Tumgik
#ラビ先生の楽しいお教室
horimotokenji · 4 years
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私がお嫁さんとして、旦那さんとして、紳士的に大切にできると思えるのは、おかあさんといっしょをご卒業されたパント!のおねえさん あなただけなのです。10月31日のとびだせ!ぐーちょきぱーてぃーのご出演を楽しみにしておきますね。
ブログをご覧の皆さん 堀本健嗣です。
おかあさんといっしょをご卒業されたパント!のおねえさん 今日の体調はどうでしょうか?明日は10月給与の締めの日で明日の15時で皆勤賞であるかが決まることとなっております。入社から3年の頃からお仕事として出勤簿に関するお仕事も月末に担当したりもしています。そのお仕事はメンバーさんのお給料にかかわるお仕事でもありますので、確認ミスなどをしないように気を付けて対応しております。
本日の11時前におかしBOXさんが商品の納品に来られまして、ウサギのキャラクターをデザインしたことをお邪魔にならないように気を付けてお伝えをさせていただきました。
そのウサギさんは女の子で、お名前はラビ元みみ子ちゃんです。
みみ子ちゃんはお菓子作りの大好きな女の子で、おかしBOXを本職として頑張ってくれています。画像で言いますとこの2件です。
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みみ子ちゃんはパント!のおねえさんがとびだせ!ぐーちょきぱーてぃーでウサギのお衣装を着ておられるお姿を拝見して、「お父さん あたしと同じウサギさんが出演されてる お友達になりたい」と嬉しそうな言い方で娘はそう言いました。それに対し、「みみ子はおかしBOXで大活躍の立場だから、おかしBOXでも今後も頑張ろうね」と伝えました。それを聞いた娘は「お父さん あたし、B型事業所さんのお菓子をパント!のおねえさんにごちそうしたい」と正直な意見を伝えてくれました。
もしも、パント!のおねえさんが「健嗣くん お願いがあるの。あたし、岡山の方にもパント!を身近に感じてほしいから、兼指導者の立場をお願いできるかな?」と話しかけてくださったとしたら、「私はバレエダンサーだった頃から生徒側の立場を約10年間経験しているのと、障害者クラスのダンス教室で最初は生徒側の立場でしたが、先生格として兼指導者を担当しております。頑張って岡山でもパント!を広めましょう」と受けごたえをします。
今年の9月20日のワンパコでオハヨッシャ!をキレよく踊っておられたパント!のおねえさんがすごくかっこよかったので、心から堀本家にお嫁さんとして嫁いで来ていただきたいと考えております。
パント!のおねえさんのご存在やご丁寧な言い方や芸能活動に前向きな姿勢で励んでおられるお姿がいつも励みになっておりまして、しんどくてもお仕事を頑張っています。
他にもパント!のおねえさんが「健嗣くん 今度、あたしをアニメグッズに関する冒険の旅に連れてって」と話しかけてくださったら、「もちろんです。行きましょう。おすすめのお店で言いますと、岡山のベスト電器さんはアニメグッズが税込み価格でまとめ買いもできますので、大賛成です。」と受けごたえをします。
1人で岡山のベスト電器さんまで岡山駅から歩いて行けれて丸1か月が経ったので、パント!のおねえさんをお連れすることに対し、自信が持てました。
今度の日曜日に何か月ぶりに8代目歌のお兄さんと7代目歌のお兄さん そしてあ・い・うーの体操のお兄さんが3人揃ってパッコロリンコーナーに出演になられます。放送当日を楽しみにしておきましょうね。
パント!のおねえさん ありがとうファームは楽しさ満載です。またご都合がよろしければ、岡山市の表町商店街のありがとうファームに遊びにいらしてくださいね。
その時はお互いに元気よく「こんにちは」でお会いしましょうね。
パント!のおねえさんとお目にかかれる日を心よりお待ちしております。
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naga52 · 5 years
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 テクストには通常「宛先」がある。私がテクストを読むとき、その「宛先」はとりあえず私一人である。私が読む必要のあるテクストは、その「宛先」に私が含まれているもののことであり、「宛先」に私が含まれていないような本は、たぶん読む必要のない本である。私はそういうふうに考えることにしている。  ある本が自分宛てかどうかを見分けるには方法がある。学術論文の場合は、どこかに「周知のように」という言葉があって、そのあとに「私の知らないこと」が書いてあって場合は、それは「私が知らないことが周知であるような世界の住人」宛てのものである。私はそこでただちに読書を停止することにしている。もちろん、世の中には他人のところに来た手紙を読むのが好きな人もいるし、自分で宛てでない本から愉悦を引き出す人もいるだろう。そういう方はご自由にして頂いたらよいと思う。  とりあえず、私は本を読むときにはその「宛先」が自分であることを確認してから読み始める。だから、同じ理由で、本を書くときには「宛先」と「差出人」を冒頭において明らかにすることにしている。  順序として、まず「宛先」から申し上げる。  エマニュエル・レヴィナスについて「一応読んだけれど、なんだか難しくてよく分からなかった」か、「まだ読んでないけれど、いずれ読むことになるのでは、と思っている」のいずれかのカテゴリーに属する方、それがこの本の「宛先」である(「読んですらすら分かってしまった」という方と、「今後とも読む気はない」という方は本書の「宛先」に含まれていないので、残念ではあるが、この段階で本を書棚にお戻し頂いて結構である)。  次は差出人である。  この本の著者はレヴィナスの「研究者」ではない。レヴィナスの「弟子」である。  自分でそう僭称しているが、レヴィナス先生ご本人に公認してもらったわけではないので「自称弟子」である。ベルナール=アンリ・レヴィも「自称弟子」であり、自分の本に勝手に「我が師レヴィナス」と書いたりしているが、レヴィナス先生は「彼は弟子ではないです。困るよね、勝手に名乗られては」とおっしゃっておられた。もし、いま先生がご存命であって、誰かが「日本のウチダというものが弟子を称しておりますが」と訊ねたら、おそらく眉をひそめられるであろう、その程度の弟子である。だが、「弟子」を僭称することについてはそれなりの必然性があるのである。それについてはもう少し後で詳述する。  さて、この本は一人の思想家について、その崇拝者である「自称弟子」が書いているわけである。当然、そこに客観的評価とか学術的中立性を望むのは、「ないものねだり」というものである。哲学史を一望概観して、その中におけるレヴィナスの位置をクールかつリアルに定位するような仕事はもとより私の任ではない。なぜなら、私にとってレヴィナスは哲学史に卓絶した「完璧な師」であり、そのテクストは「完全記号」だからである。私にできるのは、私の貧しい器を以て師の計り知れぬ叡智を掬い取ることだけである。私にできるのは、私の貧しい器を以て師の計り知れぬ叡智を掬い取ることだけである。  だからと言って、「なんだ、そういう個人的なエッセイなのか・・・・・・」とあっさり書棚に戻されては困る。  たしかにある意味では以下の記述はきわめて「個人的なもの」ではあるけれど、そのようなスタンスを私は自分の意志で選んだわけではないのである。このスタンスを私はレヴィナス本人から学んだ(というよりほとんど「命じられた」)のである。その意味ではこの本は全く「個人的」ではない。  『タルムード四講話』の序文にレヴィナスはタルムードのテクストは「完全記号」(signes parfaits)であると書いている。    タルムードは、その学知の偉大なる師たちによれば、実人生に基づいてしか理解できない。(・・・)それゆえ、これらの記号――聖句、事物、人間たち、状況、儀礼――は完全記号として機能しているのである。時が移り世が変わり、それらの記号の感受性豊かなテクスチュアにどのような変化が導入されたにせよ、それらの記号はつねに同じ意味を開示するか、あるいは同じ意味の新たな相を開示するという特権を維持し続けるのである。完全記号、代替不���能な記号、それはその意味において(純粋に解釈学的な意味において)聖なる記号、聖なる文字、聖なるエクリチュールなのである。(QLT,p.20)  「実人生」のさまざまな経験を経由することによって、テクストの(それまで理解できぬままに見過ごされてきた言葉)が不意に叡智の言葉として輝き出すことがある。私はレヴィナスのテクストについて、そのような経験を数限りなく繰り返してきた。それは「つねに同じ意味の新たな知」を開示し続ける。私にとってはレヴィナスのテクストこそが「完全記号」なのである。  もちろん「完全なる無謬の師」や「すべての意味がそこに見出せるテクスト」というのは、ひとつの「物語」である。私だって、それくらいのことは分かってる。分かった上で、私はあえてこの「物語」を選び取ることにしたのである。師に仕えるというのは、この「物語」に有り金を賭ける、ということである。  なぜそんな無謀なことをするかと言えば、このような「命がけの飛躍」をしないと進めない境位がある、と私には思われるからである。「そんなものはありはしない」と言う方もおられるだろう。「『命がけの飛躍』なんかしなくても、テクストを眼光紙背に徹するまで読めば、意はおのずから通じる。ウチダ君は単にフランス語があまりできないだけじゃないの」。 そうかもしれない。  しかし、経験的に言って、レヴィナスに限らず、テクストを読むとき、読み手はどこかで「私」であることを止めて、テクストに固有の「知の周波数」に同調してしまうときがある。そのときの状態は「テクストを私が読んでいる」というよりは「テクストに沿って私自身が分節されている」というのに近い。  翻訳したことのある人は分かると思うけれど、テクストの「難所」とは、語義や固有名詞の意味をいくら調べても、何が言いたいのか、まったく分からないところである。しかし、繰り返し繰り返し前後の文章を読んでいるうちに、不意に霧が晴れて一筋の道が見えるように、書き手がたどった思考の道筋が見えてくることがある。そのとき、たしかに私はいくぶんか書き手に想像的に一体化している。  村上春樹は翻訳するという経験についてこう書いている。    ときどきどうして僕はこんなに翻訳という仕事が好きなんだろうと考え込んでしまうことがあります。それは自分でもよく分からない。でもただひとつ言えるのは、外国語のテキストを読んで、それを理解し、うまくこなれた日本語に移し替えるという作業の中に、何か僕を強く惹きつけるものが潜んでいるのだろうということです。  翻訳をやっていると、ときどき自分が透明人間みたいになって、文章という回路を通って、他人(つまりそれを書いた人)の心の中や、頭の中に入っていくみたいな気持になることがあります。まるでだれもいない家の中にそっと入っていくみたいに。あるいは僕は文章というものを通じて、他者とそういう関わりを持つことにすごく興味があるのかもしれないですね。もちろんだれに対してもどのようなテキストに対してもそれができるというわけではありません。自分にとって特別なものに関わったときにしかできない。(村上春樹・河合隼雄 『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』岩崎書店、一九九六、四九頁)  レヴィナスの翻訳者として、村上のこの「気持」は非常によく分かる。テクストが論理明快で平易なものの場合、「私がテクストを訳している」という私側の主体性はほとんど揺るがない。私はずっと私のままであり、村上の比喩を借りて言えば「自分の家」で仕事をしている。  しかし、そうでない場合がある。「自分の家」にいてはらちがあかず、「その人の家」に入り込まないと仕事にならないという場合がある。「テクストを通じてその人の心の中に入る」というのがどういう感じなのか、やったことのない人にはうまく想像できないだろうが、そうとしか言いようがない。  とにかく、そういうふうに「自分の家」を出て「ひとの家」に入って仕事をする(それは自分の文体や価値観を「括弧に入れる」ということである。)そのうちにやがて私は、私のものではない叙述のスタイルや思考の文法に即して自分が考え、論理を組み立て、文章を書いていることに気がつく。  レヴィナスのような難解なテクストの場合だと、「自分の家」にとどまる限り、絶対に理解できない箇所にひんぱんに遭遇する。やむなく「その人の家」に仕事場を移してこつこつ仕事をしているうちに、だんだん体感が変化してきて、それまで見えなかった論理の「みちすじ」が見えてくるような気がしてくる。その「みちすじ」はおそらくレヴィナス自身がたどった思考の過程にかなり近いのではないかと思う。  そういうとき、翻訳者は原著者にほとんど「憑依」されている、といってよい状態になっている。仕事を終えたあとも、テクストを通じて他者の内奥に触れてしまったという感覚、私が「私の外」へ連れ出されて、未知の土地を旅したような感覚がしばらく残る。  私はそういうふうにしてレヴィナスの文章を何百頁も訳してきた(ほんとうにずいぶんたくさん訳したものである)。そして何年か経ったあるとき、もう「私がレヴィナスを読んでいる」というよりはむしろ「私がレヴィナスによって分節されている」と言う方が正しいのではないかと思うようになった。現に、ものの考え方のかなりの部分を、私はレヴィナスから学習し、それをたよりとしてすでに二十年近くを生きてきた。  端的に言えば、私はレヴィナスを読む仕方そのものをレヴィナスから学んだのである。「レヴィナスから学んだ読み方に基づいてレヴィナスのテクストを読む人」、それを何と呼ぶべきだろう。「研究者」というのはもはや適切な呼称ではあるまい。そこで、私は「レヴィナス研究者」ではないことを明らかにしておくために「弟子」という称号を僭称することにしたのである。  2  「テクストの読み方」そのものを「その人」から学んだせいで、「その人」のテクストを読むときも、「その人から学んだ読み方」でしか読めない、というのが弟子の知の構造である。これは一種の閉鎖回路というか、同語反復というか、出口のないループを形成しているように見える。  そう書くとずいぶん不条理で、不自由で、息苦しいもののように思えるかもしれないこの回路は、だが、何かを閉じ込めるためのものではなく、何かを切り開くための、ある種の「ブレークスルー」を可能にするための装置であるように私には思われる。というのも、この「師弟関係」の構造もまた私が自分で思いついたものではなく、(私はそれほど独創的な人間ではない)これもまたレヴィナスから学んだものだからである。  レヴィナスが「完璧な師」という「物語」を選び取ったのは彼自身がその師であるモルデカイ・シュシャーニに出会ったときのことである。  その話をご紹介しよう。  レヴィナスは第二次大戦後、ドイツの戦時捕虜収容所から戻って、東方イスラエル師範学校の校長に迎えられ、そこでフランスの若いユダヤ人青年たちの教育に携わった。同時に、ジャン・ヴァールの主催していた「哲学学院」で一九四九年以来、哲学の講義を持つことになる。つまりレヴィナスはその頃から、それまでの「学ぶ」立場から「教える」立場にシフトしたのである。そして、そのときレヴィナスはその生涯の師に出会うことになった(たぶん、ひとに教える立場になったときに私たちは師を切望するようになるのだろう。あとで触れるが、レヴィナスと同じシュシャーニ師の門下であるエリ・ヴィーゼルも同じ頃ユダヤの青年たちを教育する仕事に就いたそのときにシュシャーニに出会うのである)。  もちろんそれ以前にもレヴィナスは多くの教師について学んだ。ストラスブール大学時代にはブロンデル、アルブヴァックス、プラディーヌ、カルテロンのうちに輝かしい知性を見出したし、パリではブランシュヴィックやマルセルの知遇を得た。一九二八年から二九年にかけてはフライブルクでフッサールとハイデガーの謦咳に触れている。しかし、この誰もレヴィナスから「師」とは呼ばれない。レヴィナスが「わが師」と呼ぶのはシュシャーニ師だけである。その出会いについてレヴィナスは次のように回想している。少し長くなるけれど、シュシャーニ師の相貌を伝えるたいへん貴重な証言である。    彼は他の人々とはまったく違った人でした。その服装も、そのふるまい方も、世間の秩序に属してはいませんでした。彼は浮浪者ではありませんでしたが、普通の、ごく普通の人々の基準からすると浮浪者に似ていなくもありませんでした・・・・・・彼はシュシャーニ師と呼ばれていました。けれども、それが本当に彼の名前なのかどうか私には確信がありません。(・・・)この人物のけたはずれなのは、まず彼の聖書をはじめとするユダヤ教のテクストについての知識でした。けれども、それだけではありません。シュシャーニ師はそれらの聖典がどのようにして著されたのかについての口頭伝承をことごとくそらんじていました。タルムードも、そのすべての注解も、注解の注解に至るまで、暗記していました。あなたがこれまでタルムードのうちの一巻の一頁でもお読みになったことがあるかどうか知りませんが、ご説明しますと、ミシュナーというテクストは紀元二世紀に口頭伝承を書き写したもので、それがゲマラーという五世紀末頃に書かれたテクストの中での議論の主題となります。それにさらに十、十一世紀のラシの注解が付け加わり、それがトサフィストと呼ばれる人々によって注解され、さらにあらゆる場所、あらゆる時代の人々によってそれがさらに注解されています。本の体裁も並外れています。さまざまな活字が使ってあり、註があり、参照があり、あらゆる種類の指示があります。私が受講を許されたシュシャーニ師の講義では、彼の前に一度として本が置かれていたことがありませんでした。彼はすべてを頭の中に記憶していたからです。私が彼の前で例えばある頁の隅の方のトサフィストの小さな活字をつっかえながら読み、注解していると、「ちょっと待ちなさい。そこ、その行の最後の言葉を一語飛ばした!」と来るのです。(・・・)いわば知の大洋とでもいうべきこの典拠にかかわる比較を絶する知識の他に、彼は数学についても現代物理学についてもきわめて早い時期から膨大な教養を獲得していることを私は知りました。パリから姿を消した後、彼は南米のモンテヴィデオで亡くなりました。彼はそこで原子物理学の講義をしていたそうです。(・・・)シュシャーニ師は我が家に寝室を一つ持つことを受け容れてくれました。そしてそこに週に一、二回帰ってきました。そういう暮らしが二、三年続き、そしていつだったか正確には思い出せませんが、ある日さよならも言わないで忽然と姿を消したのです。(EL,pp.153-155)  この「卓絶した師」に対する畏敬の言葉をレヴィナスはさまざまな機会に繰り返している(私自身も八七年にレヴィナスに会ったとき、その口から同じエピソードが熱をこめて語られるのを聞いた)。  たしかにシュシャーニ師が伝説的な知性の持ち主であるというのは事実なのだろう。しかし、その回想の文章にはきわだった兆候が認められる。それは「ちょっとほめすぎ」ということである。おそらく、ここにはある種の「修辞的誇張」が含まれている(シュシャーニ師があるトサフィストの注解を「一時残らず」暗記していたということから、残りのすべてについても暗記しているということは推論できない)。  だからといって(他の人物の評価については大変クールな)レヴィナスが、シュシャーニ師についてだけは気持がたかぶって言葉が過ぎた、というふうにも私は考えない。私はこの「修辞的誇張」のうちに、師弟関係についてのレヴィナスの深い洞見を見て取れるのである。  レヴィナスがシュシャーニ師を評した「知の大洋」(des océans de savoir)という形容は律法学者たちについて用いられる定型的な比喩の一つである。レヴィナスは別のところで、伝説的なラビたちがそれぞれの師を評した次のような言葉を引いている。    ラビ・エリエゼルは言った。「もしすべての海がインクで、すべての湖沼に葦が生え、天と地が羊毛紙で、すべての人々が文字を書く術を知っているとしても、彼らは私が師から学んだ律法のすべてを書き尽くすことは出来ないだろう。一方、律法はそんなことをしても大洋に筆の先をひたして吸い上げたほどもその水量を失いはしないだろう」。    ラビ・アキバは彼の師たちの大胆さの前に身を震わせる。「彼らは律法から自分たちの取り分を切り取ることが出来た。私はと言えば、律法の薄皮にわずかな切れ目を入れただけである。ちょうどレモンの香りを楽しむためにレモンの薄皮に切れ目を入れる人がレモンそのものからは何も奪うことがないように。あるいは湧き出る泉水から水を汲む人のように。あるいは炎から自分の炎に火を移す人のように」。(DL,pp.48-49)  伝説的な賢者として知られるラビ・エリエゼルとラビ・アキバは、ここで自分たちの師が保有していた圧倒的な知について証言している。大洋にも比すべき宏大な知識を伝承する賢者、それを葦の穂先ほどの容量を以て受け止めようと努める弟子たち。あるいは、「レモン」を切り取ることのできた師と、「レモン」の香りを嗅ぐことしかできない弟子。この対比の比喩のうちに私たちは古代から連綿と継承されてきた、律法学習における師弟関係についての重要な教えを見ることができる。  ここには弟子は師の叡智の間には、比較を絶するほどの隔たりがあるという「事実」が書いてあるのではない(冷静に考えれば分かることだ。師もまた数十年前には別の誰かの弟子だったのである。師と弟子のあいだにそれほどの知識量の格差があったのでは、その比率で三代も伝承すればタルムードの学知は底をついてしまうだろう)。  「大洋」という比喩は「量」の比喩ではなく、「関係」の比喩である。  この比喩は「大洋」を汲み尽くすことはできない、弟子は師の叡智を汲み尽くし得ない、と教えているのである。言い方を換えれば、これは師を「どれほどの努力をもっていてもその叡智を汲み尽くすことができない」人として「想定せよ」という「当為」の言葉なのである。この「知っていると想定された人」のことを私たちは「師」と呼び、そのような想定を決然と引き受けたもののことを弟子と呼ぶ。 「レモンの香りを嗅ぐこと」「湧き出る泉水から水を汲む」「炎から火を移すこと」というラビ・アキバの用いた比喩において、「レモン」「泉水」「炎」はそれぞれラビ・アキバの師が蔵する律法の学知を象徴している。弟子は決してその知的源泉から何かを奪い去ったり、縮減したり、私物化したりすることができない。その「余沢」、その「果実」を賞味することができるだけなのである。  師とは私たちが成長の過程で最初に出会う「他者」のことである。師弟関係とは何らかの定量可能な学知や技術を伝承する関係ではなく、「私の理解も共感も絶した知的境位がある」という「物語」を受け容れる、という決断のことである。言い換えれば、師事するとは、「他者がいる」という事実それ自体を学習する経験なのである。  3  こんなところで私が改めて説教するまでもないが、「知」というのは量的に計測できるものではない。それは情報や知識の「量」のことではない。そうではなくて、「私が知らないことを知っている人」との対話に入る能力のことである。  いま私たちの社会では「学級崩壊」とか「知的崩壊」ということが深刻な問題になっている。しかし、しばしばここで見落とされているのは、教室でなされる授業にキャッチアップできない子どもたちに欠如しているのは知識や情報ではない、ということである。数学的思考力とか英語的読解力とかいうものが彼らには欠如しているのではない。そんなものが欠如していても教育は少しも破綻しない。なぜなら、私たちが学校で学ぶのはそういうものではないからである。子どもたちが学校で学ぶのはある種の「双方向的なコミュニケーション」の進め方である。  私たちが学校へ行くのは、「適切な仕方で質問をすると、自分ひとりでは達しえない答のありかを知ることができる」ということを学ぶためである。「教育を受ける」とは、ほんらい、「私は・・・・・・ができる」という能力を量的に拡大してゆくことではない。そうではなくて、「私は・・・・・・ができない」「私は・・・・・・について知らない」という不能の様態を適切に言語化する仕方を学ぶことなのである。「教育を授ける」とはほんらい「・・・・・・ができない」「・・・・・・を知らない」と訴えるものに対して、どうすれば、どこへいって、どの「ボタン」を押せば、求める情報とスキルにアクセスできるのかを教えることなのである。言い古された比喩を使って言えば、教育の仕事は「魚を与えること」ではなく、「魚の釣り方を教えること」である。  多くの人が誤解していることだが、「・・・・・・ができる」と言うことよりも、「・・・・・・ができない」と言うことの方がずっとむずかしい。  なぜなら、「・・・・・・ができる」ということは、その技術・情報の種類や水準や形態にかかわらずランダムに列挙することができるからである(「私は英検二級で、自転車に乗れて、シフォンケーキが作れて、ピアノが弾けます」といったような仕方で)。しかし、「・・・・・・ができない」ということをランダムに列挙しても、それはその人の知的ポジションについてほとんど何も伝えることができない(「私はスワヒリ語がしゃべれなくて、象に乗れなくて、ブイヤベースが作れなくて、胡弓が弾けません」と言われても、その人がどんな能力の持ち主かはぜんぜん分からない)。  だから、「・・・・・・ができない」「・・・・・・を知らない」という言明を通じておのれの不能のあり方について相手になにごとかを伝えるためには適切な語法を習得しておくことが必要である。それは自分の位置を語る語法である。「マップする」ための語法と言ってもよい。自分がどこに向かっていて、いまどこにいて、どこに分岐点があって、どの道をとればどこへ出るかについての「俯瞰的な眺望」を語ってみせることである。自分自身の不能のありようを相手に伝えるためには、自分自身を含んでいるネットワークについてどれほど不完全であっても「俯瞰的な視座」を立つことができなくてはならない。しかし、手探りで歩き出したばかりの人間がいきなり「俯瞰的な視座」からおのれのポジションを語れるはずがない。その人にできるのは、「自分の等身大の目線」とは「違う視座」に立ったとき、自分を含んだ風景の中で自分はどんなふうに見えるのかを脱自的に想像することだけである。  その脱自的想像が非常に難しいのだ。ちょうど、巨大なキャンバスに絵を描いている画家が、絵筆を止めて数歩下がって全体の結構を確認しながら絵具を塗る作業に戻るように、「マップする」ものは二つ以上の視座を行き来しなくてはならない。等身大の目線で見ることと、それとは違う視座から眺望された「風景の中の私」を創造的に俯瞰すること、その往還の運動が「マップする」ということである。  すぐに分かることだが、「私」を含む風景が狭隘なものはうまく「マップする」ことができない(自分と自分の「同類」たちしか見えない視座からは、ほとんど自分のポジションについての情報は得られない)。自分が、自分を含む世界の中で、どこへ向かう道筋のどの点にいるのかを「俯瞰的」に把握できないものは、「私が・・・・・・ができない」「私は・・・・・・を知らない」ということを適切な仕方で言語化することができない。  逆に言えば、どれほど知的ストックが幼稚で貧弱であっても、「俯瞰的な視座」を仮設できる人間――自分自身の目線の高さを想像的に超えることのできる人間――は、自分の不能をかなり適切に言語化し、ひとに伝達することができる。  教育を受けることの意味は、なによりもまずかかる「俯瞰的な視座」を想像的に獲得することに存する。もうお分かりだろうが、この「想像的に措定された俯瞰的な視座」のことを私たちは「師」と呼ぶのである。「師」とは「弟子をマップする視座」のことである。  だから、ラビ・アキバたちが師を「大洋」に比したのは、彼らが師に対して知的に劣っていたという意味ではない。そうではなく、それとは逆に、彼らが壮大なスケールの、ほとんど宇宙的といっていいほどの俯瞰的視座から、おのれ自身の不能について語ることができた、ということを意味しているのである。  師を持つことのできない人々、それが現在の「学級崩壊」や「知的崩壊」の主人公たちである。彼らはおのれの知的成長を「自分の目線の高さ」を水平方向に延長するというかたちでしか構想することができない。「自分を含む世界の風景」というものをうまく想像することができない。だから、彼らは「私は・・・・・・できる」「私は・・・・・・を知っている」という言明を量的に拡大してゆくこと以外に知性を行使する仕方があることを知らないのである。  漫画やゲームや音楽などの狭隘なフレームの中にあふれるばかりにトリヴィアルな知識を詰め込むことに情熱を傾ける若い人をときどき見かける。彼らが同一ジャンルの情報の量的拡大と緻密化以外に知的成長の様態がありうることに想像が及ばないのは、「師」に出会うことができずに生きて来たことの痛々しい結果である。  話を元に戻そう。律法の学者たちは律法修学生に必要な最も重要な知的資質を「不能の認知」能力に見出した(それは、あらゆる知的営為の基幹をなす資質である)。それは「自分自身を含む風景を、自分とは別の人の目から眺める」ための想像力の運用のことであり、それこそが「他者」との交通する能力なのである。  だからラビたちは繰り返し弟子にこう問いかけた。  おまえは「外部から到来するもの」に耳を傾けることができるか。おまえは「おのれの理解も共感も絶したもの」となお対話を試みることができるか。おまえは何かを受け取りながら、与えてから何一つ奪わないような交通をなすことができるか。  「弟子になる」、「師に仕える」とは、まず「師を畏怖する」ことを学習することから始まる。そして、それこそが師から弟子が習得する最初の、そしておそらくは最も貴重なスキルなのである。  ユダヤ教史上に名をとどめる伝説的な律法学者たちが、おのれの師を想像を絶する知性として描き出したのは、だから決して偶然ではない。何より、師弟関係とは「他者」との出会いの原基的な形態なのである。レヴィナスはこう書く。    師としての他者(Autrui comme maître)は私たちに他者性の一つのモデルを提供してくれるだろう。師の他者性は、単に私との関係で異他的にあるのではない。師の他者性は「他なるもの」の本質に属しているにもかかわらず、一人の私を起点にしてしかかたちをとることのない、そのような他者性なのである。(ZI,p.94)  師が他者である、というのは単に師が私とは別人である、というような意味ではない。そうではなくて、師は弟子である私にはとても理解が届かない知的境位にいるのだけれど、その「理解の届かなさ」は、弟子である私に固有のものであって、私以外の誰も(師の知友も、他の弟子たちも)代行できないような「かげがえのない理解の届かなさだ、ということである。  弟子の一人一人は、その弟子以外の誰によっても代替できないようなオリジナルな仕方で「師に理解が届かない」。そして、その事実が当の弟子たち自身の「かけがえのなさ」を基礎づけるのである。  もし、すぐれた弟子には師を「理解する」ことが可能であるとしたら、理論的には、弟子が全員優れていた場合、彼らの「理解」はまったく同一のものに帰着することになる。そのようなn人の弟子たちのあいだに斉一的な理解が成立したとき、弟子たちひとりひとりの存在価値は一挙にn分の1になってしまう。彼らはかけがえのない弟子ではなく、「替えがいくらでもいる」弟子になってしまうからだ。だから、師が「理解を超えている」ことは、弟子の「唯一無二性」を基礎づけるために必須の条件なのである。  師の他者性は「私」を起点にしてしか「かたち」をとることができない、というレヴィナスの言葉はそのような意味に解されるだろう。  師は「最初の他者」である。ラビたちは神に出会うより先に、まず師に出会い、「出会い」の正統的なあり方を学ぶ。だから、師に仕えることと神を信じることは、ほとんど同じ身ぶりになる。  タルムードの同じ聖句の上にかがみ込み、その注解について終わりなき問答を問い続ける師弟の姿を、レヴィナスはシナイ山における神とモーセの対面に類比させている。    一つの精神がおのれの外部にある別の精神に触れるのに使用しうる唯一の道具、それが知である。モーセが神と顔を向き合わせて語ったという伝承は、弟子と師とが二人ともタルムードの同じ教えの上に身をかがめて研究しているさまを意味している、と賢者たちは語り伝えている。(DL,p.49)  弟子たちは師に就いて、神に仕える仕方を、より広義には他者とかかわる仕方を学ぶ。それはつづめて言えば二つのことになるだろう。  ひとつは師を畏怖し、崇敬し、師のうちには大洋にも比すべき叡智が宿っているという「物語」を受け容れること。  いまひとつは、弟子は「同一の教え」について、師とは違う「注解」を語り、同じ聖句について「同じ意味の新しい相」を見出す、ということである。というのは、見た通り、「師の他者性」は弟子の「唯一無二性」に基づいて――「私」を起点にして――しかかたちをとることができないからである。弟子を持たない師、弟子によって解釈され、弟子によって未聞の文脈へ導かれることのない師の叡智は誰にも知られずに失われてしまう。「私の知」を絶しているはずの「他者の知」にかたちを与えるのは、逆説的なことだが、「私の知」なのである。  だから、「弟子である」ということは、おのれを無にするという意味でも、うなだれて黙することでも、師の言葉をそのままおうむ返しにすることでもない。弟子として師の叡智に圧倒されるものは、余人を以ては代え難い対話者として、師との「対話」を開始するためにそうするのである。弟子の責務は、師との「対話的運動」のうちに「唯一無二なもの」「それまで誰によっても語られたことのないもの」をもたらすことである。  弟子は、そのユニークさを通じて、学の伝統のうちに、これまでも、そしてこれから先も「彼以外の誰によっても語られることのない」言葉を発するために呼び求められる。弟子はその代替不能性ゆえに、学知が「完全」なものとなるための不可欠の条件となるのである。弟子たちは、「完全なる」テクストがより「完全」になるために必要なのである。  聖なるテクストは「完全記号」である、とレヴィナスは書いた。聖なるテクストが「完全」なのは、そこには「すべてが書かれている」からではない。そうではなく、そこでは「すべてが思考されている」からである。  「すべてが思考されている」というのはどういうことだろう。  歴史主義者はこう考える。「いかにすぐれた思想といえどもすべての経験の意味を先取りすることはできない。ある特定の時代がやってこない限り発語不能の語が存在し、時が熟さない限り思考されること自体不可能であるような思考が存在する」(DL,pp.101-102)。レヴィナスはそう考えない。例えばこんなことは実際に経験されることだ。   私たち現代人もしばしばこうは言わないでしょうか。「こんな状況になったせいでパスカルのあの言葉の意味がやっと分かった」とか「モンテーニュのあの言葉の意味がやっと分かった」とか。偉大なテクストが偉大であるのは、まさしくテクストに導かれて事実や経験に出会い、その事実や経験がテクストの深層を逆に照らし出す、という相互作用のゆえではないでしょうか。(QLT,p.89)  同じことが聖書やタルムードについても起こる。きわだって現代的なある経験を経て、「聖書のあの言葉の意味がやっと分かった」ということがあっていけないはずはない、とレヴィナスは考える。    私たちは真にすぐれた思想というのは、すべての思想――産業社会や近代テクノロジーさえも――が思考されている思想であるという理解から出発する。(DL,p.102)  紀元二世紀に成立したミシュナーや紀元五世紀に成立したゲマラーのうちに「産業社会や近代テクノロジー」のもたらす諸問題についての回答を求めることは可能だ、とレヴィナスは考える。なぜなら、タルムードでは「すべてが思考されている」からである。すべては、「現代世界のもっとも予見不能の側面でさえも」、この古代の賢者たちによってすでに思考されているからである。  ここで「思考されている」というのは、一義的に了解できる言葉として命題化されているという意味ではない。その反対である。「多様な読みへの開放性」という仕方でタルムードは終わりなき注解を励起している。その開放性は、タルムードの中での博士たちの議論(マハロケット)が最終的な合意に至らない、という仕方で保証されている。  タルムードの中では、一つの問いに対して何人ものラビたちがさまざまな注解を提出する。「祭礼の日に生まれた鶏卵を食べる権利は誰に属するのか」「荒れ狂う牛がもたらした被害は誰が賠償するのか」「雇われた労働者の通勤手当は誰が払うのか」「ナジル人はなぜ髪の毛を切らなければいけないのか」。  そのようなきわめて具体的な問いかけをめぐって、ラビたちは聖句を駆使して猛然と議論する。議論のうちのかなりの部分は合意形成を見出すためよりむしろ問題をいっそう混乱させるために語り出されているように見える。議論の末に退けられた見解でさえ記録にとどめられる。まるで一度でも思考された、あるいは思考可能になったことは決して消去されてはならないというかのように。重要な問題については、異論がすべて併記される。自身がラビでもあるマルク=アラン・ウアクナンは「マハロケット」についてこう説明する。    精神は別の精神の他者性を認知することへ開かれている。すなわち、自己から外へ出ること(つまり「同一者」から外へ出ること)の受託としての超越、世界の外在性へ向けての意識の炸裂(つまり「他なるもの」の構成)、をそのことは意味している。マハロケットにおいては、いかなるジンテーゼも、いかなる第三項も、対立を廃棄するために登場しない。何ものも「同一者」のうちに、すなわち自己同一的なものと非-自己同一的なものの同一化のうちに、休止することはない。(・・・)タルムードの議論について、タルムードはこう言っている。「ある人々の言葉、それとは別の人々の言葉、それが生ける神の言葉である」。(Marc-Alain Ouaknin,Mēditations érotiques: Essai sur Emmanuel Lévinas,Balland,1992,p.145)  レヴィナスが行った最初のタルムード講話「メシア的テクスト」(一九五七年)において、レヴィナスはメシアについての競合的な見解をほとんど網羅的に紹介した。  あるラビは、メシアの時が至れば社会的不正は廃絶されると論じ、別のラビは社会的不正は廃絶されないと論じる。改悛したものは道徳的に汚れのないものよりも大きな特権を得ると論じるラビもいれば、エデンよりさらに素晴らしいところへの帰還であると論じるラビもいる。メシアが来るか来ないかは人間の行動いかんによると論じるラビもいれば、人間が何をするかは関係ないと論じるラビもいる。メシアの名前は、あるラビによればシロであり、別のラビによればイノンであり、別のラビによればハニナである。  それぞれの異論を立てるラビたちはみな聖書にその論拠となる出典を有しており、ラビたちの論争は「聖句を武器にした戦争」「委曲を尽くして理非を論じる公然たる戦闘」の様相を呈する。しかし、レヴィナスはこの最終的な合意に達しないままに問題点が次々と掘り起こされてゆく論争の運動性、解放性のうちに、対話することへの信頼、「他者」への敬意、知の権威を見るのである。    条理と条理が正面からぶつかりあうこの堂々たる戦い、怒りもなければ嫉みもない、この戦いの中にこそ、正当なる思考は存立するのであり、この戦いこそが世界に平和をもたらすのである。(DL,p.48)  ラビたちは意見の不一致や語義のあいまいさは克服されるべき混乱であるとは考えない。ある聖句の意味を限定することより、一つの聖句からどれほど多様な意味を引き出しうるか、一つの叡智にどれほど多くの相を見出し得るかにラビたちの関心は向かう。    タルムードはまた別の仕方で読むこともできます。タルムードの語り方がこれほど奇妙なのは簡単に言えることをあえて複雑な言い方で楽しんでいるからではありません。そうではなく、その語りに意味の複数性を残しておくためなのです。タルムードが複数の読みを求めて止まないからなのです。私たちの仕事はまさにこの複数の読みを探究することにあります。(AV,p.54)  「読みの複数性」の鮮やかな例として、レヴィナスは「ラビ・アキバの学院を訪れたモーセの話」を引く。ラビ・アキバの時代(紀元二世紀頃)にモーセが蘇った(タイムマシンで未来に来たのだ)。そして、ラビ・アキバの学院でのタルムードの講義をこっそり聴講しにもぐりこんだ。ところがむずかしくて何のことを議論しているのかまったく理解できない。モーセがびっくりしていると、天の声がしてモーセに教える。「あなたが理解できないでいるこれらの教えはあなた自身がシナイ山で神から直接授けられた教えなのです」。  テクストの読み手、修学生、註解者たちは、モーセと同じ資格において、「啓示」に新しい頁を書き加えている。だからレヴィナスはこう宣言するのである。    初学者が学校でその師に向けるどんなつまらない質問であっても、それはシナイ山で聞き取られた「啓示」の欠くことのできない一つの分節点なのである。(AV,p.164)  ただし、大事なことだが、このようなテクストの「意味の複数性」は決してテクストの「恣意的な読み」を意味しているわけではない。テクストが原理的には無限の読みに開かれるからといって、すべての読みが当権利的に許容されているわけではない。そこには読解のための厳密な「ルール」が存在する。妥当な読みとそうでない読み、ルールに則った思弁とそうでない思弁は厳しく峻別されなくてはならない。    これは<啓示>が主観的な妄想の恣意性に委ねられているということをまったく意味しない。(・・・)「書物」の読みにもたらされた主観的な独創性と、後事家(あるいは詐欺師)の妄想の単なる戯れのあいだには截然とした区別がある。その区別を立てることを可能にするのは、主観性が必ずや読みの歴史的継続性を踏まえているということ、注解の伝承がなされているということである。読み手がテクストから直接霊感を得たからという口実でこの伝承を無視することは許されないのである。(AV,p.164)    タルムードの諸規範は「何をなすべきか」、「何をしてはならないか」にかかわる問答の下にしばしば深い哲学的省察を蔵しており、律法学者たちの直接の関心はそこに向けられていたと思われる。    例えば、「祭礼の日に生まれた鶏卵」を食べる権利にかかわる議論や「荒れ狂う牛」によってもたらされた被害に対する賠償にかかわる議論の中でタルムードの賢者たちは鶏卵のことや牛のことを話しているのではない。そうではなくて、そんな気配をつゆもみせぬまま根本的な概念を検討に付しているのである。そのことを確信するためには正統的なタルムードの師(un maître authentique du Talmud)に出会うことが必要である。(QLT,p.12)  タルムードの解釈の基本は「口伝」である。師から弟子への「顔と顔を見合わせた対話」を通じてしか、「歴史的継続性」は保証されない。律法研究は本来師弟口伝のものである。タルムードは紀元二世紀に律法の散逸を恐れたラビ・ハ・ナシーによってはじめて文章として集成されたのであるが、このときでさえ、あるラビは「口伝律法を書きまとめるものはトーラーを火にくべているに等しい」という激しい言葉を吐いてその行為を咎めたほどである。その口伝に対する圧倒的な信頼は現代に至るまで、そのまま継承されている。印刷物としてのタルムードはただの印刷物にすぎず、それが叡智の書物になるためには、その書物のあいだにはさんだ師と弟子の生きた対話が介在することが不可欠なのである。    タルムードの文章は口伝とたまたま筆記されることになった教えを集成したものである。したがって、対話のうちにあった論争的な本来の生命をタルムードに取り戻してやることが肝要である。そのときはじめて多様な――しかし恣意的ではない――意味が立ち上がり、低い声でつぶやき始めるのである。(QLT,p13)  タルムードは「書物」としてだけでは成り立たない。「凍結された教え」を「解凍」して、「本来の生命」を賦活させるためには、それを「対話と論争」の状態に戻してやる必要がある。だから、ひとり黙読するものにとって、タルムードは「死んだ書物」のままなのである。  これは考えれば不条理な話だ。もしテクスト解釈の「ルール」が純粋に知的なものであり、そのルールが誰にでもアクセス可能なかたちで公開されていれば、それを理解するだけの知的能力のある人であれば誰でも、師を持たなくても、テクスト解釈に参加する権利を持つはずである。  にもかかわらずタルムードの場合、それは許されない。テクストを精読し、テクスト解釈の「ルール」についてのデータ的知識をいくら積み上げても、それだけではテクスト解釈の資格を構成しない。なぜなら、タルムードにおいては、「どれほどの知識」を持っているのかよりも、その知識を「どういう仕方」で伝授されたのかの方がはるかに重要だからである。  レヴィナスは彼自身繰り返し謙遜をまじえて語っているように、「晩学」のタルムード学者である。彼はイェシバー(ユダヤ教の学院)に通ったこともないし、ラビになる訓練も受けたことがない。彼がタルムードの注解の仕方について正式に学んだのは第二次世界大戦後の数年間だけである。にもかかわらずレヴィナスはフランス語圏ユダヤ人知識人会議で、多くの律法の専門家を前にして、一九五七年以来毎年、会議の最終日に華やかな脚光を浴びて「タルムード講話」を行ってきた。  「アマチュアの日曜学者」にそれだけの権威が認められていたということは、レヴィナスの世俗的名声に対する敬意ではない(五七年においてレヴィナスはフランスの論壇でも学会でもほとんど無名であった)。レヴィナスのタルムードについての知識が余人を圧倒していたからでもない(それはおそらく彼の過剰な謙遜ではないと思う)。では、何がレヴィナスの註解者としての権威を構成していたのか。  それは彼が師を持ち、その師から口伝を受け、その師を「完璧な師」とみなすという正しい礼法を踏んでいたからである。  話は一巡してもとにもどった。  テクストの解釈は主観的な独創性に無限に開かれている。しかし、そこで解釈を許されるにはたった一つの条件がある。それはテクストの読みを教える「師を持つこと」であって、テクストについての「知識を持つこと」ではない。師という名を持つ一人の「他者」のうちに無限の叡智がひそんでおり、その一挙手一投足のすべてが叡智の記号であるという「物語」を受け容れたものの前にはじめてテクストは開かれる。それは「師に仕える」という行為と「テクストを読む」という行為とが、同じ一つの知的な冒険を意味しているからである。だから、「師に仕える」ことのできないものは「テクストを読むことができない」。「他者」のうちに無限を見出すという「命がけの跳躍」をよく果たし得ないものは、テクストのうちに無限を見出すという「命がけの跳躍」もやはりよく果たすことができない。  これでお分かり頂けただろうが、私がレヴィナスの「弟子」というポジションを選択するのは、私の恣意的な選択ではなかったのである。それは、私が師のテクストから「無限」を見出すために避けることのできない礼法なのである。 (内田樹「レヴィナスと愛の現象学」文春文庫、2011年、11-44頁)
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agrace-japan · 6 years
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2018.11.16〜17 RabicoWorkshop OPEN10:00 CLOSED15:30 ラビ先生の楽しいお教室 今回はミニ★ツリーが作れるグルーデコのお教室 手ぶらで参加ok♡ みんなであそびにきてね〜 #体験教室 #ワークショップイベント #おしゃれ女子 #親子で参加 #アクセサリー教室 #子供連れok #クリスマス限定 #christmastree #ラビコワークショップ #おしゃれワークショップ #イベント情報 #ハンドメイドイベント #ワークショップ大好き #かわいい #限定 #rabicoworkshop #おしゃれ女子 #かわいい #handmade #agrace #blancconception #ラビコワークショップ #さーこ #おとなのキラキラガールズマルシェ #オトナのキラキラガールズマルシェ #ラビ先生の楽しいお教室 #子供の遊び場 #子育て #アクセサリー作り (福島市 子どもの夢を育む施設 こむこむ) https://www.instagram.com/p/BpwxJKXHEgE/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1bdiibdqfjbtx
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