Tumgik
#amwriting writing 日本語 散文 詩 music
notenoughtoplay · 4 years
Text
a letter of sorts vol. 16 あらゆる面で吠えつづける星たち(未完の詩)
(2021年3月24日、以下の文に記したバンドの最初のドラマーが亡くなったことを日本時間同月25日の朝SNSで知りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます)
花をたっとぶにはたっとい花のたとえばなしから。    たっとい花を  そのたっとい花の名を  おぼえていよう  おぼえていなければいけない    その花を  そのたっとい花を  知らない人がいるなら  伝えなければいけない  たっとい花の名を伝え  たっとい花について伝えなければ    思い出してから  その日も次の日も  たっとい花のバンドの名を  SNSで検索してみる  毎日投稿は増えていく    誰かしら 世界のどこかで  たっとい花のはなしをしている  たっとい花のうたう歌が好きで  たっとい花のタップする足を思い出しながら聴く  たっとい花のうたう言葉が大好きだったのに    しばらく  それもずいぶんと長くしばらく  たっとい花のことを忘れていた    話題になった小説を読み終えて  ふとたっとい花のことを思い出した  たっとい花をたどって  トンネルの先の光に向かっていく
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 その人は唄った。  石鹸とスープと救いの歌を高らかに。  ひとつの才能はみんなへの贈り物とも。  運命は不親切で  ドアを閉めたカギは置いていかないとも。    表紙の厚いマルマンのノートに、  その人の歌を記してた。  「こんな気持ちが罪なら私は有罪になる」。  ノートはどっかにいっちゃったけど、  筆圧だけは残ってる。    そのレコードから36年。  その人は唄ってる。  偶々(ということにしておいてくれ)、  その人のことを、  その人の歌を思い出すことがあった。  偶々さがしてた歌の横にあった。  そしてそのまま、  さがしはじめた。  動画サイトにはデビュー前の録音もあって、  バンドの頃もソロになってからも、  38年分の歌声を聴けた。  思ったよりずっと、  簡単に聴けた。  その人のsinging、その人のsoul、その人のsaintliness。  いや、それは大げさだな。  では言いなおして、  その人のsinging、その人のsoul、あとその人のChristianity。  これは知っていた、多少なりとも知っていた。  昔は見る機会が少なくてわからなかったことを、  いまになっていくつも知ることができた。  その人のstep、その人のspoken words、  と、  昔は好きになれなかった、その人の (the hit) single。  気づいてから何度も聴いている。  長かったことに気づいてから。  そして、  長く忘れていたことを悔いあらためながら。  長かった分の反動だろうか、  その人のstageを見る。  次の日もその人のstageを見る。  次の日もその人のstageを聴く。  次の日もその人のstageをさがすために  こちらはstareしつづける。  それはその人の目ヂカラに負けたくないとか、  そんなつもりではない。
 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 ポスターとかさがせばあったのかもしれないけど  買って壁に貼ってた記憶もない  発売日にレコードを買いに行ったのも  ソロになるまでなかったはずだ  ロッキンオンに載ってたピンナップは  切って持ってた記憶もあるけど  ケースに入れて下敷きにしてたとか  そんな記憶もない  (そもそもあの頃、もう下敷き使ってなかった気もするな)  FMステーションについてたカセットサイズの写真を  ケースの表に入れてたのは  最初は貸しレコード屋で借りてきたという  事象の現れでもあるわけで  僕はまぁそのくらいのファンでしかない  ほかのたくさんの大好きだったアーティストと  その人との違いは  その人のレコードには歌詞の訳がなくて  ノートを作らざるを得なかった  そんなノートを作らせたのも  雑誌が出て半年たってから  あの25文字に気づいたからだった。  誰があの25字を書いたんだろう。    ほかのたくさんの大好きだったアーティストと  その人との違いは  詞のノートを記した  それだけのことだ。    その人には失礼かもしれないけど  その人がバンドをギリシャ悲劇の幕間のサテュロスに譬えようが  母親との折り合いがいかに悪かろうが  厳密には自分はレズビアンで、とつぶやこうが  わりと僕にはどうでもよくて  (僕に人の感情も嗜好も厳密になど区切れないってことを教えてくれたのはあなたの詩と歌じゃないのってことくらいは思うけど)  その人が歌をとどけてくれれば  その人がstageで唄ってくれれば、  それでいい。  まぁ、そのくらいの水準のファン。    動画サイトにはコメントをつける人がいるから、今もって  その人が愛されていることも  その人の歌を渇望する人がいることも  その人が悲しみを詩に昇華して  それを讃える人がいることも見える  そんな言葉を目にできる今は昔よりちょっといい時代かもしれない  でも35年は長い  ちょっと思い返すとつらいことがあって  この前その人が来日したときのライヴをみていないのだ  その頃もうTwitterははじめてたけど  観られなかったとかつぶやいてもない  あの時、たしか電車の中吊り広告  会場のライヴハウスの広告で知った  行けなかった理由など思い起こしてもみつからない  その時自分が失業してて  行くお金がなかったんだだけの話  だから忘れたかったんだ  少なくともその時は  だからその人のライヴには  いまだに27年前の晩冬の一度しか行ったことがない  あの頃はネットもなかったから  どの曲を演るかなんて調べようもなかった  だからあの時  演るわけないと思ってたバンド時代のテーマ曲を演ってくれて  うれしかった  出だしのコールに  僕も客席からレスポンスでこたえた  あそこで叫べるのはうれしかった  けど27年経つと感触もちょっとおぼえてなくて  その頃のライヴを聴きながら  ぼやけた画で心象返しを試みる    その人は生まれた「大陸」国より  「島国」で人気が高い人  「島国」とその近辺の大陸での大ヒット曲も  生まれた「大陸」国でヒットしていない  どうやら「島国」周辺の多数の人に  その人はナツメロの一発屋歌手と  いまだに思われてるらしい  でもその人は「大陸」の西端の  イイトコの出のひとなんだ  だからバンドのテーマ曲は  「エデンの東」だったのである  その人がなまじ歌がうまいもんで  みんな「歌手���だと思っちゃう  世の大勢は「シンガーソングライター」って  もっと歌がヘタでボソボソ唄うと思っちゃう    その人は世の中におけるふたつの術語  「歌手」と「シンガーソングライター」への  思い込みを可視化してくれる人  時に低く時に気まぐれに高い両者の垣根を  ときおりかるがる越える人    動画サイトで音だけ入った  その人の素晴らしいライヴを聴いた  そこに誰かがコメントつけてて  僕の気持ちをそのまま言ってた    「彼女がそこにいて、足で床をたたいて脚を揺らしてギターひっかきならす時。もうただほかにこんな人はいないよ!このライヴにはそこが全部入ってる!」    このコメントが好きな点は  「足」の話からはじまる点で  なにしろその人がバンドにいたときは  ライヴは観られなかったのだから  やむなく同じひとつのライヴをヴィデオでくりかえし観てたから  だいたいわかってはいたんだけど  言われりゃあの左足と右脚を  やはり思い出してしまうワケで    その人が厚底靴の左足で  床を(どんっどんって)たたいて  右足だけで踏ん張っているのに  しだいに脚だけが動き出すとき  ああ、やっぱりこの人はリズムギターを弾いてうたう人なんだなって  そのうたう姿をみながらこちらもひっそりと思うワケで    もう30年以上前だけど  その人がソロになってまもない頃  なんでそんな痩せてないといけなかったんだと思う頃だけど  深夜のジャズ番組に  それこそダロウェイ夫人ばりのパーティドレスで  ヴァン・ダイク・パークスと共演して  リトル・フィートのあの靴の歌をうたうとき  あのとき画面の下のほうに  わずかに足がうつってて、なんか  「クラリッサはそのとき、なにか居てもたってもいられないものを感じた」みたいな  歌に入る時に床をどんっとたたいたあの画が忘れられない  なにを唄ってもうまいんでよけいに忘れられない    そこから28年ほどたって  その人がセント・パトリック・デーに  「島国」の教会の前でうたう動画をみた  「最近この曲うたってないんだ、  だってロックンロールじゃないもん」って言ってから  そのときから27年前の大ヒット曲を  ひとりギターを弾いてうたった  27年前とかわらない  というか27年前よりうまいんじゃないか  なんて思ったとき  その人の左足がどんっ、どんっ、どんっって  床をたたくのを見たときに  手前勝手に泣いてしまった  ほんとうに手前勝手に泣いてしまった    陸から陸へ  父から子へ  土でも砂でも  過ぎ去っていく    その人が36年前にうたった歌を  これも手前勝手に思い出す    誰があの25字を書いたんだろう。
 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 これは長篇詩になっていく 35年分の詩になっていく 35年をぶつけるのに200行を越えちゃったけどぶつけるだけでは誰も読んでくれないので詩のかたちにしているだけ  この長篇詩はまだ続くけど 未完の経過をあげておく 終わりかただけは決まっているので 終わりもつけてあげておく その人のうたう姿が大好きだ その人の歌が大好きだ
0 notes