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素牛の涎言~Sogyū no Zengen〜
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sogyu-no-zengen · 8 years ago
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「扇」について
この間のお稽古の時、高林先生から能の扇に関するいろんな話を聞きました。せっかくなのでここに書いておこうと思います。 そもそも、「扇」って言葉、日常生活で使わないですよね。とはいえ、「扇子」という言葉は使いますね。何が違うのでしょう? ブリタニカ国際百科事典によると、 扇:扇子(せんす)ともいう。(以下略) デジタル大辞泉によると、 扇子:おうぎ。 一緒じゃん(笑)と突っ込みたくなります。とはいえ、高林先生の解釈では、「舞うためのもの」が「扇」で、扇いで風を起こして涼むためのものが「扇子」なんだそうです。 さて、能には、いくつかの扇があります。 まずは「中啓(ちゅうけい)」と「沈め折りの扇(鎮め扇、しずめおうぎ)」から紹介しましょう。 「中啓(ちゅうけい)」は、能で使う扇で、閉じた時に両はしが少し開くものです。能の舞台で使われるもので、金、赤、青などを使った華やかな絵が描いてあります。 大きさは一尺一寸。33cmくらい。15本の骨があります。 能では、骨が黒く塗ってあるものと、何も塗られないで竹そのままの色のものがあります。黒塗りのものは女性の役に使われます。男性の役では、黒塗りのものと竹のもの(白骨、しろほねと呼ばれる)が使われます。 中啓の反対が「沈め折りの扇(鎮め扇、しずめおうぎ)」です。これは、閉じるとぴったり閉まるものです。いわゆる「扇子」の大きいもの、くらいに想像してもらうと大体の形がわかるかと思います。 能で使われることもあれば、仕舞で使われたり、お稽古で使われることもあります。 長さは流派によりますが、高林先生のいる喜多流では一尺五分。大体31-32cmくらい。他の流派(観世、宝生、金春、金剛)だと一尺一寸。33cmくらい。骨は10本。子供用は1尺の30cmくらい。 若干脱線しますが、扇屋さんは、喜多流の分だけ、長さの違う扇の骨を用意しないといけないということです。扇屋さんはもう長い間「喜多流さん、お願いだから扇のサイズを。。。」なんて思っているかもしれないですね。 さて、喜多流では、扇の大きさが他より小さいので、扇の紙の部分もサイズが小さくなります。 さらに、特徴的なのが、扇の骨の要の端の方です。他の流派では丸みを帯びていたりするらしいのですが、喜多流はちょっと尖っているような形で、高林先生曰く、「肋骨の間を突き通せるんじゃないか」という。実際、全力で人間に向かって柄を突き立てたら、人体を貫通するかはわかりませんが、だいぶしっかりした怪我を負わせることはできるのではないでしょうか。 なんで喜多流だけ扇の柄が尖っているのか? 能楽関係者の間では、「喜多流は武士系だから」というのがネタだそうです。 高林先生曰く、喜多流ではない4流派(観世、宝生、金春、金剛)は、芸をする人たちが始めた流派なのですが、喜多流を始めた喜多七太夫はもともと武士だから、こういうネタが出てくるのだとか。 さて、ここまででもうお腹いっぱいの人もいるかもしれませんが、もう少し掘り下げましょう。 ざっくりいうと、「中啓は能用の扇」、「沈め折りの扇は能にも使える扇」です。 中啓をお稽古に使うことはまずありません。一方、沈め折りは、「素襖を着た男性役(日常の服装をした男性)」に使われます。また、「仕舞」という能の舞の部分を謡だけでだけを上演する時に使用されます。そして、お稽古の時にも使われます。 ここで面白いのは、能で沈め折りの扇を使う時は「沈め折りの扇」とは呼ばず、「常の扇(つねのおうぎ)」と呼ぶことです。 ここには「本来、舞台に使用するのは中啓だが、役柄がかくかくしかじかなので、(日常の稽古や仕舞で使っている)常の扇を使う」という意味が込められています。 さらに深掘りすると、「常の扇」の中には「仕舞扇」があり、仕舞扇の中に「稽古扇」があります。 仕舞扇は、能には使えないけれど、「仕舞」の上演形式なら使える扇です。扇の地が金色です。稽古扇は地が白。お稽古でだけ使えます。 さて、大体この辺が能の扇の話のいわば「メインどころ」なんですが、せっかく先生がお話しくださったので、もう少しニッチな所の話もしましょう。 「張扇(はりおうぎ)」というものがあります。これは言ってしまえば扇ではありません(笑)いわゆる沈め折りの扇を半分に割って、それに皮で包んだもの。「開かないじゃん」っていうツッコミが聞こえて来そうですがその通り。というのも、これは舞に使うのではなく、 玄人(プロの能楽師)のお稽古の時に、お稽古をつける師匠が大鼓、小鼓、太鼓の代わりにリズムを叩く為に使います。※ハリセンではない! リズムを叩く時には、この張扇で「張盤(はりばん)」(拍子盤ともいう)というものを叩くのだそうです。 張盤は30cm x 20cm x 15cmくらいの木の小机みたいなもので、中が空洞になっています。中を空洞にして音がちゃんと出るようにしているのでしょうね。 で、次が「素謡扇(すうたいおうぎ)」。これは9寸の扇。謡だけする時に使います。舞台では使いません。9寸というのは、大体謡本の対角線の長さ。これなら謡本と一緒に持ち運びしやすいわけです。
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sogyu-no-zengen · 8 years ago
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羽衣について
このブログは喜多流能楽師高林白牛口二師のことを、弟子のYuulyの目を通して紹介していくようなブログです。
初回の投稿なので、このブラグは何なのか、高林白牛口二師は誰なのかどんな人なのかという話をした方が良いのでしょうが、とりあえず高林先生とお話した羽衣の話を忘れないうちに書いてしまおうと思います。
能には「羽衣」という有名な演目があります。あらすじを書くのはめんどくさいのでみなさんに調べてもらうとして、私、この演目がどうも好きになれないのです。
ざっくり筋を説明すると、漁夫が天女の羽衣を発見して持ち去ろうとするも、天女に「返してほしい」と頼まれて、漁夫は「天女の舞を見せてくれたら返す」という。天女は「羽衣を先に返してほしい。人間と違って天女は嘘をつかない」といって、羽衣を着て舞を見せ、そのまま天に戻っていきます。
どうもこの話、好きになれない。というのも、人間の男が天女にマウンティングしている話にしか聞こえないからです。
そこで、高林先生に、羽衣のどこをどう楽しめばいいのか聞いてみました。先生によると、
「確かに、人間の男である漁夫は、天女に対し人間の女性が相手であるような態度で接し、衣を介して自分の優位性を見せつけようとします。しかし、天女は人間ではないので、感情や感情を人間のものと同じように見てはいけません。天女と天女の感情には距離があります。羽衣が無くて天に帰れないのは悲しいでしょうが、その悲しさは人間の悲しみとは別物で、そんなに強いものではないのです。それに、漁夫は天の舞を見せてほしいと言いますが、天女は『これからの人間たちが引き継いでいくための舞として、天の舞を見せる』というのです。つまり、天女は漁夫がリクエストした以上のことをするのです。このように、天女が見ている世界やレベルは人間の漁夫のものとは違うのです。天女と漁夫の間にはずれがあるのです」とのこと。
さらに、「能はいわゆる演劇ではないので、筋書きで楽しむものではありません。能楽師の心、言うなれば心力(しんりき)を舞台で感じることに意義があるのです」とおっしゃる。「だから、羽衣も、男性優位を見せるための作品ではなく、天女を舞を通して能楽師の心の力をみることにおもしろさがあるのです。そして、これは全ての演目に通じるものでもあります」とのこと。
これを読んで「?」と思う人もいるかと思いますが、今日はもう遅いのでこれくらいにして、また気が向いたときに補足することにします。
では。
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