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#海員生協本牧レストラン
nomisiboo · 2 years
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2022年7月8日朝食! 海員生協 本牧レストラン @ 元町・中華街駅 しょうゆラーメン(520円) (海員生協) https://www.instagram.com/p/Cfu2IyIPUZs/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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cherr-blossom · 3 years
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Storia dei sogni(342)②
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私や彼女etc…も含む
ソプラノのメンバー84~95と
アルトのメンバー85~96を除く女性陣全員は
「何だろ(・_・?)」,「何事( 'ω')?」
「どした(。• . •。) ??」,「何、何(๑• •๑)?」
etc…と(   '-' )(  '-'  )( '-'   )ザワザワ…
彼女「ねぇ、皆、どうしたの…(*´・д・)?」
アルトのメンバー92「あ、先生…」
アルトのメンバー93「すいません…」
アルトのメンバー94「それが…」
説明して貰って
アルトのメンバー95「という訳なんです…」
私や彼女etc…も含む
ソプラノのメンバー84~95と
アルトのメンバー85~96を除く
関東拠点の女性陣全員
「えっ( °-° )!!」,「マジで(゜ロ゜)!?」
「それ私もなんだけど(´°д°`)!!」
「同じく(゚O゚)!!」,「すごい奇遇ね( °_° )」
etc…と(   ・_・)(・_・)(・_・  )ザワザワ
関東拠点全員揃って
同じ時期に同じ夢見てたようだ。
他の拠点の方々や滝川さん,フルスコアの皆様は
無かったようだ。
関西拠点の合唱指導の先生(アルトの先生)
「皆だけ、同じ時期に同じ夢見てたって事なん(・・?)」
彼女「えぇ…そうみたいね…」
事務局のお姐様A「凄い偶然だけど…」
事務局のお姐様B「偶然にしては…」
事務局のお姐様E「出来過ぎてる様な…」
ソプラノのリーダーA「私達皆見ているなら…」
ソプラノのリーダーB「もしかしたら…」
アルトのリーダー「マエストロ達も…(・-・)・・・?」
彼女「後で、聞いてみましょう…」
合唱指導の先生(和田さん)「そうですね…」
合唱指導の先生(男性A)
「それにしても…
あの黒髪のメイドちゃん、すごく綺麗な子だったなぁ( ´͈౪`͈ )」
合唱指導の先生(男性B)
「あの黒髪ちゃん、何処に行けば会えるかな( ˶´⚰︎`˵ )」
合唱指導の先生(男性C)「あの子に会いたいな(´^ิ益^ิ`)」
合唱指導の先生(女性A)「アイツら…( ̄▽ ̄;)」
合唱指導の先生(女性B)
「確かに可愛い,綺麗な子なんだけど…^^;」
合唱指導の先生(女性Aの友人①)「鼻の下、伸ばすなや…(^_^;)」
合唱指導の先生(女性Aの友人②)「バカだわ…(;・∀・)」
伴奏の先生(王さん)「でもさ、あの女の子…」
伴奏の先生(前からいる彼女関連の知人)
「なんか、すごく困っていたよね…」
伴奏の先生(加藤(亜)さん)
「しかも、何かに怯えているみたいでしたね…」
伴奏の先生(宮本さん)
「助けて、って…私に協力して、って…」
伴奏の先生(女性Aの友人①)
「何があったのかは分からないけど…
出来る事なら
あの子がいる場所に行って
助けてあげれたら良いけど…」
伴奏の先生(女性Aの友人②)「でも、どうしたら…」
朝食後
新千歳空港行の飛行機へ乗り,羽田空港を出発し
機内で、お喋り&写メ大会etc…しながら過ごして
かーらーのー
新千歳空港到着後
集合写真撮って
貸切バスで洞爺湖のホテルへ移動し
ホテル到着後
集合写真撮って,チェックインして
部屋へ荷物置いて
(※彼女&彼女の愛犬と一緒)
かーらーのー
胆振東部地震の被災地(厚真)へ移動し
慰霊碑に花を手向けて,手を合わせて
かーらーのー
苫小牧市内の伝承館(胆振東部地震の)へ移動し
伝承館を見て回って
かーらーのー
北海道名物のレストランへ移動し,集合写真撮って
お喋り&写メ大会しながら昼ご飯食べて
かーらーのー
ノーザンホースパークやウトナイ湖で
集合写真撮ったり,観光して
かーらーのー
苫小牧市民会館へ移動し,集合写真撮って
休憩挟みながら前日リハして
かーらーのー
洞爺湖のホテルへ戻り,集合写真撮って
お喋り&写メ大会しながら夜ご飯(☆ω☆*)
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cardamomoespeciado · 4 years
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いつも思う事だが考えが甘いのと海外、国際社会を知らなすぎる北海道観光業界。インバウンドに頼りすぎて自国の旅行者を無視したツケが今の現状、中国人旅行者、韓国人旅行者が来る前に戻っただけ、これからが本当の意味で創意工夫と旅行者が何を求めているのかを見直す時間。倒産する企業が出るのは当たり前の現実を生かして行くかが経営者の思案。
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温泉街「まるでゴーストタウン」…“ウポポイ“への期待と憂い 北海道観光の今【#コロナとどう暮らす】
8/4(火) 17:02
北海道ニュースUHB
 コロナ不況により、3700億円の損失が出ると試算される北海道の観光業。好調だった訪日外国人(インバウンド)はゼロとなり、各地に影を落としている。一方で、ポスト・コロナを見据えた動きも。4回にわたり観光に携わる北海道の人々の「今」を伝える。
 3回目はゴーストタウンと言われるほど客が激減した温泉街や、地元が復興の起爆剤と期待を寄せる政府の肝いりのアイヌ文化施設「ウポポイ」、そしてアイヌの人々の憂いに迫る。
「お祭り騒ぎ」から「ゴーストタウン」へ…外国人が消えた温泉街
 インバウンドが消え、道内の観光地は深刻な影響を受けた。北海道の空の玄関口、新千歳空港から車で1時間。国内外で人気の高い登別温泉も閑散とし、かつての賑わいが嘘のようだ。年間40万人いた外国人宿泊客はほぼゼロになった。
 「まるでゴーストタウンみたい。インバウンドが入っている時は毎日お祭りみたいな感じでしたから」(温泉街の食料品店で働く女性)
 創業52年、全館200室の温泉ホテル「登別万世閣」もインバウンド消滅の波が直撃した。宿泊予約を総括する土肥昌史部長が現状を語る。
 「外国の、特にアジア圏のお客様が増えていたので、大きな打撃になった。お客様は年間15万人で、外国人客は3割近く。約4万人減ってしまった」
15人で混雑…浴場に”AI導入” レストランは大量のシート 徹底した感染対策
登別万世閣ではAIで浴場の混雑を予測するシステムも導入した(6月)
 万世閣では感染対策を徹底し、少しでも客を呼び込もうと必死だ。その一つが大浴場の男女入口前に設置された真新しいモニターだ。
 「大体15人前後になると混雑の表示になる」(土肥部長)
 浴場の混雑を避けるため、人の出入りをセンサーで把握し、混み具合もAIで予測できるシステムを導入した。
 人が最も集まるレストランには、いたるところに飛沫(ひまつ)感染防止シートを張り、パーティションも各テーブルに置いた。しかし、落ち込みは防げない。土肥部長は自らを鼓舞するように前向きな姿勢を強調する。
 「先が見えず社員からも不安の声があるが、いずれ落ち着く」
“クマ牧場”来場者の半分インバウンド「死活問題」…損失は3億円か
 温泉街のそばにある観光名所「のぼりべつクマ牧場」も深刻だ。「の・ぼ・り・べ・つ、といえば、クマ牧場」とラップ調のテレビCMで知名度が上がったこの施設。ヒグマ約70頭を飼育していて、ヒトがヒグマに狙われる獲物になったような体験もできる。
 外国人にも人気で、年間来場者20万人の半数をインバウンドが占めていた。営業を担当する吉田廣勝さんは危機感をあらわにする。
 「非常に死活問題。年間の入園者数のウェイトの半分を占めているので」
 年間売上高の半分、3億円が消えようとしている。
北海道独自の支援策「どうみん割」… 即売り切れ続出 “焼け石に水”
 基幹産業の一つ、観光業の落ち込みに北海道の鈴木直道知事が6月9日会見し、支援策を打ち出した。
 「道内旅行商品割引、通称『どうみん割』。道内の観光需要を喚起するための旅行商品割引事業を7月から実施する」
 「どうみん割」は道民の道内旅行を後押しするのが狙いで、旅行代金から1人当たり最大1万円が割り引かれる。国の「Go To キャンペーン」が委託費をめぐり遅れる見通しがあった中、道単独で実施した。予算総額は23億円。4回に分け配分する計画で、6月28日に初回の予約が開始された。
感染者が宿泊し一時自主休業した湯の川プリンスホテル渚亭も「どうみん割」は30分で売り切れた
 感染者が宿泊し一時自主休業していた函館市の湯の川プリンスホテル渚亭でも、客を呼び戻すチャンスと期待していた。ただ、予約できたのは35組。わずか30分で売り切れた。
 「もう売れてしまった。あっという間。それほど割り当てはなかったので」(ホテル従業員)
 その後も問い合わせが殺到し、対応に追われた。こうした事態に道は新たな追加枠を設けたが、渚亭は申請を見送った。
 「(枠の)10倍以上のお客様からのお問い合わせを頂き、お断りせざるをえない状況でした。十分な準備時間の確保やお客様へのご予約の機会の提供が難しい」(ホテルのSNS)
渚亭同様30分で「どうみん割」が完売した小樽朝里クラッセホテルの客室
 同様のケースが道内各地で相次いだ。小樽市の小樽朝里クラッセホテルの枠は70人分。渚亭と同じく30分ほどで完売した。
 「本当にあっという間だった。電話が鳴りやまず、断っている状態」
 23億円という予算では効果は限定的で、まるで焼け石に水だった。2018年、北海道胆振東部地震の際の支援策「北海道ふっこう割」は83億円で今回の3.6倍以上。ただ、国からの補助81億円が含まれていた。予算規模から、北海道の厳しい財政が浮き彫りとなった。
“ウポポイ”2か月遅れで開業…「観光と地方経済の再生に」と政府意義強調
2か月以上遅れて開業したウポポイ(北海道白老町)
 そんな中、アイヌ文化の復興と発展のためにと、国が白老町に整備した「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業した。北海道で初の国立博物館はコロナの影響で2度も開業が延期。2か月以上遅れてオープンした。視察した赤羽国交相は施設の意義を強調した。
 「オープンを機に観光事業、ひいては地方経済の再生につながると確信している」
ウポポイは国際社会に政府が先住民族の尊厳を尊重していると示すためにつくられた
 ウポポイはアイヌ語で「(大勢で)歌うこと」の意。東京オリンピック・パラリンピックを控え、国際社会に先住民族の尊厳を尊重しているとアピールするため、総工費200億円をかけ造られた。
 ポロト湖畔の約10ヘクタールに、民族衣装や祭りの道具など約1万点を所蔵する国立アイヌ民族博物館を建設。伝統的コタン(集落)に再現された家屋「チセ」や慰霊施設も整備し、夜にはプロジェクションマッピングショーも行われている。
「悔しさしかない」×「先祖も喜んでいる」…アイヌで分かれる施設の評価
アイヌ民族で評価が分かれているウポポイの展示
 「どこにもアイヌを大変な目に遭わせたと書いてない。何度行っても悔しさしかない」
 アイヌの有志団体「コタンの会」の清水裕二代表は憤る。強制移住やアイヌ民族独自の風習を禁じた同化政策の記述が乏しく、アイヌ民族の体験を記した展示も少ないといぶかる。
 全国各地の研究者が明治から昭和にかけ、墓所を掘り起こすなどして大学で保管していた遺骨をめぐり、コタンの会は「盗掘された」として返還を求め提訴した経緯がある。
 ウポポイの慰霊施設に約1300体が集約されているが、国の対応を疑問視。葛野次雄副代表はウポポイへ足を運ぶことをかたくなに拒む。
 「元の土地に戻すべきで、なぜ遺骨を集約しなければならないのか。慰霊施設で手を合わせるなんてできないし、ウポポイを認めることになるので、行くことすらできない」
 一方、北海道アイヌ協会の加藤忠・元理事長は施設を高く評価。コタンの会の立ち場と一線を画す。
 「過去にあったことに補償を求めるのではなく、これからどう社会にアイヌ文化を紹介していくのかが大切。日本一の施設で、先祖も喜んでいる」
 ウポポイへの評価はアイヌで見解が分かれ、深い溝を生んでいる。
感染対策で目標100万人”達成困難” 修学旅行に期待寄せる温泉街
 関係者によると、ウポポイの入場者は平日1日2000人、土日祝日で2500人。当初の目標は平日3000人、土日祝日5000人だったが、感染防止対策で事前予約制とし、入場を制限している。
 年間100万人の目標は達成困難だが、修学旅行の訪問先として予約が殺到している。全国の小中高約680校、6万6000人を受け入れる予定だ。
 ウポポイから約30キロにある登別温泉は、消えたインバウンドの代わりにと期待する。
 「秋に修学旅行客がウポポイに来る。宿泊が必要になるので、近くとなれば登別。セールスをかけている」(登別万世閣・土肥部長)
温泉街の土産店ではアイヌ文様の商品がメインに
 温泉街の土産物で一番の売れ筋は、温泉から作った入浴剤の「湯の花」だった。これからはウポポイを意識し、メインをアイヌの工芸品に変えようとしている。
 「アイヌ文様の商品や刺繍の入った商品を増やす。温泉街に宿泊していただき、商品を手に取っていただければ」(土産店従業員・今野佳代さん)
 のぼりべつクマ牧場でも、ウポポイの修学旅行客の確保を目指す。明治初期のアイヌの生活を再現した施設を前面に押し出す。ヒグマとアイヌは密接な関係があると、先代のオーナーが建てたもので、3棟ある家屋「チセ」の床は土で復元されていて、フローリング仕上げのウポポイよりリアルだ。
 「コロナで延期になっていた修学旅行が秋に移り、ウポポイを中心に旅行の行程が組まれている。近くにあるのが強み」(のぼりべつクマ牧場・吉田廣勝さん)
 ウポポイが復興の起爆剤になるのかは不透明だが、すがる思いで客を待つ。
 この記事は北海道ニュースUHBとYahoo!ニュースの連携企画です。北海道観光の現状を追うとともに、ポスト・コロナを見据え復興の道を模索します。
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socialmoviesblog · 6 years
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■「仮面ライダーアマゾンズTHE MOVIE ~最後ノ審判~」のメモ
▼映画版「仮面ライダーアマゾンズ最終章」を観た。相変わらずの快作ぶりに息を飲むと同時に様々な思いが浮かび考えがまとまっていないところもある。
▼整理する意味でも、思ったことを書いてみる。 
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https://www.youtube.com/watch?v=2CmbzhS2JDw
■ 共感なしには生きられないが、共感ゆえにうまく生きられない
▼まずは本編の前に、これまで配信版の「season1-2」を観て書いてきたことや、その後認識を改めたことをまとめておく。詳しくは過去記事を参照してほしいが、だいたい自分はこんなことを書いてきた。
▼人間は他の動物よりも巨大な脳を持つがゆえに、脳が大きくなる前の未成熟な状態でこの世に生まれてくる。巨大化してからでは、頭が母の産道を通る時につかえてしまうからだ。
▼だが、未成熟な状態ではサバイブもままならない。そこで「他人の痛みを我が痛みとして」「他人の苦しみを我が苦しみとして」受け止める「共感力」を発達させてきた。この共感力によりホモ・サピエンスどうし互いに協力しあい、他の動物たちに力負けしてしまう状況をしのいできた。
▼さらに、大きな脳が突然変異を起こした末、「言語」を生み出すなどして、目に見えないものを人間同士互いに信じあう「虚構」の力を発達させてきた。
▼「我々はA神に選ばれた民だ」「我々はB国の国民だ」「我々は皆平等の人類だ」…「神」、「国」、「人類」など実在しない「ウソ」を実在するとして共有することで、共有する人間どうし大規模な協力関係を築き他の生物を圧倒してきたのだった。
▼加えて、さっき「この共感力によりホモ・サピエンスどうし互いに協力しあい」と書いたが、この共感力は、ペットを飼う人たちや、介護ロボットを家族として扱う人たちを見てもわかるように「人類」を超えうる力を持っている。
▼「共感力」が及ぶ範囲については「ダンバー数」などの説を元に150人前後という考えもあるようだが、その「150人」には「人ならざる生命体」(動物、サイボーグ、クローン、ロボット、AIなど…)も入っている。
▼ともあれ「共感」「虚構」の力なくしては生きていくことのできない人類。
  ▼その一方、人間、いや多くの生命体は、他の生物を「食い物にして」生きていかなくてはならない。「食い物」とは文字通り、他の生き物を食らうことでもあるが、同時に「安価な商品が手に入る裏側では、それを生産したどこ��の労働者が安く買い叩かれている」といったような比喩的な意味での「食い物にされる」も含んでいる。
  ▼すると…
・人間は「共感」や「虚構」の力なくしては生き残れない。
・だが、共感力により「他者の痛みを我が痛み」として感じ取ってしまう。
・故に「痛む他者」を「食い物にしている」ことへの罪悪感を感じてしまう。
・また、自分が「痛む他者」を「食い物にする」のなら、自分もまた他者に「食い物にされてしまう」と恐怖を感じてしまう。
…といったことが起こる。
▼共感なしには生きられないが、共感ゆえにうまく生きられなくなる。
  ▼そのため--と言っていいか分からないがあえて乱暴に「そのため」--人類は、文明を発達させてきた。「他者の痛みを我が痛みとして感じる」ことなく他者を「食い物」にできるように。「自分が他者を食い物にするのなら自分もまた他者に食い物にされてしまうという恐怖=死ぬ恐怖」を感じずに済むように。
▼具体的には、分業体制、アウトソース体制、バイオテクノロジー…
▼痛む他者を直接殺して食うのは嫌だ→だから誰かにやらせよう→いや、俺がやらせたんじゃない。あいつは金が欲しくて自発的に殺してるんだ→だから俺はやらせてないし、罪はない(分業体制)。
▼他者に食い物にされるのは嫌だ→苦痛なく生き続けたい→それを可能にする技術を発展させよう(バイオテクノロジー)。
 ▼そのようにして文明が発展し今がある。しかし、その発展の結果起きたことは、意気揚々としたグローバリズムからの撤退(トランプ)、ブレグジット(イギリス)、欧州の移民排斥、在日排斥、「日本人なら日本が好きであたりまえ。HINOMARUに心がグッと来ないやつは日本人じゃないから出ていけ」…
▼共感力が通じない、虚構が共有できない「人間」の締め出しだった。
▼その一方で、(バイオ)テクノロジーの進展により、動物、AI、ロボット、サイボーグなど「人ならざる生命」への共感力の拡張も起きている。
▼つまり、人類の協力関係による発展をうながしてきた「共感」・「虚構」は人類の内側からは「縮んで」いき、人類の外側へと「広がって」行った。
  ▼では、こうした状況の中で、協力関係を築かねばならない「仲間」とは一体「誰」なのか?「食いもの」にして許されるのは一体「誰」なのか?何が正しく、何が正しくないのか?「正義/不正義」の線はどこに引けるのか…?
▼「仮面ライダーアマゾンズ」シリーズは、その答えを出そうとして、のたうちまわるようにドラマを進めていく。
 ■SEASON1まとめ~「人間」か?「共感」か?~
▼まず「season1」はこう展開し��。
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▼巨大製薬会社の野座間製薬では極秘でとある研究が行われていた。それは「アマゾン細胞」の開発。この細胞を持つ生命体は、途中までは人間とよく似た形に育つものの、ある時「覚醒」。すると怪物のように身体が変化し人を食ってしまう。
▼同社はこれを「生物兵器」として輸出することで儲けようとしていたのだ。
▼だが、ある日、実験が「失敗」し研究室が大爆発。東京?の街中に6000体以上ものアマゾン細胞が飛散してしまったのだ。
▼これを発表すれば国中がパニックに。そこで同社は、子会社のセキュリティ会社から「駆除班」(ドラマでは隊長の「マモさん」をはじめ7人の姿が描かれる)を送り込み、飛散したアマゾン細胞=人間の姿をした怪物の処理を秘密裏に行っていた。
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 ▼そんな中、2つの正義を掲げた仮面ライダーたちが現れる。
▼1人は「赤いアマゾン」鷹山仁。ストーリーが展開するにつれ明らかになるが、彼はもともと野座間製薬の研究者で、アマゾン細胞開発プロジェクトに関わっていた。だが細胞飛散を目にして同社を退社。
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▼「人間はこんなものを開発すべきではなかった。」として、なんと自らの体にアマゾン細胞を注入。その異能力をベルトでコントロールしながら、「赤いアマゾン」となりアマゾン(怪人)たちの駆除に単独で乗り出していく。
▼「人間を守るためアマゾン細胞の持ち主は”1つの例外もなく”残らず狩る!それが終わったらアマゾン細胞の持ち主である自分も狩る=自殺する」…それが仁の「正義」だった。
  ▼その「正義」は、「人間ならば守る」/「人間でないなら守らなくてよい」といった「人間というカテゴリー」に線引きの根拠を求めるもの。
▼それはいわば「あらゆる人間にあらゆる権利が等しく認められるべきであり、 あらゆる人間のあらゆる尊厳が尊重されるべきだ」という「近代ヒューマニズム=リベラリズム」のテーゼを真逆から言った状態。
▼つまり「あらゆる非人間にはあらゆる権利が等しく認められるべきでなく、 あらゆる非人間のあらゆる尊厳が尊重されるべきでない=非人間は一体残らず殺せ!」だ。
▼「ヒューマニズム」「リベラリズム」といえば聞こえがいいが、「赤アマゾンの正義」は、そこに潜む「薄暗いもの」をあぶり出すものになっている、ともいえる。
▼それに対する「もう1人」が緑のアマゾン・水澤悠だ。 
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▼彼は野座間製薬重役でアマゾン研究の主導者でもあった水澤令華の「息子」後に明かされるが、彼はアマゾン細胞をベースに人間の細胞を注入して生まれたハイブリッド。いわば「アマゾン人間」ともいえる存在だった。
▼そんな悠は、仁の言う正義に対し、「人間の都合でアマゾンを生み出しておいて、人間にとって都合が悪くなれば全て抹殺とは虫がよすぎる!」と反論。そして「狩るべきものは狩る/守るべきものは守る」として駆除班の一員となり自らの正義を実行しようとする。
  ▼彼の正義は、人間か?非人間か?よりも「共感可能か?/共感不可能か?」によって線を引こうとするもの。人間にだって共感不可能な悪人はいるだろうし、非人間にも共感可能な善きものはいるだろう。種族で線を引くのはおかしいのではないか?というものだ。
  ▼こうして2つの正義がぶつかっていく。だが、シーズン1では、非道にみえようとも「最後に全ての責任をとって“人間アマゾン”の自分も死ぬ」という覚悟の元に、1点のブレもなく正義を実行していく仁の方に、強い倫理性がみられたのに対し…
▼悠は「狩るべきものは狩る/守るべきものは守る」と言いながらも、守ろうとした人間が実は「冷酷なサイコパス」だったことを知り、一転して殺しにかかったり、「私は人間を襲いたくはない」と苦悩するアマゾン怪人に「共感」しながらも、怪人が「覚醒」し人間を襲ってしまうと、やはり殺さざるを得なくなったり…と、フラフラしがちにみえた。
  ▼ともかくも、その後、「アマゾン細胞全駆除」を目指す野座間の薬剤散布計画、通称「トラロック作戦」から逃れ、2人は海辺で一騎打ち。闘いは壮絶さを極めたが、相撃ちの末、両者辛くも生き延びる結果となった…
  ■SEASON2~「アマゾン感染した人間」は人か?アマゾンか?~
▼そして「season2」へ。ドラマは「1」から5年後の世界。
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▼そこでは、人間からアマゾンに感染し、人を怪人化させてしまう「新種のアマゾン細胞」が蔓延。それを受け政府は、野座間製薬と協力し4Cと呼ばれる組織を設立。「新駆除班」を立ち上げ「新種細胞」の発生源を突き止めるとともに、怪人化した人の「駆除」を行っていた。
▼そんな4Cで「飼われて」いたのが、某所で捕獲された少年・千翼。彼は「新種アマゾン細胞」の持ち主であり、その力をコントロールし仮面ライダーに変身することができた。
▼そのため「新駆除班」に参加することになるが、彼には「相棒」が。それがイユと呼ばれる少女。彼女はなんと、アマゾン感染した父親に食われた死体に、新種細胞を注入してできたハイブリット。いわば「アマゾンビ」ともいえる存在だった。
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▼ドラマは「新種アマゾン人間」千翼と「アマゾンビ」イユを中心に進められていくが、そこに「1」の主役であった悠・仁も参戦。
▼こうしてドラマは、人間にアマゾン細胞を加えた「人間アマゾン(仁)」/アマゾン細胞に人間細胞を加えた「アマゾン人間(悠)」/新種アマゾン細胞を持つ「新種アマゾン人間(千翼)」/人の死体がアマゾン細胞を持つ「アマゾンビ(イユ)」…が互いの主張をぶつけ合いながら入り乱れ、息もつかせぬ展開に。
  ▼「1」では、悠と仁を例外とすれば「人間」と「アマゾン族」の間にはしっかりとした「線」が引かれていたが、「2」で「人→アマゾン感染」を引き起こす「新種アマゾン細胞」が登場すると、その線は大きくゆらぐ。いまや「例外」が常態に。
▼「アマゾン化した人」は、アマゾンなのか?人間なのか?
▼その線がゆらげば、「人間ならば全て守る/アマゾンならば全て狩る」という正義もゆらいでしまう。
  ▼そのため「1」では強靭な倫理性を持つものにみえた仁の正義が次第に狂人的なものになっていく。いや、「なっていく」というよりも、もとから潜んでいた「薄暗いもの」が可視化されるようになったというべきか。
▼ドラマが進むにつれ、主人公の千翼は、実は悠との闘いで致命傷を負った仁が錯乱状態の中、同伴者の女性・七羽との間に作った子供だったことが判明。そう、ドラマ世界に蔓延する「新種アマゾン細胞」の発生源は、千翼とその母・七羽だった。
▼それでも仁は、「アマゾン細胞を持つものは1匹残らず始末する!」と「我が息子」に向かって拳を振り上げぶつかっていく。
▼もはや線など簡単には引けそうにない状態にあってなお「人間は守る/アマゾンは…」と線に固執する仁。その姿は狂った論理の自動機械のようだ。
  ▼対して、「人間/アマゾン」に線を引くのではなく、「共感/非共感」で線を引き、「100がダメなら80を、80がダメなら60を…」と、共感可能性の拡張をできうるかぎり目指す悠の方が、リアリスティックで頼もしく思えてくる。
 ▼しかしそんな2人が「一致」した結論が「新種アマゾン細胞の根絶」…つまり千翼を狩ることだった。
▼ドラマでは人間性を取り戻したかに見えながらも死んでしまったイユと、「俺は生きたい」と願いながらも撃たれていった千翼が、「あの世」では一緒になれている…という演出がなされ、せめてもの「救い」があったように見えていたが…どうにも後味の悪い終わり方だったのも事実。
▼「正義/不正義」の線をかく乱するものを封じ込めることで、「正義」は辛くも守られる。とはいえ「後味の悪い正義」…
  ■映画まとめ~「人の正義」を越える2つの(非)正義
▼しかし、映画ではそうして辛くも守られたかにみえた「正義の一線」がまたも乗り越えられ踏みにじられていく…と、ここでようやく本作の感想に入る。
▼が、ストーリーを追う前に、少し先回りをしておく。
▼映画には、これまで書いて来た「正義」に対して挑戦する2つの命題が登場する。
 ➀:1つが野座間製薬会長のセリフ。彼はこんなようなことを語る。
「生きたいと思う力が強い生命体が生き残り、弱いものが淘汰されていく…。そうやって生命は進化していく。それがこの世の摂理だ。」 
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  ②:もう1つがドラマ内に登場する「とある集団」の主張。彼らは澄んだ目をして言う。
「人は何かを“食い物”にせねば生きていけない。ならば私達が進んで“食い物”となりましょう。それこそ“世のため人のため”ではないでしょうか…」
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  ▼共感なしには生きられないが、共感ゆえにうまく生きられなくなる。
さらに、人類の協力関係による発展をうながしてきた「共感」・「虚構」は、文明の進展の末、人類の内側からは「縮んで」いき、人類の外側へと「広がって」行った。
▼こうした状況の中で、協力関係を築かねばならない「仲間」とは一体「誰」なのか?「食いもの」にして許されるのは一体「誰」なのか?何が正しく、何が正しくないのか?「正義/不正義」の線はどこに引けるのか…?
  ▼先にこう書いたが➀・②の2つの命題は、それを乗り越えるものを持つ。
▼➀は、ようするに「共感なしには生きられない」のなら、共感なしでも生きられるように進化すればよい、と言っている。
▼AI、サイボーグ、「ホモ・デウス(ユヴァル・ノア・ハラリ)」…共感なくしても生きられる新たな知的生命体がこの地球の支配者となり、共感なしには生きられない「生きる力の弱い人類」は、その従属者となればよいではないか?そう言っているように思う。
 ▼対して②は、「共感ゆえにうまく生きられない」ならば「生きなければいい」と言っている。いや、正確にいえば、人類の一部が自ら進んで「食い物にされる」ことを望みさえすれば、残る一部は罪悪感なしに彼らを「食い物にする」ことができる。こうして人類は他の生き物を「食い物」にしながら、うまく生きることができる…と。
  ▼どちらも確かにそうなのかもしれない…。だが、「じゃあ、そうしよう」ともすんなり思えない。ならばどうすればいいのか?その答えを出すべく、本作ではまたも2体のライダーがのたうちまわる!
 ▼ストーリーをまとめておこう。
▼物語は「2」からさらに幾ばくかの時が過ぎた世界。そこでは、新種のアマゾン細胞持ち主はもとより、アマゾン細胞を宿す怪人たちも4Cにより壊滅寸前に追いやられていた。そんな中、4Cの新駆除班はとある森である怪人を追い詰めていた。緑のアマゾン・悠だった。 
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▼4C・黒崎隊に追い詰められ窮地に立つ悠。だが、黒崎隊の隊員で、かつ悠の「妹」でもあった水月が寝返ったこともあり、なんとか生き延びた。
▼逃げ延びた悠と水月は、森の中のとある施設の住人たちに助けられる。彼らは御堂英之助という施設長の元、自給自足の宗教教団のような生活をしていた
▼施設は孤児院のようであり、番号を割り振られた子供たちが「69番」=ムクなどと名付けられながら暮らしていた。そして彼らは「人に幸せを運ぶ天使」と呼ばれていた。
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 ▼そんな中、施設からある子供が「里親」に引取られる。紆余曲折あってその「里親」が怪しいと感じた悠は、彼らが立ち寄った邸宅に侵入。
▼すると、そこではなんと、引取られた子供が「里親」に「肉」として食われていた。そう!少年少女たちのいる施設は、いわば「アマゾン牧場」。
▼4C局長で野座間製薬重役の橘雄悟が、アマゾン族の有効活用を考え立ち上げた仕組みだった。彼によれば、日本は食料自給率40%代の、食の安全保障落第国。そこで輸入せずとも肉が食えるよう、アマゾン怪人に人を襲わせないような遺伝子操作を付加。そして家畜と同然の状態にすれば「肉ビジネス」を生み出せる…という。
  ▼こうして橘は、かつての「アマゾン細胞開発プロジェクト」の一員だった、御堂をスカウトし、この「アマゾン畜産計画」に着手。「創造主」と呼ばれる鎖に両腕を縛られた「ある男」の細胞から「畜産用アマゾン」を生み出していたのだった。
▼その計画を目にした悠は、「そんなのおかしすぎる」と、施設の子供たちを説得。「一緒に逃げ出そう」と呼びかける。だが、すでに御堂に洗脳された少年少女たちは悠の言葉に聞く耳をもたず…
▼それどころか、「人は何かを食い物にせねば生きていけない。ならば私達が進んで食い物になりましょう。それこそが“人に幸せを運ぶ”と言えませんか?」と言われ硬直…
▼そう、先述した②の命題を唱える「とある集団」とはムクたちであった。
  ▼だが、悠を硬直させる論理を説いたムクが、「里親」により連れていかれるや事態は急展開を迎える。
▼引き取られた「レストラン」でムクが見たもの…それは「やっぱりアマゾンはメスの肉がいいな」などと「食い物」の「選り好み」をする人間たちの姿。
▼「世のため人のため」とその身を捧げた自分の同胞たちが、人間の都合で「選り好み」されるあまりにも醜悪な事実を知ったムクは、悠の言葉を思い出し初めて“生きたい”という欲求に駆られ「覚醒」。
▼引き取った肉を食おうと視察に来ていた政治家・佐古島を食い殺してしまう。それを知った施設長の御堂は「計画が台無しだ!」と少年少女全員の抹殺を企てる。
 ▼悠は、それを止めようと御堂に立ち向かうが、彼もまた自分の体にアマゾン細胞を注入し仮面ライダーに変身することができた。そのため、返り討ちに合い、瀕死の状態におちいってしまう。 
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▼そんな中、少年少女たちを殲滅せんとする御堂の前に立ちはだかったのが、これまでつながれていた腕の鎖を外し現れた「創造主」--こと「赤いアマゾン」鷹山仁だった。そう、「アマゾン牧場」の家畜たちは彼の細胞を元に作られていた。
▼「今までよくも鎖につないでくれたな」と、かつての研究プロジェクトの後輩でもあった御堂の行く手をふさぐ仁。
▼だが、「人間は一人残らず守る/非人間は一人残らず狩る」を正義に掲げた彼にとって御堂は守るべき「人間」。
▼にもかかわらず「お前の体はアマゾンの匂いがする!」と挑みかかり死闘の末、御堂アマゾンの体を拳でぶち抜いてしまう。とうとう自ら掲げる「正義」の一線を踏み越えてしまう仁。
  ▼一方、そんな仁の「暴走」を止めようと悠は瀕死の体を動かしながら、あろうことか「生き延びるため」ムクを食べてしまう。ムクの側が「私を食べて生き延びて」とサインを出していた…のだとしても、彼もまた「共感可能な存在を共感可能なまま食べて」しまった。とうとう自ら掲げる「正義」の一線を踏み越えてしまった悠。
 ▼そんな「一線を越えた2人」は激突!またもグロテスク極まる死闘の末、悠が勝利。仁は同伴者の七羽の幻に看取られ「これでいいんだよな」とこの世を去った。
  ▼こうして辛くも勝利した悠。だが、一線を越えた彼に生きる理由はない……湖に身を投げ死のうとするが…「ある展開」があり、なんとか踏みとどまる。
▼そして、バイクに乗った彼は、あの宗教施設で新たな暮らしを始めた少年少女の残党と旧駆除班、そして水月の姿を確認し、バイクを走らせていく…目の前に広がる急な坂道へ向かって…
  ■考察~「ラディカルな正義」と「中途半端な正義」~
▼人は共感なしには生きられないが、共感ゆえにうまく生きられなくる。
そうか。「共感なしには生きられない」のなら、共感なしでも生きられるように進化すればよい。
▼人は共感なしには生きられないが、共感ゆえにうまく生きられなる。
そうか。「共感ゆえにうまく生きられない」ならば「生きなければいい」=進んで食われればいい。
▼そんな人類の正義を越える2つの命題に、2体のライダーはどう挑んだか?
   ▼残念ながら、「2」の時点ですでに崩壊しかけていたように「人間/非人間」で線を引く仁の正義は、「人間アマゾン」・御堂を討ったことで一線を越え、破滅していった。ただ、正義の破たんとともに(結果的に)我が命を絶つ所は仁さんらしいといえば仁さんらしい。
  ▼一方、悠はどうか。かろうじて生き残ったとはいえ、彼もまた「共感可能な存在を共感可能なまま食う」という一線を越えた。そのうえ、責任を取って命を絶つこともできなかった。
▼だが、映画では、そんな彼にかける言葉でもあるように、施設にとどまった水月がアマゾンの少年少女たちに言う。「自分のために生きて…」
  ▼それでいいのか?これでは結局のところ会長の言う「生きようとする力の強いものが生きる。弱い者が淘汰される。それが生命の進化だ」という考えと、ほとんど変わらないのではないか?
▼「生きなければ」という思いが強かった悠が残り、「私はいいから食べて」というムクが死んだ…そうやって生きる力が弱い者は死んで行ってもしょうがないんだよ…それと、結果的にどこがどう違うのか?
▼悠は、②の命題をかかげるムクは説得できたものの、➀の命題を掲げる会長を乗り越えることはできなかったのか…?
▼そう思い、混乱した。
  ▼しかし、踏みとどまってみる。悠は映画内でこんなことを言っていた。
「できることなら全てを守りたい」。
▼これは映画の惹句にも使われている重要な言葉でもある。そう、これがあるからこそ、先にも書いた「100がダメなら80を、80がダメなら60を…」が実行できる。
▼これがなければ「100がムリなら30だろうが、0だろうが変わらないではないか…」となってしまう。
▼実際、会長の考えはそうなっている。「共感を寄せようが寄せまいが、人は他の生き物を食い物にせねば生きられない。ならば、“共感した存在は守る”云々なんてどうでもよいではないか…」と。
  ▼だが、「できることなら全てを守りたい」を掲げる悠は、会長が「どうでもよいではないか」としている「小さな違い」に固執する。「どうでもよくない!」とこだわる。
▼言い換えれば、会長の正義(無正義)は小さな違いを気にしない「ラディカル」なものであり、悠の正義はその小さな違いにこだわる「中途半端」なものになっている。
  ▼だが、その「中途半端な正義」こそが、世界の中で「少しでも共感可能性を広げよう」と踏みとどまる彼の行動の原動力となっている。
  ▼しかし。だとするとどうだろう。「会長はラディカルな(不)正義を掲げる。対して悠は中途半端な正義を掲げる。ここが違う!」というが、その悠もまた「できることなら全てを守りたい」というラディカルな正義にその行動を支えられている、とならないか?
▼ならば、会長もラディカルな正義、悠もラディカルな正義…だったら、ラディカルな正義Aは間違いだが、ラディカルな正義Bは正しいんだと、なぜ言えるのか?
▼もっといえば、仁の正義もまた「1つの例外も許さない」という点でラディカルな正義であったし、ムクたちの正義もまた「人のため」というなら「人のために食われる」のが最も「人のため」だというラディカルなものであった。
  ▼では、乱立するラディカルな正義の中で、なぜ、悠の正義だけが支持するに値するものだと言えるのか?……分からない。
 ▼ただ、こうは言える。
▼悠の正義だけが「この世界は別様でもありうる」と志向している点で他とは違う、と。
▼彼以外の正義は「この世界はこうでしかない」ことを前提としている。
「この世界は生きる力が強い者が生き残るから、弱い者は淘汰される」
「この世界は人間が作り上げたのだから、人間に害を与える者は淘汰すべき」
「この世界は誰かが誰かを“食い物”にするのだから、私が“食い物”になる」
▼「この世界は~なのだから」…本当にそうなのか?別のあり方はないのか?
▼人間とアマゾンが共存する世界はないのか?アマゾンが人間を食わずとも生きられる世の中はないのか?人間がアマゾンの存在を認める世界はないのか?
 ▼悠の「できることなら全てを守りたい」は、「すべてが守られる別の世界」を目指してはいる。ここが他の正義と異なる。そして、それがどこからやってきたかといえば彼の「生まれつきハイブリットな出自」によっていると思う。
▼自らの意志でアマゾン細胞を注入した仁とは違い、「アマゾン人間」として生まれたがゆえに、生まれつき「人間の輪」にも「アマゾンの輪」にも入れなかった悠。
▼そんな彼だからこそ、「こんな自分にも居場所のある世界」を夢見ざるを得なかった。そして、その思いこそが「自分のために生き」ることと「世界に正義をもたらす」ことを同時に追求させた。
 ▼さらに逆説的にも、そんな「非現実」を目指しているかこそ「100がダメなら80を、80がダメなら60を…」と「現実的」になることができた。
 ▼「現実的な正義」は「非現実な理念」にこそ支えられる。
▼この逆説を失った時、「右でも左でもない」、「現実的で」、「データ重視で」、「是々非々な」「クールな知性」は、200mlのコップに100mlの水が入っていても「もっと水を増やすべき」か「もう水は入れなくていい」かを決める基準を打ち出すができない。
そして、「増やすか、止めるかの2項対立は不毛だ。もっと繊細に。」とだけ唱えながら、「もういいよ!俺は増やしたいんだよ(止めたいんだよ)」と思う人を元気づけるフェイクニュースの洪水に押し流され、敗北していく…
 ともあれ…
▼人は共感なしには生きられないが、共感ゆえにうまく生きられなくなってしまう。だとしても共感を手放すな。それでいてうまく生きられる「別の世界」を目指せ……「すべてが守られる世界」を。それを目指しているときだけ、この世界で、少しでも共感可能性を広げることができる。映画はそう言っているように思う。
 ▼だとしても。ではどうすれば、共感を保持したままうまく生きられるのか?
▼分からない。だが、「1」で登場させつつ、本作でも継続させた本筋からはそれる小さなモチーフに注目したい。
 ▼それは旧駆除班隊員・三崎に関する挿話。
▼「1」では、駆除班隊員でアマゾン細胞の持ち主でもあるマモル隊員が、ドラマ終盤で怪人に「覚醒」してしまう。「人を食べたい」…その思いが抑えられず、仲間の三崎隊員の腕に食らいついてしまうマモル。
▼「これはまずい」と思った仲間の福田隊員は、マモルを射殺しようとする。だが三崎は全力でそれを制する。「マモちゃんを撃つな!」。そう言って自らの腕を食わせるのだった
 ▼このモチーフが本作でも反復される。
▼それは、「人に幸せを運ぶ」宗教教団から脱走した少年少女たちに、旧駆除班の面々が捕らえらえてしまったシーン。「人に食われるまま死んでいくのは嫌だ」と、食人欲を抑えられなくなり、旧駆除班に食らいつこうとする少年。
▼通常ならば、「やめろ!」と言うところだが「いいよ」と腕を差し出す三崎。その腕は「1」で食われてしまっているため義手…。だが、なぜ義手になったのかを少年に説明し三崎は言う。「そうだよな。人間だけが食っていいってのはおかしいよな」…その言葉を聞き、衝動が収まるアマゾン少年。
 ▼ここには「全面的な食い合い」を回避する「部分的な食わせ合い」のヴィジョンがある。
▼全部を「食い物」にすれば死んでしまうが、一部を食わせ合うなら、お互い生き残ることができる。そんなヴィジョン。
 ▼実際、近年では家畜の細胞の一部を採取し、大量に培養。屠畜をせずとも肉を増やすことができる「人工肉」製造のムーブメントが、世界で起きてきている。たとえば…
 https://lab-on.jp/archives/20
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▼もちろん、これだって先述した「そのようにして文明が発展し今がある。しかし、その発展の結果起きたことは、意気揚々としたグローバリズムからの撤退(トランプ)、ブレグジット(イギリス)、欧州の移民排斥、在日排斥、(中略)…共感力が通じない、虚構が共有できない“人間”の締め出しだった。」を生み出した文明の産物ではあるのだが…
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