18
「お兄ちゃん」
「ぬおぉ……30本の客注はやめろぉ……」
「お兄ちゃんてば」
「中台……よくやってくれた……もう思い残すことはない……」
「お兄ちゃん!」
「ミギャァァァァッ」
とつぜん視界が明るくなって、跳ね起きた。
「痛い! 眼球が痛い!」
「……おはよう、お兄ちゃん」
「汐里、いまおまえなにをした!」
「眼球マッサージ」
「……」
「こう、ぐりぐりっと」
人差し指を突き出している。
「おぼえとけよ、汐里」
今度こそへそ出して寝てたら、おへその鼻突っ込んで、おなかの余った肉をはむはむしてやる。
「だって、お兄ちゃん、起きないし……」
「あ、いや……うん」
実家のソファだ。
ちょっと油断してたら、完全に寝落ちしてたらしい。
「お兄ちゃん、へいき?」
「少なくとも眼球はやばい」
まだなんかオレンジ色の輪っかみたいなの見える気がする。こいつ、けっこう加減知らねえんだよな……。
「ごめんなさい。やりすぎました」
「……まあ、眠気のほうはどうにかなるだろ。向こうに着いたら休めるんだし」
「我慢できなくなったら言ってね。膝枕してあげるから」
「どこで」
「電車のなか……?」
すげえ。エクストリームマナー違反だ。
「ほら汐里、着替えてきて」
「あ、はーい」
早百合さんがコーヒーを持ってきてくれた。汐里がリビングを出ていく。
「でも、ほんとに平気?」
「あー、いや。ぶっちゃけきついですけど、今日明日逃しちゃうと、ほんとにいつ休めるかわかんない状況なんで。それに、1日だけならまあ、モンエナ入れれば。電車のなかでも寝れるでしょうし」
「汐里がおとなしくしてるかしら……」
どうだろう。怪しい。
結局、クリスマスの後始末は朝までかかった。昨日から今日までの俺のスケジュールだが、朝7時までかたづけ。家に帰ってそのまま爆睡、12時に起きてシャワーを浴びて、スクーターで実家まで。寝落ちして汐里に眼球アタックを食らって現在に至る。
睡眠時間だけならどうにかなるんだけど、昨日は1日駆けずり回ってたから、どんよりとした疲れが抜けない。
「うめえ……しみる……」
早百合さんのいれたコーヒーがうまい。
「それじゃ、これ」
早百合さんが1万円札を差し出してくる。
「なんすか」
「交通費と、あと食事代」
「いや、いっすよ汐里の分だけで」
「遅めのクリスマスプレゼントだと思って。汐里の」
「はい?」
「貴大くんとおいしい食事を食べるということが汐里に対するクリスマスプレゼントなのよ」
そう言われては断れない。
コンビニで働きはじめてから、クリスマスに俺が家にいたことはない。これは年末年始も同じだ。男所帯で記念日なんて概念がない俺や親父とは違って、早百合さんも汐里も、そうした区切りをわりとだいじにする。
「わかりました。よさげな店、見繕っておきます」
「お願いね。あと……」
ふと、早百合さんが表情を曇らせる。
「なにか気になることでも?」
「……いえ、ひょっとしたらお母さんが変なことを言い出すかもし��ないんだけど、聞き流していいから」
「変なこと、ですか」
「ううん、なにもなければそれでいいことだから」
汐里の祖母、つまり早百合さんの母親には、年に数度会うだけだが、気が強そうな感じはともかく、基本的には上品な婦人という感じの人で、妙なことを言い出しそうな印象はない。
なんとなく引っかかりを覚えながら、早百合さんに見送られて家を出た。
最寄りのバス停である。
今日も寒い。風が弱いのが幸いだが、地面から冷えてくる感じがある。
汐里と二人でバスを待っている。
「……」
「……」
無言である。
家にいたときはよかった。俺もだるすぎてちょっとわけわかんなくなってたし、家族の手前、不自然にならないようにするくらいの気配りはある。
その上なあ……。
ちらりと、汐里がこちらの様子を窺ってくる。
わかってるよ。感想言えっていうんだろ。
めっちゃ美人。
襟と袖口に大きなマフのついた細身の白いコート。それだけでも上品な美人という感じがするのに、今日の汐里はほんのりとメイクをしている。ふだんでもかわいい汐里だが、あれはおそろしいことにほぼノーメイクだ。それが、ちょっとでも手を入れたら、16歳には見えない。もし恋人だと言い張っても、年齢差という点ではまったく違和感がない。
しかもそれだけ武装した汐里が、ちらっとこちらを窺ってくる様子はふだんのまま、どことなく子供っぽくて、ギャップで打ちのめされそうになる。求婚とかしちゃおうかな。
「あのね、お兄ちゃん」
我慢できなくなったのか、ついに汐里のほうから攻めてきた。
「今日、汐里はがんばった、と思います」
「ああ」
「……えと、どうですか、今日の汐里は」
口元を覆って、ばっと顔をそらす。
あっぶね。なにを言うつもりだったのかは自分でもわからないが、なんか言っちゃいけないこと口走りそうになった気がする。
こいつ。ほんとこいつ。
ひと呼吸おいて、オレは言った。
「似合ってる。きれいだ」
「ほんと?」
「ああ。16歳には見えない」
「じゃ、じゃあ……」
汐里が、俺の服の袖を引っ張って言う。
「恋人どうしとかに、見えちゃったり……」
「どうかな。釣り合わないだろ。俺のほうが」
出かけるのがわかっていたのだから、俺も持ってるなかではいちばんましな服を着てきた。しかし相手が悪すぎる。
「そ、そんなことない!」
「あはは、サンキュ」
「お兄ちゃんはかっこいい!」
「お、おう」
「……という噂も、一部ではささやかれています」
「どこ情報だよ」
「ひっ、ひみつです」
なんの話だ。
てゆうか汐里、挙動不審になると中途半端に丁寧語がまじるの、どういう理屈なんだろう。
そんなよくわからない感じで、移動が始まった。
電車に乗るべき駅までは、バスは直通していない。しかしそこは地元民だ。別のルートで、駅から徒歩1分のところを通るやつがある。それなら一本で行ける。
広大な地下空間を擁する駅に入り、券売機できっぷを買う。
そこからエスカレーターを乗り継いで、ようやく目的のホームだ。電車はすでに入線していた。
「おー、これで目的地まで直通かあ」
「乗り換え、一回必要だけどね」
「いやいや。俺たちのためにあるような電車じゃん」
俺はふだん、ほとんど電車バスを使わない。ほとんどの用事がスクーターで15分の圏内で間に合ってしまうからだ。なので、そういう特急が設定されていること自体を知らなかった。
4つの私鉄をまたいで走る電車は、座席指定の特急である。車内に入って座席番号を探すと、車両の中程の座席だった。もちろんクロスシートで、二人並んで座れる。
「……なんか遠足感ある」
汐里が言った。
ちょっとわかる。ふだんの生活でクロスシートに乗る機会ってほとんどないからな。
「お兄ちゃん、私、おやつ買ってきていい?」
「10分以内に戻れよ」
「うん!」
荷物を上の網棚に乗っけたり、リクライニングを確認するなどしていると、汐里が戻ってきた。
「おやつ買ってきた」
「んじゃ窓側座れ」
「いいの?」
「もちろん。あ、コートは脱いどけよ。暖房けっこう効いてるから」
「はーい」
いそいそと汐里がコートを脱ぐ。
そこに出現したものを見たとき、飲んでもいないコーヒーを射出しそうになった。
ハイネックのセーターである。きめの細かい生地で、いかにも暖かそうだ。ついでにいうとお値段もけっこうしそう。
それはいい。問題はだ。
「……」
「なに、お兄ちゃん」
薄手のセーターは、体のラインが丸わかりである。必然的に、目がある部分に吸い寄せられる。
盛ってるのか。
いや、俺は汐里の本体たるおっぱい的な部分を直接に目視したことはない。なので、いま俺が目撃している胸部の盛り上がりと裸体とのあいだに発生する誤差について、正確なところはわからない。
童貞を殺すセーター。そんな単語が燦然と脳裏に輝いた。
「ぼーっとしてる……やっぱり眠い?」
「ん、ああ、そうだな」
「じゃ、すわろ。寝たくなったら寝てていいからね」
通勤電車よりもあきらかに上質なシートに、汐里がぽすんと収まる。その動きの反動で、おっぱいが、ゆっさと揺れる。
ああ、まずい。おっぱいが揺れてる。
知能指数が劇的に低下した。
なんだろう、これ電車がめちゃくちゃ揺れたらそれにあわせて汐里のおっぱいも揺れるんだろうか。がたんごとん、ゆっさゆっさ、がたんごとん、ゆっさゆっさ。
「うおぅ……」
シートに座って頭を抱える。
「ほんとにへいき?」
「俺はもうだめかもしれない……」
もちろん、ここ10年20年で新設された大手私鉄の幹線、それも車両も新型となれば、そんなに揺れるはずはないのである。
「すごいすごい、なんか静か!」
「だなあ」
乗り心地がいいに越したことはない。俺は失望してなどいない。
「おやつ食べよう!」
いきなりかよ。
まあ、はしゃいでる汐里を見るのもほほえましい。
「なに買ってきたんだ?」
「ポテロングと、ポテロングののりしおと、ポテロングのコンソメと」
「ポテロングすぎる」
「なんかお出かけのときのおやつって感じあるの!」
「じゃがりこは?」
「あれはふだんのおやつ」
なにが違うんだ。長さか。実際、ポテロングって週末を中心に売れるイメージある。
「かいふーーー!」
テンション高えなあ。
そしてかわいい。
わかっていただけるだろうか。黙ってればいいとこのお嬢さんに見えるような、おめかしした汐里が、手足じたばたさせかねない勢いではしゃいでるこのかわいさが。ふだんどおりっていえばふだんどおりだが、なんかあれだ、これもギャップ萌えの一種なんだろうか。
「それでね、ポテロングはこうやって食べる」
かりかりかりかり。
小動物みたいに、ちまちまとポテロングをかじる。
まもなく、一本が消えた。
「こうやって、食べ終えるまでの時間を引き伸ばすんだよ?」
「……」
「どしたのお兄ちゃん」
「いや」
目元を手で押さえる。
妹がかわいすぎて、気が狂いそう。わざとか。こいつわざとなのか。
「変なの。それじゃお兄ちゃん、はい」
「お、サンキュ」
「あーん」
「あん?」
「だから、あーん」
俺の鼻先に差し出されている一本のスナック菓子。
これを、汐里の手ずから食せと? 食せと即セって似てるよね。思考がゴミだ。
「食べないの? じゃあ、私が食べちゃうけど」
「食ってやる!」
ガチン。歯を鳴らして、ものすごい勢いでポテロングに噛み付いた。
「ひゃあ。お兄ちゃんがケモノみたいに!」
「何本でも食うぞ!」
歯を鳴らして噛み合わせてみせる。自慢じゃないが歯は頑丈である。
「お兄ちゃんが肉食だ! がちんがちんって!」
よくわからないが大喜びである。我ながらいい音鳴るなあ。
「がちんがちん……」
汐里の視線が、俺の口元から下のほうに移動する。
「……」
じー。無言で見つめているのは、俺の足のつけねあたりである。
「どこ見てる」
「……えい」
やたらかわいい掛け声とともに、ほっぺたをつつかれた。
「なにやってる」
「つついてる」
「つつくとどうなるんだ」
「えっと、お兄ちゃんが興奮する」
「……」
レベルが高すぎる。
「しない?」
「おまえは、俺にどうなってほしいの?」
流れからいうと、勃起一択だが。
なんていうか、このへん、遊びの延長の単なる好奇心なのか、俺を挑発して喜んでるのか、いまひとつわからない。
へたに追求するとろくでもないことになりそうなので、かわりに汐里のほっぺたをつついた。
「ふぬー」
汐里が変な声出した。
ほっぺたやわらかい。なにこれ。
「お兄ちゃんがつついたー」
「でや」
鼻の頭をつつく。
「んにー」
「興奮したか?」
「しないもーん」
そりゃそうである。というかこれ、なんかバカップルみたいなことになってないか。
「つかまえた!」
汐里が俺の手を両手で掴んだ。
「じゃ、次ね。指はそのままで」
なにが始まるのか。ひとまずは、無邪気にはしゃいでるだけみたいなので、そのまま、汐里の好きにさせておいた。
そして。
指に、異次元のやわらかさを感じた。
「……えい」
時間差で、気の抜けた汐里の掛け声が聞こえた。
そのまま、手を前後に動かす。
「ふにふに?」
俺の手を掴んで、前後に動かす汐里。
なんだこれ。俺の指が汐里の意志によって、胸部に沈んだり離れたりしている。
「……こ、こうふん……した?」
形のいい、やや薄い唇が、そんな言葉を紡ぐ。
顔を紅潮させて、俺を見つめる汐里。
これは、違う。無邪気でもないし、はしゃいでもいない。
俺は、汐里の手を振りほどいた。
「やめとけ、こういうの」
「……」
「寝る」
目を閉じた。
汐里がどんな顔をしているのかは、わからない。
やばかった。
別におっぱいがどうこうじゃない。いや、それもやばかったんだけど。
汐里が、自分の意志でそれをした、というのがなによりまずい。
もし、電車のなかでなければ。俺の理性がもう少し弱かったら。そしたら、俺はなにをしていたかわからない。
下腹部にどろりとした不快な熱がこもる。
でもな、汐里。俺はもう決めたんだ。
なにがあっても、俺は汐里の兄であることを貫く。汐里が俺にどんな感情を抱いていようと。たとえ、俺になにを望んでいようと。
俺の劣情は、俺のなかで殺す。
殺しきってみせる。
「お兄ちゃんの、バカ」
耳元で、汐里がつぶやく声が聞こえた。
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北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
10/23(金)
東洋経済オンライン
北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
JR北海道の厳しい経営状況を伝える報道が相次いでいる。その象徴が廃線。2015年の高波やその後の台風による土砂流出などの被害の影響で運休し、バス代行運転が行われている日高本線の鵡川ー様似間(116㌔)が来年4月に廃線になる。JR北海道と沿線7町が合意した。10月23日に覚書を締結する。
日高本線(苫小牧ー様似)のルーツは、1927年(昭和2年)に国に買収された苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(苫小牧ー静内)だ。その後の延伸工事で1937年に様似(様似町)まで開通した。
日高本線は太平洋沿岸の美しい海の光景とサラブレッドが放牧されているのどかな牧場風景を眺めながら旅ができる素晴らしい路線だった。そして、地元の高校生の通学の足でもあった。だが、2015年に鵡川ー様似間が運休になって以来、ついに復活の日は訪れなかった。
■廃線にするのは惜しい日高本線
日高本線は、2016年にJR北海道が発表した単独維持困難路線の1つで、1日あたりの平均輸送量を示す輸送密度(1日1キロ当たりの平均人数)は年々減少の一途をたどっていた。
鵡川ー様似間の輸送密度は、1975年(昭和50年)には1740人だったのが、1989年(平成元年)には538人に減少。高波被害直前の2014年(平成26年)には186人と、1975年の10.7%の水準にまで落ち込んでいた。
2014年の乗車実績を駅ごとに見ると、鵡川ー様似間全25駅のうち乗車人員が1日100人を超えていたのは静内(新ひだか町)219人、鵡川(むかわ町)130人、富川(日高町)109人の3駅のみ。13駅は1桁で、「1人以下」が2駅ある。これでは高波被害がなくても存続は厳しかったかもしれない。
しかし、廃線にしてしまうには何とも惜しい路線である。筆者は10年以上前の初秋、襟裳岬を訪れるために苫小牧ー様似間を往復したことがある。当時の車両は「昭和55年新潟鉄工所製作」のディーゼルカーだった。そのときの様子をつづった文章があったので、一部を引用したい。
〈鵡川を過ぎたあたりから車窓の景色を楽しむ気分になってくる。ちらほらと牧場があらわれ、馬がのんびりと草を食んでいる様子を眺める。汐見という小さな駅(小屋みたいな建物がポツンとあるだけ)を過ぎると、右側に太平洋の大海原が近づいてくる。波に日差しがきらきらと反射し、きれいだ〉
〈厚賀を過ぎると右手に海がどんどん迫ってくる。まさに波打ち際を走り続けるのである。波しぶきがかかりそうなほど近い。高波の時は大変だろうな。大狩部(おおかりべ)はホームの真ん前が海。塀があるだけだ。90年代のテレビドラマの撮影地の看板がうら寂しい〉
〈静内では上り列車とのすれ違いのためか20分以上も停車時間がある。乗客の多くは列車を降りて駅舎で一休み。苫小牧から1時間半以上が経っていた。売店で手作りのほかほかのおにぎりを買い求める。素朴な味がいい〉
〈静内を過ぎ、春立のあたり、原野の中の林を抜けると車窓全体に牧場の光景が広がってくる。ヒマワリを小さくしたような黄色の花が咲き乱れ鮮やかだ。サラブレッドたちがくつろぐ牧歌的な景色が浦河まで続く。苫小牧を出て3時間以上、11時過ぎに終点の様似に到着。146㌔を平均時速50キロぐらいでのんびり走ってきたことになる〉
〈帰路。駅の前が牧場になっている絵笛駅に着く直前、突然、警笛が鳴り、列車は急停車した。何が起きたんだろう。窓から身を乗り出して前方を見ると、鹿の親子がゆっくりと線路を横切っている。その姿を追うように牧場から3頭の鹿がやって来て、これまた線路を横断。のどかな光景である〉
〈静内で下校中の女子高生の集団が乗り込んできて、一気ににぎやかになった。彼女たちは席が空いているのに座ろうともせず、おしゃべりに夢中だ。そのうち彼女たちは携帯を取り出し、一心不乱に見入っている。都会の電車内と変わらない光景だ〉
細かな記憶違いはあるかもしれないが、輸送密度が250人ほどあったころの日高本線の様子である。振り返れば「旅情あふれる絵になる路線」だった。
■土砂流出で線路が浮き、橋梁は崩れ落ちたまま
運休になってからの日高本線がどうなっているのか、被災後、2017年、2019年と現地を二度訪れた。
昨年5月に現地を訪れると、鵡川駅に苫小牧からの2両編成の列車が到着し、20人ほどの乗客が降りてきた。列車を撮影している人もいる。駅前に待機していた代行バスに乗り込んだのは数人だった。
車で被害の大きかった豊郷と清畠の間にある慶能舞川(けのまいがわ)橋梁に向かう。橋げたを残して橋梁は途中からなぎ倒され、枕木を下にした、ひっくり返った形で放置されている。晴れた穏やかな日だが、このあたり一帯は物凄い強風だ。被災時はもっとすごいことになっていたのだろう。
次に向かったのは波打ち際にある大狩部駅。列車代行バスの停留所から短いトンネルをくぐって駅に向かう。コンクリートで覆われた小屋が待合室。中には代行バスの時刻表と運賃表が貼られている。
ここは本当に海が近い。海岸から線路まで10メートルほどしかないのではないだろうか。路盤が流出し、線路が湾曲し、一部が宙に浮いた形になっている。高波被害のすさまじさを実感する光景だ。
災害から5年以上が経ったが、被災現場は風に吹かれ、波に打ち付けられるまま。総額で86億円にも達する復旧費用を負担する財政的な余裕はJR北海道にも沿線自治体にもなく、もはや復旧の見込みはない。来年4月1日、日高本線の鵡川ー様似間はついに廃線となる運命だ。
■過酷な経営実態、営業距離は半減
JR北海道管内では、今年5月に札沼線(1935年開業)の北海道医療大学ー新十津川間が廃線となった。昨年3月末には石勝線夕張支線(新夕張ー夕張間 ルーツは1892年開業の北海道炭礦鉄道夕張線)が運行を終え、2016年には留萌本線(1910年開業)の留萌ー増毛間が廃止された。
NHKの朝の連続テレビ小説『すずらん』(1999年放映)のロケ地になった恵比島駅がある留萌本線は全線廃線がささやかれている。
さらに映画『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になった幾寅駅がある根室本線(1921年開業)は、幾寅駅がある新得ー東鹿越間が、2016年の台風被害による影響でバス代行運転中だ。今後も、単独維持困難線区や被災線区では廃線の可能性がちらつく。※開業年は旧国鉄以前を含む。
利用客が少ない北海道の鉄路は大半が老朽化し、インフラの維持や工事に多額の費用がかかるうえ、冬季の保守管理が大変だ。分割民営化後もJR四国と並んで経営難が続いている。そこへコロナ禍が襲った。
2020年度の収入はガタ減りだ。JR北海道の島田修社長は10月14日の会見で、2020年度の事業による減収が400億円に上るとの見通しを明らかにした。
これを踏まえ、人件費などの削減のほか、2021年3月期ダイヤ改正で「減便減車」を検討するという。JR北海道の2019年度連結決算は営業利益が426億円の赤字、経常利益は過去最大の135億円の赤字となった。鉄道事業では23線区すべての収支が赤字だった。
第4四半期のコロナ禍の影響による減収が響いた。2020年度は、それに輪をかけた影響を受けることになる。経営環境はますます厳しさを増しているのが実情だ。道内の鉄路すべてを維持していくのは容易ではない。
一方で高速道路をはじめとする高規格幹線道路の建設は拡大の一途。JR北海道発足当時の1987年(昭和62年)にわずか167㌔だったのが、2016年(平成28年)には1093㌔に延びている。
その結果、旧国鉄時代に4000キロあった北海道内の鉄道営業距離は、2020年5月現在、2488㌔にまで減少した。約4割の大幅減である。今後も、輸送密度の低い路線はバスに転換されていく可能性が高い。
JR北海道の経営実態や体力を考えれば、すべての路線を維持していくのは困難だろう。しかし、明治以来100年以上も続いた鉄路をいったん廃線にしたら、もはや元には戻らない。
厳しい冬を乗り切るために生み出されてきた耐寒、耐雪をはじめとする北の鉄道ならではの技術改革や保守点検・整備技術の蓄積は貴重な財産だ。廃線で現場から技術者が離れていくデメリットは大きいだろう。農産物や海産物、酪農品の主要輸送手段だった歴史、地域の中核的な公共交通機関だった歴史も過去のものとなってしまう。
■活用の可能性は本当にないのか
本当に活用の可能性はないのか。北海道は日本を代表する観光資源の宝庫であり、広大な土地がある。こうした資源と鉄道を組み合わせた、鉄路再生計画は考えられないものか。今年8月には、JR北海道が東急の車両を使った豪華周遊列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」(2人1室利用で1人68万円から)の運行を実施した。
富裕層相手の超豪華版だけでなく、一般観光客が利用できるようなプランがあってもいいし、輸送密度の低い線区を中心に走るコースがあってもいいのではないだろうか。
さらに言えば、廃線は鉄道事業者だけの問題だけではない。北海道や地域の自治体の問題も大きい。かつては駅が街の中心だったが、現在は駅前は廃れ、ショッピングモールや飲食店などが集まる郊外の幹線道路沿いが賑やかになっている地域が多い。
これは全国的な傾向であり、駅周辺に魅力が乏しいために人が利用しないのだろう。鉄路を残すためには街づくりを根本的に考え直さなくてはならない。
1つのヒントになる事例がある。2022年に、JR北海道で20年ぶりに新駅が誕生するというのである。
新駅建設が計画されている場所は、JR札沼線の「あいの里公園ー石狩太美」間で、当別町にある菓子メーカー、ロイズコンフェクト(ロイズ)のふと美工場から300メートルほど南側に位置しているという。
ロイズと当別町がJRに請願し、建設費を負担する「請願駅」の形式だ。札幌市内から約30分という近郊で、ロイズは工場の見学施設などを充実させて観光客を呼び込む計画で、当別町も自動運転バスの運行や周辺開発を進める、と伝えられている。
■企業や大学との連携も
つまり、駅に人が集まる仕掛けづくりを道や地域自治体が、企業や大学などと組んで行うのだ。馬などの動物と触れ合えるノーザンホースパークのようなテーマパーク、温泉を活用したドイツのバーデンバーデンのような長期滞在型タウン、特産品を活用した新工場建設など豊かな観光資源と土地資源、特産物などを活用したアイデアを自治体サイドでも考えていく必要があるのではないだろうか。
東京一極集中解消策のひとつの柱である移住や、企業移転の動きも大きなチャンスだ。コロナ禍が続く今はインバウンドも来ず厳しい局面だが、10年後、20年後を見据えた「再生物語」が生まれることを期待したい。
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