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Sleepers River
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sleepersriver · 29 days ago
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部活
ゆかの青春は部活の色合いが濃ゆい。
中学では私立の女子校でダンス部に入り、高校ではアメリカの学校でチアリーディング部に入って活動していた。
5歳の頃にバレエを習い始めてから色んなジャンルの踊りを覚えた。
舞台の上で踊ることが大好きで、自分が一番輝いている自信があった。
とにかく上手くなりたい、センターに立ちたい、その一心で無我夢中に練習していたと思うんだけど、一心不乱すぎて当時の細かい感情があまり思い出せない。
光が強すぎて光源が見えなくなる現象みたいに、14~18歳くらいのゆかは眩しすぎる。
バレエ教室の主宰の先生は踊りだけではなく「舞台人」としての礼儀や心構えを教えてくれる先生だった。まじで怖かったし怒ると普通にどついてくる先生だったけど、みんなに尊敬されていた。
発表会の時に関わる裏方のスタッフさんやお手伝いのお母さん達に対する礼儀には特に厳しくて、裏方の仕事でも自分で出来ることはすべて自分でやるよう指導され��。
舞台上で照明を浴びて、装飾に囲まれて、衣装に身を包んで、音楽に乗って踊ることができる。
たった3分のヴァリエーションを披露できるのも、たくさんの人の表には見せない働きがあってこそだと死ぬほど叩き込まれた。
そのおかげでゆかはずっと裏方に憧れていて、なんなら舞台に立つ人よりかっこいいと思っていた。
だから大学に入ったゆかは、舞台照明サークルの部室のドアを叩いた。
入った。
出た。
部室内に充満するカップ焼きそば的なものの匂いに我慢できなかったのだ。
行き場を失ったゆかは、アメフト部のマネージャーに興味があるという友人にくっついて新歓に参加し、気づいた時には入部していた。
舞台じゃないけど裏方だし、やめたくなったらやめようという軽い気持ちだった。
そしてその4年後、結局毎日アメフト部のことで頭がいっぱいの日々を終えて、引退した。
ダンスと向き合ったこれまでの部活動とは違って、アメフト部ではとことん人と向き合った。
「自分を出す」ことに一生懸命だったゆかは、「相手を引き出す」ことに一生懸命になった。
人と向き合うのはすごく難しくて、自分と相手の間にある何枚ものベールを丁寧に捲って、その内側に隠れていたフィルターを器用に剥がして、傷つけないように、そっぽ向かれないように、寄り添いたくて、分かり合いたくて、分かり合えさえすれば、手を取り合えるはずだと思った。
最終的にどうなったんだっけな。
寄り添えもしなければ、分かり合えもしなくて、手も取り合えないまま、若干傷つけたんじゃなかったけな。んでそっぽ向かれちゃったんじゃなかったけな。
( ´∀` ) パァ
それでもゆかは真剣だった。
中高生の時のような輝きはない。
ギラギラの太陽より、ふかふかの土壌でいたかった。
今思えばふかふかになりたすぎてギラついてしまっていたのかもしれない。
結局なにか特別な結果を残せたわけじゃない。
途中だったこともたくさんあって、でももう時間がない。
後悔も、なにかを諦めた感覚もなかった。
できることを全部やって、時間がきて、去っていく。
ゆかの学生最後の青春は、素敵な額縁みたいで、中に収める程立派な絵はないけれど、それだけで美しかった。
それからまた月日は過ぎて3年後。当時1年生だった後輩が4年生になり、引退する時が来た。
前年、アメフト部にとって長年の目標だった「2部昇格」を果たした彼らは、その年さらに順位をあげ有終の美を飾り引退した。
おこがましいけど誇らしかった。
��界一だと思った。
全人類に自慢したかった。
そして、ゆかは彼らの青春を自分の青春に収めた。
ぴったりだと思うんだけどどうかな。
値段もつけられないと思うんだけどどうかな。
この先、こんな素敵な芸術に出逢えることなんてあるんだろうか。
ありがたすぎて言葉にならない。
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sleepersriver · 1 year ago
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理想のデート
ママと2人でハワイに行ってきた。
旅行といえども、ハワイはセカンドホームのような場所だ。朝食はキムチ納豆と味噌汁、オレンジジュースで、タバコを吸った後ソイラテを飲みながら準備をする、という日本と変わらない朝を迎える。
日中はショッピングやハイキングなどでなんだかんだ時間を過ごし、夜は毎度行くようなレストランで食事をする。滞在中、1-2レパートリー増やすくらいの感覚でお店選びをし、気に入ったら次回の候補になる。そんな感じで1週間程度を過ごす。
今回初めて行ったお店は、居酒屋の「ZIGU」、シーフードレストランの「The Seaside」、おしゃれカフェの「Heavenly Island Lifestyle」の3店舗。すべてZETTON(ゼットン)というグループ会社が経営している飲食店で、代表的な「Aloha Table」は日本でも有名だ。
ホノルル ワイキキにあるSeaside Avenueという通りは、ビジネス界隈で「ZETTON Street」と呼ばれているそうだ。上記以外にもステーキ屋さんやラーメン屋さんなどZETTONのお店がたくさん立ち並んでいて、現地の人も旅行客も訪れる人気スポットとなっている。
小さ��頃、シェラトンとヒルトンがハワイで日本人が好む二大ホテルだと知った時、「将来はユカトンホテルをつくる!」と家族に宣言したことがある。
ゼットンが勢力を増してきた今、自分の視野の狭さに気づかされた。
ホテルじゃなくてストリートという手があったか。
そっちの方がいいな。
やっぱりユカトンストリートをつくろう!
いつか、ハワイのどこかにユカトンストリートができるので是非楽しみにしていてほしい。
「The Seaside」ではシーフードが大好きなゆかの好みのお料理が揃っていた。特に大好きなシュリンプカクテルとオイスタープレート、そしてクラムチャウダーとシーバスのグリルを注文した。それにスパークリングワインと白ワインを合わせて飲む。
味は普通においしかった。
正直に言えば、ゆかはぷっくりと大きくてクリーミーな牡蠣が好みなので少し物足りない。
でも特に全体としての不満はない!おいしかった!
お料理はすべてママと半分ずつ。オイスタープレートは半ダースか1ダースで選べ、他のお料理もあるのではじめは半ダースを注文した。
しかし、「やっぱり1ダースいっちゃおっか!」という話になり、店員さんにお願いして1ダースに変更してもらった。
席は厨房のすぐ近く。フロアの店員さんは1人。そこまで混んではいなかったが、それなりに忙しそうだ。
お料理を待っている間、店員さんが他のお客さんの注文を通す声がかすかに聞こえた。
"......24 oysters...."
ん?24オイスターズ?2ダースってこと?そんなに?だれが?
辺りを見渡しても大人数のお客さんはいない。
しばらくすると、大きなお皿2枚に12個ずつの生牡蠣を乗せて、店員さんがテラス席に座るカップルのもとに運んでいった。
カップルはとても嬉しそうに様々な大きさ形のオイスター達を迎えている。
テーブルの脇にはボトルシャンパン。
「わー!あの人たちひとり1ダースずつ食べるんだね!」とママ。
ゆかは感動していた。
同志だ!仲間だ!
ここにもいたなんて!
ゆかは1人で過ごす特別な日にオイスターバーに行くことがある。
お笑いライブ、映画、特別展、、、好きなエンタメを観た帰り、ゆかはオイスターバーでその日お店がおすすめする生牡蠣が敷き詰められたオイスタープレートと白ワインをグラスで2-3杯注文する。
ゆかのためだけの、ゆかの大好きなオイスターとワイン。
他になにもいらない!
だってお腹いっぱいになっちゃうじゃん!
最後までおいしく食べたいじゃん!
お腹いっぱいで苦しくなったらオイスターとワインに失礼じゃん!
おいしいご飯とお酒は最大限楽しみたい。
そして最大の敬意を払いたい。
エンタメで心を満たし、オイスターとワインで体を満たす。
そんな贅沢な1日。
��つか都内近郊のオイスターバーを制覇して、お気に入りのお店の常連になりたいと考えている。
そんな独りよがりな"ひとりデート"を、あのカップルはふたりでやっていた。
"ひとりデート"と"ひとりデート"で"ふたりデート"になっていた。
あそれはもう普通のデートか。
いや、理想のデートだ!
なぜなら、ふたりデートはボトルを開けられる。
ひとりだと飲みきれないが、ふたりなら飲みきれる。
そんな、ひとりとふたりが爽やかに入り混じった理想のデートをするあのカップルはとても素敵だった。
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sleepersriver · 1 year ago
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裸の自分
2022年夏、ひとりで石垣島に行ってきた。
その直前に行ったオーストラリアでシュノーケリングにハマり、どうしても夏のうちにもう一度やりたくて、日本に帰ってすぐ往復チケットとゲストハウス、シュノーケリングツアーを予約した。
荷物はリュックの中に着替えの短パン・Tシャツ、小さなタオルとニベアくらい、ビーサンを引きずりながら飛行機へ乗った。
当時は、ずっとしていたジェルネイルもキャットアイが特徴のメイクもやめていて、かろうじて残されていたのは、パーマでつくられた人工的な「ナチュラルウェーブヘア」だけ。あれほど大切にしていた自分の「こだわり」から遠ざかっていた。
「大学生」という肩書一枚だったゆかは、自分にまとわりつく「何かしらの概念を持つレイヤー」をできる限りそぎ落としたかったのだ。
小学生の頃は「お勉強のゆかちゃん」
中学生の頃は「ダンスのゆかちゃん」
高校生の頃は「チアのゆかちゃん」
大学生の頃は、部活を引退するまで「アメフトのゆかちゃん」
部活を引退してからはじめて「ただの学生」になった。
その解放感がゆかと自然を繋ぎ合わせたのだろうか、海の中の世界を自分の居場所のように感じた。
「ゆかちゃん」を象徴するものを手放して、裸一貫、島へ向かった。
台風が来るか来ないかの瀬戸際の時期だったが、当日は快晴。同じ船にはゆか以外に、女の子二人組、ダイビングで参加している数人と会社で来ている10人くらいのグループが一緒に乗り込み3つのスポットを回る。
最初のスポットに到着すると、さっそくみんな海に飛び込んでいく。「どうぞ、自由に泳いでください!」というスタイルのそのツアーではガイドさんによる案内はほとんどなく、写真を撮ってくれたり、個別に声をかけて軽く���り方を教えてくれるくらいだった。
シュノーケリングはオーストラリアで何度かしただけでまだまだ初心��だったが、おさかなと泳いだり、見よう見真似で潜ったり、フィンとシュノーケルをうまく使いこなし、水中の心地よさを楽しめるまで上達していた。
そして、海の中はまさに『海中都市』。
人の手が行き届いていない海こそ、繁栄した都市のように活気に満ち溢れていた。
この世界にもっと近づきたい、受け入れられたい、住人にはなれなくても「おなじみのゲスト」くらいにはならせてもらえませんかね、と海の住人たちに向かって話しかけていた。
次のスポットに到着するとダイビングの準備をするよう促された。シュノーケリングだけのつもりだったので「?」となったが、話を聞くとゆかは間違えてシュノーケリング+2ダイブのツアーを予約してしまっていたそうだ。
ゆかにとってシュノーケリングの魅力は、「裸に近い状態で呼吸を止めて異世界にお邪魔する」というところにあった。地上生物と海中生物の垣根を地上側のより発展した文明に頼らず肉体ひとつで超えていくからこそ海の世界と繋がり合えるのだ。でっかいボンベをがっつり背負って海中に踏み込んでいくダイビングは「ずる」な気がしていた。しかし、その分の料金を払ってしまっているのでしょうがない。初心者のゆかに専属でつくガイドさんに連れられて、初めて深い海の底までお邪魔させてもらうことになった。
ガイドさんはとても優しく、ゆっくり海の中を案内してくれた。途中で気づいたが、全く自分の脚で泳いでいない。ガイドさんに導かれるまま、同じ目線を泳ぎ回るおさかなたちと次々と表情を変える青の中に立ち尽くしていた。
世界全体が「ピュア」だった。
その「ピュア」の中にいるゆかは彼らの目にどのように映っていたのだろうか。
船に戻り昼食の時間になった。提供されたお弁当はカレーで、朝からほとんど食べていなかったゆかは全部平らげてしまった。その後もまたダイビングだ。海中で苦しくならないか心配だったが、食欲には逆らえなかった。
ランチタイムが終わり、最後のスポットに向かう。2回目のダイビングと、もう1回シュノーケリングをする時間もあるらしい。今度はさっきの優しいガイドさんに代わり、若いにいちゃん系ガイドさんが付いてくれることになった。「さっきのように付きっきりで案内してくれるんだろうな」と、甘えた気持ちでいた。
今度はゆかとガイドさんの他にダイビング資格を所有する参加者の2人が一緒に潜るそうだ。慣れてそうなダイバーの2人に迷惑をかけないようにしなければと、少し緊張が走る。
船から海の中に入るはしごに足をかけた。
一段、また一段と下っていくごとに感じる胃への圧迫感。
「ちょっと苦しいかも?」「いやいや、みんなも同じ量を食べてるし、1回目も少し苦しかったからこれが普通なのだろう」と、自分を説得させて、ラストダイブに挑む決意を改めた。
4人で海の中を回る。他の3人は上手にコミュニケーションを取りながらズンズン進んでいく。パシャパシャ写真まで撮っている。
ゆかは付いていくのに必死だった。「若いにいちゃん系ガイドさん」は「手厚いサポートをしてくれない系ガイドさん」だった。一生懸命脚を動かして前に進む。腰におもりを付けているのにドンドン浮いしまう体にぐっと力を入れて沈めながら、遅れをとってしまわないように頑張って泳ぐ。
胃は先ほどよりも圧迫されていた。1度でボンベから吸える酸素の量は少なく、さらに水圧と力む体の圧で苦しい。辺りはたぶん絶景。でも全然見れない、楽しめない、苦しい。
「途中で出たくなった時のジェスチャー」は教わっていたから、何度もガイドさんに伝えようとした。でも他の参加者に迷惑がかかるし、せっかくの機会だしと我慢。
が、限界。
遂にゆかはガイドさんに向けてジェスチャーをして、海面に引きあげられた。
海面に着くと、シュノーケリングをしている参加者たちの間を器用にすり抜けて、1回目の時の優しいガイドさんが駆け寄って来た。ガイドさんはどうしたのかと聞き、苦しかったと答えた。「まだ行けそうか、行けそうだったらもう1度海の中に連れていく。」という問いに、ゆかは優柔不断な態度を示した。
「行けるものなら行きたい、苦しかったけどもしかしたらまだ頑張れたんじゃないか」と悩んでいたその時だった。
急に食道を逆流してきたカレーがゆかの口を塞いだ。
ガイドさんはすぐさまダイビングマスクを外す。
クルっとゆかの体を半回転させ、そのまま首根っこを掴んで船まで連れ戻していく。
出てくるカレー
集まる魚
離れる人々
空は澄んでいた。
カレーの代わりに取り込んだ空気によって浄化されていくゆかの体内を映しているかのようだった。
人間じゃない気分だった。
ただの生き物?
ちがう。
『溺れかけた猫』
そんな気分だった。
船に戻って休憩して、体調も落ち着いた。もう1度シュノーケリングをするかと聞かれたが、もう疲れ果てていて気分が乗らなかったから、それでツアーは終了となった。
そんな変な(?)思い出となった初ダイビングだが、また挑戦したいと思う。でもやっぱり、シュノーケリング6回:ダイビング1回くらいのバランスがいいかな。
「裸に近い状態で呼吸を止めて異世界にお邪魔する」というシュノーケリングの魅力。
異世界にお邪魔する時は、できるだけその世界になじむ姿で踏み込みたい。そして、それにともなう苦しみも受け入れたい。
自然が裸ならゆかも裸。
ゆかにとって自然との関わり合いはそれが理想的なのだ。
でも、たまには文明の力を使ってでもより深く自然を知りたい。
深く知り合うことがよりよい関係をつくるのだから。
その時のためにダイビングも練習しよう。
そして次は直前に満腹になるのはやめよう。
地上の生活に戻ったゆかは、ジェルネイルも、キャットアイのメイクも、ピアスも服も、今まで通りこだわりを���き通すことにした。
あの時のゆかは裸の自分で生きてみたかった。
裸の自分で生きられるのか試してみたかった。
でも、この地上では服を着ないと苦しい。
恥ずかしいし、傷つきやすいし、不安。
服を着ると途端に不安は消える。
今度は不満が現れる。
あれでもない、これでもない、ゆかが着たい服はどこだ。
色んなお店に足を運んだが、結局自分のクローゼットの中にある服が一番しっくりきた。
無理にそぎ落とそうとしていたレイヤーは、唯一無二の勝負服に姿を変えていたのだ。
一生ものの勝負服。つぎはぎだらけになっても大切にしたい。
たまにその服を脱ぎたくなったら、自然と戯れにまた海にお邪魔しに行こう。
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sleepersriver · 1 year ago
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タレントディスカバリー
「ゆかはタレントディスカバリー的な才能があると思う!」
と昔ある人に言われたことがある。
すごく誇らしかったことを覚えている。
まだ気づかれていない誰かの魅力を見つけることが得意という事なのだろうか。
だとすると、そんなゆかに気づくその方のほうがよっぽどタレントディスカバリーに長けていると思うが、素直にうれしかったし、もっとディスカバーできるようになりたいと思った。
大学時代、ヨーロッパ文化史の授業で「芸術の公共性」というタイトルのレポートを書いた。
芸術の公共性を美術館の歴史を辿りながら考察する内容なのだが、そこで、美術館の原型がかつて宮殿や貴族の邸宅のなかであらゆる"もの"をコレクションする部屋だったということを知った。
美術作品に限らず動物・鉱物・植物の標本・書物・肖像・楽器などの「雑多なもの」が集まったその部屋は、「自然全体の縮図」と捉えられ、宇宙や世界のモデルとなり、コレクションが多様であればあるほどその無限の広がりを表現していたという。
これまで自分が、見て、聞いて、感じて、経験したもののすべてが、この肉体のなかに集約される。
声に出さなくても肌に描かれている。
そして、その多様性が自分の可能性の広がりを表現している。
そんな考え方に似ていると思った。
一方で、メキシコの建築家ルイス・バラガンはこう言ったそうだ。
「全景を見渡すパノラマより、正しく枠取られた風景のほうが美しい。」
これまで自分が、見て、聞いて、感じて、経験したもののすべてが、この肉体のなかで集約され、溶け合う。
その一部を正しく掬い、音にのせる。
それが言葉となり、他の肉体に流れ込んでいく。
そんな授受の営みを含めた美しさのことを言っているのだろうか。
タレントディスカバリーとは、まだどこも掬いとられていない肉体を見つけることだ。
そして、正しく掬い、ぴったりのスープ皿に盛り付け、正しく届ける。
どこかの肉体に新しいスパイスが加わる。
その風景は間違いなく美しい。
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sleepersriver · 1 year ago
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うんち
はじめて韓国に行ってきた。
激辛麺にハマっていた時、韓国のインスタントヌードルを豪快に食べるモッパン動画をよく見ていた。
ジャンキーで大ざっぱなのに、カラフルでポップな『雑かわいい』韓国式のホームパーティに憧れを抱いていた。
2泊3日、定番の韓国グルメは大体食べつくした。
キンパ、トッポギ、韓国おでん、サンナッチ、ホットグ、ハットグ、チヂミ、ユッケジャン、カンジャンケジャン
チャミスルは毎日飲んだし、マッコリも飲んだ。
最終的には体内がギットギトになり、一切のあぶらを受け付けなくなった。
でも楽しかった。おいしかった。
次はもっと楽しめる気がする。
ネオンで輝く街並
屋台からモクモクと立ち上る煙
そんな魅力的な異世界のなかで、ゆかが一番心惹かれてしまったのは、プリクラ機の前で貸し出されていたうんちの被り物だった。
大きさ・形、ともに完璧。最高のフィット感だった。
あまりに気に入ってしまったため、盗んで持って帰ろうかと思ったがやめた。
なぜだ。
なぜゆかは、こんなにもうんちが好きなのだ。
しかも、外国という非日常な空間の中で、なぜ毎日欠かさず出会うそいつに惹かれてしまうのか。
ゆかだけじゃないはずだ。
うんこドリルやうんこミュージアム
人びとは皆うんちに惹かれている。
(ゆかはうん"こ"ではなくうん"ち"の方を好む。)
うんちをすること、つまりデトックスで人々は快感を得る。
無駄なものを排除し、すっきり美しい状態を回復させる。
そう考えると、健全な消化・吸収の循環において、ごみとして排除されてしまううんちは弱者だ。
弱者がゆえの儚さが人びとを惹きつているのかもしれない。
だってうんちはかわいい。
かわいいとはつまり、儚いということだ。
だけどゆかは、うんちにかっこよさを見出したい。
だからゆかは、今日もうんちを鼓舞する。(?)
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sleepersriver · 1 year ago
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恐怖心の正体
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の終わり、「リリーへの手紙」として綴られたあとがきで、
「こんな小説を書いたからって、俺が変わっちゃってるだろうと思わないでくれ。俺はあの頃と変わってないから。」
とリュウは言い残す。
この小説は、19歳のリュウが仲間と過ごす空虚な日々の先に希望の色を見つける物語だ。
その色は「限りなく透明に近いブルー」
透けて見える、
だけど透明じゃない、
そんなブルーならなってみたい。
この小説を「そうなの、そうなの、」と思いながら読んでいる自分はいずれいなくなるのだろうか。
変わることでなにかを失う恐怖。
未来のリュウが言う「俺はあの頃と変わってないから」
そんなん信じられるかあ?!
信じられなくない?!
「俺はなにも変わってないぜ」「俺若者の気持ちわかるぜ」
って言ってる人たち大体わかってないし!
全然わかってないし!
はじめは透明に近かったブルーも、どんどん濃くなっていくだろう。
そしたら、透けて見えていたものが目を凝らさないと見えなくなる。
さらに濃くなって、ただの青に覆いつくされる。
そうなるともう、見えていたものが見えなくなる。
でもね、ずっと透けて見える人たちをゆかはたくさん知ってるんだ。
何度も何度もその半透明のガラスを汚されては、全身を懸命に動かして綺麗に拭きとる。
彼らが自分の視界をクリアにしておくために行うその行為は、彼らを見る側のゆかを安心させてくれる。
いずれそのガラスは、彼らが発する熱によってやわらかく溶け、彼らの身体をやさしく包み込むだろう。
その時初めて、まだここに存在しない、未知の色を体現できるのではないだろうか。
変わることでなにかを失う恐怖。
しかし、その恐怖心の正体は、実は喪失ではなく忘却なのだ。
その色の下に隠されたものは失くならない。
失くならないから安心してくれ。
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sleepersriver · 1 year ago
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オードリーとビヨンセ
先日、オードリーのオールナイトニッポン15周年の東京ドームライブが開催された。
オープニングアクトで若林がドームを自転車で駆け抜ける。
ただ自転車で走っているだけなのに、「おー!」と会場が湧く。
それを見て、さっそく笑い泣きしてしまった。
オードリーに興味のない人には何のことだかさっぱりかもしれないが、あれは「おー!」なのだ。
1年前から宣伝活動が行われ、当初は「東京ドームで観覧したい!」と思っていたが、もともと部屋でこっそり聞いていたラジオのイベントだから、1人でオンラインの方が"らしい"かなと思い、早めに帰宅し『完璧な状態』で観ることにした。
『完璧な状態』とは何かというと、ゆかとオードリーを結ぶすべての物を机の上に並べ、よりライブを楽しむために適当な食事が用意されている状態のことだ。
必要な物は以下の通りである。
・若林正恭著「社会人大学人見知り学部卒業見込み」
・若林正恭著「ナナメの夕暮れ」
・若林正恭著「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
・オードリーのNFL倶楽部編「オードリーのNFL倶楽部 若林のアメフト熱視線」
・藤沢周著「オレンジ・アンド・タール」
・村上龍著「限りなく透明に近いブルー」
・平野啓一郎著「ドーン」
そして適当な食事として、
・ロゼプルダックポックンミョン
・ロゼワイン
・マックのポテトとチキンナゲット
を用意した。
並べられた小説はすべて若林が自身のエッセイの中に登場させたもので、いわゆる『若林文庫』だ。
当然だが、グッズのパーカーを着る。
下はアメフト部時代のスウェットを着た。オードリーもアメフト部出身なのだ。
この『完璧な状態』について後にお姉ちゃんに説明したら、
「しっかり推し活してるじゃん」
と言われた。
なるほど、これも推し活というのか。
ゆかは特定の俳優やアーティストを長期的に推し続けることはない。
唯一、高校生の頃からビヨンセを崇拝しているが、彼女に対する眼差しと若林に対する眼差しは全く違う。
若林とゆかの関り方は、彼がラジオやエッセイで話す体験談を聞いて、同じ小説を読んだり、同じような経験を振り返ってみたりすること。
若林の繊細な感性と独特な視点をベースに紡がれる"本当の話"はすごくおもしろい。
こと・ものが若林フィルターを通ることで彼の話の中で輝く。そして、同じこと・ものを追体験してみると今度はゆかフィルターを通して違う色に輝く。その相違点や共通点をじわじわと楽しむ。
一方で、ビヨンセとゆかの接点は彼女がリリースする作品オンリーだ。ビヨンセの世界観は完璧で、瞬間的に放たれた閃光がすべてを包み込む。様々な要素をビヨンセ一色で表現する。ゴールドでキラキラしているのに純白。圧倒される。
このふたりのスターはどちらも、この世界の複雑性を自分から受け入れる。
自ら自分を汚す。
そのうえで光に変えてしまう。
その強さに、ゆかは憧れと尊敬の念を抱くのだ。
ふたりのスター。
どちらをより「推す」か。
なんでそんなこと決めなくちゃいけないんだ。
「どっちも」でいいじゃないか。
どっちも好きなんだから。
そして、どっちも好きなのは、まぎれもなくここにいるゆかなのだ。
「好き」という気持ちは、異なる世界観を繋ぎ合わせる唯一の策だ。
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sleepersriver · 1 year ago
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批判
批判されなくなることが怖すぎる。批判的な意見が存在しない世界は厳しすぎる。
学生時代、授業で新しいことを学び、レポートやディスカッションでそれについて自分の意見を述べる機会が与えられていて、主に成績という形で専門家から批判あるいは肯定をしてもらえていた。
これ以上なくありがたい環境だった。
学校の外の世界は、まず議論すべきことが明確に与えられない。
そして大体の場合、それ自体が共有されぬまま、移り変わる人々の興味の波にのまれていく。
批判的思考とは批判のためではなく、肯定するための思考だ。
納得できない事に対して「なぜ?」をとことん突き詰めて、最終的には肯定したいのだ。
この世界を肯定したいくせに嘘もつけない。
だから、「もう諦めて嘘でもいいから肯定してしまおうか」とも思えない。
悲しくて、納得できなくて、絶望するし、悔しい、
それでも、自分が存在する世界は素敵でなければならない。
そうであってほしくて思考する、知らなかったことを知る、また傷ついて、いやいやそんな筈はないとさらに深く潜っていく。
海の中は苦しい。
そんな時、批判はひと吹きの息を与えてくれる。
おかげで、周りを見渡せるようになる。
「ああ、潜りすぎたな」とか、「いやまだここかい!」とか、今自分がどのくらいの深さに辿り着いているのか気づく。
批判されないことは不安だ。
ゆかのものさしはまだ赤ちゃんで、ふにゃふにゃで、ずっと仰向けに寝かせとくと後頭部が絶壁になっちゃう。
そんなの嫌だ。
バランスよく様々な批判にさらして、美しい形の頭になりますように。
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sleepersriver · 1 year ago
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みせかけのマフラー
車を買うことになった。仕事で使うからだ。
免許を手に入れてから3,4年くらい経ったかな。野良での運転はその間2度のみ。
「免許証を持っている人が誰でも車を運転できるわけではない」という実態と「免許証さえ持っていれば誰でも車を運転してもよい」という制度の乖離は恐ろしい。道歩くとき気を付けよ。
お姉ちゃんに手伝ってもらって練習をし、最近は段々と慣れてきた。今では運転しながら星野源を口ずさめる。
長距離・雨の日・夜、さらに難しい状況での運転も習得していかなければならない。頑張るぞ。集中力を持続させるトレーニングもしようかな。
さて、「先に車を買ってから1人で練習するのがいいのでは」というママの提案により、予定より早く車屋さんに足を運んだ。
車種は決まっているから、ゆかが決めるのは色だけだ。
全部で7色。事前に調べていた時点で、「赤・青・紫は絶対にないな、白はおしゃれさに欠けるし、黒はママとお姉ちゃんと被る、残りのアプリコットグレーとメタリックグレーを実際に見てから決めよう」と考えていた。
当日、実際に見てみるとどちらも捨てがたい。分かりやすく形容するならばアプリコットグレーはかわいい系、メタリックグレーはかっこいい系だ。
かわいい私か、かっこいい私か、
ふたつにひとつ、、、
そんなの選べるわけないじゃない!
うんうん言いながら悩んだ挙句、ゆかはかっこいい私を選択した。
仕事で使うのだから、かっこいいが正解だろう。
その後、スタンダードモデルかアップグレードモデルか、みたいな、タイヤの大きさや若干の機能の違いを説明され、より安全性の高いアップグレードモデルを選択した。
在庫確認のため担当の方がしばらく席を外し、戻ってくると同時にこう言い放った。
「メタリックグレーですと、モデルがスポーツカー仕様のみに限られてしまうのを確認し忘れていました!」
何かというと、メタリックグレーを選択すると自動的にスポーツカーモデルとなり、スタンダードモデルやアップグレードモデルの選択肢がないのだ。
スポーツカーモデルとは、より大きく派手なタイヤ、シートも両脇がキュッとホールドする感じになっていて、フェイスもゴツみが増す。
そしてなにより、マフラーが付くらしい。しかしよく聞くと、そのマフラーは実際には機能せず、"そういうデザイン"としてそこにあるのだと言う。
つまり、『みせかけのマフラー』ということだ。
絶対に嫌だ!
実際に使えるマフラーならかっこいいかもしれないが、みせかけのマフラーほどダサいものはない!
というかそんなもの作るなよ!
なに、みせかけだけのマフラーって!
マフラーにその機能性以上の価値を見出すのは勝手だが、それは実際に機能してこそ認められる価値だろ!
変な風に切り取るな!
間違ってるよ!
と、急な拒否反応と全身を覆い尽くす憎悪。
あげくの果てに、「一気にお値段があがります。」と担当の方。
おいおい、バカげてるぜ、
『みせかけのマフラー付き車』の方が、『全部が本物車』よりも価値が高いっていうのかい、
「余分に支払うのでみせかけのマフラーだけは付けないで下さい。」と言いたい気持ちに駆られたがまあいい、もう疲れた、
「それではやっぱりアプリコットグレーにします。」
心の中の激しい怒りと絶望とは裏腹に、その後はスムーズな手続きが行われ、お店を後にした。
紆余曲折あり、かわいい私の方になってしまったが、実はとても納得している。
ゆかが何かを選択する時、最後の最後では不可抗力に委ね���ことが鉄則なのだ。
ただ、『みせかけのマフラー』がゆかにとって不可抗力だったかと問われれば、結局ゆかの中で「みせかけだけは許せない」という価値観があったのだから自分の意思だったとも言えるし、メタリックグレーはスポーツカーモデルだけで販売すると決めのは企業側なので不可抗力だったともいえる。
そんな話でした。
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sleepersriver · 1 year ago
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オリジナルものさし
2024年、はじめて占い本を買った。ゲッターズのやつ。
本屋で立ち読みして、買うか買うまいか悩んだ挙句、「えいっ!」とレジの方向へ振り返った。
占い・宗教・スピリチュアル。遠ざける人も多いし、自分もそのうちの一人だった。でも同時に完全に否定しきれない自分もいたんだよな。
スピリチュアルな人より、スピリチュアルを否定する人の方がよっぽど嫌いで、その気持ちを言語化できないことにずっとモヤモヤしていた。
じゃあなぜ今年は買ってみようと思えたかというと、それはきっと、しっくりくる『オリジナルものさし』を自ら創り出し、手に入れることができたからだと思う。
このものさしを手放さなければ、スピリチュアルに飲み込まれることはないだろうという安心感。
ゆかは、スピリチュアルに飲み込まれるのが怖かったんだ。
判断を迫られた時、どのものさしをいくつ使って決断するのか。
親しい人や有識者の意見、確率や統計。実体に基づく判断材料は無限にある。
哲学・宗教・占い。特定の世界観のなかで道筋を立て、決断を導き出すことも方法のひとつだ。
また、それらを掛け合わせての総合的判断も賢いと思う。
でもそれとは別に、ゆかの決断にはいつも、ゆかという人間の生々しさが感じられるものであってほしい。
ド正解じゃなくていい。
ゆかだけの正解がいい。
その正解を導き出すために必要なものさしの原型が、今ゆかの手の中に感触として存在する。
このものさしを育てていきたいと思うんだ。
自分の感覚をなによりも信じられるようになって初めて、あらゆるものに対して閉ざしていた扉を開くことができるのかもしれない。
そして、もっともっと楽しみの幅が広がるんだ。
鍵を閉めなかった過去の自分に感謝だ。
ちなみにゲッターズ飯田によると、ゆかはこの先5年間、ぶっ通しでモテ続けるらしい。
やったあ!(アゲ)
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