Tumgik
srkanagawa · 1 year
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●まだコロナがなかった頃、定期的に読書会が催されていて、私はいつも参加していたのだが、それが終わったあと、参加者一同で軽く食事をしに近くの店まで行くことがあった。そこで読書会の反省などを話すのだが、気の置けない場だったので、無遠慮な議論になることがある。今でも憶えているのは、そのときも既にしばしば蒸し返されてきた話題だったらしいのだが、アートとは何か、という古くて新しい哲学上の問題について、新進気鋭のまちづくり活動家にして研修医(当時)の守本陽一氏がKIACのプログラムディレクター吉田雄一郎氏に何度も問い詰めて辟易させているほほえましい光景だ。私は吉田さんがうざがるのも無理はないが守本さんの気持ちもまあわかる、と思った。KIACという組織の中にあって———多少パフォーミングアートに偏っているかもしれないが———アートの最前線に身を置いて日々仕事をしている吉田さんですら、若い守本さんに問い詰められると困惑的なストレスを感じるほど、アートというものに定説としての定義がない。とくに現代アートの状況を一瞥すると、一体何がアートなのかと首をかしげざるを得ない。これは由々しき事態である。
●美術史は19世紀のダヴィッドやアングルの荘重森厳な絵画に対して《擬古典主義 classicalism》乃至《偽古典主義 pseudo-classicism》の名を与えている。何が《擬》で《偽》であるのかというと、それはもう見て受ける感じが本物の古典主義 classicism とは全然ちがうのだ。本物の古典主義は14世紀シエナ派のシモーネ・マルティーニ『受胎告知』にしろ13世紀ビザンティン美術最盛期のアヤソフィア大聖堂『デイシス』にみられるキリスト像モザイクにしろ、形式と内容の調和と前者の優位下における後者の充実の感じをもっている。人間の歴史の中には個人の自由を抑圧して集団精神を優先させるような時代がいくつもあるが、その状態は永続せず、次第に集団精神の優位下に自由が回復してくるものだ。両者の均衡と調和があるときに古典主義があらわれ、後者のさらなる伸長と激化によって形式の精神の衰微と個人の自由の肥大があるとき、ロマン主義があらわれ、バロックがあらわれ、その方向の極点に印象主義があらわれるだろう。G.K.チェスタトンは印象主義を「宇宙に根拠があることを信じない、最終的な懐疑主義」だと言っている(『木曜の男』)。実際それは「神は死んだ」と叫んだ哲学者があらわれた時代に感覚だけに頼って目前の印象を画布に定着しようと努め、それを突き詰めることで遠近法的画面構成の溶融的崩壊をもたらし、表現主義の無からの絶叫を経てダダのニヒリズムを準備した。2021年現在、印象派が大好きで、モネやピサロのような作風で制作している画家がいるとしても、その作品は《擬印象主義》(そんな言葉はないが)とでも呼ぶしかないようなものになるだろう。あらゆる芸術様式は時代状況の産物であって、画家個人の才能だけで可能になるようなものではない。それを可能にする状況なしにうわべだけ真似をしても《擬》で《偽》であるようなものにしかならないのだ。
●以上の議論を踏まえて、アートとは何かを問おう。ダヴィッドやアングルの絵画をアートではないと言うのは言いすぎかもしれないが、そういう急進的な立場もあっていいと思う。アートは状況の産物である。借り物ではなく、なまの現実と人間が関わることによってしか生まれない。人間不在の芸術がありうるか、という問いは正統派的な立場からすれば全くの愚問に過ぎず、鉱物の結晶や山岳の絶景を「自然の芸術」などと言うのは比喩以外のものではない。(『日本・現代・美術』第十一章を読む限り椹木野衣は宮川淳の「アンフォルメル以後」という論文に人間不在の芸術の理論の可能性を見ているらしかった。そこで同論文の所収されている単行本を取り寄せて読んでみたが、残念ながら私には、本当に誇張なしに最初から最後まで何を言っているのかさっぱりわからなかった。だいたい語源的にも art は technology と同じく人間の営みである。野心は結構だが、人間不在の芸術を認めるなら有史以来のあらゆる芸術理論を御破算にしてゼロから車輪の再発明に取り組まねばならない。とはいえそれが却って現代アートの呈している混乱を十全に掬い取る理論の構築への近道なのだと思わせてしまう状況がある。)
●(このテーマでシリーズ化して続けたい。できるだろうか?)
参考文献:岩山三郎『美術史の哲学』(1969) 創元社 
2021年08月20日
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srkanagawa · 1 year
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●昔、サド裁判の意見陳述で被告人の澁澤龍彦はワイセツなどというものはどこにも存在しない、あるとすればワイセツ意識があるだけだ、と言い、さらに次のように付け加えた。
 わたしは、この世で最もワイセツ意識の旺盛な人間は、検察官ではないかと考えています。  なぜかといえば、ワイセツ意識、ゆがめられた意識は、もっぱら権力から生ずるものだからです。このことを哲学上の言葉でいえば「疎外」と申します。これは当節のハヤリ言葉です。 (『神聖受胎』河出文庫)
●六〇年代なら「当節のハヤリ言葉」だったかもしれないが、今となっては〈疎外 alienation 〉という哲学用語は誤解されやすい。周囲に溶け込めず仲間はずれになっているという意味の「疎外されている」のような用法は俗流的な転用であって、もともとは人間が人間のために作った観念・制度・関係などが独立性を持って外在するようになり、それらが人間に対立することをあらわしている。人間は内的自然・外的自然の別を問わず自然に働きかけてあらゆるものを作るので、疎外は人間生活の全領域を覆い尽くす。
●疎外は必ずしも悪いことばかりではない。たとえば詩人にとっての韻律も疎外の一形態である。形式というものは彼のポエジーにとっては一つの否定的要因として働く��、自由を抑制し、あえて規律の中へ自己を矯正的に適合させることで逆に社会的自己を肯定することができるだろう。社会的動物としての人間にとっては、自己肯定とは、疎外の否定性が生本来の快楽的な否定性と幸運にも一致することなのだ。生にとっての自己肯定とは野放図な肯定ではありえず、否定することで却って強く肯定する構造を本来的に有している。生と死は一体だからである。
●われわれが社会の中でハッピーに生きることを望むなら、〈疎外〉という新しくもない哲学的観念を意識することはかなり大きな助けになるだろうというのがここで言いたいことである。この観念は〈自然〉に隣接されて理解されるので、ここでもう一つ想起されるのは、かつて花田清輝がチェスタトンのウイリアム・ブレイク評伝中の一節を引いて述べた言葉だ。「鏡の国の風景」(『アヴァンギャルド芸術』所収)において花田清輝は、十八世紀の芸術家は外部の世界を、十九世紀の芸術家は内部の世界を、二十世紀の芸術家はそれらの二つの世界の関係に注目しながらそのいずれか一方を、それぞれ捉えようとした、と敢えて図式化したのち、例外的に十八世紀の芸術家の中にも内部の世界へ入っていった者がいた、とした上で次のように言う。
『ブレーク』のなかで、チェスタートンは、その卑俗な面の代表者を、カリョストロに——その高貴な面の代表者を、スウェデンボーリに求め、十八世紀の反抗は、自然主義と同時に、或る種の超自然主義をも解放したといっているが、まったく、その通りにちがいない。
●十八世紀は教会の支配から理性と自然を解放した。花田清輝が生涯を賭けて探求した芸術はキリスト教の嫡子としての西欧的なリアリズムであり、芸術とはリアリティを捉えようとする営みである、と定義していたように思える。リアリズムとはもちろん写実主義という意味ではないにしても、これは一つの大きな限定である。現代アートの批評には混乱がある。古い美学との連続性を保った理論が(少なくとも定説としては)存在しないことが問題だ。しかし芸術をリアリティを捉えようとする営みと定義することによって、客観主義から主観主義への転回という事件の延長線上に、われわれの同時代の芸術をも位置づけるための展望が開けるかもしれないと感じる。
参考文献:岩山三郎『美の哲学』(1966) 創元社 2020年07月24日
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srkanagawa · 1 year
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●デュシャンの『泉』は20世紀初頭の美術展で展示されたからこそアートなのであって、同じものが道端のゴミ捨て場に置かれていたらそれはアートでも何でもない。つまり文脈含めて作品だということで、落合陽一が現代アートのこういう文脈偏重性を批判して《文脈のゲーム》に対する《原理のゲーム》という概念を提出したことはよく知られている。その気持ちはわかる。現代アートの文脈依存的な、ハイコンテクスチュアルな、したがってある意味相対的で鑑賞者を選ぶアートに対して、そういうものをすっ飛ばして誰にでも感覚的にわかる絶対的なものを称揚したかったのだ。しかし現代アートの文脈偏重はいわばそれまでの芸術の崇高性や美の理念への反動であり、理由なしに起こってきたことではないので、単に個人的な好き嫌いの感情で排斥していいものではないのだ。そもそも文脈とは伸縮自在なプロクルステスの寝台のようなものであって、少なくとも真のアーティストが現代世界に対する切実な想いから成した行為でさえあればどんなものでもその中へ包摂してしまうのである。『魔法の世紀』第2章第5節「『原理のゲーム』としての芸術」に挙げられている James Augre の Smell Blind Date など、なぜここに文脈がないと判断したのか理解に苦しむほど文脈依存的な作品だと私は思う。ほかに挙げられている例にも疑問がある。つまりこの分類は人によって定義がまちまちであることが第一に問題だといわねばならないが、それも文脈の伸縮自在性のせいである。
●というわけで、私は今でも現代アートをアートたらしめているのは文脈以外にないと思っている。落合陽一が反発したのはより深い意味においてはおそらく《文脈のゲーム》の《文脈》のほうではなく《ゲーム》と呼ぶしかない状況のほうである。浅田彰が大竹伸朗を「現代芸術が閉じ込められているシニカルなフレーミングのゲームの外へ」出て行く作家として高く評価したのは2006年のことで、したがってその頃のアートシーンには既に批評的評価の獲得とマーケットでの流通を見据えた打算の蔓延が常態化していたことがうかがえる。
端的に言って、何でもうまくフレーム(額縁という具体的フレームから美術館という制度的フレームにいたるまで)に入れて提示すれば芸術作品として流通させられる(まさしくフレーム・アップできる)という、アーティストを装ったデザイナーや戦略家のシニカルな手口が、そこには皆無なのである。 浅田彰「誰が大竹伸朗を語れるか 書かれなかったカタログ・エッセーに代えて」(『美術手帖』2006年12月号)
●話は飛ぶが、2018年11月、機会があって現代アートの関係者の方々数名と対話の場を持ったとき、かれらはここでいうフレーミング———つまり批評やマーケットを意識して既存のアートの系譜のしかるべき位置にうまくはまる「アート」を製造して売りに出すこと———が現代アート界にはびこっていることを、とくに憤るでもなく(と私には見えた)当然視しているようだった。それは、それで食っているかれらの「現場の肌感覚」のようなものだったろう。それを尊重したいとは思ったが、しかしそんなわけないだろうという思いも抑えることができなかった。当時の私の戸惑いはこの定例報告のいろいろなところに書いてある。しかしあれから4年近くを経て、そういう偽物のアートは徐々に淘汰されていくのではないかと、希望的観測ながら思わずにはいられない。2022年現在の私の肌感覚である。
2022年09月12日
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srkanagawa · 1 year
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●私が人生で最初に出逢った思想っぽいものといえば、ひらたく言ってマルクス主義だと思うが、原典を読んだわけではなく、まず山崎謙の『弁証法の論理 変革の武器としての理論』(三一新書・1975年)を偶然読み、それを足がかりにして花田清輝の『アヴァンギャルド芸術』(筑摩叢書・原著1954年。岡本太郎の解説「清輝と私」を収める)を読んだ。これがすべての出発点だ。後者は前者のまさに応用編である。少なくとも前者を既に読んでいたからこそ、演繹、帰納、分析、綜合という後者の最重要のキーワードをスルーすることなく引っ掛けることができた。山崎謙も花田清輝も100%の純然たるマルクス主義者であり、生涯をかけて革命を説いた。ただ巧みなレトリックで何を言っているのかわからない花田に較べて山崎ははるかに直接的だった。私が山崎謙を読んだのは1992年で、既にソ連は崩壊していたが、国会図書館で図書カードに住所と名前と山崎謙という著者名を書いて本を閲覧しただけで家の近くにいかつい顔のエージェントがうろうろするような時代だった。しかしさすがに2022年の今は憚るには及ぶまい。この名前は後世に残すことが必要である。
●マルクス主義とフロイディズムと構造主義が三つの「大きな物語」であり、足���としてはこれだけ押さえておけばいい。この上に自分の知的関心に従って情報収集し、家なり建物なりを建てていけばいい。フロイトに関しては岸田秀や菊地成孔など、「はじめにEXCÈSがあった」ことを明快な日本語で説く著者はいくらでもいるだろう。あとは上野千鶴子の『構造主義の冒険』(1985年)、浅田彰の『構造と力』(1983年)、『逃走論』(1984年)から今村仁司との対談を一読しておけばいい。
●この文章は嫉妬をテーマに書き始めた。そして2022年現在のブックガイドでもある。私のキャパシティでは大した読書はできない。外国語も不自由だ。にもかかわらず、今までの人生を振り返って、知的な嫉妬をした記憶が殆ど全然ない。その理由は私の個人的な資質に還元できるようなものではなく、運の良さに求められる。私は人生の早い時期に偶然とんでもない著者に出逢ってしまった。それはブレない思想だった。以後そのときどきの流行の波はあったが、ほぼ心を動かされず、最初に得たものの上に自分なりの付加を積み重ねていった。
●最後に知的な嫉妬らしきものをしたのは年齢20代の半ば頃だったと思う。天に二物を与えられた才人、容姿も頭も抜群にいいとか、すごくいい曲を作るミュージシャンでありながら片手間にサラッと書いたようなエッセイがメチャクチャ面白いとか、そういう人たちに対して心穏やかならぬものを覚えた。30代になるとそういうことも完全になくなった。20代半ばから30代にかけて、何が変わったせいでこういうことが起こったのか、自分では全くわからないが、やはり社会人経験が深まるにつれて過剰な自意識が破壊され、外界の諸法則に従わなければ物事を成すことができないと了解したせいなのかもしれない。
●現代社会は三人のユダヤ人の影響から逃れられないと言われる。曰くマルクス、フロイト、と来て、あと一人で大喜利が始まるのが常だ。ウディ・アレン、デリダ、ヴィトゲンシュタイン、カフカ、アル・クーパー、カルバン・クライン、ポール・オースター、ジークフリート・クラカウアー、チャップリン、スピルバーグ ……(一般的にはアインシュタイン。でもこの文章の文脈だとレヴィ=ストロースもそうなのか?!)
2022年08月08日
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srkanagawa · 1 year
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●海の中道海浜公園のハバロフスク&マフィアを久々に通して観た。忌野清志郎がこのメンツに合わせてロックン仁義の台詞を「遠い遠いあの頃の、はっぴいえんどやエイプリルフール、ハプニングスフォーにトランザム、サムライ、フライド・エッグ、ミカバンドなんかは一体どこへ行っちまったんでござんしょう」と替えて言うところが一つの大きな見せ場だが(というか最初から最後まで全部見せ場だが)、それよりも清志郎が歌う傘がないを映像+音楽で残せたことの意義が、今となってはとてつもなく大きい。あまりにもはまりすぎているので、この曲を作ったのは実は清志郎なのではないかと勘繰ってしまいたくなる(歌詞といいメロディーといい、またこのコンサートで作詞作曲者のはずの井上陽水が一声のコーラスも差し挟まずボーカルを全面的に清志郎に明け渡していることからも)。もちろんそう見えるというだけであって実際は違うに違いない。♪楽しい夕に〜で始まる「忙しすぎたから」だって井上陽水が作ったと言われても違和感のない曲調だ。
●あとはRCが1990年9月に『Baby a Go Go』を出して無期限活動停止してから1年も経っていない1991年8月というこの時期に「いい事ばかりはありゃしない」や「つ・き・あ・い・た・い」を演っているのは見る人が見れば随分モヤモヤする事だったろうと思うのだけれど、どうなのだろうか。私は92年6月に出たブッカー・T & MG'sとのライブ盤『HAVE MERCY ! 』で「つ・き・あ・い・た・い」や「トランジスタ・ラジオ」を聴いたときですら微妙な気持ちになったものである。
●「傘がない」はUAもカバーしていて、そのときの映像を見ると、この歌姫がいつものザックバランな関西弁のタメ口で「聞きたいねん、この歌のできたときのことを。ほんとにその『君』っていうのはいたの?」と大御所に真っ正面から尋ね、あいまいにうなづいて笑う陽水を受けて「そーなんやー、その『君』さんとは今でもお友達とか? んなことはないよね。遠い昔の好きな人? はあー、そーなんやー」と感心していておもしろい。2004年の『YOSUI TRIBUTE』のときだろうからUA32歳、陽水56歳。
●海の中道のときは51年生まれの清志郎は40歳(存命なら71歳!)、見るからに絶好調で、病を得てパワーダウンした以後の声とは次元が違う。くどいようだがこれを残せたことは何物にも代えがたい。よく演劇やライブなど、その場で消えていく芸術の一過性を過大視するあまり、映像も残さない、録音もしない、パッケージ化なんてとんでもないと頑なに思っているアーティストがいるような気がするが、私は観に行けないひがみ半分とはいえ、何をやっているんだと思う。シェイクスピアの研究者はエリザベス朝演劇の映像資料があったら狂喜するに違いない。不完全とはいえ残す手段があるのにそれをしないのは後世を裏切っていることになる。たった30年前のライブ映像を観てすら、そう思う。
●100年後はとっくに原寸大の立体映像で演劇公演や音楽ライブを家庭で再現できるようになっていると思うが、そこへ至るまでの過渡形態として、部屋の壁一面のスクリーンに原寸大の映像を映して楽しむような時代は意外に早く、あっという間にやってくるのではないか。そのときのために(映画の黎明期のような)紙芝居的ワンカット長回しで現在の活動を撮影しておくべきだ。
2022年06月28日
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srkanagawa · 1 year
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●そんなにレジリエンスに欠けてはいないつもりだが、稀にストレスに耐えられなくなる。年に数回だ。この頻度だと、こういうときどうしたらいいのかわからない。
●人っ子一人いないところへ行きたい。できれば見晴らしのいい場所がいい。音楽を聴きながら車を飛ばせば三十分ぐらいで着けて、しかも高速道路を通らずに行けるところ。(本当はトンネルも通りたくないのだが、さすがにそれは無理だろう。)そういうところで、青空の下、好きな本を読めたら、こんなに爽快なことはない。
●といっても、どこにそんなところがあるのか、さっぱり思いつかなかった。とりあえず車を出した。出石のひぼこホールが取り壊されて更地になっているはずだから行ってみよう、と決め、ナビに入力する。しかし途中に但馬一の宮、出石神社駐車場の白い柱看板が見え、一旦は通り過ぎたが、戻って駐車した。ここから出石神社までは歩いて一分足らず、すぐそこに赤い柵が見える。
●神社にありがちな山の上ではなく、平地だった。周りは見渡す限り田んぼ、遠くにまばらな民家。すばらしいロケーションだ。しめ縄が巡らされた鳥居をくぐると右手には樹木が群生し、森林浴もできる。休憩所も設けられ、絵馬がかかっていて、誰もいない。しかしずっと人っ子一人いないというわけではなく、さすが一の宮だけあって、参拝客はあった。ここで読みかけの『夢の砦』を出して読了するわけにはいかない。何より私のような神々への信仰心のない者のいていいところではない。
●なにもないところへ行きたいのだけれど、そういうところはないのかもしれない。昼食が��だだ。どこか道の駅へ行こう。但馬楽座へ辿り着いた。時間外で食事はできなかった。最近評判のやぶ市民交流広場へ行ってみた。広くて綺麗な建物だ。周囲をぐるっと回ってみた。別棟のようなものがある。入るとすぐ、コーヒーとサンドイッチを売っている店があった。サンドイッチはほとんど売り切れだった。韓国風旨辛ビーフとアメリカーノを注文した。奧にフリースペースがあり、そこで食べた。養父市民の方々がミーティングなどをされていた。
●木の殿堂(設計・安藤忠雄)へ行きたかったのだけれど、16時で閉館らしく、時間的にギリギリだったので、またの機会にすることにした。帰路に就き、Googleマップ以外に車内備え付けのポータブルナビも起動した。しかしこいつは隙あらば高速道路へ乗せようと誘導してくるので二度と使わないことにした。八鹿から豊岡へ帰るのになんでわざわざ祢布で左折せねばならんのだ。油断も隙もない。
2022年06月08日
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srkanagawa · 1 year
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●私は2014年頃から5年間ほど、隔週で六連勤というちょと変則的な働き方をしていた。その六連勤のあいだは家へ帰れないので五泊六日で仕事現場の近くに宿を取っていた。現場は群馬県の某商都にあった。東京から新幹線通勤している人もいたしウイークリーマンションを借りている人もいた。そうして集まってきた様々の立場の人たちが六日間協働して共通の問題を解いていた。
●問題は、今思えば、何でもいいのだ。この働き方をしているときは本当にストレスがなかった。否、正確に言えば、それは故意に積み上げたストレスを毎日の仕事の中で音を立てて解消していく過程だった。ちょうどテトリスみたいなものだ。現在の私は日々みえない問題と格闘して神経をすり減らしているが、期間を決めて目にみえる問題を解くことが精神に与えるいい影響は計り知れなかった。(この仕事を一旦辞めて田舎に帰って一年でてきめんに白髪が増えた。ストレスは微温状態の中で最も高まる。田舎というのは諸説あるが町ぜんたいが牢獄みたいなものだ。昔ジョジョで承太郎が牢獄の中で少年ジャンプを読みながらラジカセをきいていたが、地方創生は牢獄の中でどうやったら楽しく過ごせるかというところから考え始めるといいかもしれない。家族な���て、たまに会うぐらいでちょうどいいので、毎日顔を突き合わせていたりしたら息が詰まる。みえない問題を解くこともそれはそれでやりがいがないこともないのだが、やはり強烈至極なストレスがかかっている。人間関係も、バトルがあればいいが、爆発させてくれない相手と常住顔を突き合わせるのは憂鬱以上のものである。)
●先日この仕事に久し振りにヘルプで呼ばれた。昨年十月頃、大幅な仕事減らしと人員削減があったらしい。今までの煩瑣なワークは売上UPという目的のためには無意味だったとばかりに多くの義務を廃止してしまったそうで、そのことに鑑みても問題は何でもよかったのだと解る。四泊五日の仕事だったが、とても楽しかった。組織の腐敗もかいま見れ、今後が危ぶま���た。軍隊の比喩でいうと、上官(=得意先)の命令が信用できなくて部下(=受注者)が余計なことを考えなければならない状態で、最低最悪だ。
●日々みえない問題に向き合ってストレスをためている人は世の中にたくさんいる。そういう人たちは立場上、目にみえる問題を解くステージまで降りていくことができにくい。だから、五〜六日間ほどの合宿のような形でそれを提供できれば重宝されるのではないか。対価を得ることができる仕事という形でなくても構わない。たとえば一般的にはちょっと難解といわれる本の読書会とか、午前中に映画を一本見て午後はそれについてのディスカッションとか、学術方面に振ってみることが考えられる。
2019年03月26日
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srkanagawa · 2 years
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●「犠牲者は誰だ?」というポレミックなテキストがある。個々の構成員間のフィジカルな距離が近く、密なコミュニケーションが仕事の進行に欠かせない職場すべてにおいて起こりうる問題で、さまざまなことを考えさせる。 ●伝聞でしかないことを真に受けて「生理的に無理」になっている時点で、このエース女性医師はアウトである。彼女はこの女性蔑視的な発言をした(と言われる)若い男性医師と納得のいくまで対話して彼の本心を確かめなければならないし、院長は管理職としてその場をお膳立てしなければならない。「生理的に無理」な相手と対話する具体的な手段として、リモートコミュニケーションツールによるビデオ通話が考えられる。相手の息づかいや微細な顔の表情がわからないように遠隔通信というワンクッションを噛ませ、必要に応じて音声変更や映像レタッチを施して個人特性を排する。純粋に発話された内容だけから判断できるようにする。
●この対話によって、男性医師のおぞましい性癖は事実無根の誤解だったことが判明し、女性医師の生理的嫌悪感も解消される可能性は決してゼロではない。対話とはそういうものだ。まずはここを目指すべきだろう。次に望ましい事態は男性医師の性癖が噂通りだったと確認されることである。そういうことであれば彼は職場の和を著しく乱し職務に支障をきたす存在として、退出を願うことには正当性がある。また、以上のどちらでもない第二第三の事情が明らかになることもある。繰り返すが対話とはそういうものである。
●ただし一般的におぞましいとされる性癖であれ、それ自体を裁く判断基���はないことに留意すべきだ。あくまでも実害があって初めて問題となる。以上の例だと職場の和を乱して職務に支障をきたすことが避けられているのであって、性癖自体がけしからんからいけないと言っているのではない。実害のない他人の性癖を嫌悪感情だけで排除するとしたら、それはただの差別であり迫害であり許されないことだ。
●たとえばここにニホンザルにしか欲情しない異種愛者の動物園飼育員がいたとして、彼/彼女が写真集やナショナルジオグラフィックを性的コンテンツとして夜な夜な消費しているだけなら責められるべき理由はなにもない。実際に園内のサルにハードコアな悪戯をするなどしたとき初めて少なからぬ問題となることだろう。両者のあいだには天地の隔たりがあり、混同されてはならない。われわれには彼/彼女の性癖を気持ち悪がる権利はあるが排斥する権利はない。ましてや問題も起こっていないのに運動して辞職を迫り生計を奪うことなど絶対あってはならないのだ。
●(本当はニホンザルをもっとシリアスな何かに置き換えたかったのだが。)
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srkanagawa · 2 years
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●先日、大きなイベントをしてストレスがMAXだったとき、舌の側面にできものができた。二週間経っても治る気配がないし、付け根が突っ張る感じがあり、首筋まで違和感があるので、これはたぶん舌がんだろうと思い、覚悟して歯科医院を受診した。そしたら口内炎だった。処方してもらった塗り薬を塗ったら三日で治った。
●今のがんは昔ほど不治の病ではないのだろうが、それでも怖い病気であることに変わりはない。たとえ悪化したとしても、たぶん早期発見だろうし、人生の残務処理をする時間ぐらいはあるだろう。そう思っていた。幼いとき死を怖れていた自分がこんな心境に到達したのが五〇前だったというのは一つの救いだと言っていいのかもしれない。それとも誰でもこうなのだろうか。それともむしろ遅いのだろうか。
●私の母は80歳のがんサバイバーで化学療法の副作用による(?)重度の骨粗鬆症で起居も不自由だが、それにしては元気で、下手をしたら百まで生きそうだ。あまり不孝をするわけにはいかないので、最低あと20年、あわよくば、いまいち自信がない心臓のメンテナンスをきちんとやって、あと35年ほど生きられれば何も言うことはない。いろいろなことができるだろう。35年というのは生きてみればわかるが、あっという間のようでいて、その実なかなかどうして気の遠くなるような期間である。
●この話は単に死ぬのがあまり怖くなくなったというだけで終わってしまってはダメで、個人を超えた共同体の存続への寄与へ繋がっていかなければ意味がない。そして共同体の存続のためには単に有限性を自覚して自分より共同体の利益を優先する個人の気持ちがあるだけではダメで、具体的な手段がなければならない。たとえば仏教は礼と結びついたからこそ時代を超えて連綿と生き残ってきたのであって、そうでなければあのアナーキーな教えが百年だって持ったかどうか疑わしい。私は今住職として小さな寺を預かっているが、ほんの三十年前の、そのときの時代状況に合わせた選択が、今となっては裏目に出て、取り返しのつかないことになっている例がいくらでもある。
子貢欲去告朔之餼羊。子曰、賜也、爾愛其羊。我愛其禮。
●この『論語 八佾篇』中のシンプルなエピソードは何度でも思い返して胸に刻みつけなければならない。すでに虚礼になってしまった告朔の祭で羊を供えるのがもったいないからやめようと言った子貢に孔子が、虚礼だろうと何だろうと、羊を供えるのをやめればあっという間に祭の精神そのものが弱体化し消滅してしまう、とたしなめた。
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srkanagawa · 2 years
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●「年末年始はテレビを見るヒマが一秒もなかった」と去年の今頃ここに書いたのを憶えている。今年も全く同じだった。二年続けば偶然ではない。それが本来の姿になったということだ。今年は母の緊急入院も年末ギリギリの法要もなかった。あいかわらず大晦日に年回表を毛筆で書いて細長い木片に糊で貼ったものを本堂にピンで留め、年賀状はテンプレを使わずデザイン起こしから発送まで一日で済ませる。造花の松と生花の葉牡丹・千両で正月っぽい荘厳をでっち上げ、三が日が過ぎたら鏡餅を下げて短冊形に切る。こんなことにも特別感がない。丸五年やってきて、最近やっと何も考えず色々なことができるようになった気がする。
●「都市に祝祭はいらない」と言ったのは平田オリザである。祝祭と結びついていたのは農村と狩猟採集民だ。たしかに地方小都市民にすぎない私も普段は祝祭の必要ない生活をしている。しかし年末年始は? せめて自分の来し方行く末を振り返って書き留めておきたい。去年はなかなか面白いことを書いていたが、その前年はペシミスティックで鼻持ちならない。こういうのをセンチメンタルというのだろう。正月にきょうだいで集まって甥姪にお年玉をあげることについて「こんな日が来るなんて思わなかった」と書いている。
●自分の気質をあらわすために古い言葉を引用して「世間虚仮、唯仏是真」といったとしても、そんな生悟りみたいな標語に安住できるわけもなく、俗世にまみれた絶叫のドントラが一方に厳としてある両輪でないと説得力がない。学生時代までの私は世間虚仮という顔をしていたと思う。それから四半世紀を経て、まだ本当にあの6分44秒を絶叫するには至らない。この深刻さ。
●俗世の要件は恋愛だけでも不満だけでもなく、金に汚い経済人であることが重要だ。とはいえ金への関心は必ずしも利己的なものだけではない。私について言えば、最近私は一週間後に迫った総会のための会計報告資料を作成すること自体に喜びを見いだしている。また、想田和弘監督『演劇1』で印象的だったシーンに平田オリザが領収書の束を繰って劇団員を問い詰め、一円単位の経費のマイクロマネジメントをしているところがある。私もそうありたい。
●同級生との飲み会で再婚だの連れ子だの親の介護だのの話題になるとフラストレーションがたまる。それは自分のことだけ考えているということだからだ。公共ということを考える。私はひたすら自分勝手な人間なのに、それは自分のことだけ考えるということではなく、それどころか公共の益にしか興味がないということなのだと思う。
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srkanagawa · 2 years
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●私はこれまで生きてきてオリンピックというものを殆ど全然見たことがなかったのだけれど、べつにアンチというわけではなく、単に自分とのあいだに接点がなかっただけだ。でも今回はまず開会式直前のゴタゴタがあまりにもひどくて逆に興味をそそられた。一体どんな開会式になるのだろうと思い、録画して見てみた。そしたら前回書いたように普通にとてもよかった。早送りしたのは選手入場の一部とバッハ会長のスピーチのところだけだ。
●素直に「とてもよかった」と言えない空気が世の中を支配しているらしいのはわかる。オリパラの開閉会式の総合演出のオファーがあったら受けますか? と若きアーティストたちに訊いてみたいし、そういうディスカッションや課題レポートはとっくにうちの地元の学校でやっているだろう。すでに名声を確立していて冒険したくないというのならともかく、まだ無名のクリエイターがこんな世界的な大舞台を蹴る手はないし、五輪の理念や商業主義が自分の作家としての信念に抵触するとしても、それならどうやってそこをかいくぐるか考えなければならない。ケラリーノ・サンドロヴィッチ作『ヒトラー、最後の20000年~ほとんど、何もない~』はヒトラーが天国(地獄?)でユダヤ人たちによってたかって責められて反省文を書かされているシーンで始まる。これもホロコーストをおちょくっているのだろうか。パラリンピックの開会式という大舞台でモンティ・パイソンの徒が障害者差別ネタをやらない理由があろうか。西野亮廣氏が「自分が開会式の総指揮だったらクリエイターチームのメンバーは終わってから発表する」と言っていたらしいが、流石の視点である。
●お台場の海が下水処理場のように汚くて、その真っ只中を泳がされたトライアスロンの選手たちが嘔吐したという写真付きのニュースを目にしたときは、なんということかと思った。しかしトライアスロンというスポーツではゴール後に嘔吐するのは普通のことで、海の汚さに関しても、インドのチェンナイ、中国の徐州、愛知の蒲郡競艇場はもっと汚く、お台場はかなり綺麗なほうだとベテランのトライアスリートの方が発言しているのを読んだ。やはり知らないことに対してはちゃんと裏を取らなければならない。
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srkanagawa · 2 years
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●寓話 昔あるところで5歳の子供が神様に死の恐怖を泣きながら訴え、なんとかしてほしいとお願いしました。 「神様ぼくは死が怖い。どうすればいいですか?」 神様がそれに応えて言われるには、 「では千年生かせてあげよう。それでよいか?」 子供は喜んで、 「千年! 凄い! ありがとうございます」 神様はにっこり笑い、 「それが千年だ。安らかに生きよ」 と言い残して天へ昇って行かれました。あとにはキョトンとした子供が残されました。
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srkanagawa · 2 years
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 激戦の夜が明けて、今日一日、両陣営とも予想外の結果に浮き足立っているのが見て取れた。しかし泣いても笑ってもこれから4年、新市長とともに歩んでいかねばならないのだから、少しは前向きなことを考えたい。
 中貝氏の施策の柱の一つである演劇を取り上げて、それが良いとか悪いとか、市民に受け容れられたとか受け容れられなかったとか、そんな風に言うのは問題の本質を逸しているんじゃないのか。私は100年後を見据えた文化のビジョンでさえあれば別に演劇でなくても構わないと思うが、関貫氏にそれがあるのかどうかわからないのが不安の種だし、なにより今回、多くの有権者が100年後の文化のビジョンなんかどうでもいいという選択をしてしまったらしいことに絶望している。関貫氏は理系で趣味は家電の分解だそうだから、市をあげてはんだづけサミットや物理学ビエンナーレを開催し、「電子工作のまち」とでも称して内外にアピールすれば面白いと思うが、そうなったらそうなったで多くの有権者は「市民感情とかけ離れている」などと言ってNOを突きつけるのだろう。しかし私はわがふるさとの民が次世代のことを全く考えない極悪人のエゴイストばかりだとはどうしても思えない。そうではなく、このまま現在の市民生活だけを重視するような政策を進めていけば地方小都市に未来などないということにすら気づかない愚か者ばかりだと思える。つまりよけい悪い。
 当確した関貫氏がテレビで「演劇のまちにはしません。演劇 "も" あるまち」にすると言っているのを見たが、どこまで楽観的なのだろう。そんな考えは、日本が上向いているときに片手間の文化振興としてやるならいいが、これから急激な人口減少と衰退の下り坂を転げ落ちていくことが確定している地方の命がけの生き残り策としては甘すぎる。相当尖ったことをやらないと世界でプレゼンスを発揮することはできないのだ。やはり関貫氏も、関貫氏に1票を投じた有権者も、ひところ地方消滅ともいわれた深刻な未来について、ほんとうの危機感は持っていないのではないか。しかし危機感を持つのは今からでも遅くない。どうか勉強してほしい。
 もしも中貝氏の敗因を「強いリーダー」が求められなくなった時代性に帰することができるとすれば、関貫氏は「なんとなく頼りなくて助けたいと思わせるリーダー」として自分を位置づけるといいかもしれない。今までの豊岡市政はトップダウンだった。これをAmazonの「ピザ2枚ルール」や京セラの「アメーバ経営」を参考にして少数の声を丁寧にすくい取る民主主義の組織に編成し直すことができれば、今までの市の方針ともマッチしてうまくいくかもしれない。
 関貫氏が勝因を訊かれて「長期政権はよくない」と答えたように、確かに中貝氏の合併前の旧豊岡市から5期連続20年という在任は長い。しかしそれならアメリカ大統領のように3選禁止にするなど、適当な期間での政権交代をしくみとして取り入れるべきだった。中貝氏もまさか今、自分が市政を退くとは夢にも思っていなかっただろうし、引き継ぎの準備ができているはずがない。豊岡演劇祭2021の実行委員会会長に「豊岡市の中貝宗治市長が就任」とまるで選挙などないかのように発表されてからまだ1ヵ月も経っていないし、豊岡演劇祭フェスティバルディレクターの平田オリザ氏が「5年でアジア最大、10年で世界有数の国際演劇祭を目指す」と言っているのは考えなしに言っているわけがない。ロードマップは平田氏の頭の中にあるだろうし、それは中貝氏とも共有されているかもしれない。まだ道半ばどころか緒に就いたばかりで、どう考えてもやり残したことがあるはずなのだ。私が中貝氏敗退の直後に「4年後に再出馬してほしい」と書いた所以である。
 しかし文化的ビジョンによって自治体の進むべき方向を決定し牽引していく仕事は、子育て支援、医療など、一般的に行政の使命だとされている市民生活のニーズに応える仕事とは別次元のものだ。どちらも欠くことのできない重要なものではあるが、ただでさえ激務の市長職にあって、ひとりの人間がこの両方の指揮を兼ねるなど、どだい無理なことだったのではないか。だから今回の政権交代を「文化芸術による自治体の舵取りの、民間へのアウトソーシングのはじまり」と見れば、前代未聞の適切な分業が成されたということかもしれない。新しい関貫市長は「演劇によるまちづくり」への市の関与を縮小すると言っているし、中貝氏は今後は民として貢献していきたいと語っている。もともと芸術というものには官とはそぐわない一面が抜きがたくあることは否定できない。行政の保護を受けながらアートを行うことについては、私の知人のアート関係者たちにも強烈な違和感を持っている者が多かった。今回その偏頗が緩和されたということであれば喜ぶべきことである。また、文化的ビジョンを持たない市長は市長失格かもしれないが、自分が門外漢であることを自覚して全てを専門家の裁量に委ねる覚悟があるなら話は別である。
���和3年4月26日(月) - 29日(木) 引用元 http://blog.livedoor.jp/quko/
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srkanagawa · 2 years
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●スタチンに関しては情報があまりにも錯綜しているのでインターネット上の記事はすべてシャットアウトするとして、ほかに信頼できる情報源といえば査読あり論文なのかもしれないが、私が読んでもわからないだろう。いきおい一般向け書籍になるわけだが、医療ジャーナリストのような方の著書ではなく、医師が所属を明らかにして実名で書いたものに限定するという方針で探すと(そうしないと八幡の藪知らずへ迷い込む)、スタチン肯定派では、やや古いが、桑島巌・横手幸太郎共著『コレステロール治療の常識と非常識』(2012年、角川SSC新書)が目にとまった。一読してこれは誠実に書かれた良書だと思ったが、「動物性食品」や「飽和脂肪酸というタイプの脂肪」を摂りすぎる「欧米型の生活習慣」が健康を害すると戒めているように読める点が気になる(第五章 増えるメタボリックシンドロームと脂質異常症)。これは藤川徳美医師のような方とは正反対の主張だ。いや、両者は主張の文脈がちがうので正反対とは言えないが、少なくとも相容れないように見える主張だ。肉・魚・卵を中心とした高タンパクの食事を勧める藤川医師は「当院ではスタチン系の高脂血症治療薬は一切処方しません。有害無益だからです」と断言する(『メガビタミン健康法』2020年、方丈社、p.51)。
●コレステロールについては文字通り議論百出だが、厚労省の「日本人の食事摂取基準」においても改定ごとにめまぐるしく変わっている。2010年版で1日あたりの上限の目標量が男性750㎎未満、女性600㎎未満と記載されていたコレステロール摂取量は2015年版では目標量自体が撤廃された。しかし2020年度版では「コレステロールに目標量は設定しないが、これは許容される摂取量に上限が存在しないことを保証するものではない。また、脂質異常症の重症化予防の目的からは、200㎎/日 未満に留めることが望ましい」という註釈が追加されている(報告書p.150)。どっちやねん! と思うが、リスクファクターによって対応は全然ちがうべきであることを盛り込むための苦肉の策なのだろう。
●私もぶれている。私も最近は藤川理論の恩恵を受けているので上述の断言は胸に響いたのだが、結論をいえば、服用・減薬・中断・再開という紆余曲折を経て、今は水溶性スタチンであるロスバスタチンまたはプラバスタチンを飲んだほうがいいのだろうと思うに至った。現在かかりつけ医から処方されているのは脂溶性スタチンであるピタバスタチンCa1㎎錠なのだが、血中LDLコレステロールを下げるには肝臓のHMG-Co還元酵素だけを阻害すればいいのに、脂溶性スタチンは細胞膜を透過して全身をめぐり、肝臓以外の臓器のHMG-Co還元酵素をも阻害することでいろいろ非常によくないことが起こるかもしれないらしい(市原和夫・佐藤久美共著『スタチン! コレステロール低下薬のウソとホント』2013年、薬事日報社)。
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srkanagawa · 3 years
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●アカデミーヒルズWebinar『「人新世」の危機と資本主義』を視聴した。最近Clubhouseのかしこ系ルームの一人ずつ順番を守ってお行儀よく喋る進行ぶりにストレスを感じていたので、そうではない丁々発止の対話が聞けるかもしれないと期待して参加させてもらったわけだが、残念ながら、よくいえば整理された、悪くいえばライブ感に欠けるウェビナーだったのでフラストレーションがさらに高まり、素晴らしいパネリストの方々に対してハラスメントとしか言いようのない暴言コメントを連投してしまったことについては深く反省しているが、後悔はしていない。
●私の拾われた質問と拾われなかった質問は以下の通り。
ワーカーズコープに関してはかつてのソ連のコルホーズ、中国の人民公社、東ドイツのLPGのように、理念はいいんだけれど社会主義の実験の中で現実には破綻した歴史があるわけで、今そういうものを甦らせることについては懐疑的な意見も当然あると思うんですが、それに対してはどうお答えになりますか? >皆様
変な質問ですが、国家レベルで資本主義のオルタナティブを樹立するとなると大変な困難が予想されますが、地方の田舎の小コミュニティであれば可能だし、もしかしたら市町村レベルでもいけるかもしれない。私は地方の田舎に住んでコミュニティの可能性を模索してるので「未来は我らの手の中。日本の方向は絶対こっちだぜ」と楽観してるんですが、こういう私のオプティミズムないし希望についてどう思われますか?
●私は社会主義に詳しいわけではない。今たまたま岩淵達治の『ブレヒトと戦後演劇』を読んでいて、壁崩壊の二年前、中国の人民公社や東独のLPG(農業生産協同組合)など、コルホーズの理念がいたるところで破綻しているときに『コーカサスの白墨の輪』の序章の理想化されたコルホーズ場面をそのまま演じるのは不可能だ、という意味の記述があったのを引いてきたに過ぎない。この戯曲を演出する上で、そのことはどう解決されたかというと、参加者の疑問を通じた、次のような添加によってだ。
・・・・・・コルホーズの理念そのものは相変わらず間違っていないが、全員が同じだけ働いて同じだけ報酬をもらうという平等のシステムは、人間の勤労意欲を減退させる。それは人より余計働いても報酬が同じでは勤労意欲がなくなるという人間に巣くうエゴイズムのせいだ。事実、人民公社の生産は、個人がノルマ以上に働いた分は個人が売って自分の利得にすることができるという措置がとられてから飛躍的に増大した。だが、これは共産原理ではなく自由競争原理である。(『ブレヒトと戦後演劇』p.153)
●「人間に巣くうエゴイズム」の力を過小評価したことが社会主義の破綻の一因だった。2021年現在、私有でも国有でもなく、ワーカーズコープが主体となって生産手段をコモンとして民主的に管理するコミュニズムの実現を本気でめざすなら、こういう歴史をまじめに再検討するのも必要なことであるに違いない。ブレヒトはナチスのいう公益が共産主義的な公益とはまったく違うことを証明しようとしたが、壁が崩壊して人々が私利を求めはじめて以降それは難しくなったが、「もっとも共産国家ではないイスラエルのキブツには、まだコルホーズに似た集団農場が機能しているのだから、この問題にはまだ解答は出ていない」と岩淵は言う(同書)。
●話をウェビナーに戻すと、ミュニシパリズムの国際的なネットワークに話が及んだとき、是非そのことをもっと語ってほしいと私は声を上げたが、残念ながらテーマが分散していたのでなかなか深掘りするには至らなかった。二時間ならむしろミュニシパリズムについてだけ語るぐらいでちょうどいいのではないかと思った。
2021-03-01 引用元 http://blog.livedoor.jp/quko/
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srkanagawa · 3 years
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●母が退院した。1ヵ月入院していたので、年齢から言っても今後は自宅介護か、そこまで行かなくても何らかの支援が必要だと思い、きょうだいで集まって介護認定取得やデイサービスの相談などをしていたが、フタを開けてみると不自由ながらも自分で歩けるし、家事も、身の回りのこまごまとしたこともできる。入院前よりも遥かに元気になったようだ。とりあえず安心である。(1ヵ月も入院していたら普通は若くてもそんなにすぐには歩けないはずだが、今はコロナで入院をかなり制限しているのか、病室が空いていて、リハビリのためだけに入院期間を一週間ほど延ばしてもらうことができた。それで相当歩く練習ができたのだろう。)
●母の体調は一年間で急速に悪化した。詳しいことはわからないが、傍目に見ていると、腰から下がお伽話の魔女のようにガマガエルを思わせる醜悪な格好に曲がり、起居も歩行もやりにくそうになっていった。いろいろな意味で、なんでこんなになるまで放置していたのかとも思うが、まずは性格だろう。さらに、どんな外見なのか、自分ではわからないのだろう。
●私が東京での仕事を辞めて兵庫県の田舎へUターンしたのはべつに母の病気のせいではなかったが、結果的にそんな感じにも見え、柄にもない殊勝な孝行息子みたいに見えなくもなくなってしまったのは遺憾である(考えすぎか?)。香山リカ『「看取り」の作法』などを読むと、仕事を辞めることができなくて、地方の実家での親の介護が充分にできないことに罪悪感を抱いたり、葛藤があったり、看取ったあとに後悔に苛まれたりする人が多くいるそうだが、いやいやいや、と思う。都会で順調に行っている仕事を抛って何もない田舎でゼロから再出発することなど、よほど諸々の条件に恵まれているか、日本社会の未来への確固たる見通しを持っているのでもない限り、できることじゃない。
●今は介護施設への入所はそう簡単にはできないらしいが、一昔前はそうでもなかったと思う。施設に20年間入れっぱなしだった親が亡くなった、葬式をしてくれ、というような例は最近少しある。ほぼすべて90代(稀に100歳代)である。
2021-02-09 引用元 http://blog.livedoor.jp/quko/
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srkanagawa · 3 years
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●永江一石や池田信夫を読み、過剰な自粛は有害だとわかっているつもりだが、さすがに今はブレーキを踏むべき時だと思う。とくに私は家にひきこもって一歩も外へ出なくても経済的打撃を蒙ることはないのだから尚更だ。家にいても仕事はあるし(少しだが)、来客はあるし(たまにだが)、ラジオやテレビで外界の情報を得ることもできる。食料は家の中を探索すれば何かある。こうなるとどれだけ家から出ないでいられるかを競うゲームの様相を呈してくる。それで思い出すのは三島由紀夫の『沈める滝』である。代表作とは言えまいし、この作家特有のひねくれたミソジニーの炸裂も健在で、若書き(30歳)らしからぬ悪臭もあって読者を選ぶだろうが、なかなかどうして一筋縄ではいかない作品なのである。
●物語の中で、越冬が重要な役割を果たす。主人公の若き土木技師・城所登は訳あって誰もが厭がる奥野川ダムの越冬調査隊に志願し、六ヵ月のあいだ、下界とは完全に隔絶した雪山のただ中で生活する。一九五〇年代のことで通信手段は交換手に頼った電話しかない。それも山の麓からしか線が引かれていない。東京在住の恋人と電話するわけにはいかないのだ。雪が積もって交通が杜絶して以降は、越冬現場の宿舎までは手紙すら届かず、麓の交換台で読み上げてもらうしかない。調査隊の10名はいずれも若い男性であり、共同生活はある種の合宿のような雰囲気を帯びるが、当然ストレスもあり、確執も起こり、食糧危機すら勃発する。
●『宇宙兄弟』の選抜3次試験や『エイリアン』のようには、この作品が「閉鎖空間もの」としての名声を博しているようにも見えないのは、たぶん全篇が純然たる閉鎖空間ものと言うよりは部分的であり(越冬シーンは小説全体の約3分の1に過ぎない)、さらにほかのところでクセがありすぎるからだろう。恋愛小説としての一面もあり、それが世にも奇妙な恋愛なのだが、最後は『天人五衰』にも通じる気持ちいいくらいのバッドエンドである。
2021-01-18 引用元 http://blog.livedoor.jp/quko/
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