Tumgik
#maitanaka
tanamaphoto · 5 years
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【Blog】最終回の女
生まれては消えゆく、のか?
生まれて生まれて生まれて
膨らみ続けていく新しいものを前に ほとほと疲れてしまった。
今年の芥川賞は現代社会の孤独を独自の視点で切り取ったセンセーショナルな作品です、
とかもう何回も聞いた気がするし、 出版不況とはいえ作家はいなくならないし、
作家でなくても最早媒体を選ばずどこでだって自己を主張できる。
溢れて拡散されて続ける言葉、場所を選ばず吐き出され続ける映画やドラマ、
機械にハッピーバースデーを歌わせたり、 時計がわたしの心拍数を知っていたりするなんて。それが当たり前になってきているなんて。
ぎょっとする。
もっと健康的な生活を送りましょう、とでも言われるのか?
「新しくいなくてはいけない」と誰に脅されたわけでもないのに、 右向け右の集団心理からドロップアウトしてみたら
何だかすこんと大きな穴にでも落ちた気がする、見上げた空は青い。
あんなに好きだった音楽や小説も、 前線から身を引いた途端に心が必要としなくなった。
ひさびさに親友に会う。
何を境にか、友人達の会合にぱたりと顔を出さなくなった彼女には年に数回会う程度。
SNSをやらない彼女だけど、
お互い何の気なしに「元気か?」と連絡をとることもあるし、
まあ元気でやっていることは知っているからわたしたちはいつもどこか安心しきっている。
「だってあの人たちは、あまりに幸せそうだから」
出不精になった彼女は、その理由をしずかに口にした。
わたしは深く息を吸う。
そうなんだよな。
人生を前進も後退もしていないわたし達は、誰にそう言われたわけでもないのに あらゆるものに取り残されたような気持ちになるのだ。
そうなんだよな。
久々に話題の作家の小説を2、3読むとそれはそれで面白い。
電車の中でも、歩いている時も没頭して読んでしまい、また本の虫であったころの自分のように そこにある精神世界に逃げ込もうとしていることに気がつく。
わたしには、小説の結末を最初に読むという癖がある。
変わっている、らしい。
本好きの友人に言うと本気でムッとされることもある。
何事も、終わりが先に見えないとがまんならないのかもしれない。
終わりを知って、ああそうか、と納得したうえで、自分の身の振り方を決められたらどんなにいいだろうか。
未来に行って、自分が死ぬところをみたいとも思ったこともある。
前進も後退もしない、というのはしんどいものだ。
すこんと空いた大きな穴。
昨日久しぶりに会った昔の恋人は 相変わらず香水のにおいがきつくてむせ返りそうなほど。
隣にいる自分の血も、細胞もそのにおいになっていくような気がした。
そのひとはお風呂に入る時にかならず
わたしの頭を洗ってくれた。
小さな子どものようにわたしを大切に大切に扱ってくれて、お付き合いをはじめた当初のわたしは面食らったものの
その様々な、ユニークな愛情のあらわしかたに毎度胸を高鳴らせたものだ。
友人界隈では、彼は
「頭を洗ってくれる人」と呼ばれていた。
5つも年上なのに、いつも手を繋ぎたがって
歩いている途中で解くとひどく怒った。
だけどわたしが何歳かも、どこで、いつ産まれたかも、覚えないような人だった。
今は、一緒に乗る電車の座席も、なんとなくお互いに所在がなくって
一席分の空白を空ける。
余白、や空白、スペース、と呼ばれる以上のすこんとした何かが確かにそこにある。
Tumblr media
安いインスタントの白黒カメラで。
目の前では昔から好きな女性アーティストのライブが間も無くはじまるところ。
終わったあと、わたしはどんな気持ちでいるだろう。
さみしい気持ちでなければいいな、と少し思う。
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tanamaphoto · 6 years
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【Blog】台風21号
大きな台風が来た。
私はその時翌日に控えた仕事のため奈良に宿泊していた。
やんごとない理由で、台風が直撃するというのに翌日の仕事が避けられなくなった。それを決定した関係者に 心の中で ボディーブローをかましたのは言うまでもない。
嫌な予感がずっとしていたけど、予報通り今世紀最大、というその
「平成最後の夏」の台風は関西を直撃して、
トラックを横転させたり、民家のベランダごと吹き飛ばしたり、街路樹をなぎ倒したり、橋を壊したり
平穏な風景を表情も変えず壊して行った。
嫌な予感通り、わたしは大混乱の新大阪駅に取り残され、
その日中東海道新幹線はまったく動かなかった。
ひとり、何度も訪れてるとは言え知らない土地に取り残され、
ぽつねんとしたわたしはパソコンのコードが使える某ハンバーガーショップで仕事をしたり、たまにトイレに行ったり、
少しだけお酒を飲んだり、待合室で何を考えるでもなく佇んだり、
思いつく限りの時間つぶしをして新幹線が動くのを待ったけれど、だめだった。誰かと話しをしたいな、と思って、
肉まん屋の女性店員に話しかけたり、居酒屋の女性店員の屈託ない笑顔に
疲れたほほえみを返したり、そんなことをしていた。
ほとんどの店が臨時休業でシャッターを下ろした新大阪駅には、
まるでジブリ映画に出てくるみたいな、
大きな綿埃が床をごろんごろんと転がって行って、
生命を得たようにうごめいていた。
異様な光景。
逆らえない大きな力に両腕をもぎ取られ、自由を奪われて、
そこのない海をバタ足で泳ぎ続けるような
紳士然とした絶望が冗談のように続いてく。
今年はとりわけ天災が多い。連続する報道にすっかり心を消耗していた矢先、
自分がまさに渦中の人となって
すっかり途方に暮れてしまった。
7時間ほど駅で待機したのち、あきらめて心斎橋のカプセルホテルを予約した。
もっと良いホテルを取ればいいのに、と言われたけれど
疲弊しきっていたため、余計な景色のな��カプセルルームの方が熟睡できると確信していた。
交通機関は完全に麻痺していた。
新大阪駅から心斎橋まで徒歩1時間半、というiPhoneの表示にぎょっとしつつも、
スーツ姿で、大きなリュックを背負ったわたしは迷うことなく歩いて行った。
雨風は病み、空はすました藍色をしていた。
大きな橋を渡り、傷ついた大阪の街をどんどん歩く。
東日本大震災が起こった日を思い出した。
その時もわたしは、「ただごとではないことが起こった」に違いない街を一瞥し、甲州街道を一心不乱に歩いた。
わたしはあの時の東京の景色も、大阪の景色も忘れない。
カプセルホテルで蜂の幼虫のように小さくなって、無機質な天井を眺めた。
やっぱり自分が見た景色を忘れてはいけないと思った。
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