Tumgik
#赤い夕暮れや静かな雨雲に見ても嬉しくなんなくて、落ち着かないぃ
jinruihokankeikaku · 11 months
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もしも願い一つだけ 叶うなら……
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yagaikatsudo · 4 years
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北上川カヌー単独行② 盛岡~花巻
1997年9月23日~26日 4日間 3日・4日目
■3日目
7時起床。寒い、快晴、息が白い。 昨日までの寂しい風景が一変して輝いている。 作業服を着た土建屋のオジチャンが出勤前に釣りをしている。寒いですね、と言うと、今朝は10℃切ったからなぁ、と言った。 ラーメンを食い、テントを撤収、カヌーに荷物を詰め込む。困ったことに昨日、雨が降ったのに一昨日より水量が減っていて、カヌーをエントリーする場所の斜度がきつく、滑って川に落ちそうになる。すったもんだの末、ようやく川に漕ぎだすと、一部始終を橋の上から見ていたオバチャンが笑いながら「頑張れや~~」と見送ってくれた。今日は4名から「気ぃ~付けて~」「ご苦労さんやの~」と声援を送られたが、みな、ジイサン、バアサンだった。北上の川沿いに住むうら若き女性たちよ、今度赤いカヌーを見かけたら黄色い声で声援をよろしく。ビールなんか差し入れてくれたら更に嬉しい。 川の流れは穏やかだった。僕はなるべく漕がずに周りの木や田んぼ、泥岩の崖を眺めながら下った。 上半身を後ろにそらせば秋晴れの空が目に沁みる。カルガモの群れが突然現れたカヌーに驚いて、フガフガ鳴きながら飛んでゆく。
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↑泥岩の崖
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川幅広くなり大河の様相を呈してくる。時速5キロぐらいだろうか、クルクルと回るカヌーの上で、僕はユラユラと流されてゆく。ひたすらいい気分だ。
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後ろ向きに流されてゆくとゴツンと何かにぶつかったので焦った。水面ギリギリにある隠れ岩だ。パドルでバランス取り問題なし、再び流されてゆく。 東北新幹線の鉄橋の下をくぐり、右手に花巻空港に向け着陸態勢に入ったJASの機体を眺めながら行くと大正橋。 橋脚の向こうにしぶきを上げる瀬が見える。右を行けばたいしたことなさそうだが、久々の轟音に血が騒ぎ左を攻めた。しかし恐ろしいことにそこは50cmぐらいの落ち込みで、沈はしなかったが船底を思い切りこすってしまった。おまけに顔面に冷たいしぶきがドヒャッとかかった。
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次の井戸向橋で上陸、船底は補強に貼ってあったガムテープが裂け、本体の布も少し擦り切れていた。セメダインとガムテープで応急措置をし、乾くまで昼メシ(菓子パン)とする。
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再び出発。 川の両岸はジャングルのように鬱蒼としたり、突然、ヨーロッパの田園風景のようになったりと、様々な表情を見せてくれる。スメタナのモルダウなど口ずさみながらユックリ流されてゆく。 平和だ、そしてシアワセだ。思わず僕は天を仰いだ。
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そんな風景の中をしばらく行くと、川面から飛び出た岩の上で何かが光った。何だろうと思ってカヌーを近づけると、それは60cmはあるスッポンだった。スッポンは岩の上で気分よく昼寝をしていたのだ。光って見えたのはその立派な甲羅だった。野生のスッポンを見るのは初めてなので僕は独りで静かに興奮した。当のスッポンは昼寝を邪魔され、うざったそうな顔で僕に一瞥してスルスルチャポンと水の中に消えていった。 僕は急に腹が減った。スッポンを見てスッポン鍋を思い出してしまったのである。こう書くと、何て卑しい、あさましいと思うPTAのようなつまらない方もいらっしゃるだろうが、僕の育ちはそんなモンだから仕方がない。
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↑大河の雰囲気
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次第に雲が多くなり川の上を行く風も冷たさを増してきた。 少し力を入れて漕ぐ。大きく右へカーブしたところへ差し掛かると、そこには地層が幾つも重なった泥岩が連続していて、不思議な眺めだった。これを過ぎると花巻大橋、更にその向こうにはJR釜石線の鉄橋も見える。あの2つを越えれば今日の目的地、花巻ももう少しだ。怪しくなってきた空を眺めながら僕は漕ぎ続けた。
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花巻大橋を越え、釜石線の鉄橋が近づいてくるとゴーゴーと激しい瀬の音が聞こえてきた。カヌーの両脇に腕を立てて自分の体を持ち上げ、少しでも先が見えるようにする。 ”う~~、すごい瀬だ。2級と3級の中間ぐらいだなぁ、やだなぁ~。そう言えば何年か前、あそこで地元の漁師が死んだって本に書いてあったなぁ”と狼狽しつつも素早くコースを選ばなくてはいけない。 ゴ~~~という音が段々と大きくなり僕をビビらせる。エライコッチャ、エライコッチャと焦りながらカヌーを瀬に対し真正面に向け、下っ腹に力を入れ〝行くぜ”と呟き選んだコースに突っ込む。 その刹那、滅多に通りそうにない2両編成の釜石線が頭上を走って行く。チラッと見上げると小学生らしき男の子が、僕を見てアッというような顔をした。僕も目が合い、アッというような顔をしたが、目の前には荒れ狂うような瀬がオイデオイデしている。 次の瞬間、体が大きく跳ね上がったかと思うとすぐに叩きつけられ、顔面に冷たい水がぶち当たる。「ウヒョ~~~~~!!!」僕は我武者羅にパドルを漕いでバランスを取った。気が付くと無事に瀬を脱出していた。 それは一瞬だったが、日頃緊張感のない生活をしている僕にとってなかなかのスリルだった。 空はいつしか曇天となり、僕は宮沢賢治が名付けた花巻のイギリス海岸の端っこへ上陸した。盛岡から約45キロだ。 イギリス海岸とは渇水した時のここの河原の風景が、イギリスのそれと似た泥岩の奇観を呈していることに由来するそうだ。ただ、この日は水かさはあったため、その姿を見ることはできなかった。
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コスモスの咲く芝の上にテントを張っていると、観光客らしきカップルが写真を撮りながら冷たい視線を僕に投げかける。キキーッとタクシーが停まり、出てきた運ちゃんが、熟年フルムーン夫婦にガイドしながらこちらをチラチラと見ている。イギリス海岸はもっと向こうのはずなのに、何でみんなここへ来るんだろうと不思議に思っていると、近くの看板に「ここがイギリス海岸」と書いてあった。 端っこだと思っていたのはこちらの勘違いで、僕は宮沢賢治ゆかりのイギリス海岸のど真ん中にテントを張っていたのだ。 しかし、その芝と言い、コスモスと言い、眼下を流れる北上川と言い、そのロケーションは野宿者憧れの、と言った感じなので僕は死んだふりをしてテントを張った。見方を変えれば観光客ご一行も、「おお、さすがイギリス海岸、カヌーにテント、実にブリティッシュ、絵になりますなぁ」等と言いながら、パシャパシャ写真を撮れば良いのである。 まぁ、でも、そこに佇むのは、ど~見ても薄汚い三十路ジャパニーズの僕なので、実にブリティッシュ、とはいかないか。。。 街に出る。 見知らぬ街をウロウロするのは好きだ。何となくその土地の雰囲気が路地裏から伝わってくる。30分も歩けば、そこが自分の肌に合うところかどうか何となく分かってしまう。不思議なものでアチコチ旅してきたせいか、そんな風になってしまった。 そして花巻は良いところだった。何となく懐かしい気持ちにさせてくれるからだ。 公衆電話で明日の天気予報を聞く。70%雨。土地の人に尋ねても雨。 僕はあっさりこのカヌー旅の打ち止めを宣言した(誰も聞いてないが)。 もうすっかり「雨ニモ負ケテ、風ニモ負ケテ・・・ソンナ人ニワタシハナッテル」という気分だ。 ついでに明日は温泉!ということも、これまた別に誰も聞いていないけど宣言してしまった。花巻には幾つもの秘湯があるのだ。やっぱり旅の終わりは温泉に限る。 こうなったら後は酔っぱらうだけである。北上の流れを見ながら、戻りガツオのタタキとツブ貝の刺身を肴に、一番搾りをグビグビ飲む。ウマイ!シアワセ。 川の近くで生まれ育ったせいか、川を見ていると落ち着く、ビールがあると更に落ち着く、カネが無くても腹が減ってても落ち着く。 日が暮れてテントに入り、ヘッドランプの光を頼りに本を読み、ウイスキーを舐める。シアワセ。 いつの間にか眠ってしまったが、途中、雨音で目が覚める。ポタポタというテントに当たる雨音が気持ちいい。そして雨音は僕を再び眠らせた。
■4日目
雨の中、テントとカヌーを撤収。昨日頼んでおいた宅急便のトラックが取りに来てくれる。 電話で「イギリス海岸にいる服部です」と言うと、応対してくれた女の子が真面目に「では、明日午前中にイギリス海岸に伺います」と言ったのが可笑しかった。それに宅急便の運ちゃんも何故か、「どうぞ」と言って三色パンをくれたのも可笑しかった。 温泉は数ある秘湯の中から、案内所のオバサンが勧めてくれた大沢温泉にした。花巻駅からバスで1時間、山合いの渓流、豊沢川に面した一軒宿の露天風呂だ。 建物は宿のオヤジも知らないと言うほど古く、休憩室には、ここへ遊びに来た少年時代の宮沢賢治の写真もあった。湯治客が多いため障子で仕切られた和室がたくさんあり、その間の細い廊下を縫うように行くと渓流を臨む混浴の露天風呂。ここでも圧倒的にジイサン、バアサンだが、雨中の風呂は最高である。 この宿は素泊まり2,000円、夕食1,500円から、布団300円、毛布100円、ストーブ700円、枕10円など、細かく料金表に書いてあった。 花巻駅に戻り、〆として立ち食いそば屋で450円のじゃじゃ麺を食う。みそダレが美味い。 高校生の集団と一緒に鈍行列車に乗り東京を目指す。 またいつか、続きを下りたい。 終                           
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