Tumgik
taiheitakei-text · 1 month
Text
やる気でねえので窓を磨きました。綺麗な窓は夜に映える。日が沈むのがたのしみだ。
0 notes
taiheitakei-text · 2 months
Text
モリオカの拾い猫のその後
足繁くモリオカに夜ごはんを食べに行っているが、その都度拾った猫は変わりないですか?という話をしており、先週行ったときは店のバックヤードに猫用の小さな部屋をつくったそうで、その部屋の見守りカメラの様子をタブレットに写したものを店主さんがテーブルにパスタと一緒にサーブしてくれ、画面越しに丸まった猫の様子を見ながら夜ごはんを食べたりした。そして今日はカイくんとユカリさんと食べに行くと、わたしたち以外のお客さんがいないのもあってか、おまけのプリンと一緒に「だっこしますか?」と聞かれて「ヤッタ〜お願いします。」というとバックヤードから猫が抱えて運ばれてきてプリンを食べながら3人で猫を順番に抱っこした。ようやく名前が決まったらしく「名前を考えるときに偶然あったこれが目に入って、、」といい上毛かるたを手に持った店主さん。この猫の名前は かるた としたらしい。久しぶりに直に見るかるたは拾われた日から見違えるほど綺麗な姿になり、目の怪我もだいぶ小さくなっていた。わたしたちはまじでかわいいね〜といいながら、猫とじゃれつき、最初は久しぶりに店主以外の人にだっこされて緊張気味に静かにしていたかるたは、わたしたちに慣れてきて次第にやんちゃになってきたところで、かるたを店主さんにお返しして我々は退店した。きりっとした今にも溢れそうな目とふかふかの温かな体と綺麗に毛繕いされた姿、まさに"上毛"かるたであった……。 あの日の弱々しい姿だった彼女が元気になってきてうれしい。体も1.5倍くらい大きくなっていた。また来るよ〜!
0 notes
taiheitakei-text · 2 months
Text
伊勢神宮へ 音と酔いの古殿地
ふじいさんと伊勢神宮に行ったのだが、初めて観光地で昼間からお酒をのむということをし、今まででいちばん心地よい頭のまわらなさの小旅行だった。また偶然わたしは京都の伏見と混号になっている伊勢特集のブラタモリを所持しており、これが今回とても役に立った。前の週に予習として読んだときは(ふ〜ん、)というくらいだったが、伊勢までの電車の中で読むと既に実感を伴い、(知識にも入れどきってもんがあるのよ〜)と感じた。わたしの人生初のお伊勢参りは午前中だったからか観光地としては非常にちょうど良いくらいの人の多さ(多くなく)で、曇り雨予報もお伊勢参り中は全く降られることなくとても良い時間であった。そのつくりと見かけ、また観光地としての佇まいはとても美しく、気高く、tidyな賢さのある神宮だと思った。おおきく見ていてうれしかったポイントとしてはふたつある。
ひとつ目は古殿地のシステムがとても見ていてうれしく、古殿地というのは、伊勢神宮は20年に一度式年遷宮という正殿を筆頭にいくつかの社殿が真横にそっくりそのまま建て替えられるための土地、要するにholyな空き地なのだがこれが20年を節目にして建て替えられるようになったのは飛鳥時代の620年あたりから、ここまでのべ62回の造り替えが行われてきた。社殿に使われる装具品なども全て作りなおされるので、伊勢神宮はトラディショナルだが常に新しいということである。して、それの何がよかったのかというと、完成された社殿に開発できるスペースが常にあると言う状態がこの神宮の格式の高さだと思えたからだ。これをふじいさんに伝えようと思ったときに何に例えると良いだろうかと思い、大抵いつもこういう感動を伝えやすいのはカイくんで、彼だったらだったらプログラミング、書ききったコードにあらかじめバッファを残すやり方とかそういうものがありそうだな、、とか思ったが、その辺のプログラミングの素養がわたしにはないし、プログラミングに例えてもわたしもふじいさんも納得感が薄い感じ〜となりそうと思うと、ピアノのスケールに例えられる気がした。スケールというのは順当に並んだ音階のこと、単純言うとドレミファソラシドという音列(これはCメジャースケール)のことで、これをたとえば右手で1オクターブ分のスケールを引くときには、もちろん片手で弾くのだが15音に対して指は5本しかないので運指を少し工夫する必要がある。ドレミまで123(親指から番号を振り)の指で引きファの音で指を潜らせて1の指で引いてやると次のドまでの音階を残った2345の指で弾いてやることができる。これを左手で行うと(小指から逆順に番号を振り)5432/1321の運指でありここまではとても美しいシステム、指の運びだなとわたしは思うのだが、わたしが気にしているのは2オクターブ以上引くときの運指である。音の始めはいずれにしても1の指からなのだが1オクターブ上のドに辿り着く指はいずれも345の流れである。つまり2オクターブ以上引くときには間で指を潜らせたり跨がせる所作をさらに加えて行う必要がある。具体的には右手の場合は123/1234/123/12345。左手だと54321/321/321/4321となる。このとき右手の運指には問題がある。1オクターブ引き切る前に2オクターブ目のスケールに向かうために運指の変化があるのだ。つまり1オクターブのスケールを弾くときと2オクターブ引くときの指を流れが違う。1オクターブ弾き切ってから(ア!もう1オクターブいきたいかも)にシステムとしては対応できていないということ。つい先日スケールの練習をしているときにそういうことを考えた。たとえばクラシックではそんな場面はそうそうないかもしれないが、たとえばジャズでインプロビゼーションなどするのであれば土壇場でもう一音階上がりたいという場面があってもおかしくないのではと想像したのだ。長くなったが話を戻すとこのどこまでも上がり下がりする音階をつくるためには一般的な運指ではなくあらかじめ次の音階に上がれる「音(指)の古殿地」が必要かもしれないと彼女に話すと、よくそんなこと思いつくと言ったあと、でもそう言った場合たとえばペダルを併用したりもう一方の手でカバーを入れたりして澱みなく繋ぎ直す方法もあると教えてくれて、わたしはとても愉快になった。ふじいさんはとてもピアノが上手いし、いつも話を聞いているとピアノに対しての甘えのない人だ。そしてこの彼女がシステムを超えるためのアドホックな技巧があること、またそう言ったときの(おそらく演奏というものは必ずしもそういうことではない)というような毅然とした態度に、わたしは増してわくわくした。
ふたつめは終点の標識。伊勢神宮には愛知から名古屋を経由し国道23号線をずっと走ってくると伊勢神宮までたどり着くことができ、そこには国道23号の終わりがある。標識の23の文字の下には白地に黒文字で終点と書かれており、ことは内務省より「東京より伊勢宗廟に達する路線」 として国道9号が指定されたのが1885年、1920年には旧道路法に基づく変更にのり国道1号となり名実ともに日本を代表する幹線道路だったわけだが、終戦後に再び何度かの道路改正があり、一級二級といった区別がなくなり今の一般国道23号線になったのは1965年のことだそうだ。この終点の標識ひとつとっても、当時からの伊勢神宮の位の高さが伺える。ただ神社としてあり続けるために観光面においても、御司という平安から明治の初めにかけて多くいた伊勢神宮への参拝のための旅行コンシェルジュのような存在や江戸の街並みを再現したおはらい町など伊勢神宮の気高さというのは街全体がつくってきたもので、その一端を見れてとてもうれしい心持ちであった。なんといっても「終点」 というのが良い、目的地のなかでも終点と言われてしまえば(真に目指す必要のある場所だ!)と思うのも頷ける。
0 notes
taiheitakei-text · 3 months
Text
起床、二度寝してもうた。露出狂になる夢。脱衣してすぐに下半身に何もまとってない心許なさに後悔をするがすでにシャツ以外の装備が捨ててしまった後で、めちゃくちゃ大量の警官から逃げ惑いながら家まで帰ろうとする。露出の経験もなければ特にそんな願望を感じたこともなく、ないのにこんな夢を見れるのかと夢のエンタメ性に感心。ちなみに途中は、拾った傘で頑張ったり拾ったうちわで頑張ったりとにかく必死にカモフラージュを繰り返しながら京都市内を駆けた。最後はバスのなかでひとりにばれるか、やさしい人で家までの経路を一緒に走ってくれた(走ってくれただけ)。気づいたらチノパンを履いていて、いつから……?で終了。
0 notes
taiheitakei-text · 3 months
Text
マジシャン食い
歳を取れば取るほど、食べ方が大雑把になっている。小さい頃から果物などの種を出すというのをすごく面倒に感じていて、柿の種をそのまま丸呑みしたり、��イカの種とかはもはや誤差だと思っている節、というかスイカの種出してるひとほんまにすごいよ、、。わたしからしたらそれは丁寧がすぎてる(褒めている)。近年だと、中華で出てきたカニの味噌で炊いた料理の食べ方が分からんとなった結果、わたしは諦めと共に殻ごと食べはじめ、しかもそれがワタリガニだったので、それはもうトゲトゲがとても痛いこと。普通に考えればあれは飲み込める硬さをしていなかったがそれでも大抵の場合、器用に過食部を剥ぎ取り、種や骨、殻を出すというのがわたしは(いや〜、めんどうだな、食べちゃえ!) となり、ワタリガニを食べ終わったら皿には殻一つ残らなかったのである。店員にはきっとマジシャンか何かだと思われたことだろう。などと昼にスーパーで買ってきた安い寿司のエビの尻尾ごと食いながら思った。
0 notes
taiheitakei-text · 3 months
Text
アーカイブセルフカット13
生活に落ち着きの気配を感じはじめたので、髪を切ろうと思い、私の人生至上最も伸びた髪の毛、さすがにセルフでは手に負えないなと思っていたので、ひさしぶりに外に切りに行くか、、という心持ち。ピンタレストでいい感じのショートカットの髪型をピンして回っていた先週から、実際案件が落ち着いて気持ちに余裕が生まれると、自分でチャレンジしてみたくなり、めちゃ失敗したらベリショにしてもらえばええか〜となり自分でシャキシャキとはさみを走らせた。全体的に15-20cmくらい切った。今日は良く冴えており、どこをどう切れば良いか明確にわかる感じがした。1時間くらいかけてすっかり鬱蒼ととしていた後ろ髪やサイドの方も剪定し、そんな悪い出来ではないのではないだろうか。完成度としては現在8割というところであるが、ここからがセルフカットの強み、生活をしながら気になるところがあれば追って切っていけば良いのである。といいつつ、現在でも十分満足のいくよい出来栄えだ。セルフでここまでいけるなら人の髪も忌憚ない刃捌きでだいたい切れるのでは、、という妙な自信がつく。あの長髪をきれいに短くできたという実績が、まじで今後髪を切りに行くということなんてあるのだろうか。 (といいつつ後ろのシルエットの出来だけ、ブラインドカットゆえ少し気になるので誰かに確認してほしい)
0 notes
taiheitakei-text · 3 months
Text
夜飯と野良猫 モリオカにて
個人案件のモーションビジュアルがなかなかいい感じにならずふてくさ、気分転換に夜ごはんを食べにモリオカへ。店主が口下手で無口な気質のこのお店では定食とパスタとワインを出してくれる。上等なワインの他にも比較的安価なハウスワインの取り揃えもあり、気軽に食中酒を嗜みながら飯を食えるので気に入っている。またパスタを頼むと結構なボリューム感のサラダ、食後にはどのメニューにもプリンをおまけしてくれるのが(またこれらメニューに全くの記載がないため)ほんとにおまけ感がありとてもうれしい感じ。
昨晩はお店に行くと店主が子猫を抱えていた。初めてオーダー以外のコミュニケーション、猫なんて飼っていましたかと尋ねると今朝道端でカラスにいじめられていた子猫を拾ってきたそうであった。明日病院に連れて行き、そのまま飼うことに決めたらしい。ちょうどわたしの入店時に子猫の体を洗い終えたところだった。注文をするタイミングであとで撫でてやってもよいか聞くと、それなら料理をつくっている間、猫を体を拭いてやってほしいと言われたので、いつもなら店内の適当な文庫本を読んで待つ時間、わたしは濡れ毛の子猫をタオル越しに抱えて拭いてやった。食事が運ばれてくるとタオルドライは店主に引き継がれて、わたしはその様子を見ながらクリームパスタと大盛りのサラダ、白ワインをいただいた。おおよそ食べ終わったところでいつも通りおまけのプリンが運ばれてくると、今度は一緒にブラシを渡されて、毛繕いをしてやってくれと頼まれ、店主はわたしの食べ終わったパスタの皿を洗い場に持って奥に消えていった。わたしはプリンを食べながら渡されたブラシで子猫を撫でてやった。先ほどタオルで拭いているときは、体が濡れていて寒いからか、初見のわたしにまだ少し怯えているのか、小刻みに震え、手を差し伸べると細身の腕を振って威嚇してきたが、この頃にはしっかり落ち着いて、小さくミーミーと鳴きながらすこし戯れてくれたりした。
子猫の世話を見ていたこともあり、わたしはいつもと比べると随分と長居をしていた。プリンもすっかり食べ終わってしまい、このままずっと居るのも悪く思ったのでお会計を申し出ると、店主は子猫のお守り代だといってワイン代をサービスしてくれ、最後にわたしはもう一度子猫を撫でてお店を後にした。ワインを呑んで体温の上がったわたしの手よりも暖かいこの小さないきものに人間よりも純粋な生命の尊さを感じる。
0 notes
taiheitakei-text · 3 months
Text
すき家はエアコンの効き具合の程よい温度設定、照明の暖光と寒光のバランスがすばらしいですよね。どの季節の何時に行ってもあかるさが辛くない感じがする。
0 notes
taiheitakei-text · 3 months
Text
はじめてのチケット争奪戦だ、今までチケットの要らない人生を歩んできたのだ。
0 notes
taiheitakei-text · 4 months
Text
チーズケーキと道のりの二等辺三角形
集合場所を間違えpapa john's今出川店を修学院店へ……。デルタを基点に大きく二等辺三角形を描き、自転車の回転数をあげる川端通り。まっすぐ行けば15分そこそこの道のりを1時間ほど走った。出発前ユミックスさんから集合場所のやりとりをしていたときに、文末にmy momとあったので、pap john’s のはなれにmy mom というフロアがあるのだと思い込み、一店舗目の修学院店では、 「待ち合わせをしていて、ユミックスさんと、my momにて、、」 というかなり不審な問い合わせをして店員さんをおおいに困惑させてしまった。間違えに気づき今出川店に行くと、店内にはにユミックス’s mom の姿があり、oh, that’s what mom mean!! とても理解した。
修学院経由によって消費した体力、ユミックス親子と解散した帰り道にベストなパフォーマンスで挑めなかったことに悔しさを感じながら彼女から譲ってもらった自転車のペダルを踏みしめる。しかし久しぶりにユミックスさんの麗しさ、この大回りした行き道を含めて勘定してもひさしぶりに会って話すことができたうれしさが大きかった。また親子が仲が良いというのは素晴らしい。
おまけの食レポ: Papa Jon'sではいちばんの定番と思われるニューヨークチーズケーキをいただいた。八当分されたチーズのケーキの鋭角で角の立ったエッジが美しい。表面のナチュラルチーズとサワークリームの乾燥具合からして朝に焼かれたものだろうか。焼きたてはもっとチーズが瑞々しい感じなのではないかと思いながら何欠か口に運び、むしろこの乾燥具体がよりチーズのテクスチャーを固くし濃厚な舌触りにしているという風に思った。時間が経ってもおいしいというのはこのPapa Jon'sのロングセラーたるひとつの所以に感じた。いつどんな食べ方をされても一定のパフォーマンスを発揮できるというのは重要なことであり、街のケーキ屋さんとあればなおさらだ。などと少しずつフォークで削いで食べながら。またチーズケーキと一緒にレモンライムソーダを飲んだのだが、こちらはシロップが別添えになっており、甘さを自分で調整できるようになっていた。わたしはシロップを使わずにいただいたがシロップがなくともわずかにレモンとライムの甘みを感じたのは、わたしが十分な運動をしてきたあとだったからかもしれない。しかし程よく甘くないソーダと、控えめな甘さのチーズケーキの相性はとても良かった。(修学院を経由して本領を発揮できなかったわたし、Papa Jon'sロングセラーのエブリハイパフォーマンスチーズケーキ……←win)
0 notes
taiheitakei-text · 4 months
Text
アーカイブセルフカット 12
再び次第に伸びてきていた髪の毛であったが、初春にシャキシャキと梳きボリュームを調整して以来、年末の冬眠から目を覚ましてから過去のバッドバツ丸から春のわたしへの怒涛の仕事の引き継ぎ、引っ越しと大学でのレクチャーも始まり、ここ最近の自分のうれしい働きぶりに、寸分の髪が伸びてきたかもという気持ちの入り込む余地はなく、仕事、、という一筋に力の入る梅雨前までであったが、先週からは長く取り組んでいた案件にも終わりが見え始め、少し心に余裕を残す昼間があった。鏡を見るとそろそろ襟足は後ろ髪と呼べそうなほどの長さになっていて、全体的に一本一本の髪に長さがあるので毛先がアホ毛みたいにヒョイっと顔を出すことのない。頭はきしめんみたいなシルエットになりつつある。後ろ髪の先には去年かけたパーマの名残りというか傷みが少し見られて、これが良い感じにわたしにみすぼらしさを付与してくれている。などと思いながら、少し前髪と横のボリュームを調整した。少し後ろ髪も整えようかと思い、腕を肩の方に回すと後ろ髪が自力では梳けない長さであるとこに気づき、今後のセルフカットのあり方を考えなければならないフェーズに差し掛かっていることを把握した。
0 notes
taiheitakei-text · 4 months
Text
窓のでかさは生活のゆたかさ、というわけではないが、どんなときでも窓に気を配れるだけの気持ちの余裕くらいは持っておきたいというところがあり、貧しさとは窓がないということ。少ない小さいということは真に関係ない。貧しさとは棚に遮られた窓、開くことを知らない換気扇横の枠のことである。わたしには窓のことを考えられるというというだけで保つことのできる気高さがある。
0 notes
taiheitakei-text · 6 months
Text
しかし 『佐山聡 地獄の合宿 これは暴力ではなく教育 英字幕)』 のイングリッシュサブタイトルが、Great Japanese school education なのいいよね
0 notes
taiheitakei-text · 6 months
Text
ひとつも上手くいかないというのがわたしの精神を狂わすが、逆にひとつがとても上手くいくとそれだけでとても息が通る感覚があり、ついでに冬の寒さも抜けてきて、ものづくりにポジティブな気持ちがだんだん戻って参ったゾ
0 notes
taiheitakei-text · 7 months
Text
見てない PERFECT DAYSの感想
なんとなく映画を見に行こうと思い渋谷に繰り出す。特に見たいものがあってきたわけではなかったが、最近みんなが見たと言っていたPERFECT DAYSを見る。ヴィムベンダースは画面の切り取りかたがとてもきれいで、あれだけ平坦なストーリーでもしっかり2時間見ていられるというのはすごいことだと思った。それに役所のなかなか喋らなさ、この人からなにか言葉が発せられる瞬間を見逃してはならない、、というようなしっかりもったいつける演技もあの画面を維持していたように思える。全体を通して思ったことは平山が写真を撮るシーン、ちゃんとフィルムカメラで撮って丁寧に一枚一枚を選定するところや、程よくで日々の中で文学に触れ、行きつけのバーまであり、彼は社会に遅れをとった落伍者というにはなんか納得感がないなという感じ。浮世に馴染めなかったおじさんなりの豊かさいうには、いささか社会の許しがでかいのかもなと思いつつ、ヴィムにはもっと真におじさんの生活としての良さを切り取ってもらいたかった感も否めなくはない。しかしあくまで映画の体裁としてはファーストリテーリングと電通という巨大資本後ろ盾のもとにつくられたささやか(凶暴)で丁寧に撮られたながい広告なのかもしれないと思うと、ヴィムベンダースがこの映像を見せたかったのはわたしたちではなく、もっと銭湯、コンビニ、JAPANESE TOILET ! などといったような日本の(最も)表層的ではないくらいのちょっと奥まった文化みたいなものを海外的な視点でもっと国外側に発信すべく、切り取られたものだとも思えた。なにか重要なテーマがあるストーリー映画ではなくリトルクウェイントな日本をモチーフにしたCM、だから平山は無害そうに写されるというか、ストーリーとしても大きい問題を抱えることがなかったが、実際におじさんひとりが程よく生活し、良い塩梅の色恋沙汰に絡まれるというのは現実的ではなさそうだ。さておき純粋に平山のゆたかさについて他の見に行った人の多数が良い生活、ゆたかな生き方だと言っていた人も多かったが、これについては案外普通な感じでは……となった。実際生活の中では悩ましいことがたくさん起こるが、日々をある程度ルーティン化して構築し、ささやかな喜びを見るというのは、少しの心に余裕があればばそう難しいことではない。だからリアリティ映画としてのPERFECT DAYを現実に落とし込むには、この資本社会や物、情報社会からおりた人間の憧憬的な像にしては少しリアリティにかけているように思う。あり得るとすればおそらく平山は若いときに超やり手のビジネスマンとしてブイブイ言わせて、今は短期間でスポット的に、趣味としてあのような生活を送っているのだと思う。写真などを嗜んでいるところをみるとクリエイティブ業界にいたことは想像に易い。1,2年後には『50歳独身男性が 730日間東京の公衆トイレを掃除して考えたこと』 河出書房新社 を執筆し、かつての伝手を訪ねて飄々とに社会復帰をする日もそう遠くはない。
また平山の生活について、わたしも彼のように歓迎するべきことだと思った部分もある。それは公共と私生活に隔てが少ないところで、平山はトイレの清掃員としてや、毎日開店と同時に銭湯に入るなど、生活が現実的なレベルの消費者として一体になっている。家に並ぶ文庫本はBOOKOFFとかで買ったものであってほしい(元敏腕ディレクターであったとすると本は定価で買うというルールを設けている可能性もある) しかし自分の生活のおおきな範囲を公共的な部分に依存するというのは、社会を身をもって感じながら生きることのできるいい手段であるような気がした。極端かもしれないが、時にホームレスが社会をハックしているように見えるときのような、大きな消費社会に乗らずに生活を送るときの良い姿に感じた。
0 notes
taiheitakei-text · 7 months
Text
ノルウェイの森 上 感想
ここ最近 『スティルライフ』 と 『やがてヒトに与えたれた時が満ちて…』 の読み慣れた2冊を何度も複読、もしくは気軽に読める漫画ばかり開いて読書生活のお茶を濁していたが先日久しぶりに新規に小説を読んだ。
村上春樹を読むのは久しぶりで、半年くらい前に『納屋を焼く』 短編、3,4年くらい前に『一人称単数』『多崎つくると〜……』という感じであったが、どちらも村上春樹の逐一鼻につくたるさがあり、隙間なくはめ込まれたオシャな感じに、全人物の一挙手一投足を良い感じにな言い回ししたためてやろうという彼の気概に嫌気がさし、純文学の純というときの混じりっけのなさとは……みたいな気持ちはあったものの今回の『ノルウェイの森』 はというと、思った以上に響いてしまっており、村上春樹にしみじみとしてしまうなんか恥ずかしさと、これが沁みているということは真にわたしは今傷つきがあるのかもしれないというメタな認知があった。物語として状況を自身に被せて考えられるところが多く(なにかに喩えてつまりこういうことかもではなく、そのままわたしの現状みたいだなという) わたしがワタナベ君で、ワタナベ君がわたしか……となった。と書くとすごく物語を真っ向から受け止めすぎているひとの羞恥心があるが、このような気づきは半年後にはすっかり忘れる、インスタントな気づきであると思いここに残しておく。上巻で印象的だったのはミドリの自分の下着を新調するのを我慢して調理器具を買って暮らしているという話をワタナベくんにするところ、ストただなかの大学生活、読書酒女に全体重をかけて生死にぼんやりと苦悶するというある意味、奔放な感じの話から一転してこちらは切実な悲壮感という感じがあった……。というのはさておき、上巻全編にわたってワタナベくんの全射精シーンもれなく書いているのでは、とここまで丁寧にワタナベくん性描写する村上春樹のモチベーションはどこから……という。性が死というものを遠ざけるものとして描かれるのも分かるにしても、どうも各シーンになんとも筆が乗ってしまう村上春樹も想像できてしまい。しかし少し多すぎやしないか性の描写が真に悩むワタナベくんの鬱蒼な感じの読み味を軽くしてくれているといえばそんな感じもするが……。
ここから下巻にどう話が展開されるのか、実写映画の方のハチクロのみんなで海に行ったところのシーン以降、ここで停めて後半部分見なくても良いか気がするないう予感に似た、下巻は読まんくても良いかもしれんという気持ちもある。余談、上巻を読んでいると続きを読みたいという気持ちと反面ちょっと読むのだるくなってきたなというところ(永沢さんとワタナベがナンパ失敗するあたり)、Audibleで1.4倍速くらいで朗読をしてもらい、目だけテキストを追うという読み方をしていたのだが、朗読者の妻夫木聡がとても素晴らしかった(喉でしゃべる感じ)。ドライブマイカーの印象を引っ張っているが、西島秀俊と妻夫木聡(ダークモードのとき)は、村上春樹が生み出したのではないかというくらい、そういう文体で書かれた人物像を感じる。ちなみにノルウェイの森は実写映画を調べるとワタナベくんは松山ケンイチであった。映画は見てないが(松山ケンイチは陰鬱な演技をするときもなんかエモーショナルな感じが滲み出てくるという印象があり)わたしの印象とは少し違った。
0 notes
taiheitakei-text · 7 months
Text
結婚式の招待 欠席
6年来の友人から連絡が来たかと思えば、それは結婚式の招待フォームのURLであり、純に祝福の気持ちはもちろん、時期や広島という会場(はたまた、かなり久方ぶりという距離感に?)揺るぎない前向きさという感じではなく、どうすれば良く断れるかということを考え、2時間くらい考え、途中もはや行くべきなのではという思考も経由しつつ、他の参列者のことなどについて考えはじめているあたりやはりこれは真っ向ではないという心持ちを自覚し、しかし人生初めての結婚式の招待に断り方が分からなすぎて、いっそのこと、なんやかんやで連絡自体を有耶無耶に……という邪な考えも一瞬よぎる。しかし向こうもこのビッグなうれしさを共有したいという一心で久しぶりに連絡をくれたのだと思うと、こちらも責任をもって意思表示をする必要があるという結論に至った。このような折のメッセージで謝りすぎるのはいささか良くないと思い、すごく綿密にお祝いと欠席のお詫びの文章を書き、ようやく要項を満たした招待フォームをひとまず送ると、まもなくLINEの方にも祝福の言葉を綴り、先のフォームで結構なボリュームを書いたのでこちらはさっくりとした文体で送信すると、すぐに既読が付き、(ありがとー笑)(来てほしかったのにから)と返信がきて、わたしは突発的に電話をかけたのであった。するとそこにはなつかしい友人の声があり、第一声が 「 オイ!来いよ〜!」と、全然昔と変わらない彼のまっすぐな感じ。わたしはうれしい気持ちになった。わたしたちは昔から良い友達であった。ひとことごめんよと謝り、それぞれの近況などを話していると徐々に電話してみてよかったと安堵し、再び彼の人柄に対するうれしさ。電話はまた地元でごはんでも食べようというところに落ち着き、最後にもう一度祝福のことばを伝える。こんなわたしにこうもフランクに喋ってくれる友人のなんともありがたい気分であった。電話の途中に住所を聞いたので後日なんかおいしいお酒でも送ってあげようと思う。結婚おめでとう〜
0 notes