%賛成だ。世相が不安定になると陰謀論が増えることからも、カルトのように社会の現状に不満や不安を持っている人たちの受け皿になっている側面がうかがえる。新聞などのマスメディアは陰謀論��ら社会を守る防波堤だ。アメリカではメディアがイデオロギーによって二分してしまい、社会全体の「公器」としての役割を果たせなくなってしまっているが、日本はまだそこまでの惨状は呈していない。既存マスメディアは今が踏ん張りどころ。ネットにもっと進出してネット空間で陰謀論と対峙してほしいと個人的には思っている。主戦場はネットだ。
塚田穂高(文教大学国際学部教授・宗教社会学者)【解説】 江川紹子さんの、陰謀論の滲出を「カルト問題」との関連で捉え、社会的放置を戒める趣旨には深く同意します。その上で、オウム真理教地下鉄サリン事件30年ということもあり、補足を。
「…陰謀論の多くは、以前は同好会のような趣味の世界でした。月刊「ムー」のように、楽しく陰謀論を論じていたのが、今は正論のような顔をして、一般社会に流れ出してきていると思います」
とありますが、(江川さんが知らないはずがないのは大前提ですが)オウム真理教の麻原彰晃の社会的「デビュー」が、当のオカルト雑誌の『ムー』(1985年10月号)・『トワイライトゾーン』(1985年10月号)であったことは、あらためて想起され、記憶に留められなくてはなりません。
もちろん、当該記事でもっとも目立ち、ある程度の人を惹きつけたのは、修行法・超能力開発の部分であり、麻原の「空中浮揚」の写真であったことは確かでしょう。
ただし、『トワイライトゾーン』の方では、すでにデビューの同号に「最終的な理想国を築くために」という麻原への取材記事も6頁にわたり掲載されています。そして、麻原が神から「あなたに、アビラケツノミコトを任じます」との啓示を受け、それは「神軍を率いる光の命」であり「戦いの中心となる者」という意味であること、2006年には核戦争の第一段階は終わっていること、「シャンバラ」という完璧な超能力者たちの国という理想社会を作ること、「ヒヒイロガネ」というパワーを発揮する石を手に入れていることなどが縷々述べられています。同様のことは、『ムー』の同年11月号にもあり、「ヒヒイロカネ」の効力と使い方や、ハルマゲドンを生き残る神仙民族になることなどが記載されています。このように、麻原の記事は、『ムー』には1985年10月号、11月号(2件)、『トワイライトゾーン』には1985年10月号(2件)、12月号、86年2・3・4・6(2件)・10月号、87年1・2・3・4・5・6・7・8・9・12月号、88年1月号に掲載されていました。麻原とオウムの後の諸事件や国家への対抗につながるような宗教観・世界観・終末観・国家社会観などは、かなりの部分がこれらにおいてすでに提出されていました。
これらは、ここでいう「陰謀論」ではなかったのでしょうか。そしてそれらは「同好会のような趣味の世界」であり、「楽しく陰謀論を論じていた」のでしょうか。もちろん、多くの読者にとっては、「奇妙なことを言ったりやったりする人だなあ」と「楽しく」消費されていったのかもしれません。しかし、麻原にとってはそれはそもそも「真剣」であり、同様にそれらを笑い飛ばさず「真剣」に考えた人々がひきつけられ、巻き込まれていったのかもしれません。そういう芽がすでにあったということです。
もちろん、麻原とオウムが実際に諸事件を起こしていくのは、真島事件(88年9月)―田口事件(89年2月)―坂本弁護士一家事件(89年11月)ともう少し後のことではありますが、いずれにせよこの初期麻原・オウムの「陰謀論」をどう考えたらよいか、という点は課題として残っているように思います。「陰謀論は昔はネタとして楽しんでいた」といったようなことが言われる際に、いつも引っかかるのがこのことです。
いずれにしても、そのために、メディアや、専門家や、社会がスルーしないようにすること、というのはあらためて同意します。
杉田菜穂(俳人・大阪公立大学教授=社会政策)【視点】この記事を読んで、辻隆太朗『世界の陰謀論を読み解く』(講談社、2012年)が陰謀論を文化的潮流と捉えていたことを思い出した。陰謀論そのもの、陰謀論を信じる人がいることの背景にある<陰謀論が成り立ちやすい状況>や<陰謀論を支持したくなる気持ち>への社会的な関心が欠かせないこと、陰謀論を信じる人がいることの重みにもっと目を向けるべきことを痛感する記事だ。
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2025年3月5日

想定外のコメ高騰 中から国を守る「農業」ないがしろにした結果(毎日新聞)
「コメ騒動」と皮肉られる事態を、現場の生産者はどう受け止めているのだろうか。中国山地の山里でコメ専業の農業法人を夫婦で営む本山紘司さん(45)=岡山県鏡野町=に話を聞いた。大学院修了後、農林水産省勤務を経て、故郷に戻り新規就農した。3男3女の父であり、また県議会議員でもあり、岡山でも今や少数派になった専業農家の議員として、地域農業の持続可能性を追求する存在でもある。【聞き手・三枝泰一】
◇シリーズ「令和のコメ騒動」2
――生産者として、この「騒動」をどう見ますか?
◆この1年に収穫量が激しく動いたことはありません。市場の販売価格がこんなになぜ上がったのか、私も知りたい。確かに昨年の今ごろは、その前年が一部の県でやや不良だったこともあり、「今年は農家からの買い上げ価格が上がりそうだ」という情報はありました。肥料など生産資材の値上がりで赤字続きだった農家には、「ようやく報われる」という思いがありました。事実、JAの2024年産米の1俵(60キロ)あたりの買い上げ価格(概算金)は全国で1万6000~1万7000円が中心で、前年より2~4割ほど上がりましたが、卸売業者間の取引価格は4万~5万円にも上がっていると聞きます。高騰は生産者のあずかり知らぬところで発生しているというのが実感です。
――江藤拓農相は備蓄米の放出を発表した記者会見で「主食であるコメがマネーゲームや投機の対象になることは決してよくない」と発言しました。流通過程から消えた約20万トンのコメは、相場の高騰を見込む業者が直接買い集め、抱え込んでいるとも言われています。
◆飼料用にする「くず米」を買い付けにくる業者は以前からいました。正直「善い業者」とはいえない印象です。投機に味をしめて参入した業者がいる可能性は大いにあると思う。「コメはどこかにある」という声をよく聞きますが、裏返すとこれは、国民の主食であるコメの所在をつか��手段が政府になくなっていることを意味します。食糧管理制度に戻せ、と言っているのではありません。ただ、国民の「主食」であっても価格が低迷していた時には「はなもひっかけなかった」コメを、もうかるとなると平然と投機の対象にするような動きに対しては、生産者として怒りを感じます。それが自由主義経済だ、と言うのであれば、少なくとも主食の稲作、さらには農業を国の施策として守る必要がある。普通の消費者は困っています。高度成長期の入り口のころ、「貧乏人は麦飯を食え」という発言が批判を浴びましたが、今、起こりつつあることは、これと同じ方向にあると思います。
――生産者の一人として、今回の「高騰」は決して望ましいことではないと?
◆正直、「それみたことか」という気持ちもあります。「利益を生まない第1次産業に、経済的存在意義はない」と公言してこられた方々に対してです。昨夏、店頭でコメの品薄が生じた原因の一つは、南海トラフ地震発生への警戒から流通現場で異例の争奪が起きたことだともいわれています。利益最大化のためには需給をタイトに絞った方が効率的でしょうが、一つのきっかけで大混乱が起きるような環境に「主食」をさらすことが政策として妥当なのでしょうか。
中山間地で営農を続ける人間として、農政とは産業政策のみならず、地域社会を維持する社会政策と表裏一体の関係にあると常に言い続けてきました。今回はそれに加えて、国民への安定した食糧供給を守るという重要な役割があることを改めて認識しました。
――一昨年までは米価の低迷と各種コスト増とが相まって、稲作農家は「時給10円」ともいわれました。生産基盤を守るためには適正な価格が必要です。
◆おおむね、水田1ヘクタールの売り上げは約100万円といわれています。ウチの場合、ウクライナ戦争以降の生産資材の高騰を受けた23年は、主食用のコメでみれば100万~200万円の赤字でした。「価格」の受け止めは、経営体の規模によって変わります。兼業農家のように小さいところはJAなど集荷団体に販売を委ねざるを得ません。生産コストが上がっても「販売価格が上がらないから、高くは買い取れない」と言われれば従うしかないのですが、在庫リスクや顧客対応が必要ないことなどで、広い意味で守られてはいます。一方、専業である程度の規模がある経営体は、集荷団体を通さず自分で販路を開拓します。自由度は増しますが、価格交渉が死活問題に直結するので、営業努力を要します。多くの農家にとって、24年産米の買い取り価格は「ようやく一息ついた」というところではないでしょうか。ただ、新たな設備投資意欲を生む水準には至っていないというのが実情だと思います。
――専業農家としての課題は?
◆経営体力をつけて、価格決定力をこちらが持つことです。ぼろもうけをしたいのではありません。コストを適正に反映させた価格で取引がしたいのです。それが、投機の抑制にもつながります。
――コメの増産を目指せ、という意見もあります。
◆現場の実態を知らないのではないでしょうか。農業生産者は減り続けている。生産現場はゼロサム状態にあり、仮に今、主食米を増やすとすれば、何かの栽培を減らさざるを得ない。手っ取り早いのは飼料米を主食米の栽培に戻すことでしょうが、そうなれば家畜生産のコスト増につながりかねません。飼料米はエサを国産にすることで食料自給率を上げるという政策的目標にも関わります。「輸入飼料で代替」などということになれば、本末転倒です。
――「日本を守る条件は二つ。外敵から守る『防衛力』と、中から国を守る『農業』だ」――。学生時代からの持論だそうですね。
◆これは今も変わりませんし、実際に現実のものになりました。21世紀の現在、軍事力で他国の領土を侵略する国家が現れることを想像できたでしょうか。国防も農業も人間の「生存権」に直結する政策です。そしてコメは、日本人の文化そのもの、基底です。
◇もとやま・こうじ 1979年生まれ。2004年岡山大大学院修了(自然科学研究科食料情報システム学専攻)、農水省入省。08年退職し、1・3ヘクタールで就農。11年農業法人「本山精耕園」設立。現在、35ヘクタールを耕す。この間、鏡野町議を経て19年岡山県議当選。現在2期目。
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2025年3月2日

【おひとりさま老後に備えて】40~50代の「平均貯蓄額」はいくら?「年間手取り収入」からの貯蓄割合は(LIMO)
転職や異動などで慌ただしくなる、年度末のこの時期。職場や仕事内容が変わり、収入に変化が起きやすいこの時期だからこそ考えたいのが、貯蓄についてです。
特におひとりさまは自身で老後資金を貯めねばなりません。老後資金の必要額は将来の年金受給予定額や生活費によっても異なるため、環境が変わりやすいこのタイミングだからこそ改めて見直したいところです。
一方でお金のことは、友人関係だったとしても聞いたり、相談したりしにくいもの。同じ世代がどれぐらいの貯蓄を貯めているのかについて把握できると、自分の状況を確認し、今後の行動についても考えられるでしょう。そこで本記事では参考までに40歳代〜50歳代に焦点をあて、貯蓄額について探っていきます。
【おひとりさま】40歳代~50歳代で貯蓄はいくら貯めてる?
40〜50歳代になると老後が見え始めますし、老後資金は一朝一夕では貯まりませんから、早くからコツコツと貯蓄習慣をつけておきたいところ。
J-FREC 金融経済教育推進機構が公表する「家計の金融行動に関する世論調査(2024年)」より、まずは40歳代〜50歳代・おひとりさま以上世帯の貯蓄(金融資産を保有していない世帯を含む)を確認します※貯蓄額には、日常的な出し入れ・引落しに備えている普通預金残高は含まれません。

年代別の貯蓄額はいくら? 出所:J-FREC 金融経済教育推進機構「家計の金融行動に関する世論調査(2024年)」をもとにLIMO編集部作成
●【40〜50歳代】貯蓄額の平均値 ・40歳代:883万円 ・50歳代:1087万円 ●【40〜50歳代】貯蓄額の中央値 ・40歳代:85万円 ・50歳代:30万円
平均額を見ると40歳代は800万円超、50歳代では1000万円超とまとまった貯蓄をしているおひとりさまが多い印象をうけます。
しかし中央値を見ると、40歳代は85万円、50歳代では30万円と50万円を下回っています。これは個人差が大きいためであり、図表をみると貯蓄ゼロのおひとりさまも3〜4割います。
40〜50歳代おひとりさまのおよそ3人に1人が貯蓄ゼロですが、大切なのは今から少しでもコツコツと貯めていくことでしょう。
【40歳代~50歳代おひとりさま世帯】年間手取り収入から何パーセント貯蓄している?

年齢階層別の平均給与 出所:国税庁「令和5年分 民間給与実態統計調査」
【40~50歳代「男性」の平均年収】
40~44歳:612万円
45~49歳:653万円
50~54歳:689万円
55~59歳:712万円
【40~50歳代「女性」の平均年収】
40~44歳:343万円
45~49歳:343万円
50~54歳:343万円
55~59歳:330万円
では、40歳代〜50歳代おひとりさま世帯が手取り収入からどれくらい貯蓄しているのか、同調査から見ていきましょう(※金融資産保有世帯のうち金融資産に振り分けた世帯)。

年間手取り収入からの預貯金への振り分け割合
●年間手取り収入からの平均貯蓄割合 ・40歳代:12% ・50歳代:13%
上記を見ると、年間手取り収入から12〜13%貯蓄しているとわかります。
図表で詳しく見ると40歳代で最も多いのが「5〜10%未満(27.0%)」、次に「10〜15%未満(15.7%)」。
50歳代では「5〜10%未満(27.8%)」、次に「10〜15%未満(24.1%)」となっています。
たとえば13%とした場合、月収の手取りが20万円なら2万4000円、30万円なら3万9000円になります。
どれくらいの割合の貯蓄が可能かは収入や生活費によっても異なりますが、参考にされるといいでしょう。
貯蓄習慣をつけ、その金額と方法を見直すことが大切
まとまった貯蓄を老後に向けて用意するためには、まず貯蓄習慣をつけることが大切です。
給与から先に貯蓄して、残りで生活する「先取り貯金」であれば安定的に貯まりやすいですから、取り入れるといいでしょう。さまざまなサービスがありますが、一度設定すればあとはほっておいても積み立てを続けてくれるので利用もしやすいです。
先取り貯金はライフイベントにあわせて見直しをすることが大切です。
たとえば転職などで収入が上がったり、引っ越して固定費が下がったりすると貯蓄できる金額が増える場合もありますから、生活や家計収支に変化があった場合は金額を見直す習慣をつけるといいでしょう。
また、先取り貯金は預貯金だけでなく、たとえば新NISA制度を利用して積立投資を行うことも可能です。
積立投資は損をするリスクもありますが、一方でお金も働いてくれるので、自分が働けなくなっても収入を増やすことも可能です。
リスクや制度、投資方法、金融機関、金融商品などを調べ、自身に合ったものを考えるためはじめるまでに時間はかかりますが、一度調べて実際にやってみることで、収入を増やす方法として「資産運用」が自身の選択肢の一つにはなります。
制度を調べたり、実際に金額のシミュレーションをしたりなどして検討するといいでしょう。
収入と支出も見直して、きたる老後への備えを
本記事では40歳代〜50歳代の貯蓄について確認していきました。
平均の貯蓄額より少ない場合、自分はどのように貯蓄のペースを増やしていくか考えてみましょう。
貯蓄習慣をつけることはもちろん、転職で収入を増やす、固定費の見直しで支出を減らすなどをおこない貯蓄額を増やすことも可能です。
現代は60歳以降も働く人が増えており、また働き方も多様になりました。今の40〜50歳代が老後を迎えるころには、さらに多様化されて長く働きやすくなる可能性もあります。長期的にみて仕事について考えるといいでしょう。
また、これを機に将来の年金受給予定額をねんきんネットなどで確認されるといいでしょう。老後の収入の柱である公的年金の目安を知ることで、老後資金計画も立てやすくなります。
働き方にあわせたシミュレーションもできるので、活用されてみてはいかがでしょうか。
参考資料 ・J-FREC 金融経済教育推進機構「家計の金融行動に関する世論調査(2024年)」
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