Tumgik
#デレマスマフィアパロ
usickyou · 2 years
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無題h
 加蓮は、割に合わない話だと思った。  ターゲットは白菊ほたるといった。女性、年齢不詳、外見からは自分と同じか幼く見える。主な手口は不明。轢死、焼死、圧死、病死や失血死、彼女のカタログにはあらゆる死があって、同時に一つとして同じようなパターンは見つけられなかった。一方的に手札を晒しながらする賭けみたいなものだ。圧倒的に分の悪い、最悪の相手。  だから、加蓮は受諾した。彼女なら私をきらめかせてくれる、そう思った。  ほたるは、どうでもいいと思った。  ターゲットは北条加蓮。女性、十七歳。銃器や刃物、格闘も最低限はこなす隙のなさと、特異的な薬物の使用歴。カタログをぱらぱらと眺めて受諾した。この人なら私を殺してくれるかもしれない、そんな淡い願いを抱かなくなった頃のことさえ彼女はもう覚えていなかった。  そうやって、多少のすれ違いはありながらマッチングが成立した。
 世界にはルールがある。信号を守らなくてはならないとか、人を殺してはならないとか、そういうもの。  ルールにはいつも裏がある。たとえば誰も通らない夜中の道では信号を守る必要がないとか、同様に、ある条件下では人を殺してもよい、など。  後者の場合にはまたルールがあって、それは大体がショービジネスの要求に基づく。一つ、指定された時間、指定されたエリア内で行われること。一つ、民間人には気付かれないように、また可能な限り被害を出さないように行われること。一つ。どちらかが死ぬまで行われること。
 加蓮は蓮の花を眺めた。額縁の中の蓮。加蓮は、その花が好きだった。美しさや同じ名前を関しているということ、何より泥の海で咲く姿に心惹かれた。  しかし、絵画であるというただそれだけで、彼女にはそれがひどく醜いものであるように感じられた。不変や永久、ありもしない夢想を追いかけることは人生に対する裏切りだと、そんなことを考えていた。  気が付けば、手を握られていた。不運や死を連想させる、黒い衣装を纏った少女。 「デートならもっとスマートに誘ってよ」と加蓮は言う。相手の姿を窺いながら、自由な右手でジャケットの内をさぐった。「あと、そっちの気はないんだけど」 「すみません」と、そう言いながら少女、ほたるは手を離す。そうして絵画の蓮を見上げると、「聞いていただけますか」と言う。  加蓮はオートマチックの安全装置を解除して「どうぞ」と答える。ほたるは話しはじめる。 「この美術館に、好きな絵があるんです。ここから二つ先のエリアに、なんの変哲もない天使と赤ちゃんの絵です。有名じゃないし思い入れもないけど、パンフレットで見かけて、一目惚れでした」  加蓮は目線で監視カメラを数える。見えるだけで三台、すべてがこちらを向いている。確かめるまでもなく、ショーは二人が存在を互いに認識した瞬間に始まっている。 「だけど、一度も実物を見たことがないんです。見ようとすると、邪魔が入る。今日こそはと思ったんですけど、やっぱりだめでした」 「なら今から行ってみる? このまま、二人で」 「いいんです。どうせ無理ですから」 「そう。じゃあ」と言って加蓮は引き金を引く。ジャケットの内側で、弱々しい金属音が一度だけ響く。  銃は不発だった。理解に至るまでのコンマ数秒の間に、ほたるは再び加蓮の手を取った。今度は腕まで、そう簡単には剥がせないように。 「で、どうするの」と加蓮は訊ねながら観察する。両腕は奪われているが、相手も同じ。仲間が現れる、それは論外だが、これがショーを装った一方的な殺人である可能性はゼロではない。あるいは仕込み、よほど上手にやらないと査定が下がるし、そもそもこういう遮蔽物のない空間では難しいだろう。 「どうする、とかじゃないんです」とほたるは答えた。「選択するなんて私にはできません。委ねるだけです」 「何に?」と加蓮はまた訊ねる。その途中で、遠くから何かが破壊される音や悲鳴が聞こえることに気付く。 「来ましたね」とほたるは答えるでもなくささやく。声が、続けて体が震えを起こしはじめる。  加蓮は、ほたるが怯えていることに気付く。では、何に? 答はすぐに、隣のエリアから飛び込んできた。 「マジか」と加蓮は覚えず笑った。  轟音と悲鳴を連れて飛び込んできた自動車は、二人のもとへまっすぐ突き進む。加蓮のからは、赤い血が飛び散ったフロントガラスや、中でぐったりうなだれた運転手の姿が見える。 「恐がらないでください。一緒ですから」  そんな声が聞こえて、あんたの方がびびってるじゃんと思いながら加蓮は思い切りほたるの足を踏みつける。痛みへの反射でかすかに力が緩むと、背後から伸ばされた右手を掴み返して、肩を外した。それで完全に拘束を逃れて、ほたるを突き飛ばす反動でその場所を離れる。一瞬前に自らがいた空間を自動車は蹂躙し、ほたるの小さな体をはね飛ばすと壁に衝突し動きを止めた。  それであたりは静かになり、少し間を置いて再び悲鳴や助けを求める声が広がりはじめる。  加蓮は体を、損傷がないことを確かめるとジャケットから銃を取り出す。弾は薬室に送られているし、安全装置は解除されている。不発の理由はわからないが、もう済んだ。銃は処分して新しく手に入れればそれでいい。これも手段はわからないが、ターゲットは自滅した。念のため死体を確認して終わりだと、そう思った。  白い床にほたるは横たわっている。加蓮は、その周囲がぜんぜん汚れていないことに気付いて足を止める。「無理だった……また……」そんな声が聞こえた。  ほたるは、ゆっくりと起き上がる。  加蓮には、理解できない。  完璧にはねられていたはずだった。耐ショック用のインナー? 拘束されたときの感触で、それはないとわかる。だいたい装備でどうこうできる衝撃ではなかったはずだし、生身の手足さえ無傷なのに対する説明がつかない。 「大丈夫、できる、大丈夫……」ひとりささやきながら、ほたるは右手を床に押しつけると肩を入れた。くぐもった悲鳴を上げて、目にはうっすら涙を浮かべた。  加蓮はもう一度、銃口を向ける。薬室と安全装置を確かめて、引き金を引く。空虚な金属音を確かめて、予備のリボルバーを取り出すと同じようにする。同じ答が返ってくる。ほたるが「私、不幸なんです」と話しはじめる。 「生まれたときからずっと不幸で、何をしてもだめで、死にたいって思いました。だけど、死ねないんです。撃とうとした銃が壊れる。刃物は邪魔が入って肌に当てられない。灯油をかぶっても駅のホームに降りてもプレス機に飛び込んでも、死ねない」  だけど、とほたるは笑った。嬉しそうに、夢を見る少女の無垢な笑顔になって加蓮を見た。 「あなたは、素敵です。技術があって度胸があって、何より他の人と違って生きることへの熱量を感じます。あなたみたいなひとが死んでしまうことがあれば、もしかして、不幸な私も一緒に死ねるのかもしれません」  どうか、私を殺してください。  そう言って、ほたるは深々と頭を下げた。  加蓮はリボルバーに明らかな異常がないことを確かめると、あたりを眺めた。人はもういなくなっていて、まだサイレンは聞こえないけれど時間の問題だろうとは思った。  可能な限り被害を出さないこと。このままではルールに抵触するおそれがあって、それも彼女相手なら難しいだろうなと思って少し笑った。 「不幸自慢、私のも聞いてよ」と言うと、ほたるは黙って頷く。 「生まれたときから心臓に欠陥があってね、治療のために親はそれこそ死ぬまで働いてくれた。そのおかげで私は元気になって、だけど負債のカタにこんな仕事をすることになって、まあ才能はあったみたいだからそれはラッキーだったけど」  そこで一息つくと、また引き金を引いた。今度は破裂音があって、銃弾がほたるの首すじをかすめると、かすかに血が流れた。  加蓮は笑う。傷はつけられるし肩も外せる。要はやり方だ。 「で、病気と仕事、ぜんぶで何回くらいかな……覚えてないけど、死にかけたことがあるんだ。一回はマジで心停止までいったし、あれはやばかったなあ」  ほたるは動かない。ただまっすぐ、加蓮の言葉に耳を傾け続ける。 「そのたびにね、きらめくんだ。命がキラキラする。光りだして、熱くなって、生きてるんだって実感できる。あんたのこと、カタログで見てヤバいって思ったけど、やっぱ正解だったみたい」  二人は同時にサイレンを聞く。長居もそろそろ終わりだと、互いに目で伝え合った。 「絶対に死んであげない。だから、私をきらめかせてね」 「はい。そういうあなただから、一緒に死にたいんです」  二人は笑う。そうやって、紆余曲折を経ながらマッチングは完璧に成立した。
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idolthoughts · 6 years
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#デレマスマフィアパロ | alpha02
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irityu · 7 years
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あまねさんのツイート: “#デレマスマフィアパロ 楓さんに縛られて「尋問」されたかった https://t.co/nOw9eI5uJw”
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usickyou · 2 years
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『シネマ・パラダイス』
「目標一確認。停止。距離、四一〇。西三」  胸のうちの小梅へ言う。声帯の振動はぴったりとつけた鎖骨から正しく伝う。 「護衛三。狙撃なし。ファイア」  引き鉄が引かれると銃弾は目標の頭部を貫通する。これで二万。 「ヘッドショット。ヒット。目標二逃走。上。いや、ヤバい」  屈めた頭上を、コンテナを転がり落ちると今いた場所を銃弾が通り抜けた。たぶん、間違いなくサーモがある。話が違う。小梅を助手席に押し込むとアストンマーチンを起こして逃げた。川を挟んでいるとはいえ楽観視はできなかったから、たっぷり十五分走り回ると行き当たったファーストフード店に停まった。まだ食べる場合じゃないのでドリンクだけを頼むと、やっとアタシたちは話すことができる。 「あのやろう、適当な情報流しやがって」 『やめる?』 「続けるよ。割り増し請求してやる」 『そうだね、私も……』  と言いかけて、小梅は斜め上の宙を見る。それから「あいいう」とか「お、ぃああ」とか言うと、アタシへ向き直って手話の続きをしてみせる。 『あの子も、それがいいって』 「決まりだ。臨時収入も入るし、終わったらうまいもん食おうな」 『いつもの中華がいい、杏仁豆腐』 「また? いいけど欲がないな……」
 *
 100インチのスクリーンとレンタルのブルーレイで、今夜もパラダイスができあがった。テーブルに中華料理の容器を転がしたまま、小梅が杏仁豆腐を食べ終えると部屋の明かりを落として上映を始める。  二人ソファの上で、無音のスクリーンを眺める。アタシは膝の上で目を輝かせる小梅と、映画を見ながらいろいろなことを話した。 『ローマって?』 「イタリア。ここからはちょっと遠いな」 『どうしたら行ける?』 「ひとっとびだよ。でも、パスポート残ってたかな」 『きれいなところだね。ジェラート、食べたいな』 「明日食べようか。せめて気分だけでも」 『涼さんは? ジェラート好き?』 「どうかな。あんまり印象にないよ」 『ローマは?』 「はは、もっとないよ」 『一緒に行こう』 「スクーターも?」 『うん! 二人で乗ろう』 「いいよ。楽しみにしておく」 『あれ……噛むの? ほんとに……?』 「噛むよ。嘘をつくと噛まれるんだ。小梅は大丈夫だろうけど」 「……涼さんは」 「アタシは……だめだろうな」 「……」 「おやすみ、小梅」  アタシは小梅が深く眠ったのを確かめる。せめて映画は最後まで見たかったけど、そんな都合の良い薬はこの世になかった。  それから、数時間くらい小梅の寝顔を眺めて二人でする最後のドライブを楽しむと、児童養護施設のベンチに小さな体を寝かしつけた。もう三十分もすれば当番の女性が玄関を開いて、小梅を見つける。通帳や大事なものはぜんぶポーチにしまったし、暖かい季節だから、薄い毛布で充分。大丈夫。 『この子は白坂小梅といいます。耳は聞こえませんが、手話ができます。十三歳で小学校は途中までしか通っていませんが、頭の良い子です。趣味は映画鑑賞。好きな食べ物は中華料理全般(ほっておくとそればかり食べるので気をつけて)。イマジナリーフレンドがいて周りを驚かせるかもしれませんが、この子の大切な友達なのでむげにしないでください。それと、とても優しい子です』  最後に手紙を確かめると、『ローマに行くのが夢です』と書き加えてそこを離れた。小梅のいなくなった車内は本当に広くて、だけど、仕事のやり方をかなり変えなきゃいけなくなるのでアタシはむしろそのことに集中した。それでなんとかなる部分もあったけど、助手席のドリンクホルダーから飲みかけのオレンジジュースを捨てるのは、わりと耐えられないくらいきついことだった。
 *
「ハロー、殺し屋シネマ・パラダイス」  声をかけるなりその女はテーブルの向かいに座った。親しげな声にぼさぼさの赤毛、メニューも見ずにホットミルクを頼んでそれがないとわかるとアイスコーヒーを頼む。人懐こそうな目をしていて、こういう奴はだいたいとても上手に人を殺す。 「四人組もとうとう一人になっちゃったね」  深夜のトラックストップには不自然なほど人影がない。小梅がいれば何か気付いたのかもしれない。そんなことは考えても仕方ないので、代わりにハンドガンを引く動作を思い描く。 「そんなもんだろこの世の中」 「にゃはは、諦めが良いのは育ちのせい?」 「環境への反骨心だよ。ああ、なら育ちのせいだな」 「ふむ。驚かないんだね」 「有名税だよ。慣れはしないけど、諦めた」 「なるほど。じゃあ、仕事の話をしよっかなあ」  そう言うと、そいつは突然テーブルに突っ伏した。予備動作もなかったので、グラスが倒れてコーヒーがぼとぼとこぼれる。  アタシはそれを、テーブルに頬をつけながら認識している。幸いにもコーラの瓶は倒れずに済んだ。  指先さえ動かなかったし、すぐに意識は飛んだ。こんなふうに死ぬのかと思って、小梅の名前を呼ぼうとした。声は出せなかったので、心の中でだけ呼んだ。
 *
 目を覚ますと椅子に縛り付けられていて、生きていることがわかった。一面だけが鏡張りになった部屋には懐かしい顔があって、そいつは「起きました」とインカムに告げる。 「会えて嬉しいよ。奏」 「私もよ。すぐ済むから、少し待ってて」 「シャークネード終わるらしいな」 「挑発してるつもり?」 「アホか違うよ。寂しいんだ。一作目は皆で見たから」 「そうね、本当に時間は残酷で優しいわ」 「いいけど、キャラがぶれてるんだよな」  正面の扉が開くと、金髪の女が姿を現した。女はTシャツとショートパンツ、全身がびしょびしょに濡れていて、水遊びを終えた子どものような印象を与える。ずいぶん若いと思ったけど、西洋人の外見と年齢の相関はいまいち掴めないので考えるのをやめた。 「おまたせ! シネマ・パラダイス? 松永さん? 涼さん? どう呼んだらいいかなあ? ちなみにあたし的には涼ちゃんがとってもおすすめなんだけど!」  とりあえず、歳下だと思うことに決めた。こういうタイプはあまりいない。パターンにないので、先が読めない。探ろうと思うより早く、奏が部屋を後にした。 「……好きに呼んでいいよ」 「ほんと? 嬉しいなあ。じゃあ、涼ちゃん。はじめまして! あたしは宮本フレデリカ。フランス人のママと日本人のパパの間に生まれた十九歳だよ」  自己紹介をしながら、フレデリカはアタシを縛った柔らかい布を解きにかかる。それが意外と固く結ばれていて解けないのさえ楽しそうに、鼻歌をはじめた。 「楽しいか?」 「楽しいよー、でもあたし的には早く済ませてもっと涼ちゃんとおしゃべりしたいかな」 「悪いけど、アタシは逃げたい」 「んーむりだと思うよ。このあたり生体認証かかってるから」 「いや、解いてくれたらあんたを拘束して逃げ出すけど」 「ワオ! 考えたこともなかったなあ」  どうしよう、どうしようと歌いながら手を休めようとはしない。そのうちに奏が戻ってきて代わりに布を解くと、フレデリカにバスタオルを手渡した。 「ありがと、しきちゃんは?」 「まだ眠っています」 「だよねー、シャワーしてるのに起きなかったもん」 「起こしますか?」 「ううん、平気。お仕事の後だし休ませてあげたいから」  そう言って、フレデリカは正面に座りなおす。 「しき、ってのはあの赤毛?」 「うん。かわいかったでしょ?」 「わかるけど、クレイジーだな」 「それも魅力だよね」と笑って、フレデリカはバスタオルを頭に巻きつけた。「おかげで音に聞くシネマ・パラダイスを無傷で確保できた」  丸っこく歌うようだった碧眼が、不意に鋭くアタシを貫く。 「仕事の依頼なら普通にしてくれよ」 「優位を取るのが交渉の基本でしょ?」 「交渉じゃないだろ、破綻してるよ」 「拘束を解いたのは誠意だよ」 「簀巻きにされてるのと変わらない」 「返答次第だよね」 「依頼は?」 「二人、始末して」  無感情に、写真がテーブルを滑る。長髪の日本人と銀髪の、おそらくスラブ系。 「麻薬の販路を拡大したくて日本にこの銀髪を送り込んだんだけど、どうも取り込まれたみたいなんだよね。だから勢力抗争を装って始末したい。報酬は弾むよ、よっぽど飛躍しなかったら言い値でオッケー」  アタシは奏を見る。思っていた通り、その視線は揺らがない。 「こいつが、お前の新しい雇い主か?」 「そうよ」 「こんな奴のために、アタシたちから離れたのか」 「生きるって簡単じゃないの。わかるでしょう」 「わかるよ」とアタシは答える。それから、フレデリカへ向き直って「断る」と告げる。 「ふうん、もうちょっと生きてたいって思わない?」 「色々あってさ、あんまりそういう気分じゃないんだ」 「あたしはいいけど、手段はあるよ」 「痛めつけてみるか?」 「まさか、ちょっとお願いはするけど」 「まあいいよ。奏か、あのシキってやつか? 知ってるだろうけど、我慢は得意なんだ」 「みんな最初はそう言うよね」 「好きにしてくれ。シネマ・パラダイスは上映館を選ぶんだ。気の進まない依頼は死んでも受けない」  そう答えると、フレデリカは「そっか」と上を見た。奏がため息をついて、鏡を一瞥した。  アタシは今できる最善について考える。フレデリカを拘束して逃げおおせるには、障害が多すぎた。たとえば奏。フレデリカまでの距離。据え付けられたテーブル。あるいは、マジックミラーの向こうにいるであろうこいつらの仲間。  次善はどうだろうか。せめて楽に死ぬためにはどうすればいいだろうかと思考を重ねていると、フレデリカが席を離れた。またたく間にアタシへ近付いたと思うと、抱きしめてきた。  あまりに予想の埒外だったので、抵抗さえできなかった。 「試すみたいなことしちゃって、ごめんね」フレデリカは続けた。「あらためて、シネマ・パラダイスに依頼するよ。この二人を殺さないで。殺させないで。見守ってあげて」  まだ塗れた髪が頬にはりつくので、アタシはずっと混乱のただ中にいた。ただ、今までのフレデリカではなく、たった今この瞬間のフレデリカを信じてみたいとは思っていた。  しばらくそうして、フレデリカはアタシから離れる。それを合図に、奏が扉に手をかける。 「じゃあね、涼ちゃん」 「……仕事の話は?」 「後にしよっかなって」 「アタシは今でいい」 「気分が変わった?」 「変わる、かもしれない」 「嬉しいなあ。でも、あたしたちもお仕事があるんだ」 「急ぐのか?」 「うん。もう終わるけど」扉が開かれる。そこには小梅がいる。「ね」とフレデリカは笑った。  小梅を導き入れて、二人は部屋を後にする。マジックミラーが透明なガラスに変わると、その向こうにはもう、誰の姿もなかった。 『奏さんにお願いした』と小梅は手で言った。 「連絡先、知ってたのか」とアタシは答えた。 『ごめんなさい、内緒にしてた』 「別に、いいよ」 『涼さん』 「はい」 『ばか』 「はい」 『ばか、ばか』 「ごめん」 『一人にしないで』 「ごめんな」 『あの子も怒ってる』 「悪かったよ、ちゃんと謝る」 「うう、あ、おああ」 「うん。嬉しいよ。また会えて嬉しい」 「ああ! う、いああ!」 「バカだったよ。っていうかさ、アタシ、バカなんだよ」 「うああ!」  そう言って飛び込んできた小梅を、ちゃんと抱きとめた。胸のうちの小さな体が温かくて、髪に触れてみた。 「小梅、なんかくさいな?」 「い、あえ……」 「お風呂入ってなかったのか?」 『ちょっとだけ、だよ』 「どのくらい?」 『涼さんに置いてかれてから』 「マジかよ! ああもう、フレデリカ! シャワー貸してくれ、今すぐ!」 『嬉しいな、また涼さんに洗ってもらえる。嬉しいな』 「ああ、アタシも嬉しいよ! 小梅がきれいになったらもっと嬉しい! そしたらちゃんと抱きしめるから、ちゃんと、いやになるくらい!」
 *
 前金はローマ行の航空券やホテルのリザーブ、それと偽造パスポートだった。それでアタシと小梅は夢を叶えて、人生でいちばん笑って過ごす時間を終えると、東京行の飛行機へ乗り込んだ。ファーストが用意できなくてとフレデリカは謝っていたけど、ずいぶん気前のいい話だ。つまり、そういう仕事が待っているのだろう。 「コーヒーはいかがですか?」  キャビンアテンダントがそう訊ねるので、いまいち気は進まないけど飲むことにした。そろそろ、ちゃんと目を覚まさないといけない頃合いだった。 「妹さんですか?」  やけにのんびりとした動作でコーヒーをつぎながら、彼女が言う。胸のうちでまだ眠る小梅を、優しい瞳が見つめている。 「家族です」  アタシはそう答える。この関係を表す言葉はもう、それ以外にないように思えた。  数言を交わして着陸時間を告げると、とキャビンアテンダントは去っていく。去り際に、彼女はこう言い残す。 「良い旅を」  それでアタシは、写真の二人を思い出す。見守って、手をさしのべてとフレデリカは言った。アタシはずっと殺すばかりで、そんな仕事は初めてだったのに、どうしてかうまくいくような気がしていた。  胸のうちで、小梅が目を覚ます。もぞもぞと、寝起きの目をこすった手を動かす。 『家族だよ』 「起きてたのか?」 『うん。私たち、家族なんだね』 「そうだよ。知ってるか? 家族は離れないんだ」 『知ってるよ』  嬉しそうにする小梅を座席に落ち着けると、シートベルトをしめた。着陸のときになると、わざとらしくおびえてみせる小梅と手を繋いだ。機体を降りて空港を後にすると、少し涼しすぎるくらいの風が吹いていた。  幕明けにはいい日だな、とアタシは思う。 『そうだね』と小梅は言った。手を繋いでいるのに、『そうだね』と小梅は言った。 「そうだね」と、確かに小梅は言った。
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usickyou · 2 years
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死体袋の記憶
 路地裏の夜に女の子が降ってきたから、あたしは驚いた。彼女の真っ赤なドレス、大胆に覗く太腿やアンバーの瞳は薄汚れた街角にはいかにも不釣り合いで、それがドラマの始まりみたいなものを予感させるから、思わず笑った。 「こんばんは」  その唇から日本語が出てくると(顔立ちで期待していたけど)、やっぱり驚いた。水をはじく薄絹みたいな彼女の声と一週間ぶりに聞く日本語が、するりと体にしみこんでいく。 「どうも、こんばんは」 「パリは観光?」 「仕事と半々かな」 「そう。騒がせてごめんなさい。良い夜を」 「いや、あれあれ」彼女が飛び降りたビルの扉が開いて、何人かのいかにも悪そうな男たちが辺りを見回した。彼らはすぐにこっちを指さして、走り出す。それはそれはおそろしい顔をして、夜なのにサングラスなんかして。「ダンスのお相手じゃなさそうだけど」 「だって下手なの。あの人たち」 「あたしが相手しよっか?」 「経験は?」 「なくはない、かな」  そう、とつぶやいてあたしと彼らを見比べると、彼女は言った。「ええ。踊りましょう」 「場所は?」 「任せてくれる?」 「オッケーオッケー」彼らはもうそれなりに近くまで来ていて、その内の一人の見た目に反してふわふわと柔らかそうな金色の髪が汗で貼りついているのを、じっくりと眺めた。「じゃあ、行こっか」  そうして、あたしたちは逃げ出した。ドレスにヒールでも彼女はちゃんと足が速くて、あたしも重たい荷物なんかは持ってなかったから、彼らをまくのはそれほど難しくなかった。あたしは、パリというのは面白い街で、想像よりずっと暑くて(走っているのだから当たり前だけど)、それと、この出会いはけっこう運命的だ、そんなことを思う。
 最初に入ったクラブは正直どっちかといえばハズレで、こっちは二人で楽しんでるのに割って入ろうとする人が尽きないのがもうジャマでしょうがなかった。まあ大体は真っ赤なドレスのせいだし、それに、彼女がそういう男を次々に切り捨てていくのは見てて面白かった。 「場所、代えましょうか」  彼女は言う。それから、ハイネケンのボトルを片手に腰を抱こうとした誰かの腕をはねのけて優雅に手を振った。 「詳しくないんだけど、任せていい?」  あたしは答えて、差し出されたミモザのグラスをよそへ押しやる。それから、下品なハンドサインと笑顔を二度と会わない誰かと交わした。 「リクエストは?」 「おまかせしちゃう」 「主体性ないのね、意外と」 「そんなん、いる?」  四つ打ちのリズムやダークブルーのフラッシュライト、そういう強い流れから体を遠ざけると心が落ち着いた。おまけに(たぶんそっちがメイン)、騒音の中で声と一緒に耳に吹きかかる彼女の吐息は、真新しい感覚をあたしに引き起こして、次第に現実を遠ざけた。 「いらないわ。少なくとも、今夜は」そう言って彼女は、あらわな肩に掴みかかったハイネケンの男の腕をひねり上げる。怒声や悲鳴はフロアの喧噪、音楽と混じり合って、すぐに消えていった。「マナーがなってないのね」 「助かるわー」ハイネケンの連れ、カールスバーグのボトルを手にした男が立派な腕を振り上げて近付いてくるから、あたしは足をひっかけて(こぼすと悪いからボトルは貰っておく)、転げた背中を爪先で押さえつける。背骨の特に痛い場所をぐりぐりと刺激すると、彼もすぐに静かになった。「お気をつけて」 「好きなの?」 「アルコールなら大体なんでも」 「私と真逆ね」 「弱いんだ、意外」 「弱いわけじゃないわ」 「あはは、かわいい」いい加減、フロア中の視線を独占しようとしていることがいたたまれなくて、あたしは頭を下げる。どちらかと言えばその視線は味方なのだけど、一歩間違えれば百八十度入れ替わる、そういう兆候をはらんでいる。「ね、お騒がせしましたってフランス語でなんて言うの」 「さあ」彼女は事もなさげに答えると、手を振って、フロアに笑顔を振りまいた。「笑うか泣くか、それで夜は女のものでしょう」  そう言って、彼女はハイネケンの腕を解くと(落ちそうになったボトルを受け止めてカウンターへ返すと)、フロアを後にした。あたしはカールスバーグを解放して(名残惜しいけどボトルはカウンターに返して)、彼女の後を追う。  じりじりと、通路の明かりは明滅した。翻る真っ赤なドレスは、たしかに夜の帳そのものだった。
「へー、カメラマンなんだ」あたしが撞いた手球は小気味いい音を立てて、12番と6番を落とすと、流れるようにポケットに吸い込まれていった。「カメラは?」 「今日はこれ」彼女は(どこにしまってたんだか)スマートフォンを軽く振って、手球を真っ赤な3番の前に置く。コール、ショット、的球を落とした手球はきれいなバックスピンで4番の目の前へたどり着く。「表向きは、ね」 「まあ、黒服に追いかけられるカメラマンってのもね」 「なくはない、と思うけど」 「本業、当ててみせよっか」 「どうぞ」 「女スパイ」 「……残念」彼女は少し笑って、4番をポケットする。ぴたりと立ち止まった手球は、5番とはプール台の半分くらいの距離にあった。「手元が狂ったわ」 「狙いどおりだ」あたしはグラスを傾ける。プールバーなのにここには日本酒が置いてあって、だけどそれは、たった一口で飛びついたことを後悔させる味だった。次を頼もうかとも思うけど、お米の神さまに叱られたくないから、仕方なく気の遠くなるような道のりをグラスと一緒に散歩している。「情報屋だよね。人の嫌がるのか、喜ぶのか、扱うのはどっち?」  彼女は答えずにキューを構える。ルーチンにない深呼吸があって、撞いた手球は的球をかすると台の隅で動きを止めた。 「ラッキー」あたしはグラスをあおって(それでも半分は残ってる)立ち上がると、キューを片手に名刺を渡した。「わたくし、こういうものです」 「……そう、PMC」彼女はまじまじと名刺を見て、そうして、あたしを見つめた。「塩見、周子」  彼女に名前を呼ばれると、おなかの底の方に痺れるような感触が生まれた。鳥肌が立つみたいな、頬が勝手に緩むみたいな感覚の正体は、なんとなく、知っている。 「ご用の際はぜひ」あたしは、11番へ照準を合わせる。そうしながら、これは外れるだろうなあ、そんなことを考えている。「安くしとくよ」 「……情報屋だって、どうしてわかったの?」 「まあ半分はカマかけだよね」 「あとの半分は?」 「おかしなこと訊くんだね」あたしは、ほとんど機械的な動作でキューを振る。手球は的球を捉えると、やっぱりポケットへ導くことなくふらふらと台の上をさまよって、彼女の5番を包み込んだ。「あはは、狙いどおり」  それからふっと思い出してキューの先にチョークを塗ると、白い光の下、彼女の髪が宿す深い藍色をじっと目に焼き付けた。「隠す気なんて、なかったくせに」  彼女の目が、少し震えた。その表情は、うまく友達の輪に入れない女の子みたいで、彼女の心みたいなものを(思い違いじゃなければ)あたしに感じさせる。 「質問の答だけど」彼女は、丹念にチョークを塗る。そうして台の縁に体を預けると、太腿のタトゥー(かボディペイント)が、白い肌の上で鮮やかに踊った。「嫌がるのも喜ぶのも、どっちも扱うの」 「うん」 「けど、やめようと思って」 「そっか」 「それと、ね」 「うん」 「奏。速水奏」そう言って、彼女は水鳥が獲物を捕らえるようにキューを撞き下ろした。手球はぐるりを弧を描いて彼女の5番を弾くと、クッションをなぞってポケットへ、優しく優しく連れて行った。「私の名前。ちゃんと覚えて」  それから彼女は一つも外すことなく的球を落としきって、このゲームをものにした。あたしはその妖艶なかたちを眺めながら、次々にポケットに吸い込まれていく色とりどりの球体に、自分の心を重ねた。
 ちょっとだけ、調子のずれたバイオリン。主張しすぎるマンドリンと、決して音程を踏み外すことのないアコーディオン。その全部を統制するのは、半分くらい輪っかの外れたタンバリン(実はパンデイロという楽器だということは、後で教えてもらった)。重たげな木の扉を開くと溢れ出した音楽は、決して広くないその店の中で楽隊の形を取ってあたしたちを包み込んだ。 『カナデ、久しぶりじゃない』 『あなたも。肩の調子は?』 『悪くないわ。ねえ、その子は?』 『シュウコ。私の友達』 『よろしくね、シュウコ。あたしはソフィ、隣がマルタ、アデール、ロラン』 「ボンソワ、ソフィ。こちらこそ、よろしゅーこ」  そういうやり取りをして、あたしたちはバーカウンターに座る。それから乾杯をして、ダーツをした。くたびれた木のボードや錆だらけのバレルに高揚して、それと薦められたバスティーユがあまりに舌に合ったから、ぼろ負けだった。あまりにひどい負けっぷりだったから、哀れに思ったロランがビールをおごってくれて、もっと、酔わされた。 「奏ちゃん、もっかい、もっかいやろ」 「そんなに負けるのが好き?」 「あ、ひどい。泣いちゃう」 「ふふ、冗談よ。酔ってるの」 「ブドウジュースで? コスパよすぎる」 「ね、お詫びさせて」  そう言って、彼女は店の隅っこにあったアップライトピアノの前に腰を下ろす。布をたたんで、蓋を開けて、鍵盤を叩くと明らかに調子の狂った音が飛び出した。だけどそんなこと気にせずに、彼女は弾き始める。跳ねる、飛ぶようなリズムと切れ切れの陽射しみたいなメロディに熱っぽい歌声が混じって、楽隊がそれに応えた。  彼女は鍵盤を叩いて、不意に止めてはあたしを潤んだ目で見つめたり、ウインクを飛ばしたりした。だけど歌うことは決して止めようとせず、あたしは歌や音楽、太陽とか愛、たくさんの神さまを彼女に見つけた。  とうとう我慢できなくなって、辺りを見回すと壁にくたびれたアコースティックギターがぶら下がってたから、あたしはマスターにそれをせびる。彼のジェスチャーにしたがってビール(聞いたことのない地元の銘柄、信じられないくらいおいしかった)を一杯頼むと、ギターを受け取る。ほこりを拭いて弦の錆は諦めて、耳で合わせた音は少し上ずってたけど、そのずれは彼女のピアノとぴったり重なって運命みたいに響いた。  二、三曲歌ってから、あたしはギターを返して彼女を手招きする。それで彼女には全部が伝わって、立ち上がるとあたしの手を取って、ダンスが始まった。楽隊を従えたあたしたちはステップを刻んで、手を繋いだり離したり、抱きしめて、抱きかかえられてくるくると回ると見上げた天井が透明になって、天の川みたいな光帯が夜空に浮かんだ。あたしは驚いて、同じように彼女を抱きかかえてくるくると回ってみせた。待って、と彼女が言うから足を止めて、どうだったと訊ねる。すると彼女は「きもちわるい」と答えたので、あたしは大声で笑った。「バカ」と肩を叩かれながら、音楽に合わせて手拍子をして、その合間に彼女のブドウジュースを一口もらう。それは本当に甘くて、かすかな酸味は朝日のように鮮やかで、最高においしいと伝えると、「でしょう」と彼女はあかくなった頬を緩めた。それで、彼女が完全に酔ってしまったとわかったし、あたしはすっかり彼女に落ちているとわかった。
 真っ暗な彼女の部屋に入ると、呼吸より先にキスをした。彼女の中には肌からは想像できないくらいの熱があって、あたしは溶かされてしまわないために懸命におなかに力を入れる。キスをしながらふらふら、壁やテーブルにぶつかりながらどうにかベッドに倒れ込んでやっと、唇を引き離すことができた。 「お酒の味」彼女はあたしを見下ろして、あたしの首を撫でながら言う。 「探してよ」あたしは彼女に見下ろされながら、彼女の髪に指を絡ませる。 「何を?」 「あたしの味」 「見つけたら?」 「もっと、奥までさわって」  それからまたキスをすると、彼女は内腿に隠していた銃をカーペットに落とした。あたしは応えて、腰に隠していたナイフを放り投げた。銃とナイフはカーペットの上で重なると一度だけ鈍い音をたてて、黙り込む。あとは、体が混じる音だけがよく聞こえた。
 目を開くと、下着を着ける背中が目の前にあったから、しばらく眺めた。彼女の肩甲骨あたりには蝶のタトゥーがあって、それは彼女が動くたび、羽ばたくみたいに上下した。 「お酒は?」少し掠れた声で、彼女は訊ねる。 「平気、呑まれるような飲み方しないし」そう言って、あたしの声の方が掠れていることに気づいた。「水、水」 「どうぞ」 「ありがと。お金は?」 「部屋代、多めに置いておくから」 「じゃあ、あたしも。迷惑かけるし」床に脱ぎ散らかしていた服を拾って、慌ただしく着て、サイフからお札を十枚くらい取り出してサイドテーブルに置く。それから、ペットボトルの水を半分飲んで差し出すと、残りは彼女が一息に飲んでくれた。「相手、何人だと思う?」 「……六人、かしら」 「あたしは七人」 「合わせるわ」 「オッケー」  あたしはナイフを、彼女は銃を拾い上げる。カーテンの隙間から忍び込む街の明かりが、真っ赤なドレスと小さな拳銃、彼女の姿を浮かび上がらせた。 「巻き込んでごめんなさい」彼女は、言う。「情報屋なんて、嘘。私、人を殺して生きてる。あなたに会う前にも人を殺したわ。それでも、人を殺した後でもお酒を飲んで笑えるような女なの」彼女は続ける。廊下には、少しずつ近付いてくる血や煙の気配がある。「けど、やめようと思って、意味も知らずに人を殺すなんてうんざりで、ある組織を頼ってパリに来たの。そこでなら、きっと意味を持って引き金を引けるから」  まだ、たどり着けてないけど。そう言うと、彼女の唇は自嘲に歪んだ。あたしは、そんな顔は彼女に似合わないと思うから、答える。「知ってるよ」怪訝そうに見返す彼女へ、続けた。「魅惑の奏、ちゃん」  光より速く(それは言い過ぎだけどたぶん音よりは速かった)彼女が銃口をあたしの額に向けたから、あたしも反射でナイフを彼女の喉もとに添える。しまったと思ったのは、そうしてからだった。 「どうするつもり?」あたしは訊ねる。 「あなた次第よ」彼女は答える。 「じゃあ、お言葉に甘えて」あたしは左手から力を抜いて、ナイフを手放す。落としたナイフが床に突き刺さっても彼女が目線を外さないのをいいことに、ゆっくりと照準から頭を外して、それから、銃を構える彼女の手のひらにそっとキスをした。  まるで予想していなかったのだと思う、彼女は呆然とされるがままで、ふっと夢から覚めたみたいに目を開くと、頬を赤らめる。あたしはあたしで、ずいぶん気取ったことをしてしまったから、気恥ずかしさで顔が熱かった。 「ごめんね、奏ちゃん。あたしも嘘ついてた」あたしは言う。「PMCじゃなくて、ヤクザ。わかるよね、ジャパニーズマフィア。あたしも同じだよ。人を殺した、その帰りに奏ちゃんと出会って、飲んで踊って、キスした」あたしは、続ける。廊下の気配はもう、押し隠す足音や声に変わっている。「あたしには、大好きなご主人様がいる。家族みたいな、もっと大事なその子のために人を殺すのは、普通の幸せじゃないと思うけど、あたしには幸せなんだ。だから」  その続きを言おうとすると、喉の奥が詰まった。あたしはナイフを拾い上げて、その重みや鋭さに心を重ねて、どうにか続けることができた。 「だから、お別れ。あたしたち一緒にいられないし、奏ちゃんは、きっとそんな人に出会えるよ。あたしには、わかる。すっごく、よく」  じゃあね、と立ち上がると彼女に袖を引かれた。引き留める細い指先が愛おしくて、たまらなくなった。 「……行くの?」 「そうするよ。魅惑の奏、ちゃん」 「ちょっと」あたしが思わず笑うと、彼女はあたしの手の甲をぎりぎりとつねって、ちぎられるんじゃないかと思うくらい痛かった。「人が勝手に呼んでるだけよ」 「はー、ごめんごめん……信じるから、大丈夫」 「本当に?」 「ほんとほんと」 「そう」  納得したかはわからないけど、彼女は頷いて優しく笑うと、言った。「さようなら、周子」 「うん。さようなら」 「露払い、お願いしていい?」 「安くしとくよ」 「足りるかしら」 「ツケでいいよ」あたしは、ドアノブに手をかける。もう一度振り返って、真っ赤なドレスやアンバーの瞳を目に焼き付けたかったけど、キリがないからやめにした。「いつか、奏ちゃんの意味であたしを殺してね」  扉を開けて、閉じて、ほとんど素人みたいな黒服を六人(正しいのは彼女だった)できるだけ辺りを汚さないように始末して、ホテルを後にした。それから、三ブロックくらい歩いた街角のバイオリン弾きの演奏を聞いて、お札を一枚放り込んだ。彼が「ボン・ボヤージュ」と言ったから、あたしは「ありがとう」と答える。そうして、もう遠く離れてしまった彼女へ言う。「いい、旅を」
 
 (several years later)
 
 彼女はあたしの死体を真っ黒な死体袋に詰め込んで、私が始末しておきます、と言った。  連れ立った人と少し言葉を交わして、どこかへ電話をかけると、真っ赤なオープンカーを走らせた。死体袋はリアシートの下に隠されたけど、あたしには過ぎていく景色がよくわかった。  パリを出てオルレアンへ、クレルモン・フェラン、リヨンを過ぎてたどり着いたアルプスの麓、誰も来ない静かな林の奥、彼女は死体袋を土に埋めた。あたしのナイフで削った木の十字架に彼女の銃をひっかけて、振り返ることなく去っていった。  それから何度か季節が巡った頃、彼女がここを訪れた。それはちょうど春で、あたりには色とりどりの花が咲いていた。彼女は朽ちてしまった十字架やぼろぼろのナイフと銃、それと土の下の今はもうない死体袋に向けて祈った。そうして、ひときわ大きな白い花に口づけて、「あなたも」と答えた。
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usickyou · 2 years
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場面
シーン1-3
○小早川組所有ビル(夜明け前)    重厚な扉のアップ。カメラが徐々に引く。扉の全体像が映り、黒いスーツを血で汚した二人の男が現れる。
男1「(息を切らせながら)どれだ、どれだ……」 男2「(鍵を奪い取る)貸せ! これは……」
   振動音が響く。男1、男2と顔を見合わせてポケットから電話を取り出す。画面を見て、ゆっくりとした動作で耳に当てる。
女の声「お、やーっと繋がった。状況は?」 男1「は、はい! 侵入者は一階から、そちらへ向かっています! おそろしく強い、生き残りはもう、俺たちしか……」 女の声「特徴は?」 男1「女です! 青い目、銀色の髪……」 女の声「(小さく笑って)そりゃ、しゃあない。生き残りは何人?」 男1「……おそらく、二人しか」 女の声「オッケー。二人は今、倉庫やね? 銃を取ったらちゃんと鍵閉めて、一階の階段下で待機。もし奴が現れても、戦わないこと。適当に撃って足止め、したらあたしが行くんで、じゃあ、よろしく」
   電話を切る指先のアップ。カメラ、パンして塩見周子(19)を映す。周子、電話を放る。ベッドサイドのテーブルから銃とナイフを取り上げる。両方を見比べて、銃を窓へ向ける。
周子「動くな」
   窓のアップ。沈黙。
周子「えーっと……フリーズ? じゃないか。日本語わかるよね? 中に入って、おしゃべりしよっか」
   開いた窓の下から手が現れる。窓の縁を掴む。アナスタシア(15)が姿を現す。アナスタシア、室内に入って両手を開いて周子に見せる。
アナスタシア「どうして気付きましたか?」 周子「へえ、写真より全然きれいだね。声もかわいいし」 アナスタシア「(沈黙)」 周子「とりあえず、物騒なもの捨ててくれる?」
   アナスタシア、腰に差した拳銃を床に置いて蹴り飛ばす。周子、マガジンを抜いてベッドに放り投げる。
周子「あたしなら、そうするから」 アナスタシア「……窓を開けておいたのは、罠、ですか?」 周子「(苦笑いをする)いや、夜風が気持ちよくって、つい」 アナスタシア「……キツネ、ですね」 周子「オオカミさんは、どうするつもり?」 アナスタシア「(沈黙)」 周子「お目当てなら残念、ここにはいないよ」
   アナスタシア、テーブルを隔てた扉を見て、周子を見る。周子、アナスタシアを見返す。
周子「わりと、いい獲物がかかったかな」 アナスタシア「……そうですか」
   アナスタシア、溜息をつく。鋭く足を踏み込み、背中からナイフを抜いて周子へ襲いかかる。周子、アナスタシアのナイフを受けた銃を投げ捨て、テーブルからナイフを取り上げて切り返す。格闘の末、互いの喉元にナイフを突きつけ合う。刃先に、薄く血が滲んでいる。
周子「……もうやめない?」 アナスタシア「(血を吐き捨てる)」 周子「お互い、ご主人様と関係なく死にたくはないでしょ」 アナスタシア「(沈黙)」
   アナスタシア、後ろへステップを踏んで、窓から姿を消す。周子、蹴られた肩をさすりながら、外を見下ろす。アナスタシアが窓枠に手をかけ、一階一階を落ちるように降りていく姿を見て、笑う。手にしたナイフを見て、落とす。ナイフはアナスタシアの肩を切る。アナスタシア、バランスを崩して三階程度の高さから落下する。車の屋根へ落ち、立ち上がり、少しふらつきながら歩き出す。
周子「(手を振りながら)またね、アーニャちゃん」
○ビル街(夜明け)
   アナスタシア、シャツの袖を破って傷口を縛る。電話を取り出して、迎えを指示する。途中、驚いたように目を開く。
アナスタシア「……はい、平気です。安心してください。すぐに、帰りますから……ミナミ、……いえ、なんでもありません。また」
   アナスタシア、電話を切る。立ち止まり、視線を横に向ける。ビルの間の汚れた路地を眺めて、歩き出す。カメラ、遠ざかるアナスタシアの背中から路地へパン、タイトル。
 
シーンx-y(仮)
○ホテル外(夜)
   白いドレスのアナスタシア。黒いドレスの周子。男に声をかける。
男「招待状は?」
   アナスタシア、無言で頭を撃ち抜く。周子、溜息をついて招待状を男の死体に放る。
周子「躾がなってないなあ」 アナスタシア「関係ありませんね」 周子「飼い主の差かな?」
   頭に銃を、喉にナイフを突きつけ合う。イヤホンから通信が入る。
志希「仲良しだねえ」 アナスタシア「誰が」 周子「わかる?」
   同時に答えて、二人は睨み合う。志希の笑い声がイヤホンから漏れ聞こえている。開いた扉から、二人の男が姿を現す。アナスタシア、頭を撃つ。周子、背後に周り込んで口を塞ぎ、ナイフで胸を刺す。
志希「送るよ」
   アナスタシア、周子のコンタクトレンズに映像が映る。ホテル内の立体図と、移動する赤青黄のマーカー。
志希「赤は敵、青は民間人、黄色は不明。オーケー?」 アナスタシア「会場に入ったら、切ってください」 志希「いいけど、民間人は殺しちゃダメだよ。フレちゃんが泣いちゃう」 周子「フレちゃんは知らんのでしょ?」 志希「それでも」
   二人は了承する。扉を開き、ホテルへ入る。
○ホテル内部(夜)
   アナスタシア、周子、ロビーを横切る。三人の男が立ち上がり、後を追う。二人、トイレへ。男達、清掃中の札をかけトイレへ入る。
○女性用トイレ
   二人の姿はない。最奥の個室の扉が閉じている。男達、銃を乱射する。銃撃が終わり、扉を蹴破る。誰の姿もない。男達、顔を見合わせる。銃声。男二人が続けて倒れ、天井の通風口から銃口が覗く。残った男、振り返る。周子に刺されて崩れ落ちる。アナスタシア、通風口から降りる。
周子「先は長いね」 アナスタシア「帰りたくなりましたか?」 周子「いつだって、そうだよ」
   アナスタシア、驚く。周子の表情を見て、困惑する。口を開こうとするが、周子が目を逸らして何も言えなくなる。二人、無言でトイレを後にする。
○ホテル内部
   レッドカーペットの階段。男の死体が転がる。周子は手を拭いて、アナスタシアは弾倉を入れ替える。
アナスタシア「これくらい、ですね」 周子「しきちゃん、オーケー?」 志希「いいよ適当で。始まったらまた湧いてくるから」
   二人は、扉の前に立つ。一つを残して赤いマーカー群が消える。続けて、顔写真が映される。
志希「でも、こいつだけは逃がしちゃだめー」 アナスタシア「覚えてます。消してください」 周子「イヤな面してるよね」
   写真が消える。扉の内側から、うっすらと音楽が 聞こえている。
志希「カンペキなタイミング。いいもの見れるよ、にゃはは」
   二人は顔を見合わせる。周子、首を傾げる。アナスタシア、無言で扉を開く。
○パーティー会場
   歌声が響いている。真っ赤なドレスを纏った楓が、バックバンドを従えて歌っている。アナスタシア、周子、呆然と楓を見つめる。楓、曲を終えて一礼すると、二人を見て笑う。
楓「お待ちしておりました」
   電気が落ちる。ロウソクや卓上の小さな照明だけが残った会場に、小さな混乱が巻き起こる。程なく電気が復旧する。楓、マイクを持って小さく息を吸う。左手には、拳銃を持っている。
楓「では、始めましょうか」
   銃声が響く。男が一人倒れ、悲鳴が巻き起こる。会場はパニック状態になる。逃げ出す人々をかき分けて、スーツから拳銃を取り出す男達の姿がある。楓は、既に姿を消している。数人の男が立ち止まり、周囲を見渡す。アナスタシア、続けざまに全員を撃ち抜く。二人の男がアナスタシアへ銃を向ける。周子、一瞬で二人の首を切る。血飛沫が散り、パニックが広がっていく……
○パーティー会場から逃走する車内(夜)
   アナスタシア、周子、後部座席に座っている。楓、助手席。奏、運転席。周子、軽く息を切らせたまま大声で笑い出す。
周子「ああ、楽しかったー!」
   楓、同調する。アナスタシア、無言だが否定しない。
周子「ほんと、楽しかった」
   周子、運転席を背後から撃つ。車が横転する。
○ビル街(夜)
   横転した車内から伸びた手が、大破した窓枠を掴む。アナスタシア、傷だらけになって姿を現す。首を振って、顔を上げる。周子と目が合う。アナスタシア、腰に手を伸ばすが銃が消えている。車体を乗り越えた周子に蹴り飛ばされる。続けて飛びかかった周子を投げ飛ばして、立ち上がる。武器を持たず、二人は格闘する。
アナスタシア「……どうして、……どうしてです!?」 周子「は、どうしてって」
   周子の足がアナスタシアの胸に深く刺さる。アナスタシア、後ろへ跳んで衝撃を殺すが、膝をつく。
周子「かわいいかわいいワンコになっちゃった? オオカミちゃん」
   周子、ナイフを投げる。車内から出ようとしていた、楓の手を貫く。楓、釘付けにされる。
周子「敵も、あの高垣楓も一緒に始末できる、こんなチャンス見逃すわけないよね」 アナスタシア「……だからって!」 周子「まあ、別にいいよ」
   周子、ナイフを抜いて襲いかかる。アナスタシア、応戦するが周子に組み伏せられる。
周子「別に、いいんだって」
   周子、アナスタシアを見下ろす。アナスタシアと一瞬だけ目を合わせる。
周子「さよなら、アナスタシア」
   周子、表情を苦悶に歪めて、目をそらす。ナイフを振り上げる。数発の銃声。アナスタシアの顔に、血飛沫が降りかかる。周子、自分の血を確かめて、倒れる。車体の陰から身を乗り出した、奏の構えた銃口から煙が立ち昇っている。
アナスタシア「シュウコ!」
   アナスタシア、周子へ呼びかける。周子、アナスタシアを一度だけ見て、夜空を見上げる。
周子「……かんざし、返しといて良かった」
   大量の血が流れ出している。アナスタシア、周子を呼び続ける。周子、答えない。
周子「……どうか、生きて」
   周子、空へ手を伸ばす。
周子「あの、苦いお茶……また、二人で……」
   周子、言葉を終える。手が地面に落ちる。アナスタシア、喉の奥で声にならない悲鳴を上げる。
楓「あなたには、お伝えしておきます」
   アナスタシア、楓を見上げる。楓、奏に肩を貸しながら続ける。(奏の防弾服には銃痕が残っている。)
楓「先ほど、小早川組が襲撃されました」 アナスタシア「……」 楓「組は壊滅です……当主も」
( ○小早川組の屋敷(夜))
   ( 破壊された屋敷内、死体の山が築かれている。奥座敷、着物姿の少女が血を流して倒れている。(顔は映さない。)カメラ、少女の抱きしめたナイフとかんざしを映す。)
楓「……推測ですが」 アナスタシア「必要ありません」 楓「……」 アナスタシア「……死体の始末を、頼めますか?」
   楓、頷く。奏から受け取った電話で、どこかへ連絡する。アナスタシア、立ち上がる。振り返らず、去っていく。白いドレスは、周子の血で染まっている。
○街(深夜)
   アナスタシア、歩き続けている。不意に足を止め、目線を上げる。時計台が、日付が変わったことをアナスタシアに理解させる。    アナスタシア、この日が美波の誕生日だと思い出す。美波が二十歳になったと知る。
(暗転)
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usickyou · 2 years
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あなたは私の白い兎
 アナスタシアがその男の頸椎を捻じ折った瞬間、雪原から一羽の雪兎が顔を覗かせた。きょろきょろと辺りを窺って、雪兎は彼女を見つめる。男の体が崩れ落ちる音を聞きながら、彼女は雪兎を見つめ返した。 (そんな目で私を、どうか)  問いかけようと開きかけた口を結んで、身を翻す。彼女の心臓を狙ったナイフは肩口を切り裂き、体勢を崩した男の首筋を彼女が一撫でする。噴き出した鮮血が彼女の白い肌、銀の髪を赤く染めて、雪原は静寂を取り戻す。死体の数を確認して目線を上げた時には、もう、雪兎は姿を消していた。  どこに、消えたのだろう。右手を握り、開き、腱や神経に損傷のないことを確かめながら、視線を漂わせる。雪原はなだらかな起伏を描き、冬枯れの樹林へ、彼女の足は無意識に視線を追って動いていた。開いた傷は、決して浅くない。降り積もったばかりの雪の上には、足跡と、彼女の清い血が点々と続いた。黒いコートを選んでいて、良かった。彼女は思う。けれど、純白のシャツはもう、肩口まで赤く染まっているだろう。「綺麗だよ」と、あの人が褒めてくれた。血の染みは決して落ちないから捨てるしかないと、教えられたのはまだ彼女が心を知らない頃だった。  結局、雪兎は見つからなかった。  あれは、本当に存在したのだろうか。
 *
 消毒用エタノールと生理食塩水。市販の湿潤被覆材。固定用の包帯と、釣り糸。そして、煮沸した縫い針。 「アーニャちゃん、いくよ」 「いつでも、どうぞ」 「……なるべく、早くするからね」 「はい、お願いします」  幾度とない深呼吸を繰り返し、震える指先で、美波はアーニャの傷に縫い針を刺入した。その瞬間、美波は自らに針を突き刺すような、開いた傷口を指で撹拌されるような苦悶の表情を浮かべる。それがアーニャにとって、針や糸が皮下をうごめき回るよりもずっと痛いのだと、彼女は決して口にはしない。  縫合の苦痛を、タオルを噛んで耐えながら、アーニャは懸命に目を開き続ける。彼女は、ずっと美波を見つめていた。子供の頃から、そう。痛みを堪える瞬間、アーニャは綺麗なものを見つめた。それは地平線の遙か向こうまで続く星空、水色の空を渡っていくオオハクチョウ、短い夏を咲き乱れるラマーシュカの花畑。けれど心を知ってからは、心というものの確かさを教えられてからは、彼女が見つめるのは美波になった。記憶の中の、今はもう不確かな景色に美波を重ねた。そうすれば、綺麗なものがいつまでもあり続けるように、信じることができた。 「……アーニャちゃん。もう、終わるからね」  言葉も、それを言う唇も、震えている。急にキスをしたくなったけれど、きっと怒られるだろうから、やめにした。 「これで……終わり。よく、我慢したね」縫い針を捨てて、被覆材で塞いだ傷口を包帯で巻き上げる。そうしてから、髪を撫でるのは美波の癖だった。「きつくない?」 「平気です」アーニャはそう答えて、笑う。消えない痛みより、ずっと大切だと伝えたかった。「これでまた、ミナミのこと守れますね」  あなたが大切だと伝えたかった。けれど失敗したと、気付いたのは美波が涙をこぼしてからだった。 「……ミナミ。違う……違うんです」犬として育てられ、人になり、けれど人を知るには、彼女はあまりに幼い。それは、未だ人が見続ける夢でしかないことさえ、彼女は知らない。 「……約束、破るね」美波は、言う。「ごめんね、アーニャちゃん」涙と、言葉を、織り重ねる。「ごめん、ごめんなさい……ごめんなさい……」  そうやって二人結ぶのは、あまりにいびつな心の綾。  燃え盛る暖炉の乾木が、一度だけ、はぜた。
 *
 お父様、今日は何を撃つのですか。アナスタシアは問いかけた。兎を撃て。お父様と呼ばれた男は、彼の腰程しか背丈のない彼女を見もせずに答える。濁った空に覆われた雪原には、二人の姿だけがあった。男が固定目標と移動目標の違い、そして生物との違いを淡々と講釈するうちに、一羽の白い兎が顔を覗かせた。兎は、辺りを見回して、迷いなく彼女へ近付く。彼女は指慣れた動作で安全装置を外し、銃口を向け、引き金を引き、的や枯れ葉を撃つと同じに兎の小さな体を撃ち抜いた。  そのはずだった。  銃弾は兎を外れて、雪原に呑み込まれていた。男は何も言わず、見ている。彼女は、引き金を握った。強く、何度も、何度も、弾倉を空にしたことにも気付かず、それでも兎は彼女を見上げ、首を傾げていた。  仕方ない。男が言う。銃もナイフもなければ、首を折れ。男は兎を拾い上げて、彼女へ手渡す。兎は抵抗することなく、彼女の両腕に包まれた。兎は、ただ、彼女を見つめている。彼女は、兎の頭と首の付け根を掴み、ためらった、ほんの一瞬の間に兎は消えていた。消えた兎を探しながら、彼女は背後に男の溜息を聞いた。振り返ることも、言い訳もできず、彼女は兎を探した。探して、見つけて、そうして、私は。
 *
 目を開いた、アナスタシアは闇の中に白い兎を見つけた。男の声が脳裏に響き、良かった、これで大丈夫だと兎に手をかける。思ったよりも滑らかな手触りに苦心しながら、頸部を両手で掴み、捻じ折ろうとして、少しも力が入らないことに気付く。再び、男の声が響いた。それはもう、声を失った呻きでしかなかった。月や星の光に覗かれながら、彼女は懸命に、降る雪のようにか細い力を両手に込めた。今にも凍えようとする室内で、氷のような汗がいつしか涙と混じり合って、彼女の指先を濡らしている。 「……殺してくれるの?」  アーニャが手にかけたしなやかな頸部の曲線は控え目に震える唇へ続き、兎は消え、美波が目を開いた。美波は雪明かりを浴びて、慈しむ目でアーニャを見つめた。頭の内でずっと響いていた呻きが自分のものだと、アーニャが気付いたのはその瞬間だった。 「ありがとう」美波は、小さく笑った。「……でも、あんまり苦しくしないでくれたら嬉しいかな」  違うんです。そう言おうとした、言葉は呻きに呑み込まれた。際限ない痛みが、呼吸もできないほどに強く胸を締め付けた。いつか、初めて手にかけた白い兎。ライフルの訓練で射抜いた大きな鹿。麻袋に滲んだ血。手錠、目隠し、猿轡。雪で洗ったナイフ。頸椎が折れる感触、音。二十歳の誕生日につきつけた銃口。雪原に散った飛沫と、その日、あなたを殺そうとしたこと。  あらゆる命が、奪った命が、奪おうとした命が心を埋め尽くして、アーニャは知る。一つだって奪って良い命などないことを、彼女は知らなかった。それを知るには彼女の心はあまりに透明で、知らずにいるには、彼女の手は血で汚れすぎていた。 「ミナミ、どうか、私を」アーニャは言う。祈るように、彼女にとっての、その人に。「私を、赦して」  美波は、答えなかった。アーニャの耳に、彼女の生まれた国の子守歌が届いた。  それはいつか、まだ子供だった頃に聞かせてくれた、彼女の歌だった。
 *
「……行こう。アーニャちゃん」 「はい、急ぎましょう」  慎重に外を窺って、二人は雪原へ足を踏み出した。このセーフハウスが見つかったということは、二人が行く宛を失ったことを意味している。しかし二人は、冷ややかな冬の朝焼けを一瞥して、北を目指す。巡礼のような足取りに、迷いはなかった。  雪原を越えて、針葉樹の林を抜け、また雪原を越える。夜の空気で凍っていた雪が少しずつ融け出し、足取りを重くする。やがて太陽が昇り切った頃、「少し、休みませんか」と問いかけたアーニャの耳に、雪を踏むかすかな足音が聞こえた。  美波の盾となるべく背後へ振り向いた、アーニャは呆然と立ち尽くす。  瞳から、雪融けにも似た涙が流れた。 「ミナミ、見て」震える声で、彼女は言う。「…白い、兎」  彼女が見たのは、一羽の雪兎。けれどその隣、もう一羽の雪兎が姿を現す。二人は、きょろきょろと周りを見て、もの珍しそうにアーニャたちを眺めると、振り返り、去っていった。彼女たちに背を向けて、南へ。二度と振り返ることなく、雪原の遙か向こうへと、消えていった。  その姿をどれくらい見守っていたのだろう。気が付けばアーニャの手を美波がそっと繋いでいて、ぼんやりと見つめたアーニャへ、美波が笑い返した。  そうして二人は、再び歩き出す。  北へ。  二人だけの、暖かい場所を目指して。
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usickyou · 2 years
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目次
Usick(カニ)の小説を保管しています
作品はジャンル→CP、キャラクター→時系列の順におおむね並んでいます
タイトルをクリックすると作品ページへ移動します
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一次創作
ニーナの旅立ち:百合文芸4、おねロリ、ペドフィリア
イクサ:百合文芸4、人石、コーギー
ニーナの復活:百合文芸3、おねロリ、懐胎
世界に木はもうない:百合文芸、義手、サッカー
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二次創作
〇アイドルマスターシャイニーカラーズ
・まどこい
円香ちゃんの瓶詰め:背中の穴、瓶詰め
小糸ちゃんと、町の小さな映画館:まどこい、TS
グッドガール! 小糸ちゃん!:まどこい、イヌ、とおまど
・にちみこルカ
subdominant:誕生日、手紙とクマのオルゴール、川
火を消して帰って:テニス、写真、灰
喜びの国:にちみこルカ、家
・other
さよならいろいろ:とおまど、ふっ飛ぶ歯、私たちのプロデューサー
通り雨だったね:市川雛菜、誕生日
ノクチルと、絶対に割れるガラスキュー:ノクチル、ガラスの球体
ノクチルと人形たちの森:ノクチル、ホラー
数えて:杜野凛世、怪奇幻想
目、口:まみきり、怪奇幻想
〇アイドルマスターシンデレラガールズ
・しきフレ
こんな夜:愛、受容
おお、マリア!:ねこ、ミア
きみとはニースで夏のあいだ暮らした:しきフレ合同誌「Coffret」寄稿、ニース、記憶
ラブランド:『一時間前までセッしてた合同「気持ちいいよね一時後!」』寄稿、幻想、ようこそ愛の国
バースデイ:背中の羽根、生きる
La La La:シンデレラガールズ×ララランド小説本「Stars Who Dream」寄稿、夢と愛
(till) vanilla twilight:ありがとうセレンディピティパレード
新世界より:鍵、隕石、メリークリスマス
Baby so long:「ベイビー」④、長いお別れ
ベイビー・コーリング・ユー:「ベイビー」③、兆し
ベイビー・マイ・スウィート:「ベイビー」②、過去
ベイビー・アイ・ラブ・ユー:「ベイビー」①、あたし宮本フレデリカ
What a wonderful worldend:ポストアポカリプス、旅
私の神様:殺害した
残光:一瞬の感覚
・奏周子
「寛容」:ビデオカメラ、記憶
あじさい②:快復、怖くなかった
ベイビー・イン・カー:のせ塩、あかちゃんが乗っています
ダンサー:出会い、ロストイントランスレーション
ラブラ:サメのぬいぐるみ、青い空
しずかに愛して(Love me softly):日々
もうくさくなっています:シャベル、埋める、氷
あじさい:日々、スイカ
恋愛映画:奏周子合同誌「群青ストライド」寄稿、青春
死体袋の記憶:デレマスマフィアパロ、ロシむす、「Galway Girl」
Sugar:おタバコ、電話、月
行ける:消失、幻想、愛になる
海と恋人:「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」
Arterial:吸血、夏、夕日
bullseye:ダーツ、魔性
・かなふみしゅーこ
鼻血:鼻血を拭う、見る
千年あとまで:鎌倉、メリークリスマス、永く続いた
ラブリー・ラブリー・フィーリング:絵を描く、絵を贈る
しおりづくり:「海の見える家」サブエピソード
海の見える家:鎌倉、家族、消滅、ポリアモリー
・なおかれ
窓をあけて:北条加蓮さんお誕生日、感染症
さよなら恋人:別れ、劇中劇、ずっと仲良し
四月になれば彼女は:渋谷、キットカット
私から生まれて:妊娠出産、おめでとう
恋のほのお:燃える、燃え上がる
融雪:列車、雪景色
・かえみゆ
抜け道:秘密の道、差し出す
ニーナ:三船美優さんとニーナちゃん
雪に花、愛には指環:ご実家、祝福、「The Rose」
結婚しよう:指輪、そこへ行きましょうね
星はどこへ落ちた?:深夜、お散歩
・うづりん
南ゆき: うづりん小説合同誌「カラフルドロップス」寄稿、南へ
散文詩:散文詩、光景
見て、雪が降ってるよ:回想、手をつなごう
グッドモーニング、あるいは一部の不幸も立ち入ることのない幸福:朝、幸福
・奏加蓮(モノクロームリリィ)
セカンダリ・ラバーズ:新生活、サーフィン、色のない都市
十七歳:女子寮、ごまかし、喪失
水の中の幸せの国:生理食塩水、溺水
わたしを葬くる:埋める、ウェディングドレス、誰も知らない
・かなふみ
いない:奏さんがいない
イルクーツクにて:喪失、逃避
よんで:読書会、私たちもそうだったの
・新田ーニャ
不治の星:2020と2016、私のかわいい
あなたは私の白い兎:デレマスマフィアパロ、雪、逃避行
スカイフォール:大人、盲目
・白菊ほたる
黒髪の奇蹟:カーゴカルト、ホタル
不幸な者へ:老婆、BLS、行け
白い:プロデュンヌさん、シンデレラガール
いつかのきみに:ご両親、お手紙
かがやき:全身不随のPさん、ステージ、連れていく
宝石: 右ひ骨遠位端及び脛骨遠位端の開放骨折、不幸
君は、幸福:賭け、オーディション、カスミソウのティアラ
君のための花:前プロデューサー、最後のステージ、スズラン
・北条加蓮
ジャンクフードをめぐる冒険:加蓮ちとせ志希、冒険、P字頭の狂人
顔のない女:怖い夢、過去
加蓮ママ:カンクンビーチ、ベイビー、マヤ民族文化
おもいでを聞かせてください:体育用具室、破る
ママ:しきかれ、看病
Dive(あるいはこの世界のヒロイン):ベッド、さまざまな北条加蓮
・other
りんみお浮気紀行!:りんみお、百合浮気、コヨーテ
Gon宮本フレデリカ:宮本フレデリカさんお誕生日、「ソ」の音
まるい角:りょううめ、角の夢
ゴオォォーーーン:ちと千夜、魔女、炎
いつでもおいで:のせ塩、飲酒、いつでも
あいびき:加蓮と楓、なおかれかえみゆ前提、フード理論
たくさんかわいがってね:しゅうさえ、金魚、心は
無題h:加蓮、ほたる、人殺しの邂逅
南極観測隊:焼きそばハロウィン、閉塞、ファンになる
『シネマ・パラダイス』:りょううめ、デレマスマフィアパロ、ロシむす
初恋:志乃礼子、怒り、ダンス、出会う
ペーパー・ムーン:志乃礼子、雨、最後のひと 
場面:デレマスマフィアパロ、ロシむす、カエデタカガキ
アテナイの幽霊:しきふみ、図書館、謎を追う
a Housework:家事、しきフレ、かえみゆ
羊たちの沈黙パロ:奏、文香、ありす、志希、フレデリカ
Sugar.Bride.Strawberry.:ときのりこ、ご結婚、嘔吐
Paradise(for life):周子、美嘉、ゾンビパロ
窓辺の花:タケバネ、名前
さよなら、かぶとむし:城ケ崎莉嘉、城ヶ崎美嘉、世界は変わる
〇ゾンビランドサガ
腕が旅をした話:純愛コンビ、消えた腕、引力
少女(リリィ):ゆうぎリリィ、ホラー、花火
少女(ゆうぎり):ゆうぎリリィ、かつての習慣
〇アイドルマスター
Inferno:ちはゆき、人魚姫
赤い糸:ゆきまこ、五年後の世界
Star,visual binary star:亜美真美、大人になっても
Kluuvikatu Helsinki Finland:あずりつ、フィンランド、雪だるま
運命の人:ひびたか、太陽と月、撫子
〇魔法少女まどか☆マギカ
Life, after life:ほむマミ、魔獣、離れない
白紙:雪原、ループ
〇らき☆すた
光の速さで1.2秒:かがみ、みゆき、月へ移住
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idolthoughts · 7 years
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最近かいたやつ #デレマスマフィアパロ | alpha02
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idolthoughts · 6 years
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久しぶりに🦊 #デレマスマフィアパロ | alpha02
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