Tumgik
tsurugism · 3 years
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夢の話。
旅行というより野外学習でその場所にいた。悲鳴のような黄色い声に海に近付くと、大きな船の先端に若い男女が、水面際につま先を引っ掛けて掴まって、揺れる船体にキャアキャアと賑わっている。それは迷惑行為だ。近付いていくと男女はこちらに気付いて、遊んでるだけですから、落ちませんから、と言って断った。もちろんその心配もしていたけれど、そういうことではないと思いながら、錆びれた船にキャッキャ捕まり揺れる若い子に言い返す気分でもなかった。
踵を返しその場を離れる。少し間を開けて先程の男女が後ろを歩くのがわかる。同じ賑やかで楽しそうな黄色い声。前方から細身で長身の、いかにも人の良さそうな顔をした年配の男性がくる。若く見積もっても五十代後半か。仮に廣造とする。後ろからくる若い男女のうち一人の少女が、廣造に気安く声を掛けた。少女は仮に江利菜としよう。江利菜は高校生か大学生程度。ただ孫と祖父のようなというよりは、江利菜は女として軽薄に廣造を落としているつもりでいたし、廣造はそうとわかりながらそんなつもりもなくただ人の良さでそう振る舞って甘やかしているような印象だった。江利菜は廣造の腕を捕まえ、友人たちに話すのと同じ勢いで、けれど甘えるより少し強いるような口調で廣造に前のめりに腰を折らせ、その背にスマホを置くように構えてまるで写真台のようにして騒いでいる。その様子ははたからみて不憫に見えた。
寮のようなところへ戻る。部屋で幾人かと作業をしていた。他愛もない話。突然部屋に入ってきた男が、何かの作業時間のスケジュールを告げる。男は仮に恭二とする。恭二は寡黙で美麗で優秀な存在だった。ただ愛嬌は一切なく笑みもしなければ口調も平坦であることで、みな一歩引いていて、憧れながら触れられないようなところにいる。事務的な内容とはいえ恭二のスケジュールを押さえられることは珍しい。それは恭二と共に作業するということで、それはまるでデートに誘われたような、何かに許されたようなものだった。
場面転換。何かフィギュアのようなものを手に薄暗い一室。そこにはある夫婦がいる。旦那の方にフィギュアを箱ごと見せる。偶然手に入ったものだったが必要ないので売りにでも出したいけれどどうだろうか、と相談。あれこれ検討されながら映し出されたブラウン管の画面で何かを見た。覚えていない。
場面転換。寮のそばにある施設のようなところ。ホールのようだけれど、簡単な展示もしているような。その建物の前にある手洗い場で友人を見つける。少し思い悩んでる様子。仮に由紀。由紀は廣造のことが好きだった。それは恋だった。廣造が江利菜と付き合いがあることを知っていて、由紀が悩んでいることを私は知っていた。私は自分が見た廣造と江利菜の様子を告げた。江利菜があまりに我が儘な態度で、廣造をまるで従者のように扱っていることを告げた。由紀はそれを聞いていてもたってもいられないというように、施設の中に駆け込んだ。そこから、私が廣造と江利菜を見たあの場所に行けることが前提の行動だった。私も後を追って駆け込む。由紀をひとりで行かせるべきじゃないと思った。けれど行ってしまうと、恭二との約束をすっぽかすことになる。荷物を置いていく場所を探しながら密かに葛藤する。管理人の小部屋のような、事務所のようなところへ置いてしまおうとすると、それをとめる声がして、振り返ると廣造がいた。廣造なのか、廣造と同じ顔の別人なのか、人の良さそうな顔のまま少しだけ厳格な印象。廣造は荷物を安全なところに預かりながら、本当に行くのか確認を取る。私は行くことを決心していた。廣造はここからあの場所への渡り舟の人夫らしかった。
籐を編んだような舟はものすごいスピードで進んだ。腰を下ろせば私をすっぽりと隠してしまうほど深い船体。見えるのは舟の内側だけなのに景色が景色ともわからない速さで目の脇を抜けているのがわかる。圧されて進行方向に背を向けていたのを、せーので体勢を翻した。少し安堵。廣造は舟の端で船頭をしていて、明らかな光があるでもないのに逆光に佇む姿は小さく笑んでいるように見え、どこか妖しい。この舟は異空間を進んでいる。
火山のような扱いでの山の峰の成形の映像。博物館やなんかの紹介ビデオのようなもの。岩塩のような薄いオレンジ色の乳白の表層。熱で盛り上がり棘のような柱がむくむくと立ち上がる。そこから徐々に冷えるとある温度から急に峰に沿って結晶がピキピキと生え、そうして剣山のような鋭く美しい柱状の結晶の峰が生まれる。その一帯をまとめた資料館のようなところへ来ている。そこで何かを見なければいけなかった。展示された資料の中からひとつ、探さなければならないものがあった。順繰りに回る。共に来た友人は由紀ではなくなっている。はしゃいで展示を見ている。別行動だ。途中お手洗いに寄る。忠実なことに生理だった。
展示スペースを抜けると、そこは駅の一画だった。すぐ傍に改札から続く階段がある。ハンカチで手を拭いて、ふと顔を上げると階段から見知った男性が上がってきて、目が合った。あっと言うような顔をして、彼は愛想のいい顔で嬉しそうに笑った。私はつい気持ちが焦り、大河くん!?と声を上げた。どうして?というかごめん!と立て続けに言う。恭二との約束には大河の参加も予定されていた。それをすっぽかした私を追って電車でここへきたようだった。恭二と大河は入れ替わったようで、けれどきちんと別の存在のような気もしている。私は恭二に憧れを抱いていて、大河が私に小さな好意を持っているであろうことを知っていた。青と白の入り混じった爽やかなふんわりとゆるめのセーターを着ているのが妙に印象的だった。私は大河の腕を掴んで、さりげなく場所を移動させようとした。共にいる友人に大河を合わせたくなかった。正確には、大河に好意を持っていて、そのことを私に話してくれている友人に、約束をすっぽかされながらどうやら事情を把握してわざわざ私に会いにここまでやってきた大河を合わせたくなかった。けれどそう言う時こそ、起きてほしくないことは起こり、展示を見終えた友人が顔を出した。その瞬間に大河を押しのけ移動させようとする私とそんな私を気にせずに軽く抱き止めるようにする大河の姿が彼女の瞳にどう映ったのか、一瞬で、まるで傷付いたような僅かな表情の変化があった。私は大河から離れて、彼女の誤解を解こうと駆け寄る。
そうして夢から覚めた。
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tsurugism · 3 years
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山の木々の間から雲が立ち上る。
彩度を失っていく空は低く、地上の灯りで照らされる雲の輪郭がほの明るい。
眼前、並んで流れていく反射板と視界の端のテールランプ。
この山の向こうには街があるのだ。日が暮れてなお山の形がくっきりと影となってわかる。
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tsurugism · 3 years
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萩原の詩はあの瞬間だ
しんと世界の音のよく聞こえる、蒸す夏や痛い冬の夜の散歩道、あの冴えた懐かしい時間
萩原の詩はあの瞬間の思考とよく似ている、近頃ずっと私の求める時間
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tsurugism · 3 years
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エアコンの肌寒さに身を縮め
血を吐く子宮の悲鳴にジッと耐える オフィスで
ふたつならんだディスプレイのすきまに
視線の先、手のひらサイズの黒猫を見た
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tsurugism · 3 years
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夢を見た。
写真を撮る者の夢。それは自分もそう。それから二人の男の子もきっと。それから教員らしきひとりの男と女もそう。
学校のような場所。撮影の練習。四角い教室のような場所を中に人のいる想定で邪魔にならぬように撮る、練習。かくれんぼのように、練習。もぐらたたきのように、練習。窓へ映って消えるような撮影。違う者の気配で動きを止めて、その気配は見つけられなくて、かと思えば続々と何かが列をなして歩いていく。鉛筆で描いた影のような、人形に近いゆらゆらと少し早歩きするもの。それは歩いて行って、開けたコンクリートのある場所で砕けるように消えていく。ああこれはあいつのだと思う。教員と歩く私の過ぎる場所で消えて行った影を確認するような女連れの男とすれ違う。それが多分あいつ。視線だけ交わした。言葉は交わさない。きっと私はあの男と少し前まで恋人だった。男の腕を抱く女は高校生のころ浮気と不倫を繰り返しながら私に依存して、突き放してしまった同級生に似ていた気がする。
おそらく私は男の写真に到底敵わないと思っている。それで仕方ないと思っている。教員と並び歩きながら、教員が何かを話す。いい作品をつくるやつがいるようだった。まるで私と共通話題のように、それは教員の立場より単なる一ファンのような面白がり方で、その人を褒める。今すれ違った男のことだと思っていた。
教員と別れる。階段を降りる。恋に落ちる。階段の下にはまた黒い影がいる。少しの狂気。影の奇行。ふわりと足をつく。避けるようにして通る。そこであの影は、さっきの男とは別の者の作品な気がした。教員の話は、この影のほうを生み出した男だ。
ある講演のようなものの様子を撮影することとなった。海外の女優が何かで、二人、役か事実か、二人はきっと恋人同士だ。不安げに何か尋ねられた。日本語か英語かわからないが笑って答える。言葉はおおよそ伝わっているようだった。安堵のような顔をした。ぞろぞろと教室に人が揃う中、幾人かだけ来ていない。
ふくよかめな女教員にそっと頼まれる。本来撮影するはずだった子が遅れているから、あなたはあちら側から抑えて欲しいというような相談。遅れているのはあるカップルで、ミュージシャンとモデルで、女優と知り合いだった。自分のカメラで撮ればいいですかとカバンからカメラを取り出す。四角い教室のようなところ、外側から回り込む。邪魔になってはいけないから、ひっそりと。
そこからきっとループ。似たような光景と展開。影のデザインと動きは異なる。撮影場所を離れる。男教員はいたかいなかったか。男とはすれ違わないが、男の作品である影が消えるのを見る。コンクリートの開けた場所を過ぎ、階段を降りる。そこではやはりまた影が奇行。恋に落ちる、と、あったな。まさかな。奇行を避けて行く。折り返す道、道の脇へ向かい跪く影がこちらを向いている。影は膝を着き上体を倒して淡いピンク色の薔薇に頬擦りしている。傅くように、薔薇に顔面を擦り付���ている。不思議と薔薇は綺麗で、霜のような雪のようなものがついている。影は人にも見えた。人形の影ではなく、薔薇に擦り付けている顔が、鉛筆で描いた影ではなく肌色をした生身の人間に見えた。恋に落ちるなど、と思いながら、面白そうではある、と感じた。嫌いではなかった。多分面倒で大変な男だとも察したけれど、悪くない。そのままその場を去った。
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tsurugism · 7 years
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つきよ〜〜〜〜、と、通話ボタンを押した瞬間に気の抜けた叫び声のようなものが聞こえた。瞬間、終話ボタンを押す。反射だ。自分でも驚いて、少し笑ってしまった。 携帯はすぐにまた着信音を告げ、先ほどと同じように滝本綾の名前が表示される。通話。 「もしもーし!もしも〜し?」 「はいはい」 「あっ!つきよ!あはは、いま、切ったでしょ?ね?ひっどーい」 「酔ってるね?」 「ふふふ。酔ってないよ?酔ってないんだけどお、ね、今から行ってもいーい?」 「当てにしてたでしょう」 「ふふ」 綾は始終くすくすと笑いながら、たらたらと話す。お酒が好きで、お酒に酔うのが好きなのだ。 たまに、こういう事がある。問題はないが、それなりに面倒だ。はあ、と小さく息を吐いた。 ふと、笑い声の向こうから誰かの声がする。 「綾、ひとり?」 「ん?あ!あのねえ、お寝坊くんがいるよー?」 「は?」 「お寝坊くんはねえ、先週大事な仕事でお寝坊したんだってー。上司待たせて!そんで最近ルンバ買っでお菓子ばらばらなんだってー」 意味はわからないがまあ想像はつく。そういう会話をしたんだろう、店で出会った人と。で、その人がベロベロの綾を今面倒見てくれているわけか。 「ちょ、ひとを失敗で呼ばないで下さいよ!」 「え?じゃあールンバかわいい話する?」 「しません!ルンバかわいいけどしません!」 電話の向こうでわあわあと会話が始まる。手に取った湯呑みが空で、携帯をテーブルへ置いてキッチンへお茶を取りに立った。酔っ払いの声は大きくて、スピーカーにしなくても聞こえるほどだ。二番煎じの湯を注いで、短い時間で湯呑みへと注ぐ。 戻って画面を見ると、丁度通話画面の上にメールの通知が表示された。秋子だ。 『アヤやばい』 『23件着信きてんだけどウケる』 『私仕事中だから』 『頼んだわ』 『ファイト♡』 我が友人ながら呆れたものである。つい鼻で笑う。 「もしもーし!もしもーし!あれ?」 一際大きく声が聞こえて、はいはい、と携帯を手に取る。 「あ、すいません、お寝坊くんです」 「お寝坊くん」 「はは、や、すみません、高澤というものです、ええと、ツキヨさん?たまたまアヤさんと飲んでたんですけど、結構ベロベロで」 あ!ちょっと寝ないで下さいアヤさん!と叫び声が聞こえる。 「高澤さん、回収しに行くんで店教えてもらっていいですか?あと、着くまでいてもらえます?」 電話で話してもラチがあかないし、ここで見捨てても面白いけれど他所様に迷惑をかける訳にもいかない。店の名前を聞けば、駅の近くの知った居酒屋だ。のんびり歩いても20分くらい。 ごめんけどもう少しよろしくね、と告げると、お任せください!と威勢良く聞こえたので電話を切る。秋には、薄情者め、頼まれた、とだけ返して、家を出た。 ガラリと店の戸を開けると、店内はそれなりに賑わっている。カウンターの大将と目が合うと苦笑いをされた。 「ツキヨってやっぱお前か」 「連れがすみません」 「まったくだ。奥で寝ちゃってるよ」 「私に免じて許して」 「うるせえ」 カウンターには知った顔がいくつかあって、笑いが起きる。とんだご迷惑を、と笑って奥へと向かうと、少ないテーブル席のひとつを占領して、突っ伏して寝ている綾と、その向かいで体育座りみたいにして綾を眺めている男の子がいた。 彼は、あ、という顔をしてすぐに立ち上がる。 「すんません、なんか調子に乗って飲んじゃって」 「すぐ楽しくなっちゃう子だから。こちらこそすみません」 少し華奢で、緩いパーマの黒髪に、レトロなメガネをかけた彼が、頭を下げる。簡単な白いTシャツに、着古したようなジーンズ。あー、綾が好きそうな顔をしている。そりゃあ楽しかったろうな、と勝手に納得して、寝ぼけている綾を2人がかりで起こそうと試みる。 これが、なかなか起きない。 「ここまではなかなか…飲みすぎでしょう…」 「ボトル、3本空けちゃって」 「うわ、笑う」 「全然笑ってないっす」 「はは」 結局、迷惑ついでに高澤さんに綾をおぶってもらい、うちまで運んでもらうことになった。 2人はどうやらお互い初めて入ったあの店で、初対面で、たまたま隣の席で飲んでいただけのようだった。綾は1人で飲み歩き、行った先々で居合わせた知らない人と仲良くなるタイプの女なので、珍しいことではなかった。 彼は仕事の後輩と飲みに来ていたが、つい綾を交えて会話が弾み、気付いた時にはみんなベロベロで、後輩は先に帰らせたものの綾を置いていく訳にもいかず、飲む飲まない、帰る帰らないで駄々を捏ね、秋に電話をかけまくったりしているのを説得している間に自分の酔いは醒め、べらべらと喋っていた困った時の月夜、とかなんとか言うその私にどうにか電話をさせた、ということらしい。よく頑張りました。 背はそこそこあるものの、華奢な外見とは裏腹に、酔いの抜けきらない体で綾を背負って、案外すんなりとうちまでたどり着いた。 「お疲れさまです」 最後、二階の部屋までの階段ではさすがに小さく悲鳴をあげていたけれど、無事綾を布団に転がし終えた。 一階へ降り、労いのお茶を差し出すと、手拭いで汗を拭いてグイッとお茶を飲み干した。 ふう、と2人して息を吐く。 「夜遅くに、女性の家に上がり込むってのは緊張しますね」 「上がり込ませるのも緊張しますよ。でも助かりました」 空になったグラスにもう一杯お茶を注ぐと、かたじけない、と笑った。 「家、というか、店、ですよね」 ぐるりと見回して言った。 「古本屋やってるんです。本、好きです?」 「本も好きですけど、この店、好きですね。すげー雰囲気じゃないですか、月夜さんも含めて」 築百年くらいは経っている家だ。それを、最低限直しているだけ。土間に本棚を並べ、奥は畳の間、そこに私の卓がある。なるべく機械類は表に見えるようには置かず、店に合わせたわけではないが、特に理由がなければ和服で私はそこへ座っている。 現代じゃないみたいだと、よく言われる。いい意味でも悪い意味でもあると思う。 「近所だし時間も時間だから、所詮部屋着ですけどね。お恥ずかしい」 めかしているわけでもないし、ほとんど寝間着と言ってもいいような浴衣に、羽織を肩に引っ掛けただけだ。 「や、逆にそれがまた色っぺえ…」 目が合った。ハッとしたように、彼は目をそらす。 「すんません、まだ冷めてないみたいです」 「そう」 飲み方も上手くはないし、ほいほい綾を担いでしまって、そこそこチャラいやつかと思いきや悪いやつではないようだ。どちらかというとお人好し、か。下心を自分で疑って戸惑うように視線を泳がせている。その様子が可愛く思えて、口元が緩む。 あ、と声をあげて、彼の視線が止まった。気になるタイトルを見つけたのか、スッと本棚へ近づいてゆく。 「やべえ」 あれもある、これも、へえ、と背表紙を指差すように撫でてゆく。下駄をつっかけて土間へ降り、隣へ並ぶ。 「落語すきなの?」 「…好きっすねえ」 彼が目を輝かせているのは、芸能関係の棚、指で追うのは古めかしい落語家の著書、それにまつわるものばかりだ。 「あっちの棚に音源もある。CDと…テープはカビてなきゃあ」 「え!」 指差した棚に飛びついて、落語家の名前をさらさらと読み上げる。珍しい、同世代でそんなに好きなひと。 レコードもあるけど、うちじゃ聞けなくてね、と棚の横の段ボール箱を眺めると、つられるように高澤さんも視線を動かし、流れるように箱を開けてタイトルをチェックする。うおー!とまたブツブツと小さな悲鳴をあげ続ける。 「丸ごと欲しい!」 「ご予算間に合うかしら」 「冗談です!いや半分本気…」 嬉しそうな顔と悩ましい顔を繰り返す姿が少年のようで微笑ましい。うちに置いてある本はまだほとんどが祖父の趣味が色濃いため、まあマニアックで、たまにいるのだ、こう、宝の山を見つけたかのような客。 「ここ、営業時間って」 「適当、まあ昼頃から夜遅く。表が開いてれば、私が起きてればって感じ」 「ゆっる。休みは?」 「不定休。まあよっぽどないよ」 「また来ます」 言った途端に、時計が鳴った。深夜2時、もうそんな時間か。 高澤さんも、音につられて時計を眺めていた。 「こんな時間まで、すみません。お茶、ありがとうございました!ちょっとまじで、今度来ます」 真面目な顔で言って、表へ出る。 「どうぞ、ご贔屓に」 店の前まで見送って、おやすみなさいと頭を軽く下げる彼に、おやすみなさいと繰り返した。ひょろりとした後ろ姿にまだ興奮が残っているようだった。その後ろ姿を暫く眺めていると、少し先で彼が振り向いたので、軽く手を振る。まだ見送っていたことに驚いたのか間を空けてから、ブンブンと大きく手を振り返してくれた。 角を曲がって見えなくなったところで、戸を閉めた。 昼近くになって布団から這い出る。廊下に出ると、迷惑そうな顔で漆黒の猫がこちらを見上げている。階段の下からはうまそうな匂いがする。 「はよう、」 欠伸を噛み殺しながら台所をのぞくと、綾がハッとこちらを振り返る。 「お、おはようございます!」 取り繕ったように笑ってから、テキパキとご飯をよそい味噌汁を注ぎ、そんだけだけれど卓に並べる。そっから畳に正座して、三つ指ついて頭を下げる。 「毎度ご迷惑をおかけしまして…」 今月に入って3度目の土下座だった。同級生にここまでご丁寧に頭を下げられる機会がこれほどあるとは。 「毎度なにしてんだか」 呆れて笑うと、へへへ、と綾が顔を上げる。 「面白いし美味しいからいいよ」 「さすが月夜」 申し訳なさそうな顔からころりと得意げな顔へと変わる。いつものことだから気にもせず、向かい合って遅めの朝食を口にする。 「まあ、人に負ぶわれて帰った時よりはいんじゃない」 「あれねー、あれは本当に申し訳ない。でもあの子本当に可愛かった。あれから何度かあの店行ったけど全然会えなくてさあ」 「…高澤さんに会いたくて飲み回ってんのか」 「あ、ばれた?」 相当お気に入りのようだ。あの日は本当に楽しくなっちゃって、なんて照れたように笑う。 あの日、高澤さんが綾を背負って送ってくれた日から2週間程経っている。綾が近くで飲んでは電車を逃してうちへ来る頻度が高くなっているのは、彼に会いたいからか。 味噌汁をズズ、と啜る。足音もなく二階から降りてきていた黒猫がじっと部屋の隅から私を見ている。黙ってるのか、という顔をしている。まあ隠すことでもない。 「一度来たよ」 「へ?」 「気になる本あってまた来るって言って帰ってって、先週かな、本当に来た」 「え〜言ってよ!!!!呼んで!!」 昼間は綾は仕事でしょう、と返すと、唇を尖らせてそうだけど〜〜〜と項垂れる。好きそうだろうとはわかっていたけれど、この感じはマジなんだろうか、と綾を観察するけれど、微妙なところだ。 先週、昼も過ぎてちょうどのそのそと起き出して表を開けた途端に、彼は店の前に立っていた。一瞬誰だかわからなくて驚いたけれど、彼は私を見た途端ににかっと笑った。 「よかった、会えた!ナイスタイミング!ちょっと時間なくて、暫く地方続くから来れないけど忘れられちゃうと困るんで!」 ぼんやりしたまま、あああの時の、と思い出すころにはあれよあれよと連絡先を交換してしまっていた。有無を言わさぬ感じでもあったし、特に抵抗もなかった。そしてよっぽど時間がなかったのか、さっさと大きな荷物を抱えて去っていってしまったのだった。 それからその日の夜に、昼間はいきなりすみませんでした、なんていう内容のメールが届いて、全然構いませんよ、なんていう無難な返事をした。 それからは特に連絡も来ないし、する用もないまま今に至っている。 説明すると、綾はずる〜い、とまた不貞腐れる。 「連絡きたら教えるよ」 「うん、教えて〜」 そんな風にして綾を納得させて、朝食を食べ終わると、午後からは仕事だという綾は二日酔いのふの字もなく出勤していった。元気なものだ。 しかし彼女はなんとなく運がない。いい店、上手い酒、可愛がってくれる飲み屋のおじさんと巡り合う運はピカイチだが、それ以外にどうも運が弱い。 『連絡来たけど』 メールを送る。仕事中のはずなのに、一瞬で既読になる。 『!』 『高澤さん。連絡来た』 『タイミング!!!!』 絶句する綾の顔が浮かんで、ちょっと笑う。つい1時間前に仕事へと向かったばかりだ。どんまい、と返してから、高澤さんからのメールを開く。 『夕方いきます』 それだけのメールに、お待ちしております、とだけ返した。すぐに既読になったが、もう返事は来なさそうだ。彼がこの間張り付いていた棚から一冊抜き出して開いた。活字を目で追いながら客を待つ。いつも通り。隣にぴたりと寝転ぶ黒猫を撫でた。
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tsurugism · 7 years
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僕は一度も日本を出たことがない。日々他人のパスポート用証明写真を撮っているけれど、パスポートも僕は持っていない。外国へ行くなら日本各地を旅したいと思っていた。言葉の通じない文化の違うところへ自分の身を運ぶのは怖い。今もそれは変わらないけれど、伝統芸能であったり伝統工芸であったり、昔から続くもの保護されるべきとされるものに触れている今、それを考えるためにも本当は海外に行ってみてもいいんだろうなとは思っている。それから、日本にいても日本を訪れる外国の人に伝えられる術や受け取る術はあるんだろうとも思う。 写真は1000の言葉を持つ、というような表現をアメリカから来た友人が言った。僕らは写真を見て並べて選んで組み合わせて、きっと言葉にはできないほどの何かを確かに伝え合えるんだろうと思う。 でもそこに間接的にでも何かしら含ませることのできる経験をもうちょっと共有できるんじゃないかと思うんだよな。そういうことは惜しい。言語という手段の重要性。 それから、単純に「自分の興味あること、自分の好きなこと、古くから残る今も続く素晴らしいそれらしいことを共有したい」というのは国内外問わず思う。外国人よりも日本人に対しての方がきっと伝わりにくいことだろうとも思う。 ちょっと思うことはあるなっていう話。
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tsurugism · 7 years
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他人のキスシーン。を、久しぶりに眺めた気がする。男の子は大学生だろうか、生成りのロングコート、いいな。お相手は少し背の低い、黒髪の艶やかな、オリエンタル。男の子より、そして私より年上だろう。他人の事情にとやかくいうことはないけれど、すこし関係を疑う。火をつけたばかりの煙草をひとくち吸って吐くそのあいだに唇は離れて、彼らはふたつみっつ言葉を交わしてから、女性だけが駅のある表通りに消えた。 自分の吐いた煙越しに、残された彼をぼんやり眺める。なんとなく見覚えがあるような顔だが、思い出せない。誰かに似ている、というのも特に思い当たらない。しかし、既視感。あまりに見ていたのか、ふと彼と目が合った。あ、まずかったか。なるべく不自然じゃないように視線を外して、何事もなかったような顔で煙草の火を消した。帰ろう。二月ももう終わるというのに、吐いた息はまだ微かに白かった。  
「で」「わかった」「ほう」暇人は頬杖をついて本を見下ろしたままに言う。いつものことなのでもう気にしないが失礼なやつだとは思う。「隣のケーキ屋のバイトくんだわ」「あー、チーズスフレが美味そうな」「美味いよ」「今度買ってきてよ」「嫌だよ」「なんでだよ」「相手の女の人、よくその子と一緒にシフト入ってる人妻っぽい人だったんだよね」「チーズスフレ買いながら探ってこれば」「嫌だよ」彼女は簡単に笑うけれど、あの時目が合ってしまったことでこっちとしては気まずくなってしまった。爽やかで丁寧な話し方をする人で、よく通る声だけ気にしてはいたけれど、容姿までは注意を払っていなかった。向こうが気付いているかどうか、というところでその気まずさを無視できるかどうかが決まるよねえ、なんて彼女と話していたけれど、どうやら無視はできないようだ。その日の仕事の終わり際、平日ど真ん中の深夜、客も丁度途切れた頃に店のドアをくぐって現れたのがまさにその人だった。「どうも」まるで知り合いのように言った彼は、相変わらず爽やかで優しい響きをしていた。
「で」「口の上手い子でねえ」「え、ほだされた?」「馬鹿。駅前のバーで飲んだ」「呼べよ」「頼まれても嫌」「ははっ」閉店時間間際の店をとにかく閉めたくて、��りの言葉を発しようと口を開いた瞬間に「駅前に行ってみたいお店があって」と彼は微笑んだ。じゃあ最初からそっちへ行けよと思ったこちらの心を読んだかのように「一人じゃちょっと入る勇気がなくて」と眉をハの字に下げた。ああこの顔で大人の女性に可愛がられているのかと先入観だらけの思いが過る。そして勝手な彼の誘いに、勝手な罪悪感から、私は乗ることにした。彼の行ってみたかった店というのは、うちの店よりはカジュアルだけれど、確かに大学生が気軽にふらっと立ち寄るには洗練された空間ではあったし、実際に客層も品のいい小綺麗な人が多いようだった。それでも若者や新規を嫌う様子はなく、店の雰囲気に比べればマスターが気さくだ。そのマスターも見た顔だと思えば週に一度はうちに顔を出す常連だったので、店に溶け込むには十分だった。「アサさん、何飲みます?」「え?」「あ、さっきマスターがアサちゃんて」「ああ、朝倉」「ああ、なるほど。僕は入江です。入江遣都」律儀だな、と思いながら、この状況で親しみをそう持つわけでもなく、自己紹介はさらりと、それぞれお酒を頼む。グラスが出るまでも、それぞれにグラスが出揃ってからもしばらく、彼がポツポツとこちらに投げかけては私が短く返すばかりだったけれど、お互いが二杯目を頼む頃になってようやく「アサさん、あの日見てましたよね」と話し始めた。思い当たるのは一つしかないし、酔ってはいなかったけれどグラス一杯のアルコールを言い訳に無駄に冷たくするのも辞めることにした「見てたねえ」彼は今までの柔らかい笑みとは違う笑顔を浮かべた。「軽蔑します?」「別に。他人のことだし」「でも警戒してたじゃないですか」「当たり前でしょう。あれがなくても軽く怖いわ」「でも来てくれたんですね」「生憎もっと突飛な知人がおるもので」「へえ、面白そう」面白いと思うか迷惑と思うかは紙一重とは思うが、なんだかんだ付き合いを続けているということは私は面白いと思っているのだろう。そしてこの状況も。「口止めに来たなら手間だったね。言いふらしても私にメリットもないし、もっとスキャンダルなことって世の中にはたくさんあるもんよ」「へえ、例えば?」「教えるわけないでしょう」「知ってるんだ」「それなりにね」彼が飲み終わらないうちに私のグラスは空になり、三杯目を頼む。「口止めもちょっと思ってたけどそれだけじゃないよ」「ん?」「アサさん、ちょっと気になってたから」「はあ」「あ、警戒してます?」「呆れてるんです」
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tsurugism · 7 years
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華奢な体躯にまだ学ランは大きく見える。二年生だと言っていた気がする。会話が漏れた時に、確か。色白で、拗ねたような猫目に黒ぶち眼鏡の男の子と日に焼けて、子犬みたいに人懐っこく笑う男の子が戯れ合って帰っていく様子をよく眺めていた。色白の彼は黒瀬と呼ばれていて、だからいつか珍しく一人で俯いていた時につい缶コーンポタージュなんかを手渡すという不審ぶりを発揮する際に声に出してしまった。ものすごくビビりながら礼儀正しく頭を下げた黒瀬を私はもっと気に入ったし、数日後に缶コーヒーを手渡してくれた黒瀬もかなりの挙動不審ぶりでどうやら嫌われてはいないようだとわかった。
「ツキヨはいつも何してんの?学校は?無職?」唐突に黒瀬は今更なことを言う。「ここでは休憩。職はまあないと言っても過言ではない」「ニート?」「自宅警備員」「うわあ」「冗談だよ、似たようなもんではあるけど」「結局答えてねーじゃん」「はは」黒瀬は鼻を赤く染めて白い息を吐く。男子は睫毛が濃くて長くて羨ましいと昔から思っていたが、この華奢な色白に黒く長い睫毛は本当にずるいなと思いながら見下ろす。可愛らしい少年。いじめたくなる気持ちはないわけじゃない。「相方はどうしたの」「やめろよその言い方。後藤は進路相談が遅いんだよ、順番」「早いな。受験か。黒瀬は頭良さそうだな」「普通」「高校か。高校デビューとかするんじゃないぞ」「しないよ。俺別に陰キャラじゃないし」「はは、男子校とか行ったらモテそうだなあ」「はあ?」「掘られるなよ」「意味わかんない」不服そうにマフラーに顔をうずめるのがまた可愛らしい。高くも低くもない中性的な声もだんだんと落ち着いてしまうのだろうし、華奢な体にも筋肉がついて身長ももっと伸びるんだろう。目立つほどではないだろうけど、密やかに人気の子になるんだろうとは思う。幼さの残る今が失われることに残念な気持ちもある。と言っても、そうなる頃までこんな風に会話しているとも思えないけれど。
どこもかしこも甘い匂いのする気がする。バレンタインデーで浮き足立っている。イベント事で浮かれる世の中が平和で、好きだと思う。「あげる」とコンビニの袋からチロルチョコをコロリと黒瀬の手のひらに転がした。目を見開いて驚いて「しけてんな」と悪態をついた黒瀬は照れたように目を背けた。ああ、いけないことをしている気分にさせる。「手ぶらじゃん」「は?」「チョコ、収穫なしか、哀れな黒瀬」「うるせえな」「私は学生時代結構もらったぞー」「なんでツキヨがもらうんだよ、女のくせに」「はは、女子にはもてたんだよ」「ツキヨって、そっち?」「そっちってどっちよ」笑ってごまかす。真面目な話をすべきところでもないでしょう。「人に好かれるにも人を好くにも男とか女とかっていうのが全てじゃないでしょう」自分で買ったチロルチョコを自分で食べながらそれでもつい口にしてしまう。「ま、黒瀬にはまだ早いか?」「俺だって」「うん?」「女子に、告白くらい」「したの」「違う」「されたの」「、」「やるう」顔が赤いのは、寒さのせいじゃあなさそうだった。「付き合うの」俯いたまま、フルフルと首を振った。「別に、俺は好きじゃないし」なんて正直な子だろう。ちょっともったいないとか思っちゃうのに。「チョコも、返したし」「そこは受け取ってやれよ」「いらねーもん」純情って残酷だと思う。徹底している。でも甘くなくていい。そういうところが好きだ、幼く小さい体に潜む熱くて澄んだ純情。失ったもの。懐かしいもの。愛しい。「欲しい人からしか、いらない」呟いて、じゃあね、と黒瀬は赤い顔のまま行ってしまった。呟いた言葉は聞こえなかったことにした。
何度も見かけたことはあったけれど直接話をするのは初めてだった。顔を合わせた瞬間にお互い「あ」という顔をしてしまってつい笑った。「お姉さんなんていうの」「月夜。君は後藤?」「知ってんの!」「黒瀬が呼んでた」「そっか」黒瀬にいつかそうしたように後藤にも缶コーンポタージュを手渡して、いつも黒瀬とするように公園の鉄棒に座る。暖かくはなったけれど夕暮れの公園には人は少ない。「黒瀬は俺と一緒だとツキヨさんに話に行かないんだよ」「呼び捨てでいいよ。なんとなく知ってた」「ツキヨと黒瀬って付き合ってんの?」「付き合ってないよ。私はまだ犯罪者になりたくない」「俺が言っちゃだめかもしんないけど、黒瀬はツキヨのこと好きだよ」意志の強そうな大きな目で後藤はまっすぐにこっちを見ている。幼く強い子達だと思う。「バレンタインの時にさ、黒瀬クラスの女子に告られたんだよ。運動苦手だけど頭いいし、まあそこそこモテんだよな。俺ほどじゃないけど!そんでもさ、あいつチョコまで返して断ったんだよ。そこそこ可愛い子だったのに。そん時にさ、好きな人がいるからって言ったんだって。次の日にはみんなそう言ったって知ってて、でも誰とかまでわかんなくて、ていうかみんなの知らない人だし学校の人でもないっていうから、俺ぜってーツキヨの事だろうなって思った」「ほう」「だって全然俺には近寄らせてくれないし、独り占めじゃん。学校の女子に目もくれずにツキヨにばっかり会ってるし、内緒にしてるけどツキヨの事話してるっぽい時ちょっと嬉しそうだし。でもツキヨ大人だから俺たちなんてガキだと思ってんだろうなって思って、付き合ってるなら遊ばれてるのかもしんないし付き合ってなくってもどう思ってんのかなって、黒瀬が自分の事好きなことも気づいてるのかなって」「気付いてないよ」「嘘じゃん」「気付いてないよ」「なんで」「大人だからね」じっと、強い眼差しが私の卑怯な笑顔を刺す。「黒瀬、今日早退したんだ。多分風邪だって」「そっか」「黒瀬が来ない理由とかもさ、気になんないの」「毎日会うわけじゃないしね。そういう日もあるよ」「ふうん」「それに、あんまり詮索してもね、深入りすることは深入りさせちゃうことにもなるしね、大人はさじ加減が大変なの」「わっかんない」「はは」後藤は、律儀にコーンポタージュありがとうございましたとお辞儀をして公園を出て行った。幼い恋心と純粋な友情。綺麗事が綺麗なまま通用する最後の時期を私が汚してしまうのかと思うと楽しく思えた。
「ツキヨは彼氏とかいないの」「秘密」「なんだよそれ」「いないよ」「秘密じゃないのかよ」「はは」男の子の成長期は目に見える。だらだらと息抜きに出くわし話続けて随分経って、見下ろしていたはずの黒瀬の瞳が近づいてくるのがわかる。「ツキヨ、ラインやってないの」「やってない」「じゃあケー番かアドレス教えて」「なんで」「塾、追い込みかかってきて忙しくなるから」「じゃあ携帯なんか触ってないで勉強しな」「会えなくなるから」「だから、勉強に集中しなって」「会えない方が集中できない!」黒瀬には珍しく、声が荒んだ。ああ、ついに。「携帯で、連絡のやり取りなんて苦手なんだ。通りすがりの暇人と通りすがりの中学生みたいなもんでしょう、それでいいんだよ。あんまり私のことなんて気にするな」「気にする」「気のせいだよ」「違う」「何が」「違う!」また、頰が赤く染まる。小さな熱だ。黒瀬が声を荒げるたびに、必死に訴えるたびに、もっと現実を突きつけたくなる。「俺は、会いたいし話したい。今はただの近所のガキにしか思ってないかもしれないけど、でも俺は本気だし、すぐに背だって追いつくし、大人になる」「そう」「そうやって、ツキヨはいつも他人事みたいに」「ただの近所のガキだもん」威勢のいい言葉が途切れる。「私は応えられないよ」なんて優しい言葉をかけるんだろう自画自賛する。もっと冷たい言葉もいくらでも溢せるけれど。「それでも、俺は」「黒瀬」良心みたいなものは私にもあるようだった。���もうこの話はやめよう」聞きたくはなかった。言わせたくなかった。幼い恋に口走る彼と同じくらい、私も大人になれないまま大人になってしまったんだなと改めて思い知る。「ツキヨ」「もう私の名前を読んじゃだめだよ」「なんで」「なんでも」愛しい猫目が涙を堪えている。「大人になるんでしょ」口にすることもできないまま、引っかかったままにいつか美しさを増した思い出に私を住まわせて欲しい。黒瀬はこぼれそうな涙を隠すように顔を背けて、言葉もないままに背を向けて走って行った。少しほっとして、ああでもなんて可愛いんだろうと頰が緩む。憧れは叶わないのがいい。夏の匂いが近い。
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tsurugism · 7 years
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センチメンタルな気持ちを失ったようなことを言いながら、センチメンタルを探して小さな旅をする。くだらないのだろうと思う。僕はあの時何を思っていたかなんて全然覚えていないけど、後から捨ててきた思いを拾われていたことを何かで知った。それもなんでか覚えていないほどのことだ。要らなかったから捨てたんだろうからそれでよかったんだと思う。拾い上げてしまったあの人もらしくていいと思う。僕はあの時地獄を巡るつもりだったんだろうか。巡るということは、進むのだろうし戻ってくるのだろう。戻るんだろうか、それともどうにか転生したんだろうか。何か、変わったんだろうかあの時。君は地獄に落ちなかっただろうか。変われてはいないだろうか。
いつまでも愛されてると思っていたのはどっちだろう。いつまでも愛していなきゃいけなかったんだろうか。僕にはできなかったけど。もう少し、僕を忘れてしまっていいのに。いつまでも愛されてると思っているのは僕だろうか。どうして君は僕に会いたくなってしまって、僕に会いに来てしまって、だけどそれはきっと僕が拒まない理由と同じなんだろうか。
君の弱さに、僕は弱いのだ。思い出してしまうから。だらしなく柔らかく笑う顔も、悪戯を思いついた���供みたいに写真を撮る姿も、電話越しの震える声も、自分が苦しめる原因になることの怖さも、そうなった時に触れることができなかった情けなさも、今でも少し泣きそうになるくらいには、覚えている。これが思い出の美化だろうか。感傷的になるのは滑稽だろうか。愛していた、と言葉にしてしまったらとても陳腐で、だけどそんなもんだったろうと思う。いつまでも愛してあげることができなかったけど、裏切ったのはお互い様で、あの時僕らはたった二人で、それより広い世界に対して二人とも弱すぎた。
荒木は陽子を死者と言われたことに対して、むしろ生まれたんだと言う。それを真似たあの人はあの時死んでいたのか生まれていたのか。僕は生きていたのか死んでいたのか。死んだまま恐山に、空っぽなあの場所に行って、地獄や天国を許されて生まれ変わったのか、生きていたとして、地獄と天国を巡って、何れにしても転生したんだろうか。勘違いして降りてきてしまったんだろうか。でもきっとあの場所にいろんなものを置いてきたのかもしれない。決定的な何か。だとしたら、僕らは仮定の一生を寄り添ったんだろうとも思う。始まって、終わったんだ。終わった。それなのにどんな顔をして、僕らは会うんだろう。
思い入れがあるんだろうこともわかるし、それは僕だってそうなんだろう。受け入れるつもりは全くない。拒む理由も特にない。曖昧だろうか。以前の恋人ではある。なかったことになるんだと言っていたその通りで、確かに僕はそのくくりを思いたくはない。もう恋人ではない。友人だったことはない。僕の中で残る関係は、先輩と後輩というくらい。それ以上でも以下でもない。拒む理由は、特にない。僕にとって先輩は逆らえない相手でもない。
きっとどちらの期待もしているんじゃないかと思う。勝手に。きっと。僕は僕のためにそう思う。
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tsurugism · 8 years
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自分のつまらなさについて頭の片隅でずっと考えている。自己嫌悪ではなく、いかにつまらないまま無難に生きてゆけるものだろうかという思案へ辿り着く。そもそもつまらないとか面白いとかの基準を一般的とか世の中とかそういうものさしであろうもので測っているからつまらないのであって、だがそういうところで生きたいわけでも評価されたいわけでも判断されたいわけでもないので思考が詰まる。 ひりひりと寒い冬の夜中に月も見上げるのを忘れて、青白い街灯に見下ろされながら、しんとした気持ちになるあの瞬間を思い出す。密度の濃い闇の中でとろとろした夏の中をぼんやりと、祭囃子の遠い記憶を探るような切なさを思い出す。 東京へ来てその感覚はずいぶんとないことに気付く。あの感覚。 やけに心が落ち着いていて、だけどひどく冷たくて、感情の名前のわからない。襲うたびに久しぶりだ、なんて思っていたけど、本当に、ずいぶんと失って久しい。あの冴えた、冷たい、孤独のような空気が僕のすべてなのではないかと思う。今。 取り戻したい。あの先にあるのだと、思う、
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tsurugism · 8 years
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山とか、とにかく田舎に引きこもって暮らしたい、と思うのは都会に疲れてのことだろうが、なんつうかとりあえずSNSをやめるべきなのではとも思う。あーでもわざわざメール?とか思い、手紙、を出すのもありだけれどそんなにはマメじゃあないんだよなと思う。そしてふと、メールよりも手紙の方がしかし、気楽さは勝るなあと感じていることに我ながら不思議を覚える。 山で暮らしたら歌でも詠めるようになるかしら。知性も感性も足りない。
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tsurugism · 8 years
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ここ1年くらいが過去最高に人見知りというかひとに興味がないというか苦手なひとだらけというかアレ。ノリもくそもないヤツ。 本人のいないところでの噂とか詮索とか狭い世間の進展も解決もない内輪話とか、そもそも不真面目なくせにユーモアもないので冗談とかノリとか好きじゃないしないし、でもたぶんそういうので世の中平和に流れてんだろうなあとかも思うたりせんでもない。 なんかいろいろあるようで、ないようで、過眠気味に日々を過ごしています。 元飼い猫って、チップとかネームプレートとかないと名前なんてわからなくて、困るなあと思う。前んとこで何年暮らしていたのか知らないけれど、なんか、知らないひとに出会ったからって違う名前になるのって、犬猫がいくら家族だなんだとか扱いが人間に近くなってても犬猫にも格差ってあるんだなあとかも思うし、僕はなんか違う気がしてしまう。ねこはねこ。 ずいぶんと前からいる頭の中のキャラクターが、多分僕の理想で、そいつを思い出してしまって、飄々と生きたいなあとか思う。後ろ両脚を脱臼しても痛がる様子も見せないねこもちょっとだいぶ尊敬する。あいつは悟っているんだろうか。読経でも聴き続けた徳の高い猫なんだろうか。豪徳寺とかもあるしね。適当。 まあ、そんな感じ。
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tsurugism · 8 years
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映画を見に行くつもりだった。 宅配業者の呼び鈴で目が覚めた時にはすでに午前の上映には間に合わず、そうなると次はもう夕方過ぎだ。先週末から始まって今週末で終わってしまう短い上映期間内に行ける日はもうない。 とりあえず二度寝をする気分でもなくのろのろと起き出し、思考を巡る。仕事は休みだが、彼に会いにいってはやらないと決めている。 昼中に動いて、少し昼寝をし、銭湯へ行ってからでかけよう。そう道順を立てる。流しに溜めていた洗い物を片付け、生ゴミ用のネットがないことに気付く。ああ、それから何かを食べなければならないことにも。果物がたべたいと思った。プラムとか。 動きたくなくて、とりあえず近所へネットを買いに行こうかと適当に外へ出たら、食べ物をどこで買って、ああ花も欲しいと思っていた、と巡らせるうちに少し離れたスーパーまで行ってしまえと足が伸びる。 プラムが欲しかったはずなのに、桃と梨と林檎なんか買ってしまって、帰宅する。 近くのパン屋にサンドイッチを買いに行ったら定休日で、しぶしぶコンビニのサンドイッチを買う。どうでもいい選挙戦のニュースを眺めながら食べた鳥と卵のサンドイッチはマヨネーズの味しかしなかった。 ぼんやりと布団に横になり、王朝時代や江戸時代には掛け布団は着物だったことに気付いて中古着物のまとめ買いをすべく携帯を触っているうちにうたたねをした。 長いような短いような夢だった。アパートの外には海が迫り波が飛沫をあげて鳴った。足は地に着かずに無重力のように頼りなく身体が浮遊した。よく見る状態だった。 目がさめると、血がうまく巡っていない感覚をがして、暫く起き上がれずに、ゆっくりと寝返りを打つ。まだ映画には間に合う時間だったけれど、もう映画を見に行く気にはなれなかった。 もういいだろうと起き上がったら軽く立ちくらみ、手をつく。それから湯に浸していた小瓶のラベルを剥ぐ。キレートレモンの緑とリポビタンDの茶色とファイブミニの透明の小瓶。ファイブミニのラベルがうまく取れなくて、湯に戻す。バケツで水に浸しておいた安売りの花を適当に切って、適当に生ける。 なんとなく、最近ずっと部屋に花が欲しかった。荒れた部屋の中で一画だけ整理してある棚へ瓶を置いた。カーテンの隙間からぼんやりと入る明かりに照らされた花は、遠目でいると造花みたいだった。 湯屋に行こう。戻ったら、ファイブミニを剥いで残りの花も生けよう。そう思いながら今朝届いた着物をハンガーにかけ広げ、部屋を出る。休みは、休めばいいのだ。街へは出ない。今は消耗する元気はない。 草履をつっかけて、湯屋へ向かう。借りている映画も見なければなあと、あくびをしながら、向かう。
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tsurugism · 8 years
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別人なんだけど、スエタケに似た男の子とすれ違った。 大きな荷物を背負いながら、おい、おい、よいしょー、おい、うい、あー、と叫びながら歩く老人に目を奪われて、すぐに、視界から流れて、その後ろを歩く青年が視界に入る。 細身で、少し髪が長くて、どうって特徴があるわけでもないけど、あいつに似てるな、と思った。いつだっけ。高校を出た頃だっけ。友達の、バイト先の同僚で、確か同じ年の男の子。 青春みたいに夏、河原で飲んだのが初対面で、初対面なのに恋愛相談を受けたんだ。 背が高くて細身で整った顔をしているくせに、ヘタレで天然パーマを煩わしそうに前髪をわけるのが可愛かった。 懐かしい。ひよこみたいだからたまひよって呼ばれてるなんてちょっと不服そうに、でもSNSで名乗る程度には気に入っているんだろうあだ名があった。 元気かな、なんても思うけど、きっとあいつは元気だろう、と思って、ちょっと口元がニヤついた。
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tsurugism · 8 years
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寝足りない。しかしのっそりと起き上がり、手首につけっぱなしにしていた髪留めを見つける。陽の光にあて、写真を撮ってから外す。時間がない。シャワーを浴びる。コンタクトをつけっぱなしで寝ていた。目脂で目が開けにくい。右目の調子が悪い。コンタクトを外す。もう今日は眼鏡の日だ。 適当に着替え、部屋を出る。陽射しが、もう春を忘れようとしている。 頭が痛い、と気付いたのは昼を過ぎてからだった。気付いてしまうと、気持ちを蝕む。昨日、夕方には寒くて震えていたことを思い出す。風邪ひいたかも知れない。さらに頭が痛い。仕事は続く。 棚卸しを手伝い始めれば、残業は確定だ。稼いでしまう。まんまと。 写真を撮ることは辞められないけれど、写真を扱う立場がよくわからなくなっている。作家と呼ばれたりカメラマンと言われたりすることへの疑問。趣味と主張する意味。僕の作品は自慢でしかない。作品としてまとめるときは精神状態でしかない。それを大きく展開するつもりはないし、でも仕事にするなんてもっとない。役立ちたいとは思う。 何ができるだろうと思う。技術がない。センスもない。そうだな。そうか。確かに愛しかない。笑う。 膝を折って、横になる。小さく身を丸める。頭が痛い。目がしばしばする。小さな小さな仕事をこなすのだ。それだけ。
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tsurugism · 8 years
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2日ぶりに自宅へ帰ったら、部屋がやけに生ぬるい。上着を脱いで、部屋の明かりをつけて気付いた。エアコンがついている。2日間、ついたままだったということだ。電気代。と心の中で呟いて、次の瞬間に諦めた。仕方ない。 適当に時間を潰して、テレビ番組を聞き流す。読みかけの文庫本に手を伸ばす気にはなれないまま、日付も変わらぬうちに部屋の電気を消して布団に潜り込む。ぼんやり、天井を眺める。 静かだ。隣の部屋の住人の、洗濯機の回る音がする。窓の向かい側のアパートの室外機の音がする。それから、たまに猫の唸るような声がして、また隣の住人の椅子を引く音。聞こえるのは、それくらいのものだ。それすら、ぱたりと止む時間があって、自分の呼吸の音や布団の擦れる音がやたらと耳についたりする。 あの人の家は環七が近くて、小さいけれど駅も近い。車の音と、人の声が絶えない。夜中になっても同じだ。会話の内容まで聞こえたりする。大きな窓からは街灯が差し込んで、電気を消したって明るい。 あの人がいて、部屋が綺麗で設備が快適でも、その点はやはり我が家の勝ちだと思う。あそこを見せとは思わないが、あれは家でもないのだ。 それでも1日2日、入り浸ってしまうことはある。すこし申し訳なく思う。気の持ちようだ。一緒にいたい人といることがそれらを凌駕する。単純だ。 すこし失敗したとも思う。 普段では酔わない量の酒で酔って、なんとか帰ってきたときに、私は泣いていたらしい。気持ち悪さは覚えている。胃の中すべてのものを吐いたのも覚えている。なんとなく、涙がたくさん出ていた気もする。 あの人に対してはなんてことないことなのだ。 それを見かけた知人に、あの時大丈夫だった?なんて聞かれて返す言葉がなかった。悪い子ではないし、そんな風になった自分が悪いのだけれど、あなたには関係ないことでしょう、と思った自分も否定しない。大丈夫と大丈夫じゃないの基準はなんなんだろうと思ったりもした。いつでも大丈夫なんかじゃないよと笑ってやろうかとも思ったけど、適当に話をすり替えて答えはしなかった。 1週間近く、ろくなものを食べなかった上に胃を酷使したからか、それからまた食べれていない。ひ弱なものだと思う。頭痛と気持ち悪さに1日伏せて、今日もまた食べられなかった。仕事はこなせる。仕事をしてい��ばなんとなく食べなければいけない気持ちになって食べて、また調子を悪くする。頑張っているつもりにはなれる。気の持ちようだ。蕁麻疹が細かく出るのは割と気をつけている。仕事はしたい。 おそらく私は疲れている。多分。疲れている。慎重に乗り越えなければならないのだ。過ぎ去るのを待たなければ。 慎重に。適当に。 目を閉じよう。日が変わる。
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