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#荒俣峡
dtmfree · 4 years
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今シーズンは、雪景色がほとんど撮れなかったので、とても悔しいです。
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umekiti1225 · 3 years
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妖精の森の中で... レンズの向こう側は、ジブリの作品のような妖精の森の入り口でした🌈 日時:23.Mar.2021 場所:小松市荒俣峡 #小松市 #金沢カメラ #金沢カメラ部 #北陸カメラ部 #キリトリセカイ #しんやとよーへい #ジブリの世界 #私だけの特別な日常 #lightroomweek #canonphotography #canon_image_gateway #photo_shorttrip #photo_travelers #photo_japan #tokyocameraclub #写真好きな人と繋がりたい #写真で伝えたい私の世界 #写真撮ってる人と繋がりたい https://www.instagram.com/p/CM4rrGVpfFA/?igshid=f9gzlxbn5i3z
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kofuku-life · 2 years
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石川県小松市の景勝地『荒俣峡』に立ち寄りました。秋の時期のモミジが映えそうでした。
小松市の景勝地『荒俣峡』へ立ち寄りました。観光の方がほかに2組来ていました。秋になると紅葉がさぞかしきれいになるでしょう。 小松市の『荒俣峡』
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naritaharuhiko · 3 years
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小松市にある荒俣峡の紅葉です🍁 https://www.instagram.com/p/CWh6shBvA04/?utm_medium=tumblr
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shakuhachi-kataha · 5 years
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第七回ミニ講座<古典尺八とはなんぞや>
今回の風陽さんの独り言!
 
曲にほど拍子あり肝要也。程を失ふべからず。
静かなるはしずかなるに程あり。はやきは早きに程あり。
曲毎に程拍子同じべからず。能々(よくよく)修行すべし。
 
 
久松風陽「獨言」文政元年(1818)
(禅器尺八を志す者の心得)
 
 
私は師匠に「強弱緩急が肝要!」と何度も言われました。
「何を吹いても同じに聞える」に陥りがちです。
一曲一曲似ているようですが全然違い、一節一節、一音一音、強弱緩急があります。
よくよく修行すべし!です。
 
 
 
さて、今回のテーマは、
 
<古典尺八とはなんぞや> 尺八曲の分類と流派
 
 
参加者の方から「そもそも古典尺八って何ですか?」というご質問をいただきました。
と、いうことで今回は、自分たちの吹いている曲の立ち位置を理解していただこうと思い、なるべく分かりやすくご説明していこうと思います!
 
 
 
尺八曲は本曲と外曲の二つに分けられます。
本曲とは尺八のためだけに作られた曲で、
外曲とは尺八およびその他の楽器の為に作られた曲(三曲、民謡、詩吟など)。
 
 
本曲は「古典本曲」と「尺八本曲」に分けられます。
 
 
 
「古典本曲」は、本手、破手、托鉢などに分けられます。
 
 
 
本手とは、最も古い曲とされている古伝三曲(虚鈴・霧海篪・虚空)や、調べ(調子、一二三調)や、修行曲(鈴慕など)。
破手とは、転管垣、三谷菅搔、吾妻獅子、三谷、鶴巣籠、等々。
托鉢とは、流し、門付、鉢返しなど。
 
 
 
「尺八本曲」は各流派の本曲などです。琴古流本曲、都山流本曲など。
 
 
こちらは葛山幻海著「まるごと尺八の本」参考にしました。図も記載されているので詳しくはこちらの本をご参考になさって下さい。
 
 
古典尺八楽愛好会では「古典本曲」を習得します!
 
古典尺八楽の呼称については、
従来普化宗に伝わる尺八楽を「古典本曲」又は「普化楽」と称されている。普化楽は「普化宗の尺八曲」という意味では良いが一般の人からは分かりにくいので「古典尺八楽」と呼んいます。
 
 
 
「虚無僧が吹いてたといわれる古い曲」と言うのが一番分かりやすいかもしれませんね。
 
 
 
では、
本曲にも流派がさらにあります。
 
本曲の流派
東北系  錦風流根笹派 松厳軒派 布袋軒派 臥竜軒派 蓮芳軒喜染軒
北国系  越後中の原、明暗寺派 越中富山、国泰寺派
関東系  一閑流 琴古流 伊豆竜源寺派 浜松普大寺派
京系  明暗流(真法流)
九州系  博多一朝軒派 久留米林棲軒派 長崎正寿軒派
(飯田峡嶺「尺八課外読み物」参照)
  
 
 
そして普化寺の諸派。
 
  
諸派普化寺院
斯詮派(キンセン)  下総国 一月寺<総本山> 20カ寺
火下派(カッソウ)括総 武蔵国 鈴法寺<総本寺> 15カ寺
寄竹派(虚竹・キチク) 山城国 明暗寺<寄竹派本山>   7カ寺
梅地派(梅士・ウメジ) 下野国 松岩寺<梅地派本寺> 11カ寺
小菊派(コキク) 下野国 長全院(寺)<小菊派本寺> 10カ寺
根笹派(ネザサ) 上野国 慈常寺<根笹派本寺> 4カ寺
不智(知)派    陸奥国 鈴沢(鐸)寺<不智派本寺> 22カ寺
水戸八カ寺 常陸国   8カ寺
無派独立  山城国 吸江庵
不明   6カ寺
国泰寺派 越中国 国泰寺
 (値賀 笋童「伝統古典尺八覚」参照)
 
 
 上記の寺数は105ヵ寺ですが…
 
 
 江戸時代には虚無僧寺が全国百二十余カ寺。
 
 
「慶長之掟書」によると、尺八は普化宗の法器。武士だけが虚無僧になれる。と明記されていたが、それは建前。
 → なぜなら檀家が無いため資金源が必要。指南所を開いて町民に教えた。
次第に町民に吹奏技術が広まり外曲に力を入れた流派が生まれる。
 
・尺八吹合所(関東)→黒沢琴古 琴古流 
・尺八指南所(関西)→近藤宗悦 宗悦流     
 
 
これが尺八流派のはじまりです。
 
 
1871年(明治四年)普化宗廃宗→寺宝は別寺へ。還俗。元虚無僧ほとんど記録無し。
 
 
なんと、悲しや…
 
 
新政府側から尺八そのものも無くなる勢いであったが吉田一調(尺八三曲会の中心)が説得。
その後1890年樋口對山が明暗教会設立し虚無僧活動を行う事が許された。
 
 
(明治政府にとっては虚無僧は隠密を働いていたという目の敵! よくぞ説得してくださいました笑)
 
 
 
と、いうところがざっと流派が出来る頃の説明となります。
 
さて、次はその流派についてです。
 
 
琴古流
江戸中期、福岡の黒田藩は天領(幕府直轄領)長崎の警護を拝命していたので、一部の家臣団を長崎奉行の指揮下に派遣していた。その中に下級藩士の子息で黒田幸八という熱烈な尺八愛好者がいた。1728年19才、長崎の括惣派玖崎寺(38年後松壽軒改称)の一計(一計子)という虚無僧から七曲習得。後転勤して江戸詰となり幸八は鈴法寺の市ヶ谷番所、一月寺の浅草番所等で研鑽積み黒沢琴古となる。その後4代続いた後、細かく会派が別れ現在に至る。
 
 
明暗流(明暗真法流) 
寄竹派明暗寺古伝 一節切から派生。
俣野真竜(昭和初期まで四代)
尾崎真竜→津野田露月(九州常通寺住職)、勝浦正山(京都で虚無僧。対山流支部長)代途絶える
近藤宗悦 → 小森隆吉 → 中尾都山(都山流)
 
 
竹保流 
前身は明暗真法流と近藤宗悦の宗悦流。寄竹派の曲とフホウエ音符を護持。
近藤宗悦(幕末の大坂で外曲〈三曲合奏〉を主として活躍)→ 上野雲翁 → 藤原松調 → 酒井竹保
 
 
明暗對山流 
斯詮派一月寺 → 浜松普大寺 → 名古屋西園流 → 京都明暗寺教会
1856年生まれ鈴木治助が兼友西園に尺八学び鈴木孝道と称したが、1885年(明治18)30才の時に西園流本曲十一曲携え京都に出て、鈴木対山と名乗り明暗教会の設立に尽力、生田流箏曲(京流)に堪能な樋口家に入籍し樋口対山となる。その後上京して荒木古童、滝川中和から数曲習得、その後奥州流や一朝軒伝曲等とり入れ、自分流に製曲し晩年には30数曲になる。1950年(昭和25)宗教法人明暗寺認可。東福寺塔頭・善慧院(たっちゅうぜんねいん)内に明暗寺再興。
 
 
西園流
名古屋に斯詮派浜松普大寺の番所があった。1818年名古屋に生まれた尾張藩士、兼友弥三衛門盛延は恐らくこの番所で尺八を習った。普大寺の住職梅山玉堂についた。
(岐阜護国之寺では、竹内史光師にゆかりある門人が集る「尺八本曲愛好会」が半年に一度行われています。そこに西園流の方も参加されています。そこで大釈艸園さんに会うのを楽しみにしていましたが、もうお会いする事が叶わなくなりました。本当に残念です…。尺八界の名手、大御所がどんどんいなくなってしまいます😭)
 
 
錦風流 根笹派→弘前藩
 
 
【奥州系】布袋軒
【越後系】越後明暗寺
【九州系】博多一朝軒、長崎正寿軒、等
 
 
以上、簡単に書きましたが、その枝葉はもっと広がっているかと思います。
 
 
 
 
第七回ミニ講座、ご参加くださった皆さまありがとうございました。
「何を吹いているの?」と聞かれたら説明出来るようにと思ってまとめたつもりなんですが、かえって分かりにくくなってしまったかも!
 
疑問があったら自分で調べてみてくださいね♪
 
 
 
  
以上、<古典尺八とはなんぞや!>でした。
 
 
 
。。。
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getsuryoukai · 5 years
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2019.8/9〜8/15 南アルプス縦走
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南アルプスを南から北へ縦走してきました。 メンバー:桑田(記)
1日目(8/9・金) 寸又峡温泉〜朝日岳〜三方嶺手前(9:00〜19:00/10時間行動) 静岡駅に前泊。東海道線、大井川線、バスを乗り継ぎ寸又峡温泉に到着。朝日岳を目指す。急登、虫、クモの巣、暑さの四重苦。朝日岳から先は登山道がない。山頂でコンパスを切って進行方向を決める。登山道がないとはいえ、過去は登山道として使われていいたのか、仕事道として使われていたのか、色褪せたピンクテープが付いていたり、なんとなく踏み跡があったりする。それでもやはり一般登山道と比べると道はないも同然なので、何度か違う尾��を降ってしまった。地図読みで一番嬉しい瞬間は、道を間違えたことに気づいて、本来のルートに復帰できたとき。頭フル回転で、この日は19時頃まで歩いて三方嶺手前の幕営適地にて幕。
寸又峡温泉をスタート
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朝日岳から先の道。昔は道があったのかもしれないが今は廃道
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2日目(8/10・土) 三方嶺手前〜大根沢山〜信濃俣〜百俣沢ノ頭〜光小屋(5:30〜19:00/12時間30分行動) この日も百俣沢ノ頭までは登山道がない。昨日に比べると踏み跡は明瞭だが、大根山からの下降は地形図を見てあらかじめ予想していた通り、結構わかりずらかった。ここもコンパスを切って慎重に下降した。百俣沢ノ頭からは一般登山道に合流し、光小屋まで行く。
光小屋キャンプ場へは19時到着
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3日目(8/11・日) 光岳〜茶臼岳〜聖平小屋(6:30〜12:30/6時間行動) 昨日までの二日間ハードだったので、この日の朝はゆっくり始動して、早めに行動を終了した。一般登山道は昨日までのルートに比べると高速道路のよう。なんの苦もなくこの日のゴールである聖平小屋に到着。
光岳。小屋泊の人たちが御来光を拝みに登ってくる。
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茶臼岳
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4日目(8/12・月) 聖平小屋〜聖岳〜赤石岳〜荒川小屋(3:30〜13:30/10時間行動) 天気は安定していて、この日も黙々と歩く。荒川到着が13:30で、先に進むかどうか迷ったが、この先の幕営可能まではかなり距離があり、到着が遅い時間になってしまうので今日はここまでとした。
聖岳東尾根。冬にいかがでしょう?
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赤石岳
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5日目(8/13・火) 荒川小屋〜悪沢岳〜小河内岳〜三伏峠(4:00〜14:00/10時間行動) この日も三伏峠から先に進むかどうか迷う。昨日と同じ理由で本日の行動はここまでとした。幕営指定地に縛られるのは一般登山道を使っている以上、仕方がないが、最初の二日間に比べ、一般登山道に入ってからは、ただ歩いているだけで、何もチャレンジしてないのがもどかしい。明日は、超早立ちで一気に北岳のピークを踏んで下山してしまおう、という気持ちになってきた。
悪沢岳。この日は朝から雨。
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雨があがった!
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6日目(8/14・水) 三伏峠〜塩見岳〜三峰岳〜仙丈ヶ岳〜北沢峠(1:00〜18:00/17時間行動) 深夜1時に三伏峠を出発。この日の天候は朝からガスと風。真っ暗の塩見岳を通過して熊の平小屋へ。ここで小屋の方から広河原から甲府へのバスが雨で止まるかもしれないという情報を得る。北沢峠の方がバスが止まる可能性が低いということで、下山地を北沢峠に変更して仙塩尾根を仙丈ヶ岳目指して急ぐ。歩きながら、どうせ北沢峠に行くなら甲斐駒ヶ岳に登って黒戸尾根から下山した方が、南アルプスが南北でつながってスッキリするのではないかという考えに行き着く。終日雨と風の中、この日は17時間行動。
塩見岳には5時到着。風雨で誰もいない。
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仙塩尾根で仙丈ヶ岳まで。
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7日目(8/15・木) 北沢峠〜甲斐駒ヶ岳〜竹宇駒ケ岳神社(6:30〜14:30/8時間行動) 今日は甲斐駒ヶ岳に登って黒戸尾根で降りるだけ。朝からずっと雨で人気の甲斐駒だけどひとりの登山者とも出会わなかった。
甲斐駒ヶ岳。思えば遠くへ来たもんだ。
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今回の縦走では、食料は全て自分で背負って、山小屋ではジュースとビールのみ購入した。食料は生米を炊いて、自家製の肉味噌をおかずとした。肉味噌は最終日まで問題なく食べることができた。 縦走の途中で、大学山岳部と思われる集団とすれ違った。90リットルザック満載で黙々と歩いているのが妙に格好良く感じた。また、TJAR(Trans Japan Alps Race)に出場するような感じの人たちもたくさん見かけた。どちらも素晴らしい登山スタイルだ。この両方のスタイルを融合した「heavy & fast」を目指していきたいと思う。
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kazuikkot · 7 years
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荒俣峡
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