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#カイザリヤ
truevine-gospel · 2 years
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2022,11,3 カイザリヤの円形劇場 #カイザリヤ #円形劇場 https://www.instagram.com/p/Ckfh-3Do7nj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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zion0430 · 2 years
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ダイジェストムービー
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2022.11.13
イスラエルチームが遣わされていた2週間を
振り返りつつ
ダイジェストムービーを観ました。
今回は本当にいろいろなことがあったチームで
でもきっと私が知らないところで
もっと大変なことがたくさんあったとも
思いますが、
その中で最後、七色に輝く月を
メンバーの皆さんそれぞれが空を
見上げている場面があり
それを観た時
神様が共にいてくださったチームであったこと
が深く深く伝わってきて
胸に込み上げてくるものがありました。
本当に祝福が大きかったチーム。
もうしばらく振り返りの時を持ちたいと
思います。
(写真:カイザリヤでの一枚。)
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junkiminami · 3 years
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【みことばシェア】 「ピリポ・カイザリヤに行った時、イエスは弟子たちに、「みんなは、わたしのことをだれだと言っていますか」とお尋ねになりました。 弟子たちは答えました。「バプテスマのヨハネだと言う人もいますし、エリヤだと言う人もいます。また、エレミヤだとか、ほかの預言者の一人だとか言う人もいます。」 「では、あなたがたは、どうなのですか。」 シモン・ペテロが答えました。「あなたこそキリスト(ギリシャ語で、救い主)です。生ける神の子です。」 「ヨナの息子シモンよ。神があなたを祝福してくださったのです。それを明らかにしたのは、人ではなく、天におられるわたしの父です。 あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの大きな岩の上にわたしの教会を建てます。地獄のどんな恐ろしい力も、わたしの教会に打ち勝つことはできません。 あなたに天国のかぎをあげましょう。あなたが地上でかぎをかけるなら、天でも閉じられ、あなたが地上でかぎを開けるなら、天でも開かれるのです。」」 ‭‭(マタイの福音書‬ ‭16:13-19‬ ‭JCB‬‬) 日曜日の午後は、新しく献堂された大阪市東成区神路にあるカリスチャペル神路の入堂礼拝でした。京阪中央教会カリスチャペル創立牧師である村上好伸先生を通してこの箇所からメッセージが取り次がれました。 (中書島駅) https://www.instagram.com/p/CMvIV-GAyw2/?igshid=13yym8u5t46l6
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ca-bf · 4 years
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マタイの福音書16章13〜19節  マタイの福音書18章11〜20節
16:13さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」 16:14彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」 16:15イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 16:16シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 16:17するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。 16:18ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。 16:19わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
18:11[人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです。] 18:12あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。 18:13そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。 18:14このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころでは��りません。
18:15また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。 18:16もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。 18:17それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。 18:18まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。 18:19まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 18:20ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
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ogyuu · 7 years
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2017.9.6 But Festus replied that since Paul was at Caesarea and he himself was returning there soon, Acts 25:4 ところが、フェストは、パウロはカイザリヤに拘置されているし、自分はまもなく出発の予定であると答え、 使徒 25:4 サリーさん撮影
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purplekittennight · 7 years
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災い、悩み、そのすべてから救い出してくださる方
主に従う人には災いが重なるが、 主はそのすべてから救い出してくださる。詩34:20  パウロの手紙: 知ってのとおり、 私たちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、 私たちの神に勇気づけられ、 激しい苦闘の中���あなたがたに神の福音を語ったのでした。Ⅰテサロニケ2:2  Ⅰコリント9:16~23  使徒25:1~12(通読箇所)    (ローズンゲン日々の聖句8/17;木) 正しい者、主に従う人には悩みが多いのだそうです。 しかし、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、 そのすべての災い、悩みから救い出してくださるのだそうです。 パウロも、ピリピで、神のあわれみによるイエスの救いを宣べ伝えたのだそうです。 そこに、占いの霊につかれた女性がいて、パウロたちのあとについて来て、 「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫び続け、それが幾日も続くので、 困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、 「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と言うと、 即座に、その霊が出て行ったのだそうです。 それで、彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、 役人たちに訴えるために広場へ引き立て、長官たちに引き渡したのだそうです。 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむち打ち、牢に入れたのだそうです(使徒16:11~40)。 そこで、牢番とその家族がイエスを受け入れるということも起こりましたが、 パウロはこの時のことを、「苦しめられ、はずかしめられたけれども、私たちの神に勇気づけられ、激しい苦闘のなかで」とテサロニケの弟子たちへの手紙に書いているのですね。 パウロは、コリントの弟子たちに宛てた手紙に書いています。「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。 それはユダヤ人を獲得するためです。 律法の下にある人々には、私自身は律法の下にいませんが、律法の下にある者のようになりました。 それは律法の下にある人々を獲得するためです。 律法を持たない人々に対しては、 ――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが―― 律法を持たない者のようになりました。 それは律法を持たない人々を獲得するためです。 弱い人々には、弱い者になりました。 弱い人々を獲得するためです。 すべての人に、すべてのものとなりました。 それは、何とかして、幾人かでも救うためです。 私はすべてのことを、福音のためにしています。 それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです」(Ⅰコリント9:16~23)と。 〔聖である霊〕と呼ばれる方の迫りの中でエルサレムに上ったパウロ。 そこで、ユダヤ人たちに捕らえられ、殺されそうになるのを、 エルサレムを治めていたローマの千人隊長によって保護され、 カイザリヤにいたローマ総督ペリクスのもとに護送されたのですが、 ペリクスは、パウロに罪がないのことが分かりながら、ユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいたのだそうです。 2年後にペリクスの後任として来たポルキオ・フェストも、ユダヤ人の歓心を買おうとして、行けば殺されてしまうであろうエルサレムに上り、裁判を受けるかと切り出したので、 パウロは、カイザル(ローマ皇帝)に上訴し(パウロはローマの市民権を持っていたので)、 ローマで、カイザルの法廷で裁かれる道を選んだのだそうです(使徒25:1~12)。 このように、主に従う人、神の御用をしていくときには、災いや悩み、困難が多いこともありますが、 天の神、主は、そのすべてから救い出してくださり、御思いを実現してくださるのだそうです。 私たちにも。 今日も。 [にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ] [https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]
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purplekittennight · 7 years
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正義と、慈しみが結ぶ実を増し加えて
正義を洪水のように、 尽きることなく流れさせよ。アモス書5:24  種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、 あなたがたに種を与えて、それを増やし、 あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。Ⅱコリント9:10  Ⅰコリント10:23~31  使徒24:22~27(通読箇所)    (ローズンゲン日々の聖句8/16;水) 私たちは神の民だとして、盛んな祭りをし、献げ物をたくさんしながら、 自分の理性による善悪の判断に従い、自分の思いのとおりに生き、 ご自身と思いを一つにしようとしないイスラエルの民に対して、 天の神、主は言われるのだそうです。 「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。 あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。 たとい、あなたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、 わたしはこれを喜ばない。 あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。 あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。 わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。 公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。」(アモス5:21~24新改訳)と。 天の神、主は、私たちを、常にすべてのことに満ち足りて、 すべての良いわざにあふれる者とするために、 あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方。 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方。 私たちに蒔く種を備え、それをふやし、義の実を増し加えてくださる方なのだそうです。 自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださったのだそうです(ガラテヤ5:1)。 パウロは手紙に書いています。自由な者として、 「すべてのことは、してもよいのです。 しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。 すべてのことは、してもよいのです。 しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。 だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。 あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光をあらわすためにしなさい」(Ⅰコリント10:23~31新改訳)と。 パウロは自由な人でした。 その自由なパウロが、エルサレムへ行けば、捕らえられ、苦難が待っているとの預言を受けながら(使徒21:10~13)、 〔聖である霊〕に心迫られるままにエルサレムに行き、 そして、殺されるところをローマ兵によって助け出され、カイザリヤに護送されて、裁判を受けることになり、裁判の弁明においてイエスを証しし、 また、総督ペリクスにも、「正義と節制とやがて来る審判」を論じたのだそうです(使徒25:1~12)。  イエスは、世の終わりについて言われました。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、 大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、 恐ろしいことや天からの前兆が現れます。 しかし、これらのすべてのことの前に、 人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、 わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。 それはあなたがたのあかしをする機会となります。 それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。 どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしはあなたがたに与えます」(ルカ21:10~15)と。  パウロの出来事も、このイエスの言葉のとおりのことだったのですね。私たちにも、自分に与えられている自由意思において、 十字架刑での処刑を受けてくださったイエスを通して来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方が心に置いてくださる、〔父である神〕の御思いについて行かせてくださり、 心と思いを一つにして、 神が備えていてくださる正義と慈しみが結ぶ実を成長させてくださるのだそうですから。 今日も。 [にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ] [https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]
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purplekittennight · 7 years
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お心一つで、治していただけます
わたしは
苦難の中から呼び求めるお前を救った。
詩81:8
 ハンセン病を患っている人が、イエスの所に来てひざまずいて願い、 「御心ならば、私を清くする事がおできになります」と言った。 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、 「よろしい。清くなれ」と言われると、 たちまち病は去り、その人は清くなった。
マルコ1:40~42
 エフェソ書5:15~20
 使徒24:1~21(通読箇所)  (ローズンゲン日々の聖句8/15;火)
天の神、主は、私たちが苦難の中から呼び求めるとき、救ってくださる方、なのですね。
当時、不治の病であったハンセン病を患っている人がイエスの所に来て、ひざまずいてお願いしたのだそうです。
「お心一つで、私を清くしていただけます」(新改訳)と。
天の神、主は、「わたしはあるという者」(在りて在る者〔文語訳〕出エジプト3:14)と名乗られる方、
あろうと思われるとおりにあることがおできになる方、なのだそうです。
このハンセン病の人が、「御心ならば(お心一つで)」、
「あなたがそう思ってくださりさえすれば、私のこのハンセン病は治ります」と言ったのは、
イエスに向かっての、「あなたは、この『わたしはあるという者』と名乗られる方ですから」、という、信仰告白でもあったということなのでしょうね。
そして、イエスが「わたしがそう思う」と仰ってくださると、
ハンセン病はその人から去った、のだそうです。
 ですから、私たちも、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方がどう思っておられるのか、に心を向け、よく悟るように、というのですね。
この方と心を合わせ、同じ方向に進んでいけるように。
酒に酔い、この世のことに心が満たされて行くのは、御心が感じられなくなる方向のようです。
むしろ、「御霊に満たされ」、御霊の御思いの中に思いを潜めて、
また、詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、
主に向かって心から歌い、また賛美する中で、
御心を敏感に感じられるようにしていただきなさいと勧められているようです(エペソ5:15~20)。
パウロも、同国人から捕らえられ、殺されるところを、エルサレムを治めていたローマ兵の千人隊長によって救い出され、
そして、カイザリヤにいたローマ総督ぺリクスのもとに護送され、
ぺリクスの裁判での弁明において、イエスを証しする(使徒24:1~21)、
そのような中でも、主の御心に思いを向け、
「あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証ししなければならない」と言われる(使徒23:11)主の御心に思いを潜めていたのでしょうね。
私たちも、今日も。
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purplekittennight · 7 years
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真実な方の、必ず成る言葉なのだそうですから
主なる神よ、
あなたは神、 あなたの御言葉は真実です。
サムエル記下7:28
 天地は滅びるが、 わたしの言葉は決して滅びない。
ルカ21:33
 フィリピ書2:12~18
 使徒23:1~11(通読箇所) (ローズンゲン日々の聖句8/12;土)
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が、ダビデ王のもとに預言者ナタンを遣わし、告げたのだそうです。
「万軍の主はこう仰せられる。
わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。
そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、
あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。
わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。
わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。
 さらに主はあなたに告げる。
『主はあなたのために一つの家を造る。』
あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、
わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。
彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも固く立てる。
あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも固く立つ」(Ⅱサムエル7:8~16新改訳)と。
 そしてダビデはこのように
「主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です」と答えたのだそうです。
イエスは、エルサレムの滅亡、この世の終わりの前兆について語られたとき(ルカ21:5~36)、
このように「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言われたのだそうです。
パウロは言います。
「あなたがたは、邪悪な時代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝く」(ピリピ2:15~16)と。
パウロは、捕らえられ、エルサレムの最高議会でも、神の知恵によって弁明してイエスを証しした(ルカ21:12~15)のだそうですが、
神は、さらに言われました。
「勇気を出しなさい。
あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(使徒23:11)と。そして、2年ほどの、カイザリヤでの獄中生活を経てですが、ローマに護送され、ローマ皇帝の裁判での弁明において、イエスを証しすることになったのだそうです。
 私たちも、この方を私の神とし、真実な、天地が滅びても滅びないこの方の約束のことばしっかり握って出て行き、この方の御業を見る者にしていただけるのだそうですから。今日も。
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purplekittennight · 7 years
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神の沈黙の中で苦しむ経験をした方が
私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとしてくださらないのか。詩22:2  キリストは試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。ヘブル書2:18  エゼキエル書3:22~27 使徒10:1~23a(通読箇所)  (ローズンゲン日々の聖句6/21;水)  イエスよりも、およそ1000年ほど前に書かれた詩篇22篇にはこうあります。「わが神、わが神、どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。わが神、昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。 私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。 しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」(詩篇22:1~8新改訳)と。  そして、およそ1000年ほど後のこと、イエスは、人々のあざけりと嘲笑の中で十字架に架かられたのだそうですが、道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言ったのだそうです。「神殿を打ち壊して三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い」と。 祭司長たちも、律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言ったのだそうです。「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがよい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから」(マタイ27:39~43)と。  イエスは、このように、神に見捨てられる経験をした方なので、試練の中にあり、神の沈黙の中にあって苦しんでいる人を助けることがおできになる方なのだそうです。  私たち、天の神、主から、「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、「わたしたちが一つであるように、彼らも(��たしたちと)一つである」(ヨハネ17:21~23)ようにと願われ、造られていながら、その、天の神、主との一つの場にとどまることをよしとせず、もっと高くなろうとして、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になった(創世記3:5、22)人間、天の神、主に対抗し、背く者なのだそうです。  それで、天の神、主はエゼキエルに言われたのでしょうか。「『神である主はこう仰せられる』と言え。聞く者には聞かせ、聞かない者には聞かせるな。彼らが反逆の家だから」(エゼキエル3:27)。  カイザリヤにいた、神の民イスラエルに属していない、ローマ軍イタリヤ隊の百人隊長コルネリオ。彼は、神のことばを聞きたいと願い、御使いの示しを受けて、ヨッパにいるペテロを招くため、部下を遣わしたのだそうです(使徒10:1~23)。  私たちの身代わりとなり、私たちの反逆の責任をご自身に負って十字架刑での処刑を受け、「神に見捨てられた者」(マタイ27:46)となってくださったイエス。  墓に葬られ、三日目の日曜日の早朝、死者の中から、新しい霊のからだによみがえり、40日間、弟子たちに何度も現れて神の国のことを語った後、オリーブ山から、弟子たちのみている間に上げられ、雲に包まれて見えなくなり、〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。  そのイエスが派遣してくださるもう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方。〔父である神〕は、この方を通して、受け入れる者の心に、ご自身が、一人一人に思っておられる御思いを置いてくださるのだそうです。 私たち、背く者であって、自分の理性の善悪の判断のとおりに突き進みたいものですが、この、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る〔父である神〕の御思いに聞いて、御思いのとおりに出て行く者にしていただきたいですね。今日も。 [にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ] [https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ] [269RANKのランキングサイト] <ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a>
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junkiminami · 7 years
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(使徒12:11)English below 11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」 (Acts‬ ‭12:11‬ ‭NASB‬‬) 「When Peter came to himself, he said, "Now I know for sure that the Lord has sent forth His angel and rescued me from the hand of Herod and from all that the Jewish people were expecting."」 (‭‭사도행전‬ ‭12:11‬ ‭KRV‬‬) ‭‭「이에 베드로가 정신이 나서 가로되 내가 이제야 참으로 주께서 그의 천사를 보내어 나를 헤롯의 손과 유대 백성의 모든 기대에서 벗어나게 하신줄 알겠노라 하여」 (使徒12:1-25) 1  そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、 2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。 3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。 4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。 5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。 6 ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。 7 すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。 8 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい」と言った。 9 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。 10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。 11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」 12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。 13 彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。 14 ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。 15 彼らは、「あなたは気が狂っているのだ」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ」と言っていた。 16 しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。 17 しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言って、ほかの所へ出て行った。 18  さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。 19 ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下って行って、そこに滞在した。 20  さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。 21 定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。 22 そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。 23 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。 24  主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。 25  任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。 イエス様に不可能はありません!イエス様は私達をどんな状況からでも救い出すことがおできになる方です。奇跡ーはおーきるー♪信じーれーばー!
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