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写真家・小説家 清水裕貴が運営する小さなギャラリーです。 tide poolとは、潮が引いた時に岩や砂地の窪みに海水が取り残されて溜まったもの。 かつて起きたことと現在、これから起こるかもしれないことの連続性について考える場所。
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tidepool429 · 2 years ago
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清水裕貴「岸」展開催
2023/12/20- 清水裕貴「岸」開催します。
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  赤々舎から写真集「岸」が出版されたことを記念して、「岸」展を開催します。  
水辺の旅の写真、潮間帯に生きる架空の生物の話、水中から攫いにくる何者かとの会話、海水や黴で腐蝕させた写真で構成されている作品です。 写真、言葉、本、声を通して写真集をじっくり読む部屋。       年内のオープン日は以下のとおりです。年明けも数日開けるかもしれません。 2023/12/20(水)19:00-20:00 2023/12/23(土)12:00-18:00 2023/12/24(日)12:00-18:00 2023/12/28(木)12:00-18:00 2023/12/29(金)12:00-18:00
予約は以下のフォームか、メールでお願いします。
以下、赤々舎ホームページより「岸」について 
 
——
写真と言葉の波打ち際に、永遠が立ち上がる
長く待たれていた清水裕貴の初写真集。十年に渡る水辺をめぐる旅は、写真と言葉の重層を通して、新しく風景を立ち上がらせた。
水と人の関わりから生きている時間を問い直し、水の循環に巻き込まれている存在の切実な物語を探る。
写真によってつくり出された抽象的で不思議な時空と、言葉の世界、黴と埃の関与 ── それらが合わさって、ここであってここでないどこか、失われた人に会える場所、異なる時間が同時に存在する空間が現れる。
皮膜感の表紙を潜り、撓うページの光とともに、たたずむ影が語りだす。岸辺の写真集。 
—————————–
この写真集は、水辺の旅の写真、潮間帯に生きる架空の生物の話、水中から攫いにくる何者かとの会話、海水や黴で腐蝕させた写真で構成されている。
水は人々の生活に不可欠なものだが、同時に大きな災いをもたらす存在でもある。人は時に川を神に見立てて、海に怪物の影を見つけ、湖の水面や白波の向こうに亡くなった人を幻視した。
私は十年に渡り水辺を旅して、身投げした姫が龍神になった川、生贄が捧げられた池、毒を浄化する湖、雨乞いのお祭り、水の喜びを歌う人たち、オアシスの街の跡、古代湖が干上がった砂漠などを撮影した。その傍ら、水神にまつわる伝承や、水害などの記録を集め、フィクションの世界を立ち上げて言葉を綴った。
それは風景の多層性を表現する試みである。
風景と写真は常に一致しない。カメラによって二次元に再構築された風景は、現実の視界とは大きく異なる光の絵だ。撮影者の目だけではなく、レンズの身体性、黴や埃の足跡、風と雨、水蒸気の振る舞いが複雑に絡み合う。撮影者は恣意的な操作と外界の干渉の間で揺れ動きながら、今ここに立っていることを保存しようとする。
しかし写真が描き出すのは、思いがけない他者の気配だ。
数秒前、数十年前、数百年前にいたかもしれない何者かの気配が、誰もいない草むらに生々しく立ち上がる。
私はそこにいる何者かの気配をよりはっきりと掴むために、撮影した場所を何度も歩き直し、言葉による風景の再構築を行った。言葉は私の心象を表現したものではなく、被写体の直接的な説明でもなく、風景を語り直したものだ。
その言葉を添えることで、過去の一瞬を切り取った写真へ、撮影後の時間軸からも干渉を加える。
もう一つ撮影後の時間軸からの干渉として、ネガフィルムを黴や海水で腐敗させた写真もシークエンスに加えている。
異なる階層から語られた風景は波のようにぶつかり合い、そのはざまに新しく風景が立ち上がる。
風景に蓄積された過去、他者の声に耳を澄ます装置としての写真の可能性を探る。
新しい風景の表現方法。
清水裕貴
#清水裕貴
#写真展
#アトリエ
#写真集
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tidepool429 · 3 years ago
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tidepool429 · 3 years ago
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神谷紀子 個展を開催します。 「わたしの家のはなし」
2022/07/22(金) - 24(日) , 29(金) - 31(日) 金 17:00-19:30 / 土日 13:00-19:00( 最終日 18:00 まで )完全予約制   予約は以下のページから https://tidepool429.tumblr.com/reservation
 
これは家のはなしです。 いくつかの家が出てきますが、全て、わたしの家のはなしです。 家族に関する作品を作る中で、2019年から自分の家の撮影を始めました。 生まれてから違う場所で暮らしたことがなかったのですが、2年ほどの制作の過程でその必要性を感じ、さまざまな理由 から大分県の別府へ移りました。 限定的な滞在の予定だったので、この春東京の家に帰るはずでしたが、結局別の家を借りて、今も引き続き大分県で暮 らしています。 東京の家はずっとそのままにしていて、今もわたしの家として存在しています。鍵を預けて家を管理してくれていた友人が、最近寝泊まりするようになりました。わたしも、わたしの家も、少しずつですが、変化していきます。 場所が変わってもわたしは飽きずに家の中の写真を撮っていますが、それはただの「家の中の写真」にしか過ぎませ ん。出来事を封じ込めることは難しく、写真と言葉はいつだって別々に漂います。 もう一度集めてみたらどうなるだろう、そんな風に思って、展示をすることにしました。 これがわたしの家の話です。 どこにでもある生活の記憶の断片です。
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tidepool429 · 4 years ago
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写真展×短編小説 コールドスリープ   清水裕貴
第二次世界大戦中、軍都として栄えた千葉には「蓮池」という花街が存在していた。しかし戦後急速に工業都市として開発された千葉の沿岸部において、徐々に花街の存在感は薄くなり、今は跡形もない。 「コールドスリープ」は、千葉の埋立地を撮影しながら、過去と現在を行き来する物語を、写真と短編小説で表現した作品。 埋立地の部屋で写真展示と短編小説をお楽しみください。 2021/11/20~12/19
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tidepool429 · 5 years ago
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12月26日から、tidepool429で清水裕貴の新作の展示が始まります。 緊急事態宣言中にアトリエの近所で撮っていた写真と、動物園のオットセイが描いた絵を一緒に展示します。
年末年始、暇な人はぜひ船橋のはずれの小さなギャラリーにお出かけください。 完全予約制なので、前日までにご連絡ください。 人口密度は低いです。
2020/12/26-30、 2021/1/2-4、 正月以降の予定は未定で、次の企画展が始まるまで不定期オープンします。
https://tidepool429.tumblr.com/reservation
「Air」
緊急事態宣言中に、「そら」という名前のオットセイが描いた水彩画を手に入れた。 動物園のクラウドファウンディングの返礼品だった。 客が全く訪れない間、動物たちは創作活動に勤しんでいたらしい。 そら先生が描いた絵は、その名の通り爽やかな空色の抽象画だった。
ニュースでは呼気を可視化するCGが流され、 人間の口が忌まわしいものになり、他人の顔を見る必要がなくなった。 その分小さい端末を見つめる時間が長くなり、 液晶画面越しに動物園や水族館の動物を眺めた。
私は水槽の音を聞きながら、近所をうろついて写真を撮っていた。 港から見える海は眠たげなダークグレーで、そら先生の体の色と似ていた。
都市は大きく口を開けて施術を待つ患者のように 間の抜けた顔で人間を待ちくたびれていた。
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tidepool429 · 5 years ago
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6月7日から、「誕生日の海岸」の展示を再開します。
昨年4月から8月までtidepoolで展示していた内容とだいたい同じですが、11月にnap galleryで展示した内容+撮り下ろしを少し加え、展示構成も変えたものになります。展示に合わせて書き下ろした短編小説の販売もあります(こちらは去年販売していたものと内容は同じです)
週末の10時から18時まで不定期オープンです。
平日の19時以降も希望があれば開けることは可能なのでお問い合わせください。
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tidepool429 · 5 years ago
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3月28日から4月頃まで、「誕生日の海岸」を開催します。
昨年4月から8月までtidepoolで展示していた内容とだいたい同じですが、11月にnap galleryで展示した内容+撮り下ろしを少し加え、展示構成も変えたものになります。展示に合わせて書き下ろした短編小説の販売もあります(こちらは去年販売していたものと内容は同じです)
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tidepool429 · 5 years ago
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2019年12月に開催した、渡邉ひろ子展「まばたきの風景」の記録です。
  会場は大きく二つの空間に分かれていて、入り口の部屋は渡邉さんの祖母の遺品の布を用いた絵画作品で構成されました。 渡邉さんは、2016年に開催したhigureでの個展 https://hgrnews.exblog.jp/25492229/ でも亡き祖母の歌をモチーフにインスタレーション作品を発表しており、その続編のような作品です。
 
今はもう目の前に現れない人や風景に思いを馳せ、今見えているもののなかから、手探りで見えないものを探しあてるような作品です。
 
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後半は、遺品の絵画を収集し、渡邉さん自身がその人が見た風景を想像して、同じ風景を描いてみるという作品です。 現在の絵の持ち主(絵を描いた人の親族や友人など)へのインタビューのテキストも展示され、様々な人の生活、関係性、土地の空気が浮かび上がり、複雑な物語の立ち上がる展示に仕上がりました。
遺品の絵画とテキスト、渡邉さんが制作した絵画作品を並べることによって、絵を描いた人の視線、絵を受け継いだ人の視線、そして渡邉さんの視線が交叉しています。
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渡邉さんは会期中も在廊しながら作業を続け、絵について考え、お客さんたちと語り合っていました。刺繍が日に日に細かくなっていきました。
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 絵画を求めて各地を旅した時に描いたドローイングも織り交ぜ、絵を巡る旅のような展示になりました。
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tidepool429 · 5 years ago
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日記を読む会を開催しました
金川晋吾さんの「日記を読む会」を昨年の12月22日に開催しました。
「日記を読む会」は、参加者が日々つけている日記を持ち寄り、読み、語り合う会です。
 
金川さんが「一番最近の日記を読みましょう」「ゾロ目の日付の日記を読みましょう」などと指示を出して、参加者が各々の日記の該当ページを開き、淡々と自分の日記を音読していきます。 
 
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私は日記を書かない人間なので輪の外で見学していましたが、厳かで独特な雰囲気でした。参加者が日記を「音読する」ことによって、日記を書いた本人が内容を反芻し、音に感情をひそませていき、それを、気配を殺すようにして周りの参加者がジッと聞いている、という感じでした。
 
前回の私の展示「誕生日の海岸」を見に行った時の日記を読んでくれた人がいて、思いがけず自分の作品の感想を聞くことができて嬉しかったです。日記に書かれた感想は、私にその場で伝えてくれた感想とは全く違ったものでした。
他の細かい内容は参加者の非常にプライベートな領域での出来事なので、ここには書けませんが、淡々と記された日常の記録の中に、色々なシーンが浮かび上がって見えて、とても面白かったです。
  
全員が日記を音読したところで、お茶休憩を挟み、不思議にゆらりと対話が始まりました。日記を書くということについて、誰かの日記の特定の言葉について、自由に思ったことを話していきました。
 
金川さんは「日記だと、こういう話が不思議に面白く(楽に、だったかな)聞けるんですよね」と言っていました。
  
愚痴や悩みなど、面と向かって延々と語られたらしんどそうな話も、なぜだか「日記を読んでいる音を聞く」という形だと面白く、もっと聞かせて~という気分になります。幼い頃、大人に読んでもらった絵本のように、どこか遠いおはなしの世界になるのです。
皆さんの日記に使われていた言葉は、ほとんど普段の話し言葉に近い現代語でしたが、文章だけに現れる時空があるんでしょう。文体という構造が内包する、現実世界とは違う世界について思いを馳せました。文章って面白いかも!と、当たり前のことを思いました。普段文章書いてるのに。
 
  
参加者の皆さんの対話の作法も印象的でした。
日記作者たちは、他人の日記の音読を聞いて「どういう職場なんですか?」とか「奥さん・恋人・友人はどんな人なんですか?」とか、実生活の詳細を聞こうとはしませんでした。
お互い、踏み込まれたくない部分を多大に抱えた危険な書物を持ち寄り、聞かせられる部分だけを聞かせている、というなかなかスリリングなことをしているので、詮索してはいけないラインが自然と共有されていたように思います。
(私は日記作者じゃないのでいろんな人にズケズケ質問していましたが、適度にはぐらかされました)
  
ひとの日記を読むのは楽しいです。しかしひとの日記を根掘り葉掘り聞いたからといって、その人の生活に共感するわけでもなく、何かアドバイスしたいことが出てくるわけでもないです。第一、参加者のプライベートはお互いよく知らないので、日記で語られている話がどれほど“本当”なのか、分かりません。
事実でない記述もあるかもしれません。しかしそれも含めて、日記なのだなと思いました。
 
“ひとは誰しも心に秘密を持っているもの。”
 
そういうことが、はっきりと可視化されている状況だったように思います。その場で起きる対話は慎重で、とても豊かなものでした。
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tidepool429 · 6 years ago
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こちらの記事の続きです。 https://tidepool429.tumblr.com/post/187207043105/tidepool%E3%81%AF%E5%8E%BB%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%86%AC%E3%81%AB%E4%BD%8F%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%A4%B1%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%83%A8%E5%B1%8B%E3%81%A7%E3%81%99
 tidepoolの元住人の遺品の絵画から、船橋のリサーチ、近所のスケッチなどを開始した渡邉さんですが、ふと「一人称でやるべきなんですかね?」と言いました。最初は何を言ってるんだかわかりませんでした。   小説において人称は主に視点の問題であり(それだけじゃないんだけど、ザックリと)、小説の「私」や「僕」は虚構のキャラクターの一人称であることがほとんどです。「花子は」「太郎は」との違いは、語れる範囲の違いです。 しかし渡邉さんの発言は、渡邉さん自身の「私は」で語るべきなのか、という意味らしいのです。
   私は「そりゃ、それしかないんじゃないの」と答えました。
  渡邉さんがモチーフにしようとしているのは既に亡くなった人なので、当事者に語ってもらう、ということは不可能。遺品とその周りにあるものを探って、渡邉さん自身が直面した現実を表現するしかないです。小説のように、そこにいない人になりきって「僕は」なんて語る方法もあるかもしれないけど、渡邉さんはやらなそう。 (余談:遺作をめぐる作品として今年印象深かったのは、瀬戸内芸術祭の山川冬樹さんの作品「歩みきたりて」です。大島に生きた歌人、政石蒙の随筆を朗読し、政石蒙の歩んだ道を巡る作品。山川さんの映像で使われていたのは政石蒙の一人称の文章だけど、山川さんの声と肉体と、旅した風景で表現されることによって、山川さん自身の語りになっていました。過ぎ去った時間への応答として、今ここにいない人を想う気持ちの表現として。あの島にまた行きたい)
   しかし元住人をめぐる材料は存外少なく、なかなか難しそうでした。 そんな時、渡邉さんは他に遺品の絵画を譲り受ける機会を得ました。どれも魅力的な風景画ばかり。さらに渡邉さんは遺品の絵画を受け取る時に、持ち主(絵を描いた人の親族など)へインタビューを行い、風景画とそれを描いた人を巡る様々な物語を収集しました。    魅力的な持ち主たちの語る物語はどれも面白く、会場にもテキストが展示してあるのでぜひ読んでみてください。渡邉さんの重要テーマである「歌」と繋がる持ち主とも出会えて、制作は順調に進んでいるかのように見えました。出会った出来事たちをうまく編集していけば面白い作品になるではないか……と私はなんとなく思っていました。   しかし、渡邉さんは途中でなにやら悩みはじめたようです。    『これは誰の物語なのか?』   渡邉さんの「私」がどうやって他者を語り得るのか?という部分が問題だったように思われます。推測だけど。また、インタビュイーの言葉を編集するということにも躊躇があったのかもしれません。   今まで渡邉さんは主に自分自身の体感や、おばあさまとの思い出を作品にしていました。生前に関わりのなかった他者をモチーフにするのは初なんだそうです。    かねてから渡邉さんは美術作品における声の「搾取」に敏感であったように思います。しかし完全な虚構ではなくドキュメントの要素を入れる場合には、他者の声を必ず編集しなくてはいけません。
モニカ・メイヤーさんの「The Clothesline」のように、作家が人選もせず、編集もしない言葉がそのまま展示される作品でない限り、「生の声をそのままに」なんてないですね。(それでもピンクの紙、ピンクのフレームが設定されているのでコントロールはされている)   他者の声を編集した場合、「これは搾取ではないか」と思わせる作品は多々あります。たとえばマスメディアにおいては、発言のごく一部を切り取られて都合のいい編集された発言者が怒ってる、なんていうトラブルは日常茶飯事です。もっとマイナーで繊細であるはずの美術作品にも、一目見て「大丈夫か?」っていうのはあります。
他者の言葉を編集するのは高度な技術を要します。そのうえ、作家のエゴがどこかに絶対入ります。   
しかし試行錯誤を経て、渡邉さんの主観に基づくある美しいモノを制作して展示しているので、是非見てみてください。

あと渡邉さんが在廊しているので、気になった点、わからなかった点はどんどん聞いてみてください。     というこの日記も私の主観なので、渡邉さんが読んだら嫌な気持ちになるかもしれませんね。今はよくても十年後とかに苦々しい気持ちになったり。しかし記録は全てそういう可能性を孕むもの。
tidepoolで誰かに展示をしてもらう時は、単なる展示記録だけではなく経過の記録をつけていきたいな〜と思って気軽に日記を初めてみたのですが、早くも難しさに直面しました。何を書くべきなのか?
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tidepool429 · 6 years ago
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関連企画 金川晋吾「日記を読む会」
tidepoo1429で開催する渡邉ひろ子個展「まばたきの風景」の関連企画として、「日記を読む会」を開催します。写真家の金川晋吾さんは、参加者の皆さんがそれぞれ書いた日記を持ち寄り、声に出して読み、日記について話すという試みを続けています。
http://krautraum.com/event/403/
日々の暮らしの中で、人は誰しも何かを表現して生きています。その中でも日記は多くの人が親しんでいる表現方法だと言え���でしょう。誰に見せるためでもなく、自分のために日々の出来事や思いを綴った日記を小さな会で声に出して読むことで、思いがけない発見や、新しい対話が生まれるかもしれません。
渡邉ひろ子の作品空間の中で、日記について語り合ってみませんか。
2019年12月22日(日)15:00-17:00 参加費:500円 定員10名 事前予約制 ※ご自身が書いた日記をご持参下さい。 ※参加希望の方はreservationから  https://tidepool429.tumblr.com/reservation 定員に達し次第受付を終了いたします。
金川晋吾(かながわしんご) 1981年京都府生まれ。神戸大学卒業。東京藝術大学大学院博士後期課程修了。2016年青幻舎より「father」刊行。最近の主な展覧会に「同じ別の生き物」(アンスティチュ・フランセ、2019年)「長い間」(横浜市民ギャラリーあざみ野、2018年)など。晶文社のウェブサイト「スクラップ・ブック」で「写真のあいだ」連載中 http://s-scrap.com 。詩人の大崎清夏との往復書簡〈不安な言葉〉https://note.mu/osakisayaka/m/m8b34e0a6a5db
 日記について何か話がしたいと思っています。自分でも日記を書いていて、日記について何か話がしたいと思っている人に参加してもらえたらありがたいです。日記を毎日つけている必要はなくて、思い出したように年に数回だけつけている人でも、これを機に日記をつけ始めた人でも問題ないです。参加する人にはその人が書いた日記を声に出して読んでもらいたいと思っています。私も読みます。他人に聞かせたくない部分を無理に読む必要はなくて、ここなら他人に聞かせてもいいと思うところだけで大丈夫です。  人それぞれに日記とのつきあい方があると思います。作品として誰かに見せるために書かれた日記というものもあれば、絶対に誰にも見られたくないという日記もあると思います。私も十代や二十代前半のころ、自分のそのときの思いを書くためにまれに日記をつけていました。数年後、実家から東京に引っ越すときにひさしぶりにその日記を読み返してみると恥ずかしさでいたたまれなくなり、捨ててしまいました。捨てたことは後悔してません。  最近つけている日記は読み返してもそれほど恥ずかしいものではなくなっています。後から読み返して恥ずかしくなることは文字として残したくないと思うようになったのだと思います。ただ、今でもやっぱり他人に読まれて困ることは書いているので、誰かに見られたらどうしようという不安がないことはないです。  日記というものは多くの場合は個人的で自分のために書かれているものだと思いますが、書き残しているという時点でそれはもう自分だけのものではなくなる可能性があると思います。自分のこと、個人的なことを話したり聞いたりすることには何か抵抗のようなものがつきまとっていてそれは当然のことですが、その抵抗は強すぎないほうがいいんじゃないかと個人的には思っています。
金川晋吾
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tidepool429 · 6 years ago
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渡邉ひろ子個展「またばきの風景」を開催
12月7日〜29日まで。土日、13:00〜18:00。
遺された絵と、それを手放す人々の記憶と風景をめぐる旅の記録。
tidepool429に去年まで住んでいた住人の遺品の中から、彼が描いていた絵を発見した渡邉ひろ子は、 遺品の絵を起点として制作を始めました。 その中で、他にもいくつかの「遺品の絵画」と出会います。 亡くなった人が描いた絵、その現在の持ち主へのインタビュー、そしてインタビューの中で浮かび上がってきたイメージを渡邉ひろ子が平面作品として制作したものを併置したインスタレーションです。 絵画を描いた人、絵画を受け継いだ人、そしてその人たちの風景に出会った渡邉ひろ子の、記憶と視線のコラージュです。
関連企画として、金川晋吾の「日記を読む会」を22日の15時から開催。 こちらもご予約受付中。
https://tidepool429.tumblr.com/upcoming
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tidepool429 · 6 years ago
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「誕生日の海岸」2018は本日で終了しました。
来てくださった方々と、ゆっくり作品の話ができてとても良かったです。
千葉の、駅からちょっと歩く奇妙な立地のマンションの一室なので、都会のギャラリーとは違った鑑賞体験ができるようにしたいと思っています。
床に座りつつ、寝転がりつつ、本を読みつつ、お茶を飲みつつ、おしゃべりしつつ、ゆっくりしていったくださると嬉しいです。
今回は短編小説を書き下ろし、部屋や船橋の埋立地という土地も含めた一つのストーリーとして展覧会を構成しました。この部屋に足を運んでもらうということも、作品の一つになっていたので、来てくださった方々も作品の一部です。ありがとうございました。
さて、これから渡邊ひろ子展に向けて展示替えです。
どういう空間になるのか楽しみです。
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tidepool429 · 6 years ago
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tide/poolは、去年の冬に住人を失った部屋です。
渡邊さんはまず、かつての住人が遺した「絵」に興味を持ちました。
それは、どこかの湖畔で山を描いた風景画でした。
遺品の中に紛れ込んでいた写真や登山ルートの書かれた地図、子供の頃に書いた作文などから推察するに、蓼科で描いたものと思われます。
一応、山の専門家に「どこの山だろう」と聞いたら、「八ヶ岳っぽいけど特徴つかめてないから架空の山じゃない?」と手厳しい意見を頂きました。
私もそんなに面白い絵じゃないなと思ったのですが、渡邊さんの中では何かがとてもひっかかったようです。
かつての住人は画家ではなく、仕事と生活の傍らで手慰みに描いていた程度です。さして熱心ではなく、残っていた絵は数枚。画材も長らく使っていなかったようです。そんな人がふと生活の隣で残した風景。渡邊さんはそこに潜む謎を探りたいと思ったようです。
すべての部屋、すべての道、すべての広場には、そこにかつて居た人たち、動物たち、あるいは別の何か……の気配が漂っていて、風景には無数の物語が含まれています。それら小さな物語を掬い上げることが、風景を表���することです。それはすなわち、世界の構造を足元から少しずつ照らし出して解き明かしてみせることです。そうやって存在の謎を探ることは、アーティストの基本的な仕事だと言えるでしょう。
さて、そこでなぜ絵画(しかも他人が残した油画)なのかというと、渡邊さんはそもそも油画科卒であり「絵を描く人」だったのです。しかし「カンヴァスに描かれた油画だけで成立する作品」は長らく作っていませんでした。彼女自身の哲学と技法の不一致、テクニックの問題、現代美術における絵画の立ち位置?など、色々あるんでしょうけど、詳しく聞いてません。興味があったら、展覧会を見に来た時に聞いてみてください。
(蛇足:私もかつては絵を描く人間でしたが、高校生の時に明らかに才能がないことを自覚してやめました)
とりあえず「ある日曜画家が残した風景画」からスタートした制作ですが、一つの絵の話にとどまらず、思わぬ方向に進みそうです。お楽しみに
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tidepool429 · 6 years ago
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清水裕貴個展「誕生日の海岸」を開催します。 波打ち際に流れ着くものたちの物語。 度重なる開発で幾度も姿を変え、埋め立てられた船橋の海岸。 嵐で消失した砂浜が30年ぶりに突然姿を現した、アイルランドのアキル島。 二つの異なる土地で出会った風景をもとにして物語を編み上げ、写真と文章、短編小説で展示を構成します。
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