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※月イチ前のメンタルのブレが含まれています。
別にどんな作品を楽しもうが人それぞれご自由にではあるんだけど、自ジャンルでお世話になってくれた某アーティストさんが某作品に手を出したと聞いて正直複雑な気持ち。
あの手の作品がまかり通っている状況を見ているとやっぱりオタクの言う「漫画を通して様々なことを学んだ!」というやつは虚言か?ってなる。時代が時代なら魔女狩りに加勢する暴徒と似たような思考回路なんだよ、作者も��者も。いつまでも絵空事として楽しめられると思うなよ。
・・・とまぁ本当に嫌ならその作品を無視するのが一番だろうけど、それでものうのうとしている輩の無神経っぷりに無視できない自分がいるのも事実。
たかが創作相手にムキになっちゃっているわけでも、やっぱり自分にとって譲れないポリシーがあるからね・・・。そんな自分にもそれはそれで嫌気が差してしまうが。
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息抜きに文具系の話をしよう。

相変わらずシール買ったりマステ買ったりしていますが、ここ最近新しいペンケースを買ったのです。


エルガバというペンケースなのですが、ペンを入れるスペースと消しゴムや定規といった他の文具を入れるポケットが分けられていて、このようにいい感じに収納できた次第であります。デザイン性も機能性も個人的にグッド。

ペンケースが青色だし、やっぱり他のも青系で揃えたいな・・・と思い次に手を出したのが日記用のカバー。今まで日記は100均の透明カバーを使っていたのでしたが、どうしても殺風景感が否めなかったのでNOLTYのA5サイズカバーを購入。
青色でちょうどいいのが見つかったのよね。

そんなわけで一通り青系で揃えられることができました。やっぱりこうして色とかデザインとかこだわるのも文具趣味の楽しいところよね。
ちなみに右の細めの長方形のやつは、コモンプレイス用に使う手帳。コモンプレイスは一度断念しちゃったんだけど、これを機に再開しました。今度こそは上手くコモンプレイスを使いこなしたいなぁ。そんな感じで文具といった他の趣味で気分転換するのは大事よねと改めて思ったのです。
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只でさえ現実が世知辛いのに、そんな現実の問題を無視してまでしょうもないサンドバッグを作って殴りかかってくる連中がどうしても許せない。それでいてこれが本当の愛だの正義だのと語ってくるから余計に笑える。
自分も完璧じゃない不器用な人間だし同族嫌悪もあるだろうけれど、それでも泥臭くもがきながらも誠実に善性と向き合おうとするキャラとどっちがご都合主義者なんだよってなる。
こちとら必死にもがくからこそ、そのキャラの誠実な善性がより輝くんだよ・・・!!!という辺見ちゃんめいたマインド(?)で主役キャラ・ヒーローキャラを応援したいんですけど〜???それのどこが悪いんですかぁ〜???
と叫びたくなってしまうのだ。
オタクは「漫画・アニメを通して様々なことを学んだ」みたいなことを簡単に言うが、それなら闇の部分ばかり見ていないで光の部分もちゃんと見て欲しい。話はそれからだし、創作だからって舐めんなよと言いたい。
今の自分、意識が高い故にメンヘラめいているのかメンヘラめいているからこそ逆に意識が高くなっているのか分からないけど、とりあえず虎杖くんから生きているだけでも偉いぞと褒められたいな・・・。
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趣味を趣味として楽しみづらくなっているのが現状であったりする。正確には二次元方面のオタ活。いや二次元方面でも楽しいことはあるにはあるんだけど色々とゴシップ的な話題が多いし、更にざまぁ系作品やら学級会or反省会やらがのさばっている空気が正直疲れて嫌な気持ちになる。批評するにしてもダークなものを楽しむにしても、文脈をろくに読まずに幼稚な発言や態度を取る連中ばかりだ。
何と言うか作る側も見る側もただ野次騒ぎをして気持ち良くなりたいだけの奴が悪目立ちしちゃっているのがな・・・。そんなのお気持ちヤクザとか陰謀論者とかと変わらんじゃんというか。
まぁこうしてブーブー言ってしまう自分も他人からすれば同じ穴の狢の人間なのかもしれない。あるいは最近の若者は・・・と文句を垂れ流す老人。
もう放っといてくれやという気持ちがありつつ、周りの空気が気になってしまい結局覗いてしまっているところがある。鬱っぽさが続いているから余計にそんなことを思ってしまうかもしれないけど、これもある種の自syou行為なのかもね。
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Indian Peafowl/påfågel. Holland Park in London, England (February, 2020).
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「作者が扱いきれなかった主人公キャラ」という話題を見かけた。まぁ主人公が良い子だから動かしづらいという気持ちは分からんでもないし、逆に悪役やクセの強いキャラはある種の自由奔放さがあるからこそ動かしやすいという気持ちも分からんでもない。
ちょっとジャンルがズレるが、乙女ゲーにおいて優しい性格をした攻略対象より俺様やドSといった性格の攻略対象の方が人気が出やすいのもそういった亜種であろう。
ただ自分からすればその辺り主人公というか善性的なキャラをdisられているような感じがしてちょっと嫌だな・・・���いうのが正直である。何ならそれを拗らせすぎると悪役age主役sageする作品を嬉々とひけらかすような勘違い馬鹿が現れるわけだわと思うすらあったり。
それらを踏まえると何というか普通に頼もしくていい奴を素直に愛でさせてくれやと自分としては思わざるを得なかったりするんだな。
別に主人公は聖人君子であるべき!とまで言うつもりではない。むしろ頼もしさの中にある葛藤や苦悩の描写があるとグッと来るオタクである。そしてそれらが最終的にキャラの根本的にある善性へと昇華させてくれるとこの上ないのだ。
ここ数年ハマった作品の主人公で呪術の虎杖くんが好きな理由だったりもする。
まぁ一口に主人公といっても作品によってタイプが違ってくるのはザラだしその辺り自分も好みがあったりはする。ただ少なくとも頼もしくていい奴だったり善性的なキャラは主人公に担わされることが多いから、比較的主人公推しになりやすい傾向があるのはそういうことなんだろうなぁ。
あと頼もしくていい奴という点として話題の対象がちょっとアレだが、下手にオタク女子の推す男性キャラよりゲイの人が推す男性キャラの方が共感しやすいところがあるかもしれない・・・と前々から思うところがある。まぁフィジカル強めな男子という属性を好む傾向もあるにはあるがその辺り頼もしさとの相性が良いわけだから、どうしてもゲイの人達の方に共感せざるを得なかったりする。
普通に頼もしくていい奴な主人公あるいは善性的なキャラ、ぱっと見王道ぽそう��あるが、オタク同士でのキャラ萌え語り聞いていると別にそういったキャラを推すオタクはライトとは限らないのだが???と妙な反感を抱いちゃうし、それがかえって逆張りに対する逆張りをやっちゃってしまうんだな自分は・・・。
とりあえず私だってニッチな性癖も嗜むけど、こうしてキャッチーなものを嗜んでもいいじゃん!という謎矛盾を抱えているといった具合なのです。
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個人的なモヤモヤと生理前後が被ったせいで先週からメンタルが崩れていたここ最近。
生理が落ち着き始めたせいかメンタルも多少落ち着きつつあるけれど、それでもまだ素直にXでワイワイと楽しみ切れないというのが現状・・・。別にこのモヤモヤは相互さんが原因ではないのは分かってはいるのだけど、それでもなぁ。
そんなメンタルダウンしていた間に見つけた記事。
これを読んでいて自分の何かしらの怒りやら悲しみやらの要因には、他人に自分の世界を壊されてしまうことへの不安と今まで築き上げてきた自分の世界を自分で壊してしまいそうな不安があるんだな・・・と思うなど。どんなに元気な状態でもふとしたときにこういうアクシデントに出くわしたら、すぐにガタガタになりがちなものですので。。
だから今のXは正直色々としんどいところがあったりはしますね。只でさえ現実が世知辛かったりするのにね・・・。
まぁ何だかんだとちょいちょいROMったりたまに呟きもしているけど、もう少し安静状態と言いますか。何かとすぐにやさぐれがちな自分に嫌々しつつも、少しずつ元気を取り戻していきたいな。
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自分のオタクとしてのアイデンティティって一体何なんだろうねというやつ。
まぁそれは今に始まったことではないんだけど、何というか公式の男女カプのことは大事にしたいし何なら愛でているんだけど、それとは別に腐カプも頻度は少ないながらも愛でていることだってあるんですよ、私は。でもひょっとしたら公式男女至上主義からも腐女子からもコイツはどっちつかずな半端者か?と思われているのかもしれない���いう不安があったり・・・。
ちょっとここでは詳しくは語ることが出来ないが、そういったものに対しての個人的なショック案件がつい最近あった。厳密に言えば、これに関して前々から悶々としていたことがこのタイミングで一気にグワーッと来てしまった感じである。別に向こうと直接絡んだことはないしあくまで赤の他人なのは他人だけど、それでも向こうとの価値観の乖離を抱いてしまったのだ。
自分の中にある性癖やらこだわりやらをどこかでアプローチしていきたいし、それが他人と共有できたらより嬉しいものである。ただそれはそれとして公式のことは尊重するし(それでも物申すこともあるが)、いくら創作でもそれはアカンでしょというポリシーもある。更にエコーチェンバーといったものに疲れてしまいやすいという。
そんな板挟みにいる自分が正直心苦しい。どっちが本当の自分なんだろう。前回の記事で語った自分なりのジェンダー・ポリコレ観にしろ、更にずっと前に語ったマイナー解釈にしろ、考えれば考えるほど自分のオタクとしての立場はどこにあるのか?という悩ましさが常々あるし、今後もずっとそういうのを抱えていくんだと思う。
自分は自分、他人は他人という心構えを持つことが一番というのは頭の中では理解していても、
やっぱりどこかしらで私の価値観を認めてくれや〜!!!
となっちゃって最終的には勝手に落ち込んでしまうのよ。何より一人になるのは好きだけど孤独になるのは嫌だという面倒くさい自分の心情。もはやオタク云々以前の問題ではあるな。
youtube
そんな世知辛いメンタルが襲いかかるたびに観たくなるショート動画です。
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ジェンダー配慮・ポリコレ配慮が叫ばれる昨今について思うこと。
ああいう配慮についてはまぁあまり過激な言動となると正直ウーンとなってしまうオタクではあるが、それはそれとして自分の中にもある種のジェンダー観・ポリコレ観のこだわりがあるんだな・・・と前々から思うところがある。
「ダサピンク現象」という言葉があるが、別にピンク自体を特段に嫌っているわけではなくピンクに対する解像度の低さが嫌だというわけで、それと似たような違和感というのが自分にもあるのだ。
男性はしっかりケモノの見た目であるのに女性はケモ耳な見た目に偏りがちな獣人系とか、腐カプにおいてとりわけきゃるるん化される傾向の強い主人公受けとか。それらには個人的にダサピンク現象のようなモヤモヤを抱きがちなのである。別にピンク自体が嫌いではないというのと同じように、別にケモ耳や主人公受け自体を嫌ってはいない。ただ世間における解釈との乖離をどうしても感じてしまうところがあるのがね。
好みの問題と言われればそれまでかもしれないが、それでも何か違うな・・・という気持ちの払いきれなさ。何とも言えないものである。
思えばこういったモヤモヤというのは今に始まったことではないのかもしれない。自分は小学生の頃、恐竜に夢中であった。図鑑を読むのはもちろん、恐竜の絵を描いたり実際に恐竜の化石を見に博物館へ行ったり。イラストレーターなり学芸員なり恐竜に携わる仕事をしたいな・・・と思う時期もあった。
もちろん今も恐竜好きである。しかし中学時代と高校時代は恐竜好きであることを一時的に封印してしまっていた。身内は自分の趣味に対して特に否定しなかったし、何ならノッてくれることもあったけど学校となれば話は別。いやクラスメイトから直接言われたというわけではないんだけど、「女の子が恐竜好きとは如何なものなのか?」という視線を何となく感じ取っていて、好きだけどやっぱりおかしいのかな・・・ということで中高生から社会人になるまでの間は封印した状態となった。
今思えば惜しいことをしたなぁとつくづく思う。もう少し身内以外の理解者がいれば好きの気持ちを維持できただろうに。今更こんなことを言うのも何だけど。
このように自分もジェンダー的価値観についての悩みを抱えていたのだなと改めて。だからといって女子らしい可愛さや趣味嗜好というのを否定はしたくない。それじゃあツイフェミやポリコレ棒と変わらないし、何なら自分にはコラージュ趣味というのもある。だからこそ自分の価値観というのを上手く工夫しながらアプローチしていきたいものだ。
難しいところもあるかもしれないけど、無理をしない範囲でかつ主張すべきことは主張するのは大事ではあるよね。
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映画「はたらく細胞」を観てきましたよ。

はたらく細胞の実写化が前々から気になっていたんだけど、先週の土曜に両親がお歳暮を買いに行くことになってグッドタイミングということで買い物がてら鑑賞することに。観客は子供連れ含め結構沢山入っていた印象。
はたらく細胞は銀魂的なノリで実写化したら面白そうなやつだなと個人的に思っていたのですが、まさにそんな感じで楽しく観ることができました。
原作設定と映画オリジナル設定をこうしてミックスしていったんだなぁ〜と関心しましたし、映画のオリジナル要素である細胞パートと人間パートの描かれ方が実写監督が同じ人なだけにテルマエ・ロマエ的な面白さがありましたね。ただ後半はちょっとした旧エヴァじみたハード寄り展開だったのはビビってしまったが(笑)
それでもラストは希望のある形で、はたらく細胞のポップな世界観とシビアな闘いのバランスがちゃんとエンタメしているところが良かったですね。


チケット売り場・フード売り場のところにははたらく細胞のオブジェがこのよう展示されていたり。ちなみに映画のコラボフードであるチュロリスを買って食べながら鑑賞していました。映画館でチュロリス食べるの久しぶりだったな・・・。

映画を観終わったあとにちょっと寄った書店に文アルの寛ニキがいた。そういえば寛ニキは青の洞門が舞台のモデルである「恩讐の彼方に」の作者だったか。



カフェでサンドイッチとプリンを食べたり居酒屋で夕食をとったりとお食事も楽しく。
ホントにここ半年ほどは体調もメンタルもガタガタだったんだけど、最近は落ち着いた状態だったから、こうして色々と満喫した一日を過ごすことができて良かったです。
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ここずっとのTumblr、何かとネガティブ気味な話題をしがちだったので気晴らしにこの数カ月の間に作ったコラージュをあげときますね。







スケブやポスカサイズはもちろん、箱のフタに名刺サイズと最近コラージュをする頻度が少ないながらも、何やかんや結構バリエーション豊富にやっているねと改めて思うなど。
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不完全ながらもようやく心身が最近落ち着きつつあって、仕事も時期的に短い時間ながらも出勤できるようになりました。
でも正直言えば色々と先が不安に感じることがあったりはする。これ以上ギスギスした空気にいたくないし、かといって孤独になるのもそれはそれで嫌だという面倒くささ。年齢も30越えているのに、未だに自立できてない自分が情けないな・・・とつくづく思ってしまう。
それでも最近は好きな作品の新刊を手に入れたり紅葉狩りへ行ったりと楽しいことは楽しかったり��るし、年中リハビリ状態な自分ではあるけれどボチボチと無理をしない範囲で過ごしていけれたらなぁと。そんな繰り返しをしていたらいつの間にか12月に入ったという。2024年もそろそろ終わるのね。
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これについて未だに引きずっていたわけだけど、やっぱりあの手の作品は自分からすればいくらフィクションでも善悪の倫理観に対して作者も読者も歪んでないか?ってなるし、何なら作者とそれを称賛する読者達が作品で一番醜悪な存在すら感じてしまう・・・。
ピカレスクものと言いつつそんな履き違えた思想の押し付けなんぞクソ食らえだ。思考回路がもはやカルト集団である種のプロパガンダ。そうやって無頓着にひけらかしてくる連中のみみっちさが心底気持ち悪い。
悪役・悪の美学・ピカレスクといった悪属性萌えについて思うこと。
思想強めに語っています。
「悪の美学を楽しむ」というのと「悪役そのものを目的に作品を楽しむ」というのは似て非なるものであるかもしれない・・・とつくづく思うここ最近。そしてそれに加えて自分にはピカレスクはピカレスクでも好みの文脈のピカレスクとそうでない文脈のピカレスクがあるんだなと気付きつつあったりしている。
自分は悪の美学を楽しむ部分もあるからこそピカレスク自体は好きだったりする。実際にディズニーヴィランをモチーフにしたツイステをプレイしているわけだし。ただピカレスクでもヤンキーものでよくある悪には悪をぶつけるようなものは好むが、本来の主人公orヒロイン側を腐して悪役側にある種の正しさを押し付けてくるようなピカレスクは好ましく思っていないのだ。
このような話を何故したのかというと、最近話題になっている某悪役令嬢ものに対するモヤモヤだ。その作品は主人公である悪役令嬢は自らの転生者に愛情を注げられてきたのだが、結局正ヒロイン側に断罪されることとなり愛する転生者のために悪役令嬢が復讐を誓う・・・といった内容である。
その設定自体は確かに面白い発想だと思うし女女の重くて美しい感情は素晴らしいとも思う。だが問題なのは正ヒロインが性悪女と化していること。正ヒロインも悪役令嬢と同じ転生者で正ヒロインのクズっぷりはあくまで転生者の性格によるもの・・・という理由があれど、どの道「正ヒロイン側を腐して悪役令嬢側こそ正しい!」という構図になっている時点であ、コレは自分にとってはアウトなやつだ・・・と悟ってしまった。
たとえ正ヒロインをクズにすることで結果的に悪と悪の戦いとなっているとしてもだ。
最近の作品は悪役も事情なり何なりと設定に深みがあり、それが作品に深みが増していること自体は良いことではある。ただそれにかこつけて「悪役は何も悪くない!何なら主人公orヒロインより正しいの!」という意見を出してくる人間も少なくない。作る側にしろ見る側にしろ。
そりゃ自分も悪役の悲しい過去を知ると可哀想に・・・と思ったりするけど、それでもそれはそれというのはあるし「主人公やヒロインより正しいの!」とかを押し付けがましく主張されると、それ只の逆差別なのでは???ルサンチマンも大概にして???と反感を抱いてしまうのだ。
自分は不器用な人間ではあるけどその不器用さを都合良く利用して逃げちゃうのはそれはそれで負けだよなぁという面倒くさい考え方を持っている。だからこそ自分は悪の美学も楽しめど根本的には主人公側を応援したり感情移入しがちな人間なのである。
それらを踏まえると悪役に感情移入するなら野田先生が辺見ちゃんを自画像にする気概でやってくれや!とすらなってしまうのだ。辺見ちゃんはシリアルキラーとしてのヴィランを真っ当に振る舞いながらも、ゴールデンカムイの主人公である杉元に対するリスペクトへ昇華させることで野田先生は辺見ちゃんに自己投影しつつルサンチマン的な逃げをしていないところに好感を持てた。
以前の記事にも書いたが、辺見ちゃんの悪役でありながら主人公に対するある種の敬意を払っているところが気に入っている。引き合いに出す対象がちょっとおかしいけど、その辺り見習ってほしいと言うか何と言うか・・・。
このように自分も悪役萌えするときもあるしキャラの好みや解釈は人それぞれなのは分かってはいる。ただ悪役に対して萌えたり感情移入するにあたって、自分にとって都合が良いルサンチマンやコンプレックスの捌け口として無邪気に利用するものではないし、それで本来の主人公側であるキャラを安易に蹴落とすような真似はもってのほか。その辺り履き違えないでほしい。
これがフィクションにおける悪属性萌えに対する自分なりのポリシーである。
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