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2020年 下半期の活動状況など
1月には【対岸の火事】だった 新型コロナウイルスによる感染症 COVID-19 が日本の演劇を直撃したのは2月のことだった。 日本政府から緊急事態宣言が出されたのが4月。 しかし見回せば、日本より更に被害が大きく行動の規制が厳しい/厳しかった国も多い。 一時期は世界中が��斉に【ステイホーム】。 地球に【休業中】という札をかけたいレベル。 壮大なハリウッド映画を見ているようだった。 しかし2020年1月のわたしにこういうハリウッド映画を見せたとしても「こんな奇想天外な物語、リアリティに欠ける」という感想しか持たなかったに違いない。 世界一斉ステイホームの頃から、見回せば、世界で日本で身近で、多くの団体や個人が、パンデミック下でも可能な活動を広く社会に投げかけてきた。 映像の配信や、オンラインによる演劇という営みの公開などだ。無料のものも多いし、課金させてくれるものもある。 わたし自身、3月末から4月にかけて、将来的な上演を目指すとある戯曲の新訳を声に出して読んでみる会というのをオンラインで実施した。 素晴らしい参加者の皆さんに恵まれたこともあり、「新訳を声に出して読んでみる会」の手応えが思いがけず豊かで充実したものだったことに、わたしは物凄く驚いた。 「オンラインでも演劇という営みは可能」というのがわたしの感想だ。 参加してくださった方の多くがそれに近い感想をくれた。 全員が「演劇がしたい」という熱を持っていて、その熱が戯曲の奥深くまで掘り進む力をくれた。 あれは本当に忘れがたい感動だった。 ご参加の皆さん、ありがとうございました。 これを書いている2020年7月2日時点では、【世界一斉ステイホーム】の段階ではなくなり、動画配信やオンラインによる演劇の試みが世界でも日本でも身近でもたくさん行われている一方で、公演再開をアナウンスした団体もあれば、「いま稽古中」「今日が初日」という友人知人仲間もいる。 海外には年内は演劇公演を再開しないと決めた地域もある。 全世界で演劇が試行錯誤の時期に突入したのだろう。 わたし自身は、緊急事態宣言とは関係なく自分の考えで、3月から【自分が感染するリスクも人に感染させるリスクも非常に少ない生活】を送っている。 5月25日に緊急事態宣言が解かれてもそれは変わらず続けている。 少なくとも今のわたしにはこの生活が可能なので、そうしている。 可能なので、必要な間は、可能な限り、続けようと思っている。 それは多分、今のわたしに出来る中で、社会と世界に対する最大限で最良の貢献なので、そうしている。 人によって、社会と世界に対して出来る最大限で最良の貢献はそれぞれ違う。 わたしの場合はこうすることがそれだと思うので、こうしているし、可能な限り続けようと思うのだ。 そして、そうして発生する時間を使って、将来、このパンデミックを恐れずに(或いは効果的に恐れて)演劇の公演が可能になる日に向けて、わたしは日々、演劇作品を書いている。 題材は人に持ちかけられたもの60%、わたしがあたためてきたもの40%という内訳であり、パンデミックを題材にしているわけでは全くないが、この時期に書いているので、全てがパンデミックというフィルターを通して作品の血肉になってゆく実感がある。 パンデミック後の社会へ、世界へ、投げかけ問いかける作品を書いているつもりだ。 人によって社会と世界に対してできる最大限で最良の貢献が違うように、演劇に対してできる最大限で最良の貢献も人によってそれぞれ違う。 今年下半期に予定していた演出作は、話し合った結果、延期が決まった。 オンラインでの本読みを何かの形で発展させることも少しだけ考えたが、その道は選ばないことにした。 わたしの場合、少なくとも今、この作品を組み上げることこそがわたしが演劇に対してできる最大限で最良の貢献だと思うので、今はそれをしている。 この2つを人生と生活の最優先にして、この2つが滞りなく出来る状態を維持するためには、【正気で元気で生きること】【社会と世界へ目と耳を向け心を注ぎ続けること】がわたしの責任だ。 2つのバランスを必死に取りながら、取り組み続ける毎日だ。 以上2020年7月2日現在の、わたし薛 珠麗の考えです。 これを読んでくださっている皆さん、また元気で会えたら嬉しいです。 稽古場で、劇場で、会えるならもっと嬉しいです。 そのためにわたしは幾らでも、どんなに時間がかかっても、正気で元気な自分を守るし、時間がかかるならその時間を全て注いで、それに値する作品を用意します。 皆さんもどうかお元気で。 薛 珠麗(Shurei Sit せつ しゅれい)
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『ウエスト・サイド・ストーリー』シーズン1、終演しました。
2018年秋に 「���れからは手がけた作品についてのブログを 真面目に書こう」と決めたので、 第2弾として、書き残しておこうと思う。 もちろん、演出作品ではなく演出補としての参加では あるので、その立場からの文章を。 IHI ステージアラウンド東京における 『ウエスト・サイド・ストーリー』、シーズン1。 (以下の文章はネタバレとは少し違うと思うが、 読み手が観劇済みであるという前提で書いたので、 真っさらな状態で観たいという人の楽しみを殺ぐ 恐れはある。 「『ウエスト・サイド・ストーリー』という作品を これから、そして真っさらで観たい」という方は、 良かったらどうぞ観劇後にご覧ください) わたしにはいわばシーズン0的な存在がある。 2018年1月に東京で、同年7月から8月に大阪で、 公演された宝塚歌劇団宙組の『WSS』に、 翻訳家として関わっていたのだ。 (訳詞は演出補も兼ねた稲葉太地さんが手がけられた) わたしの中で『ウエスト・サイド・ストーリー』は 【原点にして、頂点】だ。 誰もが知り、 また誰もが一度でも関われれば誇りに思う、名作。 この作品を境にミュージカルいや演劇そのものが 不可逆の変化を遂げた、まさに【原点】であり、 初演から62年の時を経てもあらゆる意味で 未だに超えるもののない、【頂点】でもある。 しかしそれはとても恐ろしいことだ。 そんな作品を今の日本の観客に届けるという 責任の大きさ重さ以上に、 「知ってるつもり」という恐ろしさがある。 「別プロダクションで(何回も)観た」 「原作の映画を見た」 (注:映画は舞台を映画化したものであって 【原作】ではないのだが、映画があまりに 有名すぎるため、しばしば目にする誤解だ) 「現代版『ロミジュリ』でしょう」 「曲は知ってるし大好き」 初演から62年間【名作】として君臨してきた せいで、演劇として取り組んだり見つめたりする ためには邪魔なる余計なブヨブヨが、たくさん くっついている。 作品にではない。我々の目に、だ。 ので、まずは目を開く必要があった。 いわば【曇りなき眼】を。 具体的には、ディスカッションの時間を多く取った。 これはアメリカ側演出補マストロの意向と重なった こともあり、集団で思考する時間を、通常より かなり多めに取れたのではないかと思う。 ディスカッションとはいえ、まずはこちらから、 1957年のアメリカNY市アッパーウェストサイド という、彼らが生きる場所と時代、その背景に 関する情報を、渡せるだけ渡した。 『WSS』は今でこそ【不朽の名作】だが、発表当時は、 劇場の数ブロック先で今まさに起きている社会問題を 鮮烈に切り取った、衝撃作かつ問題作だったのだ。 だから、情報といっても、本やインターネットで 調べれば出てくるような知識ではなく、 人物たちが生きていて感じただろう感覚に近そうな、 肌で実感できそうなことや、 大きな意味での時代の空気みたいなものを、 なるべくたくさん。とにかくたくさん。 わたしは偶然、作品世界を訪れるのが3回めだったし 別の演目だが時も場所も近い作品に関わった経験も あったため、それらの蓄積が大いに役立った。 それに加え、実際に普段ニューヨークで暮らす アメリカ側演出補 マストロ(イタリア系) 振付リステージング フリオ(プエルト・リコ生まれ) からの(時代は違えど)本物の実感のこもった言葉が もらえたことも、非常に有益だった。 トニーがポーランド系という台詞が印象的なので ジェッツはポーランド系と紹介されてしまうことが多いが 実際にはジェッツはイタリア系やアイルランド系も 入り混じっていると台詞にある。 だから我々はジェッツ側、シャークス側それぞれの、 いわば生の言葉が(時代は違えど)もらえたわけだ。 しかし、それだけでは足りないとわたしには思われた。 『WSS』で描かれる人種間の偏見や断絶は、 多くの日本人が無自覚に「他人事」と感じている問題だ。 差別をされる側としての当事者意識も、 差別をする側としての当事者意識も、持ったことがない ‥‥という日本人は多いのではないかと思う。 そういった土壌がないところに幾ら実感の種を ざくざく植えたところで、育つものは限られる。 そこで、日本生まれ日本育ち日本国籍でありながら 香港チャイニーズ移民2世でもあることで いわば日本における被差別当事者であるわたし自身の 体験や眼差し、実感も、積極的にカンパニーにシェア していった。 しかし、わたしは常々、 差別される側の意識よりも、 差別する側の意識を持つことの方が この作品にとってずっと大切だ、と考えてきた。 そしてそれは、日本で暮らす人にとって 差別される側の意識を持つことより 更に機会が少ない。 しかも、自分の中のそんな部分と向き合うことは、 人間であれば誰にとっても難しいことだ。 だから、その問題に対する免疫がない日本人でも 身近に、肌で実感できそうな手がかりを、少しずつ 見つけては、取り上げて、育ててゆくよう 心がけたつもりだ。 稽古を始めてすぐの時期には特に意識して このディスカッションの時間を多めに取ったが、 それにより、結果的に「対話しながら進める」という スタイルを、稽古の中に確立できたように思う。 そのおかげだろうか。 わたしは25年の間、 「外国人作家の戯曲や外国人演出家の演出を 日本人のカンパニーが表現する」という構図の 演劇作品に数え切れないほどたくさん、 それも橋渡しという立場で携わって��たが、 もしかしたらこの『WSS』シーズン1で初めて、 翻訳や通訳が介在したのでは追いつかないレベルにまで 表現を、そのためのコミュニケーションを、 探求することができたのではないか‥‥と、 そんな気がしている。 それはつまり、 外国の文化や価値観を基に与えられた作品や演出を 日本人側が咀嚼する、その咀嚼の仕方や、 そのためのコミュニケーションが、 今までのわたしの体験にないほどの頻度や深度や精度に 到達できた‥‥ということなのかもしれない。 一言で言うならば 「自分のものにする」といったようなことだ。 そうやってこの大きすぎる作品を カンパニーが自分たちのものにし、 世に届けるにあたり、 目指したことが、わたし個人として幾つかあった。 わたしはもちろん演出家ではないのだが、 送り手側に立つ以上、 そして演出家をやっている人間として 演劇作品に関わる以上、 どうしてもクリアしたいことはある。 1つめは、人物たちの筋を通すこと。 『ウエスト・サイド・ストーリー』は 【愚かな不良の若気の至り】という断定も できてしまう物語だ。 『WSS』の登場人物たちは1人として 社会的に恵まれた立場にない。 明るい未来を思い描くために必要なものを、 社会や大人世代によって、与えられていない。 ところが、作品を届ける我々スタッフキャストの 多くは、演劇という夢を叶えてそこにいる。 また、観劇する観客の多くも、1万5000円を 観劇という体験のために支払えるからそこにいる。 つまり、劇場に集まる我々はいわば、 人物たちの誰より、恵まれているのだ。 彼らより多くの選択肢を持ち、 彼らよりずっと広い世界を知っているのだ。 よほど意識しない限り、人間は 他者の苦しみを感じることができない。 ましてや自分より恵まれず余裕もない人間の 苦しみなど、なかなか理解できないどころか、 知らず知らずのうちに上からジャッジすること すらあるのではないだろうか。 しかしこの戯曲では、 若者たちの、一見若さの暴走とも取れる言動、 その一つ一つに、非常に丁寧に、筋が通されている。 選択肢が極めて少ない社会の中で、 「数の論理」「やられたらやり返す」という、 いつの時代でも国家すら動かす明快で単純な 理屈を基にして、この戯曲には全てにおいて 細かく詳細に、因果の鎖が描き込まれている。 人物たちはその因果の鎖の上を、 信じ、大切にしているものを 信じ、大切にすることによって、突き進んでゆく。 しかし、人物それぞれの筋や それが互いに分かち難く絡み合うように 編み上げられた因果の鎖は、 人物たちの背景という裏付けを知ることなくしては 読み取れないようになっている。 また、(これはもう作者たちが意図的に仕組んだ としかわたしには考えられないのだが) この戯曲ではきっちり編み上げられた因果の鎖、 それを繋ぐリンクのうち、最も重要なものが幾つか、 スコッと、抜けているのである! 我々は代数の問題を解くように、抜け落とされた 幾つかのリンクを割り出さなければ、 物語の真髄というか、ラストシーンまでも、 到達できないようになっている。 そんな戯曲なので、人物たちを上からジャッジ するような眼差しを持っているうちは、 物語のスタートラインにすら立つことができない。 だいいち観客の方だって、1万5000円も出して 人物たちを「愚かな若者たちだ」と一蹴にするより、 もっと奥へと分け進みたいものだろうと思う。 『WSS』を世に届ける上で、個人的に どうしてもクリアしたかったことの2つめは、 舞台上に生きる人物一人一人が常に、 本物の人間の感情を、とんでもない色濃さと とんでもない熱で、一瞬一瞬生きている‥‥ ということだった。 ‥‥まぁそれは、敢えて言語化するまでもなく、 全ての演劇が目指すことではあるかもしれない。 しかしこの劇場では、通常と少々、事情が違う。 何しろ機構が大掛かり。 何しろ美術が超リアル。 少し補足説明をすると、 IHI ステージアラウンド東京では、 客席の方が動いてくれるため、 まず舞台が8面も存在する。 そのため、転換をする必要がない。 動かす必要がないから、 舞台美術というよりは建築物と呼ぶべき 重厚なセットが建て込めるし、 本当に人が暮らしているかのように 小道具を細かく飾り込めるのだ。 そんな超リアルな美術が、 客席が回転するという大掛かりな機構が、 芝居を助けてくれると思ったら大間違いだ。 少しでも緩い芝居ぬるい芝居をしたら、その瞬間、 機構に、セットに、 役者は飲まれてしまう。 「アトラクションみたい」と言われる 機構の、美術の、インパクトを上回るほどに 必死に生きていないと、負けてしまうのだ。 本当に心が動いたわけでもないのに 唇が触れ合ったというだけで、 それをキスと呼び恋と呼ぶような、 そんなミュージカルや演劇や映画やドラマは 世界中にいくらでもある。 しかしそんな芝居は、この劇場では通用しない。 (本当は、どこでも通用しないのだが) これについては、 対話を重ねる稽古を通して 人物たちそれぞれの【筋】を通せたことで 俳優たちはその分、人物の言動を信じて 生きることができたのではないかと感じている。 自分の言動を信じて生きている人間には、 信じて生きている人間にしかない熱がある、と わたしは思う。 とはいえこの物語にはもちろん 理屈を超えたものも描かれているから、 【筋】=理屈だけでは太刀打ちできない。 しかし、理屈や筋といった理知の部分を 余すことなく追求し抜いた先でしか、 理屈を超えたり、打ち壊すような激情には 到達できないのではないかとわたしは考える。 人物たちが一瞬一瞬を精一杯命いっぱいで生き、 それを俳優たちが持っているもの全てを賭けて、 生きる。 わたしが演出補として観たいと願い 取り組んだのは そんな『ウエスト・サイド・ストーリー』だ。 そんな『ウエスト・サイド・ストーリー』に なっていたかの判断は、 観客ひとりひとりにお任せするとして。 そんな探求を共に歩んだシーズン1の 出演者たち一人一人についても書いておこう。 (これを目にする出演者たちへ。 一人一人への言葉、ここには全然 書ききれなくて、こんな感じになった。 書ききれなくって、ごめんね) トニー、宮野真守。 オーディションで見せてもらった、 全てを包み込��ような圧倒的な包容力が、 わたしにとってはキャスティングの決め手だった。 (キャスティングは集団で段階的に行ったので 審査をした一人一人にそれぞれの決め手があったと 思うが、わたしにとっての決め手はこれだった) 宮野真守という表現者は世間から「器用」と 評されているのではないかと思うことがあるが、 わたしから見たマモはむしろその逆だった。 傷だらけになったり失敗したりしつつ恐れることなく 常に心の全てで、全力でぶつかってゆく、 不器用で人間くさいトニーを生きてくれた。 トニー、蒼井翔太。 「この人は本当に新しい世界、新しい自分が 見たいんだな」とオーディションから伝わってきた。 それこそまさに、トニーではないか。 与えられたり見つかったりした手がかりの 一つ一つを、一瞬にして、しかも物凄く本質的に、 捉える翔太持ち前のセンスと、 やはり翔太持ち前の、脱帽する他ない勇敢さで、 翔太にしか表現できないトニーを切り拓いた。 本当に対照的な2人のトニーだったけれど、 演じた2人のお名前にそれが象徴されていたことが わたしにはとても運命的に思われた。 大切な人や、自分なりの真実を、守りたいトニー。 新たな世界を求めて、蒼い空高く飛翔するトニー。 対照的でいて、確かにどちらも、トニーだった。 マリア、北乃きい。 オーディションの時から、一般的なマリア像、 通り一遍のヒロインとは一線を画すような、 熱と情念、そして同じだけの繊細さが、感じられた。 若さゆえに兄から色々と押さえつけられてはいても 既に情熱と官能が成熟した、プエルト・リコの女。 ベルナルドと同じ、熱く誇り高い血が流れていて、 たった1日だけでも、一生分の愛を生きることが できる——きいちゃんは、そんな説得力を持って、 マリアを生きてくれたと思う。 マリア、笹本玲奈。 これほどミュージカルを知り尽くした女優が これほど裸で飛び込むということそれ自体に、 オーディションでも、稽古でも、本当に多くを 教えてもらった。裸で飛び込むからこその、 少女が女になる直前の、儚い煌めきと愛らしさ。 舞台上で起きて転がった全て、命も死も、 本当に全てを、その身に引き受ける、 あのとてつもない大きさ。強さ。そして気高さ。 玲奈ちゃんに、大きな愛を、見せてもらった。 アニータ、樋口麻美。 太陽のように、熱くあたたかいアニータ! 全てを受け止め、全てを受け入れられるほどに 大きな器を、絶えず愛や悲しみでいっぱいに 満たして、アニータを生きてくれた。 アニータ、三森すずこ。 自信がなさそうにも見えた稽古の最初の頃が、 今ではもう信じられない。 花って、大輪の花って、こうやって咲くのかと思う。 愛と自信が大輪に咲き誇る、強く美しいアニータ。 リフ、小野田龍之介。 ブレなくて頼れるリーダーでありながら、実は一番 やんちゃで、負けず嫌いで、いちいち何でも悔しくて、 甘えん坊。本当はジェッツを一番必要としているのは リフだって、リフ之介は心から納得させてくれた。 リフ、上山竜治。 何も持っていない若者が、まるで全てを持っている 者かのような優しさで、仲間たちを丸ごと愛していた。 それがとても頼もしく、同時に切なくもあった。 男の気骨、その脆さは、竜治ならではのリフだった。 ベルナルド、中河内雅貴。 何て愛の大きい男だったろう。 でっかい夢を見て、仲間と家族を愛し抜き守り抜き、 手が届かな��ことを心底悔しがって、時に吠え、 世界に立ち向かう。男だね。雅のベルナルド。 ベルナルド、水田航生。 シャークスならではの隙のない物腰と殺気。 恋人はもちろん妹や仲間たちに対しても細やかで 紳士的で、余裕と器の大きさを感じるけれど、 敵に回すと実は一番怖い。それが航生のベルナルド。 ドク、小林隆。 こばさんのドクは、トニーだけじゃなくジェッツを、 そしてこの荒んだ街での営みの一つ一つを、 たゆみなく、時に父のような厳しさで、愛してくれた。 作品世界を映し出す、鏡のような存在。 シュランク、堀部圭亮。 シュランクの存在によって物語は常に追いつめられる。 戯曲より今回、それが際立ったのは堀部さんのお力だ。 現代東京とは全く違った警察という存在を 理屈でも理屈じゃない部分でも体現してくれた。 クラプキ、吉田ウーロン太。 作品世界において本当に大切な警察という存在の うち、シュランクとはあまりに対照的な一面を、 ウーロン太さんはたった1人で担ってくれた。 グラッドハンド、レ・ロマネスク TOBI。 TOBI さんは3つの役を通して、 物語が曲がり角を迎える時に必ずいてくれた。 大切な役回り、ありがとうございました。 アクション、田極翼。 超絶頼れる我らが(ダンス)キャプテン翼。 芝居の面でも、まるで生まれ変わったみたいに 目覚しい変化を見せてくれた! ビッグディール、樋口祥久。 矛盾を抱えて複雑なビッグディールという人物を、 ぐっぴーは繊細で柔らかな感性で演じてくれた。 A-ラブ、笹岡征矢。 ベビージョンとA-ラブの2人が物語で辿る旅が、 かつてのトニリフと完全に重なるということを、 征矢の芝居が教えてくれた。 ベビージョン、工藤広夢。 工藤広夢の【いま】に『WSS』上演が重なった 奇跡を、演劇の神さまに、幾ら感謝しても、 感謝し足りない。 スノーボーイ、穴沢裕介。 スノーボーイからリフへの愛とリスペクトが 徹底的に貫かれていたことが、ジェッツの底力の 基礎になっていたと思う。 ディーゼル、小南竜平。 無口で頼れるディーゼルそのもの!芝居の話を するたびに、竜平のまなざしの細やかさと深度に、 いつもいつもハッとさせられた。 エニィバディズ、伊藤かの子。 オーディションで一目惚れ��たエニ子! この作品世界の描く希望を、そして絶望を、体現し、 背負い、繋ぎ、抱きしめさせてくれた。 グラッツィエーラ、酒井比那。 たった1人でリフとのあのとんでもないダンスを 78回踊りきってくれたことに拍手したい。 リフを亡くした後の芝居、好きだったなぁ。 ヴェルマ、今井晶乃。 一分の隙もない美しさとシャープさ、 これぞ誇り高きジェッツ・ガール! かと思えばバレエでは、浄化を体現してくれた。 ザザ、井上真由子。 ジェッツの複雑な男女関係を一手に引き受けた その姿、かっこよくて、哀しくて、大好きだった。 ホッツィ、笘篠ひとみ。 小柄でキュートなとまちゃんが、踊り始めると 空気が変わる。ジェッツ男子も顔負けの切れ味、 これぞ COOL! マグジー、鈴木さあや。 ダンスパーティでもスケルツォでも 子鹿のようなダンスと存在感を見せてくれた。 ジェッツにも希望がある、といつも思えた。 チノ、高原紳輔。 大人なチノだからこその悲劇を見せてくれた。 「一つ違ったら、チノは王子さま」それを 体現しつつ、それに囚われずにもいてくれた。 ペペ、斎藤准一郎。 表情の豊かさと、クールなシャークスの ナンバー2を、絶妙のバランスで生きてくれた。 コンスエロとの睦まじさ、好きだったなぁ。 インカ、前原雅樹 aka パッション。 パッションのインカが持つ熱さと暖かさと、 ジェッツに対して見せる猛烈な怒り。 その振り幅に、いつも釘付けだった! ボロ、東間一貴。 シャークスの中で突出して爽やかに見せて おきながら、真っ先にトニーに飛びかかっていく あの熱さ。忘れられない。 ティオ、渡辺謙典。 大人っぽい佇まいのけんけんティオなのに、 フェルナンダとのカップルっぷりは とってもキュートで‥‥素敵だった! フェデリコ、橋田康。 ダンスパーティでの色っぽさはシャークス 随一だったと思う。いつも目を奪われていた。 コンスエロ、大泰司桃子。 桃ちゃんの頼れるコメディエンヌっぷりが 思う存分発揮されたということは、シーズン1の 成果の一つではないかとさえ思う。 しかも、我らが頼れるヴォーカルキャプテン。 フェルナンダ、山崎朱菜。 あんなにハードな『アメリカ』のナンバーを あんなに嬉しそうに楽しそうにキラキラ踊る人が、 いや踊れる人が、他にいるだろうか! ロザリア、田中里佳。 ガールズにどんなにプエルト・リコを悪く 言われても、ロザリアの心のプエルト・リコは いつも変わらず、負けずに、美しい。その強さが 『アメリカ』には不可欠だった。 アリシア、内田百合香。 ブレないロザリアの隣で、プエルト・リコへの 悪口に心を痛めたり憤慨したり、そして最後には‥‥ くるくる変わる表情にいつも楽しませてもらった。 ベベシータ、淺越葉菜。 『アメリカ』では地に足ついて自信に���れて‥‥ でもバレエの時は幻想を全て纏うかのような、 心溶かす美しさ! 最高に頼れる、我らがダンスキャプテン! スウィング、大村真佑。 ジェッツの一員アイスとして毎公演『Cool』を 踊り、公演によってはバレエもセンターで踊り、 アシスタントダンスキャプテンでもあって‥‥ 大活躍の、頼れるダイソン。 スウィング、畠山翔太。 翼の代わりにアクション役を務め上げた 勇姿はシーズン1の忘れ難き光景の1つだ。 日々シャークスのニブルスを演じ、 バレエも踊り、その上ファイトキャプテンも‥‥! スウィング、脇坂美帆。 シャークスとしてダンスパーティを艶やかに彩り、 時にはバレエもセンターで踊り‥‥ 頼れるアシスタントダンスキャプテンとしても 日々活躍してくれた。 スウィング、矢吹世奈。 『アメリカ』での、独特のウィットと女っぽさ、 茶目っ気ある色気に溢れた魅せ方は実に鮮やか! 存在感があって、流石だった。 41人の出演者全員、それぞれに、心から、 ありがとうございました。 「〜してくれた」という表現は ちょっと上からな印象を与えてしまうかも 知れないが、舞台に立って物語を伝えるということが どれだけ大変か、そして勇気の要ることかを知り、 かつそれを見せてもらう立場であった わたしなりの、精一杯の言葉のつもりです。 次は演出補でなく演出家としてみんなに 再会できるよう、精進したいと思います。 本当はこのままスタッフ一人一人についても 書きたいけれど、絶対に行き届かないことに なってしまう気がするので、割愛します。 最後に、 『ウエスト・サイド・ストーリー』シーズン1を ご観劇いただいた皆さま、 愛してくださった皆さま、 ありがとうございました。 次は演出補でなく、 わたしの演出家としての仕事をご覧いただけるよう、 精進したいと思います。 (敬称略) 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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『WEST SIDE STORY』再び
わたし薛 珠麗の次回作が発表になりました。 IHIステージアラウンドにて2019年11月より上演される、 『WEST SIDE STORY』日本キャスト版です。 わたしは演出補を務めます。(→ ご案内はこちらです) 2018年1月には東京で、同年夏には大阪で、 宝塚歌劇団宙組が公演した『WEST SIDE STORY』で わたしは翻訳を担当し (訳詞は演出補も兼ねた稲葉太地さんが手がけられました) この作品のあまりの、凄まじいまでの奥深さに、 演劇をつくってきた年月の全て、 いや生まれてからの年月の全てが、 根底から揺さぶられるような経験をしました。 宙組『WEST SIDE STORY』は、 スタッフの皆さん一人一人の愛と真剣が行き渡った作品世界に 出演者一人一人、オーケストラの皆さん一人一人が 全身全霊で生きていて、一瞬一瞬が本当に素晴らしい舞台でした。
『WEST SIDE STORY』に出逢えた。 それだけでその演劇人は、幸運な演劇人です。 この作品に出会えた演劇人の多くが、そう考えると思います。 わたしの翻訳は契約により、歌劇団から一歩も持ち出せません。 しかも宝塚では50年で3回めの上演でしたから、 わたしがこの作品に関われるのは 宙組公演が最初で最後だと思いました。 悔いが残らないよう、 稽古や本番中はわたしが作品に対してできることを全てやりきり、 この作品で学んだこと、考えたことを100%、 本当に100%文字化し‥‥ 2018年8月9日に梅田芸術劇場で千秋楽を終えてからは お世話になった愛する皆さん一人一人にメッセージを送り、 区切りのブログ(→リンクはこちらです)も書き‥‥ 「よし!これでお別れは済ませたぞ!もう思い残すことはない!」 と思った、その数日後。 入れ違うようにして、 わたしの2回めの『WEST SIDE STORY』が始まったのです。 オファーの最初の電話が鳴ったのは、 何と宙組『WSS』打ち上げの真っ最中でした。 (要するに、演目を告げられたのは最初の電話よりしばらく後、 だったのでした) まさかまさかの、2回めの『WEST SIDE STORY』。 一世一代の『WEST SIDE STORY』が終わった直後の、 一世一代の『WEST SIDE STORY』のオファーは、 まさに【人生最大級のびっくり】でした。 実は、宙組公演で翻訳を担当したのをきっかけに、 わたしは20年続けた翻訳の仕事を、引退したのです。 理由は、 こんな素晴らしい作品に出会えたことで、 翻訳家として、すっかり気が済んだこと。 こんな素晴らしい作品に出会えたことで、 「わたしが本当にしたいのは演出なのだ」と、思い知ったこと。 「もうわたしは、演出家として勝負しよう。退路を断とう」 公演期間中にそう決意して、 2日後には色々な方へのご挨拶の文を送り終え、 その更に2日後の千秋楽には、すでに引退した身になっていました。 宙組『WEST SIDE STORY』のおかげで、 わたしは思い切ることができたのです。 そんなきっかけをくれた同じ『WEST SIDE STORY』に、 再び挑みます。 今度は演出家から作品を預かる、演出補として。 『WEST SIDE STORY』に、2回も出会えた。 わたしの演劇人生は、幸せな演劇人生になりました。 宙組『WEST SIDE STORY』の皆さんへの、 今も溢れそうな尊敬と感謝と愛を胸に、 あの素晴らしかった、大好きだった舞台に恥じぬよう、 これまで培ってきた全てを燃やして、 新しい仲間たちと人生で2回め、 そして今度こそ最後になるだろう『WEST SIDE STORY』に、 立ち向かおうと思います。 港の街に移民の娘として生まれたわたしが この、移民同士の抗争と悲劇の物語を届ける一翼を担うことにも、 何か意味があるのかもしれない――そんなことも、思いながら。 どうぞ、廻りに来てください。 豊洲マンハッタンで、お待ちしています。 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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わたしの原点。
わたしはいつも、永遠に語りかけるように、 演劇をしている気がする。 わたしは牡羊座だ。 牡羊座の人は、 「人は、社会は、世界は、こうあるべき」という 熱くて真っ直ぐな理想を、 愚直なまでに信じて突き進む――という一面があるらしい。 だとしたらわたしは多分、とても牡羊座らしい人間だ。 演劇に取り組むアプローチも、牡羊座的、かもしれない。 生来の性質に加え、生まれと育ちの特殊さもあって、 わたしは幼い頃から、色んなものを常に 【わたし】対【全世界】という構図で捉えてきた気がする。 何しろ生まれた時から 「どこに行ってもアウトサイダー」な身の上である。 それに、永遠の別れの多い子供時代でもあった。 永遠の別れといっても死ではない。 「この友にわたしは多分、二度と会うことはできないのだ」という 覚悟を、物心つく前から毎年毎年、させられた子供時代だった。 (要するに、インターナショナル・スクールだったので、 「仲良くなった級友が遠い国に行ってしまう」が日常だったのだ。 いずれ Facebook などというものが出現するとは当時知る由もない) 常に【海の向こうの、世界の果て】【永遠の果て】に 想いを馳せて、空とか海とかをぼ~と眺めている子供だった。 横浜の港、それを見下ろす丘、というのは そんな人間を育むのに絶好のロケーションでもあった。 そんな様々な要素によってわたしは、 【永遠】とか【理想】とか、そういった遠大なものに 常に手を伸ばしていたい演劇人に、なった気がする。 追いかけても追いかけても絶対に指さえかからないような、 圧倒的に美しかったり尊かったりする、究極なものに、 強い憧れを持っている。 そんなわたしが惚れ込み、選んだ師匠は、 わたしより更にそういう演劇人ではないかと思う。 通訳兼アシスタントを務めた19年間を経て、 勝手に【師匠】と呼んでいるデヴィッド・ルヴォーは これまた、牡羊座同様【理想家】とされる射手座の男だ。 師匠からは本当にたくさんのことを学んだけれど、 というより わたしの演劇の全ては元を辿れば彼に行き着く、 と云っても過言ではないほどだけれど、 彼に学んだ一番大切なことの一つは、 「踊りたくて踊れなかった魂のために 歌いたくて歌えなかった魂のために」 演劇をする、ということだ。 『マクベス』を演出する彼の通訳をした時に学んだことだ。 もう22年前になるか。 そういう言葉を彼が実際に言ったのか‥‥ はもう、覚えていない。 彼自身がそれを念頭に置いて演劇をしているのか‥‥ と聞かれたら、それはきっとそうではないだろう。 多分、彼が『マクベス』の三人の魔女を創る上で 構想したモティーフ、描き出したイメージを知る中で、 わたしが勝手に紡ぎ出した言葉だったのではないかと思う。 『マクベス』で師匠は、 ���史上人類が起こしたあらゆる戦争を描き出そうとした。 そして魔女たちは、 その犠牲になった全ての女たちだった。 オープニングで師匠は、戦場でのレイプシーンを描いた。 そして魔女たちをその奥から、歌うように踊るように、 出現させたのである。 理不尽によって命や自由や尊厳を奪われた、全ての魂。 彼ら彼女たちの生と死の上に、わたしたちは生きている。 そしてこうして、演劇をしているのだ。 思えばその頃、師匠は繰り返し、 社会によって自由や尊厳を奪われた女性を描いた。 それによって知られもし、評価もされた演出家だった。 『エリーダ~海の夫人』のエリーダ、 『テレーズ・ラカン』のテレーズ、 『ヘッダ・ガブラー』のヘッダ、 『エレクトラ』のエレクトラ、 『ルル』のルル、 『令嬢ジュリー』のジュリー‥‥ これはわたしは関われなかったけれど、 『人形の家』のノラもそうだったろう。 その中で彼は繰り返し、女優たちに説き続けた。 「何千年、何百年、何十年も昔に書かれた戯曲が 今も演じ継がれているということは、 その何千年、何百年、何十年の間に 同じ想いで生きて死んだ多くの女性たちの声を、 この戯曲は代弁しているということだ。 その全ての女性たちの叫びを、 貴女が代わりに叫ぶのだ」 この言葉は、 かの女たちを演じた、かの女優たちに 刻まれたのと同じくらい、 それを自分の肉体を通して説き続けた わたしの中にも刻まれた。 いや、この言葉を伝え、刻むための 日本語の言葉を選び、 それを何度も、声を言葉を、尽くして訴えたという 実感が残る分だけ、わたしにこそ 強烈に刻まれてしまったかも知れない。 デヴィッド・ルヴォーは人の人生を 変えてしまえる演出家だ。 人生を変えられてしまった当人が言うのだから間違いない。 だから人の人生を一撃で変え得るような、そんな言葉を 通訳兼アシスタントのわたしも臆することなく選び、 稽古場で日々お見舞いしていた訳だが、 それを一番食らったのは、そんなことを19年間も 続けたわたし本人であったとしたら? いやはや、笑えない‥‥ 演劇通訳というのは斯くも凄まじい仕事であった。 そうしてわたしは、 わたしなりにではあるけれど、 永遠と対峙し、 命とか死とか運命とか そういった絶対のものに対して声をあげる、 抑圧とか戦争とか そういった理不尽に立ち向かう、 そんな演劇を創ることを標榜する演出家になったと思う。 (標榜するのは自由だ!!) わたしが一番大切にしていることは、 25年も前に出逢い、 「この人」と見込んで19年間も共に歩んだ、 師匠からもらったもの—— ‥‥と、長らく思ってきた。 が、今年!そんなわたしには、 師匠との出逢いより更に昔へさかのぼる、 原点が存在することに、気づいたのだ! それは、ハイスクールの修学旅行で行った、広島だ。 その時のことを以前、ブログに書いた。 『芝居とのなれそめ』と題して書いた一連のブログ記事の 一つとして。(→リンク) 実はこのブログ記事では 広島での、一番強烈な体験のことは書いていない。 このブログ記事の中で言及している、 某女性ファッション誌に投稿して佳作入選したエッセイにも、 広島での一番強烈な体験のことは書かなかった。 理由は単純。あまりにも‥‥あまりにも‥‥ 【中二病】だからである‥‥! しかし、この大切な気づきがあった2018年の大晦日である今日、 書いてしまおうと思う。 修学旅行で行った広島で被爆者の方の講演を聞きながら、 わたしは実は、声を聞いたのだ。 何十万もあろうかと云う声のかたまりが、 晴天だったその日の広島の空から降ってきた。 平和記念館の屋根を突き破って、降ってきた。 何十万もの声が一気に声を合わせることは、 多分、物理的に、不可能だ。 一番遠くにいる人の声は遅れて聞こえるはずだから。 でもわたしには、聞こえるはずのない何十万の声が、 世界に轟くオルガンのように一つの複雑な和音となって、 叫ぶ声が確かに聞こえた。 それは言葉だった。 何と言ったかと云うと、疑いようもなくはっきりと、 「あなたが伝えて」と、そう聞こえたのだった。 何十万というのはもちろん、 広島の原爆で亡くなった人の数になぞらえている。 その音は、声は、言葉は、 ただただ大きくて、ただただ包むようで、光のようだった。 想像を絶する苦しみで奪われたはずの命たちが 何十年の時を超えて轟かせる声には、 一片の恨みも怒りも苦しみも、混じってはいなかった。 輝いて清らかで、一点の曇りもない、 「光のよう」としか言いようのない、 願いであり、祈りだった。 少女だったわたしはその清廉さ、気高さ、大きさに まさに雷に打たれたようになって、 涙がいつまでも流れて止まらなかった。 「中二病」と笑うなら笑え。 でもわたしははっきりと、全身で聞いたし、 そう感じたわたしの感覚を、 そう残っているわたしの記憶を、 誰が否定できると云うのだろう。 その声から4年後、わたしは「伝える」手段として演劇を選んだ。 そうして演劇の道を歩き始め、2019年で25年になる。 その声に導かれて歩んだ一人の人間の人生の25年間を、 誰が笑えると云うのだろう。 ‥‥と、そんな話を、 今年2018年の10月のある日、していたのだ。 せんだい卸町アートマルシェというアートフェスに 演出作『注文の多い宮沢賢治』を持って行くにあたり 稽古していた時のことである。 このブログ記事にも書いた、最終稽古の日だ。(→リンク) 思いのほか順調に進んだ日で、 「最後の通し稽古の前に長い休憩を取ろう」ということになり 準備しつつもお喋りなどもしていたのだった。 その時に、出演者の森田学さんから 「珠麗さんはどんなきっかけで芝居を始めたんですか」 と訊かれたことが嬉しくて、すっかり調子に乗って 広島での体験の話もしてしまったのだった。 その時ふと、わたしは気づいた。 「わたしは、あの声を舞台で聞きたくて、 演劇をしているのかもしれない」と。 上記のブログにも書いたけれど、わたしはこの舞台で 「これまで地球で生きた全ての命をその肩に背負え!」 くらいの凄まじく大きな課題を学さんに、課していた。 それはもちろん、作品が要求することでもある。 『注文の多い宮沢賢治』は、 何者にもなれないまま死にゆく全ての命、 その無力さも、気高さも、 ���てを飲み込んで続いてゆく生命の理と営みをテーマに 30分間一人で演じる、超大作ミュージカルなのだ。 その中でわたしは学さん演じる賢治さんに、 何者にもなれないまま死んでゆく自分の無力さに 死すら追いつかないほどに、絶望してほしかった。 その絶望の中で七転八倒した末に、 無力と虚しさのその向こうにあるはずの、 もっと大きい何かに、目覚め、そして手を伸ばしてほしかった。 そうした時に初めて辿り着け得る境地に辿り着いてほしかったし、 そうなった時に初めて見え得る景色が、見たかった。 いや『注文の多い宮沢賢治』だけではない。 日常のものさしで計れない大きな感情を扱う時、わたしは俳優に、 その感情を感じたことのある全ての人、 今まさにその想いに胸かきむしって生きている人々、 わたしたちのDNAに残る全ての叫び、 彼ら彼女たちの想いを全て引き受け、渾身で叫べ!と 要求するようなところが常にある。 それはとても高い要求だが、 わたしはそこを諦めないし引き下がらないし その部分については相当にしつこい演出家であると自分では思っている。 そんな境地に辿り着きたい!というわたしの飽くなき強欲は、 師匠からもらったものだとずっと思っていた。 それは違った! 広島で受け取った(と思った)メッセージは 演劇を続ける中でわたしの根幹にあるもので 片時も忘れたことはなかったけれど、 でもそれだけではなかったのだ。 あの声だったのだ。 あの言葉だったのだ。 あの祈りだったのだ。 広島で聞いたあの一点の曇りもない、大きな、 ただひたすらに大きな祈りを、あの世界オ���ガンを、 わたしは舞台上で、聞きたかったのだ。 舞台の上から世界と対峙し訴えかける時、 わたしはそれが、あの何十万の祈り、 あの混じり気のない、澄みきった、 つまりは揺るぎなく強く、そして愛に溢れた祈りに、 恥じないものであって欲しいのだ。 広島で受け取ったものを「伝えたい」とずっと思ってはきたけれど、 わたしはあの声そのものを舞台の上で聞きたいのだという、 その自覚をわたしはちっとも持たないできてしまった。 師匠に貰うよりずっと前に、 わたしはもっとずっと大きな存在から その指針を貰っていたのだった。 師匠はむしろ、その声に 名前を、言葉を、与えてくれた人だった。 今の今まで、わたしはそれに気づかなかった。 しかし気づいて、心の底から納得した。 大げさに思う人もいるだろう。 でも、世界が変わることで一人の人間が変わる、 一人の人間が変わることで世界が変わる、 それが演劇だとわたしは思う。 少なくともわたしはそういう演劇が好きだ。 そういう演劇が観たいし、そういう演劇を創りたい。 「世界が動く」時、そのどこかには必ず、 切実な祈りがあるはずだと思うのだ。 真摯な祈りもあるだろう。 抑えがたい憤激の告発もあるだろう。 でも祈りの、叫びの、切実さこそが 人の心を打つのではないかとわたしは思う。 そんな自分の原点に、気づけた2018年だった。 2019年に向かうにあたり、改めて、指針としたい。 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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演出作『注文の多い宮沢賢治』@せんだい卸町アートマルシェ、無事終演しました!
これからは、手がけた作品についてのブログを真面目に書こうと思う。その第一弾!
演出作である短編一人芝居ミュージカル『注文の多い宮沢賢治』の仙台での公演が終了した。 せんだい卸町アートマルシェというパフォーミング・アーツを中心にしたフェスの一環だ。 会場は仙台駅から4駅行った「卸町」から徒歩10分の、せんだい演劇工房10-BOX。 わたしがvol.2とvol.5の男性版を演出した【一人芝居ミュージカル短編集】(=略して【ひとみゅー】)の vol.3で初演されたこの作品を、わたしは有志による自主公演『三人寄っても一人芝居』(=2018年4/6~8、於:高円寺Grain)の際に演出した。出演は、初演から続投の森田学さん。 今回は脚本を書かれたモスクワカヌさんのエントリーで実現した仙台公演だった。 メンバーは作者=モスクワカヌ、出演=森田学、編曲とピアノ演奏=伊藤祥子、演出=わたし薛 珠麗、の計4人。(伊藤祥子さんとわたしは『三人寄っても一人芝居』からの続投)仙台でわたしたちは【チームモスクワカヌ】と呼ばれた。
半年ぶりの再演ということで、組まれた全体稽古は3回。 ただわたしとしては、作品の根本から見直したかった。 といっても、表現の方向性や演出、ステージングを変えようというのではない。 それらを更に研ぎ澄ますために、テキストとの結びつきや俳優のプレゼンテーションをより本質的にしたかったのである。 ので、全体稽古の前に出演の森田学さんと本読みからやり直したり、という時間を設けた。 学さんは初演と『三人寄っても一人芝居』の間にこの演目を大阪でも演じている。つまり、今回で、4回め。 そこを、あえて、本読みからやり直し。
何故そこまでしたかったかというと、4月の『三人寄っても一人芝居』の時に、この作品が驚くほど奥深かったのと、実は俳優より歌手としてのキャリアが長い学さんの俳優としての底力が、音を立てて伸び上がっていったからだ。 作品の、この俳優の、可能性を更にもう一歩。いやいけるところまで。舞台の上で切り拓きたい。 演出家としての欲、大!暴 !! 走 !!! である。
『注文の多い宮沢賢治』というタイトルは当然、賢治の代表作の一つ『注文の多い料理店』を思わせるし、ちょっとユーモラスな印象だが、この作品はそれだけではないのだ。 たった37歳で病没した宮沢賢治が実際に見つめたかもしれない、生そして死、自分自身そして全ての命に対する葛藤が描かれた、短くも壮大な感動巨編である。 (演出がそうなっていたかは別として、少なくとも脚本は!)
��った30分の芝居と歌で、演劇は、いやわたしたちのつくる演劇は、どれだけ生を、死を、命を、見つめ、そして問い直せるだろうか。 これは大変な宿題だ。 大変な宿題を、作者=モスクワカヌ、作曲家=伊藤靖浩、そして2人を通して宮沢賢治その人から託されたように感じながら、この作品に再び、挑んだ。(学さんは4回めだ!) この物凄く重く大きな宿題に、学さんはきちんと俳優としてのプロセスを踏みながら、向き合い、取り組んでくれた。 一つクリアするごとに更に重く大きな宿題を課してゆくわたしのスタイル(わたしのイニシャルは【ダブル・ドS】とよく言われる。主に俳優たちによって)に、学さんは静かにひたむきに、応えてくれた。
「きちんと俳優としてのプロセスを踏む」というのはどういうことかというと、学さん、一度は逃げたのだ。 もちろん、稽古に来ない、とかそういうことではない。(時にはそういう人もいるけれど) 台詞やそこから湧き上がってくる感情にジャストミートせずに、全てにふわふわ、軟着陸。 ただ、学さんの名誉のために書いておくが、これは俳優としては非常に健全なプロセスだ。 「これまで地球で生きた全ての命をその肩に背負え!」くらいの課題を与えているのだ、 逃げるくらいの恐怖を感じて当然だ。 むしろ、コトの重大さを分かってくれて、ありがとう。 「ハイハイできますできます~」と軽くこなす俳優を、わたしは到底、信用できないだろう。 ふわふわ軟着陸状態で通し稽古をして「このままじゃダメだ」と自分が骨身にしみて痛感して初めて、物語を背負うという途轍もない役目を負えるようになる――演出家としては、そういう俳優の方が、ずっとずっと信じられるし、一緒に歩みたい。 【ふわふわ軟着陸】通し稽古からの学さんのリカバリー?反撃?は素晴らしかった。 勇者である。間違いなく。よくぞ背負ってくれた。あれだけ託したものを、全て。 稽古場での最後の稽古で「これは、いい作品になる!!」という手応えを、チームモスクワカヌは手にできた。
そこでの不可欠な要素として、伊藤祥子さんによるピアノを挙げたい。 今回、仙台での舞台は、『三人寄っても一人芝居』の時とは「これほど違っちゃうことって可能?」というくらい、アクティング・エリアの形状が違った。 形状の都合上、今回ピアノは舞台奥、ピアニストが常に観客と向き合う形で配置するのがベストだろうということになり、稽古場での最後の稽古ではそれが再現可能だったので、実践してみた。 すると、どうだろう。 一人芝居ミュージカル『注文の多い宮沢賢治』が、その瞬間から二人芝居になった。 星々の世界でたった一人、生と死と命と向き合う賢治さんの隣に、共に歩む存在が現れた。 その存在が戯曲と合致し過ぎていて、最後の通し稽古を観ていて鳥肌が立った。 伊藤祥子さんはそれを感じ取り、賢治さんと時に息を合わせながら、時に一歩リードしながら、共に歩む存在としてピアノを奏でてくださった。 豊かな演劇の場でしばしば起きる小さな、しかしかけがえのないミラクルを目の当たりにして、 わたしたちは「これは、いい作品になる!」という手応えを一層強くした。
かくして、仙台。 劇場でのリハーサルは仙台入りした日の夜だった。 自分たちで準備してきた作品を、その日初めて会��たテクニカルのスタッフの皆さんと共に舞台に載せ、仕上げるのだ。 この恐怖をどう説明したら、演劇をしない人にも伝わるだろう。 【場合によっては公開処刑】で伝わるだろうか。 テクニカルや現場のスタッフの皆さんなしでは、演劇作品は完全に無力だ。 生かすも殺すも、テクニカルや現場のスタッフの皆さんのお心ひとつ。 その皆さんが、自分たちの味方かどうか分からない‥‥!のである‥‥!!
しかし蓋を開けてみたら、そこには味方しかいなかった。 わたしたちの作品の面倒を見てくださったテクニカル及び現場のスタッフの皆さんは、爽やかに前向きに丁寧に、愛と興味をもって、初めて観るわたしたちの作品と、向き合ってくださった。 静かに淡々と、でも物凄く献身的に、作品のために力を尽くしてくださった。 「ゲネプロができなかったら‥‥」という不安をわたしたちは抱いていたが、丁寧なリハーサルをして、かつ最後にはちゃんとゲネプロができた。 しかもそのゲネプロを、全員が観てくださった。 【感謝】以外に言葉が見つからないのがもどかしい。 チームモスクワカヌは嬉し過ぎて、気がつけば素面だというのに車道の真ん中を歩いていた。 (夜の卸町は車があまり通らなくて本当に良かった‥‥!) 【リハーサル打ち上げ】と称して牛たんやお刺身を肴に乾杯したのは言うまでもない。
明けて、本番当日。 2年めを迎えたというせんだい卸町アートマルシェは2018年10/11~14の4日間行われた。 わたしたちの舞台は10/11、12の2回。 2本で1公演で、初日は仙台を拠点とするコンテンポラリーダンサー=渋谷裕子さんによる『針が飛ぶ』との、 2日めは【柿喰う客】玉置玲央さんの一人芝居『いまさらキスシーン』との、カップリングだった。
本番のことは書くまい。 本番は、ご観劇くださった観客の皆さんのものだ。 ただ、東京や大阪からもこの作品を追いかけてお運びくださったお客様がいらっしゃったということを、ここに記しておきたい。 アウェイにも思えるほど遠い(と、思っていた)地でもこの作品を愛する方がいてくださるというのは、この上なく心強かった。
そうして、初日の夜には【初日打ち上げ】と称して、 楽の舞台が終わって【打ち上げ】と称して仙台駅で1次会を、新幹線の車内で2次会を、 いちいち開催し、いちいち美味しいお酒を飲んだことは言うまでもない。
せんだい卸町アートマルシェの初日は、あいにくの雨だった。 前夜、楽屋で「結構な雨男」だという玉置玲央さんと【言語道断な晴れオンナ】であるわたしとで「一騎打ちだ!」と盛り上がったのだが、初日は残念ながら玉置さんに軍配が上がってしまった(いや玉置さんだっ��別に勝ちたくて勝っているわけではないのだが)
しかし2日めは、気持ちのよい秋晴れだった。 晴れてみると、そして本番という重圧が解けてみると、卸町アートマルシェはそれはそれは素敵なお祭りなのだった。 稽古も本番もできるスペースが幾つも並ぶ真ん中に、ウッドデッキがちょっとした広場みたいになっている。 そこでパーカッショニストがパフォーマンスをしたり、さっき舞台���終えた出演者がアフタートークをしたり、【おろシェフ】といって、このフェスを盛り上げる役割を担った皆さんが観客のリクエストに答えて即興リーディングをしたり。 この広場を囲むようにして、お店も出ていた。キッチンカーが出て、日本酒も飲めて、おみくじが引けて、フェスのグッズや手作りの小物が買えて、似顔絵を描いてもらえて、青空の下で語り合ったりもできるのだった。 楽の舞台を終えて、わたしはキッチンカーで買った牛たん団子を肴に、珍しいにごり酒の熱燗(しかも100円!素晴らしい!そして危険!!)をいただいた。
東京の劇場では終演後、楽屋やロビーや場内で顔見知りの観客の皆さんや芝居仲間たちの感想を伺うという交流の時間がある。わたしはそれをいつも、緊張と共に楽しみにしている。 しかしせんだい卸町アートマルシェ略して【おろシェ】では、はじめましてのお客さまに、青空の下で、声をかけていただけるのだった。お祭りの空気の中で「山形から観に来ました」と声をかけていただくなんて、おろシェでしか味わえない幸せだ!
改めてチラシを見ると、わたしたちが加えていただいた【COMBINATION STAGE】というラインナップには【演劇】【ミュージカル】【コンテンポラリーダンス】のみならず【タップダンス】【舞踏】【スタンダップコメディ】【シャンソン】【マジック】といったジャンルが並んでいる。 なんて豊かな、祭だろう! 今回わたしたちは、まるで「メダルをとって授賞式だけ出て、閉会式には出ずに帰国するオリンピック選手」みたいな気持ちで帰って来てしまったので(気持ちね!気持ち!)、もしいつかまたチャンスがあったら、その時は絶対にフィナーレの【芋煮会】までいたい!と思った。
『注文の多い宮沢賢治』を生み出してくださった宮沢賢治さん。モスクワカヌさん。伊藤靖浩さん。 特に、この作品を仙台に連れて行ってくださった、モスクワカヌさん。 こんな大きな作品に勇敢に立ち向かって、見たかった境地を見せてくださった、出演の森田学さん。 物語に寄り添うことで、この作品をより深め、より大きなものにしてくださった、編曲とピアノ演奏の伊藤祥子さん。 この作品を仙台で上演することを可能にしてくださった、せんだい卸町アートマルシェの、制作、照明、音響、舞台監督をはじめとした各部署の、スタッフの皆さん。 一緒に舞台に立ってくださった、渋谷裕子さんと玉置玲央さん。 特に、【おろシェフ】としてこの祭りを盛り上げ、突発アフタートークに声をかけてくださった、玉置玲央さん。 そして、ご観劇くださった全てのお客さま。 優しく美味しく迎えてくれた、仙台の街そのものにも。
本当にありがとうございました!
以下、写真です。

↑ 稽古中の学さん。

↑ 稽古場ラスト稽古。

↑ チームモスクワカヌ in 東京駅!

↑ せんだい卸町アートマルシェでの本番を支えてくださったスタッフの皆さん。

↑ 劇場でのリハーサルを終えてホッとしているチームモスクワカヌ。

↑ 秒でなくなった牛たんを慌てて撮る、誰かのスマホ@リサーサル打ち上げ。

↑ 山形から作曲の伊藤靖浩さんのお母ちゃまが初日を観に来てくださった!
尚、初日打ち上げは全員幸せすぎて、誰も1枚も写真を撮っていません。笑

↑ 2日め、晴れた!

↑ 劇場である、Box-3。

↑ 楽の舞台の開演直前の、出演者(黒い人)とピアニスト(黒い人)と演出家(赤い人)。

↑ おろシェフ=玉置玲央さんと、突発アフタートーク!

↑ にごり酒の熱燗、絶品でしたっ!

↑ おろシェフ=玉置玲央さんとチームモスクワカヌ。 三御堂島ひよりさん、最高でした。また会いたい。

↑ ありがとう、せんだい卸町アートマルシェ。

↑ ありがとう、仙台の街と、青空!

↑ 楽日打ち上げ2次会@新幹線。

↑ 会場に【赤い糸掲示板】というのがあって、そこに劇中のワンシーンの絵を描いてくださった方がいらっしゃると、ツイッターで知りました。 チームモスクワカヌ、泣いて喜びました。 誰かの心には届いたんだ。こんな幸せなことはないです。 「青いぴかぴか」さん、ありがとうございました!
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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翻訳作品『WEST SIDE STORY』が終了しました。
わたしが翻訳した宝塚歌劇団宙組公演、 ミュージカル『WEST SIDE STORY』が終了した。 1月の東京国際フォーラム、 7~8月の梅田芸術劇場メインホールの公演を無事に終え、 これで本当に終わり。 「こんなに奥深い戯曲はない」という表現は 今までに出会った戯曲に対してもしたことがあるような気がする。 が『WEST SIDE STORY』の戯曲としての奥深さは、 何というか、桁が違った。 公演が終了して10日、資料やデータの整理をしていても、 戯曲(と、わたしは呼んでいる)に関して新しい発見が止まらない。 それによって台詞が変わるとか歌詞が変わるとか演出が変わるとか 芝居が変わるといった方向の発見ではない。 ただただ、物語や台詞や演出や振付への納得が深まるばかりの発見。 しかもそのたびに心が抉り取られ、血が流れ続け、傷が塞がる暇もない。 凄まじい、戯曲である。 『WEST SIDE STORY』にはその上、 レナード・バーンスタインによる音楽と、 ジェローム・ロビンスによるダンスがあるのだ。 恐ろしい、演劇である。 半年間という、そのまま続くのとも、 通常の再演とも違う間隔をあけての再演、 更には出演者や配役の多くが変わる、という、 わたし��とって未知の体験でもあったので、 1回めと2回めでは、自分の目線が違うぶん、 関わる人が違うぶん、 何というか、角度の違う探求ができた。 関わり始めてからの1年3か月余、この戯曲に関してわたしは、 感じたこと考えたこと読み取れたことを100%、 文字にして書き留めてきた。本当に、全てを。 こんなことをするのは『WEST SIDE STORY』が初めてだし、 恐らく最後だろう。 書き留めた言葉はもちろん自分の記録にもなっているが、 色々な形で舞台にもフィードバックした。 戯れに文字数を合計してみたら、軽く12万字を超えている。 どうしてそんなに凄い戯曲と思うのか、 その12万字を全て尽くして解説したいくらいの気持ちだが、 実際には、ある一つの歌詞についてと、 ごくごく個人的な感想を一つ、書くだけに留めようと思う。 ある歌詞のことを書こうとしているわたしだが、 今回わたしは訳詞をしていない。 (それ以前に、よく誤解されるのだが、 わたしはミュージカルの訳詞は一度もしたことがない) 台詞と歌が混在するミュージカルにおいて翻訳家は、 ト書きと台詞と歌詞を日本語に訳す。 そのうちのト書きと台詞を、 舞台で生きるための言葉へと精錬するのが翻訳家の仕事だ。 歌詞に関しては、英語から翻訳された言葉から 更に【音楽に乗せて歌える歌詞】が生み出される。 それは訳詞家の仕事だ。 『Somewhere』という歌がある。 『WEST SIDE STORY』では2つのタイミングで歌われる。 2幕前半では、トニーとマリアが争いのない平和な世界を夢見る場面で、 女性の声によって歌われる。 そして幕切れ近くでは、トニーのいまわの際の言葉として歌われる。 通常の『WEST SIDE STORY』であればこれで終わりだが、 宙組『WEST SIDE STORY』では3回め、 カーテンコールの終わりでも、 カンパニー全員による合唱として歌われた。 印象的なのは「Somehow、someday、somewhere」 という3つの言葉。 今回の訳詞を手がけた演出補の稲葉太地さんはここを、 英語のままに残すことを選ばれた。 【somehow】には様々な訳し方が可能だ。 翻訳第1稿では【きっと】とした。 【someday】はもう少し単純で、 【いつか】【いつの日か】といった意味で、 【somewhere】は【どこか】【どこかに】といった意味だ。 きっと、いつか、どこかに。 憎しみと殺戮と絶望、復讐を乗り越えて、共に赦し合い、 共に生きられる場所が、きっとある。 『WEST SIDE STORY』は【祈り】のミュージカルだ。 ‥‥と、わたしは長らく、思っていた。 何しろ30年くらいの間ずっと、大好きなミュージカルである。 (通っていたインターナショナル・スクールで、上演があったのだ。 わたしはあまり深く関わらなかったが、 外部オーケストラによる生演奏、 出演者たちは実際に人種によってジェッツ&シャークスに 分けられるという、なかなか本格的な公演だった) しかし、『WEST SIDE STORY』上演への過程の中で、 ある時、気がついた。 「Somehow、someday、somewhere」は 「きっと、いつか、どこかに」→ 「ありますように」「みつかりますように」 という【願い】【祈り】の言葉にもなるけれど、 「何とかして、いつの日か、どこかに」→ 「見つけよう」「築こう」という、 【意志】と【決意】の言葉にもなり得るではないか! 実は【somehow】��トニーが生きて発する最期の言葉だ。 次の【someday】はもう歌えず、 【somewhere】が発せられることはない。 【somehow】。 トニーからマリアへ、最期に手渡された言葉。 言い換えれば、この物語が観る人へと 手渡す言葉でもあるという考え方もできる。 最初の稿は【きっと】という【祈り】の訳語で出したけれど、 目の前で生まれようとしている『WEST SIDE STORY』は 【祈り】にとどまらない、 強い意志の物語でもあるという手応えが、 日毎に増していた。 だからわたしから、 【somehow】の訳語として新たに 【何とかして】も付け加えさせていただいた。 つまり、英語の歌詞を歌う際に、 どのような意味を伝えるものとして歌うか、 ということなのだが、 特にカーテンコールでのカンパニーによる合唱には 強い意志を感じたし、それにはちゃんと、原文による 裏付けがあるのだということを、わたしから伝えたかったのだ。 色々に訳せる【somehow】だが、 【何とかして】という訳語を、その意志を、 宙組『WEST SIDE STORY』は獲得したのだと感じている。 作者たちが作品に込めただろう様々な思いを、 このカンパニーはしっかり受け止めた。 そして届けることもできたのではないか、と。 誰もが赦し合い愛し合える場所は 「きっとどこかにある」、探すしかない‥‥ とは限らない。 いつかどこかに、自分たちの手で何とかして、 築くべき場所‥‥でもあるはずだ。 繋いだ手と手を離さずにいれば。 失われた命たちが無駄になるか否かは、 生き残った彼ら彼女らの、 そしてその物語を受け取った一人一人の、 手に委ねられているのではないか。 わたしはそう考える。
最後に。 『WEST SIDE STORY』という作品に触れて、個人的に感じたことを。 わたしが翻訳家として関わっているということとは完全に無関係な、 いち人間として感じたことだ。 『WEST SIDE STORY』で描かれている抗争は、 誤解されることも多いようだが、 【白人のアメリカ人】対【移民】、のそれではない。 実際は、アメリカ生まれの【イングランドからの移民を除いた ヨーロッパ系移民】2世以降と、 【プエルト・リコ系移民】1世との間に起きる対立だ。 ニューヨーク、マンハッタンという大都会、 そのごくごく小さな一部という物語世界を考える時、 わたしはいつも、個人的に一番尊敬できる人物は、 オフステージからの声としてしか登場しないが 何度も言及される、ベルナルドとマリアの父親だと考えてきた。 貧しい国から移住してきて、1代で店を開いて商売を始め、 地域の他の住民から嫌がらせを受け (物語冒頭でそのような言及がある) それでも商売を続け、可愛い末娘を故郷から呼び寄せている。 貧しい移民の身で商売を始めたのは 彼ただ一人というわけでもないだろうが、 その小さな営みを、兄妹の父は恐らく、必死で守っているのだろう。 アメリカに来て日の浅い娘はあまり理解していなさそうだが、 息子の方は理解し、誇りに思い、守ろうともしていることが、 台詞の端々から読み取れる。 「ナルドとマリーアのパパは偉いなぁ」と、 喧嘩に明け暮れる若者たちを見ながら、 わたしはいつも思っていた。 そして、気がついたのだ。 自分の父親も同じだということに。 わたしの父は中国本土生まれ香港育ちで、 20歳そこそこで日本に渡って、 言葉もろくにできないにも関わらず店を開き、商売を始めた。 小さな店を守りながら、日本人である母と出会い、結婚し、 生まれたわたしを育てた。 わたしが通わせてもらった学校は、かなり分不相応だったと思う。 つまり、年収に比してかなり学費の高い学校に、 わたしは通わせてもらった。 娘のわたしからすると、クラスメートたちと生活レベルの部分で 差があり過ぎて、通いながら苦労も屈折も味わった。 しかし、今わたしがしている仕事ができているのは、100%、 亡父が一人娘のわたしに与えてくれた、教育のおかげである。 存命の間は根深い確執があり、常に戦争のような関係だったが、 父が与えてくれた教育のおかげでできている仕事を通じて、 わたしは遅ればせながら、 父のありがたさ、偉大さに、気づくことができた。 『WEST SIDE STORY』が、 そこに生きる人物たちが、教えてくれた。 『WEST SIDE STORY』は数々の演劇の宝をくれたが、 人生の宝まで、くれたと思う。 『WEST SIDE STORY』に出会えたことは、 わたしの演劇の、人生の、宝だ。 願わくは、『WEST SIDE STORY』に触れた一人一人の心に、 何かが響き、残り、それがやがては何かを花と咲かせますように。 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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ミュージカル2本め、書きました。の、続き。
「ひとみゅーにテネシィ・ウィリアムズで1本書きたい」というのは 実は、1年越しの念願だった。
構想1年2か月。
だったら執筆がスムーズにいくかといったらそうではなく、 実際に取り掛かってみるとなかなか書けず。 演じてくださっている塚越健一さん、主宰&作曲の伊藤靖浩さん、 たいへんご迷惑をおかけしました。
赤い表紙の「劇作手帖」をめくると、「ひとみゅーテネシィ」の メモの最初の日付は2017年2月14日。
仮題はその日のうちに決まった。この時点では『この悲しいホテル』。
テネシィ・ウィリアムズは自伝『回想録』に元々は 別のタイトルをつけようとしていたという。 『Flee, Flee This Sad Hotel』という、アン・セクストンという 詩人による詩の一節。 その同じ詩からもらい、タイトルは最終的に 『この哀しきホテル』とした。
思いついた日のメモには、創作そのものよりも 題材に対する緊張の言葉ばかりが書かれている。
「何か極端なことしないと乗り切れない気がする‥‥ ウェディング・ドレス着て散歩とか、 ランジェリーみたいなスケスケに金髪ウィッグでカフェに居座るとか‥‥ ああどうやって捕まえるの!ト��!!」
これは読み返して笑ったが、幸いそんな極端な行動に出ることなく書けた。(そんな余裕がなかっただけ‥‥とも言うが‥‥)
引用元の詩では「sad hotel」とは精神病院のことなのだそうだ。 それをこの作品では実際のホテルにしよう、 ホテルというモティーフを登場させよう‥‥ そう決めたのは少し遅くて、2017年8月のことだった。
分かりやすい表題曲がある作品に仕上がったから、 「まず表題曲のアイディアが先に生まれました」的に見えるけれど、 実は表題曲のアイディアは、ホテルのモティーフと共に 一番最後に生まれたのだった。
その時、頭のどこかに美空ひばり『悲しき口笛』のイメージが あったかもしれない。 昔からこの歌が、メロディも歌詞も、叙情的で物悲しくて、大好きなのだ。 あれも、ホテルの歌。 港にしかない時の止まった一画、そこで永遠に流れ続けるみたいな歌だ。 思えば【哀しき】もここからもらったのか!
執筆にあたり、一番時間がかかったのは、自分でもびっくりするほど 意外なことだった。 テネシィ・ウィリアムズ、本名トムが、日本語で、話してくれない‥‥!!! ネックになったのは、テネシィ・ウィリアムズの特徴の一つである 【南部訛り】。 それともう一つ、言葉のジェンダーだ。 日本語には、無数の一人称が存在する。男言葉が、女言葉が存在する。 ショッキングな書き方をあえてすると、日本語は性差別が 初めから織り込まれた言語だ。 英語では一人称はひとつしかないし、性別によって語尾が変わったりしない。 (「だから優れている」とは全く思わないのでそう言うつもりは毛頭ないが 便利な面はある。それは確かだ。) この作品におけるトムの言葉を「男言葉/女言葉」のスケールの どこに位置させるか。 それを悩んでいるうちに物語が組み上がった感がある。
『この哀しきホテル』にはテネシィ・ウィリアムズの姉ローズが 登場するのだけれど、 ローズもまた、動かぬ岩のように思われた。 ローズのことが脚本に書けるようになったきっかけの歌がある。 ローズが実際に大好きでよく歌っていたという歌。 『Poor Butterfly』=【哀れな蝶】。 『蝶々夫人』を歌った、スタンダード・ナンバーだ。 これは、時代は少し後だけれど、ジュディ・ガーランドが歌ったもの。 https://www.youtube.com/watch?v=EFvNNqJsFNA
2017年秋、わたしが主宰する ESCAPADE Workshop で 『欲望という名の電車』をテキストとしてとりあげた。 その直前に見た、ニュー・オーリンズをテーマにしたBSの旅番組が 「制作スタッフにファンがいる?」というくらいに テネシィ・ウィリアムズ推しの内容だった。 わたしは前知識が頭の中にぎっしりの状態で見ていたわけだが、 一緒に見ていた何も知らない家族が、テネシィの顔写真を見て、 ふと「優しそうな人」と呟いた。 そんなふうに彼を見たことがなかった。 ��好きな数々の戯曲の、数々のヒロインたちを生み出した人、 という色眼鏡でしか、テネシィを見たことがなかった自分を、 わたしは恥じた。 色々と書いたけれど、この何も知らない家族の何気ない一言が 一番のモティーフだったような気もしている。
薛 珠麗 脚本、 伊藤靖浩 作曲、 主演=塚越健一。 題材=テネシィ・ウィリアムズ 『この哀しきホテル』。 【一人芝居ミュージカル短編集 vol.5】の全24本の演目のうちの 1本として上演しています。
残るは明日5月2日(水)19時と、 5月5日(土)14時、の2回のみ。
お待ちしています。 わたしのホテルへ、いらっしゃい。
公演情報はこちらからどうぞ。 https://tmblr.co/ZPw-7f2WBTADW
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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ミュージカル2本め、書きました。
1年前の vol.2に続いて、【一人芝居ミュージカル短編集】の vol.5の 男性版の演出を担当している。 (詳細はこちら:https://tmblr.co/ZPw-7f2WBTADW)
vol.2の時はマイ最愛の男=絵師・伊藤若冲を題材に、 上演される計5作の新作のうち1本『千年の約束』の脚本を執筆した。
vol.5の今回も1本、脚本を書いた。 題材は劇作家テネシィ・ウィリアムズ、題して『この哀しきホテル』。
前作とはものすごーく毛色の違う作品になった、と思う。
ただ自分では、2本書いてみて (‥‥まぁ、たった、2本なんだ、けれども‥‥) 書き手としての自分のことを少しだけ学習できた。自覚できた。
演出家のわたしは普段のわたしと完全に地続きで、 同じ家の隣の部屋の住人という感じだけれど、 作家のわたしはもう少し、アクセスが悪いのだ。
まずわたしは、その人物の人生で降りかかった (わたしが知る限りにおいての)最大の喪失を舞台の上で描きたいようだ。 【悲劇】と言い換えてもいい。 極限にある、その人が見たい。
これは、演出家としてのわたしもそうだ。 極限状態の、人間が見たい。 だって実際、人間、いついかなる瞬間も、 人生がかかっているものじゃないか。死に物狂いじゃないか。 少しでも幸せに生きたくて、いつだって人間は必死なのだ。 違うだろうか。
だから演出する時は、一見日常的に見える場面の中からでも、 全人生がかかったやりとりを浮かび上がらせたい。 優れた戯曲であれば、必ずと言っていいほど、 いついかなる場面でも、そのように描かれているものだ。経験上。
作家としては更に、考え得る最も大きな激情に焼かれて 死にそうになっている、人間が見たい。ようだ。 1作目でも2作目でも、描いたのはそれ。の、つもりだ。
しかもわたしは、どうやら、 世にある多くの戯曲のように、その大きな激情へ向けて 場面や台詞の中で感情を積み上げる、という余地をあまり与えない‥‥ ようだ。どうやら。 場面の中でコツコツ組み上げるよりも、とんでもない激情へと、 人物をドォーン!!と突き落とす。
いや��突き落とすのとは違うか。 その激情は、密かに絶え間なく人物の心を引き裂き続けている。 ので、突き落とすのではなく、爆発に近いのかもしれない。
そういうミュージカルを、書き手としてのわたしは、 書きがちらしい‥‥どうやら。
つまり、俳優にとってはたいへんにタイヘンに大変な脚本‥‥なのだろう。 とんでもない感情的イマジネーションを必要とする。
ミュージカル1作めから、わたしはずいぶんと、 出演者のチカラに依存する作品を書いてしまった。
‥‥と、わたしはこの1年、思ってきた‥‥! でもこれは、大間違いだった‥‥!! ‥‥いや、上記に書いたことは何一つ、間違っていない。事実だ。 実際、1作めは出演者のチカラに依存する作品だったし、 2作めもそうだ。 が、それでは本質とはズレている。
わたしの書いた2本のミュージカルは‥‥ 出演者のチカラにとんでもなく依存しているけれど、 それ以前に、とんでもなく、音楽に依存するミュージカルだ! ということに、遅ればせながら2作めにして、わたしは気づいた。
ミュージカルにおける【音楽】という要素は、 ある意味【飛躍】とも云えるそんな大きな激情を、唐突にならず、 描くことができる。 【飛躍】ではなく、【飛翔】。 逆にいうと、それは多分、ミュージカルにしか出来ないこと‥‥なのである!
実際、1作めにも2作めにも、題材となる人物たちの世界が崩壊するような ナンバーが存在する。 1作めの時は、歌のプロが歌唱力を全て注ぎ込んで表現するレベルの、 超難曲だった。 2作めの今回、テネシィ・ウィリアムズを演じる塚越健一さんは 歌のプロではなく、ミュージカル初挑戦。 そんな塚越さんが、歌うことで、彼がそれを歌うという行為そのもので、 戯曲が描いている苦悩が説明的でなく表現されて、 心に直接、訴えかけてくる――そんな楽曲が今回、ある。
ここまで気づいてやっと、 わたしは自分が脚本を書く時の傾向、 その根底にある、 演劇人としてどんな演劇どんな人間の姿が見たくて演劇をしているのか、 そしてミュージカルという表現そのものの持つ可能性、 実際音楽によって自分が書いた世界に如何に翼を与えてもらっているか―― に、気づくことができた。
「気づくことができた」なんて書くと、 まるで作品の責任を取らないようだけれど。 作者としてはまず作曲家に渡し、 次に、演出家であるわたしに渡しスタッフに渡し、 俳優に渡し、最後に観客に渡す。 いやできれば最後には、永遠へと手渡したい!
そのリレーの大元である世界観をしっかり提示しつつ、 参加する人の表現によって変容し広がり深まる、 脚本はそんな器でありたいとわたしは考えている。 手放せて初めて、演劇は、その可能性は、広がる。
今回の題材はテネシィ・ウィリアムズ。 1年間あたためてきた題材、大好きな劇作家だ。 演じてくださるのは DULL-COLORED POP の塚越健一さん。 心も体も魂も。 完全当て書き、世界でただ一つのはまり役だと、 確信しながら書いたけれど、 稽古しながら日々、実感をより一層、深めている。 心も体も魂も。
なるべく多くの方に、見届けてほしい。
テネシィ・ウィリアムズの作品世界が好きな方の 感想にはとても興味がある。 いわゆる伝記ものにはならなかった。 彼が書いた作品を基にしているわけでもない。 (「この作品をよ��知っていたら入り口を見つけやすいかも」 という作品はある。ポピュラーな長編2本と、小さな短編2本。) もうちょっと奥を突っついて掘り起こしたような作品になったと思う。 でも、テネシィを知らない人、興味がない人も、 傷ついた人間の心の、ずいぶん奥を覗き込むような時間を 過ごしていただけるのではないかと。
なるべく多くの方に、見届けてほしい。
ちなみに、1作めの伊藤若冲『千年の約束』も1回だけ リバイバルされるけれど、こちらは売り切れ。 (でもどうしても観たい方、ご相談ください‥‥)
公演の詳細は、こちらから。 https://tmblr.co/ZPw-7f2WBTADW
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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『レディ・ベス』2017、わたしの感想。
わたしの翻訳作品、ミュージカル『レディ・ベス』が大千秋楽を迎えた。 (といっても、書いている今は最終地=大阪公演がまだ前半戦だ。)
わたしはこの作品の翻訳家だ。 しかしその言葉は、この作品におけるわたしの仕事を説明する肩書きとしては、少々複雑な意味を持つ。
わたしが訳したのはこのミュージカルの台本。 しかし演出の小池修一郎さんが【修辞】【訳詞】としてクレジットされている。 つまり、わたしが訳した台詞に、小池さんは時にご自分の世界観に合わせて手を加え、 また歌詞も、わたしが原歌詞を和訳したものをベースに、小池さんが歌詞に書き起こしている。 (よく知られているように音数やフレージング、音楽的抑揚といった制約が、歌詞にはある)
帝国劇場や梅田芸術劇場のあの天文時計の上で展開した世界が語り、歌った言葉は、 作者=ミヒャエル・クンツェさんの英語と、わたしの日本語と、小池修一郎さんの日本語、によって形成された世界だった。 完全にブレンドして均一なひと色へと溶け合った、というよりは、 「止め絵で見るとマーブル模様」という感じだったように思う。 あの天文時計の回転と共に、そのマーブル模様は渾然一体となり、『レディ・ベス』の世界が浮かび上がるのだ。 わたしが【翻訳】にクレジットされている作品だけれど、元々はわたしの使用語彙になかった言葉が幾つも登場する。それは小池さんの方でも同じかも知れない。 「人と人との違いをどう乗り越えるか」の物語でもあった『レディ・ベス』に、それは相応しかったように思う。
しかしわたしの翻訳家としての仕事はここで終わらない。 初演、再演と、まだ他の誰も物語ったことのない物語を届けるため、クリエイティブ・チームの間では頻繁なやりとりが行われた。 稽古の過程で浮かび上がった気づきを作者たちにフィードバックして、作者たちが更に練り直す、といった作業だ。 初演も再演も続いたその作業で、わたしはヨーロッパにいる作者サイドと東京で稽古をしている製作&演出家サイドの間に膨大に発生したクリエイティブなやり取りの、全ての翻訳もした。
以上が『レディ・ベス』におけるわたしの【翻訳家】としての仕事だ。
そんなわたしが『レディ・ベス』の感想を書こうと思って、このブログを書いている。 翻訳家が感想。 「作者たちの次」という初期段階からこの物語に触れている人間が感想を書く、というのもおかしな話だが、作品を世に届けるまでに味わった苦労も歓びも、立ち会った様々な段階も、全く無関係に、感想を書こうと思う。 一人の人間としてこの物語に触れた、その感想だ。
『レディ・ベス』で描かれたベス=エリザベス一世は、わたしに似ている。 生まれた時はプリンセスだったのに、ある時にいきなり【レディ】に格下げされたエリザベス。 ある者たちからは「高貴」とも「聡明」とも呼ばれ、認められ、王位継承権者としての責任を託されてもいるのに、 別の者たちからは「私生児」と呼ばれ、「淫売の娘」と蔑まれる。
それはまさに、わたしの生まれ育った環境だ。 「お前は無能な役立たず」「少しくらい成績が良くてもその程度では褒めるに値しない」と 「あなたは賢い」「あなたはやればできる子」という、 正反対の評価が家庭内に混在していた。 一歩外に出れば、学校はインターナショナル・スクールで、自宅は中華街にある。 その中華街は日本にあり、中国人と日本人、裕福と貧困、その間のグラデーションに属すあらゆる人たちが暮らす街だ。 「無能」と言われたくない一心で勉強に励めば、学校では「優等生ぶりやがって」「先生の言いなり」とやっかまれ、 裕福な家の子供ばかりのインターナショナル・スクールでは、平均的な家庭のわたしなど「貧乏人」と憐れまれ、 しかし中華街では、インターナショナル・スクールに通っているというだけで「お嬢さま」。 学校で浮かない格好をしただけで、学校を一歩出れば「不良」呼ばわりだ。
行った先々で評価が乱高下する人間は、自我に苦しむ。 【国王ヘンリー8世の娘である】という一点を拠り所に自分を立たせているベスの気持ちが、わたしには痛いほど分かった。稽古をそして本番の舞台を観ながら、共感の涙を幾度流したか知れない。
『レディ・ベス』は、そんなベスが、たった一つの拠り所さえ時に無力と悟り、 自分という人間を知り、確立し、それを精一杯生きることを選び取る物語——と、わたしには思われた。
わたしには「生まれ持った宿命に従う」というより、 「自分という人間を最も活かし、世界と後の世へ、刻む」という生き方を、 他の誰でもなく自分のために、選び取る——そんな物語に思われた。
大切なことは、ベスが自分で選ぶということだ。 運命の瀬戸際に立った時に「賢明なご選択を」とだけ言い残して、 ベスを信じ、ベスに自ら選ばせたアスカム先生が教えてくれた。
しかし、選び取ることは痛みを伴う。 如何に自分のための選択とはいえ、そこに何の痛みも代償も発生しないわけではない。 【選び取る】は時に、【何かを捨てる】を意味するのだ。当然のことだ。 でも、諦める痛み、失う痛みを知るからこそ、 ベスは45年という長きにわたって一人で王国を守り、一人で王国に尽くし、 イングランドが政治的にも文化的にも世界の大国となる礎を築いたのではないか。 (ロビン・ブレイクという人物がフィクションであるという事実はこの際関係がない)
夢を知り、それを全て叶えられたなら幸せだ。 しかし、たとえ叶わなくとも、 その事実に敗れ去ることなく、むしろ力として生きる‥‥そういう生き方もある。 わたしにだって叶わなかった夢、失ったものが幾つもある。 いや、誰にだってある。 それでも。 いや、だからこそ。 偉大な女王に、なろうではないか。
「女王陛下、万歳‥‥!」 多くのそんな女性たちに、この言葉が届いたことを、願うばかりだ。
ベスさま、ありがとう。 あなたに出会えたことは、わたしの人生の必然のように思われます。 また会う日まで、さようなら。
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【一人芝居ミュージカル短編集vol.2】、終演のご挨拶。
2017年4月11日、満月の夜に、わたしが男性 ver. を演出した【一人芝居ミュージカル短編集vol.2】、無事に終演したしました。
【一人芝居ミュージカル短編集vol.2】公演のご案内はこちらに書きました。
【一人芝居ミュージカル短編集vol.2】関連ツイートを、簡単にですが、まとめてみました。
チーム「ひとみゅー2」が正式に出航した日は、奇しくも新月。 新しいことを始めたり願い事をするタイミングで漕ぎ出した船は、 月が満ちてゆくと共に旅を進め、満月の夜に終演したわけです。
旅も半ばを過ぎ、男性版初日を無事に開幕し、さぁ次は女性版初日!というタイミングで、公演当日の会場変更という出来事がありました。 https://note.mu/rickytickyasu/n/ndcd8f7300910 公演中に主催者からご挨拶がありましたが、観客の皆さまに多大なご迷惑とご心配をおかけ致しましたこと、わたしからも、心よりお詫び申し上げます。
わたしの知る限り、全てのお客さまが、新たに会場となりましたザ☆キッチンNAKANO にお運びいただけました。 突然の会場変更にご対応をいただいたお客さま一人一人、急の知らせの周知にご協力いただいた皆さま一人一人の、ご理解とご協力あってこそ、可能だったことです。 本当にありがとうございました。
しかし現実問題として、ミュージカル作品をプレゼンテーションするにあたって会場の変更というのは、ハード面においてもソフト面においても、非常に大変なことです。 しかし、新たな器で更に良い作品を届けるべく、【一人芝居ミュージカル短編集 vol.2】のキャストとスタッフ、一人一人が、それぞれの戦いをし責任を果たし、と同時に、互いを支え合っていたように思います。 一つのブレもなく観客の皆さまに11ステージ、13本の作品をお届けできたこと、男性版の演出家として、キャストとスタッフのみんなに、感謝ばかりです。
この旅の中で、【一人芝居ミュージカル短編集vol.2】のキャストとスタッフの間には、一瞬たりとも殺伐とした空気が流れませんでした。 公演当日の劇場変更という出来事を前にし、更に良い舞台を目指すための戦いにあっても、19時開演を目指し、一人一人が強く明るく動き、互いを支え合っていました。 笑いや微笑みや互いへの思いやりの絶えた時間は、一瞬もありませんでした。 この船の乗組員の一人として、わたしはそれを、誇りに思います。
わたしの【一人芝居ミュージカル短編集 vol.2】は、男性版演出家としての仕事も、脚本家としての仕事も、終わりました。 一人一人への感謝とフィードバックをまとめる作業が残っているくらいでしょうか。(一部ここやツイッターにも書くかもしれません)
vol.3に演出家として関わる予定は最初からありません。 が、【一人芝居ミュージカル短編集】には、わたしじしん、何らかの形で関わり続けていきたいと思っていますし、 既に知ってくださった観客の皆さまには是非、応援し続けて欲しいし、 まだ知らない人たちには是非、広く知って欲しいと思っています。
【一人芝居ミュージカル短編集 vol.2】に関わった全ての皆さまに、感謝そして愛を。 そして【一人芝居ミュージカル短編集】にこれから関わる全ての人に、引き続き、豊かな旅をお祈りします。 ありがとうございました!
2017.04.13 薛 珠麗
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ミュージカル、書きました。
実感ゼロだけれど、10日後にはミュージカルの脚本家としてデビューする。
演出もする【一人芝居ミュージカル短編集 vol.2】男性 ver.の5本の脚本のうち、1本を自分で書いたのだ。 つまり、ミュージカル。 題材は、伊藤若冲。
昨年が300歳のお誕生日で、そのお祝いのために開かれた展覧会は入場するのに最高で6時間近く行列しなければならなかったという、 若冲は18世紀に生きた人にもかかわらず、今の日本でトップクラスを誇る人気絵師だ。
わたしは2006年に東京国立博物館の平成館で出会って以来の大ファンで、 この11年というもの、「若冲が見られる」と聞きつけては、東は福島から西は香川まで、ホクホクと通い続けている。
実在の人物の中では多分、最愛のオトコ。
題材に選んだのは、愛。愛しているから。 そして現実問題として、若冲のことなら詳しいので、調べる必要がない!(脚本オーディションというのに出すのに時間があまりなかったのである)
そして、わたしにとって若冲には、解き明かしたいミステリーがあるのだ。 それを解きたかった。 解き明かすために、ミュージカルにした。
書いてみて、感じたこと。
物語を書けば、どうやったって、どうしようもなく、そこにはわたしがいてしまう、ということ。 頭では分かっていたけど、何しろ実際に、元手は100%自分自身、自分の心や記憶や考えでしか、ない。 だからどうしたってそこには、わたしが生きていて苦しんできたことや、生きている中で全てを変えてくれた気づきが、並べられてゆく。
そしてもう一つは、自分との戦いである、ということ。 ありきたりにも程があるが、実際にそうなのだから致し方ない。 でもこれまでわたしは【自分との戦い】を、ずいぶん殺伐としたものと捉えていた。
それは少し違うな、と思った。 わたしは演出をする時、作者が何を言いたいのか、何が伝えたいのか、を わたしなりの精一杯のしつこさと愛情で、寄り添い、並走したいと思っているのだが、 今回は自分自身に対してそれをやった。
非常に直感的なところと非常に理屈が優っているところ、どちらも極端に持っているわたしだが、 今回は、わたしの直感が訴えているイメージに、わたしの理屈が根気よく付き合い、解き明かしていってあげた気がしている。 今まで演劇をしてきて、人の表現にばかり根気よく付き合ってきた。 自分にしっかり付き合ってあげるのは新鮮で、そして幸せだった。 これからは、自分の表現に他の誰よりも真剣に向き合ってくれる存在でいようと、心から思った。
『千年の約束』というタイトルをつけた。
書き始めた日に書いた、「どんな作品にしたいか」という走り書きを読み返してみたら、 いま出来つつある作品にとても近いことが書いてあった。合致している、と思う。
タイトルの元になったのは若冲が遺した言葉だ。 「千載具眼の徒を竢つ」意味は「具眼の士を千年でも待つ」。 【具眼の士】というのは、物事の本質を見定める目を持つ人のことだ。 「私の絵の真価を理解する人が現れるまで千年でも待とう」という意味の言葉。
先ほど書いた「解き明かしたいミステリー」は、若冲最晩年のパワーだ。 若冲は長生きだ。84歳まで生きた上、生涯絵を描き続けた。死の直前まで。 そんな若冲だが、実は72歳で全財産を失い、時を同じくして大病も患っている。 人生50年の時代、普通ならそこでがっくり力を落としそうな年齢だが、 若冲は何と健康を取り戻し活力を取り戻し、絵に込もる力も取り戻した。 わたしは80を過ぎてからの彼の絵が一番好きなのだ。 自由で、しみじみとおかしみがあって、しかも物凄くシャープでかっこいい。
その辺を見つめた作品になっている。
若冲の役は、【一人芝居ミュージカル短編集】の企画者で、作曲家で、女性版の演出家でピアノも演奏する、伊藤靖浩さん本人に、登板をお願いした。 どうしても演じてほしくて、口説き落とした。 わたしの伊藤若冲は、伊藤靖浩への宛て書きだ。完全なる宛て書き。 (ダジャレではナイ‥‥つもり!笑)
かなり偏愛してきた若冲を宛て書きしようと思う存在が日本の演劇、ミュージカルにいた!というだけで、わたし的には天変地異レベルである。
伊藤さん(いま生きてる方の)からは、作曲家としても俳優としても、【渾身】というフィードバックが返ってきていると思う。 天地を揺るがす問いのような楽曲になっていると思う。
ド直球を投げたら、バットを真っ直ぐ振り切ってくれた。 ジャストミートして、お互いの真っ直ぐが相乗効果になって、場外ホームランとなりますか。 たくさんの人に見届けてもらえたら嬉しいなぁ‥‥と思う。
実は、これを書いている今のわたしは完全に演出モードに切り替わっていて、若冲はもう、 滝廉太郎、グレン・グールド、オーギュスト・エスコフィエ、ガガーリンと共に、5人のうちの1人になった感がある。(そして伊藤さんと共同演出するエスムラルダ ver. のマレーネ・ディートリッヒが彼らの上に女王として君臨している!)
しかしせっかくなので、作家のわたしを叩き起こして、文字に残しておいてみた。
【一人芝居ミュージカル短編集 vol.2】、よろしくお願いします! 詳細は以下に!
【詳細】 https://note.mu/rickytickyasu/n/n6ba92ffc7a2a 【チケット】 https://ticket.corich.jp/apply/81021/
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薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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