再掲。真壁瑞希と徳川まつりのゲーム。
CROSS HEART PUZZLE
「カボチャの馬車が来たのです」
皮が銀色だと固すぎて食べれないと思います。
そう言いかけた私を取り残して、徳川さんは電車に――いえいえ馬車です――ぴょんと飛び乗ります。白黒のシックな服装できゅーとな仕草……お茶目な仕草が目に留ったのは、私以外にもいるはず。いないでほしいなんて、ささやかなねがい。
「では徳川さん、また明日」
明日会える保証もないのに。これも私の、ささやかな――
「明日では遅すぎるのです」
ちょこん、と指が私の膝元を示しました。そこにはターコイズの便箋。その色だけで、さっきまで私の隣にいた人が配達人だと分かります。
驚く私を残して、カボチャの馬車は銀色の蹄鉄を鳴らして、走り出してしまいました。たくさんの従者と一緒に、お姫さまはマシュマロのお城駅前へ。私は別の列車で自宅へ。
「……さてさて」
さびしさを包み込むはずだった両手で、便箋の封を切りました。
『瑞希ちゃんへ』
「これは」
ゆるい口元が更にゆるゆるに。手紙には口元は正反対の、均一な四角が幾つも並んでいます。左上の小さな数字、そして対応した文字列。徳川さんから貰ったのは手紙ではなくて、挑戦状だったようです。シャープペンシルをかちかちと鳴らしてから、私は徳川さんと言葉を交わします。
交わす言葉は暗号。
クロス・ワード・パズル。
□
5:□□□□(紬ちゃんの色なのです)
揺れる列車の中で文字を書くのは難しいですが、最初の答えは簡単に分かりました。白石さんのトレードカラーは瑠璃色(るりいろ)、私の水色よりも深みのある、綺麗な色です。そういえば、瑠璃色の金魚は本当にいるのでしょうか。
答えのヒントは、まるで話しかけるような言葉で書かれています。丸くてふわふわとした文字は、少し目を離したら宙へと浮かんでしまいそうです。
⑤:□□□(理科の実験で使ったあさがおなのです)
小学生の頃、観察日記を付けたことはありますが……あの時咲いた色も、瑠璃色でした。中谷さんや周防さん、大神さんも、日記、書いているのかな。
さて。ヒントで分からなくても、先に文字が分かる場合があります。白石さん、ナイスアシスト。
⑤:ろ□□
……理科の実験。あさがお、の、形。漏斗(ろうと)でしょう。ろ紙と一緒に使って、ろ過の実験をしたことがあります。徳川さんにも、そんな経験があったんでしょう。きっと。
6:う□□(鳥さんが川に作っている巣なのです)
巣……蜂の巣、空き巣とあるなら、きっと最後は巣で終わるはず。とりあえず、次にいきましょう。後回しにしてヒントを得ることも大事な戦略です。そして降りる駅を見過ごさないことも大事。
7:□と□□(ロコちゃんのアートを買ったのです)
横の四文字。伴田さんのアートを買った、アート買った……あとかた? 漢字で書かなくてもいいんですが、少し気になります。しかしスマホを使うのは御法度なので、我慢だぞ。
⑦:□か(消える水事件、なのです)
理科の問題が多めですね。得意科目なのかもしれません。水が消える、気化(きか)。これで鳥の巣の答えも分かりました。
6:うきす(鳥さんが川に作っている巣なのです)
浮巣?
そんな私自身がふわりと揺れたのは、がらんとした列車が止まったからです。窓の外に見える空はもうすぐオレンジ色、私が降りるまではこのままが、いいな。満員電車で手紙に文字を書くのは、大変ですから。
続けましょう。
⑥:□□(履かせたら律子ちゃんに怒られるのです)
秋月さんが怒るのは、悪戯をした時と、プロデューサーが数字を間違えた時。この前は数字が多すぎで、こらーっと……履かせるのは、下駄(げた)ですね。
2:□□げ□(ショートコント、なのです)
北上さんと野々原さんの漫才でしょうか。それとも実は、徳川さんはお笑いが好きで、内容を考えているのかもしれません。相方は、誰なのでしょう。冗談は苦手なので、ツッコミ募集だと、いいな。答えは演劇……いえ、ショートだから、寸劇(すんげき)ですね。
⑧:□き(付いたらぱちぱちなのです)
何だか頭の中がぱちぱちと、電気が走ってばちばちと、ひらめきの火がぱぁっと起こりました。付いたのは火。付けるのは、薪(まき)。
④:□ん□(社長さんは達筆なのです)
社長が書くもの、事務所の壁に貼ってある習字。文字。教え。訓示(訓示)。最近書いていたのは、『ここで野球をしてはいけません!!』……これは劇場に貼ってあった、田中さんの訓示でした。
3:□□□じた(二枚あったら発音が楽になるかもしれないのです。うそなのです)
じた、舌、二枚あれば二枚舌(にまいじた)。うそはいけません。
あと少し。全ての答えも、駅に着くのも。
③:□すい□い(頭の中から体の調子を整えてくれる頑張り屋なのです)
む、これは難しい。すいすい、水平、彗星、水泳。どれも一文字足りませんし、頭の中にはありません。頭蓋骨、脳、海馬……ううむ、理科――私たちの年齢なら科学ですね――の知識では、徳川さんに敵わないようです。
4:□□□(この前環ちゃんがつかまえてきたのです)
文字のヒントもありません。これは記憶力テスト。大神さんがつかまえてきた、動物……違います、昆虫です。
『ぴょんぴょん跳ねて、捕まえるの大変だった!』
苦労を感じさせないくしゃくしゃの笑顔。プロデューサーに見せていた籠に入っていた、バッタ(ばった)。これで先程の文字が一つ埋まります。
③:□すいたい
衰退?
埋まらない一文字を探して、最後のヒント。
1:□□□く(革を新しくするのです)
新しい革。革……ワニの革……ワニに仮装した徳川さん。愛らしい緑のワニさんから変貌、艶やかなクロコダイル。一緒に見ていた百瀬さんがぐったりとうなだれていました。私は、どきどき。今も、少し。手紙に埋められた徳川さんのメッセージが、浮かんできたからです。
新しくする、変貌、変わる、改める……なるほど。改革(かいかく)ですね。これで、頭の中にある頑張り屋の正体も、現われてくれました。
③:かすいたい
かすいたい。家に帰ったら科学の教科書とにらめっこです。
……さて。
ぴったりと止まる体。目当ての駅名がアナウンス。手紙を大切に鞄へしまって、ぴょんと立ち上がって、電車を出る流れに乗ります。のんびりとした流れの中、ぷかぷか浮かぶ私は、しんきんぐたいむ。貰ったヒントは全て文字に変わりました。あとは、パズルの中に隠れた、徳川さんからのメッセージを見つけるだけです。
□
このパズルには、最初からミスがありました。ヒントが足りないのです。一覧を見ればすぐに気付きます。今まで考えなかったのは、それがミスではないと、徳川さんがこんなミスをするはずがないと、信じていたからです。電車を待っている間に作った即興のパズル……きっと、めいびー、だいじょうぶ。
ヒントがなくても文字は浮かんでいます。さっきまでじっと見ていたパズルです、頭の中に三つの文字が浮かびます。
①:か□にばる
⑨:□□すた
そして。
②:まつり
……まつり。
ふぇすた。
かーにばる。
このパズルは、それだけ。
ただそれだけで、おしまい。
まつり、ふぇすた、かーにばる。
私は、頭の中で三つの言葉を繰り返し並べます。改札を出ると、言葉のテンポに合わせて足がダンス、夕方前にダンス。肩がぴょこぴょこ、鞄もぴょこぴょこ。
パズルに隠したメッセージ。
徳川さんが私に伝えたかったメッセージ。
確かに、これならヒントはいりませんね。
駅の外には街の明かり、沈む太陽に色を重ねたら溶けてしまいそうな橙色が整列して、私の進む道を照らしてくれます。駐車場はカラフルに光を返して、モノクロな足元を楽しく色付けてくれます。辺りのざわざわとした声も、何だか華やいできました。
銀色の蹄鉄が遠ざかっていきます。
まつり、ふぇすた、かーにばる。
クロスワードに隠れていたメッセージは、徳川さんそのもの。三つ重ねれば魔法の言葉。毎日の風景を変えてしまう、世界の秘密。私にだけこっそりと伝えてくれたメッセージ。
鏡よ鏡、私には私が見えてしまいます。ぽかぽか温かい身体に、ゆるゆるの頬。真壁瑞希の大変身……劇場のみんなもきっと、びっくりです。徳川さんは、私を見て、何と言ってくれるでしょう。
『瑞希ちゃんにも、カボチャの馬車が見えたのです?』
路地裏から飛び出すお姫さまの質問に、私はハイタッチで答えます。きっと今なら、徳川さんを連れて行ったオレンジ色の馬車も、それを走ら���る白馬の姿も、その背に乗っているネズミの尻尾さえも、くっきり見えるでしょう。
だから、徳川さん。
手紙には手紙で、お返しをします。
明るい道を走り抜けて、玄関を開け、ただいまさえも家族に言わないで、机の引き出しを大捜索です。水色の――私の色に染まった手紙が、奥の方から出てきてくれました。
まつり、ふぇすた、かーにばる。
もう一度唱えて、私は手紙を書き始めます。もらった呪文よりも大きくなった気持ちを伝えるために、私は最初に、定規で線を引くのです。明日、徳川さんに会いたいと、まっすぐな願いを込めながら。
○
ふらふらと、私の周りにそんな文字が浮かんでいます。朝のまぶしい日差しですくすくと歩く人たちの中、一人だけ遅れてしまうのは、昨日の夜が長かったせいです。その成果を潜ませた鞄をぎゅっと持ちながら、きりっと気を引き締めて、人ひしめく駅内へと入っていきます。
マシュマロのお城前駅を確かめる余裕もなく、私は満員電車の中に押し込まれていきました。当然、座れませんから、劇場までの長い時間は、リハーサルで過ごします。
徳川さんに会った時、最初に何を伝えましょう。
「瑞希ちゃん、寝不足なのです?」
偶然の奇跡に、私は寝不足のまぶたをこすりこすり、頭の上のリボンからつま先のブーツまで、目の前に立っている姿が徳川さんであることを、ふらり車内が揺れて、ぴったりと体がくっついた瞬間に、確かめました。ピンクの柔らかなフリルが、私を包んでくれました。
「大丈夫、なのです?」
「は、はい……」
徳川さんが驚いたままの私を支えてくれます。電車は人が行き交って、また発進。どきどきは止まりません。それから私は上の空、駅に着くまで何も話せませんでした。
「今日の瑞希ちゃんはふうせんさんなのです」
徳川さんの手に連れられると、本当にそう思えてきます。
「ふらふらで、ふわふわで」
空に飛んでしまいそうな、どきどきの風船。
「何だか、幸せそうなのです」
「……お見通し、ですね」
少し前を歩いていた徳川さんが、振り返り、にっこりと笑ってくれました。その瞳には、どこまで私が映っているのでしょう。
「徳川さん」
「ほ?」
立ち止まり、鞄の中から水色の手紙を取り出します。もしかしたら、手紙の中身もお見通しかもしれません。
「お返事を、書いてきました」
「……ちゃんと解けたのです?」
「勿論です。真壁瑞希、解けなかったパズルは、一つもありません」
「もっと難しくすれば良かったのです」
……私の問題は、難しいですよ。とっても、とっても。
向かい合う私たちの距離は、手紙を差し出すことで埋まりました。私はもう、何も言いません。ただ、信じています。徳川さんなら、全てを解いてくれることを。
交わす心の暗号。
クロス・ハート・パズル。
どうか、私の心が、あなたにとどきますように。
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TOYRING -draft-
おもちゃの指輪をなくしたのはいつのことだろう。
ある日母がくれたピンク色の、甘い味がしそうな輪っか。指にぴったりの大きさだったから、ずっとはめていたら抜けなくなるんじゃないかと幼いながらに心配したけれど、そんな気持ちは母を真似ることのできた喜びが吹き飛ばしてしまった。左の薬指に指輪を付ける意味なんて当時は分からなくても、空にかざした時に光の色を甘く染めてくれるだけで、なんだか幸せだった。
少し背伸びしたおしゃれをしたい時――たとえば、友だちのお誕生日会、あるいは親戚が会いに来た日には、これまたおもちゃの、誕生日に父がくれた鍵付きの宝箱の底から、指輪を取り出したものだった。
その箱の行方すら、今ではわからない。
何故だか、指輪や宝箱といった、懐かしいものを手放す時は、一瞬のように感じる。春風が帽子をさらっていくように、気付けば指輪なんて入らなくなった手には何も残っていない。幼い頃に慣れ親しんだものには、一度もお別れを言っていない。
……寂しいとは思ったけど、もう光の色を変えても素直に喜べるほど素直でもなかった。まぶしさに目を細め、目をそらす方が正しいと知ってしまった。
大人になって、こうして指輪を探していると幼い私が知ったら、どう思うんだろう。彼女は私の手に収まる指輪に、負けないくらいのきらめきを目に宿すのかな。
……そんな指輪が、見つかるといいな。
●
コーヒーでも淹れてくつろぎたくなる頃合いの街は、どこかゆったりとした空気を纏いながら、穏やかな日差しに照らされている。慌てることなく急ぐことなく、ただ流れる時間に身を任せることを許してくれている。カフェからはご婦人たちの朗らかな会話が聞こえ、道には小学生たちの元気いっぱいな歌声が流れている。その音量のままあいさつが飛んできたので、小さく手を振り返した。少年少女には、今の時間の穏やかさに身を任せるなんてもったいないかな。
走り去る背中に、果穂ちゃんの姿がふと重なった。ランドセルを背負う彼女とずいぶん前にセーラー服を卒業した私とが同じ仕事をーーアイドルをしていることは、ちょっと面白い。今日は何をしているんだろう。スケジュール表を見てから帰れば良かった。
『ちゃんと休むのも仕事のうち。ほら、帰った帰った』
そんな過去に小突かれて、私は歩みを再開する。
……あんな風に言わなくてもいいのに。
スケジュール表に予定をいくつも書いてくれるあの人は、レッスンルームの鍵と午後の自主練習を私から取り上げた。天井に手が伸びるとジャンプしても届かない。珍しく着ていた青色のワイシャツをくすぐったら良かったかもしれないなぁ。
『ここのところちゃんと体を休めてないだろう?』
『プロデューサーさんもでしょう?』
結局、自分のことは棚に上げたまま、あの人は私を事務所から追い出した。葉月さんがくすくすと笑っていた。小学生のような言い合いをしていたからかな。
また小学生たちとすれ違う。一列に並んだ色とりどりのランドセルが可愛らしい。あの頃背負った赤色も嫌いじゃなかったけど、もしも選べたら何色にしたのかな。
子どもたちを見ていると、足が止まりがちになる。ぜいたくなお休みの使い方だなぁ。ゆったりお散歩しながら、思い出のアルバムをめくるような時間。じゅうぶん体は休まるし、向かっている先には目的地がある。
一見オフィスと間違えるようなガラス張りの綺麗な建物は、中を覗いても雑貨屋だとは気付きにくい。冬のような真っ白な装いの中で、光を集めるアクセサリたちはそのまぶしさで人を拒んでいるようにも見える。
そんな印象だから、時々ここを通りかかっても足を踏み出せずにいた。だけど今日は休日、好奇心に身を任せるにはうってつけの日。
パーティーに参加するわけではないけど、入る前にドレスコードを確かめる。ブラウス、スカート、一応変装用の眼鏡……うん、大丈夫かな。
軽い靴を鳴らしながら扉を開けると、小さなベルが伴奏を奏でた。そして、静かになった。奥に立つ店員さんも声を出すことなく、私に視線をちらりと向けただけで、すぐに戻した。並べられたアクセサリたちも、動じることなく自然に佇んでいる。冷たさとも取れるその応対に、色んな気持ちは益々高まる。
視察じゃない、と言えばウソになる。私のお店とはまるで違うスタイルだけど、それでも雑貨屋は雑貨屋、競争相手と意識し出すとよりじっくりと見たくなるし、アクセサリへと伸ばす手もなんだか緊張する。
……競い合う気持ちに正直になったのは、アイドルになってからかな。
店内には他のお客さんはいない。昼下がりはどのお店も似たような客足なのかも。在庫を確認したり、店番でぼうっとするのは決まって午後の陽気が一番柔らかくなるこの頃だ。
外から見ればアクセサリばかりが目に付いたけど、光らないものだってちゃんと光っている。白く綺麗に磨かれた食器類は自信に満ちた佇まいで、写真立ての縁は花の模様が象られている。ガラスで出来た子猫たちは、小さな木々の中にこっそりと隠れている。甜花ちゃんや甘奈ちゃんも興味を持ちそうなラインナップに、嬉しさを覚える。
……お母さんみたいな目線になるのは、どうなんだろう。
年上とはいえ、私たちは同じ並びから走り出したアイドル。年齢の上下は目線の高さを変えはしない。同じ目線で教え合い、時には競い合う。私たちを冠するアルストロメリアという名前は、三つの手を一つに重ね���くれるけれど、決して離れないとは限らない。
だけど。
休憩時間に私が眼鏡を掛けていれば彼女たちはすぐに側まで来てくれるし、手芸の宿題なら何でも言ってねと、胸を張ることはある。時間が合えばご飯を食べに行くし、別れ道で手を振り合うと、明日会えるのに寂しさを覚える。
友だち、同僚、ライバル。言い表すには少し足りない。ちゃんとした答えは、まだ見つかっていない。だから今は、仲間への――大切な仲間に渡したいプレゼントを探すことにする。
後ろの方でベルが一度鳴った。
……事務所で使う、三人お揃いのマグカップがいいかも。湯飲みやカップはいまのところ共用のものがあるけれど、冬にはきっと、必要になる。暑いよりはまだ暖かい季節に思うのは気が早いかも。まぁ、普段使いしても悪くないから、良いかな。
食器類の並ぶスペースで、お皿やコップにも目移り。お店の装いに相応しい出で立ちと、小さくあしらわれた花や星の模様が可愛らしい。そういうコンセプトなのかもしれない。きりっとした見立ての中にこっそり隠した、微笑みのような可愛いらしいアクセント。
このお店、好きだなぁ。
次は甘奈ちゃんと甜花ちゃん、三人で来たいな。でも、休みの時間が合うかな。付き合ってくれるかな。
少し迷って、メッセージを送るのは保留。二人に期待を持ってもらうために、今はお店を堪能することに集中する。
お客さんの足音が聞こえた。連れるように、私の靴音がいやに響く。踊る心のせいで。
指輪だった。銀色の浅い光を返しながら、桜の花型が小さな影を残している。少し遅れて咲いた、小さな桜。
一つを手にしてみる。サイズは……うん、ぴったり。深く嵌めずに外そうとして、もう少しだけ、指との相性を確かめる。ゆっくりと手を掲げてみる。
「似合ってる」
風が花びらを散らすかのように、その声は私の中を瞬く間に通り過ぎていく。
「……プロデューサー、さん」
振り向くと、視線が合った。驚かせたことには気付いたみたい。胸をなで下ろす、指輪をつけたままの手で。
「お疲れ様」
「お疲れ様です……」
無音の店内では、喋る事も恥ずかしい。逸る気持ちも、すぐに落ち着けたい。
「偶然……ですか?」
だから、思ったままを口にする。
「色々あって、偶然だな」
なんでそう、曖昧な回答なんだろう。
「偶然……ここに?」
「よく通ってるからな」
言葉の通り、お仕事で使う撮影スタジオが近くにある。そういえば、何度かいっしょにこの道を歩いたんだっけ。
「前に、千雪が止まってたのを思い出してな」
「それで……あ、お仕事は?」
「あの後、はづきさんに……」
顛末を話しかけた口が、扉を開く音で閉じる。新しいお客さんだった。流石にはづきさんではなかった。
「出てからに、しましょうか」
お店の静けさを保つことに、プロデューサーさんも同意してくれた。
指輪を三角の台座に戻してから、一緒にお持ち帰り。あとはレジまでゆっくりと辺りを眺めつつ、足を止めたプロデューサーさんと同じ方を向いて、わずかに言葉を交わした。小さく笑ったので、同じ表情を返す。
普段なら、もう少し話すと思う。あの衣装に合うとか、誰が喜びそう、とか。だけど今日は、あまり多くを考えない。かわいいものにかわいいと答え、好きなものに好きと答える。ただそれだけの会話が、なんだか不思議。
静けさの中でとびきりまどろんだ時間が過ぎていく。目を閉じたらきっと気持ちいいかも。だけど瞬くばかり。ぱちぱちと、瞼が、光が。
...to be continued.
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あたためたい
どうして静香と肩を寄せ合っているのか。
一つ目の理由は、部屋の隅で口を真一文字に結んだエアコンのせい。冬にさんざん酷使したのが悪かったのか、久しぶりに電源を付けようとしても、目に光が灯ることはなかった。また酷使することになるであろう夏が来る前に分かって良かったとするか。
二つ目の理由は、春にしては珍しい曇天がもたらした寒気のせい。冬を連れ戻したかのような冷気は、のんびりと過ごす筈だった時間を震え上がらせ、足元のフローリングを凍らせた。
三つ目の理由は、毛布が一枚しかなかったこと。冬に大活躍だった毛布はこないだ仕舞っていた。四つ目の理由は静香に風邪を引いてほしくなかったから。五つ目は――
「……もう少し寄ってくれないと、寒いんですけど」
残りの理由を指折るように、静香が手を握ってくる。
「風邪、引きたくないから……」
手が近い、肩が近い、頬が近い。
「そう、だな」
それからは黙った。話すと温度が飛び去ってしまいそうだったから、毛布の中で温めた。春を通り越して、夏が来たかのような、熱が育つ。
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串という漢字は
串という漢字は二つの口を棒で刺しているから、串焼きは二人で食べるのが相応しい。そんな理想を一笑に付すかのように、無愛想な店員が運んできた串焼きの本数は奇数だった。おまかせを頼んだことを悔やむ。どちらが一本食べたか、なんて言い合うような関係ではないけれど、どちらが一歩食べるか、で譲り合うくらいの関係ではあった。
「取り分けてもいいですか?」
現実的な提案だった。串で悩むなら串ごと取り除いてしまえばいい。そうして皿に転がったもも肉やせせり、レバーといった肉の一団をひとつまみ、噛み心地を味わってからビールを流し込むと、これが生きる理由だったのかと思い至る。
至福を得た俺の顔が可笑しいのか、正面の相手は口元を押さえながら目を細めた。ジョッキにはまだまだ泡が残っている。
「こんな場所で飲むようになるなんてな」
「意外、ですか?」
「予想外、かな。もっと静かなお店を選ぶものかと」
店じゅうに充ち満ちた熱気は壁を打ち破らんとしている。無愛想な店員も、先々の注文が頭から落としてしまわないよう必死なのだと思う。ビールを喉に通すと冷えた。心地が良かった。動きを真似るように、目の前のジョッキが持ち上がり、その口元へと泡を残した。
いつかの彼女には見られなかったものだ。
「好きなんです、意外と」
ほころぶと言うよりは、弾けるような笑顔だった。
串という漢字は二つの口を棒で刺しているけれど、ここに棒はない。何に阻まれることなく、思い切り口を開き、笑い、言葉を交わし合う――二人で。
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見つめた、見つけた
「普段のお休みなら何をしてるんですか」
ソファに座ってから三十分もすればそんな疑問も当然出てくるもので、すぐに答えが用意出来るのならば、そもそもそんなことを聞かれはしない。
「……掃除」
「生活以外でお願いします」
「生活するだけで精一杯なんだよ」
労ってくれると思いきや、静香はソファから部屋��一巡し、ひとり暮らしの住まいに焦点を当てるような面白いものなんて何一つないことを確かめてから、俺の方を見た。練習中という青のアイラインで出来たツンとした目で。
「静香なら何をするんだ?」
「ピアノを弾くとか、あと予習とか」
「半分生活じゃんか」
「あ、音楽聴いてます。部屋で流しながら、ゆっくりするんです」
「それなら俺にも出来る」
スマートフォンに保存したライブラリに入っているのは、仕事の音源だけじゃない。ただ、俺個人の選曲だと、爆音で鳴るギターで静香を驚かせてしまうだろう。
「ピアノの曲はあったかな」
「普段聴くんですか?」
「静香の趣味だしな」
さてお気に召す曲はあっただろうか。クラシックは普段聴いている筈だから、ちょっと趣向を変えたものの方がいいだろう。じっとスマートフォンの画面を見る。
その時、ソファが軽くなって、また重くなって。
「あ、ストリーミングですか」
肩を寄せられた。
「……いちいちCD取り込む時間が勿体ないしな」
ストリーミングの利点がわっと口を割ろうとするが、今はそんな言葉を並べ立てても仕方ない。画面を覗き込む、静香の肩が近い、頭が近い。
「翼が使ってたんですけど、うらやましくて」
「そ、そうか」
「あ、検索させてくれませんか」
こちらの気持ちなんかよりもスマートフォンの方が気になるようだ。両手を開けている間は落ち着かない。今日この時間とこの場所を選んだのは俺だけれど、タイミングまでは与り知らない所にあった。
「あ」
「どうした?」
鳴り始めたピアノの旋律は、まるで喜びから音譜を書き起こしたかのようだった。短い音を繋げて出来たメロディは色艶を帯びた髪、風が吹けば高く跳ね上がり、止めば低くなった。伴奏を伴って流れる音楽が、部屋いっぱいに流れて、満ちた。
静香の顔を、一瞬だけ見つめた。
好きなんだ。彼女が好きなんだ。
肩を引き寄せようとする腕を空中で止めて、預けたスマートフォンへと手を伸ばす。そっと手を添えて、ボタンを二度押して、音量を上げた。
細い指と太い指が、絡み合う理由をやっと見つけた。
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何を話せば
話せないなら手紙を書こうと思ったけれど、冷やしたチョコレートが固まるまで考えても、便箋は真っ白のままだった。
遊び心か、決めきらない心か。それすら決まらないまま、カラフルなチョコレートたちをラッピングしていく。底の底に、ミント色のハートを一つだけ隠して。
『しばらく劇場に顔を出せそうになくてな』
続く私への言葉はとても嬉しくて、信頼されていると、思えるのに。閉じた片目にスーツを映す。寒いから、コートを着ているのかな。そんなことも分からないくらいの間、ちゃんと会っていない。見かけた後ろ姿は、いつも忙しそうだった。
「お疲れさまです」
最初に書いたメッセージを、いつもの癖で口にしてしまった。
「急ぐぞ」
待ちに待��た車が急発進するのは、この日――待ちに待ったこの日、私を劇場に連れて行ってくれるはずの車が、別の仕事に呼ばれたとか、どうしても人手が足りないからとか、何とかだったけれど、覚えていない。久しぶりに見つめられる横顔は、少し痩けているようにも見える。曇った空模様のせいかもしれない。
何を話そうかと、思っているうちに気付く。公演の時間が差し迫っていて、プロデューサーが、間に合わせようと必死なことに。
……今話していいことじゃない。
だから、仕事の話をした。今日の演目を確認して、これからの話を聞いて、あとは、口を閉じて助手席に座っていた。着いて、着替えて、舞台に立って。その全てを、きっとプロデューサーは見ない。見なくてもいいと、信頼して貰っているから。
「すぐ戻らないといけなくてな」
「いえ、送って貰えただけで、十分です」
空いた手で振りを軽く確かめる、ここは狭いリハーサル室だ。劇場に着くまでに、一曲とかからない。
「ただ、もうすぐ終わるから」
希望かもしれない、嘘かもしれない。
「……終わったら、話したいことがあるんです」
「話そうか……話してないことを、たくさん」
約束は希望じゃない、嘘じゃない。本当に変えてみせるから。ぎゅっと手を繋ぐような、優しいブレーキで私は劇場へと辿り着く。
「それじゃあ、頑張って」
走り出す瞬間は私に託された。扉を開く前に、鞄から袋を取り出した。
はなせば、はなれてしまうから、はなしたくなかった。
それでも。
「……これ、預かってください」
指先の熱が伝わる前に、扉を開けた。冬の冷たい風が吹く中を走り出す。届いたけど、届いたのか、分からなくても、今は届いたことにして、劇場へと向かう。指先から全部が熱いまま。離せない思いを抱いたまま。
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甘奈ちゃんも優勝に導いて早くこれになりたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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ベルベットの憂鬱
その日、男ははアウトレイジ軍の拠点を訪れていた。都市からも、主たる運送路からも離れたその場所は、辛うじて生き残っている大都市の監視網からは大きく外れていた。故に鉄を打つ音も、銃火器の乱れた発射音も、その中でかき消える悲鳴も、すべてがただそこで鳴り、そして消えていった。
「腕の立つ者なら誰でも良いと聞いた」
突きつけられた銃口に動じることなく、男はまるで木の枝に留まった羽虫を捕らえるかのように、指先で軽く摘まんだ。
「話がしたい」
威圧を込めた声に、門番は慌てて駆け出した。その銃口の形を確かめてから発砲することだ。そう伝え損ねたことに、男は口元を歪ませた。
空気がわずかにひりついた。それは周囲の、男の所行に気づいた者たちによるものだ。得物に指先を据える者も居れば、あからさまな視線を向ける者もいる。皆等しく、強さを矜持としている者だった。
この時代、それを持たないものは淘汰される。
持つ者ですら、日々に貧窮している。
男にとってのそれは、退屈を晴らすように打ち鳴らした両手だった。掌と掌で鳴る音は、空気を更に張り詰めさせるには十分な圧力を持っていた。
――掴む男。
男はあらゆるものを手中に収め、等しく砕き、塵に変えた。指先で摘まむだけで銃口は閉じた。両手を重ね、捻れば人の首など容易く外れる。そのまま砕き、恐れを成して逃げる者たちが、彼に名を与えた。
貧困な出自から、銃もナイフも手に出来なかった男は、只一つ手にしたものを掲げてここへ来た。
「お待たせいたしました」
現われたその姿に、男は思わず口元に留めていた笑いを唾のように飛ばした。幾人かが向けた切っ先を、銃口を、片腕で制するのは女性だった。
「私がこの拠点を仕切る者……皆からは、ベルベット、と呼ばれています」
その身は細い。髪を一つに束ね、漆黒のスーツを纏う姿は、ここが舞踏会の会場ならば、あまねく女性の手を引けただろう。
「お前らはこんなやつを頭に据えているのか?」
しかしここで手を出すのはただ一人だ。体躯一つ分上回った男は、地面に跡を作りながら無防備に歩く。その先に待つ栄光を信じて。無垢に信じて。
「お前が本当に一番強いなら」
「安心してください」
その髪が揺れた。
「ご期待には添えますよ」
髪が解けるように、それは現われた。一本だった。切っ先を空気に溶かしながら、ベルベットは左手でそれを回し、構えた。槍と呼ぶにはあまりにも細く、形容するならば、針と呼ぶ他なかった。
男もまた、身構えた。両腕を正面に据え、はなたれる殺気を浴びながら、一手を思索した。
最速の、刺突。
掴み、止める。
ベルベットの跳躍。
切っ先は視界の中。
両手との交錯は一瞬。
左で針を捉え、折る。
思索は回答を見出した。
最速を防げば、後はどうとでもなる。
待ち受けるものを待ちわびて、男は左の指先を合わせようとした。
そして、赤。
視界は赤。
濁る声。
悲鳴だ。
一瞬に、二度の痛みが生じた。指の隙間をかいくぐることなく、針は交差する寸前に加速し、閉じる間に全てを終えた。
「如何でしたか?」
そう問いかける間に、鼓膜を破ることも出来たであろう彼女は、その切っ先を拭うばかり。徐々に相手への興味をなくし、ついには背を向けた。
「皆、業務に戻りなさい」
そう指示した声を、男は見逃さなかった。
この手に掴めば。掴みさえすれば。
男は信じた両手に全てを賭した。
「……全く」
手中に収めた、両肩。
その続きを命じることは、なかった。
貫かれた針の先から、赤い雫が二度零れた。
「片付けておきなさい」
地に伏した男へと一瞥すら向けることなく、ベルベットは拠点へと歩き出す。地に擦れた針の先を振るって、血が線を描いた。
そうして拠点の時間は正しく動き出す。変わらない音が鳴り始める中で、彼女の嘆息はあまりにも小さい。
「いつになれば、平穏が訪れるのでしょう……」
彼女が思いを馳せる相手は、あまりにも大きい。この混沌とした世のすべてを、その手に収めようとしているのだから。
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CROSS HEART PUZZLE
「カボチャの馬車が来たのです」
皮が銀色だと固すぎて食べれないと思います。
そう言いかけた私を取り残して、徳川さんは電車に――いえいえ馬車です――ぴょんと飛び乗ります。白黒のシックな服装できゅーとな仕草……お茶目な仕草が目に留ったのは、私以外にもいるはず。いないでほしいなんて、ささやかなねがい。
「では徳川さん、また明日」
明日会える保証もないのに。これも私の、ささやかな――
「明日では遅すぎるのです」
ちょこん、と指が私の膝元を示しました。そこにはターコイズの便箋。その色だけで、さっきまで私の隣にいた人が配達人だと分かります。
驚く私を残して、カボチャの馬車は銀色の蹄鉄を鳴らして、走り出してしまいました。たくさんの従者と一緒に、お姫さまはマシュマロのお城駅前へ。私は別の列車で自宅へ。
「……さてさて」
さびしさを包み込むはずだった両手で、便箋の封を切りました。
『瑞希ちゃんへ』
「これは」
ゆるい口元が更にゆるゆるに。手紙には口元は正反対の、均一な四角が幾つも並んでいます。左上の小さな数字、そして対応した文字列。徳川さんから貰ったのは手紙ではなくて、挑戦状だったようです。シャープペンシルをかちかちと鳴らしてから、私は徳川さんと言葉を交わします。
交わす言葉は暗号。
クロス・ワード・パズル。
□
5:□□□□(紬ちゃんの色なのです)
揺れる列車の中で文字を書くのは難しいですが、最初の答えは簡単に分かりました。白石さんのトレードカラーは瑠璃色(るりいろ)、私の水色よりも深みのある、綺麗な色です。そういえば、瑠璃色の金魚は本当にいるのでしょうか。
答えのヒントは、まるで話しかけるような言葉で書かれています。丸くてふわふわとした文字は、少し目を離したら宙へと浮かんでしまいそうです。
⑤:□□□(理科の実験で使ったあさがおなのです)
小学生の頃、観察日記を付けたことはありますが……あの時咲いた色も、瑠璃色でした。中谷さんや周防さん、大神さんも、日記、書いているのかな。
さて。ヒントで分からなくても、先に文字が分かる場合があります。白石さん、ナイスアシスト。
⑤:ろ□□
……理科の実験。あさがお、の、形。漏斗(ろうと)でしょう。ろ紙と一緒に使って、ろ過の実験をしたことがあります。徳川さんにも、そんな経験があったんでしょう。きっと。
6:う□□(鳥さんが川に作っている巣なのです)
巣……蜂の巣、空き巣とあるなら、きっと最後は巣で終わるはず。とりあえず、次にいきましょう。後回しにしてヒントを得ることも大事な戦略です。そして降りる駅を見過ごさないことも大事。
7:□と□□(ロコちゃんのアートを買ったのです)
横の四文字。伴田さんのアートを買った、アート買った……あとかた? 漢字で書かなくてもいいんですが、少し気になります。しかしスマホを使うのは御法度なので、我慢だぞ。
⑦:□か(消える水事件、なのです)
理科の問題が多めですね。得意科目なのかもしれません。水が消える、気化(きか)。これで鳥の巣の答えも分かりました。
6:うきす(鳥さんが川に作っている巣なのです)
浮巣?
そんな私自身がふわりと揺れたのは、がらんとした列車が止まったからです。窓の外に見える空はもうすぐオレンジ色、私が降りるまではこのままが、いいな。満員電車で手紙に文字を書くのは、大変ですから。
続けましょう。
⑥:□□(履かせたら律子ちゃんに怒られるのです)
秋月さんが怒るのは、悪戯をした時と、プロデューサーが数字を間違えた時。この前は数字が多すぎで、こらーっと……履かせるのは、下駄(げた)ですね。
2:□□げ□(ショートコント、なのです)
北上さんと野々原さんの漫才でしょうか。それとも実は、徳川さんはお笑いが好きで、内容を考えているのかもしれません。相方は、誰なのでしょう。冗談は苦手なので、ツッコミ募集だと、いいな。答えは演劇……いえ、ショートだから、寸劇(すんげき)ですね。
⑧:□き(付いたらぱちぱちなのです)
何だか頭の中がぱちぱちと、電気が走ってばちばちと、ひらめきの火がぱぁっと起こりました。付いたのは火。付けるのは、薪(まき)。
④:□ん□(社長さんは達筆なのです)
社長が書くもの、事務所の壁に貼ってある習字。文字。教え。訓示(訓示)。最近書いていたのは、『ここで野球をしてはいけません!!』……これは劇場に貼ってあった、田中さんの訓示でした。
3:□□□じた(二枚あったら発音が楽になるかもしれないのです。うそなのです)
じた、舌、二枚あれば二枚舌(にまいじた)。うそはいけません。
あと少し。全ての答えも、駅に着くのも。
③:□すい□い(頭の中から体の調子を整えてくれる頑張り屋なのです)
む、これは難しい。すいすい、水平、彗星、水泳。どれも一文字足りませんし、頭の中にはありません。頭蓋骨、脳、海馬……ううむ、理科――私たちの年齢なら科学ですね――の知識では、徳川さんに敵わないようです。
4:□□□(この前環ちゃんがつかまえてきたのです)
文字のヒントもありません。これは記憶力テスト。大神さんがつかまえてきた、動物……違います��昆虫です。
『ぴょんぴょん跳ねて、捕まえるの大変だった!』
苦労を感じさせないくしゃくしゃの笑顔。プロデューサーに見せていた籠に入っていた、バッタ(ばった)。これで先程の文字が一つ埋まります。
③:□すいたい
衰退?
埋まらない一文字を探して、最後のヒント。
1:□□□く(革を新しくするのです)
新しい革。革……ワニの革……ワニに仮装した徳川さん。愛らしい緑のワニさんから変貌、艶やかなクロコダイル。一緒に見ていた百瀬さんがぐったりとうなだれていました。私は、どきどき。今も、少し。手紙に埋められた徳川さんのメッセージが、浮かんできたからです。
新しくする、変貌、変わる、改める……なるほど。改革(かいかく)ですね。これで、頭の中にある頑張り屋の正体も、現われてくれました。
③:かすいたい
かすいたい。家に帰ったら科学の教科書とにらめっこです。
……さて。
ぴったりと止まる体。目当ての駅名がアナウンス。手紙を大切に鞄へしまって、ぴょんと立ち上がって、電車を出る流れに乗ります。のんびりとした流れの中、ぷかぷか浮かぶ私は、しんきんぐたいむ。貰ったヒントは全て文字に変わりました。あとは、パズルの中に隠れた、徳川さんからのメッセージを見つけるだけです。
□
このパズルには、最初からミスがありました。ヒントが足りないのです。一覧を見ればすぐに気付きます。今まで考えなかったのは、それがミスではないと、徳川さんがこんなミスをするはずがないと、信じていたからです。電車を待っている間に作った即興のパズル……きっと、めいびー、だいじょうぶ。
ヒントがなくても文字は浮かんでいます。さっきまでじっと見ていたパズルです、頭の中に三つの文字が浮かびます。
①:か□にばる
⑨:□□すた
そして。
②:まつり
……まつり。
ふぇすた。
かーにばる。
このパズルは、それだけ。
ただそれだけで、おしまい。
まつり、ふぇすた、かーにばる。
私は、頭の中で三つの言葉を繰り返し並べます。改札を出ると、言葉のテンポに合わせて足がダンス、夕方前にダンス。肩がぴょこぴょこ、鞄もぴょこぴょこ。
パズルに隠したメッセージ。
徳川さんが私に伝えたかったメッセージ。
確かに、これならヒントはいりませんね。
駅の外には街の明かり、沈む太陽に色を重ねたら溶けてしまいそうな橙色が整列して、私の進む道を照らしてくれます。駐車場はカラフルに光を返して、モノクロな足元を楽しく色付けてくれます。辺りのざわざわとした声も、何だか華やいできました。
銀色の蹄鉄が遠ざかっていきます。
まつり、ふぇすた、かーにばる。
クロスワードに隠れていたメッセージは、徳川さんそのもの。三つ重ねれば魔法の言葉。毎日の風景を変えてしまう、世界の秘密。私にだけこっそりと伝えてくれたメッセージ。
鏡よ鏡、私には私が見えてしまいます。ぽかぽか温かい身体に、ゆるゆるの頬。真壁瑞希の大変身……劇場のみんなもきっと、びっくりです。徳川さんは、私を見て、何と言ってくれるでしょう。
『瑞希ちゃんにも、カボチャの馬車が見えたのです?』
路地裏から飛び出すお姫さまの質問に、私はハイタッチで答えます。きっと今なら、徳川さんを連れて行ったオレンジ色の馬車も、それを走らせる白馬の姿も、その背に乗っているネズミの尻尾さえも、くっきり見えるでしょう。
だから、徳川さん。
手紙には手紙で、お返しをします。
明るい道を走り抜けて、玄関を開け、ただいまさえも家族に言わないで、机の引き出しを大捜索です。水色の――私の色に染まった手紙が、奥の方から出てきてくれました。
まつり、ふぇすた、かーにばる。
もう一度唱えて、私は手紙を書き始めます。もらった呪文よりも大きくなった気持ちを伝えるために、私は最初に、定規で線を引くのです。明日、徳川さんに会いたいと、まっすぐな願いを込めながら。
○
ふらふらと、私の周りにそんな文字が浮かんでいます。朝のまぶしい日差しですくすくと歩く人たちの中、一人だけ遅れてしまうのは、昨日の夜が長かったせいです。その成果を潜ませた鞄をぎゅっと持ちながら、きりっと気を引き締めて、人ひしめく駅内へと入っていきます。
マシュマロのお城前駅を確かめる余裕もなく、私は満員電車の中に押し込まれていきました。当然、座れませんから、劇場までの長い時間は、リハーサルで過ごします。
徳川さんに会った時、最初に何を伝えましょう。
「瑞希ちゃん、寝不足なのです?」
偶然の奇跡に、私は寝不足のまぶたをこすりこすり、頭の上のリボンからつま先のブーツまで、目の前に立っている姿が徳川さんであることを、ふらり車内が揺れて、ぴったりと体がくっついた瞬間に、確かめました。ピンクの柔らかなフリルが、私を包んでくれました。
「大丈夫、なのです?」
「は、はい……」
徳川さんが驚いたままの私を支えてくれます。電車は人が行き交って、また発進。どきどきは止まりません。それから私は上の空、駅に着くまで何も話せませんでした。
「今日の瑞希ちゃんはふうせんさんなのです」
徳川さんの手に連れられると、本当にそう思えてきます。
「ふらふらで、ふわふわで」
空に飛んでしまいそうな、どきどきの風船。
「何だか、幸せそうなのです」
「……お見通し、ですね」
少し前を歩いていた徳川さんが、振り返り、にっこりと笑ってくれました。その瞳には、どこまで私が映っているのでしょう。
「徳川さん」
「ほ?」
立ち止まり、鞄の中から水色の手紙を取り出します。もしかしたら、手紙の中身もお見通しかもしれません。
「お返事を、書いてきました」
「……ちゃんと解けたのです?」
「勿論です。真壁瑞希、解けなかったパズルは、一つもありません」
「もっと難しくすれば良かったのです」
……私の問題は、難しいですよ。とっても、とっても。
向かい合う私たちの距離は、手紙を差し出すことで埋まりました。私はもう、何も言いません。ただ、信じています。徳川さんなら、全てを解いてくれることを。
交わす心の暗号。
クロス・ハート・パズル。
どうか、私の心が、あなたにとどきますように。
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終わらない夏にする?
「……この手が好き」
俺の右手はこのみの頬を抱いている。手首に巻き付くこのみの手は小さい。てのひらを使って輪郭を確かめる。「ぎゅっとしたら、離さないでくれる……あたたかい手」
「今日は、少し寒いからな」
「カイロ代わりに使ってあげる」
そう言ってから一層頬を近付けてくるこのみの、晴れやかな顔。寂しげに光る明かりだけできらめく瞳。普段よりもしなやかに言葉を紡ぐ唇。
俺は今、その全てを独り占めしている。
「こうしてると、潮風がちょうどいいわ」
「四日もいれば慣れちゃったな」
「最初は、イヤだと思ったんだけどね」
「そうは思えなかったけど」
熱心に日焼け止めを塗って、炎天下に飛び出していたのは誰だったか。
「そうだけど……そうじゃなくて」
真昼と変わらない輝きで、瞳が俺を覗く。
「あなたの第一印象、最悪だったから」
出会った時、その輝きを棘に変えてしまったのは、俺がこのみを思い切り見下ろしてしまったせいだ。反省の意味も込めて、顔を近付け、輝きを受け入れる。
「……困ったすぐこれね」
何度もこうしてこのみの瞳を見つめていれば、逆に俺も見透かされていて当然だ。
「でも、嫌いじゃない」
「だからそうした」
「あっそ」
そして俺たちは、この次を知っている。決まってこんな夜、二人だけの居場所でお疲れさまと言い合った後は、手を肩に置く。もっと近付いて、重なって、二人が二人であることを忘れるために。
「ねぇ」
囁きと、甘い吐息。夜の温度を纏いながら耳に届けば、他の音は聞こえなくなる。馬場このみを独り占めしている今、それ以外のあらゆる物事が、遠い。
「このまま、あなたと遠くに行ってもいいって思ってる」
夢のように甘い、声がする。
「こうしていられるなら、暗い夜も、案外悪くないし……さ」
このみが目を閉じた。
「二人で、終わらない夏にする?」
このみが唇を閉じた。
二人で過ごした夏だった。
仕事でも、自宅でも、いつもお互いが手の届く距離にいた。離れる前には手を繋いだ。出掛ける前には愛し合った。晴れた日には日傘を差した。雨の日は濡れた髪を撫でた。日々が忙しない繰り返しで、支え合う形を何度も確かめ合うだけで、幸せだった。
そんな夏が続くのなら、永遠に続くなら俺は、このみにキスをする。
キスをするのだろう。
海岸通りに吹く風は夜の冷たさを連れて、着慣れないアロハシャツの隙間から俺をくすぐってくる。このみの肩も小さく震えて、驚いたのかその目は独りでに開かれていた。
潮の香りがした。波の返す音が聞こえる。側の車道は何も走っていない。誰もいない。寂しげな明かりが一度消えて、そのまま付かない。二つの影が夜に溶けた。
キスをした。
額に、そっと。
「……車に戻ろう」
そして、離れた。
「ここは寒い」
手は繋げなかった。今はお互い、独りで歩いた方がいい。幸い明かりは駐車場まで途切れていない。暗い夜に取り残されたら最期、きっと何処へも歩けない。
「いくじなし」
投げ付けるような声が俺を小突いた。
「悪かったな」
投げやりなキャッチボールを続けながら、俺たちは駐車場を目指す。道を走り、海を越えて、帰らないといけない。明日も仕事だ。明後日も、その次も、夏が終わっても、まだまだ続く。だけど、
「いつか終わるから、その時は」
このみには聞こえないように、祈りを波間に隠した。海はそんなことを知らないままに、いつまでも細波を鳴らしていた。
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title:Ray
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愛に満ちた話じゃない 03
actor:宮尾美也、所恵美、二階堂千鶴
「やっぱり、土地ですかね~」
そんな大言を平然と述べる彼女は、広々とした場所にぽつんと立つだけで多くの人を呼び寄せるほどの、一流と称されるアイドルだった。そして、日頃彼女と接する面々もまた一流であり、土地の一つや二つで驚く器ではなかった。
「広ければ広いだけいいよねー」
「けれど、広ければ管理が大変ですわ」
「夢の話なんだからそれは言いっこなしだって」
三人の語る言葉は空想としてどこまでも広がったが、対照的に現実には、その身はどんどん縮まり、寄り合っていた。ロケバス内の温度は低くはないが高くもなく、故に時間が過ぎれば過ぎるほど体温は奪われ、代わりに眠気ばかりが募っていった。
「大きな土地があれば、みんなで遊べますから~」
「みんなでかぁ……でも一回くらいはさ、グラウンドを一人で使いたいって思わなかった?」
美也はグラウンドに立つ自分を想像したが、勿体ないと思ったのかすぐさま首を傾げた。
「美也らしいと思うよ」
そう言って少々顔を驚かせた千鶴を、二人は見ていなかった。
「まぁアタシも一人で何かしたいわけじゃないけど」
「おすそ分けするとお得ですから~」
千鶴の得心は、眠気を払う大声となってロケバスの中でよく響いた。
ルール2:場面は普段選ばない場所にする(喫茶店、事務所は当然論外)
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愛に満ちた話じゃない 02
actor:百瀬莉緒・三浦あずさ・野々原茜
「やっぱり旅行じゃない? 仕事でなら色々行ったけど……」
時間を区切るように、莉緒はケーキを等分割していく。一つが三つ、六つになった。
「自由な時間なんてほとんどないじゃない?」
「そうね。最後に行ったのは、確か……」
立ち上がろうとしたあずさの体は固まり、そのまま心は旅行へと飛び立ってしまう。その脳裏に先ず浮かんだのは、真っ白な冬景色だった。
「茜ちゃーん、取りに来てくれる?」
「はいはーい」
茜が受け取った皿には雪を固めて作ったような、クリーム色のケーキ。
「夏の水着……は選んだだけだったわね、春に買ったスーツケースも、お仕事のためで……」
「あずさちゃーん、旅行から帰ってこないと、ケーキ食べちゃうよ~」
莉緒が三人分の紅茶を入れてきた頃、ようやくあずさは長い旅行から帰ってきた。
「この茜ちゃんの存在を忘れるほどの集中力だったね……」
「思い出せないものね、案外」
莉緒は一口目を頬張りつつ振り返るも、苦い記憶は話題にならないだろうと、脳裏に仕舞ったままにした。就職先がアイドル事務所であることは、良くも悪くも酒の肴にはなったのだ。
「茜ちゃんは逆に、今旅行してるって思うなぁ」
「高校の頃に色々な場所に行けてるものね」
「時間もあってチャンスもある、恵まれてるわねー」
「チャンスの女神をわしづかみしてるからね!」
茜の両手が大きく開く。猫にも似た眼光は、きっと女神の前髪を見逃さない。
「いつも思うんだけど、一日でもオフがあったら、日帰りでもどこか行きたいじゃない?」
「そんなもんなの?」
「そういうものね」
「でもいざポッと休みになると、旅行どころか、大体家でゴロゴロして、お酒飲んで終わっちゃうのよねー」
「……玄関のゴミ袋って」
「……見なかったことにしましょう」
『いつも出し忘れるのよねー』とは玄関での弁明だった。
ルール1:会話するのは2-3人、ランダムに選出する。
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愛に満ちた話じゃない 01
actor:大神環・ロコ・福田のり子
「とーくっておしゃべりのことだよね?」
「そうそう。テレビだと大体二分くらい、かな。それくらいで話をする、まぁ発表会? スピーチって言えばいいかな」
「トーク……とうとうロコにも来てしまいました……」
落胆が公園の滑り台から降りてくる。次の番を急かす子どもがいないからか、その速度はゆっくりとしている。側を走るスニーカーが追い越していく。
「一分間スピーチ! たまきやったことない!」
「アタシは何回か。まぁ環くらいの時だけど」
「ロコは……ロコは……!」
滑り台が恐怖で揺れた。その脳裏に浮かぶ白紙のスピーチ用紙、夢中になって作った粘土細工、あらゆる釈明を聞いてくれなかった恐怖の眼光。
「こりゃ話すこと決まった感じだね」
「トレードオフだったんです! 粘土とスピーチだったら、タマキも粘土を選びますよね?」
「体育の方がいい!」
「アタシもそっちかなー。あ、一番は給食……いや、昼休みだね!」
彼女はベンチに腰掛けながら、今日と同じような陽光の日を懐かしむ。級友と共にはぐくんだ、かけがえのない日々を。
「初めて挑戦した腕十字固め、何度も練習したコブラツイスト……いやぁ、あの頃があったから今のアタシがあるよ」
「いいなーいいなー! プロレスごっこ!」
「お、乗り気だね?」
観客の期待には応えるもの。かつて教室じゅうの声援を受けてリングに立った彼女はそれをよく知っていた。
「ダメですよ! トークはショータイムじゃありません!」
「来たなロコロコ・サイクロン!」
「ロコはロコで……わぁっ!!」
滑り台の先に続いていた砂場に、二人の選手が並ぶ。
「大丈夫! そんなに痛くないから! 多分!」
「すごーいっ!」
穏やかな昼下がりに似つかない悲鳴が響いたのは、それから間もなくのことだった。
メインルール:『昔の失敗』『今欲しいモノ』『休みの予定』のどれかでトークをすることになったので、内容を考えている。
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便箋より愛を込めて
『拝啓 プロデューサー』
○
「全然かわいくないよっ!」
「かわいさなんて要らないじゃない!」
「だーいーじー!」
珍しい光景だった。何せ最上静香が、あの春日未来に怒られながら、便箋に言葉を綴っているのだから。
「お仕事のメールじゃないんだよ」
「分かってるわよ。でも、礼儀は大事でしょう?」
「でもでも、かわいさはもっと大事!」
立場が反対ならば、自然なのだ。最上静香が怒りながらも、春日未来に宿題を教えているような光景ならば、普段のことと、誰しもが受け止められる。
「静香ちゃん、これラブレターでしょ?」
返事は先ず、途端に真っ赤になった表情から。
「ち、違うわよ! それに声、大きすぎ!」
静香は慌てて詰め寄るが、未来はこれみよがしにと笑みを一つ。
「何よ……」
「かわいいなーって思って」
「……ただ、普段の感謝を伝えたいだけ」
口元から言葉を落として、静香は気持ちを落ち着けた。耳に言葉を入れて、再度認識させて、胸の中の本心がこれ以上沸き立たないようにした。
「じゃあ最初から、そう書いちゃえばいいんだよ」
「最初、から?」
「そうそう! あるよねそういう、いきなりサビから入っちゃう曲!」
「あるわね確かに……」
静香の脳裏で、恵美とジュリアがデュエット。ライブの冒頭でよく使われるだけあって、盛り上がりは最初から最高潮の一曲だった。
『プロデューサー、いつもありがとうございます。』
「かわいさは足りないけど、さっきよりはいいね」
「いいのよ、かわいさなんて……」
そうつぶやいてから、改めて便箋に落とした言葉を眺めた。率直な気持ちがそこにはあった。ふと、何から続けばいいのかが、分かった。静かに、書き続けた。未来の言葉も遠くに思えるほどに、早く、ひたすらに、純粋に思いの丈を綴っていった。
「いつにも増して、熱心だな」
新たな声に気付いた時、ようやくその手は止まった。
「ファンレターへの返信か?」
声の主を見るよりも先に、急いで便箋の文字を隠した。
「そんな、所です」
「じゃ、出来たら読ませてくれよ」
「どうしてですか!」
「そりゃぁ外に出す文章なんだから、一応、確認しとかないとな」
突きつけられた正論を前に、しかし静香は、胸に便箋を抱いた。続く言葉も、心臓の音のせいで聞こえない。
……いつか、渡すんだから。
それでも今は、今はまだ、抱いた気持ちを、隠していたいのが、乙女心だった。
願いを視線に込めて、上目で見つめた。
お題:ラブレター
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書けない夢
どこへ行く、とその紙は質問してきたから、アタシはそれを裏返しに伏せてから、どこへ行こう、とギターを鳴らしながら歌ってみた。
リフの間違いも見逃してくれるような、夜だった。みんなが帰った後の休憩室ほど、練習しやすい場所もない。スタジオでミスするとちょっとした申し訳なさというか、金かけて入ってるからか勿体なさを感じてしまう。だからこうして、レッスン終わりにちゃかちゃかと鳴らしては、戻って進んでを繰り返している。
夢は、あった。
アイドルとしての成功。
パンクロッカーとしての成功。
でも、それをあの紙に書くとなると、何か違うように思えた。プロデューサーやここの仲間に話すのはいいけど、学校の担任の前で説明するのは、ちょっと面倒だった。けど、書かなかったら書かなかったで、説教を聞かないといけない。
「ジュリアちゃん♪」
「お、レイか」
あだ名が偶然にも名前になったが、レイはそれを気に留めることなく、アタシの正面へと座ってから、伏せていた紙をあっさりとめくった。
「あ」
「進路希望、用紙?」
タイトルまで読まれてしまった。レイは一度アタシを見て、それから紙を裏返しに戻してから、テーブルに置いていたシャーペンを手に取って、
「いや待て待て」
「へ?」
「それ、アタシのだから」
「そうなの?」
「いるんだから聞いてくれよ」
「てか、いなくても普通書かないだろ」
「シャーペンだから消せるよ?」
「そういう問題じゃなくて」
「ジュリアちゃん、十七だった?」
「……とりあえずでいいから、って言われてさ」
壁打ちしてるみたいな会話だった。アタシが何を言っても、素知らぬ顔で言葉が返ってくる。だからこうしてため息で無理矢理終わらせた。丁度、返しづらい質問が来たことだし。
「じゃあ、はい!」
表情以外は反省したらしく、表向きにした紙がアタシの元に返ってくる。
「置いといて」
「書かないの?」
「まぁ、ちょっと、考える」
黙って、リフを鳴らす。Bメロとサビのつなぎ目が上手くいかない。眼がレイの膝の辺り――テーブルに置いた紙から、そらせなかった。
「書ける時に書いた方が、いいよ?」
手が、止まった。
リフのつなぎ目を裂くかのような、細くて、切れ味がある声。そんな風に思ったのは、多分アタシだけだ。レイはいつものようににっと笑って、言う。
「間違えても消せるし」
「……かもな」
アタシは手を止める。
「およめさん、っと」
「書くわけねぇだろ!」
お題:書くことがない(進路希望用紙)
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