Tumgik
sousouutsuutsu · 6 years
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俗に「女の方が口喧嘩が強い」と言われるが、もともと言語を発するのが遅かったのとあまりぶつかり合うことを好まない日本人的な気質からか、私は兄との口喧嘩に勝ったことがないのだが、「勝ち負け」ではなく「感情的になった方が負け」という言説を知ってから、売り言葉を全て受け流せるようになり、とても精神的に楽になった。これ、おすすめ。
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sousouutsuutsu · 6 years
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生きていると不思議なもので、どうしても許せなかった人を許せたり、突然縁を切られたりすることもあるけど、私にとって家族以上に摩訶不思議なコミュニティは生まれてきてからこの方なく、こういう母親の純粋さや願いがあったということを知っただけで、過去のトラウマ全てを水に流せてしまうから不思議なものだ。
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sousouutsuutsu · 6 years
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2018/10/13「太陽の塔」映画レビュー
卒業制作を考えるにあたり、設計を「建築」という枠組みから外すヒントを与えてくれる映画でとても感銘を受けた。
・「万博テーマ」と真逆のもの
まさに今の日本もそうだが、最先端の技術の積み重ね、アップデート。
1年後にはもう古い最近家電、機械。
そうした文脈を超えたもの、圧倒的に意味不明なものなのに普遍的なもの、だからこそ太陽の塔が残ったんだろうと思った。
私たちが技術革新を重ねる理由は?
原始時代と比較すると労働時間は増え続けている。
先進国の平均寿命は伸び、経済的な豊かさの恩恵を受ける一方で格差は拡大を続けている。
私たちが目指す2万年後の地球はどんな姿をしているのだろう?
自然を支配・管理し、全自動で衣食住が賄われ、好きなことだけやっていればいい社会がAIによって到来するのだろうか?
それって、実は、原始時代の人の暮らしとどう違うのかな?
労働時間は原始時代に戻り、平均寿命は伸び続け、豊かさ=長生き?となるのかな?
私は非常に傲慢かもしれないが、長生き=豊かさとはどうしても思えない人間なのだが。しかし、人間的に長生きされて来た方々は、一つの大切な生命体として尊重はいたします。
・原子力への問いかけ
広島・長崎で原発の被害を受け、東日本大震災でまた原発の被害を受けた日本。
そして、戦後、無視され続けてきた沖縄。
もし渋谷に「原子力処分場」と「米軍基地」があったらどうだろう?
人々の意識は変わるかな?
私たちは、日本人の業、陰と陽に、きちんと向き合えているかな?
そして、岡本太郎の「明日の神話」「子どもの塔」が渋谷にある意味。
小さい頃、歪で魅力的だなと感じていた岡本太郎の作った「子どもの塔」の意味合いを私はきちんと理解できているのだろうか?と不思議に思った。
・2万年後の「太陽の塔」
砂漠に残る太陽の塔。建築。そこまで私は思案できているだろうか?
これから地球は、さらに自然災害に見舞われていくだろう。
未曾有の東京大震災、津波、台風、その他予想を超える自然災害など。。。
そうしたものに東京都という大都市、渋谷が見舞われたとき、どういった建築物が生き残っていくだろうか?
東日本大震災をヒントに、生存戦略をかけた「建築」という「生き物」の姿を模索してみたい。
・曼荼羅と人身御供
曼荼羅を作ろうとして、人身御供の形そのものになったという「太陽の塔」
東京タワー、スカイツリー、タワーと呼ばれるものの形状は、いずれも人身御供そのものかもしれない。
多種多様な文化、人間、生態系が入り混じる場。森。
曼荼羅とスクランブル交差点に共通点はあるのだろうか?
とても興味深いパターンだと感じた。
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sousouutsuutsu · 6 years
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2018/10/4
年一とかの頻度でもユルく会える間柄ってとても貴重。 わたしがコミットメントに挫折したと思うコミュニティは星の数ほどあるけど、どの場所でも「会えて良かった」と思えるたった一人の人との出会いが残っている気がしてて、ほんと良かったなぁと今は思ってるよ。 まなだむ、SATLの方々、みさとちゃん、ひらたくん、ひらばやし、めいめい、移動式ゲストハウスでは今井社長、アースバックハウスではたかちゃん、パーマカルチャーは松澤先生に設楽さん、まさにこれからって感じ。最近は菅谷にも救われてるよ。
私が面白いのは、どこのコミュニティにも所属してなくて、ただただ濃ゆい個人個人とは繋がれているところかなぁ。
渋家ではどうだろう。いい経験をさせてもらったなとは思う。
何より、わしゃもじと会ってドラム始めたのは大きい変化だよ。
れいとくんとはわだかまりないかなぁ。
パーリー建築も大好きだし、西村さん、ませさんにもお世話になった。
私は大好きな人たちが多すぎるんだけど、全部を全部大事にはできない。
人と人を繋げるようなことは出来るかもしれないけど、どこかに染まりきることも出来ていない。
けど、パーマカルチャーはガチで自分色に私なりの私色のパーマカルチャーデザインをして、実践していきたいなとガチで思ってるよ。
何色にも染まれなかった私が、あらゆるレイヤーの人と人を繋げられるような場所を作れたらいいな。
森は複雑で多様性を増せば増すほど安定化するらしい。
私自身がそういう人間になって、そういう場を形成するようなことがしていきたいよ。
だから日本仕事百貨の発想にはすごい感銘を受けたというか、ブックレビュー読んで書いてみようかな。
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sousouutsuutsu · 6 years
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とてつもなく良い子の私と自虐的な私というのはコインの表と裏なのだろうか?
あまりにも正反対なので、私が私でないような気がしていたのだが、
良い子でいることに飽きてくると退廃的なものに引かれる。
退廃的なものに浸かりすぎると、逆に純粋で美しいものに惹かれる。
その繰り返しではある。
一方に偏りすぎると矛盾を感じるので、ぶらぶらぶらぶら軸が常にブレ続けているのだが、私は「天使」でもあり「悪魔」でもあるのだろう。
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sousouutsuutsu · 6 years
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2018/9/28
私の中には分裂した私があって、とても優しくてかわいい良い子の私と、とてつもなく自虐的な退廃的な私と、振り幅が非常に大きい。
振り幅が大きすぎるせいで、私は私を信用することがなかなか出来ないし、このムラっ気を治したいなぁと最近つとに思う。
だけど、精神科クリニックに対してはとても懐疑的であり、メンタルクリニックには通いたくない。
おそらく、一番良い解決策は、何かしらの企業体に務めるなりして、生活習慣のリズムを整えることにあるんだろうなとは思うのだが、、、
うむ。ちゃんと考えたいなぁ。
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sousouutsuutsu · 7 years
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母と父へ
怒り。
無意識の怒りを感じているのだろうか。 毎日毎日、料理を作ってもらい、楽な生活を送らせてもらっているが、精神的に繋がっていると感じることが皆無だ。
私は、毎日毎日、自死願望に苛まれている。
それは、将来の仕事に対す��不安、建築に対する才能の無さ、結婚の目処も何一つ立たない日常。
普通の人生から完全に逸脱して、誰ともコミットせずに生きる日常に対する恐ろしい絶望感に毎日苛まれている。
ただ学校に通い、課題をこなし、何とか卒業するまで耐えようとは思っているが、この恐ろしい絶望感に耐えられるだろうか。
母とも話したが、将来が不安で不安で不安で不安で不安でたまらない。
それは、母と話して宅建の資格を今年は取ろうと決めたものの、恐ろしい絶望感から逃れることができない。
働いていないこと、何もしていないことに対する罪悪感。
積もり積もった対人恐怖症。
どこにもコミットしていないという絶望感。
ただただこの宇宙の中で、この家庭にしか所属していないんだという絶望感。
誰とも会いたくないという虚無感。
毎晩気が狂いそうになる昼夜逆転生活。
自分を自分で病む方向性に持っていっているような生活態度の悪さ。
何のために生きているのか毎日わからないし、死にたくなるし、自分で自分が嫌いすぎる。
親に対する不満?
精神的な繋がりを何一つ感じられない。
何でここに私がいるのか分からない。
愛されている実感がない。
ここにいていいとも思えない。
かと言って、行動することのできない自分にも恐ろしい嫌悪感がある。
親に対する不満なんて何一つない。
ただ自分が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いでその感情から逃れることができない。
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sousouutsuutsu · 7 years
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会社を辞めたのが2015年5月。
そこから、責めの一年を過ごした。
2016年は対人恐怖症と戦いながら3月までは移動式ゲストハウス、4月からは引きこもり。
2017年は
・哲学カフェ
・メンヘラビッチバー
・アースバックハウス作り
・渋家に小屋を建てる
・2級建築士の資格を取る学校通い
・SATLの動画作り
・読書会
・川柳会
・素人DJデビュー
・edible design講座通い
などなど���してきた。
後半引きこもりがちではあったけれど、マズマズの日々を送れたのではないかなぁと思う。
2018年は
・まなだむyoutube動画
・宅建の資格を取る
・satlの動画制作
・川柳の同人誌作る
・渋谷でボランティア活動に携わる
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sousouutsuutsu · 7 years
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お姉ちゃんが大好きすぎるんだけど、私が理想とする人生を歩んできたかに見えるお姉ちゃんが、離婚するかもしれなくて、軽く衝撃を受けてる。
まなだむが流産したとか、お姉ちゃんが離婚するかもとか、身の回りの尊敬して愛している人が幸せであればあるほど遠く感じ、少し不幸があるように見えると身近に感じてしまうのは私の性格が悪いからだろうか。
すがやくんが入院した時もちょっとそう思ってしまった。
けど、彼らと私の違いは、そういう状況下でズブズブに落ち込むメンタリティなのが私であり、過酷な状況下でも笑い飛ばして幸せそうに生きるのが彼女、彼らで、本当に尊敬してしまう。
というか、私の波長が低すぎる。 何もしない、誰とも合わない。それは何一つ不幸を呼びはしないが、得るものもない。
自分が正直、何がしたいのかすらよく分からない。
じゃあ、私が理想とする世界は?というと、
イベント運営型シェアハウスをやってて、そこでのんびりブックカフェオーナーしてて、シェアハウスの住人とも仲良く暮らすような生活。
要は居場所が欲しいだけなのかも。
そこで、DIYカルチャー発信したり、読書会やったり、音楽ライブやったりして遊んで暮らせたら楽しそう。
もっというと、コミュニティガーデンにも関心があって、ホームレスの人とか家出少女とかと一緒にコミュニティガーデン運営できたらいいんじゃないのかなぁとか思ってる。
「やる、やらない」なら「やる」
やってみたいけど、タイミングなのかなぁ。 今、建築の学校に通ってて、宅建の資格も取るのを今年の大きな目標にしてるけど、あとやりたいことって本当なんだろう。
渋谷の街に貢献するようなことがしたくて、そのために今年は
・シブヤ大学ボランティア
・しぶはなプロジェクト
・のじれん 
・グリーンバード
に顔を出してみようかなと思ってる。
あとは、
・SATLの動画制作
・メンヘラ同人誌作成
とか出来たらいいかなぁと。
それくらいかなぁ。
目標を立てたはいいんだけど、どうしようかなぁって。
常に焦ってる。自分が嫌いなまま。
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sousouutsuutsu · 7 years
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生きててもいいのかな 死んだら迷惑かかるしな そうやって生きて生きたいの? もちろんそんなつもりはないよ ただ、人生をまたリセットしたいと思ってる 全ての人間関係をぶった切って、全く違う人間に生まれ変わりたい
私が求めるコミュニティは何? 継続って何? 人付き合いって何? 定期的に全てをぶち壊したくなる衝動は、自分が大嫌いだからだね 実家でぬくぬくと引きこもりの幸せを享受して生きるのには飽きた 渋家片付けなきゃ片付けなきゃ、、、
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sousouutsuutsu · 7 years
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年明けで、友達に会ったり飲みに行ったり親と色々話したりもした。
やらねばいけないことはでも、何一つできていない。
自分が自分で本当に嫌になる。。。
・自動車の名義書換え書類作成
・学校の宿題
・渋家の屋上整理
ダメだなぁ。ほんとダメだなぁ。。。
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sousouutsuutsu · 7 years
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自己肯定感が低い自分が好きという自己肯定感
自分が嫌いな自分が好き
死にたい自分が大好き
思いやりのある自分に酔う
繊細な人が好き
自分が大好きのひねくれバージョン
自己肯定感を高めるには?
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sousouutsuutsu · 7 years
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今回の傷の学び、癒し
>その人にしてもらった嬉しかったことも思い返してみる。
いっぱいいっぱいあるよ。
似顔絵描いてもらったり、夜な夜な楽しくお酒を交わして話し込んだり、おうち作ったり、DJ教えてもらったり、せっくすしたり。
いっぱい笑わせてもらって、今振り返ってもとても幸せなひと時だった。
だからこそ、傷ついたんだよね。
どうでもいいと思ってる人から傷つけられても、あまりなんとも思わないものね^^
>この人は、私にとっての「逆菩薩様」なのだなぁと肯定する。
わたしは隠し事はしないで生きていくよ。
>この世に完璧な人間がいないということをきちんと自覚する。
ほんとそうだね。大好きだったから、神聖視しちゃってたなぁ。
>傷ついて学んだことを書き出してみる。
なぜ傷ついたのか?大好きで独占したいと思ってしまっていたから。
学んだことは、自分には男を見る眼が皆無という毎度毎度同じ学びかなぁ笑。
なんで同じことでこけ続けるんだろうね。
>次回、同じシチュエーションにあったらどう対応するのか?自分なりの答えを出し、対策を練る!
好きな人の結婚で落ち込むのは当たり前。
いいのよ、それで。
ただ、被害者意識を持たないこと。
いいこともあった。そして傷つくこともあった。
菩薩様でもあり逆菩薩様でもある。
ただそれだけよ^^
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sousouutsuutsu · 7 years
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20171/2 傷つき上手になりたい
新年を迎えた。 太陽を浴びると調子がいい。 けど、昨年度知り合って大好きだった人が結婚を隠しててさらに子供まで生まれた衝撃的な事実を元旦早々に知ってショックを受けている。笑
今年の前半はだいぶ調子が良かったけれど、その後、進路不安、男性不信事案、寒さが重なり、3ヶ月ほど引きこもりモードだった。
その後、親と進路に関して相談し、ちょっとだけモヤモヤが解消してちょっとエネルギーが湧いてきた瞬間にこのニュースはかなりショックだった。笑
そして、何度も何度も何度も傷ついても傷つき慣れせず、ただ打撃を受けて引きこもるを繰り返す自分に嫌気が差しているのも事実であり、今年の抱負は「傷つき上手になる」ことにしたく。 以下、傷つき上手になるために私が考えてること。
・この世に天国はない
働いている時、中小企業の良さ悪さ、大企業の良さ悪さをみて、どっちもどっちだなと思った。 大企業で働くストレスはやりたくないルーティーンの仕事が多かったこと、意味わからない上司が多かったこと。
一方で収入は安定していたし、同僚にはとても恵まれていたし、人として尊敬できる上司がほとんどいない中でも「一流だ」と思えるディレクターについて、目をかけてもらったことはとてもいい思い出になっている。
また部署外の人たちとの交流もとても楽しかった。
その後、安定的な収入よりも「社会性のあるドキュメンタリー番組を作りたい」という思いから派遣元の中小企業に戻った。
昔から、「安定」より「やりたいことをやる」ことに価値観を置いていたように思う。
一方で、中小企業では同僚がゼロで常に下っ端。
みんなとても優しかったけれど、下っ端ならではの悩みを気軽に打ち明けられる人がいなくて死にたくなった。
どっちもどっちだった。
この世に天国はないことを知ったし、大企業にいても中小企業にいても死にたい死にたいと思いながら働いていたのだった。
この時の学びは「この世にいいも悪いもない」「人生に正解はない」ということだろうか。
・ニートになっても
その後、無職生活を満喫し、自分で居心地のいい場所作りをしたいと思った。
そういう活動や、ゲストハウスやシェアハウスや村やカフェなどを作って生活している人にもたくさん会った。
けど、どこにでも会う人間、会わない人間がいるのは当たり前で、私も衝突したり、勝手に被害者意識を拗らせらて離脱と加入を繰り返し、はたまた死にたい死にたい現実逃避病に陥っている。
働いていようがなかろうが、根本的な私という人間の本質は何も変わっていないように思う。
死にたい病は常に私についてまわる。
・自己肯定感の低さで得られたもの
私の自意識というのものは生まれつきなのかもしれないが非常に拗れている。
具体的には自己肯定感がとても薄い。
もちろん、万能感を得ていた子供時代の記憶もあるのだが、そのころの私は非常に傲慢で自分勝手で、自己肯定感が高くてもそういう子供時分の自分は実に子供じみていてあまり好きではない。
自己肯定感が低い要因は、私が「自己肯定感の低い自分が好き」だからかもしれない。
自己肯定感が低いと
・他人や傷ついている人に思いやりを持つ優しい人間でいられる
・謙虚でいられる
何よりも傲慢で他人の痛みに無自覚だった自分が大嫌いで、私はその後、度重なる傷つく経験を経て、自己肯定感が低く「謙虚さ」「他人への優しさ」「繊細さ」を大切にする人間になりたいと思うようになった。
結果的に常に自分が他人に対して傲慢ではないか?謙虚さを忘れていないか?を意識するようになり、「優しいね」と言われることが増えたように思うが、一方で他人の感情に異様に流されやすかったり、死にたい病に定期的に襲われたりで、「生きずらさ」と「優しさ、謙虚さ」が表裏一体となった。
・被害者意識を手放したい
その「生きずらさ」から逃れるために、死にたい病から逃れるために「被害者意識」という概念はとてもいいものだった。
親のせい、会社のせい、男のせい、日本社会の制度のせいにしてしまえばだいぶ精神的には楽になる。
現実的な意味合いで、そういう部分もあるかもしれない。
しかし、程度の差でいえば、私より過酷な経験をしてきた方は世の中にたくさんいらっしゃり、ちょっとしたことで極端に躓きやすい私のような人間が被害者意識を持つこと自体がそもそも傲慢かもしれないと最近少し思い始めてもいる。
私が10代の頃にジャーナリストに憧れたのは、ジャーナリストのおじさんの生き方がかっこいいと思ったこともあるけど、おそらく「日本社会制度のせい」にして、自分の「生きずらさ」を肯定したかったからなのかもしれない。
振り返ってみれば、ジャーナリストの藤井誠二さんは「少年犯罪被害者遺族」の実情を代弁されている方で、私はそうした「被害者意識」を代弁してくれるジャーナリストの言動に精神的に癒されていた部分もあったかも。
今一生さんも叱りだ。
一方、被害者意識を手放さずに恨みつらみを持ち続けて生きていくこともそんなに幸せなことではない。
さらに言うと、人間は変わるものだし間違いを犯すこともあるし、この世に完璧な人間などいない。
いつまでも加害者を敵視し続ける生き方というのも「生きづらい」のではないかと思い、自分の中にある「被害者意識に依存する自分の自意識」を手放していけたらいいなと思っている。
・傷つき上手になるには
傷ついたことをまずは認める。
一度は被害者感情に浸ってもよいが、そのあとは、その人にしてもらった嬉しかったことも思い返してみる。
その後で、この人は、私にとっての「逆菩薩様」なのだなぁと肯定する。
この世に完璧な人間がいないということをきちんと自覚する。
今回、傷ついた逆菩薩様から学んだことを書き出してみる。
次回、同じシチュエーションにあったらどう対応するのか?自分なりの答えを出し、対策を練る!
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sousouutsuutsu · 7 years
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遺書 2017/12/31
いろんな人に迷惑をかけて生きてきました。 死んでもいいと思えるほど幸せな瞬間も経験しました。 それは愛する人と一つになったような感覚を感じたときや、みんなで一つの物を作り上げた時や、ただただ笑いあった日々や、尊敬する人と飲み明かした日々などなど。 それはどれも宝石のように美しい思い出ですが、いまの私にはどれもこれもそれらが現実だったようには思えません。
振り返ってみれば、「自殺願望」と「私」という存在は幼少期の頃から表裏一体であり、その絶望を飼い慣らそう、飼い慣らそうとしつつ、一度も飼い慣らせないまま今に至っているように感じます。
絶望に取り憑かれた今の私の波長では、他人に迷惑しかかけることができず、生きている意味が何一つないように思います。
この間、私をいつも励まして静かに愛してくれた数多くの友人や家族には感謝したいと思います。
ありがとうございました。
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sousouutsuutsu · 7 years
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書いたことが実現するなら?
どんな状況下でも折れない心が欲しい
精神的に支え合える恋人が欲しい
ブレない自己肯定感の強さが欲しい
歩くパワースポット、空間を浄化し会う人会う人に幸せをもたらす存在になりたい
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sousouutsuutsu · 7 years
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生きててもいいの?悪いの?
宇宙軸で生きろというフレーズが久しぶりに降りてくる。
宇宙軸で考えれば私なんてミジンコみたいなもん。
ミジンコみたいな私が生きる意味って?
たまたま136億分の1。
たまたまいま。
奇跡的な確率らしい。生まれてきたことだ。
ありのままで完全体なんだ。
宇宙軸で考えよう。
どう生きる?どう死ぬ?
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