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タンブラー(塩)
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動物、音楽、変な看板が多いです
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sio · 2 months ago
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ある程度予想はしていたんですけど、ここまでだとは思わなかったですね。やっぱり想像と実際に経験するのは違う。正直言うと昔は、犬に服着せているのとか正気かよって思っていたんですよ。でも今は、犬を飼っていて服を着せないのとか正気かよって思っています(笑)
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sio · 6 months ago
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青い空の下、いつまで待っても主役が現れないので、私たちはみんな帰ることができずにそこにいました。青い青い、あっけらかんとした青い空でした。
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sio · 9 months ago
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sio · 1 year ago
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sio · 2 years ago
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sio · 2 years ago
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sio · 2 years ago
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sio · 3 years ago
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sio · 3 years ago
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「人間ドック」→なんも出ねえゆえに「やったー!」ガッツポーズ→靭帯損傷→リハビリ中に聴力低下で補聴器勧められる→治りかけた来た靭帯、再損傷→口の中大火傷(地獄のキーマカレーで)→そしたら差し歯の根元に病根発見→「インプラントにするけど、サックス1年吹けないかも」→だんだん歯肉が再生して来て、チェックに行ったら「毎日一日中吹くとかしなければ、再生歯根を壊さないで済むかも(要チェック)」→うんで、また「やっター!」とガッツポーズしたのが間違いの元笑、翌日からスタジオでサックス練習のリハヴィリに励んでいたら、いきなし喉がものすげー痛くなって来たんで、「ま、、、、ま、、、、、まさか、、、」と思い、チェックしたらコロナでした笑。
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sio · 3 years ago
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猫を初めての病院へ連れて行く事になった。
病院が違えば、色々とルールも違うものらしい。
前の病院は気が散らないよう必要最低限しか話しかけてはいけない雰囲気であったが、こちらの病院では先生が猫を診察している間、褒めてくださいと言うので、変わった病院だなと思いつつも言われた通りにする事にした。
「非常に聡明な顔立ちで…」
「髪型も綺麗に整っています…」
「猫に対しても非常に紳士的で…」
などと、しどろもどろ褒めていると
「……僕じゃなくて、猫ちゃんの方を……」
と先生が震える声で訴えてきたので、ようやく己の間違いに気がついた。
しかも猫を驚かせないよう静かにゆっくりとした口調で誉めていた為、戦場カメラマンの渡部陽一のような口ぶりとなっていた。
気を遣ったが故に何か心に迫る雰囲気が出てしまった。
後の会話で判明する事だが、この時すでに看護師は限界を迎えていたという。
己の間違いは凄まじく恥ずかしいが、そんな事よりも診察を誰よりも大人しく懸命に受けている猫を誉め讃えるべきであると思い、私は気を持ち直して猫に語りかけた。
「非常に聡明な顔立ちで…」
「毛並みも非常に整っていています。」
「人間にも非常に紳士的で……」
私がアドリブが効かない人間である為に、先程の先生への賛辞をコピーペーストしたような褒め言葉となってしまった。
おそらく先生も看護師も「同じじゃねぇか」と腹の中で思った事に違いない。
この不器用さでは戦場で真っ先にカメラをかち割られる事だろう。
その空間にいる看護師達は全員視線を下に落とし、一向に私の顔を見ようとはしなかった。
猫すらも下を向いている。
誰とも目の合わない孤独な空間であった。
「目を合わせたら全てが終わる……」とでもいうような強い意志を感じた。
そんな最中、先生が
「あの、もっと猫ちゃんに分かりやすいように短い言葉で……」
と、言うので
「良いヒゲです」
と短い単語で褒めたが、よく考えれば先生も髭を生やしているので、もはやどちらを褒めているのかよくわからない状態となった。
全員がどことなく何かに耐えながら、小刻みに震えつつ様々な感情を抑え込んでいる。
この様に微振動する人間達に囲まれ、猫的にもさぞかしとんでもない所に来てしまったと思った事だろう。
UFOに攫われた後、小刻みに震える宇宙人に囲まれるようなものである。せめて攫った側の宇宙人は平常心で居てもらいたいと思うだろう。
非常に辛い診察であった。
診察中の猫、突然渡部陽一化した飼い主、それに執拗に褒め称えられる先生、そしてそれらを直視してしまい逃げ場のない看護師達。
猫の禿げの調子を見てもらうだけであったのに、何故こんな苦行の様な事になってしまったのだろうか。
私たちは不幸なすれ違いの末に運命の悪戯という名の荒波に揉まれてしまったのだ。
先生は何故か若干泣きそうな顔をしていた。
幸い猫の禿げに深刻な問題はなかった。
診察���終わり、受付で先ほどの看護士が
「元に戻るまで毛の抜けたところに塗ってあげてください。ちゃんと生えてきますので……」
というような説明をしながら薬を出すと、待合室にいた常連らしきスキンヘッドのオヤジが
「おれも塗ったら元に戻るかなあ」
などと頭を摩りながら割と大きな声で言うので、看護士はもうだめであった。
先生と看護士達はこの後もこのオヤジによって恐らく苦労することであろう。
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sio · 3 years ago
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sio · 3 years ago
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オズワルド伊藤さんに「一応、全然残ってるじゃねえか、の用意だけお願いします」と火葬場で大鶴肥満が全く火葬できなかったときの想定をしておいてくださいとは伝えていたが、このツッコミはまた当分先になりそうだ。
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sio · 4 years ago
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鹿島:「音楽関係のつながりでライブハウスが暇な平日に、つくったことのないインド料理をステージでつくろうって、プロジェクターでYouTubeを流しながら初見でつくるっていう、ひどいイベントもやりました。ロックフェスで20分の持ち時間に7品くらいつくったり。僕らは店舗運営とは違う経験値がすごいから、厨房が変わってもなんら問題ない。まったく動揺しないから。
https://suumo.jp/town/entry/ibaraki-tamaoki/
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sio · 4 years ago
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夜ヒットで初めて動くイエローマジック見たときも震えた。歌謡界と異質な外タレ感。細野さん咥えタバコで。いまだ震えてる。
酒が切れて
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sio · 4 years ago
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その昔、「イヨマンテの夜」をカバーしたくて、作曲の古関裕而先生にお伺いをたてたところ、「ノー」が、返ってきました。どうやら矢野顕子歌唱の「丘を越えて」が、先生にはユニークすぎたようで、ぼくも矢野さんのように歌うと思っていたようでした。
しかたなく、ピアノ一本で、「イヨマンテの夜」を忠実に歌ったカセットテープをお渡しして、ようやく許諾を得ることができました。
1990年にオンアソシエイトの大森さんから、旅行雑誌「じゃらん」のCMソングを歌ってほしいとの依頼を受けました。作曲は矢野顕子。デモテープを聴くと、メロディーは演歌調なんですが、いつもの矢野さんの歌唱でうたわれていました。広告代理店とスポンサーの意向は、「演歌のように」だったので、「どうも違う」となっていたようでした。
「巻上さん、この歌を演歌っぽく歌ってください」と言われ、そのデモテープを録音しました。
その後、代理店が平謝りに来たとききました。
いかに矢野顕子がユニークかということかと思います。
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sio · 5 years ago
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祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい
この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近は後家でもあった。
彼女が祖父と再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。
祖母と血縁関係がないことを知ったのは小学生次代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった。
80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。
90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベルで億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。
歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。
会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおいに尽力されました」は、いくらなんでも高齢者汎用弔辞丸出しだなと思われたから、私が親戚代表でお別れのことばを読めてよかった。
私は次男の娘、しかも結婚して姓も変わったというはんぱなポジで、完全に押し付けられたかっこうだけど、彼女のことを好きだったから、そういう人が読んだほうがいいと我ながら思ったのだ。
祖母は私達家族がたずねると、「今くるところと思っとったとよ」と言って迎えてくれ、帰るときは「もう帰るとね。泊まっていけばよかやんね」と送ってくれた。
電話を掛けると、「今かけようと思っとったとこやった。気は心たいね」と言った。
彼女には決まり文句があった。
それが大好きで、もう聞けないと思うと寂しくて仕方ないと、そうお別れのことばをのべながら私は泣き、母も泣き、その後の進行でも泣き通しに泣いていたのだが、式の最後、死に水をとる段(祖母の地域では、菊の葉っぱに飲料をつけ、遺体の唇を湿らせる行為)になって涙が引っ込んだ。
死に水がオロナミンCだったのだ。
葬儀場の人がすんごいしめやかに「オロナミンCをご用意いたしました」って言いだしたとき、死んでるのに元気ハツラツもあるかよ、と思い、さっきまで泣いていたのに急転直下で笑いをこらえるはめになった。
のちに、伯父が気を利かせて手配したと発覚するのだが、それにしたって死に水がオロナミンCとは……と思うと同時に、私はかすかな違和感を覚えていた。
おばあちゃん、オロナミンC飲んでたっけ? 
生前祖母はたしかにこの手の飲み物を愛飲していた。夏場に行くと茶色い瓶を差し出し、増田ちゃんも飲まんね、と勧めてくれた記憶もある。
ならばオロナミンCを飲んでいたのだろう。よく生協からとっていたという記憶もまた、あるにはある。
葬儀後、伯父は、我ながらオロナミンCはナイスプレイだった、祖母子さんは(伯父も父も、決してお母さんとは呼ばない)オロナミンCが好きやったけん、と自ら言いまわっていた。伯父は祖母と敷地内別居をしていたので、離れて暮らした私よりよほど祖母の生活に詳しいはずではある。
そんなわけでオロナミンCで死に水をとったのち、祖母は骨だけの姿にかわり、四十九日を納骨の日と定めて再度集まった。
その日、葬儀のときは訪ねなかった、祖母が亡くなる直前まで暮らした家に寄り、私はそこで、おもいもしなかったものを目にした。軒下に大量の茶色い瓶が置いてある。
あーほんとに大好きだったんだな、おじいちゃんに怒られるくらい飲んでたよな……と思って瓶の群れに近付き、私は雷に打たれたような衝撃をうけた。
瓶が……でかい! 
これは、オロナミンCの瓶ではない……!
とっさに写真を撮って友人にLINEしたら、すぐに
「それはもうデカビタやんか」
とかえってきた。
まさかのミルクボーイ、まさかの全力チャージ。
葬儀のときになんとなく感じた違和感の正体はこれだった。いま、瓶を見てはっきり思い出した。
祖母が勧めてくれたのは、小さな瓶のオロナミンではない。
大きな瓶のデカビタだったのだ。
おばあちゃん、死に水をエナドリ(?)にされるという素っ頓狂な目にあったうえに、銘柄を間違われてる……。
そのことがわかったとき、私はほんとうにほんとうに、心の底から悲しくなった。
実子のない後添いの、そして後家の、なんとつらく悲しいことかと思ってしまった。
成人してから出来た継母への興味なんて、そりゃ愛飲しているのがオロナミンかデカビタかもわからない程度のものなんだろう。
私だって自分の立場に置き換えたらそうなるかもしれない。
それにしたってあんまりじゃないか。
町内会長にはなんの罪もないどころか、参列の上弔辞まで読んで頂き感謝しかないが、あの汎用弔辞や、祖父の前妻が眠っているからという理由で一族の墓とは別に用意された納骨堂のことも、全部全部悲しく、やりきれなかった。(が、私が祖母なら納骨堂に入りたいなとも思った)
そして何より祖母に会いたくて仕方なくなってしまった。書いている今も祖母に会いたい。
が、あの世に向かって全力チャージしてしまった祖母とは、永遠にとは言わずとも、当面会う事はできないだろう。
どうしていいかわからないし、どこにもこの気持ちを持っていきようがないから、とりあえず、オロナミンとデカビタで、利きエナドリ(?)をやってみたいと思っているし、できたら両者区別がつかないといいとも思っている。
という話を、葬儀後、大学時代のサークル仲間で餃子パーティをしたときに話した。
その場の人たちは、参加したい、どうせならドデカミンやリアルゴールド、ミラクルVなども加えて盛大にやった方がいいと言ってくれたが、直後のコロナ禍でまだ開催できていない。
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sio · 5 years ago
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